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下川邊

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世親釈『摂大乗論』管見

下川邊

 無着の『摂大乗論」は龍樹の『中論」と並んで大乗仏教の双壁をなす論書である。「中論』

が中観派の根本論書であって、中観派はこれを中心に発達してきたところの注釈書類から形成 されていると言っても良いであろう。これに対して「摂大乗論』は喩伽行唯識学派の根本論書 でありながら、中観派のようにの注釈書類を中心に成立した学派とは言い難いものである。

『摂大乗論」への注釈書はインドにおいてはわずかに世親と無性との二書のみである。チベッ トにおいては「秘義分別摂疏」なるものが残っているが、これが純粋にインド成立かはまだ検 討を要する問題である。いずれにしてもはっきりしているのはこの世親と無性との注釈書であ

る,この中で世親の注釈書は中国において真諦訳「摂大乗論釈」の名で、摂論宗の名のもとに 栄えたが、これも玄柴が:成唯識論』を訳出するにおよんで、それ以後法相宗の流れに吸収さ れてしまったのである。この法相宗が全盛になるに及んでそれ以後過去において、弟世親の注 釈書よりも無性の注釈書が重んじられて来たことである。このことは中国における法相宗にお いてしかり、またチベットにおけるツォンカバにおいてしかりなのである。中国とチベットに おいてはその事情を異にするものであるが、中国においては法相宗における教学ヒより、また チベットにおいては筆者が考察したところによれば、世親釈のチベット訳上の形態の不完全性 よりして無性釈が重んぜられて来たのである。従って歴史Eにおいて世親という人物の重要性 にも拘わらず、『摂大乗論」の注釈書はあまり顧みられなかったのである。この世親釈に光が 当てられたのは近代的学問方法が導入された我が国では明治以後である,このことは意外な感 じを与えるかも知れないが事実である。なるほど江戸時代に普寂のような世親釈による研究書 があったとしても、それは漢訳三本を視野に入れての総合的な研究ではなく、真諦訳に偏向し ての研究であった。それはさておき明治時代以来の「摂大乗論』の研究方法は無着と世親は兄 弟という親近性の故にその思想もやはり親近性があるのではないかという単純なものであったc

この考え方にはそれそうとうの理由がある。兄無着が頒を表し、弟世親が注釈を散文で書くと いう形態のものが、『顕揚聖教論」としてあり、また兄無着が弥勒より啓示を受けて頒を表し、

注釈の散文を世親が表したものに「中辺分別論」や「大乗荘厳経論」などがある。この一連の

ものはすべて:弥勒]→無着→世親という系譜の上で考えられているのである,この系譜上よ

りして「摂大乗論』にその親近性を考えるのは当然であろう。この線上に真諦の摂論宗が考え

られる。中国において唯識といえば玄装以前はすべて世親の唯識思想が中心であったと言って

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も過言ではない。それにもかかわらず玄奨が出るに及んで世親を重んじる風にしながらも、内 実は護法の思想において読み込もうとするものであった。これによって実質「摂大乗論」の世 親釈は重んじられなくなり、護法の先駆者としての無性が重視されるに到ったのである。これ ら中国の事情とは別にチベットおいて最大の思想家と目されるツォンカバは唯識思想に関する ものを著作されたが、その作品「クンシカンテル』の中でアーラヤ識とマナ識とを述べるに当 たって引き合いに出すのは、無性釈と「秘義分別摂疏」のみで世親釈は一度も引用されていな いのであるL 。これは中国とは異なった理由によるものであると推定される。これは筆者が 考察したところによれば、単にチベット訳上の形態の不完全性によるものであって、これにツォ

ンカバも手が出なかったものと思われる。それは後に明かになるであろう如く、錯簡、二重訳、

それに脱文等によるものである。これらに対して、翻訳を絶対なものであると信じるチベット 人は何らの対処の仕方を知らなかったのではないであろうか。

 このように「摂大乗論」を読むには世親釈は不可欠である。この世親釈を読むことによって

『摂大乗論」を正確に理解することができるかも知れない」。このことはインドにおける仏教 論書の一般的な特徴で、論書はその著作の当初からすでに注釈書を予想して書かれたものと見 られる。従って、その大半が偶頒の形でものされたものが多い。例えは「中論』「四百論」「中 辺分別論」「大乗荘厳経論」等である。しかるにこの「摂大乗論』は偶頒と長行との混合から 成っている。このことは偶頒だけで書かれたものよりはより一層理解し易いものであることが 予想される。しかるに一度この論を読めば、その予想が裏切られることは確かであって、実に 難解である。その難解さはさておき、無着はその当初この「摂大乗論』を著作したとき、注釈 書を設けることを他の論書の場合のように予想していなかたのではないか思われる。であるか ら、偶頒と長行との混合によって論それ自体で理解できるものを目指して著作したのではない であろうか。このことは彼の代表作の一つである「顕揚聖経論』を見ると宇井博士によればハ、

偶頒は無着であるが、長行は世親である.この論は偶頒だけでは全く理解できず、長行の部分 があって初あて、理解できるし、論書としての性格をも完全なものにしうるものと考えられる。

この線に沿って考えると、この「摂大乗論』の注釈を無着が世親に託したかどうかすこぶる疑 わしい。そのことは世親釈論の中にはっきりとは言えないまでも、うすぼんやりと見えている。

この「摂大乗論』の世親釈を見るとき、その作りが実に厳密に「論本」の線に沿ってなされて いないように思われる箇所があるのである。例えば、論本H・33では、前段Aにおいて20ない し22の短い経句を挙げ、これを後段Bにおいて20ないし21種の仏徳(buddha−guna)として説 明している。チベット訳「摂大乗論」は19種の仏徳と称しているが、実際には20種を数える。

しかしチベット訳世親釈『摂大乗論」は20種のうち(4)(9}(10)av a2 qsを諸項に対する注釈を

欠き、13種しか挙げていない。またチベット訳「摂大乗論」からの引用もAによりあるいはB

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      世親釈二摂大乗論[管見Cド川邊)       49 により不統一である。このことはチベット訳世親釈「摂大乗論』に脱文が存することを示すと 見られるかも知れない。しかし達磨笈多訳世親釈論を見るとチベット訳世親釈論と同様に上記 の(4)ないし仙の諸項に対する注釈を欠き、また「摂大乗論」の引用も不統一であるがこの 点もチベット訳世親釈論に似ている。(ただしチベット訳世親釈論と多少の相違がある)。玄奨 訳世親釈論を見ると、これら諸項を欠くことなく引用しているが、それらは「摂大乗論」の言 葉を単に引用再説しただけのものであって、それ以外に注釈の言葉はない。これらから推定す るとチベット訳世親釈論も達磨笈多訳世親釈論もその形態に脱文が存するのではなくて、本来 の形態を伝えたものであると考えられる。この点無性釈『摂大乗論』を見るとチベット訳漢訳 共にA20種に対してB20種をそれぞれ配して注釈して、理路整然としている。この無性の態度 の方がむしろ注釈者としての本来の在り方を示すものと思われる。世親の態度の方が注釈者と

してはアト・ランダムで、しかも乱雑である。

 このように世親釈論において「摂大乗論」の諸項の全部を取りltげず、そのうちのいくつか の項目だけを取り上げて注釈するという例が他にも見られる(例えばll・34を見よ)これに反 して、無性釈論は全部の項目を取り上げて、すべてに対して注釈している。しかもより詳細で ある。このことは現在の時点ではなぜ、世親が項目の数例だけを取りヒげて、他を除いたのか というのは、明確ではないが、取り上げたもののみが重要であったとは考えられない。このよ うな世親の態度は恐らく初から『摂大乗論』に従って厳密な注釈をほどこすことにあったので はなくて、誰か他の者が世親が「摂大乗論』を解釈説明するにノートを取ったものではないか と想像されるのである。世親はアト・ランダムに注釈をしている。これに反して無性釈論は初 から注釈ということを意識して作られたものであると考えられる。

 次にterminologyの問題に関してなのであるが、世親はPrastAvanaにおいて、「摂大乗論」

の「唯識」(vilnapti−m5tratfi/tva)に対して注釈するに際して、一貫して(vijfifina−m5tra顧/

tva, rnam par Ses pa tsam fiid)を使用している。他の章節に関して見るとこのようなことは ない。この章節に限ってこのvijfial〕a−mAtrata/tvaを使用しているのである。このPrastAvana は玄装が「総標綱要分」と訳するように、この論の全体を総括する綱要の部分である /これに よってこの論の全体が一望できるわけである。従ってこの箇所の論と世親の釈論とを読めば、

vijfiaptiとvijfiapaは同義語であるという印象を受ける。しかし全面的に同義語と言えるかど うか。無着は一貫してvijfiapti−matraの語を用いているが、ただ一回だけ1・6にvijfiar〕a−

rnRtraの語を用いてる。しかしここでの叙述は夢における表象の説明である、この限りにお

いて夢に於いて働いているのは能動的な識の概念を表すvijfianaのノ∫が適切ではないであろう

かと考えられる。この場合は首肯できる:/しかし世親はviji頭a−m員traをPras垣van[ユで全編

に用いているのである.このvijfiaptiとvi垣anaを同一と見れは問題はないのであるが、筆

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者にはそうは思えないのである。やはり世親の発展的解釈であると思われるのである。世親は 1・22に於いて次のように説明している。

  その中、「外なると内なる」などと言う中、内の本質はアーラヤ識である。

  「不明了」とは、外にして無記による、という意味である。「二」とはアーラヤ識の善と   不善とである。また別の意味では雑染と清浄とである。

  「世俗」とは外にして、その世俗の種子と呼ばれる。それ故にこれらはアーラヤ識の転変   のみ(kun g2i rnam par Ses pa yohs su gyur pa fiid, alayavijfiAna−parinama eva)で   ある。「勝義」とはアーラヤ識にして、一切諸法の種子である1。

 「これらはアーラヤ識の転変のみである」という箇所を玄装訳は「彼亦皆是阿羅耶識所変現 故」、真諦訳はr一切法唯有識故」、達磨笈多訳は「亦以阿梨耶識変異有故」とする。この後に 所謂「種子の六義」が来るのであるが、いわばこれは種子を総説したものである。ここで世親 は外の世俗なる種子をアーラヤ識の転変(Alayavijfiana−parinama)と言う。この点について 無性も同じ概念を使用する㌔すなわち外の種子とは麦等の種子であって、所謂我々が考え

る種の意味であるけれども、これをもっと拡大して解釈すれば、『喩伽師地論」「摂決択分」巻 51の次の文章に相当する。

  その中で、所縁によって活動を定義するとは何かと言うに、要約するに、アーラヤ識が二   種として活動することである。即ち〔1)内の執受のvijfiaptiと、〔2)不可知なる外の器の   相のvijiaptiよる。

  ……中略……その中で、不可知なる外の器の相のvijrtaptiとは、アーラヤ識が内の執受   を所縁とすることそれに依って、常に断絶することなく〔有情〕世間と器〔世間〕との相   続をvijnaptiすることである。即ち、例えば、灯焔は芯と油とを原因として内に起こり、

  外には光を発するように、内の執受を所縁とすると、この外の所縁に対してもアーラヤ識   が[為す]道理も同様と見るべきである。 6

ここで、アーラヤ識は内の執受、つまり身体や種子を所縁としてvijfiaptiし、それと共に、

直接に有情世間と器世間との環境世界をvijfiLaptiすると説いている。これを更に要約すると、

アーラヤ識が対象(alambana)として活動した結果がvijfiaptiである。このことは『摂大乗

論」のH・13に述べる無着の趣旨に良く一致するものである。ここで無着は外界の表象の建立

に関してアーラヤ識識(alayavijfiAna−vijfiapti)の語を使用する。この概念は恐らくこの『喩

伽師地論」にその源泉をもち、これを発展的に解釈したものと思われる。しかるに世親はこれ

を解釈するにこの概念を避けている、無性もまた同様である。二人ともこの亘layavijfiarpa−vij

fiaptiの語を一度もこの『摂大乗論」の注釈で用いていない。これはなぜ無着が外界の建立に

だけアーラヤ識識の概念を使用したか、ということの詳細は全く不明である。先の「喩伽師地

論」「摂決択分」の文脈の流れからすれば、内と外を問わずにすべてアーラヤ識識の概念で説

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       世親釈i摂大乗Fk .1管見(下川邊)      51

明することができる。この点無着の説には曖昧の点が残る。世親はこのことを考慮して無着の アーラヤ識識の概念を切り捨て、fLl分の創意した概念たるalayavijfiana−pariDamaを導入し たのではないであろうか。むろん世親はH・13ではアーラヤ識識に代わってアーラヤ識の転変 を用いてる訳ではない。しかし世親は無着の『摂大乗論」における一一貫したvijfiaptiの思想 を、vijfiaロa−pari顛maの思想に変更したといえるのではないかと思う。つまり、『喩伽師地 論』「摂決択分」ではすべてがアーラヤ識のvi垣aptiであったものが、無着にも受け継がれて、

それがアーラヤ識識(alayavijfiarpa−vijfiapti)、つまり義識(artha−vijfiapti)となったが、そ れが世親に至ってalayavijfiana−parinamaに変更されて[世親的な概念に変えられて、その一 切世界の表象(vijfiapti)性が薄らいで、より一層能動的なvijfiana、つまり八識の限定下に ある世界性、これは無着の中でも明確にあったものであるが、より強く世親の解釈の中に現れ て来たものと思われる。世親はこのような解釈を通して、「唯識三卜頒」を著作されたものと 思われる。世親のこのparinamaの概念はすでに『倶舎論」当時から使用されて、大乗に転向 してからも持続的に生き延びて世親の思想を支えてきたsそれは『成業論』、「唯識二1一論』等 の中に明確に表れている。安慧は『唯識三十頒」の注釈の中でpari頒maを「転変とは異なる ことである(anyathatva)。転変は、因の刹那が滅したと同時に、果が、因の刹那とは異なっ て、生ずることである二. と定義するように、それはr変化」を意味している。三喩伽師地論」

や『摂大乗論」のvijfiaptiの概念にはこの意味はない。このvijfiaptiは概念内容の結果を表 し、parirpamaのように何らかのprocessを表すものではない。従ってこのprocessにはこの processが行われる一場所一がなくてはならい。それがアーラヤ識(哀layaviji仙a)なのであ

る。

 以一ヒは少しく世親の注釈に現れた思想の面からみたが、さらにテキストの形態から見て、

Prastavanaにある「大乗荘厳経論」からの長い引用とされるもの、これなどは現段階から見

れば経論名と章節を指示すれば足ることであろう。しかるにあのように長く冗長な文章を挙げ

ている。これは実は引用ではなく世親の中に原思想としてあったものが、「大乗荘厳経論」と

itteq釈三摂大乗論」とに流れていたものと見た方が良いであろう、ここで言う原思想というの

は、「大乗荘厳経論」を無着と世親との共同著作とすることで、世親の中にすでに核として存

したものである。すると『大乗荘厳経論』は「摂大乗論』よりも先に在ったとは言えないこと

になる。なるほど三摂大乗論」は『大乗荘厳経論」の名前を出すが、このことは三大乗荘厳経

論」が先に在ったことを保証するものではない。もしかすると無着か「摂大乗論」を著作した

時、「大乗荘厳経論」の素材となった草稿が存在し、それが「摂大乗論』に引用されたのかも

知れない。これには「分別喩伽論』や了阿毘達磨大乗経』も同様の事情があることも推定され

る、また「所知依分」・4に対する「解深密経』からの長い引用、確かに世親自身1帰敬偶」

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に述べているように「摂決択分」に基ずいて解釈すると言う言葉に引きずられて引用したとも 考えられるが、それにしても長すぎるという印象を受ける。これは恐らく世親が講義に際して 暗唱朗読したものを弟子がそのまま筆記したものではないかと思われる。世親自身の筆から成 るものではないであろ。その証拠に無性はこの箇所を世親のように長い引用に依らずに削除し ている。このことは既に世親注にあるから削除したとも見られないでもないが、恐らく無性に は不要と思われたのであろう。現在の我々の立場から見ても不要である。

 以上世親釈論の特色を簡単に見てみたが、世親釈論はある意味で乱雑不備とも思える点があ るといえるようである。無性はこの世親釈論の乱雑不備な点に不満足を感じたものと思われる。

無性は注釈に際して一度も世親釈論に言及することがない。しかし無性釈論を読めば分かるこ とだが、無性は世親釈論をよく見ている。よく見ながら取捨選択をしている。一例を挙げよう。

「摂大乗論」所知相分は「識」の概念についてほぼ一貫してvijfiaptiの語を用いるという特徴 がある。vijfiaptiとviji麺aは同義語のように用いられることも少なくないが、両者の意味合 いには相違が存する。vijfiAnaは認識するという能動性に重点があり、 vijfiaptiは認識された 結果・内容の面 言ってみれば受動性 に重点がある。前者は認識作用の主観面、後者は客観 面に中心があるといえよう。ところでH・2の十一の識(vijfiapti)を挙げる箇所では、 kli§La−

manasをこのvijfiaptiに配当していない。これはチベット訳も漢訳もそうなっているから、

チベット訳と漢訳には異同があるとしても、ともにkli$ta−manasは配当していない。つまり 無性にとってこのkli§ta−manasはvijflaptiとなっていないのである。このことは世親の傾向

と軌を一にするものである、無性に至ってより一層vijfianaの能動化が強まり、kli$ta−manas は能動的なvijfiarpaなのであって、決してvijfiaptiにはならないのである。このvijfiaptiの 概念は無着においては能所(主観・客観)未分別の状態の場合に用いられて、どちらか一方に 重点が置かれずに同じ割り合いで述べられる。従って主観も客観と同様に表象(vijfiapti)に おいて表象されているのであって、主観が客観を作り出すのではない。しかし世親以降、主観 が客観を作り出すとう傾向が強まったものと思われる。その結果、識(vijfiana)の実在性、

つまり依他起の有化への傾向を強め、より一層護法説に近付いたものと思われる。

諸漢訳とチベット訳について

 世親釈論には真諦訳(563年)と達磨笈多訳(605−616年)と玄装訳(648年)、さらにチベッ

トおいてはアティーシャ(Ati§a)が訳出(1045−1054年)したものが計四訳現存する。真諦訳

は唐代には十二巻本と十五巻本との二本があったと言われる。現存しているのは十五巻本の方

である。十二巻本の方は純粋な世親釈論の翻訳であって、十五巻本の方は真諦自身の講義も入っ

たもので、釈論と合繰したものであると言われている。この形態は玄装訳や達磨笈多訳やチベッ

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       世親釈二摂大乗論⇒管見(ド川邊)       53 ト訳に比較して特異なものである。達磨笈多訳は真諦訳の科段に従いながらも、形態はそれに 従わなかった。その形態は現在伝わっているように、各一論の内容を文節して各文節ごとに論 本の文を挙げ、次にそれに相当する箇所の世親釈を載せると言うものである。この形態は玄奨 訳にも受け継がれている。しかるにチベット訳からみるとこのようになっていないから、これ は漢訳独自の形態である。チベット訳はただ世親釈だけがあって、その中に論本の文が断片的 に引用されているだけで、論本全文が各文節の冒頭に挙げられていないのである。チベット訳 に比しこの漢訳の形態は非常に合理的なものである。

 さて真諦訳は翻訳するに際して彼自身の思想を盛り込んでいることから、原テキストと比較 してこの部分を区別しなければならない。この区別された部分が真諦の思想であり、残った箇 所が世親のものである。これによって世親と真諦のものと区別できるわけである。この作業は 達磨笈多訳や玄 訳にも適用できる訳である。しかしながら従来このような作業の判断基準に チベット訳が用いれていたが、このチベット訳が問題なのである。このチベット訳が完.本であっ たとしても、そのチベット訳が用いた原テキストは漢訳諸本の用いた原テキストと同一本であっ たかどうかが問題である。印刷技術のない古代においては全くの同一本を想定する方が無理な のかも知れない。恐らくその流布する過程において脱文、錯簡、誤写、加筆、見落とし等の変 化があったものと仮定される。従ってチベット訳もそういう変化を経た原テキストの翻訳とい う可能性がある.そういう変化をこうむったテキストを忠実に翻訳したということである。従っ てそれはある程度の判断基準しか示さない。そのことは次に挙げる文からはっきりする。1・

1の世親釈に、まずチベット訳からあげると、

  de la kun g2i rnam par Ses Pa ni kun g2i rnam par§es pa fiid kyi lun ni bcom ldan hdas   kyis chos mfion pa de fiid las dafi por bstan pa thog ma med pahi dus kyi dbyins 2es bya   babi tshigs su bcad pa gsuhs te/  dbyins  2es bya ba ni rgyuho/chos rnams kz〃n gYi   gnas yin te/2es bya ba ni gafi rgyu yin pa des na chos thams cad kyi gnas yin no//

  乞es bya bahi don to//de Yod pas de chos rnams kun gyi gnas yod na hgro kun te/ga   hsu hkhor ba na yod pabi hgro babo//bgro ba hbah乞ig ma yin gyi mya血an las bdas   pabah ste/des yod pas na kun nas fion mohs pa dah mya rian las bdas pa fiid kyah   hon/de ni Ses byahi gnas kun g2i rnam par§es pa面d kyi luh hoゾ

  その中で、アーラヤ識とは、アーラヤ識たることの教証が、世尊によってその同じ『阿毘

  達磨[経]」の中で最初に示された無始時以来の界という偶に説かれた。  界 というの

  は、因である。あらゆる諸法にとって等しく依り所となっているというのは、因であるも

  のが、あらゆる諸法にとっては、依り所である、という意味である。これがあるからこそ

  これがあらゆる諸法にとって依り所としてあるとき、あらゆる趣がある、輪廻において存

  在する趣である。輪廻のみだけではなく、浬繋もある,これがあるからこそ、雑染と清浄

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       法華文化研究(第27号)

ともある。これが知られるべきものの依り所であるアーラヤ識たることの教証である。

玄 訳

釈日。此中、能謹阿頼耶識其髄定是阿頼耶識。阿笈摩者、謂薄伽梵即初所説阿毘達磨大乗 経中説如是頒。界者、謂因。是一切法等所依止。A[現見世間於金鑛等説界名故。由此是 因故、一切法等所依止。]因体即是所依止義。由此有者、由一切法等所依有,諸趣者、於 生死中所有諸趣、B[趣者、謂異熟果。由此果故或是頑愚瘡症種類、或有勢力能了善説悪 説法義。或能語得上勝讃得。又為煩悩所依止性、由此故有猛利煩悩長時煩悩。如是四種異 熟差別所依止故、無有堪能、応知翻此名有堪能。] 非唯諸趣由此而有。亦由此故護得浬 磐。要由有雑染、方得浬繋故。引

達摩笈多訳

釈日。世尊於阿毘達磨阿含中説阿梨耶識名阿梨耶識者、即是此論初所説阿毘達磨修多羅。

此中界者是因義。諸法共依止者、由是因故一切法同共依止。謂依止此以為因艘。有此一切 法依止故、B[諸趣果報由此得生、於無量生中有力、於善説悪説法中能解其義。若復越次 得於勝得。又為煩悩依止賠。由此得有極重煩悩及牢固煩悩。此等四種果報中、勝者身有堪 能、翻此者、無堪能。応知一切者、於生死中随何趣。]非唯諸趣、亦有浬繋勝得。以有煩 悩即有浬繋故、此阿含顯応依止是阿梨耶識。IL〕

真諦訳

釈日。今欲引阿含諮阿黎耶識鰭及名。阿含謂大乗阿毘達磨。此中佛世尊説偶。田此即此 阿黎耶識界。以解為性。此界有五義。一豊類義、一切衆生不出此酷類、由此鵠類衆生不異。

二因義。一切聖人法四念庭等、縁此界生故。二生義。一切聖人所得法身、由信楽此界法門 故得成就。四真実義。在世間不破、出世間亦不蓋。五藏義。若応此法自性善故成内、若外 此法難復相応、則成殻故約此界。仏世尊説比丘、衆生初際不可9達、無明為蓋貧愛所縛、

或流或接、有時泥黎耶、有時畜生、有時鬼道、有時阿修羅道、有時人道、有時天道、比丘、

汝等如此長時受苦増益貧愛、恒受血滴。(2}由此諸故知無始時、如経言、世尊、此識界是 依是持是虜恒相応及不相離不捨智。無為恒伽沙等数諸仏功徳。世尊非相応相離捨智、有為 諸法是依是持是庭故、言一切法依止、如経言。世尊若如来蔵有由了故、可言生死是有故、

言若有諸道有。如経言、世尊若如来蔵非有、於苦無厭悪、於浬繋無欲楽願故、言及有得浬 奨。(3)復次此界無始時者、即是顯因。若不立因、可言有始。一切法依止者、由此識為一 切法因故、説一切法依止。若有諸道有及有得浬繋者、此…切法依止、若有是道則有。

B[果報亦有、EH此果報衆生受生、易可令解邪正両説分別有異、後能得上品正行、応得勝

徳。由煩悩依止故生極重煩悩及常起煩悩。是果報等四種差別名依止勝。能翻此四種名依止

(9)

       世親釈 r摂大乗論i管見(下川邊)      55   下劣。生死中不恒道等非有、浬繋義亦非有。何以故、]若有煩悩則有解脱11i。

 これらの引用から判ることだが、真諦訳が最も分量的には長い。これは従来から言われてい るように真諦白身の考えが混入しているからである。それは(Uと〔2)の箇所がそうである。

(3)はほぼ玄装訳や達摩笈多訳と一致する。チベット訳はもっとも短い。チベット訳には漢訳 に付したAl]とB:]の部分がない。漢訳に付したAとBがともにあるのは玄奨訳のみ である。真諦訳と達摩笈多訳とにはBのみてAが存しないのである。すると諸漢訳にはすべて

Bがあることから、多数決の論理に従えば、チベット訳においてBに当たる箇所は削除ないし 脱文であることになる。また玄 訳のAの箇所はすべての他の訳にはないことから、玄奨によ る付加と考えられる,しかしテキストをこのように機械的に処理して良いかどうかということ が問題である。諸テキストが一致するところのみが原サンスクリット原文であって、他は削除 ないし付加ということがいえるかどうかである。Bに当たる箇所の所のチベット訳を良く読む と前後の文脈の流れからいって恐らく削除ないし脱文ではないであろう。チベット訳が用いた 原文はこういう形態のものであり、Bの箇所が抜け落ちたものではなく初からこういう形態の

ものであったと考えられる。これに反して玄 訳のAは「界一を金鉱に讐えるのは唯識説では

一 般的であり、あるいは玄装による老婆心からの付加とも考えられるが、判断することができ ない。いずれにしてもこのAを除くと玄奨訳と達摩笈多訳は良く一致する、亦真諦訳も(1) (2)

を除くと他の二つの漢訳に一致する,、このことから考えると漢訳三本の原文は大体同じもので あったと言える。チベット訳の方はこれとは別の系統のものであったと言えるかも知れない。

 真諦訳の(11のに関する箇所についてみると、これを先に真諦自身の思想と言ったけれども、

これについては丁秘義分別摂疏』の中にも真諦訳と同様の文章があるのである,この箇所に関 する真諦の説明はこ勝鍾経』自性清浄章を引用して全く『宝性論」の説明と同じである。これ 明かに「界」を如来蔵によって解釈するものであり、真諦は世親釈の解釈よりもこちらの方を 優先させている。真諦は堺」をアーラヤ識によって解釈するよりも了宝性論』の解釈を滑り 込ませることによってアーラヤ識思想を如来蔵思想によって一元化しようとしている,これは

もとより真諦の思想の特色なのであるが、真諦にとってインドから中国への思想を平行輸入は コ昆乱」ないし「もめごと」の基と考えられたので、それを一元化する必要があったものと思 われる。それは当時地論宗によって南道派と北道派とに分かれ真・妄の争うがあったのを真諦 は知ていたからである。このように真諦はある思想的展望の基に如来蔵思想を導入したのであ るけれども、「秘義分別摂疏」の方は注釈に際して真諦のように思想的展望がなく、ただその 当時考えられた「教理」を羅列しているにすきない。そこの箇所はやはり真諦と同様に「勝箋 経」を挙げ、さらに『大乗浬葉経」を挙げて、「界」を如来蔵とアーラヤ識によって解釈でき

る可能性の一つとしている。

  dpal hphreh seth gebi na rohi mdo las/〈rnam par byah bahi sa bon la bltos nas sems

(10)

       法華文化研究(第27号)

can thams cad de b2in g§egs pahi sfiih po can no>乞es垣byun ba dah/mya han las hdas pa chen pohi mdo las〈kun g乞i rnam par§es pa dan/hjug pahi rnam par Ses pa dag gis lons rdzogs pahi sku bsdus so>2es gah bbyuh ba lta bu乏ig yin na ni debi phyir hdi lta

bu yin te/thog ma med Z)ahi dus kyi dbyiits 2es bya ba gfii gahi sa bon las bltos te tha sfiad gdags so/.IL)

「獅子吼勝髪経』中にく清浄の種子に関連して一切の衆生は如来蔵を有する〉と説く。

『大浬樂経」の中にも〈アーラヤ識と転識とは受用身に包摂される〉と説かれる如くであ るならば、それ故にその如である。無限の過去からの界というのは、二つの種子に関連し て言語的に表示された。

 「勝蔓経』に関してその引用する箇所が『秘義分別摂疏」とは真諦のものとは違うが、とも に「界」を如来蔵と解釈する根拠としている。また『秘義分別摂疏」の方は、「界」をアーラ ヤ識と解釈する根拠に『大浬繋経」としているが、これが所謂「大乗浬繋経」であるならば、

『大乗浬繋経」の中核を形成する法顕訳六巻本には筆者が確認した限りにおいてこの引用箇所 は存在しない。従って、原型を保存するといわれる六巻本にないということは本来なかったと 言ってよいだろう。チベット訳の『大乗浬磐経』にもしあったとしても後の付加的部分であろ う。いずれにしても『秘義分別摂疏」は「界」が二通りに解釈されることを示している。この ことは真諦と同じであるが、真諦の立場とは先にも述べたように異なる。『秘義分別摂疏」の 方は、解釈の可能性の一つとして挙げられているに過ぎない。ここには真諦のように如来蔵思 想によって一元的に統一しようという意図は見られない。このように真諦と『秘義分別摂疏』

は「界」が如来蔵によって解釈される道を示しているが、もとよりこれは「摂大乗論』自身に 即して考えるとき逸脱であることは明白である。無着は如来蔵思想と一線を画しているからで

ある。

 以上のようにして見るとき、真諦の解釈は独自のものと思われていたが、同じように解釈す る仕方がチベット側の資料にもあるということは、彼独自のものではないと言うことである。

真諦はテキストの本文に即して考えるとき、玄莫訳や達摩笈多訳と同等に扱うことはできない。

しかし解釈とうい点になると「秘義分別摂疏」と同様におもしろい資料を提供するものである。

世親釈論のテキストの復元ということになるとやはり玄奨訳と達摩笈多訳とが基準となる。と

りわけ達摩笈多訳が重要である。なぜかというと、達摩笈多はどうも唯識思想の専門家ではな

かたようである。彼は真諦訳の十五巻本を見て自分が持っている原文とあまりに違っているの

に驚いたのではなかろうか。従って彼はこの真諦訳への反動から却って語学的に正確に逐語的

に訳出したものと思われる.彼は科文は真諦に従いながらもその文体が真諦や玄奨のように訳

文が流暢ではなく、生硬である。これは真諦や玄装のように中国語に精通していなかったこと

(11)

       世親釈r摂大乗論二管見(下川邊)       57 の証拠である。故に行矩という協力者を必要としたのではないであろうか。これによって中国 語の文体を整備したのではなかろうかと思われるのである。このことはまたチベット訳の方に もいえる。アティーシャは『デプテルグンポ」によると彼がチベットのガリに入ったときはも う59歳を過ぎていてどれほどチベット語に精通していたか疑問である。しかも彼は常に通訳と してナクツォ翻訳官を伴っている。そしてこの世親釈「摂大乗論』はこのナクツォ翻訳官との 共訳である。「デプテルグンポ』はこの釈論の翻訳について興味ある記事を伝えている。

  there he prepared with the assistance of the lo tsa ba(Nag−tsho)many translations、

  such as the Ni−khri shah ba, the Commentary on the Theg bsdus composed by the   acarya Vasubandhu, and other texts. The Master also saw there many Indian   manuscripts, and when he noticed many manuscripts which were not to be found in

  India, he said:一・…

      The Blue Annals. P.33, trans. by G.N.Roarich これに依るとナクツォノの協力をえて世親の『摂大乗論釈論』や他の典籍を翻訳したとき、そ こに(サムエ)にはまだインドにもないインドの写本が沢山あたということである。これを見 てアティーシャが驚いている様子を伝えている。問題はアティーシャがこのr摂大乗論釈論』

を自分がインドから持って来たか、あるいはここ(サムエ)にあったものを翻訳したかである。

「デプテルグンポ』は彼がインドから典籍を一緒に持参したか否かは何も伝えていない。従っ て彼がインドから持参したものとサムエにあったものを翻訳したか、その可能性は五分五分の ところである。すると可能性の一つとして、サムエにあったものを翻訳したとすると何故写本 のままあったかということである。『摂大乗論』と無性釈「摂大乗論」はすでに前伝期には翻 訳されており、こちらの方がとり残されてしまったのである。すると考えられるのはもう既に 当時からこの世親釈論のサンスクリット原文には欠陥があったということである。この欠陥の 故に翻訳されなかたのである。アティーシャはこの欠陥のままに翻訳したと考えうることがで きる。しかもアティーシャの語学力からいって実際に翻訳したのはナクツォであったと思われ る。「デプテルグンポ」はassistance of lo tsa baと言っているが、実質はナクツォであって アティーシャは相談役ないし権威として存在したに過ぎない。もしこの仮定が正しいとするな らば、アティーシャの学識には疑問を持たざるをえない。『デプテルグンポ」によれは、アティー シャ本人はチベットでタントラを広めたい意向をもっていたようである。それをドムトンに制 止させられて自分のチベットおける存在意義を嘆いている。従ってタントラには精通していた が、所謂唯識仏教にはどれだけ精通していたかは疑問である一以上はすべて仮定であるが、も しこの仮定に従えばアティーシャもまた先の達摩笈多と同様不慣れな語学力と学識によること から、却って原典を忠実に翻訳したものと思われる,従ってチベット訳の多くの欠陥はチベッ

ト訳にあるのではなく、サンスクリット原文の方にあったものと思われる、

(12)

 チベット訳の欠陥というのは主に錯簡、脱文、二重訳を言うものである。脱文に関しては何 とも言いようがないのであるが、錯簡と二重訳にっいては可なり明確にそれが原文にあったこ とを示すものと思われる。二重訳は同じ箇所を微妙に違った訳文で訳している。このようなこ とをわざわざするはずがない。これは確かに原文をそのまま訳出した結果であると考えられる。

これについては後に又述べる。さってここでは先ず錯簡について文節された箇所の Prastavana・5にある世親釈論である。玄装訳において「復有異門、是最能引大菩提性者……

云何能随順、謂無違榑故」に相当する箇所である。ここの箇所は玄 訳はPrastavana・4に相 当する所に挿入されているが、その他の諸訳はすべて5にある。これは4の論本の「謂此十庭 是最能引大菩提性、是善成立随順無違、為能讃得一切智智」。の説明であるから当然4にある のが本当であろう。しかし玄奨訳以外はすべて5に来ている。そうすると玄奨訳以外はすべて 錯簡と考えて良いであろう。真諦訳も達摩笈多訳もチベット訳もすべてその原本が錯簡であっ たと言うことである。といことは玄奨訳が用いたサンスクリット原典もこれら三訳から考えて 錯簡であった可能性が高い。玄奨のみこの錯簡に気ずいてこちらに移動したと考えることがで きる。このことから逆に真諦は、真諦自身の加筆を除けば、割りと原本に忠実であったといこ とである、このことをさらに延長していえば、H・17の論本の文章、「復有何義由此一識成

切種種識相貌。本識識、所余生起識種種相貌故、復因此相貌生故」は、仏陀扇多訳、玄奨訳、

チベット訳にはないが、しかし達摩笈多訳には存在するのであるから、真諦による加筆とは考 えらなくて、原本を忠実に訳したものと言えるようである。

 また1・50、51、52、53、54の論本は仏陀扇多訳を除いて他の3本は語句の配列順序は一致

している。しかし世親釈論において諸訳一致を見ない。真諦訳と達摩笈多訳とは大体一致して

いるが、玄奨訳とチベット訳とが異なっている。玄奨訳が「又於此中有何因縁、若尋伺語行滅

語則不転。想受等意行滅而意猶転、不可例言。如身行滅其身猶住。……如是所執唯有名想。如

前説過皆不能離」を54に入れる所を真諦訳と達摩笈多訳とは53にする。論本の語句の配列順序

からすれば、恐らく真諦訳や達摩笈多訳のが正しいと思われる。しかし54それ自体が真諦訳や

達摩笈多訳にはなく、玄装訳とチベット訳にある。54は真諦訳と達摩笈多訳とは釈論の文章に

なっており。仮にこの箇所を論本と仮定しても、その位置する箇所が異なる。それにしても文

脈の流れからして真諦訳のようなものの方が自然であると思えるが、玄装の原本にはこうあっ

たのであろう。この箇所の無性釈を見てみると玄 の世親釈とは異なって真諦訳のように53に

配釈している。このことから見ると玄 は53への移動が可能であったことを知っていたことに

なるが、しかしそうはしなかった。さらにチベット訳になるともっと複雑で本来あるべきテキ

ストの48の次に来るべきはずの49が抜け落ち、50の一部が来、さらに54の後に49と50の一部が

続く。従って49、50、51、52、53、54に対するチベット訳世親釈論は錯簡であることは間違い

ない、しずれにしてもこの50、51、52、53、54の世親釈論の諸訳は一致しない。50と51との間

(13)

       世親釈『摂大乗論」管見(ド川邊)      59 の世親釈論の諸訳は玄装訳と達摩笈多訳とが一致し、真諦訳が異なる。しかし詳細に真諦訳を 読んで見ると内容的には一致するように思える。また達摩笈多訳ではこの箇所の世親釈が53の 釈文で再び登場する。そして53の真諦訳の釈文が50に対する玄奨訳と達摩笈多訳との釈文と同 じである。この箇所のチベット訳は二重訳があって錯簡、混乱が激しい。これは後に再び述べ るであろう。 このように50、51、52、53、に対する世親釈の諸訳は不一致が激しく、どれが 原型であったかを推定することは難しい。54は真諦訳と達摩笈多訳とは世親釈論の文章となっ ており、国訳一切経の訳者も「他釈に論本に欠けたるに拘わらず、これと同意義の釈文の存す る所より察するに、本訳論本の文も釈文の転入にあらざるかを思わしむ」1/ tと言っているよう に、世親釈を論本に改作したものかも知れない。しかしながらこの箇所の文体は仏陀扇多訳の 52に相当する文章「若復計言滅尽定有心、彼亦是心善不善、彼無記事故、不生成、彼亦不成:

は、却って54の文章に近い形態にある。

玄 装 訳

真 諦 訳(釈文)

達摩笈多訳(釈文)

 仏陀扇多訳は「摂大乗論」の最古の訳である。

きにはこの箇所を52としたが、実際54としてもよい訳である。仮に54とするならは、さきに54 があって後に52、53が作られたとも考えられる。そしてこの52、53が作れたので、今度は54を 論本から抜き取り、これを釈文の形態にしたものが、真諦訳と達摩笈多訳であり、そうして論 本の形をそのままとどめたものが、玄奨訳とチベット訳に残ったのではないであろうか。つま りこの52、53、54は仏陀扇多の「若復計言……彼亦不成一の文章しかなく、あとはすへて後の 付加ではないかということである。それが世親によるものか、あるは別人であるかは分からな いが、しずれにしても無着ではないであろう。

又此定中、由意識故、 執有心者、此心是善不善無記、皆不得成故 不応理川。

若有人離本識、由意識計滅心定有心。是人所執心則不成心、善悪無 記故㌦

若復執離阿梨耶識以意識故、言滅尽定中有心者、彼心不得為善不善

無記、並不成故。T ;

      この訳には53、54に相 t]する箇所がない、さ

 このように諸漢訳においても一致を見ないのであるが、またチベット訳も混乱が甚だしい。

それは主に錯簡と二重訳とである。この二重訳というのは同じ釈文と思われる箇所を微妙にニュ

アンスの違った仕方で二様に訳しているということである。このことはチベット訳に問題があ

るというよりも、むしろサンスリット原文の方に問題があって、それをチベット訳は忠実に訳

出したと考えることができる。このことから察していかにチベット訳の用いたサンスリット原

文が出来の良くないものであるかが分かる。これは筆者が前にも述べたチベット訳の欠陥がチ

(14)

ベット訳にあるのではなく、そのサンスクリット原文にあったことの反映であると考えること ができる。さて、その箇所というのは先に漢訳で述べた1・50、51、52、53、54に相当する箇 所なのである。今、例として50を挙げて見る。

 A [/ji ltar kun gZi rnam par Ses pas rig par byed kyi/mam par smin pahi mam par     Ses pas ni ma yin te/hgog pa la sfioms par 2ugs pahi kun 92i rnam par Ses pa nl ma     yin no/]/rnam par Ses pa da苑 mi hbral lo/2es gsuhs pas 2es bya bas ni kun g2i rnam     par 9es pa yod pa fiid du grub po/gah bcom ldan hdas pa ma yin no 2es gsuths pa de     ni rnam par smin pahi rnam par Ses pa ma yin pa gZan la mi run ho//gah gi phyir     hgog pa la sfioms par 2ugs pa na hjug pahi rnam par ges pahi 9 fien po skyes pa na

    de ni 2i ba fiid mthon ho//IT

A

[アーラヤ識によって知らしめるも、異熟識によってではない如く、滅尽定においては アーラヤ識ではない。]「識は離れない」と、説かれているからであるというのは、アー ラヤ識が存在することを証明するものである。世尊によって、「この識は身体から離れ ない」と説かれたものは、異熟識以外のものではありえない。何となれば、滅尽定にお いて転識の対治なるものが生ずる場合、そのことを寂静と見なすからである。

B hgog pa la sfioms par 2ugs pa de ya血rnam par Ses pa med pa ma yin no 2es gsuhs   pa des ni kun g2i mam par Ses pa de yod pa百id du bsgrubs so//[bam po gsum pa]/

  gan bcom ldari hdas kyis bdihi rnam par Ses pa lus las ma hdas so 2es gsufis pa de   mam par smin pabi rnam par Ses pa ma yin pa g2an la mi hthad de/gan gi phyir   hgog pahi sfioms par hjug pa la bjug pabi rnam par Ses pa spafis pas mi hbyuth ste/

  de ni 2i bar mthon bas so/[s,

B かの滅尽定にも識がないのではないと説かれている。それによってかのアーラヤ識は存   在するものとして証明された。[第3章]世尊によって「この識は身体を離れず」と説   かれた。それは異熟識ではないほかのものでは成り立たない。何となれば、滅尽定にお   いて転識は断滅していることから起こらない。それを寂静と見るによる。

玄 訳

  釈日。引入滅定識不離言、為成定有阿頼耶識。

  以滅定生対治転識.故、観此定為極寂静。ig」

世尊説識不離身者、除異熟識余不得成、

達摩笈多訳

  釈日。滅尽定説識不離身者、此為成就有阿梨耶識。 由世尊説識不離身者、若離果報識余

(15)

      世親釈『摂大乗論』管見(ド川邊)

識不成、何以故、以滅尽定対治生起識故生、見此定寂静故。(2U

61

真諦訳

  仏世尊説、是人於人定時識不離身、此識但是果報識、若離此識説六識中随一余識不離於   身此義不成。何以故、修此滅心定為他対治生起識。由観生起識有不寂静過失故。:1

 ここで分かるようにチベット訳のAの[]はいずれの漢訳にも存在しない文章であり、か つ全く意味不明でもある。これなどは全くの混乱であろう。漢訳三本は訳し方が異なるが、そ の用いた原文は同一のものであったと推定される。しかしチベット訳のA([]を除いた部 分)とBは漢訳と一致するところもあり、そうでないところもある。AとBとのうちでどちら か一方が一致すれば問題は簡単なのであるが、どちらにも一致し且つ一致しないところがある,

このようにチベット訳は混乱が非常に甚だしい。従ってチベット訳をどちらか一方に決定する ことができない。

 以上の事実を踏まえてチベット訳をみるとき、すでに述べた如くチベット訳は錯簡、脱文、

混乱、重訳が甚だしく、その原本がいかに不完全なものであったかを推定せしめるものがある が、この不完全性を筆者は、すでにチベット訳が用いたサンスクリット原典にあったものと推 定している。チベット語はそれを単にそのまま訳したに過ぎない。するとこの欠陥はいつごろ に起こったか、ということになるが。世親釈論の中国における玄装訳の648年を最後に,アティー シャがもたらしたものではなく、すでにサムエにあったものを翻訳したとすれば、その名前が

「デンカルマ」目録にはないがL :、翻訳はされなかったと仮定して824年までとし、約176年の 間にインドで起こったものとすることができる。この約176年間にインドで何が起こったかは 不明であるが、もしこのような形態のテキストがインド全域で流布していたとすれば、『摂大 乗論」研究は遅々として進まなかったであろう。いずれにせよこの欠陥がサンスクリット原典 に起因するにせよ、あるいはチベット訳にあるとするにせよ、現チベット訳ではこれを通じて の研究は不可能である。このことは歴史.Lすでに述べた如くツォカバの作品の中に現れている。

従ってこのチベット訳世親釈論を諸漢訳を参考にして本来あるべき姿にもどすことが不可欠で

ある。

注記

(1)ツルティム・ケサン、小谷信千代『アーラヤ識とマナ識の研究」

(2) 「かも知れない」といったのは、注釈に対する世親の態度に問題があるからである。世

  親は他の書、「顕揚聖教論」、『中辺分別論』、「大乗荘厳経論』等に対してはある種厳密な

(16)

   注釈を施している。理路整然としていると言って良い。然るにこの世親釈論は、ある種大    雑把な印象を受けるのである。

(3)宇井伯壽「印度哲学研究第六』P.294

(4)Peking 155a7−b3, Derge132a3−7

 (5) kun rdzob ces bya ba ni rol gyi nas la sogs pa ste/kun 92i rnam par Ses pa gyur pa    yin pahi phyir ro/Peking 251b1, Derge 205a3

 (6)Peking 4a8−b5, Derge3b7−4a3

(7)ko yam parinfimo n亘ma/anyath亘tvarp/已ranak事ana−nirodhasamakalah karana−

   k§anavilak§anab kAryasyatma−1亘bhah parip員mab, Trirrt sikavijfiaptibh員$ya. ed. by    S.L6vip.16

 (8)Peking 147b5−8Derge126a3−5

(9)大正蔵31巻、P.324a

(10)大正蔵31巻、P.273b

(11)大正蔵31巻、P.156c

 (12)Peking 369a2−4、 Derge 307a3−5

(13)国訳一切経・喩伽部8、P.51,脚注71

(14)大正蔵、P.335c

(15)大正蔵、P.177a

(16)大正蔵、P.283a

 (17)Peking 163b6−164a2, Derge 138b1−3  (18)Peking 166b8−167a3, Derge 140b7−141a2

(19)大正蔵、P.334c

(20)大正蔵、P.282a

(21)大正蔵、P.175b

(22)芳村修基「インド大乗仏教思想研究』所収「デンカルマ目録」P.177

参照

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