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博士(学術)高橋沙奈美 学位論文題名

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Academic year: 2021

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     博士(学術)高橋沙奈美 学位論文題名

     ソ ヴ ィ エ ト ・ ロ シ ア の 「 聖 」 な る 景 観 : 後期社会主義ロシアの文化状況における正教的遺産の役割

学位論文内容の要旨

  本論 文は序章、第1章一第5章、終章、付録、文献一覧によっ て構成されてしゝる。全 体 の 分 量 はA4横書 き281頁(400字 詰め 原稿 用紙 換 算約906枚) 、付 録は 図表 、 年表 、 翻訳な ど計7点である。

  後期 社会主義時代(1953―1991年)のソ連邦口シア共和国で は、社会主義の国是にも かかわ らず、伝統的なロシア正教にっながる文化事象が市民権を得ていた。このことは、

ソ連崩 壊後の口シアで、口シア正教会が重要な公的役割を演じ ていることとも関連して いる。 本論はこれを踏まえて、無神論を国是とするソ連社会で 口シア正教文化が市民権 を保ち 得た理由を検討するとともに、とりわけスターリン後の 後期社会主義時代に、宗 教的文 化が肯定的に評価された文化的・政治的なメカニズムを 解明し、さらに宗教文化 の 公 的 な 再 評 価 に 対 す る 、 市 民 大 衆 の 役 割 を 跡 づ け る こ と を 目 標 と し て い る 。   後期 社会 主 義社 会に おけ る正 教的 遺産の意味・役割を総合的に解 明するため、本論 では「 宗教学」および「科学的無神論」、「映画表象」、「史 跡・文化財保護運動」、

「博物 館」および「ツーリズム」、「宗教の現場」といった人 文社会科学の複数の分野 にわた るテーマを選び、各章の議論の柱としている。

  また 本論では、公的な文書資料に残りにくい社会心性に切り 込んでいくため、一般的 な出版 物や大型文書館資料のほかに、地方の文書館や博物館の資料、インタピュー記録、

博物館 来館者の残した「感想ノート」、映画の監督用シナリオ など、従来の研究がほと んど扱 ってこなかった資料に注目している。

  後期 社会 主 義の イデ オ口 ギー の様 態分析のために、本論では権威 言説に関するAIユ ルチャ ークの概念を作業概念として援用している。権威言説は 、党や政府、集会、新聞 雑誌な どで用いられる、イデオ口ギーの正統性を確認するため の固定化されたディスク ールで 、文字通りの意味次元でよりも、いつ・だれが・どこで ・どのように用いるのか という 行為の次元に重要性がある。人々は権威言説を適切に用 いるというルールに従う ことに よって、イデオ口ギーとの直接対決をさけ、私的な興味 や関心を拡大する可能性 を 得た 。社 会 主義 社会 にお ける 宗教 の展開にも、権威言説の原理が 大きく作用した。

  第1章 では 、「宗教」を客観的に検証可能な学術研究の対象として 捉えようとしたソ 連宗教 学・宗教研究と科学的無神論の展開の歴史が検討される 。「宗教」が学知の対象 となる ことは、後期社会主義時代に、宗教的文化財に対する関 心を広範に発展させるた

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めに、重要な布石であった。

  科 学的 無神論が発達した後期社会主義時代には、(「 反宗教」ではなく)宗教をテー マと した 博物館が活発な活動を展開した。一つの事例が 「宗教・無神論史博物館」で、

ここ では 宗教への批判のみならず、その発展の歴史が紹 介された。また、学芸員たちは 地方の宗教的実践につしゝて、現在の 宗教社会学が行うような調査を行うことができた。

もう ーつ の事例が「ルプリョフ名称ロシア中世芸術美術 館」で、ここでは宗教画である イコ ンや フレスコ画を美学的見地から評価するという主 張のもとに、ロシア正教の世界 観の追求が可能になった。

  第2章 では 、1960年 代以 降の 口シ ア文 化に おい て 、ア ンド レイ ・ル プリ ョフ とい う 中世のイコン画家が持った意義を、A.夕ルコフスキーの映画『アンドレイ・ルブリョフ』

を主 な題 材として論じている。ルプリョフは単なる宗教 画家としてではなく、民衆の悲 しみ、喜び、祈り、希望を調和的な美 しさの中に描き得た偉大な民衆芸術家として、1960 年代 のロ シアに市民権を得た。これを題材にしたタルコ フスキーの映画の評価は、ロシ ア・ ナシ ョナリズムの問題とも関連して、はっきりと二 分されたが、そこにはまた制作 者夕 ルコ フスキー自身の思想上の変化も反映されていた 。論文は本来マルクス・レーニ ン主 義的 イデオ口ギーを内面化していた人間夕ルコフス キーが、創作の過程でそこから 離 脱 し て い く 様 を 、 「 真 実 の 探 求 」 を キ ー ワ ー ド と し て 跡 づ け て い る 。   第3章で は、 宗教 的な 文化 財を 民族の文化遺産として 肯定的にとらえ直すことに貢献 した 、「 情熱家」と呼ぶべき建築家、修復士、芸術史家 、歴史家など専門家の働きがた どら れる 。また、後期社会主義時代に入って、こうした 文化遺産が「史跡・文化財」と し て 国 家 レ ベ ル で 保 護 の 対 象 と さ れ て い く 過 程 が 「 全 露 史 跡 ・ 文 化 財 保 護 協 会 (VOOPIK)」 の 活 動 を 主 要 な 事 例と して 検討 され て いる 。同 協会 の成 立過 程の 詳細 な 分析 によ って、この組織が知識人の意見を吸収・反映す る「市民社会」的機関に似た役 割を 担っ ていたことが明らかにされている。従来のイデ オロギー的価値体系から外れる 宗教 的「 史跡・文化財」が、「ナ口ードの才」や「父祖 の伝統」と呼び代えられて市民 権を 得、 史跡・文化財に対する肯定的な評価が規範化す る過程が明らかにされている。

  第4章で は、「史跡..文化財保護運動」が重視した「ロシアら しさ」の「貯蔵庫」と して 北ロ シア の3つ の地 域( キジ ー、ソロフキ、ヴァラ ーム)を取り上げ、そのソ連後 期に おけ る運命を具体的に検討している。これらの地域 はすべて革命前に聖地と謳われ た修 道院 や教会が存在し、後期社会主義時代に観光地化 した。ただし、それぞれの場所

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教 区 信 者 と の 関 り が 検 討 さ れ て い る 。 ウ ラ ジ ー ミ ル は 口 シ ア 国 家 の 歴 史 的 故 地 と み な さ れ 、 政 府 主 導 で 観 光 地 化 が す す め ら れ た 。 そ の た め 、 正 教 的 遺 産 を 文 化 財 と し て 保 護 す る 動 き が 自 発 的 に は 生 じ に く く 、 む し ろ 教 会 建 造 物 を 博 物 館 利 用 す る こ と に 対 す る 教 区 信 徒 の 反 発 が 観 察 さ れ た 。 農 村 部 で は 、 教 会 組 織 の 与 り 知 ら ぬ と こ ろ で 「 聖 地 」 が 創 ら れ た り 、 レ ー ニ ン 像 と イ コ ン が 同 一 視 さ れ た り す る な ど 、 自 然 発 生 的 な 宗 教 的 実 践 が 行 わ れ 、 こ う し た 行 為 は 、 当 局 の 弾 圧 の 対 象 で あ り 続 け た 。 こ の 事 例 か ら 、 後 期 社 会 主 義 時 代 の 口 シ ア 正 教 が 、 公 権 カ に よ っ て 統 制 可 能 な 部 分 ( 民 衆 の 伝 統 文 化 、 高 位 聖 職 者 と 登 録 さ れ た 教 会 ) と 、 そ う で な い 部 分 ( 反 体 制 派 、 「 狂 信 者 」 、 セ ク ト ) の 二 極 に 分 か れ て い た こ と が 明 ら か に な っ た 。

  以 上 の よ う に 本 論 文 は 、 様 々 な 資 料 を 用 い る こ と に よ っ て 知 識 人 か ら ツ ー リ ス ト に 至 る 広 範 な 人 々 の 心 性 に 追 り 、 ソ 連 型 社 会 に お け る 信 条 の 自 由 の 実 現 と し ゝ う 一 般 問 題 に 光 を 当 て て い る 。 ま た 政 治 的 ナ シ ョ ナ リ ズ ム や 愛 国 主 義 を 離 れ て 、 学 術 的 な 関 心 か ら 文 化 遺 産 に 向 か う 「 情 熱 家 」 の 存 在 に 焦 点 を 当 て 、 ソ 連 の 宗 教 文 化 論 に 新 し い 展 開 を 加 え た と こ ろ に も 、 本 論 文 の 新 し さ が あ る 。

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学位論文審査の要旨 主 査    教 授    望 月 哲 男 副 査    教 授    松 里 公 孝      教 授    望 月 恒 子

学 位 論 文 題 名

     ソ ヴ ィ エ ト ・ ロ シ ア の 「 聖 」 な る 景 観 : 後期社会主義ロシアの文化状況における正教的遺産の役割

  本審 査 委員 会は 、5回に わた る審 議 と口 頭試 問等 を通 じて 、以 下の点を確認した。

  本論 文 はス ター リン 死後 の後 期社 会主 義ソ連社会におげる、伝統宗教としてのロシ ア正 教文化の特異なあり方を、社会史、文化史、宗教史の諸 観点から多面的に論じたも ので ある。ソ連の国家イデオ口ギーは、宗教を過去の遺物と して否定していたが、一方 で社 会の内には宗教的習慣や儀礼が根強く残り、国家の側も 国民統合の手段として教会 や宗 教的シンボルを利用していた。また、宗教に対抗する科 学的無神論研究や無神論博 物館 などの活動は、学問的宗教研究そのものに道を開く契機 としても作用した。教会建 築や 宗教美術を「民衆の世界観の表象」といった、公式イデ オロギーに抵触しない言葉 で 捉え な おす 「権 威言 説」 使用 も、 宗教 的事象に市民権を与える方便となった。1960 年代 には愛国主義と結びっいた文化遺産保護運動の高まりや ツーリズムの流行の結果、

修道 院や宗教的聖地が博物館・自然公園といった形で整備・保護される流れが生まれた。

  申請 者 の論 文はAIユ ルチ ャー クの 「権 威言説」論を一部修正したうえで援用しなが ら 、ソ 連 時代 後期の社会における複雑で多面的な宗教文化のあり方 を、以下の5つの観 点か ら論じている。

  1) ソ 連 宗 教 学 の 特 徴 と 、 宗 教 ・ 無 神 論 史 博 物 館 な ど に よ る 反 宗 教 宣 伝 の 経 緯   2)宗 教的 テー マの 芸術 的展 開例 と して の映 画『 アン ドレ イ・ ルブリョーフ』分析   3)ブレジネフ期の史蹟・文化 愛保護運動と宗教の復権

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第 一に 、ソ 連社 会文 化論 の紋 切り 型を 打 ち破 ろうとする申請者の議論枠組みが評価に 値する。従来、公式 文化と非公式文化、建て前と本音、体制と反体制といっ た二元論に 還元されがちだうた ソ連型社会論に、申請者はイデオ口ギー表象を文字通り の意味と遂 行的意味に弁別する 権威言説論を応用し、思想文化論に幅を与えている。こ れによって 宗 教と いう 非体 制的 要素 が伝 統文 化と 名 を変 えて科学的無神論と共存する仕組みが解 明されている。

第 二に 、申 請者 の宗 教論 の手 法自 体に 、 学問 的な新しさが見られる。申請者は従来の 宗教論にみられる教 会、教義、正統と異端、信者集団、国家権カといった要 素とは違う アクターを介して、 宗教をより広い枠で論じている。博物館の宗教展示、映 画、史跡文 化財保護団体、聖地 の自然公園化、ツーリズムとのかかわりといった多角的 なテーマ設 定 は 、 世 俗 型 社 会 に お け る 宗 教 の 様 態 の 研 究 に と っ て 新 鮮 か つ 有 効 で あ る 。 第三に、時代状況を 多元的に再現する手続きにおいても、本論は非凡である 。博物館、

社会団体、映画など 、多くの領域にわたるアーカイブ資料を駆使しているこ と、さらに 公式資料に残りにく い社会心性に触れるため、学芸員等からの聞き書き、訪 問者の感想 ノートなど、多様な 資料を使用してりアリテイヘの接近を心がけていること は、高く評 価されるべきである 。

以 上の よう な立 論上 の工 夫の 結果 、本 論 文は ソ連後期における口シア正教文化の多様 な存在形態とその要 因を解説することに成功しており、ひいては社会主義型 社会におけ る開かれた親密圏の 形成、そして個人の信教の自由の実現という、普遍的問 題をめぐる 議論にもなりえてい る。総じて、ソ連崩壊後のイデオロギー状況の変化と口 シア正教の 復興によって、客観 的な理解が難しくなったソ連後期の宗教事情という近過去に対して、

申請者が示した総合 的な取り組みの工夫はきわめて有効なもので、そこから 得られた市 民 の 目 線 に 映 る 宗 教 像 の 分 析 は 、 高 い 評 価 に 値 す る と 思 わ れ る 。 も ちろ ん本 論に も若 干の 問題 点は ある 。 口シ ア正教を中心に据えた結果として、多民 族国家における宗教 問題の一般的な側面が多少見えにくくなっている。また 宗教が市民 的視線でとらえられ ているという長所の半面、国家の宗教政策の流れについ ては幾分説 明 が乏 しい 。た だし それ らは 瑕疵 に過 ぎ ず、 論文全体の価値を損なうものではない。

以 上に 基づ き本 審査 委員 会は 、本 論文 に 示さ れた申請者の研究の成果を高く評価し、

全員一致で本論文を 博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいものであ るとの結論 に達した。

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