駒澤大學佛敎學部硏究紀要第七十一號 平成二十五年三月 一八三
一、はじめに
知 ら れ る よ う に、 道 元 禅 師 ( 一 二 〇 〇 ― 一 二 五 三、 以 下 道 元 ) の 修 証 論 は「 修 証 一 等 」 や「 不 染 汚 の 修 証 」 等 と 呼 称 される。これは『辦道話』の「仏法には、修証これ一等な り 」 (『 道 元 禅 師 全 集 』〈 以 下『 全 集 』〉 二、 四 七 〇 頁 ) と か、 「 し る べ し、 修 を は な れ ぬ 証 を 染 汚 せ ざ ら し め ん が た め に 」 (『 全 集 』 二、 四 七 一 頁 ) と い う 記 述 の 表 詮 で あ る。 そ の要旨を端的に述べれば「修と証は等しく、修行の当体に 証果が実証され続ける」と言えよう。道元は、それを「行 仏」とも立言す る ( 1 ) 。 通仏教的な観点から言えば、基本的に修行は証果を会得 するまでの過程として規定され得る。即ち、仏の境地に達 するべき仏道上のあらゆる実践が修行として位置付けられ るのである。大小両乗の別に関わらず、修行による成仏を 目指すことが全ての仏道修行者に通底する至上の課題であ道元禅師における授記の概念
清
野
宏
道
るならば、やはり仏は、ある意味において修行者の模範で あると共に目指すべき目標であり、修行はその境涯に到達 するための自己の在り方として認識されよう。 確 か に、 伝 統 的 な 仏 教 学 の 土 壌―
例 え ば 中 国 天 台 学―
においては、六即説のように修行における次第の面を 主意としながらも、即の義によって現実の自己を理即仏と し て 象 徴 的 に 提 言 す る よ う な 行 位 説 も 構 築 さ れ た。 し か し、その法門が始覚門として理解されるように、本意は向 上に仏位を目指すことにあったと言える。従って、仏教思 想史における修証論の展開からすれば、その殆どは修行と 証果を二義的に捉え、斜傾を以てこれを認識してきたと考 え得るのである。 しかし、道元は修・証をそのように見ない。従来の修行 に対する概念を踏まえながらもそれを敷衍し、坐禅を基調 として修行の当体に証果の現成を見出す修証の一体論を打 ち 出 す。 そ の 構 造 は、 例 え ば 発 心・ 修 行・ 菩 提・ 涅 槃 の道元禅師における授記の概念(清野) 一八四 各々を認めながらも、四者を融即的に捉える行持道環の論 理 ( 2 ) に表れている。 そうした修証論を構築・展開した点に道元思想の源泉と 特徴があると考えるが、問題は、その修証論が成立し得る 背影である。換言すれば、道元の修証論を構造的に機能さ せている根拠は何であるかと言うことである。 従来の研究を鑑みると、彼の修証論に関する論攷は枚挙 に暇がない。しかし、殆どはその特性を論述することに重 きを置いている。従って、管見の限りその根拠を論理的に 解き明かしている考察は皆無に等しいと言い得る。 それを解明するには道元の仏性論や実相論、延いては仏 陀観や仏法観などを総体的に考察しなければならないと言 え る。 た だ、 そ の 修 証 論 を「 証 」 に 力 点 を 置 い て 見 た 場 合、それは一種の成仏論として認識し得よう。そのため、 これを成仏の視点から論じることも可能であると考える。 成仏という一事に種々の概念が関わることは既知の通り であるが、その一つに授記がある。授記は、仏が衆生に対 して成仏の時空間を予告すると共にその証明を授けること である。従って、それは成仏の確約であり、その証左と言 い得る。 『 正 法 眼 蔵 』 に「 授 記 」 巻 が あ る こ と を 見 て も、 道 元 が 授 記 を 仏 法 上 の 大 事 と し て 認 識 し て い た こ と は 明 白 で あ る。それに加え、同巻における引用の多くが『法華経』で あることを踏まえると、道元は『法華経』の授記思想を重 視していることが推測できる。以上の点から、私見ではこ の授記という概念が彼の修証論において特に重要な位置を 占めており、そこには『法華経』における授記の思想が深 く関わっていると推察する。本稿では「授記」巻を中心に 道元の授記思想を解明することを課題としつつ、その意義 について論じた い ( 3 ) 。
二、授記の原義と展開
授記の語は、受記・記莂・記説・授決・受決などと記さ れ、 通 例、 衆 生 に 対 す る 未 来 成 仏 の 予 言 ( 授 記 作 仏 ) と 理 解 さ れ る。 こ れ は パ ー リ 経 典 に 散 見 さ れ る Veyyāka ra n ・a ( サ ン ス ク リ ッ ト で は Vyākara n ・ a ) の 漢 訳 で あ る が、 こ れ は 原意を踏襲したものではなく、その発展的解釈とされる。 授記思想研究の泰斗である田賀龍彦氏によれば、パーリ経 典 に お け る Veyyākara n ・a の 語 意 は 多 様 で あ る が、 そ れ は (一)文法、 (二)九分教の一支、 (三)予言記説、 (四)説 明 解 説、 ( 五 ) 返 答、 の 五 つ に 大 別 さ れ る と い う。 各 々 を 略述すれば、 (一)はバラモンの学ぶべき文法。 (二)は仏 教の教説をその説示形式や教説内容によって九種に分類し た 九 分 教 ( 4 ) の 一 つ。 ( 三 ) は 法 の 実 践 に よ る 自 己 の 得 た 境 地 ( 証 果 ) の 記 説。 ( 四 ) は 一 般 的 な 意 味 に お け る 説 明 解 説 を 指 す。 こ れ は 殆 ど の 場 合、 問 い と 併 記 さ れ て い る が、道元禅師における授記の概念(清野) 一八五 ( 五 ) の 返 答 と 明 確 に 区 分 す る こ と は 困 難 で あ る と い う ( 5 ) 。 こ の 中 で、 漢 訳 の 意 味 に 直 接 関 わ る の は、 ( 三 ) の 予 言 記 説である。 大乗経典では、基本的に授記作仏の意味で授記の語を用 いるが、これは従来の語意の発展的解釈と言われる。田賀 氏によれば、釈尊在世ないし滅後間もない時代における仏 道修行者には、自分達と変わらず出家・修道して成仏した という釈尊の記憶が残っていたため、修行者自身も釈尊と 同じく成仏する可能性を疑わなかったが、時代が下るにつ れ、釈尊を絶対的な人格者として認識するようになった。 そのため、修行者と釈尊の間に超えられぬ壁が生じ、それ に伴って成仏の可能性が薄らいだとされる。そこで、偉大 な人格者である釈尊に自己の得た境地を保証してもらうと いう見解が生じ、そこから派生して、釈尊による法の実践 の 効 果 の 保 証 ( 人 格 的 記 説 ) が 形 成 さ れ、 ま た、 法 の 実 践 によって必ずある境地が会得されるという所懐から自身に よ る 証 果 の 記 説 ( 法 的 記 説 ) と い う 形 式 が 成 立 し た の で あ り、こうした証果の記説が死後の再生についての記説と結 びついて、未来得果の記説になったとい う ( 6 ) 。 これに関連して、燃灯仏が授記作仏を与える仏として設 定された。同氏によれば、パーリ経典における授記は釈尊 の前生身である菩薩に対してのみ行われ、後の大乗経典の ように仏道を行ずる全ての菩薩を対象とするものではない と い う。 釈 尊 の 本 生 話 ( Jātaka ) は 大 小 両 乗 を 問 わ ず 様 々 な経典に記されており、前生身として婆羅門や商人などを 挙げているが、それらは一貫して成仏確定者の菩薩として 描かれている。それに伴って、弟子の前生話も作成される ようになったわけであるが、そこに登場する菩薩も釈尊の 前生身と同じように成仏するのであれば、何らかの根拠が なければならない。そこで、教法の永遠性や伝統性を示す た め に 設 定 さ れ た 仏 ( 例 え ば 過 去 七 仏 ) と は 別 に、 燃 灯 仏 が菩薩に成仏を授記する仏として位置付けられたという。 こうした授記作仏、即ち燃灯仏授記が成仏の根拠として定 まると、釈尊が前生で逢遇してきた諸仏もまた、前生身と しての釈尊に授記した仏と見なされた。三祇百劫と言われ る長遠の修行期間に釈尊の前生身がまみえた仏は一仏では ない。ここに諸仏授記が形成されたのである。この諸仏授 記から発展して、更に諸仏次第授記が成立したという。こ れは、釈尊が前生で逢遇した仏が複数あれば、その諸仏の 前生たる菩薩も複数存在しなければならず、それによって 順次、次に仏と成るべき菩薩に対して授記が行われること に な っ た の で あ る。 こ れ に よ れ ば、 当 然 燃 灯 仏 も 菩 薩 で あった時期があるわけで、そこで授記を受けたからこそ燃 灯 仏 も 仏 と し て 次 に 授 記 を 与 え 得 る と 考 え ら れ る の で あ る。ただ、こうした諸仏の次第授記は、南伝の諸経典には 見られず、北伝の資料に看取される形式とされる。
道元禅師における授記の概念(清野) 一八六 このように、授記の形式は燃灯仏授記から諸仏次第授記 にまで発展したわけであるが、諸仏の前生譚によって次第 授記が形成された過程を考慮すれば、必然的に未来成仏の 授記が提言されることになる。そして、それは二乗作仏に 到って最高潮を迎えることになるとい う ( 7 ) 。
三、
『法華経』の授記
授記作仏について考えると、二乗に対する授記、即ち二 乗作仏が問題になることは衆目の認めるところであろう。 小乗経典はもとより大乗経典においても、当初二乗は成仏 し得ない存在として規定されてきた。この定石的概念を覆 し、二乗の授記作仏を認め、更に悪人などをも含む一切衆 生の成仏得道を立言したのが『法華経』である。勿論、他 の諸経も授記を以て衆生の成仏を明言してはいる。しかし な が ら、 『 法 華 経 』 の 原 初 的 使 命 が 一 切 衆 生 の 再 度 に あ る 点を弁えると、授記は一仏乗の開演など経中の諸思想と共 に、その精神を体系的に成立させる根本思想の一つとして 認識し得るのであ る ( 8 ) 。 経中において二乗の授記作仏が最初に説かれるのは「方 便品」である。同品が「如来寿量品」と並んで『法華経』 の枢要に位置付けられるのは周知の通りである。その所以 は、開三顕一と言われる一乗法の開演と相俟って、経の本 懐でもある二乗の授記得道が初めて開示されるからであろ う。 「 方 便 品 」 で は、 仏 が 三 昧 よ り 安 祥 と し て 起 ち、 舎 利 弗 に無量無辺なる未曾有の法を成就した旨を示すところから 教説が始まる。その後、三止三請・五千起去・仏出世の本 懐 で あ る 開 示 悟 入 の 四 仏 知 見・ 五 仏 章 な ど が 長 行 で 展 開 し、 重 頌 で は こ れ ら に 加 え て 九 分 教 や 四 難 な ど も 示 さ れ る。重要な教説を挙げてみると、諸法実相・十如是は三止 三請の第一止で開示され、一大事因縁は四仏知見の段で明 言される。開三顕一は、三止三請第一止の終わりの部分で 三乗方便が明かされ、五仏章の冒頭部分で一乗真実が開示 される。 取り上げるべき教説は他にもあるが、同品の中で二乗の 授 記 作 仏 に 関 わ る 記 述 を 見 て み る と、 先 ず 五 仏 章 の 始 め に、 仏 告 二舎 利 弗 一。 諸 仏 如 来。 但 教 二化 菩 薩 一。 諸 有 所 作 常 為 二 一事 一。唯以 二仏之知見 一示 二悟衆生 一。 「方便品」 (大正九、七頁中) と あ る。 こ こ の「 但 教 二化 菩 薩 一 」 と い う 経 文 が 重 要 な の である。それまでは―
特に三止三請が終わるまでは―
声聞・辟支仏、或いは衆生といった言葉で対告衆を示して いた。しかし、ここで一切衆生が仏の教説を聞いて得道し 得 る 菩 薩 で あ る こ と が 初 め て 明 か さ れ る の で あ る。 言 わ ば、唯仏与仏の境涯である諸法実相・十如是や仏出世の本道元禅師における授記の概念(清野) 一八七 懐である四仏知見を原拠として、ここで一切衆生を菩薩と し て 規 定 す る の で あ る。 「 諸 有 所 作 」 以 下 の 文 で 仏 の 所 作 を全て衆生を悟らせるものと定めている文がその証左とな る。そして、この直後に、 如 来 但 以 二一 仏 乗 一故 為 二衆 生 一説 レ法。 無 レ有 二余 乗 若 二 若 三 一。 「方便品」 (同) という経文があり、三乗が一乗に帰結する旨が示されるの である。これ以降、五仏章が開演するが、その中の釈迦牟 尼仏章に、 舎 利 弗。 十 方 世 界 中 尚 無 二二 乗 一。 何 況 有 レ三。 … 舎 利 弗。 若 我 弟 子。 自 謂 二阿 羅 漢 辟 支 仏 一者。 不 レ聞 中不 レ知 下諸 仏 如 来 但 教 二化 菩 薩 一事 上。 此 非 二 仏 弟 子 一。 非 二阿 羅 漢 一。 非 二 辟支仏 一。 「方便品」 (同) という経文があ る ( 9 ) 。ここで十方世界に二乗・三乗のないこ とを示している点は先の経文と連絡するが、それを敷衍し て、 「 自 ら 阿 羅 漢・ 辟 支 仏 と 思 い、 仏 が 菩 薩 の み 教 化 す る ことを聞知しないものは、仏弟子でも阿羅漢でも辟支仏で も な い 」 と 示 し て い る 点 は 、 先 に 取 り 上 げ た 「 但 教 二化 菩 薩 一」 を 開 い た も の で あ る こ と が 知 ら れ る。 即 ち、 こ の 部 分において菩薩として位置付けられる二乗の内実が明かさ れるのである。 以上のように、長行では二乗を菩薩として定める。これ を以て重頌では具体的に授記が示されるのである。重頌に お い て「 大 乗 の 入 る 本 と 」 と し て 九 分 教 を 説 き 示 し た 後 に、 有 三仏子心浄 柔軟亦利根 無量諸仏所 而行 二深妙道 一 為 二 此 諸 仏 子 一 説 二是 大 乗 経 一 我 記 三 如 レ 是 人 来 世 成 二 仏道 一 「方便品」 (大正九、八頁上) と い う 二 行 の 偈 頌 が あ る。 経 文 で は、 「 心 浄 く 柔 軟 で あ り、また利根であってあらゆる仏の在所において深妙なる 仏道を行ずるもの、これを仏子とし、仏はこれら仏子のた めに大乗経を説く」と記している。この「大乗経」とは、 直前に「大乗に入る本と」として九分教が示されているこ と を 考 慮 す る と、 『 法 華 経 』 自 体 で あ る と 理 解 し 得 る。 そ し て「 我 記 三 如 レ是 人 来 世 成 二 仏 道 一 」 と、 仏 が 三 乗 を 開 く一乗法を説き、授記を授けることによって仏子が来世に 作仏すると明言するのである。これ同様の記述は、そのす ぐ後に、 声聞若菩薩 聞 二我所説法 一 乃至於 二一偈 一 皆成仏無 レ疑 十 方 仏 土 中 唯 有 二一 乗 法 一 無 レ二 亦 無 三 レ 除 二仏 方 便 説 一 「方便品」 (同) とある。ここで、仏の説法の一偈でも聞けば、皆等しく成 仏し得るのであって、十方の仏土には仏の方便説を除いて 二 乗 も 三 乗 も な く、 一 乗 法 し か な い と い う の は、 仏 の 教 説、即ち『法華経』によってのみ一切衆生の得道が可能で あ る こ と の 表 明 に 他 な ら な い。 こ う し た と こ ろ に、 『 法 華
道元禅師における授記の概念(清野) 一八八 経』の経文自体が授記の具現であるという主張を見ること ができるのである。また、重頌における五仏章の直前にあ る「 仏子行道已 来世得 二作仏 一」 ( 大正九、八頁中) という 半行の偈頌も同じ内容のものである。 以 上 の よ う に、 「 方 便 品 」 で は 一 乗 法 の 開 演 と 共 に、 二 乗を菩薩として規定しながら授記を与え、その作仏得道を 立言す る )(( ( 。 この「方便品」を起点として構築されるのが三周説法で あ る。 『 法 華 経 』 は 構 成 の 面 か ら、 一 経 三 段・ 二 門 六 段・ 二処三会など様々に解釈されるが、授記に関わる最も重要 な部分は迹門で展開する三周説法と言い得る。知られるよ うに、三周説法は対告衆の素質に応じて一乗法の内容を三 度 示 す 説 法 の 在 り 方 で あ る。 こ れ は 原 始 八 品 と 称 さ れ る 「 方 便 品 」 か ら「 授 学 無 学 人 記 品 」 に お い て、 そ の 教 説 が 法譬因の三説、及び正説・領解・述成・授記の四種によっ て構成され、後の教説が前の教説を受けながら相互に関連 し合って法が展開している状況をいう。 法説周では舎利弗が授記を受ける。これは「方便品」に お け る 開 三 顕 一・ 一 仏 乗 の 開 演 を 以 て 正 説 と し、 「 譬 喩 品」の始めにおいて舎利弗の領解と述成、及び授記が行わ れる。 譬喩説周では迦葉・須菩提・迦旃延・目連の四大弟子が 授 記 を 受 け る。 「 譬 喩 品 」 の 火 宅 三 車 喩 を 以 て 正 説 と し、 「信解品」の特に長者窮子喩を領解、 「薬草喩品」の三草二 木喩を述成、 「授記品」全体を授記とする。 因縁説周では富楼那を始めとする五百人の弟子が授記を 受 け る。 「 化 城 喩 品 」 の 特 に 化 城 宝 処 喩 を 以 て 正 説 と 為 し、 「 五 百 弟 子 受 記 品 」 の 衣 裏 繋 珠 喩 が 領 解、 同 品 の そ れ 以 下 の 部 分 が 述 成 と 授 記 に 該 当 す る。 更 に、 「 授 学 無 学 人 記品」では阿難と羅睺羅、及び二千人の弟子が授記を受け る。 三周説法の構造と概要は以上の通りであるが、この後に は「法師品」が控えている。当品では、それまでの諸品が 個 別 授 記 で あ っ た の に 対 し、 『 法 華 経 』 の 一 偈 一 句 を 聞 い て一念随喜するものには等しく記を与え る )(( ( という総授記が 説かれ、更に対告衆が二乗から菩薩に変わる。一切衆生の 済度を根本的使命とする『法華経』の精神からすれば、こ うした授記の飛躍的な展開は当然の帰結と言えよう。これ 以降、次の「見宝塔品」では多宝仏が出現して釈迦仏を証 明 し ( 二 仏 並 坐 ) 、「 提 婆 達 多 品 」 で は 悪 人・ 女 人 に 対 す る 授 記 が 説 か れ る。 更 に、 「 常 不 軽 菩 薩 品 」 に 到 る と 未 発 心 のものにまで授記が与えられることになる。 以 上 の よ う に、 『 法 華 経 』 で は「 方 便 品 」 の 法 開 会 を 基 盤として人開会が説かれ、授記を根拠として万善成仏の思 想が立体的に組み上げられてゆくのである。
道元禅師における授記の概念(清野) 一八九
四、引用文より見る「授記」巻の構造
「 授 記 」 巻 は、 八 種 の 引 用 文 と 道 元 の 説 示 に よ っ て 構 成 される。従って、授記に対する道元の基本概念や思想的展 開を考察するには、先ず引用文の典拠とその原意を突き止 める必要があると考えるが、この点については既に池田氏 が詳細な検討を行ってい る )(( ( ため、ここでは先行研究に準じ て「授記」巻の引用とその典拠を示しながら私見を述べた い。 最初の引用文は、授記の観念に関するものである。道元 は「仏言、それ授記に多般あれども、しばらく要略するに 八 種 あ り 」 (『 全 集 』 一、 二 四 八 頁 ) と 述 べ、 以 下 の 文 を 提 示する。 一 者 自 己 知 他 不 レ 知。 二 者 衆 人 尽 知 自 己 不 レ 知。 三 者 自 己・ 衆 人 倶 知。 四 者 自 己・ 衆 人 倶 不 レ知。 五 者 近 覚 遠 不 レ 覚。六者遠覚、近不 二知覚 一。七者倶覚。八者倶不 レ覚。 (同) 従 来、 こ の 文 の 典 拠 は『 瓔 珞 経 』 と さ れ て き た )(( ( 。 し か し、 経 文 と 引 用 文 に は 表 現 の 異 同 や 順 序 の 入 れ 替 え が あ る。従って、この文は『瓔珞経』の経文を踏襲したもので は な い と 言 え る。 そ こ で 注 目 す べ き が『 法 華 文 句 』 ( 以 下 『 文 句 』) で あ る。 本 書 が『 法 華 経 』 の 経 文 を 注 釈 し た 天 台 智 顗 ( 五 三 八 ― 五 九 七、 以 下 智 顗 ) の 講 説 書 で あ る こ と は 周 知の通りであるが、その「授記品」の解釈に『瓔珞経』を 用いた以下の文がある。 瓔 珞 第 九 八 種 授 記。 己 知 他 不 レ知。 衆 人 尽 知 己 不 レ知。 己 衆 倶 知 己 衆 倶 不 レ知。 近 覚 遠 不 レ覚。 遠 覚 近 不 レ覚。 倶 覚 倶 不 覚。 己 知 他 不 知 者。 発 心 自 誓 未 二広 及 一レ人。 未 レ得 二四 無 所 畏 一。 未 レ得 二善 権 一故。 衆 人 尽 知 己 不 知 者。 発 心 広 大 得 二 無 畏 善 権 一故。 皆 知 者。 位 在 二七 地 一無 畏 善 権 得 二空 観 一故 。 皆不 知 者 。 未 レ入 二七 地 一未 レ得 二無 著 行 一( 云 云 )。 遠 者 不 覚 者 弥 勒 是 也。 諸 根 具 足 不 レ 捨 二如 来 無 著 之 行 一故。 近 者 不 覚。 此 人 未 レ能 レ演 二 説 賢 聖 之 行 一。 師 子 膺 是 也 。 近 遠 倶 覚 者 。 諸 根 具 足 不 レ捨 二無 著 之 行 一。 柔 順 菩 薩 是 也 。 近 遠 倶 不 覚 者 。 未 レ得 二善権 一不 レ能 三悉知 二如来蔵 一。等行菩薩是也。 余 経 又 云。 近 知 者 従 二現 仏 一得 レ記 也。 如 二弥 勒 等 一。 遠 知 者。 不 レ従 二今 仏 一従 二当 仏 一得 レ記。 如 三仏 語 二弊 魔 一弥 勒 当 レ 与 二 汝 記 一。 近 遠 倶 知 者。 今 当 仏 倶 与 レ 記 也。 近 遠 倶 不 知 者。今当仏倶不 レ記也。 巻第七上(大正三四、九七頁中) こ の 文 は 純 粋 に 経 文 を 解 釈 し た も の で は な く、 「 授 記 品」という品題に対する注釈である。従って、これは授記 に対する智顗の総論と言い得る。 ここでは「己知他不知」 「衆人尽知己不知」 「己衆倶知」 「 己 衆 倶 不 知 」「 近 覚 遠 不 覚 」「 遠 覚 近 不 覚 」「 倶 覚 」「 倶 不 覚」という八種を示して講説を行っている。道元禅師における授記の概念(清野) 一九〇 文 に 従 え ば、 「 己 知 他 不 知 」 は、 未 だ 四 無 所 畏・ 善 権 を 得ていないため、発心して自ら誓っても広く人に及ぶこと はないということ。 「 衆 人 尽 知 己 不 知 」 は、 四 無 所 畏・ 善 権 を 得 る た め、 発 心広大であること。 「 己 衆 倶 知 」 は、 七 地 に 在 っ て 四 無 所 畏・ 善 権 を 以 て 空 観を得ること。 「 己 衆 倶 不 知 」 は、 未 だ 七 地 に 入 っ て お ら ず、 そ れ は 無 著の行を得ていないためであるという。 「 近 覚 遠 不 覚 」 は、 諸 根 を 具 足 し て い る た め に 如 来 は 無 著の行を捨てないのであり、これは弥勒菩薩に相当すると いう。 「 遠 覚 近 不 覚 」 は、 こ う し た 人 は 未 だ 賢 聖 の 行 を 説 く こ とができないため、師子膺に相当するという。 「 倶 覚 」 と は、 諸 根 を 具 足 し て 無 著 の 行 を 捨 て な い た め、これは柔順の菩薩に相当するという。 「 倶 不 覚 」 と は、 未 だ 善 権 を 得 て お ら ず、 悉 く 如 来 蔵 を 知 る こ と が な い た め、 こ れ は 等 行 の 菩 薩 に 相 当 す る と い う。 さて、この『法華文句』の文と道元の記述を比較して見 る と、 「 自 己 」 と「 衆 人 」 の 記 述 に 若 干 の 異 同 が 見 ら れ る ものの、八種の内容については殆ど『文句』と重なること が指摘できる。従って、第一の引用文の典拠は『文句』で あることが知られるのである。また、この引用の直後には 「 或 従 知 識 し て 一 句 を き き、 或 従 経 巻 し て 一 句 を き く こ と あるは、すなはち得授記なり」 (『全集』一、二四八―二四九 頁 ) と い う 説 示 が 見 ら れ る。 或 従 知 識 或 従 経 巻 が『 摩 訶 止 観 』 ( 以 下『 止 観 』) の 文 言 で あ る こ と は 言 う ま で も な い。 こうした点も考慮すると、道元の授記理解の背景には智顗 や 荊 渓 湛 然 ( 七 一 一 ― 七 八 二、 以 下 湛 然 ) が 構 築 し た 天 台 学 における法華解釈が潜んでいると考え得るのである。 次 の 引 用 文 は、 玄 沙 師 備 ( 九 三 五 ― 九 〇 八、 以 下 玄 沙 ) と 雪峰義存 (八二二―九〇八、以下雪峰) の問答である。 玄 沙 院 宗 一 大 師、 侍 二雪 峰 一次、 雪 峰 指 二面 前 地 一云、 這 一 片 田 地、 好 造 二箇 無 縫 塔 一。 玄 沙 曰、 高 多 少。 雪 峰 乃 上 下 顧 視。 玄 沙 云、 人 天 福 報 即 不 レ無、 和 尚 霊 山 授 記、 未 二夢 見在 一。雪峰云、你作麼生。玄沙曰、七尺八尺。 『全集』一(二四九頁) ここでは、雪峰が「一片田地」と「無縫塔」を全法界に 準えて示し、玄沙が高さの多少を諮問している。それに対 し て 雪 峰 が「 上 下 顧 視 」 し て、 無 縫 塔 ( 全 法 界 ) が 無 辺 際 の実相であることを示す。玄沙は更に「人間界・天上界に おける福の果報がないわけではないが、和尚は、釈尊と摩 訶迦葉の霊山の授記は、未だ夢にも見ないという」と述べ て い る。 そ れ に 対 し て 雪 峰 は「 作 麼 生 」 と 問 い、 玄 沙 は 「 七 尺 八 尺 」 と 答 え、 授 記 の 無 量 無 辺 な る 性 質 を 示 し て い
道元禅師における授記の概念(清野) 一九一 る。 この問答については、種々の典籍に記載があるため、典 拠 を 規 定 す る こ と は 困 難 で あ る が、 『 聯 灯 会 要 』 ( 以 下『 会 要 』) に 一 致 す る 記 事 が 存 在 す る )(( ( 。 他 の 典 籍 に も 同 様 の 記 事 は 存 在 す る が、 「 授 記 」 巻 の 記 述 と 合 致 す る の は『 会 要』のみであることが指摘できる。 第 三 に「 古 仏 云 」 と し て 記 さ れ て い る 文 は、 雲 頂 山 の 僧・徳敷が詠んだ十詩の中の最後の一詩を転じたものであ る。典拠は『景徳伝灯録』 (以下『景徳』 ) である。 古 今 挙 払 示 二東 南 一、 大 意 幽 微 肯 易 レ参 、 此 理 若 無 二師 教 授 一、 欲 下将 二何見 一語 中玄談 上。 『全集』一(二五一頁) 文意は「古今の祖師は払子を挙して東西の人々に道を示 す。その大意は幽微であり、容易く理解できようか。この 理は、若し師の教授がなければ、いかなる見識を以て玄妙 な語らいをしようというのか」となろう。ここで最後の一 文、即ち「師による教授」に力点を据えていることは明ら かである。それ故、この文を示した後で「授記はさだめて 雪 峰 の 授 記 あ る べ し、 玄 沙 の 授 記 あ る べ し 」 (同 ) と 説 く のであろう。ところで、この文は『景徳』に、 古 今 以 レ払 示 二東 南 一。 大 意 幽 微 肯 易 レ参。 動 レ指 掩 レ頭 元 是 一。 斜 レ眸 拊 レ掌 固 非 レ三。 道 吾 無 レ笏 同 人 会。 石 鞏 彎 レ弓 作 者 諳 。 此 理 若 無 二師 印 授 一。 欲 下将 二何 見 一語 中玄談 上。 「古今大意」 (大正五一、四五六頁中) と記されている律詩の起聯と結聯を結合したものである。 これは「古今大意」と題する詩であり、仏法を展開した 祖師の大意を詠ったものである。ここで注目すべきは「動 レ指 掩 レ 頭 元 是 一。 斜 レ眸 拊 レ 掌 固 非 レ 三 」 と い う 前 聯 で あ る。この文意は「指を動かして頭を覆っても元来は一であ る、眼を斜めにして掌を撫でても元より三ではない」とな ろ う が、 こ れ を 簡 潔 に 言 え ば「 ど の よ う で あ れ、 三 は な く、 本 源 は 一 で あ る 」 と い う こ と に な る。 こ の「 三 」 と 「 一 」 が 何 を 表 し て い る の か 明 白 で は な い が、 結 聯 の「 師 印授」という一語に授記の意味を見出せば『法華経』の一 仏乗の開顕による開三顕一を背景に据えていることが予測 できる。徳敷に関する伝記は少なく、彼が『法華経』を所 依としてこの律詩を作成したという証拠はない。しかし、 「 授 記 」 巻 の 引 用 状 況 か ら す れ ば、 少 な く と も 道 元 は そ の ように捉えたと推測し得るのである。その所以は、この引 用文を転機として、これ以降の引用が殆ど『法華経』の経 文で占められており、説示の中にも同経の経句が多く用い られていることによる。 そうした状況から推し量れば、この第三の引用文は「授 記」に対して「必ず師に導かれる」という特性を与えなが ら、後に続く『法華経』の引用を喚起する呼び水と言い得 るのである。 さて、これ以降の引用文は、最後の一文以外、全て『法
道元禅師における授記の概念(清野) 一九二 華経』の経文である。第四の引用文は「序品」の経文であ る )(( ( 。 古仏いはく、相継得 二成仏 一、転次而授記 『全集』一(二五二頁) 「 序 品 」 は 「 如 レ是我 聞 。 一 時仏住 二王 舎 城 耆 闍 崛山 中 一。 与 二大比丘衆万二千人 一倶」 ( 大正九、一頁下) という六成就 に 始 ま る。 仏 は 四 衆 に 囲 遶・ 供 養・ 恭 敬・ 尊 重・ 讃 歎 さ れ、諸々の菩薩のために大乗の無量義、菩薩を教える法、 仏に護念されるものと名付ける法を説き、終わって結跏趺 坐し、無量義処三昧に入り、此土の六瑞・他土の六瑞を現 成する。これを見た弥勒は、その説明を文殊に求める。文 殊 の 応 答 に よ れ ば、 「 過 去 に 日 月 灯 明 仏 が『 無 量 義 経 』 を 説き、無量義処三昧に入った後に奇瑞があり、妙光菩薩に 対して『法華経』を説いた。また、徳蔵菩薩に授記して涅 槃に入った。仏の滅後、妙光菩薩は『法華経』を説き、そ の教示を聞いた日月灯明仏の八子は次々と仏に成った。そ の最後に成仏した八番目の仏が燃灯仏である」という。こ れが長行と重頌によって説かれるが、この文は重頌で日月 灯明仏の八子が妙光菩薩に教化されて成仏する様子を説く 一段の記述である。 道元がこの文を引用した意図は、直後で「いはくの成仏 は、 か な ら ず 相 継 す る な り、 相 継 す る 少 許 を 成 仏 す る な り。 こ れ を 授 記 の 転 次 す る な り 」 (同 ) と 示 し て い る こ と から、授記が一時的なものではなく、展転と受け継がれて いくことを明示するためであると言い得る。それは説示の 中 で、 「 い ま 諸 仏 諸 祖 の 現 成 す る は、 施 為 に 転 次 せ ら る る な り 」 ( 同 ) と か「 こ れ す な は ち 相 継 得 成 仏 な り、 相 継 得 滅 度 等 な り、 相 継 得 授 記 な り、 相 継 得 転 次 な り 」 ( 同 ) 等 と説いていることからも明らかであろう。ただし、そうし た授記は無条件に相継するのではなく、師に教示・教導さ れ る こ と に よ っ て 初 め て 現 成 す る と い う。 道 元 は そ れ を 「 い ま 仏 面・ 祖 面 の 面 面 に 相 見 し、 面 面 に 相 逢 す る は 相 継 な り 」 (『 全 集 』 一、 二 五 三 頁 ) と 説 い て い る。 そ う し た 説 示を踏まえると、この引用は先述した第三の引用文を受け たものであることが解るのである。 第五の引用文は「五百弟子受記品」の経文である。 古 仏 い は く、 我 今 従 レ仏 聞 二授 記 荘 厳 事、 及 転 次 受 一レ決、 身 心遍歓喜。 (同) 「 五 百 弟 子 受 記 品 」 は「 授 学 無 学 人 記 品 」 と 並 ん で 三 周 説 法 に お け る 因 縁 説 周 の 授 記 段 に 位 置 し、 「 化 城 喩 品 」 の 因 縁 説 を 受 け て、 富 楼 那 を 始 め と す る 千 二 百 人 の 阿 羅 漢 の、 特 に 五 百 人 に 授 記 を 与 え る 一 品 で あ る。 経 文 に よ れ ば、富楼那は未来に菩薩行を積んで法明如来になり、憍陳 如や優楼頻螺迦葉等の五百人の阿羅漢は、同じく普明如来 になると予告されている。当品では、法華七喩の「衣裏繋 珠喩」を以て領解が記されている。この文は憍陳如等が授
道元禅師における授記の概念(清野) 一九三 記の領解を重頌で述べる最後の一行である。 ここに「及転次受決」と記されていることから、経意は 「 序 品 」 の「 相 継 得 二成 仏 一 転 次 而 授 記 」 と 同 義 と 考 え ら れようが、注目すべきは「我今従仏聞授記荘厳事」という 記述である。授記が「荘厳事」であるのは言うまでもない が、ここでは更に「今」と「仏従」という意が加えられて おり、更には、遍き「身心歓喜」が述べられていることが 指摘できる。つまり、この一文は今・仏従・授記・転次・ 身心歓喜という五つの要素を以て成立しているのである。 「 授 記 」 巻 に は、 こ の 引 用 の 後 に「 授 記 荘 厳 事、 か な ら ず 我 今 従 仏 聞 な り。 我 今 従 仏 聞 の 及 転 次 受 決 す る と い ふ は、 身 心 遍 歓 喜 な り 」 ( 同 ) と い う 説 示 が あ り、 ま た「 及 転 次 は 我 今 な る べ し 」 ( 同 ) と も 説 か れ て い る。 こ こ で 「 今 」 に 焦 点 が 当 て ら れ て い る こ と は 明 白 で あ る。 更 に 「 従 仏 聞 な る べ し 」 ( 同 ) と「 従 仏 」 を 重 視 し て い る 点 に も 注意を払わなければならない。 知られるように、道元の法門は「而今の現成」である。 こ の 経 文 は、 そ の 立 場 と 既 に 説 示 し て い る「 師 に 従 う 」 ( 或 従 知 識 或 従 経 巻 ) と い う 認 識、 及 び「 転 次 」 と い う 授 記 の 性 質 を 複 合 的 に 具 え て お り、 加 え て 授 記 を「 荘 厳 事 」 「 身 心 遍 歓 喜 」 と し て 説 い て い る。 こ れ ら を 勘 案 す る と、 この第五の引用文は道元の基本的立場と授記の性質の両者 に通じる経文と考え得るのである。 第六と第七の引用文は、共に「法師品」の経文であ る )(( ( 。 ここで注意すべきは、原文では両者が一連の文として記さ れているが、道元はそれを二分して引用していることであ る。その状況から、第六と第七の引用文には各々明確な意 図があると考え得るのである。その点を弁えながら、先ず 第六の引用文について考察を行いたい。 釈 迦 牟 尼 仏、 因 二薬 王 菩 薩 一、 告 二八 万 大 士 一、 薬 王、 汝 見 下 是大衆中、無量諸天・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼 羅・緊那羅・摩睺羅伽、人与非人、及比丘・比丘尼・優婆 塞 ・ 優 婆 夷 、 求 二声 聞 一者 、 求 二辟 支 仏 一者 、 求 二仏 道 一者 上、 如 レ是 等 類、 咸 於 二仏 前 一、 聞 二妙 法 華 経 一 偈 一 句 一、 乃 至 一 念 随 喜 者 、 我 皆 与 二授 記 一。当 レ得 二阿耨多羅三藐三菩提 一。 『全集』一(二五三―二五四頁) 「 法 師 品 」 は 迹 門 流 通 分 の 初 め に 位 置 し、 薬 王 菩 薩 に 向 けて『法華経』の流布と衆生の教化を説く一品である。三 周説法における対告衆は阿羅漢であったが、当品に到って 説示の対象が菩薩に移る。 「法師品」では「 『法華経』は諸 仏が受持・守護してきた真実の法であり、信じ難く、解り 難き法である。故に仏の在世たる現在においても怨嫉が多 いのであるから、滅度の後は尚更である。そうした仏の滅 後に『法華経』を説く者は大菩薩であり、如来と同等に供 養すべき存在であって、仏の使いである」と示し、更に、 弘経の方法として如来の衣坐室が説かれ、譬喩として「高
道元禅師における授記の概念(清野) 一九四 原穿鑿喩」が示される。 この引用文は「法師品」冒頭の一文である。該当箇所で は 仏 が 薬 王 菩 薩 に 対 し、 「 諸 々 の 衆 生 が 仏 の 御 前 に お い て 『 法 華 経 』 の 一 言 一 句 を 聞 き、 一 念 で も 経 に 従 い、 歓 喜 す る者には皆授記を与え、阿耨多羅三藐三菩提を得る」とい う。 「 授 記 」 巻 で は、 こ の 経 文 を 引 用 し た 後 に「 如 是 等 類 と い ふ は、 こ れ 法 華 類 な り 」 (『 全 集 』 一、 二 五 四 頁 ) と あ る。その説示から、道元は「一切衆生は『法華経』の教説 に よ っ て 授 記 が 現 成 し、 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 を 成 就 し 得 る」という見解を有していることが推察できる。また、そ れ に 続 く「 咸 於 仏 前 と い ふ は、 咸 於 仏 中 な り 」 ( 同 ) と い う説示からは、授記の施与は必ず「今」に行われるという 意 識 が 読 み 取 れ る。 こ れ は、 例 え ば「 十 方 」 巻 の 始 め で 「 方 便 品 」 の「 十 方 仏 土 中、 唯 有 一 乗 法 」 ( 大 正 九、 八 頁 上 ) と い う 重 頌 を 引 き な が ら、 「 こ の 娑 婆 国 土 は、 釈 迦 牟 尼仏土なるがごとし…十方仏土の七尺八尺なることを参学 す べ し 」 (『 全 集 』 二、 九 二 頁 ) と か、 「 法 華 転 法 華 」 巻 の 冒 頭 で「 十 方 仏 土 中 は 法 華 の 唯 有 な り 」 (『 全 集 』 二、 四 八 七 頁 ) と 説 く よ う な、 三 世 十 方 の 全 て に お い て『 法 華 経 』 を 離れることはないという理解に重なるものであろう。 次は、第七の引用文であ る )(( ( 。 釈 迦 牟 尼 仏 告 二薬 王 一、 又 如 来 滅 度 之 後、 若 有 レ人 聞 二妙 法 華 経、 乃 至 一 偈 一 句 一、 一 念 随 喜 者、 我 亦 与 二授 阿 耨 多 羅 三藐三菩提記 一。 『全集』一(二五四頁) こ れ も 第 六 の 引 用 文 と 同 じ く、 薬 王 菩 薩 に 対 し て「 『 法 華経』の一偈一句を聞いて一念でも随喜すれば授記が与え られ、阿耨多羅三藐三菩提を成就し得る」と説く仏の教示 である。ただし、ここでは「又如来滅度之後」とあるよう に、仏滅後に焦点を置いている点が先の文と異なる。要す るに、先の経文は仏が『法華経』を説く「今」における授 記を示しているが、この文は三世に渡る授記の性質を基礎 として仏の滅後、即ち「未来」における授記を明示してい るのである。 道元が「法師品」の経文を分けて引用したのは、恐らく こ の 箇 所 が 久 遠 の「 今 」 と「 未 来 」、 両 方 の 授 記 を 説 い て い る か ら で あ ろ う。 そ の 焦 点 の 違 い を 際 立 た せ る こ と に よって、授記が単に三世に敷衍するものではなく、三世に 展開しながらも各々に現成することを主張していると推察 する。だからこそ、この経文を引用した後に「この道理、 よく過去・現在・未来を授記するなり。授記中の過去・現 在・未来なるがゆえに、自授記に現成し、他授記に現成す る な り 」 (『 全 集 』 一、 二 五 五 ― 二 五 六 頁 ) と 説 示 す る の で は なかろうか。 第八の引用文は『維摩経』 「菩薩品」の経文であ る )(( ( 。 維 摩 詰 謂 二弥 勒 一言、 弥 勒、 世 尊 授 二 仁 者 一記、 一 生 当 レ得 二
道元禅師における授記の概念(清野) 一九五 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 一、 為 下 用 二何 生 一 得 中 受 記 上乎。 過 去 耶、未来耶、現在耶。若過去生、過去生已滅。若未来生、 未 来 生 未 レ至。 若 現 在 生、 現 在 生 無 レ 住。 如 二 仏 所 説 一、 比 丘、 汝 今 即 時、 亦 生・ 亦 老・ 亦 滅。 若 以 二 無 生 一 得 二 受 記 一 者、 無 生 即 是 正 位。 於 二正 位 中 一、 亦 無 二 受 記 一、 亦 無 レ得 二 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 一。 云 何 弥 勒 受 二一 生 記 一乎。 為 下従 二如 生 一得 中受 記 上耶 、 為 下従 二如 滅 一得 中受 記 上耶 。 若 以 二如 生 一得 二 受 記 一者 、 如 無 レ有 レ生 。 若以 二如 滅 一得 二受 記 一者 、 如 無 レ有 レ 滅。 一 切 衆 生 皆 如 也、 一 切 法 亦 如 也。 衆 聖 賢 亦 如 也。 至 二 於 弥 勒 一亦 如 也 。 若 弥 勒 得 二受 記 一者 、 一 切 衆 生 亦 応 二受 記 一。 所 以 者 何。 夫 如 者、 不 二 不 異。 若 弥 勒 得 二阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 一 者、 一 切 衆 生 皆 亦 応 レ得。 所 以 者 何。 一 切 衆 生 即 菩 提相。 『全集』一 (二五六頁) この文は、病床に就いている維摩居士を見舞うよう仏に 告げられた弥勒が、その申し出を断る部分の記事である。 従来、この授記説と『法華経』の授記思想に矛盾があるの ではないかという議論があった。しかし、道元はこれを承 知した上で「維摩詰の道取するところ、如来これを不是と い は ず 」 (『 全 集 』 一、 二 五 七 頁 ) と 示 し、 最 後 の 引 用 文 に 据 え る の で あ る。 『 法 華 経 』 の 授 記 説 を 引 用 し た 後 に こ の 経文を引いていることは、そうした疑義に対する道元なり の回答と思われる。 池田氏の説によれば、その背景には第一の引用文と同じ く、 『文句』の論説が潜在しているという。 梵 音和 伽 羅 此 云 二授 記 一。 諸 経 破 二受記 一。 浄 名 云 。 従 二如 生 一 得 レ 記。 従 二 如 滅 一 得 レ記。 如 無 二 生 滅 一 則 知 レ 無 レ 記。 思 益 云。 願 不 レ聞 二記 名 一。 大 品 云。 受 記 是 戯 論。 今 経 云 何。 答 若 見 下有 レ記 記 上 レ人 此 見 須 レ破。 菩 薩 誓 レ記 此 記 須 レ与。 世 諦 故記第一義故無。四悉適 レ時如下説。 巻第七上(大正三四、九七頁上) こ こ で は、 「 諸 経 」 と し て『 維 摩 経 』『 思 益 経 』『 大 品 般 若経』を挙げ、受記を排斥しているかのような各々の教説 を 示 し て『 法 華 経 』 の 授 記 と 矛 盾 し な い か 検 討 を 行 い、 「矛盾しない」と論じている。それは、 「受記を「個」と認 識してそれを人に与えると理解すれば、これは排斥すべき 説であるが、菩薩は記を誓うが故に、記を与えるから」で あるという。典拠の文を見ると、この後に第一の引用文の 基礎となる記述がある。その状況から、道元は『文句』の 論説を介して『維摩経』の経文を引用していると考え得る のである。 「 授 記 」 巻 の 引 用 文 を 検 討 し て み る と、 道 元 は『 法 華 経』の授記思想を基礎に据えながら、そこに『文句』の解 釈を重ねて説示を展開していることが解る。それに加え、 『 会 要 』 や『 景 徳 』 か ら 祖 師 の 文 言 を 引 用 し、 教 理 的 な 授 記 の 理 解 に 一 層 の 厚 み を 与 え て い る の で あ る。 特 に『 景 徳』における徳敷の律詩を以て、祖師の教示と『法華経』
道元禅師における授記の概念(清野) 一九六 の教説を結合させている点などは、道元の独創的な授記の 展開と言えよう。また、第一と第八の引用文が『文句』に よって結ばれる点は重要である。両者は共に「釈授記品」 冒頭部分の論説であり、直接的な経文の解釈ではない。そ れ は つ ま り、 『 法 華 経 』 を 総 括 的 に 捉 え た 上 に 立 て ら れ た 「 授 記 品 」 に 対 す る 智 顗 の 総 合 的 見 解 と 言 い 得 る 部 分 の 記 事である。以上のことから、道元は授記の概念を構築する に 当 た っ て、 『 法 華 経 』 を 基 盤 に 据 え、 そ れ を 智 顗・ 湛 然 の天台法華学における授記解釈によって開き、その上に祖 師の授記観を重ねていると推察し得るのである。
五、道元の授記思想
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まとめに代えて
「 授 記 」 巻 は「 仏 祖 の 大 道 は、 授 記 な り 」 (『 全 集 』 一、 二 四 七 頁 ) と い う 一 文 に 始 ま る。 こ こ か ら、 道 元 は 授 記 を 仏 祖単伝の大道であり、参学の枢要と認識していたことが解 るのであるが、それに続けて、 その授記の時節は、いまだ菩提心をおこさざるものにも授 記す、無仏性に授記す、有仏性に授記す、有身に授記し、 無身に授記す、諸仏に授記す。諸仏は、諸仏の授記を保任 するなり。 (同) という説示が見受けられる。ここで未発心・無仏性・有仏 性・有身・無身の授記が語られ、更に諸仏に対する授記も 提言されているが、これを『法華経』の授記思想に重ねて 見 る と、 未 発 心 は「 常 不 軽 菩 薩 品 」、 有 身・ 無 身 は「 法 師 品 」 を 始 め と す る 諸 品、 諸 仏 に つ い て 説 い て い る 部 分 は 「 見 宝 塔 品 」 な ど に 重 な る と 言 え る。 ま た、 有 無 の 仏 性 に ついては、 「仏性」巻などを考慮すると、 『涅槃経』の仏性 説 が 関 わ る こ と が 推 察 さ れ る が、 仏 性 と 授 記 の 関 連 性 は 『法華経』にもある。 法華学においては、古来『法華経』に仏性の文字のない ことが問題にされてきたが、古人は「常不軽菩薩品」の、 我 深 敬 二汝 等 一不 二 敢 軽 慢 一。 所 以 者 何。 汝 等 皆 行 二菩 薩 道 一 当 レ得 二作仏 一。 「常不軽菩薩品」 (大正九、五〇頁下) と い う 経 文 を「 二 十 四 字 の 記 莂 」 と 称 し、 こ れ に『 涅 槃 経』で説く「一切衆生悉有仏性」の意を見出した事実があ る )(( ( 。『 文 句 』 に お い て も、 こ の 点 に つ い て 詳 細 な 論 を 立 て て い る )(( ( 。 そ う し た 点 を 勘 案 す る と、 道 元 は 従 来 の『 法 華 経 』 解 釈 を 踏 ま え た 上 で 先 の 説 示 を 構 築 し て い る と 考 え る。従って、授記に対する道元の基本的概念は、伝統的な 法華学によって培われたと言い得るのである。 そして、その授記は直後の、 得授記ののちに作仏す、と参学すべからず、作仏ののちに 得授記す、と参学すべからず。授記時に作仏あり、授記時 に修行あり。このゆえに、諸仏に授記あり、仏向上に授記 あり。自己に授記す、身心に授記す。授記に飽学措大なる とき、仏道に飽学措大なり。 (同)道元禅師における授記の概念(清野) 一九七 という説示に明らかなように、作仏として展開する。 先述の通り、通例ならば授記は作仏の前提として位置す るわけであるが、ここで道元は、そうした従来の認識を超 え、授記の後に作仏するのでも、作仏の後に授記を得るの でもないと述べ、授記の時点に作仏・修行があると説く。 彼の修証論が、修行と証果の一体論であることは本稿の始 めに述べた通りであるが、その基本概念に照らせば、授記 に よ っ て 修 証 の 課 題 が 一 等 と し て 結 ば れ る と 考 え ら れ よ う。言わば、道元は単なる成仏・作仏の因として授記を説 くのではなく、而今の修証を一等たらしめる根拠となる因 果融即的な仏の証明として授記を捉えていると言い得るの で あ る。 だ か ら こ そ、 こ こ で「 諸 仏・ 仏 向 上 に 授 記 が あ り、自己・身心に授記する」と示すように、修証一等の自 己を仏として向上にあらしめる授記、即ち修証の尽時に現 成する授記を説くのではなかろうか。その意識は、この後 の「 授 記 は 自 己 を 現 成 競 り、 授 記 こ れ 現 成 の 自 己 な り 」 (『全集』一、二四八頁) という説示に表れている。 以 上 の よ う に 道 元 は 授 記 を 現 前 の 事 実 と し て 捉 え た。 「 授 記 」 巻 は、 こ の 後 先 述 し た 八 種 の 引 用 文、 及 び 祖 師 の 言葉や『法華経』の経句を駆使した道元の説示によって展 開する。 その中で特に重要なのは、第四の引用文以降であると推 察する。道元は、先ず第四の引用文を承けて、 仏授記・祖授記の転次する、廻避するところ間隙あらず 『全集』一(二五三頁) と 説 き、 授 記 が 而 今 の 一 事 で は な く 転 次 す る こ と を 提 言 し、この後の第五の引用文を承けて、 いふところは、授記荘厳事、かならず我今従仏聞なり。我 今従仏聞の及転次受決するといふは、身心遍歓喜なり。及 転次は我今なるべし、過現当の自他にかかはるべからず。 (同) と 述 べ、 荘 厳 事 で あ る 授 記 は、 必 ず 仏 に 従 い 聞 く こ と に よって転次するが、それは過去・現在の自他に関わらない 「 今 」 に 展 開 す る と 主 張 し て い る。 こ れ は、 経 文 の 読 み 替 えによる道元独自の授記解釈と見なし得るが、ここで過去 と現在の視座を踏まえながらも「今」に照準を合わせてい るところに、現実の修証に授記を重ねてゆく彼の姿勢が表 れていると考える。 この後の第六・第七の引用文が「法師品」の経文を二分 したものであり、第六の引用文は「今」に、第七の引用文 は「仏滅後」に焦点を当てた文であることは先に述べた通 りである。従って、両者は第五の引用と説示の展開として 認識し得る。 第六の引用文に対する説示において、道元は、 如是等類といふは、これ法華類なり。咸於仏前といふは、 咸於仏中なり。 『全集』一(二五四頁)
道元禅師における授記の概念(清野) 一九八 と 説 き、 「 一 切 衆 生 が 法 華 類 で あ り、 そ れ ら が 悉 く 仏 の 御 前にあるというのは、仏の中にあることに他ならない」と いう。即ち、而今の一切を法華の会座における眷属として 定 め る の で あ る。 そ し て、 「 如 是 等 類 は、 我 皆 与 授 記 な り 」 ( 同 ) と 示 し、 仏 の 授 記 が そ れ ら に 等 し く 施 与 さ れ て いるとする。 これを承けて、第七の引用文に対する説示では、 我身是也の授記あり、汝身是也の授記来あり。この道理、 よく過去・現在・未来を授記するなり。授記中の過去・現 在・未来なるがゆえに、自授記に現成し、他授記に現成す るなり。 『全集』一(二五五―二五六頁) と 説 く。 こ の 文 の「 我 身 是 也 」「 汝 身 是 也 」 は 共 に「 序 品」の経 文 )(( ( である。ここでは、それを前提として、授記が 三世を証し、三世は授記に証されているため、自他に授記 が現成すると述べている。ここで未来授記までをも含む三 世の授記を明示し、それを自他に照らして両者の同時現成 を説く道元の見解が見受けられるわけであるが、これはそ れまでの引用文を踏まえつつ、第五の引用文に対する説示 において「過現当の自他にかかはるべからず」と述べると ころの展開と見なし得る。ここに、道元における三世授記 が決したと考えるが、自他の同時現成ついては、次の第八 の引用文を承けた説示に、 弥勒の得授記、すでに決定せり。かるがゆえに、一切衆生 の得授記、同じく決定すべし。 『全集』一(二五七頁) とある。ここで、弥勒の得授記を根拠とする一切衆生の得 授記を明言していることから、道元はこれを以て自他にお ける授記の同時現成を立証していると言えよう。そして、 直後の、 受記は今日の命なり (同) という一文において、三世に展開しながらも確固として而 今の修証を一等として証する授記の現成を確言していると 推察する。 以上の考察を前提とすれば、道元にとって授記は単なる 理念ではなく、而今において有機的に機能する修証一等・ 行仏の証左であり、その修証論を成り立たせている前提概 念と言い得る。換言すれば、而今の自己を証仏たらしめる 根本要因と考えられるのである。だからこそ「授記、よく 一 切 を あ ら し む べ し 」 (『 全 集 』 一、 二 五 八 頁 ) と い う 説 示 を以て「授記」巻を結ぶのではなかろうか。 註 ( 1) 「 行 仏 」 の 語 は「 坐 禅 箴 」 巻 や「 面 授 」 巻 等、 『 正 法 眼 蔵 』 中 に 散 見 さ れ る が、 そ の 見 解 を 象 徴 的 に 説 い て い る の は「 行 仏 威 儀 」 巻 で あ る。 説 示 の 中 に「 修 証 は 性 相・ 本 末 等 に あ ら ず。 行 仏 の 去 就、 こ れ 果 然 と し て 仏 を 行 ぜ し む る に、 仏 す な は ち 行 ぜ し む 」( 『 全 集 』 一、
道元禅師における授記の概念(清野) 一九九 六一頁)とある。 ( 2) 「 行 持 上 」 巻 の 冒 頭 に「 仏 祖 の 大 道、 か な ら ず 無 上 の 行 持 あ り、 道 環 し て 断 絶 せ ず、 発 心・ 修 行・ 菩 提・ 涅 槃、 し ば ら く の 間 隙 あ ら ず、 行 持 道 環 な り 」( 『 全 集 』 一、一四五頁)とある。 ( 3) 道 元 の 授 記 思 想 を 主 題 と し た 先 行 研 究 に、 酒 井 得 元 氏 「 授 記 の 意 義 に つ い て
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正 法 眼 蔵 授 記 を 中 心 と し て―
」( 『 宗 学 研 究 』 三、 一 九 六 一 年 三 月 )、 池 田 魯 参 氏 「 道 元 の 授 記 思 想 」( 『 道 元 学 の 揺 籃 』 第 八 章、 大 蔵 出 版、 一 九 八 九 年 一 二 月 )、 奥 野 光 賢 氏「 道 元 禅 師 の 授 記 思 想 を め ぐ っ て 」( 『 宗 学 研 究 』 三 三、 一 九 九 一 年 三 月 )、 松 岡 由 香 子 氏「 道 元 に よ る『 法 華 経 』 授 記 の 解 釈 」( 『 宗 学 研 究 』 四 五、 二 〇 〇 三 年 三 月 ) が あ る。 酒 井 氏 は、 先 ず 自 己 の 当 体 を 本 来 成 仏( 本 来 の 面 目 ) と 規 定 し、 授 記 を 成 道 の 契 機 と 位 置 付 け な が ら も、 道 元 の 言 う 授 記 は「 契 機 と し て の 意 味 を 超 え て、 そ の ま ま 成 道 と 同 義 と な ら な け れ ば な ら な い 」( 二 三 頁 下 ) と 言 い、 か る が 故 に「 授 記、 作 仏、 修 行 は 同 一 事 で あ る 」 ( 同)と述べる。そして、その境涯を坐禅に重ね、 「 授記 が 修 證 不 二 の 祇 管 打 坐 を 現 成 し た 」 と 言 い、 最 後 に 授 記 を 嗣 法・ 面 授 の 根 底 と し て 定 め る。 一 方、 池 田 氏 は 「 授 記 」 巻 に 焦 点 を 絞 り、 同 巻 に お け る 引 用 文 の 典 拠 を 突 き 止 め な が ら、 特 に『 法 華 経 』 と の 関 係 性 に 注 目 し、 道 元 に お け る 授 記 思 想 の 教 理 的 解 明 に 主 眼 を 据 え て い る。 そ し て「 授 記 」 巻 の 説 示 内 容 か ら 道 元 の 授 記 観 を「 ( 序 ) 授 記 は 自 己 を 現 成 す る。 現 成 の 自 己 は 授 記 に ほ か な ら な い。 仏 祖 が 相 承 し て き た の は、 こ の 授 記 で あ っ た。 ( 1) 八 種 の 授 記 が あ る よ う に、 授 記 は 自 己 の 覚 知 を 超 え た も の で、 諸 仏 の 本 行 と し て あ り、 一 塵 一 法 も 授 記 で な い も の は な い。 ( 2) 雪 峰 と 玄 沙 の 事 跡 も 授 記 で あ る。 今 仏 の 授 記 の 中 に、 過 去 仏 の 授 記 が 現 れ る の で あ り、 霊 山 の 授 記 は、 雪 峰 の、 玄 沙 の 授 記 と し て、 そ の 真 実 を 現 す。 ( 3) 雪 峰 と 玄 沙 に よ っ て、 授 記 は「 現 成 す る 公 案 」 と な っ た。 諸 仏 が 諸 仏 か ら 授 記 を 得 る よ う す が 知 ら れ る。 ( 4) 授 記 が、 相 継 い で 転 々 次 々 す る よ う す は、 仏 祖 が 面 々 に 相 見 す る こ と で あ る。 ( 5) か く し て、 授 記 は、 我、 今 の 身 心 に 徧 参 さ れ る。 ( 6) す べ て の も の に 授 記 が 与 え ら れ て お り、 す べ て は 仏 の 眷 属 で あ る。 ( 7) 授 記 は 無 量 で あ る が、 必 ず 一 句 一 偈 と し て 現 れ、 一 念 随 喜 と し て 現 れ る。 ( 8) 菩 薩 の 授 記 と、 衆 生 の 授 記 と は 同 一 の も の で あ る。 授 記 は、 一 切 を あ ら し め る「 今 日 の 命 」 に ほ か な ら な い 」 ( 二 三 五 ― 二 三 六 頁 ) と 述 べ る。 奥 野 氏 の 論 攷 は 池 田 氏 の 考 察 を 全 面 的 に 支 持 し な が ら も、 自 身 が「 本 稿 は 道 元 禅 師 の 授 記 思 想 を 正 面 か ら 論 じ よ う と し た も の で は な い 」( 一 四 三 頁 ) と 述 べ て い る よ う に、 吉 蔵( 五 四 九道元禅師における授記の概念(清野) 二〇〇 ― 六 二 三 ) の 声 聞 成 仏 観 を 解 明 す る 過 程 で 生 起 し た 種々の問題点( 特に『 法華文句』と『 法華玄論』の関連 性)を、道元が「 授記」巻の中で『 法華文句』を引用し て い る 状 況 に 照 ら し、 両 書 の 関 連 性 か ら「 授 記 」 巻 を 考 察 し て い る。 こ れ に 対 し、 松 岡 氏 の 論 攷 は 池 田 氏 の 見 解 に 対 す る 反 論 と 見 な し 得 る。 同 氏 は、 先 ず「 授 記 」 巻 で 未 発 心・ 無 仏 性 の も の の 得 授 記 を 認 め て い る 点 と『 法 華 文 句 』 が 引 か れ て い る 点 を 取 り 上 げ、 『 法 華 文 句 』 の 解 釈 は 天 台 本 覚 思 想 に 繋 が る も の で あ る た め 道 元 の 理 解 と 異 な る と 見 て、 池 田 氏 が こ れ を 伝 統 的 な 理 解 の 範 疇 と 認 識 し て い る こ と に 異 を 唱 え て い る。 そ し て、 「 法 華 経 に 説 か れ る す べ て の 人 に 成 仏 の 保 証 と し て与えられている授記を、授記(A) …一人の師から一 人 の 弟 子 へ の 伝 法 を 意 味 す る「 授 記 」 を、 い ま 授 記 ( B) …打坐のところに成り立っている事態を授記( C) … 成 仏 の 後 の さ ら な る 授 記 で あ り、 そ れ を 今、 授 記 ( D)としたい」 ( 三八頁上―四二頁上)と言い、道元の 授 記 思 想 は こ の 四 種 に よ っ て 構 築 さ れ て お り、 そ れ が 行として発揮されているとする。 ( 4) 九 分 教 と は 経 典 を 説 示 形 式 や 表 現 形 式 か ら 九 種 に 分 け る 経 典 分 類 の 体 系 で あ る。 ま た、 十 二 種 に 分 類 す る 十 二 分 教 も あ る。 通 例、 上 座 部 仏 教 は 九 部、 大 乗 仏 教 は 十 二 部 の 分 類 方 法 を 用 い る と さ れ て お り、 そ の 性 質 か ら「 九 分 教 が 成 立 し た 後 に 十 二 分 教 が 形 成 さ れ た 」 と い う の は、 水 野 弘 元 氏「 大 乗 経 典 の 性 格 」( 宮 本 正 尊 編 『 大 乗 仏 教 の 成 立 史 的 研 究 』、 三 省 堂、 一 九 五 四 年 九 月 ) や 前 田 恵 学 氏『 原 始 佛 教 聖 典 の 成 立 史 研 究 』( 山 喜 房、 一 九 六 四 年 三 月 )、 平 川 彰 氏『 原 始 仏 教 と ア ビ ダ ル マ 仏 教 』( 『 平 川 彰 著 作 集 』 第 二 巻、 春 秋 社、 一 九 九 一 年 六 月 ) な ど が 論 じ た と こ ろ で あ っ て、 現 在 で は こ れ が ほ ぼ 定 説 と な っ て い る。 た だ、 十 二 分 教 を 主 体 と す るはずの大乗経典でも『 法華経』や『 涅槃経』は九分教 を 用 い て い る。 し か し、 両 経 の 九 分 教 は 各 々 そ の 意 図 す る と こ ろ が 異 な る。 先 に 挙 げ た 諸 氏 の 論 攷 に 従 え ば、 『 涅 槃 経 』 は 小 乗 の 象 徴 と し て 九 分 教 を 示 し て い る が、 『 法 華 経 』 は 大 乗 に 入 る 足 掛 か り と し て 説 い て い る と い う。 即 ち、 『 法 華 経 』 で は 九 分 教 を 小 乗 法 と し て 排 斥 せ ず に、 大 乗 会 入 の 要 因、 更 に 言 え ば 授 記 作 仏 の 根 幹 と し て 位 置 付 け て い る と 言 い 得 る。 こ の 点 が、 両 経 に お け る 九 分 教 の 決 定 的 な 差 異 で あ る と さ れ、 そ の 点 か ら『 法 華 経 』 の 九 分 教 は 十 二 分 教 成 立 の 後 に 再 構 築 された九分教と言われている。 ( 5)田賀氏「 インド仏教における授記思想の展開
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二乗の 授 記 に 関 連 し て―
」( 坂 本 幸 男 編『 法 華 経 の 思 想 と 文 化 』、 平 楽 寺 書 店、 一 九 六 五 年 三 月 )、 『 授 記 思 想 の 源 流 と 展 開 』( 平 楽 寺 書 店、 一 九 七 四 年 三 月 )、 「 授 記 と 譬道元禅師における授記の概念(清野) 二〇一 喩 」( 『 講 座 大 乗 仏 教 』 四「 法 華 思 想 」、 春 秋 社、 一 九 八 三年二月) (6)田賀氏「授記と譬喩」 (前掲、一六九―一七〇頁) (7)田賀氏「授記と譬喩」 (前掲、一七一―一七三頁) ( 8) 『 法 華 経 』 に お け る 授 記 の 考 察 は 枚 挙 に 暇 が な い が、 主 要 成 果 と し て 挙 げ ら れ る の は、 や は り 田 賀 氏 に よ る 一 連 の 論 攷( 前 掲 ) で あ ろ う。 近 年 の も の と し て は、 刈 谷 定 彦 氏「『 法 華 経 』「 声 聞 授 記 」 の 意 図 」( 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 四 六 ― 二、 一 九 九 八 年 )、 崔 箕 杓 氏「 『 法 華 経 』 に お け る 授 記 の 意 義 」( 『 法 華 文 化 研 究 』 三 八、 二 〇 一 二 年 ) な ど が あ る。 尚、 池 田 氏 は「 道 元 の 授 記 思 想 」( 前 掲 ) の 中 で 授 記 に 関 す る『 法 華 経 』 の 記 述 を 全 て 拾 い 上 げ( 三 三 種 )、 各 々 に 対 す る 内 容 点 検 を 行 っ て い る。 そ の た め、 本 稿 で は『 法 華 経 』 全 体 を 俯 瞰 的 に 扱 う 形 で 考 察 を 行 う こ と と し、 詳 細 は 池 田 氏 の 論 攷 に 委ねることとする。 ( 9 ) こ れ に 続 け て 「 又 舎 利 弗 。 是 諸 比 丘 比 丘 尼 。 自 謂 下已 得 二 阿 羅 漢 一是 最 後 身 究 竟 涅 槃 上。 便 不 三復 志 二求 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 一。 当 レ知 此 輩 皆 是 増 上 慢 人。 所 以 者 何。 若 有 三 比 丘 実 得 二阿 羅 漢 一。 若 不 レ 信 二此 法 一。 無 レ有 二是 処 一 。」 (「 方 便 品 」 大 正 九、 七 頁 中 ― 下 ) と い う 経 文 が 記 さ れ て い る が、 道 元 は こ の 二 つ の 経 文 を「 阿 羅 漢 」 巻( 『 全 集 』 一、 四 〇 四・ 四 〇 五 頁 ) で 引 用 し、 菩 薩 と し て 阿 羅 漢 を 規 定 し な が ら 向 上 に 仏 道 を 志 求 す る 阿 羅 漢 を 説 い て い る。 こ う し た と こ ろ を『 法 華 経 』 の 授 記 ― 二 乗 作 仏 と い う 構 図 に 照 ら し て 考 え る と、 「 授 記 」 巻 ―「 阿 羅 漢 」 巻 と い う 関 連 性 を 見 出 し 得 る と 考 え る。 こ の 点 の 考 察 は 論 を 改 め る こ と と し、 本 稿 で は 言 及 し な い こ ととする。 ( 10) こ の 二 乗 作 仏 と 関 わ る 教 説 に 五 千 起 去 が あ る。 こ れ は 三 止 三 請 の 直 後 に 示 さ れ て お り、 一 乗 法 が 開 演 す る 直 前 に 会 座 に い た 五 千 人 の 比 丘 が 退 席 す る が、 仏 は そ れ を 制 止 し な か っ た と い う も の で あ る。 こ の 教 説 が 設 定 さ れ た 理 由 と し て は、 三 止 三 請 の 後 に 開 演 す る 一 乗 法 の 権 威 を 高 め る た め で あ る と か、 二 乗 と 増 上 慢 の 衆 生 を 明 確 に 区 別 す る た め で あ る な ど、 種 々 の 説 が あ る。 と も あ れ、 教 説 の 内 容 か ら す れ ば、 仏 の 法 を 聞 く こ と の な い 五 千 人 の 比 丘 は、 授 記 作 仏 し 得 な い 存 在 で あ る こ と は 明 ら か で あ る。 そ こ で 問 題 と な る の が、 な ぜ 仏 が 五 千 人 の 退 席 を 容 認 し た の か と い う こ と で あ る。 仏 が 完 全 な 人 格 者 で あ れ ば、 退 席 す る も の を 止 め て 説 法 教 化 す る こ と も 可 能 で あ っ た は ず で あ る。 こ の 点 に 関 し て は 、 三 止 三 請 の 第 三 止 の 始 め に 「 仏 復 止 二舎 利 弗 一。 若 説 二是 事 一。 一 切 世 間 天 人 阿 修 羅。 皆 当 二 驚 疑 一。 増 上 慢 比 丘 将 墜 二於 大 坑 一 」( 大 正 九、 六 頁 下 ) と い う 記 述 が あ る。 こ の 経 文 に 従 え ば、 仏 の 教 説 を 聞 こ う と し な い