南インドの右手・左手集団と祭礼騒擾 : カースト 伝承と儀礼を中心に
著者 重松 伸司
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 7
号 2
ページ 303‑348
発行年 1982‑09‑20
URL http://doi.org/10.15021/00004479
重 松 南 イ ン ドの 右 手 ・左 手 集 団 と祭 礼 騒 擾
南 イ ン ドの 右 手 ・左 手 集 団 と祭 礼 騒 擾 .カース ト伝承 と儀礼を中心に一
重 松 伸 司*
The Right-Hand and The Left-Hand Caste Organizations and the Ritual Dispute in South India
Shinji SHIGEMATSU
The Valangai (Right-Hand) and the Iclangai (Left-Hand) caste communities have aroused considerable interest as a specific dual organizational system of southern India. However, the origin and functions of the system remain unclear, principally because these communities have multi-dimensional characters in terms of caste organization, socio-economic function and religious-cultural meaning.
This paper attempts an analysis of these inter-caste organizations from two principal perspectives. The first is a focus on intradivisional cohesion through occupational factors. The functions of these com- munities as economic organizations has been discussed by students of South Indian history. Were these divisions more than "guilds"
in socio-economic terms, some unifying factors may be revealed by occupational membership. The second perspective supposes that each division has some traditional background in a religious and/or cultural context. Severe factional conflicts often arose whenever these two groups walked in procession along their own streets and on those of their rivals, particularly for marriages or funerals. The major reasons for collision between the two factions were that each claimed the higher social status and the exclusive usage of caste insignia, such as banners, flags, palanquins, ornaments, and other ritual tools. According to caste legends each insignia or symbol acts explicitly in a historical and ritual context.
Here, an attempt is made to gain insight into the significance of the Valangai and Iclafigai organizations as the "shared-legend" system, by considering occupational and legendary factors together. Further,
*名 古屋大学文学部,国 立民族学博物館共同研究員
303
国立民族学博物館研究報告 7巻2号
the change of meaning and value from a Right-Left horizontal rela- tionship to a Higher-Lower vertical relationship is also examined.
Through these analyses the vital role played by the ceremonial places when the rival groups demonstrate their superiority is clarified.
は じめ に
1.右 手 ・左手 集 団の カ ース ト成 員 と結合 要 素
1・1 右 手 ・左 手 集 団 と職 能 1・2 右 手 ・左 手 と伝 承 ・儀 礼 2.「 右手 ・左 手」 か ら 「上 ・下 」 関係 へ 2・1 「右 手 ・左 手 」 伝承
2・2 ブ ラー フ マニ ズ ム に おけ る右 手 ・左 手
3.騒 擾 の 「場 」 と して の祭 礼 3・1 騒 擾 の状 況
3・2 騒擾 と祭 礼 表徴 3・3 祭 礼 騒 擾 の 意義 お わ りに
は じ め に
「右 手 」 「左 手 」 と よ ば れ る対 概 念 を 持 つ 組 織 が 南 イ ン ドに 存 在 して い た こ と は 古 く か ら知 ら れ て い る 。 両 集 団 の 成 員 や そ の 活 動 が す で に9,10世 紀 頃 の 南 イ ン ドの 碑 文 に 記 さ れ て お り,そ の 後 も14世 紀 に 至 る ま で 各 種 の 碑 文 史 料 の 中 に 散 見 さ れ る こ と は, Saletoreの 指 摘 す る と こ ろ で あ る[SALEToRE 1934b:68‑71]。 ま た17世 紀 に 入 る
と,右 手 ・左 手 両 集 団 間 の 対 立 ・抗 争 が 南 イ ン ド各 地 で 灘 化 し た 為,イ ギ リ ス 東 イ ン ド会 社 は 治 安 対 策 上,両 派 の 対 立 の 背 景 や 紛 争 仲 裁 の 経 過 を 詳 細 に 報 告 し,併 せ て
「右 手 」 「左 手 」 に 関 す る伝 承 ・碑 文 記 録 を 収 集 し た の で あ る 。
こ う し た 南 イ ン ド社 会 に特 有 の 集 団 に つ い て,南 イ ン ド史 家B、Steinは 右 手 ・左 手 両 派 の 指 導 層 が,前 者 に つ い て は 有 力 農 民 カ ー ス トで あ り,後 者 に つ い て は 有 力 商 業 カ ー ス ト及 び 手 工 業 カ ー ス トで あ る こ と,し か も両 派 が 儀 礼 的 ス テ ー タ ス 又 は地 域 に よ って は 社 会 的 ス テ ー タ ス を め ぐ って 抗 争 を く り返 し た こ と に 着 目 し た 。 氏 は 「右 手 」 と は,伝 統 的 に農 業 経 済 に 基 盤 を 置 き,ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム に 依 拠 し た 身 分 ・社 会 規 範 を 維 持 す る,有 力 農 民 カ ー ス ト集 団 を 中 心 と した 地 方 社 会 の 「統 合 核(integral core)」 で あ る と考 え,後 者 す な わ ち 「左 手 」 と は10〜12世 紀 に か け て 生 じた 経 済 ・ 社 会 変 動 の 中 で 擁 頭 し て き た 非 農 業 カ ー ス ト,と り わ け 商 人 ・手 工 業 カ ー ス トを 中 心
に 従 来 排 除 さ れ て き た 諸 カ ー ス トを 糾 合 し た 社 会 ・経 済 組 織 で は な い か と 指 摘 す る。
両 派 の 対 立 は,従 って 地 方 社 会 に お け る 政 治 ・経 済 の 統 合 権iを め ぐ る 対 立 で あ る と 考 え られ た[STEIN l980:173‑215]。
両 派 の 対 立 の 根 拠 及 び 対 立 そ の もの の 意 義 を 明 ら か に し よ う と す る 試 み はA.Ap一
重松 南 イン ドの右手 ・左手集団 と祭礼騒擾
paduraiやB. Beckに よ っ て な さ れ た 。 宗 教 社 会 学 の 分 析 方 法 論 に よ っ てA・Ap‑
paduraiは 「右 手 」 「左 手 」 と い う の は,各 々 農 村 社 会 を よ り ど こ ろ と す る カ ー ス ト 集 団 及 び 都 市 に お け る 職 掌 ・生 産 形 態 に 依 拠 す る カ ー ス ト集 団 のroot paradigmで
あ る と 仮 定 す る 。Victor Turnerの 説 を 援 用 し たroot paradigmと い う概 念[TuR‑
NER 1971]は,諸 個 人 や 集 団 が 危 機 に瀕 し た 時 に 生 ず る 「文 化 モ デ ル 」 で あ り,諸 個 人 や 集 団 の 社 会 関 係 と も,ま た 結 合 ・分 離 を ひ き お こす 文 化 的 ・イ デ オ ロ ギ ー 的 な
ロ の じ
認 識 パ タ ー ン と も 関 連 す る も の で あ る と す る 。 氏 に よ れ ば,右 手'・左 手 と い う 対 照 区 分 に は 実 質 的 な 意 味 が な く,ほ ぼ 同 等 の 社 会 的 地 位 ・職 掌 を 持 つ カ ー ス トが 左 ・右 ど
ち らか の グ ル ー プ に 属 し,且 つ 相 手 に 対 す る 優 越 性 を 誇 示 す る 為 に く り 返 すformal functionと し て の 抗 争 ・敵 対 行 為 がroot paradigmに と って 意 味 が あ る と す る
[APPADuRへ11974]。 し か し, Stein, ApPaduraiの 両 説 で は,右 手 ・左 手 両 派 の 成 員 が 果 す 社 会 ・経 済 的 機 能 と 儀 礼 的 ス テ ー タ ス と の 関 連,或 い は,何 故 一 方 の カ ー ス トが 右 手 に 属 し,他 方 の カ ー ス トが 左 手 に 属 す る の か,そ れ は 偶 然 性 に よ る の か 或 い は各 カ ー ス トの 何 らか の 属 性 文 化 ・宗 教 的 な に よ る の か と い う 問 題 は 明 ら か に さ れ て い な い 。 こ の 点 に つ い て,B. Beckは 南 イ ン ド ・ コ ン グ ー 地 方 の 事 例 研 究 に お い て,各 カ ー ス トの 伝 承 ・儀 礼 的 役 割 を 分 析 す る こ と に よ っ て 各 カ ー ス トの 両 派 へ の 帰 属 意 識 の あ り方 を 考 察 し た[BECK l972,1973】 。
と こ ろ で 両 集 団 に は 各 々K6mati及 びChettiと よ ば れ る 南 イ ン ドの 二 大 商 人 カ ー ス トが 属 して お り,し か も両 商 人 カ ー ス トは 中 世 以 来 南 イ ン ドを 二 分 す る程 の 市 場 圏 を 形 成 して い た こ と(図1)か ら,私 は,右 手 ・左 手 と は 一 種 の ギ ル ド的 組 織 で は な い か と い う仮 説 を た て た[重 松 1980]。 しか し,そ の 後 に 行 な った 南 イ ン ド ・セ ー ラ ム 県 で の 村 落 調 査[重 松 1981]及 び 右 手 ・左 手 に 関 す る 史 料 分 析 に よ っ て,こ れ ら 両 派 に は 特 定 の カ ー ス トの み な ら ず,様 々 な 職 掌 を 持 つ 諸 カ ー ス トが 包 摂 さ れ て お り,
そ の 集 団 結 合 関 係 も特 定 の 職 業 規 範 の み に よ って 規 定 さ れ て い る の で もな く,ま た, そ の 組 織 機 能 も単 に 労 働 力 や 市 場 の 占有,技 術 の 独 占 を 図 る も の で も な い こ と が 明 ら か に な っ た 。 従 っ て,右 手 ・左 手 と は,一 般 に 「ギ ル ド組 織 」 と して 考 え ら れ る 形 態 ・ 性 格 と は 異 質 で は な い か と 思 わ れ る。 と す れ ば,両 集 団 の 組 織 的 性 格 及 び そ の 統 合 原 理 を ど の よ う に考 え るべ き で あ ろ う か 。
こ の 問 題 を 解 明 す る為 に 本 稿 で は 二 つ の 側 面 か ら考 察 す る 。 す な わ ち,第1に は, 両 派 に 属 す る 各 カ ー ス トの 起 源 伝 承 ・祖 先 伝 承 ・親 族 伝 承 の モ テ ィ ー フ す な わ ち 右 手 ・ 左 手 の 意 識 規 範 乃 至 帰 属 規 範 の 分 析 と,各 力.一ス トの 担 う職 能 す な わ ち両 派 の 社 会 ・
む
経 済機 能 の分 析 か ら,集 団結 合 要 素 を抽 出す る。第2に は,両 派 が 右 手 と左 手 とに区 305
国立民族学 博物館研究報告 7巻2号
図1 南 イ ン ドの 商 業 カ ー ス ト集 団 と そ の 支 配 地 域 [ScHwARTzBERG 1978]に よ る
分 され る こと の意 義 を ブ ラー フマ ニ ズ ム とい う ヒ ン ドゥ社 会 の 秩序 体 系 に お け る浄 ・ 不 浄 の観 念 か ら考 え た い 。 そ して 最 後 に両派 が 対立 す る 「場 」 の 意 味つ ま り 日常 の生 活 機能 の場 で な く,非 日常 の祭 礼,特 に婚姻 ・葬儀 ・村 祭 の場 に お い て 対 立 が頂 点 に 達 す る こ との 意味 を 明 らか に した い ので あ る。
1.右 手 ・左 手 集 団の カー ス ト成 員 と結 合要 素
1・1右 手 ・左 手 集 団 と 職 能
右 手 ・左 手 集 団 とは何 か を明 らか にす る場 合,こ こで は二つ の点 か ら集 団 の組 織 性 格 を考 え る こ とに す る。 第1に は,両 集 団 に糾 合 され る各 サ ブ カ ー ス トの職 能 で あ る。
つ ま りど の よ うな 職能 を持 ったサ ブカ ース トが右 手 ・左 手 集 団 に属 す る のか,ま た 職 能 に よ って 集 団 の 構 成 が規 定 しう るの か,と い う問 題 で あ る。第2に は,各 サ ブ カ ー ス トの保 持 す る固 有 の 儀礼 ・伝 承 の 内容 及 び そ れ らの性 格 で あ る。 つ ま り,社 会 ・経 済機 能 とは異 な った 集 団 結合 要 素 と して,イ ン ド人 の精 神 領 域 を 規 定す る フ ァ クタ ー で あ る儀 礼 ・伝 承 が 右 手 ・左手 集 団 に お いて どの よ うな意 味 を もつ の か と い う問題 で あ る。
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重 松 南 イ ン ドの 右 手 ・左 手 集 団 と祭 礼 騒 擾
図2マ ド ラ ス 管 区 地 図
本 節 で は,ま ず,南 イ ン ドで両 派 の対 立 が顕 著 にみ られ,し か も両 派 の結 合 が 比 較 的 強 く且 つ長 期 に わた って維 持 され て い た二 地 域 の 事 例 一 南 イ ン ドの都 市 部 で あ る マ ドラ ス 市1)と,南 イ ン ド南 部 内 陸 農 村 地 域 に 位 置 す る セ ー ラ ム 県 の,17‑18世 紀 の
1)イ ギ リス東 イ ン ド会 社 によ って コ ロマ ンデ ル 沿 岸 の一 小 村 に セ ン ト=ジ ョー ジ要 塞 が 築 か れ た の は1640年 で あ るが,そ の 後交 易 活 動 の活 発 化 とそ れ に伴 な う要 塞 の拡 大 に よ って1660年 以 降本 格 的 に マ ドラ スは都 市 と して の機 能 を備 え は じめ た。 マ ドラス市 の 右 手 ・左 手 集 団 は17世 紀後 半 の急 速 な 人 口流入 の 増 大(1639年 7, OOO人;1646年 19,000人;1670年 40,000人;
1681年 200,000人;1685年 300,000人)の 中で 新 た に形 成 され た もので あ る。
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国立民族学博物 館研究報告 7巻2号 状 況 か ら,両 集 団 に 属 す る 各 サ ブ カ ー ス トの 職 能 と 出 身 地 域 と を 分 類 す る 。 な お, 以 下 に 感サ ブ カ ー ス ト"を 単 位 と し て 分 類 す る の は,ほ ぽ 同 一 の 職 能 を 持 つ 集 団 で あ
っ て も,様 々 の ヴ ァ リエ ー シ ョ ンが あ り,そ れ は 例 え ば,県 或 い は 村 レ ヴ ェ ル で 異 な っ た 呼 称 や 地 位 を 持 つ の で あ り,一 律 に カ ー ス トと して 概 括 しえ な い か らで あ る 。 次 に"職 能"に つ い て で あ る が,カ ー ス トは 理 念 と して 本 来 単 一 の 職 能 を 担 うべ き
も の で あ った と して も,多 くの サ ブ カ ー ス トは17‑18世 紀 の 段 階 で は"伝 統 的"な 職 能 の 他 に 多 様 な 職 掌 を 果 して い た の で あ る 。 例 え ば,牧 畜 カ ー ス トと し て 規 定 さ れ て い るKoravaが 必 ず し も 牧 畜 の み で な く交 易 ・農 耕 に 従 事 し た こ と は 考 え う る 。 こ こ で は,各 サ ブ カ ー ス トが 果 して い る複 数 の 職 能 の う ち,最 も主 要 な"役 割"と して 自 認 して い る も の を さ す こ と とす る 。
ま た,"出 身 地 域"に つ い て は,各 サ ブ カ ー ス トの 細 分 派 居 住 及 び9〜14世 紀 の 社 会 変 動 期 に お け る移 動 に よ っ て そ の 本 拠 地 を 確 認 し え な い グ ル ー プ も多 い が,系 譜 や 伝 承 の 中 で,彼 らが 主 張 す る 帰 属 地 域 を 一 応 出 身 地 域 と 考 え る こ と に す る 。
さ て,騒 擾 の 頻 発 す る マ ド ラ ス市 の 場 合,右 手 集 団 はVcllalaと い う,南 イ ン ドで は ド ミ ナ ン トな 農 民 サ ブ カ ー ス ト を 頭 と し て,Pulli(農 民), Kavarai(農 民 ・商 人),K6mati(商 人),絹 布 織 職, Pariah(雑 役 ・農 業 労 働 者)皮 革 職 及 び 会 計 ・記 録 職2)に よ っ て 構 成 さ れ て い る 。 左 手 集 団 に は,5つ の 職 能 を 含 むPanchala(又 は Kammalan)3》 と よ ば れ る 職 人 層 を は じ め, Chctti(商 人)4), Pulli(農 耕),油 搾 り 職,Patnavar(漁 師),絹 ・綿 布 織 職,皮 革 職 の7つ の 職 能 が 含 ま れ て い る[LovE
1968a:118]。
右 手 集 団 の 指 導 層 で あ る と 考 え られ るVellala及 び 左 手 集 団 の 指 導 層 で あ るPan‑
chala,左 手 集 団 の 成 員 で あ るPatnavar(漁 師)の 三 つ の サ ブ カ ー ス トを の ぞ い て, 両 集 団 に 包 摂 さ れ る 職 能 は ほ ぼ 対 応 関 係 に あ る 。 例 え ば 左 手 集 団 の 一 員 で あ る 油 搾 り
職(Vaniyan)に 対 応 す る 職 能 は マ ド ラ ス 市 の 場 合,右 手 集 団 に は み ら れ な い が,マ イ ソ ー ル 地 方 の 事 例 で は,右 手 集 団 に は 牛1頭 び き に よ る 油 搾 り職Jothiphanaが 属 し,左 手 集 団 に は 牛2頭 び き の 油 搾 り職Heganigamが 属 す る と さ れ て い る[Bu‑
cHANAN l870:77]。 農 耕 サ ブ カ ー ス ト及 び 皮 革 職 の 右 手 ・左 手 集 団 へ の 帰 属 は 男 ・ 女 に よ っ て 異 な り,右 手 集 団 に は 男 性 のPulliが,左 手 集 団 に は 女 性 のPulliが 属 し
2)village kamam又 はkarnamと 総 称 さ れ る が,地 域 に よ って はkanakku pillaiと よ ば れ る 。 3)Panchalaの5つ の 職 能 に つ い て は,表1注)を 参 照 。
4)チ ェ ッ テ ィ と は,一 般 に 「商 人 」 の 総 称 と して 今 日 で も用 い られ て い る が,こ こ で は 南 イ ン ドの 特 定 の カ ー ス ト集 団 で あ る。 こ の サ ブ カ ー ス トの 一 つ ナ ッ トゥ コ ッ タ イ チ ェ テ ィ ヤ ー ル の 近 代 に お け る 商 業 活 動 に つ い て は 伊 藤 正 二 「イ ン ドの 中 小 財 閥 の 創 成 と 現 況 一 チ ェ テ ィ ア
ー の 場 合(1) (皿)一 一 」(『 ア ジ ァ 経 済 』5‑11 ,12,1964)に 詳 しい 。
重 松 南 イ ン ドの 右 手 ・左手 集 団 と祭 礼 騒 擾
た 。 ま た,皮 革 職 の 場 合,右 手 集 団 に 女 性 が,左 手 集 団 に 男 性 が 属 す る 。 こ の よ う に 同 一 職 能 を 持 つ カ ー ス トの 中 で 男 ・女 の 別 に よ って 右 手,左 手 の 帰 属 集 団 を 異 と す る 理 由 は 必 ず し も 明 ら か に さ れ て い な い が,特 定 の サ ブ カ ー ス トの 場 合,恐 ら く職 能 そ の も の が 男 ・女 同 一 の 集 団 区 分 の 規 矩 に な る の で は な く して,む し ろ儀 礼 ・祭 礼 に お け る 男 ・女 の 役 割 の 転 換 に よ って 集 団 の 帰 属 が 決 ま る と考 え ら れ る 。(こ こ で は 十 分 に 述 べ る準 備 は な い が,例 え ば,K6mati, Chettiの ケ ー ス で は,一 族 の 中 か ら 寺 院 の 巫 女 或 い は 一 種 の 売 春 婦 の 役 割 を 果 すDevadasiを 出 す が,彼 女 達 は 同 族 又 は 同 一 集 団 に奉 仕 す る の で は な く,全 く別 の 集 団 に お い て 奉 仕 し,祝 祭 の 場 合 に は,彼 ら の カ ー ス ト集 団 と は 反 対 の グ ル ー プ に 入 る と い う。)右 手 集 団 の 成 員 と さ れ て い る 会 計 ・記 録 職 は,一 般 に 南 イ ン ド で は バ ラ モ ン と と も に 「中 立(Madhyastham)」 集 団 を 形 成 す る と考 え られ て お り[LovE 1968a:125;Madras Government 1907:iv],
マ ド ラ ス 市 の 事 例 は 例 外 的 と い え る 。
出 身 地 域 に つ い て は,テ ル グ地 方 を 拠 点 と す る 右 手 集 団 のKavarai, K6matiの 両
表1 マ ド ラ ス 市 の 右 手 ・ 左 手 集 団
左 手 集 団
サ ブ カ ー ス ト
Panchala (Kammälan) Chetti
Oilmonger (Vâniyan) Weaver
(KaikkOlan) Patnavar
Leather worker*3 (M) Pulli (Palli, Vanniyan) (t)
職 掌 主 な出身地域 5つ の手 工
業 集 団*1 交 易 油 搾 り 絹 ・綿布織 漁 師 皮 革 職
農 耕
タ ミ ル 地 方 南 イ ン ド 全 域*2 タ ミル 地 方 タ ミ ル 地 方 コ ロマ ンァ ノレ 沿岸 地 域 タ ミル 地 方 タ ミル 地 方
右 手 集 団
サ ブ カ ー ス ト
Vellala Kavari(Kavarai, Balija) K6mati Accountant*5 Silk weaver Pulli(Palli, Vanniyan)(男) Pariah Leather worker (女)
職 到 主な出身繊
農 耕 交易 ・農耕 交 易 会計 ・記録 絹 布 織 農 耕 農 業 労 働 皮 革 職
タ ミル 地 方*4 テ ル グ 地 方 テ ル グ 地 方 南 イ ン ド全 域 タ ミ ル 地 方 タ ミ ル 地 方 タ ミ ル 地 方 タ ミ ル 地 方 注)*1Panchalaに はTattan(金 細 工 職), Kannan(真 鍮 細 工 職), Taccan<大 工 職), Kal‑
taccan(石 工 職), Kollan(鉄 鍛 冶 職)の5つ が 含 ま れ る 。
*2Chettiは,カ ー ス トと して は 南 イ ン ド南 部 を 拠 点 と す るBeri Chetti,及 びNattuk6ttai Chettiが 有 力 で あ る 。
*3通 常Pallanと よ ば れ る カ ー ス トで あ る 。
*4Chingleput, North Arcotを 中 心 と す る(Mudali, R,eddiの カ ー ス トの 称 号 を も つ) Vellala, Tanjore, Trichinopolyを 中 心 と す る(Pillaiの カ ー ス ト称 号 を も つ)Vellala, Madura, Tinneve11iを 中 心 と す る(Pillaiの カ ー ス ト称 号 を も つ)Vellala,及 びTrich‑
inopoly, Salemを 中 心 と す る(Gounderの カ ー ス ト称 号 を も つ)Vellalaの4つ が 有 力 で あ る 。
*5こ の カ ー ス トは,通 例,バ ラ モ ン と と も に,左 手 ・右 手 の 両 集 団 に 属 さ な い 「中 立 」 の グ ル ー プ と 考 え られ て い る[LovE l 968a;THuRsToN,1975a‑e;Hu'rToN 1969]。
309
国立民族学博物館研究報告 7巻2号 サ ブ カ ー ス ト及 び コ ロ マ ンデ ル 沿 岸 地 域 に 分 布 す る 左 手 集 団 のPatnavarを 除 い て 両 集 団 の 成 員 は す べ て タ ミ ル 地 方 で あ り,出 身 地 域 の 差 異 が 両 集 団 へ の 帰 属 を 規 定 す る 要 因 と は 考 え られ な い 。 以 上,両 集 団 の 成 員 で あ る 各 サ ブ カ ー ス ト と そ の 職 能 ・出 身 地 域 を ま と め た も の が 表1で あ る。
次 に,セ ー ラ ム 県 の 両 集 団 の 成 員 サ ブ カ ー ス ト ■'職能 ・主 な 出 身 地 域 を 『セ ー ラム 県 地 誌 』[RIGHARDs 1918a]に よ っ て 分 析 す る。
右 手 集 団 はVellalaを 頭 と して, Reddi, Agamudaiyan, Vakkaligaの3つ の 農 業 サ ブ カ ー ス ト,Idaiyan, Koravaの 牧 畜 サ ブ カ ー ス ト,K6mati, Balijaの 商 業 サ ブ カ ー ス ト,Patnulkaran, Togata, Kurubaの 織 布 職 サ ブ カ ー ス ト,Boya, Vedak‑
karanの 狩 猟 サ ブ カ ー ス ト,そ の 他, Lambadi(見 張 り), Bestha(漁 師), Shanan
表2セ ー ラ ム 県 の 右 手 ・左 手 集 団
左 手 集 団
サ ブ カ ー ス ト
Kammalan (Kannalan) Beni Chetti Nagarattu Chetti VEdear Golla
"Two-bull" oil- presser (Väniyan)
Razu KaikkOlar Pallan Irulan
Pattanavan
職 掌 主 な出身地域
5つ の手工 業 集 団 交 易 交 易 狩 猟 牧 畜 油 搾 り 職 農 耕 織 布 職 農 業 労 働 農 耕 部 族
漁 師
タ ミ ル 地 方 南 イ ン ド
南 部*1
南中 イ ン部*2ド タ ミ ル 地 方 テ ル グ 地 方 タ ミ ル 地 方 テ ル グ 地 方 タ ミ ル 地 方 タ ミ ル 地 方 タ ミル 山 岳地 域
コ ロマ ンァ ノレ 沿岸 地 域
右 手 集 団
サ ブ カ ー ス ト
Vellala KOmati Reddi (Kapu) Agamudaiyan Vakkaliga
(Okkiliyan) Balija
Idaiyan Korava Patnulkaran Togata Kuruba Malayali Boya (Bedar) Vedakkaran Bestha Lambadi
(Banjari) Shanan
職 掌
農 耕
交 易
農 耕
農 耕
農 耕
交 易 ・農耕
牧 畜
牧 畜
絹 布 織 職 綿 布 織 職 羊 毛 織 職 農 耕 部 族
狩 猟
狩 猟
漁 師
運搬 ・見張 り ヤ シ酒造 り
主 な出身地域 タ ミ ル 地 方 テ ル グ 地 方 テル グ ・タ ミ ル地 方 タ ミ ル 地 方 カ ナ ー ラ ・カ ル ナ ー タカ ・
タ ミル 地 方 テ ル グ 地 方 タ ミ ル 地 方 タ ミ ル 地 方 グ ジ ャ ラ ー ト
・タ ミル 地方 テ ル グ 地 方 カ ル ナ ー タカ 地 方
タ ミ ル 地 方 テ ル グ ・カ ル ナ ー タ カ地方 タ ミ ル 地 方 テ ル グ 地 方 南 イ ン ド全 域 タ ミ ル 地 方 注)*1Kaveripattanamを 拠 点 と す る 南 イ ン ド南 部
*2KanchipUramを 拠 点 と す る南 イ ン ド中 部 [RlcHARDs l g l 8a;THuRsToN 1975a‑e]
重 松 南 イ ン ドの右 手 ・左 手 集 団 と祭 礼 騒 擾
(ヤ シ 酒 つ く り)に よ っ て 構 成 さ れ て い る 。 他 方,左 手 集 団 に は11の サ ブ カ ー ス トが 包 摂 さ れ て い る が,そ れ ら はKammalanを 頭 と し て,2つ の 交 易 職(Beri Chetti, Nagarattu Chetti),農 耕(Razu),牧 畜 職(Golla),織 布 職(Kaikk61ar),狩 猟 職 (V6dar),油 搾 り職(Vaniyan),漁 師(Pattanavan),農 業 労 働(Pallan),農 耕 部 族 (Irulan)で あ る(表2)。
両 集 団 間 の 職 能 対 応 関 係 は こ こ に もみ ら れ る が,マ ドラ ス市 と異 な る点 は,右 手 集 団 が 農 耕 サ ブ カ ー ス トを 主 体 と して 多 様 な 職 能 を 包 摂 して お り,且 つ そ の 出 身 地 域 も
タ ミ ル ・テ ル グ ・カ ナ ー ラ ・カ ル ナ ー タ カ の 諸 地 域 に 及 ん で い る の に 対 し て,左 手 集 団 の 場 合,手 工 業 職 人 ・商 業 サ ブ カ ー ス トを 中 心 と し て お り 他 の 職 能 は 比 較 的 少 な く, 出 身 地 域 も タ ミル ・テ ル グ 地 方 に 集 中 して い る 。
さ て,南 イ ン ドの 都 市 及 び 農 村 の2事 例 に お け る 右 手 ・左 手 両 集 団 の 成 員 か ら ど の よ う な こ と が 明 らか に な る で あ ろ うか 。
第1に,両 地 域 に は 共 通 し て 右 手 集 団 に お け るVellala(農 民),左 手 集 団 に お け る Kammalan又 はPanchala(手 工 業 職 人)が 頭 目 と して の 位 置 を 占 め て い る こ と が わ か る 。 こ の よ う な 両 サ ブ カ ー ス トの 主 導 性 は2地 域 に 限 らず 広 く南 イ ン ドの 各 地 に み
られ る こ と で あ っ た 。 例 え ば,マ イ ソ ー ル 地 方 で は 右 手 集 団 の 頭 目 はBamgalu(Ban‑
ajiga), Wodigaru(Oddar)と よ ば れ る 農 民 サ ブ カ ー ス トで あ り,そ の 下 に 更 に16の 職 能 集 団 が 組 織 さ れ て お り,左 手 集 団 は,Panchalaを 頭 と し て そ の 下 に更 に8っ の 職 能 に よ って 組 織 さ れ て い た[SHERRING I975:100]。 ま た,ス リー ラ ン ガ パ タ ム [SHERRING l975:100],ト ゥ リ チ ノ ポ リ[HEMINGwAY l907:92],チ ン グ ル プ
ッ ト[CRoLE l879:33‑34]の 各 県 で も右 手 集 団 ・左 手 集 団 の 両 頭 目 は 各 々Vellala とPanchalaで あ る こ と が 記 録 さ れ て い る 。
第2に,集 団 内 の 成 員 間 の 結 合 の 問 題 で あ る。 様 ざ ま な 職 能 を 持 つ サ ブ カ ー ス トが い ず れ の 集 団 に 属 す る か と い う 帰 属 性 は 極 め て 不 安 定 で あ っ た 。 先 に あ げ た 会 計 ・記 録 職 は マ ド ラ ス 市 で は 右 手 集 団 の 成 員 で は あ る が,他 の 地 域 で は 「中 立 」 集 団 に 属 し て い る5)。 ま た,セ ー ラ ム 県 の 事 例 で はGolla(牧 畜 サ ブ カ ー ス ト)は 左 手 集 団 に 属
5)「 中 立 」 集 団 を 構 成 す る カ ー ス トも 地 域 に よ っ て 大 き な 差 異 が あ っ た と考 え られ る 。 例 え ば 南 イ ン ド南 部 内 陸 地 域 の バ ー ラ マハ ー ル 地 方(Salem及 びMysoreを 含 む 地 域)で は17世 紀 末 に は,116カ ー ス トの う ち,「 中 立(Madhyastham)」 集 団 に 属 し た の は バ ラ モ ン,ヴ ェ ラ ー ラ の う ち10の サ ブ カ ー ス ト,レ ッデ ィ,ラ ー ジ プ ー トな ど66を 占 め て い る[Madras Govemment 1907:iv・vii]。 ま た,1800年 ご ろ, Colin Mackenzieが 収 集 した 伝 承 記 録 に よ れ ば,119カ ー ス トの う ち,右 手 に 属 す る 者39カ ー ス ト,左 手 に 属 す る者11カ ー ス ト,そ れ に 対 して 中 立 集 団 に は69カ ー ス トが 入 っ て い る。 そ の 成 員 はBaramahal地 方 の 中 立 集 団 カ ー ス トと ほ ぼ 同 じで あ る[LovE l968a:125]。1891年 の マ ド ラ ス セ ン サ ス に よ れ ば,左 ・右 両 集 団 の 対 立 に 関 与 せ ず 中 立 の 立 場 を 保 っ た カ ー ス トはBrahman, Kshatryaを は じめ 牧 畜 カ ー ス ト及 び 寺 院 使 役
カ ー ス トSathani等 で あ っ た[SHERRrNG l975:99]。
311
国立民族学博物館研究報告 7巻2号 し て い るが,や が て19世 紀 に 入 る と,左 ・右 い ず れ の 集 団 に も属 さ な く な る 。 他 の サ ブ カ ー ス トの 中 に も,彼 ら 自 身 が い ず れ の 集 団 に 帰 属 す べ き か を 確 定 し え ず,第 三 者 に規 定 を 求 め る 状 況 も み られ た 。 例 え ば1708年1月15日,織 布 カ ー ス トと 油 搾 り カ ー ス トは,両 集 団 の 対 立 ・抗 争 の 中 に ま き こ ま れ た が,彼 ら 自 身 明 確 な 帰 属 意 識 を 持 ち え な か っ た 為 に,そ の 確 認 を マ ド ラ ス の イ ギ リス 東 イ ン ド会 社 に 求 め て き た 。 「我 わ れ は 時 に は 右 手 カ ー ス ト集 団 に 属 す る と い わ れ,ま た 或 る 時 に は左 手 カ ー ス ト集 団 に 属 す る と も い わ れ て き た 。 しか し,(我 わ れ 自身 に と っ て 不 明 確 で あ る の で)そ の 所 属 集 団 を 裁 定 して も ら い た い 」 と 訴 え て い る。 東 イ ン ド会 社 当 局 は,両 サ ブ カ ー ス ト の 伝 承 及 び 「右 手 ・左 手 」 に 関 す る 地 方 の 伝 承 記 録 に も と づ き,織 布 カ ー ス トを 左 手 集 団 に,そ して 油 搾 り カ ー ス トを 右 手 集 団 に 属 す る も の と規 定 した[LOVE I968b:
29]。 こ う し た 諸 サ ブカ ー ス トの 集 団 帰 属 性 が 不 確 定 な 状 況 は18世 紀 初 期 の マ ド ラ ス 市 に 限 らず,そ れ 以 前 か ら 南 イ ン ドで は 一 般 的 に み ら れ た よ う で あ る。Oppertは
「(南イ ン ド の)多 く の 地 域 で は 同 一 の カ ー ス トに 属 す る は ず の 者 が 相 異 な る 集 団 の 側 に つ く こ と が あ っ た の で,(各 サ ブ カ ー ス トの 者)す べ て に つ い て,(左 ・右 ど ち らか の)不 変 の 位 置 を わ り あ て る こ と は 困 難iであ る 。」 ど の べ て い る[OPPERT l972:
61]。 この よ う に 両 集 団 の 結 合 要 素 は,そ れ ら を 構 成 す る 各 サ ブ カ ー ス トの 職 能 を 一 義 的 に 必 要 と し て い た と は 考 え ら れ な い 。 む し ろ,Vellalaを 核 とす る 右 手 集 団, Panchalaを 核 とす る 左 手 集 団 は,社 会 経 済 機 能 と して の 職 能 と は 異 な っ た 紐 帯 に よ
っ て 結 合 し て い た の で は な い か と考 え られ る 。
第3に,両 集 団 は17‑18世 紀 に イ ギ リ ス 東 イ ン ド会 社 と い う外 部 勢 力 に よ る 社 会 統 合 の 一 形 態 と して 南 イ ン ・ドに 導 入 さ れ た 社 会 組 織 で は な く,す で に5世 紀 頃 に 形 成 さ
れ た 自成 的 組 織 で あ っ た と考 え ら れ る 。A・D.459年,ガ ン ガ 王Kongani Rajaの 治 世 に 公 布 さ れ た 銅 板 勅 許 文 に は 「Sidlagkatta talukaに あ るMelUr貯 水 池 に よ っ て 灌漑 さ れ る 水 田10 kharPdugaを,王 は"18の カ ー ス ト"の 所 領 か ら切 り は な して, Taitiriya BrahmarPaで あ るKadasvami6vaに 寄 進iした 」 と 記 録 さ れ て い る が[RlcE
l876], Barnettは こ の"ユ8の カ ー ス ト"集 団 を 「右 手(Valahgai)」 「左 手(idahgai)」
と よ ば れ る カ ー ス ト職 能 集 団 で あ る と 考 え て い る[SALEToRE 1934b:68]6)。 こ の よ う な カ ー ス ト集 団 の 存 在 に つ い て は そ の 後 も11〜16世 紀 の 間 に 各 地 の 碑 文 に 記 録 さ れ て い る が[SALEToRE 1934b:69‑71],そ れ ら の 史 料 に も と つ い て,両 組 織 の 起 源 及 び 性 格 に つ い て 幾 つ か の 仮 説 が 提 示 さ れ た 。 そ れ ら の 仮 説 の 主 な もの を 以 下 に 要 約 す る 。
6)一 般 にSalem県 で は 右 手 集 団 は 「18のpanam」 左 手 集 団 は 「9つ のpanam」 と よ ば れ て 一い る
。panamはvarna(色)の 転 読 と考 え られ,18及 び9各 集 団 に 属 す る カ ー ス ト数 を 意 味 し て い る 。 しか し,実 際 に は 両 集 団 と も よ り 多 く の カ ー ス トを 包 摂 して い る[RlcHARDs 1918a:
126]。
重松 南 イン ドの右手 ・左手集団 と祭礼騒擾
(A) ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム ・ジ ャ イ ニ ズ ム 対 立 説
Oppertは 都 市 の 主 た る 住 人 で あ り,そ の 生 産 を 担 う重 要 な 役 割 を 果 して い た 職 人 集 団 へ の ジ ャ イ ナ 教 の 影 響 に 注 目 し,ジ ャ イ ニ ズ ム の 教 義 を 規 範 と す る都 市 的 秩 序 と 土 地 所 有 者 及 び 農 耕 集 団 に よ っ て 維 持 さ れ て い た ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム 的 規 範 に も と つ く 農 村 的 秩 序 の 対 立 と 考 え た[OPPERT l972:RIcHARDs 1918a:125]。 Srinivas AiyangarはOPPertの 説 を 更 に 敷 術 して,右 手 ・左 手 集 団 分 立 の 要 因 は,特 定 カ ー
ス トに よ る 階 層 上 昇 希 求(サ ン ス ク リ ッ ト化)の あ らわ れ で あ り,且 つ,ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム の 信 奉 者 と ジ ャ イ ニ ズ ム の 信 奉 者 の 両 派 に よ る,食 物 ・職 掌 ・居 住 環 境 の 差 異 に 起 因 す る 宗 派 対 立 で あ る こ と,そ して 右 手 ・左 手 の 二 大 集 団 に 分 立 した の は チ ョー ラ王 朝 のRajar負j ach61a王 の 勅 命(A.D.1010年)に よ る も の で あ った と 推 定 し た [SALEToRE 1934b:64‑‑65]。
(B) 農 民 階 層 対 商 人 ・職 人 階 層 対 立 説
T.W. Ellisに よ れ ば カ ー ス ト集 団 の 対 立 は,交 易 の 拡 大 ・外 国 と の 交 渉 と い う社 会 経 済 変 動 に よ っ て も た ら さ れ た 新 興 勢 力 と 旧 来 の 農 村 支 配 層 と の 社 会 的 地 位 の 優 位 性 を め ぐ る 争 い に 起 因 す る も の で あ っ た 。 す な わ ち,外 国 と の 交 渉 ・交 易 の 拡 大 の 中 か ら擁 頭 し て き た 商 人 ・職 人 勢 力 は,土 地 所 有 者 を 中 心 とす る農 民 集 団 に よ っ て 維 持 さ れ て き た 伝 統 的 慣 習 や 権 威 を 侵 食 して き た が,そ れ が 両 階 層 の 不 和 ・対 立 を 生 じ,や が て 「左 手 」及 び 「右 手 」 と い う二 大 カ ー ス ト集 団 を 形 成 す る 背 景 と な っ た[MAHA・
LINGAM 1969a:26]。
(C) 農 民 階 層 対 バ ラ モ ン=職 人 階 層 対 立 説
A.C. Burnellは,「 本 来 両 派 の 違 い は,地 主 及 び 農 奴(serfs)の グ ル ー プ と バ ラ モ ン ・職 人 ・商 人 に よ っ て 構 成 さ れ る グ ル ー プ で あ る 。 しか し,両 派 の 成 員 カ ー ス トは か わ る こ と が あ っ た 。」 と の べ て い る 。 も っ と も,こ の 説 は そ の 後 ほ と ん ど 言 及 さ れ る こ と な く,有 力 な 見 解 と は な ら な か っ た[BuRNELL l873;SALEToRE l934b:64]。
(D) ヴ ィ シ ュ ヌ 派 対 シ ヴ ァ派 対 立 説
「右 手 」 を 呼 称 す る ヴ ィ シ ュ ヌ 派 バ ラ モ ン と そ の 信 奉 者 達 及 び 「左 手 」 を 呼 称 す る シ ヴ ァ派 の バ ラ モ ン と そ の 信 奉 者 達 は,ガ ル ー ダ の 紋 章 を 描 い た 幟 や 旗 の 使 用 を め ぐ っ て 対 立 した 。 そ こ で,Vicrama Ch61a Deva王 は,そ の 優 先 的 使 用 権 を 裁 定 す る 為,古 い 銅 板 文 書 を 調 べ,両 派 の 権 利 及 び 特 権 を 規 定 し た と い う[SALETORE 1934b:
66]。
(E) ヴ ェ ラ ー ラ 農 民 階 層 対 商 人 ・職 人 階 層 対 立 説
Burton Steinの 最 近 の 研 究 に よ れ ば, Pallava, Ch61a王 朝 期(6〜13世 紀)に 村 313
国立民族 学博物館研究報告 7巻2号 落集 団 を統 合 し地 域 支 配 の核 を形 成 して きた有 力農 民 階 層Vellalaは,各 地 の寺 院勢 力 ・バ ラモ ン集 団(Brahmadeya)と 結 合 し,社 会 経 済秩 序 と精 神 的 宗 教 的規 範 の 両 面 に お け る相 互 補 完 的 秩 序 体 系 を確 立 し維 持 して きた。 しか し,Ch61a王 朝 以 降, 次第 に商 品 生 産 が 拡 大 し,そ れ に伴 な って 有 力 商入 集 団(Nanadesi)は 一種 の ギル ド 組 織 を形 成 したが,そ の 中 に は,そ れ まで 相対 的 に低 い社 会 的 身 分 的 地 位 に あ った職 人 集 団 が 包摂 され た。 こ う した 商 人集 団 を核 とす るギ ル ド的組 織 の擾 頭 は,単 に伝 統 的 な農村 社 会 の経 済 関係 に変 動 を もた らす の み な らず,そ れ に依 拠 して 成 立 して き た 社 会 ・身 分 関係 の変 動 を も もた らす もの で あ った 。Vellala及 びバ ラ モ ンを 中心 とす る 「右手 」 集 団 は,農 業 経 営 と,そ の経 済 基 盤 に依 拠 して維 持 され て きた ブ ラー フ マ ニ ズ ム原 理 に淵 源 を発 す る身 分 秩 序 の体 制 で あ り,商 人 ・職 人 集 団 を 核 とす る 「左 手 」 集 団 は,新 た な経 済 関 係 の 中か ら発 生 した,反 ブ ラ ー フマ ニ ズ ム的 規 範 反伝 統 的秩 序 の体 制 と考 え られ る。 こ う した 両 派 の対 立 は,よ り具 体 的 に は儀 礼 的 地 位 ・儀 礼 の あ り方 を め ぐって 顕在 化 した と い うの で あ る[STEIN 1980:173‑215]。
以 上,右 手 ・左手 両 集 団 の起 源 及 び性 格 に 関す る主 な見 解 を 要 約 したが,こ れ らの 諸 説 につ いて は依 然 と して疑 問が 残 る。 そ の 問題 点 を 以 下 に指摘 して お きた い 。 (1)Oppert説(A)で は,両 集 団 の起 源 は ジ ャ イニ ズ ム の影 響 を うけた 都 市 住 民層 の秩 序 と ブ ラ ー フマ ニ ズ ムに もとつ く農村 秩 序 の対 立 に 求 め ら れ る。 しか し, 17‑18世 紀 の南 イ ン ド各 地 にお け る 農村 社 会 内 で の 両集 団 の存 在 は 必 ず し も都 市 対農 村 の 図式 に対 応 しない。 仮 に都 市 的 秩序 の農 村 へ の波 及 が 数 世 紀 にわ た って生 じた と
して も,ジ ャイ ニ ズ ム の教 義 ・規 範 その もの の 影 響 は ほ とん ど み られ な い ので あ る。
ま た南 イ ン ドにお け る都 市 そ の もの の中 世 的 あ り方 が こ の説 で は明 らか に され な けれ ば な らな い し,そ の規 範 が 農村 部 に どれ 程 浸 透 した か と い う点 につ いて も未 だ 論 証 が 不 十 分 で あ る。
(2)ヴ ィ シ ュ ヌ派 ・シ ヴ ァ派対 立 説 は,教 義 ・儀 礼 ・慣 習 の優 位 性 を め ぐる対 立 で あ る が,次 節 で 明 らか に す るよ うに〜 右 手 ・左 手 両 集 団 の成 員 の 多 くは,ヴ ィシ ュ ヌ ・シヴ ァの両 派 に関 わ るの で あ って,い ず れ か の 宗 派 に よ って,集 団 の帰 属 が決 定 され た とは考 え が た い。
(3)Ellis及 びSteinの 両 説 は, Ch61a王 朝 の社 会 経 済 状 況 の 変 動 と身 分 秩 序 の 変 動 の両 視 点 に着 目 した説 得 力 を もつ 所 説 で あ る。 しか し,セ ー ラ ム県 及 び マ ドラ ス 市 の二 事 例 で分 析 した よ うに,相 対 応 す る職 能 サ ブ カ ー ス トが何 故 右 手 と左 手 の両 集 団 に統 合 さ れ た のか 。 また,両 集 団が 儀 礼 的 地 位 で の優 位 性 を主 張 しう る根拠 は,常
に経 済 的地 位 に もとつ くもの で あ るのか 。 更 に,「 右手 」 と 「左 手 」 と い うホ リゾ ン 314
重松 南イ ン ドの右手 ・左手集団 と祭礼騒擾
タ ル な概 念 が 何 故,上 ・下 関係 と して,特 に 職人 集 団 の側 か ら意 識 され た のか 。 これ ら少 な くと も三 点 の 問題 が明 らか に され て お らな い。 換 言 す れ ば,社 会 経 済 関 係 と し て の両 集 団 が左 ・右 の 身分 関係 と して 認 識 され,儀 礼 を め ぐって両 集 団 が対 立 す る根 源 は何 か を 明 らか にす る必 要 が あ る。
そ こで,彼 らの身 分 的 ・社 会 的 役 割 を規 定 す る サ ブ カ ー ス と固 有 の儀 礼 ・伝 承 の 中 か ら,彼 らの意 識 ・規範 を考 察 した い。
1・2 右 手 ・左 手 と 伝 承 ・儀 礼
右 手 ・左 手 集 団 の 結 合 が 強 く保 持 さ れ て い る セ ー ラ ム 県 の 事 例 に つ い て,両 集 団 の 成 員 サ ブ カ ー ス トの 儀 礼 ・伝 承 か ら彼 らの 結 合 要 素 を 明 ら か に す る 。 こ こ で 分 析 す る の は 主 と し てE,ThurstonのTribes and()astes of Southem India,7vols.(1909) (reprinted.1975)で あ る が,本 資 料 の 内 容 は 主 と し て18‑19世 紀 に 収 集 され た カ ー ス トの 起 源 伝 承,サ ブ カ ー ス ト集 団 の 名 称,サ ブ カ ー ス ト集 団 の 出 身 地,活 動 ・分 布 地 域,同 族 伝 承,カ ー ス ト儀 礼(主 と して 生 誕 ・婚 姻 ・葬 儀),婚 姻 形 態 及 び カ ー ス ト格 言 等 に 関 す る も の で あ る 。 本 節 で は,そ れ ら の う ち,各 カ ー ス トの 起 源 伝 承 と 同 族 に 関 す る 伝 承,サ ブ カ ー ス ト間 の 関 係 に ま つ わ る 伝 承,ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム に 関 す る 儀 礼 を 中 心 に 分 析 す る 。
1・2・1 右 手 集 団 の 儀 礼 ・伝 承 (a) Vellala
(イ) 「数 千 年 前,地 上 の 人 々 は無 知 で あ り土 を 耕 す こ と を 知 ら な か った 。 あ る 時,激 し い 干 ば つ に 襲 わ れ,人 々 は 土 地 の 女 神Bhttd6viに 救 い を 求 め た 。 女 神 は 憐 み た も うて そ の 身 体 の 一 部 か ら翠 を 持 っ た 男 を 造 られ た 。 そ の 分 身 がVellalaで あ り,ヴ ァ ィ シ ャ カ ー ス トに 属 す る 。 こ の カ ー ス トに はG6vaisya(牧 畜), BhUv‑
aisya(耕 作), Dhanavaisya(商 業)が 属 す る 。」<牧 畜 ・農 耕 ・交 易 カ ー ス トと の 分 身 伝 承 〉
(ロ) 「Vellalaは 梨(耕 作)に よ って ブ ラ ー フ マ ン の 祈 りを 支 え,王 の 力 を 支 え, 商 人 の 利 を 考 え,そ して 万 民 の 安 寧 を 支 え る」 〈バ ラ モ ン・王 ・商 人 と の 協 調 伝 承 〉 (ハ)す べ て のVellalaはMudali, Pillai, Pandaramの い ず れ か の カ ー ス ト 称 号 を 持 つ 。 〈 カ ー ス ト称 号 の 共 有 〉
(二)Vellalaは 一 般 に ブ ラ ー フ マ ニ カ ル な 儀 礼 慣 習 に 従 う 。<ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム の 儀 礼 〉
(ホ)Vellalaは 通 例,儀 式 の 聖 な る シ ル シ と して,結 婚 と 葬 儀 の 際 に 聖 紐 を 身 に つ け る 。 〈 結 婚 ・葬 儀 に お け る ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム の 儀 礼 〉
315
国立民族学博物館研究報告 7巻2号 (へ)結 婚 ・葬 儀 に は ブ ラ ー フ マ ン をPur6hit(司 祭)と して 招 請 す る 。<バ ラ モ ン 司 祭 〉
(ト)Vellalaと 共 通 の 名 称 ・地 位 を 持 つ 他 の カ ー ス トに はKarukamattai Ve‑
11ala,を 称 す るShanan, G6zulu Vellalaを 称 す るBalijaが い る 。 〈 カ ー ス ト名 称 ・地 位 の 共 有 〉
(b)Komati
(イ)Rajarajanarendra王 の 後 継 者Vishnu Vardhana王 がKδmatiを 処 刑 し よ う と した 時,彼 ら はMadigaの 下 に 逃 れ そ の 庇 護 を う け た 。 そ の 後, Madiga の 恩 を 感 じたK6matiは 彼 らを 常 に 保 護 す る こ と に な っ た 。 〈Mad{gaと の 同 朋 関 係 伝 承 〉
(ロ)Komatiは ブ ラ ー フ マ ン とMadigaの 女 性 と の 間 に で き た 子 供 で あ る 。
〈Madigaと の 同 族 関 係 伝 承 〉
(ハ)MadigaはKomatiに 対 して 一 定 の 権 限 を 持 って い る 。 仮 にMadigaが 不 満 を も った りす る とKomatiの 結 婚 式 の 場 に や っ て き て,式 場 の 天 蓋 支 柱 と な
る バ ナ ナ の 幹 を 切 り と り,宴 を さ ま た げ る こ と が で き る 。 だ か ら結 婚 式 に は 必 ず Madigaの 一族 を 招 くの で あ る 。 〈Madigaと の 協 調 関 係 〉
(二)K6matiは ブ ラ ー フ マ ン をPurδhitと し,ま た 結 婚 式 の 司 祭 と し て 招 請 す る。 〈 バ ラ モ ン 司 祭 〉
(ホ)Komatiは 再 生 族(Divija)と して 認 め られ て お り,ヴ ェ ー ダ の 儀 礼 を 遵 守 す る資 格 が 与 え られ て い る。 〈 ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム の 儀 礼 〉
(へ)Madigaは テ ル グ 地 方 出 身 の 皮 革 職 で あ り, Bedarと 共 飲 ・共 食 関 係 に あ る 。Kδmatiの 結 婚 儀 礼 の 場 で は し ば し ば 花 嫁 ・花 婿 の 輿 を 担 い で 街 路 を 行 進 す る 役 割 を 果 す 。 そ の 際,左 手 カ ー ス トグ ル ー プ の 者 と し ば し ば 抗 争 を く り ひ ろ げ る 。 Komatiが 右 手 グ ル ー フ.に属 す る の に 対 し て, Madigaは ク ル ヌ ー ル 県 で は 左 手 グ ル ー プ に 属 す る と い う[CHETTI 1886]。 〈K6matiの 祭 礼 に お け る役 割 〉 (c) Reddi
(イ)ReddiはKapuと 総 称 さ れ る,テ ル グ 地 方 で は バ ラ モ ン に 次 ぐ有 力 農 民 の 一 サ ブ カ ー ス トで あ る 。 〈Kapu名 称 ・Kapuの 同 族 〉
(ロ) Kapuと は 「農 民 ・耕 作 者 」 を 意 味 す る 。
(ハ) マ イ ソ ー ル 地 方 のVakkaligaと 類 似 の 伝 承 を もつ 。 そ の 伝 承 は 婚 姻 を 示 す シ ン ボ ル に 関 す る も の で あ る 。 す な わ ち 「Kapuは も と も とAy6dhyaに 居 住 し て い た 。Bharataの 治 世 にPillala Mari Belthi Reddiと 彼 の 息 子 達 は 王 を 欺 い て
重松 南 イン ドの右手 ・左手集団 と祭 礼騒擾
穀 物 を 我 が 物 に し,王 に は 稲 ワ ラ の み を 差 し 出 した 。 王 は 罰 と してDasarathaの 死 の 祭 礼(Sradh)用 に カ ボ チ ャ の 実 を 供 え る よ う命 じた 。 彼 ら が そ の 実 を 実 ら せ
る 前 にHanumanは 根 を 引 き 抜 い た 為,祭 礼 に 供 え る こ と が で き な か った 。 そ こ でReddiは カ ボ チ ャ と 同 量 の 品 物 を す べ て 差 し 出 し た が,そ れ で も 足 り な い 為, Reddiの 女 達 は 結 婚 の シ ン ボ ル で あ るbottu(聖 紐)を も秤 に の せ て 同 じ重 量 と し
た 。 そ れ 以 後,Reddiの う ちM6tatiとPedakantiの サ ブ カ ー ス トに 属 す る 女 性 達 はbottuの か わ り に ウ コ ンで 染 め た 綿 の 紐 を 代 用 す る と い う。」 〈共 通 儀 礼 〉 (二)結 婚 儀 礼 は ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム に 準 じて 行 う。 〈 ブ ラ ー フ マ ニ ズ ム の 儀 礼 〉 (ホ) バ ラ モ ン をPur6hitと して 招 請 す る 。 〈 バ ラ モ ン司 祭 〉
(へ)一 般 に シ ュ ー ドラ と は共 食 し な い が,Vellalaの う ち 菜 食 主 義 の 者 か ら は 食 事 を 受 け る こ と が で き る 。 〈Vellalaと の 共 食 〉
(d)Agamudaiyan
(イ)一 般 にVellalaの 風 俗 ・習 慣 に 従 う 。 〈Vellalaと の 共 有 習 慣 〉
(ロ)南 イ ン ドの 数 県 で はVellala, Palli, Milakkaran7)と 同 一 の 者 と 考 え ら れ て い る。 〈Vellalaと 同 等 の 地 位 〉
(ハ) テ ィ ン ネ ル ヴ ェ リ県 で はKδttai Vellalaと よ ば れ て い る 。<Vellala称 号 〉
(二)誕 生 ・結 婚 ・葬 式 の 儀 礼 はVellalaと 同 一 で あ る 。<Vellalaと 共 通 の 通 過 儀 礼 〉
(ホ)バ ラ モ ン をPur6hitと して 招 請 す る 。 〈バ ラ モ ン 司 祭 〉 (e) Vakkaliga(Okkiliyan)
(イ) カ ナ ー ラ地 方 の 有 力 農 民 カ ー ス トで あ る 。
(ロ)結 婚 の 儀 礼 は バ ラ モ ン司 祭 が と り し き る 。 〈 バ ラ モ ン 司 祭 〉 (f)Balija
(イ) 「KapuとBalijaは と も に ム ス リ ム の 侵 入 者 に 追 わ れ て 南 部 に 移 住 し て き た 。 しか し ペ ン ナ ー ル 川 は 氾 濫 し渡 る こ と が で き な か っ た 。Balijaの 介 添 役 で あ っ たMalaが そ の 子 供 を 川 に 投 げ 入 れ る や,川 は た ち ま ち 二 つ に裂 け,両 者 は 川 を 渡 る こ と が で き た 。 … … 以 後,KapuとBalijaはMala8)を 讃 え る こ と と な っ た 。」
7)Melakkaranと もよば れ る。 タ ミル とテル グ 両地 方 出身 の サ ブ カ ース トが あ り,両 者 と も楽 師 と して の職 能 を 持つ 。 タ ミル 出身 の者 は 一般 にVellalaと 共 通 の慣 習 を保 持 して い る とい わ れ る[THuRsToN l 975d:59‑60]。
8)テ ル グ 地方 出身 の ア ウ トカー ス トに属 す る。 タ ミル地 方 出身 のParaiyanと 共 に右 手 集 団 に 属 し,結 婚 ・葬 儀 の 際 に は独 自 の役 割 を果 す 。Bellary県 で はMalaはBanajiga(交 易 ・農 耕 カ ー ス トBalljaの 一 分 派)の 使役 人 と考 え られ て お り,結 婚 の儀 式 に は 数 家 族 のMalaか ら 6人 の者 が選 ばれ,旗 をか か げ なが ら行進 の先 頭 に立 つ 。 ま た,葬 儀 の 際 に は,右 手 集 団 の 頭 目(Desayi)の 権威 を 示 す 銅 の錫 を かか げ る[THuRsToN l975c:329‑330]。
317
国立民族学博物館研究報告 7巻2号
〈Kapu, Balija, Malaの 同 朋 関 係 〉
(ロ)右 手 集 団 の 指 導 者Desayi9)はBalijaで あ る 。 右 手 集 団 の カ ー ス ト成 員 は す べ てDGsayiの 命 に 従 っ た 。 〈 右 手 集 団 の 指 導 権 〉
(ハ)Desayiの 頭 は そ の 権 力 の シ ン ボ ル で あ る 銅 の 錫 を 保 持 す る こ と に な って お り,Ba1ijaの 結 婚 と 葬 式 の 際 に はDesayiの 使 役 人 で あ るPariahを 通 じ て こ の
シ ン ボ ル が 運 ば れ る。 〈BalljaとPariahの 相 互 関 係 〉
(二)Vellalaと 同 一 の 祖 先 伝 承 を 持 つ 。 〈Vellalaと の 共 通 祖 先 伝 承 〉 (ホ)バ ラ モ ンをPur6hitと し て 招 請 す る 。 〈 バ ラ モ ン司 祭 〉
(9) Idaiyan
(イ)Vakkaligaの サ ブ カ ー ス トと み な さ れ て い る 。 〈Vakkaligaと の 同 族 関 係 〉
(ロ) セ ー ラ ム 県 で はIdaiyanはShananと 同 義 で あ る 。<Shananと のL体 性 〉
(ハ)VeUala, Palliと 共 食 し う る 。 〈Vellalaと の 共 食 関 係 〉
(二)バ ラ モ ン はIdaiyanか ら ミル ク ・ ヨ ー グ ル トを 受 け と る こ と が で き る 。
〈 バ ラ モ ン と の 共 食 関 係 〉
(ホ)バ ラ モ ン はIdaiyanの ホ ー マ の 儀 式 を 行 う 。 〈 バ ラ モ ン司 祭 〉 (h) .Korava
(イ)Koravaの 中 に はPillaiと い う カ ー ス ト称 号 を 持 つ 者 やAgambadiar Vellalaと 称 す る 者 が い る 。 〈Vellalaカ ー ス ト称 号 の 共 有 〉
(ロ)Palli, Kavarai, Reddiの 呼 称 を 持 つ サ ブ カ ー ス トも あ る 。 〈Palli, Reddi 称 号 の 共 有 〉
(ハ)結 婚 の 儀 式 は バ ラ モ ン の 司 祭 に よ る。 〈 バ ラ モ ン司 祭 〉 (i) Patnulkaran
(イ) グ ジ ャ ラ ー+地 方 出 身 の 織 布 カ ー ス トで あ る が,サ ウ ラ ー シ ュ ト ラバ ラ モ ン と 自称 す る 。 〈 バ ラ モ ン の 呼 称 〉
(ロ) グ ジ ャ ラ ー ト地 方 の バ ラ モ ン伝 承 を 保 持 す る 。 〈 バ ラ モ ン 伝 承 〉 (j) Togata
(イ) ヴ ィ シ ュ ヌ 派 バ ラ モ ン を 司 祭 と す る。 〈バ ラ モ ン司 祭 〉
9)Desayiと は 本 来,国(Desa)を 意 味 す る 。 しか し南 イ ン ドの ノ ー ス ア ル コ ッ ト及 び サ ウ ス ァ ル コ ッ トで は,「 国 の 安 寧 を 護 持 す る 者 」 と し て 使 わ れ る 称 号(Desayi Chetti)を 持 つ 指 導 者 と 考 え られ,ほ と ん ど 各 郡 に お か れ て い る 。 こ の 差 配 に 従 う 者 はLanbadi, Jδgi, Kavarai, Paraiyanな ど 「右 手 」 に 属 す る18の カ ー ス トで あ る 。 集 団 の 掟 を 乱 す 者 が い れ ば,各 村 に 置 か れ た 下 役 の 報 告 を 受 け て 彼 の 手 に よ っ て 裁 か れ る[THusRToN I975a:121‑122]。