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環境辞書の知識社会学

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(1)

環境辞書の知識社会学

一 一知の制度化をめぐるメディアの役割を軸にして

鋤 回 慶

o . 問題の所在

1

本稿は、環境辞書研究の分析枠組みを構築することを課題とする

。従来の辞書一般をめぐる研

究において、辞書はその対象とする領域を主として言語によって「客観的に

J

記述し、その領域 の概念使用に関する規範を示す役割を果たすメディアとして捉えられているら とすれば、「環境 辞書j、すなわち、環境という名称を含む活字リファランスは、環境をめぐる知を「客観的に」

記述し、その知の規範を示すメディアとして捉えることができる

。そして、ある学問領域におけ

る概念使用の規範を示すということは、その領域における諸概念の布置を示すことと表裏一体の 関係にある

。それゆえ、環境辞書を研究することによって、広汎かっ領域横断的な学知である環

境学の現在を確認することもできるはずである

ところが、環境辞書を対象とした研究は、管見 の限り今日まで試みられていない。それゆえ、この試みのための理論的基礎作業として本稿は位 置づけられる

。軸となるのは、従来の辞書学を批判的に検討すること、および、知識社会学的な

知見に基づいて辞書学の枠組みを再編することである

1.辞書研究の現状

先述のように、環境辞書研究という領域は、管見の限り未開拓である

。そのため、環境辞書へ

の応用を念頭に置きつつ、従来の辞書研究の論点を整理しておく必要がある

とはいえ、この点 に関しては、注

1

で挙げた「環境辞書と環境学」で既に触れているので、ここでは本稿の議論の 展開に必要となる基本的な論点の整理だけにとどめたい。

まず第一に、環境辞書は辞書学

(1xicograpby)

の中心的対象である「典型的辞書jではなく、

研究対象として扱われることの少ない「専門語辞書Jないし「区分辞書」のひとつとして捉える

ことができる

3(Opitz [1983b: 163=1984 205206J)。そして、「区分辞書」を研究対象とする

試みは、確かに辞書学的には周辺的なものではあるが、クルト

オーピツの研究によれば、「典

l環境辞書の数量的分析に関しては、「環境辞書と環境学 知の隠蔽と再生産の諸相一一J(r総合環境研究』

102号、葉柳和則との共著)を参照されたい。

2辞書研究において、辞書は「意味jの記述として、辞典は「知識j ないし「事物」の記述として区別される ことが多い (Landau[1984= 1988: 8])。しかし、両者の不明瞭な区別による議論の混乱を避けるため、本稿 では両者を特別に区別しない見坊豪紀の用法に倣い、辞書を「一般名称のばあいj、辞典を「書名のばあい」

に用いるものとする(見坊 [1976223])。以下、特別に注記しない限り一貫してこの方針に従う。

73 

(2)

型的辞書

J

研究における基本的なパラダイムとの聞に整合性を持っている

。それゆえ、環境辞書

研究の理論的枠組みを構築するためには、従来の辞書学の中心的な論点を検討し、それらを環境 辞書という文脈で再解釈するという段階を踏む必要がある

。本稿では、辞書学の主要な議論の中

でも、それらが交叉する位置にある「記述の規範化」という論点を中心として、他の論点にも理 論的な精般化を施すという手順で論を進めたい

辞書学における「記述か規範か

J

という問いは、とりわけ

1960

年代のウェブスター論争以降、

この分野における基本的問いのーっとなっている

。しかし、この両者の対立は、「記述か規範かJ

という相互に排他的な二元論図式で捉えられる性質のものではない。むしろ両者の歩み寄りとい う形で議論が収徴していくことの方が多いのである

。例えば、見坊は「辞書=かがみ論J

と命名 された論を展開し、辞書は鏡=記述であることによって初めて鑑=規範の機能を有するというこ と、つまり辞書における記述が規範化されるという図式を提示している(見坊[1

97675])。そ

して、この記述の規範化という図式は決して見坊に固有のものではなく、記述主義的な立場をとっ ているラインハート・ハートマンの「規約化

J(Hartmann [1983 = 19846])

の議論にも見られ るなど、ウェブスター論争以後の辞書研究者の共通の枠組みとなっている

。とはいえ、記述の規

範化というメカニズムが、いかにして形成されているのかを詳論する試みは稀にしか行われてい ない

しかし、このようなきわめて重要な議論が十分に分節化されていない現状においては、環 境辞書のような「区分辞書」どころか、「典型的辞書j を分析する枠組みさえも不十分なもので しかない

。それゆえにこそ、環境辞書研究の基礎作業として、記述が規範化するメカニズムを精

徹に論じることが求められるのである

2 . 辞 書研究の知識社会学的再編 ‑1 述の規範化」の検討と再解釈

記述の規範化のメカニズムを検討する前に、まずは辞書を活字メディアとして捉え、その本来 的な機能を確認する必要がある

。マーシヤl

レ・マクルーハンは、メディアを「人間拡張の技術

J

(McLuhan [1964=198782])

と定義し、活字メディアの機能とは「情報を蓄え、それを伝え るという機能

J(McLuhan [1964= 1987 : 162])であるとしている。マクルーハンのメディア論

を受けて、

トム・マッカーサーは、「粘土板からコンピュータまでJを通観し、辞書:

も含めたリ ファレンスを、「情報を大脳の外に蓄える

J(Mc紅 白ur[1986=1991 : 3])

機能を持つメディア として定義している

。このように、活字メディアとしての辞書の本来的な機能とは、「情報の外

部貯蔵」であるということを確認できる

。これに対して、辞書学における記述とは、単に特定の

時代の言語や知の用法を「客観的に

J

記録するだけでなく、それらを保存し、知的資産として後 世に遣すという意味合いも含む。それゆえ、辞書の本来的な機能とは、メディア論と辞書学にお

ける知見を併せて考えるならば、規範化よりも記述の方にあるといえる

3わが国における 「専門語辞嘗」を扱った研究として、佐藤隆司と杉本昌彦の化学辞書の研究 (1992年)を挙 げることができる。彼らの研究は、化学辞書の出版数や記載項目数の変化を、具体的な資料を用いて示してい る。しかし、辞書学的な議論が十分になされているとはいいがたい。とはいえ、この試みそのものは、語学系 の「典型的辞啓」に偏在しがちなわが国の辞特学においては、先駆的な研究であると評価することができる。

(3)

環境辞書の知識社会学

本来的に記述の機能を有する辞書というメディアが、規範に転じていくメカニズムは、ピー ター・パーガーとトーマス・ルックマンによる「習慣化」と「制度化」についての知識社会学的 な議論を参照することよって説明することができる

4

パーガー=ルックマンによると、「習慣化

J

は「市iJ度化

J

に先行するものであり、「人間によってその活動に付与される意味という点から見 ると、習慣化はそれぞれの状況を新しく、その度ごとに定義しなおすという苦労からわれわれを 解放してくれるんこれに対して、「制度化は習慣化された行為が行為者のタイプによって相互に 類型化されるとき、常に発生する。いいかえれば、そうして類型化されたものこそが制度に他な らないのである

J(BrgeLuckmann[1966 = 1977 : 93])

。この議論を辞書という文脈に置き換え るならば、まず「一般大衆」によって「習慣化

J

された言語ないし知の用法が存在し、それらが 辞書というメディアにおいて「類型化j された形で記述されたとき

5

、その用法が「制度化」さ れる、ということになる。すなわち、「習慣化j された知を記述することを本来的な機能とする 辞書というメディアは、記述に際して知を「類型化

J

することによって「制度j となるのである

この点は、以下の議論を確認することによってより鮮明となる

制度を構成する習慣化された行為の類型化は、常に共有されたそれである。これらの類型化 は問題になっている特定の社会集団すべてに通用し、制度そのものが個々の行為と同等に行 為者をも類型化する

。[..・H ・]また、制度は、それが存在するという、ただそれだけの事実

によっても、人間の行動を規制する。つまりそれは、あらかじめ規定されたさまざまな行動 範型を提示することによって人間の行動を統制するのであって、こうした範型は理論的に可 能な他の多くの方向にではなく、一つの方向へと人聞の行動を回路づけるのである。

(Berger

=Luckmann [1966= 1977 : 94]

、傍点は山口節郎による)

つまり、「言葉の素人j たる辞書使用者の「習慣」が、「言葉の玄人」たる編纂者によって「類型

化Jされた形で記述されることにより、「制度Jとな

って使用者に還元される。この過程を通じ て、「習慣」が「制度

J

として再生産され、辞書という「制度」が使用者を「統制jするのであ る。「類型j としての「制度的世界は一つの客観的世界として経験され

J

ており、「諸々の制度は 歴史的かつ客観的な事実性として、個人にとって否定できない諸事実としてあらわれる

J(Berger 

=Luckmann [1966= 1977 : 103])

。加えて、「対象化された世界は[

.・.H ・]非人間的で、人間化し

得ない、惰性的な事実性として固定化され

J

てしまう

J(BrgeLuckmann[1966=1977: 152])

。 換言すれば、「習慣

J

の記述は、編纂者による「類型化

J

に伴い客観化されることによって、つ

まり中立・公平・客観を装うことによ

って

、規範としての「制度Jへと転じる

。さらに、その「制 度

J

が使用者の側に還元され、「統制iJ

J

を行う、という過程が知識社会学的な議論に依拠した辞 書学における記述の規範化メカニズムなのである

以下に、記述の規範化に関する従来の図式(上 図)およびパーガー=ルックマンの議論に基づいて再編した図式(下図)を示す。

4

以下、パーガー=ルックマンと略記する。

r

類型化」というプロセスは、マッカーサーのいう「自分たちの脳裏にある流動体を整然として目に見える形 で区分化する

J(Mc紅 由ur[1986= 1991 : 101])

というリファレンスの機能に対応している。

75 

(4)

任~‘| 規範化された記述 |

Usesid

コ コ

一 泊 一

的一日一観

一 恥 一

客一時一平一句一公一山一立一h一中

④ 竺 = ⑥

巴笠 J ¥

、 類型化

このように、知識社会学的知見による再検討を行うことによって、従来の辞書学が問題にしてき た記述の規範化のメカニズムは、初めて十分に説明される

。だがそれだけではない。パーガー=

ルックマンの議論は、辞書が帯びている中立・公平・客観の外貌の由来とそれが意味するところ を解き明かすための手がかりまでも与えてくれる

制度はなんらかの特定の状況に対して個人が付与する主観的意味とは関係なく、彼に対する 権威を主張しなければならず、また実際に主張もする

。状況に関する制度上の定義の優位性

は、定義の手直しを企てる個人の試みを抑制し、終始一貫維持されなければならない。

(Berger

=Luckmn[1966=1977107]

これを敷桁するならば、辞書という「制度

J

が「個人が付与する主観的意味とは関係なく」、そ の「客観的世界j を維持ないし再生産するためには、何らかの「権威

J

を必要とする、というこ とである

とすれば、辞書が中立

公平・客観を装い、その記述を規範たらしめる際に作用する

「権威」とはいかなるものであるのか。次節ではこの点を確認する

3. 

i 辞 書の権威」の検討と再解釈

ノてーガー=ルックマンの議論は、中立・公平

客観の外貌による記述の規範化、およびその維 持には何らかの「権威」が介在することを示唆していた。 しかし、辞書学の中心的な議論におい ては、辞書が持つ権威の内実がどの

ようなものであるのか、あるいはそれどころか、いかにして

辞書が権威を持ちうるのかという問いすら十分に検討されない傾向にある

。言い換えれば、辞書

学の内部においては、「辞書は権威を持つ」ということを自明の前提とした議論しかなされない

ことが多いのである

以上の問題点を考慮に入れながら、本節では

、ジョセフ・ボヘンスキーによる権威の構造分析

を補助線とし、記述が規範化する際に作用する権威がいかなるものであるのかを検討する

。権威

の何たるかについてボヘンスキーが提示する

80

もの命題の中で、最初に参照すべきなのは、権威

(5)

環境辞書の知識社会学

の基本的構造および権威一般の諸性質に関する命題である。

命題

11

権威は関係である。

"(Bochensla[1974=1977:19]

命題

12

権威は一人の担い手と一人の主体と、そして一つの領域との間にある三項関 係である。"

(Bochensla [1974=1977: 23]) 

この

2

つの命題に基づいて「辞書は権威を持つ」という辞書学のテーゼを検討するならば、辞書 は記述/規範化する「領域j において権威の「担い手

J

(いわゆる権威者)となり、その使用者 が権威の「主体」になる、というテーゼを導くことができる。つまり、ここまでの議論からすれ ば「辞書は権威を持つ」という命題は真であることになる。

しかし、ボヘンスキーは、命題 2

3と命題 2

5において、「主体」も「担い手j も、まず

「きまりきった記号を捕らえて、それを理解」することが必要であり、さらに、「主体」と「担 い手」はそれぞれ記号列の意味を「承認」および「決定」をしなければならないため、両者とも

「意識する存在j でなければならないと論じている

6(Bochensla [1974=1977: 32‑35])

。それ ゆえ、辞書使用者は権威の「主体」になりえるものの、意識なき辞書は権威の「担い手」となる ことはありえない。すなわち、「辞書は権威を持つj という場合の「権威」とは、その本来的な

fm い手jが現前していないという意味において擬似的なものであるということができる。しか し、ボヘンスキーの議論に依拠する限り、「担い手」が存在しなければ、権威が生じることはな い。では、その「担い手」は何であるのか。

この点を確認するためには、上述の「主体」および「担い手jの性質に関する命題に加えて、

ボヘンスキーによる権威の分類とそれぞれの権威の性質を参照しなければならない。彼は命題

42

において、「権威はすべて知識的権威か、または義務的権威のどちらかである

J(Bochensla 

[1974=1977: 67])と述べている。 「知識的権威」とは、いわば学識者の権威であり、「命題」

を提示する際の権威であるのに対して、「義務的権威j は、いわば上司の権威であり、「指示

J

する際の権威である。さらに、命題

4

3

において、「義務的権威の担い手は同時に、対応する 領域における知識的権威の担い手であることが可能である

J(Bochensla [1974=1977: 69])

規定されている。この

2

つの命題と、先述の知識社会学的な知見に基づく記述の規範化の過程を 重ね合わせてみると、「知識的権威

J

によって提示される「命題」とは、客観化された「習慣の 類型」であり、「義務的権威」による「指示」とは「制度」による「統制j にそれぞれ対応して いることが分かる。すなわち、辞書は擬似的でありながらも「知識的権威

J

と「義務的権威」の 性質をともに有しているのである

7

。しかし、翻って考えるならば、記述および規範化という機 能を辞書に付与しているのは、他でもなくその編纂者である。それゆえ、本節で参照したボヘン スキーの命題からすれば、辞書の擬似的な権威の実体、つまり「辞書は権威を持つ

J

という場合

6ポヘンスキーは、「担い手」および「主体jを「個体」として規定した上で論を展開している。これは、彼の 議論が要素還元論的であることに起因しているが、この立場は後述する大庭健のシステム論的な議論とは相容 れない関係にあるため、本稿では権威の「担い手Jおよび「主体Jを「個体」として規定することはしない。

7 この点はとりわけ、後述する大庭健の「選択肢の提示Jおよび「選択圧」についての議論と対応している。

77 

(6)

の権威とは、その編纂者の権威であるということになる

。すなわち、辞書の権威とは、その編纂

Cf

担い手

J)

が使用者

Cf

主体

J)

に対して有する「知識的権威

J

および「義務的権威jが転写

されたものなのである

このように、辞書が中立

公平・客観を装うことによ

って記述を規範化する、つまり「習慣」

を「類型化」し、「制度化」する際に、さらにはそれが維持・再生産される際に機能しうる「辞 書の権威」とは、編纂者が使用者に対して有する学識者としての権威が辞書に転写されたもので あり、擬似的な権威であると解釈することができる

。次節では、以上の点を環境辞書という文脈

にあてはめ、その分析のための理論的枠組みを構築する作業を行なわなければならない。

4 . 環境辞書による特定領域の不可視化/再生産

先述のように、本来的には記述の機能を有するメディアとしての辞書は、その編纂者の使用者 に対する権威が転写されることによって、その記述を規範化している

しかし、この過程におい て、擬似的権威を帯び、中立・公平・客観を装った辞書は、「客観的

J

な記述とその規範化以外 にも、もう

一つ不可避的な機能を有している。これまでの議論を環境辞書という文脈において再

布置化する前に、この点を大庭健の権威の作用をめぐる理説に従って確認したい

大庭は、

f<

真>というメディア述語

J

と権威との関係について、

f[……Jf真Jというメディ

ア述語が、実際には<他のように>ありえない、と宣

言する権威として介入してくるJC

大庭

[1991 : 107J)と論じている。この f<

真>というメディア述語」を、「辞書に記載されている ゆえにく真

>J

というメディア述語に置き換えて考えるならば、辞書において記述

C=

選択)さ れないものは<真>ではない、すなわち「規範外」ということになる

。つまり、辞書はその擬似

的な権威によ

って記述したものを規範として選択する一方で、記述されないものを規範的領域か

ら排除しうるのである

。この点はとりわけ、記載項目の選択や各項目の記述内容といった問題に

直結している

[. .H Jf真jを核とするメディアによる選択肢の限定は、多くの場合、「こうするしかないj

という、特定の選択肢の指定として作用する

[ .

.

H

・]特定の選択肢を採用することへの<

選択圧>にしかならないのである

。(大庭 [1991: 122J、傍点は大庭による)

<選択圧>を伴

った「選択肢の提示J

とは、まさに記述の規範化というプロセスを経た辞書の機

能そのものである

しかし、ここで留意しなければならないのは、辞書による<選択圧>として

の「選択肢の提示

J

がなされるよりも前に、「言葉の玄人

J

たる編纂者によって辞書に記述する

語の選択がなされている、という点である

。編纂者が辞書に記載する語を選択(あるいは排除)

し、それを記述する際、そこには意図的ではないにせよ、何らかのイデオロギー性が不可避的に

介在する

。それゆえ、記載項目の選択/排除の傾向ないし記述のバイアスといった形で表れたイ

デオロギー性と、編纂者の使用者に対する権威とが結び付くことにより、辞書による記述、すな

わち「選択肢の提示j は、単に規範化作用としての<選択圧>となるだけでなく、同時にイデオ

(7)

環境辞書の知識社会学

ロギー'性が色濃く反映された<選択圧>にもなるのである

とすれば、辞書は単に記述と規範化 の機能を有するメディアであるだけでなく、その編纂者が意図しなくても、選択/排除の機能を 有するイデオロギー装置として立ち現れる

。実際は、そうであるものの、編纂者の権威により中

・公平

客観を装い、そうい

ったイデオロギー性を覆い隠している、ということになる

以上の

議論は、環境辞書という文脈において再布置化することによってより鮮明になる。環境

辞書 という「区分辞書」が記述/規範化する領域は

、単に広汎であるだけではなく、既成の諸領

域を横断する形で

拡がっている

。それゆえ、環境学が今日なお旧来の諸学問ほどに明確な輪郭を

持ち得ていないことを勘案するならば、編纂者が環境学内部のどの領域を選択し、記述するのか、

さらに言えば、編纂者が環境学をそもそもどのように捉えているかによ

って、環境辞書の項目選

択と記述のスタンスや濃淡は大きく異な

ったものとなる可能性が高いと予想される。広汎な領域

からある部分領域が「区分」され、選択されること、それが辞書によ

って記述/規範化されると

いうことは、上の議論からすると、その裏面において、記述(=選択)されなか

った領域が、相

対的に重要性の低いものとして排除され、あるいは少なくとも周縁的な位置づけを与えられると いうことを意味している

。つまり、環境辞書というメディアは、環境学の構成概念を記述し、そ

の規範を提示するだけでなく、編纂者の使用者に対する権威の介在

転写によって形成される中

・公平・客観的装いによ

って、環境学内部における特定の領域を不可視化し、他の特定の領域

を再生産するイデオロギー装置という側面を不可避的に備えているのである

辞書というメディアによる対象領域の不可視化/再生産の機能は、それが持つ規範的あるいは 権威的性質と、そこに書き込まれたイデオロギー性が結合することによって生じている

とすれ ば、次に問わなければならないのは、「環境辞書に特定領域の重視

(

と抑圧) という傾向が現れ ているのはなぜか」ということである

80

5.

知のプラグマテイズムと環境辞書

環境辞書が持つイデオロギー的傾向は何を意味するのか、という問いに答えるためには、記載 項目として多く選択される領域、および排除される傾向にある領域それぞれに関して、「それら

はいかなる性格を持つ領域なのか」、 さらに「それらが辞書の規範的領域に選択/排除されると はいかなることか」を考えなければならない

まずは、環境辞書から排除される領域、とりわけ環境哲学や環境倫理学に着目する

9

これら の領域において共通しているのは、それぞれの論者によって立ち位置の部分的な違いはあるもの の、既存の技術や社会システムのあり方、さらにはその根底にある近代的な世界観や価値体系に

8本稿では紙面の制約上、詳述することはできないが、環境辞書の内容分布に関する数量的調査によると、環 境辞書においては、日本十進分類法におけるl類 (要するに環境哲学と環境倫理学の鍵概念)が排除される傾 向が見られる。

9環境哲学や環境倫理学におけるキーワードは、「総合的j を銘打った環境辞書にほとんど記載されておらず、

この傾向は時系列的な変化も見せない。一方、この環境哲学および環境倫理学に関する書籍の出版数は、時系 列的に著しく増加している。この両者の不一致は、これらの領域が深化しつつあるものの、環境辞書からは依 然として排除されているということを意味している。

79 

(8)

対する反省的な態度であるといえる。換言すれば、この領域は、近代的な技術や社会システム、

世界観などに反省的・批判的な眼差しを向ける役割を担っているということもできる。しかし、

このような反省的な性格を持った学知が環境辞書の規範的領域から排除され、不可視化されると いうことは、これらの領域によってもたらされる反省のプロセスが、環境辞書の編纂作業によっ て切断されるということでもある。

このように、反省的な領域が排除される一方で、環境辞書に多く選択され、再生産される傾向 にあるのは、

3

類(社会科学)の一部(法

政策、経済、マネジメントなど)と

5

類(技術)、

あるいは

4

類(自然科学)であり、これらの領域は実用的ないし実益的な要素を多く含んでいる といえる。さらに、ここで注目しなければならないのは、これらの領域は、排除傾向にある環境 哲学や環境倫理学が批判や反省の対象としている領域とほとんど一致しているという点なのであ

る 。

このように、実用的

実益的な領域が多く選択され、それらに対する反省的な領域が排除され るという傾向の背景にあるのは、学問的立ち位置の根本的違いである。すなわち、環境辞書に選 択される領域は、近代の自然科学や社会科学のパラダイムの延長線上に、環境をめぐる諸問題を 解決するための方途があるという立場を取っているのに対し、排除される領域は近代的な自然・

社会諸科学のパラダイムに反省的な眼差しを向け、その変革を要求するという立場を取っている のである

。こうした対立を、「環境J

という語をめぐる諸領域間でのヘゲモニー争いとしても捉 えることもできる。つまり、環境辞書に表れた特定領域の重視(と別の特定領域の抑圧)という

イデオロギー性は、このような対立の構造、すなわち諸領域間でのヘゲモニー争いを下部構造と

しており、存在拘束されていると解釈できるのである。

さらに、上述のイデオロギ一対立の構造ないし環境をめぐる諸領域間でのヘゲモニー争いの根 底にあるのは、今福龍太のいう「エコロジー

J

ないし環境をめぐる知のプラグマテイズムという

「ムーヴメント jである九

[

……

]今日の世界を覆い尽くしているのは、エコロジカルな認識が生み出す心理的危機意 識を社会の諸領域の中で巧みに利用して、現実的で実質的な効果をあげようとするムーヴメ

ントの方である。(今福

[2001: 151]) 

今福のいうように、このような「現実的で実質的な効果をあげようとするムーヴメント」が存在 しており、これによって地域の環境保護運動のようなミクロなレベルから、国際関係のようなマ クロなレベルまでが覆い尽くされようとしているがゆえにこそ、プラグマティックな領域が環境 というキーワードをめぐるヘゲモニー争いにおいて優位に立ち、そしてこのことが環境辞書の選 択/排除の傾向の下部構造を作り出すのである。言い換えれば、環境辞書に選択/排除の傾向が 表れているのは、環境辞書というメディアそのものが、学知の記述と規範化という本来的な機能 を超え、こうした「ムーヴメント」、あるいはそこに介入する資本主義とグローパルな政治とい

10ここでいうプラグマテイズムとは、パース、ジェームス、デューイらに代表される反形而上学的傾向の哲学 思想はなく、「現実的で実質的な効果をあげようとするムーヴメントJを指す。

(9)

環境辞書の知識社会学

う巨大なシステムに存在拘束されているからである、と結論づけることができる

6 . おわりに

以上、本稿の前半部では、従来の辞書学の論点に、主として知識社会学的な知見を加えること により、「環境辞書は、中立

公平・客観的装いの下で、対象領域における特定の領域を不可視

化し、特定の領域を再生産しているJという命題を提示することができた。さらに、後半部では、

その不可視化/再生産という機能は、環境をめぐる諸領域間でのヘゲモニー争いおよび知のプラ グマテイズムという「ムーヴメント」に存在拘束されているということを理論的に考察した。

これら知見は、単に環境辞書研究の理論的基礎としてあるだけではない。環境辞書編纂という 営為にとってもまた、本稿で示した論点は十分に大きな意味を持っている。というのも、環境辞 書の対象とした研究は未開拓であり、それゆえ「既刊の辞書へ反省的眼差し」が環境辞書に対し て向けられることはなく、知をめぐる言説の政治の中で規範的作用を及ぼしてきたからである

すなわち本稿は、あるべき環境辞書、ないしありうる環境辞書を編纂するための方法論的基礎作 業の一端を担ってもいるのである

主要文献

Berger, Peter, L. and Luckmann, Thomas, 1966: The Social Construction of RealiATreatise in the Sociology of Knowl edge.  New York: Doubleday Company. (1977  山口節郎訳 『日常世界の構成ーアイデンテイティと社会の弁 証法』 新曜社。)

Bochenski, Joseph, M., 1974:  Was ist AutoritatEinJuhrung in  die Logik der Autoitat. Frburg:Verlag Herder KG  Feriburg im Breisau. (= 1977 森恒治訳 『権威の構造j公論社。)

Hartmann, R. R. K.,  1983

London: AcωadEem1iicPress. (= 1ω984 加藤知己訳 「理論と実際」 木原研三.加藤知己監訳 『辞舎学 その原理 の実際』 三省堂 pp.3130 )

‑今福龍太 2

1

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ここではない場所 イマージュの回廊へj岩波嘗庖0

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参照

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