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ムードの「わけだ」再考

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Academic year: 2021

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(1)

ムー ドの「わけだ」再考

日本語 。日本事情教室 谷 守 [キーワー ド

]わ

けだ

,根

,帰

結 は じ め に 本稿は

,ム

ー ドの「わけだ」について

,新

しい観点か ら「理由から生 じる結果や推論の根拠か ら 導かれる帰結 を表わす」 という性質を一貫 した基本的原理 として仮設 し

,そ

れによつて周辺的な用 法 も含めた「わけだ」について統一的・普遍的な説明を試みるものである。その場合の推論の根拠 となるものに

,先

行 (または後続

)す

る言語的命題

,発

話の現場に現われた感覚的に捉えられる対 象

,人

物の心中にある願望などを想定する。

1「

わけだ」の用法 「わけだ」の用法 についてのこれまでの捉え方を少 し見てみる。

1.1

寺村 (1984) 寺村 (1984)に よると,「ワケダ」は先行する部分 (節

)の

表わすあるまとまった叙述内容が, ある既定の事実か らの当然の帰結であるとして

,話

し手がさし出す

,そ

の話 し手の見方 を表わす ものである。 ただ し

,た

とえば次のような「わけだ」の文には構文的な違いがある。

(1)

「彼は

,独

立 して商売をしたかったらしい。」 a。 「それが

,彼

が会社 を辞めた わけだ

/理

由だ。」 b。 「それで

,彼

が会社 を辞めた わけだ

/*理

由だ。」 (la)の 「わけ」は,「理由」 という実質的な意味を持つ名詞 (実質名詞

)に

置 き換えることがで きるのに対 して

,(lb)で

は全体がおか しな文になる。ただし

,寺

村 (1984)で は

,

この ような 場合「両者の似ている点は

,ワ

ケに先行する節が

,何

事かからの帰結を表わしているという点で あろう」 と述べ られている。 また他の用法 として

,次

のような「わけだ」についても言及 している。まず

,必

ず しも理由を 説明するというのではな くて

,Pと

いう聞き手に身近な事実をあげ

,そ

の事実は

,あ

る角度

,観

点から見るとQと いう意味

,意

義がある

,む

しろ

Qと

いう事実に特別の意味がある

,と

いうこと を聞き手に気づかせ ようとするために使われるワケダがある。これは

,軽

い意味で,「言いかえ 寛 正

(2)

一 ︲︲︲

谷守正寛:ムー ドの「わけだ」再考 る と」「要す るに」 とい うぐらいの気持で使 われた り,「言いかえると」 よりもさらに軽い意味で 使 われる場合 も多い。 もうひとつは

, Pに

あたる文が

Qの

前後 に見 えず

,つ

ま り

, P→ Qと

いう 推論の過程 は示 さず

,Qと

い うことを

,自

分がただ主観的にそ う言 っているのではな く

,あ

る確 かな証拠があっての立言 なのだ とい うことを言外 に言お うとする場合 に使い,苦し用すると独 断的 な

,押

しつけ的な印象 を与 えるワケダである。いずれにして も

,こ

の ような「わけだ」 も「聞 き 手 に身近 な事実」や「ある確かな証拠」である

Pか

ら導かれるとい う点では共通 している

,

と言 えるだろう。

1.2

劉 (1996) 次 に

,劉

(1996)の説明をみる。 これは,「わけだ」文 と先行 (または後続

)す

る文 また は段 落 との間の論理関係 を考察 し,「わけだ」文の機能 を細分 し

,次

の ような結論 を下 している。「わ けだ」文 は

,文

章 において

,主

に111当然の帰結・結果

,

修│あるコ トに対す る補足 的説 明, 1創 既知情報の再提示

,

担1常識・顕在 の事実の提示

,な

どを表わす場合 に使 われ る。 これ ら四つの 用法は

,そ

れぞれほぼ一定の接続表現 と呼応 し

,一

定の形式で統一 されている。 111の下位分類 としての,「推理・推論の当然の帰結 。結果」や「Pと

Qの

関係 の提示」 を表わ す用法では

,前

提 となるPと推論 され導かれる帰結

Qが

,条

件 を表わす接続表現で関連づけ られ ることが多い。同 じく下位分類 としての「

Qの

根拠 。理由づ け」では

,確

定条件 を表わす接続表 現のほかに「この ように 。こうして・ こう」 などの副詞 を含めた語句 も多 く見 られる, としてい る。 1射 の下位分類 としての「理由についての補足的な説明」では

,Qを

正確 に理解 して もらうた めに

,念

を押 して述べ る

(Q→

わけだ

)と

い う構 図を示す。 この場合,「か らだ」 に言い替 える ことがで きる。 もうひとつの下位分類 としての「意味・内容の補足的説明」では

,Qを

述べ たす ぐ後 に

,分

か りやすい表現で言い直 した り

,率

直 に一言で要点 を指摘す る場合 に用い られ

,

よく 「つ ま り 。すなわち・言い替 えれば」 な どの接続表現 とともに使 われる。 これは

,寺

村 (1984) でい う,「Qとい う事実 に特別の意味がある

,と

い うことを聞 き手 に気づかせ ようとす るため に 使 われる」用法 とほぼ同 じであ り,「言いかえると」「要す るに」 とい うぐらいの気持で使われる, とい う説明 とも平行する。 81は

,す

でに述べ た

Qに

何 も説明をつけず にただ話題 を進めるために,「すでに述べました力湖 ぐらいの気持で再 び言及する用法である。 秘│では

,先

行するどの文や段落 とも呼応せず,「ご存 じの ように」「これは常識 だ」 とい った 表現者の態度 を表 わす。 これは

,寺

村 (1984)のい う

,推

論の過程 を示 さない「ある確かな証拠 があっての立言」 を述べ る「 わけだ」 に相当す る。ただ

,若

干異なるのは

,劉

(1996)で は,「常 識」が表現者の主観 によって決めつけ られると捉 えているのに対 して

,寺

村 (1984)では

,

自分 (話者

)が

ただ主観的にそ う言 っているのではない としている点である。 しか し

,後

者が,「乱用 す ると独断的な

,押

しつけ的な印象 を与 える」 と述べ ている点では共通 した見方だ といえる。

2「

わけだ」の基本原理 1のところで挙 げ られた「わけだ」の様 々な用法の説明に若干の修正 を加 え

,さ

らに

,よ

リー般 的な基本原理 による説明 を試みたい と思 う。

2.1

推論の前提について 劉 (1996)のい う「推理・推論の当然の帰結・結果」や「Pと

Qの

関係 の提示」 を表わす用法

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

2号

(1998) 239 では

,Qが

Pと

,た

とえば

,仮

定条件 を表わす「すれば」 といった接続表現で関連づけ られ得 る として

,次

の例 を挙 げている。(下線 は筆者 による。ただ し

,引

用文の出典 は省 く。以下同 じ。)

(2)

なに しろコレラの潜伏期 間は短いのである。その二人がいつ

,

どこで羊かんを食べ る か分か らないが

,今

日中だ とすれば

,明

日か明後 日まで には

,コ

レラ特有の下痢が始 まるわけだ。 (2)では

,Pが

Qの

直前 に明示 されてお りPと

Qの

間には仮定条件 を表 わす「す れば」 とい う接 続表現が使 われている。 しか し

,こ

こで仮定条件の接続表現 に前接する命題 をPとすることには疑間が起 こる。「明 日 か明後 日までには

,コ

レラ特有の下痢が始 まる」 とい う推論結果の根拠が「今 日中だ とすれば」 とい うことではない。 このような仮定条件 は推論の帰結の一部 に含 まれるものであって推論の前 提 にはな り得 ない。なぜ ならば, もし「今 日中」 を推論の根拠 にす るのであれば

,そ

の ことか ら 導 き出されるのは「明 日か明後 日まで」 とい う部分である。そこで,「今 日中だ とす れば→ コ レ ラ特有の下痢が始 まるのは明 日か明後 日までなわけだ」 とい う推論 に してみ る と(2)の持 つ論理 が不 自然 になろう。つ ま り

,話

者が伝 えたい論理 は近い うちにコレラ特有の下痢が始 まる (から, 何か手 を打たねばならない

)と

い うことであって

,(下

痢が始 まるのが

)明

日か明後 日まで にだ とい う時期 を結論づけて述べ たいわけではない。 自然 な推論過程の構図は次の ように示す ことが で きる。

(3) P[コ

レラの潜伏期 間は短いのである

]→

Q[今

日中だ とすれば

,明

日か明後 日まで には

,コ

レラ特有の下痢が始 まる

]わ

けだ。 「(近い うちに

)コ

レラ特有の下痢が始 まる」 とい う推論の根拠 となるのは

,前

文 の「 コ レラの 潜伏期 間は短いのである」 とい う既定の命題である。話者が伝 えたい判断は,

(4) [[[今

日中だ とすれば

,明

日か明後 日までには

]コ

レラ特有の下痢が始 まる

]わ

けだ] とい う構 図になる。 これについては

,2.2で

もふれる。仮 の条件 をもとに推量 は出来ても

,帰

結・ 結果 を断定 し明言す ることが出来 ない ことは次例 か らも窺 える。

(5) *彼

がバ カだ とすれば

,そ

んなことは しないわけだ。 したがって,「わけだ」文の表わす帰結・結果の理由や根拠・前提 になる もの は既定 の命題 や確 定条件 であって仮定の条件ではあ り得 ない。つ ま り

,仮

定条件か ら得 られる結論 には「わけだ」 は使 わない。 なお

,寺

村(1984)において,「確定 した事実

Pか

ら推論 して

,そ

の当然の帰結 として

Qで

ある, とい うことを言お うとす る」 あるいは「

Qワ

ケダは

,一

,あ

るいはい くつかの

,既

に事実 とし て確認 されている事柄 (Pl,P2,P3,・・°

)か

らの当然の帰結 としてある事柄

(Q)が

あ る

,

とい うことを言お うとす る」用法である

,

と説明 されている。つ ま り,「確定 した」 あ るい は「確認 されている」 とい う点では上述の筆者の考 えと一致す る。ただ し

,こ

こで より厳密 に言 えば

,既

定の確定条件

(P)は

事実でな くて もよい

,

と言わねばならないだろう。

Pは

,た

とえ客観的事 実でな くとも話者がそれか ら推論 をすすめる上で

,あ

くまで話者 な りに心 中に確定 させ た知識 と して前提 にされているだけで よい。 次 に

,同

じく下位分類 としての「Pと

Qの

関係の提示」 とい う用法の例 として引用 された文 を 見 られたい。

(6)

将棋 の対局 には一手 に二

,三

時間 も費やす こともあれば

,時

間を使 い きって一分将棋 に追い込 まれることもある。残 リー分 になると

,残

り60秒以内に一手 を指すわけです

(4)

谷守正寛:ムー ドの「わけだ」再考 が

,そ

んなときに相手が

,ま

さか とい うような攻めをして くることがあるんです。 劉 (1996)の説明によると

,Pと

Qの

関係 を提示 または伝 えることが発話者の意図であ り

,や

は り, Pと

Qは

仮定条件 を表わす接続表現で関連づけ られ得 る

,

とある。(6)において,「残 リー分 になる」が

P,接

続表現 は「 と」であ り,「残 り60秒以内に一手 を指す」がQとい うことになる。 しか し

,こ

こで もやは り

Pを

仮定条件 とみなす ことには疑間がある。(7)が示 す ように

, Pは

前 文の「将棋の対局 には一手 に二

,三

時間 も費やす こともあれば

,時

間を使 い きって一分将模 に追 い込 まれることもある」 という

,将

棋 に関 しての既定の知識・情報 を指 し

,そ

れをもとに推論 さ れる

Qは

「残 リー分 になると

,残

り60秒以内に一手 を指す」である。

(7) P[将

棋 の対局 には一手 に二

,三

時間 も費やす こともあれば

,時

間 を使 い きって一分 将棋 に追い込 まれることもある

]→

Q[残

リー分 になると

,残

り60秒以内に一手 を指 す

]わ

けだ。 この ように

,将

棋 とはどうい うものであるかを述べ

,そ

の既定の条件 をもとに残 り60秒では一手 を指 さなければならない ことになるのだ

,

とい う帰結 に至 るのである。つ ま り,「(わずかな時間 で

)一

手 を指す」 とい うことが

,実

は,「追い込 まれることもある」 とい うこ とか ら導 かれ る具 体的な帰結内容である。

2.2

補足的な説明 劉 (1996)によれば,「理由についての補足 的な説明」の用法では「わけだ」 は 「か らだ」 に 言い替 えることがで き

,(Q→

Pわ

けだ

)と

い う構図を示す。質問に対する理 由 と して答 える場 合 には「わけだ」 は使 えない。 さて,「か らだ」 との構文的違いを説明するため に挙 げ られ てい る次の市川 (1997)の例文 を見 られたい。

(8) a。

先生 に叱 られたのは

,宿

題 をしなかったか らだ。 結 果 理 由

+「

か らだ」

b.宿

題 をしなかったか ら

,先

生 に叱 られたわけだ。 理 由 結果十「わけだ」 つまり

,(8b)の

「わけだ」は結果を表わ し

,理

由を表わす(8a)の「か らだ」 とは正反対 の働 き をしていることが分かる。そ して

,こ

の「わけだ」は結果を表わす部分に後接 しているので

,理

由について補足的に説明するという「わけだ」があるとすれば正反対の働 きをすることになる。 だから,「からだ」に置 き換えられるのだろうか。次例を見 られたい。

(9)

「すみません。遅刻 しました。」

a,「

また寝坊 したからですね。」

b.「

また寝坊 したわけですね。」 このように

,遅

刻 したという発言に対する返答 として(9a)も (9b)も可能であるために,「わけだ」 が「からだ」 と同じように

,理

由をも (補足的に

)説

明すると考えられるようだ。そうであれは 結果・帰結 を表わす基本的な用法 とは正反対の使い方になる。 そこで

,本

稿では,「わけだ」 と「か らだ」について新 たな視点か ら分析 し,(9a―

b)の

論理 の構図をそれぞれ次のように捉える。

(10) a.遅

刻 した → また寝坊 した (からだ) 結果

b.遅

刻 した 根拠 理由 → また寝坊 した (わけだ) 帰結

と 」

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第49巻 第

2号

(1998) つ ま り,「か らだ」 を使 う(10a)では,「か ら」 に前接する部分が先行す る節 の述べ る出来事 が生 じた理由を表わ しているのに対 して,「わけだ」 を使 う(10b)では,「わけ」の前接部分 が

,先

行 す る節 に述べ られた命題 を根拠 として導 き得 られた判断の内容 を表わ してお り

,根

拠 (理由

)と

帰結 (結果

)の

順序が「か らだ」 と「わけだ」 とでは逆である。 このことは(8)と一見似 ている。 ところが

,興

味深い ことに,(10b)を (8b)と同様 に表わせば(11)のようにな り

,根

拠 (理由

)を

表わす命題「遅刻 した」 と帰結 (結果

)を

表わす命題「また寝坊 した」 の叙述 の順序 が

,(10b)

と(11)とでは逆 になることが分かる。

(11)

また寝坊 したか ら

,遅

刻 したわけだ。 理由

結果十「わけだ」 (10b)の帰結部分 は

,(8b)が

示す ような

,理

由があって生 じた結果 としての出来事 その もの を 叙述す るものではな く

,そ

の ように捉 えた とい う話者の判断の内容である。話者の判断の内容 と い うのは

,出

来事その ものの描写 とは根本的に異 な りあ くまで判断 された ものである

,

とい う点 で区別で きる。そ こで

,理

由 と根拠

,お

よび

,結

果 と帰結の言葉の使 い分 けについて

,本

稿では, 出来事 の発生 について言及す る場合「理由」 と「結果」 を使 い

,そ

うした出来事 を捉 える話者の 判断のあ り方の上では「根拠」 と「帰結」 を使 うもの とする。 「理 由」 と似 た実質名詞である「わけ(訳)」 を使 った場合の論理構造 をみてみ よう。

(12)

遅刻 した → それは

,ま

た寝坊 した と言 える訳である 根拠

帰結 寺村 (1984)では,「両者の似ている点 は

,ワ

ケに先行する節が

,何

事かか らの帰結 を表 わ して いるとい う点であろう」 と述べ られているが

,こ

れ をより具体的に示せ ば

,ム

ー ドを表わす「わ けだ」 を使 った(10b)と実質名詞の「訳」 を使 つた(12)における (根拠→帰結

)と

い う順 序が同 じである

,

とい うことであろう。(12)においては,「∼ と言える」 とい う

,そ

の前接部分 が話者 の判断であることを示す表現が含 まれてお り

,こ

の ように「∼ と言 える訳 だ」全体 をひ とつの助 動詞 として表わす場合 に

,(9b)の

ようなムー ドの「わけだ」が使 われる。 では,「と言 える」 とい う形式 を欠 く(13)のような場合 は どうか。

(13)

また寝坊 した → それが

,遅

刻 した訳 だ 理由

結果 話者の判断ではな く

,単

に結果 としての出来事 を表わす部分が「わけ (訳)」 に前接 す る場合 に は,「訳」 は(12)よ りも「理由」 とい う実質名詞 に近づ く。 ところが,「遅刻 した」 と「 また寝坊 した」 とい う叙述の順序が(12)と (13)と では逆 に置 き換 わるにもかかわ らず

,依

,(理

由・根 拠→結果・帰結

)と

い う推論の過程 は同 じであることが分かる。つ ま り

,(10b)の

「わけだ」 に 前接する「 また寝坊 した」 とい う部分 を,(10a)や (13)と同 レベルで

,遅

刻 した理 由 と捉 えて, (10b)の「わけだ」が

,理

由を補足的に説明すると言 うのは適切 で はない。

(Q→ Pわ

けだ

)と

い う

,(P→

Qわ

けだ

)と

は正反対 の構 図をとる別の用法 とされた「わけだ」 も

,実

は, やは り 一貫 して

(P→

Qわ

けだ

)と

い う基本的な構 図を持 っている。つ ま り

,ム

ー ドの「わけだ」 と実 質名詞の「訳」十「だ」のいずれの場合 において も,「わけだ」 に前接す るのは

,

あ くまで

,理

由ではな く結果・帰結 を表わす節 なのである。 なお ここで「わけ」 に関 してガノ変換⑪の可否 を指摘 してお きたい。

(14) a.彼

/の

辞めたわけを聞かせて ください。

b.そ

れが

,彼

/の

辞めたわけだ。

(6)

谷守正寛:ムー ドの「わけだ」再考 C。 それで

,彼

/*の

辞めたわけだ。 (14a)の「わけ」 は実質名詞であ り

,修

飾節 中の主格の格助詞ガはノに変 えられ る

,つ

ま り

,

ガ ノ可変であるが

,こ

れは(14b)において も同 じである。 しか し,(14c)のムー ドを表わす「わけだ」 の場合 はガノ不可変 になることが分かる。 この ことか らも,(14c)の「わけ」 が もはや実 質名詞 ではな くな り,「わけだ」全体で助動詞化 しているといえる。 次 に

,劉

(1996)のい う「意味 。内容の補足的説明」 を見 る。例文 を引用す る。

(15)

ルーブル紙幣は

,今

や紙婿寸前 の状況 にな りつつあるとささやかれてい る。(中略) この ことが ソビエ トをして「世界 は古い東西の対立関係 を乗 り越 え

,真

の相互依存時 代 を迎 えている。ペ レス トロイカを成功 させ るためにも

,ソ

ビエ トは世界女↓話を望む。 訳方 にとって望 ま しい貿易

,経

済関係 を取 り結 んで行かな くてはいけない」 といわ し めている。 これまでの東西冷戦対立図式 とは

,180度

転換 した姿勢 になってい るわけ だ。 この「わけだ」 は「今述べ られた話の意味・内容 を簡潔明瞭な形で言い替 えた り

,自

分の理解 を 確認 した りする表現 として機能す るもの」 と説明されている。 しか し「これまでの東西冷戦対立 図式 とは

,180度

転換 した姿勢 になっている」 とい う命題 は

,単

に簡潔 な言い替 えで はな く, や は り判断の前提 となる先行文の内容

Pに

基づいて

,話

者の知識 などに基づいて話者 な りに分析・ 推論 した帰結

Qで

ある

,

と捉 える方が適当であろう。「東西冷戦対立図式 と180度転換 した」 とい う分析 は

,常

識的であって も一応話者な りの解釈である。つ ま り

,こ

こでの言い替えというのは, 帰結の一種である。た とえば,

(16)

自然数は正の整数である。つま り,1,2,3,… .は自然数 なわけだ。

(17)

人間は必ず死ぬ。あなたは人間だ。つ ま り

,あ

なた も死ぬわけだ。 とい う文 において,「わけだ」 に前接す る命題「1,2,3,_.は 自然数(な)」 や「あなたも死ぬ」は, 「 自然数は正の整数である」や「人間は必ず死 ぬ」 とい う前提 となる命題 に既 に含 まれ る情報 を 帰結 として抽出 した ものだが

,言

い替 えの一種 とも言 えよう。内容が当然の事 なので導 き出され た と看過 されないのであろうが

,言

い替 えや確認 とい うだけの説明では,(15)― (17)の「わけ だ」 がいずれ も省略で きるために

,な

ぜそこに「わけだ」 を使 うのかについての説明が十分ではなく, た とえば日本語学習者 にとつては,「わけだ」 ならではの用法 として捉 えに くいにちがいない。 さらに

,次

例 を見 られたい。

(18)

試写会の案内状 には「企業戦士 は

PKO(国

連平和維持活動

)も

越 えて行 く」とある。 自衛隊を派遣す るか しないか大 もめだったが

,企

業戦士 たちは とっ くにどんな危険な 国にも出向いている, とい うわけだ。(朝日新聞 1993年 3月11日) 試写会の案内状の内容

Pか

ら導かれる

Qの

内容 は

,た

しかに言い答 えに近いが,「 とい う」 とい う形式 を伴 ってお り「 と言 える」 を伴 った(12)と似 ている。(18)の「わけだ」 にも「 といえる」 を代 わ りに前置 させ ることがで き

,さ

らに「 といえるわけだ」 は「 とい うことになる」 と類義で あることか らそれに前接す る部分が帰結であることが分かる。(15)において も

,(12)の

ような推 論過程 と同様 に

,帰

結 を導 く「 といえる」や「 とい う」 とい う形式 も伴 い得 る以上

,単

に言い替 えとして区別するよりは

,軽

い帰結 を表わす とい うぐらいの説明が適当である。すなわち

,依

然 そこ1こ 1ま (根拠→帰結

)と

い う構図が存在 している。 なお

,接

続表現 についてだが

,次

の文 を見 られたい。

(19) 1は

自然数だが

, 0や

-1や

1.5は違 う。つ ま り

,正

の整数 な らば

,そ

れ は 自然数 な

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

2号

(1998) わけだ。

(20)

人間は必ず死ぬ。つ ま り

,彼

も人間ならば

,い

つか死ぬわけだ。 ここで も

Qは Pを

ある意味で言い替 えた ともとれるが

,や

は り

,上

と同様 に推論の帰結 である。 そ して

,接

続表現の形式 は

,条

件 を表 わす「ば」 と言い替 えに使 う「つ ま り」が共起で きるので, 各用法が「一定の接続表現 と呼応 し

,一

定の形式で統一 されている (劉 (1996))」 とい うには無 理がある。た とえば

,先

の例文(2)に「つ ま り」 を挿入 して も次の ように不 自然 で はない。 同時 に

,こ

のことは

,2.1で

述べ たように「つ ま り」の先行文が

Pで

あることをも合意する。

(21)

なに しろコレラの潜伏期 間は短いのである。つま り

,そ

の二人がいつ

,

どこで羊かん を食べ るか分か らないが

,今

日中だ とすれば

,明

日か明後 日までには

,コ

レラ特有の 下痢が始 まるわけだ。 軽い意味での言い替 えとい う「わけだ」の機能は

,依

,根

拠か らの当然の帰結 を表 わす とい う基本的な用法 に他 ならない。

2.3

既知情報の再提示 次 に

,や

は り劉 (1996)で説明 されている「既知情報の再提示」 とい う用法 について見 る。 こ れは

(Q…

Qわ

けだ

)と

い う構図 をとる。少 し長いので引用文の一部 を抜粋す る。

(22)

これで

,あ

の女 を知 っている人間は

,確

実 に二人はいるとわかった。一人は梶尾氏だ。 一人は山辺菊子夫人だ。(中略

)彼

女の正体 を知 っているものは

,少

な くとも二人 は いるわけだが

,こ

れは目下

,歯

が立ちそ うにない。 説明 によれば,「二人いる」 とい う情報が一度述べ られた後再度繰 り返 されてい る

,

とい うこ と で,「既知情報の再提示」 とい う機能 を有 している

,

となるのだが

,こ

の ような用法 は取 り立 て て挙 げるような ものだ とは思われない。 これで

,あ

の女 を知 っている人間は

,確

実 に二人はいるとわか った。

(=わ

けだ) 彼女の正体 を知 つているものは

,少

な くとも二人はいるわけだ (23)が示す ように

,文

頭の「 これで」の存在 はそれに先行す る推論の根拠 となる命題

Pが

あるこ とを示 してお り

,そ

れに基づいて「あの女 を知 っている人間は

,確

実 に二人はいる」 とい う判断 が導かれたことが窺 える。それが「 とわかつた」 とい う形式 によつて表現 されているのだが

,こ

れは「 といえる」あるいは「(とい う

)わ

けだ」で も代替で きる。 したがって

,す

で に ここで根 棚か ら帰結 した判断が述べ られてお り

,後

の帰結 に後接す る「 わけだ」 は

,帰

結の繰 り返 しに使 われているが

,そ

れは先行す る

Pか

らの帰結であることに変わ りはない。 帰結ではな く既知の情報の再提示が「わけだ」の独立 した用法であるかの ように述べ るのは適 当ではな く

,(23)の

「 とわかった」 と同様 にここで も

, Pか

ら推論 された帰結 を表わす という基 本的な機能 を担 っている。既知情報 は,「わけだ」 に限 らず

,た

とえば,「のだ」 などの他 の諸形 式で も

,単

に繰 り返 し述べ るために使 えるので

,上

の ような使 い方 を取 り立てて「わけだ」の用 法の一つ として区別することには説得性がない。

2.4

常識・顕在の事実の提示 これについて

,劉

(1996)では

,呼

応す る文や段落が先行せず,「ご存知の よ うに」 とい つた 表現者の態度 を示す

,

とある。一方

,寺

村 (1984)では

,Pに

あたる文が

Qの

前後 に見 えず

,Q

とい うことを

,あ

る確かな証拠があっての立言 なのだ とい うことを言外 に言お うとする場合 に使 う

,

と説明 されている ものである。 また,『日本語教育事典』(1982)のい う「既定の事実 となっ (23)[コ

(

(8)

可 谷守正寛:ムー ドの「わけだ」再考 ている事柄 を再確認するような含みをこめて用いる」 ものであろう。 これについて も劉(1996)か らの例文 を引用す る。

(24)

「メー ドとい うのは

,食

堂の係 りですか

,そ

れ とも客室の係で しょうか

?

実は

,本

人は食堂 よ り客室のほうを希望すると思い ますが」 「それは面接の後で決定するわけですが

,そ

ういう希望で したら

,な

るべ くそのよう に計 らいます」 説明では

,表

現者の主観によつて

,あ

るコ ト

Qを

特に説明する必要のない事柄だと判断 した場合 に

,そ

れを「

Qわ

けだ」の形で提示する

,

とある。 しか しここで も

,本

稿のいう

,推

論の帰結を 表わす という基本的機能が確認できる。(24)において「それは面接の後で決定する」 という命題 が常識だと決めつけることはできず

,い

ずれの係 りかを分けてから面接 を行 うことも有 り得るし, 両方の係 りを随時かけ持ちさせるような採用であったかもしれない し

,採

用決定後 に祈 りを見は からって決めるのかも知れず

,い

くつかの選択肢が考えられる。 したがって

,そ

れが導かれたで あろう根拠 Pと して何 もないとは思われない。

Pに

あたる文が

Qの

前後 に見 えな くとも

,寺

村 (1984)に も,「聞き手に身近な事実」や「ある確かな証拠」から導かれる

,

という点では共通 し ている

,

と指摘 されているように

,こ

れまでの「わけだ」 と共通点は有 り得る。

(25) P[「

…食堂の係 りですか

,そ

れとも客室の係で しょうか?」 と相手が尋 ねたこと

=

答える必要がある

]→

Q[「

それは面接の後で決定する」 と述べる

]わ

けだ。

Pに

おいて

,相

手が食堂の係 りか客室の係 りかを尋ねたことによって

,い

ずれの係 りかを発話時 点で明らかにできない場合に

,上

述のようない くつかの選択肢の中から「 どのように決定 される のかを相手に明らかにする必要がある」 というふうに変換された命題が,「わけだ」 を使 う話者 の心中に生 じる。それから推論 される帰結が「面接の後で決定すると述べることになる」 という ことである。つまり,常識的という側面 も加えて言えば,次 のような話者のムー ドを表わしている。

(26)

そのようなことは言 うまでもあ りません力

S,敢

えて申し上げるならば

,つ

まり

,そ

れ は面接の後で決定する

,

ということになるわけですが・・・。 このように,「つまり」や「とい(言)う」や「 ことになる」 という形式 と共起で きることが こう 述べることになるのだと話者が帰結 していることを合意 している。 何か応える必要があると解釈 したことから推論 される帰結が

,特

別な内容でなければ

,そ

れに 答えるという行為 自体 になる場合 もある。「わけだ」に前節する部分は

,先

行する質問の内容 自 体に答えたものではない。これは

,先

に見た「 といえるわけだ」 という意味の延長上にあ り必要 に応 じて説明を与えるという行為の結果が帰結なのである。つまり

,私

はここに「∼と申し上げ るわけですが・・・」 というようにあなたが質問したから私はこう答えていますよ, というムー ドを 表わしている。先行する

Pを

持たずに唐突に常識 を提示 しているわけではない。ここでの「わけ だ」は「 ということになるわけだ」 と同じ意味を有 し帰結 していることに変わ りはな く

,そ

の 「 ということになる」の部分が省略された形 とも言える。 もう一例

,F日

本語教育事典』 (1982)か ら引用する。

(27)

君たちだつて

,い

ずれは年をとるわけだから

,年

寄 りは大事にするべ きだよ。 これは,「年寄 りは大事 にするべ きだ」 ということに説得性 をもたせる必要が生 じた情況が根拠 Pと なって,「君たちだって

,い

ずれは年をとる」 と述べるに至ったのだ

,

とい う

Qを

帰結 とし て提示 している。「いずれは年 をとる」 という命題 自体の内容を推論 し帰結 したのではない。 こ れもやは り「 といえるわけだ」などに置 き換えられる。

(9)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

2号

(1998)

(28)

君たちだって

,い

ずれは年をとるといえるわけだから

,年

寄 りは大事にするべ きだよ。 もうひとつ類似の用法 として

,劉

(1996)で ,「表現者 とその相手の目の前 に顕在する物事の提 示に使われる」用法 として次例が挙げられている。

(29)

,こ

れは

,ま

,た

いへん有名な作品ですが

,(中

)え

,下

のほうに

,そ

の弟子, 使徒たちがいるわけですね。で

,あ

,聖

母マ リアがお墓に埋葬 されて…。 この場合「下のほうに

,そ

の弟子

,使

徒たちがいる」 という作品についての説明

Qは

,た

しかに 十分に作品を観た後では分かることかもしれないが

,作

品を紹介 し解説を加えている段階では常 識ではない。先行する言語化 された文や段落ではな く

,眼

前の視覚的な作品自体がPと なり

,そ

こから観察を通 して推論 (分析

)し

た結果得 られた帰結 Qと しての情報が

,作

品に文↓する説明と なって現われている。また

,こ

れは眼前の事物に相手を注 目させる必要が生 じたからある程度分 か りきったことで も述べる

,

という上述の用法 ともある程度はオーバーラップする。 つまり

,2.2で

みた「今述べ られた話の意味 。内容を簡潔明瞭な形で言い替 える表現 として機 能するもの」 と同 じく,「今眼前 にある事物の中味・内容 を簡潔明瞭な形で言い替 える表現 とし て機能するもの」 と説明できる。結局

,こ

のような言い替えは

,上

述のように帰結の一種であっ たので

,基

本的にはこれまでみてきたものと同じ機能である。 このようなことから

,上

のような目に見える事物などか らの視覚的情報の他 に

,言

葉ではない 音からの聴覚的情報

,接

触や振動などによる触覚的情報

,臭

いからの嗅覚的情報

,味

による味覚 的情報など

,感

覚器官の刺激から得 られる情報 を

,分

析・推論のための根拠 Pと して帰結 された 言語的情報 をQと して提示する場合にも

,同

じく「わけだ」が使われると予想できる。たとえは 視覚 と聴覚による情報

Pに

後続する次の文における「わけだ」は文法的である。

(30) (稲

光が光った後

,数

秒 たってから雷の音が聞こえた場面で) これはね

,音

が光 よりも遅れてここまで届いたわけだよ。

2.5

相手の内面を根拠にする「わけだ」文 先行文献 には見 られないであろう用法 として

,相

手の内面にある願望などを問接的に問うムー ドの「わけだ」 を見る。次例を見 られたい。

(31) (帰

ろうとしている相手に向かって)「もう帰るわけ?」 先行文献の説明に従えば

,(31)の

「わけだ」は

,2i4で

説明されたような

,顕

在 の事実の提示 を する用法

,ま

たは

,あ

る確かな証拠があつての立言なのだということを言外に言おうとする用法, あるいは

,既

定の事実 となっている事柄を再確認するような含みを込めて用いるものであろう。 本稿の考え方によれば

,こ

のような場合にも根拠 となる

Pが

基本的に存在 し

,Qは

それからの 帰結・結果でなければならない。(31)には

,相

手の帰ろうとする非言語的な情況はあるが先行す る文や段落が存在 しない。 しか し「 もう帰る」 という行為をとる結果に至る理由が有る。それは, 相手の気持の中に有る「帰 りたい」 という願望である。それを聞うているのが(31)だとすればよ り整合的に説明で きる。つまり

,次

の構図になる。

(32) P[帰

りたいから

,]→

Q[も う帰る

]わ

け? 理 由 結 果

Pに

当たる言語化 された文がな くても

,(理

由→結果

)と

いうごく基本的な用法 として「わけだ」 が使われているのが分かる。

Pに

当たるものは

,2.4で

見たような顕在物ではな く相手の内面 に ある目に見えない気持ちである。それを根拠

Pに

して

,予

め導いた帰結

Qを

確認のために問うて いるわけである。(32)では,「帰 りたい」 という相手の願望を問接的に尋ねることによつて

,結

L

(10)

谷守正寛:ムー ドの「わけだ」再考 果的に

,相

手に帰つて欲 しくないという話者のムー ドが現われることもある。 なお

,松

岡 (1987)で は

,次

の二文が全 く同 じことを表わすとしている。(例文は一部抜粋)

(33) (万

引 きした主婦に対 して

,ガ

ー ドマンが詰問 しながら) a。 「買えないわけ?」

b,「

お金ないか ら, とるわけ?」 説明によると,(33a)は「買えないか ら,とるわけ?」 の「 とる」の部分が省略されたもので(33b) と本質的な違いはな く,「わけ」が示 しているのは

,そ

れに先行する文が理由であるとか結果で あるとかではな く

,(買

えない

=お

金がない

)と

(盗る

)の

二つの関係のつなが りをそう理解 し てよいのかと相手に確認するということだと看過 している。 しかしここでも本稿の理論によれば, (33)はそれぞれ

,次

のような推論の構図になり統一的に説明できる。

(34) a,P[万

引 きした]という事実 (根拠

)か

ら推論すれば

,Q[あ

なたはお金 を出 して 買えない

=盗

った]と判断 してよいのか?

b.P[お

金がない]という理由から結果的に

,Q[盗

る]こ とになったのか? (33a)では

, Pは

言語化 されていないが

,2.4で

述べたように

,万

引 きしたという視覚的に観察さ れた事実をPと して推論 していると考えれば

,P→

Qと

いう構図が存在することに変わりはない。 ただ し

,(33a)で

,こ

こで もふれたように次のような相手の内面にある願望をPと 想定できる。 いずれにしても

P→

Qと いう構図に変わ りはない。

(35) P[お

金を出した くない]から

,Q[(お

金 を出 してちゃんと

)買

えない]わけ? 万引 きしたという事実 と「お金を出した くない」 という気持ちは表裏一体のものであって

, Pは

どちらともとれるが

,そ

れは2,4の場合 と異な り

,万

引 きという事実は非情 の事物ではな く人間 の有情の行為だという点によるのであろう。

3

ま と め 本稿は

,ム

ー ドの「わけだ」について

,細

分 し詳 しく分析 している劉(1996)や寺村(1984)の説明 を中心に再考 した。その際

,新

しい観点か ら「理由から生 じる結果や推論の根拠から導かれる帰結 を表わす」 という機能をその一貫 した基本的原理 として立て

,そ

れによって周辺的な用法も含めて, 統一的・普遍的に「わけだ」の説明を試みた。すなわち

,根

拠 (理由

)→

帰結 (結果

)と

いう推論 の過程が

,基

本的に「わけだ」文に含 まれるということである。その際

,根

拠 と理由

,帰

結 と結果 についても区別 した。そ して,「という」,「といえる」,「ということになる」などが 「わけだ」 に 前接 し得る場合 もあるが

,そ

れらが省略されている「わけだ」 もあることを見た。いずれにおいて も

,帰

結 (結果

)を

表わすことに相違ないことも分かった。また

,推

論の根拠 となるものには

,先

行 (または後続

)す

る言語的命題に限らず

,発

話の現場に存在する感覚的に捉えられる対象

,人

物 の心中にある願望などがあることも見た。 ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ コ

(11)

島取大学教育学部研究報告

人文・社会科学.第

49巻

2号

9981 誰 (1)「―ノダ」については,│三上(1餌.3)で,そ の「ク」が颯詞ならその修飾語中にある

=格

の格助詞「ガJを「ノ

Jに

変 えることができることが次のような例文で指摘されてい/o。 早,扁理 ガ/ノ 到着シアノフ知ッテ■ルカ 乙,扁理 ガ/キノ 妻↓着シタノデス

参考文献

市〕1保子 (1997)『日本翻 例文小辞典よ,凡入社 寺村秀夫 (1984)F日本語のシンタタスと意味 第■巻』

,(ろ

しお出版 松田 弘 (1987)「「のだ」の文・「わけだ」の文に関すると考察」F言語文イ題 踏号 三上 章 (1953)『現代語法序詢 , くるしお出版 (1つ72)(刃 江書院版の復刊) 劉 向東 (1996)「「わけだ」に関する‐考察」F日本語教育』88号,日 本語教育学会 『日本語教育事共』(198妙 日本語教育学会(編), 大修館書店

(12)

︲︱ コ

参照

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