〈論文〉英語社内公用語化に関する一考察
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(2) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. 数は、英語や英語問題に関しては非専門家であるが、一方で、この問題に関する専 門家と言うべき論者あるいは直接の当事者(両者を併せて以後、論者と呼ぶ)の意 見も、相当数がこれまでに明確に表明されている。そうした論者の意見には、当然 ながら非専門家に比較して、強い主張、思いが込められている場合が多く、相応の 根拠に支えられている。本稿では、そうした幾人かの論者の意見を分析することに より、考察を進めていく。. 2.英語社内公用語化論とは ⑴ 国家レベルの英語公用語化との関係 英語社内公用語化の問題を論じる時に最初に決めなければいけないのは、その定 義である。本稿で扱うのは、英語の「社内」公用語化であるが、一般には、単純な 「英語公用語化」という言葉も広く見られる。つまり、 A:英語社内公用語化 B:英語公用語化 としたとき、A の意味については、その指し示すところは明確であるのに対し、B のように英語公用語化と言った場合、どの枠組での英語公用語化かが明らかになっ ていない。文脈によってその枠組が、①国家であったり、②企業(つまり A)で あったりする。本稿の主題は、②なのであるが、ここでは、②と密接な関係をもつ ①についても若干の考察を加えたい。 日本の公用語を英語(あるいは外国語)にするという議論は、個人として提案を した識者は明治時代からいたが1、あくまで可能性としてではあれ、政府が本格的 に正式文書で触れたのは、1999 年に提出された当時の小渕恵三首相の委嘱による 諮問機関「二一世紀日本の構想」懇談会の報告書『日本のフロンティアは日本の中 にある』においてである。そこでは、慎重な表現で以下のように記されている。 「長期的には、英語を第二公用語とすることも視野に入ってくるが、国民的議論 を必要とする。まずは、英語を国民の実用語とするために全力を尽くさなければな らない。これは単なる外国語教育問題ではない。日本の戦略問題としてとらえるべ き問題である。」(同報告書、Ⅳ.21 世紀日本のフロンティア) 同懇談会のメンバーでもある船橋洋一(元朝日新聞社主筆)は、その後、自著の. ( 52 ). −141−.
(3) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 中で以下のように述べている。 「公用語にせよ、とは提案していません。「第二公用語とすることも視野に入って くる」との認識の下、公用語にすべきかどうかも含めて国民的議論を起こそう、と 言っているのです。」(船橋、2000、p11) その文脈では「公用語にせよ、とは提案していません。」と言いながら、事実上、 船橋は何らかの形の公用語の地位を英語に与えたいと考えていたことは、同書から 明らかである。ただ、それを露骨に明言した場合の世間の反発を恐れるかのよう に、同書(書名は『あえて英語公用語化論』と「あえて」を付している)では、そ のように考えるに至った背景について、自身の体験、多くの知人の体験、そしてア ジアを含む世界中で進行する英語化、英語の力の増大を実例を語っている。. ⑵ 国家レベルから企業レベルへ 2014 年に日本で生きる我々がよく知るように、船橋が上記のように提案した国 家レベルで英語を「第二公用語」としてであれ、公用語化にすることを検討する動 きは、その後、見られなくなった。船橋が言う「国民的議論」は、大きなものとは ならなかったのである。結局、日本は国民全体の意思として、国家としての英語の 公用語の可能性については、現時点までに否定したと言えよう。 一方、これが企業レベルでの英語公用語化の話となると違ってくる。楽天、ユニ クロ以前から、英語をビジネスにおける公用語として位置付ける試みはあり、大手 商社の三菱商事において行われたこともある。2 あるいは日産自動車のように 「公用語」とは位置付けないものの、実態として相当に英語が定着している企業も ある。3 楽天、ユニクロの場合、そのインパクトが大きかったのは、やはり真の 「社内公用語」としての徹底ぶりからであろう。4. 3.個別意見の概観 誰がどういう意見を持っているか、各論者の言葉を確認していこう。. ⑴ 三木谷浩史(楽天社長) 推進派の最右翼である三木谷は以下のように述べている。. −140−. ( 53 ).
(4) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. 「世界一のインターネットサービス企業になる。創業以来、この目標を掲げてい た楽天にとって、もちろん答えは一つしかなかった。海外へ打って出て、真のグ ローバル企業になる。これ以外、僕らの進むべき道はない。(中略)しかし、どう すればもっとグローバルな経営ができるのか、僕は悩んだ。(中略)そして、効率 が悪い原因を考えるうちに、直面したのが言語の問題だった。(中略)是非とも雇 いたい逸材を、日本語がしゃべれないからといってあきらめなければならないの は、あまりに惜しい。」(三木谷、2012、p19-21) 「社内公用語を英語化するといっても、どのレベルの英語を目指すのか、それに よって勉強方法が変わってくる。(中略) 楽天が社内公用語とするのは、厳密に言 えば、いわゆる「英語」ではない。グロービッシュである。ネイティブが話すよう な英語ではなく、比喩やユーモアを避け、シンプルな英語で表現するプレイン・イ ングリッシュ(簡潔な英語)である。そのことをはっきりさせておきたい。(中略) 逆に言えば、その専門用語と特殊な言い回しさえ覚えてしまえば、ビジネス上のコ ミュニケーションには困らないということだ。」(三木谷、同上、p33-34) 「日本人にとって日本語が大切なことは言うまでもない。(中略)楽天の英語化は 西欧化ではない。むしろ僕は、楽天の英語公用語化を、日本文化や日本人の良い点 を世界に広めるきっかけにしたいと思っている。」(三木谷、同上、p150) 「くり返すが、僕は決して、日本語を捨てろとか日本語の教育をやめろと主張し ているわけではない。日本語も、日本文化も大切にすべきであることは言うまでも ない。日本語と日本文化を大切にすることと、英語力を鍛えることはちゃんと両立 する。」(三木谷、同上、p164) ここで以下のことがわかる。 ・三木谷はイデオロギーで英語公用語化を求めた訳ではなく、業務の効率を求めて 必要上やむなく行った。 ・目指す英語は、ハイレベルのものではなく、「プレイン・イングリッシュ」(簡潔 な英語)であり「ビジネス上のコミュニケーションには困らない」レベルである。 ・日本語や日本文化を否定するつもりはない。結果として否定してしまう事態にな らないことは保証されない(後述の津田はまさにこの点を悲観的に考える)が、少 なくとも本人の意図としては日本語・日本文化を否定することはないと信じてよい. ( 54 ). −139−.
(5) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. だろう。 ・社会的な視点については、日本を世界に理解させるためには有用とするが、それ はあくまで二義的なものであることは、この趣旨の三木谷の発言が僅少であること からも明らかであろう。. ⑵ 柳井正(ファーストリーテリィング(ユニクロの持株会社)社長) 柳井の考え方は、以下のとおりである。 「企業のグローバル化って難しく考える必要はなくて、一言でいうと「ビジネス チャンスがたくさん転がっているよ」ってことに集約されると思うんです。(中略) だから、今回の英語化の究極の目的って、僕は自分の会社の人間だけに限定したも のではなくて、日本が国際社会の中で生き残っていくためにも自分の思いを発信 し、違う国の人たちの共感を得ることができる日本人を一人でも多くつくることだ と思っているんです。(中略)今回のうちの英語化にしても、ともすると勘違いさ れてしまうんです。「国を売るのか」とか「日本語という魂の世界にメスを入れる のか」とか。(中略)日本語という殻の中にとどまっていては、会社はもはや成長 しないし、多国籍の社員との価値観の共有もできないんです。いち早く変わらなけ れば、後退あるのみです。(中略)そんな中で、日本語にこだわり続けていても、 良い人材は採れないんです。」(森山、2011、p77-80) 三木谷と共通しているのは、①英語の社内公用語化を推進する理由としてビジネ ス上の理由を挙げていること、②日本語・日本を否定するつもりはないと言ってい ること、③社会的な視点からも、日本にとって有益であると主張している点、の3 点である。これら3点においては、三木谷と柳井の主張はほぼ同じであると言って もよいであろう。. ⑶ 船川淳志(ビジネスコンサルタント) 船川は、グローバル企業の組織開発と人材育成を支援する国際ビジネス経験の豊 かなコンサルタントで、自身も米国ビジネススクールを卒業した英語の使い手であ る。英語社内公用語化について、以下のように述べている。 「(グローバル企業のコンサルティング等の国際業務に携わってきた−引用者注). −138−. ( 55 ).
(6) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. その経験から言えるのは、グローバルビジネスの公用語はとっくに英語になってい るということだ。(中略)英語を使うと「アングロサクソンにくみされる」という 「英語帝国主義批判論者」も、今起きている多極グローバル社会、まさに全地球化 時代の公用語としての英語を説明しきれないのではないだろうか。(中略)かつて ある識者が、「英語を使わなければならないのは、外交官、政治家などの一部のエ リートだけでいい」と述べ、「アンチ英語派」の人に支持されたことがあった。ビ ジネスをやっている人ならば、それがいかに妄言かわかるだろう。」(船川、2011、 p24-26) このように英語の大きな力を現実のものとして受け入れる船川は、英語社内公用 語化については、以下のとおり「条件付き賛成」の立場をとる。 「私は「条件付き賛成」の立場だ。その条件とは、「社内公用語は英語」とは、 (日本企業を前提に)「日本語がわからない人が一人でもいたら、ほかの誰もが英語 を使い、日本語がわからない人が一人もいなかったら、日本語を使う」というもの で、英語の社内公用語化を検討する企業には、ぜひこのように定義することをおす すめしたい。」(船川、同上、p39-40) この理由として、一人でも日本語がわからない人がいるのに日本語でやれば、そ の人がモチベーションを低下させ、結局優秀な人材を失うことになると言う。ここ での船川のアプローチは、現実の企業にとっての得失を冷静に計算するものであ り、イデオロギー的な色彩は感じられない。. ⑷ 鳥飼玖美子(立教大学特任教授) 鳥飼はかつて同時通訳者として活躍し、現在では英語教育に注力をしている大学 教授であるが、英語公用語化については、強く反対している。その論を見てみよ う。 「れっきとした日本の企業で、社員は日本人が大半という会社までが公用語を英 語にするのはなぜか。ユニクロの社長は「世界企業として生き残るため」、楽天の 社長は世界進出を言い、英語のできる社長を公募したユーシンは「グローバル展 開」を理由に挙げている。まさに水村美苗氏の言う「英語の世紀」(『日本語が亡び るとき』(2008))であり、英語という言語の覇権を批判する大石俊一氏や津田幸男. ( 56 ). −137−.
(7) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 氏に言わせれば、このような事態は「英語帝国主義」「英語支配」そのものであろ う。」(鳥飼、2010、p24) そしてこの「英語帝国主義」について以下のように述べる。「日本だけでなく、 お膝元の米国を含む各国の研究者が、大いなる危機感を持って発言しているのも事 実である。その危機感は、大別して二種類の懸念からなっている。ひとつは、<英 語のわかる人間>と<英語の分からない人間>との間に生じている優劣意識、敵対 意識が生む階級問題、民族問題が世界の平和を脅かす懸念である。もうひとつは、 英語という強大で優勢な存在により他の言語が駆逐され、多言語・多文化世界が崩 壊し、人類の持続可能性が弱体化することである。」(鳥飼、同上、p26) 鳥飼は、前掲書において、英語の社内公用語化に反対する論者の主張や、多言語 主義を貫く EU の事例(これについては後述する)などを紹介している。ここで筆 者が注目するのは、「プラスマイナス両面あるが、全体としてはマイナス」という アプローチではなく、「英語の社内公用語化はとにかく反対」という形の持論展開 をしている点である。実際、鳥飼は前掲書以外にも様々な場所で、企業の英語公用 語化について発言しているが、メリットとデメリットを比較考量するというアプ ローチは見られない。. ⑸ 津田幸男(筑波大学大学院教授) 津田は、楽天の三木谷社長やユニクロの柳井社長に、英語社内公用語化に反対す る手紙を送ったほどの反対論者であるが、その理由として、その著書の中で以下の 3つ(これら3つは、同書の章タイトルでもあり、そのまま引用)を挙げている。 (津田、2011) 1.日本語の衰退を招く、2.格差を生み、拡大する、3.言語権を侵害する 同書にその主張を具体的に見てみよう。「1.日本語の衰退を招く」においては、 「実用英語に傾斜する大学教育」を嘆き、「英語教育の早期化」に反対し、「英語力 が人生を左右する」傾向に懸念を抱いている。「2.格差を生み、拡大する」では、 「英語を使う人」と「英語を使わない人」に収入格差が生じること、「英語が出来る 階層」と「英語が出来ない階層」への分裂、「日本語ができない外国人」の増加、 「二重言語社会」が日本を分断することなどに反対し、あるいはその可能性に懸念. −136−. ( 57 ).
(8) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. を示している。そして、「3.言語権を侵害する」では、「言語権」という概念を紹 介し、その侵害が問題であるとしている。津田が引用する鈴木敏和(『言語権の構 造』(成文堂))によれば、「「言語権」ということばが初めて登場したのはカナダ で、18 世紀後半フランス領であったケベックを、イギリス領にする際に制定した 「ケベック法」の中でこのことば初めて使われた」とのことである。そして、「「国 連憲章」や「世界人権宣言」では、人種や性とならんで、「言語」に基づいた差別 をしてはならないと明確に規定しています。」(津田、前掲、p123)と言い、英語 の強制は基本的人権の侵害であると主張する。 津田が否定するのは、英語社内公用語化だけではない。戦後パラダイムである経 済至上主義は終焉したとして、次のように言う。「この「経済至上主義」「無限の成 長」という「戦後パラダイム」の延長線上にあらわれたのが「英語社内公用語論」 です。ユニクロも楽天も企業のグローバル化、つまり「無限の成長」をもくろんで おり、その方法として「英語社内公用語化」を打ち出してきたのです。」(津田、前 掲、p185) 以上を要するに、津田は、経済至上主義への反対という、英語公用語化とは直接 には関係のない主張をも並列して行っている。それは並列してというよりも、経済 至上主義への反対という価値観が、企業における英語公用語化への反対に地下水の 様につながっているとも言える。そして、鳥飼同様に、「プラスもマイナスもある が全体としてはマイナス」という比較考量のアプローチは取らず、自身が絶対的と 信ずる理由により、英語の社内公用語化それ自体を受け入れるべきではない、とい う立場をとる。. ⑹ 成毛眞(企業コンサルタント、元マイクロソフト日本社社長) 成毛は、「元外資系トップ」という経歴を生かして英語問題で活発に発言してい る。明確な意見表明をしているビジネスパーソンの中では、英語の社内公用語化に 反対する最右翼と言ってよいであろう。成毛は言う。 「今、日本では英語を社内公用語にする、小学校から英語を必修にすると、グ ローバル化の名のもと英語教育が進められている。学校教育もビジネスも、英語で 行う。まるで英語圏の国のようになることで、果たして本当に明るい未来が待って. ( 58 ). −135−.
(9) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. いるのだろうか。」(成毛、2011、p3) 成毛が挙げている英語公用語に反対する理由を大別すれば、1. 心情的なもの、2. 実 利的なものに分けられる。前者の例として、日本人同士がファーストネームで呼び あう楽天の現状に関連して述べている以下がある。 「これではまるで返還前の香港である。イギリスの植民地だった香港では、学校 の英語の先生はイギリス人やアメリカ人であり、生徒は先生から英語名をつけられ て呼ばれていたという。今でも香港人は中国名と英語名の両方をもつ。(中略)名 前まで変えてしまうのは、もはや日本人であることを捨ててしまうのと同じであ る。」(成毛、同上、p70-71) 一方で成毛は、実利面からの比較考量のアプローチも取っており、楽天やユニク ロの若手社員が、英語習得に膨大な労力を割いていることについて、「もったいな い話である。20 代・30 代は仕事で覚えなければならないことが山ほどあるのに、 英語の勉強に時間を取られたら、肝心の仕事に集中できない。」(成毛、同上、p72) と述べている。. ⑺ 成田一(大阪大学名誉教授) 成田は、英日対称構造・機械翻訳・言語教育を専門とするが、英語の社内公用語 化には反対しており、次のように述べる。 「「社内英語化」には、英語習熟レベルにより情報の格差や歪曲が起こり「情報が 正確に共有できない」問題もある。米国政府と交渉した企業の部長が、英語運用力 の必要性を痛感し、英語が堪能な部下 10 人ほどに「全員、日本語厳禁、すべて英 語で仕事しよう」と指示したが、以後、部下は口を閉ざし沈黙の職場と化したとい う。(中略)韓国では(2009 年)国内総生産の貿易依存度が 82.4% と業務に英語が 不可欠なため、巨大企業では[TOEIC]900 点を採用条件に設定し「社内英語化」 を実現したが、日本は貿易依存度が 22.3% に留まり社内英語化には及ばない。」(成 田、2013、p147) 注目されるのは、成田の反対論は、先述の鳥飼や津田と異なり、実際上の便益を 分析した上で、問題がある、と論じていることである。. −134−. ( 59 ).
(10) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. 4.論点の考察 ⑴ 議論の隔たりを生むもの 本稿執筆にあたり、筆者は英語の社内公用語化に関わる多くの論者の意見を集め たが、以上がその代表的なものである。まず気づくのは、上記にあげた賛成論者と 反対論者は、大きく異なる価値観や立場に依って自論を展開しているという点であ る。 反対意見を各所で表明し、またそれがしばしば取り上げられるなど、一定の影響 力がある鳥飼、津田は、マクロ的な社会政策的な立場、あるいは国家全体のことを 長期的に考えるというスタンスを取っており(但し、個別企業の利益も究極的には 国家全体の利益になることがあるとは考えていない)、経済的な価値よりも文化 的・精神的な価値観を重視する。そして、両氏はその部分について、比較考量の手 法をとらず、その点で教条的であるとも言えよう。 成毛や成田ではその色彩はだいぶ薄いものの、やはり文化的・精神的な価値観を 重視する傾向は同じである。ただ、その論点の主張に際しては、プラス、マイナス を検証するという姿勢がみられる。 一方、賛成派の三木谷、柳井は、「英語公用語化は日本のためでもある」という 主張も一定しており、その中で文化的・精神的な視点がない訳ではない。しかし、 一義的な動機は、明らかにあくまで自社の戦略上の判断、つまり、自企業の利益で あり、経済的なものである。. ⑵ 各論者のポジションニング 以上を踏まえて、上記にあげた計 7 人の論者を念頭に、この問題に関する考え 方、価値観を2つの軸によってポジショニングとしてまとめれば、図1のようにな る。 縦軸は、どういった枠組みの利益を重視するかという軸であり、上に自らの組織 (ほぼ企業と言ってよい)、下に国家・社会全体、をそれぞれ中心に考えるものと置 く。横軸は、右側に経済的な利益に価値を置く立場、左側に文化的・精神的な事象 に価値を置く立場である。5 Ⅰ象限には、三木谷や柳井も含めた大半の経営者あるいはビジネスパーソンが位. ( 60 ). −133−.
(11) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 置し、その対称のⅢ象限には、鳥飼や津田が来る。これらの特定の象限に位置する ことが直ちに英語の社内公用語化について特定の立場を取ることを意味しないが、 以下の点は指摘できるであろう。 第一に、Ⅰ象限は現代国家の市場主義経済における企業経営者の基本的な立場で あるということだ。但し現代では、I 象限に位置したとしても、社会全体の利益を 完全に無視することは社会的に許されないが、この点については後述する。第二 に、企業経営者あるいはビジネスパーソンではない学者や教員は、相対的に企業ほ どには英語の使用が影響を受ける組織を背負っていない以上、一般的には縦軸上は 下に来易くなる現実的状況が存在することである。第三に、横軸について学者や教 員は、日頃から経済的な利益を達成するために日夜腐心している経営者 / ビジネス パーソンに比べて相対的に左側に寄り易くなるであろうということだ。 以上を要すれば、社内の英語公用語化についての判断については、経営者がⅠの 立場で考えること、鳥飼や津田がⅢの立場で考え、やや教条的になるのは、理解で きないことではない。. 自組織(自社)の 利害に関心. Ⅱ. Ⅰ. 文化的・精神的 な価値を重視. 経済的利益 を重視. Ⅲ. A. Ⅲ. 社会全体の 利害に関心. 図1 −132−. ( 61 ).
(12) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. ⑶ 私企業の利益追求と公益性の関係 上記図の縦軸は、私企業の利益追求と公益性をどう調整するかという命題に関係 する。日本に限らず、今日世界のほぼ全ての国で、何らかの形の市場において自由 な経済活動が認められており、そこでは、各私企業が、社会性・倫理性に反しない 限り、自由な経営戦略により経営判断を行うのは当然とされる。ただ古典的自由経 済主義では、企業は「悪いことをしない」ことが求められるのに対して、現代では 「CSR = Corporate Social Responsibility」(企業の社会的責任)という言葉の存在 が示すように、それに止まらず、一歩進んで、企業ならではの積極的な貢献が求め られるようになっている。これを換言すれば、現代社会では、良識ある企業に とっては、完全にⅠの立場で考えられる問題と、そうでない問題が存在するという ことである。 鳥飼や津田が英語の社内公用語化に反対するのは、このことに照らして、英語公 用語化は、私企業の社内問題と言えども社会的な問題であると主張しているという ことになる。実際、津田は「企業」という枠組みはもちろん、「個人」についても この社会的責任を求めているようであり、以下のように述べている。 「「英語社内公用語化」が自分にとって得なのか、損なのかという視点だけでとら えてはいけない問題です。なぜなら、この問題は、会社内とはいえ、日本社会にお ける「公用語」の問題だからです。日本社会の「公用語」は「公」の視点、つまり 「公共哲学」 「公共政策」の視点から考えなくてはなりません。いいかえれば、「英 語社内公用語」は、個人の利害だけでとらえるのではなく、「日本にとってよいこ となのかどうか」という「公」の視点でとらえるべきなのです。ユニクロや楽天が 「英語社内公用語」の導入を決めたのは、彼らの会社のためで、日本のためではあ りません。会社はそれで繁栄するかもしれませんが、日本社会の中の日本語は英語 の圧迫を受けることになります。彼らは自分たちの会社のことのみを考えていて、 日 本 社 会 の こ と、 日 本 語 の 未 来 に つ い て は 考 え て い ま せ ん。」( 津 田、 前 掲、 p158-159) このように英語の社内公用語化について公益性の視点を求める津田の考えは、ど の程度まで妥当性を獲得できるだろうか。. ( 62 ). −131−.
(13) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. ⑷ 英語の社内公用語化と公益 英語の社内公用語化は本当に公益と呼べるものを害するのかを考えてみたい。こ の問題については、2つの切り口で考える必要があるだろう。1番目は、津田や鳥 飼が言う「言語権」(本稿ではこれを津田の言う「公」の利益の具体的な内容とす る。6)の問題を分析し、現代日本におけるコンテキストで具体的に考えること だ。2番目は、英語の社内公用語化が公益を害するだけではなく、高める部分はな いかという視点である。. ① 「言語権」と日本の実情 「言語権」については、様々な定義がなされているが、ここでは以下をあげてお く。 「ある領域で言語話者の民族性・国籍・規模に拘わらず、公私の領域で意思疎通 を図るために、言語を選択する人権・市民権に関する個別的・総体的な権利」 (Wikipedia) また国際人権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の第 27 条に示さ れた以下は、的確に本質を表していると思われる。 「種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属 する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰 しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」 それは自己の言語を使用する権利のことであり、それ自体の正当性を否定する人 はいないであろう。そのうえで「言語権」の本質を具体的に考えるには、EU の多 言語主義とケベック州のフランス語主義が参考になると思われる。確かに EU で は、鳥飼が以下に言うように、政府間レベルのコミュニケーションにおいて、多言 語主義が取られている。 「多様な諸国がひとつの共同体として機能する為に、「多様性の中の統一」を理念 として標榜し、言語の多様性を確保する努力を惜しまない。英語を共通語にしま しょう、とは口が裂けても言わない。その根底には、人間は誰でも自分の母語で話 す権利があること、言語の価値はその言語を話す人間の数で決まるのではなく、た とえ話者が少ない言語であっても人類共通の財産であり大切に維持し絶滅から救う. −130−. ( 63 ).
(14) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. 価値がある、という思想がある。」(鳥飼、前掲、p30) これは、社会全体の合意というべき政策的なものであって、直接の経済合理性は 度外視したものと言ってよい。実際 EU 政府は、この多言語主義を維持するために 膨大なコストを払っており、それは民間企業には堪え得ないレベルのものであ る。事実ヨーロッパの多国籍企業においては、本社のある国の母国語+英語を公用 語として使用することが一般的であって、社内文書を EU の政府間レベルと同程度 に欧州の各国語に翻訳するなどという作業をしている企業は僅少であろう。欧州で の企業勤務の経験の豊富な河合恵理子(京都大学教授)は、このあたりの事情を実 例を挙げて紹介し「欧米の大企業では英語が公用語化していると断定できる」(河 合、2012/10、p80-81)としている。このことからもわかるように、「EU の多言語 主義」というのはそれ自体、強力な政治的な信条に基づいているのであって、かつ それでいて、いやそれ故に、民間企業の活動にまでは大きくは及んでいない。 EU の多言語主義よりもさらに強力な政治的合意によって支えられている言語権 政策が、カナダ・ケベック州におけるフランス語使用である。カナダ国内というよ りも北米大陸の圧倒的な英語パワーに包囲されるケベック州では、フランス語憲章 (Charter of the French Language)が、州内の公用語をフランス語のみと定めて いる。この法律により、ケベック州では、民間企業はフランス語の使用義務を 負っており、この環境で楽天が実施したような英語公用語化を実施すれば、法律違 反ということになろう。 上記の2例に共通するのは、国家政策としての社会的合意であり、その背景には それに至るのももっともだと思わせるだけの背景や歴史がある点である。EU であ れば、EU という国家連合自体が国家間の平等と言う理念を前提としているし、ケ ベック州の場合には、かかる強力な言語政策がなければ、カナダ全体で少数派のフ ランス系住民のアイデンティティが喪失する危機が現実にある。 圧倒的に日本語が優勢な日本において、ごく少数の企業が社内公用語を英語にし たからと言って、それが日本語、日本人の言語権を侵害するという状態となるだろ うか。蟻の一穴の例えもあるものの、現時点においては、津田や鳥飼がもつ心配は 筆者には杞憂のように思えるのである。 津田は、この基本的人権でもあるこの権利が、楽天などの社内の英語公用語化で. ( 64 ). −129−.
(15) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 侵害されると危惧し、弁護士の佐藤正和氏に意見を求め、以下のように記すが、そ れは現時点においては、広範な支持は得にくいのではないだろうか。 「佐藤氏によりますと、「英語社内公用語」といういわば「業務命令」が正当化さ れるには次の2点が明らかにならなければならないそうです。それらは、①業務上 の必要性があるのか、②それによって社員が被る不利益はどの程度なのか」という ことです。(中略)この佐藤氏の説明を読む限りでは、どの会社も強引に「英語社 内公用語」を導入することは法律違反になるようです。」(津田、前掲、p137-138) もっともこれは、現時点の状況からの推定であって、「日本語は一切禁止という 極端な方針をとる企業が続けば、言語権の擁護という立場から、日本においてもそ れを違法とするような法律が制定される可能性があろう。」(則定、2012、p23)と いう見方は妥当と思われる。それでは、実際にそうした「極端な方針をとる企業が 続く」だろうか。この点は後述する。. ② 公益への貢献の可能性 公益性をめぐる2番目の論点として、社内公用語化がプラスに働く可能性につい て考えてみたい。仮に、津田や鳥飼が主張するように、英語の社内公用語化が、言 語権を中心とする公益を害することがあったとしても、それとは逆に公益が高まる 部分はないのだろうか。ここで公益という時、津田は主として文化的・精神的なも のに重点を置いているようであるが、言うまでもなく、経済的なものも当然にあ る。津田は「ユニクロや楽天が「英語社内公用語」の導入を決めたのは、彼らの会 社のためで、日本のためではありません。」(津田、前掲、p159)と言う。確かに 「彼らの会社のため」であることは間違いないとしても、結果的に英語の社内公用 語化が公益に資することがまったくないとも言い切れない。前章で引用したよう に、三木谷も柳井も、「日本のためでもある」という意味のことを言っている。そ れは、津田の言う「「経済至上主義」「無限の成長」という「戦後パラダイム」の延 長線」(津田、前掲、p185)であるかもしれないが、経済的な便益も立派な公益で あることは言うまでもない。文化的精神的価値が経済的価値にいかなる場合も常に 優先するという命題は、現実社会ではあり得ない空論であろう。 実際に他国を見れば、シンガポールは英語を公用語として推進するという選択を. −128−. ( 65 ).
(16) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. した時に、それぞれの民族の母国語を犠牲にしてまでも、英語化によるメリットが 大であると考えたのだ。それは、津田、鳥飼の価値観からはとんでもない暴挙であ ろうが、この国民的決断がどれだけの経済的なメリットをシンガポールにもたらし たかは言うまでもない。やはり、英語の社内公用語化によって、一定レベルの社会 的なメリットが派生することは否定できないのではないだろうか。. ⑸ 社内公用語化における英語のレベルの問題 英語の社内公用語化を考えるもう一つの重要な視点として、どの程度の英語を求 めるか、という点があると考える。一口に英語と言っても、その範囲もレベルも 様々である。医療の世界では、日本国内で日本人医師が英語でカルテを書く。航空 機の運航では、日本の国内線でも日本人パイロットと日本人管制官が英語で交信す る。 楽天の社内英語公用語化でめざすものは、三木谷の前述の引用にもあるとおり、 あくまで「ネイティブが話すような英語ではなく、比喩やユーモアを避け、シンプ ルな英語で表現するプレイン・イングリッシュ(簡潔な英語)」(三木谷、前掲、 p33)なのである。つまりそれは、ビジネスという限定的なコンテキストの中で通 じることをまず目指すものであり、類型的には医師やパイロットの英語に近いもの ということになる。 ビジネスに従事する会社の社内での英語の公用語化とは、つまりこのように限定 されたものなのであり、それはまさに、近年広く受け入れられるようになった BELF(Business English as Lingua Franca;共通語としてのビジネス英語)の考 え方と表裏をなすものであると言える。亀田 / 佐藤(2014、p93-94)は、以下のと おり BELF の 1 つの定義(Louhiala-Salminen,L 他による)を紹介した上で、BELF が意外にも「英語支配」に対抗する性質を内在していることを指摘する。 「(BELF とは−引用者注)ビジネスパーソンの間で共有される「中立的な」コ ミュニケーションのコード(code)である。誰の母語でもない。よって、グロー バルなビジネスコミュニケーションにおいて、BELF を話す(使う)者は、ノンネ イティブや学習者としては扱われない。(中略)(BELF を推進する立場には−引用 者注)英語をインナーサークル7の支配から「解放」するという命題が含まれてい. ( 66 ). −127−.
(17) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. る。」 以上のような実態や見方を踏まえると、社内公用語化における英語というのは、 実はかなり限定されたレベルのものであり、一見衝撃的な「公用語化」という言葉 が醸し出す印象よりも、文化面・精神面での実質的な影響は相当に低いものである ことがわかる。とすれば、日本人のパイロットが国内の運航においてどれほど英語 を使っても、日本人の言語生活に影響を与えないのと同様に、津田が心配するよう な言語権の侵害というレベルにはなりづらいのではないだろうか。. ⑹ 経営戦略としての英語公用語化の合理性 一般に、企業ではその目標達成のために、少し過激なことをするのは、よくある ことである。そうした場合の便益には、その行動そのものから期待される直接のも の以外に、派生的な副次効果もあるという場合も多い。 楽天の場合、三木谷は心底、社内英語公用語化が必要で合理的であると信じてい るようだが、細かくその便益を見てみると、楽天の国際的なコミュニケーション力 を強化し海外でのビジネス展開を加速するという最終的な目的に加えて、英語の使 用頻度を高めることにより、英語力そのものが向上するという自己充足的なサイク ルができることを期待しているようである。三木谷は「そうすれば(=英語を社内 公用語化すれば−引用者注)、日本に暮らしながら、英語への接触時間を飛躍的に 伸ばすことができる。それこそ英語習得のためのいちばんの近道のはずだ。」 (三木 谷、前掲、p24)と言っており、ここにおいては、英語公用語化自体が英語力を高 めることになるというメリットを認識している訳である。こうした幾重もの期待が 楽天をして英語の社内公用語化を決定した理由であり、この経営判断には合理性が あるものと楽天は信じているのだ。. ⑺ なぜ追随する企業が多くないのか このように楽天は英語の社内公用語化という経営判断をしたのであるが、関連し て指摘しておきたいのは、この楽天、ユニクロの動きが世間で話題になってから、 早3年が経とうと言う今日、両社と同じレベルで英語の社内公用語化を推進する企 業は、ほとんどないという事実である。確かに以前にもまして、日本社会全体には. −126−. ( 67 ).
(18) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. 企業の英語熱は高まっていると言えようが、日本人同士まで英語で話すと言う楽天 のようなレベルの公用語化を実施する企業はなかなか現れない。筆者の前勤務先の 場合も、社内の英語インフラの整備はこの時期に相当進んだのであるが、「社内公 用語化」とはほど遠い状態にある。 なぜだろうか。それに対しては、前掲の図1の I 象限に位置する個々の企業が自 由に合理的な経営判断をしたからだと回答できよう。つまり、企業戦略としては、 大多数の企業にとって、英語の社内公用語化は採り得ないものなのだ。換言すれ ば、楽天、ユニクロには、英語の社内公用語化が採用され易いような、他の企業に はない要因があったのに違いない。 これに関連して参考となるのは、2013 年 11 月 13 日に近畿大学で「戦略として の英語公用語化−狙いと実践」の講演を行った武田和徳(楽天(株)常務執行役員) の認識8で、武田は「楽天には、英語公用語化を進めやすい土壌があった。真のグ ローバル企業になろうという三木谷社長の思いの他に、英語が共通語である IT の 技術を駆使するビジネスモデルである点、社員も会社も若いという点、元々経営陣 に英語が堪能な人間が多い点などの要因があろう。」と述べている。. ⑻ 英語の社内公用語化をめぐる国民的論議 以上の点を踏まえると、2014 年 5 月現在の日本で、社内の英語公用語化をめぐ る議論において、言語権などの公益性の観点からの国民的議論が盛り上がっていな いという事実は、重要な示唆を含んでいるように思われる。それは、日本人の大多 数がこの問題に公益性があるとは考えていないことを示しているのではないか。日 本には、EU やカナダ・ケベック州のような政治レベルでの深刻な言語問題は存在 せず、仮に、日本人の英語力が低いことに、グローバル化の中で一定の政治性が あったとしても、その延長線上にある民間企業の英語の社内公用語化は、日本社会 の中では、あくまで公益性の低い民の問題として整理されているのである。 前掲の図1を使うならば、公益性を踏まえての国民的議論ということであれば、 A のポジションの視点でなされねばならないが、現実にそこに座して、議論を呼 びかける政治家はいないし、そのことを問題視する国民もいない。一方で、大多数 の人や企業は、楽天の三木谷やユニクロの柳井が I のポジションで社内の英語公用. ( 68 ). −125−.
(19) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 語化を推進するのを、自らも I に身を置きながら、自分の意見はもちつつも干渉す ることなく、その様子を興味深く眺めているのだ。 このことは、本稿で先(2.英語社内公用語化論とは)に触れた船橋の提唱した 国家としての英語の公用語化論に関わる「国民的議論」が、結局盛り上がらな かったことと相関すると言えよう。圧倒的に日本語が優越する日本にあっては、言 語権という切り口で公益性を叫ぶことは難しく、英語の公用語化は、国家としての 枠組みには乗らず、あくまで民間企業の裁量で自由にやるもの、というのが大多数 の日本人の認識なのである。. 5.まとめ 本稿では、英語の社内公用語化について、賛成、反対の各々の主な意見を分析 し、考察を試みた。強い反対意見をもつ論者の中には、公益の観点から英語社内公 用語化が望ましくないとする人がおり、それは文化的・精神的価値を重んじ、経済 的価値を比較的に低くみる価値観に依っている。一方で、経済性の観点から考える 論者は、極端に強い反対意見とはなることはなく、賛成する場合でも反対する場合 でも、メリット、デメリットを比較考量した相対的な意見となる。また、賛成派の 論者の主たる理由は、企業の戦略として必要であるというものであって、社会公共 性という観点は二義的なものであり、現時点では重きを置いていない。 以上を踏まえて、公益性をめぐる論点を考察すれば、その筆頭に言語権の問題が あるが、現時点の日本で、それが強く意識されることはなく、それには、言語権が 強く認識されている他国の例とは異なる日本の事情があると言える。また、英語の 社内公用語化が公益にプラスに働く可能性も無視できない。 日本企業は英語の社内公用語化の是非を自らの経営判断として行っており、英語 社内公用語化に強く反対する論者の言う公益性は考慮しておらず、そのことに対し 日本社会全体が寛容であり無関心でもある。今後ともそのことが変わらないとは断 言できないものの、日本の現状からは、それはあったとしても相当に遠い将来のこ とであろう。. −124−. ( 69 ).
(20) 英語社内公用語化に関する一考察 小林. 注 1.森有礼(初代文部大臣)が明治初期に提唱した国語英語化論がよく知られている。 2.三菱商事の場合、以下の通り結局試みに終わった。「1990 年代初頭、三菱商事の槙原稔 社長(当時)が英語の社内公用語化をぶちあげたことがある。ところが「日本語で商売 するところにまで、なぜ英語を持ち込むのか」という幹部クラスの批判が高まり、結 局、断念した経緯がある。」(PRESIDENT、2010 年 10 月4日号) 3.日産自動車では実態上の英語化は相当に進んでいる。「公用語化という概念はないが、 社内の英語化が進んでいるのが日産自動車だ。ただし、英語化に関するルールや規定は 存在しない。同社内には 220 人の外国人が在籍し、あくまで「日本語が話せないスタッ フがいるときは英語で話し、日本人同士であれば日本語を話すなど状況に応じて英語を 使う」(小阪享司・人事部人事企画グループ主担)スタイルだ。」(PRESIDENT、同上 号) 4.楽天の英語社内公用語化:2010 年 2 月 4 日に三木谷社長が執行役員会議で「来週から 会議は英語で行う」ことを宣言。2012 年 7 月 1 日から正式に英語を社内公用語とした。 (三木谷、2012)なお、楽天については、実際の英語の社内公用語化の様子が、具体的・ 詳細に報じられることが多いのに対して、ユニクロについては、その情報開示が限定的 であり、楽天のような具体的な取り組みが公開されていない。 5.筆者は、両軸の価値や是非については、中立的である。 6.前述のとおり、津田はその他にも、1.日本語の衰退を招く、2.格差を生み、拡大す る、を挙げている。前者については、言語権の問題と近似することから、本稿では言語 権の議論に含めたい。後者は、津田の強い価値観に関わる部分であるが、社会政策論的 に相当に深い議論を要する命題であり、本稿で扱うことはしない。 7.「インナーサークル(Inner Circle)」とは、インド系米国人の言語学者 Braj Kachru が 示した英語の同心円モデルの中で最内側にある英語を母国語とする米国、英国などを指 す。このモデルによれば、「インナーサークル」の外側に「アウターサークル(Outer Circle)」としてインドやシンガポールなどの英語を公用語とする国々、その外側に 「エクスパンディングサークル(Expanding Circle)」として日本、中国、ロシアなどそ れ以外の大多数の国が位置する。 8.講演後、筆者が武田氏に対してインタビューを実施した。. ( 70 ). −123−.
(21) 文学・芸術・文化/第 26 巻第 1 号/ 2014.9. 引用・参考文献 大石俊一(2005)『英語帝国主義に抗する理念』明石書店 大津由紀雄・江利川春雄・斎藤兆史・鳥飼玖美子(2013)『英語教育、迫り来る破たん』ひ つじ書房 亀田尚己(2009)『国際ビジネスコミュニケーション再考』文眞堂 亀田尚己 / 佐藤研一(2014)『グローバルビジネスコミュニケーション研究』文眞堂 河合江理子(2012/10)「英語公用語時代の多文化コミュニケーション」『DIAMOND ハー バード・ビジネスレビュー』ダイヤモンド社 斎藤孝・斎藤兆史(2004)『日本語力と英語力』中公新書 津田幸男(2011)『英語を社内公用語にしてはいけない3つの理由』阪急コミュニケーショ ンズ 鳥飼玖美子(2010)『「英語公用語」は何が問題か』角川グループパブリッシング 鳥飼玖美子(2011)『国際共通語としての英語』講談社 成毛眞(2011)『日本人の9割に英語はいらない』祥伝社 成田一(2013)『日本人に相応しい英語教育』松柏社 則定隆男(2012)「英語の社内公用語化を考える」『商学論究』59(4)関西学院大学 平泉渉・渡部昇一(1995)『英語教育大論争』文春文庫 船川淳志(2011)『英語が社内公用語になっても怖くない』講談社 船橋洋一(2000)『あえて英語公用語論』文藝春秋 三木谷浩史(2012)『たかが英語!』講談社 森山進(2011)『英語社内公用語化の対策と傾向』研究社 山田雄一郎(2005)『日本の英語教育』岩波書店 吉原英樹(2001)『英語で経営する時代』有斐閣 渡部昇一(2014)『英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし』徳間書店. −122−. ( 71 ).
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