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現代の経済理念とその動向

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現代の経済理念とその動向

53

現代の経済理念とその動向

I II

II工

V

古典的資本主i義理念の展開

資本主義理念の変化

現代的資本主義理念とその必然性 現代的資本主i義理念の普遍性

1 序

 企業もしくはその主体としての経営者が企業とその経営の実態とあり方について抱くと ころの概念が経営理念ないし経営イデオロギーであるが,経営理念はそれが実践において ワ一呑ブルであるためには,社会が企業と経済の実態とあり方について抱いており,また 抱きつつあるところの概念,すなわち社会において普遍化・必然化の方向にあるところの 経済理念ないし経済イデオロギーと両立することを必要とするであろう。

 先進資本主義経済社会において今日,普遍化の傾向にあるところの経済理念は,古典的 もしくは伝統的な資本主義理念と対比しうるところの現代的な資本主義理念である。ここ に古典的資本主義理念とは,個人主義,私有財産,レセ・フェアと限定的政府,完全競争 市場,私益追求と社会福祉との両立,クローズド・システムにして経済的ならびに営利追 求単位としての企業,等を強調するところの経済理念である。また,現代的資本主義理念 は,社会との協働,政府の経済的役割,企業に対する多様な対抗的勢力,社会的責任,オ ープン・システムにして多目的な社会経済単位としての企業,等を強調するところの経済 理念を意味する。古典的資本主義理念は現代の社会においても依然として根強く残存して はいるが,社会において有力となりつつある経済理念は現代的資本主義理念であるとみて

よい。

 本稿では現代の企業に適用可能な経営理念の探究のための基礎として,経済理念におけ

るこのような傾向を歴史的に眺めることにしたい。すなわち,はじめに古典的資本主義理

念の展開を追ったあと,社会における諸変化が現代的資本主義理念を登場させるに到った

ことを明らかにする。そして,二つの理念を対比しつつ,現代の社会における必然的理念

(2)

は現代的資本主義理念であることを示す。なお,現代的資本主義理念の必然化の傾向は欧 米社会のみならずわが国においても等しく妥当すること,更にはかかる傾向は東南アジア 諸国においてもかなりに妥当すると思われることも論ぜられる。

II 古典的資本主義理念の展開

 古典的資本主義理念は19世紀後半の欧米社会で普遍的であった経済理念であり,それは 今日の先進資本主義経済社会においても未だ,少なからざる社会的支持を有している。

 それは長い年月をかけて形成されてきたのであり,その歴史的な根は深い。すなわちそれ は,商業活動への中世の宗教的制約に対するトマス・アクイナスの提唱,宗教改革とプロ テスタント倫理の登場,清教主義,アダム・スミスによるレセ・フェアの提唱,ハーバー ト・スペンサンーによる社会ダーウィニズムの主張,等を重要な契機としてその確立をみ          1)

たのである。カストらは古典的資本主義理念の展開と変形の歴史的過程を示しており,本 節ではかれらに従って古典的理念の展開の過程を眺めることにしたい。

 さて,カストらは古代ギリシャから19世紀後半に到る期間における経済理念の展開を,

       2) 資本主義倫理の歴史的進化と題してつぎのように述べている。すなわち,まず,古代ギリシ ャにあっては,自給自足が理想とされたにも拘らず,商業が栄えた。ギリシャの哲学者は 一般に商業活動を,必要ではあるが好ましくないものとして軽蔑した。商業活動に関する ローマ人の見解はギリシャのイデオロギーに倣うものであり,それは商業と貿易の必要性 については寛容であったが,これらの活動を低級な職業とみた。かくして,ギリシャとロ ーマのイデオロギーは事業家を軽蔑したが,しかしながらそれは,帝国のより広い目的の 完遂のためにはその活動が必要であるということを認識するに足る程度に実際的であった。

 中世は沈滞と経済的ならびに社会的発展の欠如とを特徴とするが,それは封建制度とカ トリック教会という二つの主要な社会組織によって支配された。教会はイデオロギーを提 供し,社会全体の価値体系を述べた。すべてのものの関心は,魂の救済であったのであり,

教会は支配的制度として人間活動の全領域に大きな影響を及ぼした。

 中世の初期には支配的な教会イデオロギーは企業と商業活動を軽蔑し,厳格な規則と制

限を示した。高利は罪であり,取引自身が清浄さを疑われたのであって,教会の教義は事

業家と商業活動に対する敵意を反映した。しかしながら,中世の後期には商業主義の興隆

に照応して企業活動についての教会の見解に変遷がみられた。イタリアの都市国家による

地中海貿易,地方社会の間の商業の興隆,ギルド制下の職人の増大が存在した一方,商業

活動に関する教会の見解の修正が,13世紀中期におけるトマス・アクイナスの宣言のうち

に眺められる。かれは取引が低級であり必要悪であると主張し続けたのではあるが,成長

する商業主義が社会的役割を有することを認識した。かれは,正当な価格および合理的な

利幅という概念を述べたのであり,正当な価格が存在するというその見解は商人の活動を

(3)

 現代の経済理念とその動向       55

認可するものであって,高利に対する抑圧が存在し続けたのではあるが教会は利子に対す

る禁止を緩和した。とはいえ,企業活動に関する教会の規制におけるこれらの緩和にも拘 わらず,中世における支配的見解は取引と商業は必要悪として許されるというものであっ

た。

 16世紀の初期までに,中世の諸制約の多くが打破されつつあった。人口の都市化,国家 の発展,イギリス・フランス・オランダ・ポルトガル・スペイン等による海外貿易の成長 は,商業活動の成長を刺激した。多くの歴史家が宗教的な価値と態度の変化を,資本主義 倫理の発展の重要な基盤と考えている。幾人かのものは,ユダヤ教を資本主義制度の発展

の第一次的な力と考える。例えばゾンバルトは,ユダヤ教は商業と富の蓄積とに対しキ・リ スト教の場合と同じ制約を課さなかったこと,そして自己規制,激しい労働,真面目,倹 約,我慢といったユダヤ教の価値は経済発展に寄与するとともに,成長しつつある資本主

       3)

義と両立したことを指摘する。

       4)

 他のひとびと一代表的なものはマックス・ウェーバーである一は,宗教改革とプロ

テスタント運動とからもたらされる宗教倫理の変化が資本主義の進歩に高度に好意的であ るような倫理的ならびに経済的風土を提供していることを強調する。ウェーバーは英国,

スコットランド,オランダ,ニュー・イングランドにおけるプロテスタント主義の成長が,

これらの国が最初に産業の発展を経験した主要な理由であることを示唆しており,また,

他のひとびとはヒューマニズムとプロテスタント主義が奨励した個人主義の新精神が,進 化しつつある資本主義の支配的な力であることを示している。イールズらは,宗教改革の 指導者が新しい資本主義倫理の展開において果した役割をつぎのようにいう。個人による 企て,聖書の解釈,および労働の重要性に対するルッターの強調はカルヴィンによって強 調され拡張されたのであって,カルヴィンは質素,倹約,および勤勉に高い価値を与えた。

更に,世俗的な成功と繁栄は神によって選ばれた印と解しうるという概念に焦点を当てる ことによってかれは,西欧社会における利潤動機の拡まりと調和するところの宗教的イン

      5)

センチィブを提供したのである,と。かくの如く,カルヴィン主義の教義は,資本主義の 奨励のための基本的枠組を提供したのであり,プロテスタント倫理の発展のための舞台を 設定した。新世界では清教主義が,厳しい労働と真面目という徳を,ならびに神による恵 みの印としての世俗的財の蓄積を強調し続けた。

 16世紀と17世紀にわたり重商主義の理念が経済の場を支配したが,18世紀中期までには それは打破されつつあった。重商主義の概念の下では個人は国家に従属しており,経済的 ならびに企業的活動は国家の権力を支えることに俸げられるのである。1776年にアダム・

スミスの国富論が出版され,.資本主義倫理はその主要な理論を手にした。かれの見解は,

成長しつつある資本主義倫理のための理論的背景を設定した。スミスは各個人はその利己

の最大化によって全体社会を益するであろうという前提に基づいて,経済的自由.を主張し

た。市場と競争の見えざる手が個人の利己を規制し,かくして社会の便益の最大化を保障

(4)

するであろう。スミス理論の長所はそれが各個人に,自身の利益のみを考えて自身の利潤 と富を最大化する一方で,自動的に広い社会的便益のために資源を最良に配分することを 可能ならしめるというものである。統制メカニズムは市場の競争であり,かかる競争は自 動的であるとともに,その有効な作用を確保するための国家の統制も,他の外的統制も必

要としないのである。

 スミスは商業活動への政府の干渉は自然的均衡を覆す傾向にあることを強調し,市場の 制約内で資源の配分を企業のみにまかせるというレセ・フェアの概念を擁護した。かかる イデオロギーは当時の技術の,ならびに産業の発展と適合したのであり,産業経営者の成 長に対する完全な正当化を行った。ベンサムとリカードにより強調され,また幾分か修正 されたスミスの資本主義理論は産業革命の理念を形成したのであり,西欧世界で依然とし て広く主張されている。それは,完全雇用,最低の価格とコスト,最大の効率,ならびに 進歩と自由という夢を生んでいるのである。

 プロテスタント倫理と,生じつつある資本主義精神とは,西欧社会における科学的探究

と技術的応用とへの強調の増大に対し好意的であった。プロテスタント倫理資本主義

および科学と技術には,多くの共通の価値が存在する。それらは合理性の強調,経験主義,

功利的気質,個人的改善と神の栄光とのために自然の資源を人間は用いる必要があるとい う見方,ならびに,知識と教養の重視である。17世紀と18世紀の間に,これらの動きが集 中して産業社会の基盤を提供した。プロテスタント倫理は資本主義と科学の進歩とのため のイデオロギーを提供したのであり,資本主義は技術的応用に向けての科学的知識の利用

を奨励したのである。

 1858年にチャールズ・ダーウィンは「種の起源」を出版し,進化の過程の中で有機体は その環境への適合に成功するのであり,それは絶えざる闘争過程の中でなされることを強 調した。最適者の生存というこの概念は19世紀後半にハーバート・スペンサーによって,

生物学的有機体からより広い社会的秩序へと拡張された。社会的ダーウィニズムは,最も 有能にして資源を有する人々が社会的階梯の頂点に昇るのであり,これは事物の自然な秩 序であると示唆した。社会的ダーウィニズムの下では,貧しい階級と富める階級が存在す ることは自然なことに過ぎぬとされ,かかる階層的秩序を覆さんとする試みは不自然であ

り,社会の最良の利益に反すると考えられた。社会的ダーウィニズムは,プロテスタント 倫理とスミスのレセ・フェアの概念とを補強したのであって,それは,19世紀後半の事業 家のための基本的イデオロギーを提供し,資源の蓄積と利己のためのその使用を正当化す

ることを助けた。

 かくして,19世紀後半にこれらのイデオロギー的要素が集中して,古典的な資本主義 倫理の頂点を形成したのである。もっとも当時でさえも,このイデオロギーへの異議者も みられたのであり,その一人はマルクスであった。

 古典的資本主義倫理の成立の歴史的過程についてのカストらの説明は,以上のようであ

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 現代の経済理念とその動向       57

る。かれらの説明は西欧社会における経済理念の歴史的変遷を簡潔に示しており,それは 古.典的ないし伝統的な資本主義理念の成立過程を具体的に明らかにしているといえよう。

 (注)

(1)Fremont E. Kast and James E. Rosenzweig, Organization and Management:ASystems and  Contingency Approach, Third Edition,1981.

 なお,カストらの所説の紹介か,森本三男「経営学入門」,昭和57年の第4章にみられる。

(2) Ibid., PP.28〜33.

(3)Werner Sombart, The Quintessence of Capitalism, trans. and ed. by M. Epstein,1915。

(4)Max Weber, The Protestant Ethic and the Spirit of Capitallsm, trans. by Tarcott Parsons,

 1958.

(5)Richard Eells and Clarence Walton, Conceptual Foundations of Business,1961.

III 資本主義理念の変化

 かくの如き過程で展開された古典的資本主義理念は,19世紀後半から20世紀初頭の欧米 において,その最も純粋な形で社会的に普遍化するに到る。そしてそれは,その後も欧米 社会において根強い支持を得続けることになる。のみならず,それはわが国その他のような 欧米以外の資本主義社会においても経済理念として影響をもつのである。

 ところで,社会において普遍的な経済理念は社会の変化に伴いその姿を変えるのであっ て,このことは古典的資本主義理念についても妥当する。すなわち,大企業の出現と市場 支配,労働組合の出現,政府による規制の増大,政府活動の拡大,企業と社会の緊密化,

等といったことがらの登場は,より修正された資本主義理念を普遍的な経済理念として出       ラ

現せしめる傾向にある。本節ではまず,カストらに従って,米国社会を中心にそこにおけ る普遍的経済理念の変化の進展を追うことにする。

 さて,米国の場合,南北戦争以前は農業と小企業が支配的であったのであり,大規模な 産業発展が生じたのは南北戦争後であった。生産の技術工学,機械の使用,および工場制 度といったものを強調するところの産業革命は,人々と資源の集産的組織を要請した。企 業の会社形態の発展は,産業帝国の運営に必要な資本を蓄積するための手段を提供したの

である。

 進化しつつあるプロテスタント倫理,アダム・スミスの競争モデル,および社会的ダー

ウィニズムは,産業資本主義へのイデオロギー的支えを提供した。南北戦争の終結から

1890年に到る期間が,伝統的資本主義倫理の進化の頂点と考えうる。たとえ権力の集中

の増大と産業の独占とがスミスの純粋にして競争的なモデルに描かれたそれとは全く異なっ

た現実状況を創り出しているとしても,個人主義とレセ・フェアのイデオロギーが企業の

思考を支配し続けた。この時期,産業の将帥の多くは,今日の基準からみれば高度に非倫

(6)

理的な実践に従事したが,産業経営者は当時の英雄であった。しかしながら,19世紀の終 りにかけて,多くの論者が普遍的である産業ダーウィニズムの反社会的結果を指摘したの

である。

 政府規制の出現 19世紀初頭にあっては政府の活動は,産業と企業の発展に対し高度に

好意的であった。関税法の制定,私的会社形態の合法化,鉄道への政府の資金と土地の

支出といったものがみられた。しかるに,1800年号後期における多くの産業経営者の反社 会的活動は,企業制度への大きなパブリックの不満を創り出した。大会社とトラストの展 開,およびその独占的権力は,社会の種々の勢力をして企業の規制と統制を要求せしめた のであり,かくして1880年と第1次大戦の間の期間に企業の規制と統制が始まった。1887 年の州際商業法,1890年のシャーマン・反トラスト法,1906年の純正食品・医薬法,1914 年のクレイトン法と連邦取引委員会法は,そのような規制を示しており,この期間に企業 活動のある局面への政府規制のための基本的枠組が確立された。

 労働運動の勃興 労働組合は19世紀の後半までは,産業経営者に対する対抗力としては 効果的でなかった。産業革命の初期の局面においては多くの制約が,労働者集団の団体交 渉に課せられた。しかしながら,南北戦争後,大規模な産業組織の成長に伴い,労働運動 ははずみをつけた。1869年に労働騎士団が結成されたが,1886年}こ設立の米国労働同盟(

(AFL)は労働運動のパターンを設定した。資本主義イデオロギーを受け入れてはいた ものの,AFLは大会社に対する強力な対抗力となったのであり,このイデオロギーの修 正と変形に関して役割を担った。

 大恐慌とケインズ革命 1920年代の10年間は企業と産業制度の頂点であったが,1930年 代は事業家への低い評価と資本主義イデオロギーへの最大の挑戦とがもたらされた。広範

な失業と市場の領解が古典的な資本主義イデオロギーの根源に挑戦したのである。

 古典的経済理論では,デフレは短期的な調整期間であると考えられた。このモデルの下 では完全雇用と資源の利用が,新しい均衡で確立されるとされる。しかしながら,デフレ は第2次大戦まで続いた。更に大不況は,個人主義,自己決定論,および厳しい労働と倹 約の価値というプロテスタント倫理の基本的教義の幾つかに重大な疑問を投じた。個人は

自身の運命に完全に責任を負うのではなかったのであり,人はその支配を越えた出来事に

よって影響されたのである。

 大恐慌は1936年にケインズをして,その著「雇用,利子,および貨幣の一般理論」にお

いて理論的説明を行わしめた。ケインズ派の見解は,古典派経済理論と資本主義倫理に挑

戦した。ケインズは消費なき貯蓄は経済資源の低利用に導きうると述べて,プロテスタン

ト倫理の基本教義に挑戦した。より重要であるが,ケインズ派の命題は,レセ・フェアー

それによって市場機構と価格制度が,資源と雇用の完全利用のための均衡点へと自動的に

調整を行うであろう一なる古典的な経済教義の基礎を疑問視した。ケインズは,資源の完

全利用を達成する方法として,貯蓄よりもむしろ消費を強調したのであり,その教義の下

(7)

 現代の経済理念とその動向       59

では,外部的な力,すなわち政府に均衡化の機構を提供してもらうことが必要とされた。

 ケインズの理論は事業界からかなりの敵意を受けたが,大恐慌なる不可避的現実とかれ の見解の説得性とが資本主義倫理の変形に大きな影響を有したことは殆んど疑いないとこ

ろである。

 政府活動の拡大 第2次大戦は,経済活動の全局面への政府のかかわりあいを要請した。

戦後も,かかる干渉の跡が残存する。1946年の公正雇用法は,完全雇用と経済的資源の完 全利用との維持への主要な責任を政府が有するという政策を確立した。冷戦,朝鮮戦争,

およびベトナム戦争は国防のための経済資源配分を伴いつつ社会を部分的な動員状態に置

いているのであり,GNPのかなりな割合が国防に割当てられる。政府はまた,原子力エ

ネルギーおよび宇宙プログラムのような領域にも巨額の支出を行っている。

 過去30年間,国防以外の領域での政府支出は,大きく増大じた。社会福祉,医療,教育 助成,天然資源開発,高速道路,大量輸送機関,平等な雇用機会,環境改善といったもの はその例である。これらの活動は政府の拡大をもたらした。環境保護庁,消費者安全委員 会,平等雇用委員会の如き多くの新しい機関が設立されたし,連邦取引委員会や証券取引 委員会の如き従来からの機関が企業活動の規制にますます積極的な役割を果している。

 経済と社会の問題への政府の役割のかかる増大が資本主義イデオロギーにもたらしてい るインパクトは,なにか。大部分の政府干渉は,競争モデルで想定される市場機構内では 作用しない。これらの活動の拡大に伴って事業界は,政府と経済的ならびに社会的権力を 共にせねばならなくなっている。ますます経営者は政府機関と協働しつつあり,このプロ セスは経営者の価値に影響を及ぼしている。

 技術的ならびに社会的変化 過去30年において,大きな技術的ならびに社会的変化がみ られた。複雑な組織内で技術的変化を処理する必要は,普遍的な企業イデオロギーに影響 を及ぼしている。組織への科学者や専門家の導入は,経営者の概念とアプローチに影響を 及ぼしている。企業制度の外での主要な社会変化もまた,イデオロギーにインパクトを与 えている。婦人,少数民族,消費者擁i護者,環境保護主義者といった種々のグループの社 会的知覚と行動主義の増大は,経営者をして自身の価値を再考慮せしめている。

 世界意識 第2次大戦後の最も基本的な変化の一つは,国民の意識領域が国家的問題か ら世界的広がりの問題へと拡大したことであった。より以前には関心は,殆んど国内の経 済的ならびに社会的発展にのみ向けられていた。米国民は世界のリーダーシップの地位に あり,国境を越える多くの出来事によって影響されることをますます知覚しつつある。米 国企業の成長と多国籍化は,国民のイデオロギーにインパクトを与えている。他の国家お よび文化との相互作用の増大は,国民にその伝統的な企業イデオロギーの再吟味と修正を 要請しているのであって,資本主義重出値の修正の例は共産圏諸国との商業取引の増大の

うちに認められる。

 成長と経済発展に関する見解の変化 伝統的な資本主義イデオロギーは,継続する経済

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成長を強調した。基本的なイデオロギーは,経済成長は個人と社会全体の改善に導くであ ろうというものであった。継続的成長というこのイデオロギーは,1973年後半に石油輸出

国機構(OPEC)の石油カルテルが原油価格を値上げしたときに,厳しい挑戦を受けた。

値上げは米国と世界の経済成長を厳しく制限したのであり,かかる状況は,継続的成長な る基本的イデオロギーに関して多くの疑問を提示した。値上げは,世界資源は有限であり,

それを求めての国家間での競合が増大しつつあることを教えたのであって,われわれは企 業組織は弁えず拡大する経済の中で操業するという贅沢を許されないかもしれず,有限な 資源と成長への限界が存在するということを認識しつつある。

 他の要求の増大 多くの他の勢力が,企業組織に影響を試みつつある。環境保護主義者,

消費者保護団体,婦人活動家,少数派民族,市民のロビイ団体,等は経営者の意思決定に直 接に影響せんと試みつつある。企業の社会的応答を求める声が多くの方面で聞こえつつあ るのであり,これらの声への応答は伝統的な資本主義イデオロギーの一層の変形を必要と する。経営者が,その行動を導くところの明快な価値体を確立することが困難であるのを 見出しつつあるのは,さして驚くべきことではない。

 以上,カストらに従って,社会の普遍的な経済理念が20世紀以降,古典的資本主義理念 から,より修正された経済理念へと移行しつつあることを眺めた。カストらの説明は米国 社会に関するものではあるが,それは現代の資本主義社会において古典的資本主義理念と 異なる経済理念が支配的となりつつある理由をかなりに示しているといえよう。

 現代の経済社会は,古典的資本主義理念が普遍的であった時代の社会とは種々の点で異 なっており,社会のひどびとは今日,企業と社会について伝統的な見方を変えつつある。

この点に関して更にいうならば,デイヴィスらは企業と社会の関係に影響を及ぼしてきた 社会的,歴史的要因の幾つかとして,企業の成長,戦争・大恐慌・社会の複雑化,科学と 技術の増大,経済的豊かさ,期待の増大,人口の高岸化,仕事と権限への態度の変化を挙 げており,つぎのように説明している。

 すなわち,大会社の成長はパブリックのうちに,一方でのそれが可能ならしめた物質的 豊かさへの賞讃と,他方での企業権力への恐怖と敵意というアンヴィバレントな感情を生

んでいる。戦争,大恐慌および社会の複雑さの増大は,企業への政府規制の量を増大せ

しめている。科学と技術の増大は,混雑,汚染,資源不足,従業員の安全と健康,個人の プライバシィ,および消費者保護といったものについてのパブリックの関心を増大せしめ ている。基本的な経済的必要と欲求を卸している消費者指向的・サービス指向的な社会は,

社会の必要と欲求にその注意を更に向けている。より良い生活への期待の高まりは,少数 派民族,婦人,老人,不具者,等からの,平等への要求をもたらしている。高令化する人 口は,より弾力的な退職オプション,より良い医療,所得の維持,等を強調している。労 働と権限に対する態度の変化は企業と政府の政策に対し,新しい問題と挑戦を課している

    2)

のである。

(9)

 現代の経済理念とその動向      61

 このように現代の社会にあっては,現代的資本主義社会理念と呼びうるところの新しい 経済理念が社会の経済理念として台頭しつつあるとみてよく,かかる理念は,社会理念と

していずれ古典的資本主義理念に完全にとって代わるとみてよいであろう。最後に,カス トらが「資本主義倫理の進化と変化」として,古典的資本主義理念の成立と現代的資本主       3)

義理念の展開について図示しているところを参考までに示しておく。

資本主義倫理の進化と変化(カストら)

資本主i義倫理の進化の期間  純粋資本主義倫理の頂点

       合

資本主義倫理の変化の期間

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9001917 1920  1940

960  1970

980

(注)

1)Kast F. E. and Rosenzweig, J. E., op. cit., pp。33〜9.

2)Keith Davis, William C. Frederick, and Robert L. Blomstrom, Business and Society:Concepts and Policy Issues, Fourth Edition,1980, p.174.

3)Kast F. E. and Rosenzweig, J. E., oP. cit., PP.40〜1.

V 現代的資本主義理念とその必然性

これまでのところでは,現代の資本主義経済社会において眺められる二つの経済理念に いて,その歴史的な成立過程を中心に眺めてきた。古典的資本主義理念と現代的資本主 理念というこれら二つの経済理念は,今日の代表的な経済理念である。前者はユ9世紀後 の産業資本主義ないし市場資本主義の時代において社会の支配的理念となり,今日の社 においても残存する。後者は現代のいわば統制資本主義ともいうべき時代において普遍 の傾向にある。これら二つの理念のより具体的な内容は,伝統的資本主義倫理と出現し       1)

つある現代倫理とを対比したカストらの表のうちに明らかである。表における伝統的資

主義倫理はここにいう伝統的資本主義理念に,また表における出現しつつある現代倫理

現代的資本主義理念にそれぞれ照応するとみてよい。

(10)

 62

      伝統的資本主義倫理と出現しつつある現代倫理の比較(カストら)

   伝統的資本主義倫理      出現しつつある現代倫理

個人主義のプロテスタント倫理,財産権,お       コミュニティ,グループ参加,責任を強調す よび自己決定       る社会倫理の成長,ならびに個人の福祉への       社会文化的影響

個人による利己の最大化はより高水準の社会       協働的社会行動の必要

福祉に導く

分業と専門化による効率の:増大       人間的満足の見地からの,専門化の限界の認       識

経済的単位としての企業      社会的経済的制度としての企業組織 単一目的としての利潤最大化       主要目的としての利潤。しかしながら社会的       目的の認識の増大。多目的の満足

有効的で効率的な経済的業績の総合的強調        有効性,効率,および参加者の満足の強調 クローズド・システムとしての企業組織         その環境と相互作用するオープン・システム       としての企業組織

市場と競争的環境に対してのみ反応       多くのインタレスト・グループと社会勢力に       反応

政府活動についてのレセ・フェア観       社会目的への対応に対する政府の役割の認識 自然の利用と支配を求める人類      自然との調和しての,ならびにその制約下で       の生活

環境資源の利用による経済成長への強いコミ       成長の限界の認識,および資源保全への動き

ット、メント

科学と技術の無制限な利用。技術についての       科学と技術の限界の認識。技術の適用への統 自由放任と決定論的見解      制の必要性の認識

企業への社会の期待は財と用役の生産に限定       社会は企業に生活の質というより広い問題の       処理を期待

利潤による企業々績の測定       利潤および他の社会業績指標による企業の測       定

 ところで,既に指摘したように,現代の社会にあってはその経済理念は,古典的経済理 念と現代的経済理念の併存という形をとっているとみてよい。経済理念の多元性が現代社 会の特質であるともいいうるのであって,このことはときに,企業経営者を含めて社会の ひとびとをジレンマに陥し入れることになる。カストらは,経営理念のかかる併存を米国

       、        2)

社会の場合についてつぎのよっに述べている。

 すなわち,今日,単一の支配的な企業イデオロギーを定義することは不可能である。現

代の社会は倫理的多元主義の社会であり,多元主義は米社会の支配下特質であったのであ

る。かかる倫理的多元主義には多くの構成要素があるが,主要なコンフリクトはカルヴィ

(11)

 現代の経済理念とその動向      63

ン主義のもしくはプロテスタントの倫理とユダヤ・キリスト教倫理との間に存在するよう にみえる。ファーマーは,カルヴィン主義倫理が1620年から1930年にわたって支配的であ       3) つたが,1930年以降ユダヤ・キリスト教倫理が優勢となっていることを示唆する。財と用 役の創造者としての企業の役割と生産の効率とを企業が第一次的に強調するところの基盤 が,また企業が活動するところの基盤がレセ・フェアと利潤最大化のイデオロギーとにあ るという見解を,カルヴィン主義倫理は支持した。他方,ユダヤ・キリスト教倫理は,企 業はより広い社会的責任を有しており利潤最大化のみに関心を抱くべきではないというこ

とを示唆する。ファーマーは,これは米国社会の主要なジレンマであるとみる。

 かかるジレンマへの主要な貢献の一つは,企業の唯一の目的は利潤最大化であるという 伝統的イデオロギー  それはレセ・フェア概念から生まれ伝統的経済学によって補強さ れている  である。企業の支配的な経済理論は企業経営者は利潤最大者として活動する ということ,および競争市場は社会福祉の実現に向けて作動するということを,その基本

的前提としてとる。

 他方,より最近の見解は,企業は個人的な利潤最大者として行動するのではなくて,む しろ組織は顧客,仕入先,株主,従業員,組合,政府機関の如き多数の利害関係集団をも つというものである。かかる見解の下では企業組織は,その資源に対して要求を行うとこ ろの,ときには協力するが,しばしば対立もする多数のグループからなる。この動的な連 合体の中で活動する経営者は,組織活動へのその協力と参加を得るために,これらの多様 なグループの利益を満足せしめることに努めねばならない。かかる見解は,利潤は企業の 主要な目標の一つであり,組織の長期的生存にとり重要であると主張する。しかしながら それは,組織への多様な参加者の多くの付加的な目標が存在することを指摘するのであり,

このことは事業家の役割を利潤最大化モデルよりも,よりあいまいにして緊張的なものた

らしめるのである。

 このようなカストらの説明に示される如く,現代の社会においては伝統的な経済理念と より新しいそれが併存する。かかる併存は今後ともかなりな期間にわたり社会において存 続すると思われるが,社会の経済理念の主流が伝統的な理念からより新しいそれへと移行        4)

の傾向にあることは否定しえないと思われる。ペティットもこのことを古典的自由主義

(これはここにいう古典的資本主義理念に照応するとみてよい)と現代的自由主義(これ は現代的資本主義理念に照応するとみてよい)の対比のうちに明らかにしているのであっ て,かれの説明を追うならばつぎのようである。

 まず,ペティットは,自由主義の中心的命題が制限なき権力,とりわけ政府の権力への

反対であったこと,また自由主義の基本的概念は最も少なく統治を行う政府が最良のそれ

であるというものであったとともに,かかる概念の基礎をなすものは民主々義,自由,平

等,および個人主義という諸社会価値であったことを挙げつつ,自由主義の目的は17世紀

以来同じままであるものの,その手段は変っており,今日我々は古典的自由主義と現代的

(12)

       5) 自由主義という二種の自由主義をもつことを指摘する。

       6)

 かれは,二つの自由主義の違いをつぎのように説明する。

 すなわち,両者は個人と社会の間の関係について異なる見解を有する。古典的自由主義 に従えば,個人と社会は分離しており対照的であって,前者は後者に優先すると考えられ る。現代的自由主義は,人間の性質を大なる程度に社会環境の産物と考えるのであって,

かくして個人と社会は人間生活という同じ現象の二つの異なった側面であり,一方は他者 なしには存在しえないとされる。されば,古典的自由主義の観点では,個人の行動は決し て集団の行動によって統制さるべきではなく,また,個人の利益は決して社会の利益に従 属させられるべきではないのである。他方,現代的自由主義の観点では,現代の大衆社会 では個人はその利益の保護と促進のためには集団と組織に依存せねばならず,されば,個 人の利益を社会目的にどの程度従属せしめるべきかという問題は,個人の利益を集団と組 織のそれに従属せしめるという問題であるというよりはむしろ,個人の利益の促進のため に集団と組織が用いられる程度に関する問題である。

 観点のかかる相違は,経済活動における政府の役割についての見解のうちに最も明瞭で あ る。古典的自由主義者は,国防を除いて,なんらの形であれ政府の拡張に反対する。か れは社会を個人の福祉と対立的なものと考えるため,社会の用具としての政府を限定せん

と求める。かれは個人のイニシアティブと責任を強調する私企業を称讃するのであり,経 済活動への政府干渉を危険にして是認しえぬものと考える。現代的自由主義者は,政府を,

自由主義の今日的経済目標の達成を助ける積極的用具とみなす。かれは私企業に反対はし ないが,しかしながらそれに古典的自由主義者程には頼らないのであり,必要ならば政府 の経済活動によってそれを補足することを信じるのである。

 二つの自由主義の差異は上記の如くであるが,つぎにべティットは大恐慌後の国の経済 政策の傾向は圧倒的に現代的自由主義の方向に沿っており,現代的自由主義は第2次大戦 後の国家政策の原理的基盤として勝利を納めていること,そして古典的自由主義が依然と

して社会に根強く残っている一方,現代的自由主義が普遍的イデオロギーとなることは不

       7)       、   、

可避にみえることを指摘する。かれはかかる不可避性についてつぎのよっにいっ。自由,

平等,正義,および進歩についての伝統的な解釈は,17世紀と18世紀の農業社会で展開さ れた。それは20世紀の工業生活の現実からますます,乖離しつつある。原理と実践が一致

しないときには,いずれかを変えるか,両者を関連づける新しい方法を展開することが必 要である。われわれは伝統的な原理も,工業的な生活方法も放棄しえない。両者の間のギ ャップは,実践と両立するような形で原理の意味を再解釈することによって橋渡しされね ばならない。これがわれわれが直面しているイデオロギー的挑戦であり,現代的自由主義 の進化は挑戦に対処するにあたってわれわれが最もとりそうな方法である,と。

 ペティットの上記の見解が示唆するように,現代の資本主義社会にあっては一方での古

典的資本主義理念の存在にも拘らず,現代的資本主義理念の台頭と普遍化傾向がみられる

(13)

 現代の経済理念とその動向       65

とともに,かかる普遍化傾向はいわば必然的,不可避的なものであるとみてよい。

 ところで,経済理念は社会体制もしくは経済体制と密接な関係にあるのであって,それ は社会もしくは経済の具体的な制度的形態としての社会体制もしくは経済体制を規定する

とともに,後者によっても規定される。経済理念の推移は経済体制の推移と緊密に関連す るのであって,本節では最後に,資本主義の移行ないし発展についてペティットの所説を

中心に簡単に眺めたい。

 まず,ペティットは,資本主義の概念についてつぎのようにいう1)最も基本的には資本 主義とは,自由主義なる社会理念における諸価値を促進するために組織された経済システ ムである。経済がこれらの価値とその関連する目標を促進すべく組織されている限り,経 済システムは用いられる経済制度とかかわりなく資本主義的である。私有財産,利潤動機 市場システム,およびレセ・フェアの如き経済的諸制度は,資本主義の目的に対する手段 に過ぎない。ある歴史的状況で望ましい結果の達成に最も効果的であるような一組の経済 的制度は,他の状況では全く不適当であるかもしれない。特定の経済的制度についていい

うることのすべては,それが特定の段階の資本主義を述べているということである。それ は決して,一般的システムとしての資本主義を定義するものでない。資本主義の定義は,

それが促進せんとするところの自由なる価値に常に関連づけられねばならない,と。

 そしてペティットは,資本主義とそのイデオロギーたる自由主義の両者は静的というよ りは動的であること,そして歴史的状況における変化は資本主義の構造と機能に,ならび に自由主義の意味に変化をひき起すことを指摘するのであるが,かれは資本主義は今日,

かっての市場資本主義から統制資本主義に移行するに到っているとする。

       9)

 すなわち,ペティットは資本主義の変形についてのポランニイの「社会保護の理論」お

     10)

よびザイデルの「私的資本主義の手なづけの理論」をとり上げつつ,資本主義は資本主義 制度の欠陥を除去せんとする民間ならびに政府の行為によって内部から改革されてきた結 果,純粋資本主義から混合経済に進化したことを指摘する。そして今日の資本主義は統制 資本主義  それは私有財産と自由企業は存在するが,失業の阻止と経済成長,保障,お

よび平等の促進とのために国家および種々の民間機関により統制が行使されるところのシ ステムを含意する  と呼びうるとみるのであって,かかる統制資本主義の制度的特質と

      11)       12)

してションフィールドの挙げるそれを示している。ちなみに,ションフィールドの挙げる 特質とは,(1)政府の演じる重要な役割(例えば,中央銀行による銀行制度の統制,公企業

の使用),(2)社会福祉の重視(教育と年金への支出,等),(3)市場の暴力が手なづけられて

きたこと(競争の規制と統制,企業と政府のより長期的な協力,等),(4)1人当り実質所

得の増大の当然視,(5)長期的国家計画の増大といったものである。

 かくの如くペティットは,資本主義は資本主義経済理念の変化に照応して推移するので あり,現代社会では資本主義は市場資本主義から統制資本主義に変化するに到っているこ

とを示している。かれの所説に明らかな如く,資本主義は動的であり,時代とともに変化

(14)

      13)

するのであって,デイヴィスらも,資本主義の発展段階を図のように示している。かれら に従い図について簡単に説明するならば,まず前資本主義は,私有財産を認識する一方で        利潤を理念的に受け入れなかったの   資本主義の諸段階(デイヴィスら)

       であり,多くの場合,個々の企業の

1960年代から現在

1930年代から現在

1915年から現在

1890年代から1930年代

1750年代から1920年代

1500年から1800年

1500年以前

レスポンシブ資本主義

社会の挑戦に反応的な企業

   統制資本主義

企業についての広範な企業規制

 経営者資本主義

専門経営者による会社支配

   金融資本主義

企業への金融的支配;不在所有者

   産業資本主義

自由市場;レセ・フェア;私有財産

  重商主義資本主義

企業と商業への政府の支援と規制

  前資本主義

企業と利潤追求とへの規制

自由に厳しい制限を課した。重商主 義資本主義は,強力な中央政府によ

る厳格な統制の枠組内で設定される 商業活動に第一次的に私有財産を用 いることを特徴とした。反対に産業 資本主義は事業における個人のイニ シャティブの自由,国家による不干 渉,および工業生産への私有財産の

使用を強調した。金融資本主義は,

所有経営者によるよりもむしろ,金 融的利益と不在所有権による私有財 産と生産手段の支配を含意する。経

営者資本主義は,会社とその株主との 利益を代表する専門経営者によって行

使される強い企業支配を含意する。

統制資本主義は,政府がより直接か つ広範に企業規制に踏みこんだ1930 年代に顕著となった。最後に,レスポンシブ資本主義は,新しい社会的挑戦に応答せんと・

する企業の創造的な試みを表わしている。なお,上記の資本主義の諸段階は互に重なり合

    14)

っている。

 要するに,社会の普遍的経済理念におけると同様に資本主義もまた動的であるとともに,

資本主義の変化の動向は社会の普遍的経済理念の動向と密接に係わりあうのである。

 (注)

(1) Ibid., P.42.

(2) Ibid., pp.39〜41.

(3)Richard N. Farmer, The Ethical Dilemma of Amerlcan Capitalism , California Management   Review, Summer,1964, pp.47〜58.

(4)Thomas A. Petit, The Moral Crisis in Management,1967(土屋守章訳「企業モラルの危機」,昭

  和44年)。

(5) Ibid., PP.90〜1.

(6) Ibid., PP.91〜2.

(15)

現代の経済理念とその動向      67

(7) Ibid.,92〜4.

(8) Ibid., PP.86〜7.

(g)Karl Polanyi, The Great Transformation,1944.

(1① Bruno Seidel, Industrialismus and Kapitalismus,1955.

(11)Andrew Shonfield, Is Capitalism a Success P , Encounter, Vol.24 No.6(June,1965),

 PP.15〜6。

(12)T.A. Petit, op. cit., pp.89〜90.

(13)K.Davis et a1., op. cit., p.165.

(ユ4) Ibid., PP.164〜5.

V 現代的資本主義理念の普遍性

 これまでのところでは,古典的資本主義理念と現代的資本主義理念という二つの経済理 念についてその展開を歴史的に眺めた。また,社会の支配的経済理念が古典的資本主義理 念から現代的資本主義理念へと移行する傾向にあり,いずれ現代の社会にあっては現代的 資本主義理念が支配的理念となるであろうということを明らかにした。

 ところで,ここで論じてきたことは,既にみてきたように,直接には欧米社会に関連し ている。それではこれまでの検討結果は,わが国や東南アジア諸国といった非欧米社会の 場合にどの程度に妥当するであろうか。本節ではこの点について,簡単に触れることにし

たい。

 さて,結論的にいえば,経営理念の歴史的展開に関して眺めてきたことは,欧米社会以 外の社会には必ずしも妥当しないと思われる。しかしながらヂ古典的資本主義理念から現 代的資本主義理念への社会の支配理念の移行傾向,とりわけ現代的資本主義理念の支配理 念化の必然性は,わが国に対しては全面的に,そして,資本主義体制をとる東南アジア諸 国に対してもある程度は妥当すると思われる。

 すなわち,わが国の場合についていえば,少なからず国家による産業育成の下で工業化 への道を歩んできたわが国において古典的資本主義理念が第2次大戦前にその典型的な形 で成立をみるに到らなかったことは,否定しえない。たしかに,倹約主義や勤勉性が伝統 的に社会の普遍的価値として存在してきたことは明らかである。例えば,徳川時代の社会 慣習は武士階級の質素を旨とする倫理に強く影響されてきたし,19世紀の工業化への要請

       1)

は満足感の延期を美徳たらしめてきた。しかしながら,自由放任的な政府観利潤最大化 としての企業目的品等といったものが第2次大戦前にどの程度社会理念として定着して

いたかは疑わしいのである。このように,わが国においては,第2次大戦前には古典的資

本主義理念は必ずしも完全な形では存在してこなかったと思われる。また,現代的資本主

義理念が米国におけると同様の歴史的段階を経て展開されてきたともいいえない。むしろ,

(16)

 68

第2次大戦後になって古典的資本主義理念に類するものと,現代的資本主義理念に類する ものとが併存的に登場するに到ったと考えられるのである。

 そうはいっても,わが国の場合,現代的資本主義理念が社会の経済理念として有力にな        2)

りつつあることは否定しえないと思われる。いわゆる脱工業化社会の段階に達しつつある

わが国社会は,欧米の先進資本主義社会と多くの面で類似性を有するに到っているのであり,

欧米におけると同様に,現代的資本主義理念が社会の支配的理念として必然的,不可避的

に登場しつつあるといえよう。

 つぎに,東南アジアの資本主義諸国における現代的資本主義理念の適用可能性について いえば,東南アジアでは多くの国が工業化初期の段階にあるに過ぎない。しかしながら,

東南アジア諸国にあっては,一方での伝統的な社会価値ないし社会理念の存続にも拘わらず,

近代化,工業化への社会的願望が強くみられる。この点について更にいえば,ミュルダー

3)

ルは南アジア諸国に存在するさまざまな価値判断の中から,近代化に向う新しい価値判断 を選び出し,それを近代化理念と呼んでいる。かかる近代化理念の内容は,つぎのようで

  4)

ある。

 A.合理性

 B.発展と発展のための計画化  C.生産性の上昇

 D.生活水準の上昇  E.社会的・経済的平等化

 F.制度および態度の改善(この場合,態度には以下のものが含まれる。(1)能率,(2)勤 勉,(3)規律正しさ,(3)時間の正しさ,(5)節倹,(6)徹底した正直さ,(7)行動方針決定におけ る合理性,(8)変化を受け入れる心構え,(9)変化する世界に生ずる機会に対する鋭敏な感覚,

(10)精力的企業心,(11)独立自尊心,(12)協調性,(13)長期的観点を受け入れる態度。

 G.国民的統合  H.民族独立  1.政治的民主々義

 J.草の根民主轟々(非集権化,民主的計画化)

 K.社会規律対「民主的計画化」(社会的規律の履行の必要性)

 L.補論的価値前提

 かかる近代化理念に基づいて東南アジアの国々は工業化を指向しているのであるが,工

業化はいわゆる集中仮説が示すように,いずれはこれらの国々を先進工業国と多少なりとも類

似の状況に導くと思われる。デイヴィスらは,集中仮説(convergence hypothesis)につ

      、   、5)

いてつぎのよっにいっ。集中仮説では,諸社会が工業化する程,それらは必然的に類似性

へと向って引き寄せられる。合理性,責任,長期計画というような工業化に固有の要素が

存在しており,これらの要素はある程度の文化的適応を要請する。それらはもし工業化が

(17)

 現代の経営理念とその動向      69

成功的であらんとするならば,集中を必要たらしめる。集中理論の例は訓練を受けた職業 ないしは専門的経営者へと向う傾向である。国々が工業化されるとき,国々はその初めの 実践とは関係なく,専門的経営者を強調する傾向にある。なぜならば,社会経済的資源の 効果的運用のためには有能で資格を有する専門経営者が必要であると判明するからである1

と。かくして,東南アジアの資本主義国にあっては工業化の進展に伴い,現代的資本主義 理念がいずれは社会の経済理念として台頭するに到ると思われるのである。

 (注)

(1)Bradey M. Richardson and Taizo Ueda ed., Business and Society in Japan:Fundamentals

 for Businessmen,1981(中村元一監訳「ジャパン・ビジネスと社会」,昭和57年), Chap.9.

(2)これについては,Daniel Bell, The Coming of Post−Industrial Society,1973に詳しい。

(3)Gunnar Myrdal, Asian Drama:An Inquiry into the Poverty of Nations(A Condensation by  Seth S. King),1971(板垣與一監訳「アジアのドラマ,上・下」,昭和49年).

(4)同訳書,43〜53頁。

(5)KDavis et a1。, oP, cit., P.520.なお集中仮説については, Frederick H:arbison and Charles A.

 Myers, Management in Industrial World,1959に詳しい。

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