バセドウ病に対して甲状腺亜全摘術後約 12 時間して心肺停止となり、約 1 カ月後に
死亡した事例
キーワード:甲状腺亜全摘術後 1.事例の概要 40 歳代 男性 バセドウ病と診断され甲状腺亜全摘術を施行。手術約12 時間後に心肺停止となる。蘇生術で自 己心拍再開するも、低酸素脳症を呈する。 低体温療法・脳浮腫治療・ラジカット等の治療を行うが、意識状態、神経学的所見の改善は認め られず、約1 カ月後、腎不全、肺炎、心外膜炎を併発し死亡した。 2.結論 1)経過 本事例はバセドウ病と診断され、薬物療法、手術、放射性ヨード療法について説明された。100 g を超える大きな甲状腺腫大があり、好中球減少を合併していたため、患者ならびに家族は手術を 受けることに同意した。ヨウ化カリウムとメルカゾールの内服により、術前検査では、甲状腺機能 亢進状態は是正されていた。 バセドウ病に対して甲状腺亜全摘術が行われた。手術後に出血が持続し、徐々に頸周囲の腫脹 が進行した。手術後約12 時間後に呼吸が浅速になりチアノーゼが出現し、心肺停止となった。ア ンビューバッグによる蘇生が開始されたが気道抵抗が強く換気不十分で、開口制限、口腔内浮腫 が強く気管内挿管はできなかった。ラリンゲアルマスクによる換気を行い自己心拍が再開し、気 管切開により気道を確保し、人工呼吸管理を開始した。しかし低酸素脳症を来し、その後意識、自 発呼吸は回復しなかった。 その後約 1 カ月にわたり人工呼吸を含めた全身管理が行われたが、腎不全、肺炎、心外膜炎を 合併し、死亡した。 2)解剖結果 剖検時、頸部食道後壁内、前頸部軟部組織および胸骨舌骨筋・胸鎖乳突筋内に出血がみられた。 声門部には肉眼的にはごく軽度の浮腫が認められ、組織学的にもごく軽度の浮腫と軽度の慢性炎 症細胞浸潤が認められたのみであった。肉眼的に出血が確認された部分は組織上新鮮な出血であ った。新鮮な出血の周囲には線維化巣が多数広範囲にわたってみられ、ヘモジデリンを貪食した マクロファージの浸潤(陳旧性出血の所見)を伴っていた。新鮮な出血と陳旧性出血の範囲はほぼ 同様な分布を呈しており、その範囲は披裂喉頭蓋ひだより気管分岐部直上に及ぶ喉頭・気管周囲 の結合織・筋肉・脂肪組織等の頸部軟部組織と頸部食道後壁内、胸骨舌骨筋・胸鎖乳突筋内であっ た。新鮮な出血は死亡前数日~1 週間以内に生じたものであり、陳旧性の出血は術後(死亡約 1 カ 月前)に生じたものであると考えられる。これらの所見からは術後の出血の範囲が広範囲であっ たことが推測された。 3)死因 臨床的に手術翌日に生じた呼吸苦、気道抵抗の増加ならびに排気不全の状態から気道の狭窄(閉 塞)が突然の心肺停止の原因となったと考えられた。従って、手術後に持続していた創部からの出 血と気道狭窄(閉塞)との因果関係が問題となる。しかし、解剖は心肺停止となったイベントより 約 1 カ月経過した後に行われており、手術が頸部臓器へ与えた直接的影響を断定することはでき ない。この点を踏まえつつも、解剖にて得られた所見、とりわけ披裂喉頭蓋ひだより気管分岐部直 上に及ぶ喉頭・気管周囲の結合織・筋肉・脂肪組織等の頸部軟部組織に陳旧性出血とともに線維化 が明らかであったことから、同部、特に喉頭の術後出血ならびに随伴する浮腫が気道狭窄(閉塞) の原因となった可能性が考えられた。 直接死因:低酸素脳症(respirator brain) その合併症として、腎不全、肺炎、心外膜炎を呈する多臓器不全 原死因:気道閉塞による窒息 その原因として、甲状腺亜全摘後に生じた喉頭浮腫、気道周囲の出血 なお、低酸素脳症は、喉頭浮腫、気道周囲の出血に伴う気道閉塞により生じたと考えられる。 4)医学的評価 (1)バセドウ病の診断に関して 甲状腺疾患診断ガイドラインでは、a)臨床所見;①頻脈、体重減少、手指振戦、発汗増加など の甲状腺中毒症状、②びまん性甲状腺腫大、③眼球突出または特有の眼症状、b)検査所見;①FT4、FT3 のどちらか、または両方高値、②TSH 低値、③TSH 受容体抗体(TRAb、TBⅡ)陽性、また は甲状腺刺激抗体(TSAb)陽性、④放射性ヨード(またはテクネシウム)甲状腺摂取率高値、シ ンチグラフィでびまん性、の項目を評価し、a)の 1 つ以上に加えて b)の 4 つを有するものをバ セドウ病と診断する。また、a)の 1 つ以上に加えて b)の①、②、③を有する場合は、確からし いバセドウ病と診断して治療を開始してよいと定められている。b)の④甲状腺シンチによる取り 込み亢進確認は、無痛性甲状腺炎による原発性甲状腺機能亢進症との鑑別が困難な症例を除いて、 定型バセドウ病では必ずしも行われなくなっている。 本患者は、上述の診断要件の内のa)の①、②、b)の①、②、③を満たすため確からしいバセド ウ病に該当し、診断は問題ない。 (2)手術の適応に関して バセドウ病の治療には、薬物療法、アイソトープ治療(131Ⅰ内用療法)、手術(甲状腺亜全摘) の 3 つがある。我が国では薬物療法が第一選択として行われ、薬剤無効例や副作用発現例で、ア イソトープ治療や手術が第二選択となる傾向にある。しかし、甲状腺腫の大きい若年者等では、そ の後の罹患期間の長さ(薬剤コンプライアンスの問題)、女性ではコスメテックな問題や妊娠の問 題なども考慮して、手術選択が早期からなされる場合もある。簡便なため、最近アイソトープ治療 を選択することが高齢者を中心に増加しているが、施行可能な施設が全国的に限られている。バ セドウ病治療ガイドライン2011(日本甲状腺学会)では、手術の適応として①甲状腺癌などの腫 瘍を合併した患者、②副作用のため抗甲状腺薬が使用できず、かつ131Ⅰ内用療法を希望しない患 者、③甲状腺腫が大きく抗甲状腺薬では難治である患者、④抗甲状腺薬の服薬が不規則で甲状腺 機能が安定しない患者などが挙げられている。 本患者は、甲状腺腫が大きく(術前の推定容量100 g)、好中球減少症の合併があることより、手 術の適応があると判断される。患者に対して手術を含めた 3 つの治療選択肢に関する説明は、前 病院の医師、ならびに執刀医からもなされ、本人および家族は手術の選択に同意している。 バセドウ病治療ガイドライン2011(日本甲状腺学会)では、手術は熟練した甲状腺外科専門医 によってなされるべきとされている(グレードA)。依頼病院の報告書によると、執刀医は甲状腺 外科専門医で、2006 年から 2011 年 10 月までに依頼病院で 1644 例の甲状腺手術、そのうち 232 例のバセドウ病の手術を行っている。それ以前の手術例を含めると甲状腺疾患手術数は約8000 例 に達しており、手術の経験は豊富であったと判断される。 以上のことより、医師および患者、家族が行った本患者に対する手術の選択には問題ないと考え られる。 (3)手術手技および術中管理に関して 手術記事上は、特に問題になり得る手術手技上の操作はみられない。また、術中経過における全 身状態の異常も認められず、1 時間 15 分の手術時間や出血量 60 mL に関しても問題はないと考 える。 (4)術後の管理に関して 手術場から帰室後4 時間は約 30 分間隔で、その後は翌朝 7 時まで 1-2 時間ごとに看護師によ る観察が行われている。 バセドウ病の手術後出血により気道閉塞を来す危険があるため、頸部の腫脹を観察する目的で 経時的に頸周囲が計測されている。手術場から帰室した時点の頸周囲は44 cm で、術場での測定 値より2 cm 増加していた。その後、帰室後 6 時間半後に 46.2 cm、帰室後 7 時間半後に 46.4 cm、 帰室後9 時間半後に 47.0 cm、帰室後 12 時間後に 48 cm と、時間の経過とともに頸周囲が増大し たと記載されている。また、帰室後 9 時間半後には息苦しさを訴え、ベッド上で座位になってい た。手術後より両側の頸部ドレーンから血性の排液も持続しており、帰室後12 時間後の時点で排 液量は430 mL であった。 依頼病院の院内調査委員会報告書には、「術後ドレーンからの持続的な血性排液は認められてい たが、急速な増加や創部腫脹は認められず、あっても静脈性の出血と判断し、夜間の緊急対応は不 要と判断した。ドレーンは急変直前まで機能しており、看護師もドレーンの閉塞がない事は絶え ず注意して確認していた。術後の総出血量が 400 mL 以上に達しているが、心肺蘇生時の出血量 も45 mL と少なかった事もドレーンが十分に機能していた事を裏付けるものと考えられる。この 点については気管切開のために開創を行った医師も、術後出血から喉頭浮腫を来したにしては疑 問が残るほど、創内の出血は少なかったと言及している。この様に十分にドレナージされていた と考えられる状態で、直前まで自覚症状は殆ど認められないにもかかわらず、これほど急速な変 化を来すものかどうかは未だに疑問があり、執刀医、病棟担当医ともにここまで急速に心肺停止 に至るとは予見できなかった。」と記載されている。しかし、看護カルテには座位での呼吸窮迫が 見られ、頸周囲が経時的に増大していたことが記載されているものの、その内容を主治医に報告
した記録はない。また主治医から呼吸苦、頸周囲の増大に対する指示は出されていない。この患者 は最終的に窒息したと考えられるが、看護師と医師の間で術後に出現した呼吸苦、頸周囲の増大 という重要な患者情報が十分に共有できていなかった可能性がある。 (5)急変時の対応に関して 手術翌日(帰室後約12 時間後)に心肺停止を来した。その場に 2 名の看護師がおり、アンビュ ーバックによる呼吸蘇生を開始するとともにハリーコールを要請。10 分後には外科当直医、内科 当直医を含む 4 人の医師が病棟に到着し、救命処置を開始している。時間外に一般病棟で発生し た急変時の初期対応としては、妥当と考えられる。 しかしながら、本患者は気道閉塞が原因で窒息し心肺停止を来したと考えられ、早急に気道を 確保することが重要であったが、その後の気道確保は容易ではなかった。外科当直医により喉頭 鏡を用いて気管内挿管が試みられたが、開口制限がある上に口腔内浮腫が著明で挿管不能、エア ウェイスコープによる気道確保も不成功であった。さらに緊急用気管切開セットを用いて気管切 開を試みるも頸部の腫脹が強く気道の確保はできなかった。その後に到着した麻酔科医がラリン ゲアルマスクを挿入し、送気は可能となり自己心拍は再開したが排気の回復はなかった。その後 に外科的気管切開を行い、気管切開チューブを挿入できたが、心肺停止後約30 分を経過していた。 甲状腺の周囲は解剖学的に狭い空間しかなく、手術後に出血を来すと気道狭窄および閉塞を起 こす危険が高い。実際に、声帯浮腫に伴って声門が狭窄・閉塞し、急速に気道が閉塞されて窒息す る緊急事態が起こり得る。依頼病院では、執刀医により「当直の先生方(主として外科系)へのお 願い」という文書が、本事例の4 年前に作成されていた。それによると、「後出血をきたす(約1%) と気道閉塞をきたして、緊急事態になります。そこで、以下の要領で安全な処置をしていただけれ ば幸いです。・・・気道狭窄を生じる前に外科処置を開始するのが鉄則ですが、動脈性出血の場合、 急に症状があらわれることがあります。そこで、頸部腫大があり、症状がない場合、担当医(執刀 医を含む)に連絡をとる。経口あるいは経鼻挿管は絶対にしてはなりません。ベッド上で頸部が腫 れた状態では麻酔科医が行っても困難です。何度か挿管を試みることにより、気道浮腫が生じ最 終的には窒息します。これだけは絶対に守ってください。以下の処置をしながら早めに手術場に 運んでいただきたいと思います。1.ステロイドの静脈注射(ソルメドロール125-250 mg)、2. 創部を開放して血腫除去、3.正中の糸をはずして出血の起きているのが左右どちらかを判断、出 血側にガーゼをつめて圧迫、4.気管切開(セットを病棟に準備しています)」と緊急時の対処法 が記載されている。しかし、初期対応に当たった医師らは本患者に対して最初に経口挿管を試み ている。「当直の先生方(主として外科系)へのお願い」という文書に記載されていた緊急時の対 処方法が遵守されておらず、執刀医と術後管理を行う医師、看護師の間で情報交換が十分にでき ていなかったと考えられる。また、気管内挿管に引き続き気管切開が試みられているが、頸部腫脹 が強く気管切開を完遂出来なかった。非専門領域の外科医師による気管切開が困難であった程の 頸部腫脹は平均的な医師の技術を越えた状況であった可能性がある。甲状腺術後に気道狭窄・閉 塞が起こった場合の適切な対処方法について、執刀医と術後管理を行う医師の間で十分に検討す る必要がある。 (6)心肺停止を来した原因について 手術の翌朝(帰室後9 時間半後)に息苦しさを訴え、ベッド上で座位になっていた。約 12 時間 後には看護師の静止を聞き入れず立ち上がり、その後に呼吸が浅速になり、チアノーゼが出現。意 識レベルが低下して呼吸が停止した。直ちにアンビューバッグによる呼吸蘇生が開始されている が、気道抵抗が強く、空気の押し込みは可能であったが、排気が不十分な呼吸状態であった。この 経過から、気道閉塞が惹起されていて呼吸停止の原因となったと考えられる。 呼吸停止を来した時点で、頸部腫脹が著明であったと記載されている。直前(30 分前)に看護師 が巡回した時の頸周囲径は48 cm で、手術場での測定値に比べて 6 cm 増加している。手術後よ り両頸部ドレーンから血性の排液が続いており、術後に創部から出血が持続していた。剖検所見 で、披裂喉頭蓋ひだより気管分岐部直上に及ぶ喉頭・気管周囲の結合織・筋肉・脂肪組織等の頸部 軟部組織に新鮮な出血が認められた。新鮮な出血の周囲には線維化巣が広がり、線維化巣内には 陳旧性の出血の所見が見られた。急速に気道閉塞が進行した原因として喉頭ならびにその周囲に 出血のみならず浮腫を生じていた可能性がある。 頭頸部領域の手術を行った場合、手術操作のみで喉頭、特に喉頭蓋粘膜下層の結合織は粗である ため外部からの刺激(炎症や血腫等)が血管透過性を亢進させ浮腫性病変を形成し易いと考えら れている。今回の場合、甲状腺亜全摘後に出血が持続して喉頭浮腫を生じたと考えられる。 (7)人工呼吸管理開始後の経過に関して 意識レベルはJCSⅢ-300、瞳孔は左右とも 5 mm 大で対光反射・睫毛反射は陰性、自発呼吸は 見られず、心肺停止に伴う低酸素脳症と診断された。自己心拍が再開した後に心電図、脳単純CT
検査が実施され、虚血性心疾患、脳出血の所見がないことが確認されており、低酸素脳症の診断は 妥当と考えられる。 心肺停止後に体温を 32-34℃にすることで脳神経の障害を軽減できることが知られている。低体 温療法は6 時間以内に開始し、12-24 時間継続し、0.5℃/時間を超えない速度で復温することが推 奨されている。本患者では、心肺停止後4 時間で低体温療法を開始、3 日間体温を 34-35℃に維持 され、その後緩徐(0.5-1.0℃/日)に復温された。本患者に対して低体温療法は適切に実施された と考えられるが、残念ながら神経学的所見の改善は認められなかった。 心肺停止の翌日行った脳神経学的検査では、意識レベルは痛み刺激、声にて反応なし、対光反 射、角膜反射などの脳幹反射は消失、自発呼吸を含めた体動は認められず、心肺停止後 3 日目に 行った検査も同様であった。低酸素脳症を発症した 3 日後に運動反応がなく、対光反射、角膜反 射が消失している場合は、100%回復が見込めないという報告がある。脳波検査では低電位ながら 数μV のα波を疑う電気活動が見られ、脳死の基準は満たさないものの、この時点で本患者の意 識回復ならびに救命の見込みは極めて低いと判断された。このため心肺停止による低酸素脳症が 本患者の直接死因と考えられる。 (8)合併症の経過に関して 心肺停止直後の脳単純 CT では、切迫ヘルニアおよび頭蓋内に明らかな出血性病変は認められ なかった。心肺停止後 7 日目にくも膜下出血が認められたが、この時点で手術の適応はなく、治 療方針に変更はないと判断された。 心肺停止後 4 日目より血清クレアチニン値が軽度上昇した。心肺停止後 11 日目に尿量が減少 し、急性腎不全と診断。心肺停止後20 日目に持続血液透析が開始された。心肺停止後 10 日目に MRSA 肺炎を起こし、バンコマイシンが投与された。喀痰閉塞により左肺が無気肺となり、酸素 化が悪化した。 心肺停止後27 日目に心電図で心外膜炎と診断され、心肺停止後 28 日目に血圧が低下し死亡し た。 上記のくも膜下出血、腎不全、MRSA 肺炎、心外膜炎は重篤な合併症で、最終的に心停止をラ イした原因である。しかし、本患者のこれらの合併症を克服できたとしても低酸素脳症の回復は 得られないため、本患者の救命は期待できなかったと考えられる。 (9)本件の死亡に甲状腺クリーゼが関わった可能性 術前のコントロールが不良なバセドウ病では、手術により甲状腺クリーゼをきたす可能性があ る。本患者は、術前にヨウ化カリウムとメルカゾールの服用で十分に甲状腺機能は抑制されてい る(手術23 日前 TSH 4.12 μIU/mL、FT3 2.99 pg/mL、FT4 0.53 ng/dL;手術 2 日前 TSH 2.66 μIU/mL、FT4 0.53 ng/dL)。手術が施行され、当日、帰室後 12 時間後ごろまで甲状腺クリーゼ の症状に該当すると思われる症状(①不穏、せん妄、精神異常、傾眠、けいれん、昏睡などの中枢 神経症状、②38℃以上の発熱、③130 回/分以上の頻脈、④心不全症状、⑤嘔気・嘔吐、下痢、黄 疸を伴う肝障害などの消化器症状)は出現しておらず、手術当日から翌日に甲状腺クリーゼを発 症した可能性は否定的である。帰室後 9 時間半後ごろに出現した不穏状態は、甲状腺クリーゼの 中枢神経症状ではなく、徐々に出現した呼吸苦に伴う不穏と考えられる。 3.再発防止への提言 1)甲状腺手術後の緊急時の対応を執刀医と術後管理者の間で周知徹底する 甲状腺手術後の出血は起こり得る合併症で、甲状腺腫の大きさと手術における出血量とは明ら かな関連性があるとバセドウ病治療ガイドライン 2011(日本甲状腺学会)にも記載されている。 甲状腺の周囲には解剖学的に狭い空間しかないため、創部出血ならびにその後の浮腫に伴い急速 に気道が狭窄・閉塞され窒息する危険は、本手術の重篤な合併症の一つである。医療機関にとって 最も重要なことは、このような緊急事態が起こった場合にいかに迅速かつ適切に対応できるかで ある。依頼病院では、甲状腺手術後に出血を起こし気道閉塞を来した場合の対応として、「経口あ るいは経鼻挿管は行ってはならず、ステロイドの静脈注射、創部を開放して血腫除去するなどの 緊急処置を行い、直ちに気管切開を行う」ように記載された「当直の先生方(主として外科系)へ のお願い」という文書が作成されていた。しかし本患者の急変時の対応では、この文書に記載され た対処法は遵守されなかった。また、初期対応として求められていた気管切開も当直医により試 みられたが、成功しなかった。改めて全職員に対し、甲状腺手術後に気道閉塞が起こる危険がある こと、および気道閉塞など緊急時にどう対応すべきか事前に執刀医と術後管理を行う医師との間 で確認し、周知徹底することが望まれる。また甲状腺術後に気道狭窄・閉塞が起こった場合に、病 棟で実践でき、かつ患者を救命し得る適切な対応マニュアルを作成する必要がある。
2)術後の患者観察および対応について看護師と主治医の連携を強化する 術後に病棟では定期的に患者観察が行われ、手術翌朝(帰室後12 時間後)までに両頸部ドレー ンから血性の排液が 430 mL あったこと、頸周囲が経時的に大きくなっていたことが記録されて いる。帰室後 9 時間半後の時点では、患者は息苦しさを訴え座位になっていた。手術翌朝(帰室 後12 時間後)に主治医から病棟に電話があり、その際に患者の情報が報告されているが、呼吸苦 や頸周囲の増大に関して情報提供されたかどうかは記録されていない。また主治医から呼吸苦や 頸周囲の増大に対する新たな指示は出されていない。術後の合併症を未然に防ぐためには、看護 師は医師に患者の状態を正確に伝え、医師は報告された情報に応じて適切な対応をすることが重 要である。依頼病院の院内調査委員会報告書には、「術後ドレーンからの持続的な血性排液は認め られていたが、急速な増加や創部腫脹は認められず、あっても静脈性の出血と判断し、夜間の緊急 対応は不要と判断した。ドレーンは急変直前まで機能しており、看護師もドレーンの閉塞がない 事は絶えず注意して確認していた。」と記載されている。しかし、最終的には本患者は窒息状態と なった。依頼病院では、「甲状腺術後について」という文書が作成されている。その中には手術当 日から翌日朝まで「バイタルサイン、頸部測定、ドレーン排液量チェック」を行うように記載され ているが、その結果に基づいて看護師がどのように対応すべきか示されていない。また緊急時の 対応として、「頸部腫脹(肉眼的・頸周囲拡大傾向)、バイタルサイン異常時は執刀医、主治医に同 時コール」と書かれているが、頸周囲がどの程度拡大した時にコールするのか具体的に記載され ていない。そのため本患者では、急変して心肺停止となるまで執刀医、主治医にコールされなかっ た。術後に看護師が観察すべき項目を列記するだけではなく、どの程度の異常所見が見られた場 合にどのような対応をすべきか具体的に記した看護マニュアルを作成し、その上で呼吸苦や頸部 腫脹など貴重な患者情報が看護師と医師と間で共有できるよう連携を深めることが望まれる。 3)専門外科領域の手術を開放型病棟で行った場合の術後管理体制を整備する 本患者は、開放型病棟に入院して手術が行われた。患者に治療の説明・同意取得を行い、実際に 手術を担当したのはかかりつけ医の医師で、術後の管理は依頼病院の常勤医師が担当した。 依頼病院の院内調査委員会報告書には、「開放型病床を利用した手術ならびに周術期管理であっ たが、執刀医は通常朝、夕欠かさず術後患者の状態を確認しており、病棟担当医との連携もうまく 機能している。本例においても手術当日は23 時頃まで病棟担当医とともに状態の把握・対応を行 っており、開放型病床を利用したシステムに問題があったとは考えられない。」と書かれている。 しかし、執刀医が作成した「当直の先生方(主として外科系)へのお願い」という文書を、術後管 理を行う医師および看護師は十分に把握していなかった。術者と術後管理者が異なる場合は、術 前に両者が患者の術後管理を含めた患者情報を十分に共有するための方策を改めて確認し、実施 することが望まれる。 また、院内調査委員会報告書の再発予防策として、「専門性の高い手術後の対応は、当直医のみの 対応では限界がある。そこで緊急時の対応、連絡網を医師・看護師等で十分話し合い対応策を確立 する。」と記載されている。バセドウ病は全身代謝異常のみならず心血管病等を併発する危険性が あるが、本患者は薬物療法により術前に甲状腺機能亢進状態は良くコントロールされていた。そ のような患者が手術の合併症で死亡したことを真摯に受け止め、今後具体的かつ綿密な再発予防 策を検討する必要がある。特に、開放型病床を利用して専門性の高い甲状腺手術を行うことに関 して、手術を受ける患者の立場でその利点と問題点を再検討し、術後管理体制を確立することが 望まれる。 (参 考) ○地域評価委員会委員(11 名) 臨床評価医 / 臨床立会医 日本内科学会 臨床評価医 / 臨床立会医 日本耳鼻咽喉科学会 解剖執刀医 日本病理学会 解剖担当医 日本法医学会 解剖担当医 日本病理学会 法律関係者 弁護士 法律関係者 大学法学部 法律関係者 大学大学院医学研究院 医療安全 医師会 総合調整医 日本内科学会 調整看護師 モデル事業地域事務局
○評価の経緯