「エジプト 」という言葉からは、 ギザ ( Giza)の三大ピラミッドやトウトアンクアメン (Tutankhamun)王の様々な黄金 製品、 あるいは見事な岩窟墓の壁画や列柱が立ち並ぶカルナック神殿(Karnak Temp le )など、 古代文明の輝かしい遺産 がまず連想されることだろう。しかし同時に、 昨今では二0-―年に起こったいわゆるエジプト革命に端を発する政情 不安も想起されるのが実情である。さらに近年では過激派の活動が活発化 し、 本年も飛行中の旅客機を爆破したと目さ れる事件や、多数のテロなどが報道されており、一層の不安を惹起させられざるを得ない。 しかしこの様な状況にあって も、 古 代エジプトに関する研究は世界各所で途切れることなく連綿と継続されている。 世界各地では国際学会が頻繁に開催され、 雑誌•紀要などの定期刊行物やモノグラフ、 論文集や発掘報告書といった出 版物の刊行も多数行われている。ほかならぬエジプト においても、 遺跡の発掘調壺や踏査が各所で精力的に 行われ、 多
古代エジプト研究に関する現状と展望ー紀元前四千年紀の研究を中心として(黒沼)
はじめに ー紀元前四千年紀の研究を中心として
1古代エジプト研究に関する現状と展望 〈時評〉
黒沼
太
九七
古代エジプトに関する調壺や研究が、 一七九八年からのフランス ・ナポレオンの遠征隊に帯同した学者団によって行 われ、 大著『エジプト誌(D
escription de
l 'Egypt
e
)』として結実した記念物などの調査に端を発する点は有名な史話であ る。その後の十九世紀中葉以降、 特に欧米の調査隊によって、 エジプトや北部スーダン(ヌビア)に 所 在する多数の遺跡 が発掘され、 当初は好古的な関心による半ば略奪的な調壺が行われていたが
、 イ
ギリスのw.M.F.ピートリー(P
etri
e) らによって明確な学術的意図に基づく体系的な調査へと転換していった。こうした調壺 の多くは、 富裕層や国家などに よって設立された基金とその運営組織による支援を受けて行 われ、 各国の国民に調査成果が還元された。これらの組 織の例 として、 イギ リスのエジプト探壺協会(Egyp tExploration Society , EES) やフランスのフランス東洋考古学研究所 (Institut frarn;:ais d 'archeologi e orientate , IFAO) 、 ドイツ のドイツ考古学研究所カイロ支部(Deut ches Archaologisches Institut ,
Abte ilun g K airo , DAIK)
、 さ
ら に設立は第二次大戦後となるがアメリカのエジ
プト・
アメリカ研究センター(Am erican Research Center in Egypt , A RCE) などが挙げられる。現在でも、 エジプトでは欧米の調査隊が主体を占めて おり、 上記し 研究の舞台ーフィールドと博物館
メトロポリタン史学十一号―10一五年―二月くの新発見・新知見がもたらされている。 こうした状況に鑑み、 本稿では現在の学会状況を紹介し、 研究の展望に関して筆者が思うところを述べたいと考えて いる。ただ、いわゆるエジプト学全般を取り扱うには、筆者 の力は余りにも及ばないため 、特に筆者が取り組んでいる紀 元前四千年紀(約4000 , 3000 B.C.) の先史,原史時代に相当する時
代、
具体的にはナ
カダ
文化 (Naqada Culture) 期や下工 ジ プト文化 (Lower Egyptian
Culture)期と呼称される時代の研究を中心に記述を行いたい。この時代は、
エジプトの地で 初めて国家が成立した国家形成期(Stat
eFormation P
eriod) とされており、 後の時代の礎としてナイル河下流域における 歴史の中で非常に重要な時代である一方、具体的な国家形成の過程など、なお不明瞭な部分を有する時代である。 九八
た組織による調在に加えて、 大学や博物館による調査も多く行われている。紀元前四千年紀に関する調壺の場 合、 最初 期の王墓地として著名なアビュドス (Abydos)遺跡で のDAIKによる発掘や、 下流部デルタ地帯におけるEESによ る踏査、同じくデルタ地帯でのIFA0によるコム・エル
11キルガン(Korn el , Khilgan) 遺跡やテル・エル11イスウィド(Tell el , Iswid)遺跡の発掘調査などの他、大英博物館の研究員らを中心とするヒエラコンポ リス(Hierakonpolis)遺跡での発掘 調査やポーランド隊によるデルタ地帯に所在するテル
・ エ
ル
11ファルカ(Tell el -Farkha)遺跡での発掘調壺などが著名で
現場でのフレッシュな調査成果の一方で、 紀元前四千年紀の研究の場合、 欧 米を中心とした博物館に所蔵されている 考古資料やアーカイヴの調査も、 一―十世紀後半以降活発化してきた。特にナカダ文化に関し ては、 最初に遺跡の調査が 一八九四年と古く、 墓地遺跡を中心とする多くの遺跡が、 第二次世界大戦までの期間に発掘調査がなされてきた。今日 の時点から翻ってみても分かるように、 十九世紀後半\二十世紀前半は、 考古学の黎明期とも言える時期であり、 調査 方法や記録の公表方法が発展途上であった時期である。発掘報告書は刊行され たが、 良くも悪くも当時の水準を体現す る もので あり、 分析項目や着眼点・研究方法などが多様化・複雑化した現代の考古学的水準に照らし合わせてみた時、 こうした古い時期に調査された遺跡の報告書や当時の記録は記載が断片に 過ぎ、 多分に心許ないことは否めない。こう した状況を改善し、 新たな過去像を復元するため、 博物館所蔵資料の再分析が行われ始めているのである 。例えばナカ ダ文化の研究では近年の墓制考古学の考古学理論を踏まえつつ博物館所蔵資料を分析した研究 が、 一九一〇\一九―― 年に調査が行われ編年上重要な遺跡であるゲルゼ(Gerzeh)遺跡を対象に行われている。
フィールドや博物館資料の研究によって得られた研究成果は
、 ど
の学問分野でもそうであるように国際学会や国内学
古代エジプト研究に関する現状と展望ー紀元前四千年紀の研究を中心として(黒沼)
あ る 。
国際学会
九九
会などで公表の機会を得ることとなる。例えば、 本年八月二三日か ら一―10日までイタリアのフィレンツェで 「第一一回国 際エジプト学者会議( International Conference of Egyptologists , ICE)」が行われた。第一一回ICEは、 本来は二0-――一年 にエジプトのアレクサンドリアにて予定されていたが、 政情不安に由来する治 安上の問題から延期の後に中止され、 フィ レンツェにおいて代替開催されたものである。ICE はエジプト学の国際学会としては今日最も著名かつ最 大のもので あるが、 それ以 外にも時代や地域・テーマを絞った国際学会が 世界各地で開催されている。 紀元前四千年紀の研究の場合も、 この時代を含めた先 史,原史時代を主要対象とする国際学会が整ってきた。例え ば、 ―100二年にポーランドのクラクフで開催された 「エジプトの起源(Egypt at its Origins)」学会は、 三年ごと に 持ち 回り で開催されている。この学会は、 特に 古代エジプトにおける国会形成期を 主な対象としており、 直近では昨年四月にエ ジプト・カイロのIFA0にて第五回大会が開催され、 筆者も聴講のため参加した。この他に、 一九八0年にポーランド のポ ズ ナンにおいて第一回大会が開催された通称 「ディマチェヴォ会議(Dymaczewo Conference)」も著名である。ポズ ナン近郊の保養地ディマチェヴォでの開催に端を発したこの学会は四年ごとに毎回タイトルを変えつつ開催され、
ナイ ル河流域に限らず、 北東アフリカ大陸の先史時代をテーマにしている。今日では、 開催地をポズナン旧市街に 所在 する ポ ズ ナン考古学拇物館(Poznan Archaeological Museum)に移して開催されており、 直近では本年七月一日1四日の期間 に行われた。 また、 若手研究向けの学会では、 イギリスを中心としたヨーロッパの諸都市で毎年開催 される 「エジプト学の最新研 究( Current Research in Egyptology , CRE)」学会や、
同じく若手向けでヨーロッパ各所の大学で三年ごとに開催される「若
手エジプト学者国際会議 (International Conference for Young Egyptologists , ICYE)」 などが 存在 し ている。 この様に、 近年では定期的に開催される国際学 会が充実してきたことが―つの特徴として挙げ られるだろう。以下で は、 こうした学会の動静を受 け、 筆者の研究対象であ る紀元前四千年紀に関する研究の更なる進展に向け て、 箪者の考 えを簡潔に述べ、 本稿の結語としたい。
メトロポリタン史学十一号二0一五年―二月100先に示したように、 現在 の紀元前四千年紀の研究では、 フィールドにおける調査に加えて、 博物館などでの所蔵資料 を調査することにより、 新たな知見が学会にもたらされている。この二つの方向性の内、 現在 筆者は後者の立場からナ カダ文化の墓制へのアプローチを試みている。 考古学の場合、
基本 的に発掘調査などフィー ルドで取得される情報が研究の一次情報とし て重要であることは周知の 通りであるが、 特に古代エジプトに関する研究の場合、 二十世紀初期までは欧米の博物館へとエジプトから大量の資料 が搬入された。さらに、 重要な遺跡ほど初期に発掘調査が 実施され、 今日的には調査の記録が不完全 な状態であり、 元 は同じ遺 跡からの出土品であっても、
分配を受けて世界中の博物館に所蔵されているという状況にある。一見すると、
こうした遺跡は研究対象としては不適であるとも考えられるが、
筆者は欧米の博物館に所蔵されている資料を主要な研 究対象にすることは過去に発掘された重要な遺跡を評価 し、
当該期の研究へ貢献出来るという点で非常に意義深いと考 えている。こうした作業には、 元となる資料の質的側面が不安定であるために、 資料批判が不可欠であるが、 公刊された 発掘報告書の記録を修正したり、 補填したりできる点で、 研究の基礎情報を充実させることができるメリットがあるの である。先に記したように、 近年では古い遺跡 の記録に考古学の最新理論を組み合わせた研究の事例 も増えてきており、
博物館やアーカイヴ側も所蔵資料の公開と活用に力を入れている印象を受ける。箪者はこれ
まで、 イギリスの大英博物 館古代エジプト・スーダン部門やユ ニヴァーシティ ・カレッジ・ロンドン付 属ピートリー ・エジプト考古学博物館を訪れ たが、 資料の実見と 活用の推進に注力している様子を見ることが出 来た。 昨今では、 所蔵資料のデジタル化やオンライン・ カタログを積極的に整備することで、
現地に赴かずともある程度の情報を利用希望者が得られるようになってきている。
考古学はフィール ドでの調査が最も基本で あるが、 欧米の博物館に埋もれている 初期の発掘に関連する資料にもま
古代エジプト研究に関する現状と展望ー紀元前四千年紀の研究を中心として(黒沼)
紀元前四千年紀の古代エジプト研究の更なる進展のために
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