究‑‑』(同文舘出版,2015年3月,146頁)
著者 岩見 憲一
雑誌名 社会科学
巻 48
号 3
ページ 121‑150
発行年 2018‑11‑30
権利 同志社大学人文科学研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000355
《書評》
川満直樹編著『商品と社会―ランドマーク商品の研究―』
(同文舘出版,2015 年 3 月,146 頁)
岩 見 憲 一
同志社大学人文科学研究所第 18 研究会(第 5 研究会・第 18 研究会)では 1995 年か らランドマーク商品という概念を用い,商品が私たちの生活に与える影響について研 究を行ってきた。同研究会では多くの商品が取り上げられ研究発表がなされ,それを もとに 5 冊の研究書1)が刊行された。これまでに,これらの研究書に対し 5 編の書評2)
が行われ,ランドマーク商品研究の意義と課題が指摘された。本書は,書評で指摘さ れた課題点を念頭におきつつ,すでに刊行された 5 冊の『ランドマーク商品の研究』と 異なり,① 5W1Hの視点および②国際比較の新たな視点を取り入れ,ランドマーク商 品の研究を通じ,商品と社会の関係をさらに掘り下げたものであると述べている。
この書評では,まず本書の「Prologueランドマーク商品の研究視点」(川満直樹)の 要旨を紹介し,日本以外で誕生し,普及が日本及び世界に及ぶ商品「温水洗浄便座」と
「トランジスタラジオ」,日本以外で誕生し,普及が日本に限定される商品「パチンコ」
の 3 論文の内容紹介と感想を,そして最後に「Prologueランドマーク商品の研究視点」
についての筆者の所見を述べる。
1 「Prologue ランドマーク商品の研究視点」(川満直樹)の要旨
1.1 はじめに
現代社会に生きる私たちにとって,企業が提供する「商品(財,サービスなど)」を消 費し生活することはごく自然なことになっている。私たちは生活に必要な商品を購入し,
使用することに対し特に違和感もなく,またその意味を考えることすらしない。それは 私たちの生活の中に企業が提供する商品が入り込んでいるということになる。このよう な状況は日本だけのことではない。アメリカを含む先進国でも同じような状況が看取さ れるであろう。
高度経済成長期以降,日本では多くの商品が登場してきた。代表的な例を挙げると,
1960 年代の「三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)」,また 1970 年代の
「3C(カラーテレビ・カー・クーラー)」などが挙げられる。それらの商品が,新しいラ イフスタイルを提供し,生活を大きく変えたことは誰もが否定しないであろう。また,そ れらの商品の登場は,私たちの生活を変化させただけではなく,価値観にも影響を与え た。例えば,洗濯は家事労働の中でももっとも重労働だと言われてきた。洗濯とは「洗 う・濯ぐ・絞る・乾かす」という一連の行為である。洗濯機の登場により,その一連の 行為の中の「洗う・濯ぐ・絞る」を洗濯機が担い,私たちは「乾かす(干す)」という行 為だけを行うようになった。現在私たちが発する「洗濯する」という言葉の意味すると ころは,先に示した 4 つの一連の行為をさすのではなく 1 つの行為のみを示すようになっ ており,洗濯機の登場以降,洗濯をすることに対する私たちの意識,捉え方が大きく変 わったことがわかる。
私たちの生活や社会は,時間が続く限り変化をしていく。その変化の一面を「商品」と 言う視点―商品と生活者,商品と社会など―から見ると何が見えてくるだろうか。
数多くある商品の中でも特に私たちの生活に多大な影響を与えた商品がある。本書で は,生活に多大な影響を与えた商品を「ランドマーク商品」と呼ぶことにする。ランド マーク商品をひと言でいうならば,ライフスタイルに特に大きな影響を与えた商品とい うことになる。現代の私たちの生活は商品なしでは成り立つことは難しく,商品は私た ちの生活の前提となっている。商品を中心に私たちのライフスタイルや社会を見たなら ば一体何が見えてくるだろうか。
1.2 商品と社会
1.2.1 ランドマーク商品の研究について―書評を手掛かりに―
これまでの書評で評価点(特徴)とされた主な内容とコメント。
① 商品のもつパワー(創造力,破壊力など)の大きさを学問的に探究する意義はある。
② 「商品史」という新しい研究分野を切り開いたこと。
評価点(特徴)①について。これまで経営史学などでは,消費面よりも生産面に焦点 を当てた研究が多く,日本を代表するような企業の活動についての研究が盛んに行なわ れ,商品については,角山榮(1980)『茶の世界史』(中央公論社)など多くが発表され てきた。また柏木博らの商品と社会との関係についての研究も興味深く,いくつかの研 究成果が発表されてきた。
しかし,これらは主に商品自体や社会的背景などについての研究が主であり,評価点
①の視点,つまり商品のもつパワーの大きさあるいは商品が生活者のライフスタイルや
価値観に与える影響などについての観点はそれほど重視されていない。このように,こ れまで等閑視されてきた観点を取り上げ,商品のもつパワーや生活者に与える影響につ いて分析を試みた点が評価点①につながっているのであろう。
評価点(特徴)②について。新しい研究分野を切り開いたことについては,評価点① とも関連する。
「新しい研究分野を切り開いたことである。その内容は,新たな経営史,経済史,商品 史研究を含むある意味で総合的な歴史研究といってよいものとなっている。」3)
「本書は商品の影響力を史的に分析し,人間,社会のあり方を考えるという視点で貫か れており,盛られた内容は多様,斬新,説得的であり,新しい歴史学の誕生を予感させ る。」4)
「つまり本書は,人々の価値観やライフスタイルの変容,社会の変化をその変化の『ラ ンドマーク』となったと思われる『商品』を通じて読み解こうとする,商品及び商品史 の新しいアプローチの方法である。」5)
「『商品史』というテーマも本書が事例とする対象もきわめて意義深いものであり,や やもすると経営史学や経営学が従来看過してきた研究課題である。」6)
これらからも明らかなように,商品がライフスタイルや生活者の価値観に与える影響 を分析することは意義のあることであり,「商品史」という新しい歴史研究分野の可能性 を認めている。
書評では,多くの課題も指摘されたが,まとめるとおよそ以下の 2 点になる。
① 「ランドマーク商品」の定義について
② 取り上げる商品やアプローチの統一性について
課題点①の定義については,ランドマーク商品研究の根幹にかかわることである。石 川健次郎は,ランドマーク商品の定義を以下のように述べている。
「その出現によって,それ以前の生活スタイルを大きく変え,生活の利便化,効率化,
安楽化,安直化,簡便化つまり労働の軽減と自由時間の増大に決定的な影響を与え,多 様な生活スタイルを実現させ,その背景となる価値観の変容をも促すほどのパワーを もった商品のことである。」7)
上記のように,緩やかにランドマーク商品の定義を行なっている。確かに定義を厳密 に規定し分析することも重要なことである。しかし,定義の厳密化のみにこだわると取 り上げる商品あるいは研究の幅を規定することになりかねない。商品史ならびにランド マーク商品研究という新たな研究分野を開拓するためには,現時点では石川の緩やかな
定義を用い多種多様な観点から商品が生活者に与える影響あるいは商品が社会に与える 影響等について研究を進めた方が良いと考える。
また書評では,取り上げる商品や分析のアプローチについて統一性がないと指摘され ている。
「各章の完成度の高さにつながる独自性のゆえか,読み進めていく上で多少の居心地の 悪さを感じたのも事実である。」8)
「未だ緒に就いたばかりの研究ゆえか,学際的研究というよりは個々の研究者の興味や アプローチの方法がばらばらであり,1 冊の著書としては統一性に欠けている感を拭えな かった。しかし裏を返せばそこが新しい研究分野のおもしろみでもあろう。」9)
「読書感として『何とも,まとまりがない』と感じたのは評者だけのことであろうか。」10)
上記の課題点②については,後でも触れたい。以上,これまでのランドマーク商品研 究についてみてきた。以下では,それらをふまえて「商品と社会」とランドマーク商品 研究について検討する。
1.2.2 「商品と社会」について
ここでは試論的に「商品と社会」について,ランドマーク商品研究との関連で検討す る。
ランドマーク商品研究では,「商品と社会」の相互関係を明らかにすることを目的の 1 つとしてきた。石川健次郎は「商品,生活,社会の密接な相互関係の内実を歴史的に整 理し,その合意を解明しようとする研究分野として,商品史学展開の可能性がある」11)
と指摘している。これまでの人文研第 18 研究会では「商品」と「社会」についての明確 で統一的な捉え方(定義)があるわけではない。当面は実証分析の成果の蓄積が重要で あり,その前にあえて厳密に定義づけをしない方がよいという意見が勝っていた。
しかし,ランドマーク商品の研究を共同で行っている以上,「商品」と「社会」につい てある程度の共通認識は必要である。例えば,これまでのランドマーク商品研究では,全 体として日本社会を考察の中心としてきたが,ランドマーク商品が日本社会独自のもの なのか,あるいは日本以外の国や地域にも当てはまるような普遍的なものなのか,など を問う場合に世界の中で日本社会の位置づけが必要になろう。つまり日本社会が社会の 歴史のなかでどのような位置にあるのかを明らかにしない限り,日本的特性であるのか。
あるいは普遍的な現象であるのかを判断することは難しいと考えられる。
「商品」についてはすでに鍛冶博之と石川が論じているので,それらを要約しながら検
討していきたい。
鍛冶は,経済学,商品学,商業学(商学),マーケティング論の分野で商品がどのよう に捉えられてきたかをレビューし,商品について次のようにまとめている。「商品概念に 関する考察は,既存の学術分野での諸研究に委ねるだけでなく,今後のランドマーク商 品研究のなかで継続していく必要があると思われる。なぜなら,ランドマーク商品研究 は商品に注目した史的研究(つまり商品史)の一方向であることから,商品という概念 について常に問い続ける必要があるためである。(中略)とはいえ,現時点では厳密な商 品概念の規定にこだわる必要はない。なぜならランドマーク商品研究では概念分析より も事例分析が優先され,個別商品の視点から歴史を捉え直すことに重点が置かれている ためである。したがって現時点でのランドマーク商品研究における『商品』の意味につ いては,近年の商品学での傾向と同様に,端的に『生産者や流通業者により製造・流通・
販売され,消費者に購入される有形財と無形財,もしくはそれらの総体』と大きく捉え,
緩やかに規定しておいたほうが事例分析の深化を図りやすいと思われる。12)
石川は,主に商品学で取り上げられてきた商品の定義を紹介し,特に石崎悦史の主張 を参考に商品について「商品にしてもよいモノといけないモノ,つまり商品の条件を決 めるのは,同時代の人々であり,それはとりもなおさず社会の価値であるといえる。社 会が商品を決める,この意味から『商品は社会に従う』といえる」13)と述べている。
鍛冶と石川の議論を参考に暫定的ではあるが,商品については「社会的共感を背景と しながら,企業が提供し利益を獲得するものすべて」と捉えたい。この場合,非営利組 織などが供給するモノやサービスをどのように理解するか,という問題もあるがそれら については今後検討していきたい。
次に「社会」について試論を述べる。一般的に社会は,独自の文化や言語をもった国 家やそれに近い地域あるいはコミュニティをさすことが多いと思われる。多少唐突では あるが,商品を中心にみると,社会の変容過程を「非商品化社会(自給自足社会)→限 定的商品化社会→全面的商品化社会(ほとんどすべての生活手段が全面的に商品化され た社会)」と捉えることができはしないだろうか。中間の限定的商品化社会とは,①イン フラやエネルギー等の商品生成や普及等に必要となる前提条件が整備されていない社 会。②ある程度インフラやエネルギー等は整備されているが,商品の誕生や普及を阻害 する要因,例えば宗教的・文化的・歴史的な要因,階級制度の存在,職業選択に関する 制限等々が存在する社会を指す。
このように商品を中心に社会の変容過程を捉える意味は,分析の対象となる社会がど
のような状況にあるかを把握する上で有効であるとともに,編著者がこれまで強調して きた国際比較を行う場合の基準を提供する意味もある。つまり,ランドマーク商品研究 の前提として,分析対象の社会状況を確定することができると同時に,比較研究を行う 場合でも全面的商品化社会がもっとも進んだアメリカと日本のような社会を比較するの か,あるいは全面的商品化社会に達した日本と限定的商品化社会にとどまる途上国とを 比較するのかの基準を与えることにもなる。これにより国際比較の目的も明確になり,比 較することにより得られた結果の意味づけもより有効性をますものと思われる。
1.2.3 本書の視点
本書は,書評で指摘された課題点を念頭におきつつ,ランドマーク商品研究に新たな 視点,つまり① 5W1Hの視点から分析を行う。具体的には「誰が,いつ,どこで,何を,
なぜ,どのようにして」を中心に分析し,商品が登場した事情とその後の社会変化を明 確にした。②国際比較の観点を取り入れる,などを設定した。
ランドマーク商品研究へ国際比較の観点を取り入れることについて,洗濯機を例に考 えてみたい。日本では洗濯機の登場と普及は家庭内で洗濯に従事する者に労働の軽減と 労働時間の大幅な短縮を与え,家事労働全体の軽減に大きな影響を与えた。さらに,洗 濯をするという行為に対する考え方(価値観)にも大きな影響を与えた。諸外国ではど うか。洗濯機の機能自体はどこの国でも変わらない。それでは洗濯機は,諸外国でも日 本と同じように生活者のライフスタイルや価値観に影響を与えたのだろうか。実は,洗 濯機が普及しても日本のように洗濯に対する考え方や価値観などに影響を与えない国や 地域も存在する。
商品は,社会のおかれた状況あるいは固有の価値観等に関係なく,どこでも同じよう に普及するのだろうか。ある商品の普及はある社会のおかれた経済・社会状況,または その社会の固有の価値観等に大きく左右され,商品が誕生する,普及することに何らか の障害が存在する。このような視点をランドマーク商品研究に取り入れることにより,商 品を中心に国や地域の違いなどを見ることが可能となる。
本書では,以上の視点から商品が日本社会に与えた影響を分析し検討した。
1.2.4 各論文の概要
各論文の概要の詳細については省略するが,編著者は,本書で取り上げた「温水洗浄 便座」,「トランジスタラジオ」は,日本以外で誕生し,普及が日本及び世界に及ぶ商品。
「パチンコ」は,日本以外で誕生し,普及が日本に限定される商品である。両者の違いが どこにあるのか。また,日本以外で開発された技術が日本企業により商品化され,どの ようにして人々のライフスタイルや社会に影響を与える商品となったのか。本書で確認 いただきたいと述べている。
1.2.5 おわりに
ランドマーク商品は,私たちの生活そして社会を大きく変えるパワーを持っている。そ のパワーがプラスに作用した場合には,私たちの生活をより快適なものにし,より豊か にする。逆にマイナスに作用すると,私たちの生活に何らかの害毒を及ぼすことになる。
このことからランドマーク商品が必然的に持つ社会的害毒の削減への考察と並んで,受 益者側の自律性の維持や飽くなき欲望からの脱却など生活者の意識,価値観の鍛錬につ いての考察も今後の課題となろう。
人文研第 18 研究会で行ってきた研究ならびに,これまでに刊行された『ランドマーク 商品の研究』全 5 巻からランドマーク商品がプラスとマイナスの両面を備えながら,生 活や社会を変え,それらの変化がさらに新しい商品(ランドマーク商品)を生み出すと いう関係が明らかになった今,社会に影響を与えるランドマーク商品の持続的な供給シ ステムについて検討することも重要であろう。生活や社会を変え,人間の価値観にも影 響を与え,新しい時代へ進む駆動力としての役割を果たすランドマーク商品を絶え間な く供給するシステムの構築は,結果としてより良い社会の形成に大きな役割を果たすも のと思う。今後,堅牢な事例研究の蓄積と並行して,それらの成果を通貫してまとめ上 げるような方向性を探る作業も考慮されるべきであろう。
商品の普及そして定着はその国や地域の歴史や文化,宗教あるいは風土等にも大きく 影響される。なぜ,どのような形で文化や歴史などが商品に影響を与えるのか。それを 明らかにすることによりその国や地域に根付いた文化的な特徴に接近することができる と思う。また前述したような宗教と商品の関係も重要な研究テーマになるであろう。
以上のように,商品と生活者と企業との関係,商品と社会の関係を検討するための課 題は多くある。今後それらの課題を 1 つ 1 つ丁寧に解明していきたい。
2 Chpter 1 温水洗浄便座(天野了一)
2.1 はじめに
本章は 5W1Hと国際比較の 2 つの視点に立ち,石川の「ランドマーク商品の研究では,
商品の受け手である受容者側の視点に立った分析を行いたいと考えている。つまり商品 の生産・販売・組織作り・革新的手法など企業側の実績のみでなく,商品を受け入れる ことによって需要者の生活がどのように変わり,その結果社会が,時代がどのように変 わったのかを考慮の主眼におければと願っており・・・」14)とのランドマーク商品の研 究目標に沿う記述であり,よく理解できた。以下,この章の要点を見てみよう。
2.2 温水洗浄便座の誕生
最初に温水洗浄便座を発明し商品化したのは,スイスの起業家,ハンス・マウラーで,
「人が月に向かう時代なのに,なぜ肛門やパンツが汚いままなのか」との問題意識を持ち,
人々の衛生を近代化したいと考え 1957 年に世界初の便器一体型温水洗浄便器・クロスオ マットを完成し,ベンチャー企業を設立,主に病院などに医療器具としての販売を開始。
1961 年には「クロスオマット・スタンダード 61」を発売し,76 年までに欧州各国に 1 万 台を販売している。
日本では 1964 年に,伊那製陶(現LIXIL)が「クロスオマット・スタンダード 61」の 輸入販売を開始し,1967 年国産初の温水洗浄便座(一体型)「サニタリイナ 61」を完成 させ発売を開始したのが最初である。
一方,東洋陶器は,1964 年アメリカで開発された既存の便器に後から装着できるシー ト(便座)型の洗浄便座「ウォッシュエアシート」を輸入販売した。
当時の「東陶通信 71 号」には「文化の進んだ 20 世紀の今日においても,昔ながらの 方法,つまり紙と手を用いて用便後の後始末をしている」ことを指摘しているが,需要 対象は,やはり痔疾の患者や病院での局部の疾患や妊産婦の衛生用であり,価格は 79,800 円であった。1969 年に改良し国産したY9524 型を 85,000 円で発売したが,温度や水流が 不安定であったことや高価なこと,そして洋式便器の設置率も低かったことからあまり 普及しなかった。
2.3 商品開発と普及,そしてランドマーク商品になった温水洗浄便座
1970 年代に入ると高度経済成長,ベビーブームの中で,ニュータウンや社宅や団地が
各地に建設され,住宅着工が大きく伸び,上下水道の整備とともに洋式便器が普及した。
しかし,1973 年にオイルショックが発生,その後の不況により住宅着工件数が激減,東 陶機器は経営危機に陥る中で,温水洗浄便座を自社の救世主として育てることを目指し,
1978 年 12 月に新しい温水洗浄便座の開発をスタートさせた。
今回は,自社の経営の柱とするため「文化の進んだ 20 世紀の今日においても昔ながら の方法,つまり,紙と手を用いて用便後の後始末をしている」とのかっての問題意識を 持ち,一般家庭への普及を目指し徹底した研究を行い 1980 年にタンク式高級型「ウォシュ レットG」と瞬間式普及型「ウォシュレットS」の 2 機種で販売を開始した。TOTOは 2015 年 9 月のニュースリリースで 1980 年 6 月の販売開始から 35 年,「ウォシュレット」
の累計出荷台数が 4,000 万台を突破した。一世帯普及率が 77.5%となった温水洗浄便座 は,日本住宅には欠かせないものとなり,お尻を洗う文化を日本に根付かせたと述べて いる。
本書は「日本人は,洋式便器や温水洗浄便座など,もともと海外で発明されたもので あっても,一般家庭用として顧客の生活視点に立った研究開発の努力を続け,世界最高 のレベルまで進化させている。そして戦後衣食が足りた後には,清潔の追求は大きな関 心事であり,水洗化により遅れていたトイレまわりの清潔化が一段落する中で,お尻を 洗うというさらなる清潔化を求める温水洗浄便座の急速な普及は,人々のライフスタイ ルと衛生の価値観に変化をもたらした。温水洗浄便座はまさしくわが国独自のランド マーク商品である。そして,人々のライフスタイルを変え,排便後お尻を適度な水圧で リズミカルに射出される温水で洗浄するという世界に類を見ない習慣を生み出し,尻を 紙で何回も拭くより温水で洗い拭くほうが短時間できれいに拭き取ることができ,衛生 や健康の向上に貢献するという新たな常識を生み出し,現在では家庭やオフィスへの導 入が不可欠になりつつある」と述べている。
他方,便秘の人が便意を促すためにリズム洗浄やパルス洗浄を使いすぎ,逆に肛門湿 疹や切れ痔などを誘発することや,家庭では温水洗浄便座を備えたトイレを使ってきた 小学生が和式便所しかない学校のトイレが使えず我慢する子供もおり,負性もあると述 べている。
2.4 温水洗浄便座は日本以外でもランドマーク商品となるか
認知度が高まり普及が進みつつあるのは東アジアである。一番進んでいるのは韓国で,
地方は遅れているが,都市部の新築マンションにはほぼすべて装備されており,現地資
本の家電メーカーが国内市場で販売している。
中国では,2010 年の上海万博で温水洗浄便座が大きな話題になり,認知度向上の契機 になった。現在,日本メーカーの多くが国内向け商品を中国で生産しており,一部は現 地仕様として出荷し,富裕層を中心に徐々に浸透しつつある。ただし,中国は都市部と 農村部の格差が非常に大きく,農村部では家庭にトイレがない地域も多く,衛生的なト イレ自体の整備が課題である。
2015 年の春節に日本を訪れた中国人観光客が,温水洗浄便座を我先に買ったために売 切れになる販売店が出た。「喇の話」(Kogotokoub.exblog.jp/m2015-02-01)によると,中 国メディアは同年の春節を前に日本で温水洗浄便座を買う中国人観光客に焦点を当てた 記事を相次いで掲載しており,「日本土産のおかげで,中国で “TOTO” や “INAX” という 言葉が普及しそうだが,ウォシュレットが売れることで,中国でも “ お尻を洗いたい ” と いう文化が浸透し始めたことは画期的なことだ」と述べている。
三宅秀道は「なぜエジソンはウォシュレットがつくれなかったか?」と問いかけ,「お 尻を洗えないことを不幸せと思えなかったことにある。つまり,お尻を洗うと気持ちが よいのではないかと思えず,“ 問題の発明 ” ができなかったからだ」15)と答えている。
図 1 新市場創出には 4 条件「しあわせの制約条件」が必要
(出所:湯之上 隆(2013)『日本型モノづくりの敗北』文芸新書 248 頁)
注.三宅秀道(2012)『新しい市場のつくりかた』東洋経済新報社(図 2 − 1,37 頁)を基に湯之上 隆作成
湯之上 隆は,三宅秀道の「しあわせの制約条件」を参考に図 1 を示し,三宅によれ ば,新市場の創出には「しあわせの条件」と呼ぶ 4 つの条件が必要である。ウォシュレッ トの場合,温水器やポンプなどの技術的制約,水洗トイレに必要な水道インフラや送電 インフラなどの社会的制約,モノを購入し維持する経済的制約も存在する。しかしこの 3
つの制約より重要なのが文化的制約である。なぜなら「お尻をあらいたい」と思わなけ れば,あとの 3 条件が満たされても,ウォシュレットを使おうという気になれないから だ。ウォシュレッットは新たなしあわせ創出であり,「問題の発明」,「市場の発明」であ るという主張は今後の日本の製造業にとって重要な示唆である16)と述べている。
欧州では 2014 年,便器で世界最大出荷台数を誇るスペインのRoca社はホームページ の目立たない場所にラインナップの 1 つとして温水洗浄便座を掲載している程度である。
スイスのGeberit社の洗浄便器の出荷台数も,欧州全体で年間 5 万台にすぎない。ビデ文 化をもつ欧州においては,一体型の元祖であるクロスオマット社を始め,いくつかのロー カルメーカーが製造しているが,病人や施設用という位置づけで,まだ一般家庭向けで はない。
アメリカでは,1 位のKohler社が,韓国の洗浄便座メーカーを 2012 年に買収,シート 型をラインナップに加えているが,ヨーロッパと同様に主力商品として打ち出していな い。現況では,日系ホテルやラスベガスの一部高級カジノホテルへの設置に留まってお り,一般家庭には普及していない。
本書は,欧米にはそれぞれ温水洗浄便座の普及を阻む文化の壁があるという。日本で は,ワンルームマンションやホテルなどのユニットバスを除き,一般家庭のトイレは,浴 室,洗面所とは別に設置されている。一方,欧米のバスルームは浴室にシャワーとトイ レが一体に設置されており,必要であればシャワーで全身を洗う事ができる。また,イ タリア,スペイン,フランスなど欧州ラテン系諸国や中南米諸国では,普及度合いに差 はあるが,トイレ,ビデ,シャワー,浴室が同じ場所に設置されている。ビデは現在は 簡易の洗濯槽や足洗として男女とも使用するものとなっており,用便後などに,便器か ら乗り換えて使われている。これらの欧米文化が温水洗浄便座の普及を妨げ,ハンス・
マーラーが「人が月に向かう時代なのに,なぜ肛門やパンツが汚いままなのか」という 問題意識をもち開発した世界初の「クロスオマット」が一般家庭に普及しなかった原因 と思われる。
しかし,アメリカの歌手マドンナが「日本の暖かいトイレが恋しいわ」と記者会見で 発言したように,温水洗浄便座を使った外国人旅行者のほとんどが驚きと感動をもって その機能を讃えている。またTOTOの喜多村社長は「使うと良さがわかるが,使っても らわないとわからない。お尻を洗うことは日本の文化であり,2020 年の東京五輪は,海 外客への認知度アップ,販路拡大につながる」と期待をもち,2015 年 4 月,成田国際空 港にトイレ空間「GALLERY TOTO」を開設している。一方,温水洗浄便座は業務施設,
宿泊施設,商業施設,交通施設など様々なパブリック施設のトイレに採用され,海外か らの観光客に好評を得ており,同時にTOTOは 1986 年にアメリカで販売を開始してい る。現在は中国,アジア,オセアニア,欧州でも「ウォシュレット」を販売しており,海 外でも着実に広がりを見せている。
3 Chapter 2 トランジスタラジオ(水原 紹)
3.1 はじめに
本章も,企業でのトランジスタラジオ開発の歴史や経営者という生産者側の観点と,同 時にトランジスタラジオが,なぜ普及し,若者たちのライフスタイルを変え,社会の価 値観を変えたのかなど,商品の受容者側の視点に立つ分析や記述に詳しい。印象に残っ た下記の 4 項目についての感想を述べたい。
3.2 トランジスタラジオの誕生と,ランドマーク商品に育てた企業と創業者
まず,トランジスタラジオを生み出し,ランドマーク商品に育て上げた会社,ソニー と井深太,盛田昭夫両創業者の信念,意志,着想,実行力,スピードなど仕事への姿勢 に感銘を受けた。東京通信工業(現ソニー)は戦後の焼け野原の中でホンダとともに 1946 年に創業し,日本の発展を支えた企業の一つである。
創業者の一人である井深太が,在日米軍にレコーダを見せてもらい「我々が作る商品 はこれだ」と直感したことや,1952 年アメリカ滞在時にトランジスタの特許公開の情報 を聞き,やがて真空管にとって代わる素材になると直感したことが後のトランジスタラ ジオの製作につながった。
翌 1953 年 7 月にトランジスタの勉強会を開始。共同創業者の盛田昭夫が渡米し,トラ ンジスタを発明したベル研究所の親会社ウエスタンエレクトロニックと使用に関する特 許契約を締結。技術者魂に火が付いた井深はトランジスタの製作に成功した。1954 年 4 月トランジスタ工場が完成。勉強会から 1 年も経たない短期間で量産し,1955 年 8 月に 発売している。
同時に,トランジスタなどの部品も自社で製造したことも画期的なことで,その後の 電子機器産業や半導体集積産業の礎を築くことになった。ただ,無名の企業に不安をもっ た通産省が外貨使用を許可せず,アメリカのリージェンシー社にわずかの後れを取った が,製品も部品も自社で生産したトランジスタラジオは東通工が世界初である。
1955 年 8 月に発売開始した東通工はアメリカやヨーロッパへの販売を決意し,専務の 盛田がこれを持参して渡米。未だ実績のない中で当時の大手時計会社のブローバー社か らの 10 万台のOEMのオファーを断り,1960 年に「ソニー・コーポレイション・オブ・
アメリカ」を設立し,この時からSONYブランドを使用し,社名も 1958 年からSONY に変更した。当時,ベンチャー企業であったソニーにとって,10 万台のオファーを断る ことは大変な決断であったと思う。この意気込みこそが高度成長期の日本の先達の姿で ある。
また,少し先行したテキサスインスツルメント社やリージェンシー社がそれほど成功 しないなか,ソニーは会社としても井深自身も「トランジスタを作るからには広く誰で も買ってくれる大衆商品を狙わなくては意味がない。それはラジオだ」と言い,トラン ジスタや部品も自社で生産した。さらに半導体についても,アメリカであまり人気のな かったシリコントランジスタに対し,「これからはシリコンの時代だな」と確信している。
その判断・決断と実行力に驚くと同時に,その後のソニーの成長と高度経済成長期に 向かう日本のエネルギーを実感した。
これらの判断力・決断力・実行力はランドマーク商品を生み出す企業家にとって極め て大切な要件である。井深と盛田の働く姿を子供のころから見てきたソニーのもう一人 の創業者盛田の次男,盛田昌夫は「・・・強烈なリーダー達の行動の原動力は “ ドキドキ した気持ち ”,誰も創ったことのないものを生み出す。誰もやったことがないことを経験 する。人間は未知のものに触れ,自分で体験した時にドキドキします。井深・盛田はそ の気持ちを大切にし,楽しんでいる人たちでした」と語っている。世の中に新しいコン セプトの商品を出し「これこそ欲しいものだったのだ」と消費者をうならせるのがソニー であった。
3.3 トランジスタラジオの普及とランドマーク商品化
次に,トランジスタラジオはアメリカでランドマーク商品になった稀有な商品で,ラ ンドマーク商品に成長させたアメリカの音楽文化のパワーを実感した。
アメリカは 1930 年代にラジオの黄金期を迎え,ラジオ大国としてAM,FMのラジオ 局が増え続け 1965 年には合計で 5,000 局を超え,ラジオの普及率も 98%に達していた。
戦後テレビの開発が進むアメリカでは,一家に一台から部屋ごとに一台のラジオの時代 で,パーソナルユースの時代を迎えており,すでに複数台所有する人が増えていたが,そ れを決定づけたのがトランジスタラジオである。
その背景に音楽の「ロックンロール」があったと言われている。つまり若者の多くが ロックンロールを自由に一人で聴きたいためにトランジスタラジオを購入したのがアメ リカにおけるトランジスタラジオ普及の最大の要因になった。
本章では,アメリカにおける音楽の歴史,トランジスタラジオとロックンロールの関 係,音楽とプレスリーによる白人と黒人文化の融合,若者の「個」の意識の変化などに ついて詳しい叙述がなされている。
アメリカでは,既にラジオのパーソナルユース化はある程度進んでおり,一部屋に一 台の時代になっていたが,トランジスタラジオは,持ち運びが容易な軽量・コンパクト であり,大人たちに邪魔されずに自分の好む音楽を一人で聴くために若者が買ったこと により,一部屋に一台という生活の前提が新しく一人一台の時代となった。さらにトラ ンジスタの寿命は半永久的で,消費電力が少なく乾電池で長時間使用できるコードレス 機器であり,音楽を屋外に連れ出すこともでき,真のパーソナルケア商品となり,今日 の携帯電話やiPadがもたらす個の生活がここから始まり,同時に世代間ギャップを加速 させたと述べている。
そして「トランジスタラジオのヒットがロックンロールのおかげと言うならば,その 逆も言えよう。黒人コミュニティの発展,音楽産業の拡大と新たなジャンルの誕生に確 実に関わっており,その意味ではトランジスタラジオの普及もまたロックンロールの発 展に貢献した」と結んでいる。
ヨーロッパについては,特にドイツ人のプライドは頑なで,輸出販売は不振を極め,販 売が軌道に乗るのはアメリカよりも時間を要したが,1960 年にイギリスでビートルズが 誕生し,全世界的にロックンロールが普及した。
3.4 日本でのトランジスタラジオの普及とランドマーク商品化
日本でも戦後生まれの若者がアメリカ文化にあこがれ,ロックやポピュラー音楽が人 気になりつつあり,それをトランジスタラジオで聴いた。1950 年代以降は,美空ひばり や石原裕次郎などの流行歌もヒット曲を連発するようになり,「ロカビリー族」,「太陽族」
といった若者が台頭する。1957 年には,ロカビリー旋風が吹き荒れ,それが 60 年代以降 に「ヒッピー」や「モッズ」といった若者文化を生み,テレビの普及によりラジオ受信 機の普及率が低下する中で,トランジスタラジオによりジオの普及が拡大した。
家庭の娯楽はテレビに移り,ラジオはゴールデンアワーの主役から降りたが,電波三 法が改定され,1951 年の中部日本放送,毎日放送に続き多くの民間放送局か生まれた。音
楽放送としては 1952 年の「S盤アワー」やその後の「L盤アワー」が有名。深夜放送は,
1969 年からは深夜放送となった「S盤アワー」,FM放送では 1969 年の「JET STREM」
が有名で,他の音楽番組同様オープニング曲にフランク・プゥルセル・グランド・オー ケストラの「ミスター・ロンリー」といったアメリカ音楽を使用し,長寿番組となった。
以上のようにアメリカ生まれの音楽番組を聴くために,一般の家庭では,居間,ダイ ニングキッチン,勉強部屋へと自由に持ち運び,それぞれが好きな時間に聴くことがで きるトランジスタラジオは大変便利で,人口が突出している戦後生まれの “ 団塊の世代 ” が学生となる 1960 年代後半には,個人用のトランジスタラジオを持ち,勉強しながらラ ジオを聴く若者が増えた。
アメリカでも戦後生まれの “Baby Boomer” と呼ばれる世代があるが,経済力が高かっ たアメリカではトランジスタラジオの流行が少し早く,彼らがティーンエイジャーに なった 1950 年代後半から始まり,この世代が日本のトランジスタラジオの顧客としても 重要な役割を果たした。
日本では,1956 年にはラジオの世帯普及率が都市部で 70%になっていたが,人口当た りの普及率は 15%で,高度経済成長による所得の増加により,パーソナルなメディアで あるトランジスタラジオが普及する余地が非常に高かった。
3.5 トランジスタラジオを支えた半導体の発展
トランジスタは,集積回路IC, LSIに発展し,世界の半導体集積産業を生み出し,IoT やAIへの進展を生み出した。IC Insightsは 2018 年の世界におけるICおよび光デバイ ス・センサ・ディスクリート半導体(O-S-D)の合計が 1 兆個に達する見通しであると発 表している。
表 1 各種機器のパラダイムシフト
1970 1980 1990 2000 2013 2030 コンピュータ メインフレーム ミニコン PC ノートPC タブレット
スマホ
?
電話 固定電話 携帯電話 ?
テレビ ブラウン管TV デジタルTV ?
クルマ ガソリン車 ハイブリットカー ?
出所:湯之上 隆(2013)『日本型モノづくりの敗北』文春新書 14 頁
表 1 は 1970 年から 2013 年までのコンピュータ,電話,テレビ,クルマ産業の変化で
ある。コンピュータ業界では,1970 年代のメインフレームから,1990 年代のPC及び 2000 年のノートパソコンを経て,2013 年現在のタブレットPCやスマートフォンにパラダイ ムシフトした。スマートフォンはもはや携帯電話ではなく,携帯電話機能付き超小型コ ンピュータというべきものである。
電話は,かっての固定電話から,2000 年前後に携帯電話が普及し,そしてスマートフォ ンへとパラダイムシフトした。アナログ式ブラウン管テレビは,2000 年以降,液晶やプ ラズマなどのデジタルテレビにパラダイムシフトした。
クルマ業界では,長らくガソリン車が主流であったが,ハイブリットカー,コンパク トカー,EVなどエコカーにパラダイムシフトしようとしている。
1971 年にインテルが発明したDRAMを日立,東芝,NEC他日本の家電メーカーが注 力し,大型コンピュータメーカーや電電公社(現NTT)の「壊れないDRAMをもって こい」との要求に対し,25 〜 23 年保証の高品質DRAMを作り上げ,1980 年代半ばに世 界シェア 80%を獲得した。しかし,1990 年代に入いると,コンピュータ業界にパラダイ ムシフトが起き,PCが上位市場となった。そして日本のDRAMシェアは低下し,それ に代わって韓国,特にサムスン電子が 1992 年シェア世界 1 位になった。日本の半導体メー カーはこのパラダイムシフトやサムソン電子(最初はNECが技術指導)の動向を知って いたが,主要客はあくまで大型コンピュータメーカーであり,高品質DRAM は明らかに 過剰品質であったが,PC用にも転売した。17)本書にある「激しい競争の中で戦略転換の 失敗・・・」(99 頁)とは,日本の半導体メーカーが,このパラダイムシフトに適応でき なかったことを指す。スマホやタブレットなどは人々のライフスタイルや社会を変えた。
そして半導体はさらなる進化を目指す。
PCの電源を入れるとHDDから読み取られたOS情報が半導体メモリDRAMに移さ れPCが立ち上がる。次にキーボードの入力で半導体のプロセッサCPUが演算を行ない,
その結果をDRAMが記憶する。HDDは 1987 年に東芝が開発した半導体,NAND型フ ラシュメモリに駆逐されつつある。また最小型PC,スマートフォン,タブレット端末の プロセッサはメモリなどを含めワンチップ化されSOC(System on chip)あるいはシス テムLSIとも言う,へと進化した。
以上,情報通信機器に使われる主要半導体はDRAM,NAND型フラシュメモリ,CPU,
SOCであり,クルマ用には車載半導体(マイコン)が使われている。2013 年時点での世 界のトップ企業は,DRAMやNAND型フラッシュメモリは韓国サムスン電子,PC用の CPUは米インテル,SOCの製造は台湾SOMC,マイコンはルネッサスエレクトロニク
スになっている。18)近年,AIの分野では並列計算可能な高速計算プロセッサでリードす るエヌビデオなどのベンチャー企業が出現している。
本書は,ソニーのトランジスタラジオは,問題児扱いされたトランジスタを優秀な素 材に育て上げ,未来を切り開いた意味でも大きなランドマーク商品であると結んでいる。
4 Chapter 3 パチンコ(鍛冶博之)
4.1 パチンコの誕生
パチンコの起源はアメリカ説とヨーロッパ説の両説があるが,今日ではヨーロッパか ら 1920 年代に輸入された「ウォールマシン」が有力視されている。
パチンコは,大正末期から昭和の初期にかけて子供を対象とした「一銭パチンコ」が 広まり,1930 年にパチンコ店にはじめて営業許可が下り,大人の娯楽として徐々に全国 に拡大した。射幸性の高い遊技機に対する規制強化も成果なく,日本全国にパチンコ店 が出現。1936 年には鋼球式パチンコが登場し大衆娯楽として急速に普及したが,1942 年 に日中戦争による企業整備令で廃止された。
4.2 パチンコの普及とランドマーク商品化
本書は,次の諸点を指摘している。戦後のパチンコは,焼野原の中で立ち上がった日 本人にとって数少ない楽しみであり,ピーク時に比べ減少したとはいえ,2013 年の市場 規模は,18 兆 8,180 億円で余暇市場 65 兆 2,160 億円の約 29%を占め,就労人口:約 31 万 人(2013 年),納税額約 1,700 億円(2011 年)の巨大産業であり,4 回のブームとその射 幸性が生み出す弊害に苦しみながらも,身近なレジャーであり続けており,今や日本社 会で広範に普及し,安近短を実現するレジャーとして日本人の生活に欠くことのできな いものになっている。一方でパチンコの過度なプレーにより依存症に陥り,生活を破綻 させる人を生み出し,パチンコを巡る様々な事件や事故がメディアで報道されることで,
パチンコに対する社会的批判を生み,結果として今日までのパチンコに対するマイナス イメージが持続している。
しかし日本人の多くは,パチンコに対して嫌悪感を抱きつつも,日常生活の身近なレ ジャーとして受容しており,パチンコは正負を併せ日本社会に対して強い影響力を有す るレジャー商品であり,現在もこれからも日本社会に定着するランドマーク商品である と指摘している。
戦争直後の 1945 年より盛り場を中心にパチンコ店の営業が再開され,戦後の数少ない 身近な大衆娯楽として復活した。
第 1 次パチンコブームは,正村ゲージの開発と連発機が登場した 1950 〜 1955 年頃。第 2 次パチンコブームは,役物や画期的な役物チューリップ機が登場した 1960 〜 1965 年頃。
第 3 次パチンコブームは,フィーバー機の登場と,「羽根者」の「ゼロタイガー」が登場 した 1980 年〜 1985 年頃。そして 1992 年にCR(Card Reader)機が登場し,全国的に ヒットして第 4 次パチンコブームが到来した。
当時は既にバブルは崩壊していたが,1994 年から 1996 年にかけてパチンコの市場規模 は 30 兆円に達している。しかし第 4 次ブームもさまざまな弊害を及ぼした。
遊技機の急激な射幸性の増大に伴い,パチンコによる依存症問題はこれまで以上に深 刻化した。ホールでの不正行為も横行し,ホール経営での法令違反,破棄遊技機の不法 投棄,同伴した子供の車内置き去り事故や事件,パチンコ用プリペードカードの変造偽 造事件の多発などが相次いで発生した。それをメディアが大きく報道し,パチンコに対 する社会的批判が一気に高まった。
加えてCR機の普及に伴う射幸性の増大は利用者の金銭的負担の上昇を招き,ヘビー ユーザーのみがパチンコを楽しみ,ライトユーザーがプレーを控える結果となり,参加 人口は 1994 年の 2,930 万人から 1999 年には 1,860 万人へと減少した。このためパチンコ 業界では,射幸性が著しく高い「社会的不適合機」約 70 万の撤去,環境対策として遊技 機のリサイクルなど自主規制を開始した。
そして,ホール企業自身,遊技機に頼らないサービスの模索と,それを可能にする人 材の獲得と育成に尽力するようになった。
遊技機に頼らないサービスの中核的なものとして,2007 年以降の低貸玉営業の本格化 があげられる。低射幸性を進め,長時間遊技活動ができる取り組みである。
しかし,市場規模や参加人口の減少に歯止めをかけるには至っていない。『レジャー白 書』2014 年度版によると,低貸玉営業が全国に普及し始めた 2007 年を境に,パチンコの 参加人口は微増ながら増加傾向に転じたが,パチンコの市場規模の縮小に歯止めがか かっていない。2000 年には 28 兆 6,970 億円あった市場規模は,2013 年には 18 兆 8,180 億 円まで縮小し,2001 年には 1,930 万人であった参加人口も 2013 には 970 万人まで縮小し ている。
以上のようにパチンコの戦後史は,4 度のブーム期の到来後には必ず射幸性の高まりに 伴う利用者への弊害と警察や業界による規制が実施されて停滞期が到来し,その後一定
期間をおいて再び新規性を有する強力な遊戯機が出現してブームを形成するという流れ を繰り返し,結果としてパチンコの産業規模の拡大を実現してきたと思われる。
4.3 パチンコの海外展開
パチンコの海外展開について,現在日本以外にパチンコは存在しない。日本人の生活 に欠くことのできないレジャーとなったパチンコが日本と同じく全面的商品化社会であ る米国社会や近隣の韓国や台湾でなぜ定着しないのか。
第一の理由は,日本では暗黙の了解のもとに行われている「三店方式」(景品を現金化 するシステム)は海外では認められず,法的に禁止されていることである。
第二に,パチンコは一般的な輸出商品と異なり,単なる遊技機の輸出でなく,遊技機 とその頻繁な入替や経営ノーハウをセットにしたサービス商品であり,それを現地へ移 転する余力が日本のパチンコホール企業になく,移転先国の企業が導入するには,遊技 機の頻繁な入れ替えやノウハウを自ら吸収する必要があり,至難の業であった。
国土が広く文化の面でも本質的に異なる米国で展開するカジノは,ギャンブル性はあ るものの,日常生活から離れたリゾートホテルや商業施設の集積地に位置し,顧客は非 日常の中でゆったりと楽しむことを目的とした外国人観光客や旅行者などで,安近短を 特徴とするパチンコが対象とする近隣に住む一般の人々ではない。
一方,韓国や台湾で一時流行ったのは,国土も狭く,歴史的に日本と交流もあり,安 近短のギャンブルを楽しむ文化は,日本に近いものがあったと思われる。
4.4 おわりに
ここ数年のパチンコの市場規模は依然余暇市場の約 30%を占め,ランドマーク商品と して揺るぎないサービス商品であるが,低貸玉営業の拡大や東日本大震災による自粛 ムードの影響やスマホゲームの勢いもあり,若者の集客に悩み利用者人口が 1,000 万人を 割り込んでいる。
パチンコ業界に逆風が吹く中で,低貸玉営業を推進する全国 46 都道府県に 400 店を超 えるパチンコホールを出店し,店舗数トップの企業として業界を牽引し続ける(株)ダ イナムの佐藤浩平取締役会長は,日経ビジネス 2017.08.21 No1904 の「賢者の選択」で
「当社はパチンコを地域のインフラにしたいというビジョンを掲げている。スーパーやコ ンビニのように地域に根差した,なくてはならない存在を目指している。そのため,い わゆる 1 円パチンコと呼ばれる低貸玉営業を業界に先駆けて推進し,低貸玉の設置台数
はパチンコで 70%,パチスロで 55%まで増えている。指定のエリア以外を全面禁煙にす るなどパチンコを誰もが気軽に楽しめる日常の娯楽へと変革するのが当社の使命と考え ている」と述べ,「チェーンストアの経営手法により薄利多売を目指す。例えば,店舗は 安価で工期が短く,温もりを感じる木造とし,ゲーム機もプライベートブランドとしコ ストを抑制している。さらに,専用パチンコ機を使用した福祉施設でのパチンコ体験会 の開催をはじめ,東北大震災直後の現地支援の他,種々の社会貢献活動を行っている。そ して,パチンコ業界のイメージを変え,よりお客様に満足を得るためには,何よりも若 い人の力が必要で,毎年百人規模の新卒採用と『人生大学』など年間 300 回を超える社 内研修を行っている」と述べている。人々から親しまれるパチンコ店の出現を期待した い。
5 『商品と社会』―ランドマーク商品の研究―Prologue についての所見
本書で取り上げられた 3 つの商品はいずれもランドマーク商品であるが,「普及するこ とにより人々の生活の前提を変え,ライフスタイルを変え,社会を変える」という基本 の部分以外,人々の生活とのかかわり方には差がある。
筆者も以前ランドマーク商品に関する研究成果を発表(石川編著(2011)『ランドマー ク商品の研究④』「自動炊飯器」,同文舘)したが,その際自動炊飯器が普及することに よって伽に変わって新しい生活の前提を支える商品となり,人々の生活スタイルや住宅 構造を変え,社会を変容させるパワーがあると同時に負性もあることが分かり,これこ そがランドマーク商品であることを実感した。従って編著者と同様,石川の緩やかな定 義を用いランドマーク商品に焦点を定め,人々の生活の変化,社会の変化,時代の変化 の相互関係を解明するという考え方に賛同する。
ランドマーク商品の持続性について「ランドマーク商品が次から次へとリメイクされ ることによって継続性が保たれる場合がある。たとえば,カメラについても,専門家が 使用していたカメラから一般の人が使用する携帯カメラ,自動露出・自動焦点のコンパ クトカメラ,使い捨てカメラ,さらにはデジタルカメラへの移行は,すべてカメラとい うランドマーク商品の持続性ということで片付けることができるのか。ランドマーク商 品は,果たしていつまでランドマーク商品としての性格を保持できるのか。より便利な 商品への改良は,新たなランドマーク商品の誕生といえるのか。改良は,多くのランド マーク商品の連鎖として理解すればいいのか,それとも大きなランドマーク商品の持続
と考えるのか。どこまで,その範囲に含めるのか,何らかの区別が必要であろう。」19)と いう指摘がある。企業で同一業種の商品開発を担当した経験をもつ筆者も,当初同様な 疑問をもった。しばらくして,かってシャープ(株)が開発した液晶ビューカムを思い 出し,やがて,次々に開発される商品個々についてランドマーク性を検討する必要があ ると考えるようになった。
シャープ(株)(以下シャープ)のビデオカメラ,「液晶ビューカム」とほぼ同時期に 発売された松下電器(株)(以下松下電器)の手振れ防止付きビデオカメラ「ブレンビー」
の記憶である。
大ヒットしたシャープの「液晶ビューカム」は,1500 名の市場調査を行い,従来型ビ デオカメラの問題点を発見している。
①平均使用時間年間 30 時間という他の電化製品に比べて驚くべき低使用頻度。5 年使っ ても 150 時間であり,いかにももったいない。②従来型ビデオカメラは,移動の間は単 なる荷物で,役に立たない。③ファインダーを片目で覗くのは煩わしく,撮り手は仲間 外れになる。④撮ったその場では見られない。端的に言えば「楽しくない」ビデオカメ ラである。
一方,技術的には当時の液晶画面は明るい太陽光の下では見にくく,この技術課題を 2 年かけて解決した。20)
他方,松下電器は,当時ニーズが強かった手振れ補正を電子式に行う技術を開発し,10 万円以下という要望を満たす価格を実現したファインダー方式のビデオカメラ「ブレン ビー」を発売した。当時,筆者はシャープの「液晶ビューカム」をよく知らず,「ブレン ビー」は画期的な商品でヒットすると思った。結果は 23 万円もする「液晶ビューカム」
が大ヒットした。人々にとっての価値はシャープの「液晶ビューカム」の方がはるかに 大きかったのである。
両者の差は「問題の発明」の違いである。シャープはビデオカメラを顧客の視点で見 て,その本質に関わる課題を発見し,「液晶画面は太陽光の下では見にくい」という技術 課題も解決している。松下電器は,当時要望が強かった「手振れ防止」と「10 万円を下 回る価格」をニーズと捉えた。両社の「問題の発明」に本質的な差があったと考えられ る。
液晶ビューカムでは,撮影者は液晶画面で被写体をリアルに捉え,撮った直後に思い どおりの画像が撮れたか否かを確認し,意に添わなければ,撮り直しができる。また,移 動中の列車内や車中で友人や家族で見て楽しく過ごすなど,人々のライフスタイルと価
値観を大きく変えた。やがてファインダー型ビデオカメラは姿を消していく。
しばらくして,同様な方式を採用したデジタルカメラが出現し,観光地などで画面を 直接確認しながら写真を撮り,被写体の方々と一緒に画面を確認して楽しんでいる風景 をよく見かけるようになった。
そしてデジタルカメラは従来のフイルム式カメラに代わって人びとの生活の前提とな り,フイルムカメラは特殊な用途のものを除き消えて行った。
最近のメモリーカードは容量が大きく何枚でも撮影することができ,不要なものは消 去も可能。また,パソコンにデジタルデータとして保存し,再生して楽しむこともでき,
各種加工や自宅でのプリントも容易にできる。
やがて町で写真屋を見かけなくなり,一般的な写真用フイルムが市場から姿を消して いった。そして 2012 年 1 月,富士フイルムHDが,これまで「追いつけ,追い越せ」と 目標にしてきた約 130 年の歴史を持つ米国の大手名門企業イーストマン・コダック社が 経営破綻した。
液晶ビューカムやデジタルカメラはいずれもランドマーク商品であり,改めてその創 造力と破壊力を実感した。近年のスマートフォンやタブレットは,撮った写真をメール で送信することも簡単にでき,デジタルカメラやパソコン,カーナビに取って代わる能 力を秘めている。次々に開発されるより便利な商品については,その商品についてラン ドマーク性の有無を検証することが必要であると思われる。
「商品と社会」について編著者は,ランドマーク商品研究では「商品と社会」の相互関 係を明らかにすることを目的の 1 つとしてきた。石川健次郎は「商品,生活,社会の密 接な相互関係の内実を歴史的に整理し,その合意を解明しようとする研究分野として,商 品史学展開の可能性がある」(8 頁)と指摘している。筆者は,同志社大学人文科学研究 所第 73 回公開講演会『日本生まれのランドマーク商品たち』の講演録冊子で石川が「・・・
またこの会場にいらしゃるのに電車,バス,タクシーで来られたと思いますが,これも 全て商品です。いや歩いてきたぞとおっしゃる方も履いている靴は商品ですし,また道 路のアスファルトも商品なのです。・・・」とあるのを見て,商品が人々の生活の隅々ま で伱間なく埋め尽くしており,それを避けて通ることができないことを実感した。移動 するという基本的ニーズそのものは時代を越えて変わることはないが,そのニーズを充 足させるための商品選択には,時代的制約があり,徒歩→人力車→鉄道から自動車(バ ス・タクシー)と時代により隔絶ともいえる相違がある21)という,石川の指摘の意味を 実感した。
企業での商品開発の体験から,筆者は石川の「商品にしてよいモノといけないモノ,つ まり商品の条件を決めるのは,同時代の人々であり,それはとりもなおさず社会の価値 であるといえる。社会が商品を決める,この意味から『商品は社会に従う』といえる」(9 頁)を実感している。
松下幸之助は「世間は正しい」と題して,「私は経営者の心構えとして,つねづね,世 間というか大衆というものは,これは神のごときものだと考えている。なるほど一人一 人についてみたならば,偏見の人も狭量の人もたくさんあろうが,全体についてみれば,
世間の見方,大衆の考え方というものは,全く正しいものであると考えている。もしも,
大衆なり世間の見方,考え方が誤りが多いものであるとしたならば,私たちは実は安心 して仕事ができないと思う。というのは,自分が正しいと信じてやったことでも,世間 の考え方に誤りが多ければ,これを正しく受け取ってくれないから,そこに悩みが起こっ てくるのである。ところが,世間は神のごときものだと考え,信じていたならば,自分 のしたことが当を得ておれば,世間は必ずこれを受け入れてくれるにちがいないと考え られる。またわれわれが,世間を啓蒙し,世間に役立つような何かいいことをしたなら ば,必ずこれは正しいものとして受け入れてくれるということになる。これは,たいへ んな安心感である。そして,こういう考えから,いかなる場合にも,世間の声を聞き,そ の声に忠実に従っていこうという態度が生まれてくる。つまり,絶えず世間の神のごと き審判を受けつつ歩んでいくことができるのである。もっとも私とても,始めからこう 考えていたわけでない。やはり世間一般の通念に従って,ともかくも一生懸命に働いて,
生活の途を立てねばならない。そのためには良いものを安く売らなければならない。そ の程度に考えていたわけである。しかし,ある程度事業が大きくなってくると,仕事も だんだん複雑になって,そこにいろいろな問題がおこってくる。そして,それを処理し ていく上に,次々と悩みが出てくるようになった。これをどう考え,どう解決すべきか と,日々の必要に迫られて,その解決策の根本を求めていくうちに,先ほどのような考 えにいきついたわけである」22)と述べている。
昭和 29 年(1954)銀行への挨拶に同行した高橋荒太郎は,銀行の重役さんから「松下 さん,いったい松下電器をどこまで拡張なさるのですか」という質問があり,松下創業 者は即座に「それは私にもわかりません」と答えられた。銀行の重役さんは唖然とした 様子だったが,創業者は続けてこう話された。「松下電器を大きくするか,小さくするか ということは,社長の私が決めることでもなければ,松下電器が決めることでもありま せん。すべて社会が決定してくれることです。松下電器が,よそさまに負けないだけの
仕事をして,需要者のみなさんに喜んで使っていただけるような製品をつくっていけば,
もっとつくれという要望が集まってくるでしょう。その限りにおいては,松下電器はど こまでも拡張していかなければなりません。しかし逆に,われわれがいかに現状を維持 したいと思っても,よそさまより劣るような悪い製品をつくって売っていたのでは,社 会は決してそれを受け入れてくれないでしょう。そうなると,現状維持どころではなく,
縮小せざるを得なくなってしまいます。ですから松下電器を大きくするか,小さくする かは,すべて社会が決めてくれることです。もちろん,半期ごと,1 年ごとの計画書はお 出ししますが,どこまで拡張するのかということになりますと,これは “ わかりません ” とお答えするしかありません」 私は,「これほどはっきりと松下電器の方針を示めされ たことはないと思った。実際,これは仕事をしていく心構えとして非常に大切なことだ と思う。われわれの仕事はすべて,社会への貢献の度合いに応じて報酬をいただいてい るのである。だから,その報酬がいただけないということは,われわれが社会に対して 何も貢献していないということであり,それは同時に松下電器の方針に反していること である。そうゆう心構えで仕事をしていけば,当然,よそに負けない品質,よそに負け ないコストの製品をつくり,さらによそに負けないサービスを実現しなければ社会の支 持を得られないということになる。そうなれば,その方針に反している部分にも改革の メスがすぐ入れられるようになってくる。松下電器の経営の基本には,一貫してこうい う思想が流れているのである」23)と述べている。
書評②では,取り上げる商品や分析のアプローチについて統一性がないと指摘されて いる。(7 頁)「アプローチの統一性」については,3 つの論文は,いずれも「5W1H」と の新たな視点で,(誰が,いつ,どこで,何を,なぜ,どのようにして)と具体的に,企 業側の商品の企画や開発などの活動のみでなく,商品を受け入れた需要者のライフスタ イルの変化や社会や時代の変化が述べられておりよく理解できた。
また,「取り上げる商品の統一性」に欠けるとの指摘に対しては,編著者は,本書の事 例は,日本だけではなく日本以外の国や地域でもライフスタイルや社会に影響を与える 商品として温水洗浄便座とトランジスタラジオを取り上げ,逆に日本国内でのみ影響を 与えている商品としてパチンコを取り上げた。それらの違いはどこにあるのか,と 3 つ の商品と各国の社会との関係を問い,さらに日本以外の地で開発された技術が日本の企 業により商品化され,どのようにして人々のライフスタイルや社会に影響を与える商品 になったのか本書で確認して欲しい。(12 頁)と 3 つの商品を取り上げた意義を述べてい る。