橘 洋介 提出
博 士 学 位 申 請 論 文 審 査 要 旨
論 文 題 目
交通ネットワークが完成しつつある都市の
道路交通政策に対する経済学的アプローチ
1 橘 洋介 提出 博士学位申請論文審査要旨
『交通ネットワークが完成しつつある都市の 道路交通政策に対する経済学的アプローチ』
Ⅰ 本論文の主旨と構成
1.本論文の主旨
交通経済学は比較優位の原則の前提条件を満たす時間的、空間的距離の克服の分析を研究の主要 な柱としてきた。その中で、人々が密集して住み、活動する都市部においては、移動に当たっての 混雑への対策が大きな課題とされてきた。混雑は鉄道と道路では現象が異なるが、道路の場合、時 間距離が長くなることへの弊害が問題とされている。ただし、論文提出者は分析上のフレームを検 討するに当たり、混雑の性質の違いは本質的ではないことを確認している(第6章)
本格的な馬車交通の時代をほとんど経験することなく、徒歩交通から一気に自動車交通の時代に 突入したわが国では、モータリゼーションも欧米先進諸国より遅れてスタートすることとなり、自 動車交通を支えるインフラストラクチャーである道路の資本ストックの蓄積も明らかに不足してい た。わが国初の高速道路となる名神高速道路の建設に当たって、1956年に建設省(当時)がその
feasibility studyを依頼すべく招聘した米国のラルフ・ワトキンスを長とする調査団の報告書は、
第二次世界大戦後のわが国道路政策に大きな影響を及ぼすこととなったが、その冒頭に当時のわが 国の道路整備状況を
The roads of Japan are incredibly bad. No other industrial nation has so completely neglected its highway system.
と綴っているが、このことに道路資本ストックの不足が端的に象徴されていたのである。
都市の自動車交通についていえば、道路交通研究者に語り継がれることとなった「ワトキンス・
レポート」での警鐘もあって、自動車の走行に耐えうる道路資本ストックの形成が強く叫ばれたこ とに呼応する形で、道路特定財源制度、有料道路制度を道路政策の二本柱としてインフラストラク チャーとしての道路整備が着実に進められてきたが、近年では限られた都市空間の中ではそれも物 理的に困難な状況ともなってきた。それでも道路混雑は依然として続いているという実情から、今 日は新設を中心とする道路整備による供給対策よりも、需要管理対策が主流となる時代に移ってい ると捉えられるのである。論文提出者の基本認識はここにあり、そのための有効な対策を考察する のが本論文の大きな目的となっている。
既存ストックの活用に関しては、道路利用に料金を課すロードプライシングの研究が以前から行 われてきた。旧くは理論的にはA.C.Pigouの『厚生経済学』(第1版)、政策論的には英国の「スミ ード・レポート」(1964年)にその端緒を見出すことができる。かつての、道路をはじめとする交
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通施設に対しての最適な価格形成の実践は、理論的にはともかくも物理的に不可能であるとされて いた議論は、あくまでも過去の技術水準を前提とした場合のものとなっている。実際問題として、
活用している技術にこそ差はあるものの、近年ではロードプライシングが政策として実行されてい る都市が少なからず見出せるようになっているのである。このロードプライシングの実践に、時刻 (いつ)と空間ないし地点(どこで)の双方を組み込むことの必要性を説くことが本論文の基調とな っている。その具体的方法論として、従来の交通経済学の手法だけではなく、都市活動の効率化を 扱う都市経済学の手法を活用すべきであるというのが論文提出者の基本認識であり、交通経済学に 加え、都市経済学の視点に立っての理論的、実証的研究が試みられていることが、本論文の大きな 特色となっている。都市空間の有効活用のためには、道路利用の適切な価格形成こそが論じられる べきであるという視点を可能な限り具体的に反映してのものである。
論文提出者がこれまで学んできた交通経済学では、都市活動の効率化に関する研究が明示的に行 われてきたのかといえば、必ずしもその限りではない。それに対して、都市経済学は都市の土地利 用の効率化の研究を主たる目的とする立場にあり、研究成果も多く出されている。とはいえ、その 半面で交通の諸問題については大胆な抽象化が行われている。都市経済学研究では、個人の立地の 最適化に対しての制約として交通費用を扱うことから、交通の分析が重要な位置を占めている。そ こで、本論文では交通経済学、都市経済学の隔たりを解消し、双方での研究成果を提出者なりに活 用・発展させることによって、今後のわが国の道路交通政策が目指すべき方向が論じられている。
加えて、論文提出者の設定によるロードプライシング構想を裏付けるため、可能な限りの実証分析 も具体的に行われている。このような試み、成果は、少なくとも現在までの日本交通学会では皆無 ではないものの、実質的にはほとんどみられていないので、この点でも本論文の学会に貢献すると ころは大きいものとされうる。この種の研究が交通経済学から都市経済学、さらには地域経済学、
空間経済学へと拡大されていく時代にあって、本論文はその重要な一角を占めるものと解釈されう るのである。
2.本論文の構成
8章から成る本論文の構成は以下のとおりである。
1.都市における道路混雑と経済損失の現況
1.1 都市の道路混雑の現況
1.1.1 わが国の都市における道路混雑
1.1.2 わが国の都市における混雑データの整理
1.2 都市の道路混雑による経済損失
1.2.1 混雑外部性と経済損失
1.2.2 燃料・油脂等の消耗品の消費量の増加による経済損失
1.2.3 旅行時間の延長に伴う経済損失
1.2.4 環境質の劣化に伴う経済損失
1.3 まとめ
3 2.都市の道路交通と都市経済学
2.1 都市経済学と交通 2.1.1 立地の最適化問題
2.1.2 交通改善の規模と都市人口移動の自由度
2.1.3 交通用地と土地利用
2.1.4 土地利用を最適化する混雑課金と道路容量の決定問題
2.1.5 課金あるいは道路容量の設定に制約が存在する場合
2.1.6 都市経済学の基本モデルの課題
2.2 容量一定の下での混雑課金
2.2.1 都市の道路交通に対する交通経済学の目的
2.2.2 ADLモデル
2.2.3 ADLモデルの空間的拡張 2.3 まとめ
補論 2―1 2地点のBottleneck 候補におけるbottleneckの実現可能性 補論 2−2 2番目以降の課金ポイントにおける出発時間帯の包含関係
3.道路の価格形成理論の政策応用
3.1 都市経済学と交通経済学における道路の価格政策の対比
3.1.1 道路の非市場的性質の概観
3.1.2 道路に対する交通経済学の分析
3.1.3 交通経済学における投資財源の整理
3.1.4 投資財源論と都市経済学
3.2 都市の効率性を考慮に入れた価格形成政策に対する都市経済学の知見
3.2.1 コードンプライシングと立地・時刻の把握可能性
3.2.2 駐車場課金
3.2.3 ナンバープレート規制と通行権取引
3.3 情報通信機器を用いた(対距離)課金 3.3.1 GPS(対距離)課金の概要
3.3.2 都市経済モデルおよびADLモデルとGPS(対距離)課金
3.3.3 GPS(対距離)課金の政策上の課題
3.3.4 GPS(対距離)課金のまとめ
3.4 九州4都市へのコードンプライシングの適用例 3.5 まとめ
4.道路投資政策の理論的考察
4.1 投資効果の把握に関する交通経済学と都市経済学の対比
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4.1.1 交通経済学における投資効果の整理
4.1.2 都市における交通経済学の費用便益分析(投資効果の計測)と都市経済学
4.2 投資基準に関する交通経済学と都市経済学の対比
4.2.1 交通経済学における投資基準の整理
4.2.2 現実の費用便益分析(投資基準)と都市経済学
4.3 まとめ
5.わが国の都市の道路投資の現状
5.1 都市内の道路投資の費用便益分析(費用便益マニュアル)
5.1.1 費用便益分析マニュアルの基礎情報 5.1.2 交通流の推定
5.1.3 便益の推定 5.1.4 費用の推定 5.1.5 費用便益分析
5.2 費用便益マニュアルの課題 5.2.1 交通流推定の問題点 5.2.2 便益推定の問題点
5.2.3 費用便益分析の問題点
5.3 応用都市経済モデルによる推定
5.3.1 応用都市経済モデルの概要
5.3.2 応用都市経済モデルの課題
5.4 まとめ
6.道路交通市場の外からの制約 6.1 都市の各モードの価格形成 6.1.1 ADLモデルと軌道系交通
6.1.2 混雑の存在する軌道系交通の最適運賃形成
6.1.3 大量輸送機関(公共交通)の価格形成
6.1.4 他のモードの価格形成に歪みがある中での道路課金の考え方
6.2 交通市場以外から受ける制約と道路交通政策 6.2.1 住宅等建物の耐久性
6.2.2 既存の環境規制 6.2.3 通勤費補助 6.2.4 物流
6.2.5 公平性の担保 6.3 まとめ
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7.価格形成と投資の一体化に向けて─道路政策の効率化に向けた各国の動向─
7.1 諸外国における都市の道路交通効率化の施策の概要 7.2 都市内課金の理論的成功例と実行上の課題
7.2.1 ストックホルム(スウェーデン)
7.2.2 ロンドン(イギリス)
7.3 都市内課金の理論的失敗例と課題
7.3.1 ニューヨーク(アメリカ)
7.3.2 マンチェスター(イギリス)
7.4 まとめ
8.これからのわが国都市の道路交通政策 8.1 都市の道路交通政策の方向性 8.2 政策実施に係る課題と対応策
Ⅱ 本論文の概要
本論文の概要は大要以下のとおりである。
本論文での考察の基本的な流れは、都市の道路混雑及びその経済損失をデータで確認すること(第 1章)から始め、道路サービスの価格形成理論(第2章)、道路投資、土地利用効率化の理論(第4章) を二つの柱として、理論的考察を試み、それぞれの政策への適用(第3章、第5章)を検討し、交通 市場外からの制約の検討(第6章)、諸外国の事例分析(第7章)を行った上で、政策提言を行う(第8
章)というものである。
第1章は現状把握として都市道路の混雑状況を地域別データで確認、その経済損失を論じたもの である。大都市圏としては東京都、大阪府、愛知県の自動車保有台数、人口、道路率、道路延長の 時系列データを図示した上で、首都圏、京阪神圏、中京圏の鉄道(地下鉄、私鉄、JR)、バスの営 業キロ数、輸送量を同様に図示、さらに三大都市圏の自動車走行台キロの推移を示している。なお、
東京都に関しては、主要道路での時間帯別旅行時間を分析することで、時間帯に応じた混雑状況の 観察を行っている。
地方都市としてはそれらが属し、データが入手可能であった九州の福岡、熊本、鹿児島の3県に ついて同様の整理を試み、実態の把握を行っている。
観察の結果として、大都市圏では平成になってから、道路投資量と交通需要量のかい離が見られ、
地方都市では交通量の増加は見られるものの、それは複数台保有が原因であり、人口が減少に転じ ている現状を考慮すれば、将来的には交通需要の停滞及び減少の可能性が高いとする。このことか ら、無条件での道路投資が混雑に対する最善の処方箋とはいえなくなりつつあるが、道路混雑は依 然として存在するため、需要管理対策が必要であるとする。その具体的な手段は課金となるが、混 雑が一様ではないという上記の観察結果から、時刻(いつ)、空間ないし地点(どこで)に応じた実施が 必要であることが指摘されている。このことは第2章以下で改めて確認、検討されることとなるが、
6 本論文での核心的視点とされる。
経済損失については走行費用・走行時間の増加、環境負荷の増大として、その把握への接近が試 みられている。走行費用が仮想的に10km/h 上昇した場合の節約額として、東京特別区で824 万円/日、大阪市で216万円/日、名古屋市で309万円/日と推計されている。ただし、この推計 値は想定した走行時間の上昇の可能性から過小であるとも推論されている。走行時間の節約額は所 得接近法により全国で12兆円/年とされている。環境費用に関しては、貨幣換算が困難であるこ とから、環境基準との関連からの整理が試みられている。二酸化窒素・光化学オキシダント・騒音 が自動車交通の外部性の大きな項目と位置付けられた。わが国では計測上利用可能なデータが十分 に整えられているわけではないことを考慮すれば、この整理にも現実的な意義が見出しうるもので ある。
第1章での現状把握は第2章以下での検討のベースとなるものであり、理論と現実の橋渡しとし ての役割を演じている。
第2章では、交通と密接な代替関係にある立地の問題を合わせて、効率的利用に関する理論的考 察が行われている。都市経済学での基本的成果であるHerbert-Stevens Model(以下HSモデルと略
称)をベースに、混雑外部性を組み込んでの拡張が紹介されている。HSモデルの概要が、任意に固
定した目標効用水準に対して、社会の余剰の総和の最大化をもたらす各地点の均衡地代、一人当た りの土地の広さ及び人口、都市の外周地点、交通容量(交通用地の量)、location tax(混雑税)、人頭 税を解として与え得るものとまとめている。これを交通混雑を含めるという意味で拡張(以下拡張 形を拡張HSモデルと略称)することによって、外部性が存在する中での土地の最適利用が説明され うるというのがHerbert-Stevensの解釈である。基本モデルから拡張モデルへの解説を綿密に行い、
都市の土地利用の効率化は、①各人の立地地点とその地点から都心までの各地点の混雑度に依存し
たPigou税を徴収すること、②各地点で生じた税収を当該地点の道路容量の拡大投資に用いること
でもたらされる、との結論を導いている。その一方で、拡張HSモデルには、都市構造を変え得る ような道路投資の実行可能性、「時刻」の捨象といった課題があると指摘している。
そこで論文提出者は都市の道路交通の分析に必要なツールとして、「時刻」と「空間」を捨象しな いモデルが必要であるとして、道路投資を前提としない、すなわち施設規模一定のモデルとして、
目標時刻がある通勤交通を既存施設容量の下で効率的に再配分する課金モデルとして開発された
(Arnott,de Palma,Lindsey Model、以下ADLモデルと略称)の空間的拡張を試みている。その結
果、都市内の各地点の混雑度(通過台数/交通容量)に依存した各地点での渋滞の発生条件が明ら かにされ、その解消(余剰の最大化)のためには各々の渋滞発生地点での混雑度に応じたADL課 金が必要であること、ただし道路利用者は出発地点から直近の渋滞発生地点で1回だけ課金されれ ばよいことを明らかにしている。
これを受けて第3章では、従来から交通経済学で提案されてきた需要管理(価格形成)政策に対 して、第2章での検討を用いての評価が試みられている。評価の基準として、土地利用の効率化を 意図した拡張HSモデルと、土地利用は一定としたADLモデルの空間的拡張モデル(以下拡張ADL モデルないしADL空間モデルと略称)を用いている。課金に必要な情報は、前者では各人の立地 と各地点の混雑度、後者では立地(当該立地が渋滞発生地点より都心側か、郊外側か)と移動時刻
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である。課金等の政策の手段として、租税(自動車関係諸税)、都市の外周部に料金所を設置するコ ードンプライシング、駐車場課金、ナンバープレート規制、ナンバープレート規制+利用権取引、
GPS(対距離)課金を想定し、評価基準モデルでの含意を検討している。このうち、租税、ナンバ ープレート規制については両拡張モデルによる評価はともに含意なし、駐車場課金、ナンバープレ ート規制+利用権取引についてはADL空間モデルでは含意がないわけではないが、前者では最混 雑地点が都心近傍の場合のみという意味で限定的、後者ではほぼ実行不可能という点で極めて薄い、
HS拡張モデルでは双方の手段ともに含意なしとされた。残るコードンプライシングではHS拡張 モデルでは立地及び混雑度の情報が粗いということから含意は薄いが、ADL空間モデルではコード ンの設定場所と価格設定が適切ならば十分な含意があるとされ、GPS課金についてはHS拡張モデ ルでは十分な含意あり、ADL空間モデルでは含意はあるが過剰な技術の点で問題ありとされた。こ れらの検討から、論文提出者はわが国をはじめとする先進国の都市の道路混雑に対処する目的から は、多くの場合でコードンプライシングの応用が適切であると結論付けている。
さらに、実証分析として九州の4都市(九州における都市人口の上位4都市でもある福岡市、北 九州市、熊本市、鹿児島市)での主要国道を対象に、平成17年度の道路交通センサス・データを 用いてコードンプライシングでの望ましい課金ポイントの設置点が示されており、現実面との接近 が図られている。
第4章では、道路投資政策の理論的考察が行われている。道路ネットワークが完成しつつある都 市においても、現時点で道路投資が不要というわけではないことから、第2章で検討されたHS拡 張モデルにおける投資の考え方は都市の道路交通政策に対する含意を有するとしている。この認識 から、交通経済学における道路投資の考え方を都市経済学、この場合はHS拡張モデルの観点から 評価することが試みられている。
交通経済学における投資研究手法をレビューし、その問題点として限界的な分析ではないこと、
外部不経済を反映しないことによる最適とのかい離があること、さらに便益の主要部分を占める時 間評価値には全国一律の所得接近法によるものが用いられていることを指摘している。これらへの 対応と成すべき今後の改善点として、限界的な分析、時間費用に関する説得的な計測手法の確立が 必要であることを提唱している。
第5章はわが国の都市における道路投資の現状を考察するものである。近年、公共プロジェクト に費用対効果分析による評価が要請されているが、道路投資の分野ではいち早くこの分析が取り入 れられてきた。その客観性を広く担保する上で2004年以降国土交通省道路局、都市・地域整備局 により費用便益マニュアルが作成されるようになっているが、論文提出者はこれは道路利用者の最 適化行動を無視しており、経済学との不整合が極めて大きいと批判している。その具体的論拠とし て、投資効果は個々の行動変化の集計としての総体変化となるが、マニュアルではアンケート調査 をベースに総体変化を個別の変化へ落とし込んでいる、さらに総体変化についても適切な推定とは 言い難い点を挙げている。
このことから、都市経済学と論理整合的な便益評価モデルである応用都市経済モデルに注目して いる。同モデルでは交通費用の変化が土地利用均衡に与える影響が算出できる工夫がなされており、
既存の手法ではアドホックにしか求めることができなかった投資便益の転移についても、モデルの
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中で求めることが可能となっているからである。一方、このモデルは確かに理論的には精緻化され たものであるが、計算上の仮定をおかざるを得ない、また仮定をおいても計算量が膨大となるとい う側面も同時に抱えている。さらに、便益推定に関しては従来の時間価値に依存しているという問 題点もある。
これらを勘案して、論理整合性には問題はあるものの、費用便益マニュアルにも維持更新期にあ る道路投資という現実的側面から一定の評価を与えることも行っており、そこでの個々の手法の改 善を図るとともに、プロジェクトの性質に応じた推定方法の選択が必要となるとしている。現実と 密接に関連した対象を究明すべきである交通研究の出発点からの推論であろう。
第6章は軌道系交通など道路交通と密接な関連のある市場を考慮に入れた検討を試みたものであ る。そこには、他の交通機関、とりわけ公共交通機関では、その運賃が混雑を反映したものとなっ ていないことが、道路交通サービスの価格形成に制約となっているという論文提出者の問題意識が ある。このことをはじめとした諸々の影響を加味した需要管理政策の検討が必要であるとするもの である。道路交通政策において制約となる他の要因として、建造物の耐久性、環境基準、通勤費補 助、物流、公平性、を挙げて検討が試みられている。道路交通政策を論ずるに当たりこれらの制約 抜きに考察することは極めて非現実的であるだけに、論文提出者の着眼と検討は実証分析に結びつ ける上でも有用である。
道路交通と代替的な公共交通に関しては、まず混雑の性質の違いを検討し、既存研究の成果を活 用することによりそれは本質的ではなく、したがって混雑に対しては道路と同様に扱うことが可能 であることを確認している。また、現実的制約から他の交通機関の価格形成を所与とした場合には、
全体としての移動の効率性を改善するために、非効率的な交通機関から効率的な価格形成が可能な 道路へと利用者を誘導するよう、ピーク時間帯前後で道路交通への補助が望ましいケースが指摘さ れうるとしている。
建造物の耐久性に関しては、その不可逆的性質からネットワークの構築期では制約となるが、完 成期では混雑対策の大きな制約とはならないとしている。環境基準については、すでに多くの環境 規制が実施されているため、土地利用を変更するような混雑対策は実施が困難であるが、土地利用 一定の下での混雑対策であれば制約とはならないとしている。わが国特有の制度でもある通勤費補 助は土地利用を歪める可能性が高いことから、本来的には制度の廃止が望ましいとしながらも、わ が国の通勤費補助は利用時刻ではなく通勤距離に依存して給付されているため、土地利用一定の下 での時間変動課金であるADL課金は相対的に影響を受けにくい可能性があることを指摘している。
都市内物流では基本的にトラック以外の代替的手段が存在しないこと、荷主に対して物流事業者の 市場競争力が弱いこと等から、課金による影響をより強く受ける可能性があるため、少なくとも短 期的にはトラック事業者の負担軽減が必要であるとしている。これらとは幾分次元が異なるものが 公平性である。初期賦存量の相違による個人ごとの所得の偏りが立地の自由度や選択可能な交通手 段に影響を与えるため、社会的な再分配が望まれるという点で公平上の課題がある。その一方で、
施設一定のADL課金は配分方法の変更に伴う反発を抑えられるものであり、土地利用一定の下で の混雑対策であれば制約とはならない可能性があることを指摘している。
第6章のまとめとして、先に指摘した道路交通サービスでのピーク時間帯前後には代替交通機関
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より価格が低い時間帯を設けることの望ましさ、長期的には道路交通以外の交通施設や密接に関連 する領域での市場の失敗への補正について、実行可能な方策を検討することの重要性、特に課金と 直接的関わりをもつ物流効率化施策の優先的実施の必要性を指摘している。
第7章は、価格形成と投資の一体化を検討すべく、道路政策の効率化に向けた各国の動向を、理 論と制度設計の整合性を検証するという視点で綴られている。検討対象都市として、道路ネットワ ークが完成に近い代表例であるストックホルム、ロンドン、ニューヨーク、マンチェスターを詳細 に扱っている。加えて、ロードプライシングを実行中のロンドン、シンガポール、ベルゲン、オス ロ、ストックホルム、ミラノの6都市、検討中のスウェーデン(大型貨物車対距離課金)、オラン ダ(対距離課金)の2カ国、断念したニューヨーク、マンチェスター、エディンバラの3都市につ いては、導入の背景・経緯や導入の際に用いたデータ等、課金スキーム(目的、対象、額、方法、
料金収入の使途)、導入から現在までの変遷とその背景、課金に対する評価の各項目(検討中の2 カ国については課金に対する評価の項目はなし)を2009年1月1日時点として一覧表(表7−1〜
7―3)にまとめている。これら一覧表に盛り込まれた情報量は極めて豊富であり、わが国でのロー
ドプライシング政策を検討する上でも、利用価値の高いものである。
論文提出者の提唱する時刻と空間の差別の導入と現実の政策との関連から、時刻差別については、
①多くの都市で差別の刻みが粗いこと、②ストックホルムではその刻みは細かいものの、課金額の 変化率が適切ではない可能性が暗示されること、空間差別については、コードンの設置個所数の不 適切性が疑われるケース(マンチェスター)もあるが、多くは適切であることを推論している。こ れらのことから、空間差別より時刻差別に課題が多いとしているが、その背景に時間費用の推計が 関係していると考え、時間費用の精度の高い推計を論文提出者自身の今後の研究課題であるとも位 置付けている。
第8章は本論文の結論の章である。まず、第1章から第7章までの研究内容の総括を行っている。
その上で道路ネットワークの整備状況の観察、検討結果から、今日は投資より需要管理の時代に移 っていること、その際、必要とされる道路投資は適切な価格形成を前提に判断すべきことを再確認 し、今後のわが国の都市道路政策について
① 価格形成・投資に不可欠な時間費用の推定を適切に行うこと
② 技術革新の成果である電子課金を活用して、可能な範囲で差別を細かく行うこと ③ 課金上の制約を代替交通機関の運賃等を考慮して、制度設計に組み込むこと ④ 課金により経済厚生が劣化する道路利用者に対して、適切な補償措置を講ずること の4点を提唱して、本研究のむすびとしている。
Ⅲ 審査結果 本論文の審査結果は以下のとおりである。
1.本論文の長所
本論文には次のような長所が認められる。
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(1)本論文はネットワークが完成しつつある都市の道路政策のあり方について、情報通信機器の 普及という現実的側面を考慮に入れて、都市空間の効率的利用における道路サービスの価格形成 を論じようとする明確な問題意識に基づき、理論的、実証的研究を試みたものであり、その内容 は精度の高いものとなっている。
(2)その際、交通経済学の手法に加えて、都市経済学の手法を積極的に取り入れた考察を行ってい るが、これからの交通サービスの価格形成政策、投資政策を広範な観点から論理整合的に論ずべ きであるとするこの種の研究分野で、交通経済学から都市経済学、さらには地域経済学、空間経 済学に拡大して検討を行うべきだとされる時代の動向に沿うものとなっている。現段階でこのよ うな成果は日本交通学会では実質的にほとんど生み出されていないので、本研究は十分な評価に 値するものである。
(3)具体的には、経済学の手法を現実の交通分析に適用することに鋭意留意し、定評ある既存研究 の成果を活用している。道路サービスの価格形成を論ずるに当たり、時刻(いつ)と空間ないし 地点(どこで)を捨象しないモデルの重要性を指摘した上で、本研究のベースとなる既存モデル の拡張版を用いることによって分析をしているのが本論文の大きな特徴となっている。さらに、
時刻と空間ないし地点を組み込むことの必要性を現実のデータを分析することで確認している ことから研究結果の説得性が高められている。
(4)わが国でのロードプライシング政策として、コードンプライシングの適用を説いているが、そ の背景となる理論はもとより、諸外国での教訓から示唆に富む提唱を行っている。本研究でのわ が国の政策論議へのインプリケーションに十分留意した成果となっている。
2.本論文の短所
その一方で、本論文には短所、問題点がないわけではない。
(1)本論文提出者が理論研究のベースとしているHSモデル、ADLモデルはそれぞれ1960年、
1990年のものであり、その後の研究者がこれらモデルの拡張の試み、技術革新を考慮した上での 適用可能性への評価をどのように行っているのかに考察の余地が残されている。
(2)本研究をさらに精度の高いものとするには交通費用関数、とりわけ時間費用の推計が必要で あるとされているが、そのための基礎データとして現実的にどのようなものが要請されるのか、
推計に向けての提出者自身の着想は現段階でどのようなものであるのかについて示しておく必要 があった。
(3)実証研究に留意しており、基礎データの制約はあるものの、理論研究との対応に一層留意す べきであるという要望が否定できない。
3.結果
本論文提出者は早稲田大学商学部生であったころからロードプライシングに関心を寄せ、その 研究に従事してきたが、本論文はそれを2003年4月に早稲田大学大学院商学研究科に進学以来、
鋭意発展させてきた成果であり、優れた内容となっている。本論文には上記の問題点が残されては いるものの、提出者の持ち続けている学問に対する斬新な問題意識、日頃の真面目で意欲的な研究
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姿勢からすれば十分に克服されうるものであり、要望点は本論文の学術的価値を何ら損なうもので はない。
本論文は2010年10月に早稲田大学大学院商学研究科において博士学位論文の審査要件を充足し ていることが確認され、その受理が決定された。その後11月の公開報告会、審査員による予備審 査会、最終面接においても優れた成果であると判定された。提出者橘 洋介は2006年4月に早稲 田大学商学部助手、2009年4月に同助教に嘱任されて以来、勤勉に業務に従事、専門英語講読の 講義に当たってきた。また、その間日本交通学会、応用地域学会、日本経済学会で研究報告を行っ ており、新進気鋭の研究者としての期待も集めている。
以上の審査結果に基づき、本論文提出者橘 洋介は、「博士(商学)早稲田大学」の学位を受ける 十分な資格があると認められる。
2011年1月24日 審査員
(主査)早稲田大学教授 商学博士(早稲田大学) 杉山 雅洋 早稲田大学教授 Ph.D.(ロチェスター大学) 佐々木宏夫 早稲田大学教授 博士(商学)早稲田大学 嶋村 紘輝 東京大学名誉教授 東洋大学教授 Ph.D.(ハーバード大学) 太田 勝敏