国 語 一般入試/2018
一 次の文章を読んで、問いに答えよ。
孔子は「君子は和して同ぜず」(『論語』)といいました。君子は「和」の関係は持つが、「同」
の関係は持たない、そう孔子はいうのです。孔子のいう「同」の関係とは、みんなが同じことを する。あるいはさせたがる関係です。違う意見や違う行動は許さない、そういう関係です。
いま、多くの人が使っている「和」は、どちらかというと「同」に近いような気がします。何 か違うことをしたがる人がいると「和が大事だろう」などといって、無理やりに同じことをさせ たがるのです。
それは君子の関係ではありません。
いまは民主主義の時代ですが、少なくとも いま行われている民主主義は、かなり「同」的です。
確かに、ひとつの意見に落ち着くまでは議論を尽くします(尽くさない場合も多いけど)。し かし、議論を尽くしたあとは、それに反する行動は許さない。
ホームルームで多数決で決まったことはしなければならないし、忘年会の会場だってみんなの 意見に逆らうことは許されない。
「どこそこの国と戦争をしよう」
国民の投票で決めた議員が、そのように国会で決めれば、「自分はイヤだ」は許されない。
これはまったく「同」です。
議論にも「同」の議論と「和」の議論とがあります。
たとえばディベート、これは「同」の議論です。
ディベートの語源は「戦う」ということ。相手を打ち負かして、自分の意見を通そうという議 論がディベートです。そして、その議論のあとはディベートで勝った側、すなわち意見が通った 側に従うことになるわけで、これは「同」なのです。
裁判での検察と弁護士とのやり取りはまさにディベートであり、市民の裁判員はそのディベー トの判定者となります。
また、もう少し柔らかいところではコンセンサスを サグるという議論もあります。「合意形 成(コンセンサス・ビルディング)」とよばれるものです。
政治や街づくりなどで使われることが多い議論の方法で、さまざまな利害の異なる者同士が集 まり、そこで議論をすることによって、お互いの コンテイにある
の一致点を見つけて、
そこに軟着陸をさせようとする議論の形です。
完全な敗北や完全な勝利というものが存在しない戦争の講和の話し合いなどはこれです。現代 の戦争では、勝利を オサめた国が、相手の国土や国民をすべて自分の意のままにすることはで きません。自国の主張をどこまで通し、どこからは妥協するか、それを話し合うのが
で す。その話し合いはお互いの合意を形成するコンセンサスの議論の形によって行われます。
近頃ではTPP
(注)の コウショウなどはこれに近いでしょう。
誰かのひとり勝ちではないという意味では、ディベートに比べれば「
」に近いともい
A①
②
a
③
b
④
c
国 語 えます。 しかしこれは、多くの場合、当事者全員が「自分は妥協した」と感じ、「安値合意をした」と
感じてしまいます。どこかに不満が残り、「自分はここまで譲ったんだから、お前はもっと譲れ」
などという話になって、なかなか合意には至らないことも多くあります。また参加者の中に、「絶 対に自説を通す」という人がひとりでもいれば合意の形成は不可能です。 チャクチ地点が難し い議論なのです。
ディベートとコンセンサスに共通することは、意見の違いを何とかしようというところから始 まり、そして多数の合意するところで落ち着かせようとしていることです。
「議論はそういうものだ」といわれてしまえば、それまでですが、でもそれでは議論としては イマイチなのです。
「和」の議論は、それとは全く違います。
理想的な「和」の議論とは「
文殊の智慧
え」の議論です。
議論に参加している人が、誰も考えてもいなかった結論が、自然に導き出されていく、そうい う議論が「和」の議論なのです。
文殊菩薩の智慧のような、人知を超えた智慧が生成される。人間がひとりでは考えられないよ うな超自然的な智慧が生み出される、そのような場を ソウシュツするのが「和」の議論の場です。
「かんがふ(考える)」の語源は「か身交ふ」だという本居宣長の説があります。互いの「身」が「交 わった」ときに何かが生まれる、それが「考える」だといいます。
互いの身が交わるためには、最初に対立があってはダメです。まずは互いを受け入れようとす る受容の姿勢が必要です。合意、共有しているところから話を始めて、議論をどんどん、どんど ん深めていく。
そのとき大切なのは、自説はどんどん捨てていくということです。少なくとも会議の最初に用 意してきた自説はすぐに捨てます。途中で出てきた自説も、どんどん手放していきます。
全員が自説にこだわらず、わいわいと活発に意見を出し合っていくと、あるとき 忽
こつ然として 全く新しいアイディア、すなわち文殊の智慧が出現します。
それが「和」の議論なのです。
そして、この「文殊の智慧」は、 誰の中にもなかったものなのにもかかわらず、すべての人 の中にもともとあったものでもあります。だから、そういう意見が出てきたときには、みんなが
「おお、実はそれを言いたかったんだ」となったりします。
意識化できない「思ひ(無意識)」の大海の中に沈んでいたものが、ぽっかりと浮上してきた、
それが「和」の議論で生成されるアイディアです。意見の対立、すなわち精神の表層にある「こ ころ」が溶けて、深く沈んでいた「思ひ」が浮かび上がる、それを待つのが「和」の議論なのです。
(安田登『日本人の身体』ちくま新書より)
注 TPP ―― 環太平洋パートナーシップの略。環太平洋諸国が締結を目指す広域的な経済 連携協定。
⑤
d
⑥
⑦
B
問一 傍線部 ①~⑥を漢字に直せ。
問二 空欄 a~cに文中の語を入れよ。
問三 空欄 dに入る言葉を選び、記号で答えよ。
ア 何はなくとも イ 困ったときは ウ 三人寄れば エ 観音様より オ 誰でも救う
問四 傍線部 ⑦「忽然として」の意味を選び、記号で答えよ。
ア 突然に イ 自然と ウ ようやく エ いつの間にか オ 必然的に 問五 傍線部 A「いま行われている民主主義は、かなり『同』的です」と筆者が判断する理由を
述べた部分を、句読点を含め二十字から三十字で本文から抜き出せ。
問六 傍線部 B「誰の中にもなかったものなのにもかかわらず、すべての人の中にもともとあっ たもの」を、本文の趣旨をふまえて句読点を含め四十五字から五十字でわかりやすく言い換 えよ。
問七 ディベートに対するコンセンサスの利点と欠点を、それぞれ句読点を含め二十字から三十 字で述べよ。
問八 「和の議論」とはどのようなものか、句読点を含め四十字から五十字で述べよ。ただし、「参 加者」「アイディア」の語を必ず用いること。
次の文章は、片山恭一の小説『世界の中心で、愛をさけぶ』の一節である。朔太郎の好きだっ た亜紀が白血病にかかり、闘病生活の末に亡くなった。一人残された朔太郎は、心を許す祖父 に「あの世ってあると思う?」と胸の内を話す。しかし、その祖父も戦争によって愛する人と 一緒になることができなかったという過去をもっていた。よく読んで問いに答えよ。
「好きな人とまた一緒になれるような世界が」
「あればいいと思うな」祖父はテレビの画面を眺めたまま答えた。
「ぼくはそんなものはないと思うよ」
「だとすれば寂しいね」
「死んだ人は死にっぱなしで二度と会えない。わかりきったことじゃない」ぼくはややむきになっ て言った。
祖父は困ったような顔で、「やけに悲観的なんだな」と言った。
「ずっと考えているんだ。なぜ人間はあの世とか、天国とかいったものを考え出したのかって」
「なぜだと思う」
「好きな人が死んだからだよ」
「ほう」
「大切な人がたくさん死んだから、人間はあの世や天国を発明したんだ。死ぬのはいつも相手で、
自分じゃない。だから生き残った者は、死んだ人たちを、そういう観念によって救おうとしたん だ。でもぼくは、みんな嘘だと思うよ。あの世も天国も、人間の考え出した虚構にきまってる」
祖父はテーブルの下のリモコンを取ってテレビを消した。
「わしらの世界で
は酷
むごいことだなあ、朔太郎」祖父は親身な口調で言った。「死後 もなく、生まれ変わることもなく、死はただの空虚でしかない。なんとも酷いことじゃないか」
「でも事実としてそうなんだから、しょうがないだろう」
「それも一つの見識ではあるかな」
「キリスト教徒なんかが、死は美しく恐れるに足りないなんて言っているのを読むと、すごく 腹が立つんだ。愚かだし、なんだか傲
ごうまん慢な気がするよ。死は美しくなんてない。ただ悲惨で虚
むなし いものだよ。そのことはどうしようもないじゃない」
祖父はしばらく天井を見上げて黙っていた。やがて上を向いたまま言った。
「天を論じない孔
こう子が、弟子の死に接して、天われを滅ぼせり、と慟
どうこく哭したと伝えられている。
不
ふしょう生 不
ふ滅
めつを説く弘
こうぼう法大師空
くうかい海も、弟子の死に不覚の涙を流したという」そこでぼくの方をゆっ くり振り向いて、「好きな人を亡くすことは、
」とたずねた。
黙っていると、祖父はつづけた。
「それはすでにその人のことを好きになってしまったからではないかな。別れや不在そのもの が悲しいのではない。その人に寄せる思いがすでにあるから、別れはいたましく、面影は懐かし く追い求められる。また、哀惜は尽きることがないのだ。すると悲哀や哀惜も、
と いう大きな感情の、ある一面的な現れに過ぎぬとは言えないかな」
「わからないよ」
「人がいなくなるということを考えてごらん。こちらが最初から気にも留めてない人がいなくなっ 二
A
B C D
① ②
③ ④
6
国 語 一般入試/2018 国 語 一般入試/2018
ても、わしらはなんとも思わんだろう。そんなのはいなくなることのうちにも入らない。いなく なって欲しくない人がいなくなるから、その人はいなくなるわけだ。つまり人がいなくなるとい うことも、やはり人に寄せる思いの一部分なのかもしれない。人を好きになったから、その人の 不在が問題になるのであり、不在は残された者に悲哀をもたらす。だから悲哀感のきわまるとこ ろは、いずれも同じなのだよ。別れは辛いけれど、いつかまた一緒になろうな、というようにね」
「おじいちゃんは、その人とまた一緒になれると思う?」
「目に見えるもの、形あるものだけがすべてだと考えると、わしらの人生はじつに味気ないも のになるんじゃないかね」と祖父は言った。「わしが好きだった人が、かつて知っていた姿形の まま、再びわしの前に現れることはないだろう。だが形を離れて考えれば、わしらはずっと一緒 だった。この五十年、片時も一緒でなかったときはなかったよ」
(略)
「朔太郎は、死んだ人のことを考えると、なんとなく神妙な気持ちにならないかい」
ぼくは肯定も否定もせずに黙っていた。祖父はつづけた。
「死んだ人にたいして、わしらは悪い感情を抱くことができない。利己的になることも、打算 的になることもない。試しに、朔太郎が亡くなった彼女にたいして抱く感情を調べてみてごらん。
悲しみ、後悔、同情……いまのおまえにとっては辛いものだろうが、けっして悪い感情ではない。
悪い感情は一つも含まれていない。みんなおまえが成長していく上で、肥やしになっていくもの ばかりだ。なぜ大切な人の死はそんなふうに、わしらを善良な人間にしてくれるのだろう。それ は 死が生から厳しく切り離されていて、生の側からの働きかけを一切受けないからではないだ ろうかね。だから人の死は、わしらの人生の肥やしになることができるんじゃなかろうか」
「なんだか慰
なぐさめられてるみたいな気がする」
「いや、そういうわけじゃないんだ」祖父は苦笑しながら言った。「慰めてやりたいとこだが、
それは無理だ。誰も朔太郎を慰めることなんてできんよ。自分で乗り越えるしかないことだからね」
「おじいちゃんはどうやって乗り越えたの?」
「逆の場合を考えることにしたんだ」祖父は遠くに目を細めるようにして話した。「もしわしの 方が先に死んでいたらどうだったろうかってね。そうなっていたら、あの人はいまわしが感じて いるような悲しみを、わしの死にたいしてやっぱり感じなくてはならなかっただろう。朔太郎の ような理解のある孫がいたかどうかもわからんしな。そんなふうに考えると、わしがあとに残さ れることによって、悲しみを肩代わりすることができたとも言えるわけだ。あの人に余計な苦労 をさせずに済んだ」
祖父は神妙な顔になって、「朔太郎だってそうじゃないかね」と言った。「おまえはいま彼女の ために苦しんでいる。彼女は死んで、もはや自分で自分の境遇を悲しむことさえできない。だか らおまえが代わりに悲しんでいる。言ってみれば、彼女の身代わりに悲しんでいるわけだ。そう やって朔太郎は、 彼女を生きはじめているんじゃないのかい」
祖父の言ったことについて考えてみた。
「やっぱり理屈って気がする」
「それでいいんだよ」祖父は穏やかに笑いながら頷
うなずいた。「考えるってのは、本来そういうこと だ。これで充分だと考え尽くされることなんて、まずないと言っていい。充分だと思っていても、
E
F
しばらくすると、不充分な気がしてくる。不充分なところは、また考えればいい。そのうち少し ずつ、自分の考えていることに実感が伴ってくる。そういうものなんだよ」
ぼくたちは口を閉ざして、外の物音に耳を澄ませた。 表は風が出てきているようだった。と きおり強い風が、ベランダの窓を引き剝
はがそうとするように吹いた。
「オーストラリアへ行っておいで」祖父はやさしく言った。「そして彼女と一緒に、砂漠やカン ガルーを見ておいで」
「彼女の両親は、遺骨をオーストラリアで撒いてくるつもりみたいだ」
「まあ、いろいろな弔い方があるからな」
(片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』小学館文庫)
※ 問題作成の都合上原文の一部を削除した。
問一 傍線部 A「ほう」の理由として適当なものを選び、記号で答えよ ア 困ったことを言い出したと思ったから
イ なぜという問いかけに即答できたから ウ 悲観的なことから抜け出そうとしているから エ 死んだ人と一緒になれない理由が分かったから オ もう少し朔太郎の考えを引き出そうと思ったから 問二 空欄 Bに入る言葉として適当なものを選び、記号で答えよ。
ア 生き残ること イ あの世や天国 ウ 人が死ぬこと エ 好きになること オ 人の考えた虚構
問三 空欄 Cに入る言葉として適当なものを選び、記号で答えよ。
ア なぜ辛いのだろうか イ なぜ悔しいのだろうか ウ どうしようもないのだろうか エ なぜ観念で救えないのだろうか オ 孔子や空海の場合と同じなのだろうか
G