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平和の定義 ― 平和責任:被害、加害責任、そして記憶の文化 ―

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平和の定義

― 平和責任:被害、加害責任、そして記憶の文化 ―

上 薗 恒太郎

Definition of Peace

Peace Responsibility; Suffering, Responsibility of Aggression and Culture of Memory Kohtaro KAMIZONO

キーワード:平和の定義、平和責任、加害責任、記憶の文化

Ⅰ はじめに

本論では 2013 年8月4日(日)におこなったシンポジウム「日本の進路を考える 平和 責任 ―被害、加害責任、そして記憶の文化―」を土台に、平和の定義を試みる。このシ ンポジウムは福岡賢正と岡裕人を福岡とドイツから招いて、2013 年度長崎大学教育学部の 授業「平和学」の一環として、同時に日本道徳教育方法学会国際委員会のシンポジウムと して、また長崎の8月9日に至るピースウィークの幕開けとして、長崎大学生活協同組合 の協賛を得て、市民に公開した。

福岡賢正は毎日新聞社西部本社報道部副部長で、中国本土における加害の責任を痛感し た日本人をインタビューして『小さき者たちの戦争』(2010)を著し、岡裕人はフランクフ ルト日本人国際学校事務局長で、長年ドイツにあって『忘却に抵抗するドイツ 歴史教育 から「記憶の文化」へ』(2012)を著してポーランドおよびフランスと共通の歴史教科書を 作成したドイツの平和責任のあり方をとりあげた。2人に対して特定質問者をたて、中華 人民共和国の道徳の教科書『品徳と社会』(人民教育出版社)に中国の平和がどのように語 られているかを中国で日本語教師をしている蒲池文恵に紹介してもらい、岡まさはる記念 長崎平和資料館理事長・フランス文学者の高實康稔にドイツとフランスの共通歴史教科書 についてのコメントを、長崎外国語大学でドイツ語を担当する田口武史にドイツを知る立 場からの話を、琉球大学修士課程で 2012 年に「平和教育に関する批判的考察 ―同一化の 問題をめぐって―」を書いた古波蔵香に沖縄のそして若手からの意見を、長崎平和推進協 会・長崎証言の会の山川剛に長崎からの意見を、佐世保市立愛宕中学校教諭の山中太に国 際平和を主題にした道徳授業「平和とは何か」を語ってもらい、平和の定義について上薗 恒太郞が提案をおこなう、多くの方に協力頂いたシンポジウムだった。

Ⅱ シンポジウムの趣意文

3つの線の交点上に、3日間がおこなわれます。

(ドイツからの問いかけ)

1つは、日本道徳教育方法学会国際委員会会員による国際読書会を、岡裕人『忘却に抵

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抗するドイツ 歴史教育から「記憶の文化」へ』(2012)、大月書店、によって、著者参加 を得て、ドイツ、中国、日本を結んでスカイプで4ヶ月間にわたって行いました。これが 成功裏に終了し、上薗恒太郞のドイツ訪問、岡裕人の長崎訪問へと発展しました。

上薗は、2013 年3月にドイツを訪問し、チュービンゲンの平和研究所、およびブラウン シュバイクのゲオルク・エッカート教科書研究所を訪問しました。平和研究所では、チュー ビンゲン大学で行われる平和セミナーの様子を知るとともに、平和学講義のカリキュラム が未開発であることについて話し合いました。そして平和学のカリキュラム開発が、長崎 での平和学にとって責務となると知りました。

岡裕人と訪れたゲオルク・エッカート教科書研究所は、世界の教科書を集めると共に、

ポーランドならびにフランスとの歴史認識のすりあわせを行い、共通の歴史教科書を作成 しています。この作業は終了しており、フランスとの3冊目が 2011 年9月に発行され、

ポーランドとのものは発行予定です。被害・加害を超える歴史認識のすりあわせが、EU を 生む基盤をつくったと言えるでしょう。被害・加害の記憶をすりあわせるこうした努力は、

日本がアジアにおける道を探るために必要でしょう。

このほか上薗は、ドイツ戦後史を展示するボンの国立歴史博物館を訪れ、ドイツの自己 認識について友人と話し合い、フランクフルト a.M. でユダヤ博物館ならびにゲットーの 跡地と墓地を訪れ、戦禍をくぐり抜けた美しいシナゴーグをユダヤの歴史を学ぶ成人大学

(Volkshochschule)の人々とともに訪れ、ユダヤ教の側にもナチスに迎合する動きがあっ たなどの解説に耳を傾けました。また、フランクフルト a.M. の歴史博物館で戦争犯罪を 告発する展示が行われており、そこに日本軍の慰安婦であった女性たちの顔写真がずらり と並べられていたのは、衝撃でした。それはヨーロッパが日本をどのように見ているかの 展示であるように思えました。

(中国からの問いかけ)

2つ目は、島の領有権問題で延期された日本道徳教育方法学会国際委員会の中華人民共 和国遼寧省訪問を、人民対外友好協会国際交流部と話して 2013 年3月に復活実現したと ころに始まります。遼寧省は、日本軍が柳条湖事件を起こして 15 年間にわたる戦争を始 めた地であり、731 部隊の暗躍した地であり、中華人民共和国が中国最初の航空母艦を「遼 寧」と名付けた地であり、日本の加害責任を自覚せざるを得ない地です。この地を、道徳 の名称を掲げて訪問するにあたり、岡まさはる記念長崎平和資料館ならびに福岡賢正に基 礎となる日本の事実について協力を求めました。岡まさはる記念長崎平和資料館は、日本 26 聖人記念館の奥にあって、中国や朝鮮半島における日本の加害行為を展示しており、福 岡賢正は『小さき者たちの戦争』で日本の市民の加害行為について聞き取りを行っていま す。

この訪問においては、最初に瀋陽の九・一八歴史博物館を訪問したいと希望して、伺い ました。中華人民共和国の歴史認識と教育の場を改めて知っておきたいと思ったからで す。公立の渾南新区第二小学校で道徳の評価に話が及んだとき、日本では、子どもの道徳 性は評価できない、知識ならば評価できるが、との論議になると話したのに対して、先生 方はほほ笑みながら、そうです、試験するのは知識です、と言われました。愛国心教育に 話が及んだとき、中国の先生方としては、郷土の地理、歴史と共に教える方が、愛国心を 育てやすいと言われました。調べてみると実際、地理認識が「品徳と社会」の教科書に入っ

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ており、世界の中で中国がどこか、自分たちが住んでいる場所はどこかの地理認識と国家 とアイデンティティを重ねた説明が、小学校3年生下の品徳の教科書に入っています。道 徳は、中華人民共和国では「品徳」の名前で、地理、歴史、政治と結びつけて教えられま す。これに対して、上薗は、次のように日本の立場を説明しました。日本では米軍の日本 占領後 GHQ が最初に停止したのが、修身、日本歴史、地理で、これらの教科書は集めて焼 かれました。その後、日本の道徳は、地理、歴史、政治、宗教と絡めない形で行われてい ます、と。一言でいうと、日本の道徳教育は控えめだといえます、教科書ではなく民間の 出版社による資料が使われ教員の自作資料が許され、道徳専任の教員がおらず基本的に担 任の教員が授業を行い、道徳授業による子どもの道徳性評価は行っていません、これは戦 争時の修身についての反省でもあります、と説明しました。

遼寧省を離れるに際して、人民対外友好協会国際交流部長といわばさしで話しました。

部長からの、日本が戦争中の行為を反省しているようには見えないとの突っ込みに対して、

上薗は、村山談話(敗戦から 50 年の節目に出された総理大臣談話)で反省の意を表し、お 詫びの気持ちを表している、と答えました。しかし部長は、その後の政治家や各方面の発 言を聞いていると、真摯に反省しているとは思えないと言われました。九・一八歴史博物 館の話や、ドイツの戦後の努力など、突っ込んで話しましたが、ぴりぴりした雰囲気では なく、互いに確認しておきたいと、友好的に話すことができました。そして最終的には、

民間交流でいきましょうと合意しました。政府関係がどのようになろうとも、民間交流の 厚みをつくっておくことが、日中の未来のためになるとの基本認識で合意しました。

(学生と市民が担い手)

3つには、長崎大学教育学部の授業「平和学」を上薗恒太郞が引き受けるにあたり、受 講者だけではなく、広く平和責任を考える場を、日本道徳教育方法学会国際委員会の行事 として、また平和問題に関心のある長崎大学生活協同組合組織部の学生を含めて構想しま した。平和学の構築は、戦争を知らない世代の平和への責任の果し方として、長崎大学生 に止まらない課題です。そこで、他大学とも連携して学生の対話をつくろうとしています。

この課題は、市民にとっての課題でもあります。そこで、市民の参加を求め、被爆地長 崎の市民団体でつくるピースウィーク実行委員会のイベントの一環として8月4日の「日 本の進路を考える:平和責任 〜被害、加害責任、そして記憶の文化〜」のシンポジウム を行います。その前後、3日は岡裕人と福岡賢正の本の読書会、5日は、学生を中心とし た対話、そこに市民、岡裕人、上薗恒太郞が加わる形をとりたいと考えています。

平和学のカリキュラムは、長崎を舞台にすると、被害を知り、加害を自覚し、平和責任 を考える構造になるでしょう。それが三菱兵器大橋工場跡1)に立地する長崎大学での討 論にとって自然な思考展開です。しかし、被害、加害、平和責任の構造は、どの地におい ても普遍的に使える構造です。長崎のカリキュラム構造が、世界の平和学になる可能性を 秘めています。

シンポジウムは、若い世代が平和責任を果たすべきだとの地点で終了するのではなく、

そのために記憶の文化を創り出す必要があるとの認識まで深めたいと考えます。体験その ものを継承することは難しく、また歴史認識のすりあわせだけでなく、未来につながる関 係を構築しようとすると、どのような記憶として創造するかの対話が、アジアにおける日 本の進路を考えるために重要です。記憶を編み直す対話は、戦争体験のない世代が前に進

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むために必要でしょう。海外との文化交流の記憶の集積された町、長崎は、その舞台とし てふさわしいでしょう。

2013 年の授業「平和学」ならびにシンポジウム「日本の進路を考える:平和責任 〜被 害、加害責任、そして記憶の文化〜」において、長崎に集う学生、長崎の市民、日本道徳 教育方法学会会員、ピースウィークに集う皆さん、そして関心を寄せる多くの人々と対話 を深めたいと思います。

皆さまのご参加をお願いいたします。

Ⅲ 平和イメージの異なり

シンポジウムの論議が積み重なるにはキーワードの定義を必要とする。平和概念の定義 は、しかし、これまで見いだせなかった。平和の定義のなさを鋭く批判した人がいる:定 義できる中身のないものは、責任を持てない、と。このシンポジウムは、答のないまま、

皆さん考えましょうと終わるしかない、と。それでは困る。そこで連想法2)により、平和 をどう考えているかの解明から始めた。

(長崎における<平和>の連想マップ)

図1 提示語〈平和〉による長崎大学生の連想マップ

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長崎大学全学部からの1年生 111 人、教育学部3年生 155 人、計 266 人による連想調査 をおこなった(図1)。提示語〈平和〉は、連想エントロピ(7.106)の大きさからして、

喚起される言葉が多いことがわかる。〈平和〉から想起される最多回答語は「戦争」で、回 答者の 56.8%が想起し、平和に密接している。長崎の調査であるためだろう「長崎」

(41.7%)が次に多く、「鳩」(40.2%)も平和の象徴として意識に組み込まれている。平和 は、戦争に対比して想起され、長崎、広島、原爆など戦争関係の記憶と鳩のシンボルによっ て中核が構成されており、それ自身の内容となる定義をもたない。やはり平和は、定義の ない代物だろうか。それ自身の意味がなく、みんなが勝手に意味を放りこむ空き箱ならば、

追い求めてもむなしい。定義なしに、考えの異なる他者と対話ができるのか。

長崎大学生の連想マップには、ドイツがおこなってきた、1.過去に対する反省、2.

侵略した国への意識、が薄い。加害の意識はなく、近隣のアジア諸国で「北朝鮮」が 2.63%

登場するがこれは新たな戦争の可能性とのつながりであろう。「韓国」が 1.13%、「中国」

が 0.75%思い起こされるにすぎず、日本の過去とアジアはほとんど現れない。なぜ長崎が 平和と結びつくかは「原爆」(24.8%)の故であり、「平和公園」(13.5%)や「平和祈念像」

(10.2%)のモニュメント故に止まる。「日本国憲法第9条」も 4.1%の影しかない。いわ ば、意識が長崎の中に閉ざされている。それが長崎の平和教育であったのかも知れない。

ジョン・W.ダワーは意識の閉じ込めに関して、原爆を強調する記憶のしかたを「広島と 長崎は、日本人の受苦の聖像イ コ ンとなった。それは日本人の戦争の記憶を、日本でおきたこと だけに固定し、同時に日本人が他者にあたえた加害の記憶を覆いかくすことができるよう な、非を認めない国の財宝のようなものになった」(ダワー、2013、pp.162‑163)、そして

「純粋に功利的な政治上の理由から、アメリカ人は日本の戦争犯罪の本質と巨大さを隠蔽 したのである」(前掲書、p.137)と理解する。そうであるならばなおさら、ドイツの努力 に意義を見出すとき、シンポジウムでも軸になった日中韓の合意できる教科書の提唱、

2013 年 11 月 14 日の朴槿恵大統領の提案を受けるべきである。現在の意識のままでは、平 和は戦争の対概念であるが、どのような戦争であったかは意識されていない。

平和は戦争に対比され る概念だとすると、対比 された位置に置かれる。

近代戦争が国家間で起こ るとすると、国家の間に 戦争が位置する。国家の 次元とは別に、個人の次 元では、あるいは宗教の 次元では、いわば「平安」

としての心の平和が位置 することになろう。連想 マップによる回答語をこ の考えで図式化すると図 2のようになる。

図2 平和の概念図

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(中華人民共和国の道徳教科書における平和)

中華人民共和国の道徳の教科書『品徳と社会』において平和がどのように示されるかを 見たい。

『品徳と社会』の6年上において「忘れることのできない屈辱」として「蹂躙された東 北の沃土」(pp.34‑35)、「驚愕の南京大虐殺」(pp.36‑37)が特に「日本の屠殺用刃物の下で 血塗られた悲惨な歴史」として取り上げられた後、平和は 6 年下に多く登場する。6年下 の第3単元「同じ青空の下で」において「平和の鳩を飛ばそう」(pp.52‑57)、「私たちは手 をつなごう」(pp.58‑63)と語られ、国際連合が説明され、「中国は平和に貢献する」(p.54) として中国から長崎に贈られた平和少女祈念像(乙女の像)の写真が掲げられ、「長崎と日 本中で、最も美しい平和の女神、中日平和大使としてたたえられています」と記述される。

こうした記憶のモニュメントの横の頁には、戦車隊の写真とともに「私たちの国は、国際 連合の平和維持活動に積極的に参加しています」(p.55)と説明する。また「平和の鳩を飛 ばそう」の節で「商品に国境なし」(p.60‑61)と題して「国同士の経済関係は、さらに緊密 になってきました」(p.60)と経済関係を平和の要因として説明し、「手を取り合い協力し よう」(p.62)として「私たちは同じ青空の下で生活し、呼吸し、運命をともにしています」

(p.62)として国際科学が狂牛病、SARS、南極、環境問題に対応している(p.62‑63)と説明 する。

すると中国の道徳教育教科書の平和から次の4点が見えてくる。1.平和の記憶を形づ くるモニュメント、2.中国軍は平和維持軍である、3.商品生産など経済の緊密化が平 和を維持する、4.国際的な科学協力が平和をもたらす。すなわち日本の大学生の連想 マップが示す意識と異なる思考が平和として教えられている。日本と中国の間には戦争解 釈の齟齬だけでなく、モニュメント以外、平和についても異なる思考がある。

日本の雑誌『教育』2004 年 1 月号が「子どもたちに平和を希求する力を」の特集をした ことがある。これを見てもイラク戦争、9.11、平和劇など、いずれも戦争に依拠して平和 を扱っている。佐貫浩が例外で「『自分外し』、すなわち『おまえの価値は無い』というメッ セージは思想化を断念させる」(佐貫浩、2004、p.24)として、自らをふり返らない意識構 造を自己肯定感3)の欠如と結びつけるほかは、戦争あっての平和という様相である。そこ には、平和なしに教育は始まらない、あるいは教育は子どもの自己肯定感を育てて他者を 助けるつながりをつくる、すなわち平和を創り出す営みだとの思考は見られない。

日本平和学会の「平和を再定義する」(2012)特集号も、日本の論者だけを集めても「『平 和』という概念がそもそも多義的なもの…(だから−引用者挿入)…討論の場を作る」

(p.vii)以上ではない。大津留(北川)千恵子、小林誠が巻頭言で各論をまとめて、願いに よって書かれた奥本京子論文を「人々が対話をもつこと」(p.ix)だと集約するが、対話が 決裂する可能性を見ていない。古澤嘉朗論文が「国家という枠組み…を批判的に検討し」

(p.x)ていると集約するが、これは図2の右上の部分、近代国家が戦争を起こす部分の論 に止まることになる。換言すれば、個人の存立に関わる平和に思考が及んでいない。

ハーヨ・シュミットは「初期ガルトゥングの天才的ひらめきは、平和を戦争だけでなく、

破壊的暴力の不在と定義づけたことにある」(J. ガルトゥング、2006、p.xi)と解説する。

ガルトゥングが構造的暴力、文化的暴力に概念を拡大した功績を認め、人間の基本的ニー ズに光をあてた点を首肯するが、それにしても暴力の不在と語る限り、平和が暴力の影で

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ある構造は、戦争と同様である。ガルトゥング自身4)は、「平和とは暴力の不在を意味す る、との主張は有効であるとしておく」(ガルトゥング、2008、p.3)と言うが、これは「定 義ではない」(ガルトゥング、2008、p.3)、「『暴力』をどのように定義するかにかかってく る」(ガルトゥング、2008、p.4)からだという。すると平和はしょせん、戦争や暴力の影、

空虚な箱で終わるのだろうか。

(平和の定義)

本シンポジウムにおいて、平和に積極的な定義を与えたのは、子どもたちの声であった。

山中太が紹介した子どもたちは、平和が「助け合えること」だと主旨を述べた。原爆をな くそうとの学校の標語のむなしさを中学生は見抜いている。パワーバランスで決まる影で しかない平和に希望を託すむなしさを超えて「他者と助け合えること」は個人で創る希望 が持てる。「他者と助け合える自分」は自身の誇りであり、自己肯定感となる。自分にとっ て誇りとなる平和に子どもたちが到達することが教育であっていい。上薗恒太郎が「他者」

と付け加えたのは、図1の平和意識のような国内の仲間内に限定されず、平和意識の異な る他者を包括するためである。図2の戦争、国家、平和、平安の環の中心にいるのは、人で あろう。すると、平和学は、人がどうするかを語ることになる。「他者と助け合えること」

との新たな定義は、人が助け合いに動く構造になる。長崎は共通に抱く記憶として原爆被 害を基礎にするとしても、異なる考えの人と共に抱きうる平和概念として、他者と助け合 えることが長崎や国家の枠に縛られない実践につながる。異なる他者と互いに助けあうこ と、これを平和の定義にし実践すると、平和になる。もはや平和を語るために、戦争の支 えはいらない。

すると図2は以下の図3のようになる。これが、2013 年8月4日のシンポジウムの到達

図3 新たな平和の概念図

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点であった。つまり、被害意識をこえて、加害を認め、共通の記憶の意識圏を求めて、対 話に止まらず、他者と助け合えることから平和を実現しようとの話である。その芽はすで にある。例えば、災害の海をこえた助けあいは、影の平和に限定された論議をこえて実現 してきている。

Ⅳ おわりに

「他者と助け合えること」から出発すればいいと思う。加害を知らなくても、アジアの 他者を助けようとしていい。その際しかし、互いに助け合える地平を築くために、加害を 知り、反省しよう。他者と助け合う平和から始めれば、対話は後からついてくるし、すで に国家は相対的である。「他者と助け合えること」から出発して、共通の記憶を作りあげれ ばいい。共通のアニメで育った世代は、互いに他者ではない質を共有しているのかも知れ ない。他者と助け合える平和を希求する姿勢が、記憶を和解につなげるだろう。それが若 者らしい進み方ではないか。教育の核心である自己肯定感を支える営みが、平和へと向か う若者を支えるだろう。

1)三菱兵器大橋工場については復元図がある。以下の URL を参照。http://www.sci.

kagoshima‑u.ac.jp/~dosokai/dosokai/enkaku/7kou/sensou/nagasaki̲genbaku/genbaku 50shunen/07‑oohashi̲kojou/index‑oohashi.htm

2)連想法は、提示語から 50 秒で思いつく言葉をできるだけたくさん挙げてもらい、みん なが何を思っているか、いわばみんなの頭の中を CT スキャンする技法である。中央に 位置するほど多くの者が答えた回答語である。cf. 上薗恒太郎(2011)、連想法による道 徳授業評価―教育臨床の技法―、教育出版

3)自己肯定感は、ありのままの自分を受容することである。日本の子どもの自己肯定感 は低い(cf. 上薗恒太郞、森永謙二、自己肯定感を育てる道徳授業―協同で学ぶ思いや り―、九州地区国立大学教育系・文系研究論文集1巻1号 p.No.10、https://nuk.repo.

nii.ac.jp/?action=pages̲view̲main&active̲action=repository̲view̲main̲item̲detail&

item̲id=189&item̲no=1&page̲id=13&block̲id=17)。しかし、自己肯定感の低さは悪い ことばかりではない。クリストフ・アンドレとフランソワ・ルロールは『自己評価の心理 学 なぜあの人は自分に自信があるのか』(2012)紀伊國屋書店、で、自己評価が低い利 点として「人から受け入れられやすい」(p.63)、「周りの人の意見や忠告を取り入れるこ とができる」(p.64)、「謙虚である」(p.64)と述べる。それならば、背伸びして海外に 自信ありげな態度をとるより、いじけることなく自己評価の低さを活かして、助けあい、

和解する道をとればいい。

4)ガルトゥングは、平和への処方について例えば『平和を創る発想術 紛争から和解へ』

京都 YWCA ほーぽのぽの会訳(2003)、岩波ブックレット No.603、において多様に展 開しており、学ぶところが大きい。

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引用文献

ダワー, ジョン W .、外岡秀俊訳(2013)、忘却のしかた、記憶のしかた―日本・アメリカ・戦 争、岩波書店

ガルトゥング, ヨハン、木戸衞一、藤田明史、小林公司訳(2006)、ガルトゥングの平和理論 グローバル化と平和創造、法律文化社

ガルトゥング, ヨハン、高柳先男、塩屋保、酒井由美子訳(2008)、構造的暴力と平和、中 央大学出版部

Geiss, Peter et Quintrec, Guillaume Le (direction)、Bernlochner, Ludwig、Boesenberg, Lars、Braun, Michaela、Geiss, Peter、Gigi, Claus、Henri, Daniel、León, Enrique、

Lepetit, Mathieu、Quintrec, Guillaume Le、Toucheboeuf, Bénédicte (auteurs, 2011)、

Histoire LʼEurope et le monde depuis 1945、Klett & Nathan

上薗恒太郎(2011)、連想法による道徳授業評価 ―教育臨床の技法―、教育出版

課程教材研究所・綜合文科課程教材研究開発センター編著(2013 入手、2004 年に初めて審 査を通過した)、義務教育課程標準実験教科書 品徳と社会 6年上、下、人民教育出版 社

古波蔵香(2013)、平和教育に関する批判的考察 ―被害者生に共感することの問題性―、

道徳教育方法研究第 18 号、21‑30

福岡賢正(2010)、小さき者たちの戦争、南方新社

MUP ながさき(1995)、長崎ピース・トレイル 日本語・英語・中国語・韓国(朝鮮)語で 案内する長崎、海鳥社

日本平和学会(2012)、平和研究第 39 号 平和を再定義する、早稲田大学出版部 岡裕人(2012)、忘却に抵抗するドイツ 歴史教育から「記憶の文化」へ、大月書店 佐貫浩(2004)、「思想化」という判断の方法を育てる―公共的正義探究の方法について―、

『教育』2004 年 1 号№696 特集 子どもたちに平和を希求する力を、国土社、20‑27

参照

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