Author(s)
渡邉, ゆきこ
Citation
沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of
Humanities and Social Sciences(7): 135-144
Issue Date
2006-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6143
沖縄大学人文学部紀要第7号2006
「台北国語」の文法的特徴
渡邊ゆきこ 1,「台北国語」とは? 2,「台北国語」の文法的特徴 2-1:助動詞 2-1-1:アスペクトを表す助動詞としての「有」 2-1-2:助動詞「会」の拡大用法 2-2:動詞 2-2-1:「動詞十補語」構造の目的語 2-2-2:「動賓型」動詞の目的語 2-2-3:「移動動詞十目的語」構文の多用 2-2-4:「A不AB」型 2-2-5:心的状態述語「想」における三人称主語の制限 2-3:介詞 2-3-1:「介詞十著」 2-3-2:使役の「給」 2-3-3:「用」 2-4:助詞「過」の位置 2-5:形容詞 2-5-1:形容詞の動詞化 2-5-2:形容詞の重ね型 2-5-2-1:「ABB型」 2-5-2-2:抽象的あるいは陀義の形容詞の 2-5-2-3:「AA型」の補語 3,「台北国語」生成に関るいくつかの要因 「AABB型」 1,「台北国語」とは?中国では現在、共通語を「普通話」と称しているのに対し、台湾では「国語」と称している。
中国の「普通話」は、中華民国時代に作られた共通語である「国語」が、戦後さまざまな協議が
重ねられて、完成したものであり、台湾の「国語」-特に外国人向けの教科書などで、規範的な
言語として規定されている「標準国語」は、中華民国時代の共通語である「国語」をほぼそのま
ま踏襲したものである。つまり、中国の「普通話」と台湾の「国語」は、大筋でそのルーツを同じくしている。が、戦
後半世紀近い両者の隔絶の結果、コミュニケーションに大きな支障があるというほどではないも
のの、両者の問にはある程度の隔たりができている。台湾で戦後国語普及運動が推し進められた当初、実際に話される「国語」と規範的な「国語」
の間の差異が問題視された。この音韻的にも文法的にも福建省南部の閏南方言の影響を色濃く受
けた「国語」を「台湾国語」と称している。この時期に言語学者や国語の教員などによって行わ
れた「国語」研究は、主に「台湾国語」をいかに「矯正」するかという目的の下に行われたもの
-135-であり、「台湾国語」を規範的存在である「標準国語」の下位言語として位置づけたものである。 次に「国語」が注目されたのは、1987年に戒厳令が解かれて、大陸への里帰りが解禁され、 90年以降大陸への渡航者が飛躍的に伸びた時期だった。1945年から半世紀近い隔絶を経て、台 湾人が初めて目にした中国大陸の現実は、外省人であれ本省人であれ、自らを「中国人」である と教育され、「正しい中国語」を話していると認識していた台湾人にとって、一種のカルチャ ー.ショックだった。そのひとつが、言葉の違いである。長い間の隔絶により両者の差異は顕著 となり、例えば政治関連や流行語、IT関連の新語など、それが新しいものであればあるほど、語 彙的な違いは大きかった。また、造語や文法的な違いも注目されている。この際、中国の「普通 話」の比較の対象となったのが、台湾人が「標準的」だと自覚し、実際に通用している共通語の 「国語」である。 この90年代以降、中国の「普通話」との対照研究の対象となった「国語」には、いくつかの呼 び方がある。中国の研究者には、侯昌碩2O03のように、「台湾国語」と標準的だと認識されてい る「国語」を、いずれも「台湾国語」として区別しない傾向もあるが、台湾の挑栄松1987の 「普通国語」や鄙守信2000の「台北国語」のように、「台湾国語」や「標準国語」と区別するの が普通である。日本の研究者では、樋口靖l997p32)が「台北国語」と称し、上原・ロバート 2001は「標準国語」との明確な区別はされていないものの、実際に通用している共通語を「台 湾式標準中国語」と呼び、規範的な「標準国語」と区別している。本稿では、鄙守信2000と樋 口靖1997に倣い、「台北国語」と称することにする。 尚、台湾と中国の論文では、中国語の書体が異なるが、本稿では論文に書かれた書体で引用し た。 2、「台北国語」の文法的特徴 2-1:助動詞 2-1-1:アスペクトを表す助動詞としての「有」 「台北国語」の文法的特徴のひとつである動詞「有」を助動詞としても使用するという統語的 特徴は、おそらく最もよく指摘されているものだろう。 台湾では、桃栄松1986や桃栄松1987、何大安1986が、早くからこの現象に取り組んでおり、 葉徳明1991、察維天2002なども指摘している。中国の研究者では、。晏斌1988と侯昌碩2003 が言及。陳於華2005は、南中国の標準語の例としての「福州標準語」と「広州標準語」にある 「有十動詞(句)」という「有」の拡大用法があると報告しており、「台北国語」と共通している 点が、大変興味深い。 葉徳明1991では、台湾で頻見する次の例文を挙げている。 (1)這個辮法有鉤燗。 (2)休哩,真是有鉤無IWU。 侯昌碩2003も、「台湾の国語では、『有』を動詞や形容詞の前に置き、行為や状態が実現とい う一種のアスペクトを表す」と指摘し、以下の例文を挙げている。 ①肯定形:「有Vp」 (3)不要忘了,我有暗示辻。(黄凡《慈悲的滋味》) (4)宗家母,宗家是否有弓遺二'3?有交代什公喝?(履彊《回家》) ②反復疑問形:「有Vp没有(Vp)」 (5)老1-……有りT没有明糧?(洪醒夫《傳奇》) (6)地在屯活那失笑了,到底有投有嚇?」(鰊莱《女作家的致命力》) -136-
渡邊:「台北国語」の文法的特徴 この内、侯昌碩2003の例文で特に(4)と(5)は、台湾でも「標準的である」とは考えられていな い、明らかに台湾風になまっていると認識される「台湾国語」である。特に(5)は典型的な例とい っていい。中国の研究者が「台湾国語」と「台北国語」をあまり区別してあつかわないという傾
向が、この例にも現れている。ただ、(3)や(6)は比較的「標準的」だと認識されている表現であ
ると思われる。また、(5)も「有没有聴憧」とすれば、通常頻繁に使われる例となる。いずれにせよ、「台北国語」では「有」を助動詞として動詞や形容詞の前に置き、行為の完了
や結果の持続、状態の出現などを表していることがわかる。これらの表現を「普通話」では、通 常「~着」「~了」などの「時態助詞」を使って表現する。 また、「有」は他の助動詞同様、応答文では単独で使用され、 (7)作有買到鳴? (8)有。 と肯定の意味を表すことができる。「普通話」では、 (9)作買到了鳴? (10)買到了。 とするのが普通である。’ また、陳於華2005も「福州標準語」の特徴として、「有」が助動詞として使われていることを 指摘し、以下の例などを挙げている。 (11)我イロ没有坐汽卒,不知道。 この現象について、陳於華2005は、「上記の用例に見られる『有』『没有』の用法はすべて福 州語の助動詞『有』とその否定形『無』の影響によるものであると言える」と述べている。趙元 任は、この「有」の特殊な用法を「広東語と福建語にしかない現象」としているが、これに対し 挑栄松1987は、閏南語には「台北国語」と全く同じ語順が存在しないことを指摘し、「台北国語」 が「直接」閏南語から借りてきたのではなく、閏南語の「有~無?」の影響を受けて生まれた新 しい用法であると認識するべきだと指摘している。2 この他の「有」の用法として、陳於華2005(plO1~plO2)は、肯定的な平叙文の文末に 「有没有」をつけ、陳述内容の確認を相手に求める「確認要求」の機能もあると指摘し、以下の 例文などを挙げている。 (12)那辺有十牌子有投有?左辺那十有監的字那十。 これも「台北国語」にも頻繁に見られる特徴である。陳は、福州語が「有無」を直接肯定的な 平叙文の文末に用いて「確認要求」を表すことができることから、それを直訳した「有没有」を ’陳於華2005は、否定の応答を表す「没有」を副詞とし、「休迭(几)走出去IIB,走出那十大弓路那(ノし),大弓路 那里上去。<右辺?>阿,没有。就上去,二十路那祥子上去。」などの例を挙げているが、「没」は副詞であったと しても、「有」は助動詞と解釈するほうが妥当だと思われる。 2挑栄松は次のように指摘している。「有没有」這種問句並非來自闘響方言,不是軍純的借用。 闘南語用的是「有無間句」,這個句子有三種形式: 1)休有看了這本冊無? 2)這本冊休有看了無? 3)這本冊休看了抑無? 4)**作有無看了這本冊? 闘南語不能把「有無」爾字連在一超放在動詞前面,通常把「有」放在動詞前,「無」放在句末,因此,我佃不能認 爲「有没有」是從間語直接借到國語,只能説雨種語首接燭後,受闘語「有……無?」句的影響而産生的新句子。 -137-使うようになったとしているが、「台北国語」も閏南語の影響を受け、このような用法が生まれ たと思われる。 2-1-2:助動詞「会」の拡大用法 助動詞「会」の拡大用法に言及しているのは、謝佳玲2001である。 「台北国語」では、次の例のような「会」の拡大用法が、頻繁に見受けられる。 (13)休會不會熱? (14)高職生考軍校倉不會恨難? (15)台新眼彰銀之間的企業文化差距會不會非常大? この「會」は、「可能性」を表すもので、文法的には副詞と解釈される。陳於華2005も「福州 標準語」の例として、以下の例文などを挙げ、 (16)<恨近喝?〉不会恨近。走路大概要,要十分,十分件就到了。 「普通話」の「会」は、可能や可能,性を表す助動詞で、可能や可能性を表すが、副詞の機能は 持たないことを指摘している。 この現象について、陳(plO3)は、福州語の「会」とその否定形である「艫」が動詞と助動 詞の機能を持つ以外に、副詞としても用いられるため、「棺」の標準語訳である「不会」が、副 詞に転用されているものだと解釈している。 しかし、一般の副詞と異なるのは、 (17)是否言承旭不堪負荷?「白色巨塔」的助理統蕊小白説:「不會11位,這次蓼與 拍攝的演員恨多……(《中国時報》2005.11.25) (17)のように返事をする際、単用できることであり、これはむしろ助動詞の特徴であるように も思える。 2-2:動詞 2-2-1:「動詞十補語」構造の目的語 「動詞十補語」構造の述語は、「普通話」では直接賓語を取ることはできないが、「台北国語」 では、直接賓語を取ることができる。この現象は、葉徳明1991と侯昌碩2003が指摘しており、 侯は以下の例などを挙げている。 (18)回去住宿的地方,却不知道是飲喜汪是悲价地突了。(除映真《云》) (19)老娼走辻去老琶那L両人低姑嘘了好一眸子,オ由老菅宣布……。(江 几実装成婚》) (20)我喜玖鴇子,官伯走路一揺一擢的,像扱了逸挙吋候披着虹彩帯,昂首l周 歩的政客。(黄凡《雨中之贋》) 2-2-2:「動賓型」動詞の目的語 「動賓型」動詞が直接目的語を取る現象を指摘しているのは、侯昌碩2003で、以下の例を挙 げている。 (21)休知道,我多公生気老告的女人。(施叔青《釣伯的末蕎》)
(22)我迭十人一向能籍忙人,我就藷忙人,圦来不可唯人家。(栃青選《昭玉的
青春》)(23)在秀辺等着佶活的4K泊戴了一肢生瀝的冴昇注目地,而后失望的収了声高,
走近升。(王械和《来春嬢悲秋》) この特徴について侯は、「「動賓式動詞十賓語』という形は、本来『古代漢語』から存在する形式で、近代まで継続して発展してきた形でもあり、中華人民共和国建国以前の魯迅や巴金、茅盾、
-138-渡邊:「台北国語」の文法的特徴 老舎などの作品にも見受けられた。建国後は、改革開放の前期ともなると、ほとんど見かけなく なった」とコメントしている。 2-2-3:「移動動詞十目的語」構文の多用 移動動詞の目的語は、動詞の前に置くことも、介詞を使って前に置くこともできる。「台北国 語」は直後に置く傾向が強く、「普通話」では介詞を使い前に置くことが多いことは、挑栄松 1987の指摘である。標準的な国語では、「他上台北看病/就医去了。」というべきところ、「台北 国語」では、 (24)他去台北伐豐生。 と言うことが多いと指摘している。 陳於華2005も「福州普通話」の特徴ある例文として、 (25)五四路要拐迭辺的。 (26)圦迭里走,拐下面。 (27)迭辺走前面点就是了。 (28)去那辺坐五十一路牟。 などを挙げ、「標準語ではこの場合、『往迭辺拐』(こちらへ曲がる)、『往下面拐』(下の方へ曲が る)、『往迭辺走』(こちらへ歩いていく)、『住前走一点几』(まつすぐに少し歩く)のように「前 置詞句十移動動詞」の構文を用いるのが普通」だと指摘している。 2-2-4:「A不AB」型 先行研究の中で、「台北国語」の二音節の動詞の反復疑問型について指摘しているものは、管 見にないが、非常に頻繁に用いられ、むしろ「普通話」のように「AB不AB」としないのが普通 である。 (29)『休知不知道我好愛作』(書名、呉若権著、2005年7月出版) (30)不知道各位了不了解天秤座的女生,是否是一個見人説人話,見鬼説鬼話的 人呪?(「Yahoo1奇摩」のBBSより) (29)のように書名にもなっているのは、この形の認知度が非常に高いことの現われでもある。 「普通話」では、いずれも「AB不AB」と反復されるものであり、これも「台北国語」の明らか な特徴のひとつといえる。 2-2-5:心的状態述語「想」における三人称主語の制限 この現象は、上原・サンダース2001が指摘している。 上原らによると、「台湾標準語」の三人称を主語とする意見を表現する動詞の形、例えば (31)他想西醤没有效,就換個中醤看看。 }ま非文であるが、「想」の後に「説」を付加した (32)他想説西醤没有效,就換個中醤看看。 }ま正しい文となる。これは「台湾閏南語」にも、同様の現象が認められる。また、いずれの言語 でも、一、二人称主語の文にこの現象は認められず、「説」は付加しても付加しなくても正しい 文と認識される。 一方、「北京標準語」(本稿では「普通話」)では、いずれの人称を主語とする文も正しい文で あり、むしろいずれにも「説」をつけることはできない。 大変興味深いのは、上原らが更に夏門間南語と比較していることである。上原らが引用してい るCroslandの論文によると、盧門閏南語では、単独に「想」を述語とする文も「想十説」とす
る文も、人称の如何にかかわらず、すべて正しい文とされる。つまり、「台湾閏南語」は、福建
省の閨南語とは異なる統語構造を持っているわけである。 -139-上原らは、「台湾標準語」のこの特殊な統語構造は、「台湾閏南語」の影響を受けたものだが、 「台湾閨南語」の用法も、もともとの閏南語の統語構造に存在していたものではなく、「一定の時 期」に変化が起こり、それが更に「台湾標準語」に影響をおよぼしたのだと解釈している。この 「一定の時期」こそ、1895年から1945年にかけて、台湾が大陸と言語社会的に殆ど断絶した日 本植民地時代であり、上原らは、この50年の問に、台湾悶南語が日本語の統語規則の影響を受け、 加速的に現在の形に変化したと論述している。つまり、「台北国語」のこの特徴的な統語構造は、 間接的に日本語の影響を受けていると解釈しているのである。 2-3:介詞 2-3-1:「介詞十著」 「普通話」では動態動詞にしか付かない時態助詞「箸(普通話では『着』)」が、介詞にも付く ことを指摘したのは、侯昌碩2003である。侯は、以下の例文を挙げているが、その生成の原因 については、述べていない。 (33)李琳以着恋愛中女性的本能,杯疑叶原大斤女装的用意。(李昂《暗夜》) (34)他悦,他的声音,因着激幼,寛而有些料甑起来了。(隣映真《山路》) (35)由着左上層一十映了牙歯的小洞里,可以看到他虹色的舌失不吋地跳妖着。 (隊慧椀《我的偶像》) 2-3-2:使役の「給」 「給」の統語的特徴を挙げているのは、葉徳明1991と朱我芯1993である。葉は以下の例文を 挙げ、閨南語の影響と指摘している。 (36)伯母,イカK今天給人請11阿? (37)他給我編説,這件衣服是外國貨。 (38)休給我爽一黙,諮,我等一下絵作打。 この「給」は、「普通話」でも受動を表すことができ、小学館の「中日辞典』でも、 (39)麦田拾大水沖了。 (40)他的帽子拾大凡吹鉋了。 などの例が挙げられている。ただ、この例文で見る限り、人を主語および「給」の賓語にしては いない。 2-3-3:「用」 「台北国語」に見られる介詞「用」の統語現象を指摘しているのは、葉徳明1991である。 葉は以下の用例を挙げているが、特にその生成の経緯などには言及していない。 (41)作用妙的,還是用蒸的? (42)我用走的來這裡。 (43)這隻難腿要用炸的才香。 2-4:助詞「過」の位置 これも、今回調べた先行研究にはない筆者が気づいた「台北国語」の特徴である。 経験のアスペクトを表す時態助詞「過」は、「普通話」でも「標準国語」でも、動詞の直後に 置かれるものだが、「台北国語」ではしばしば賓語の後に置かれる。以下はいずれも、インター ネット上のBBSやブログに掲載された一例である。 (44)養免子幾個月了,從役看弛睡覺週(「椰林風情」) (45)曾和某人相虚一年,期間二人未曾説話過(「濤永集RDA」) -140-
渡邊:「台北国語」の文法的特徴 「普通話」であれば、動詞の直後に「過」を置き、いずれも下記のように記述する。 (46)養免子幾個月了,從役着弛睡過覺 (47)曾和某人相虚一年,期間二人未曾説過話 また、「動賓型」動詞が、直接「過」を後置する例は、更に頻繁に見られ、 (48)……所以獲選挙委員多數在歓、日留學過。(「銘報即時新聞」、2005年12月 11日) (49)呂外,張知仁並非只有離婚過-次,八十九年到九十一年短短一年半的時 間,就離婚両次。(「大紀元」、2005年12月9日) これらは、「普通話」では、「留過學」、「離過一次婚」とするところである。 ただ、中国でもまったくこの統語構造がないわけではないようで、新華社通信のホームページ にも、「遼寧頻道」(2005年12月22日、「藩陽日報」より)の報道として、 (50)一十初三的男生就在阿上以“清清溪水''的阿名和不少人“結婚”辻。 という用例が見られた。 2-5:形容詞 以下の形容詞の統語構造的特徴に言及しているのは、侯昌碩2003である。 2-5-1:形容詞の動詞化 (51)想都想不到,李双員寛会迭祥刻薄一↑女人。(王械和《伊会念兇》) (52)j(IIL忌清寒着一誰圦不施脂粉的肢。(李昂《lMJ的眼泪》) (53)作不能太任性自己。(玄小佛《小木屋》) この現象について侯は、「刻薄」、「清寒」、「任性」はいずれも大陸の「普通話」では、形容詞と しての機能しかなく、このように動詞として賓後を取ることはないと指摘している。 2-5-2:形容詞の重ね型 形容詞の重ね型については、二点指摘されている。一つは、「AABB型」ではなく、「普通話」 には通常見られない「ABB型」が多く見受けられること。もう一点は、通常重ね型にはなり得な い書面語としての色彩の濃い二音節の形容詞や既義の形容詞など、「普通話」では重ね型にはで きない形容詞も、「AABB」の重ね型として使用されている点である。 また、単音節の形容詞の重ね型が、補語となる場合、「普通話」では動詞と補語の問に「得」 を置くが、「台北国語」では置かないとしている。 2-5-2-1:「ABB型」 (54)牟里冷気浸身,座位軟録欝。(栃青篭《成尤之后》) (55)由着以往同体工作的姪盤,当杵多人扱力頌扮所渭火熱熱的多士之情肘,我 已然可以揚起迭些。(李昂《-封未寄的`情柏》) 単音節の形容詞「A」に単音節の形容詞またはその語素を重ねた「BB」を付けて、状態を描写す る用法は、これらの他に「肥徽轍」「油水水」「毒狼狽」「恨切切」「笑謨護」「黒墨墨」「破落落」 「''百生生」「情爽爽」「急慌`慌」などもあるとしている。 2-5-2-2:抽象的あるいは既義の形容詞の「AABB型」 (56)他心里扱力憧恐,杵多不能税出来的痛楚,在心里尖尖鋭悦地刺着、抽着、 像一切投有磐点的刑団。(黄秋芳《愛情謬姶》) (57)太太イロ整天穿的漂漂亮亮、吋吋電電,忙着花銭笑消遣;而我{「]家WE=琶琶 忙得成天達影子都兄不到,留下娼娼寂寂翼翼的守着迭十家。(唐菌《留学 生:体?我?他?》) -141-
侯はこの他にも、「善良、哀扮、美雨、幸福、光明、薪傲」など抽象的で書面語的な性格の強い 形容詞は、二音節であっても重ね型にはしないとしている。(57)は既義の形容詞であるので、 「普通話」では重ね型にしないとしている。 この統語現象について、侯は、台湾の書面語の方が大陸より柔軟性が高く、より新鮮で生き生 きとした描写に成功しているとし、また、近年では大陸でも、このような表現が散見できるよう になったとして、下記の例を挙げている。 (58)后面的那鞆牟,是丙十花枝招展的陪娘坐着,1FII噺着瀦層,狼狼狐狐地紫抱 着陪箱、陪被、枕失、境子。(實平凹《黄土高原》) (59)小小気気的人,可役人喜吹酌。(《新民晩扱》1990年8月26日) 2-5-2-3:「AA型」の補語 (60)他大概精神上受不了圧力,痕了,全身脱光光,由逸心因鉋到隼架山,在太 子道上拾警察抓走,送逃清山精神病院。(舛玲《逸心因十楼C座》) (61)通通死光光好噛!(蒜伶点《侯亭》) (62)城里的人牢寛比庄脚人有桟多多。(王禎和《小林来台北》) 侯は、これらは「脱得光光」、「死得光光」、「有銭得多」とすれば、「普通話」でも正しい文と認 識されるとしている。 3、「台北国語」生成に関るいくつかの要因 音声や語彙に比べ、文法は比較的外からの影響を受け難く、変化が少ないといわれているにも かかわらず、「台北国語」と「普通話」には、少なからぬ隔たりがある。 その最大の要因として認識されているのが、閨南語の影響だ。陳於華2005が挙げるさまざま な「福州標準語」の特徴の多くが、「台北国語」にも当てはまることからも、それは容易に想像 できる。形容詞重ね型の「ABB型」が多く頻見することなども、閨南語の影響と解釈されてい る。 しかし、「有」の項でも指摘されていたように、その影響は必ずしも直接的ではない。閏南語 の語法を源としながらも、そこに「国語」的な規範を加え、ある種新しい統語構造に変換すると いう経緯をたどっている。 また、「想」の項で触れたように、台湾の閏南語が、微妙に大陸の閏南語と異なっている点に も十分な留意が必要である。単に閏南語の影響といっても、構造は単純ではない。50年におよぶ 日本植民地時代、閨南語が日本語の影響を受けて変容し、さらに戦後、「国語」に影響をおよぼ すという、日本語の間接的な影響も存在している。 そもそも、台湾の「国語」は、国民党が大陸にいた時点から、「普通話」とは路線を異にして いたと、侯昌碩2003は指摘している。侯によると、中国語の分裂は、1927年の国共分裂に端を 発する。共産党が、「五四運動」が提唱した言文一致に賛同する立場であったのに対し、国民党 は書面語である「文」をより重視した。そのため、共産党が支配した解放区では、白話が広く通 用し、国民党の支配地区では、新聞も文語文から半文語の典雅な言い回しが尊ばれた。この傾向 が、戦後の両者の分断により、より明確化したとしているのだ。これは大変興味深い指摘である。 侯は、論文の中で、しばしば「国語」を民初の作家の作品に見られる傾向と比較しているが、こ のような半文語的な白話あるいは古い白話を「台北国語」が残している可能性は、少なくない。 この傾向は、同じ文字でも大陸と台湾では声調が異なるなど、音韻的な差などの要因にもなって いるのではないかと推察される。 Kublerl985は、民国初期に中国語の白話が、欧米言語の影響を受けた事実を指摘している。 -142-
渡邊:「台北国語」の文法的特徴 台湾は戦後、多くの人材が欧米、特にアメリカに流出し、あるいは政治的理由で十数年にわたる 海外生活を余儀なくされた。その多くが海外で高い教育を受け、成功を収めたが、台湾の民主化 にともない、80年代以降続々と帰国。IT関連や政財界や学術界で広く活躍している。彼らが話 す、英単語を頻繁にはさみ、英語の直訳的表現も少なくない「国語」が次第に受け入れられてい く可能性は高い。 近年の「吟日」ブームも、変化の要因となる可能性を秘めている。日本語の語彙をそのまま中 国語読みで使用する例が、多く見られるが、日本語的な大変長い連体修飾節や連用修飾節をよく 使うのも、「台湾風」の中国語の特徴のひとつである。これらの語彙的な変化や語用的な変化が、 例えば、中国語と語形は同じでも、品詞が異なる日本語の単語を日本語的に使用するなど、文法 的な影響に派生していく可能性も少なくない。 戦後の台湾に対する欧米や日本の影響は大きく、語法的にも影響を受けていることが予想され るが、未だそれほど認知度が高くないせいか、外国語からの影響という観点から「台北国語」の 文法的特徴を分析した先行研究は管見になかった。これも今後のテーマのひとつとしていきたい。 以上概観したように、台湾の「台北国語」と中国の「普通話」には、少なからぬ隔たりがある。 しかし、近年両岸の経済交流の急成長で、今や百万人以上の台湾人が中国大陸に定住し、人的な 往来は加速的に増えており、また、インターネットの発達により、相互の」情報はリアルタイムで、 しかも大量に流通する傾向にある。台湾で大陸風の単語が散見するようになったように、中国で も台湾風の言い回しが通用するようになったとも聞く。「台北国語」も中国での認知度が高まる につれ、「普通話」との隔たりが少なくなり、その差異が強く意識されなくなる時代も、そう遠 い未来ではないのかもしれない。 <参考資料一覧> KublerCCornelius(顧百里)1985:『AStudyofEuropeanizedGrammarinModern WrittenChinese(白話文欧化語法之研究)』、1985年11月、台湾学生書局
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