『日はまた昇る』における脱現実への道
著者 新井 哲男
雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学
巻 36
ページ 131‑141
発行年 1996
出版者 東京家政大学
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00008947/
『日はまた昇る」における脱現実への道
(平成7年9月30日受理)新井哲男
Desire to Leave the Real World in Th e Sun A lso、Rises
Tetuo ARAI
(Received September 30,1995)
1
Badly cogido through the back, he [the waiter]said. He put the pots down on the table and sat down五n the chair at the table.
Abig horn wound. All for fun. Just for fun.
What do you think of that?
Idon t know. [Jake said.]
That s it. All for fun. Fun, you under−
stand.t
You re not an aficionado?
Me?What are bulls?Animals. Brute
animals. He stood up and put his hand on the small of his back. Right through the back. A cornada right through the back. For fun−you understand.
(「背中を思いきり一突きです」と彼[給仕]が言っ た.彼は,[コーヒーとミルクの]ポットをテーブ ルの上に置き,テーブルの椅子に腰をおろした.
「大きな角にやられたんです.ただ楽しみのためで す.単に楽しみのためなんです.どう思いますか.」
「わからない.」[とジェイクは言った]
「そうなんです.ただ楽しみのため,楽しみのた あなんですよ,いいですか.」
「あなたはアフィシオナードではないね?」
「私ですか? 牛が何です.動物ではありません か.野蛮な動物ではないですか」彼は立ち上がり,
背中の細くくびれた腰の所に手を置いた.「まとも に背中を.まともに背中を突かれたんですよ.楽し 英語英文学科 第一米文学研究室
みのためにね,いいですか.」)(第17章)1)
祭りの日の朝,牛が闘牛場へ向かって走る.その前を 群衆がひどく混雑しながら走る.群衆の一人が一頭の牛 の角に突き上げられ,宙に舞う.ヘミングウェイ
(Ernest Hemingway,1899−1961)の『日はまた昇る』
(The SiLn.Also Rises)に描かれるスペインのフィエ スタと呼ばれる闘牛の祭りの一餉だ.作者は,この祭り に関し,次のように述べる.「7月6日の日曜正午に,祭
りは爆発した.そうとしか言いようがない.(At noon of Sunday, the 6th of July, the fiesta exploded.
There is no other way to describe it.)」(第15章)
「爆発」としか表現しようのない突然の興奮の高まりの 中で,祭りは始まる.7日間に及ぶ祭りの期間中,人々 は踊り,飲み,喧曝たる騒ぎが,夜も昼も続く.「そこ で起こることは,祭りの期間中でなければ起こり得ない ものだった.あらゆることが最終的には全く非現実なも のとなり,何事も結果を持ち得ないように思われた.祭 りの間に,結果のことを考えることは場違いのように思 われた.(The things that happened could only have happened during a f五esta. Everything became quite unreal finally and it seemed as though nothing could have any consequences. It seemed out of place to think of consequences during the fiesta.)」
(第15章)祭りは,人々を一時的にせよ,現実から非現 実の世界へと導く.そこで起こること,行なわれること のすべてが,非現実で,祭りが終えてから祭り中に起き た出来事や行為の責任を云々しても,結果にっいて論議 しても甲斐の無いことである.祭りはそれらの責任や結 果を超えたものなのだ.たった7日間の祭りではあるが,
新井 哲男
アフィシオナードと呼ばれる人たちは,そこに生命を懸 ける.いわば,その一週間の興奮と熱気の中で自己の生 を燃焼させるのだ.冒頭に引用した会話に続いて,作者 は,次の会話を添える.「『お聞きになりましたか.死ん だんです.死んだんですよ.彼は死んだんです.角に突 き刺されてね.ただ,朝の楽しみのためにです.全くた わけたことです.』『気の毒にね.』『私にはそうではあり ません』給仕は言った.『あんなこと,私は全く楽しく ありませんね.』( You hear?Muerto. Dead. He s dead. With a horn through him. All for morning fun. Es muy flamenco. It s bad. Not for me.
the waiter said. No fun in that for me. )」(第17章)
一般の人から見れば「単なる朝の遊びのたあに死んでし まうなんて馬鹿な話だ」と思われる牛に突かれた男の死 も,アフィシオナードにとってみれば,「気の毒にね
( lt s bad. )」と言うしかないのである.
作者は,『老人と海』(The Old Manαnd the Seα)
においても,作品の最後で,老人が釣ってきた大魚の骨 を見て,鮫の骨と間違える旅人の話を挿入するが,その 道の精神が何もわからない一般大衆の視点を何気なく挿 入することにより,技,魂,共にその道を極あることの 偉大さ,高潔さを強調して浮かび上がらせている.ちな みに,アフィシオナードとは,闘牛の本質を真に理解し ている本物の闘牛愛好家のことで,作品には,「アフィ シオンとは情熱の意味である.アフィシオナードとは,
闘牛に情熱的な人のことである(Aficion means
passion. An aficionado is one who is passionate about the bull−fights.)」(第13章)2)と記されている.
さて,『日はまた昇る』で男を突き殺したその牛も,
その日の午後,闘牛士に殺される運命にある.『午後の 死』(Deαth in the Afternoon)で,ヘミングウェイ
は,「戦争が終わった今となっては,生と死が,即ち激 烈な死が見られる場所は闘牛場だけであり,それをじっ くり見るために私はどうしてもスペインへ行きたかった
(The only place where you could see life and death,
i.e., violent death now that the wars were over, was in the bull ring and I wanted very much to go to Spain where 1 could study it.)」3)と述べる.そして,
『日はまた昇る』では,「闘牛士を除けば,自分の人生を きちんと生きているものはいない(Nobody ever lives their life all the way up except bull−fighters.)」
(第2章)と言う.闘牛場には,熱気と興奮と躍動があ
るが,その裏にはいつ訪れるかもしれぬ「死」の影が横 たわっている.彼は,死と裏合わせになりながらも,現 在という時を真剣に生きる生を讃えるのである.ヘミン グウェイは第一次世界大戦中,脚に大きな負傷を負った が,その時父親に宛てた手紙の中で,「負傷するという ことは,本当に,大変な満足感を与えてくれるものです.
死ぬということはとても簡単です.私は死を見てきて,
本当にわかっています.万一,私が命を落とすようなこ とになっていたら,それは,…私の経験したことの中で 最も簡単なことであったろうと思われます.…そこで,
幻滅を味わっていない.まったく幸福な若者の時代に死 を遂げるほうが,老いて,身体をやっれさせ,夢を粉々 に壊されるよりも,どんなに良いことかと存じます(lt does give you an awfully satisfactory feeling to be wounded,_. Dying is a very simple thing.1 ve looked at death and rea11y I know. If I should have died, it would have been... quite the easiest thing I ever did._And how much better to die in all the hapPy period of undisillusioned youth, to go out in ablaze of light, than to have your body worn out and old and illusions shattered.) )」と述べている.
闘牛の祭りは,一方で死を背中に負いながらも生の燃 焼を感じさせるこの世に残された数少ない場であるが,
他方で人間界のどろどろとした感情が複雑に入り組む現 実世界から一時的に引き離してくれる場でもある.そこ で,この小論では,『日はまた昇る』に見られる作者の 脱現実社会への願望に関して,多少の考察を試みたい.
2
『日はまた昇る』の主人公ジェイク・バーンス
(Jake Barnes)は,性的不能者である.彼は,なぜこ の作品において性的不能者として設定されているのであ ろうか,作品によれば,彼は戦争中の負傷により「生命 以上のものを失った( You,... have given more than your li fe. )」(第4章)とのことである.彼は,この ためにブレット(Brett Ashley)を愛していながらも,
彼女とは一緒になれない.彼女も彼を愛している,そこ で,肉体的に結ばれることがないことに対する2人の苛 立ちは,強調して描かれることになる.
Don t touch me, she[Brett]said. Please don t touch me.
What s the matter? [Jake said]
Ican tstand it.
Oh, Brett.
You mustn t. You must know. I can t stand it, that s all. Oh, darling, please under−
stand!
Don tyou love me?
Love you?Isimply turn all to jelly when you touch me.
Isn t there anything we can do about it?
(「触らないで」彼女[ブレット]は言った.「お 願いだから触らないで.」
「どうしたんだい?」[ジェイクが言った]
「耐えられないの.」
「ああ,ブレット.」
「だめなの.わかって.耐えられないの.ただ,
それだけよ.ああ,あなた,お願い,どうかわかっ て!」
「ぼくを愛していないのかい?」
「あなたを愛してないですって? ただあなたに 触られると,すべてがめろめろになってしまうのよ.」
「どうにかならないかなあ.」)(第4章)
Good night, darling. [Brett said]
Don t be sentimenta1. [Jake said]
You make me ill.
We kissed good night and Brett shivered.
1 dbetter go, she said. Good night,
darling.
You don t have to go.
Yes.
We klssed again on the stairs_. I went back upstairs and from the open wlndow watched Brett walking up the street to the big limou。
sine drawn up to the curb under the arc−light.
She got in and it started off. I turned around.
On the table was an empty glass and a glass hal卜full of brandy and soda. I took them both out to the kitchen and poured the halfイull glass down in the sink.1ωrned off the gas in the dining−room, kicked off my shppers sit:
ting on the bed, and got into bed.This was
Brett, that I had felt like crying about. Then I thought of her walking up the street and stepPing into the car, as I had last seen her,
and of course in a little while I felt like hell again. It is awfully easy to hard−boiled about everything in the daytime, but at night it is another thing.
(「おやすみなさい,あなた.」[ブレットが言った]
「湿っぽくなるなよ.」[ジェイクが言った]
「あなたがいけないのよ.」
僕たちはおやすみのキスをした.ブレットは震え ていた.「もう行くわ」彼女が言った.「おやすみな さい,あなた.」
「急いで帰ることはないよ.」
「いえ,帰るわ.」
僕たちは,もう一度,階段の所でキスをした.僕 は2階に戻り,開いた窓から,ブレットが通りを街 灯の下の縁石に横づけしている大きな車の所まで歩 いていくのをじっと見っめていた.彼女は乗り込み,
車は走りだした.僕は向きをかえた.テーブルの上 には,空のグラスとブランディ・ソーダが半分残っ ているグラスがあった.僕は,それらを2っとも台 所に持っていき,半分入ったブランディ・ソーダを 流しに捨てた.ダイニング・ルームのガス燈の灯を 消すと,ベッドに腰をおろしながらスリッパを蹴飛 ばすように脱ぎ,ベッドに入った.これがブレット だった.さっき感じたような泣きたい気持ちにさせ るのが.それから,僕はさっき見たままに,彼女が 通りを歩いて行き,車に乗り込む姿を思い出した.
すると少しの間,またひどい気持ちに襲われた.昼 間はどんなことにも非情でいるのはひどく簡単だ.
しかし,夜ともなると話は別だ.)(第4章)
飲みかけのブランディ・グラスを片づけるジェイク,車 に乗り込むブレット,2階の窓からそれを見っめるジェ イク,お互いに愛し合いながらも,結ばれることのない
2人.2人の言いようのない,惨めな,やりきれぬ思い を作者は,「昼は良いが,夜になると話は別だ」という 言葉で絶妙に表す.しかし,一方でジェイクは,ブレッ トと結ばれることがないゆえに,物事を静かに眺め,客 観的に見っあ,冷静な判断を下せる立場にいる.ジェイ
クは,ブレットと結ばれることがないゆえに,コーン
新井哲男
(Robert Cohn)やマイク(Michael Campbe11)と 同じ類の人間にはならずにすんでいる.
コーンは過去に2人の女性と結婚し,今またブレット にも好意を寄せている.最初の女は,コーンが離婚を決 意しようと思っていた矢先に彼を棄て,他の男と駈け落 ちをしてしまう女だった.作者はこの女のコーンに対す る影響として,「彼は,金持ちの妻との家庭的不幸のた めに,いくぶん魅力に欠ける男になり,その型で固まっ ていた(He_hardened into a rather unattractive mould under domestic unhappiness with a rich wife;)」(第1章)と記している.
2人目の妻はフランシス(Frances)という女だった が,この女に関しても,作者はコーンに対する影響を
「彼はその雑誌で一旗揚げたいと願っていた婦人の手で 押さえられていた.彼女はひどく強い女で,コーンには 彼女の手から逃れる機会はなかった(He had been
taken in hand by a lady who hoped to rise with the magazine. She was very forceful, and Cohn never had a chance of not being taken in hand.)」(第1 章)と記している.コーンとフランシスとの課いを見た
ジェイクは,「明らかに,彼女が彼の生活すべての主導 権を握っていた(_evidentlyshe led him quite a life.)
」(第1章),「僕が中に入る時,コーンが見上げた.彼 の顔は真っ青だった.なぜ彼はあそこに座っているんだ.
なぜあんなふうに黙ってずっと耐えているんだ(Cohn
looked up as I went in. His face was white. Why did he sit there?Why did he keep on taking it like that?
)」(第6章)と考える.作者は,コーンについて「外面 はプリンストン大学で作られた.内面は彼を教育した2 人の女によって形作られた(Externally he had been formed at Princeton. Internally he had been moulded by the two women who had trained him.)」
(第6章)と記している.
コーンは性的不能者ではない.それ故に,美しいブレッ トを一目見たその瞬間から,彼は彼女に好意を抱き,彼 女の後を追いかけ始める.彼は,彼女に誘いをかけ,ブ
レットがほんの数日のサン・セバスチアンへの旅を受け 入れると,その後は自分とブレットとの仲を特殊な関係 と位置づけ,その間柄を仲間の前で誇り,鼻にかけ,仲 間は言うに及ばずジェイクやブレットからさえも厭な男 として見られることになる.ブレットがコーンと旅行に 出かけたことに関し,ジェイクは「なぜ奴に意地悪をし
たいという気持ちに駆られたのかわからない.いや,も ちろんわかっている.僕は理性を失い,奴がしたことに どうしようもなく嫉妬していたのだ(Why I felt that impulse to devil him I do not know. Of course I do know. I was blind, unforgivingly jealous of what had happened to him。)」(第10章)と感じ,ビル
(Bill Gorton)と次のような会話を交わす.「『彼女は 彼[コーン]とサンセバスチアンに行ったんだ』[とジェ イクが言った.]『なんて馬鹿なことを.何でそんなこと をしたんだ』[とビルが言った.]『彼女は町から出たかっ たんだが,一人ではどこへも行けないんだ.彼のために もいいんじゃないかと思ったと彼女は言っていた.』『人 間というのは,なんて馬鹿なことをするのだろう.なぜ 仲間の誰かと行かなかったんだ.或いは,君と.』彼は,
早口で,ぼかして言った.『或いは僕と.』( _She went down to San Sebastian with him. What a damr fool thing to do.Why did she do that? She wantedto get out of town and she can t go any・
where alone. She said she thought it would be good for him. What bloody−fool things people do.
Why didn t she go off with some of her own peo。
ple?Or you? 一he slurred that over or me?._ )」
(第10章)ここには,ジェイクの置かれた立場が強く浮 き彫りにされている.特に,最後の言葉は,ジェイクが 性的不能者であることに思い至ったビルが,前の言葉を 言いかけ,急遽「或いは僕と」と言い直してぼかしたも ので,当然ジェイクがブレットと旅行していても良いは ずであるのにそれができないというジェイクの苦悩を浮 きばりにしている.そしてまた,これらの会話はブレッ
トはおそらく,深く愛していながらも決して結ばれるこ とのないジェイクとの愛の行為の代替として,コーンと 旅行をしたのだということを暗示している.
いずれにせよ,ジェイクは,性的不能者であるがゆえ にブレットとは性的関係を持てない.ブレットのみなら ず,どの女性とも性的関係を持っ関係にはなり得ない.
しかし,先に引用した「昼は良いが,夜になると話は別 だ」という文に端的に示されているように心の中でひど
く苦悶するものの,コーンのようにひどい女性に苦しめ られることからは免れられている.従って,心の内面が
「女により形作られる」こともない.
ブレットと結婚することになっているマイクも,必ず しも振る舞いの良い人としては描かれていない.作者は,
酒の飲み方を基準にして,ジェイクの周囲に集まる人た ちを分析し,「マイクは悪い酔っ払いだ.ブレットは良 い酔っ払いだ.ビルは良い酔っ払いだ.コーンは決して 酔わない(Mike was a bad drunk. Brett was a good drunk. Bill was a good drunk. Cohn was never drunk.)」(第14章)と記している.マイクは,ブレッ
トと結婚することになってはいるが,美貌のブレットが 他の男たちと遊び歩いているのを酒でごまかし,そのた めに質の悪い酒の飲み方となっている.
ブレットは,コーンとの厭な思い出を拭い去るために,
ロメロ(Pedro Romero)と駈け落ちをするが,その 駈け落ちから戻った後で,「私はもう34才よ.もう子供 を相手にして目茶苦茶にしてしまう牝犬にはならないわ
( 1 mthirty−four, you know.1 m not going to be one of these bitches that ruins children. )」(第19 章),「ねえ,牝犬にならないと決めるととてもいい気持 ちよ( You know it makes one feel rather good deciding not to be a bitch. )」(第19章)とジェイク に語る.この言葉はブレットにも男を破滅させる力が備っ ていることをうかがわせる.従って,ジェイクが性的不 能者ではなく,プレットとの関係が深くなっていたなら ば,2人の関係は今のようではありえないし,またジェ イク自身も作品に書かれている品格あるジェイクとは異 なる人間になっていたであろうことを感じさせる.
ブレットと付き合いながらも性的関係のないと思われ るミピポポラス伯爵(Count Mippipopolous)は,洗 練された酒の飲み方をする.彼は,「私が酒に対して望 むことはただそれを楽しんで飲むということだけです
( _all I want out of wines is to enjoy them. )」
(第7章)と言い,「私は他のどんな骨董品よりも年代物 のブランディに私のお金をかける価値を置きます( I get more value for my money in old brandy than in any other antiquities. )」(第7章)と言う.っま り,彼は酒に飲まれることはなく,酒を味わい,楽しん で飲む.作品には,「食べ物は伯爵の価値において最高 の位置を占めていた.酒もそうだった( Food had an excellent place in thecount s values. So did wine. )
」(第7章)と記されている.そして,ジェイクは,伯 爵ほどには酒を楽しんで飲む領域に達していないが,伯 爵に近い存在であり,伯爵の言葉を理解し,伯爵の生き 方を是としている.伯爵は,まやかしを嫌い,見かけで はなく,そのものの持っ価値に本当の価値を置いている.
そこで,酒に関しても,年代物の良い酒を味わい,楽し んで飲むことに最大の価値を置くのである.彼は,「な ぜあなたには爵位がないの,ジェイク」と尋ねるブレッ トに,ジェイクに代わり「爵位なんてものは,何の役に もたちません.たいていはお金がかかるだけです( lt
[Atitle]never does a man any good. Most of the time it costs you money. )」(第7章)と答える.ま た,自分が今持っている価値観に関して「ねえ,バーン ズさん,私が今あらゆるものをこんなに楽しむことがで きるのは,とてもたくさん経験しながら生きてきたから なんです.…それが秘訣です.ものの価値というものを 知るようにならなければなりません( You see, Mr.
Barnes, it is because I have lived very much that now I can enjoy everything so wel1. ... That is the secret. You must get to know the values. )」(第7 章)と言う.経験が本物を見分けるカを養い,本当の生
を享受する源となっているのである.
『日はまた昇る』の主な登場人物の中で,コーンとマ イクはブレットと性的関係を持ち,ジェイクとビルとミ ピポポラス伯爵は,関係を持たない.前者が堕落した生 活に陥りがちであるのに対し,後者が生の楽しみを享受
しているように見えるのは,彼らの女性との関わり方と 多少とも関係があるのかもしれない.
ジェイクとビルは2人だけになると,男だけの気楽な 会話を楽しむ.祭りの始まる前にジェイクとピルはスペ インの田園地方に釣り旅行に出かけるが,そこでの2人 は実にリラックスして生活を楽しんでいる.そこには,
都会でのすべてのストレスから開放され,心の底からく っろいで生を享受している2人の姿が描かれている.も ちろん,都会に戻れば再びストレスが待っているわけで あるが,そのことを裏に抱えながらも,現在は一時の憩 いを得ているのである.
We stayed five days at Burguete and had good fishing. The nights were cold and the days were hot, and there was always a breeze even in the heat of the day. It was hot enough so that it felt good to wade in a cold stream,
and the sun dried you when you came out and sat on the bank. We found a stream with a pool deep enough to swim in. In the evenings we played three−handed bridge with an English一
新井 哲男
man named Harris, who_was stopping at the inn for the fishing. He was very pleasant and went with us twice to the lrati River. There was no word from Robert Cohn nor from
Brett and Mike.
〈僕たちはブルゲートに5日間滞在し,すばらしい 釣りを楽しんだ.夜は寒く,昼は暑かったが,昼の 暑い盛りでもいっも微風が吹いていた.冷たい流れ の中を歩くと気持ち良く感じられるほどに暑く,流 れから出て岸に腰をおろすと太陽が身体を乾かして くれた.泳ぐことができる深さの淵のある流れもあっ た.晩には,釣り客として同じ宿屋に泊まっていた イギリス人のハリスと3人用のブリッジをした.彼 はとても気持ちの良い人で,僕たちと一緒に2度イ ラチ川へ行った.ロバート・コーンからも,ブレッ トやマイクからも何の便りもなかった.)(第12章)
日中の暑さの中でも常に吹く「微風⊥「冷たい」流れと いう表現が,2人の爽快感をよく表している.彼らは,
喧喋たる都会の生活から一時的に避難し,大自然の中で の静かな生活を楽しむ.「医者と医者の妻」( The Doctor and the Doctor s Wife )で,医者であるニッ クの父が,妻との厳しい軋蝶から逃れ,森の中に入り,
「こんなに暑い日でも,森の中は涼しかった(lt was
cool in the woods even on such a hot day.)5)」と 感じるのと同じ心地よさである.彼らはこの心地よい場 で,微風に吹かれながら,冷たい流れに足を浸し,釣り をし,夜にはトランプを楽しむ.しかし,彼らが背後に 置いてきた現実社会には複雑な人間関係が存在すること が上の引用の最後の文からはうかがわれる.しかもこの 文は,第12章の終わりの文でもある.つまり,この文の 後には,章の終わりの空白が広がっているのである.章 の終わりの広い空白は,読者の脳裏により一層の余韻を 残し,彼らが,今,ロバート・コーンやブレット,マイ クのいる煩わしい軋礫や葛藤の渦巻くストレスの多い複 雑な現実社会から一時的に逃れ,その地で一緒になった イギリス人のハリスと共に男だけの世界を楽しんでいる ことを強くうかがわせる.
ジェイクは国籍喪失者である.作者は国籍喪失者にっ いて,ビルの言葉を借り,「『君は国籍喪失者だ.土との 接触を失っているんだ.けっこうな人になった.まやか しのヨーロッパの基準が君を駄目にしたんだ.死ぬ程に
飲み,性に取りっかれる,働きもしないで,いっもいつ もおしゃべりばかりしている.国籍喪失者なんだ,わか るかい.…』 ( You re an expatriate. You ve lost touch with the soil. You get precious. Fake Euro−
pean standards have ruined you. You drink your−
self to death. You become obsessed by sex. You.
spend all your time talking, not working. You are an expatriate, see?_. )」(第12章)と定義する.ジェ イクは作家志望のジャーナリストで,アメリカからヨー ロッパに来て根無し草のような生活を送っている.しか し,ビルの基準によると,国籍喪失者は「酒を死ぬほど 飲み,性に取りつかれる」と言う.しかし,ここで述べ
られているビル¢1言葉とは裏腹に,作品で描かれている ジェイクは,マイクのように酒を死ぬほど飲むことはな いし,コーンのように性に取りっかれることもない.彼 は性的不能者であるがゆえに,女性にのめり込むことは できない.作品には,闘牛場で牛の興奮を沈め,牛同士 の戦いを防ぐために囲いの中に入れられる去勢牛に関し ての記述があるが,まさに彼は去勢牛のように仲間が謬 いを起こさないように取りもち,諌め,仲立ちをする.
ビルはジェイクに「『いいかい,君は全くいい奴だ.誰よ りも君のことが気に入っている.ニューヨークではこん なことは言えなかった.ホモだと思われてしまうから.…』
( Listen. You re a hell of a good guy, and I m fonder of you than anybody on earth. I couldn t tell you that in New York.It d mean I was a faggot._. )」(第12章)と語るが,確かに,彼らは女 のいない男だけの世界で安らぎを得ている.
3
ヘミングウェイは,『日はまた昇る』の中で,「闘牛士 を除けば,自分の人生をきちんと生きているものはいな い」と言う.また,主要登場人物の一人のコーンに
「『僕は,自分の人生がこんなにも早く過ぎ去っていき,
しかも本当には僕はその人生を生きていないと思うと耐 えられないんだ』( lcan tstand it to think my life is going so fast and I m not really living it. )」(第 2章),「『君は,君の人生がどんどん過ぎ去っていくの に,その人生をうまく利用していないという気持ちに駆
られることはないかね.もう既に人生の半分近くを費や してしまったんだと突然気づくことはないかね』
( Don t you ever get the feeling that all your life is
going by and you re not taking advantage of it?
Do you realize you ve lived nearly half the time you have to live already? )」(第2章)と語らせて いる.これは,第一次大戦後の混乱した社会の中で,ジャ ズ・エイジと呼ばれるほどに物質的には豊かになり,人々 が,表面的には浮かれ騒ぐ中で精神的には荒廃し,生き る支えをなくしてしまっていることを物語る言葉ではあ るが,ある意味では,現代にも通じる言葉である.しか し,ヘミングウェイは,そのような時代にあっても,闘 牛士だけは違うと考えている.闘牛士だけは本物の生を 送っていると考えているのである.では,闘牛士の生と は何なのか.どのようなものなのか.作品には,次のよ うに記されている.
Pedro Romero had the greatness. He loved bul1−fighting, and I think he loved the bulls,
and I think he loved Brett.... Never once did he look up. He made it stronger that way, and did it for himself, too, as well as for her. Because he did not look up to ask if it pleased he did it all for himself inside, and it strengthened him,
and yet he did it for her, too. But he did not do it for her at any loss to himself.
(ペドロ・ロメロには偉大なものがあった.彼は牛 との戦いを愛していた.彼は牛を愛していたと僕は 思う.それにブレットも愛していたと思う.…[牛
と戦っている間]一度も彼は顔を上げなかった.そ のようにして彼は戦いをより強いものとし,彼女の ためだけでなく,自分のために戦いをしたのだった.
顔を上げて,戦いが気に入ったかどうかを尋ねなかっ たということは,彼は心の内面ではすべて自分のた めにしたのだった.そしてそのことが彼を強くした.
だが彼女のためにもやった.しかし自分自身を少し でも犠牲にして彼女のためにしたということはなかっ た.)(第18章)
人と海』においても,同じような描写がある.「『魚よ,』
と老人は言った.『わしはおまえを愛しているし,とて も尊敬している.だが,今日という日が終わる前にわし はおまえを殺す.』( Fish, he said, I love you and respect you very much. But I will kill you dead before this day ends. )」(p。54)6)老人は,本来なら ば敵であるはずの大魚に向かい,「兄弟(brother)」と 考え,そう呼びかけもする.『日はまた昇る』において も闘牛士ロメロは「牛は俺の1番の友達だ( The
bulls are my best friends. )」(第16章)と言い,更に
「あなたはあなたの友達を殺すの( You kill your friends? )」とブレットが問うと「いっも( Always. )」
と答える.『老人と海』では,老人は大魚を仕留めて,
自分の漕ぐ小舟の横に結わえ,自分の住む小村の港に帰 る途中,「俺はなぜおまえを釣ったのか」と考え,それ は「おまえが漁師として生まれっいているからだ」と考 える.っまり,彼は,「おまえは,魚が魚に生まれっい ているのと同じように漁師として生まれついているのだ.
…おまえが魚を殺したのは,誇りのためとおまえが漁師 であるという理由だ(You were born to be a fisher−
man as the fish was born to be a fish.... You killed him for pride and because you are a fisherman.)」
(p.105)と考える.これは,まさに『日はまた昇る』に おける闘牛士ロメロの自分自身のために闘牛を行なう姿 と一致する.老人もロメロも,人間として精いっぱいに 生きている.彼らは自分自身のために漁をし,闘牛をす る.彼らは,漁師であり,闘牛士であるから,魚を釣り,
牛を殺すのだ.魚や牛が憎くて殺すのではない.魚や牛 は,「兄弟」であり,「1番の友達」なのだ.言わば,魚 や牛は,彼らと敵対するものではなく,一緒に仕事をす る仲間なのである.老人も闘牛士も,海や闘牛場という 日常生活をおくる場から離れた,他の誰もが足を踏み入 れることのできない場で,彼らだけの戦いを繰り広げる.
『老人と海』で,老人が大魚を仕留める場面は次のよ うに描かれる.
闘牛士ペドロ・ロメロは,闘牛という戦いを愛し,戦い 相手の牛を愛している.そして戦いの間は,他のことを 何も考えず,ただひたすら目の前にいる牛との戦いに心 を没頭させ,最終的には誰のためでもなく,自分自身の ために戦うのである.言わば,牛との戦いは自分自身と の戦いである.ヘミングウェイの晩年に書かれた,『老
You are killing me, fish, the old man thought. But you have a right to. Never have I seen a greater, or more beautiful, or a calmer or more noble thing than you, brother. Come on and kill me」do not care who kills who.
新井 哲男
He took all hispain and what was left of his strength and his long gone pride and he put it against the fish s agony_.(PP.92 一一 93)
(おまえは俺を殺そうとしているな,魚よ,と老 人は思った.だが,おまえにもそうする権利がある.
おまえほど偉大で,美しく,静かで,気品のあるも のは見たことがないそ,兄弟.さあ,こい,殺せ.
俺はどちらがどちらを殺そうとかまわん.
老人はすべての痛みと残っていた力とずっと昔に 消えていた誇りとを取り出し,それを魚の苦しみに ぶっけた…)
『日はまた昇る』で,闘牛士Pメロが牛に剣を刺し込む 瞬間は次のように描かれる.
…and for just an instant he and the bull were one, Romero way out over the bull, the right arm extended high up to where the hilt of the sword had gone in between the bulrs shou1−
ders.
There were no tricks and no mystifications.
There was no brusqueness.
Then without taking a step forward, he be−
came one with the bull, the sword was in high between the shoulders,_and it was over.
(…そして,ほんの一瞬彼と牛は一っになった.
ロメロは向こうで牛の上にのしかかり,右手を上の 方に伸ばし,剣の柄までを牛の両肩の間に刺し込ま せていた.
巧妙な手口を使ったり,神秘化して煙にまいたりす ることはなかった.粗雑な所は一っもなかった.
それから,一歩踏みだすこともせず,彼は牛と一つ になった.剣は高く,両肩の間に刺し込まれており,
…戦いは終った.)(第18章)
闘牛士が剣を牛に刺し込む瞬間の闘牛士の頭の中には,
牛のことしかない.口喧しい世間のことも,日常生活の
喜びも悲しみも,怒りも苦悩も何もなく,あるのは目の 前にいる牛のことだけである.作者は,ここで「牛と一 体」になることにっいて2度にわたり,繰り返し述べて いる.2度にわたり,繰り返し述べているということは,
闘牛士を牛と一体にならせることが作者にとっていかに 重要なことであったかを物語る.もちろん,『老人と海』
でも,上にあげた引用から,作者は老人と魚を一体のも のとして考えようとしていることがうかがわれる.7)
しかしすべての闘牛士が立派な闘牛士であるわけでは ない.作品には,「モントーヤが本当に良いと信じてい た闘牛士の写真は額に入れてあった.情熱のない闘牛士 の写真は引き出しにしまってあった(The photo−
graphs of bullイighters Montoya had really be−
lieved in were framed. Photographs of bu11−
fighters who had been without aficion Montoya kept in a drawer of his desk.)」(第13章)と記され ている.漁師の中に海を女性と考える老人がおり,一方 老人とは対照的に海を男と考え,海を自分と対峙するも のとし,時には敵とまでみなす人たちがいる8)ことと 同じである.また,酒飲みの中にも,ミピポポラス伯爵 のように人生を享受するために酒を味わって飲む人と,
マイクのようにただ酔うために飲む人がいることとも同 じである.
しかし,普通の人は,いくら努力を重ねようとも,皆 が皆,闘牛士になれるわけではない.アフィシオナード
と呼ばれる人たちは,闘牛士であるか否かに拘らず,本 物の闘牛を愛し,日常を離れて闘牛の世界に没頭できる 人たちである.アフィシオナードたちは,祭りの間中,
闘牛に没頭し,日常を離れる.
しかし,祭りが終わると,現実が待っている.
In the morning it was all over. The fiesta was finished. I woke about nine o clock, had abath, dressed,and went down−stairs. The square was empty and there were no people on the streets.。.. The fiesta was over,
(朝になるとすべてが終わっていた.祭りは終っ た.僕は9時頃起きると,風呂を浴び,洋服を着替 え,階段を下りていった.広場はがらんとしていて,
通りには人がいなかった.…祭りは終ったのだ.)
(第19章)
最終章の冒頭に置かれたこれらの文は,アフィシオナー ドたちの祭りの後の虚脱感をうかがわせる.ジェイクた ちは,祭りの後,各人がそれぞれの場所に向かう.バイ ヨンヌの町で別れた後,ジェイクは一人でホテルに向か い,タクシーがホテルに着くとタクシーや釣り竿のケー スにっいた埃に気づく.「僕は埃だらけの釣り竿ケース を拭った.その埃は,僕をスペインやフィエスタの祭り と結びっけていた最後の物のように思われた.…僕はホ テルに入っていき,彼らは僕に部屋を割り当ててくれた.
そこはビルとコーンと僕とがバイヨンヌに泊まった時,
僕が寝た部屋だった.それは,ずっと昔のことのように 思われた」(1 rubbed the rod−case through the dust.
It seemed the last thing that connected me with Spain and the fiesta._Iwent into the hotel and they gave me a room.It was the same room I had slept in when Bill and Cohn and 1 were in Bayonne.
That seemed a very long time ago.)」(第19章)ジェ イクは,コンクリートでおおわれた大都会のパリから,
この地バイヨンヌを経由して,埃にまみれ,自然の残る スペインへ旅し,釣りという人間と魚(自然)との触れ 合いを楽しみ,人間と牛(自然)との戦いに没頭し,再 びこのバイヨンヌの町へ戻ってきたのである.わずか一 週間の祭りの旅ではあったが,彼にとっては,長い旅を 経て,再びはるか昔に味わった現実世界へ戻ってきた気 がする.
祭りの最中,男が牛に刺された日の朝は,「あらゆる ものがくっきりとはっきり見え,町には早朝の臭いがし た(Everything looked sharp and clear, and the town smelt of the early morning.)(第17章)と表 現されていた.これは,『老人と海』で,老人が84日間 の不漁の後,大魚を鉤針にかけることになる朝を「彼は 陸地の臭いを後に残し,大海の清らかな臭いの中へと漕 ぎ出していった(_he豆eft the smell of the land behind and rowed out into the clean early morning smell of the ocean.)」(p.28)と記した表現と奇妙に 一致する.ジェイクも老人も,異臭,腐臭,悪臭に満ち た現実社会を後にし,早朝の爽やかな臭いの中へと旅立っ て行ったのである.彼らは,共に,そこで爽やかな経験 を得て,再び悪臭の充満する現実社会へ戻ってくる.
『日はまた昇る』は,1926年に出版されたヘミングウェ イの最初の長編小説であり,『老人と海』は1952年に出 版され,生前に出版されたヘミングウェイの主要作品の
中では,最後となるものであるが,共に,現実社会から 脱し,日常的な社会から隔離された場での爽やかで貴重 な経験を描いたものということができる.9)そしてまた,
『日はまた昇る』においては,特にジェイクを性的不能 者として設定したことが,またこの論では深く触れなかっ たが『老人と海』では老人を妻のいない男と設定したこ とが,主人公たちを日常生活の喧燥から,そしてまた女 性との複雑な関係から外に置くことを容易にしている.エ゜)
以上の点を考慮する時,『日はまた昇る』は,脱現実化,
非日常的なものに対する作者の憧れ,夢という点におい て,晩年の作『老人と海』にまでっながるヘミングウェ イの思想の原点の一端がよく表れた作品と言えよう.
注
1)Ernest Hemingway, The S2Ln Also Rises(New York:Charles Scribner s Sons,1926), Ch.17,
pp.197−98.以下この作品からの引用はこの版により,
日本語訳は拙訳による.
2)ヘミングウェイは,『午後の死』(Deαth in the Afternoon)の中で,アフィシオナードに関し,次 のようなより詳しい説明をしている. The aficio−
nado, or lover of the bullfight, may be said,
broadly, then, to be one who has this sense of the tragedy and r量tual of the fight so that the minor aspects are not impbrtant except as they relate to the whole. (Ernest Hemingway, Deαth in the Aノヒerηooπ, New York:Charles Scribner sSons,
1932,p.9.)
3)Ernest Hemingway,1)eαth in the Afternoon,
New York:Charles Scribner s Sons,1932, p.2.
4)Carlos Baker, Ernest Hernin8ωαy:ALife
Story (]しondon:Collins,1969), P.77。
5)Ernest Hemingway, The Doctor and the Doctor sWife, ln Our Time(New York:Char−
les Scribner sSons,1925), P.27.
6)Ernest Hemingway,Theαdl Mαnαn(i the Seα (New York:Charles Scr三bner s Sons,1952),
p.54.以下この作品からの引用及び頁数はこの版によ り,日本語訳は拙訳による.
7)『老人と海』で,老人は,帰港途中大魚が鮫に襲わ れた時,それを自分の痛みとして感じ, When the fish had been hit it was as though he himself
新井 哲男
were hiL (p.103)と記されている.また,鮫との 戦いの最中には,老人に Ishould have chopped the bill off to fight them[sharks]with, he thought. But there was no hatchet and then there was no knife. But if I had, and could have lashed
it to an oar butt, what a weapon. Then we might have fought them together. (p.115)とまで考え
させている.っまり,老人と大魚とが文字通り一体と なり,大魚のくちばしを使って老人が鮫と戦えたなら ばどんなにすばらしいだろうと考えているのである.
8)『老人と海』には次のように記されている. He
[The old man]thought of the sea as lαmar which is what people call her in Spanish when
they love her.... Some of the younger fishermen,
those who used buoys as floats for their lines and had m6torboats, bought when the shark livers had brought much money, spoke of her as eZ mαr which is masculine. They spoke of her as aContestant or a plaCe or even an enemy.(PP.
29−30)
9)ヘミングウェイは,このような経験を得られる重要 な場の一っとして,戦場を考えている.「兵士の家」
( Soldier sHome )には,次のように記されてい る. At first Krebs,_did not want to talk about the war at al1. Later he felt the need to talk but no one wanted to hear about it, His town had heard too many atrocity stories to be thrilled by actualities, Krebs found that to be listened to at all he had to lie, and after he had done this twice he, too, had a reaction against the war and against talking about it. A.distaste for every−
thing that had happened to him in the war set in because of the lies he had told. All qf the times thαt hαd beenαble to mαke him feel coolαnd cleαr inside himself when he thought of them;
the times so long back when he had done the one thing, the only thing for a man to do, esi}y and naturally, when he might have done something else, noωlost their cool, vαluαble quatitンand then were lost themselves. (Ernest Heming−
way, Soldier s Home, Jn OtLr Tirne, New York:
Charles. Scribner s Sons, 1925, PP.69− 70)
(ltalics are mine.)
10)ヘミングウェイは,「兵士の家」で, But they [the young girls]1ived in such a complicated wor監d of already defined alliances and shifting feuds that Krebs did not feel the energy or the courag6 to break into it. (p.71)と記している.
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Synopsis
The翫π、4Zso R 8e8 by Ernest Hemingway dea董s with bull−fighting and the people belonging to the so−called lost generation. Then, what is bul1−
fighting?What does bull−fighting mean to bull−
fighters and passionate spectators who are called aficionados . And the protagonist in this book,
Jake Barnes, is put as being sexually impotent because of the war wound, Why does he have to be set as such a person?This paper offers an analysis of these points of view with frequent reference to relevant parts of other Hemingway stories and novels, including 7「the Oldルfanαnd んe&α.