中
ノ
川
実
範
の
生
涯
と
そ
の
浄
土
教
-新 出 資 料 ﹃ 念 仏 式 ﹄ と ﹃ 阿 弥 陀 私 記 ﹄ を 中 心に-佐 藤 哲 英 一 中 ノ 川 実 範 は 平 安 末 期 に お け る 南 都 戒 律 復 興 運 動 の 先 駆 者 と し て 著 名 な 存 在 で あ る。 と こ ろ が、 凝 然 の ﹃ 浄 土 法 門 源 流 章 ﹄ に は、 浄 土 教 弘 通 の 六 哲 と し て 智 光 ・ 昌 海 ・ 源 信 ・ 永 観 ・ 実 範 ・ 源 空 と そ の 名 を 列 ね る ほ ど そ の 地 位 を 高 く 評 価 し、 ﹁中 ノ 川 の 実 範 あ り。 法 相 ・ 真 言、 兼 ね て 律 蔵 を 研 き、 浄 教 ( 1) を 玩 ぶ。 大 い に 章 疏 を 施 し、 世 間 に 流 行 す ﹂ と い つ て い る。 し か る に 実 範 の 浄 土 教 に 関 す る 著 作 は ほ と ん ど 世 に 知 ら れ ず、 た だ 懐 音 (-一 七 一 三) の ﹃ 諸 家 念 仏 集 ﹄ に 引 か れ て い る ﹃ 病 中 修 行 記 ﹄ の 三 文 を 資 料 と し て、 大 屋 徳 城 氏 は 実 範 の 浄 土 教 に 関 す る 思 想 は、 非 常 に 密 教 的 色 彩 の 濃 厚 な も の で あ る。 未 だ 之 に 関 す る 撰 述 を 得 ぬ が、 懐 音 の 諸 家 念 ( 2) 仏 集 に 引 く と こ ろ を 観 て も、 其 の 一 斑 は 分 る。 と 論 述 さ れ て い る に す ぎ な か つ た。 し か る に 幸 い に も ﹃ 病 中 修 行 記 ﹄ の 全 文 が 大 和 の 長 谷 寺 か ら 発 見 ざ れ て ﹃ 真 言 宗 安 心 全 書 ﹄ に 収 録 さ れ、 ま た ﹃ 養 神 集 ﹄ の 一 文 が 良 忠 の ﹃ 往 生 要 ( 3) 集 義 記 ﹄ に 引 用 さ れ て い る こ と が 注 意 さ れ た が、 そ れ だ け で は 実 範 浄 土 教 の 一 面 し か 知 り 得 ず、 新 出 資 料 の 出 現 に 大 き な 期 待 が か け ら れ て き た。 と こ ろ が、 わ が 龍 谷 大 学 図 書 館 に 蔵 す る ﹃ 念 仏 式 ﹄ な る 浄 土 教 文 献 が 実 範 の 作 と さ れ る ﹃ 往 生 論 五 念 門 行 式 ﹄ の 古 逸 本 で あ る こ と が わ か つ て き た の で、 先 年 そ の 研 究 結 果 を ﹃ 念 仏 ( 4) 式 の 作 者 に つ い て ﹄ と し て 公 表 し た が、 こ の 資 料 こ そ は 実 範 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教-21-密 教 文 化 の 在 世 中 の 長 承 四 年 (一一 三 五) に、 恐 ら く 門 人 の 手 に よ つ て 書 写 さ れ た 貴 重 な 文 献 と い う べ き で あ ろ う。 更 に 数 年 前 に、 比 叡 山 麓 の 西 教 寺 本 山 の 経 蔵 か ら ﹁ 阿 弥 陀 中 川 ﹂ な る 外 題 を も つ 鎌 倉 初 期 の 古 写 本 一 帖 が 検 出 さ れ た。 首 題 も 尾 題 も な い が、 内 容 は ﹃ 無 量 寿 如 来 観 行 供 養 儀 軌 ﹄ の 観 自 在 王 如 来 ( 阿 弥 陀 仏) の 三 摩 地 に 関 す る 要 文 を 解 釈 し た も の で、 仮 に ﹃ 阿 弥 陀 私 記 ﹄ と 呼 ぶ こ と と し た が、 こ れ ま た 実 範 の 著 作 で あ る ﹃ 観 自 在 王 三 摩 地 ﹄ 一 巻 の 古 逸 本 で あ る こ と が 明 ら か と な つ た。 中 ノ 川 実 範 に 関 す る 研 究 に は、 古 く は 大 屋 徳 城 氏 の ﹁ 実 範 ( 5) 及 び 其 の 思 想 ﹂ が あ り、 近 く は 堀 池 春 峰 氏 の ﹁ 大 和 中 川 寺 の ( 6) 構 成 と 実 範 ﹂ な る 二 論 文 が あ る。 ま た 実 範 の 浄 土 教 に つ い て は、 石 田 充 之 氏 の ﹃ 日 本 浄 土 教 の 研 究 ﹄ や、 井 上 光 貞 氏 の ﹃ 日 本 浄 土 教 成 立 史 の 研 究 ﹄ 等 に も 関 説 さ れ て い る。 し か る に 実 範 の 生 涯 に つ い て は な お 未 開 明 の 部 分 が 多 々 あ り、 そ の 浄 土 教 思 想 に つ い て も、 実 範 は ( イ) 叡 山 浄 土 教 と ど ん な 関 係 を も つ た か、 ( ロ) 南 都 浄 土 教 家 と ど ん な 交 渉 を も つ て い た か ( ハ) 済 逞 や 覚 鍍 な ど の 密 教 学 者 と ど ん な 思 想 交 渉 を も ち、 密 教 浄 土 教 の 大 成 に 寄 与 し た か と い つ た 問 題 が あ る の で、 こ れ ら の 諸 問 題 を 究 明 し つ つ、 実 範 の 浄 土 教 思 想 に 幾 変 遷 の あ つ た こ と を 明 ら か に し た い と 思 う。 二 ( 7) ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に よ る と、 実 範 は 諫 議 大 夫 藤 原 顕 実 第 四 子 と あ る。 ﹃ 尊 卑 分 豚 ﹄ に よ つ て そ の 系 譜 を 調 べ る と、 藤 原 実 頼 公 の 末 流 に 属 す る 顕 実 に は 資 信、 実 重、 相 実、 実 範、 浄 顕、 静 慶 の 六 子 が あ り、 そ の 第 四 子 が 中 川 上 人 実 範 と な つ て い る。 父 顕 実 ( 一 〇 四 九-一一 一 〇) は 嘉 承 元 年 (一一 〇 六) 三 月 に 至 つ て 漸 く 参 議 に 列 し、 天 永 元 年 (一一 一 〇) 七 月 十 二 日 に 六 十 二 歳 で 残 し て い る。 長 子 資 信 は 右 大 弁、 兵 部 卿 に 列 し、 久 安 五 年 ( 一 一 四 九) 七 月、 六 十 九 歳 で 漸 く 参 議 と な り、 保 元 元 年 (一一 五 六) 十 一 月、 七 十 七 歳 で 世 を 去 つ て い る。 次 子 実 重 に つ い て は 阿 波 権 守 で あ つ た こ と 以 外 は 知 ら れ て い な い。 第 三 子 相 実 は 叡 山 に 登 つ て 出 家 し、 法 曼 流 の 流 祖 と な つ た 台 密 の 名 匠 で、 ﹃ 息 心 紗 ﹄ 八 巻、 ﹃ 胎 金 立 印 紗 ﹄ 二 巻 な ど ( 8) ( 9) 十 数 部 の 著 作 が あ る。 ﹃ 僧 綱 補 任 ﹄ に よ る と、 相 実 は 保 延 五 年 (一一 三 九) 十 月 十 五 日 に 権 律 師 に 叙 せ ら れ、 ( 時 に 五 十 二 歳) そ の 後 権 大 僧 都 に 進 み 永 萬 元 年 (一一 六 五) 七 十 八 歳 で 入
寂 し て い る。 実 範 の 出 生 年 時 を 交 顕 実 ( 一 〇 四九-一一 一 〇) の 年 齢 と 長 子 の 資 信 ( 一 〇 八〇-一 一 五 六)、 第 三 子 の 相 実 ( 一 〇 八 八-一 一 六 五) の 出 生 年 時 と か ら 見 当 づ け る と、 第 四 子 実 範 の 誕 生 は 第 三 子 相 実 の 生 れ た 翌 年 で あ る 堀 河 天 皇 の 寛 治 三 年 ( 一 〇 八 九) か ら 寛 治 七 年 ( 一 〇 九 三) ま で 位 と み て よ か ろ う。 い ま 仮 り に 実 範 の 出 生 を ば、 そ の 中 間 を と つ て 寛 治 五 年 ( 一 〇 九 一) と し て み る と、 そ の 年 は 父 顕 実 が 四 十 三 歳、 長 子 資 信 は 十 二 歳、 第 三 子 相 実 は 四 才 で あ り、 そ こ へ 当 歳 の 実 範 が 生 れ た と し て 不 自 然 さ は な い よ う で あ る。 と こ ろ が、 実 範 に は 康 和 五 年 (一一 〇 三) 八 月 四 日 に ﹁ 高 野 贈 大 僧 正 遺 誠 ﹂ を 写 し た と い う 奥 書 が 知 ら れ て お り、 ま た 天 仁 三 年 ( 一 一 一 〇) 正 月 八 日、 宮 中 真 言 院 に お け る 後 七 日 御 修 法 に、 阿 闇 梨 範 俊 に 従 つ て 出 仕 し た 記 録 が あ る の で、 寛 治 五 年 の 出 生 と し た の で は、 遺 誠 の 書 写 は 十 三 歳、 御 修 法 の 出 仕 は 二 十 歳 と な る の で、 い さ さ か 無 理 が か か る。 そ こ で、 し ば ら く 第 三 子 相 実 と 第 四 子 実 範 と を ﹁ と し ご ﹂ と み て、 相 實 出 生 ( 一 〇 八 八) の 翌 年 な る 寛 治 三 年 ( 一 〇 八 九) に 実 範 が 誕 生 し た と す る と こ れ で も 遺 誠 の 書 写 は 十 五 歳 と な る が、 こ の 方 が 無 理 が な い の で、 一 応 寛 治 三 年 出 生 説 を と つ て お き た い。 尤 も か か る 推 定 は 元 亨 釈 書 や 尊 卑 分 肱 の 顕 実 第 四 子 の 記 事 が 誤 り な い も の と の 前 提 に 立 ち、 相 実 と 実 範 と は 同 母 兄 弟 だ と の 前 提 に 立 つ て い る が、 も し か か る 前 提 条 件 が 容 認 さ れ れ ば、 実 範 の 出 生 は 寛 治 三 年 ( 一 〇 八 九)、 頃 で あ つ た と 推 定 し て も 大 差 な い か と 思 う。 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 巻 十 三 に は ﹁ 初 め に 興 福 寺 に 投 じ て 相 宗 を 学 び、 ま た 醍 醐 寺 に ゆ き て 密 法 を 厳 覚 に 稟 く ﹂ と あ る。 興 福 寺 に 入 寺 し た 年 齢 は 明 ら か で な い が、 当 時 に お け る 公 卿 子 弟 の 出 家 年 齢 は 永 観 の 十 二 歳 出 家 の 如 く 一 般 に 早 か つ た の で、 実 範 も 十 四、 五 歳 頃 ま で の 入 寺 で は な か つ た か と 思 う。 し か る に、 天 仁 三 年 ( 一一〇) 正 月 に は、 宮 中 の 御 修 法 に 出 仕 し て い る 事 実 か ら 密 教 へ の 関 心 が 極 め て 早 く 芽 ば え て い た こ と が 想 像 さ れ、 い ち 早 く 四 度 加 行 を う け 伝 法 灌 頂 を す ま せ た の で あ ろ う。 と こ ろ が ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に よ る と、 こ の 当 初 に 醍 醐 寺 の 厳 覚 か ら 密 法 を う け た よ う で あ る が、 厳 覚 か ら の 受 法 は 後 に 述 べ る よ う に、 実 範 が 中 川 寺 を 開 い て 幾 年 か を 経 た 永 久 四 年 (一一 一 六) の こ と で あ り、 最 初 の 伝 法 阿 闇 梨 が 誰 で あ つ た か は 知 ら れ て い な い。 ま た、 い つ の こ ろ か 詳 ら か で な い が、 叡 山 の 横 川 に 明 賢 を た ず ね て 天 台 を 学 ん で い る。 こ の 明 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-23-密 教 ・ 文 化 賢 は 源 信 和 尚 の 流 れ を く む 念 仏 者 で あ つ た か ら、 実 範 は 明 賢 を 通 じ て 叡 山 浄 土 教 の 影 響 を う け た こ と に な る が、 こ こ に 始 め て 弥 陀 信 仰 に 開 眼 し た か ど う か に は 疑 問 が あ る。 む し ろ 頼 (10) 喩 ( 一 二 二六-一 三 〇 四) が 実 感 を こ め て ﹃ 秘 紗 問 答 ﹄ 巻 一 に 書 き の こ し た 左 の 一 文 は、 そ の 間 の 事 情 を 如 実 に つ た え て い る も の の よ う で あ る。 ハ ト レ ノ ニ ス ニ ク ル ノ 実 範 上 人 本 是 法 相 宗 人。 後 帰 二 真 言 一ρ 受 デ ノ ヲ キ ハ ノ ニ ズ ト ノ ノ 弥 陀 根 本 印 一葺 時。 聞 下 印 生 死 縛 泥 生 二 仏 性 ヲ ヲ ジ ニ ぴ ル ニ ニ 心 蓮 一 之 口 決 上。 信 心 銘 レ 肝。 随 喜 余 レ 身。 終 勧 ノ ヲ シ ト ム ノ ヲ ノ ハ 修 寺 厳 覚 為 レ 師。 窮 二 真 言 奥 旨 一。 彼 上 人 擬 ノ ジ テ ヲ ク ノ ニ ル 来 前 夜 ゆ 厳 覚 感 二 夢 想 一 云。 勧 修 寺 池 見 二 青 ノ ハ ル ル ヲ ノ ス ト レ チ ノ 龍 現 一。 翌 日 彼 上 人 来 臨。 此 則 青 龍 寺 法 レ ト ノ ス ノ ニ ハ ノ ヲ 水 可 レ 流 二 入 於 中 川 一 之 奇 瑞 也。 予 彼 一 流 相 ス ノ ノ ニ ノ ス ル レ 承 之。 今 記 前 後 所 レ 載 次 第 是 也。 ( 大 正、 七 九、 三 〇 八 C) 右 の 記 事 に よ る と 実 範 の 浄 土 教 へ の 関 心 は、 密 教 の 伝 法 に あ た つ て 弥 陀 の 根 本 印 言 を 受 け た 際、 そ の 奥 義 に 深、 い 感 銘 を う け た も の の 如 く、 ﹁ 信 心 肝 に 銘 じ、 随 喜 身 に 余 る ﹂ と あ る か ら、 か か る 当 初 の 感 激 が そ の 生 涯 を 貫 い て 弥 陀 念 仏 の 信 仰 を 深 め さ せ た 砂 で あ ろ う。 興 福 寺 に お け る 学 習 生 活 が い つ ご ろ ま で 続 い た か は 明 ら か で な い が、 実 範 は こ の 間 に 法 相 教 学 の 研 究 に 力 を 注 い だ に 相 違 な く、 後 年 の 著 作 に 慈 恩 大 師 の こ と を た だ ﹁ 大 師 ﹂ と 憬 仰 す る ほ ど、 法 相 唯 識 の 研 修 に 傾 倒 し た 時 代 が あ つ た の で あ ろ う。 そ の こ と は 弘 法 大 師 の 真 言 教 学 が 唯 識 と 華 厳 と を 基 礎 学 に も ち、 こ の 地 盤 に 立 つ て そ の 教 学 を 組 織 形 成 し て い る 事 実 を 思 う と き、 興 福 寺 に お け る 法 相 唯 識 の 学 習 は そ の ま ま 密 教 研 究 の 準 備 教 育、 基 礎 教 育 と な つ た の で あ ろ う。 奈 良 の 東 大 寺 に は 空 海 が 創 設 し た 真 言 院 が あ り、 一醍 醐 の 聖 宝 が 建 て た 東 南 院 が あ つ て、 華 厳 ・ 三 論 と 合 せ て 真 言 密 教 を 兼 学 兼 修 す る こ と が 無 理 な く 行 な わ れ て き た。 し か る に、 興 福 寺 は 古 来 封 建 色 の 濃 厚 な 大 寺 で あ つ た た め に、 法 相 教 学 を 学 び な が ら 密 教 を 兼 修 す る 専 門 道 場 の 存 在 は 許 さ れ な か つ た。 そ こ で、 か つ て は 法 相 唯 識 の 学 匠 で ﹃ 唯 識 義 私 記 ﹄ 十 二 巻 の 名 著 を 残 し た 真 興 ( 九 三 四 -一 〇 〇 四) も、 密 教 へ の 関 心 が 高 ま る と 子 島 ( 11) 寺 に 居 を 移 し て 八 宗 兼 学 を 標 傍 し た よ う 忙、 実 範 も 真 興 と 同 様 な 道 を 歩 ま ざ る を 得 な か つ た ら し く、 つ い に 興 福 寺 の 学 場 を 離 脱 す る 決 意 を 固 め、 し ば ら く 忍 辱 山 に 住 し た の ち、 中 川
に 成 身 院 を 建 立 し て こ こ に 移 つ た の で あ る。 ( 12) ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に は ﹁ 初 め に 範、 忍 辱 山 に 在 り、 花 を 採 ん で 中 川 山 に 至 り、 地 の 勝 形 を 見 て 官 に 申 し て 伽 藍 を 建 て、 名 け て 成 身 院 と い う ﹂ と あ る が、 忍 辱 山 は 奈 良 市 の 郊 外 に あ つ て 円 成 寺 が あ る。 実 範 入 山 の 時 期 と は や や 下 る が、 広 沢 流 の 寛 遍 ( 一 一 〇〇-一 一 六 六) が こ こ に 住 し て ﹁ 忍 辱 山 流 ﹂ な る 一 派 を な し て い る の で、 恐 ら く 実 範 の 入 山 し た こ ろ も 密 教 有 縁 ( 13) の 寺 で あ つ た の で あ ろ う。 堀 池 春 峰 氏 の 論 文 に よ る と、 中 川 寺 は 奈 良 市 の 東 北 に あ つ て 興 福 寺 よ り 直 線 距 離 に し て 一 里 二 十 町 余 に あ り、 佐 保 川 の 清 流 に 面 す る 景 勝 の 地 で、 ﹁ 中 ノ 川 ﹂ な る 地 名 も 佐 保 川 の 中 流 と い つ た 意 味 か と い う。 実 範 が こ の 地 に 建 て た 成 身 院 は 中 川 寺 の 本 寺 で あ り、 十 指 に あ ま る 子 院 が あ つ た こ と が ﹃ 東 大 寺 雑 集 録 ﹄ に は 中 川 寺。 成 身 院 本 寺 也。 法 相. 真 言. 天 台 弥 勒 院 清 浄 院 地 蔵 院 瓦 坊 東 北 院 仏 眼 院 十 輸 院 薬 師 院 三 蔵 院 と 記 さ れ て い る。 こ の 中 川 寺 は 今 は 廃 寺 と な つ て、 五 輪 塔 と 礎 石 一 個 だ け が 往 時 を し の ば す よ す が と な つ て い る よ う だ が、 実 範 の 創 建 し た 成 身 院 は 覚 鍍 が 高 野 山 に 建 て た 大 伝 法 院 ( 14) (一一 三 二) と 相 な ら ぶ 荘 厳 華 麗 な 密 教 寺 院 で あ つ た ら し く、 本 尊 は 康 助 の 作 と つ た え る 金 剛 界 の 大 日 如 来 で あ り、 本 尊 左 右 の 壁 に は 両 界 曼 茶 羅 を か け、 西 方 の 背 壁 に は 龍 樹 が 南 天 鉄 塔 を 開 い て ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ を 得 た 場 面、 東 方 の 背 壁 に は 善 無 畏 が 金 栗 王 塔 下 で 大 日 経 供 養 法 を 感 見 す る 場 面 が 描 か れ て い た。 こ の 壁 画 は 珍 海 已 講 の 筆 に な り、 色 紙 形 に 書 か れ た 龍 樹 ・ 善 無 畏 の 銘 文 は 法 性 寺 忠 通 の 筆 と い う。 こ の よ う に 成 身 院 は そ の 寺 名 が 即 身 成 仏 の 寺 を 意 味 し、 本 堂 の 荘 厳 な ど も 全 く 密 教 特 有 の 様 式 な の で、 純 然 た る 密 教 寺 院 と し て 建 立 さ れ た こ と は 明 瞭 で あ り、 そ の 経 蔵 に は 密 教 関 係 の 儀 軌 等 が 豊 富 に 所 蔵 さ れ て い た こ と は、 洛 西 高 山 寺 な ど に 現 存 す る 古 写 本 の 奥 書 等 に よ つ て 確 認 出 来 る と い う。 な お、 こ の 成 身 院 の 建 立 年 代 に つ い て は、 東 大 寺 宗 性 の ﹃ 春 華 秋 月 抄 草 ﹄ に あ る 表 白 草 案 に ﹁ 天 永 三 年 (一一 一 二) 本 願 上 人 ( 実 範) 感 二 此 地 形 一。 被 レ 建 二 立 堂 舎 一 ﹂ と あ る も の と、 ﹃ 増 補 尚 古 年 表 ﹄ に 収 載 さ れ た 西 大 寺 風 鐸 銘 に ﹁ 永 久 二 年 (一一 一 四) 甲 午 二 月 日、 成 身 院 ﹂ と 陰 刻 さ れ た も の が あ つ た ら し い こ と か ら、 堀 池 氏 は 中 川 成 身 院 の 建 立 が 天 永 三 年 ( 一一 二) か ら 開 始 さ れ て、 三 年 後 の 永 久 二 年 ( 一一一 四) 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-25-密 教 文 化 ( 15) に は 完 成 を み た も の と さ れ て い る。 こ の 説 が 許 さ れ る な ら ば、 そ れ は 実 範 の 二 十 四 歳 か ら 二 十 七 歳 ま で の 間 と い う こ と に な る が、 屋 根 の 端 に つ け る 風 鐸 に 永 久 二 年 (一一 一 四) 二 月 の 銘 が あ つ た と す る と、 そ の こ ろ 伽 藍 の 造 営 が 相 当 進 ん で 風 鐸 を 発 注 す る ま で に い た つ て い た こ と は 確 か で あ ろ う。 け れ ど も こ れ を も つ て 直 ち に 成 身 院 完 成 の 年 と 定 め る こ と に は い さ さ か 問 題 が あ り、 特 に 密 教 寺 院 の 内 部 荘 厳 は 二 年 や 三 年 で 完 成 さ れ る も の で は な か ろ う か ら、 む し ろ 成 身 院 梵 鐘 の 鋳 ( 16) 造 さ れ た 大 治 四 年 (一一 二 九) 頃 を も つ て 完 成 の 年 と 見 た 方 が 無 難 で は な い か と 思 う。 但 し 実 範 が か か る 大 伽 藍 を 造 営 す る に は、 天 永 三 年 (一一 一 二) 若 く は そ れ 以 前 か ら 中 ノ 川 の 地 に 居 を 移 し て い た と 考 う べ き で あ り、 次 に の べ る 南 都 戒 律 の 復 興 運 動 も、 醍 醐 の 厳 覚 よ り の 秘 法 伝 受 も、 中 ノ 川 移 住 以 後 と み な け れ ば な ら ぬ で あ ろ う。 三 ( 17) ﹃ 招 提 千 載 伝 記 ﹄ に よ る と、 実 範 は 天 永 二 年 (一一一一) に 唐 招 提 寺 に 入 り、 永 久 四 年 ( 一 一 一 六) に 伽 藍 を 修 理 し、 翌 年 東 大 寺 で 行 尊 ・ 覚 行 等 の 三 十 五 人 に 具 足 戒 を 授 け、 保 安 三 年 ( 一一二 二) に 戒 壇 院 式 を つ く つ た と い う。 こ の 記 事 が 果 し て 事 実 を 伝 え る も の か 否 か に は 疑 問 が も た れ て い る が、 実 範 が 南 都 の 戒 律 復 興 に 乗 り 出 し た 動 機 に つ い て は、 興 福 寺 ( 18) の 欣 西 の 懇 請 に よ る も の と い う。 ﹃ 唐 招 提 寺 解 ﹄ に よ る と、 興 福 寺 で は 東 西 金 堂 に 所 属 す る 学 侶 が 律 学 を 専 攻 し て い る が、 保 安 (一一 二 〇-一一 二 四) の こ ろ、 春 日 社 八 講 の 席 上 に お け る 興 福 寺 学 侶 の 評 議 に、 東 西 金 堂 衆 の 律 学 の 衰 微 に よ つ て 東 大 寺 の 戒 壇 受 戒 の 作 法 も 有 つ て 無 き が 如 き 状 態 な れ ば、 律 宗 を 学 び 戒 法 の 興 隆 を 期 す べ き だ と い う こ と が 議 せ ら れ た。 そ こ で 西 金 堂 衆 の 南 勝 房 欣 西 等 が 中 川 寺 に 実 範 を 訪 い、 学 侶 の 評 議 を 告 げ て そ の 復 興 を 懇 請 し た の だ と い う。 そ こ で 実 範 は 春 日 社 に 参 籠 し て 唐 招 提 寺 に 至 り、 戒 光 に つ い て 四 分 比 丘 戒 本 を 聴 き、 つ い で ﹃ 東 大 寺 戒 壇 院 受 戒 式 ﹄ を 保 安 三 年 (一一 二 二) 八 月 四 日 に 作 つ て い る。 か か る 受 戒 式 が 果 し て ど の 程 ( 19) 度 ま で 実 際 に 行 な わ れ た か 否 か に は 問 題 が あ る と し て も、 実 範 を も つ て 南 都 戒 律 中 興 の 祖 と 仰 ぐ の は こ の 受 戒 式 の 制 定 に ( 20) よ る も の で あ る。 而 し て 戒 律 復 興 の 懇 請 者 欣 西 は 生 年 四 十 二 歳 に し て 実 範 を 慕 つ て 中 川 寺 に 入 り、 爾 後 三 十 二 年 間、 世 間 の 営 務 を さ け て 後 生 の 勤 め を は げ み、 浄 行 持 律 の 生 活 を し た
と い う か ら、 中 川 寺 で は つ ね に 布 薩 が 行 な わ れ て 戒 学 の 研 修 も な さ れ て い た か と 思 う。 中 川 寺 の 教 学 は 法 相 ・ 真 言 ・ 天 台 の 三 宗 兼 学 を 主 と し、 浄 土 教 と 戒 律 も 兼 修 さ れ た よ う で あ る。 こ れ ひ と え に 創 建 者 実 範 の 学 風 に 基 づ く も の と い わ ね ば な ら ぬ。 さ り な が ら 実 範 の 教 学 の 中 心 は 密 教 に あ つ た の で、 厳 覚 か ら 真 言 密 教 の 小 野 流 の 奥 義 を 伝 受 す る た め に 醍 醐 を 訪 ね、 永 久 四 年 ( 一 一 一 六) 十 月 十 三 日 に は 小 野 の 曼 茶 羅 寺 で 入 壇 灌 頂 を う け て い る。 小 野 流 は 醍 醐 の 聖 宝 の 流 れ を く む 成 尊 に 義 範 ・ 範 俊 ・ 明 算 の 三 哲 が あ り、 義 範 は 醍 醐 山 に 住 し て そ の 系 統 か ら 醍 醐 三 流 を 生 む。 範 俊 は 小 野 の 曼 奈 羅 寺 を つ ぎ、 後 に 勧 修 寺 を 創 す る が、 そ の 門 下 に 厳 覚 ・ 静 誉 ・ 良 雅 が あ り、 厳 覚 の 資 に 宗 意 ・ 寛 信 ・ 増 俊 ・ 実 範 等 が あ る。 こ の う ち 宗 意 は 安 祥 寺 流、 寛 信 は 勧 修 寺 流、 増 俊 は 随 心 院 流 の 祖 と さ れ、 こ の 三 流 は い ず れ も 小 野 の 地 か ら 出 た の で 小 野 三 流 と 呼 ば れ、 ま た 野 沢 十 二 流 と い う 時 に は、 醍 醐 三 流 と 小 野 三 流 と を 合 せ て 小 野 六 流 と い つ て い る。 従 つ て 実 範 の 血 脈 は 成 尊 -範 俊 -厳 覚 -実 範 と 次 第 す る 小 野 流 を 厳 覚 か ら 受 け て い る が、 ﹃ 楡 祇 三 品 妙 ﹄ ﹃ 伝 受 砂 ﹄ 等 ( 21) の 著 作 が あ る 厳 覚 は 勧 修 寺 を 創 し て そ の 長 吏 と な つ た 人 な の で、 実 範 は 勧 修 寺 流 を 厳 覚 か ら 受 け た と も い わ れ て い る。 け れ ど も 勧 修 寺 流 の 名 は 安 祥 寺 流 ・ 随 心 院 流 と 区 別 す る た め に 厳 覚 の 門 人 寛 信 以 後 に つ か わ れ て い る の で、 実 範 の 場 合 は 厳 覚 か ら 小 野 流 を 受 け た と い う の が 正 し い。 な お ﹃ 野 沢 血 脈 集 ﹄ に よ る と、 実 範 は ま た 成 尊 f 明 算 -教 真 -実 範 と 次 第 す る 中 院 流 を ば 教 真 か ら 受 け た こ と に な つ て い る。 こ の 中 院 流 は 明 算 に よ つ て 高 野 山 の 中 院 を 中 心 に 行 な わ れ た 流 派 で あ る が、 実 範 が い つ ど こ で 中 院 流 を 教 真 か ら 受 法 し た か 明 瞭 で な い。 と こ ろ が 大 屋 徳 城 氏 の 前 記 論 文 に よ る と、 高 野 山 の 声 明 は 中 ノ 川 よ り 進 流 を 輸 入 し た も の と い い、 ﹁ 真 言 宗 進 流 声 明 業 血 脈 ﹂ を の せ て い る が、 こ こ で は 成 尊 i 明 算 ー 教 真 -実 範 i 宗 観 の 血 脈 が 見 ら れ る。 白 河 ・ 鳥 羽 両 上 皇 が 高 野 山 に 行 幸 し て、 大 治 二 年 (一一 二 七) 十 一 月 三 日 に 高 野 山 御 塔 の 落 慶 供 養 が 営 ま れ た 際 に、 実 範 は 上 山 し て 唱 礼 を つ と め た 記 録 が あ る の で、 実 範 が 声 明 方 面 で も 達 人 で あ つ た こ と が 推 察 さ れ る が、 ・ 明 算 ー 教 真 -実 範 と 次 第 す る 中 院 流 伝 法 が 実 際 に あ つ た の で、 高 野 の 進 流 声 明 を 権 威 づ け る た め に、 中 ノ 川 の 声 明 も 高 野 の 系 統 を 引 く も の だ と の 血 脈 の 作 為 が な さ れ た か、 そ れ と も 明算-教真-実 範 と 次 第 す る 声 明 の 伝 受 が 実 際 に 存 在 し 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-27-密 教 文 化 て、 こ れ が 中 院 流 の 伝 法 だ と 混 線 し た か の い ず れ か で あ ろ う。 そ れ は 兎 に 角 と し て、 実 範 に つ た え ら れ た 密 教 事 相 の 秘 法 は、 中 ノ 川 成 身 院 を 中 心 に 伝 法 さ れ て、 ﹁ 中 ノ 川 流 ﹂ と 呼 ば れ る 一 流 を 形 成 し、 そ の 門 下 と し て 慈 修 ・ 宗 観 ・ 澄 誉 ・ 明 恵 ・ 重 誉 ・ 玄 充 ・ 覚 聖 の 名 が 知 ら れ て い る。 中 ノ 川 寺 の 造 営 に は 莫 大 な 経 費 を 要 し た と 考 え ら れ る が、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に は ﹁ 官 に 申 し て 伽 藍 を 建 つ ﹂ と い う の み で 経 費 の 出 所 に つ い て は 何 ら 触 れ て な い。 し か し な が ら、 藤 原 顕 実 の 第 四 子 で あ つ た 実 範 に 対 し、 藤 原 氏 の 一 族 は 親 近 感 を も つ て い た と 考 え ら れ る し、 宮 中 真 言 院 に お け る 後 七 日 御 修 法 に も、 天 仁 三 年 ( 一一一〇) の 出 仕 を は じ め、 永 久 六 年 (一一 一 八) 以 降 の 御 修 法 交 名 に 再 々 そ の 名 が 見 出 さ れ る か ら、 宮 中 に も 早 く か ら そ の 名 が 知 ら れ て い た に ち が い な く、 ﹃ 中 右 記 ﹄ 大 治 二 年 九 月 廿 二 日 の 条 に よ る と、 南 御 方 遁 世 の 際 に 実 範 は 戒 師 と な つ て お り、 長 承 三 年 ( 一三四) 十 月 廿 五 日 の 条 に も 大 相 国 北 方 出 家 の 際 に 実 範 は 戒 師 と な つ て い る か ら、 宮 中 貴 族 と の つ な が り は 濃 厚 で あ つ た こ と が 認 め ら れ る。 し か も 成 身 院 建 立 の 際 の 壁 画 の 銘 文 が 法 性 寺 忠 通 の 筆 に な る と い う か ら に は、 創 建 当 初 の 経 費 の 大 半 が こ こ ら あ た り か ら 出 て い た も の と 考 え て は ど う で あ ろ う か。 四 上 に の べ た よ う に、 成 身 院 の 造 営 や 南 都 戒 律 の 復 興 な ど 実 範 一 代 の 業 績 は、 中 ノ 川 を 中 心 に 進 め ら れ た の で、 後 世 ま で ﹁中 ノ 川 実 範 ﹂ と 呼 ば れ、 ﹁ 中 ノ 川 上 人 ﹂ ﹁ 中 ノ 川 少 将 上 人 ﹂ と い わ れ た 位 で あ る か ら、 実 範 は 天 永 三 年 ( 一一 二) の 頃 か ら 三 十 年 近 く も こ の 地 に 在 住 し、 中 ノ 川 寺 の 造 営 と 中 ノ 川 教 学 の 発 展 に 力 を 注 い だ こ と は 間 違 い な い。 し か る に い つ の こ ろ か 実 範 は こ の 大 和 の 中 ノ 川 か ら 山 城 の 光 明 山 に 移 つ て 天 養 元 年 (一一 四 四) に 光 明 山 寺 で 入 寂 し て い る。 こ の 光 明 山 移 ( 22) 住 の 時 期 が い つ で あ つ た か 明 ら か で な い が、 ﹃ 覚 禅 紗 ﹄ の 無 垢 浄 光 陀 羅 尼 法 の 下 に 注 意 す べ き 次 の 記 事 が 見 ら れ る。 勤 修 先 跡 ノ メ ニ ノ ス ヲ ノ 本 院 御 時。 為 二 郁 芳 門 院 日 修 レ 之。 阿 闊 梨 酉 酉 ト シ ヌ バ ク ノ 人 云 云。 可 レ 尋。 或 云。 鳥 羽 院 御 時。 実 範 リ テ イ テ ニ ス 聖 人 円 光 房 中 河。 依 二 院 宣 一。 於 二 光 明 山 一。 修 二 ノ ヲ 此 法 一。 伴 僧 六 口。 リ テ ニ ク ソ テ ノ ノ 信 聖 人 中 川 語 二 仁 濟 闇 梨 一 云。 以 二 件 法 支
ヲ ム ハ ナ ノ ニ ニ グ 度 一。 仙 院 令 レ 遣 二 寛 信 法 務 許 一。 仰 云。 実 ハ ノ ヲ フ 範 今 法 習 歎。 如 何。 ヘ シ テ ク ニ ニ ノ キ ノ ン く レ へ 答 申 云。 支 度 已 敬 愛 令 二 書 進 一了。 是 伝 フ 習 事 歎。 云 云 支 度 注 進 ノ 無 垢 浄 光 陀 羅 尼 法 一 七 ケ 日 支 度 事 合 ・ 蘇 ・ 蜜 ・ 名 香 白 檀 ・ 五 宝 ・ 金 ・ 銀 ・ 瑠 璃 ・ 號 珀 ・ 真 珠 ・ 五 香 ・ 沈 水 ・ 欝 金。 丁 子 ・ 白 檀 ・ 購 香 ・ 五 薬 ・ 遠 志 ・ 人 参 ・ 詞 梨 勒 ・ 横 榔 子 ・ 牛 玉 ・ 五 穀 ・ 稲 穀 ・ 大 麦 ・ 小 麦 ・ 大 豆 ・ 小 豆、 ・ 壇 一 面 ・ 脇 机 二 脚 ・ 灯 台 四 本 ・ 礼 般 皿 一 脚 ・ 壇 供 米 八 石 四 斗 ・ 御 明 油 一 斗 五 升 ・ 壇 敷 布 一 端 ・ 阿 闇 梨 一 口 ・ 伴 僧 ・ 承 仕 二 人 ・ 駈 仕 二 人 ・ 見 丁 二 人 ・ 浄 衣 赤 色 ・ 大 幕 一 帖 ノ シ 右 注 進 如 レ 件 保 延 七 年 六 月 十 九 日 大 法 師 実 範 ニ ク ノ ス ヲ シ セ 師 ロ 云。 阿 弥 陀 支 度 出 レ 之。 敬 愛 也。 但 不 レ 書 ニ ヲ 尊 号 一。 ロ ハ 七 ケ 日 御 修 法 云 云。 こ の 記 事 に よ る と、 鳥 羽 法 皇 の 院 政 時 代 に 無 垢 浄 光 陀 羅 尼 法 を ば 実 範 に 命 じ て 光 明 山 で 修 せ ら れ た こ と が 知 ら れ る。 そ の 時 の 鳥 羽 院 の 仰 せ に ﹁ こ の 法 を 実 範 は 習 う て お る か ﹂ と あ つ た の で ﹁ 已 に 支 度 書 を 差 し 出 し て お り ま す。 こ れ が 伝 習 し て お る 証 拠 で ご ざ い ま し よ う ﹂ と 答 え た と い う 逸 話 と 共 に、 促 延 七 年 (一一 四 一) 六 月 十 九 日 付 の ﹁ 無 垢 浄 光 陀 羅 尼 法 一 七 ケ 日 支 度 事 ﹂ と い う 注 進 書 が 載 つ て い る。 鳥 羽 法 皇 は 同 年 七 月、 不 予 の た め に 鳥 羽 殿 で 孔 雀 経 法 を 修 せ し め て い る の で、 恐 ら く そ の 前 月 な る 六 月 に は 実 範 に 命 じ て 光 明 山 で 無 垢 浄 光 法 を 修 せ し め た の で あ ろ う が、 こ の ﹃ 覚 禅 紗 ﹄ め 記 事 に よ つ て 保 延 七 年 ( 二 四 一) 六 月 頃 に は、 す で に 実 範 が 大 和 の 中 ノ 川 か ら 山 城 の 光 明 山 に 移 つ て い た こ と が 立 証 さ れ る の で あ る。 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-29-密 教 文 化 な お こ こ で 注 意 し た い の は、 こ の 行 法 の 所 依 と な つ て い る ﹃ 無 垢 浄 光 大 陀 羅 尼 経 ﹄ は、 仏 陀 が カ ピ ラ 城 に い ら れ た 時、 劫 比 羅 戦 茶 と い う 婆 羅 門 が あ る 相 師 か ら ﹁ 汝 は 七 日 の 後 必 ず 死 ん で 阿 鼻 地 獄 に 堕 ち る ﹂ と い わ れ て 愁 悩 驚 怖 し、 仏 に 滅 罪 延 寿 の 法 を 乞 う て き た。 そ こ で 仏 は 古 仏 塔 を 修 理 し、 相 輪 楳 を 造 つ て 陀 羅 尼 を 写 し、 如 法 に 神 呪 を 念 講 す れ ば、 汝 の 命 根 は 増 長 し 命 絶 れ ば 極 楽 に 生 れ て 大 勝 楽 を 得 る で あ ろ う と い う。 奈 良 時 代 に お け る 百 万 塔 陀 羅 尼 の 摺 写 も、 最 澄 の 叡 山 西 塔 に お け る 相 輪 模 造 立 も 本 経 の 所 説 に 基 づ い た も の で、 わ が 国 で も 古 く か ら 本 経 の 信 仰 が 行 な わ れ、 そ の 行 法 も 修 せ ら れ た よ う で あ る が、 経 文 に も ﹁ 日 別 一 遍 論 二 念 此 呪 一。 満 二 足 百 年 一。 是 人 命 終。 生 二 極 楽 界 一。 ﹂ と あ る か ら、 西 方 極 楽 の 信 仰 と 結 び つ い て お り、 さ ら に ﹃ 覚 禅 紗 ﹄ に は ハ ノ リ ニ ス ル ノ ヲ ル 実 範 聖 人。 鳥 羽 院 御 祈。 修 二 此 法 一時。 奉 レ ケ ヲ 懸 二 金 剛 界 一 云 々。 已 上 師 主。 ノ ク ノ ハ ヅ テ ヲ ル ト ナ リ 仁 濟 云。 今 法 以 二 阿 弥 陀 一為 二 本 尊 一 秘 事 也。 ツ テ シ テ ヲ ク ル ノ ヲ 侃 実 範 秘 二 本 尊 一。 懸 二 金 界 惣 曼 茶 羅 一歎。 ( 覚 禅 鋤 二、 ( 仏 全、 八 八 三 b)) と あ つ て、 阿 弥 陀 仏 を 本 尊 と す る の が 常 習 と さ れ、 実 範 自 身 も こ の 行 法 の 支 度 を 注 進 す る の に 尊 号 は 書 か な い が、 阿 弥 陀 の 支 度 で 出 し た と 口 上 し て い る の で あ る。 こ の 時 の 行 法 は、 鳥 羽 院 の 病 気 平 癒 の た め の 敬 愛 法 と し て 修 せ ら れ た の で は あ る が、 晩 年 に お け る 密 教 行 者 と し て 実 範 の 弥 陀 信 仰 が、 こ の 修 法 の 影 に ほ の 見 え て い る 感 じ が す る。 ま た ﹃ 台 記 ﹄ に よ る と、 悪 左 府 の 藤 原 頼 長 は 実 範 に 深 く 帰 依 し、 康 治 元 年 (一一 四 二) 八 月 六 日 に は 千 手 観 音 像 を 実 範 の も と に 送 つ て 病 気 平 癒 を 祈 願 せ し め、 翌 康 治 二 年 (一一 四 三) 二 月 廿 二 日 に は 息 災 延 命 の 為 に 実 範 に 炎 魔 天 供 を 修 せ し め、 更 に 天 養 元 年 ( 一 一 四 四) 六 月 に は 実 範 を 頼 長 の 自 宅 に 請 じ て 如 意 輪 観 音 の 開 眼 供 養 を 行 な つ て い る。 か く の 如 く 実 範 は 密 教 事 相 の 達 者 と し て、 当 時 の 貴 族 社 会 か ら 尊 信 を 受 け て、 し ば し ば 加 持 祈 祷 の 修 法 を 行 な つ て い る が、 そ の 一 代 に 一 度 も 僧 綱 の 職 に つ か ず、 あ く ま で ﹁ 中 川 上 人 ﹂ ﹃、 実 範 聖 人 ﹂ の 名 で 親 し ま れ た の で あ る が、 そ れ が ど う し て 光 明 山 へ の 隠 遁 と な つ た の で あ ろ う か。 光 明 山 寺 は 南 山 城 の 棚 倉 村 の 丘 陵 地 帯 に あ つ た 寺 院 で、 奈 良 東 大 寺 の 別 所 と し て 幾 多 の 学 者 や 念 仏 者 が 隠 棲 し、 平 安 末 期 の 南 都 浄 土 教 史 上 極 め て 重 要 な 役 割 を 果 し た 寺 院 で あ る こ
( 23) と が、 井 上 光 貞 氏 の 研 究 に よ つ て 明 ら か に さ れ た。 こ の 寺 は 藤 原 初 期 に 寛 朝 ( 九 一六-九 九 八) が 創 建 し た も の で あ る が、 藤 原 末 期 に な つ て 東 大 寺 三 論 宗 の 厳 瑠 已 講 が 再 建 し、 永 観 ( 一 〇 三 二-一一一一) は 康 平 七 年 ( 一 〇 六 四) 三 十 三 歳 の 時 か ら 十 年 近 い 歳 月 を こ こ に 隠 棲 し だ こ と が 南 都 浄 土 教 家 に 因 縁 を 結 ば せ る こ と に な つ た と い う。 東 大 寺 の 三 論 学 系 は 永 観-慶 信 -覚 樹 と 次 第 す る が、 覚 樹 は 三 論 学 者 と 同 時 に 念 仏 者 で ( 24) あ り、 ﹃ 十 二 礼 疏 ﹄ 一 巻 の 著 作 が あ る。 こ の 覚 樹 も 光 明 寺 に 住 ( 25) ん で い た 事 実 が 知 ら れ て い る が、 そ の 門 人 重 誉 に つ い て は、 ( 26) 凝 然 の ﹃ 浄 土 法 門 源 流 章 ﹄ に 実 範 の 記 事 に つ づ け て ﹁ 彼 の 世 同 時 に 光 明 山 の 重 誉 あ り。 即 ち 三 論 の 碩 匠 な り。 兼 ね て 密 蔵 を 研 き、 浄 土 に 帰 投 し、 西 方 集 を 撰 す ﹂ と あ り。 永 ら く 光 明 山 寺 に 止 住 し た の で、 ﹁ 光 明 山 の 重 誉 ﹂ と し て 世 に 知 ら れ て い る。 こ の 重 誉 と 実 範 と が い ず れ も 諸 宗 兼 学 の 学 風 を も つ ば か り か、 と も に 小 野 流 に つ な が る 密 教 事 相 の 達 人 で あ り、 ま た 同 じ く 西 方 浄 土 に 心 を ひ か れ た 浄 土 教 家 で あ つ た こ と が、 こ の 両 者 の 交 遊 を 深 あ 実 範 の 光 明 山 移 住 を 実 現 せ し め た 有 力 な 原 因 で は な か つ た か と 思 わ れ る の で あ る。 光 明 山 の 重 誉 に は 密 教 に 関 す る 数 部 の 著 作 が あ る が、 密 教 の 血 脈 は 成 尊 ー 範 俊 -静 誉 ー 重 誉 と 次 第 す る 小 野 流 を ば 静 誉 か ら う け て い る。 こ の 静 誉 は 実 範 の 師 厳 覚 と 同 門 で あ り、 石 山 寺 に 住 し た 後 に 光 明 山 に 移 つ た の で、 静 誉 の 一 流 は ﹁ 光 明 山 流 ﹂ と い わ れ た。 実 範 が 光 明 山 に 移 つ た こ ろ に は 静 誉 は な お 健 在 で あ り、 入 壇 灌 頂 に 関 し て 実 範 と 静 誉 と の 両 人 の 談 話 ( 27) 記 録 し た も の が ﹃ 入 曼 茶 羅 紗 ﹄ 七 巻 で あ る と い う。 重 誉 に は ﹃ 西 方 集 ﹄ 三 巻 の 著 が あ つ た と い う も 現 存 し な い。 し か る に ﹃ 秘 宗 教 相 章 ﹄ 十 巻 は 真 言 密 教 の 重 要 問 題 四 十 八 条 を 選 び、 問 答 を 設 け て 論 述 し て い る が、 そ の 第 四 十 七 条 ( 28) に ﹁ 極 楽 世 界 自 性 受 用 等 四 土 分 別 ﹂ が あ つ て、 重 誉 の 浄 土 教 思 想 の 一 端 を う か が う 資 料 で あ る。 重 誉 の 著 作 に は ﹃ 教 相 紗 ﹄ の ほ か に ﹃ 十 住 心 論 砂 ﹄ 三 巻 が 現 存 し、 ﹁ 保 延 五 年 ( 一 ( 29) 一 三 九) 三 夏 之 比、 於 二 光 明 山 一抄 了。 沙 門 重 誉 ﹂ の 奥 書 が あ る。 こ の 密 教 関 係 の 二 書 に 見 ら れ る 重 誉 の 学 風 は、 次 に あ げ る 実 範 の 密 教 文 献 に 見 ら れ る 学 風 と 相 通 ず る も の が あ り、 こ こ に も 実 範 と 重 誉 と の 共 通 点 が 見 ら れ る。 実 範 の 密 教 に 関 す る 著 作 は 左 の 八 部 が 知 ら れ て い る。 1、 大 経 要 義 砂 七 巻 日 本 大 蔵 経、 密 教 部 章 疏 巻 一 ノ 上 大 日 本 仏 教 全 書、 第 四 十 二 巻 2、 大 日 経 序 分 義 一 巻 日 本 大 蔵 経、 密 教 部 章 疏、 巻 上 ノ 二 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-31-密 教 文 化 3、 阿 字 黄 我 一二 巻 ( 大 正 新 修 大 蔵 経、 第 七 十 七 巻) 4、 阿 字 要 略 観 一 巻 ( 同 ・ 右) 5、 理 趣 釈 口 決 紗 七 巻 へ 日 本 大 蔵 経、 理 趣 経 釈 章 疏 一) 6、 菩 提 心 論 開 見 紗 二 巻 ( 30) 7、 理 観 一 巻、 8、 観 自 在 王 三 摩 地 一 巻 こ の う ち ( 1) ﹃ 大 経 要 義 妙 ﹄ は ( 一) 大 意、 ( 二) 釈 題 目、 ( 三) 入 文 判 釈 の 三 門 に 分 か ち、 第 一 巻 で は 大 意 と 題 号 を 釈 し、 第 二 巻 以 下 は 住 心 品 の 十 住 心 に つ い て 十 段 を 開 い て 解 釈 し て い る。 ( 2) ﹃ 大 日 経 序 分 義 ﹄ は ﹁ 四 種 法 身 説 法 相 事 ﹂ と い う 内 題 が あ り、 四 種 法 身 に つ い て の 東 台 両 密 の 説 を の べ、 大 日 経 . 金 剛 頂 経 の 教 主 を 論 じ、 大 日 経 疏 と 十 住 心 論 ・ 二 教 論 の 説 と の 関 係 を 説 い て い る。 ( 3) ﹃ 阿 字 義 ﹄ は 首 題 下 に ﹁中 川 上 人 ﹂ の 撰 号 が あ り、 阿 声 字 実 相 名 体 事 な ど 十 四 項 に 分 か つ て 阿 字 の 義 趣 を の べ た も の で、 阿 字 に 関 す る 諸 文 献 の う ち 最 も 詳 細 な も の と い う べ く、 ( 4) ﹃ 阿 字 要 略 観 ﹄ は 阿 字 の 観 法 に つ い て 述 べ た も の で、 阿 字 観 が 即 身 成 仏 頓 悟 の 法 門 で あ る こ と を 明 し て い る。 ( 5) ﹃ 理 趣 釈 口 決 紗 ﹄ は 第 七 巻 の 奥 に ﹁ 已 上 七 帖 草 者。 円 光 上 人 聞 書 云 云 ﹂ と あ り、 は じ め に 作 者、 説 経 処 大 綱、 題 号 に つ い て 述 べ、 つ ぎ に 入 文 解 釈 を 施 し て い る。 こ れ ら の 著 作 に 見 ら れ る 実 範 の 密 教 教 相 に 関 す る 研 究 態 度 は、 ( 31) 仁 和 寺 済 逞 ( 一 〇 二 五 -一一一 五) の 学 風 に つ な が る も の を も つ て お り、 ま た そ れ は、 覚 鍵 や 重 誉 に も 見 ら れ る 教 相 研 究 の 学 風 に 通 ず る も の で あ ろ う。 実 範 は 保 延 七 年 (一一 四 一) の こ ろ に は 中 ノ 川 か ら 光 明 山 に 移 つ て い る が、 そ の 後 い く ば く な ら ず し て 病 魔 の 犯 す と こ ろ と な つ た の か、 彼 に は 最 後 の 日 が や つ て き た。 ﹃ 台 記 ﹄ 天 養 元 年 九 月 十 日 の 条 に は 次 の よ う に 記 さ れ て い る。 ニ ク イ テ ニ ス ト 後 聞。 今 日 実 範 上 人。 於 二 光 明 山 一 入 滅。 ク ノ ヲ ハ シ ヲ フ 云 云 先 日 聞 二 疾 由 一。 遣 二 式 部 大 夫 盛 害 ?。 問 ニ ヲ ク ス ト ニ ノ 之 病 宏 云。 或 人 云。 往 二 生 極 楽 一 云 云。 件 バ ク ル ノ ヲ ニ ノ ク 聖 人 年 来 懸 二 心 安 養 一之 由。 又 或 人 云。 臨 ニ ク ト ヲ 終 弟 子 聞 二 音 楽 一 云 云。 奇 異 之 事 也。 こ の 記 事 に よ つ て、 光 明 山 寺 に お い て 心 を 安 養 に か け つ つ 静 か に 往 生 浄 土 の 素 懐 を と げ て い つ た 念 仏 者 実 範 の 臨 終 の 光 景 が ほ う ふ つ と 浮 び 上 つ て く る。 天 養 元 年 九 月 と い え ば、 大 伝 法 院 を 中 心 に 高 野 山 上 に 一 大 旋 風 を ま き お こ し た 覚 鍵 ( 一 〇 九 五-一一 四 三) が 四 十 九 歳 で 入 寂 し て か ら、 十 カ 月 目 で あ
る。 実 範 の 年 寿 は 明 ら か で な い が、 先 き に 父 顕 実 の 年 齢 や 長 子 資 信 ( 一 〇 八〇-一一 五 六) ・ 第 三 子 相 実 ( 一 〇 八 八-一一 六 五) と い う 二 人 の 兄 の 出 生 年 時 等 か ら 推 し て、 第 四 子 実 範 の 生 誕 を 寛 治 三 年 ( 一 〇 八 九) と 推 定 し て お い た が、 こ の 説 が 容 認 さ れ る な ら ば、 実 範 の 生 存 期 間 は 西 暦 一 〇 八 九 -一 一 四 四 年 と い う こ と に な り、 実 範 は 五 十 六 歳 で 入 寂 し た こ と に な る の で あ る。 五 実 範 の 入 寂 に 関 す る ﹃ 台 記 ﹄ の 記 事 に は、 ﹁ 件 の 聖 人 は 年 来 心 を 安 養 に 懸 く る の 由 ﹂ と あ つ て、 著 名 な 念 仏 者 で あ つ た こ と が こ の 短 い 表 現 の う ち に も 汲 み と れ る が、 実 範 の 浄 土 教 に 関 す る 著 作 は ﹃ 長 西 録 ﹄ に 左 の 六 部 の 名 が 見 ら れ る。 (1) 観 無 量 寿 経 科 文 一 巻 実 範 中 川 少 将 聖 人 台 密 律 兼 学 人。 法 相 宗 (2) 般 舟 三 昧 経 観 念 阿 弥 陀 仏 一 巻 実 範 日 本 人。 中 川 少 将 上 人 法 相 宗 (3) 往 生 論 五 念 門 行 式 一 巻 実 範 中 ノ 川 寺 (4) 眉 間 白 毫 集 一 巻 実 範 (5) 臨 終 要 文 一 巻 実 範 (6) 病 中 修 行 記 一 巻 実 範 こ れ ら の 著 作 は い ず れ も 散 侠 し て し ま つ た も の と 考 え ら れ て い た が、(6) 病 中 修 行 記 が 大 和 の 長 谷 寺 か ら 発 見 さ れ、 そ れ が 長 承 三 年 (一一 三 四) の 撰 述 で あ る こ と が 明 ら か と な つ て み る と、 実 範 の 浄 土 教 は 密 教 色 の 濃 い も の の よ う に 考 え ら れ て き た。 し か る に ﹃ 長 西 録 ﹄ に 散 見 す る 実 範 の 著 作 を 見 る と、 そ れ は 必 ず し も 密 教 浄 土 教 関 係 の も の で は な く、 む し ろ (2) ﹃ 般 舟 三 昧 経 観 念 阿 弥 陀 仏 ﹄ は 天 台 の ﹃ 摩 詞 止 観 ﹄ に お け る 常 行 三 昧 に つ な が る も の で あ り、(1) ﹃ 観 無 量 寿 経 科 文 ﹄ に つ い て も、 天 台 か 善 導 の ﹃ 観 経 疏 ﹄ に 依 拠 し た 科 文 と 考 え る こ と が 常 識 で あ ろ う。 さ ら に(3) ﹃ 往 生 論 五 念 門 行 式 ﹄ に つ い て も、 天 親 の ﹃ 浄 土 論 ﹄ に お け る 五 念 門 を 採 り あ げ て、 浄 土 教 の 実 践 法 を 論 述 し た も の は、 源 信 の ﹃ 往 生 要 集 ﹄ に お け る 正 修 念 仏 門 で あ つ た か ら、 こ の 五 念 門 の 行 式 を 規 定 し た 本 書 は、 源 信 の 流 れ を 汲 む 叡 山 浄 土 教 と 関 連 を も つ も の と 考 え ら れ る。 こ の よ う に、 源 信 の 浄 土 教 と の 関 連 が 考 え ら れ る と す れ ば、(4) ﹃ 眉 間 白 毫 集 ﹄ も 源 信 の ﹃ 阿 弥 陀 仏 白 毫 観 ﹄ と の つ 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-33-密 教 文 化 な が り を 考 え て も 不 自 然 で は あ る ま い。 更 に 良 忠 の ﹃ 往 生 要 ( 33) 集 義 記 ﹄ に 一 文 が 引 か れ て い る ﹃ 養 神 集 ﹄ が そ の 細 註 の 如 く ﹁ 中 川 実 範 ﹂ の 著 作 で あ る と す れ ば、 そ こ に は 禅 喩 の ﹃ 阿 弥 陀 新 十 疑 ﹄ を 引 い て 仏 身 仏 土 の 有 量 無 量 と 周 遍 法 界 に つ い て 問 答 し て い る の で、 明 ら か に 叡 山 浄 土 教 の 影 響 を 窺 う こ と が 出 来 る こ と に な っ た。 し か も ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に よ る と、 実 範 は 叡 山 の 横 川 に 行 っ て 明 賢 か ら 天 台 を 学 ん だ と あ る が、 こ の 明 賢 は 源 信 の 流 れ を 汲 む 念 仏 者 で あ る。 こ の ﹁ 山 僧 谷 ア ザ リ ﹂ た る 明 賢 に は ﹃ 往 生 論 五 念 門 私 行 儀 ﹄ の 著 が あ る の で、 こ の 明 賢 の も と で 天 台 を 学 ん だ 実 範 に、 ﹃ 往 生 論 五 念 門 行 式 ﹄ の 著 作 が あ っ た こ と は 極 め て 自 然 に 考 え ら れ る が、 本 書 も ま た 早 く 散 侠 し た も の と 考 え ら れ て い た の で あ る。 し か る に、 わ が 龍 谷 大 学 図 書 館 に 長 承 四 年 (一一 三 五) の (34) 古 写 本 を 蔵 す る ﹃ 念 仏 式 ﹄ は 巻 首 の 部 分 を 欠 く た め に 首 題 や 撰 号 は わ か ら ぬ が、 そ の 内 容 は 天 親 の ﹃ 浄 土 論 ﹄ に 基 づ い て 五 念 門 の 行 法 を の べ た も の で あ る。 巻 首 の 部 分 が 欠 失 し た た め 第 一 の 礼 拝 門 の 部 分 は 二 三 の 引 文 を と ど め る に す ぎ ぬ が、 第 二 の 讃 嘆 門 下 を み る と、 こ の 五 念 門 の 行 法 は 農 朝 ・ 日 没 ・ 中 夜 の 三 時 に 用 い ら れ た こ と が わ か る。 第 三 の 作 願 門 下 に は 念 仏 式(長 承 四年 写)龍 谷 大 学 図 書 館 蔵
﹁ 至 心 発 願、 一 切 三 宝 ﹂ 等 の 三 十 五 旬 の 願 偶 を あ げ て、 長 脆 合 掌 し て こ れ を 唱 え よ と い い、 第 四 の 観 察 門 下 で は、 浄 土 論 に お け る 三 種 荘 厳 の 観 察 を 具 体 的 に 示 し て 西 方 浄 土 を 観 じ、 仏 身 の 三 十 二 相 を 観 じ、 特 に 白 毫 相 を 観 ず る 方 法 を 説 い て い る。 第 五 の 回 向 門 下 で は ﹃ 浄 土 論 ﹄ と ﹃ 喩 伽 論 ﹄ と を 参 照 し て 作 つ た 偶 頒 を ば、 作 願 門 の 威 儀 に 准 じ て 唱 う べ し と し て い る。 こ の よ う に 本 書 は 五 念 門 の 行 法 を 説 い た も の で あ る が、 そ れ は 単 な る 行 法 で は な く、 行 式 の 各 部 門 に 関 す る 註 釈 を ば 本 文 よ り は 一 字 下 げ て 記 し、 そ の 註 釈 を 読 む こ と に よ つ て 本 文 の 意 義 と、 そ の 依 拠 を 知 ら し め る よ う 豊 富 な 文 献 を 引 い て い る。 わ ず か 一 巻 の 本 書、 し か も 首 部 を 欠 い た 残 余 だ け で も 三 十 八 部 百 二 十 文 の 引 用 が あ り、 孫 引 の 七 部 十 文 を 加 え る と 総 数 百 三 十 文 に 及 ぶ の で あ る。 源 信 の ﹃ 往 生 要 集 ﹄ で は、 天 親 の ﹃ 浄 土 論 ﹄ の 五 念 門 を う け て 正 修 念 仏 門 を 語 る が、 そ の 中 心 は 第 四 の 観 察 門 で、 ( 1) 別 相 観 ( 2) 総 想 観 ( 3) 雑 略 観 の 観 念 念 仏 を 説 き、 こ の 観 念 に 堪 え ざ る も の の た め に 三 想 一 心 の 称 名 念 仏 が 述 べ ら れ て い る 。 こ の ﹃ 念 仏 式 ﹄ で も 要 集 と 同 様 に 観 察 門 が 中 心 を な し、 ( 1) 大 身 観、 ( 2) 小 身 観 ( 3) 白 毫 観 の 三 種 の 観 を あ げ、 行 者 の 楽 欲 に ま か せ る と い つ て い る。 而 し て こ の 観 察 門 下 で 口 称 の 称 名 に も ふ れ て は い る が、 観 察 中 心 の 立 場 は 源 信 の 要 集 の 立 場 を 継 承 し て い る の で、 本 書 は 一 見 叡 山 浄 土 教 の 文 献 で あ る か の 如 く で あ る が、 疑 問 と す べ き 点 も 多 々 あ る の で、 こ の ﹃ 念 仏 式 ﹄ の 作 者 は い つ た い 誰 か の 問 題 に つ い て 検 討 を 試 み た 結 果、 次 の 如 き 五 つ の 条 件 を 充 す に 足 る 人 物 を 選 び 出 し て 本 書 の 作 者 に 擬 す る 方 法 を 取 る こ と に し た。 五 つ の 条 件 と は (一) 念 仏 式 は わ ず か 一 巻 の 書 な が ら 三 十 八 部 百 二 十 文 の 各 方 面 に わ た る 仏 教 文 献 を 引 用 し て い る の で、 本 書 の 作 者 は よ ほ ど 該 博 な 仏 教 知 識 の 持 ち 主 で あ つ た と 考 え ら れ る こ と。 (二) 念 仏 式 に は 天 台 の ﹃ 摩 詞 止 観 ﹄ や ﹃ 観 経 疏 ﹄ の み な ら ず、 天 台 の ﹃ 禅 門 口 決 ﹄ や ﹃ 禅 門 要 略 ﹄ を 引 い て い る の で、 本 書 の 作 者 は 天 台 止 観 に 関 心 を も つ て い た も の と 考 え ら れ る こ と。 (三) 念 仏 式 に は 多 く の 浄 土 教 文 献 を 引 い て、 論 ・ 論 註 の 五 念 門 の 行 法 を 観 察 門 中 心 に 構 成 し て い る の で、 本 書 の 作 者 は 叡 山 浄 土 教、 と り わ け ﹃ 往 生 要 集 ﹄ の 影 響 を う け た 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-35-密 教 文 化 人 物 と 考 え ら れ る こ と。 (四) 念 仏 式 に は ﹃ 喩 伽 論 ﹄ や ﹃ 顕 揚 聖 教 論 ﹄ の 如 き、 喩 伽 唯 識 系 統 の 著 作 を 引 く ば か り か、 慈 恩 大 師 の 著 述 を ば た だ 単 に ﹁ 大 師 般 若 疏 云 ﹂ ﹁ 大 師 疏 云 ﹂ と 呼 ん で い る の で、 本 書 の 作 者 は 慈 恩 を ば 大 師 と 尊 崇 す る 法 相 宗 系 の 学 者 で あ る と 考 え ら れ る こ と。 (五) 念 仏 式 に は 仏 陀 波 利 の ﹃ 修 禅 要 決 ﹄ を 引 い て 結 助 法 を の べ、 天 台 と 善 導 と 元 暁 と 波 利 と の 同 異 を 語 る な ど 密 教 の 印 契 に 深 い 関 心 を 示 し て い る の で、 本 書 の 作 者 は 密 教 の 教 養 を 身 に つ け て い た と 考 え ら れ る こ と。 以 上 の 五 条 件 を 具 備 す る 人 物 を 平 安 末 期 に 活 躍 し た 学 僧 の 中 か ら 求 め て い つ た 結 果、 こ こ に 浮 ぴ あ が つ て き た の が 中 ノ 川 実 範 で あ つ た の で あ る。 ま こ と に 実 範 こ そ は 興 福 寺 出 の 法 相 宗 の 学 者 で あ り、 天 台 ・ 真 言 ・ 戒 律 ・ 浄 土 教 な ど 多 方 面 に わ た る 学 殖 を も ち、 し か も 横 川 の 明 賢 に つ い て 源 信 の 浄 土 教 を 受 け、 年 來 西 方 浄 土 を 願 生 し た 念 仏 者 で あ つ た の で あ る。 か か る 観 点 に 立 つ て 龍 大 図 書 館 所 蔵 の ﹃ 念 仏 式 ﹄ を み る と、 ﹃ 長 西 録 ﹄ に い う ﹃ 往 生 論 五 念 門 行 式 ﹄ 以 外 の 何 も の で も な い こ と が わ か り、 ﹃ 念 仏 式 ﹄ な る 尾 題 も 既 に の べ た よ う に 一、 五 念 門 な る 念 仏 の 行 式 ﹂ を 意 味 す る こ と が 知 ら れ た。 本 書 の 撰 述 年 時 は 明 ら か に し 得 な い が、 龍 大 本 の 書 写 年 時 が 長 承 四 年 (一一 三 五) な の で、 長 承 四 年 以 前 の 撰 述 で あ る こ と は 疑 い な く、 実 範 が 横 川 の 明 賢 を 通 し て 叡 山 浄 土 教 の 影 響 を 強 く う け た 第 一 期 時 代 の 作 品 で あ ろ う。 こ の ﹃ 念 仏 式 ﹄ の 弥 陀 浄 土 観 に は 全 く 密 教 色 が 見 ら れ ず、 先 き に 挙 げ た ﹃ 般 舟 三 昧 経 観 念 阿 弥 陀 仏 ﹄、 ﹃ 観 無 量 寿 経 科 文 ﹄ や ﹃ 養 神 集 ﹄ の 如 き も、 実 範 の 第 一 期 浄 土 教 時 代 の 著 作 と み て よ い か と 思 う。 源 信 ( 九 四二-一 〇 一 七) の 浄 土 教 は 永 観 ・ 珍 海 な ど を 刺 戟 ( 35) し て 南 都 浄 土 教 を 発 達 せ し め て い る。 け れ ど も 永 観 ( 一 〇 三 二-一 一一一) の ﹃ 往 生 拾 因 ﹄ や ﹃ 往 生 講 式 ﹄ に は な お い ま だ ﹃ 往 生 要 集 ﹄ の 名 を あ げ て い な い。 そ れ が 珍 海 ( 一 〇 八 七 -一 一 五 二) の ﹃ 決 定 往 生 集 ﹄ (一一 三 九) や ﹃ 安 養 知 足 相 対 ( 36) 妙 ﹄ (一一 四 六) に な る と、 明 ら か に ﹁ 恵 心 僧 都 云 く ﹂ ﹁ 源 ( 37) ( 38) 信 禅 師 の 往 生 集 に 云 く ﹂ ﹁ 往 生 要 集 の 上 品 に 云 く ﹂ な ど と 要 集 の 名 を あ げ て い る の で、 南 都 浄 土 教 徒 の ﹃ 往 生 要 集 ﹄ 引 用 は 珍 海 に は じ ま る と さ れ て 来 た。 と こ ろ が ﹃ 念 仏 式 ﹄ の 撰 述 年 時 が 長 承 四 年 (一一 三 五) を 潮 る こ と 数 年 も し く は 十 数 年 で あ る と す る と、 南 都 浄 土 教 家 の う ち で ﹃ 往 生 要 集 ﹄ を 最 初
-36-に 引 い た の は 珍 海 で は な く 実 範 で あ つ た と い わ ね ば な ら ぬ こ と に な つ た の で あ る。 次 に 曇 鷺 の ﹃ 往 生 論 註 ﹄ は 早 く も 奈 良 時 代 の 智 光 に よ つ て 着 眼 さ れ、 そ の 著 ﹃ 無 量 寿 経 論 釈 ﹄ に は 大 い に 参 照 さ れ て い る。 然 る に 平 安 時 代 以 降 の 叡 山 浄 土 教 徒 は こ れ を 用 い ず、 漸 く 源 隆 国 ( 一 〇 〇 四 ー 一 〇 七 七) 等 が 宇 治 平 等 院 の 南 泉 坊 で 編 集 し た ﹃ 安 養 集 ﹄ 十 巻 の う ち に、 ﹃ 論 註 ﹄ の 引 用 が 六 回 あ. る こ と が 最 近 に な つ て わ か つ て 来 た。 こ れ と て も 南 都 浄 土 教 よ り の 影 響 と み た 方 が 妥 当 の よ う で あ り。 ﹃ 往 生 論 註 ﹄ は 永 ( 39) ( 40) 観 の ﹃ 往 生 拾 因 ﹄ や 珍 海 の ﹃ 決 定 往 生 集 ﹄ に そ の 引 用 が み ら れ る。 と こ ろ が、 実 範 の ﹃ 念 仏 式 ﹄ に も 讃 嘆、 作 願 の 両 門 下 に ﹃ 浄 土 論 ﹄ を 引 い て ﹁ 注 解 見 る べ し ﹂ と い い、 回 向 門 下 に は ﹁ 注 に 云 く ﹂ と い つ て ﹃ 往 生 論 註 ﹄ の 有 名 な 二 種 回 向 の 文 を 引 い て い る。 こ の よ う に 実 範 の ﹃ 念 仏 式 ﹄ は、 論 註 の 引 用 と い う 一 視 点 に 立 つ て も 南 都 浄 土 教 に つ な が る も の が 見 ら れ る が、 実 範 と 珍 海 と の 交 遊 に つ い て は、 珍 海 が 密 教 画 家 と し 当 代 の 第 一 人 者 で あ つ た の で、 中 ノ 川 の 成 身 院 の 造 営 に 珍 海 の 協 力 が 見 ら れ る。 す な わ ち 先 に 一 言 触 れ た よ う に、 成 身 院 堂 内 の 西 方 の 背 壁 に は、 龍 樹 が 南 天 の 鉄 塔 を 開 い て 金 剛 頂 経 を 感 得 す る 場 面 と、 東 方 の 背 壁 に は 善 無 畏 が 金 栗 王 塔 下 で 大 日 経 供 養 法 を 感 見 す る 場 面 が 描 か れ て お り、 そ の 壁 画 は 珍 海 巳 講 の 筆 に な る と い う が、 実 範 と 珍 海 と の 思 想 交 流 も か か る 間 に 行 な わ れ た か と 思 う。 六 と こ ろ が、 ﹃ 病 中 修 行 記 ﹄ に 見 ら れ る 実 範 の 浄 土 教 思 想 は、 ﹃ 念 仏 式 ﹄ の そ れ と は 趣 き の 異 る も の が あ る。 こ の ﹃ 病 中 修 行 記 ﹄ に は ヅ テ フ ル ニ ヲ ニ ス 長 承 三 年 冬 十 一 月。 因 レ 患 二 少 疾 一。 早 卒 記 尖。 な る 奥 書 が 見 ら れ、 実 範 が 四 十 六 歳 で あ つ た と 考 え ら れ る 長 承 三 年 ( = 三 四) の 著 作 で あ る。 本 書 は 真 言 行 者 の 病 中 心 得 八 力 条 を の べ た も の で あ る。 ハ ル カ ラ ノ ニ ツ ヲ 一、 寿 限 未 決 定 之 間。 不 レ 可 三 一 向 捨 二 身 命 一事。 リ ル ニ ル コ ト ヲ ハ ニ キ ス ノ ヲ ニ、 量 二 知 命 期 已 至 一時。 一 向 可 レ 修 二 菩 提 之 行 一 事。 キ ニ ら ジ テ ヲ ル ヲ 三、 可 下 殊 念 二 不 動 尊 一祈 申 臨 終 上 事。 キ ク ノ ヲ 四、 可 レ 除 二 已 発 惑 業 一 事。 キ グ ノ ヲ 五、 可 レ 防 二 未 起 諸 悪 一事。 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-37-密 教、 文 化 キ ズ ノ ノ ヲ 六、 可 レ 念 二 阿 弥 陀 四 種 法 身 一依 正 事。 キ ズ ノ ノ ヲ 七、 可 レ 念 二 阿 弥 陀 四 種 曼 茶 羅 相 一事。 キ ヒ テ ヲ ノ ヲ 八、 可 下 用 三 二 密 加 持 一得 中 随 宜 悉 地 上 事。 そ の 大 意 を の べ る と、 重 病 に か か り 死 期 が 近 づ い た か ら と い つ て、 み だ り に 身 命 を 捨 て て は な ら ぬ。 む し ろ 仏 に 祈 り 医 療 を 加 え て 延 寿 の 方 途 を 構 ぜ よ。 存 命 の 間 に こ そ 一 向 に 菩 提 の 勝 行 を 修 し、 不 動 尊 の 守 護 を 念 じ て 臨 終 正 念 に 住 す べ き で あ る。 惑 業 は 菩 提 の 障 り と な る か ら、 巳 発 の 惑 業 は 除 去 し 未 起 の 悪 業 は 防 護 せ よ。 弥 陀 の 四 種 法 身 の 依 正 お よ び 四 種 曼 茶 羅 の 相 を 念 じ、 三 密 の 加 持 を 以 て 悉 地 成 就 す べ し と い う の で あ る。 全 く 真 言 行 者 の 病 中 心 得 で あ つ て、 自 力 作 善 が 中 心 を な し、 弥 陀 の 身 土 を 念 ぜ よ と は い つ て も、 そ れ は 直 ち に 西 方 願 生 の 信 仰 を す す め る も の と は い い 難 い。 本 書 で は 阿 弥 陀 仏 を 密 教 の 立 場 か ら 解 釈 し て ハ レ ノ ノ ナ リ 阿 弥 陀 者。 是 蓮 花 部 尊。 方 便 具 足 仏。 ニ リ ノ ニ リ ノ ニ ( 中 略) 座 上 有 二 月 輪 一。 輪 中 有 二 蓮 花 一。 花 上 リ ズ ヲ チ ル 有 二 種 子 一。 成 二 三 昧 耶 形 一。 則 成 二 本 尊 阿 弥 陀 仏 一。 ( 真 言 宗 安 心 全 書、 巻 下、 七 八 三) と 述 べ、 ﹁ こ の 仏 の 一 身 に 四 法 身 を 具 す ﹂ と い つ て 真 言 密 教 の 自 性 身 ・ 受 用 身 ・ 変 化 身 ・ 等 流 身 な る 四 種 法 身 を も つ て 弥 陀 の 仏 身 を 説 明 す る。 そ の 依 報 た る 国 土 も ま た 四 種 に 通 ず と す る。 か く の 如 き 弥 陀 の 依 正 は 我 が 心 で 一 大 法 界 と 無 差 別 で あ る。 故 に 彼 の 仏 に 即 し て 我 が 心、 我 が 心 に 即 し て 彼 の 仏 を 念 じ、 ま た 彼 の 土 に 即 せ る 我 が 心、 我 が 心 に 即 せ る 彼 の 土 に 生 ず べ し と い う。 ま た 阿 弥 陀 の 四 身 一 体 の 眉 間 の 白 毫 相 に は 四 種 曼 茶 羅 を 具 足 し て 相 離 れ ざ れ ば、 我 が 心 の 本 尊 た る 四 曼 の 毫 相 を 念 ぜ よ。 一 々 の 利 益 は 唐 掲 な ら ず 摂 取 覚 悟 の 事 業 を 垂 れ た も う と。 さ ら に 阿 弥 陀 の 三 字 は 字 義 に よ る と、 阿 は 不 生 ( 中 道) の 義、 弥 は 我 ( 自 在) の 義、 陀 は 如 如 (解 脱) の 義 に し て、 本 尊 の 法 身 は そ の ま ま 我 が 心 な れ ば、 ﹁ 瞑 目 の 時 に 臨 ん で は 本 尊 の 定 印 に 住 し、 本 尊 の 名 号 を 称 え、 一 心 に 中 道 の 万 徳 に 帰 ( 41) す べ し ﹂ と 三 密 加 持 し て 悉 地 成 就 す べ き こ と を す す め て い る。 こ の よ う に ﹃ 病 中 修 行 記 ﹄ で は 弥 陀 の 身 土 を 密 教 の 立 場 か ら 解 釈 し て い る が、 さ れ ば と い つ て 顕 教 に お け る 西 方 浄 土 の 観 念 を も 容 認 し て ﹁ 西 方 に 刹 土 あ り、 名 け て 極 楽 と 日 う ﹂ と あ り、 弥 陀 の 仏 身 に つ い て も、 ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ の ﹁ 仏 身 高 六
十 万 億 那 由 他 恒 河 沙 由 旬 ﹂ の 文 や 、 ﹁ 有 二 八 万 四 千 相 一 。一一 相 各 有 二 八 万 四 千 随 形 好 一。 一 一 好 復 有 二 八 万 四 千 光 明 一 。﹂ の 文 を 引 い て い る 。 ま た 第 七 の ﹁ 可 レ 念 二 阿 弥 陀 四 種 曼 茶 羅 相 一事 ﹂ の 一 段 に は 、 ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ の ﹁ 光 明 遍 照 十 方 世 界 。 念 仏 衆 生 摂 取 不 捨 ﹂ の 文 が 引 か れ て あ る が 、 こ の 部 分 を 仔 細 に 点 検 す る と 、 源 信 の ﹃ 往 生 要 集 ﹄ に お け る 雑 略 観 の 文 の 取 意 で あ る こ と が 左 の 対 照 に よ つ て 知 ら れ る 。 ︹ 病 中 修 行 記 ︺ 、真 言 宗 安 心 全 書 下 ノ 七 八 四 当 レ 想 。 彼 仏 四 身 一 体 眉 間 有 二 養 字 二 。 変 成 二 白 毫 相 一 。 右 旋 娩 転 。 如 二 五 須 弥 一 。 有 二 八 万 四 千 相 好 一 。 有 二 七 百 五 倶 砥 六 百 万 光 明 一 C 一 一 光 明 。 遍 照 二 十 方 世 界 。 念 仏 衆 生 。 摂 取 不 レ 捨 。 ︹ 往 生 要 集 巻 中 ︺ (大 正 、 八 四 、 五 六 a) 三 雑 略 観 者 。 彼 仏 眉 間 。 有 二 一 白 古 筆 。 右 旋 娩 転 。 如 二 五 須 弥 一 。 於 レ 中 復 有 二 八 万 四 千 好 一 。 一 一 好 有 二 八 万 四 千 光 一 。 其 光 微 妙 C 具 二 衆 宝 色 一 C 惣 而 言 レ 之 C 五 百 五 倶 砥 六 百 万 光 明 。 十 方 面 赫 変 。 如 二 億 千 日 月 一 。 其 光 中 現 二 切 仏 身 一 。 無 数 菩 薩 。 衆 会 囲 続 。 復 出 二 微 妙 -音 一 。 宣 二 揚 諸 法 海 一 。 又 彼 一 一 光 明 。 遍 二 照 十 方 世 界 一 。 念 仏 衆 生 。 摂 取 不 レ 捨 。 こ の 文 に つ づ い て 、 摂 取 に 三 意 あ り と し て 親 縁 ・ 近 縁 ・ 増 上 縁 の 言 葉 が 見 ら れ る が 、 こ れ ま た 善 導 の ﹃ 観 経 四 帖 疏 ﹄ に お け る 定 善 義 の 有 名 な 三 縁 釈 の 文 を 取 意 し た も の で あ る こ と が 、 次 の 対 照 に よ つ て 明 瞭 と な る で あ ろ う 。 ︹ 病 中 修 行 記 ︺ 真 言 宗 安 心 全 書 下 七 八 四 摂 取 有 三 二 意 一 。 彼 此 三 業 不 二 相 捨 離 一 C 名 二 親 縁 一 若 願 レ 見 レ 仏 。 応 念 即 現 。 名 二 近 縁 一 C 諸 邪 業 繋 。 無 能 擬 者 。 名 二 増 上 縁 一 也 。 ︹ 観 経 四 帖 疏 定 善 義 ︺ ( 大 正 、 三 七 、 二 六 八 a) 此 有 三 二 義 一 C 一 明 二 親 縁 一 c 衆 生 起 行 。 ロ 常 称 レ 仏 。 仏 即 聞 レ 之 。 身 常 礼 二 敬 仏 一 。 仏 即. 見 レ 之 。 心 常 念 レ 仏 。 仏 即 知 レ 之 。 衆 生 憶 二 念 仏 一 。 仏 亦 憶 二 念 衆 生 一 。 彼 此 三 業 不 二 相 捨 離 一 。 故 名 二 親 縁 一 也 。 二 明 二 近 縁 一 。 衆 生 願 レ 仏 。 仏 即 応 レ 念 現 在 ご 目 前 一 。 故 名 二 近 縁 一 。 、 三 明 二 増 上 縁 一 、 衆 生 称 念 。 即 除 二 多 劫 罪 一 。 命 欲 レ 終 時 。 仏 与 二 聖 衆 一 。 自 来 迎 接 ρ 諸 邪 業 繋 。 無 能 礎 者 c 故 名 二 増 上 縁 也 。 す な わ ち 、 先 き に の べ た 実 範 浄 土 教 の 第 一 期 で は 、 ﹃ 念 仏 式 ﹄ が 示 す よ う に 源 信 の 叡 山 浄 土 教 の 影 響 が 圧 倒 的 に 強 く 、 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教
-39-密 教 文 化 密 教 色 の は い る 余 地 が ほ と ん ど な い 有 様 で あ つ た。 し か る に こ の ﹃ 病 中 修 行 記 ﹄ で 代 表 さ れ る 長 承 三 年 (一一 三 四) 頃 に な る と、 実 範 の 浄 土 教 は よ ほ ど 密 教 色 が 強 く、 ( 六) 可 レ 念 二 阿 弥 陀 四 種 法 身 依 正 一 事。 ( 七) 可 レ 念 二 阿 弥 陀 四 種 曼 茶 羅 相 一 事。 ( 八) 可 下 用 二 三 密 加 持 一 得 串 随 宜 悉 地 上 事。 と そ の 条 目 に も 密 教 用 語 を 用 い た 弥 陀 観 が 述 べ ら れ て あ る。 け れ ど も、 そ れ が 密 教 色 一 本 に な つ て い る か と い う と、 必 ず レ も 然 ら ず、 先 に 指 摘 し た よ う に、 善 導 ・ 源 信 の 流 れ で あ る 叡 山 浄 土 教 の 影 響 を 明 ら か に 残 し て い る の で あ る。 そ こ で 実 範 の 浄 土 教 思 想 に は こ の よ う な 叡 山 浄 土 教 と 密 教 浄 土 教 と が 混 在 せ る 一 時 期 が あ っ た よ う で、 こ れ を 実 範 浄 土 教 の 第 二 期 と 名 づ け て お く。 で は こ の 顕 密 混 在 の 過 渡 期 を 経 て 実 範 の 浄 土 教 は ど の よ う な 変 遷 を た ど っ て い っ た で あ ろ う か。 七 実 範 は 中 ノ 川 成 身 院 の 造 営 に 力 を 注 ぐ か た わ ら、 密 教 教 相 の 研 究 を 進 め て ﹃ 大 経 要 義 紗 ﹄ ﹃ 大 日 経 序 分 義 ﹄ ﹃ 菩 提 心 論 開 見 紗 ﹄ な ど の 著 作 を 次 々 に 世 に 出 し て い る。 そ れ と 同 時 に 事 相 方 面 で も、 後 世 ﹁ 中 ノ 川 流 ﹂ と 叫 ば れ る 独 自 の 境 地 を 開 拓 し た よ う で あ る。 し か る に、 青 年 時 代 の 実 範 が 密 教 に 深 い 関 心 を よ せ た の は、 伝 法 の 当 初 に 弥 陀 の 根 本 印 言 を 受 け る 際 に、 そ の 印 言 に 甚 深 微 妙 な 奥 義 が あ る こ と を 知 つ た 時 の 感 銘 に あ つ た と い う 以 上、 そ の 生 涯 の う ち に 別 尊 法 の 一 つ で あ る 阿 弥 陀 法 を 修 す る 機 会 も 屡 々 あ つ た と 思 わ れ、 そ の 間 に 実 範 独 特 の 修 法 次 第 も 生 れ て き た の で あ ろ う。 こ の 阿 弥 陀 法 に は 小 野 流 も 勧 修 寺 流 も そ れ ぞ れ の 次 第 書 を も つ て い た が、 実 範 に は こ れ ら と は 違 つ た 中 ノ 川 流 独 特 の ﹃ 阿 弥 陀 次 第 ﹄ が あ り、 ﹃ 秘 紗 問 答 ﹄ の 作 者 頼 喩 は こ の 次 第 書 を 入 手 し た ば か り か、 こ れ に よ つ て 中 ノ 川 流 を 相 伝 し た こ と を 記 録 し て い る。 ﹃ 秘 紗 問 答 ﹄ に は、 こ の 中 川 流 の ﹃ 阿 弥 陀 次 第 ﹄ を ば ﹁ 中 ノ 川 次 第 ﹂ ﹁ 中 ノ 川 実 範 次 第 ﹂ ﹁ 中 ノ 川 実 範 弥 陀 次 第 ﹂ 等 と 呼 び、 次 の 如 く ﹁ 小 野 次 第 ﹂ や ﹁ 勧 修 寺 次 第 ﹂ と 区 別 し て い る。 ニ ク ニ (1) 中 川 実 範 次 第 云。 次 仏 嚢 誤 摩 詞 毘 盧 遮 那 仏。 嚢 談 阿 哩 野 輯 移 婆 耶 恒 他 藁 移。 嚢 誤 観 自 在 菩 薩 摩 詞 薩。 嚢 誤 得 大 勢 菩 薩 摩 詞 薩。 嚢 談 極 楽 界 会 一 切 聖 衆。 嚢 談 金 剛 界 一 切 諸 仏 菩 薩。 嚢 誤 大 悲 胎 蔵 界 一 切 諸 尊 云 云。
( 大 正、 七 九、 三 〇 七 b) ノ ニ ク ニ シ フ (2) 勧 修 寺 次 第 云。 入 我 我 入 之 前。 可 レ 用 ニ ノ ヲ ノ ノ モ ル 観 音 三 摩 地 二 云 云。 中 川 次 第 又 爾 也。 ( 〃 三 〇 七 b) ノ ノ ニ ク テ ノ ニ へ (3) 中 川 実 範 弥 陀 次 第 云。 於 二 浄 月 上 一。 想 ニ ヲ 咽 哩 二 合 字 一。 ( 〃 三 〇 七 c) ノ ハ イ デ ノ ニ ノ (4) 又 中 川 次 第。 次 二 本 尊 加 持 一根, 本 印 大 呪 ス ヲ ノ ニ ハ ノ ヲ フ ノ ハ 出 レ 之。 又 義 観 自 在 印 言 用。 弥 陀 印 明 ア ノ ナ リ ニ ズ ト 者。 相 承 師 説。 理 趣 釈 等 出 云 云。 ( 〃 三 〇 八 c) 東 台 両 密 の 各 流 派 の 阿 弥 陀 法 は、 不 空 訳 の ﹃ 無 量 寿 如 来 観 行 供 養 儀 軌 ﹄ か、 金 剛 智 訳 の ﹃ 金 剛 頂 経 観 自 在 王 如 来 修 行 法 ﹄ に 基 づ い て 行 法 の 次 第 を 定 め て い る が、 上 に 引 い た 数 文 は こ の 修 法 の 仕 方 に つ い て 中 ノ 川 流 と 他 流 と の 同 異 を 示 し た も の で あ る。 か か る 修 法 上 の 同 異 点 を 明 ら か に す る こ と も、 密 教 事 相 の 伝 承 に は 大 切 な 事 柄 で あ っ た の で あ る が、 教 相 研 究 の 極 め て 旺 盛 な 実 範、 し か も 新 分 野 を ば 次 々 に 開 拓 し ゆ か ん と す る 実 範 に と つ て は、 そ の 弥 陀 浄 土 観 に つ い て も、 南 都 や 北 嶺 で 行 な わ れ て 来 た 顕 教 の 身 土 観 と は 全 く 別 個 な 密 教 の 弥 陀 浄 土 観 が あ つ て も 然 る べ き で あ り、 む し ろ 密 教 独 自 の 身 土 観 を 樹 立 す る こ と が 当 代 密 教 学 徒 の 使 命 で あ る と 考 え て い つ た の で は な か ろ う か。 平 安 末 期 の 真 言 宗 徒 に と つ て、 彰 灘 と し て 勃 興 し 来 つ た 弥 陀 信 仰 を ど の よ う に 受 け と め、 こ れ に 対 処 す る か は、 あ る 意 味 に お い て 一 宗 の 浮 沈 に か か わ る 重 大 問 題 で あ つ え と 考 え ら れ る。 而 し て こ の 重 大 問 題 に 正 面 か ら 取 り く ん で、 浄 土 教 思 想 の 研 究 に 手 を 染 め た 最 初 の 人 は 仁 和 寺 の 済 逞 ( 一 〇 二 五-一一一 五) で は な か つ た か と 思 う。 し か る に、 済 逞 の 浄 土 教 ( 42) 文 献 は 不 幸 に し て 一 部 も 残 存 せ ず、 ど の よ う な 内 容 が 盛 ら れ て い た か 適 確 に 知 り 得 な い。 け れ ど も 済 逞 の 学 風 に 刺 戟 さ れ て 高 野 山 に 大 伝 法 院 を 建 立 し て (一一 三 二) 伝 法 会 を 復 興 し、 密 教 々 学 の 研 究 を 奨 励 し た の は、 興 教 大 師 覚 鍍 ( 一 〇 九五-一 一 四 三) で あ り、 当 代 の 時 代 信 仰 で あ つ た 弥 陀 浄 土 観 を ば、 密 教 の 立 場 か ら し つ か と 受 け 止 め、 そ れ を 完 全 に 自 家 薬 籠 中 の も の と し て、 密 教 独 自 の 浄 土 観 を 完 成 し た の で あ つ て、 そ の 著 ﹃ 五 輪 九 字 明 秘 密 釈 ﹄ に 見 ら れ る ﹁ 毘 盧 弥 陀 同 体 異 名、 ( 43) 極 楽 密 厳 名 異 一 処 ﹂ の 句 は そ の 根 本 主 張 で あ る。 ま た、 阿 弥 陀 の 名 号 に 十 三 翻 名 あ り と す る 顕 教 の 所 用 を 転 用 し て、 こ れ ﹁ を そ の ま ま 大 日 如 来 の 異 名 と し、 阿 弥 陀 の 三 字 を 阿 字 本 不 生 中 ノ 川 実 範 の 生 涯 と そ の 浄 土 教