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The Similarities and Differences between Three Daoist Manuals of Consecration Rites for Those Who Are Leaving Family and the Buddhist Counterpart Seen in Dao Xuan 道宣 (596-667)\u27s Sifen lu shanfan buque xingshi chao 四分律刪繁補闕行事鈔 (Notes on matters of behavi

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森 由利亜

道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀

道宣﹃四分律則繁補閥行事紗﹄との対比を通じて

一、はじめに 352  筆者は別稿で道教の比較的首尾の揃った出家伝戒儀礼を三種にわたって検討した。三種の文献は以下の通りで ある。   二︶梁武帝︵在位五〇二−五四九年︶末年頃・金明七真﹃三洞奉道科誠儀範﹄巻第五、度人儀品第八︵以      下﹁度人儀﹂と略称︶[大淵忍爾﹃敦煌道経・図録編﹄︵福武書店、一九七九年︶二三九頁、P二三三      七、五八四行−六四二行﹂   ︵二︶北宋末・買善翔︵一〇八六年頃︶﹃太上出家伝度儀﹄﹁SN一二三六﹂   ︵三︶明・周思得︵一三五九︱一四五一年︶﹃上清霊宝済度大成金書﹄[﹃蔵外道書﹄第ヱハ冊・第一七冊所      収﹂巻十九﹁披戴儀﹂ 別稿での比較検討の結果、これらが︵1︶世俗を辞去する儀礼︵2︶易服の儀礼︵3︶伝十戒の儀礼という三項   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀       五

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       六 の儀礼要素を備えている事実を確認した。さらに、﹁度人儀﹂と﹁太上出家伝度儀﹂では、ともに伝戒に際して ﹁三帰依﹂を行うことが記されており、本来は﹁三帰依﹂も重要な共通要素であったと考えられる。本稿では、 このような構成を有する出家伝戒儀が、仏教の出家儀礼すなわち沙弥授戒儀とどのような関連にあるかについて 気づく点を述べておきたい。  考察に先立って、インド仏教に直接由来する沙弥の出家作法について、平川彰氏による総括を参照しておく。   沙弥の出家作法は四分・十誦’五分・僧伽律等に具体的に示されている。それらは基本的には同じであり、   剃髪・染衣して、戒師の前にひざまずき、三帰依を唱えて出家の志を述べ、ついで沙弥の十戒を受けるとい   う順序になっている。 ここに言及された四大広律︵四分・十誦・五分・僧伽律︶の中国への伝訳情況︵書名・巻数・伝訳時期・場所︶ を平川彰氏および佐藤達玄氏によりながらまとめると、以下のようになる。   ︵︱︶﹃十誦律﹄六十一巻⋮⋮四〇四∼四〇九年・長む   ︵2︶﹃四分律﹄六十巻⋮⋮四一〇∼四二一年・長彩   ︵3︶﹃摩詞僧伽律﹄四十巻⋮⋮四一六∼四一八年・建康   ︵4︶﹃五分律﹄三十巻⋮⋮四一一一一∼四二三年・建胆 五世紀初期において、四大広律は全て漢訳が完成していたようである。﹁度人儀﹂とそれ以後の道教出家伝戒作 法に対して影響を及ぼすに足る早い時期に、これらの律が漢訳されていたことが確認できる。  内容面の検討を始めよう。仏教の沙弥授戒儀は道教の出家伝戒作法に影響を及ぼしていることが確認し得るで あろうか。上に引いた平川氏の見解では、四分・十誦・五分・僧伽律のいわゆる四大広律においては、﹁剃髪・ 351

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染衣︵着袈裟︶﹂﹁戒師の前に脆くこと﹂﹁三帰依﹂﹁受沙弥十戒﹂の四つの儀礼要素が共通して見られることが指 摘されている。これらの儀礼要素と、別論で抽出し上でも挙げた道教儀礼の儀礼要素、すなわち︵︱︶世俗を辞 去する儀礼、︵2︶易服の儀礼、︵3︶伝十戒の儀礼との呼応関係を推測すると、一見して、﹁剃髪・染衣﹂が易 服に、﹁受沙弥十戒﹂が伝十戒の儀礼に対応することが予想されるが、その一方で、四大広律には、世俗を辞去 する儀礼と対応する儀礼要素が欠けていることに気づかされる。  しかし、このことは中国仏教の律典において世俗を辞去する儀礼が欠けていることを意味するわけではない。 世俗を辞去する儀礼は、劉宋期に漢訳成って通行した四大広律所載の授沙弥十戒には見えないものの、二世紀ほ ど時代の下った唐の道官一︵五九六−六六七︶﹁四分律則繁補閥行事妙﹂︵以下﹃行事妙﹄と略称︶巻下四﹁沙弥別 行篇﹂第二十八︵大正四〇・一四八中−一五一下︶に見える剃髪儀式の中に、はじめてその内容が文字資料とし て登場するようである。﹃行事紗﹄の成立年代には諸説あるとされるが、大野法道氏によれば唐・武徳九年︵六 二六︶の初稿、貞観四年︵六三〇︶校定とされる。  この剃髪儀式について、土橋秀高氏はそれが﹁善見論や清浄士度人経によって道宣が編集した﹂﹁独自のもの である﹂ことを指摘している。後に見るとおり、ここで土橋氏が言及する﹁清浄士度人経﹂は、すでに散侠した 典籍であるが、﹃行事炒﹄に引用された内容によって見る限り、今問題としている世俗を辞去する儀礼を確認で きる最初の典籍のようであり、しかもそれはインド起源の経典ではなく、中国で成立した所謂中国撰述経典であ ることが知られる。どうやら、沙弥授戒法が中国に定着する過程の中で、出家に際して世俗社会との関係を謝絶 するための儀礼が慎重に付加され、発達したもののようである。  そうした点を考察することを目的として、以下、道教の出家戒の構成を、﹃行事紗﹄における沙弥授戒法と対   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀      七 350

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二、﹃行事紗﹄﹁沙弥別行篇﹂と道教出家伝戒儀の共通項

       八 比してみたい。なお、﹃行事鈴﹄と道教の出家生活に関する規定との間に共通の要素が共有されていることは、 つとに都築晶子氏が﹃行事紗﹄と﹃洞玄霊宝千真科﹄の関係を通じて考察されている宍、都築氏は道教の出家戒 34 9 との関係については未だ触れておられないようである。小論は、都築氏の指摘に若干の補足を提供するものとも なろう。 [A] ﹃ 行事紗 ﹄ 沙弥授戒儀の梗概  ﹃行事妙﹄の中には、インド伝来の伝統的な沙弥授戒法に基づく部分と、中国で独自に開発された部分がある ようであるから、その点を分別する上で次のような順序で記述を進めることとしたい。すなわち、[A]最初に ﹃行事紗﹄の沙弥授戒儀を記す部分の梗概を、段落に分けながら一覧する。[B]次に、平川氏の指摘に拠りなが ら、四大広律の基本構成が、﹃行事紗﹄沙弥授戒儀に反映されていることを確認する。[C]さらに、﹃行事炒﹄ 沙弥授戒儀における、四大広律には見えない部分のなかから、中国で独自に発展した儀礼要素について確認し。 [D]その上で、﹃行事紗﹄沙弥授戒儀全体の中から、道教の出家授戒儀との共通要素を取り出し改めて道教出家 授戒儀との対比を試みたい。なお、この考察は、道教儀礼との対比に資する最低限の範囲で進めざるを得ないこ とをお断りしておく。﹃行事紗﹄と四大広律の比較や、中国における沙弥授戒儀の発達それ自体については、新 たな見解を加えるものではない。

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 さて、﹃行事紗﹄﹁沙弥別行篇﹂第二十八のうち、﹁二作法不同﹂︵一五〇上段七行︶と﹁三受戒方式﹂︵一五〇 頁中段一五行︶の部分に載せられた、︵中国で独自に発達したといわれる剃髪儀式を含む︶沙弥授戒法の全体の 梗概を示すと、以下のごとくである。尚、段落番号と小題目は便宜のために筆者が補ったものである。   ︵︱︶剃髪儀式︵剃髪・辞親・易服︶   ︵I−︱︶﹁秉白告衆﹂    出家志願者は、僧伽藍に行き、見えはするが聞こえない程度に離れた場所で調査を受けた上、僧を集めて   単白︵白一。一回きりの発議︶を発し、︵自分の和尚となる︶某甲に従って剃髪することの聴許を求める。   ︵1−2︶﹁陳詞請師﹂︵和尚と阿闇黎への依頼︶    出家志願者をして、︵和尚となる某甲に対して︶自分の和尚となって剃髪出家の拠り所となってくれるよ   う依頼させる︵三請︶。阿闇黎にも、同形式で阿闇黎となるよう依頼する。   ︵︱−3︶﹁荘厳設座﹂︵結界して三座を定める︶    露地を香水ですすいで、七尺四方の地を囲ってその四角に旛を掛け、その中に一座を置いて出家者をすわ   らせ、さらに二座を置いて二師︵和尚と阿闇黎︶をすわらせる。   ︵︱−4︶﹁辞親易服﹂    出家志願者は、もとの俗服を着たまま父母たちを拝する。出家志願者は、﹁流転三界中・:﹂の偶を口に説   きながら、俗服を脱ぐ。  以上、︵1−3︶からこの箇所までは﹃出清信士度人経﹄︵﹃度人経﹄とも。後述︶に依るものとされる。なお 48 ﹃善見﹄︵すなわち﹃善見律毘婆娑﹄大正二四・七八八頁中段︶によると、このとき香湯で白衣︵俗服︶の気を除   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀       九

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      一〇 くとされる。  ここで出家志願者はヽ泥垣僧︵もすそ・内衣︶ヽ僧祗支^袈裟の下掛け︶を着る゜ただしヽこの時はまだ袈裟 34 は着けない。出家志願者、道場に入る︵上記﹃度人経﹄による︶。   ︵1−5︶﹁師為説法﹂    出家志願者は和尚の前で互脆し、和尚は弟子のために髪・毛・爪・歯・皮に関する説法をする︵﹁説五法﹂   1﹁善見毘婆娑﹂大正二四・七八八頁中段参照︶。   ︵︱−6︶﹁濯頂賛嘆﹂︵讃有り︶   ︵1−7︶﹁礼仏帰依﹂    礼十方仏︵掲有り︶。   ︵1−8︶﹁闇黎剃髪﹂    阿闇黎が出家志願者の為に剃髪する。傍人は出家の唄を誦える。﹁毀形守志節、割愛無所親。棄家弘聖道、   願度一切人﹂︵﹃度人経﹄に出づ︶。ただし、頭頂の周羅︵小結︶髪を残す。   ︵1−9︶﹁師除頂髪﹂    出家志願者は和尚の前に至り互脆し、和尚によって周羅を除かれる。   ︵︱−10︶﹁授衣披著﹂    和尚は出家志願者に袈裟を授与する。志願者は頂戴して受けてから和尚に還す。これを三回繰り返した   後、和尚は志願者のために袈裟を着せ、掲を説く。︵﹃善見論﹄に出る。︶   ︵I−H︶﹁施続自慶﹂

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 仏を拝して行逍すること三回。自慶の偶を説く。 ︵l 9︶﹁辞親受賀﹂  大衆及び二師を礼し、下に坐して六親の拝賀を受ける。﹃度人経﹄によれば、中前︵昼前︶に剃髪すべし という︵﹁剃髪時節﹂︶。 ︵2︶三帰 ︵2−︱︶﹁作白告衆﹂  衆僧に某甲に従って出家することを白によって告げ、聴許を求める。 ︵2−2︶三帰︵﹁戒体﹂︶  ﹁我某甲、蹄依佛、蹄依法、蹄依僧。我今隨佛出家。某甲為和尚、如来至真等正晃是我世尊﹂と三説して 後、﹁我某甲蹄依佛竟、帰依法竟、蹄依僧竟。我今隨佛出家已。某甲為和尚、如来至真等正晃是我世尊﹂と 三説する。 ︵3︶授沙弥十戒︵﹁戒相﹂︶  沙弥十戒が授与される。﹁﹁査形壽不殺生是沙彊戒、能持不﹂、答、﹁能﹂﹂という形式に沿って、以下、﹁不 楡盗、不淫、不妄語、不飲酒、不著華鬘好香塗身、不歌舞侶伎亦不往観聴、不得高廣大床上坐、不得非時 食、不得捉銭生像金銀賓物﹂について問答する。 [B]四大広律の基本構成が﹃行事紗﹄の中に反映されていることの確認  以上に示した所は、﹃行事紗﹄における巻下四﹁沙弥別行篇﹂第二十八のうち、﹁二作法不同﹂︵一五〇上段七   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀      一 一 346

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      T一 行︶と﹁三受戒方式﹂︵一五〇頁中段一五行︶の部分に見える沙弥授戒法の全体についてのまとめである。その 大綱をヽ四分゜十誦゜五分’僧伽律のいわゆる四大広律における沙弥授戒儀の構成と比べるとヽまずヽ平川氏が 34 指摘した四大広律での基本的構成要素である﹁剃髪・染衣︵着袈裟︶﹂、﹁戒師の前に脆くこと﹂、﹁三帰依﹂、﹁受 沙弥十戒﹂は、﹃行事妙﹄の側において全て順序通りに見られることが確認できる。すなわち、﹁剃髪﹂は、︵1 −1︶﹁秉白告衆﹂から︵I−9︶﹁師除頂髪﹂までがそれに相当する。﹁染衣﹂すなわち﹁着袈裟﹂は、︵︱− 10︶﹁授衣披著﹂に示される。﹁戒師の前に脆くこと﹂については、三帰戒を受けるに当たっての作法といえるの で、﹃行事紗﹄の側でこれに相当する箇所といえば、︵2−︱︶﹁作白告衆﹂の一部分で、弟子が﹁闇黎の所へ往 き、礼し已われば、互脆合掌﹂して三帰を受けるくだりがそれであろう。三帰依は、︵2−2︶﹁戒体﹂に見えて いる。﹁受沙弥十戒﹂は、︵3︶﹁戒相﹂に説かれるとおりである。なお、四大広律と﹃行事紗﹄における沙弥授 戒儀のおおまかな対照については、文末表2も参照されたい。 ︻C︼﹃行事紗﹄に見える中国で独自に発達したと考えられる儀礼要素と﹃清信士度人経﹄  以上のように、﹃行事秒﹄﹁沙弥別行篇﹂における沙弥授戒作法の基本要素は、平川氏が整理した四大広律の構 成を踏襲するものであることがわかる。しかし、土橋氏が指摘する通り、﹁沙弥別行篇﹂の一部、とりわけ剃髪 儀式に関する描写は、従来の四大広律を逸脱して新たに加えられた部分が目立つ。そのなかでも、筆者の検討課 題の中心である、道教の出家戒の諸要素の中で、四大広律には含まれていないにも拘わらず、﹃行事紗﹄で近似 するものがあるとすれば、﹁辞親﹂、すなわち親を辞去する礼に関する部分を挙げねばなるまい。  ﹃行事砂﹄では、﹁辞親﹂の儀式は袈裟を着る前の︵︱−4︶と、袈裟を着た後の︵1−12︶との二度にわたっ

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て行われる。その箇所を見てみよう。︵−14︶﹁辞親易服﹂の箇所は次の通りである。   欲出家者著本俗服、拝跡父母尊者詑、口説渇言、流韓三界中、恩愛不能脱。棄恩入無焉、億官報恩者。乃脱   俗服︿出﹃清信士度人経﹄﹀。善見云、以香湯洗浴除白衣気。掲著出家衣、正得著泥漑僧、僧祗支、未得著袈   裟、便入道場︿出﹃度人経﹄﹀。  もうひとつの箇所である︵1−12︶﹁辞親受賀﹂の一節は次の通り。   膿大尽及二師已、在下坐、受六親拝艶。出家離俗心懐遠大、父母等皆焉作纒、悦其道意。中前剃髪︿出﹃度   人経﹄﹀。 これら二箇所のうち、︵︱−4︶﹁辞親易服﹂では、三帰依に先立ち、俗服を脱ぐのに際して、父母を拝して辞去 することをいうものである。俗服を脱ぐと言っても、この段階では泥氾僧︵内衣︶と僧祇支︵袈裟の下掛け︶の み着けて、袈裟は着けておらず、剃髪も済んでいない。これから道場の結界に入って剃髪しようという段階にお いて、このような着衣に関わる過渡的形態が想定されている。そこに、最初の﹁辞親﹂を行うべきタイミングが 設定されているわけである。  もうひとつの﹁辞親﹂すなわち︵︱−12︶﹁辞親受賀﹂では、剃髪も終わり、袈裟も授けられた後、衆僧と二 師︵和尚と阿闇黎︶に礼して、︵1−3︶で結界した壇場を出たところで、六親の拝賀を受ける旨を言う。父母 兄弟等の親族が、出家の志を喜んで新出家者を拝礼するという。  このように、﹃行事妙﹄では、結界の中で剃髪して和尚より袈裟を着せられるという、外面的に出家の威儀を 整える状況を前後から挟み込んで、二度の﹁辞親﹂が行われる。四大広律には見ることのできない、家社会との  44 惜別に重点を置いた儀式がここに展開されているといえる。   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀      一三

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      一四  眼を引くのは、上記の引用において﹃清信士度人経﹄もしくは﹃度人経﹄と称される仏典が参照されている事 実であるI道教経典の﹃度人経﹄と区別するためにヽ今は﹃清信士度人経﹄の呼称を用いることにする・﹁清信 34 士度人経﹂については、曹凌氏がその著﹃中国仏教疑偽経綜録﹄︵上海古籍出版社、二〇一一年コー月︶の中で 疑経として著録し、解題を施している。それによると、該経は﹃清浄居士子度人経﹄、﹃清浄士経﹄、﹃清信士度人 経﹄、﹃度人経﹄等の異名で仏典中に引かれ、智昇﹁開元釈教録﹂︵七三〇︶では巻十八﹁僑妄乱侃録第七﹂に ﹁清浄居士子度人経一巻︿亦云清浄士経﹀﹂として、圓照﹃貞元新定釈教目録﹄︵八〇〇︶でも巻二十八﹁僑妄乱 薦録第七﹂で﹁清浄居士子度人経一巻﹂として偽経に著録される。曹氏によれば、﹁行事紗﹂とほぽ同時の法礪 ︵六二六︶﹃四分律疏﹄巻六も同経を引用し、その内容は﹃行事紗﹄に引く内容と重なる点がある。七世紀の前 半、四分律の解釈に用いられる傾向のある中国撰述経典とみられる。しかし、その成書年代に関しては、遅くと も七世紀のごく初期には流通していたことが知られるのみであり、いつの頃まで遡り得るかは現時点では不明と しか言いようがないようである。  ﹁清信士度人経﹂の出世年代についてはひとまず措くとして、中国仏教の出家儀礼である沙弥授戒儀に父母と 親族に対する辞去の儀礼が持ち込まれたのが、中国撰述仏典によるものであることは、中国撰述経典が仏教と中 国の伝統的な家社会との間を調節する役割を果たす事例として注目に値しよう。 [D]﹃行事紗﹄沙弥授戒儀と道教出家伝授儀との共通点  以上、﹃行事紗﹄における、四大広律には見えない部分のなかから、中国で独自に発展した儀礼要素である ﹁辞親﹂について確認した。そこで、以下では改めて﹃行事紗﹄の沙弥授戒儀全体の中にみえる、道教出家授戒

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儀との共通要素を指摘し、道教出家授戒儀との対比を試みよう。  ︵一︶﹁辞親﹂について  別稿で検討した道教の出家伝戒儀礼三種、すなわち金明七真﹃三洞奉道科誠儀範﹄﹁度人儀﹂、買善翔﹃太上出 家伝度儀﹄、周思得﹃上清霊宝済度大成金書﹄﹁披戴儀﹂には、いずれも父母・祖先・天子等を辞去する儀礼が あった。三帰依を欠く﹁披戴儀﹂を除き、﹁度人儀﹂も﹃太上出家伝度儀﹄も、三帰依の直前に、父母等を辞去 する礼がなされる。三種について、辞親のあらましを示しておこう。  ﹁度人儀﹂−三帰依に先立って父母・祖先・天子を辞去する。今後は父母国君を再び拝さないことがいわれる。  ﹃太上出家伝度儀JI三帰依に先立って、帝王、先祖、父母、親知朋友に対してその恩を謝して辞去する。  ﹁披戴儀﹂−君主、祖先、父母、親朋との俗縁を絶つに当たり謝恩する。 これらを﹃行事紗﹄における父母親族の辞去に関する記述と対比すると、そこに文字のレベルにおけるような厳 密な一致が見られるわけではなく、また、道教の出家伝戒儀では父母のほかに祖先と天子への礼があるのに対し て﹃行事紗﹄では父母親族に限定するという大きな違いもある。それでもなお、出家儀礼に父母への辞去を儀礼 要素として入れているということ、また、それが﹁度人儀﹂と﹃太上出家伝度儀﹄ではいずれも行事紗と同じく 三帰依の前に行われており、三帰依との関係でその位置関係が決まっていることが推測される。  なお、明代の﹁披戴儀﹂では三帰依が明確に説かれないが、これに先立つ二種の道教授戒儀礼において重要な 位置づけにあったと考えられる三帰依が何故﹁披戴儀﹂において欠けているのかについては、説明を与えるのが 42 難しい。しかし、﹁度人儀﹂と﹃太上出家伝度儀﹄の二種に見える共通の特徴は、六朝末から南宋期にかけて流   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀      一五

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      ヱハ 通した形式を示すものと見ることができ、それらに﹃行事紗﹄とのゆるやかな類似が見られるという点を今は重 く見たい。 341  ︵二︶﹁三帰依﹂について  上に述べたとおり、明代の﹁披戴儀﹂には三帰依が見えないが、他の﹃科誠儀範﹄﹁度人儀﹂と﹃太上出家伝 度儀﹄には三帰依がある。明の﹁披戴儀﹂がこれを省略した理由は明らかではないが、以下の二つの理由から、 やはり三帰依も道教の出家儀の基本要素として位置づけておくのが妥当ではないかと思われる。すなわち第一 に、歴史的に先行する二種の出家伝戒儀︵﹁度人儀﹂と﹃太上出家伝度儀﹄︶に三帰依が存在する。第二に、論点 先取り的な論法ではあるが、本稿の考察結果には、﹁辞親﹂﹁易服﹂﹁伝十戒﹂という道教出家伝戒儀の共通要素 を含む儀礼枠組みが沙弥授戒儀からもたらされたものであるという指摘が内包されることを考慮すると、沙弥授 戒儀における不可欠の要素である﹁三帰依﹂が、ほかの要素とともに道教伝戒儀に導入されたと考えることは充 分自然であろうと判断できるかに思われる。  まず、﹁度人儀﹂と﹃太上出家伝度儀﹄における三帰依への言及を確認しておこう。﹁度人儀﹂には次のように 記されている。   合掌端身、北向三蹄三賓三膿。至心蹄身太上元極大道。至心蹄神三十六部尊経。至心跡命玄中大法師。 要するに、道教の三宝である太上無極大道・三十六部尊経・玄中大法師に対して、自己の身・神・命を帰すると する。すなわち、三宝への帰依が明確に表されている。  次に、﹃太上出家伝度儀﹄である。伝度儀では、儀礼次第の中で﹁次三帰依﹂︵六a︶として﹁三帰依﹂に触れ

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衆真散花、諸天斉到、命諸男女、伏受三跡依戒。 第一戒者、蹄身太上無極大道。 道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 る箇所があるが、そこでは三帰依の内容には言及しない。しかし、終わり近くに、﹁汝既圓道相、初人法門、自 今已後、語獣動静、常須念道、念経、念師、名曰三賓、作汝販依處所﹂︵一〇a︶と述べて、道・経・師の三宝 こそ﹁帰依﹂の対象であることを述べている。この箇所と併せて見れば、﹃太上出家伝度儀﹄にいう﹁三帰依﹂ も、﹁度人儀﹂と同様の内容をもっものであることが了解される。  ところで、道教における三宝礼拝の儀としては、三一帰依﹂のほかに﹁礼三宝﹂と称される例がある。例えば、 五世紀陸修静の手に成るとされる﹃太上洞玄霊宝授度儀﹄[SN五二八]には、﹁三礼﹂として﹁至心稽首疆太上 無極大道、至心稽首級三十六部尊経、至心稽首級玄中大法師﹂と唱えて三宝を礼拝する例が既に見えている。後 世の文献にも、﹁礼三宝﹂の様式は持続的に現れ誕。もちろん、仏典においても﹁礼三宝﹂の表現は数多く見ら れ、道教典籍に見られる﹁礼三宝﹂も、仏典の影響を免れているとは考え難い。但し、仏典での受戒時における 三宝への帰依は、やはりコニ帰︵依︶﹂として表現されるのが標準的のようであり、その場合、三一帰﹂はまた ﹁三帰戒﹂という、信徒の受けるべき戒として表現されることが一般的であるかに思われる。そうであるとすれ ば、道教において、伝戒儀を意識的に探求する時期になって、﹁三帰依﹂を信徒の受けるべき戒として認識する ようになることは、充分あり得るように思われるのである。  道教において、﹁三帰依﹂を﹁三帰︵依︶戒﹂という﹁戒﹂として明確に位置づけた者として誰もが想起する のは、張万福であろう。張万福は、例えばその﹃三洞衆戒文﹄[SN一七八]の中で﹁三帰依﹂を、﹁三帰戒﹂も しくは﹁三蹄依戒﹂と称し、三宝への帰依を戒の形で表している。すなわち、 一七 340

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      一八   第二戒者、蹄神三十六部尊経。   第三戒者、蹄命玄中大法師。   天尊日、三蹄戒者、天地之枢紐、神仙之根祗、発行之初門、建心之元兆、云々 とするのがそれである。ただ、張万福ほど明確ではないにせよ、金明七真﹃科誠儀範﹄にも﹁三帰依﹂を戒とし て意識した痕跡が見えていることは注目すべきである。確かに、﹃科誠儀範﹄の﹁度人儀﹂や﹁講経儀﹂に見える 三一帰﹂の周辺には、それが戒として理解されていることを直接示すような証拠は見えない。しかし、﹁法次儀﹂ の﹁録生﹂の項を見ると、﹁十歳巳上、受三将軍十将軍符糠、三蹄五戒、得加此彼﹂として、﹁録生﹂の条件の中 に﹁三蹄五戒﹂の受領を数えていることが見出される。この場合の﹁三帰﹂は、その下の﹁五戒﹂とともに﹁受 ける﹂ものとされており、﹁三帰︵依︶戒﹂として想定されているものと考えられる。つまり、﹃科誠儀範﹄にお いても﹁三帰依﹂が戒としても想定されている痕が見出されるのである。そうであるとすると、﹁度人儀﹂に見 える﹁三帰依﹂も、﹁三帰︵依︶戒﹂として想定されていると見てよいのではあるまいか。尚、小林正美氏によ り梁代の成書と見なされる﹁正一威儀経﹂にも、﹁三跡五戒﹂という言い方が見え、﹁三帰﹂が戒として認識され ている例を確認できる。張万福は、このような先行文献に見られる想定を、更に明確かつ意識的に継承した上 で、﹁三帰依﹂を﹁三帰︵依︶戒﹂として位置づけているように思われる。﹁三帰依﹂を﹁三帰︵依︶戒﹂として 伝戒の一段階に位置づけようとする、金明七真から張万福に至る流れは、六朝末期から唐初の頃の道教が、仏教 の伝戒制度を積極的に道教に摂取しようとした試みの表れと言えよう。  そのような、仏教の﹁三帰戒﹂を模倣する張万福の立場は、その後の道教の中でどれほど継承されたのであろ うか。いま﹃道蔵﹄を見ると﹁三帰依﹂に言及する事例は少なからずある。また、その中には、﹁三帰戒﹂が意 339

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識されていたと見られる事例もある。例えば、南宋蒋叔輿﹃無上黄籐大斎立成儀﹄[SN五〇八]巻十三には、 死者に対して﹁三帰依﹂を行わせる表現が含まれているが、その際、﹁傅授三蹄九戒﹂という表現が用いられて おり、﹁三帰依﹂が伝授されるもの、つまり﹁三帰︵依︶戒﹂として想定されていることが知られる。死者に与 えられるものではあるが、陽間の信徒や道士たちの間でも﹁三帰︵依︶戒﹂は行われていたのであろう。  また、元朝期の作とされる﹃歴世真仙体道通鑑﹄[SN二九八]巻四十二所収の程太虚伝では、程が南眠山で 絶粒坐忘していた際に、彼の左右に侍した二頭の虎善言・善行について﹁乃撫皆授以三蹄之戒﹂として、両虎に ﹁三蹄の戒﹂を授けたことを述べている。同伝によると、程太虚は憲宗元和四年︵八〇九︶に解化したとされて おり、後日談として大中十年︵八五六︶の事にも触れているから、それが早くとも唐末以前には遡れない説話で あることが知られる。この説話では、﹁三帰戒﹂は虎に対して授けたことになっているが、これはこの説話が流 布する宋元期において、回一帰戒﹂がごく初歩的な戒として現実に授けられていた事に拠っているものと思われ る。以上のような例から推すと、唐代以降、宋から元朝にかけて、三一帰︵依︶戒﹂が行われていたことが推し 量れよう。  時代ははるかに下るが、清初の王常月による﹃初真戒律﹄の中では、張万福の﹃三洞衆戒文﹄に基づいて﹁三 帰依戒﹂授戒の儀を説いており、そこで﹁三帰依﹂は明確に戒として授与される。果たして、いつの時代にも張 万福が描いたような整然とした戒律の体系が維持されていたとは考えにくいが、しかし、唐から清に至るまで ﹁三帰︵依︶戒﹂は初歩的な戒として辛うじて行われ、清初において王常月の体系的伝戒法の一部として本格的 な復興を遂げたものと考えられる。  ところで、﹃道蔵﹄でしばしば﹁五戒﹂や﹁八戒﹂の前提として、﹁三戒﹂が言及されることがある。しかし。   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀      一九 338

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       二〇 張万福﹃三洞衆戒文﹄巻下には﹁三戒文﹂が載せてあり、それによると、﹁第一戒者、諦識因縁勿忘本逐末。第 二戒者、諦守少私勿利我損物。第三戒者、諦習勤行勿混俗失真﹂︵二b︶とあり、張万福自身が挙げている﹁三 帰依戒﹂とは全く異なるものであることがわかる。さらに、その後には﹁五戒文﹂﹁八戒文﹂が続いている。こ れら三戒文、五戒文、八戒文は、﹃無上秘要﹄[SN一言一八一ではそれぞれ﹁洞神三界戒﹂﹁洞神五戒﹂﹁洞神八 戒﹂として言及されていることが確認できる。このことは、道教文献の中で三戒・五戒・八戒と続けて述べられ る時には、﹁三戒﹂とは、必ずしも﹁三帰依戒﹂のこととは限らず、﹃無上秘要﹄に所謂洞神の三戒を指している 可能性も考慮しなくてはならない。  以上、長々と道教における﹁三帰︵依︶戒﹂そのものの由来について見てきたが、ここでようやく本論に立ち 戻ることができる。そもそも問われていたのは、道教の出家伝戒儀礼の中の﹁三帰依﹂が、仏教の沙弥授戒儀に おける﹁三帰依﹂と無関係であり得るか、という問題であった。﹃科誠儀範﹄﹁度人儀﹂の﹁三帰依﹂それ自体 は、張万福のように明確には﹁三帰︵依︶戒﹂の形をとっていないが、以上の考察からは既に﹃科誠儀範﹄にお いて辛うじて﹁三帰依﹂を﹁戒﹂として想定する思考が胚胎されていたことが結論され、それはすなわち、﹁度 人儀﹂の伝戒儀が、三帰依の導入という点でも、仏教の伝戒儀の視点を採用していたことを示唆することになろ 33Z  ︵三︶﹁易服﹂について  ここでは、出家志願者が俗服を脱いで法衣を身に着けることを﹁易服﹂と称しておく。仏教の場合、それは脱 俗服と着袈裟に相当する。また、仏教儀礼ではそれは剃髪とも切り離すことができない。要するに外形的な威儀

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336 を整える儀を総括して、本稿では﹁易服﹂の表現を用いたい。  上で見てきたところによれば、道教の出家伝戒儀における﹁辞親﹂や﹁三帰依﹂は、仏教における対応物と内 容的には必ずしも完全に一致を見るものではないが、しかし儀礼の意味やあるいは名称によって、やはり仏教の 出家儀礼との関連を示唆するものであることが理解される。その点では﹁易服﹂も同様であり、内容上の相違点 と、より大きな文脈における類似性とを共に指摘できる。まず、相違点について述べると、仏教が剃髪と着袈裟 ︵﹃行事紗﹄によれば、泥氾僧・僧祗支・袈裟を身に着ける︶を行うのに対して、道教では四種から六種に及ぶ多 くの物を身に着ける。すなわち、以下の通りである。︵尚、対照の便宜から、身に着ける物の記載順は、テキス トにおける順序と一部異なっている。︶   ﹁度人儀﹂−措・雲袖・岐・冠   ﹃太上出家伝度儀﹄−履・裾・雲袖・道服・冠・簡   ﹁披戴儀﹂−履・裾・雲袖・羽服・冠・簡 沙弥授戒儀との共通点は、師が出家志願者である弟子に対して装束を与えるという点である。特に﹃行事紗﹄で は﹁和尚授血ハ袈裟。便頂戴受。受已還和尚。如是三反。和尚為著之︿出﹃善見論﹄﹀﹂とあり、結果的には和尚が みずから弟子に袈裟を着せることが言われている。道教儀礼の場合、衣冠の種類によってそれを渡す師が異なる ことが示唆されているので、この点では仏教儀礼と大きな違いのあることを認めねばならないが、出家に際して 弟子が俗服を脱ぎ、師が弟子に出家衣一式を与える、さらにはそれを師自らが弟子に着せる、という点におい て、道・仏の出家儀は一致しているといえるのである。 道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 一 一 一

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      二二  ︵四︶授十戒について  仏教においても道教においても、授十戒は出家儀礼の後半において中核を成す部分である。ここにも、内容に おける違いと形式における類似性とが共に看取される。沙弥授戒儀と道教の出家伝戒儀の違いは顕著である。最 初に指摘すべき大きな違いは、沙弥十戒は、テキストによってその後半の十戒については戒条の順序や内容に若 干の出入りがあるとはいえ、基本的には概ね一定した内容をもつものである。ところが、別稿で検討した三種の 道教の出家伝戒儀は、三種三様の十戒をそなえており、これを仏教の沙弥十戒と比べるならば、内容における統 一は無きに等しいといってよい。道教の出家伝戒儀に見える十戒は、すべて異なる文献から採用されたものであ るが、このような事態は沙弥授戒儀においてはおよそ考えにくいことであろう。  まず、﹁度人儀﹂の十戒は、元来は六朝時代の霊宝経典のひとつ﹃定志経﹄にそなわるものである。︵なお、 ﹃定志経﹄の十戒が別行して、単独の伝戒用の文献が成立する等の事情の詳細については、いずれ別稿を草して 論じることとし、ここでは触れない。︶﹃太上出家伝度儀﹄の十戒は、第一戒を﹁心不悪妬、無生陰賊、検口償 過、想念在法﹂とする所謂﹁智慧上品十戒﹂であり、その成立時期については陸修静の時に既に成立しているか 否かで議論がある匹、六朝末までには確実に成立・流通した十戒である。﹁披戴儀﹂で授与される十戒は、﹁初真 十戒﹂である。その由来については、すでに拙論で詳細に論じた通りである。すなわち、初出家者に授与される ﹁初真十戒﹂は、唐代前半期には成立していたが、﹁披戴儀﹂に載せる﹁初真十戒﹂は、唐代後半以降に登場し、 やがて流行して宋・明・清期において道士の出家戒として採用されてゆくことになる。 これら三種の十戒の戒条の違いを表に書き出しておこう︵表1参照︶。 335

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十九八七六五四三二一 者者者者昔者者者昔者  ・ ・ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ―披見見宗不不不不不 切来人人数醇欺盗婬殺 未加有善和 `善取妄 ` 得我憂事睦常悪非行常 道` ` ``思反義邪念  `志幼心元浄論財念衆 我在為幼有行 ゜ ゜ ゜生 不不作歎非○      ○ 有報福喜観 望 ○ ○ ○ ○ ○ ¬ 度 人 儀 1. の 十 戒 普第恨第如第譲第不第不第行第損第潤第想第 度十損九對八退七犯六犯五無四己三及二念一 ベドリ辨鯛貝馴り釧パ  畢゜不 不 ゜不 不 口 不 守 守 心  動 得 摂 嫉 得 無 貪 正 仁 不  施 争 肝 人 噴 悪 不 譲 不 悪  焉 鴛 論 勝 怒 言 慾 義 殺 姑   ヽ    経   ゝ  ゝ  ゝ  ゝ  ゝ  ・  ゝ  毎 是 教 己 調 言 心 不 潤 無  合 典 會 争 和 不 無 欺 済 生  天 ぎ 毀 競 載 華 放 不 翠 陰  心  論  聖  功  性  綺  蕩  盗  生  賊   ヽ 四  文   ゝ  ゝ  ゝ  ゝ  ゝ  ゝ  ゝ  常 輩 琴 名 神 内 清 常 慈 檀  行  天  心  毎  無  外  潔  行  愛  口  大 A ?? 事 所 中 守 善 廣 慣  慈  A  塗  遜  傷  直  慣  念  枚  過   、 咎  吊   ヽ  ヽ  ヽ  ヽ  ヽ  ヽ  ヽ

以十推九栖八郎七口六善五物四使三普二済一 道者誠者集者貧者過者 `者 `者犯者及者群者 焉 `萬 `幽 `窮 ` ゜ `不 `令 `干 `昆 `生 ` 務不物不閑不 ゜不 口可不衆不 ゜不姦不 ゜不 ゜ドド塁 醤 Lu討 謀憎混  い いづ卜リ リ  望∩1ズ 蜃  芸 箆 摩 娶 諭 坐 嘉  非  不 機  不  `  揚  離  童  滋  利  苓 ? 碍 雙 穴 弓 劈 秀 鴫 弓  。 邑 ∼ 富 忠 富 雷 富 乙 富  ¨3 書 “  行 直 稀 以 行 烹 行  持  節  慕  節  `  人  靉  ぬ IUJ I  鄭  君  勝  倫  不  之  道  操  ゜  徳  爽 哨 弓 恵  犯  衆  助  無  爽 廣

﹁表1一道教出家伝戒儀三種中で授与される十戒﹂  表︱を見ると、﹃太上出家伝度儀﹄の第五戒が、﹁披戴儀﹂の第六戒に踏襲されているほかは、それぞれ共通要 34 素を持たない別個に成立した戒であり、相互の統一性や系統性といった関係は見出されないことが知られる。こ 道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 二三

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333       二四 のように、道教の出家伝戒儀において授与される十戒は、それぞれ出自を異にする戒を背景に成立しており、仏 教の沙弥戒のもつ普遍性とはおよそかけ離れたものであることが指摘できよう。なお、それぞれの戒の成り立ち については、別論で箇々に論じたい︵﹁初真十戒﹂については既に論じ加。他は準備中である︶。  以上、﹁辞親﹂﹁三帰依﹂﹁易服﹂﹁伝十戒﹂という四つの要素について、﹃行事紗﹄にみえる沙弥授戒儀と、三 種の道教出家伝戒儀とを対比してきた。︵﹁三帰依﹂については、﹃行事妙﹄との比較というより、道教における 仏教からの﹁三帰依﹂の受容という、より一般的な次元で論じた。︶これによって見ると、具体的な内容に着眼 する限り、道教は仏教とは明確に区別される独白の内容を有しているといってよい。特に、﹁三帰依﹂と﹁易服﹂ は、道教に独自の三宝と装束とが具わっているため、必然的に仏教儀礼とはその内容を異にせざるをえない。い うなれば、道教に具わる独自性がそのまま儀礼内容の独自性に直結しているわけである。  他方、﹁十戒﹂については、道教の独自性によって仏教との差異化か確保されているというよりは、むしろ道 教における統一的な規範の欠如、アイデンティティの脆弱さを露呈することで、堅牢な統一性をもつ仏教の﹁十 戒﹂との違いを際立たせる結果になったと言い得よう。仏教の出家戒が歴史的・地域的な変遷にもかかわらず普 遍的な内容を有し、まさしく仏教のアイデンティティの一部を明確に形象化しているのに比べ、道教の出家の ﹁十戒﹂は少なくとも時間的変遷につれてI定たり得ず、その変動の激しさを印象づけるのである。  ﹁辞親﹂については、そこに仏教と道教の違いが検出されるというよりは、むしろ家社会を重視する中国の伝

三、結論

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332 統のなかで仏教・道教の双方が共通して選択せざるを得ない形が示されているというべきかもしれない。出家伝 度における﹁辞親﹂儀を最初に開発したのは、仏教勢力であろうか、道教勢力であろうか。それを決定する資料 はまだ見つからない。道教が先であるとすれば、梁代の﹃科誠儀範﹄の﹁辞親﹂儀礼が﹃清信士度人経﹄のよう な中国撰述仏典によって摂取された可能性が考慮されよう。仏教が先であるとするなら、まずどこかで﹃清信士 度人経﹄もしくはその原型となる疑経が劉宋から梁の間に成立し、それが﹃科誠儀範﹄に影響を与えたことが考 えられよう。しかし、現段階ではどちらも想像の域を出るものではない。道教・仏教のいずれが先にこの儀礼を 構想したにしても、家を重視する社会において出家儀礼を行う際に、父母兄弟への充分な配慮を示すことが要請 されたという事実がここに垣間見られよう。  以上のように、﹁辞親﹂﹁三帰依﹂﹁易服﹂﹁伝十戒﹂の個別の内容について見ると、ただ﹁辞親﹂のみが両者の 共通性を示すことを除けば、総じて道・仏の差異は極めて明瞭である。しかし、そのような差異を内包する儀礼 の概要もしくは名前と、その組み合わせのありようについて見ると、むしろ道・仏の出家儀礼における共通点が 見えてくる。結局、これらは、親を辞して家社会に別れを告げる儀礼、それぞれの三宝への帰依を表明して十戒 の授戒にそなえる儀礼、世俗の衣服を捨てて師から法衣を授与され、もしくは親しくそれを着せてもらうこと で、装束威儀における変身を行う儀礼、そして、出家者としての新しい生活規範の基本を戒の形で身に受ける儀 礼、として総括できる。これらの側面に注目すれば、道仏の出家儀礼はまことに類似している。また、﹁辞親﹂ 以外の儀礼については、基本的にはインド仏教の出家儀において既に確立された儀礼枠組であり、この儀礼枠組 については、仏教の出家儀を道教が受容したものと言わねばならないのである。 道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 二 五

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﹃ 行事紗 ﹄ 沙弥授戒儀本文︵附 四大広律該当箇所との大まかな対照︶ 一工 / N [表2]

詐   H回

○一十’

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甲到甲聡如碧自中是某時某聴如後富剃房若髪欲聴世7 出僧出14ミ是興一度゜甲到甲14ミ是興作髪語不ぶ在d尊饗 考J2家某自出切令?を剃僧剃某自剃白眉令得呂僧。言一 に八八愕弓発駅バJ昌一昔悩 日興僧従徳富自警佃自’t若欲徳常已裂げヽ切中考等 司某時某僧作已雷藍如興僧求僧作然゜、興房愕剃若善

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○正巻’b−一摩 ドこ ̄評 cべ十僧  ̄四九伽  こ一律  y、大, 作畜汝佛 如二等言 ‰  庖者如

一一七’

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m固いにj固 帽章 m帽レ舞 証 謁遊 m討峠 害 附 im 環]回m指 ぶ 利詐 頴晶 々口訃跨赳ョ i 召ほhW 熟落師 ・.清界  出  戒髪某  考忍説草

万万

便沙

宜弥

 デ

331 ︻︼内の標題は筆者が施したもの。

(23)

︻三帰︼ 教作如是語。我 某甲。蹄依佛、蹄 依法、蹄依僧、隨 如来出家。某甲 為和尚。如来至 真等正畳是我世 尊。如是第二第 三説。我某甲。蹄 依佛法僧、隨如 ︻著袈裟 一 作如是自己、凱ハ 出家、教使著袈 裟。 ︻ 膝著地合掌 ︼ 偏露右腎脱革 展、右膝著地合 掌。 四・’○四 騨煮賢 我婆如羅出 家佛  ○・ 我婆 ︻優婆塞の三 帰︼ 先授優婆塞三 蹄法。教言。我 某甲蹄依佛、 蹄依法、階依 比丘僧。如是 三説。復教言。 我某甲階依佛 已、帰依法已、 蹄依比丘僧 已。亦三説。 ︻授五戒一 我是佛・婆伽 婆優婆塞。復 漁教言。我某 甲震壽不殺 生、震壽不盗、 盛壽不邪婬、 盛壽不妄語、 震壽不飲酒。 ︻出家の三帰︼ 復唐教言。我 某甲階依佛、 蹄依法、蹄依 比丘僧。如是 三説。 癈待剰、蓮華待日。為説法已、向阿闇梨前坐︿出善見論﹀。 T16︶ 以香湯濯頂。讃云、善哉、大丈夫、能了世無常。捨俗趣泥垣、 希有難思議。 ︵︱−7︶ 教謄十方佛竟、行者説揚言。蹄依大世尊、能度三有苦。亦願 諸草生、普入無為楽。 T18︶ 阿闇梨乃為剃髪、旁人為誦出家唄云。毀形守志節、割愛無 所親。棄家弘聖道、願度一切人︿出度人経︾。輿剃髪時、営頂 留五三周羅髪。 T−9︶来至和尚前互脆。和尚問云。今為汝去頂髪、可不。 答言、爾。便為除之。 ︵︱−10︶ 除已、和尚授輿袈裟。便頂戴受。受已、還和尚。如是三反。和 尚為著之︿出善見論﹀。説偶言。大哉、解脱服、無相福田衣、 披奉如戒行、廣度諸草生。 ︵1111︶ 祷佛詑、行逍三匝、説自慶偶。遇哉値佛者、何人誰不喜。福 願輿時會、我今獲法利。 〒−12︶ 禧大量及二師已、在下坐、受六親拝賀。出家離俗心懐遠大、 父母等皆為作疆、悦其道意。中前剃髪︿出度人経﹀。毘尼母 云。剃髪著袈裟已、然後受三蹄五戒等。 ︵2︶︻三帰︼ ︵211︶ 三、受戒法者分三。初縁、二豊、三相。 初中、集僧已、安受者見處立、作法同前。白言。大徳僧聴。彼 某甲従某甲出家。若僧時到、僧忍聴某甲従某甲出家。白如是。 若無、和尚慮輿 衣著。 ︻長脆合掌︼ 教長脆合掌。 ︻優婆塞の三帰︼ 戒師座教。我某 甲、蹄依佛、蹄依 法、賠依僧。第 二、我某甲、蹄依 佛、蹄依法、蹄依 僧。第三、我某 甲、賠依佛、賠依 法、賠依僧。 ︻授五戒︼︹中略︺ ︵優婆塞戒が説 かれる。︶ ︻出家の三帰︼ 我某甲、已蹄依 言、我云何度 羅喉羅出家。 ︻優婆塞の三 帰︼ 佛言、汝往教 言。我羅喉羅、 蹄依佛、蹄依 法、峰依僧。如 是三説。我羅 喉羅、蹄依佛 竟、鱒依法竟、 蹄依僧竟。 ︻授五戒︼ 婁壽不殺生、 不盗、不邪婬、 不妄語、不飲 酒。 ︻出家の三帰︼ 佛、已蹄依法、 饉依僧出家。 佛・婆伽婆・憚 牟尼・多陀阿 第二、我某甲、已 330 道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 二 七 隨佛出家。 是三説。佛一 伽婆出家。 和我貌伽迦是已 羅喉羅隨佛出 家。 ︻著袈裟︼ 度・阿羅詞・三 三佛陀、出家。 亦隨佛出家。 尚、某甲。

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爽出家竟。某甲 為和尚。如来至 真等正竟是我世 尊。如是第二第 三説。 329 捨俗服著袈 裟。       二八 五百聞云。二人得度沙禰、一人不合。五分・十誦先輿五戒、 後受十戒。善見営禧僧足、往闇梨所。疆已、互脆、合掌教言。 汝営隨我語、教汝受三好。答云、爾。出要律儀云、捉師衣角 者、出在人情。世末流愛也。律文似對僧所、理須生建立勝 縁。座問遮難、一同僧法。必若有者、五戒不雙、何況具十。文 如僧中。 ︵2−2︶二、明戒健。文云。我某甲、賠依佛、好依法、蹄依 僧。我今隨佛出家。某甲為和尚、如来至真等正晃是我世尊﹂ ︿三説﹀。我某甲蹄依佛竟、蹄依法竟、帰依僧竟。我今隨佛出 家已。某甲為和尚、如来至真等正晃是我世尊︿三説﹀。 ︵3︶︻授十戒︼ 次、三、明相。霊形壽不殺生。是沙弾戒、能持不。答、能。不倫 盗、不淫、不妄語、不飲酒、不著華鬘好香塗身、不歌舞侶伎 亦不往観聴、不得高廣大床上坐、不得非時食、不得捉銭生 像金銀貨物、並準初法、一一牒問。答言、能者、又云、是沙殲 十戒。査形壽不得犯。 蹄依佛、已蹄依 法、已昂依僧出 家。是佛・婆伽 婆・憚迦牟尼・多 陀阿伽度・阿羅 詞・三貌三佛陀、 出家。我亦隨佛 出家。和尚、某 甲。 第三、我某甲、已 蹄依佛、已蹄依 法、已蹄依僧、出 家。是佛・婆伽 婆・憚迦牟尼・多 陀阿伽度・阿羅 詞・三貌三佛陀、 出家。我亦隨佛 出家。和尚、某 甲。 我某甲、已蹄依 佛、已蹄依法、已 鯨依僧、已出家。 是佛・婆伽婆・憚 迦牟尼・多陀阿 伽度・阿羅詞・三 貌三佛陀、出家。 我亦隨佛出家 竟。和尚、某甲。 爾時座問。汝幾 歳。隨年答。何時 出家。冬春夏有 ︻授十戒︼ 殲戒。能者報言 是書 謂形 沙壽 ︻授十戒︼ 我今於憚迦牟 尼・如来・廃供 等正甕所出家 作沙禰。和尚 某甲。即廃語 言。盛壽不殺 生、是沙禰戒。 盛壽不盗、是 沙禰戒。 書壽不婬、是 沙禰戒。 虚壽不妄語、 是沙弾戒。 盛壽不飲酒、 是沙禰戒。 盛壽不歌舞作 侶伎楽不往観 聴、是沙禰戒。 ︻ 授十戒 ︼ 営受戒。 不殺生。

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閏無閏隨問嘸 答。此事盗壽憶 持。 能。 壷形壽不盗。是 謂沙禰戒。能者 報言能。 墨形壽不婬。是 謂沙傭戒。能者 報言能。 書形壽不妄語。 是謂沙禰戒。能 者報言能。 書形壽不飲酒。 是謂沙禰戒。能 者報言能。 言壽不殺生、 持沙禰戒。 言壽不盗、持 沙偶戒。 轟壽不婬、持 沙偶戒。 害壽不妄語、 持沙禰戒。 言壽不飲酒、 持沙偶戒。 害壽不著華 香、持沙偶戒。 虚壽不観聴歌 舞作楽、持沙 偶戒。 虚壽不坐臥高 廣床上、持沙 禰戒。 壷壽不過時 食、持沙偶戒。 害壽不得捉金 銀及銭、持沙 俑戒。 如是憶念持。 害壽不著華香 塗身、是沙禰 戒。 害壽不坐臥高 大床上、是沙 偶戒。 害壽不受畜金 銀及銭、是沙 禰戒。 害壽不過時 食、是沙禰戒。 是為沙禰十 戒。 ︻授十戒︼ 戒師吉言、汝某 甲聴。是佛・婆伽 婆・知見・憚迦牟 尼多陀阿伽度・ 阿羅詞こ二貌三 佛陀、為沙禰説 出家十戒。凡是 沙彊、営壷壽護 持。何等十。 壷壽離殺生、是 沙倆戒。是中書 壽離殺生。若能 常言爾。 害壽離不興取。 是沙倆戒。是中 書壽離不興取。 若能営言爾。 壷壽離非梵行。 是沙禰戒。是中 害壽離非梵行。 若能賞言爾。 表壽離妄語。是 一 九 道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 雲形壽不得著花 鬘香塗身。是謂 沙禰戒。能者報 言能。 盗形壽不得歌舞 侶伎及往観聴。 是謂沙弧戒。能 者報言能。 雲形壽不得高廣 大床上坐。是謂 沙禰戒。能者報 言能。 328

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轟形壽不得非時 食。是謂沙弼戒。 能者報言能。 墨形壽不得執持 生像金銀賓物。 是謂沙蕉戒。能 持者報言能。 此是沙禰十戒。 墨形壽不得犯。 能持者報言能。 三〇 327 沙俑戒。是中書 壽離妄語。若能 常言爾。 盛壽離飲酒。是 沙彊戒。是中盛 壽離飲酒。穀酒、 蒲萄酒、甘薦酒、 能放逸酒。若能 富言爾。 壷壽離處高床大 床。是沙俑戒。是 中害壽離處高床 大床。若能富言 爾。 盛壽離著華環路 香塗身香黒衣。 是沙殲戒。是中 害壽離著華環路 香塗身香薫衣。 若能富言爾。 盛壽離作伎歌舞 不往観聴種種楽 器。是沙俑戒。是 中書壽離作伎歌 舞不往観聴種種 荘巌。若能営言 爾。 書壽離受畜金銀 銭賓。是沙禰戒。 是中婁壽離受畜 金銀銭賓。若能

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営言爾。 書壽離非時食。 是沙禰戒。是中 壷壽離非時食。 若能常言爾。 如是五法成就、 満十歳庖畜沙 殲。若不成就五 法、満十歳畜沙 禰、得罪。 ︵5︶平川同上、一四七頁、佐藤同上参照。 ︵6︶平川同上、一四九頁、佐藤同上参照。 ︵7︶﹁仏書解説大辞典﹂﹁四分律側繁補閥行事紗﹂︵四−二  二六頁︶参照。 ︵8︶土橋秀高﹁戒律の研究﹂︵永田文昌堂、一九八〇年︶  三四四頁。 ︵9︶都築晶子﹁道観における戒律の成立−﹃洞玄叢賓千  箕科﹄と﹃四分律潮繁補閥行事妙﹄﹂妄谷邦夫編﹃中国  中世社会と宗教﹄道気社、二〇〇二年参照。 ︵10︶﹁沙弥別行篇﹂は大きく前後半から成っており、﹁先明  出俗本意、後依意随解﹂︵大正二二∴四八頁下段︶と  26  されている・前半部は゛初中七門﹂と称されヽ七部門か  3        三一 注 ︵1︶﹁道教の出家伝戒儀についての一考察︵金明七真、買   善翔、周思得を中心に︶−王常月﹁初真十戒﹂前史   ︵H︶﹂︵﹃早稲田大学文学研究科紀要﹄︵東洋哲学︶二〇   一四年三月出版予定。 ︵2︶平川彰﹃原始仏教の研究﹄︵春秋社、一九六四年︶四   四五頁。 ︵3︶平川彰﹃律蔵の研究I﹄︵春秋社、一九九九︻一九六   〇年の単行本を著作集として刊行︼︶ 一三五頁参照。佐   藤達玄﹃中国仏教における戒律の研究﹄︵木耳社、一九   八六︶ コー頁参照。 ︵4︶平川同上、一四一頁、佐藤同上参照。   道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀

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      三二 ︵ロ一︶泥雁僧は裳・内衣。僧祗支は袈裟の下掛け。 ︵13︶法礪︵六二六︶﹁四分律疏﹂巻六の引用と比べると、 32  ﹁正得著泥雁僧僧祗支未得著袈裟便入﹂は﹃度人経﹄の  文字であった可能性が高い。﹃度人経﹄の文章に﹃善見  律毘婆娑﹄の引用が割り込んでいるようである。 ︵14︶なお、出家に際して父母の拝を受けることについて  は、﹃釈氏要覧﹄巻上大正五四・二六七上∼中﹁剃髪﹂  第四項﹁父母拝﹂を参照。 ︵15︶曹凌編著﹃中国仏教疑偽経綜録﹄上海古籍出版社、二  〇一一年一二月、四八一∼四八四頁、二七二﹁清浄居士  子度人経﹂参照。 ︵16︶﹃科誠儀範﹄巻第五、前掲大淵二三九頁a、P二三三  七、五八八行−五九二行。 ︵17︶﹃太上洞玄霊宝授度儀﹄四Ob参照。 ︵18︶﹁三礼﹂の用例について見ると、﹃無上秘要﹄巻三十  七・巻三十九に﹁至心稽首太上元極大道、至心稽首三十  六部尊経、至心稽首玄中大法師﹂の一節を﹁礼三宝﹂の  法として﹁金籐儀﹂や﹁明真経﹂から引用しているほ  か、﹃太上黄糠祭儀﹄や﹃霊宝領教済度金書﹄などに無  数に用いられている。なお、﹃科誠儀範﹄においても、  ﹁静念稽首纒、至心稽首太上無極大道、至心稽首三十六  ら成る。すなわち、﹁一明出家元縁﹂︵一四八頁下段九  行︶、﹁二勧出有益﹂︵一四八頁下段一四行︶、﹁三障出有  損﹂︵一四八頁下段二八行︶、﹁四行凡罪行﹂︵一四九頁上  段二行︶、﹁五行凡福行﹂︵一四九頁上段一〇行︶、﹁六明  行聖道行﹂︵一四九頁上段二一行︶﹁七大小乗相決同異﹂  二四九頁中段一行︶である。後半部は、コ明出家具  縁﹂︵一四九下段一〇行︶、﹁二作法不同﹂︵一五〇上段七  行︶、コニ受戒方式﹂︵一五〇頁中段一五行︶、﹁四隨戒相﹂  二五一頁上段二〇行︶、﹁五雑行教示﹂︵一五一頁下段七  行︶の五段から成る。沙弥の出家作法が説かれるのは、  ﹁二作法者﹂︵一五〇頁上段︶からで、以下には、﹁二作  法不同﹂︵一五〇上段七行︶と﹁三受戒方式﹂︵一五〇頁  中段一五行︶の部分についてのまとめである。なお、こ  れらの内容の段落分けと段ごとの題目および総括にあ  たっては、元照︵一〇四八−一ニハこ述﹁釈四分律行  事紗科﹂巻下之四︵田続・四十三冊子七三八、新文豊出  版公司版六十九冊、こニー一三二頁︶上掲土橋︵一九  八〇年︶三四四頁、および西本龍山訳﹃四分律刑繁補閥  行事紗﹄︵﹁国訳一切経和漢撰述部・律疏部﹂︵二︶、大束  出版社、一九三八年所収︶をも参照した。 ︵︰11︶﹃善見律毘婆娑﹄大正二四・七八八頁中段参照。

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︵27︶﹃無上秘要﹄巻四六、一四b−ヱハa。 ︵28︶沙弥十戒のテキストによる違いについては、平川前掲  書︵一九六四年︶四四五∼四四六頁参照。 ︵29︶吉岡義豊氏︵一九六一年︶は﹃天尊説十戒経﹄および  敦煌本﹃十戒経﹄の内容が﹁度人儀﹂の内容と重なるこ  とに着眼して、その十戒が﹃定志経﹄に由来することを  指摘している。その﹃定志経﹄が道蔵本﹃太上洞玄霊宝  智慧定志通微経﹄であることを踏まえたより詳細な指摘  は楠山春樹氏︵一九八四年︶によってなされている。吉  岡義豊﹁仏教十戒思想の中国的受容﹂﹃宗教研究﹄ 一六  八、一九六一年a ︵﹃吉岡義豊著作集﹄第二巻、五月書  房、一九八九年収録︶、同﹁敦煌本十戒経について﹂  ﹃︵塚本博士頌寿記念︶仏教史学論集﹄同記念会、一九六  一年b︵同上収録︶、楠山春樹﹁道教における十戒﹂﹃早  稲田大学文学研究科紀要﹄第二八輯、一九八三年、︵﹃道  家思想と道教﹄ 一九九二年収録︶、﹁清信弟子考﹂﹃︵牧尾  良海博士頌寿記念論集︶中国の宗教・思想と科学﹄国書  刊行会、一九八四年︵同上収録︶参照。 ︵30︶劉屹︽古霊宝経。未出一巻”研究︶︽中華文史論叢︾  一〇〇期︵二〇一〇年、四号︶八一丿一〇三頁参照。従  来の通説では陸修静の﹁霊宝経目︵擬︶﹂において、こ       三三   部尊経、至心稽首玄中大法師﹂のような、﹁三帰依﹂と  いうより﹁三礼﹂に相当すると見るべき儀礼要素が言及  されている。 ︵19︶伍成泉︷漢末魏晋南北朝道教戒律規範研究︸巴蜀書  社、二〇〇六年、二三二∼二三四頁参照。 ︵20︶張万福﹃三洞衆戒文巻上﹄二a ︵21︶大淵前掲二二六頁a、P二三三七号一一五行−一七行  参照。 ︵22︶小林正美氏は﹃正一威儀経﹄は梁武帝の頃の作とされ  る。小林正美﹃中国の道教﹄創文社、一九九八年、三五  三上二五四頁参照。 ︵23︶例えば、唐・朱法満﹃要修科儀戒律紗﹄︻SN四六三︼  巻十六、五b、杜光庭倒﹃太上黄鐘斎儀﹄巻五十二、  ﹁転経﹂一a−b、王契真﹃上清霊宝大法﹄[SN一二二  二巻八コーbなどを参照。 [氾]︶﹃無上黄録大斎立成儀﹄巻十三に﹁今者、恭對道前、  傅授三帰九戒、所宜給付、持馬身盲者。三蹄依。第一蹄  依元上道賓。第二蹄依元上経賓。第三蹄依元上師賓﹂  ︵二三a−b︶とある。 ︵25︶﹃歴世真仙体道通鑑﹄巻四十二、四B参照。 ︵26︶張万福﹃三洞衆戒文巻上﹄二b−四b。  道教の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 324

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      三四 ︵32︶森由利亜上掲論文︵二〇一三年︶参照。 ︵33︶この表は﹃行事紗﹄の本文を示す目的で作ったもので  32  ある。ただ、四大広律との違いを確認する便宜のため、  上段四段に補足として四大広律を配し、最下段に﹁行事  紗﹂を配した結果、対照表の如き体裁となった。  の十戒︵﹁無上秘要﹂巻四六に所謂﹁洞玄智慧十戒﹂︶を  収める﹃智慧上品大戒﹄︵﹃無上秘要﹄所収﹃洞玄智慧上  品経﹄︶には、已出経典であると見なされている。しか  し、劉屹氏は、大淵前掲七二五頁P二八六一ノニ所載  ﹁通門論巻下︵擬︶﹂所収﹁霊宝経目︵擬︶﹂の中の関連  するくだりを、﹁智慧上品三戒、三巻、二巻已出。巻目  云、太上洞玄重賓智慧罪根上品二巻。未出一巻、篇目  云、太上洞玄霊賞智慧上品大戒。﹂︵一八行−二一行︶の  ように断句し、三巻から成る﹁智慧上品大戒﹂のうち、  二巻は已出の﹁洞玄智慧罪根上品﹂すなわち﹃智慧罪根  上品大戒経﹄であり、残りの一巻は未出の﹃太上洞玄霊  宝智慧上品大戒﹄として解釈する。劉屹氏の解釈によれ  ば、﹃太上洞玄霊宝智慧上品大戒﹄は、陸修静の時代に  は経名だけが知られていてまだ伝世していない未出の経  典ということになる。なお、劉氏は、﹁道蔵﹂所収﹁洞  玄霊宝斎説光燭戒罰燈祝願儀﹂﹁授上品十戒選署禁罰﹂  に収められた﹁智慧上品十戒﹂も、後の時代の挿入であ  る可能性を否定できないとする。 ︵31︶森由利亜﹁﹁初真十戒﹂系譜考−王常月﹁初真十戒﹂  前史I﹂﹃早稲田大学文学研究科紀要﹄第五八輯Ⅳ︵二  〇一三年︶参照。

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道 教 The Similarities and Differences between Three Daoist Manuals of Consecration Rites for Those Who Are Leaving Family and the Buddhist Counterpart Seen in Dao Xuan道宣(596−667)’sS伽nmshnダu b叫E χingshi 訪o四分律剛繁閥行事紗(Notes on matters of behavior abridging and supplementing the Four−Part Vinaya)        MoRI Yuria の出家伝戒儀三種と沙弥授戒儀 三五   As l have eχamined in my previous artide, the three ritual manuals of consecration rites for Daoists monks who leave family dated 6th, 11th, and 15th century, respectively,share the same structure consisting of three core ritual elements: the rites of “expressing farewell to his/her parents”,“changing c10thes”, and “transmitting a set of the ten precepts”. ln this artide, l added the rite of the investment of “precepts of the three refuges” as the fourth core element included in the Daoist rite of passage for those who are leaving family。   The main discussion of this article is dedicated to demonstrate that nearly the same four core elements are found in the Buddhist manua1s of consecration rite for monks leaving family induded in Dao Xuan道宣(596− 667)’sS凶n吊s陥可ob明wxi昭sM chao四分律剛繁閥行事紗(Notes on matters of behavior abridging and supplementing the Four−Part Vinaya). lt is hard to ten if the rite of “eχpressing farewell to his/her parents”, which is not found in the rite of lndian Buddism, is first established by Chinese Buddhists or by Daoists, but other three ritual elements, at least, are certainly adopted from Buddhism by Daoists in the early stage of the deve10pment of Daoist consecration system。   lnterestingly enough, Daoists borrowed ritual framework and ideas from Buddhists, but they succeeded in presenting their unique concepts in such a borrowed framework. Namely,“precepts of the Three Refuges” and  322

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