タイトル
マーケティング・マンは「公正」観を持つことが必要
となる : アメリカ・ビジネスにおけるこれまでの正
義・道徳観に変化の兆し
著者
黒田, 重雄; Kuroda, Shigeo
引用
北海学園大学経営論集, 111(4): 129-141
発行日
2014-03-25
マーケティング・マンは
正 観を
持つことが必要となる
アメリカ・ビジネスにおけるこれまでの正義・道徳観に変化の兆し
黒
田
重
雄
目 次 はじめに 1.アメリカのビジネスはどう変わろうとしている のか 1−1.アメリカにおける マーケティング学 としての認識 1−2.一冊の書物の刊行 2.アメリカのこれまでの 正 概念 2−1. 正= 平,が強く出ている 2−2.日本のマーケティングにおける 正 を冠した論文の登場 3.日本の 正 概念 3−1.日米の マーケティングの定義 の比較 3−2.日本の 倫理観・道徳観 おわりに 注と参 文献は じ め に
マーケティングでは,ほとんど 正 と いうことについては語られることはない웖웋웗。 理由は, 正であることは自明の理であって, 実務上 える必要がないからである。自 の していることが,いちいち 正 かどうか を えていては商売にならないからというこ とであるかもしれない。 しかし,実際上,日本の マーケティング の定義 には, 正な競争 という文言が 入っているし,また,最近,マーケティング との関連で,この 正 とか 正 な 競 争 とかが,どういうことなのかを えさせ るような書籍・論文が出はじめている。 一つは,アメリカのハーバード大学ビジネ ス・ス クール(HBS)の 3 人 の 教 授,ジョ セフ・バウアー=ハーマン・レオナード=リ ン・ペインによって書かれた書籍であり웖워웗, もう一つは,日本商業学会の機関誌 流通研 究 に載った小本恵照氏の論文である웖웍웗。1.アメリカのビジネスはどう変わろ
うとしているのか
1−1.アメリカにおける マーケティング 学 としての認識 2006年,アメリカ・マーケ ティン グ 協 会 (AMA)の機関誌〝Journal of Marketing " (Vol.70,July 2006)に,編集人のローラン ド・ラ ス ト(Roland T. Rust)が,こ の ジャーナルが出版開始から 70年経ったとい う節目おいて,これからのマーケティングの あり方に関する展望論文 一つの学問として のマーケティングの成熟化について (〝The Maturation of Marketing as an Academic Discipline")を載せている웖웎웗。 マーケティングが借りる多くの core disci -plineとは 違って,マーケ ティン グ は,マー ケティング・マネージャーが基本的に仕事を よりよく遂行するためにビジネス・スクール で教えられる一つの学問(a discipline)として立ち上がった。
野のための,この応用志向は,直接的に も,間 接 的 に も 実 社 会(real world)へ の マーケ ティン グ の 研 究 思 想(academic thought in marketing)と結びついている。 ビジネス社会は,JM,AMAなどの雑誌よ り夥しいほどの利益を受けている。
これによると,マーケティングは,一つの 独自の学問(an Academic Discipline)であ るが,応用の学問(an Applied Discipline) である,としている。
それは単なる基本的な学問(core disci -pline)(経済学,心理学)の応用と えるべ きではない。科学的パラダイムにおいては, 理 論 ( theory) は , 一 般 性 ( g e n e r al -izability)と理解 の 効 率 的 efficientな 方 法 を提供することが本質的だと えられている。 し た が っ て , マ ー ケ テ ィ ン グ の 研 究 (research in marketing)が,基本的な学問 や理論からの借り物ではない,むしろ基本的 な学問とは無関係(atheoretical)であると いう認識も必要である。 マーケティング は,マーケティング 担 当者が基本的に仕事をよりよく遂行するため にビジネス・スクールで教えられる一つの学 問(a discipline)として立ち上 がった(筆 者注:これ は,17世 紀 の commercial sci -ence(商学)の始まりと共通する)。 したがって,この学問の応用志向性は,直 接的にも,間接的にも実社会(real world) と結びつくものという学会の研究思想(aca-demic thought in marketing)と一体化する ものとなっている。
こうして,成熟化したマーケティング学に ついて,R.T.ラストは最後にまとめている (翻訳筆者)。
学問(an academic discipline)として 70 年以上,市場 野の長い道のりを歩んできま したが,真に成熟(truly mature)に向けて さらに進展させる必要があります。私たちは, われわれの目的を,適用規律(an applied discipline)として許容認識する必要があり, 科学・技術パラダイムに内在する相反する価 値観(value system)を尊重し,忍耐しなけ ればなりません。進歩する科学(advancing science)が,単にマーケティングにおけ る 学術論文のために付き従う目的ではなく,実 用的な新しいモデルを発明したり,新しい手 順を工夫することであるということを認識す る必要があります。 進歩(advance)の両方の種類が奨励さで なければなりません。重要なことは,我々は むしろコアとなる規律を持つ学問(a core discipline)と し て,ま た,マーケ ティン グ 問題に基づいている固有の理論(indigenous theory)を作り出し,受け入れられる一学問 (a discipline)として研究しているのだとい う十 な自信を持つ必要があります。 われわれは,サービスと諸関係への焦点が 増大し,計算方法の 用が増大し,グローバ ル化の一層の進展を意味する,技術的進歩に よって作り出された変化を反映させることに よって,われわれの 野(our field)を近代 化 し(modernize),現 代 化 す る(update) 必要があります。
成熟したマーケティング学(the mature marketing discipline)は,マーケ ティン グ について,忍耐し,信頼し,技術的に理解し, そして,第一義的であることを示してくれる ことになるでしょう。 これを読む限り,筆者には次ような感想を 持つにいたっている。 すなわち,これは,これまでの,現在の マーケティング研究者の えを代弁しており, 経済学や心理学などコア学問と見なされる研 究成果の活用は見られる(このことは,マー ケティングを学際的学問とみているのか)。
しかし,人間概念への言及は見られないし, 指摘もない。あくまでも科学性,技術性の進 展が尊重されている。つまり,マーケティン グは,価値観を避けて通る 応用の学問 と 認識している。 1−2.一冊の書物の刊行 以上の言説とは裏腹に思えるような一冊の 書物が発行されている。2011年,ハーバー ド大学ビジネス・スクールの教授たちによる, 〝Capitalism at Risk: Rethinking the Role of
Business "( 資本主義の危機に際して企業は どう対応すべきか )という本である(これ を BLS書と呼ぶ)웖워웗。 問題の多い現代と暗澹たる不確実性の高い 将来の状況を え,これからの社会を える と,ビジネスのあり方が重要になるとして, 今までのようなビジネス環境を前提にする受 け身のビジネスではなく,これからは率先し てビジネスがリーダーシップ発揮する必要が あるという内容である。現行の資本主義社会 の状況を見るに当たって,ハイルブローナー の もはやビジネスの時代は終わった とす る見解とまったく対極にあるものである웖웏웗。 筆者としては,HBSの教授たちは,R.T. ラストとは違った意味で,ビジネス行動の新 しい側面を強調することと独自のビジネスの 学問的形成をしなければならないということ を主張したかったと えている。 こ の 点,筆 者 と し て は, R.T.ラ ス ト の マーケティング学 と HBSの教授たちの 見解 に共通性・類似性を見出している。 この提言の具体的な中身としては, 制度 的イノベーション (政治と 共政策につい て,ビジネス・リーダーたちがより大きくよ り幅広く,より重要な役割を,今までとは違 う形で果たすこと)を行う必要がある。この 場合,企業の社会的責任と社会的貢献に関す る従来の解釈とは,ほとんど共通点がない。 企業の関与と度合と形態は,近年のビジネス 活動の枠から大きくはみ出す必要がある。従 来とは異なるスキルやツール,組織構造が必 要である,となっている。 その根底には,〝 正直ものは得をする は ビジネス界でも真実"であること,また,特 に〝多国籍企業の 倫理基準の向上 が欠か せない"などがあり,結論として, 収益を 上げつつ市場と社会に利益をもたらす とい う え方に立つことが重要としている。
た と え ば,第 5 章〝The Business Response"(ビジネス実行者(企業人)の反 応)では,これまでのビジネス実行者は,4 つのカテゴリーに 類される。(原書 p.105) 1.傍観者としてのビジネス人(business as bystander) 2.実践者としてのビジネス人(business as activist) 3.革新者としてのビジネス人(business as innovator) 4.普段通りのビジネス人(business as usual) である。これらを詳しく検討すると,〝帯に 短し襷に長し"(find none of them entirely satisfactory)の感は否めない。 こ れ か ら の executives(ビ ジ ネ ス・リー ダー)を検討の結果,次の第5の立場 얨指 導 者 と し て の ビ ジ ネ ス 人(business as leader) 얨が 重 要 で あ る こ と が 浮 か び あ がってくる。 つまり,より積極的に国策に関与すべきと いうものである。そして,企業の社会的責任 と社会的貢献に関する従来の解釈とは,ほと んど共通点がないとする。すなわち,従来は, 経済政策の枠内に企業行動を合わせるのとは, およそ違ったものが要求されているというこ とである。 企業自らが先頭に立って世界貢献社会的富 の増大に関与し果たしていかねばならないと いうことである。そのためには, 正直こそ がより多くの利益を得るのだ といった倫
理・道徳(観)(morality)も必要だとする ものである。 そして,第7章 新たな資本主義の時代に 求められる企業の役割 では, 正直ものは 得をする はビジネス界でも真実,とし, 〝ビジネス界の関与が資本主義の制度基盤を 強化する",〝過去の歴 が物語っているよう に,市場資本主義の持続可能性を脅かすさま ざまな問題に対処したいなら,事業活動の舞 台である政策・規制・文化・社会の各環境に おいて,周到な計画に基づいた協調行動をと らなければならないのだ",〝我々が求めてい るのは,本書で説明してきた政治と 共政策 について,ビジネス・リーダーたちがより大 きくより幅広く,より重要な役割を,今まで とは違う形で果たすことだ",と述べる。 この制度的イノベーションの え方は,企 業の社会的責任と社会的貢献に関する従来の 解釈とは,ほとんど共通点がない。〝実例で 取りあげた企業を見るかぎり,関与と度合と 形態は,近年のビジネス活動の枠から大きく はみ出している。制度的イノベーションを達 成するには,従来とは異なるスキルやツール, 組織構造が必要なのだ",と力説する。 また, 企業は〝国際化"にも貢献すべき である。そのため,先進工業諸国に本拠を置 く す べ て の 多 国 籍 企 業 の 倫 理 基 準(st an-dards)を向上させ,腐敗の苦しめられてい る国々も利益(interest)を得られるように する,また,〝国際化"は,狭義の利益 얨 競争条件が 平化され,企業が実力で評価さ れる 얨と広義の利益 얨新興国における法 の支配の強化 얨をもたらすことになる。同 時に〝国際化"は誠実な競争を促し,非合法 取 引 や 不 正 経 理 を 防 ぐ た め,〝正 直 さ (integrity)を尊ぶ企業(社)内文化"(cul
-ture of integrity within the company)が尊 重され,結果としてビジネス界と社会に恩恵 がもたらされる。長期的に見れば,〝国際化" 以外の手法は自己破滅につながる。要するに, 腐敗はビジネス界にとって有害,なのであ る と。 そして, 次代のビジネス・リーダーに求 められる4つの資質 として, 1)ビジネス・リーダーは良き政府の中 核的役割を理解しなければならない。 2)ビジネス・リーダーは制度レベルの 本来の問題に対して,直近の過去よ りも深遠かつ幅広い観点から取り組 みが行われるよう,人々にモチベー ションを与えなければならない。 3)ビジネス・リーダーは制度とシステ ムの問題を解決すべく,必要な組織 構造とツールの開発を行わなければ ならない。 4)ビジネス・リーダーは新たな自己組 織化の手法を見出し,システム改善 のための集団行動を促進しなければ ならない。 が上げられている。 つまり,BLP書の場合は,アメリカにお ける従来の え方を変 することを示唆して いる。 平 観を捨て, 道徳観 を持ち積 極的にリーダーシップを発揮するようでなけ れば,これからの資本主義の危機的状況から は逃れられない,という主張から成り立って いる。 (筆者注:これまではどちらかというと,資 本主義制度のなかで, 平性(fairness)を 求めてきたビジネスは,これからは正当性や 正性(justice)を えて行動しなければな らないことを示唆するものとなっている。)
2.アメリカのこれまでの
正 概
念
2−1. 正= 平,が強く出ている 씗米国流の え方> 米国の場合,連邦法のロビンソン=パットマン法など,どちらかというと, 平等性 や 平感 が重視されており,ルールに従 うことが 正( 平:fairness)という え 方である( 平化:supporting the rule of law)。 筆者によるアメリカ流の 平 観に関す る一つの素朴な感想 かつて,筆者の所属していた大学で,大学 院生の研究発表に, 兄弟がいた場合にどち らに教育投資をした方が有利か というもの があった。筆者が, 親としてそういう前提 が立てられもしない と質問すると,米国で はこうした前提を立てた論文が 然とまかり 通っているという指導教官からの回答があっ た。 確かに,日本でも過去は, 兄弟の一番上 にはよい教育を があったと聞くが,今の日 本では,差別だと騒がれかねない。実際,兄 弟は平等という意識が先行する。どちらに教 育したら投資効果があるかなど論文の前提に なるなんてとんでもないことだ,と筆者には 思えたのであった。 米国の理論経済学は精緻性・効率性追求に おいて,行き着くところまでいった感じであ るが,その際の倫理観・道徳観の欠如は目を 覆うばかりであるが(科学者・経済学者とし て有名なフォン・ノイマンの倫理観欠如はつ とに有名である),米国流の経済学をすんな り受け入れているわが国の大学院生はもとよ り,それを指導している教授の面々には,た だ,あきれてしまったという感想を持ったこ とがある。 アメリカ流の 正 と社会心理学の 正 概念 アメリカ流の経営における 正概念は,社 会心理学の 正 概念とほぼ一致している。 社会心理学の 野における唐沢 穣・村本 由紀子編著 社会と個人のダイナミクス (誠信書房,2011年)にある 社会的 正 についての記述が参 となる웖웋웏웗。 正には,三つの 正( 配的 正,手続 き的 正,相互作用的 正)がある。 ……… 私たちが 正を達成すること自体にも独自 の価値をおくとするならば, 正にこだわる ことは自己利益の放棄を意味するのだろうか。 上の議論でもみたように,確かに短期的には そうかもしれない。しかし長期的にみれば, 利己的な関心をもたず 正にふるまおうとい う意図をもつ人が結果的に得をする可能性が ある。この点を検討した資源 配実験では, 以下のようになっている。 正にこだわる人が, 際相手として選択 されやすい。短期的には損をしても,長期的 には自己利益を大きくできる可能性を示して いる。 以上のことは,スポーツにある フェアプ レイの精神 と同じものといえるであろう。 当該スポーツの ルール の枠内で,最善を 尽くして戦う,の意味としてである。 たとえば,かつてスキー・ジャンプは日本 のお家芸であった。ルールの変 , スキー の長さ が, 身長 との関係で決められる ようになった結果,国際試合では日本人は下 位に低迷するようになった。柔道も同様であ る。なぜ,急に劣位になったのか? 新しい ルールに変 されたことで,今までと違った 形の頑張りが必要になったからというのが筆 者による一つの結論である。 アメリカにおける最近の倫理・道徳観の動 向 例えば,アメリカ・ハーバード大学での名 講義で名を馳せている政治哲学者マイケル・ サンデル教授(以下,サンデル)は, 正義 についてどう えているのか웖원웗。
これを読む限り,どちらかというと, 平 等 とか 平 とかの観点が強く出ている, と 筆 者 は 感 じ て い る。ア リ ス ト テ レ ス の 善 より 正 が上位である,とする説で ある。 これは,ロールズの主張する웖웑웗, 道徳的人間は,みずから選んだ目的を持つ 主体である,という信念を反映している。わ れわれは道徳的行為者として,目的ではなく 選択能力によって定義されるのだ。 何より もまずわれわれの本性を明らかにするものは, われわれの目標ではなく ,正の枠組みであ る。目標を捨象できるとした場合に,われわ れが選ぶはずの枠組みだ。 なぜなら自己は, 自己によって確定される目的に先立つ存在だ からだ。最優先の目標でさえ多数の候補のな かから選ばなければならない……。 それゆえ,われわれは目的論の教理が提示 する正と善の関係を逆転させ,正を優先して みるべきなのである (訳本,pp.342-343) を踏襲するものである。 これは,日本で言えば,近江の聖人といわ れる中江藤樹の えと相反するが웖웒웗,アメリ カ大統領バラク・オバマが, 大勢のアメリカ国民が,仕事があり,財産 を持ち,気晴らしをし,ただ忙しく過ごすだ けでは物足りないと悟りつつある。目的意識 を求め,人生に物語のような山場を求めてい る……。もし,われわれが本当に,人びとの 置かれた状況について話したいと思うなら 얨われわれの希望と価値観を,彼ら自身の 価値観につながるような形で伝えたいと思う なら 얨,進歩主義者であるわれわれは,宗 教的言説の 野を切り捨ててはいけない。 (訳本,pp.391-392) と言ったことから,サンデルは, 進歩主義者は,より度量が大きく信仰に好 意的な形の 共的理性を持つべきだというオ バマの主張は, 全な政治的直観を反映して いる。また,よい政治哲学でもある。正義と 権利の議論を善き生の議論から切り離すのは, 二つの理由で間違っている。第1に,本質的 な道徳的問題を解決せずに正義と権利の問題 に答えを出すのは,つねに可能だとはかぎら ない。第2に,たとえそれが可能なときでも, 望ましくないかもしれないのだ。 (訳本,pp.391-392) という。 また,同じことが, 正しい戦争と不正な 戦争 を書いている政治哲学者マイケル・ ウォルツァー(以下,ウォルツァー)につい ても言える웖웓웗。 この本の紹介文に: 戦争は緊急事態だから何でもあり という 軍事的リアリズムに抗し,他方で絶対平和主 義も採らず,ギリギリまで道徳を貫きつつリ アルに戦争を見つめ,その重みと責任に耐え ようとするウォルツァーの代表作 結論として,筆者としては,サンデルと ウォルツァーの二人ともリアルな観点から正 義( 平性)を論じている,と えている。 2−2.日本のマーケティングにおける 正 を冠した論文の登場 これまで,米国における, 正 にかか わる書物(BLP書)をみてきたが,最近, 日本でもマーケティング研究において, 正 を冠したかなり詳細な 析が行なわれて いる。小本恵照氏の 正が マーケ ティン グ・チャネルに与える影響:フラ ン チャイ ズ・チェーンのケース (以下,小本論文) である웖웍웗。 筆者としては,この二つ(BLP書と小本
論文)の両方とも, 正 概念の重要性を 示唆するものであるが,一方(BLP書)は, 道徳性 重視を主張し,もう一方(小本論 文)は, 平性 を重視したもの,という 違いがあると えている。 理由は,こうである。BLP書は,これま でのアメリカの え方をやめた方がよいだろ うという え方の基盤に立っている。つまり, アメリカの経営学(バーナードを 除 く)や マーケティングでは, 平性 は重視して いたが,どちらかというと, 正義とか道徳 とか は取り扱ってこなかった。これに対し, 日本では 正 概念は, 正取引委員会の 独占禁止法 に依っていると えられてき た。それが小本論文では, 平性 を念頭 に置いた 析になっている。 もとより,アメリカでは,連邦法のロビン ソン=パットマン法など,どちらかというと, 平感 が重視されていた。小本論文も, その前提の上に立てられた 析を参照して日 本に当てはめた研究と えられる。 BLP書は,これまでのアメリカのやり方 を正そうとするものである。 平性 も重 要だが,これからのビジネスには 正 , すなわち, 正義 とか 倫理・道徳 とか に力点を置かねばならない,とするものであ る。 結果的に,小本氏論文は,アメリカ流の 平観 に基づく 析であった。つまり, この日本のマーケティング関連の論文に表れ た 正 概念は,従来のアメリカ流の 平 概念に基づいていると判断できるのであ る。 要約すると, ⑴ 小本氏の 正 概念は,基本的には, 社会心理学の定 義( 平 (fair)) に依っている。 ⑵ 社会心理学の定義やアメリカ流の内容 を有する 析例を,日本のビジネスの あり方に,そのまま適用しようとした ところにややが疑問点を残している。 ⑶ 正 と言った場合,一般社会には, 正しいかどうかの 正(たとえば, 正義 (justice))もある。 正 と いう言葉は,注意して 用する必要が ある。 ⑷ アメリカ流の 平 間 析の問題点 として上げるならば,結局, 平 であればあるほどよいのであり, 良 い 平 と 悪い 平 があるわけで はないし,つまり, 平 に序列を つけること自体に問題があると言える のではないか。 ⑸ (ついでに)日本のマーケティングの 定義でも, 正 という言葉を っ て い る が, 平 (fair)の 意 味 で っているようである。しかし,日本 の独禁法にある 正 とか 正な 競争 には, 正義 (justice)も入っ ており,やってはならない,ことの意 味が入っていることに注意する必要が ある。
3.日本の
正 概念
3−1.日米の マーケティングの定義 の 比較 日米ともほとんど同じ マーケティングの 定義 化を試みているが,そこに少なくとも 一つの相違を筆者は見出している웖웋월웗。 日本の JMA(日本マーケティング協会) の マーケティングの定義 に表れる 正 な競争 という文言の 正 とアメリカの AMA(アメリカ・マーケティング協会)に 示唆される 平性 とは同じものである。 すなわち,JMAの定義の 正 の英訳が 〝fair"と なって い る こ と か ら,AMAの 定 義と一致すると えられるのである。ただし, AMAの マーケ ティン グ の 定 義 に は, 〝fair competition"は,出てこない。なぜなら,〝fair"でないことが起これば, アメリカの場合,ロビンソン・パットマンな ど法的措置で解決する方式になっていて,あ えて文言を挿入する必要がないと えられる からである。 では,なぜ,JMAの定義には,わざわざ, 正な競争 が挿入されたのか,である。 結果的に,筆者としては,これまで,日本 の 定義 に 正な競争 を挿入しない方 がよかった(挿入すべきではなかった)ので はないかという見解を表してきている。 たとえば,以下のような見方が参 となる かもしれない。 日本とアメリカは,今日,経済体制として は,混合経済体制(資本主義市場経済プラス 政府の役割導入)を採っているが,双方の社 会の底流,たとえば国民感情,にはかなり 違ったものが流れているので注意を要すると いう説である。 これについては,比較社会 の研究で名高 い阿部謹也氏の見解がある웖웋웋웗。 すなわち,阿部氏によると,日本社会も ヨーロッパ社会も,もともと, 世間という 独特な人間関係が支配的な 社会であったの が,ヨーロッパだけが,11∼12世 紀 を 境 と してそうした社会から離脱した,という。こ れは,キリスト教が全ヨーロッパに広がり出 した時期と一致している。 世間 は,人間が集団の中に埋没して相 互に依存し合う集団優位の世界,新しいヨー ロッパは,個人を単位として結合するという 固有の意味での社会である。 日本は,前者を引きずっており,ヨーロッ パの流れを汲むアメリカは,後者の個人を単 位で結合した社会と えることもできよう。 こんなにピタッと かれるものではないか もしれない(日本では,犯罪を犯した若者の 両親が出てきて世間様には申し訳ないことを しました,とあるのが普通だが,アメリカの 東海岸の大学でも,あの人は離婚しているの で教授になれないのだ,という がまことし やかに流されていた。これも世間体を えて のことではないかと えている)。しかし, 筆者なども実際に欧米で数回,家族とアパー ト生活をしてみた経験から(ほとんどが一年 以内の短期ではあったが),確かに日・欧米 には,そうした違いがあるのではないかとい う感慨を持ったことがあるのも事実である。 したがって,そういうものが底流にあると すると,表向きは同じような法的措置であっ ても,その解釈や運用については,違った受 取りが出てくることはあり得ると えられる からである。 つまり,日本語の 正 や 平 概念 と英語の〝fair"や〝justice"との関係が, 上記の社会の仕組みや え方と密接に結びつ いていることは十 あり得るのである。 こう えると,日本では,人様には迷惑を 掛けない,正直であれ,信頼をモットーとせ よ,等となる(これが世間に対する 正 の意味である)が,欧米においては,個人同 士の間での 平 が第一であったというこ とも頷ける。正義とか道徳は,宗教上の禁欲 という形で個人を支配していたので える必 要がなかったということかもしれない。 3−2.日本の 倫理観・道徳観 씗日本流の え方> 日本人の思想の根底には何があるか。正義 を貫け。嘘をついてはいけない(舌切り雀)。 正直は一生の宝。正直の頭(こうべ)に神が 宿る。正直は一旦の依 (えこ)にあらざれ どもついに日月(にちげつ)の憐れみを被る, などが えられる。 日本におけるビジネス・リーダーたちも, こうした倫理観や道徳観を持ちながら経営の かじ取りをしてきた例が多い。 日本人の宗教的な背景には,仏教がある, ということは,今日ではかなり薄らいできて いるとはいえ,これらは好むと好まざるとを
問わず,大部 の日本人の根底には仏教的な ものが存しているようにみえる。 仮に,そうでないにしても,アメリカ人に 流れる魂とは違ったものが想定されるように 思われる。つまり,日本では働きにつぐ働き の人生を送れ,とはならない。 日本流であれば,世の中の雑事を離れ,坐 禅でも組んでしっかり瞑想せよ,であろうし, 中江藤樹や近江商人の 陰徳善事 (人知れ ず善い行いをすることを言い表したもの。自 己顕示や見返りを期待せず人のために尽くす こと)などが浮かんでくる웖웋워웗。 日本の経営者の最近の言動 京セラの 業者で,日本航空(JAL)の再 にも手を貸し成功させた稲盛和夫は経営の 倫 理 性・道 徳 性 を 説 い て い る웖웋웍웗。再 に 当っては,アプローチのあったいくつかの海 外の実績あるコンサルタント会社からの申し 出を断り,単独で指揮を執る決意をすると同 時に,JALの幹部にもひたすら氏の哲学を 説いて回ったという。 人間として何が正しいかで判断する と いうのが氏の哲学である。 この点は,稲盛氏の著書 稲盛和夫の実学 얨経営と会計 얨(2012)の中にある言葉 が参 となる웖웋웎웗。 私の経営学,会計学の原点にある基本的な え方は,物事の判断にあたっては,つねに その本質にさかのぼること,そして人間とし ての基本的なモラル,良心にもとづいて何が 正しいのかを基準として判断することがもっ とも重要である。……。私が言う人間として 正しいこととは,たとえば幼いころ,田舎の 両親から これはしてはならない これは してもいい と言われたことや,小学 や中 学 の先生に教えられた 善いこと悪いこ と というようなきわめて素朴な倫理観にも とづいたものである。それは簡単に言えば, 平, 正,正義,努力,勇気,博愛,謙虚, 誠実というような言葉で表現できるものであ る。 経営の場において私はいわゆる戦略・戦術 を える前に,このように 人間として何が 正しいのか ということを判断のベースとま ず えるようにしているのである。 と述べている。また,この書物の おわり に で次のような締めくくりの言葉がある。 私は,会社経営はトップの経営哲学により 決まり,すべての経営判断は 人間として何 が正しいか という原理原則にもとづいて行 なうべきものと確信している。 と述べている。 YKKの ホーム ページ に YKK精 神 が 書かれている。それは, 業者吉田忠雄の企 業精神とされる 善の巡環 についての解説 がある。それは 他人の利益を図らずして自 らの繁栄はない のこととなっている。これ なども,近江商人の 三方よし の精神その ものだと理解される。 下電器産業㈱(現パナソニック)の 業 者の 下幸之助氏も,かつて著書 実践経営 哲学 (1978)の中で同じようなことを繰り 返し述べている。 これについては,ユニ・チャーム社長の高 原豪久氏も同様の経営哲学を語っている。ま ず, 日本経済新聞・電子版 では, まずは 無私と自立 です。顧客に対して 献身的であり,かつ自身に対して強い信念を 持つということです。まず, 無私 とは相 手に献身的に仕えることに努め,いつも相手 の立場に立って話を聞き,相手の要望にはで きる限り素早く対応することです。 と 述 べ て い る が,シ ン ポ ジューム コ ト
ラー・カンファレンス 2013 の座談会でも 同様の趣旨の発言をしている웖웋웏웗。 海外に進出するにあたって,心すべきこと は,競合他社との問題はありますが,特に, 東南アジアへの進出では多様な価値観と付き 合っていかねばならないということです。わ が社の方針や え方を理解してもらうにはか なりの困難を伴うことですが,性急には行き ませんで,着実に一歩一歩進めていく必要が あるわけです。幸いに,日本独自の倫理観 (特に,仏教)がありますので,それによっ て困難な問題解決の道も開けるのだと えて います。したがって,海外進出にあたっての 問題解決には,日本人が最も得意とするとこ ろではないかと思っています。
お わ り に
BLS書に示唆されているように,アメリ カにおけるこれからのビジネスの在り方につ いては,日本において従来からあった倫理・ 道徳観を持つということになるのであろうか。 書店には, マーケティング 関連の本が 山積みになっていたり,書棚のスペースのか なりの部 を マーケティング 関連部門用 としてとられたりしている。読者は,そのう ちどれが自 にとって良い本なのか悩むほど である。 一般には,これだけ多くの マーケティン グ×× , ○○マーケティング の本が出版 されているのであるから,すでに マーケ ティング は 学問 になっているはずだと 思われているかもしれない。実際,学者・研 究者の中にもそう える人は少なくない。 しかし,筆者にはそう思えないものがある。 たとえば,社会的な大問題となるものを 析 できないということである。 今日,企業をめぐる問題は多種多様に出現 しているが,特に,住宅リフォーム・架空請 求など悪徳商法,産地偽装,虚偽表示,冷凍 食品農薬混入,鉄道の異常放置事故,美白用 化粧品の被害, 取委による摘発・罰則多発 など,不正や虚偽の問題が頻発していること に驚きを禁じ得ない。 これは,企業個々の問題と言えるかもしれ ないが,社会に出る前の学生にマーケティン グを講義している側にも問題なしとしない, と筆者は えている。つまり,現行の講義内 容では,そういうことが起こり得ることを教 えていないばかりか,現実の経営のあり方に 加担しているとしか思えないような状態にあ ると えられるからである。 では,どうしてそうなるのか,どうすれば よいのか。 東日本大震災の時,早速,経済学や法学や 経営学から,それぞれの学問 野に基づく検 討がなされている。マーケティングからは皆 無といった状況である。せいぜい,日常生活 用の生活物資を被災地に届ける施設(店舗) が必要である,といった程度であった。かく いう,大学でマーケティングを講義する筆者 も同類項である。 このようなことに内心忸怩たるものがある。 つまり, マーケティング を学問として教 えていないからである。 一方で,今日,マーケティングという言葉 を生んだ,アメリカでは,(アメリカ流の戦 略かもしれないが)アメリカのビジネスは根 底から変わらねばならないという意見が盛ん に出されるようになっている。それを受けて かどうか定かではないが,マーケティングを 固有の学問にするべきであるという説もアメ リカにも出てきている(R.T.ラスト(文献 (4)))。 学 問(discipline)と は 何 か。マーケ ティ ングを学問にする際には何をどうすればよい のか。筆者もこれまで,マーケティングを学 問にするためには,独自の概念(人間概念),定義,体系化, 析方法などがクリヤーされ ねばならない,としてきたが,未だに入口で 右 往 左 往 し て い る 有 様 で あ る웖웋원웗웖웋웑웗웖웋웒웗웖웋웓웗웖워월웗웖워웋웗웖워워웗。 本小論は,マーケティングを学問にする際 の人間概念を 察するに当たって重要となる であろう, 正 概念をめぐって検討して みた一試論である。
注と参 文献:
1)黒田重雄(2013) 流通における〝 正な競争" について 経営論集 (北海学園大学経営学部紀 要),第 11巻第1号(2013年6月),pp.71-86。 正 を 広辞苑 で引くと, ① 平で邪 曲のないこと。②明白で正しいこと。 とある。 また, 平 とは,かたよらず,えこひいき のないこと( 平に 配する)。 となっている。 一般には,その違いは以下のように い け ているという(インターネットを参照)。 (あ) 平 は二つ以上のものに対する対応 や取り扱いに差がないことを言うので, 一つのものだけについ て 取 り 扱 い が 〝 平だ"とは言わない。 (い) 正 はそれぞれについて言う。 つまり, 一日中働いた報酬が 500円だったら, 正で はない。 二人が働いて,二人とも 500円だったら, 正ではないが 平である。 一人が 1000円で一人が 500円だったら, 平ではない。 このような不 平な扱いをすることは 正で ないと言える。 なお,日英語の い けは(新和英大辞典, 第5版,研究社): 正: justice平: fairness,rectitude 正( 平)な取扱い:fair(just)treatment 正( 平)な取引: fair trade
正( 平)な競争: fair competition 2)Bower,Joseph L.,Herman B.Leonard and
Lynn S.Paine (2011),Capitalism at Risk: Rethinking the Role of Business ,Harvard
Business Review Press,Massachusetts.(ジョ セ フ・バ ウ アー=ハーマ ン・レ オ ナード=リ ン・ペイン著(峯村利哉訳)(2013) ハーバー ドが教える・10年後に生き残る会社,消える 会社 ,徳間書店。) 3)小 本 恵 照(2013) 正 が マーケ ティン グ・ チャネ ル に 与 え る 影 響:フ ラ ン チャイ ズ・ チェーン の ケース 日 本 商 業 学 会・流 通 研 究 ,第 16巻・第 1 号(2013年 10月),pp. 5-33。
4)Rust,Roland T.(2006), From the Editor: The Maturation of Marketing as an Aca-demic Discipline,Journal of Marketing ,Vol. 70(July 2006),1-2.
5)Heilbroner,Robert(1976),Business Civiliza-tion in Decline,W.W.Norton& Co.,Inc.(ロ バート・ハ イ ル ブ ローナー著(宮 川 男 訳) (2006) 企業文明の没落 ,麗澤大学出版会。) 6)Sandel,Michael J.(2009),Justice: What s the Right Thing to Do? ,International Creative Management,Inc.(マイケル・サンデル(鬼 澤 忍訳)(2013) これからの 正義の の話 を し よ う 얨い ま を 生 き び る た め の 哲 学
얨,ハヤカワ文庫(早川書房)。
7)Rawls,John (1971),A Theory of Justice, Harvard University Press.(ジョン・ロール ズ著(川本隆 他訳)(2010) 正義論 ,紀伊 國屋書店。) 8)中江藤樹 内村鑑三(2006) 代表的日本人 (鈴木範久 訳),岩波文庫(ワイド版)。 内村鑑三(1861-1930)は, 代表的日本人 として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤 樹・日蓮の5人をあげ,その生涯を叙述する。 日清戦争の始まった 1894年に書かれた本書は 岡倉天心 茶の本 ,新渡戸稲造 武士道 と 共に,日本人が英語で日本の文化・思想を西欧 社会に紹介した代表的な著作である。 四 中江藤樹―村の先生 〝学 者"と は,徳 に よって 与 え ら れ る 名 で あって,学識によるのではない。学識は学才で あって,生れつきその才能をもつ人が,学者に なることは困難ではない。しかし,いかに学識 に秀でていても,徳を欠くなら学者ではない。 学識があるだけではただの人である。無学の人 でも徳を備えた人は,ただの人ではない。学識 はないが学者であると,徳の大切さを説いた。 9)Walzer,Michael(2006),Just and Unjust Wars: A Moral Argument with Historical
Illustrations ,Basic Books.(マ イ ケ ル・ウォ ルツァー著(萩原能久監訳)(2008) 正しい戦 争と不正な戦争 ,風行社。) 10)黒田重雄(2012)〝マーケティングの定義"に 関する日米比較のポイント 経営論集 (北海 学園大学経 営 学 部 紀 要),第 9 巻 第 3・4 号 (2012年3月),pp.27-49。
American Marketing Association(AMA) の定義(2007年):
Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large.
【筆者訳例】: マーケティングとは,顧客,依 頼人,パートナー及び一般社会に対して価値あ るものを 造し,コミュニケーションを行ない, 送り届け, 換する一連の組織の活動であり, 方法(手順)である。 日 本 マーケ ティン グ 協 会(JMA)の 定 義 (1990年): マーケ ティン グ と は,企 業 お よ び 他 の 組 織웖웋웗がグローバル웖워웗な視野に立 ち,顧 客웖웍웗と の相互理解を得ながら, 正な競争を通じて行 う市場 造のための 合的活動웖웎웗である。 注:⑴ 教育・医療・行政などの機関,団体 を含む。 ⑵ 国内外の社会,文化,自然環境の重 視。 ⑶ 一般消費者,取引先,関 係 す る 機 関・個人,および地域住民を含む。 ⑷ 組織の内外に向けて統合・調整され たリサーチ・製品・価格・プロモー ション・流通,および顧客・環境関 係などに関わる諸活動を言う。 【英訳】
Marketing refers to the overall activity (1)where businesses and other or
ganiza-tions, (2)adopting global perspective, (3) creative markets along with customer satisfac-tion (4)through fair competition.
(Japan Marketing Association,1990) 11)阿部謹也(2006) ヨーロッパを見る視角 ,岩 波書店。 12)近江商人の 三方よし の原理(ウイキペディ ア) 近江商人の思想・行動哲学: 三方よし 売り手よし,買い手よし,世間よ し 売り手の都合だけで商いをするのではなく, 買い手が心の底から満足し,さらに商いを通じ て地域社会の発展や福利の増進に貢献しなけれ ばならない。 三方良しの理念が確認できる最古の 料は, 1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五 個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓 であるとされる。ただし, 三方良し は戦後 の研究者が かりやすく標語化したものであり, 昭和以前に 三方良し という用語は存在しな かった。 13) 特集・稲盛経営 얨解剖 얨 週刊・ダイヤ モンド ,2013年6月 22日号,pp.28-33。 14)稲盛和夫(2012) 稲盛和夫の実学 얨経営と 会計 얨,日本経済新聞出版社,pp.21-22。 15) コトラー・カンファレンス 2013,日本マー ケティング学会・( 社)日本マーケティング 協会・ネスレ日本株式会社主催(全日本空輸株 式 会 社:IMD:ケ ロッグ・ク ラ ブ・オ ブ・ ジャパン協 賛),2013年 6 月 17日,東 京 ビッ グサイト国際会議場。 16)黒田重雄(2008) マーケティングの体系化に 関する若干の覚え書き 얨オルダースン思想を 中心として 얨 経営論集 (北海学園大学), 第6巻第3号(2008.12),pp.101-120, 17)黒田重雄(2009) マーケティング体系化への 一里塚 얨商人や企業の消えた経済学を超えて 얨 経営論集 (北海学園大学),第7巻第3 号(2009.12),pp.87-104。 18)黒田重雄(2012) マーケティング体系化にお ける方法論に関する研究ノート 얨反証主義, 論理実証主義,そして統計科学へ 얨 経営 論集 (北海学園大学経営学部紀要),第 10巻 第2号(2012年9月),pp.117-139。 19)黒田重雄(2012) マーケティングの体系化に おける人間概念に関する一 察 얨二 法(企 業と消費者)概念から統合的人間概念へ 얨 経営論集 (北海学園大学経営学部紀要),第 10巻第3号(2012年9月),pp.123-138。 20)黒田重雄(2013) マーケティングの体系化に おける人間概念はどうあるべきか 얨統合的人 間(マーケティング・マン)を想定する 얨 マーケティング・フロンティア・ジャーナル (MFJ)(北方マーケティング 研 究 会 誌),第
3号(2013年1月),pp.19-29。 21)黒田重雄(2013) マーケティングを学問にす る一 察 経営論集 (北海学園大学経営学部 紀要),第 10巻第4号(経営学部 10周年記念 号)(2013年3月),pp.101-138。 22)黒田重雄(2013) マーケティングを学問にす る際の人間概念についての一 察 얨マーケ ティン グ・マ ン の 倫 理 観・道 徳 観 を え る 얨 経 営 論 集 (北 海 学 園 大 学 経 営 学 部 紀 要),第 11巻 第 2 号(2013年 9 月),pp. 95-116。