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熱 爵 デ 等 論 こ論 麟 捲 ぎ舞欝 撃 講 § 擁 凱 皇

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Academic year: 2021

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(1)

アンドレ・ジッドの方法(1)

1生命の美学

陶 山

(1)

 ?

生涯に︑彪大な作品を遺したジッドが︑死の床にある一九五一年二月十三日︑なお彼が書きつづけるだろうことを

しるしている︒

しかし︑﹁今ひとつの世界﹂死に旅立つ直前まで︑書き思索しようとした作家が︑つねに文学の破棄への誘惑に付

き纒われていたとしたら︑それは︑しごく奇異なことだろう︒だが︑彼の文学には︑その破産をみちびく︑内的矛盾

を秘めていた︒それは︑彼の生命の発見が︑必然的に︑彼を陥れた自己憧着である︒芸術作品は︑その本来の意味か

ら生と対立する︒この彼の芸術創造の矛盾に関わる諸問題を︑死の悲歌である﹃ヴァルテルの手記﹄︑生の讃歌であ

る﹃地の糧﹄の周辺から︑考えてみたいと思う︒

(2)

目次

ーー

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!

H

へ2)﹁聖処女たちの悲しく︑すばらしき祈濤書﹂である︒﹃ヴァルテルの手記﹄のアランは︑なぜ︑狂気のうちに死ぬ

ことになったのだろうか︒二つの理由が考えられる︒ひとつは︑彼のエマニュエルへの恋の破綻であり︑他方彼の信

仰への絶望である︒しかし︑聖処女との恋愛小説と宗教的苦悶の祈薦書とを重ねあわせたこの作品の底に︑この二つ

を結ぶ共通な心理︑死をみちびく﹁幾何学的な線﹂が隠顕している︒

自己の魂が彼女の魂との共感のなかで︑融合することで︑ヴァルテルの恋は︑結晶するはずであった︒この結晶作

用は︑はじめ︑﹁理性﹂﹁精神﹂と表象される彼女の知性により浸蝕され︑つねに結晶を遮られているようにみえる︒

知性と感情が対立する︒やがて真実は︑エマニュエルの方には︑この愛の障害の原因はなく︑彼自身の肉体にこの

﹁愛の不可能﹂が見出される︒エマニュエルとの共感を求めてはばたいた天使的愛の飛翔は︑その羽毛の重み︑自己

アンドレ・ジッドの方法(1)七三

(3)

(1)

七四

その責を負う自己の肉体の破産にヴァルテルをみちび

へ3)

(4)このような︑ある﹁青春の本質﹂は︑魂と肉体との対立から︑宗教的苦悶をともなう︒この二元論は︑天使的なも

のと獣性︑天国と地獄︑純潔と肉欲との対立という宗教上の数々の教義に纒いつく︒ヴァルテルは︑複雑に錯綜する

スクリムピュル信仰の問題の綱の目にからまれる︒しかし︑くもの巣のようにはりめぐらされた﹁疑悩﹂のあいだに︑彼の恋愛の

定理と共通な心理の糸がとおる︒

はじめ︑宗教的苦悩は︑理性と信仰︑知的な推論と﹁心情に感じられた神﹂とのあいだにある︒

(5)﹁少しでも理性がまだ反抗するかぎり︑ときとして信ずることは不可能だ︒﹂

理性は︑明晰に働くが︑真実は︑相対性と多様性のなかに︑消えてゆく︒疲れはてた彼は︑真実の存在は︑自己の

裡にのみとどまり︑﹁ひとつひとつの精神が︑ひとつひとつの真実を創る﹂と︑主観性のなかに︑信仰を隔離する︒

しかし︑パスカル的心情の神も︑その有形な存在を彼に示しはしない︒はじめから︑彼の神は自己の投影であるから

だ︒サヴァージュによれば︑﹁その本質が︑自己の心理と矛盾する神の存在を受けいれることは︑彼にはできなかっ

た︒⁝⁝客観的な神への信仰は︑彼の主観的様相にたいして従属関係にある︒彼の信仰は︑彼の自我に従属してい

(4)

へ  

﹁魂!

   

(8)(9)

﹁永

姿

﹁私の思念のなかに︑あなたは存在し︑思念は︑私の前にあなたの影像を投影する︒⁝⁝きみの存在は︑私の心

初濾かにしかない︒きみを夢みるときだけ⁝⁝きみは不滅の存在だ︒きみが生きているのは︑私の思念のなかだけ

だ︒﹂

()

()

(5)

(1)

舅は︑オンディヌを追い求めてい登つちに︑池の面に導つ鬼火に︹ア簾した彼女の姿を認めたさつ叢がして︑ゆれ動く幻に魅せられてとびかかるが︑夢破れたその指のなかで︑幻影はぼろぼろに崩れ︑彼は泣いた︒﹂

厳㈱訟

i

(12)

⁝⁝︒﹂

﹁夜()

ねないがi幻影に穴をあけはしないかという恐れが︑破られた外観の後から︑虚無があらわれはしないかとい

(13)

鏡に関わる問題の終局は︑ここに見出される︒自己意識の分裂が生む影像︑現実の像を第一の現実とすれば︑第二

(6)

彼は自己が虚像であることに気付く︒自己は虚像︑現実には存在しない︒自己は失われるi死︒このように︑ヴァ

ルテルの死は︑﹁幾何学的な線﹂のように明瞭な﹁論理的帰結﹂となる︒

Uその芸術の方法

へ14)死をまねく﹁生の稀薄の味﹂は︑ジッドの文学に色濃い影響をあたえている︒大かたのジッド研究家G︒プレ

(15)J()

(16)シオン﹂(清め)となる︒ここでアンティーーヴィタルな芸術方法が生れる︒この方法は︑彼の生涯のある時期︑宗教

的存在と象徴主義的存在を調和させるという幸福な未来を約束していた︒

P

ゆ 

(17)

(1)

(7)

(1)七入

(Φ)調調

調調

(o瞬ヨ)

へ19)

﹁波

しない︒鏡の意識のなかに︑時間は凝集する︒過去も未来もその認識の一点としての時‑現在のなかにのみ存在す

姿

調

(8)

へ20)

(21)いたままで︑私たちは︑暗い水の上に︑私が夢みる空の反映を探しもとめた﹂と︑とじられる︒﹁私たち﹂と﹁私﹂

と二つの主語が重ねあわされていることは︑作中の旅人たちも﹁私﹂の心理の多様な分身であることを示唆する︒全

ては﹁私﹂の主体の内部のできごとなのだ︒極北まで続けられた旅は︑私の夢から覚醒することなく︑無への旅をと

じる︒作者は︑彼の内的世界において︑内部の無数の鏡に乱反射するカレイドスコープのイマージュのように﹁自動

増殖﹂する心象風景の旅をくりひろげる︒しかし鏡の前での自己喪失と同様︑それは永遠の円環をなし︑文学形式へ

の執拗な探究の形でのみ︑作者は自己の確固とした存在を得ることができる︒

(22)J

A

(23)(

(1)

(9)

(1)

八〇

﹁現実のものとすることのできない喜びの夢が私を苦しめていたので⁝⁝私はその夢を物語にする︒⁝・私は自

分の夢が呪縛を解かれることで︑喜びを感じる︒⁝⁝どの様な行為も⁝⁝客体から行為する主体に対する逆動的な

動きがある︒私が表現しようと思ったのは︑その相互関係の作用である︒他のものとの関係におけるものではな

く︑自己自身との関係作用でもある︒行為する主体は︑自己であり︑反作用として働くもの︑それは︑想像された(24)テーマである︒﹂

ジッドは︑内部の主体客体の相互関係を︑主体との永遠の絆にからませたまま︑外部の客体としての作品として︑

定着しようとした︒

このような主体と客体との距離の喪失は︑当時の伝統的な意味での文学形式Hロマンでは不可能だった︒その主要

な伝統が想起させる手順は︑体験する自己(主体内の自己と客体)を︑体験の行なわれている世界から︑全く別の客

観性である虚構の世界のなかに︑テーマという主観性として︑ほとんど無意識のように︑忍び込ませることだ︒これ

にたいして︑ジッドは︑自己の認識形態とその経験全体を︑直接︑作品のなかに客体化しようとする︒主体と客体

(人間と世界)は心の内部のイマージュのまま︑美学的客体化目形式の力によってのみ︑架空の距離をおかれて︑定

着する︒いいかえれば︑現実を描写しない彼には︑自己の変形11変奏曲という野情的方法だけがのこされていた︒し

かし彼には︑好情的韻文形式に︑自己を投影すること︑同時代のヴァレリー︑クローデル︑ジャムに開かれていた自

(25)

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参照

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