一、はじめに
二、詩創作授業の實際 三、詩創作の實踐結果 四、詩創作と電腦 五、結語
一.はじめに
筆は、この2、3年來、早稻田大學文學部において「中國詩歌論」を擔 當しており、その中で受生に對して詩作法を指している。小稿では、そ の實踐の方法と結果の報を第一の目とする。あわせて、 として、高校や 大學で詩・文を擔當される先生方や中國古典、廣く中國學の究に從事さ れている方々を念頭に置いて、詩作法の捷徑を示唆しようとするものである。
江中期以年まで、有用な詩作法書のは何種も刊行されているが、
未だ電腦の用に言した詩創作の專はなく、筆なりの點から新たな 有效性をべてみたい。また、詩作法や詩學に關する有用な先行文獻や 料、報等を積極に紹介、價しつつ、稿をめていきたい(1)。
二、 詩創作授業の實際
まず、筆自身の詩創作の學經驗を單に報しておこう。筆が擔當 している「中國詩歌論」は、本來、中國文學專修學生のための專門科目だが、
國語の職科目にも含まれているため、日本文學・東洋哲學・演劇・文・佛 文學專修などのも多くいて樣々である。履修數は年度によってなるが、
實質には數十名ほどである。
電腦 詩作法試論
詩學の一として
高 橋 良 行
2001年度の場合、松浦友久『中國名詩集 美の(2)』をテキストとし、中 國古典詩を題材論の點から義する提として、4の開時に、同『校 詩解釋辭典(3)』の「詩 」によって、詩の詩型や詩律について詳しく 明を行い、さらに休み直の授業で各種プリント料(「春の部」の詩語表・
字表・詩箋・詩作法關係文獻・詩作法關HPなど)を配布して一り 明し、七言句一首の創作を期休暇の宿題として課した。また、2002年度 の場合は、テキストとして『詩 美の在りか(4)』を用いたが、年度の方法 では、休みに春の詩を作るという季のズレが生じるため、5に明して、
ほぼ1ヶ後に提出させた。作詩を課す時期については、當然、後期の初めに 明して、秋の詩を作らせることも可能である。
詩は、單に時をかけて詩を鑑賞したり、和辭典をやみくもに引いて も、ほとんどまったく作ることはできない。ある度短時に挫折することな く實作するためには、作法についての解と詩語表の完備した作法書が必須で ある。詩語表は、江中期からんに刊行されてきた日本人のための作法書
(の一部)であり(5)、中國には韻書や書を除けば、似のものはないとされる。
ここではとして戰後に出版された作法書のうち、表現や論旨の明快さなどの 點から見て、坂田新『詩作法(6話)』が、最初に準備するに最もした作法書 と思われる。該書は、「詩の作法」「詩語表」「韻字表」の項目からってお り、江の井也有「春日口占」という七言句を例として、その創作のプロ セスを體にいている。
實際の詩創作の手順については、今日、必ずしも常識とはなっていないた め、授業でも基本にこの書に依據しつつ、作法の手順と點をまとめた「
詩作法心得」というプリントを配布して、作詩のプロセスについてほぼ以下の ような明を加えている。
○題(詩題):
中國古典詩には、日本の敕撰和歌集の部立における春・秋の比以上に、春・
秋の作品が 在していることは、!に關論文によって知られているが(7)、確か に經驗則から言えば、四季に"した作品、とりわけ、春には春の、秋には秋の 詩を作ることから始めるのが作りやすい。
詩もまた、俳句や短歌と同樣に、風のそよぎや太陽の光、一木一、一輪 のに感動する心さえあれば、誰にでも作れるものである。たとえ會に生活 していても、公園や路傍、宅街の隅々に木のないことはなく、蟲や小鳥の 訪れが無ということはなかろう。に生けた一輪のや盆栽の一鉢であっ ても、詩の 題や素材としては充分なのである。身な自然の景物から少し でも詩心(詩想)を動かされたものを 題に定め、一首のなかで最も表現した いこと(讀ませどころ)を想定する。
○詩型の擇
どの詩型を擇するかということは、本來自由であり、中國ではふつう古體 詩から入るようである。日本では、五が最も短詩型なので單と思われがち であるが、最も短い俳句が必ずしもやさしくないのと同樣に、五はあまりに も短かすぎて充分な明や寫を加えることができない。また、五言詩は、本 來2+3という下3字が重い數律上の特をもっており、その結果、どちら かといえば重々しい重な容にふさわしい詩型とされる(8)。從って、外國人で ある我々初心が最初に作る詩の詩型としては、却ってしいものである。
むしろ、五言詩の各句の上に2文字加えた七言詩の方が、わずか計8文字の 加とはいえ、表現上の容積がし、寫の自由が確保できることになる。また、
古體詩は、押韻のみすればよく(しかも換韻も自由)、句數も各句の字數も 仄もて自由であるため、作詩が容易であるように思われがちであるが、少な くとも10句度以上のものを作ろうとすれば、 題を表現するための確實な が不可缺であり、かつ思想、理な素も含まれることがましく、初 心が作るのは必ずしも容易ではない。古體詩は、むしろ律詩よりもさらに後 に試みるべき詩型として心得るべきものであろう。
○押韻・仄について
小林恭二氏の「亂詩事始 詩(9)」にも觸れられており、また年、後す るようにインターネット上の詩關係サイトにも時に見られる議論に、仄無 用論がある。中國語を解さない日本人が詩を作るに際して、押韻や仄は無 して良いとか、現代中國語自體、李杜の時代とは發が!っているではない か、といったものである。現代の日本人による詩創作のための一"として、
こうした議論がなされること自體は大いに意義があろう。しかし、この問題に
關しては、坂田氏が「和」についてのようにべていることに盡きると思 われる。
去の詩人のなかにも、ごくまれにですが、多少そうしたことを考えて、
仄にあまりとらわれず、また文字いも嚴密には言わず、和が生じても 氣な人もあったようです。しかし、そんなことならわざわざ詩を作らな くても、何かほかの自由な詩型で表現すればいいではありませんか。いま、
私たちは詩という中國古典詩の によって何事かを歌おうとしているわけ です。
それは、いわば一種の知ゲームのようなもので、ゲームはルールを守る ことを提にしてり立ちます。日本の詩人が意深く和をけるよう に努めてきたのも、共のルールを守ることによって、一つのゲームを行っ てきたということなのです。そして、そのルールが守られてさえいれば、か つての字文圈では、ほぼ無條件に文學としてめ合ってきたのです。
(『詩作法話』102頁)
すなわち、中國古典詩として完された李杜の頃の樣々な詩律 その根本は、
數律を除けば、押韻であり、體詩の場合、仄や對句でもあるが に從っ て詩を作ってこそ、中國古典詩の膨大な山やその影を受けた日本の先人 の詩世界と史に續することになるのであり、何よりも知ゲームと しての自覺なくして詩を作ることは、今日困であろう。また、一度、仄 や押韻を無して詩もどきを作っていた人でも、結局は物足りなさや却って 別種の困を感じて、規則に則って作るようになったことが、詩關のHP 上に白されていることもある。サッカーで手を自由に使えばサッカーとは言 いく、相撲でグローブを用いて毆ればもはや相撲ではなかろう。明治の頃、
詩といえば詩以外にはあり得なかったからこそ、新しい文語の日本語によ る詩を新體詩と稱したのである。もし、仄や押韻を無して字を竝べたも のを詩と稱したければ、新しい名稱を以て稱するのがマナーというものであ ろう。
○作詩の順序:
普、七の場合、轉句または結句(の韻字を含む3文字)から始めるが、
句または承句のどこからでもよく、順序というものは特にない。は自分が 作れるところから始めればいいのである。ただ、これも經驗則から言えば、
句・承句と始めた場合、轉句や結句が思うようにできないことはしばしばあり、
そういう意味で、轉句または結句から始めると良いと言われているのであろう。
いずれにしろ、坂田氏がかれるごとく、詩箋の仄式(○●)に合するよ うに、まず氣に入った詩語を複數び(できれば押韻箇の3文字からび)、
複數候補の詩語(詩句)を詩箋の 外や別紙に記しておく。その際、仄と 韻目を付記しておくと便利である。にそれらを考え組み合わせながら、詩箋 を徐々に埋めていくのである。
○詩語表の利用:
中國では詩語表のようなものはなかったらしいが、中期以は、幼少よ り『詩三百首』などを暗誦していて、自然に詩嚢を豐かにしていたのであろ うし、また直接、韻書や書(『廣韻』『詩韻含』『佩文韻府』『初學記』など)
を利用していたのであろう。
日本では、幼年時からの讀詩の積(『三體詩』『詩』など)もあったで あろうし、加えて、江中期以は、『詩語碎金』正續、『金聲功聯』『詩語淵 源』『幼學詩韻』『詩語金聲』『幼學便覽』などの作法書が刊行されて、その詩 語表を利用していた。筆自身、長い、詩語表を用いることが何かのよ うな氣がして、詞集や和辭典によって時に詩創作を試みていたが、この 方法では、時ばかり費やしてしかも思うような表現を得することができな かった。しかし、詩語表を用いることに慣れてくれば、1、2時で句1 首の素案ぐらいは作れるようになる。
詩創作は、何よりも、詩語表という詩語のから、自己の詩想に合した 詩語を擇し、それらを結合し、組み立てていくことによって、自分自身が完 には予想し得なかった詩世界、別乾坤を生み出していくものである。たとえ どのような擇の結果が出ても、その偶然と必然とのあわいでばれた詩語の なかに、作の詩心がおのずからめられることになる。しかし、學生の中に も、詩歌の創作は純粹で !であるべきとの感覺をもつがいて、やはり詩語 表を用いることに"和感を感じるようである。
○轉句:
轉句は、あまり重々しく考えないで、自然な流れの中での發想や點などの 轉換をはかると良い。(たとえば、無と有・大と小・と外・生と死・擴散と 集中・と・垂直と水・聽覺と覺・明と暗・晝と夜・憂愁と喜・
醉と醉後・雨と れ・自然と人事・戰亂と和…(10))なお、轉句または結句の 最初の2文字は、轉換の必然として、字を含むことが多く、最もしいので、
詩語表に付載されている字語などを活用してよく考える必がある。
○古人の詩句の換骨奪胎(中國本歌取り):
中國古典詩には、和歌における本歌取りのような念や專門語はない。
しかし、傳統定型詩である以上、實態としては同樣のものがある。詩語表や 和辭典の語彙は、ほとんどが2字語であり、また3字語であるから、結果 に、古人の詩句から2字・3字語をそのまま用いることになる。五言詩なら3 字まで、七言詩なら5字まではそのまま用いても、場合によっては可であろう。
時には、一句ほぼまるまる轉用というケースさえある。例えば、北宋の林逋
「山園小」詩の「疎影斜水淺、暗香動昏」は、五代南の詩人江 爲の殘句「竹影斜水淺、桂香動昏」をそれぞれ一字ずつ改めて、點 鐵金の效果をあげたものと言われている(11)。は、詩律上の限定のなかで、先 行詩語をいかに自己の詩の言として生かすか、という點に盡きよう。
○推敲:
作品がひととおりできたら、時をかけて和辭典や後(第四)の『
詩』(インターネット版)などをべながら、仄や容を充分に推敲し、
推敲後の最なものを詩箋に書する。その際、詩題と作 名と韻目を必ず 付し、訓讀と!釋を書く。(訓讀と!釋は、學生自身の"#のためという意味 と、原文が意味不明なとき、作 の意圖を知る便宜のためでもある。)なお、
推敲は、詩創作の最な必須の作業である。完後、一!り行うことはむ ろんのこと、1ヶ後、2ヶ後、$年後と氣づいたときに何度行っても良い(12)。
三、 詩創作の實踐結果
2001・2002年度ともに、作法そのものについてはわずか1、2回のみの%明 であったが、ほぼ員が一應理解しうる&句(らしきもの)を提出した。七言 詩を3+4のリズムになるような詩語の'をしていた が一人、二人いたが、
他のは、用語や語法上の不自然さ(現代日本語の混用や「動詞+目語」
の轉倒など)や論理上の飛は多く見られるものの、少なくとも、リズムや 仄、押韻などは基本に守っていた。以下にその果としていくつかの作例を 示しておく。
○春醉酒 Y.M(日本文學專修3年)
漫霞中 を ね 漫ろにむ 霞の中 日始知古寺東 日して 始めて知る 古寺の東 會友交杯何不樂 友と會し杯を交ふ 何ぞ樂しからずや
香下醉顏紅 香 下 醉顏紅し (※上聲一東韻)
○傾杯 K.W(文專修3年)
閑居引友再傾杯 閑居 友を引き 再び杯を傾く 美酒佳肴談笑催 美酒佳肴 談笑催す
不覺更深共醉臥 覺えず 更深 共に醉臥す
曉烟裏一枝 曉烟 裏 一枝の (※上聲十韻)
○春園 T.R(科目等履修生)
幽庭風散香 幽庭 風かに 香散る 雨後春池弄淑光 雨後の春池 淑光を弄ぶ 盡日柳辺貪醉興 盡日 柳辺 醉興を貪る
園閑欲斜陽 園 閑かにち 斜陽ならんと欲す
(※下聲七陽韻)
○獨飮 N.M(日本文學專修5年)
茫茫夜色獨登臺 茫茫たる夜色 獨り臺に登る 美酒一樽興自來 美酒一樽 興 自ら來たる 天地悠悠無客到 天地悠悠 客の到る無し
詩里醉徘徊 詩 里 醉ひて徘徊す (※上聲十韻)
○宿痾之詩 H.A(日本文學專修4年)
殘寂寂江上天 殘 寂寂たり 江上の天
病裏年年俗 病裏 年年 俗をつ 餌無充咳嗽 餌 無く 咳嗽充ち
鴉聲拂曉人未眠 鴉聲 拂曉 人未だ眠らず (※下聲一先韻)
○游普陀山 K.T(中國文學專修3年)
天佛國普陀山 天 佛國 普陀山
畏景炎炎院閑 畏景炎炎として 院閑かなり 胡蝶亂飛添五 胡蝶亂れ飛び 五 を添ふ
風光明媚乍 風光明媚 乍ちるをる (※上聲十五刪韻)
○午睡 S.M(中國文學專修3年)
風吹破樹陰眠 風吹破す 樹陰の眠り
嫩艷紅相映鮮 嫩 艷紅 相ひ映じて鮮やかなり 忽見陽光輕翅 忽ち見る 陽光 輕翅ふを
願爲夫蝶戲天 願はくは夫の蝶と爲りて天に戲れん(※下聲一先韻)
○春夜獨飮 U.S(科目等履修生)
春陽地好風吹 春陽 地にきて 好風吹く 鶯鳥繞搖小枝 鶯鳥 を繞りて 小枝を搖らす 日香杯底滿 日 香 杯底に滿ち
沈沈夜不知時 沈沈たる夜 時を知らず (※上聲四支韻)
以上、詩によっては、似語句の重複や辭書にない語が見られたり、おの ずから机上の念な作にわっているが、一應、詩律にほぼ合していて、
ひとつの詩世界を現出しているといえよう。(私が1、2字修正しているもの もあるが、基本には原作のままである。現代日本語を用いた、より實感 な作品については、今は示さない。)
なお、提出後、員にのようなアンケートを行った。
《 詩作詩に關するアンケート》
( 男・女 )○作法についての明は理解できましたか?
2002年度は54名から回收できたが、その結果、男女に特に差はなく、以下 のような感想や意見が見られた。
○作法についての明は理解できましたか?:
よく理解できた・理解できたは14名、何とか理解できた38名を合わせる と、8のが理解できた。理解できなかった・く理解できなかったが
1,よく理解できた 2,理解できた 3,何とか理解できた 4,理解できなかった 5,く理解できなかった
○詩作法書を入手( 入・圖書)して參考にしましたか? 1,した 2,しなかった 1と答えた方は何を見ましたか? (複數可)
○詩作法話 坂田新 本の友
○詩の作り方(改訂版) 新田大作 明治書院
○詩入門韻引辭典〔改訂新版〕 田利行 柏書
○林詩作例義〔入門篇・語彙篇〕有賀 國書刊行會
○詩語完備 だれにでもできる詩の作り方 太刀掛呂山 呂山詩書刊行會
○その他( )
○詩作法關係HPを見ましたか? 1,見た 2,見なかった 1と答えた方は、何を見ましたか? (複數可)
○故宮【泉】古典文獻文檢索料庫:『詩』
○詩を創ろう:鈴木淳
○詩作法入門座:山下弘
○詩:石倉秀樹
○詩:三
○その他( )
○第何句から作り始めましたか? 第1・2・3・4句
○作りえるまでどれくらい時がかかりましたか? ( )
○作ってみてどのように感じましたか? (複數可)
1,樂しかった (非常に・ふつう・少し)
2,おもしろかった (非常に・ふつう・少し)
3,やさしかった (非常に・ふつう・少し)
4,これからも作りたい (非常に・ふつう・少し)
5,しかった (非常に・ふつう・少し)
6,しかった (非常に・ふつう・少し)
7,つまらなかった (非常に・ふつう・少し)
8,りを感じた (非常に・ふつう・少し)
○一番しく感じたことは何ですか? その他、感想がありましたらお書き下さい。
11名、2いた。もう少し十分な明が必と思われる。
○詩作法書を入手(入・圖書)して參考にしましたか?:
入手した は2にとどまった。これは、圖書には各1部しかないため、
思うように覽できなかったためであろう。
○詩作法關係HPを見ましたか?:
見た は6であった。「詩を創ろう」と「詩作法入門座」が最も 多く、いで「泉」の『詩』だった。
○第何句から作り始めましたか?:
これは第1句が最も多く數、いで第4句が3、第3句が2であった。
○作りえるまでどれくらい時がかかりましたか?:
1時から數日まで、各人各樣であったが、2時が8名、3時・5時 が各4名、3日が7名というのが多い方であった。ほぼ數の が、數時以 に作っている。
○作ってみてどのように感じましたか?:
つまらなかったという が2、3はいたが、6の が非常に樂しかっ た、非常におもしろかった、と回答している。これからも作りたいが、非常に とふつうを合わせて6いた。しかった・しかったとする が、非常にと ふつうを合わせると8・5いたにもかかわらず、の が樂しい、おも しろいと感じたことになる。
○一番しく感じたことは何ですか? その他、感想がありましたらお書き下 さい。:
押韻や仄がしかったとする がやはり最も多く、轉句・同字の重用・推 敲・語彙不足・完作に對する自己斷(善し惡しや意味の當性)に關して 困を記している もいた。日本人として詩を作る必然性がないという も 1名いたが、總じてやりがいがあった、おもしろい經驗であった、とする が 多く見られた。また、李白・杜甫の詩が實感できるようになったとか、詩を 作った漱石・外の氣持ちがわかる氣がするという もいた。
以上のように、この詩の創作は、ほとんどての學生にいインパクトを 與えたらしく、わずか2、3回の授業時をさいただけにもかかわらず、1年
の授業のなかで最も印象に殘ったという感想が、アンケート後も多く寄せら れた。詩など、作ることはおろか、讀むことさえあまり經驗していない學生 たちには、作詩のプロセスをつぶさに體驗し、とにかく自分にも詩が作れた という大きなきと滿足があったと思われる。
師の側の反省點としては、2001年度は春の詩をに課したため、季 實感にズレが生じて作りにくかったという點、同じく期休暇に入って歸省な どしたため、大學の電腦を自由に使ってインターネット上のサイトを利用する 機會が失われ、結果に電腦の利用度がやや下がった點などである。この點を ふまえて2002年度は、5 の休明けにプリントを配布し、2回明して1ヶ 後に提出させた。また、作詩專門の義ではないので、提出後には、體、
個別(一部)な感想をべるにとどめ、員の作品を批したり添したり することはできなかった點に、一部の學生は不滿を覺えたようである。なお、
アンケートのうち、感想をねる項目は、改善の余地があると思われる。
四、 詩創作と電腦
詩の創作(推敲も含む)で、詩語表とともに威力を發揮するのが電腦、
すなわちインターネットによる詩關HPや電子檢索の利用である。室に 電腦と動した大型スクリーンや、各人の電腦が設置されている場合は、關 HPや檢索畫面を見せながら明するのが效果であろう。しかし、それが しい場合は、課外時に大學や自宅の電腦を用いて利用させる方が現實で ある。
現在、インターネット上には、思いの外多くの詩の鑑賞と創作關のHP が開設されていて有であるが、日本における詩創作に關するものとしては、
たとえば以下のようなものがある。
○詩を創ろう:http://www.chitanet.or.jp/users/junji/kansi/index.
html-ssi
○詩作法入門座:http://www4.freeweb.ne.jp/novel/sousyu/
○詩:http://www.h2.dion.ne.jp/~ankou/
○詩:http://members.jcom.home.ne.jp/wa-ga-ya/kansi/index.htm
○詩:http://www5a.biglobe.ne.jp/~jinken/kanshiframe.htm
「詩を創ろう」は、愛知縣の高校、鈴木淳氏が開設しているもので、
9人のアクセス數を數え、昨年、一般の方から投稿された詩も200首を越 えている。ここには韻や仄をべることができる辭典もあり、ウェブ上で 詩を作る際に役に立つ。たとえば、「山」と入力して檢索すると、「仄・韻檢 索結果/字:山/仄:○/四聲:上聲/韻目:十五刪/韻番:15/讀み:
さん やま/用法…」という結果が出てくる。さらに、「仄討論會」や「お め詩」「詩リンク」などのコーナーがあり、鈴木氏の務される田高 校の生徒の詩も載せられている。
「詩作法入門座」は、太刀掛呂山氏に私淑する山下弘氏のHPで、本 格な詩作法の手順が明されている。「詩」は數年から創作を始めら れた石倉秀樹氏のHPで、氏は多作家。「詩」も數年から創作を始めら れた山人氏のHP。「詩」の秦泉寺一氏は、大正2年生まれの元大阪女子 短大授。これらにはいずれも、詩の作法の明のみならず、多くの投稿 や自作の詩が公開されていて、大きな刺激となり有である。
に電腦を用いたインターネット上の電子檢索としては、臺灣の東中文 究陳郁夫氏が催する「故宮【泉】古典文獻文檢索料庫」の「詩」
や「北京大學詩電子檢索系統」がある(13)。
今、についてべれば、『詩』(URL:http://210.69.170.100/s25/ index.htm)を開き、べたい詩語を日本語で入力すれば、『詩』(900 卷)收の5首の作品から、當該詩語を含む作品を檢出することができ る。それも書物の索引のように、當該詩語を含む一句のみではなく、該當する 詩一首體が提示されるため、詩題や後の詩句のてを見ることができる。
細かく言えば、日本の常用字では一部入力が不可とか、多數の用例をもつ詩 語は、一度に30例ほどしか表示されないとかの缺點はあるが、何度か繰り せ ば!覽することはできるし、それらの檢索結果をワードや一太"にコピーして、
利用することも可能である。
また、むろん、それらには り點も#りがなも語釋もないため、用例のて を短時$に母語の如く正確に解讀することは容易なことではない。しかし、當
該詩語のおおよその使われ方を見ることは可能である。すなわち、目語を持 つ動詞であれば、どのような目語(たとえば體な物を表す語か、抽象 な心理や識に關する語かなど)をとり得るかを斷することができる。また、
動詞に限らず名詞や形容詞の場合でも、どのような種の詩歌(例えば、離別 詩・飮酒詩・詠物詩など)に多く用いられているのかとか、句中のどの位置に くることが多いのかなども、詩語によっては確することができよう。憂と愁、
怨と恨、愛と憐、裏と中など、似語や語などの、和辭典などには決して 記されていない用法上の 妙な差も、一定數の用例を檢索し、覽すること によって、誰でも有る度客な識を有することができるのである。ある いは、ある詩語が詩語として、特定の詩人にとっての愛用詩語か、またはある 時代體の俗な詩語であるか、はたまた極めて少數の特な用例であるの かなども知ることができ、それを承知の上で、特な詩語を自作の中に使用し て、獨自の風格を出すおもしろさも可能となるのである。さらに、日本人にとっ て最も不可抗力とされる和()の問題も、これによって確すれば、ある 詩語が語として自然か不自然かも容易に斷することが可能となる。
今、筆自身の作詩の經驗から、1、2の例をげておこう。詩語表に從っ て詩語を拾いながら詩箋を埋めていくとき、最もく感じる困は、とりあえ ず仄の問題はクリアーできても、語と語の結合が切かどうか、自然か否か という自己斷である。たとえば、「早春」と題して、詩語表にして「二 樹樹紅、風……小園東」と埋めたとしよう。さて、「風」の對象とし て何がふさわしいかったとき、『詩』で檢索してみる。すると、「斷腸聲」
「車」「曲」「天聲」「雨」「雁」「馬」「水聲」「客歸」「」「鐘聲」「香」「鶯聲」
など樣々あるが、聲に關する語句がやや多いことがわかる。そこで、春にふ さわしい「鶯聲」を 擇することになる。また、「閑居偶!」と題して、「殘"
欲去#堂春、風軟香鶯語$。懶臥爐邊無客問、 吟盡日酒杯親」という詩を 得たとき、「殘"」が氣になり%べてみると、『詩』に2例しかない希少詩 語であることがわかる。押韻の必&から んだ「酒杯親」も、「把」「'」「付」
「入」「盡」「共」「」「」などの動詞が一般であって、「酒杯」に「親」し むという表現はみられず、不切であることが了解される。さらに、「東(陋 巷可)迹、對酒題詩入*涼」という句を春の詩において用いたとき、「*涼」
の語が實は秋の詩にふさわしい詩語であることが、座に辭書以上にはっきり と示されることになる。
こうした確は、日中の名な作品についても可能である。たとえば、「琵 琶」が王翰「涼州詞」のような「邊塞詩」に多く見られる詩語であるとか、杜 牧「山行」詩の「紅於」が、『詩』には數例しか見られないことなどは、
以、拙文において指摘したことがある。また、日本詩の名作である廣 淡 窓「桂林雜詠示生其二」詩の「柴曉出霜如、君汲川流我拾」にある
「川流」は、「逐」「臨」「見」などの動詞とは結合しているが、「汲」との用例 はないとか、菅山「夜讀書」詩の「閑收亂帙思疑義、一穗燈古心」に おける「一穗」は、の用例である「秋雲」「雨聲」「香」などとはなる
「燈」を、山が獨自に形容したものであることも知られるのである。
以上の明で明らかなように、電子テキストの『詩』は、電腦をインター ネットに接續さえすれば、誰でも利用できる最大の詩語表なのである。從來、
最大の韻書であり詩語表ともいえる『佩文韻府』よりも、詩に關して言えば 大規な、そしてより利便性の高い大な詩語表といえよう。むろん、この電 子版『詩』には、韻目に詩語をまとめているという機能性はなく、また、
日本の作法書のように○●の仄記號やり點、りがなが傍らに付されてい るわけではない。あるいは、從來の書物による索引のような當該句のみの一覽 性はない。しかし、檢索のスピード、各詩人や時代の斷性、文表示の長 、カットアンドコピーが可能な點など、その 對!な有用性は、その不足部 分を補って余りあるものである。
ところで、筆"の經驗からいえば、現實!には、白居易:卷424~462や元#:
卷396~423を見れば、それだけで合計$3500首の詩語を自由に檢索し、利用す ることができる。何よりも七十五%まで生きた白居易の詩は、「長恨歌」や
「琵琶行」などの物語詩や「新樂府」などの諷&詩を除けば、殊にその閑'詩 は、各年代の身體・睡眠・病氣・飮酒・(・讀書・園)・家族・交際・友
*など、身邊の日常性を歌った詩歌の寶庫であり、日記のように詩を書いたと される白居易の面目+如たるものがある。しかも、政治經濟や,會制度などに した特別な語彙や表現を除けば、そこに-かれている心*は、現代の日本人 にとっても決して理解不能なものではなく、むしろ共感を覺えるほうが多いで
あろう。また、白居易は、李白・杜甫・韓愈・李賀・李隱などのように、な にがしかエキセントリックな詩とは無であり、初心が作詩の手本とする には最上の詩人といえよう。友人の元もまた白居易と同質の詩風をもち、
似詩語に富んでいて、ある詩語に關してその用語の在り方を見るのに有用であ る。
むろん、時に、李白風の自由放で氣宇壯大な詩風をまねたければ李白の卷 161~185を見ればよく、杜甫のような沈鬱な詩風を氣取りたければ杜甫の卷21 6~234を開けばよく、あるいは李隱のような 春の戀に耽溺したければ李 隱の卷539~541を參照することも可能である。さらには、初・・中・
という時代に見ることも、あるいは王・孟・韋・柳ら自然詩人や、錢・盧 綸・李端など「大十才子」といったグループに詩風や詩語の在り方を參考 にすることも可能である。
五、結語
江・明治までの日本の知識人にとって必須のであった中國古典、ち 詩文は、日本への傳來以來、訓讀という方法によって、日本の政治經濟、
文一般の思想骨格を形した大きな素であった。このがなけれ ば、明治維新後の文明開があのように短期にされることはなかったと いうのは、今日では知のこととなっている。
今、效用を詩の文學元のみに限定してべれば、豐かな詩の美の水 が、日本古典文學の美の森を潤し續けたことは!いのない事實であろう。
"年、松浦友久氏によって指摘されているように、詩の訓讀文體は、決して 單に古くさい無用のものではなく、當時においては、日本の古典語元になかっ た文語自由詩の役#を果たしており、日本人は千數百年來、文語自由詩を有し ていたことになる(14)。この訓讀詩のもつ詩リズムが、明治以後の新體詩や現 代詩の形、發展に地下水として果たした役#は、もっと$價されてしかるべ きであろう。日本の"代文學の發展に、歐米文學の%譯(殊にロシア文學)が 果たした役#の大きさは、專門の&究には'識されていようが、訓讀詩が 新時代の口語自由詩形などに果たした役#は、まだ人々のよく'識するとこ ろではないように思われる(15)。
詩は、古典中國でも日本でも、その詩律と典故上の必において、やはり なにがしか學をするものであったことは否めない。その性質は、今日でも基 本に同樣である。しかし、小稿で提示したように、傳統な詩語表に加えて 電腦を用いた『詩』などの電子檢索を用すれば、和の少ない一定レベ ルの詩を、比較容易に作ることが可能である。むろん、これらは作詩の入 口、初 段階にすぎないのであって、眞に自己の世界を表現しうるリアリ ティや自在さを得し、高みにするためには、この段階以の不斷の讀詩と 作詩の竝行が肝であり、できれば專門家の添を受けることがましいこと は言うまでもない。ただ、いかなる高みも最初の入門の一 から始めるしかな く、また誰もが身に專門家の指を受けられる便宜を持っているわけではな い。多樣で深な抒のとしての詩に、まずは氣輕に接し、その創作を試 みることが重であり、電腦はそのための有用な工なのである。
筆の經驗から言えば、詩の鑑賞、究のみにわっていた時と、實作を 體驗した後とでは、その享受の實感や樂しさがややってくる。念のために言 えば、創作を體驗すれば鑑賞や究が飛に深するというわけではむろん ない。それでもなお、創作によって初めて感得し、發見しうる素があること もまた事實である。中國古典詩の究を專門とされ、かつすでに詩の創作を も樂しまれている方にとっては、小稿で提示した方法は、あるいはに實踐濟 みのものかと思われる。しかし、管見の範圍ではそうした報を知らないので、
敢えて一文をした 第である。
最後に、詩創作の!學のなかで必と感じたこと三點を指摘、提案してお きたい。第一は、中國古典詩の電子檢索など最新の"況も#野に入れた、新書 版サイズの$價な作法書(詩語表を含む)の%集、第二は、大まかな&念'に 詩語を五十(順に排列し、)仄記號・語譯・用例などを付した『和辭典』の
%集、刊行である。これらの工書が刊行されれば、詩の創作はより便利で 身なものとなろう。第三は、『新%國歌大*』の詩版ともいうべき、+代 日本詩の電子テキストである。ては無理としても、たとえば『詞,集日 本詩』『詩集日本詩』『紀行日本詩』(汲古書院)だけでもテキストが まれる。先人の手になる日本詩を、和を含む未熟なもの、詩もどきと して閑却するのではなく、我々の文學-.として、より確に分析し、正當に
價、享受するためにも必なことと思われる。
大學における未修外國語としての中國語履修が大學によっては5後に し、一般會における中國語學 の人口もえている今こそ、詩創作に とっても、むしろかつてない好條件の時代をえているととらえるべきである。
從來、理解が困とされた聲・仄・押韻なども、中國語學 であれば容 易に實感に理解することが可能だからである。八十年代以、中國に俳句の 影を受けた「(16俳)」の波が興っているように、我々が詩を作って風の詩 心をばせ、日中の史上の詩人と心をじさせることは、この上なく贅澤 な知行爲というべきであろう。
〔〕
(1) 高校の文の授業における詩の實作については、に鈴木淳「詩創作授 業の取り組み」(『文室』第185號、1999年5)、江川順一「詩創作の授業」
(『札幌國語究』第4號、1999年)などの報がある。詩・文以に、字 そのものに對する學力がしく低下している現代の生徒たちをに、工夫を凝ら した詩創作授業のプロセス(試行)が報されていて、大變參考となる。殊に、
には、鈴木氏が開發された電腦を用いた「仄檢字表」についての報が含 まれていて、有用である。また、大學での詩創作の實踐としては、二松學舍大 學における石川忠久氏はもとよりのこと、國士舘大學の鷲野正明氏が詩の創作 を指した學生を引して訪中し、中國の古典詩の專門家と交流されている。
(この點については、本學名 授村山!廣先生より御示いただいた。)
(2) "日文庫、"日新聞、1992年。
(3) 大修#書店、1987年。
(4) 岩波新書、岩波書店、2002年。
(5) 江$時代の作法書については、樋口元巳「江$時代の%蒙作法書」(『&$' 船大學紀第Ⅰ( 文科論集』第29號、1980年7)を參照。同論文では、代表 な作法書に)してその特長が考察されており、さらに42種について解題が付さ れていて有用である。
(6) 本の友、1989年、2,800圓。「詩の作法」は、「詩とは何か」から*き+こ し、「日本人と詩」「讀詩と作詩」「古體詩と,體詩」「押韻」「仄」「詩語表の 利用」等と續き、「推敲」「和-」「拗體」「詩家須知」で收めている。この書は、
作法に關しては、初學はまず七.を修めることが肝であり、それができれば 律詩や古體詩に/むことも可能であるというの考えに基づいている。これは、
0勞のあげく七.一首さえ作れずに挫折するの多いことを考えれば、極めて至 當な考えであろう。各章すべて、の詩實作1び2 會での經驗に裏付けら れた作詩上の點が隨3に見られ、殊に「詩家須知」は、「仄兩讀字」や「孤 」、「どの句から作るか」「助字」「典故」など詩律(韻律)や用語上の關鍵を
えていて、重である。また、「詩語表」も、「韻目索引」「春・・秋・・雜 の部」「助字」からっており、「韻字表」も付されていて、七を作るには充 分な詩語が用意されている。付として添付されている 仄記號を付した「詩箋」
も、孤 をけるための、他の書となる一工夫が施されており、有用である。
(圖:詩箋、參照)
なお、同樣に詩語表に 仄記號・り點・りがな・語釋(一部)などが付さ れていて有用性に富み、かつ現在、入・覽などによって入手が比較容易に 可能な專として、以下のような書物がある。まずはこれらを一冊求めて試行す るのが順當であろう。
○太刀掛呂山『詩語完備 だれにでもできる詩の作り方』(呂山詩書刊行會、
1976年、2,000圓、※田の松雲堂書店にて販賣):廣島の詩人太刀掛呂山氏 ので、永年の詩實作と詩結經營の經驗を踏まえてされた戰後の記 念、古典作法書である。句・律詩・古詩について一り作法を解し ており、獨自の見解が隨に見られ、現在でも有用の書であるが、解の文體 にやや時代なものがあり、い世代には干讀みにくいかもしれない。また、
特殊な販賣形態のため、入手しにくい面もあろうか。なお、「呂山堂詩話」
「詩の手本」を收した『詩作法入門座』(名普會、1985年)もある。
○新田大作『詩の作り方(改訂版)』(明治書院、1977年、1,650圓):戰後、比 較早い時期の作法書で、句・律詩・古詩について一り作法を解してお り、また讀の 作例に!して推敲の"#をつぶさに見せ、推敲が詩創作に おいていかに重であるかをいている。ただ、詩語表の中に、轉句・結句を 作る上で最も肝な「$字%語」がない點は惜しまれる。
○河井醉荻・&同人『詩語辭典:あなたもすぐ詩が作れる(改訂版)』(松雲 堂書店、1990年、6,650圓):句・律詩・古詩などの作り方や韻字表・$字表・
形容語表などの「作り方の部」と詩語表を收めた「詩語辭典の部」などから る。豐富な詩語表は、他の書となり、詩語を日本語の五十'順(ああ・あ う・あき・あきなう…)に配列していて便利である。
○(田利行『詩入門韻引辭典〔改訂新版〕』(柏書)、1991年、3,398圓):解 のうち、「詩の話」は、明治生まれのの個人史をふまえつつ獨自のやや 古色然とした文體で書かれていて、面白い。「詩作法」の部分も獨自の見解 をちりばめながら句・律詩・排律・古詩のすべてについて解されている。
詩語表の詩語も豐富であり、$字%語や常用韻字表、兩韻表、 聲韻・ 字お よび仄字索引など付も充實している。
○*+$籟「詩作詩小事典」(木耳、1991年、1,800圓):句・律詩の作り 方や添,例の他に、語釋を付した詩語表、韻字一覽などからなる。ハンディで -價であり使いやすいが、收詩語がやや少なく感じられる。
○有賀.『/林詩作例義〔入門篇・語彙篇〕』(02冊)(國書刊行會、
1995年、10,680圓):入門篇の解自體はやや1單であり、作法も句と律詩 についてのみいているが、卷末の「作詩演 」は面白い。これは、有名な七 を語單位にばらして、 仄記號を付したものを、原詩に復元することによっ て、作詩の勘を2おうというものである。語彙篇は、562頁にもび、その詩
語表は大變充實しているが、字語がない點と、價格の高さが缺點であろう。
○川田瑞穗『詩語集』(松雲堂書店、1980年、9,800圓):本來戰出された書 物である。詩語表は充實しているが、解の文體はやや古く感じられるかもし れない。
また、詩の詩律上のルール、ち、①句法( 數律):句數・字數など、② 押韻(押韻律):一韻到底・換韻、③仄( 律):二四不同・二六對・粘法/
下三・孤・孤仄などについては、上記の作法書の他に、多くの詩の詞集 や和辭典の付などに記されている。參考にすべきものとしては、たとえば、
堂明保『學和大字典』(學究、1978年)の「中國の詩」や松浦友久 『詩の事典』(大修書店、1999年)の付「詩の作り方」(松浦友久)、
また專としては、小川樹『詩』(岩波中國詩人集別卷、1958年)、
野直彬『中國古典詩總』(『中國古典詩聚』別卷、學圖書、1986年)、石川 忠久『詩を作る』(あじあブックス、大修書店、1998年)などがある。ただ し、これらにはいずれも詩語表が付されておらず、別、詩語表を準備しない限 り、詩を作ることは實質上できない。
(7) 松浦友久「中國古典詩における「春秋」と「」 詩歌の時意識に關する 基礎ノート(上) 」、「中國古典詩における「春」と「秋」 詩歌の時意識に 關する基礎ノート(下) 」(『中國詩歌原論 比較詩學の 題にして 』大 修書店、1986年)、參照。
(8) 松浦友久「中國古典詩のリズム リズムの根元性と詩型の變! 」(『中國詩歌 原論 比較詩學の 題にして 』)、『校"詩解釋辭典』「解」、『詩 美の 在りか』「Ⅲ、詩型とその個性」など、參照。
(9)『圖書』2001年1#號、岩波書店、14~19頁。
(10) この點については、長谷川$『詩解釋試論 轉句を%點にして 』(溪水
、1982年)の「まえがき」に、高校の文&科書に'用されている(句の名作 百首を分析した結果、)承轉結の*法をⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの四種の型に歸+し、
また、)句・承句から轉句への變,の仕方を13の場合に分-し、さらに.體に /べていて、詩創作にも參考となる。
(11) 松浦友久『中國名詩集 美の0#』(89頁)、參照。
(12) なお、推敲の語源となった賈島の故事については、靜永健「賈島『推敲』考」
(『中國文學論集』第29號、2000年12#、20~38頁)がおもしろい。なぜ、「推」
ではなく「敲」が良しとされたかについて、詩語史1點より考察されている。
(13) 北大版(http://chinese.pku.edu.cn/tang/)を利用するには、まず中國語ま たは2語で登する必3があるが、2、3日以4にパスワードが5られてくる。
ここには、『先秦魏晉南北6詩』や『樂府詩集』まで公開されている。元智大 學中國文學7路で公開されている宋代の 3詩人を7羅した「宋詩」(http://
cls.admin.yzu.edu.tw/QSS/HOME.HTM)も含めると、中國古典詩の 3なも のは8て檢索が可能である。これら以外に、9務印書や北京電子出版物出版公 司などから『8詩』のCD-ROMも出ているが、ともに:體字であること、
電腦の機種やOSの種-によっては;覽が不可能であることなどから、「<泉」
を利用する方が現實であろう。
また、最、「四部叢刊」(第1~3輯)や「四庫書」のCD-ROMが中國 から刊行されている。價格上の問題はあるが、利用可能なにとっては、先秦か らまでの別集・總集を覽して、より時な詩語の探索を行うことができ る。殊に「四庫書」に『佩文韻府』が收められている點は、同書の活字校點本 さえ未刊の現 からみると、詩創作にとって畫期なことと價できよう。
(14) 松浦友久「文語自由詩としての『訓讀詩』 自由律形のみ 」」(『リズ ムの美學 日中詩歌論 』明治書院、1991年、150~166頁)、同「『文語自由詩』
としての訓讀詩 定型詩(和歌・俳句)との相補性 」(『詩 美の在りか』、
217~244頁)などを參照。
(15) 最でも、中國學の專門家においてさえ、文詩育の必性が否定され ている。たとえば、高島俊男「『文』について」(『漱石のやすみ 總紀行
『木屑』』朔北、2000年)、田島一『「中國人」という生き方 ことばにみる 日中文比較』(集新書、集、2001年、50~57頁)など。これは、戰後、
とりわけ七十年代以、日本の大學における中國古典學が、訓讀古典學ではなく として讀古典學によって推されてきた史事實と符合するものであり、
外國文學としての中國文學(廣くは中國古典學)の究方法としては、いうまで もなく至當なものである。しかし、そこには、訓讀詩(文)が日本の文史、
文學史の中で果たしてきた史側面や今日意義、何よりも文としての美へ の點がれられているように思われる。なお、訓讀と讀のあるべき關係と意 義については、松浦友久「『訓讀古典學』と『讀古典學』 その意義と相補性に ついて 」(『新しい文育』第25號、1997年11)、松尾幸忠「中國古典學に おける『讀』と『訓讀』」(『岐阜大學地域科學部究報 』第3號、1998年9
)などを參照。
16)「俳」については、松浦友久「詩型としての『俳句』・付『俳』考 “余白 の制度”と生命力 」(『リズムの美學 日中詩歌論 』)を參照。
〔圖:詩箋〕