建築意匠設計における偶然の制御方法に関する研究
−現代音楽を参考に、コルビュジエとクセナキスの作品を事例として−
ME12073 藤井 千夏 指導教員 八束 はじめ 建設工学専攻
建築設計研究
第0章 序章 0.1 研究背景
ファサードのデザイン方法を増やす目的として、前期 のゼミナールにてヤニス・クセナキスの研究を行ってき た。この研究を通して建築意匠設計において偶然性が持 つ可能性の断片が見えてきた。本研究はその延長線上に ある。
すでに偶然性をひとつのデザインツールとして、コン ピュータを通して応用する試みは行われているが、設計 者自身で偶然性を意図的に用い、制御できるようになれ ばそれは新しいものとして意匠設計の幅を広げることが できるのではないか。その一歩として、建築と偶然性に ついて研究を続けることにした。
0.2 研究目的
建築における偶然性の扱い方と、それが建築意匠設計 に及ぼす可能性を見出すことを目的とする。建築との類 似性が以前から言及されている音楽分野に目を向け、建 築よりも早くから偶然性を問題視してきた現代音楽と比 較する。その中でも前衛音楽作曲家であり建築家でもあ るヤニス・クセナキスと、彼の建築の師であるコルビュ ジエを研究事例対象とすることで、建築・音楽の双方向 からのアプローチを試みる。
0.3 本研究で扱う建築における偶然について
偶然とは当事者の管理外で予測不可な事象が発生する ことであり、建築ができあがるまでのあらゆる過程で生 じる。その中でも本研究で扱う偶然は設計者の制御が可 能な範囲のものとする。また、本研究では偶然を結果的 に生じた性質から “ 正の偶然 ” と “ 負の偶然 ” の2つに 分類する。正の偶然とは生じた結果、良い方向に向いた 偶然のことを指し、一方負の偶然とは生じた結果、悪い 方向に向いた偶然のことを指す。
第1章 現代音楽と建築
1.1 現代音楽と建築の形式的類似点・相違点 1.1.1 楽譜と図面の役割
音楽には作曲者・演奏者・聴取者の3者が関与してお り、その間の伝達材料として楽譜が存在する。これは建 築でいう設計者・施工者・利用者の関係と酷似しており、
楽譜に代わるものが図面である。すなわち、音楽も建築 も創造者・表現者・経験者の3者と意思伝達を補助する 視覚的材料を要し、現実化し人々に経験を与えることで 完成となるのである。
音楽における偶然の制御方法と種類は、関与する3者 と楽譜の各間の意思伝達と、記譜法によるところが大き い。この考え方を同じ構造を持つ建築に応用することで、
偶然性の可能性を意匠設計に見出すことが可能であると 考える。
1.1.2 生成過程における類似点と相違点
音楽と建築の相違点は、一般的に音楽は1人の作曲者 によって作られるのに対し、ひとつの建築物は意匠・構 造・設備等、複数の専門家が関与して設計されることで ある。その中で、作品の生成過程において両者に共通す る点は、創り手が伝達資料を通して受け手に指示を出す という一連の流れである。
1.2 現代音楽
現代音楽は調性の束縛から解放したシェーンベルクの 12音技法から始まる。その後、総音列音楽、音群的音 楽へと発展していき、その過程の中で偶然性の問題が浮 上してくる。
現代音楽は大きく分けると、従来の音楽書法をラジカ ルに突き詰めた前衛音楽と、表現的な音楽のあり方自体 を問い直す実験音楽がある。その思想の違いから偶然性 の扱い方は異なる方向へと進む。前者は偶然を音のコン トロール手法のひとつとして導入し、後者は音を人間の コントロールから解放し作曲を偶然に委ねる手法をとる ようになる。本節ではこういった現代音楽の変遷を俯瞰 する。
1.3 音楽における偶然
音楽における偶然性はおよそ4種類ほどの概念が混 入している。その4種類とは、Chance 狭義の偶然性、
Indeterminacy 不確定性、Probability 確率、Alea 賭け、
である。
狭義の偶然性による音楽は作曲者の意思決定を排除す るためにコイン投げ的に偶然に委ねることで作曲され る。
確率を利用した音楽はクセナキスによって提案され、
これを確率音楽と呼ぶ。これは、個々の事象が偶然に生 じたとしても事象の発生回数が無限大に近づく時、ある 一定の値に近づくという「大数の法則」と関連してい る。したがって、確率計算を用いることにより、偶然を 含めた全ての自然現象を音楽に移し替えることが可能で ある。
不確定性及び賭けはどちらも楽譜に予め演奏者の選択 の余地を残すことで偶然性を生み出すという手法をと る。この2つの違いは、不確定性は作曲者の意図した秩 序から自由にするために偶然性を用いたことに対し、賭 けは管理された偶然性を通じて、作曲者の意図が聴取者 にまで到達することを図ろうとしている点にある。
1.4 小結−偶然の内向的制御と外向的制御−
音楽が演奏されるまでの過程における4つの偶然性の 発生場面を第1節の図式を用いると表1のように表せ る。また、伝達資料の確定度合に注目すると、負の偶然 が起こるリスクが分かる。
狭義の偶然性及び不確定性の偶然は実験音楽での手法
ふ じ い ち か
である。ひとつの建物として施工・実現化するために必 ずどこかで人間の制御が必要となる建築において、制御 から解放することは不可能であるため、これら実験音楽 的な偶然の扱い方は真似ることは可能でも厳密に言えば 不可能である。
確率による偶然性をはじめとする前衛音楽の偶然性は 作曲家1人の中で偶然性が扱われる非常に完結的なもの である。これに対しトータル・セリエリスト達の賭け の偶然性は、楽譜に作曲家の意志という大枠を固定しつ つも演奏家の自由解釈の余地を残すことで生じさせるた め、相手なくして成立しない制御方法である。前者のよ うな創造者のみで偶然を制御することを内向的制御と定 義すれば、後者のような受け手の解釈によってはじめて 生じる偶然を制御することを外向的制御と定義できる。
第2章 ヤニス・クセナキス
この章ではクセナキスの生い立ちと音楽界における位 置付け及び功績を示す。また、確率論を用いた彼独自の 作曲理論を言及する。
第3章 偶然の外向的制御 3.1 ル・コルビュジエのアトリエ
コルビュジエにとって建築家の仕事は形態的 ・ 機能的 な革新、技術者の仕事は施工上の革新であった。したがっ て、コルビュジエの役割は計画概要の決定と大まかな造 形までであり、それ以降の具体的な造形や寸法決定、図 面化、実務等は所員が担当していた。それ故にコルビュ ジエが計画した建築の実施設計や内装、家具、施工面で は各専門家が支えてきた。
3.2 ル・コルビュジエとクセナキス
クセナキスは技術設計者としてコルビュジエの事務所 に入所したが、作曲家でもある彼は独自の理論を用いて 革新的な提案をするようになる。そのため、その他の所 員とは差別化され、シャルロット・ぺリアンやジャン・
プルーヴェなどの各専門家と同等の扱いを受けるように なった。
本節ではクセナキスが意匠設計に深く関与していた ラ・トゥーレット修道院とフィリップス館を事例に挙 げ、その設計過程を見ていくことで両者の関わり方を言 及する。特に、両者のスケッチや文献からコルビュジエ の構想がクセナキスによってどの程度引き継がれている のか、また、クセナキスがどのように独自の理論を導入 し設計を発展させていったかに注目する。
3.3 モデュロール
モデュロールとはへそ・頭・頭上に挙げた手の高さと いった人体の尺度にフィボナッチ数列を融合させること で完成された、コルビュジエ独自の基準寸法の数列であ
る。彼は自身の作品のみならず全ての制作物を調和させ るための道具としてモデュロールを開発した。「羽目板 遊び」を例に取り分析をした結果、制作者の個性が自由 に入る余地を残した状態で全体の調和性を保証するもの がモデュロールであることが分かる。したがって、モデュ ロールの導入は統一性を与えると同時に、偶然の介入を 許諾する結果となっている。すなわち、モデュロールは 偶然を内在させつつ管理するシステムであるといえる。
3.4 コルビュジエ建築の現代音楽性
コルビュジエは建築の経験に時間軸を持ち込んだ建築 家として知られている。建築も音楽と同様で、一括して 全体像を把握することは不可能であり、時間軸に記憶の 場面を並べていくことでひとつの作品として記憶上で認 識できるのである。本節ではこういったコルビュジエの 建築と現代音楽との類似性を言及する。
3.5 小結
コルビュジエは自身の決定可能な範囲を明確化し、そ の範囲内で描いた自由解釈の余地を残したスケッチに よって構想伝達をすることで、その時に生じる構想外の 要因すなわち負の偶然を極力排除しつつも、他人の力量 による正の偶然をつくる余地を生み出していた。また、
独自のものであっても理論的な提案であれば許諾する寛 大さと革新的な性格が正の偶然を誘発させていた。逆を 言えばコルビュジエの期待する偶然とは、漠然とした提 案の穴を埋める論理的解答だったのである。
第4章 偶然の内向的制御
ここでは独自の作曲理論を用いて設計したとされるク セナキスの波動ガラス面とフィリップス館を分析するこ とにより、その設計手法を探り出す。
4.1 波動ガラス面 4.2 フィリップス館 4.3 小結
ラ・トゥーレット修道院とフィリップス館において、
クセナキスは確率論による確率計算を造形や数値決定に 直接用いてはいなかった。彼は確率論や独自の作曲理論 から発想したイメージを造形の指針として用いており、
具体的な造形や数値決定は彼の審判眼と技術的裏付けに よるものである。
第5章 結論
以上を踏まえてコルビュジエの内向的制御とクセナキ スの外向的制御から、意匠設計における偶然の制御方法 を結論として論じる。そして偶然が建築意匠に及ぼす効 果の可能性を示し、偶然の制御を建築意匠設計のひとつ の手法となり得る事を示唆する。
主要参考文献
1)中村滋延「現代音楽×メディアアート 音響と映像のシンセシス」九州大 学出版会 2008/10/20
2) ル・ コ ル ビ ュ ジ エ「 モ デ ュ ロ ー ル Ⅰ 」 吉 阪 隆 正 訳 鹿 島 出 版 会 1976/12/5
3)セルジロ・フェロ他「ル・コルビュジエ ラ・トゥーレット修道院」中村 好文訳 TOTO 出版 1997/9
4)ヤニス・クセナキス「音楽と建築」高橋悠治訳 全音楽譜出版社 1989 5)近藤譲「音を投げる 作曲思想の射程」春秋社 2006/6/20
6)松平頼暁「現代音楽のパサージュ 20.5 世紀の音楽」青土社 1995/3/10 表 1 音楽における偶然が生じる場面
網掛け部分=偶然が生じる場面