日 本 偽 教 血 中 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶
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長尾委員上り、西部理事舎に於て、 昭和十三年十月十五日午後二時十分︶ 初渓了諦博士が討議合の座長に推翠せられたる U 円 を 宜 ぶ る や 、 満 場 拍 手 の 品 目 ひ Y ︿ 。 ハ 間 合 座 長 ︵ 羽 漢 了 諦 氏 ︶ 只今御紹介のありましに通り、西部理事舎の御推察に随ひまして、借越ながら不官私が討議の蓮行を計るに め此の席身汚しますから、御諒承冶お願ひ致します。掠今回の討議題日はM m
に御披露に及んで置きました遁り、 ﹁ 現 下 特 に 強 調 す べ き 悌 教 思 想 ﹂ と い ふ 題 日 で あ り ま す が 、 諜 め 一 一 一 一 日 此 の 題 日 に 就 て 申 上 け て 置 ぎ に い こ と が あ り ま す 。 謹 に ﹁ 現 下 ﹂ と 由 ・ し ま し た の は 勿 論 直 接 に は 、 ﹁ 現 下 我 闘 に 於 け る ﹂ と 一 五 ふ 意 味 で あ る こ と は 古 ふ ま で も あ り ま せぬが、併し更に其の領域沿慣めまして、﹁現下批界に向って﹂と云ふ意味にお取り下さって、討議在進められ でも結構にと思ふのであります。日下我が闘が水曾有の非常草大時局に直一曲して居ることは今夏申すまでもあ りませぬ。此の非常時局ル乗り切る震に、我が政府常局は私共同民に向って二一大標語訟提議してそります。印 ち第一が査中川報閥、第二が泉同一致、第三が堅 d u 持 久 で あ り ま す 。 さ う し て こ れ 等 の 一 一 一 大 標 語 、 ヶ 官 時 せ し め る 契機として、特に滅私奉公と− X ふことが昂揚され要請されて居るのであります n かう云ふ政府常局の現下に於 ける指導精柿仁野して、仰教が思想的に如何なる役割を演すべきかといふやうなことは常然討究して戴ぎたいと忠ふのであります ο 向 ほ 一 見 に 成 く 附 界 の 情 勢 に 眼 冶 放 っ て 見 る と 、 思 想 的 方 面 に 於 て も 、 ま た 政 治 椛 怖 の 方 一 而 に 於 き ま し で も 、 フ ァ ッ シ ョ と デ モ ク ラ シ ー 、 本 中 一 瞳 主 義 と 個 人 主 義 、 共 産 主 義 と 資 本 主 義 、 統 制 主 義 ’ F 一 自 由 主 義 と 一 五 っ た や う な 針立が相魁してやります。かう一五ふ封立相越に封して偽教が果して何う一五ふ正しい栴導原理身輿へ得るか、と 一五ふやうなことも、是れ亦常然討議されてい込問題古らうと思ふ。若し出来符べくんば、現下の非常時局に於 ける我が岡民を指導すると同時に、世界の野立的動向に封しでも正しい指導原理となるやうな偶数思想そ掴み
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し て 之冶強調して戴けば、最も意義のあることではなからうかと、 私 個 人 Bとして考へて居るのでありま す 。 まあかう一瓦ふやうな意固ゆ倍以て此の題日が選定されにのでありまするから、強め背さんの御領解ぞ得て置く 錦に一言申し述べた究第であります。 いとうか御護言なさるお方は、蓮記の矯に、最初にお名前の御護表願ひに い。但し年報に載せる場合には、先づ蓮記原稿。必お手許へ廻はしまして、御自分で筆右加へて戴くのですから、 一々の御謹言が其のまミ印刷になるの古と云ふやうにお考へにならないで、後から何日でも訂正出来る・と云ふ お積りで、決して臨時せられ中に率直に自由に大臆にお話願ひにいのであります。 こ れ か ら 討 議 冶 始 め て 戴 き ま す が 、 二 宮 守 人 氏 ︵ 正 大 ︶ 2 此の舎も十一年となって、之在始めにのが今度で一二回円でありまするが、今日は大慶多勢のお寄りで盛曾で あれノまするが、私は思ふのにいとんなものにも必す歴史といふものがあり、俸承といふものがあるもので、此の 現下特に強調すべき偽数思想一
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日 本 偽 数 準 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二 一 四 3 討 議 舎 と い っ た も の ゆ 倍 、 唯 薮 か ら 棒 に や っ て よ い も の か ど 、 フ か 、 少 く と も 此 曾 は 日 本 の 悌 教 由 学 の 才 l ソ リ テ 4 を集めにものであって、これよの偉い人の集りの働救皐舎といふものは日本にない筈であります。況んや場所 は帝大であります。お上の御名前で出来上って居るものであります。︵笑整︶ さう云ふ意味で討議守することを日本側歌史上で考へれば、之そ南部の維車曾に比すべく、宮中の最勝舎に 比すべきものであって、嘗然これは陛下の玉座の前で行はれたる所の昔の古中の論議といふものを蕊に吾々 は思ひ出すべまものであり、叉少くともそれにけの自信ぞ有たなければ、唯中関学生の討論舎をやるといふやう な積りでベラノ、喋られてはやりされない。此意味から私は日本悌救史上の討議の形式といふものをもう少し 古典の操慮から研究をしてかかる事ぞ要求する者であるつ例せばあなたの坐って居る座長と云ふ位はこれは﹁探 題 ﹂ と 云 ふ 位 に 嘗 然 官 り 、 ︵ 笑 撃 ︶ そ れ ぞ れ 問 ふ の は い ζ う 云 ふ 問 ひ 方 の 形 で あ り 、 答 へ る に は 乞 う 一 五 ふ 答 へ 方 と い ふ き ま り . か あ り 、 叉 廿 弟 、 の 問 を す る 形 式 も 、 道 理 、 交 濯 、 扱 ひ 、 料 簡 と 一 五 ふ 様 じ 古 来 悌 救 の 論 議 形 式 と い ふ も の は憤然たる一つの形式が出来て居るのであります。父それの審査に於きましては、所謂探題は題者であって、 題 者 は 精 一 戎 ぞ 行 ふ 、 で せ う が 、 h と う か 、 お 調 べ と そ れ 冶 中 し ま す . か 、 其 の 通 り の こ と を 八 I こ ミ で 念 に そ れ と 一 五 ふ 課 に も 行 き ま せ ん 此事舎の性質上昔からの日本側教の照史傍求の形式冶充分調査の上おやりになる様お願 ひしにい。昔から定まった形式があるのにそれに無知であ一ったのでは吾々の思舎の両日に拘る、知って居って 顧みないならばこれは先徳に封し不遜の至のである。兎も角論議形式といふものに於て来るべき年度からはど うか、日本側救皐人が集って討議ぞする式市丸失策冷諌め御検討をお願ひしたいと云ふことを第一に巾上けて置 き ま す 。
究 に ﹁ 現 下 特 に 強 調 す べ き 備 校 思 想 ﹂ と 云 ふ 越 で あ り ま す が 、 此 の 越 は さ う 云 ふ 品 川 山 味 か ら 下 手 を す る と 或 は 座 談曾のやうになりはせぬかと恐れます。甲はこれがよいと思ふ、乙は役がよいと忠ふ、かう云ふことそみんなで んでに言って居る冗けでお仕舞になり、討論にも何にもならかに掛みます、一河来論議といふものは昔から非難 賢 答 と 申 し ま し て 、 答 へ る か は 旦 賞 。 ♂ 答 へ 、 間 在 す る 方 は 無 坤 . ぞ 問 ひ か け る 、 こ れ は も う 決 っ た こ と で す 。 無 理ぞ問ふと云ふ諜でないが答へる入は、例へばどこまでも西グ十一両億の彼方に極柴浄土があると云ふことを立 議するには仲々骨が折れます。其の蓮揃刊を主張する錦に講師といふものが選ばれ、其の道理が信ぜられぬと云 ふ懐疑煩悶の訴が質問と云ふ形になるのです、印もどうしても指万立相の分らぬことは、かう一五ふ風にしてお 分 り な さ い 、 と答へてそこで此の論議といふものが成立するのであります。さうすると蕊でやはり少くとも或 る役割を指定して誰は講師誰は問者誰は器開衆ときめて呉れませんと、これ冗けの人聞が勝目ワヤノ\言ひ出し に日には h と う に も 吾 々 の や う な い け 国 々 し い 奴 は ベ ラ / \ t 喋るし、ちゃんとした御意見のある方でも温しいか は言へない。いづれ最初に言ったら兎に角非難されるから、さう馬鹿なことを一言って人から象足を取られるよ のも、成るべく終ひのか一に賢さうなことでも言ってお茶ぞ濁して置け、こんなやうなことになりまする
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か ら必今論議には上席、下席といふものが出来まして、一番最初に護言するのは一番下座の者 1 1 私は一番下座 の 者 で あ り ま す 。 ︵ 笑 産 ︶ 一 番 下 直 が 建 言 し て そ れ か ら 一 番 上 座 が 最 後 に ﹁ 些 か 退 席 の 一 重 そ 呈 せ ば ・ : : : : ﹂ と 言って最終の問答となり、昔からさうしに約束の言葉まで出来て居るのであります。 さう云ふ意味で私は論議上の形式論に就てそれ花け在中上けて、本論にもうちょっと時間在戴きます。 4 座 長 現下特に強調すべき品開教思想 ニ 一 五日 本 係 数 且 平 協 舎 年 報 へ 第 十 一 年 ︶ 一 一 一 六 5 一寸お話しを中止して戴きたい。只今二宮さんから二つの御提案がありました。第一は討議の方法に就いて の御意見でありますが、二宮さんが由来俸統章重論者であられると云ふことは事界周知のことで、私も平素衷 心敬意を掛って居る中川第であります。併しさう云ふやうな方法論は、かう云ふ所へ持ち出されなくても、あな にはいつも理事として出席してゐられるのですから、理事舎の席上で堂々と押しやっていたゾけるわけです。 現在の討議形式は既に理事舎に於て決定しにことでありますから、かう云ふ所で異議冶持ち出されては、唯百 討議そ混能に陥らしめるばかりです。あなにが理事でないならば己むな得ぬけれども、理事の役目 φ倍 以 て 出 席 してゐられるのであるから、さういふ問題は寧ろ理事舎に持ち出して戴くべき筈のものです。古から、今の場 合としては、第一の御警官日は撒慶して戴ぎにい。すでに理事舎そ経て、かう一五ふ形式方法で?らうと云ふこと に 決 つ に こ と で す か ら 。 そ れ で は ど 、 7 か 第 二 の 問 題 に 就 い て の お 話 ゆ 伊 ア : : : : 。 二 宮 守 人 氏 ︵ 正 大 ︶ A ーといふものは過去と未来から揮ばれて謹に現下と一五ふ文字が出て来るのであるから、偽殺人が A 1 と 一 五 ふ こ とに儲り閲心沿持ち過ぎることには疑義を私は持つ、之ぞ三世仁瓦って十分に施して少しも躍蹄せ肉、随って 稗章の昔に強調すべき悌教思想も、今強調すべき仰救思想も、未来五十六億七千高歳の後に強調すべき仰教思 想も轡 h り は な い 。 そ れ 冶 其 の 場 ノ \ k の 御 都 合 に 合 は せ 週 き る や う な チ ン ド ン 目 黒 仰 教 に な る と 一 五 ふ こ と は 非 常 に 恐しいことである。この要心のドに考へる時に、私は戒律の問題が第一と忠ふ。それは品一辺の新聞紙上 h q 賑 は した滑稽な門跡妻帯問題の如き、果してあの問題があれで片附いて居るのか。叉近く教科﹄心からお耕迦様が削
除されにことが問題にもなってをりまするが、退いて考へて見れば結局此の併殺人の戒律と云ふ問題。か本世に 解 決 し て 居 ら ぬ が 儒 に 、 は っ き り 言 へ ば 、 坊 主 尚 貴 と 一 氏 ふ 泥 水 稼 業 が 純 − 止 な る 仰 牧 運 動 と 相 双 ん で 、 と a 一 パ ひ た いが、寧ろ最高悌款の俄而冶被って居。、 之 が 志 士 の 反 感 冶 買 っ て ゐ る の で あ り ま す 。 ド 衆 な − 一 一 汁 葉 冶 使 っ て 甚 行 ナ ン で あ り ま す が 、 さ う − 一 一 一 円 ひ た い 耗 仰 救 じ 的 資 . が 呉 先 に 八 1 の附の中で精算されねばならぬ問題であるつ詰りお 稗迦様の偉い枕のことは文部省の役人といへども知らぬ筈はないが、それが教科書に載って居ることぞ坊主尚 貰の餌にするものがあった日にはやわきれない、かう考古へに時に、これは五日々が省みて快陀たるものがないと い乙うして言へるか。今の題の思想と云ふことに戒律がなりうるものかどうかでありまするが、私共の忠ふこと は 私 共 の 口 で い ふ 無 我 を 賢 行 に 移 し て 一 一 遍 八 1 の教囲を解散してしまって、宗祇の背景ぞ捨てト本常の加古の救 信 に な り 沙 禰 悌 敬 、 由 主 悌 款 と 一 五 つ に 中 批 の 或 る 時 期 に 貴 族 側 殺 の 脳 内 端 な 護 法 が 出 来 六 後 じ 鎌 倉 に 移 る 時 に 聖 の 群のしにことが何であったかぞ研究し、更にもう一つ遡って奈良朝の末期になめまして玄坊、道鏡の行き方か ら離れて山林に龍った人法が何冶しにかと一五ふことを反省する事を一番私は今の時局に強調をしたい。大陸 A ー はあまり貰らん哉悌教が蔓り過ぎる、それが如何に高濯なる思想や述べても依然として悲でもやはりわしは龍 谷 ぢ や 、 わ し は 大 正 、 に と 一 五 ふ 考 が 、 遊 で は 恐 く あ り ま せ ぬ 、 締 麗 で あ る と 行 き に い が 、 乃 至 救 閣 の 賓 際 、 各 宗 祇 の 教 圏 的 根 擦 と い ふ も の や 見 つ め て 行 つ に ら 果 し て 五 日 々 は 本 蛍 の 偽 殺 人 で あ る と 云 ふ 大 き な こ と が ・ 一 局 へ る か 、 と 一 五 ふ 問 題 が 一 番 先 じ 考 で ら れ て
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うして蕊に叡山悌款が起つにのであり、叉叡山冶探み踊って新にに鎌倉悌 款が起ったのであるか、と一五ふことぞ考へなければならぬ。高遠なる胤想を考へ、指導原理﹂を立てると云ふこ と 冷 考 へ る 前 に 賓 際 に 魚 毎 食 ひ 、 妻 。 ぞ 持 っ て 居 る A 1 の悌救がどこまで組師の立教開宗官時の戒律と紙燭せ令に 6 現下特に強調すべき仰教思想 七日 本 偽 敬 挙 協 合 同 年 報 へ 第 十 一 年 ︶ 二一八 7 居るか、叉それぞ護展せしめて居るか、五日々僧侶のこの極めて現賓な霊際問題といふものを見つめて、人様に 指 導 原 理 ぞ 示 す 前 に 僕 達 悌 教 人 の 本 品 目 田 の 闇 結 和 九 日 と 一 五 ふ 精 神 が 、 人 1 司舎者は日本に強調するといふがそれから 更に進んで世界に強調すると云ふ慮まで進みにい。これが偽教思想の原動力となるべきであって、一言に言へ ば要するに戒律の問題と云ふことぞ一番先に考へて戴ぎたい。それは思悲的に言へば極く下々の下の者を中心 としにる和合衆ぞ排へる宗教蓮動、それ冶歴史的材料に求めるならば叡山の戒壇運動、鎌倉の諸宗分立の根本 契機となっ七思想といふものが反省されてよいのでないか。 座 長 只今二宮さんから現代の悌教徒に叫刻して深刻な反省を促されに課です。郎ち戒律復興、厳繭な戒律主義と一五 ふ こ と が 主 張 さ れ ま し に 。 二 宮 守 人 氏 ︵ 正 大 ︶ 過去の戒律主義でないですよ、現代の戒律を排へねばならぬ。 座 長 無論戒律問題は悌教徒が如何なることそなすに嘗つでも反省しなければならぬ重大問題であります。現代の 備教徒も勿論さう云ふ反省を緊要と致しまするが、併し人 I は吾々自身も宮践すると同時に、他に向つでも強調 し得る、否強調しなければ−にらない仰教思想の検討そして貰ひたいのであります。それに就て此の題目に直接 打つ突かつにお話。ぞ伺ひにい。同より、この舎は討論治目的とするものではごぎいません。此の曾そ討論舎に して、勝ち負け h q 判然と分けては、非常にぎごちなくなる虞れがありますから、討議舎と一五ふことにして、勝
敗を決しないやうにしようと−五ふのが理事舎一致の意向であったのであります。ですから、間令皆さん方の御 立見がまちノーになっても、私は一向先支へがないと思ふ、それでも討議の目的は充分蓮せられ得ると思ひま す では、本壊の長尾君にお願ひ致します。 長 尾 雅 人 氏 ︵ 京 大 ︶ 只 八 1 一 石 口 先 生 か ら 戒 律 に 一 端 一 て の お 請 が あ り 、 比 の 前 に は 討 論 形 式 に 就 て も 色 々 お 話 が あ り ま し に 。 私 の や う な 若 輩 が か う 一 広 ふ 所 で 、 特 に か 、
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五 ふ 重 要 一 な 題 目 に 就 て お 話 し 得 る 資 椅 が 十 分 に あ る か ど う か 分 り ま せ ぬ が 、 兎に角御指名がありましたので、私共のふ小中京考へてぞのますことぞ少し申上けて見にいと思ひます。 従って題目の意同する所とは少し離れるかも仔じませんですが、只今も二宮先生が仰しゃいましにやうに、 悌 教 思 想 と 一 五 ふ 風 な も の は 歴 史 的 に 特 に ﹁ 現 代 に 於 て ﹂ と か 、 特 に ﹁ 古 代 に 於 て ﹂ と 云 ふ 風 な 一 回 別 の 附 け ら れ る も のではないやうに忠ふのであります。勿論悌教思想其のものが慌史的に護展して行くと云ふことはや同然であり ませう、けれか]も或る特定の時代、特定の時世に順膳するやうな悌教思想と一五ふ風なものがある諜ではないや うに思はれる。殊に今日の集りのやうに、現宜的な布教法の研究、悌敦賀俸法の研究を主題とするのではなく、 悌教事と云ふ事問的な立場に立って考へます時には、特にさう云ふ時慣に慮じて猫の眼のやうに艶る題目があ る課ではないやうに思はれます。そこにもし何らかの暦史牲が考へられるとすれば、それは悌教壌といふ墜問 そのものミ歴史性現代性と考へらるべきでありませぅ。 8 で、現代の併殺壌といふものがいとう一五ふことを問題にして居るか、悌教撃の進路と云ふ風なものぞ考へて見 現下特に強調すべき偽教思想 二 一 九日 本 悌 数 挙 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶
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9 ま す と 、 A 1 の題目とは少し離れますが、極めて大まかな見透しとして、それは先づ大睦印度大乗悌款の研究と 一五ふことが最も重要なテ!?になってゐると思はれます、勿論其の外に色々な個々の問題は津山あると思ひま すが、非常に大雑把に大きく見渡して、印度大一来偽款の研究と云ふことが現代最も重要な問題なのでないかと 思ひます。このことは土記悌教皐が非常じ幼稚であると一五ふことを一面示しますと共に、逆にそこまで偽教撃 が進んで来にと云ふことも云はれ得る諜であります。例へば八ーから百年二百年前には五日々口本人は印度大乗悌 款といふもの込且相に鰯れることが出来なかっ大、 日本人のみならす、世界の関学者がさう云ふ印度大乗悌款の 異相を知ることは出来なかっ仁、現代になりまして色んな資料が整ひ事問的テクニックといふものが準んで来 ましてから印度大乗悌款の閑明と云ふことが幾分出来るやうになって来大課∼ーあります。 印度の大乗悌款といふものは、それも色々異論もあの、語弊もあるかも知れませんが、 H以 も 計 一 界 的 な 宗 教 、 H a 恥も附界的な思想としての性椛沿持って居ると式ふことが一ははれるやうに思ひます。西洋の文化に封して東洋 の文化と云ふ風なものぞ考へます時に、勿論西洋が物質的であり東洋が精神的であると云ふ瓜は簡躍なことは 中せませんが、東洋の文化沿代表するものはやはり宗教的精判的文化であわ、 J X それを代去するものは大きく 凡て印度の大乗悌救及び其の流れであると云ふこ L e− − か ・ 一 一 日 は れ る と 忠 ひ ま す 。 き う − 一 一 ム ふ 一 収 作 の い 文 化 を 代 去 す る も のミ根源としての印度大乗偽敬、それは印度の思想界に於ても品も卓抜し肢も華麗な花伝咲かせに思想なので ありますが、それ在五日々現代の仰教単品引が取卜しけるといふことは、前界的な意味と同時に日本的な武義そ有し 我同数千年の照史に未、れ曾て試みられなかっに貼よ hりすれば、まに肢も現代的でもあるのであめます。それ、か 附界的な立味に闘しては、大乗悌教の起郎と俸捕との聞にけ丸山川される積々なる民族性、党語以下の種々なる J 一 一 一 μ語性、及びそれらと西欧文明との閥連とや考へるピけでも、容易に首討し得るでめりませう。かくの如きもの 在北々の組先の子に成る日本仰款なる照史の背長のもとに研究することが、同時にけ本的立⋮一我ぞ有するもので あり、殊に反ってそれが、日本側救唯一肢の最重安なる惟進力ともなるのであります。 所子氏の印度の火薬悌牧思想と云ふ瓜なものが持々現代の悌教壊の題目となって行くとするならば、其の大 乗 仰 秋 思 想 は 所 謂 者 一 隣 道 と 一 五 ふ 風 な も の で 代 去 し て 考 へ る こ と が 出 来 る の で な い か 。 X H 々が現代特に強調すべ き仰牧思想と云へば印ちさういふものになって来るのでないか、 E F − − 瓦 ふ 風 に 考 へ ら れ て 行 く の で あ り ま す 。 菩 一 隣 道 と 一 石 ひ ま し で も 時 間 々 あ り ま す 、 種 々 あ る と 一 五 月 刊 よ り も 種 ん な 一 向 に 於 て 考 へ ら れ る の で あ っ て 、 六 度 と か 十 地 と か 知 県 坐 法 忍 の 思 想 亡 と か 、 或は不作出壌の思想古とか乃至は六度の中でも施とか戒とかさう一おふ一つノ k の ものが綿てもっと詳しくも η と厳密に研究されなくてはならない。一﹂古先生の戒に釣するお考と一五ふ風なもの はやはの六度の中に含まれる菩薩行として吾々は取上けなくてはならないのではないかと忠ふ課であります。 勿論現代の時局下の日本としましては色んな銃後の護りと云ひますか、苦々のすべきことは津山あるにらう と思ひます。然しながら少くと色悌救壊的にかう一瓦ふ題目 ψ停以て考へるとするならばそれはやはり弄隣遣とい ふものの深い京味から出て来仁枇舎施設と云ふ風なものになくてはならないのでないか。それらすべての一々 ぞ蒋障道として理解して行く中に、亦、戦時生活一般に封する批判といふ如きものも生れるのでありませう。 それらの種々なる意味からして菩薩道と云ふ風なものが八 I 特に菩々の進んで積桶的に取上けて考へて見なくて 10 はならない思想なのではないか、ム﹂忠ふのであります。蒋隣遁と云ひ特に苓障の性格と云ひますか、菩⋮障の人 持と云ひますか、さういふものは両洋の思想にも見られない、東洋にも特に慶つにものであり、而もそれがん 1 現下特に強調すべき偽教思想
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日 本 品 開 数 挙 協 合 百 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶
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11 まで支那や日本の仰款に依って悉く活かされて来て居るとも考へられない。さう一五ふ超人的菩一障の性格、菩薩 の行ひ、卸ち菩一隣遁といふもの込研究及びそれを深く賓践に持ち来す震に細かく吟味して行くと云ふことが現 代の悌教壌よ h りしても最も要請せられるところであ h り ま す 。 神 保 如 天 氏 ︵ 駒 大 ︶ 特に深く考へて居る諜でもありませぬから、ま花蕊で護表すると一五ふ程、大した自信も無いのでありますが、 只今菩日降遁の強調と云ふこと守言はれにので、それに刺戟されて私も一言申して見度いと忠ひます。 私は駒津大事に居ります者で無論、曹洞宗、静の僧侶でありますから、どうも捕宗坊主の言ふことは儲り論 理的でないのであります。寧ろ三段論法身飛び越えて一段論法で行くと云ふのが躍の趣意でありますから、私 の言ふことが或は論理を飛躍して居るかもしれませんが、仰款の現在の航態ぞ見ますれば御承知の通り十三宗 五十六汲といふやうな風に津山宗汲が分れて肘るのでありまして、宗門に届しない少款の仰教壊者沿除いては 出向何宗かに属する借仰山であります。悌紋僧侶であると云へばみんな同じでありますけれども、その僧侶は必歩 h との宗汲かに必宇局して店るものであります。3
うしますと常然自分の宗汲に局する、例へば私ならば坐棺が 最 も よ い 、 か う 一 一 目 ひ に く な る の で あ り ま す 。 父 汗 土 教 の か で あ る な ら ば 念 仰 と 巾 し に い 、 仁 ら う と 忠 ふ の で あ り ます。叉それが其の宗に掛する品も忠置な行き方であると忠ふのでありますが、併し今強調すべき側教思想と いふやうな胤に考へて参 h り ま す と 云 ふ と 、 さ う 云 ふ や 、 フ な 宗 我 ぞ 拾 て ミ も っ と H M も 根 本 的 な 、 人 I U の言葉で申 しますれば唯一の指導原現とでも申すべきものを私共が持って店なければならないと忠ふのであります。例へ ば や 一 誼 U 9 q 致しましでも念仰ぞ稿へましでも加持ぞ致しましでも其の m松本的な精訓といふものが必すあるべき骨であり、叉賓際に於であるのであります。 それは私の考へまする所に依りますれば阿拝多羅三耕三蒋提心と一五ふ言葉でありますが、これが悌教の根本 の原理である、と私は常に考へて居るのであります。所調費心、修行、 t A H 提、開架といふやうな閲門の上から 申しましでも、童心も阿拝多羅三貌三菩提心であれば、修行岳町阿梓多羅三貌二一存提心であり、菩提は勿論阿持 多羅三貌三菩提心であり、浬撲の詮呆も阿梓多羅三耕一一一葬提心で初中後ともに阿拝多羅三耕三菩提心の現成で あ り ま す 。 阿拝多羅三貌三菩提の言葉に就いて今彼れ此れ講稗沿する必要はありませぬが、仰の遁であり、悌の控であ り、仰の智であります
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の宗汲でありましでも必中根本の精神は阿鮮多羅三耕三菩提になければならないの 花と私は信じて居るのであります。故にこれは必ホしも現下に於てのみ強調すべき悌教思想ではなくして、悌 教其のものがいつでも阿梓丘中羅三耕三菩提ぞ強調すべきものであって、それに依って教も成立し又宗汲といふ ものも成立して居るのであると思ふ。 只 A 1 菩醸造といふものに就てのお話がありましにが、菩薩遣は卸ち私は阿拝多羅三説三菩提ではないかと思 ひます。さう云ふやうにお考へになってゐるかどうか存ι
ませんが、さうではないかと私は考へるのでありま す。其の阿拝多羅三親三菩提心沿費すと云ふ護菩提心、此は事者ばかりの集りであるから此の語の説明は省い て置きます.か、此の護菩提心が最も大切なのであります。均一賓の上から見まして、今二宵先生も仰しやつにや うに五日々が蕊に大いに反省冶することが必要にと存じます。阿蒋多羅三貌三菩提心。か、借侶自身に貰際に於て 12 護って居るか乞うかと云ふことが私は問題ぢゃないかと思って陪るのであります。自分自身に阿拝多羅三貌三 現下特に強調すべき例数思想日 本 偽 数 革 協 ム 官 同 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二二四 rn 菩提心印ち護心診して居ないと一五ふことになりますと之そ人に勤めると云ふやうなことは出来ない罪でありま す ο 所謂白信救入信といふやつな一一丙葉がありますやうに、自分自身に信じて居ないで他ぞ教化するといふやう なことはこれは不可能な話であります。故に借侶白身、撃者であらうが何であら、フが、有も僧侶 l h hる 者 は 、 い こ んな沙鋪小俗に至りますまで多少の程度は無論ありませうけれ
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も、護心即ち阿持多羅三貌三菩提心といふも の冶護しさうして仰道といふもの必修行し或は成かるやうに進んで行かなければならないと思ふのでありま す 。 さう云ふ意味で先制何座長さんのお話にありましにやうに今日此の非常時に虚しまして二今大標語となって現れ て居る言葉、或は﹁滅私奉公﹂といふやうな言葉でも皆此の阿梓名羅一一一説三菩提心と云ふ言葉の内容の一部そ私 は説明して居るのでないかと思ひます。これは本常に僧侶自身が先づ費心そ致しましてさうして綿てのものそ 震蒋提心せしめるとえふことが現下に於て特に強調せられねばならぬことにと忠ひえす。然るに現代最も棋け て居る貼が落じあるのでは無いかと思ふ α 殊 に 只 人 1 の如ぎ、非常時に於きまして第一線に立って居られる所の 人々は全く自己といふものぞ犠牲にして君同の鍔に奉かると一石ふ此の大精神、これは従来の奇々の先輩である お借方の教化の力に依って其の思想が日本同民の精神の中に流れ込んで居って今日のやうな結果ル勝来して居 るのではないかと一戸ふやうなことも与?られるのであります。 ふーのやうな仰款の航態でありますと一五ふと今後の岡民の粕紳の中にさう云ふ活ける仰教の血液や柱、ぎ込む古 けの仰教徒に手フした熱立、精神といふものがどうもあるかないかと式ふやうなことや甚官疑はしく感じられ る の で あ め ま す 。これはお互ひに一つ蒋提心沿奮ひ鷺しまして、きうして同輩菩提心、開であ γ ら う と 、 伊 土 で あ ら う と 天 台 で あ ら う と 轟 言 で あ ら う と 如 何 な る お 宗 旨 も 是 非 と も 其 の 棋 本 の 精 紳 に 立 ち 蹄 っ て 、 さ う し て 阿 持 多 羅 一 一 一 貌 一 一 一 存 提 の上じ於て其の宗旨々々の坐躍なり念仰なり加持なり止観なり、ドとう式ふ宗旨に於ても自他佐川に必中此の護菩 提心そ強調することが最も重要であると私は信じて居るのであります。 ま忙よく纏まって居りませんので申しましたことが甚百雑駁で抽象的でありまし仁けれども私の考ふる所在 一言に・市上ければ現下じ於て特に強調すべきことは護著提心であると申し度いのであります。 座 長 大乗菩羅道並に其の中心生命としての無上正等望の睦験と一五ふ、さう一五ふか一向の御力説があのましたが、ど うもお話があまりに抽象的で、私共悌款を壊んでをる者には御主張の意味合が能く呑み込めまして、心から首 肯することができるのであります。けれども、今までお述べになったやうな表現では、一般の人々にはチンプ ンカンプン何のことやら分らぬ光らうと忠ひます。殊におそらく今までの御主張が﹁現下﹂の時局と伺う云ふ闘 依があるか h 管 理 解 し 得 な い で せ う 。 悌専の千賀さん、何かお考へになって居りませんか。 千 賀 民 順 氏 ︵ 仰 専 ﹀ 御指名により一言さして戴きます。先程調鴻先生の仰しやつに如く、此の仰教思想と云ふのは無我も偽教思 想でありますし、或は縁起もさうですし、或は念悌、弾、知恩報恩其の他菩薩遁など色々ありまして、その何 れそ強調すべきかの論題とも考へられます。きうすると長尾さんのきっきのお話の如く、四押寧の時代も或は各 14 現下特に強調すべき偽数思想 ニ 二 五
日本偽数皐協曾年報︵第十一年︶
一 一 一 一 六
15 宗の組師の時代も更に今日の時代も其の強調すべき偽教思想と一五ふ段になりますれば、別に襲ったものはない と思ひます。悌教の文化財は時代的地理的にさして襲るべきものでないと信じます。併し一同時代といふもの ぞ考へ教圏が不断に枇曾居と接摘して存在することぞ考へますれば、吾々は悌教思想といふもの込上に立ちま す一つの偽我々科と云ふものぞ考へるべきであると存じます。其の悌我々科は何ぞや、と云ふことを考へませ ん と 、E
うも具組問的に且つ一般的のものぞ考へまする上に於てびっにわしないやうに思ふのであります。勿論 そ の 根 本 は 吾 々 教 家 の 自 費 と 熱 意 . か い と う で あ る か と 一 五 ふ こ と が 先 づ 大 き な も の で あ る と 忠 ひ ま す 。 教 家 の 自 覚 。ぞ促す上に住意すべきは時局の認識であります。故に今日民族の自費であるとか、或は同盟の明徴、同民精神 綿 動 員 、 園 策 順 藤 と 一 五 ふ 問 題 が や か ま し く 一 一 員 は れ て ゐ る 時 に 於 き ま し て は 、 か う 云 ふ こ と も 一 面 考 へ な く ち ゃ ならないこと在痛感するのであります。 他 面 に は 時 代 の 動 き と 共 に 一 一 般 の 人 心 が ど う J 五ふ進みや有って居るかと一五ふことや熟々考へて見なくてはな らないと忠ひます。今日の緊迫せる時局にこそ一般民心が宗執心沿求めてゐ品川す、特に仰款を受入れよ、ヲとし て居る察国策になって居ると云ふことであります。永遠の具理に其合せんとしてゐます、新しい心の天地在切 り拓かんとしてゐます。具躍的に申しますれば来世といふもの或は見えぎる偉大のもの印ち神心、仰心といふ も の に 就 て 一 つ の 大 き な 力 と 一 五 ふ や フ な 気 持 ぞ 自 民 宿 し て 居 る と 一 五 ふ こ と が 言 は れ る と 思 ひ ま す 。 かう云ふやうなこと冶考へまして、やはり五日々は今日の此の時代こそ待て奈良朝時代鎌倉時代の如く、 日 本 照 史 の 鑓 動 時 に 白 1 威の琵坊と共に仰殺が躍準しました時金想察して、此の非常時局こそ五日が仰敬が躍進しなく ち ゃ な ら な い の で な い か 、 か う 一 五 ふ こ と 身 痛 感 す る の で あ り え す 。 そ れ は 二 作 品 先 生 も 仰 し ゃ っ 仁 如 く 、 歌 山 水 の白債に在るの立と云ふことになりますれば勿論私もそれに大賛成です。さうにと忠ひます。さ司ヲしませんと如 何に仰款の教科在強調しましでも結局俊値のない、感化の伶はない無指導力のものと式ふことじなるのであり ま す 。 それでも教家の白壁と共に種々の貼ぞ考店しまして、私も菩隣謎と一五ふさつぎのお話に大経に一刊誌をして庇 るのであります。更に具障的に山中しますれば人聞が神の子である.梯の子郎ち菩隣であると一石ふ呉貰なる自費 の生活であります。この菩薩の道沿教ゆる仰款がやがて呉賢なる呉人生を完うすると一五ふ信念であります。こ の時代こそ信念の人生に立つ同民の生活が強調されなくてはならぬと思ひます。その
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に 立 っ て 一 一 向 我 が 岡 山 本 は一大家族である、さう一五ふ組闘の深い認識が大捷必要一花らうと思ひます。一回には陛下の忠良なる臣民で あると共に一両仁は最もいとしい仰の子であると一寺山、さう一五ふ睦験在大いに今日強調しなくちゃならないと 思ひます。念悌しつよ蹴砲を打つ、と云ふ行動に無我も縁起も賓践されてゐると思ひます。 今日、日本精神的無我奉公としてある一部在指導せる杉本五郎中佐の大義や大久保弘一中佐の岡瞳本義詳解 と一五ふ書物を結いて見ましでも、それが今日の稲津氏あk
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りの思想の中心じなって居るゃうでありますが、さ う 一 五 ふ 貼 を 見 ま し て 可 な り 五 日 々 と し ま し て は 反 省 さ せ ら れ る 貼 が あ る と 忠 ひ ま す 。 そ れ か と 一 五 、 フ て 吾 々 は 蝕 h りじ枇舎思潮に所調迎合することは取らざる所であります ο 叉取る必要はないと忠 ひます。係数是基に信子る者は偽款を異に行ホノる者でなくてはならぬと信じます。故に併殺ぞ歩んでゐること IG がそのまミ日本精神仁生き、日本精神顕現の生活と一致するからです。要するに怖そ信する或は例教を信する 信 仰 在 持 つ と 一 五 ふ こ と 古 け で 終 つ て は な ら な い と 云 ふ こ と 冶 痛 感 し ま す 。 悌 れ ぞ 戸 日 赤 る と 云 ふ こ と は 唯 軍 に 心 の 現 下 特 に 出 掛 詞 す べ き 品 開 数 思 想 二二七日 本 品 開 数 単 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二二八 17 慰めでないと云ふこと、やはり信悌は精進記と云ふことぞ大いに強調しなければならぬと思ひます。信仰する と云ふことが精症の行に現れなかったならばそれは呉の信仰ではないのである、さう云ふ酷冶痛感致します。 之 h q 吾々の立場から申しますと、余仰を把握し知るのでなく、余悌より出費する吾々の生活が如何に更生され 調整され、念悌化されてゐるかと云ふことが重要なことであります。さう一石ふ意味で具韓的に巾しますれば、 六度の精神ぞ強調すると云ふこと、六度とは云ふまでもなく悌款の昔からの度世の遣であるといはれて居る布 施のある生活、持戒のある生活、忍辱のある生活、精進のある主活、禅定のある生活、智撃のある生活、さう 云ふ精進行が仰そ信中ると云ふこと密通して賓践増上される所に無我もあれば壷忠報園もあるし、準圏一致も あると云ふことになるのであります。この菩薩道が各宗各波の立場より強調され賓践されるならそれでよいと 思 ひ ま す 。 吾々浮土宗の方から之を略言しますと、心で念仰せよ、内鰐がん品仰せよ、岡が念悌せよ、かう云ふことそ強 調しなくてはならぬと思ひます。併し菩薩遁と云ふことになりますれば浮土の問題等色々あるのでありまする が、さう云ふ貼は宗門に閥係しますから申しませんけれども所謂通併殺の立場から申しますれば、蒋擁精紳、 而もそれが五日々の生活の上に培上の信念として氷蓮無窮に追求されなくてはならない、と一五ふ所に、今日の悌 教思想と云ふよりももっと具躍的に仰我々科として五日々の強調すべき貼があらうと存じます。さう一寺山意味で 蒋擁遁に闘聯しまして多少蛇足ぞ加へさせて戴ぎました。 日 野 環 氏 ︵ 谷 大 ﹀ 只 A 1 色々の御高設を承って居るのでありますが、現下特に強調すベ含仰教思想と一五ふことに就て多少皆さん
方から不服がないでもないやうに拝聴し大のでありますが、私はそれはあると思ひます。それは詰 h り 仰 教 は 全 障としては成る一つのものである、けれども時代が様々に流れるのである、流る誌に随って一なる仰教のい乙の 1 面﹂か出て行くべきかと云ふそこに只今の討議題目が濯ばれ仁のであると思ふ。古から其の﹁両 L 冶一而これ古 と抑へればそれで討議題日の趣日仁添ふべく事足ると思ひます。其の意味に於きまして私は無我の思想、これ が特に現時局下に大事な役割や来すのではないかと考へる一人であめます。但し今までのお話の中に’ R 屠 ミ 苦 々仰教徒自身の反省と一五ふことが強く要求されましにが、これはもう申すまでもないことでありますが、しか しこの討議題目のもとに於ては常分保留してよいの亡と思ひえす。それは姑く出来たものと凡て、五日々が多合 な悌敬思想中殊にどの﹁面﹂在高調しうち出してゆくか、其所が狙ひでないかと思ひます、隠ってこの討議題目 は相官ジャーナルに考へられてよいの花、そこぞ脱んで行かないと恐らくこの題口といふもの治山された提案 者の意旨と膳答する者との聞のピントがん口はぬのでないか、そこで先づピント冷合はせる必要があると忠ふ。 そこで私は今﹁無我しと云ふことや申しまし亡が、言葉其のものからの受ける感じは泊柑的で時代に合はない かもしれぬが、大一来仰教の形態に沿うて其のもの冶強調して行ったらよい古らう。 何が故に無我在五日々として強調すべきであるかと一五へば、それは現下の時世に於ける日本人が儲 h り に 頑 な な 自信身持ち過ぎはせぬかと案じられる節があるからで、除 h りに自信を持ち過ぎると飛んでもないことになりは せぬか。其の意味に於きまして各々金持は金持で自信ぞ持ち過ぎ軍人は軍人で白信冶持ち過ぎ、教育家は教育 18 家、宗教家は宗教家で白信冶持ち遁ぎると、− hhy 奥へること働きかけることばかわ考へて受ける方の気持冶一 向考へないならば、支那に向って
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う云ふ責撫工作そしても文化の提携を策しても、折角のことが向ふに針し 現下特に強調すべき偽数思想 二二九日 本 悌 教 且 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二 一 一 一 O 19 て経漕的匪坦と感ぜしめ、文化的侵略と感蓮ひせしめ、宗教的懐柔と誤解せしめて一種の反感古けを胎すやう なことになつにならば、折角の努力が無になってしまふ。勝者と敗者との封立感を解消せしむる事が凡ゆる工 作の基礎でもあの、それなくしては如何なる努力も有終の美を牧め難いと存じます、それには勝てるものから へわく立ってゆく宗教的感情が凡ゆる工作の深奥にに込へられて沿らねばなりませぬ、そこで此の大事なもの は何であるかと悌教思想中に求めるとどうしても無我の心であると存じます。俺もお前も一つ古、とかう融け 込 ん で 行 く 、 こ の 心 か ら 抱 き 合 っ て 立 ち あ が っ て ゆ く 、 さ う 一 一 ム ふ 一 つ の 無 我 の 精 神 か ら ・ 米 仁 木 醤 の 大 乗 精 神 に 躍進日本が満にされた無我の心といふものにみんななって行って呉れねば、受取る方でもすなはに受取れぬこ とでせう。受取つに者が満足してくれる様であの度い、かう一五ふ拙から一百つにならば刻下此の時こそ存々とし ましては悌陀の無我の聖意を本宮に睦認して、それん\同策の線に沿うて責任。ゼ持つべきであります。時局が 重大であればある程盆 1 一見きはめて消極的であるかの此の無我といふことに封して深い理解と睦験と身岡氏 に 要 求 し て よ い の で な い か 。 色 々 の 恥 に 就 き ま し て 先 制 粍 も お 話 が あ り ま し 亡 が 、 考 へ て 見 ま す と 、 各 山 市 の 宗 教 的 障 験 と 一 石 ふ も の も 各 方 而 よりの無我の酷験で通じて云へば結局無我である。然らば其の無我の結果がどうなるか、 h p ﹂ う い ふ も の に な っ て来るかは突の問題であります。それは自然に冷暖自知すベラ境地であるが、兎に角仰款の宗教関験としての 形は皆同じくこの無我の形ぞ持って居るものと忠ひます。現下此の時代に於て五日々が滅私奉公で行く、滅私奉 公と一五ふのはよい言葉であります。しかし滅私奉公ならよいけれ h とも、滅私奉私であってはならない。私沿減 と か う 一 五 ふ こ と に な っ て は な ら ぬ と 存 じ ま す 。 滅 私 奉 公 の ﹁ 公 ﹂ は 常 に 無 我 の 光 し て 他 の 私 的 な も の に 仕 へ よ 、
りに賊されてを=らねばならぬ。宕しもけ本人の東洋に到して主張して居ることが、山県にお前ぞ減して俺につけ よ と 一 五 ム 、 ︸ と で あ る な ら ば 、 それはやはわ征服であれ位略℃あって八紘 a 字の堕業ではないのであ hり ま す 。 み んなが本世に予そ取って、 いとこへ行つでも俺の家にといふやうな、此の心に本官に東洋民族がならねば、八紘 一宇の理想なんといふものは難しからう。さう一五ふことを岡本すにはどうしても深い無我と云ふ所に東洋喰障が 反省し直す必要がある。それ、たからして特に現下に於いて強調さるべぎ悌教の大事な思想は、無我と一五ふ十日い 簡 躍 な 言 葉 で な か ら ・ フ か 、 と 私 は 信 じ て ぞ り ま す 。 座 長 只 八 1 の日野さんのお話で、此の討議題目ち漸く本絡的舞憂に踊って来たやうに思はれます ο 尚ほ引き績いて 無我観の昂揚がありましたが、それに御賛同も結構、まにそれと濯った立場の御意見も結構ですから予御蓮慮 なく御護言を願ひます。 三 津 香 雲 氏 ︵ 龍 大 ︶ 先棋から僧侶自身の白誠自粛と云ふことが強調され、或は印度大乗仰教研究の強調とぷふやうな、現代の悌 教事の研究部門に闘する方面の強調がなされました。然し私はさういふ方面の強調でなしに、現下非常時の日 本に於て叫ばれて居ります所謂日本精神、言ひ換へれば惟神の遣といふものぞ中心として、吾々日本の悌教徒 が如何に此の精神に順臆して活動して行くべきか、さう云ふ万一向ぞ強調する考へで此の討議在進めたいと思ふ の で あ り ま す 。 20 さて、此の日本精神を昂揚すると云ふことに就きましては、最近一部の曲学者に依りますと、 日本精神︵叉は 現下特に強調すべき偽致思想
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日 本 偽 数 且 平 協 合 同 年 報 へ 第 十 一 年 ︶ 21 皇道精神︶白睦を宗教と全く同一の立場に置いて昂揚しょ、フとする向もありますけれども、私は、日本精神郎 ち惟神の遁といふものは、宗教として限定すべきものでなく、それは本来日本民族同有の一般的信念であると 忠ひます。然しながら、此の惟神の遁は教育勅語にも仰せられて居る遁り、﹁之を古今に遁じて謬ら?之在中外 に施して特ら守﹂と云ふ普遍の大道であります、しかもそれは文化の費展に伴うて、如何なる外来思想をも純 化し、包容する中正の大道であります。かういふ日本精神が、人生観の上で深い信念を有ってゐる我が大薬品抑 款に基いて、各自にどの様に睦覗さるべきかと一五ふことこそ非常時局に方って最も重要なこと h 思ふのであり ます。勿論すでに過去に於て、日本精神が我園の悌教徒の信念に基いて、巧みに賢明されて来たことは、史宜 の上で明かなことでありますから、今強ち新しく強調せねばならぬといった諜のものでない、と思はれます。 然し、過去から承け檎い古精神在、進んで出来る古け之岳地想的に宜現するといふこ B Y− − が 、 現 下 の 時 局 で は 勿 論のこと、今後に於ても尚一屠大切なニと二芯ひます。 それでは悌教思想に基いて、惟却の遁そ目叩暢する方案は如何かと一五ひますと、凡そ次の三ぞ掲けることが出 、、、、、、、、、、 来ると岡山ひます。先づ第一には先制刊からも何軒か言及せられた方もありました様に、縁起、無我の思想に基づ 、 、 、 、 、 く義務の観念の強調と式ふことを奉けるべきでせう。一五ふ迄もなく、諸法が結起するが故に無我であると式 ふことは原始仰敬以来大乗仰教に去るまで会側軟に通じた根本原理であります。そして、此の無我の精神が我 が闘闘有の惟紳の遣の中に示された浸我思想に符合してゐる錦に、大乗仰教が我が日本民族の輩忠報園の精神 を強めて来たことは疑ひない事賞であります。従って、現下の時局に常っても亦、身命ぞ賭して議・中山の誠冶棒 ける乙とが、日本凶民の義務であると一五ふ観念も、此の偽散の無我の精神を抜きにしては、到属其の深志巻瑚一
解することは出来ないのであります。この意味に於て無我に慕く義務の精神の強調が最も東要性を有ったもの 1 f一 考 へ ま す 。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 第二には、二一前の因果思想に基づいて永遠に瓦る責任制念を強調すべきであると思ひます。凡そ仰教に於け る輪廻時牛一の考へが我民族に死生達観を敬三三世を貫いて永遠に不滅の責任観念を暗示したことは、これま に史上に明かなことであります。かの七生報闘といふやうな同家に封する永遠の責任感は、悌教的内容を有つ に日本の道徳的精神会表現しにものであります。 かういふ責任概念の強調は、賢に現花に於て、殊に時局柄傾 め て 大 切 で あ る と 思 ひ ま す 。 、 、 、 、 、 、 、 、 、 第三には、四 M m b ︵闘王、尖母、衆生、三賓の恩︶の詑等に於て示されてゐるやうな、偽教の報恩主義の強調で あります。仰殺の知恩報恩の思想は織起無我の哲理から蛍然心理的に起って来るのでありますが、これが我凶 の 報 本 反 始 の 精 紳 に 合 致 し 、 よ く こ れ か − 賛 助 し て 来 に の で あ り ま す 。 こ の 意 義 か ら 悌 教 の 報 恩 主 義 は 判 明 下 盆 t 強調せらるベぎであらうと思ひます。 以上の外向ほ各自の宗汲の立場に依りまして、夫々、特殊な強調の仕方もあら、 7 と思ひますけれども、先づ 以上拳けに三の方案は凡そ何れの宗汲にちせよ普遍的に強調せらるべきものと考へます。現今、日本精神が墜 に日本岡民の指導原珂であると云ふことに止まらやノ、現在の精紳文化の最高水準にまで到蓮し得ることを理想 として居る時に官って、日本精神を更に普遍的に父は徹底的に昂揚しようとするには以上述べたや、フに悌教の 持 撃 的 心 理 的 基 礎 か ら 考 慮 す る こ と が 、 一 厨 適 切 で あ り 、 此 の 方 耐 の 強 調 こ そ 現 下 特 に 緊 要 で あ ら 、 ヲ と 息 ふ の 22 で あ り ま す 。 現下特に強調すべき偽数思想
日 本 品 開 数 且 平 協 合 同 年 報 へ 第 十 一 年 ︶ 四 包3 上 回 天 瑞 氏 ︵ 野 大 ︶ 私の考へてゆぞりますのは先耗のお話と儲り蓮はぬのでありますけれいにももう少し具躍的に巾上けて見にいと 思ひます。話が少し後戻りするやうで恐縮しますが、大瞳強調すべき偽教思想と一五ふのは結局仰教の本質 E F一 離 れてはいかぬと云ふニとは間建ひないこと古ら、ヲと思ひます。それで其の本質は先如何仰しゃいましたやうに、 菩提を得ると云ふことに議ひない、 一切の人類に菩提ぞ得させると式ふことが悌教の本質であるに議ひないの であのますが、蕊じ大乗悌教或は菩薩道といふものの大きな一つの特徴があります。それはさう云ふことをす る・ぃ刀法の上に於て小乗仰教と違ふ貼があると云ふ所に非常に大まい特色があると品ふ。火薬仰教は斐するに軍 なる形式的とか或は公式主義とか云ふやうなことでなしに生命の本質に幕直に浩一んで行くと云ふ主義、勇往遁 潅 一 主 義 と 一 五 ひ ま す か 積 掛 川 主 義 と 一 石 ひ ま す か 、 さ う 一 石 ふ 立 場 ぞ 取 っ て 居 る υ これは極端な例でありますけれども 現 下 の 時 局 に 封 し て 五 日 々 が 強 調 す べ き 例 を 一 つ 翠 け て 巾 ・ し ま す と ﹁ 殺 す し と 云 ふ こ と に つ き ま し で も 、 先 制 粍 も 戒 律の問題が出てをりますが、小乗悌款では絶針的に形の上に生命 K T奪 ふ と 式 ふ こ と を ぷ 口 定 す る の で あ り ま す の 併し火薬悌教に於ては誰ゲも御存知の通りに、大け経等に於ぎましては一殺多主と云ふことぞ詐してをります、 或は喰伽論には悪人が聖者を殺さんとする場合にはそれを殺して比の悪人の無間地獄に晴一ちることそ防ぐと云 ふことは却って破戒でないと云ふことぞ言ってをります。或は理越経には、偲令.一一回介の衆引を殺すと雌も悪趣 に摘しないと言って居ります、これは何の嬬に悪趣に堕しないかと云へば先制刊巾しましにやうに、大乗悌教の 木質である一切衆生に菩提を得せしめると二ムふ根本精神に於て確立したものがあるならば、サ件、のか法の上にさ う一石ふやうなことそすることは許すと云ふ立場が確かにあるやうに私は思ふのであります。
そ れ で さ う 一 百 ふ h 刀法の上に於て躍なる形式的な公式的な考でなしに、もう少し本質的に勇敢に民の中.命の本 質に突入して行くと一五ふ考へ庁、思想といふものは現下の時局に於いて肢も強調すべき一つの思想である、と 思ふのであります ο それから私は一切の衆生をして菩提ぞ得せしめ魂を誌に日曜ましめると云ふ事はいとう賢明するかと一五ふなら ば、要するに大乗悌教は躍なる柑象主義ではない、確かに現賓の上に、開念の上でなしに事責の上にそれぞ貫 現しようと云ふのが大乗悌款の一つの大きな特色であると思ひます。そのことをもっと約めて言ひますと、我 が日本の同家じ於て此の大乗偽教の理想を貰現しなければ他にこれぞ賓現する所はないと一五ふことや考へる必 要があると思ふのであります ο 其の意味に於て曇一言密教から申しますと長茶羅といふものは h p ﹂ ニ に 本 宮 に あ る かといへば、寧ろ此の日本の園家にあるのに、叉そこに貰現しなければならぬと云ふ立場を取って居るやうで ありますが、さう一五ふ日本の同家に於て吾々が悌款の理想を貰現す Jる の に 大 乗 の 精 紳 に 什 忙 し 躍 な る 形 式 主 義 に 立た守して、勇往逼涯の積極主義に立って行くと一五ふことが最も大切である。但し恋心考へなければなりませ ぬことは非常に議論にはなると思ひますが、先理事けました例のやうなことは、本常は初地以上の菩隣の智慧 と方便一がなくしては出来ないのであると云ふことに深く反省する時、さう一五ふ智蓄と方便とそ得ることは却々 出来ないと思ひますが、そこに私は一つの他力的気持と申しますか、五百々はそれを信じてやると一五ふ、それが よいか悪いかと云ふことは本宮の仰の智慧仰の考に伐つより外にないと云ふ、他力的考会な感守る必要があると 思ふのであれノます。この雨者は甚に矛盾して居るゃうでありますけれども、私は決して矛盾して民ないと思ふ のでありまして、さう云ふ意味から大乗悌款の救設から云ひますと一如の立場に立って、五日々が飽くまで宇 24 現下特に強調すべき悌教思想 五
日 本 品 開 数 且 中 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶
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一一・ ム ノ、 25 ふ、勇敢に宇ふと一五ふことが大切である、さうして又日本同家に於て吾々の理想必佐賀現することが必要である と 一 五 ふ こ と を 申 上 け た い と 思 ひ ま す 。 それからもう一つありますが、先山科教聞の問題がありましに.か、此の教聞の内に針しての思想 E h− − し て は 先 程 申されましたやうに、要するに教圏の自粛白誠でありませうが、倒教の本質に生きる、其のことが紋圏自身に 強調すべき悌教思想と一五ふと語勢があるかもしれませんが、もっとも必要であると岡山ひます。さうしてこれ冶 具瞳的に賓際に現はす場合に於て私はそこに戒律が最も重要であると思ひます。それは h と う 云 ふ こ と で あ る か と申しますと、具睦的に吾々の生活を規定する際に於て、小乗的方法といふものに非一常に大ぎな意味がある ο 一 一 一 一 日 ひ 換 へ ま す と 悌 教 徒 の 生 活 と い ふ も の は 最 低 限 度 の 物 質 生 活 じ 甘 ん じ て 而 も 最 高 の 精 神 的 理 想 を 賢 現 す る と 式ふ、其のことはあらゆる方面の物資の節約、統制が絶叫制的に必要である現下日本の岡情に封して最も適切な もので、この悌教生活に日畳めそれ冶吾々が貰践し普及すると一石ふことは械めて重要なことと岡山ひます。そこ で私共は今後に於て大乗の精神に立って、而も生活の問題に於ては小乗的戒律主義の思想、方法を取ると一五ふ ことが、現下に於ては非常に大切である。さうするならば日本の戒律思想史に於ては正統波の精神といふもの が非常に重要ではないか、伶侶の妻帯問題等に就ても、3
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? ? 山 や う な 貼 か ら 考 へ る こ と が 出 来 る や う に 忠 ふ の で あ り ま す 。 要するに大乗悌教の積極的勇往逼巡の思想、同家の中に理想の賞現を見る鎮護岡家の思想、簡素なる物質生 活の中に高き精神的理想を建せんとする仰教的生活は、現下最も高調すべき悌敬思想であると思ふのであれ J ま す道 端 良 秀 氏 ハ 谷 大 ﹀ 私は此のつ現下特に強調すべき悌教思想﹂と云ふ題目の下に、今日は聴きに参ったのでありますが、現在我が 日本が如何なる賦態にあるか、日本金韓が一固となって外敵に向って人 1 突進して居る、さう式ふ現下の日本に 於て我が悌款が H とう一五ふ役割ぞ持たねばならぬかと云ふことを討議するの立らう、かう忠ふのであります。 さう一瓦ふ意味に於て、働政内部のことはもう既に出来上ったことミして、それ以外に特に現下に於て、﹁特 に ﹂ と 云 ふ 学 が あ る 限 り に 於 て は 一 瞬 現 在 の 闘 の 賊 態 が 如 何 な る 賦 態 に あ る か と 一 五 ふ こ ・ と ぞ 特 に 認 識 し て 、 そ れ に針癒すべき悌款と言ふ問題であらうと思ひます。其の意味に於ては何か今までの討議は私にぴったり来ぬや うな気がするのであります。恐らく此の﹁現下特に云々﹂と一五ふ越を出された意味と先に日野さんが言はれたや うに何か少しくピントが外れて居りはしないか知らんと思ふのであります。現在の仰款に艶してどう一一ムふ非難 が あ る か 、 ジ ﹄ 、 フ 云 ふ 疑 冶 蒙 っ て 居 る か 、 こ れ は 常 然 津 山 あ る や う で あ り ま す が 、 さ う 一 石 ふ 悌 教 に 針 す る 世 間 の 非難或は疑惑など色々の問題が現下に火の粉のやうに降りか λ って居ると思ふのであります。倍此慮は日本悌 款の最高の農舎であり、討議場であらうと信十る者でありますが、此慮に於て協議されたことは全部、ふ+∼仰歌 全日本に示されて、之を指導原理としてそれに依って日本同家といふものが進んで行かねばならぬであら、ヲと 思ひます。さう云ふ意味に於ける此の悌教思想ぞ h こ う し て 護 揮 す べ き か と 一 五 ふ こ と が 此 の 討 議 問 題 で あ ら う と 思ふので、さう一瓦ふことに針して私は聴きたいと忠ふのであ h り ま す 。 26 何か聞いてをりますと儲りに教圏内部の強調と一五ふこ L a 自に非常にカが這入って居るやうでありますが、これ は卒時でも常然言はるべきことなんでありますから今此慮に於いては内部の問題ではなく、外部に向って特に 現下特に強調すべき悌数思想 七
日 本 偽 数 民 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二三八 27 現 在 ど う す れ ば よ い か 、 如 何 な る 悌 教 思 想 を 強 調 す べ き で あ る か と 一 一 一 日 ふ こ と を 論 十 べ き で あ ら う と 忠 ふ の で あ り ま す 。 二 宮 守 人 氏 ︵ 正 大 ︶ 私は立汲に討議題目に答へた積りなんです。詰り陪持悌救の例を J 一 員 ふ な ら ば 沙 石 集 、 西 行 の 山 家 集 等 々 研 究 材料は津山あるのであります。今の仰款はチンドン屋式官一俸悌款になってしまって居る、吾々にはつく人、と 白己を内省した過去によいお手本がある。さう一五ふ意味の教圏の新戒律そ h p ﹂ 、 フ 一 五 ふ 風 に 樹 立 す る か 、 各 種 の 教 闘 が 今 の や う に 分 裂 し て 居 つ に ら 岡 県 悌 教 は 本 一 れ て 来 な い 。 此 の 戒 律 思 想 が 乞 う な つ に 時 に 革 新 悌 款 が 起 っ た か 。 戒律といふものが過去の併殺の中に如何にあったか。私の指摘した鎌倉期、平安期の仰款の勃興といふものが 此例に遁切でなければ其の外のものであっても宜しい。さうして加古の教信の例会一つ皐けたが其の聖仰教的 護展といふものは分りよく申しますれば賓は我が大日本款であります、軍なる悌教ではありませぬ、印ち神悌一 致教であります。其の下に大日本教が出来上って店るので、抑も北野神枇は誰が抗へたお宮か、談山神枇は誰 が排へにお宮か、山王さんは誰が抗へにお宮か。 一 番 今 日 神 岡 ぢ や と 中 心 に 押 ・ 1 て λ 居る神道といふものは抑 も誰が静へたか、品円隠者側款の手で排へた。詰り山林悌殺の比叡山がけ古神枇冶立てた等々、日本利道史上に 於ける倒教徒の活躍は全部大日本款に封して、仰救が無我と式ふ思想をはて紳守政厳し‘苦隣遁と− X ふ 思 想 を 以て神そ東厳し、阿持多雑三貌三菩提とバふ思想を以て紳ぞ現厳し等々、宜際に於て過去に其の新戒律を考へ に 人 々 は 無 我 に な る が 故 に 紳 遁 で あ っ た と 一 五 へ な け れ ば 仰 放 で あ っ た と も 云 へ な い 、 西 行 と ・ 一 ム ふ 人 は 何 宗 と 式 ふ 宗 百 も な け れ ば 、 品 本 好 と 式 ふ 人 じ 何 宗 と 式 ふ 京 日 も な い 、 立 一 棋 に 全 U 本教徒であります﹀あの人法七けでは
も う 一 つ 物 足 ら ぬ も の が あ り ま す が 、 さ 司 フ 一 一 ム ふ 意 味 に 於 て 沙 石 集 の 第 一 頁 ぞ 悲 に 山 本 け て よ い と 思 ひ ま す 。 明 恵 上人が伊勢に詣でて出離血死の遁そ伊勢大紳︷れのお蔭で得られたと云ふ話など今日のやうに神仰の聞に醜い闘 争といふものは全くない。其の教閣から一一過離れて、乞食坊主の加古の敦信となっ仁川其の時分華かなる堂上 の仰教各宗波が栄えてをります。そこに本蛍に味噌摺小僧に立返って全日本悌教と一五ふ l i 1 悌 救 と 一
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一 H 葉 で なしに、全日本数樹立の端緒をなしたのである。一番近い例そ云へば、すなはち徳川期の一一貫神道となって、 それが大口本救として行はれた時に、全日本人は一一貫紳遣の統制下であった等々、私は決して軍なる悌教思想 の戒といふやうな意味で私は申上けにのでない J 座 長 お話は拘に結構でありますが、どうもそれは現下の日本悌教徒は如何に生くべきか、と一五ふ題口の下に於ける 御論旨のやうに受け取れます。率直じ一五へば、やはり先耗日野さんが仰しゃったやうに、討議題日の最初に、 ﹁現下特に﹂と打ち出しに所以は、此の非常時局に際して、政府が色々標語沿輿へて同民を指導して居る、五日々 悌教徒自身は何う云ふ主張。倍以て岡民に呼び掛けるか、無論それは出来るにけ悌教徒自身も賓践しなければな ならぬが、それと同時に他の人々そも指導して行くにふさはしい仰救猫自の思想といっ仁鈷ぞ少し突っ込んで 針議して戴きにいと一五ふ趣日に外ならないのでありえすο
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うかさう一五ふ趣旨に沿うて、現下の日本放に此界 ぞおしなべての非常時局に針して、偽教が如何なる思想的役割冶持っか、と云ふ問題に就いて御討議身願ひた い。既に其の問題に踊れて、大建結構な御意見ぞ承つ仁ことでありえすが、まに時聞がございますから J 28 桐 漢 順 忽 氏 ハ 語 大 ︶ 現下特に強調すべき働教思想 二三九日 本 悌 数 坦 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 二 四 O 29 私は此の題目ぞ課せられ七時に色々考へさせられたのですが、卒直じ申しますと、悌款に於ける思想、特に 現下に強調すべき悌教の思想は||賓は悌教の思想といふものは各宗に依って相官共通貼もあるのですけれど も其の共通鈷は極めて抽象的なものであって具韓的のものになると各宗各宗に特色ある相官力強い見方がある のではないでせうか。さう云ふ貼から巾しますと人聞が非常時に立った時に如何に属すべきかと云ふことの人 間生活の指導は各宗々々に於てやって居る、それが今の課題になるのぢゃないかと云ふ一つの疑問冶持って居 るのであります。併し一面から言ひますと悌教として共通な貼もあり去すから、さう云ふ立場に立って議論を すれば、議論出来ないこともありませんが、露骨に申しますと私は私の信じて居る宗波的立場がどうしてもも の を 一 一 員 ひ 出 す に ら う と 云 ふ こ と ぞ 御 諒 解 そ 願 ひ た い 。 私幾っか考へましに、第一に考へたのは、無我と云ふ思想でありまし七。併し無北と云ふ思想は、之が根本 的思想であることは是認しえすが、之に封して或る一波では非難をされて居る撃を既に聞きましに。それは無 我の思想といふものは空の思想で結局虚無の思想を育て h 行く淵床になるものである。かう云ふ非難を具躍的 に聞きましに、それは著蓮も出て居るのであります。しかし私が問題にしまし仁のはさう云ふ黙でなしに、無 我と一エふ思想は結局窮械的なものであるけれども非常に消械的な思想である震に現下非常時の積械的なものぞ 要 求 し る し ↑ 韓 的 な も の ぞ 要 求 し て 居 る 今 日 で は 除 。 に 消 械 的 で は な い か 、 と 一 瓦 ふ 疑 問 ぞ 持 ち ま し に 。 それから因果謄報と一五ふ考へ方ぞも考へて見まし仁、現下には相常統制といふやうなこと、その他の問題で 苦しんで居る人蓮があるのでないか、不自由。ぞ感じて居る人謹があるのでないか、 と云ふことそ考へて、脊々 は業報的な考へ方といふものを就くことも一つの方法でないかとも考へて見ました。これも亦成る意味から一五
って必要なことであるとも忠ひますが、それも私は鶴 h り に も 消 . 融 的 で あ ゐ と 云 ふ や う な 感 じ が し ま し に 。 そ れ で長尾馬か最初に言はれた?ヲに、菩薩道、利他的運動これも考へて兄にいと思ひましに。併し私は之に就て 一つの疑問を持つのは自己の行錯の上に利他ぞ見ることは h とうかすると尚あがのをしはせぬか、さうして父 h と うかすると私達の行鋳に針して功利的思想ぞ典へはせぬか、かう一五ふことや考へましにのでこれもいとうもはっ きりしません。で結局私の結論はもう少し物じ封して感恩感謝の念といふやうな思想が必要ではないかや人間 同志.かもう少し感謝して大きなものに生かされて居るの花と示ふやうな抗場で、例へば親驚聖人が流し青じお 逼ひになった時に静に突って寧ろ喜んで御行きになった、却も逆境に叫測しでも喜んで行けること、さう一五ふ考 へ 方 が 必 要 で な い か 。 先程一一一津氏もちょっとお言ひになったのですが、四恩、印ち悌款で設かれて居る感恩思想、もう一つはこれ は轄の思想と申してよいのですが慣情削菩提と云ふ逆境の