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-49- 浄瑠璃曲節(ハヅミ) の研究

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(1)

浄 瑠 璃 曲 節 ( ハ ヅ ミ )   の 研 究

‑宇治加賀操と ﹃小竹集﹄ (井原西鶴序) との関係から

井原西鶴の仝著作中において、浄瑠璃作品の占める割合はご‑僅かである。浄瑠璃

作者としての近松門左衛門が生涯を通じて何人もの浄瑠璃太夫に語‑物を提供し続け

たのとは異な‑、俳語や小説の世界で既に高名を得ていた西鶴は'宇治加賀操という

たった一人の太夫にその作品を書き与えた。

淀屋

橋を

越て

'

めりも

わかなく、若い

者畠や

け ら ふ ぬ 中

蒜諾品妄 SL,そ蓋冨

雲孟

.静に

絶三

ふ‑しま    かはず       あめ  からかさ福嶋川の蛙声ゆたかに、雨は 傘

‑!二;

嵩の相場定ま‑て

ろ ばん  まくら )()市の人立も

掛硯に寄添て十露盤を枕として

小竹集をひらき

つとて、尻拍

拍子を取、ぬれの段程おもしろきはなしと語るに付て'家々に勤め

し上女の品走

asumつき'八橋の

吉責め

いづれもならべて弐つ紋といへる悪口

潰芝

居の

千歳

老、

かほ見るにおかしげなる頁

(傍

線部

筆者

注)

引用は、井原西鶴の

﹃好

色一

代女

﹄巻

五「

濡問

屋硯

」 

・=二郎である。ここにみえる﹃小竹集﹄は宇治加賀操の語‑物を集めた段物集で、「嘉太夫節」を好んだ西鶴に

I・‑J]よる序文が付されている。西鶴の加賀操最眉ぶ‑はう この序文においても余すところ

な‑表現されている。

東西/(1浄瑠璃ハいやしき物とて世に捨草の種なるを宇治加賀操一流を語るに聞

に万事の吟味謡にかハる所な‑人のな‑さむ業とな‑て七本骨の拍子扇子を貴人

の事毎にふれられし辛にそすゑく迄も今といふいま耳に穴あ‑てよき事を聞覚

え外な‑嘉太夫口真似をして月待下舟小風呂のうちにても此一ふしのやむ事なし

我も老楽の何がなと思ふに鞠に足よハ‑揚弓に眼定まらす時に大竹集を求めて明

暮是を見Lに懐中のならざるを用捨して節章を改め小竹集に移しぬ是なん小ハ大

を叶へる一冊也      (傍線部筆者注)

浄瑠璃太夫として活躍しながらも'謡への憧れとコンプレックスを持ち続けた加賀抜

田   草   川   み   ず   き

にとって、傍線部にあるような賛辞はまさに我が意を得たるものであったに相違な

い。しかしながら'実はこの段物集は'加賀操の校合を経ない西鶴自選のものであろ

うということが、現在までの様々な考証によって定説となっている。

(3 )

信多純一氏は、﹃小竹集﹄ の性質について次のように記す。

本書は'貞幸二年八月、その年正月よ‑浄瑠璃二作を引続いて執筆上演した西鶴

が'その自作の二作品の段物六段(集全体で十五段)を筆頭に据えて、自己宣伝

を兼ねて出版した加賀操段物集である。

序文に﹃大竹集﹄ の「懐中のならざるを用捨して節章を改め小竹集に移しぬ」

と記すが、これは早‑から指摘されてきたように西鶴の遁辞であって、仝‑新し

‑天和三年九月以降の新作を以って編集し、それに有名な﹃平安城﹄と﹃三社託

宣﹄ の二曲を加えたものである。自作二曲を巻頭に据え、大坂森田庄太郎の版行

にかか‑、加賀按の奥書を持たぬ本書は、藤井乙男博士が貴重図書影本刊行会本

﹃小竹集﹄ の解題において、加賀按とかかわ‑な‑西鶴が勝手に撰んで出版した

とされる推論の、妥当であることを示している。加賀操は自己の段物集に玲持を

持ち、このごとき小本の段物集の出版には抵抗があったものと思われる。

﹃小竹集﹄刊行以前の代表的な加賀按段物集は'加賀按自身の浄瑠璃芸論を序文に

据え'自署を備えた ﹃竹子集﹄、美濃紙を使った豪華大本である ﹃大竹集﹄などであ

った。﹃小竹集﹄出版が加賀操の与‑知らぬところで行われたことを示す根拠として

信多氏は、﹃小竹集﹄が明らかに加賀操の既刊の入行本に依拠した版下を用いながら'

丁∵文字譜の誤脱や本文の省略を多‑有するということを指摘している。

このように、﹃小竹集﹄は様々な問題を内包する段物集であるが、本稿はこの段物

集中にみられる'ハヅミという曲節をめぐって考察を行う。﹃小竹集﹄に所収されて

いる語‑物において、ハヅミの記譜が確認されるのは計六箇所である。加賀按の八行

本と比較してみると、ハヅミの文字譜にも本文にも異同はな‑、﹃小竹集﹄ の記譜に

(2)

は一見何の問題もないように思われる。しかしながら、文字譜としてのハヅミ周辺の、

胡麻章の配列に着目する時'﹃小竹集﹄が加賀操段物集であ‑ながら'おそら‑加賀

操自身の校合を経ていない本であろうことが浮き彫‑にされるのである。

)

節章の書き入れが'加賀操自筆のものと考えられている筆写本がある。加賀操床本

m y .

﹃つれづれ草﹄ である。同資料は詳細な節章が末筆にて加えられた献上本で、仝五段

のうち'第二段と第五段の二冊が残されている。このうち'第五段中の「木々の」と

いう詞章の句頭に'文字譜ハヅミが記譜されている。そしてその周辺には、特徴的な

胡麻章の配列がみられる。「乃」という字の第1画を取‑去ったような形をした胡麻

辛(

rr

lV

が、

句末

の 

「の

」 

1字

に三

度繰

‑返

し用

いら

れて

いる

.呑

ミ節

と呼

ばれ

る胡

麻章である。加賀按は'浄瑠璃芸論であ‑、同時に技巧論でもある﹃竹子集﹄序文で、

この呑ミ節の胡麻章を取‑上げ、「此Lやう謡のことし」と解説した。(︻図版①︼)

謡曲の呑ミ節は'現在左記のごと‑説明されるのが1般的であるo引用文中の(廻

シ)については、同書中に 「二音分の長さに謡ひ'母音 (謡曲では生ミ字と云ふ) で

真直ぐに音を下げるのが大体の形である。」とある。

r 呑ミ 廻シと同様に考へてよ‑'只音尾をンに (口をつむって声を呑むやう

に)発音するのである。尚音を上げも下げもせずその昔位のまゝ只「ン」と

発音する場合が往々ある。その時は弓に弦を張った様に呑ミ節に‑の記号を

付してある.(筆者注・弓に弦を張った様な呑ミ節1P・)

(藤

波紫

雪﹃

うた

ひ六

十年

﹄)

次に,謡曲における呑",節の使用例として,観世流現行乱射﹃隅田川﹄の詞章を取

り上げたい。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 地

(8 )

●を付したのが、呑ミ節の記譜箇所である。実際に謡う際の発音は'左の如‑である。

なむあみんだんぶつ なむあみだんぶつ なむあみだんぶつ なむあみんだんぶつ

: ca :

元和六年刊の元和卯月本一番本の﹃隅田川﹄を見てみると、現行謡本と仝‑同じ箇所に'呑ミ節の記譜をみることができる。また、世阿弥が佐渡配流中に作ったとされ る謡物八篇からなる﹃金島書﹄に見える'さどしまかいろたづすいしゆんこたはる︿佐渡の島までは'いかほどの海路やらんと尋ねLに'水手答ふるやう、造々のふな(ち)舟路な‑と

(10)という一節の「水手(すいしゅん)」について日本思想大系24﹃世阿弥・禅竹﹄には、

「水夫。舟の漕ぎ手。﹃ん﹄は呑ミブシのンの類の文字化らしい。」という注が、校訂

者である表章氏によって付されている。それが事実とすれば、謡曲における呑ミ節の

技法はかな‑古‑からのものと考えられ、加賀操が生きた時代には、当然その記譜と

謡い方は確定していたものと推測される。

それでは'加賀操は「此Lやう謡のことし」として挙げた呑ミ節の胡麻章を、実際

に呑んで発音していただろうか。宇治加賀操正本﹃忠臣身替物語﹄には、「ひら/\

とてふと‑封どのごとくにてO」という詞章があり、「な」(傍線部)に呑ミの胡麻章

が付されている。生ミ字を「ン」と語っていると考えれば、全体の発音は「ひらく

とてふと‑なんどのごと‑にて。」とな‑、ご‑自然である。また、前述の床本﹃つ

れづれ草﹄には、「ほのをにまざれうせiIげ‑。」という詞章があ‑'「て」(傍線部)

に呑ミの記譜がある。現行の謡曲﹃小鍛冶﹄には'ちょうど同じ「失せてげり」とい

う詞章があるが'やはり「て」に呑ミ節が付されており'「うせてんげり」と謡う。

また、同じ‑謡曲﹃実盛﹄で「捨ててげり」の繰り返し部分に当る方の「て」に呑ミ

節が記譜され'「すててんげ‑」と発音するなどの例もある。これは、﹃平家物語﹄で

よ‑みられる、助動詞「てんげ‑」の発音を節付で表したものと思われ'謡曲にしろ、

加賀按の浄瑠璃にしろ、当然それを念頭において春ミ節を付したものであろう。この

ようなことから'加賀操は謡曲の胡麻章から取‑入れた呑ミ節を、謡曲の謡い方に従

って、生ミ字部分を実際に「ン」と呑んで語っていたと考えられる。

さて、床本﹃つれづれ草﹄のハヅミに話を戻し、そこに記譜されている呑ミ節のあ

りようを今l度詳し‑説明したい。前述の通‑、「木々の」の句末「の」1字に'三

つの呑ミ節が連続して指されている。三つ並んだ呑ミ節の、二つ目と三つ目との間に

は句点があり、その斜め右下、つま‑三つ目の呑ミ節の、ちょうど右肩の位置に文字

譜へ中)が付されている。単純に並べると、「の」l字のうちに'(fyv中rnVと、

これだけの記譜がなされていることになる。一見して'複雑な節付であることが想像

される。この部分の音楽的な流れは、どのようなものであったろうか。

山根為雄氏は、加賀操と義太夫の節付の法則について、次のように記している。

別の曲節や音高が記譜されるまでは、現在の曲節の語りや音高が持続するから、

(3)

「地・地」、「ハル・ハル」などと、同種の曲節や同音高の文字譜は繰‑返して記

譜しない。これも両太夫に共通した記譜法である。「いづ‑にても先ハルよ‑出

れば

其音

にて

語其

中迄

は心

持右

のハ

ル 

中同

断」

 (

﹃浄

瑠璃

秘曲

抄﹄

) 

や、

「ハ

ルと

ハルを重ねて書‑べからず ハルと書たるあとはクとばか‑にてはい‑つ書ても

又ハルとは書‑べからず」 (﹃章句故実集﹄)は音高記譜の原則を示すものである。

クが繰‑返し使用可能というのは該当の一音節のみを浮かすからであってう りが

持続する特定の音高でないことは、「クはハルにり有中にり有」 (﹃浄瑠璃節章

揖﹄)からもしられる。      (「節付と臥和」)

床本﹃つれづれ革﹄の'ハツミの記譜される直前の文字譜を辿ってみると'(ハル)・

(ウ)・(キン)・(ウ)が付されている。山根氏の説では'(ウ)は一音節のみにかかる

( EJ )

記譜なのでそれは除外するとして'(ハル)は当然高音を示す文字譜であ‑'(キン)

については'それが当時持続する音高であったか確定し難いが、いずれにしてもやは

り高い音を表す記譜である。そしてハヅミに伴う三つの呑ミ節の'三つ目の直前に至

って、持続する音高(中)の文字譜が付される。従ってこの三つの呑ミ節は、二つま

では高い音高で 「きざのんおん」と語られた後、句点'つま‑息継ぎを挟み(中)の

低い音に落とし、もうひとつ 「おん」と続けて語られたものと思われる。全体として

は 「きざのんおん、おん」という発音になる。たいへん工夫された節付と言ってよい

であろう。「ふしくぼりこまかに。よハ′′\たよ/\。うつ‑し‑かた‑出せバ。」 (﹃今

昔操年代記﹄) との加賀操の評判を妨餅とさせる。

( 二 )

床本﹃つれづれ草﹄ のハヅミ部分「木々の」を、「きざのんおん'おん」と発音す

る、という前章での推測をある程度裏付けることが出来る資料として、寛延二年(一

七四

九)

 に

刊行

され

たい

わゆ

る「

節づ

‑し

」、

﹃音

曲初

心伝

﹄ 

(竹

本民

太夫

撰・

山本

( S 3 )

兵衛枚)が挙げられる。この「節づ‑し」の中には、次のように記された箇所がみら

れる

ハヅミといふハンアン、ア、ン是とかや すぐに行のもハヅミ也。

「ハ7<ア7rア、7<」というのは明らかに三つの呑ミ節の発音(傍線部)と、その

間の句点(波縁部) の存在を表してお‑、加賀操が﹃つれづれ草﹄に自ら記譜したハ

ヅミの節章も'おそら‑このような語‑方を示すものであろう。そして、﹃音曲初心

伝﹄中でさらに注目されるのは、「すぐに行のもハヅミ也」という、もう1種類のハ

ヅミの存在が語られていることである。今まで考察してきた春ミ節を重ねるハヅミと

異な‑、後者の胡麻章の状態をみると、「すぐにゆ‑のも」という一昔ずつに、長め

の上章へ/)や下章(\)を付した構成となっている。これらはひとつにアクセン‑

の強い昇降を表すと考えられ、「すぐに行」とは、生ミ字部分を連続して伸ばしなが

ら語る前者に比しての印象を述べたものと推される。この二種類のハヅミのうち'仮

に前者をハヅミAt後者をハヅミBと呼ぶことにしたい。(︻図版②︼ ︻図版③︼)

さて、このハヅミA・ハヅミBは、実際にはどのような使われ方をしているだろう かo  ︻ 表①

︼は

、加 賀操 正本 三九 冊、 義太 夫及 び竹 本座 上演 正本 10 1冊 中の

、ハ ヅ

C 3)

ミ周辺の胡麻章を調査し'ハヅミAとハヅミBとに分類した一覧表である。この表を

みると、加賀接正本中四五個のハヅミのうち'ハヅミBはひとつもない。四五個すべ

てがハヅミAである。それに対して義太夫は'ハブミAとハヅミBを併用していたこ

とがわかる。

加賀操が使用したハヅミAは、床本﹃つれづれ草﹄中のハヅミと同じ‑'三つの呑

ミ節が続けて記譜されう その二つ目と三つ目の間に句点が挟まるのが基本的な形であ

る。それに、ごく僅かながら'通常三つである呑ミ節が二つになっているもの'三つ

の胡麻章のうち、二つが呑ミ節、ひとつが振り章二)になっているなどの変型もみ

られる。それらを含め、今回調査した限‑において加賀操の使用するハヅミとは、

①呑ミ節を重ねる

②一昔に複数付された胡麻章の間に句点を挟む

( s)

という二つの条件を備えた文字譜であると定義できよう。

ところが'管見に入った加賀操のハヅミ記譜で、この定義を逸脱したものが三箇所

にみられた。ひとつは'早稲田大学演劇博物館所蔵の ﹃猫魔達﹄末尾の'「ねこまた

忍び

の歌

」中

のハ

ヅミ

であ

る。

(︻

図版

④︼

)秋

本鈴

史氏

は'

﹃近

松全

集﹄

第十

四巻

(岩

波書店) の ﹃猫魔達﹄解説中で'次のような所見を示している。

底本とした早大演博本には第五の後に「ねこまた忍びの歌」 の一丁が加えられて

いるが'同板の阪大本にはない。絵入本は巻末落丁のため不明であるが'本作の

参考として掲出した。この歌の内容を本作でみると'第二のきよ照姫の寝所に忍

び入る場面に符合するのではないかと思われる。

︻表①︼にある如‑'三九冊の正本中のハヅミ記譜が、全てハヅミAであったこと、

また、演博本﹃猫魔達﹄が右の如き事情を持つことを考え合わせると、この 「ねこま

た忍びの歌」 は加賀操の手によるものでな‑'後に他者によってつけ加えられたと考

えることも可能ではなかろうか。

(4)

竹 本 座 正 本 外 題 ハ ヅ ミA ハ ヅ ミ B

1 出 世 景 清 0 0

2 三 世 相 0 0

3 佐 々 木 先 陣 0 0

I 薩 摩 守 忠 度 0 2

5 主 席 判 官 盛 久 0 2

6 今 川 了 俊 1 0

7 津 戸 三 郎 0 1

8 烏 帽 子 折 2 0

9 大 覚 大 僧 正 御 伝 記 1 0

10 天 智 天 皇 2 2

l l せ み 丸 1 5

1 2 大 磯 虎 椎 物 語 1 0

13 吉 野 忠 信 1 2

1 4 十 二 段 2 2

1 5 本 朝 用 文 章 0 0

1 6 最 明 寺 殿 百 人 上 月 2 0

1 7 曾 我 五 人 兄 弟 0 1

1 8 団 扇 曾 我 0 0

1 9 百 日 曾 我 1 1

2 0 曽 根 崎 心 中 1 0

2 1 用 明 天 王 職 人 鑑 1 1

2 2 心 中 二 枚 絵 草 紙 0 0

2 3 本 領 曾 我 1 0

2 1 加 増 曾 我 2 0

2 5 I'll月 やt 紫 1 1

2 6 堀 川 彼 鼓 0 0

2 7 卯 月 潤 色 1 0

2 8 五 十 年 忌 歌 念 仏 0 0

2 9 松 風 村 雨 束 帯 鑑 5 1

3 0 心 中 重 井 筒 0 1

3 1 丹 波 与 作 待 夜 の こ む ろ ぶ し 2 0

3 2 雪 女 五 枚 羽 子 板 1 2

3 3 け い せ い 反 魂 香 1 0

3 4 心 中 刃 は 氷 の 朔 日 0 0

3 5 淀 鯉 出 世 滝 徳 0 0

3 6 傾 城 吉 岡 染 o 0

3 7 心 中 万 年 革 0 0

3 8 酒 呑 童 子 枕 言 葉 1 0

3 9 7* ‑* ‑flS 3 1

4 0 源 氏 れ い ぜ い ぶ し 1 0

4 1 兼 好 法 師 物 見 車 2 1

¥2 碁 盤 太 平 記 0 0

4 3 吉 野 都 女 楠 0 1

4 4 鎌 田 兵 衛 名 所 盃 1 0

4 5 源 義 経 将 某 経 1 0

4 6 曾 我 扇 八 景 1 0

4 7 曾 我 虎 が 磨 1 0

IS 今 宮 の 心 中 0 0

4 9 冥 途 の 飛 脚 1 0

5 0 百 合 若 大 臣 野 守 鏡 o 0

5 1 大 職 冠 1 0

5 2 夕 霧 阿 波 鳴 渡 0 0

5 3 け い せ い 掛 物 揃 2 0

5 4 姫 山 姥 1 0

5 5 長 町 女 腹 切 0 0

5 6 殊 静 胎 内 措 1 1

5 7 天 才申記 2 0

5 8 持 統 天 皇 歌 軍 法 0 0

5 9 相 模 入 道 千 疋 犬 1 0

6 0 釈 迦 如 来 誕 生 会 1 0

6 1 蛾 歌 か る た 2 0

6 2 嵯 峨 天 皇 甘 露 雨 1 0

6 3 弘 徽 殿 鶴 羽 産 家 1 0

6 4 賀 古 数 倍 七 墓 廻 2 1

6 5 音 曲 百 枚 笹 3 0

6 6 柁 狩 剣 本 地 3 0

6 7 大 経 師 昔 暦 1 0

6 8 生 玉 心 中 0 0

6 9 国 性 爺 合 戦 2 1

7 0 国 性 爺 後 日合 戦 0 0

7 1 鎗 の 権 三 重 惟 子 0 0

7 2 聖 徳 太 子 絵 伝 記 1 0

7 3 山 崎 与 次 兵 衛 寿 の 門 松 1 0

7 4 日 本 振 袖 姶 2 0

7 5 曾 我 会 稽 山 1 0

7 6 傾 城 酒 呑 童 子 0 0

7 7 博 多 小 女 郎 波 枕 1 0

18 本 朝 三 国 志 3 0

7 9 平 家 女 護 島 2 0

8 0 傾 城 島 原 蛙 合 戦 1 0

8 1 井 筒 業 平 河 内 通 2 0

t>!̲ 双 生 隅 田 川 1 1

8 3 日 本 武 尊 吾 妻 鏡 2 0

8 4 心 中 天 網 島 1 0

8 5 津 国 女 夫 池 1 0

8 6 女 殻 や由地 獄 0 0

8 7 信 州 川 中 島 合 戦 2 0

8 8 唐 船 噺 今 国 性 爺 o 0

8 9 浦 島 年 代 記 5 0

9 0 心 中 宵 庚 申 0 0

9 1 関 八 州 繋 馬 2 0

9 2 他 力 本 願 記 1 0

9 3 悦 賀 楽 平 太 2 2

9 4 日 親 聖 人 徳 行 記 2 0

9 5 融 の 大 臣 1 0

9 6 文 武 五 人 男 4 1

9 7 当 流 小 栗 判 官 3 3

9 8 田 村 将 軍 初 観 音 3 0

9 9 善 光 寺 御 堂 供 養 3 0

10 0 仏 御 前 扇 軍 3 0

10 1 大 塔 官 職 鎧 1 0

12 1 3 7

加 賀 按 正 本 外 題 ‑' 5. A ハ ヅ ミ B

1 三 社 託 宣 由 来 1 0

2 念 仏 往 生 記 1 0

3 年 若 千 人 切 1 0

I 東 山 殿 子 日遊 1 0

5 つ れ づ れ 草 1 0

6 平 安 城 1 0

7 十 六 夜 物 語 1 0

s 鳥 羽 恋 壕 物 語 1 0

9 伊 勢 物 語 2 0

10 ti *ft や 1 0

l l 以 呂 披 物 語 1 0

12 藍 染 川 2 0

13 千 載 集 2 0

14 巴 太 鼓 2 0

15 盛 久 2 0

16 あ ふ ひ の う へ 1 0

17 舎 利 1 0

18 女 人 即 身 成 仏 記 1 0

19 南 大 門 秋 彼 岸 1 0

2 0 団 扇 曾 我 1 0

L'l 曾 我 七 以 昌 枝 1 0

> 蝣) 本 朝 中 古 花 鳥 伝 0 0

2 3 天 鼓 (丹 州 千 年 狐 ) 2 0

2 4 薩 摩 歌 2 0

2 5 一 心 五 戒 魂 1 0

2 6 源 頼 家 鞠 始 0 0

2 7 東 山 殿 追 善 能 1 0

2 8 猫 魔 達 1 0

2 9 善 峰 寺 開 帳 0 0

3 0 愛 染 明 王 影 向 松 1 0

3 1 曽 我 花 橘 0 0

3 2 丹 波 与 作 待 夜 の 小 室 節 1 0

3 3 大 食芳虎 が 磨 2 0

3 1 冬 牡 丹 女 夫 獅 子 2 0

3 5 長 命 寺 開 帳 1 0

3 6 傾 城 浮 洲 岩 0 0

3 7 三 井 寺 不 動 明 王 豊 年 護 摩 3 0

3 8 誓 願 寺 遊 行 念 仏 2 0

3 9 愛 宕 山 旭 峰 0 0

4 5 0

(5)

そして、加賀操の頑ななまでの、呑ミ節を重ねたハヅミへのこだわ‑に反している

残‑

の二

箇所

は'

﹃小

竹集

﹄中

のハ

ヅミ

記譜

であ

る。

(︻

図版

⑤︼

 ︻

図版

⑥︼

) 

「凱

陣八

よしつね道行」と「暦 あさがほ姫道行」とにそれぞれみられるハヅミは、呑ミ節

ふたつの後の、本来句点が指されるべき箇所に、廻シ(「)と直幸八一)が続けて記

譜されている。その後に'常ならば句点後に付される三つ目の呑ミ節が続く。これは、

句点(△)が誤った解釈によって、廻シと直幸(「この形に模写されてしまったも

のと

考え

られ

る。

﹃小

竹集

﹄に

は他

にも

'文

字譜

(三

重)

、同

じ‑

文字

譜(

フシ

)の

「フ

一字の欠落などがある。(信多氏の指摘による。注4参照のこと)。また、加賀操がお

そら‑謡本の形式を模して使用していた、一般の文章や義太夫節正本においては行の

末尾に付される句点を次行のあたまに送る記譜様式も、﹃小竹集﹄ では義太夫式にな

3

‑、行末尾に句点が付されている。謡へのこだわ‑が強かった加賀接にとって、承服

( S)

し難い改変であったろう。しかしそれらもさることながら、前述の二箇所のハヅミ記

譜にみられるミスは、三九冊の正本中で四五個ものハヅミを用いながらその記譜形態

に一箇所の狂いも許さなかった加賀按の段物集において、あり得べからざる喉壇とな

ったのである。

(≡ )

加賀操が'自己の浄瑠璃正本において記譜の様式を大き‑改革したことは、左の如

I . { ‑ . I

き同時代・次代資料にも記されている。

けいこ本人行を。四条小橋つぼやといへるに版行させ。浄る‑本に謡のごと‑

フシ章をさしはじめしハ此太夫(加賀操・筆者注) ぞかし。 (﹃今昔操年代記﹄)

氏山本氏

十ノ、 二 才dL>

(井

上播

磨操

、山

本角

太夫

・筆

者注

)の

時代

h

は絵入細字の読本計

にて稽古本と云ハ曽てなし貞享乙丑年に七

L L

ツ伊呂彼の

がう

浄る‑五段を大字入行に

これけい こ ぼん  さいしよなり板行させ宇治加賀操節章を指し直の正本と号して出さる是稽古本の最初也

(﹃

外題

年鑑

﹄宝

暦版

・傍

線部

筆者

注)

大字八行本版行の噂矢は、現在「牛若千人切」と考えられているが、傍線部にみら

れる述懐は確かで、加賀操以前の古浄瑠璃正本には、胡麻章はもちろん文字譜も豊富

と言えなかった。その中で、当時としては画期的な記譜がなされていた井上播磨接の

段物集﹃忍四季揃﹄には'フシハツミ・ハツミフシなどの文字譜を付した後の文末一

字に、単純な胡麻章を三つ記した例二 ㌦ こがみられる。ハヅミAにかな‑近い記

譜であり'ハヅミAの原型にあたる曲節が、既に播磨抹時代から存在していたことが

( 2)

わかる。ただし語り方に関しては'播磨操がその頃から生ミ字を呑んで語っており'

それを正本に反映させるべ‑加賀操が呑ミ節の胡麻章を当てはめたのか'もしくは単

に生ミ字をそのまま引‑語り方だったものを'加賀操が呑ミの技法を採‑入れ、記譜

も春ミ節に変えたものか'そのあた‑の経緯は不明と言わざるを得ない。しかしなが

ら、加賀操が﹃竹子集﹄序文で春ミ節の胡麻章について解説を加え、また自らの正本

のハヅミ部分に常に定まった記譜を施したことによ‑、ハヅミという曲節(加賀掠型

のハヅミA) の音楽性は'現代においてもある程度推測することが可能なものとなっ

た。ましてや、同時代の稽古者たちへの恩恵は、相当大きかったと想像できる。それ

はまさに浄瑠璃正本の進歩であったといえよう。

このように加賀操は、ハヅミという曲節をA型で定義づけ'そのことによってハヅ

ミAを自らの浄瑠璃曲節とし、生涯にわたり記譜を続けた。播磨操以来のハヅミAの

系譜を義太夫もまた受継ぎ'加賀按型の呑ミ節を重ねたハヅミを使用している。しか

しながら先に述べた通‑、加賀操にとってハヅミとは、呑ミ節を活かしたハヅミAの

みであったのに対し、義太夫はハヅミAだけでな‑'上章・下章を連ねたハヅミBの

記譜も行っている。そこで、義太夫及び竹本座上演の近松作品の、ハヅミA・ハヅミ

(

S

3

)

(

2

1

)

Bの記譜の割合を︻表②︼ に示した。この表によって'竹本座のハヅミ記譜を年代順

にみてゆ‑と、そこには大きな変化が現れている。

まず、貞享二刀禄期の正本、﹃薩摩守忠度﹄から﹃曽根崎心中﹄までにおいては、

ハヅミA・ハヅミBの割合は約三対四で、ハヅミBの方がよ‑多‑使用されている。

ところが宝永期に入ると'その割合は約三対一と大き‑逆転する。さらに正徳期に至

っては、約十対一でハヅミAが多用されるようになるのである。義太夫の最後の語‑

物﹃蛾歌かるた﹄以降、つま‑義太夫没後の竹本座で上演された近松作の正本二十三

作のうち、ハヅミBが用いられているのは'﹃椎狩剣本地﹄・﹃国性爺合戦﹄・﹃双生隅

田川

﹄ 

の'

僅か

三作

品に

過ぎ

ない

先に挙げた﹃音曲初心伝﹄では'ハヅミAがハヅミBに先立って記されていた。「ハ

ヅミ (A) といふは是とかや すぐに行のもハヅミ (B) な‑」という文脈からも'

同じハヅミでも'ハヅミAの方が'よ‑ポピュラーな曲節であったことが窺える。さ

らに、﹃音曲初心伝﹄とほぼ同時期に成立し、寛延二年(一七四九) に刊行された二世竹本政太夫による節づ‑し﹃音曲フシ(髪では、ハヅミAのみが取‑上げられてい

る。

その後もハヅミという曲節は、様々な浄瑠璃解説書に登場して‑る。竹本錦太夫・

竹本政太夫評﹃浄瑠璃秘曲抄﹄ (寛延元二七四八年) は'ハヅミについて「是に三

ツあ‑。」とし、一つ目にハヅミAを挙げている。残‑の二つには、「大方修羅の内」

(二つ冒)、「風俗三の口に」 (三つ目) という異なった説明が付されるが、記譜の上で

(6)

一ヽ ヽ‑‑ ‑I‑ 一一一ヽ

l.Ir.ヽ"1<ヽ)一一イ

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i九十ムノウハ 摩‑a

〔図版(D〕

『竹子集』序文

(慶雁義塾大学三田メディア センター蔵110×‑232‑1)

5 ; 打 つ 許 軒 J 二

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〔図版(む〕

『猫魔達』 「ねこまた忍び の歌

(早稲田大学演劇博物館 蔵 ニ7‑210)

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〔図版②〕

『竹子集』 「虎のまき らんぎよく」

(所蔵・同右)

‑ ・ 十 ㌦ 二 十

∴ ・

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l

〔図版⑤〕

『小竹集』

「よしつね道行」 (『凱陣八 嶋』)

(早稲田大学21世紀COE演劇 研究センター蔵 COE2‑1)

yt'1.¥1vl'.a‑.v¥‑j」'‑」

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‑ w t 声 / 〆

・ 閲 は 川 風 凹

* 1 S

'

O ' M

〔図版③〕

竹本義太夫正本『主馬判官盛久』

二段日「あけぼのむまこうた」

(早稲田大学演劇博物館蔵 二10‑

696)

在 閲 旧 帽

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甲府

〔図版⑥〕 『小竹集』

「あさがほ姫道行」

(『暦』) (所蔵・同右)

(7)

宗 塗

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888582797673706764615855524946434037343128252219161310 7 4 1

‑ハヅミA ‑ハヅミB

宇 治 加 蔓

(正

徳元

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月二

[日

)

ー竹本義太夫投

(正

徳四

年九

月一

〇日

)

302928272625242322212019181716151413121110 9 8 7 6 5 4 3 2 1

ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ

出世景清三世相佐々木先陣薩摩守忠度主馬判官盛久今川了俊津戸三郎烏帽子折大覚僧正御伝記天智天皇

せみ

大磯虎椎物語吉野忠信十二段最明寺殿百人上腸日本西王母曾我五人兄弟団扇曾我百日曾我曽根崎心中用明天王職人鑑心中二枚絵草紙本領曾我加増曾我卯月紅葉堀川波鼓卯月潤色五十年忌歌念仏松風村雨束帯鑑心中重井筒

31

60 59 58 57565554 53 52 51 50494847464544434241 403938373635343332

ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ   ヽ

丹波与作待夜のこむろぶし雪女五枚羽子板けいせい反魂香心中刃は氷の朔日淀鯉出世滝徳傾城吉岡染心中万年草酒呑童子枕言葉畢常盤源氏れいぜいぶし兼好法師物見車碁盤太平記吉野都女楠鎌田兵衛名所盃源義経将黍経曾我扇八景曾我虎が磨今宮の心中

冥途の飛脚百合若大臣野寺鏡太職冠夕霧阿波鳴渡けいせい掛物揃殖山姥長町女腹切殊静胎内措天神記持統天皇歌軍法相模入道千疋大釈迦如来誕生会

90898887868584838281 8079 787776 7574 73 72 71 70696867666564636261

蛾歌かるた

嵯峨天皇甘露雨

弘徽殿鶴羽産家

音曲百枚笹

椎狩剣本地

大経師昔暦

生玉心中

国性爺合戦

国性爺後日合戦

鎗の権三重惟子聖徳太子絵伝記

山崎与次兵衛寿の門松

日本振袖始

曾我会稽山

傾城酒呑童子

博多小女郎波枕

本朝三国志

平家女護島傾城島原蛙合戦

井筒業平河内通双生隅田川

日本武尊吾妻鏡

心中天網島

津国女夫池

女殺抽地獄

信州川中島合戦唐船噺今国性爺

浦島年代記

心中宵庚申

関八州繋馬

(8)

は双方に殆ど変わ‑はない。胡麻章自体が仝‑付されておらず、A型でもB型でもな

い'新たな形態のハヅミである。二世豊竹此太夫﹃浄瑠璃節章揖﹄ (安永六二七七

:,I)I

七年) では、ハヅミAがハヅミフシとして紹介され、ハヅミとされているのはハヅミ

A・Bの混成型のような曲節である。また、片山林鹿軒の﹃要曲異見衰﹄ (文化八・

一八二年カ)では'ハヅミAと'﹃浄瑠璃節章揖﹄にみられたハヅミA・B混成型、

そして﹃浄瑠璃秘曲抄﹄にハヅミとして記載されていた新たな型が、「是は大かた修

羅のうち」と断られた上で、すべてハヅミフシとして記されている。さらに、﹃浄瑠

璃発端﹄ (安政六二八五九年カ) においては、ハヅミAがハヅミ、ハヅミBがハヅミフシとされる。

義太夫が使用していたハヅミBは'︻図版③︼ にもみられる通り、フシと組み合わ

、 」 1

さって記譜される例が多い。日本古典文学大系99﹃文楽浄瑠乱撃末尾の文楽用語解

説では、ハヅミという曲節について、「ハツミ・節章用語。ハヅミと読む。はずんで

早‑演奏する曲節(ノリ間にならない) であるから、走‑出す場面などに用いる。」

と記した上で、例として ﹃義経千本桜﹄ 「すし屋の段」中の 「走出て戸を明る」を挙げている.この箇所を丸和でみてみると、(ハブミフシ)の記譜があり、胡麻章の形

態が、義太夫のハヅミBと同じになっている。「はずんで早‑演奏する」との解説は'

﹃音曲初心伝﹄ の「すぐに行のもハヅミ也」という表現を思い起こさせ'この「すし

屋の段」 のハブミフシは'義太夫時代のハヅミBの要素を'今に残す曲節であるかと

も想像される。

それでは加賀操のハヅミAは、現在の義太夫節に何らかの影響を残しているであろ

l t. . )

うか。二世鶴揮清人述﹃義太夫節の種類と解説﹄ では、ハヅミの節付例として﹃八陣

守護

城﹄

 (

政清

本城

の段

) 

の一

節を

挙げ

てい

る。

すだ‑良さへ物すごき。我本城へ我ながら心。置露踏分て

( S )

LPレコード﹃義太夫節の曲節﹄は、ハヅミの例に﹃八陣守護城﹄ の同部分を取‑

上げ'それに次のような解説を加えた。

「心」が「ハヅミ」で三味線の旋律にのらずに語られ、「こころ」の「ろ」の産字「オ」

を引いて抑揚をつけ弾んだ気持ちを出している。

(傍

線部

筆者

注)

傍線部のような説明からは、﹃音曲初心伝﹄ で「ハヅミといふハンアン、ア、ン」

と記される'ハヅミA型にかな‑似通った曲節のあ‑方が想像される。実際の奏演を

聴いてみても「心の」 の「の」 で生ミ字を引き'丁度ハヅミAで呑ミ節に挟まれた句 点にあたる部分には、1瞬語りの間があり、三味線の「チリガン」という合の手が入る。生ミ字の引き方といい間の取り方といい、ハヅミAに近似するというのが私見である。現在'﹃本朝廿四孝﹄四段目「奥庭の段」'﹃仮名手本忠臣蔵﹄八段目﹃道行旅路の嫁入﹄中の「さつた峠に」、﹃妹背山婦女庭訓﹄四段目「道行恋のおだまき」中の「兄へつ隠れつ」等は、﹃八陣守護城﹄の「心の」と同じ、ハヅミAを坊俳とさせる節付で語られている。そこで、これらの初演当時の丸畢また明治大正期に刊行されてい1蝣‑',!た稽古本を確認すると、そこには文字譜ハヅミが記譜されてお‑'しかも'胡麻章は呑ミ節を使ったハヅミAに近い形態を備えている。右に挙げた演目のハヅミ部分において、九本及び稽古本の胡麻章のあ‑方と実際の語‑とは、現在でも密接であるように思えるが'特にLPレコード﹃日本古典音楽大系第五巻義太夫﹄所収の、四世竹本越路大夫二一世野浄書左衛門﹃本朝廿四孝﹄四段目切「十種香・狐火の段」におけるハヅミ記譜箇所「庭の」は'「チリガン」の後、ハヅミAでいうと句点直後の呑ミ節部分で'「おん」とはつき‑生ミ字を呑んで語られてお‑、ハヅミAの要素を確実に感じさせる。加賀操及び義太夫は'節事に最も多‑ハヅミAを使用した。そのことは'現在においても右のような、追行等の節事場面に呑ミ節を用いたハヅミが記譜さ'=[れ、ハヅミAに近い形で奏潰され続けていることと無関係ではなかろう。以上の如‑、加賀操が三貝して使い続けたハヅミAは、竹本義太夫を経て、古浄瑠璃時代から約三百五十年あま‑を隔てた現代の義太夫節人形浄瑠璃にも'その曲節のあ‑方をかな‑明確に伝えているのである。﹃小竹集﹄の体裁は一般の稽古者達に大いに受け容れられへ同種の小型段物集の流行を招いた。後に加賀操も、﹃新小竹集﹄と題した小型段物集を上梓している。そしてその冒頭には、﹃竹子集﹄序文にある、加賀操の代表的な浄瑠璃芸論の一部が加えられた。おそらく、本文・節付の校合も、加賀操本人によって微細に行われたもので二人」あろう。延宝頃に絶頂期を迎え、加賀操の嘉太夫節と同じ‑やがて義太夫節に押されて衰退していった江戸の土佐節は、保守的な面を残しっつも、同じ節事の記譜を、正本及び''"'.'I段物集ごとに変えていった。そして、本稿で扱ったハヅミという曲節においては、義太夫にもやはり記譜形態の変遷がみられた。あるいはそれは、多‑の芸能が興った近世という時代に生き残‑を賭けて進展する舞台芸術として、当然あ‑得べき変化であったかもしれないoLかしそういった中で、その是非はともか‑、頑迷なまでにハヅミAの記譜様式を崩さなかった加賀接の態度・性質は特筆すべきである。本稿では、ハヅミ記譜とその

(9)

歴史を追うことによって'段物集﹃小竹集﹄の性格を'ご‑一片ながら明らかにし得

たと考える。それは右の如き加賀操の特性が、手がか‑としての機能を充分に果たし

たことによ‑可能となったのである。

「絵入細字の読本計‑」と言われた浄瑠璃本における曲節公開の魁となった加賀操

は'おそら‑それだからこそ、自らの正本に並々ならぬ拘泥をみせた。我々がその厳

密な記譜に対峠する時t l方で宇治座を近世の潮流に逆らわせ、終には断絶させる1

因ともなった加賀操の保守性は'現代においてもなお雄弁に語りかけてくれるだろう。

本稿

は、

二〇

〇三

年度

早稲

田大

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定課

題研

究助

成費

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題菅

7 

20

03

A・

96

2)

によ

る研

成果の一部である。

注(

‑)

日本

古典

文学

大系

47

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鶴集

 上

﹄(

岩波

書店

、1

九五

七年

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l代

女﹄

校注

麻生磯次) よ‑引用。

(2

)野

間光

辰氏

が「

西鶴

の転

向‑

西鶴

第五

書簡

をめ

ぐっ

て」

 (

﹃文

学﹄

一九

六六

年一

月号

)

にて取‑上げた大阪住真野長幸宛ての西鶴の書簡には'「此ころの俳許の風勢気二人

不申候ゆへやめ申候嘉太夫ふしの上る‑テつき世をな‑さミ候」との一文がみられ

る。

(3)第二期近世文学資料類従 西鶴編21﹃凱陣八嶋 他﹄(近世文学書誌研究会編、信多

純l

解説

'勉

誠社

'一

九七

六年

) 

の'

﹃小

竹集

﹄解

題よ

‑0

(4)信多氏は'前述の﹃小竹集﹄改題において、「﹃小竹集﹄の版下は'全て既印行の加

賀橡八行正本に拠っている。但し、別人の版下書が八行本を参照して適宜当て漢字したり、また自分の癖の変体仮名に随所直してはいるが'貞享期の八行加賀操正本に共通する版下の字に似せて記している。」と指摘し、実例を挙げながら'﹃小竹集﹄が加

賀操八行本に依拠して製作されていることを明確にしている。また、逆行終部の文字譜へ三重)の欠落について述べた上で、﹃藍染川﹄八行本と﹃小竹集﹄の対比図を掲出'濁点や、文字譜(フシ)の「フ」 の脱落、本文の省略(一段の終部を、同頁の中

に収めてしまおうとの音だよる)について触れ'﹃小竹集﹄が加賀按の校合を経ずに作られて段物集であることを改めて示唆している。

(5)床本「つれづれ草」は'﹃赤木文庫古浄瑠璃稀本集 影印と解題﹄(信多純一編、八

木書

店、

一九

九五

年。

) 

所収

の影

印を

参照

して

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(6

) 

﹃う

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六十

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え書

﹄藤

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雪、

袷書

店、

一九

七五

年。

(7

) 

﹃観

世流

大成

版謡

曲百

番集

﹄櫓

書店

(8)ここでの南無阿弥陀仏という詞章は'四回繰‑返されている内の三回目までは、最

後の仏の「つ」の字に(含)という記譜がされている。この(令)は、「ツ文字を発音するに、唇を閉じて声を鼻へ抜いて発音するものである。これは中世の漢語の発音を反映したものと云われている。従って音読の場合に含ミ、訓読の場合は含まない。」 (﹃うたひ六十年﹄)と説明されるもので、実際の発音は「ン」に近い。しかし、ここでは呑ミの生ミ字である「ン」と混同してわか‑づら‑なるため、「つ」と表記した。

(9

)早

稲田

大学

演劇

博物

館蔵

。所

蔵番

号[

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校注

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凡例

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底本

の仮

名に

適宜

漢字を当てたが、その場合は'もとの仮名を振仮名として残し」とあるため、ここで

取‑上げた「水手」は'瀕‑仮名「すいしゅん」が原本の表記ということになろう。

(3

)﹃

岩波

講座

歌舞

伎・

文楽

﹄第

八巻

「近

松の

時代

」(

岩波

書店

'一

九九

八年

)所

収。

(ほ)参考までに記すと'謡曲には「クはハルにり有中にり有」にあたる,上ウキ音・中ゥキ音という'特定の音高がある(上音とハル音は、基本的に同音)。ただしこれら

は、上・中・下音のような基礎音ではな‑、持続しても大体において二⊥二字分にのみ作用する音高となっている。

(蝣

C。

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日本

庶民

文化

史料

集成

﹄第

七巻

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集刊

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編、

岩波

書店

、1

九八五〜九四年)及び﹃正本近松全集﹄(勉誠社、一九七七〜九六年)に所収されて

いない正本(七・八・十行本) の所蔵機関は次の通‑である。

︻早

稲田

大学

演劇

博物

館蔵

︼「

本朝

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花鳥

伝」

「南

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「愛

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︻早

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学図

書館

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「伊

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」'

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国会

図書

館蔵

︼「

源頼

家鞠

始」

「東

山殿

追善

能」

「善

峰寺

開帳

」「

愛染

明王

影向松」「丹波与作待夜の小差即」「三井寺不動明王豊年護摩」、︻大東急記念文庫蔵︼

「傾

城浮

洲岩

」「

牛若

千人

切」

、︻

京都

大学

附属

図書

館蔵

︼「

長命

寺開

帳」

また、﹃近松全集﹄所収作品におけるハヅミ記譜の調査は、﹃「近松全集」文字譜索引﹄

(山根為雄編'和泉書院、一九九五年)に全面的に依拠して行った。S)ただしー早稲田大学図書館蔵「冬牡丹女夫獅子」下之巻にあるハブミAは、「もるゝや」の「や」に'振り胡麻・春ミ節が二つ記され、改行して句点が文頭にあり、その

後胡麻章が付されていない。これを'句点が次行に送られたために起きた欠落と考えるか'もし‑はハヅミAの亜種とみるべきかは不明ながら'本文中で後述するハヅミAの定義を大き‑逸脱する三種と比較した場合、この「冬牡丹女夫獅子」中のハヅミ

は'ハヅミAの範噂であると判断した。ちなみに'同正本にもう一つ記譜されたハヅミは、ハヅミA中で最も一般的な、呑ミ節・呑ミ節・句点・春ミ節という形態を備えたものである。

(S)ただし、﹃凱陣八嶋﹄「よしつね道行の段」の冒頭部のみは、加賀掠式の句点記譜がなされている。(5)謡本の句点位置については、拙稿「能「正儀世守」周辺‑謡曲節付索引作成に向け

て‑」(﹃21世紀coE演劇研究センタ‑紀要﹄Ⅰ演劇研究センター編'二〇〇三年三月)中の'「「正儀世守」復曲謡本凡例」を参照されたい。(S)﹃今昔操年代記﹄は、享保一二年(一七二七)正月、大坂正本屋九左衛門刊。加賀操

(10)

と同時代を生きた西沢1風(九左衛門)の著作。l方﹃外題年鑑﹄宝暦版は、宝暦七

年(1七五七)大坂文草堂増田源兵衛刊で、加賀操の活動期から的半世紀を隔てて出

版された資料である。

f<35¥山本角太夫の正本にも、ハヅミAに近い記譜がみられる。

(8)︻表②︼は、注13で記した﹃「近松全集」文字譜索引﹄を参照して作成した。よって、

ここに挙げた正本は、義太夫及び義太夫没後の竹本座で上演した近松作品に限られて

いることをお断‑してお‑。正本の順は﹃近松全集﹄に拠ったが、推定された上演時

期による配列となっているため、グラフ及び加賀按・義太夫没年の指定も、おおよそ

のものであるとご理解いただきたい。また、加賀接正本の版木を流用した﹃日本西王

母﹄・﹃天鼓﹄、十七行本である﹃他力本願記﹄、上演時期が不確かな﹃賀古教信七墓廻﹄

等は取り上げていない。

また'グラフ中で義太夫独自のハヅミBが、最も多‑使用されているのが﹃せみ丸﹄

で、五箇所のハヅミB記譜が認められる。同作は竹本義太夫の、筑後抜受領披露公演

の演目と考えられてお‑(﹃近松全集﹄第二巻・﹃せみ丸﹄解題参照)、或いは義太夫

の芸風が色濃い作品であったかとも想像される。

/1‑INこの後、宝永期・正徳期の正本としているものには、﹃近松全集﹄で「○○年以前」

とされている正本は加えられていない。ただし、貞享・元禄期でそのようにされてい

るものは数に加えた。

﹃音曲フシ覚﹄以下'﹃浄瑠璃秘曲抄﹄、﹃浄瑠璃節章輯﹄、﹃要曲異見嚢﹄'﹃浄瑠璃発

端﹄の引用は、前述の﹃音曲初心伝﹄と同じ‑すべて﹃日本庶民文化史料集成﹄第七

巻の影印によっている。

(S3)加賀抹・義太夫時代のハヅ"(フシについてはまだ調査中だが'加賀操のハヅミフシ

はハヅミAに近い記譜で'義太夫はハヅミA・ハヅミBそれぞれに近い二種類のハヅ

ミフシを使用しているようである。ちなみに'文字譜(フシ)には'全体からみると

ごく僅かな割合ながら'ハヅミA型に近い胡麻章が付されている場合がある。

(sS)ただし、(フシ)と結びつきやすいというのは、ハヅミAにもみられる傾向である。

(8)祐田善雄校注(太夫二二味線担当は倉田泰弘)、岩波書店、一九六五年。

早稲田大学演劇博物館所蔵[二川‑.‑ICOCKt‑]

(S3)﹃義太夫節の種類と解説﹄は、演劇博物館所蔵の謄写版を参照した。また'本文中の

﹃八陣守護城﹄詞章と曲節は'演劇博物館蔵﹃八陣守護城﹄[二川‑intoto]から引用。

(88)守随憲治監修・解説、長尾荘一郎構成・解説。

(S)全て演劇博物館蔵で、﹃仮名手本忠臣蔵﹄[ニmIi‑iOi‑i]、﹃妹背山婦女庭訓﹄[二川

‑i‑ItOOl]'﹃本朝廿四孝﹄[二川‑cMCTIt‑1]。

(8)全て演劇博物館蔵で'「道行旅路の嫁入」[二川i‑10‑‑1、「道行恋のおだまき」[こ

10‑‑<t」>a>]'「奥庭の段」[こ2‑coo‑n]。

(a)加賀按・義太夫時代のハヅミAは、節事以外の箇所にもしばしばみられ'それは現

在の義太夫節においても同様である。本文中の﹃八陣守護城﹄以外にも'﹃伊賀越道

中双

六﹄

「沼

津の

段」

中の

「用

意の

」、

﹃義

経千

本桜

﹄「

渡海

屋の

段」

中の

「手

に取

る」

などは、ハヅミAの節付で語られる。﹃義経千本桜﹄ の方は九本にもハヅミ記譜が認められるが、﹃伊賀越道中双六﹄九本ではハヅミA型の胡麻章のみが付され'文字譜としてのハヅミ記譜はない。

(S) ﹃新小竹集﹄ (豊竹山城少按旧蔵本) の原本は焼失してお‑'横山重氏所蔵の写真のみが残るが'筆者は未見。﹃日本庶民文化史料集成﹄には、その写真を元に序文と日

録が掲載されている。

(8

3)

横山

正氏

「土

佐少

操の

曲節

‑そ

の性

格に

つい

ての

一試

論‑

」(

﹃近

世演

劇論

叢﹄

(横

正著'清文堂出版'一九七六年) 所収)を参照されたい。

参照

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