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琉球の穀物起源伝承と穀物儀礼

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(1)

琉球の穀物起源伝承と穀物儀礼

はじめに

(13) 

久高島と平・一府の穀物起源般歳琉球一円の穀物の組糠を語る伝敢

(神話﹀とは︑川久高島のシマ人(村落共同体の構成員﹀が伝える︿ま

たかつて長えていた﹀伍承と︑川山首盟芝府が伝えた↑伝承の一一栂類があ

る︒そして︑この二種類の伝承の内容︿モチーフ)は︑相違する部分

と重層・共通する部分を持っている︒

なお︑支府の穀物起漁伝承は琉球関関神話のなかで語られている︒

久高島と王府の毅物繊札また︑久高島では叫シマ人が伝える︿ま

たかつて伝えていた﹀穀物の起源安婦る伝承を踏まえて︑変と襲の穀

マブッチマッチf

物犠礼︿初穂祭と収穫祭)ならびにその拐轄祭に付随する精進を執り

行っている︒そして︑川首盟主府は王府が伝えた穀物の起源を掛る伝

感受踏まえて︑麦と策の穀物議社を久高島で執り行い︑稲の穀物議礼

を知念・玉城で執り行っていた︒そして︑この久高島での穀物儀礼の

うち変の初穂祭を国王(後に代理人﹀が踊年に執り行い︑知念・長場

での輸の穀物議礼のうち初穂祭を国壬が毎年︑執り行っていた︒

Y Y

現行の久高島の変と粟の穀物犠礼は︑﹁朝持み﹂(﹁朝鍛りいと

も︒一日目)とぷノ拝み﹂(﹁タ祭りんとも︒一・一一日目﹀から構成

されている︒筆者はこの﹁朝搾みん(ならびに初練祭の朝拝みに付髄

する精進﹀が久高島の穀物儀礼であり︑﹁タ押み﹂が王府の穀物犠札

だ︑と想定している︒なお

だった︑と推定している︒

E

械での謡の穀物儀礼もほぼ同様

久高患の蓑と蝶の般物儀礼︿初穂娯と収穫祭)の次第の一覧表

‑100 

時刻

一朝拝み(朝祭りとも)

⁝初穂祭に繕進が付随する

タ拝み︿タ祭りとも﹀

タ拝み︿タ祭りとも)

外問殿・御殿縫

紙片間殿・御殿庭

.御殿庇

本論のねらい本論はこの久高島と五府の穀物起源伝承を記述して

幣鰹ずる︒そして︑両者のモチーフ在比較してその相違点と共通点を

明確にし︑久高島と王府の立場安明らかにする︒

そして︑このa一つの穀物組源伝承のあり点と久高島の麦と粟の穀物

儀礼の次第(﹁朝持みいと﹁タ拝み﹂)を見ると︑﹁朝拝み﹂︿なら

びに初穂祭の輯持みに付随する精進﹀が久高島の穀物相瀬川知承を︑

﹁タ拝み﹂が壬府の穀物起源伝敢そ踏まえていて︑久高島と王府の穀

物起源伝承が穀物犠礼と対応していることを明らかにする︒

(2)

(14) 

42 (2006) 弘前学院大学文学部紀要

穀物起源伝承のモチーフ一覧

久高島と王府の穀物起源伝承のモチーフ一覧

穀物起源伝承のモチーフ一覧表﹂になる︒

以下︑この一覧表の順に見ていく︒ ﹁久高島と王府のこの久高島と王府の穀物起源伝承(神話)をモチーフによって一覧にすると︑

久高島と王府の穀物起源伝承のモチーフ一覧表

所蒔いを穀 の植物君

種 の

izs:. 

2

E 合 稲 E

An の ; の

仁一←一

ハタ久 豆小裸 捜 ヤグ 瓢

シ 赤 西 マ 人

る ス の ス l リミ

稲 粟 l

I

卜一

ミ王城 ハタ久 黍裸麦大

マシ赤 西

ト の ス

る ス リミ

家ご名

・ 小 I

稲 唐 .

聞植高回4fl 

r

A

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J¥ 

(← 

々 久 黍 奏

、 一 〉 、 『唱、~、~ー‘J 一一)、 一 一 ‑‑ー(

ぬ出つ土rjl 

ヂ ア

( i2h)

」; 

豆 粟

ぬ嗣コ用'1 々 久

シ コ 黍 麦

tH 

9 14)疏 1¥ 

11.粟

tJτ 

卜一一一一 十一

ぬ掴つ埋Ij 各 久 輿 黍 褒

4聖 之 (2) 

蓮 粟 f~

tJ 立・

ト ー

を 久 ぬ嗣つ上

.!iIJ T '}t 

() (n231

・粟

が 埋 で の 稲・

死 る

卜一一ー一一一一一一 トーー

豆 粟 麦 浴休ヤ

JhtJa4Fa Z 種 種 種

f=ニニ

ドニ工二て

世 琉 同ー

×  黍 粟 ×  × 

J

ト一一 「 ー 一 一 一トー←一一一

l自 久 黍 麦

jl言語委

承 の

. . 

×  稲 粟 ×  × 

× 

k  承 承 調

‑99 

(3)

硫球の穀物起源松承と般物鵠礼

(15) 

よる務葵錦織

よる琉蛾の御持の出現 土おと植物による久鶏島の御搬のはじまり神の出現 植物による郷

神の出現

神 線 様 の の 物 的 は に ま封じよ ま る り 御

土石と植物による議球の

神の出現

× 

× 

× 

× 

× 

× 

× 

× 

久高島の二月の麦の初穂察のはじ

初穂祭でアテ

の葉そ使う 久漏出癖の穀物噂礼︿変の初穂鱗おど﹀のはじまり

‑98 

× 

× 

i

※×は伝承がないことを示す︒無印は伝棋がないけれども︑弘法があっても不自然でないことを示す︒また︑﹁A種物を得た者﹂の()は助言者を一不し︑︿﹀は助官者でないことを示す︒

(4)

(16) 

42 (2006) 弘前学説大学文学部紀要

久高島の穀物起源伝承

久高島の穀物起源伝殺の横概

久島轟の穀物館瀕器承の梗標まず︑久高島に伝わる(またかつて

伝わっていた)穀物起源伝承︿神話)を見る︒若干の異伝があるもの

の︑その梗概はおよそ次のとおりである︒

なお︑梗概は現代のE頭伝承を懐先し︑近世の書承絃歌を従巳して

A5

a

bなどは︑﹁久高島と王府の穀物起滅松

敢のモチiフ一覧表﹂に付した記号と対応している︒以下の引用に付

AB

a

bなども︑同じである︒

i

(A

)

亦人ミi‑シマリ批夫饗(シ一フ太郎・批加那志夫妻とも︑ア

)

︿A

)

夫妻︿近慌の醤承伝承ではアナゴノ子︑あるいはシラ太郎・

Y

批加那志夫喪﹀が東海岸の︿

np

﹀伊敷浜(伊敷泊)にいると︑

( C )

瓢箪︿自費とも)が寄って来た︒

夫妻が(近世いの議敢伝承ではアナゴノ姥の助言によってアナゴノ子

が︑あるいは枇加那志が

) (

D﹀ヤグル井(近世の議議伝承ではヤグ

ル井と転えたり︑井戸名を伝えなかったりする)で精進(模)し︑白

衣を着てこれを手にし︑その中にあった穀物と植物の種物を得た︒

( E )

その穀物の種物とは麦︑梨︑黍︑豆︑擦などであり︑植物の

種物とは横榔(藷葵)︑アザカ(アテカ︑アヂカ︑アラカ︑アダカと

も﹀︑シキヨ︿薄・鷲﹀である︒

これらの穀物の種物のうち︑︿

F)

稲を除いた栂物を久高島のハタ

ス(ハタス瓶︑古関長とも﹀に蒔き︑そこで増やしてからシマ人口

タマグスクヒャタナ

︿

hHA﹀稲は玉城の百名に蒔いた︒

百名は久世間島の始祖であるシラ太郎・批加那志夫棄︿兄妹でもある)

( G )

この瓢箪︿自輩とも)をハタスに埋めた︒自壷を掘り出そう

︿日﹀植物の種物︿蒲謀︑アザカ︑シキヨ﹀が繁茂して︑久高烏の

御嵐のはじまりになった︒

()()(

︿I

)

穀物のうち麦北関しては麦の初穂祭が二月(ニ月とも﹀に始

まった︒また︑一月︿A一月とも)の棄の初穂祭と五月の葉の初穂祭の

戟拝みでは︑アザカが新穀で作った神撲を打ち払う娯具として使わ

れ︑瓢轍も新穀を詰め込む祭具として夜われる︒また︑三丹の市況の収

if

i

機祭と六月の一粟の紋機殺の巌廻りでは︑務葵御出掛で藷葵の葉が新穀で

作った神撲を盛り付ける祭具として舵われる︒

また︑︿I)稲を送ちれた百名のミントゥン家からイザイホ!のア

リクヤ

1

(綱)の料となる稲藁が久高島に送られてくる︒

(I )

種物を蒔いて食物ζし︑そのうちとくに二丹に熱した麦を王

府に献上し︑国王の高ぶところとなった︒

︿I﹀乙れで神測を作って琉球中の御織に供え︑琉球の穀物儀礼を

97‑

︿

1)

国王は.一月の表の初穂祭を執り一行うために編年に久

路島に行幸するようになった︒

(I )

この久高島行幸はやがて当職︿代理人)に変更された︒

(J

﹀近慌の﹃遺老説縛﹄と叫久高島由来記恥は︑これに続いて麓

ウリザネの瓜穂の説話を記している︒

フカマニッチュは一男二女房}生んだ︒長男は外関根人になり︑長

の寵愛を受けて憾妊する︒しかし︑渦って放麗したのそ抱の

り 女

女tJ

ン/

(5)

琉隷の穀物起源伝承と穀物議事L

(17) 

オミカキマツガネみ︑悪金松兼と名付けた︒

( a

︿b

﹀伊敷泊で祈った︒七日自にして︿と黄金の広種が容り着

いた︒彼はこれを献上品にして入朝した︒その時の口上は思の豊作を

訴えるものであった︒これを機に父子は名乗りを上げ︑彼はやがて国

(4

a﹀それで︑国王が隅年に久高島行幸をし︑外関綴入と祝女が出

壬に魚などを載上するようになった︒

西

五般世大患の赤人ミlまず︑現代の口頭伝敢から土げる︒

ウプラトゥ7久高島の穀物の種物をもたらしたの誌︑大型家の一応担の赤入ミ1

ググクユiウゾフトゥシマリ批夫妻だ︑といわれている︒それで︑大型家は﹁五穀世大盟﹂

と称されている︒﹁世﹂とは入に幸せをもたらすもの・準という義で

ある︒したがって︑﹁五穀世﹂とは五穀の幸という義である︒

この亦人ミ

i‑

シマリ批は最近まで神人として存在し︑赤人ミl

ニシメホ1

西銘韓

‑ r 口氏が務めていた︿シマリ批の持女は閥銘ツル子万自で︑現在

も務めている)︒そして︑この赤人ミiは棄と粟の穀物儀社の輯梓み

で別桜の位置付けをされ︑また一一月と二一丹の大主加那忠︿一種の穀 1

物儀礼)でシマリ批とともに久高島の穀物起源長桑そ背景にした儀礼

的な動きをしている︒

このように︑西髭氏が﹁五穀世大里しの一月組の神役を務める神人で

あるだけに︑その語りには権威がある︒

路銘氏の語りこの間銘氏の語りは野本寛

J (

一九八四︑七八・八

一一良︺に記載されているので︑引用する︒なお︑筆者も西銘氏からこ

の語りを揺いている︒

( B )

穀物を得た場所一伊敷説︒

(A )

穀物そ得た人物一アカチ

ユミ!︿夫)とシマリバ

i(

( C )

(

穀物を得た状況一アカチュミ!とシマワパ!がヤグルガーで蝶ぎ

そし︑白衣に改めた後得た︒

(E )

得た穀物の種類ぃ襖変・粟・

小豆・米・アダカの実︒

(F )

高島のハタスに蒔き︑稲は玉城の百名にまかせた︒︿F﹀その後

の嵐問一ハタスバルで増やした種を人々に分けた︒

︿G﹀ハタスの下には種が入っていた離績が埋められている︒

ニライカナイからの漂藤明確に表現していないものの︑久高島の

観念むよると東方の湖上に持の国・ニライカナイ(久高島ではこラi

ハナ!という﹀があり︑そこから︿犯﹀種物が

(B

)久高島の東海岸に

漂着している︒これは︑以下の久高島の穀物起源伝承のすべてに通じ

96

大農家の管理する聖地この語りは大盟家系統の始祖伝承に基づい

ており︑大里家が瓢箪を得た伊敷浜の丘︑艇をしたヤグル井︑ハタス

を型地として管理している︒

アダカによる儲搬のはじまり︿怠﹀アダカの穂子も得たのに︑その

後が語られていない︒しかし︑叫琉球国由来記

h ω

・側︑﹃琉球関蕗

記﹄同・仰によると︑アダカ︿アテカ・アザカとも﹀が他の植物の種

子とともに手に入り︑それらが繁茂して神木になり︑島の御械になっ

た︑と語られている︒こうして見ると︑ここでもアダカが繁現して御

識になったいう語りがあった︑と州四定できる︒

王府とのかかわりを説かないこの語りはモ府とのかかわりを説い

これは︑一八七九年の琉球処分によって首里壬府が瓦解し︑副主の

代理人による久高島行事がなくなり︑また王府の最高神女・開得大君

(6)

(18)  42 (2006)

弘前学院大学文学部紀要

の輯援もなくなって太君の来島がなくなったからである︒琉球処分か ら織に一世紀以上が経通してしまい︑現在の神人たちは久高島が王府

の神の島だったという認識を失っている︒

四銘シズ刀自の語り

外関ノロの舵神次に︑西銘シズ刀自の語りを上げる︒西銘万白は

ウッチガミ

外間ノ口の掠神という高級持女を務め︑久高島の様札︑神歌︑語りそ よく知っている︒西銘刀自は久高島を代表するインフォ

lマントであ

西銘刀自の鯖りこの酉銘刀自の韻りは︑①高橋大コ{一九七九︑ る ︒ 三三頁︺と@野本寛一[一九八四︑八

0・八一斑︺に記載されている

ので︑次立引男する︒また︑金筆者が聞き取った語りも記す︒φ

昔 ︑ ( B ) イシキ浜から種物が流れて来て︑それを開けて見る と ︑ ( E ) 大変︑小麦︑裸麦︑ぞれから豆類︑アチカの荷が入っ

ていたのです︒︿

I) この縞物の中立入っていたアテカの葉っぱ

は︑正月鑑別にも使います︒正月祭は麦の鯨上げ祭と一言います︒ま

た︑一一一月祭は︑収織がとられてから︑五穀の神様にあれに入れて

から︑東のほうに向けていますね︒外問拝殿かち︑あっちのほう と向けてします︒久高島は五殺の発祥地と詰って︑ヤグルガーの あるはうは︑昔はりっぱな畑だったんです︒ホい土で︑豆もたい へん機れました︒今はする人がいません︒大型家は議もいないで

島の真ん中とあるハタスというのは︑五穀の発祥地だったので す︒間簡はありませんです︑久高島

ζ

は ︒

φ︿A

﹀アカチュミ

iとシマリパi

が︑︿

nb

﹀伊敷浜で︿

C

麟灘箪を拾った︒︿巳)中には粟︿サカアワ・モチアワ﹀

ンチミ・小一夜・稲の種が入っていたので︿F﹀二人は稲は吾名へ渡 し︑他の穀物密ハタスに蒔いた︒よく稔ったので二人は龍一杯ず

つの種を島びと逮に分け与えた︒

(G

﹀ハタスの下に註種が入っていた瓢第が噛められている︒

@

︿A ) 赤人ミ!とシマリ批が︑(話)伊敷浜で

(C ) 難箪を拾

った︒︿

E)

中には栗・砦黍・小一旦・揺・蒲葵・アテカの離が入

っていた︒︿ド)粟・唐黍・小一肢の種をハタスに蒔皆︑よく捻っ

たので︑コ入試盃一杯ずつ島人記分け与えた︒品川礼法水がないの

で︑稲作ができない︒︿

F) それで揺の稀は実家の百名のミント

ウン家に渡した︒

( G )

ハタスの下に︑種が入っていた瓢撃を埋めた︒

( I )

それで︑一一一月の変の収機祭としハ月の粟の成構築の嶺廻りで︑

1

蒲燕御搬において︑蒲奨︿機構)の種から生背したという蒲葵の 壌に︑新穀で作った神棋を盛り付け︑東方のエライカナイに向け ている︒また︑アテカの種物から生育したアテカの葉

L号︑♂月の

麦の初穂僻酬と五月の粟の初穂娯の朝持みで︑麦と媒の新穀で作っ

た神慨を打ち払う祭呉にしている︒また︑麦と業の植物が瓢箪に 入っていたということから︑一月の変の初穂祭と五月の粟の初犠

祭の朝拝みで︑瓢般車に麦あるいは粟の初穂を入れ︑東方のニライ

カナイに向けて供え︑その後︑祭りに参列した女性たちがこれを

大態一家系統の始担信感

95  この語りも︑大盟家系統の始祖伝承に基づ

φ

の認識は︑西銘刀自の飛躍し

た語り口が災いし︑伝承が部分的であり︑

e

などはかなりわかりにく い︒語り手の言いたい真意が@とあることは︑筆者が変と粟の穀物犠 礼者実見してはじめてわかった︒かほどに久高齢の語りは祭耐儀礼と

(7)

琉練の般物鶴轍低ゑと穀物議事L

(19) 

緊密な関係にあり︑第三者に容易に説明しがたいところがある︒

商銘万自の語りの特搬は︑穀物起源松承母島の穀物犠札の起源とか

かわらせて説くところにある︒まず︑穀物組源伝承と穀物議礼の起源

を︑川蒲葵とのかかわりで説いている︒すなわち︑︿

1)

麦と裂の収

穫祭の朝拝みで︑藷葵の葉に新穀で作った神撲を盛り付け︑東方のこ

うイカナイに向ける由来を説いている︒もとより︑藩葵誌神木であ

また︑穀物起滅伝承と穀物犠札の起源を︑

ω

アテカとのかかわりで る ︒

説いている︒すなわち︑︿1﹀変と製の初楓然の朝搾みで︑アテカの

葉で麦と田市で作った神践を打ち払う府来を説いている︒

アテカはアザカ︑アダカ︑アデカ︑アラカともいい︑加にリュ1

ューアオイともいう︒日越国昭三九七九︑六八頁︺によると︑この

植物はアカネ科に属し︑和名をナガミボチョ!ジという︒この植物は

i務奨御掛から探取しており︑神撲を一騎ぐ神具になっているので︑神木

ということができる︒

さらに︑穀物紹糠伝議と穀物犠札の組源を︑同瓢箪とのかかわりで

説いている︒すなわち︑︿I﹀変と艇の初穂鎮で︑瓢療に初穏を入れ︑

東方のニライカナイに向けて供え︑火性たちがこれを飲む由来を説い

このように︑この穀物起源伝承は穀物儀礼の起源伝承にもなってい

蒲藁とアテカによる御識のはむまり る ︒

カも神木なので︑(日﹀藷英とアチカの桶が繁茂し

いう語りがあった︑と懇定できる︒なぜなら︑穀物儀礼で穫期するア

チカは繍奨御搬の神木であり︑穀物機札で使用する鵠穫も神木だから

である︒また︑以下の議議伝承でも︑襟流した潜器記入っていた植物

の種が︑繁茂して御織になった︑と語って こうしてみると︑藷葵もアテ

(蒲葵・アザカ・シキヨ)

安泉ナヘ刀誕の語り

久高ノロと東大主次に︑安泉ナヘ刀自の語りを上げる0

7ガリウプヌシは︑久高ノロと東大主(ニライカナイの禅﹀の神役を務める高級神女

安泉刀自の語Uとの安泉刀自の語りは︑捜井満[一一000

Lハ・一四七質)に記載されているので︑次立引用する︒なお︑筆者も

安泉万白からこの掛りを聞いている︒

︿A

)シラタルーとファ1ガナシi泣兄妹で︑久高島の祖先である︒

︿

B)

イシキ浜で神に祈って(怠)七種織の繍予を得︑こ

れを栽培して子孫が繁栄した︒て人の期に誌︑男の子が一人︑女

の子が一一一人いた︒男の子は外関ニッチュになり︑長女ウトダルi

は外関ノ口︑次女ウミタル!は体が不自由だったので西銘家に分

lは久高ノロになった︒神アシャギの西の

タルガナiにシラタルーがまつられていたが︑神アシャギの東に

アシャギを建ててシ⁝フタルーを漕し︑またウブンシミにまつられ

ていたファiガナシーを合制した︒

︿B

)

イシキ浜に流れついた︿主)七種類の縄本ーのうち︑︿ド﹀

揺は久高島には出ができないので西名のウキンジユ(滞水﹀・ハ

インジユ(走水)のところにまいた︒それが沖縄中に広まったと

いうのが伝え話である︒ミフiダ(鍔護団)と呼ばれているが︑

いわばクダカダーである︒クダカダ!といえば︑シラタル!・フ

iガナシiのムトである百名のkのミントゥンにある︒

( I )

アリクヤiの網をつくる稲ワラはここから持ってくる︒

1兄妹始祖伝殺と穀物館澱紙撤の合体シラ太郎と枇加那市山は久高品

94‑

(8)

(20)  42 (2006)

弘前学院大学文学部総接

タマゲスワヒャhy7

時に夫妻である︒その子洪たちがシマの有力なヒキ︑門中の始祖であ

ると揺る︒この始祖伝換の語り手が久高ノ口なので︑この語りの主眼

iが久商ノ口の

蛤視であると説くととろにあろう︒

しかし︑この始誼伝議は︑外関家系統の伝承と目される﹃遺者説

侍﹄と叫久高島由来記bに伝える捨提転敢にかなり近いものである︒

安泉刀自は別の久高系統の始祖伝承も掛っており︑比較してみると詞

A人の語りであっても大きな揺れがあるとわかる︒

(

)

(

)

長女・ウトダル!(外関ノロの始祖)

次女・ウミタん1

︿

)

i

︿

(久高ノ口・安泉ナへの語り)

安泉刀自の語りは︑始祖弘敢と穀物怒濡椋棋が合体している︒

ニつの久高串本文のウキンジュの漢字は︑正しくは﹁受水んを当

z

i﹁受水素水﹂の前の揺は琉球の揺の発祥地といわれる

( F )

で︑新牒ゼ1チの傍らにある︒安泉刀自の掛りによると︑この﹁御穂

ケダカダ!出﹂が久高島かも稲積を持ち戸伝えた︿ド﹀﹁久高田﹂だ︑と語ってい

k

る︒しかし︑﹁久高田﹂は高合の百名のさらに上方のミントゥンにあ h γ

ナカンダカリる︑とも綴っている︒事実︑ミントゥン家のある官名の現仲村渠に法﹁久

高田いという三坪ほどの剖があり︑この田から久高島を正面に望むこ

とができる︒すなわち︑﹁久高固いがコつある︑というのである︒ こうしてみると︑平地の﹁御穂田﹂を£八高田﹂とも一諮るのは誤りのように思える︒しかし︑斉藤ミチ子二九七九︑一一八1O

]

斎藤ミチ子︹一九九一︑一二

01

A

二二頁]・並木宏衛︹一九七九︑

一 一 一 七

J二八頁]によると︑ミントゥン家の椴人・知念幸徳氏は﹁締聴

聞いかち採れた米を久高島に毎年﹁久高賦﹂として送っているとい

う︒すなわち︑稲穂をもたらしてくれた久高島に御聴問から採れた来

を犠礼食として返礼しているので︑百名側も鱒穂田の稲が久高島松来

だと認識していることになる︒この船︑ミントゥン家の久高田から採

れた米(最近は凹芋﹀も久高島に送っている︒

こうしてみると︑久高島から稲の種物が伝来したという伝承を持つ

留が﹁久高田﹂というべきなので︑同じ伝承を持つ田が二つあればと

もに﹁久高田﹂を称してもいい︑と考えられる︒

イザイホiの網の揺藁のはじまり﹁アリクヤ!の綱﹂とは︑午歳

A一月に執り行われるイザイホ!の三日目の犠札︿綱﹀で使われる

(1

﹀この綱の料となる稲灘が︑百名に稲穂をもた

らしてくれた久高尚に送られる︑というのである︒事実︑ミントゥン

家の援人が久高島に久高田の揺藁を二O

(

)

一 回 一

このように︑この穀物詣源伝承は穀物犠礼の起源長桑になっている

アリヲヤ!のみならず︑イザイホiの議礼(綱﹀の組揚缶承にもなっている︒

叫琉球閤由来記﹄凶の語り

h次に︑近世の脅敢伝承を記す︒

﹃琉球圏由来記﹄は首思王・府と各地に伝わる事物の由来︑人の事臓

などを整期絹集したもので︑一七二一一年に完成している︒この文献に

久高島にかかわる穀物超源伝承が昭つ記されている︒この四つの括承

(9)

琉球の穀物超諜絃承と般物儀礼

(21) 

者掲載順に川1制と番号を付すことにする︒

明琉球国由来配加出以下に述べる久高島の伝承を︑梗宜上

国由来記知凶とする︒

この伝換は﹃定本琉球悶由来記﹄(一九九七︑一一九頁︺巻一の

ご一月行二幸子久高畠ムの項目に記載されているので︑次に引用

する︒段落区分は筆者がした︒

且久高島謀者者︑俗説︑上市︑天孫氏世代同時計︿

A)

ゴノ子トえ入︑彼島ニ住居始タル額人ナリ︒護者アナゴノ姥ト

一 一 品 ︒

︿A﹀或日アナゴノ子︑漁猟ニ(日﹀伊敷拍ニ出時︑汀ニ︿C

白壷一浮テヨリ来ヲ見テ︑是ヲ取ントスルニ︑不レ被レ取︑又遠

V此スル事︑難レ及

d補 一

一 一

¥

T

( D )

︿ A)

シ︑再ゼ汀ニ往向ヒ︑檎ヲ難ケ待ツ︒忽娯トシテ︑寄来ル鴻ニ副

テ︑壷轍袖ニ乗ル︒取揚テ帰レ家︑護ノ口ヲ問看ルニ︿E

粟・黍・議一丘・横榔・アザカ・シキヨ・七種アリ︒

︿ド﹀是皆栽ユル種ト心得ヘテ所所ニ此綿子ヲ蒔ク︒時叶ブ得

テ︑皆生ルナリ︒数種ノ内︑麦ハ春成熟ス︒

(i

)

故二月︑変穂

祭ト称︑有⁝祭礼禍強︒粟・黍・級︑度成熟ス︒

( H )

機榔高ク︑秀ゐ於諮本¥アザカ・シキヨ︑繁茂脊一ア︑森

︿日)此森議ニ君真物出現︑託遊アリ0

場一一森撤始建ツトナリ︒此数種寄来リ︑皆生長有テヨリ︑吉姓︑

持ノ或光ヲ刷用︑惑ク揺荷篤ク所レ致ト

f o

( G )

立此数種入タル壷︑土中一一埋タル所アリ︒都ヲ積ミ密続

シ今ニアり︒前壁︑姻リ見ント望者有︑鍬ヲ立ん一一︑烈風吹︑恕 チ為レ死者︑一両議有ト︑申伝ルナリ︒

(

)

︿1

)

簿

育スル穀物ト︒御歓喜不レ斜︒︿I﹀因レ葱︑踊年一次︑三丹日

撰︑行⁝恭子久高島︒神紙鱒祭礼始ルト︑謂松ナリ︒行幸・還

幸︑共ニ御船ニテ︑神明・コヱナ︑アリケルト患︒

久路島の古老の般市離この伝承のはじめに﹁久高嶋古老いの﹁俗

説いとあるから︑この転換が久高島の掛りを記したものだとわかる︒

アナゴノ子・アナゴノ姥

(A

﹀アナゴノ子・アナゴノ姥夫妻は久

高島に住みはじめた始祖だと語り︑兄妹だったとはいっていない︒し

かし︑赤人ミ!・シマリ批犬饗︑シラ太郎・枇加那志夫妻が兄妹なの

で︑この夫妻も兄妹だった︑と考えられる︒

饗の助言によって夫が種物を揚る現代の口頭伝承は︑夫妻が共に

種物を得たように掛る︒しかし近枇の書承伝承は︑夫妻に役観分割

があるように伝える︒ここでは︑︿

A)

アナゴノ子が

( B )

伊敷拙に

出︑喪の助言によって︿口﹀精進(諜)し︑種物を得ている︒これは

h同・﹃琉球回鶴記h間同に共講している︒

衰の拐穂祭のはじまり

(I

﹀﹁二月︑麦懇祭﹂とはシマ(村落共同

マプソチマツティソi

体)で執り行う変の初穂祭︿精進祭)のことで︑この条はこの麦の拐

穂祭のはじまりを語っている︒この祭りは現行では一月に執り行って

‑92 

久高島の御撤のはむまり(日)川蒲葵︿模榔)・同アザカ・同シ

キヨの種物はやがて繁茂し︑島の御搬になったという︒

まず︑前述したように川蒋藤と国アザカは神本である︒

また︑川シキヨ誌薄・費︿茅﹀のことで︑その実際の読みはシキョ

︿

)

項目(湧上元雄)によると︑

O五頁]のアンチマ﹂の

アンチマの語源は︑ススキや稲の聖名の

参照

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