〔 注 意 〕
① 問題は
一~
三まであります。
② 解答用紙はこの問題用紙の間にはさんであります。
③ 解答用紙には受験番号、氏名を必ず記入すること。
④ 各問題とも解答は解答用紙の所定のところへ記入す ること。
⑤ 各問題とも特に指定のない限り、句読点、記号など も一字に数えること。
西大和学園高等学校
国 語 国 語
( 6 0 分)
2020年度 入学試験問題
問題は次のページから始まります。
一 次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。
教養という語にはどこか カ
アンビ な、感傷的なニュアンスが宿っていて、修養とか、修業とかいう語ほどに、日本語としては成熟し ていない。教養はどこか一点でも欧米の文化に関係した場合にのみ用いられて来たからであろう。近代日本の教育や学問が、欧米から の文化摂取を基本に置いて以来、公的な教育や学問は教養の色彩を帯び、日本古来の武道とか芸道とかを究める場合にのみ、修養や修 業が使われる、という慣行がほぼ確立した結果とも考えられる。
他 方、 世
①の 中 で 通 例、 あ の 人 は 教 養 が あ る と か な い と か い う と き の 教 養 と は、 ど う い う 意 味 で あ ろ う か 。 そ れ は え て し て 単 に 学 歴 ということであって、さして深い意味のない場合が多い。せいぜい高等教育を受けて、多少人間が思慮深くなったとか、あるいはなっ たように 見える
444とかいった程度のことであろう。しかし学校教育を受けたから人間が 直
すぐに思慮深くなるとも思えない。むしろ逆のケー ス が、
A
思 慮 を 失 っ た ケ ー ス の 方 が、 現 代 社 会 で は 多 い く ら い だ。 た だ、 世 間 が 学 校 教 育 を 尊 重 す る の は、 社 会 が 昔 に 比 べ て 複雑になっていて、いろいろな知識や情報をそれだけ必要とするからであろう。海外から流入してくる知識や情報を処理する 術
すべに通じ ていないと困る、ということもあるだろうし、国内に限った知識や情報でも、幅広く活用できる能力が何よりも尊重されるのである。 そういう能力を持っていない人は、現代では何となく無力に見える。あるいは、少なくとも、視野の限られた、狭い人間に見える。そ し て、 通 常 こ れ を も っ て 教 養 が あ る と か、 な い と か 言 っ て い る の で あ る。
B
教 養 の あ る 人 と は、 幅 広 い 知 識 や 情 報 を ク
イシ で きる人のことである。教養のない人とは、その反対に、複雑化した社会の全体を見渡すことのできない、狭い小範囲の知識や情報で十 分 に 満 足 し て い る 人 の こ と で あ る。 い ず れ に し て も 教 養 と い う 語 は、 修 養 や 修 業 と 違 っ て、 「 文 明 開 化 」 の 程 度 を 表 わ す 言 葉 と し て 用 いられて来ているといえる。
C
、 私 は こ こ で は、 「 教 養 」 と い う 語 を、 そ の よ う な 慣 行 か ら 切 り 離 し て 使 用 し よ う と 思 う。 そ れ ど こ ろ か、 真 の 教 養 は、 知 識や情報の正反対の側にあるとさえ 敢
あえて言いたいのだ。真の教養は見識という言葉にむしろ近い。公的な教育機関がそれを育成する ことに役立つこともあれば、役立たないこともある。
教養は 知
②識や情報 の量とは関係がない。知識や情報は、それ自身としては、 何
ど処
こまで行っても教養とは結びつかない。知識や情報 は豊富であるに越したことはないが、それらはあくまで 必要悪
444であって、従ってなければ困るが、あるからそれで安心というものでは ないのだ。それどころか、必要悪というからには、必要な限度を越えれば、単に 悪
4としてしか作用しないということもまま起こり得る ことなのである。
大学で研究者を目指す青年にえてして多い病気は、学問の各分野における知識や情報を、学問そのものと混同することである。若い 未熟な研究者が、自分の未経験の不安や能力の不在を埋めるために、もっぱら知識や情報ばかりを 矢
や鱈
たら頭に詰め込む不健康なケースも 無論あるが、私が言っているのは も
③う少し普遍的な問題である 。海外からの知識や教養を仕入れるだけで、かなりの程度に安心でき る構造が、もともと日本の近代の学問にはあるということと関係している。
まだ私が若かった頃、大学の研究室で、上級の大学院生や助手クラスの人々の中によく見掛けた、一見秀才めいた自信家が、どんな に無内容な博識家にすぎなかったかが、今はっきりと思い出せる。外国の、ことにヨーロッパの学術上の動きに ビ
ウンカン な余り、膨 大量の文献の名前や、成立年代や、版元や、その異同に驚くほどよく通じている人が多かった。私はつねづね自分の不勉強を非難され ているような サ
エッカク さえ抱いた。彼らは文献の名前を知っているだけではない。現在学界の主流はそのどれに 掉
さおさしているか、流 行は何で、古い学問は何であるかまで、ぺらぺらと口をついて出てくるほどの青年が少なくなかった。私がある方面の専門書をたまた ま探しあぐねていると、彼らはさも 軽
けい蔑
べつしたような表情で私を見て、君はそんなことも知らないのかと言わんばかりに、得意然と、必 要以上の文献知識を私に講義してくれるのだった。
私が所属していたのが文学部ドイツ文学科であったから、当然のことだが、ドイツにおけるドイツ文学研究の新しい動向に彼らは例 外 な く ビ ン カ ン だ っ た。
D
、 こ れ ま た 例 外 な く、 若 く し て こ ま ち ゃ く れ た
4444444専 門 家 で あ る こ と を 競 い 合 い、 自 分 が 一 日 本 人 と し て何のために、どのような動機で外国研究に向かうのかという、最も初歩的な、しかしまた最も根源的な問いをわが身に発することだ けは避けているのである。 否
いな、そういう問いを発する内的必然性さえ彼らは感じない。自分とは何か?というそういう問いを 措
おいて、 単に外国の最新の動向に自分を合わせて、知識や情報ばかりわが身に詰め込んでみても、じつは本当の学問はできないのではないか、 という不安な疑問がそもそも彼らにはないのである。
生産的な不安
444444を欠くことが、私に言わせれば、無教養ということに外ならない。それに対し絶えず自分に疑問を抱き、 稔
みのりある問い を発しつづけることが真の教養ということである。私が若い頃に研究室で数多く出会った秀才然とした博識家たちは、単に若かったか ら、 あ る い は 未 経 験 だ っ た か ら、 知 識 と 学 識 と を 混 同 す る 誤
ご謬
びゅうを 犯 し た に す ぎ な い、 と い う カ
オン ダ イ な 見 方 も 勿
もち論
ろんで き な い わ け で はない。しかし、私はそれよりもっと本質的なことを言っている積りである。日本の学問は欧米に精神の鍵を預けて発展して来た。い わゆる教養の高下は「文明開化」の程度に応じている 所
ゆえん以 だ。とすれば、彼ら若い博識家―知識や情報は単なる 必要悪
444であることを知 らない―の空虚なあり方は、日本の近代的学問のそのものの姿ではないだろうか。事実、私が若い頃に出会った彼ら博識家たちは、日 本の学界では必ずしも失敗者ではないのである。そこにじつは問題がある。
ヨーロッパやアメリカに精神の鍵を預けて、自分はただ机に向かって、黙々とそれを追認する。人文社会科学系の学問においては、 今なお大半の日本の学者がこういう状態にある。彼らは最も西洋的であるように見えて、そのじつ近代日本的性格を最も露骨ににじま せているのである。
そういう彼らを見ると、学会の最高位をきわめた学者であっても、私には少しも 教
④養ある人士 には見えないのである。 (西尾幹二『人生について』による)
問一 二重傍線部ア~オのカタカナを漢字に直せ。 楷
かい書
しょで丁寧に書くこと。
問 二 空 欄
A
~
D
に 当 て は ま る 最 も 適 当 な こ と ば を 次 の 中 か ら そ れ ぞ れ 一 つ ず つ 選 び、 記 号 で 答 え よ。 た だ し、 同 じ 記 号を繰り返し用いてはならない。
ア・たとえば イ・だから ウ・そして エ・つまり オ・なぜなら カ・しかし 問 三 傍 線 部 ①「 世 の 中 で 通 例、 あ の 人 は 教 養 が あ る と か な い と か い う と き の 教 養 と は、 ど う い う 意 味 で あ ろ う か 」 と あ る が、 「 世 の 中」の人びとが考える「教養」とはどのような能力であると述べられているか。四十字以内で説明せよ。
問四 傍線部②「知識や情報」とあるが、これについて筆者はどのように考えているか。その説明として最も適当なものを次の中から 一つ選び、記号で答えよ。
ア・ある程度は必要であり、それを幅広く活用できることが大切である。
イ・ある程度は必要であり、海外の最新のものを持つことが大切である。
ウ・ある程度は必要であるが、必要な限度を越えると教養の妨げとなりうる。
エ・幅広く豊富に必要であり、それを幅広く活用できることが大切である。
オ・幅広く豊富に必要であるが、海外の最新のものは教養の妨げとなりうる。
問五 傍線部③「もう少し普遍的な問題である」とあるが、どのような点が「もう少し普遍的」なのか。その説明として、最も適当な ものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。 ア・これまで若い研究者の間に限定されていた誤りが、現在は日本の学界全体に広がっているという点。 イ・現在は若い研究者の間に限定されている誤りが、これからは日本の学界全体に広がりうるという点。 ウ・誤りを信じている若い研究者が、現在は次々に日本の学界全体で増えているという点。 エ・誤りを信じている若い研究者の背景には、日本の学界全体のあり方が関わっているという点。 オ・誤りを信じている若い研究者の背景には、先輩研究者たちの指導不足が関わっているという点。
問六 傍線部④「教養ある人士」とあるが、筆者はどのような人を「教養ある人士」と考えているか。八十字以内で説明せよ。
問七 本文の内容に当てはまるものとして最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。 ア・近代以降日本では、教養という言葉は、欧米からの文化を取り入れた教育や学問だけでなく、日本古来の伝統的な武道や芸道 とも結びつけられるようになった。 イ・世の中の人は、近代以降情報化が進んだ社会の中で、大量にある情報の中から有用な情報を選択することができる人のことを 教養があると考えている。 ウ・筆者の学生時代の周りにいた研究者たちは、筆者が専門書を探しあぐねていると文献知識を教えてくれるなど、親切にしてく れ、筆者もそのことを感謝している。 エ・欧米からの知識や情報は、確かに弊害になりうるが、日本の学界に発展をもたらしてきた側面もあるため、うまく取り扱えば 研究にとって有用なものである。 オ・筆者は、日本の研究者が欧米の文化摂取に必死になって、知識や情報を詰め込んでいる状況が、近代以降の日本の学界に 蔓
まん延
えんしていることを問題視している。
二 次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。なお、本文を一部省略した箇所がある。
大学を卒業してからすぐは、とある 都
(注1)と銀
ぎんに勤めていた。
何だかおかしいと感じ始めたのは、三十が目前に見えてきたときだ。健一は研修期間が終わるなり、ずっ と
(注2)逗
ず子
しの小さな支店で働 いていたが、その頃にはちらほらと、出世し始めた同期の噂を耳にするようになった。
ところが、いつまでたっても都内に戻れという声は健一にはかからなかった。それどころか三十歳の誕生日に、さりげなく融資先の 子会社へ 出
しゅっ向
こうをほのめかされた。要するに、出世コースから 弾
はじかれてしまったのである。
飛び出すか、それとも今のサラリーマンのために耐え続けて働くか。
そんなふうに 悶
もん々
もんとしていた夏、行内で作った自転車サークルで、合宿と称して逗子の海にいくことになった。幸子は、健一たちの サ ー ク ル が よ く 使 っ て い る、 シ ョ ッ プ の 店 員 を し て い た。 と は 言 え、 父 親 の 店 で 社 会 勉 強 と い う や つ だ っ た。 都 内 に 七 店 舗 を 構 え る オ ー ナ ー の 令 嬢 と い う こ と に な る。 も っ と も、 い つ も 手 を 自 転 車 の 油 で 汚 し、 す っ か り 日 焼 け し た 姿 は 令 嬢 と い う 言 葉 か ら は ほ ど 遠 く、健一もそれと意識したことさえなかった。ただ、かわいい子だとしか考えていなかった。
だからこそ彼女の前で、自然にしょげてみせることもできたのだ。
「駄目だな俺は。へこんだよ」
支 店 の そ ば に 住 ん で い た 健 一 は、 そ の 夏 の バ ー ベ キ ュ ー 大 会 を 取 り 仕 切 っ た。 コ ン ロ や キ ャ ン プ 用 の 椅 子 を 借 り た り、 食 材 や コ
(注3)ー クスの用意をしたりと、押しつけられたわけでもないのにすべて一人でやった。出世コースから外れてしまった自分の力を、そんなこ とで再確認したかったのかもしれない。
「……まさか、海岸でバーベキュー禁止だなんて思わなかった。みんなに迷惑かけちゃって、ほんとごめん。夜の花火も駄目だなん て、もう最悪だ」
健一の育った田舎では、そんな決まりなどなかった。大学時代の夏はずっと故郷ですごしていたため、都会のそばの海というものを ほとんど知らない。思えば、海水浴客の多いこの時季に、逗子の浜を訪れたのさえ初めてだった。それほどに仕事に忙殺されていた。
な の に、 出 世 コ ー ス か ら 弾 か れ た ―――。
A
怒 り が こ み 上 げ て き た が、 し か し 長 続 き し な か っ た。 そ れ は 八 月 の 中 旬 す ぎ で、海風の中にときどき、冷たい秋のひと筋が潜んでいたせいだ。
夏が終わるとささやく風が、怒りを遠くへやってしまう。
ふ
①がいなさだけが、心に残った 。 「こんな場所でバーベキューだもん、そりゃあみんな怒るわ。子供連れもいるのにさあ、ご近所さんはこんなだし」
すぐそばには、青いビニールシートでできた家がたくさん並んでいた。ホームレスたちだ。彼らは道路と河口の間にあるコンクリー トの段差、海でもなく道でもなく河でもないグレーゾーンで暮らしていた。そもそも、そういう場所だからこそ何とかバーベキューの 体裁だけは整えられたのである。浜辺でバーベキュー禁止という決まりをかいくぐろうと、セーリング教室のインストラクターに教え てもらって、かろうじてお目こぼしにあずかったわけだ。
海は何とかのぞけるものの、どう見てもここは河口であり、地面は硬く、陽当たりも悪い。サークルの連中は、食事を終えると逃げ るように浜へむかってしまった。彼らの帰りを待ち、鉄板で焼きそばを焼いているのは健一と幸子だけだったが、その頃にはすっかり 冷めてしまうだろう。
「そんなこと言ったって、こっちのほうがお邪魔させてもらってるんだもん、仕方ないじゃん」
「やっぱり、何だか悪い」
「誰に悪いの」
「だから、ご近所さんに」
健一がホームレスたちのそばでバーベキューをするのを嫌がっていたのは、景観が悪いからではなかった。そうではなく、食うや食 わずの生活をしているだろう彼らの隣で、じゅうじゅうと肉を焼き、ビールを飲んで騒ぎ、焼きそばにワインをぶちまけ、いろんな食 べ残しをビニールにまとめて捨ててしまうのが嫌なのだった。 「あの人たちがいると、非難されているみたいで嫌なんだ。俺はただ、楽しみたいだけなのにさあ」
それに、ずっとこっちに背をむけて座ってるんだもん、無言の圧力だよ。 そう言うと、幸子は調理の手をしばし休めた。
「健ちゃん、変なこと考えるね。逆でしょう。あの人たちは、私たちに迷惑かけないようにあっちむいてるんじゃないの?存在を消 してるんじゃない。だから私、意識もしなかったよ」
「そうかなぁ。煙もむこうにいくし、怒ってるんじゃないのかな」
幸子は、ぶっと噴き出す。これだから男は、と笑った。
「健ちゃんって 中
②途半端に気が弱くて、中途半端に優しいね。でもそれじゃ駄目だよ 」
そして彼女はワインと、誰も飲もうとしなかったウイスキーを手にした。余った食材やおつまみも手に取る。まさかとは思ったが、 彼 女 は そ れ を 持 っ て 彼 ら の ほ う へ
B
歩 き 出 し た。 焼 き そ ば の 様 子 を 見 て い な く て は い け な か っ た が、 健 一 も 慌 て て う し ろ か ら ついていった。
彼女は、一番立派そうな家を選んでいるらしかった。目星をつけると、路上からビニールシートの屋根に声をかけた。呼ばれて中か ら出てきた男は、右の前歯がなかった。幸子は彼に、そこでバーベキューして迷惑だろうけど、これお 裾
すそ分
わけですと言って酒と食べ物 を差し出した。
「よかったら、みんなで」
今にも男が怒り出すのではないかと気が気ではなかった。お前らに恵んでもらう筋合いはねえ、馬鹿にすんなと怒鳴られそうで。 ところが意に反し、男は素直にすべて受けとると 屈
a託 のない 笑顔を見せた。
「悪いねえ。あ、それとさ、バーベキューで出た灰は、地面に埋めると監視員がうるさいからね、持って帰ったほうがいいよ。面倒 臭かったら、俺、やっといてやろうか。終わったら持ってきな」
鉄板のところに戻ると、焼きそばはすっかり焦げついていた。
「サッチは大胆なところあるわ」
C
川 べ り の 家 に 目 を や り、 健 一 は 言 っ た。 そ ろ そ ろ 空 が 染 ま っ て き て、 陽 光 が 海 と ブ ル ー シ ー ト の 屋 根 に た ま っ て い る。 そ れこそワインみたいに、美しい赤をしていた。
「あのね。男が中途半端なのって一番いけないんだよ。勇気も優しさも、勝負どころで気前よく使わないと。そうしないと、ぐじぐ じするだけで何もできなくなるもん」
「男と女でわけるのって、やだな」
「だったら、人間すべて!」
彼女はいつものようにかんしゃくを起こした。けれども健一には慣れっこだったので、快く眺めた。
そして不意に、銀行はやはり辞めたほうがいいのかもしれない、と思った。そうだ、中途半端はよくない。いっそ小さいながらも店 でも始めて、一国一城の 主
あるじにでもなってみるか。
いや、待て。今、自分にそんないい風が吹いているのだろうか。転職して失敗し、結局はあのまま銀行に残っていたらなと後悔する の が 関
bの 山 で は な い だ ろ う か。 大 学 の 同 期 た ち に し た っ て、 転 職 で 成 功 し て い る や つ は 少 な い。 成 功 し た 連 中 は 必 ず 同 窓 会 に 顔 を 出
すものだけれど、次第に顔を見なくなったじゃないか。
よし、それなら手始めに確かめてみよう。俺に吹いている風を確かめてみよう。
「なるほど、サッチの言うことも一理ある」
「でしょ」
「じゃあ俺も勝負してみるか。ごほん。ええと」
俺、サッチのことが好きだわ。健一は開けっぴろげに言った。
「つきあってくれたら、お前の言うこと全部信じる」
いつも動じない彼女だったのに、そのときばかりは取り乱した。顔を赤くし、さらに頬の赤が夕日で倍増された。どうしてこんなと きに言うの、こんな、焦げた焼きそば食べてるときにと怒り出す。
怒りながら、照れていた。はにかみながら、怒っていた。
「どうして、私みたいなのがいいの。もー、どうするの!」
あ、風は吹いてるんだと健一は思った。
いい部屋ですねえ。食洗機を取りつけにきた男は、散らかったリビングを眺め回してつぶやいた。工事修理の書類に健一がサインを し て い る と き だ。 若 い ほ う の 男 は、 細 か な 仕 事 を 任 せ て 先 に 帰 っ て し ま っ た。 き っ と 表 に 停 め た ト ラ ッ ク で、 先 に 涼 ん で い る の だ ろ う。
「窓から、都庁も東京タワーも六本木ヒルズも、まとめて見えますね。いいですよ」
ええ、と健一は素っ気なく答える。元々、景色には大して興味がなかった。陽当たりと防犯上の理由でその階を選んだだけだ。もっ とも幸子は、マンションのどんな設備よりもその景色を喜んでいたが。
「あなた、マンションとかくわしいんですか」
「ああ、いやあ。昔ねえ、持ってたんですよ。お恥ずかしいですが」
中年男性は遠い目をした。健一の脱ぎ捨てたシャツや、いつのものだかわからない新聞の夕刊、ビールの空き缶などをすべて透かし て、かつて彼が持っていたという一室を眺めているようだった。
失礼ですが、以前は何を? 訊
ききたかったが、 何
③か悪いような気がして戸惑っている と、いきなり玄関から人が入ってきた。若い男が
戻ってきたのかと思いきや、驚いたことにそれは幸子だった。
出ていったときに持っていった、大きなバッグを肩に掲げたままだ。
「食洗機届くの忘れてた!」
家を出ていったことにも、帰ってきたことにも、まるで説明はなかった。健一も、それについて 訊
たずねたいと思わなかった。
「あ、奥様ですね。朝からすみませんでした。工事終了です」
「お疲れさまでした。もう、使えるの?」
彼女はシンクから汚れたコーヒーカップを取り上げた。洗うものがそれしかないのが不満なようだ。さっそく洗浄力を試してみたい らしいが、弁当の空容器や納豆のパックなど、キッチンに散らばっているのは不燃ゴミばかりだった。健一の 不
ふ摂
せっ生
せいを 濾
こして投げ捨て たようなものばかりである。
そこで幸子は、うしろの戸棚から汚れてもいない食器を取り出し、食器洗浄機にねじ込んだ。さっそく練習してみるよとスイッチを 入れた。
「奥様、操作はわかります?」
男はキッチンカウンターから身を乗り出すようにして、食洗機の操作を説明し始めた。彼の手と指はすっかり傷んでいた。きっと段 ボール箱のふちで切ったのだろう、真新しい切り傷も残っていたが、しかし動きは優雅だった。
「今、洗浄機の中にスチームが充満しています。もうすぐ洗浄がはじまります」
「洗濯機みたいな音がする」
「仕組みは同じようなものです。衣類が回るんじゃなくて、洗浄液が回るだけの違いです」
「私にはよくわからないけど、すごいのね!」
「あ、すみません。もう大丈夫ですから。ご苦労様でした」 話を打ち切った。男はもう少し説明がしたいようだったが、あまり遅くなってあの若造にどやされるのもかわいそうだ。 健一は玄関まで男を見送ってやった。作業着の襟に脂染みがひどかった。背中に無言で「またマンション買えますよ」と声をかけた かった。そういう中途半端な優しさがいけないと幸子は怒るかもしれないけれども。
キッチンで、幸子は食洗機をのぞき込んでいた。どこか 滑
こっ稽
けいだった。貧乏だった健一の実家に、ようやく全自動洗濯機がやってきた 日 を 思 い 出 す。 本 当 に 機 械 の 力 だ け で 最 初 か ら 終 わ り ま で 洗 濯 が で き る の か と、 健 一 と 父 は、 洗 濯 機 を
D
の ぞ き 込 ん で い た の
だ。母はその横で、あなたたちは馬鹿ねと笑いながら、やはり嬉しそうに夕食を作っていた。 幸子の隣に割り込んで、一緒に食洗機の中をのぞき込む。窓は小さいしスモーク色をしていたのでよく見えなかったが、強い水流の 音がして、よくわからないけれども皿が 綺
き麗
れいになっていくらしかった。
「本当にこれで洗えてるのかな。ちょっと開けて確かめてみようか」 扉に手を伸ばすと、幸子が慌てて止める。指と指が重なった。結婚して以来、彼女は自転車のショップに出なくなった。かつてはオイ ル落としの洗浄液で手を洗うのでいつもかさついていたが、今は吸いつくようにしっとりとした手触りをしている。
「駄目だって。今、スチームが充満してるから、無理にドアを開けたら火傷するよ」
「サッチは初めて食洗機使うのに、どうしてくわしいの」
「そりゃ、しっかり調べたからね。衝動買いじゃないもん」
これで少しは時間の節約ができるでしょう。そうしたら私また外で働こうかなと思って。幸子は何かをごまかすように、じっと、水 飛沫のかかるコーヒーカップを見つめたまま言った。
「私だけ家にいるの暇だから」
「へん」
健一はわざと気づかないふりをした。彼女は 『
(注4)グレープ』の売り上げがどうなっているのか、とっくに知っていたのだ。だから数年 ぶりに、働きに出ることに決めたらしい。反省した。幸子を心配させたくないと思い、ずっと売り上げについては黙っていたのに。 所
しょ詮
せん、中途半端な優しさだったのかもしれない。 「だったら、うちの店でアルバイトしてくれたほうがずっと助かるってのに」 「やだよ。 『グレープ』は時給が安いもん」 「次の店が儲かったら、どーんと出してやる」 そ し て 健 一 は、 店 を 畳
たたむ 決 心 を し た。 潮
c時 だ。 マ ン シ ョ ン を 売 る こ と に な っ た っ て 構 う も の か。 ア ル バ イ ト を し て で も、 生 き て や る。そして再び新しい店を作ってやるさ。 だって風はまだ吹いている。
幸子こそ健一の風だった。これが吹いている限りは、何だってやれる。
「よし、それじゃあ食洗機のついでに掃除機も買おうぜ。あるだろ、外国の。吸引力の衰えない唯一の掃除機ですってやつ」
「吸引力が上がったって、時間の節約にはならないじゃん」
無駄遣いは駄目だと 一
いっ蹴
しゅうされたのだった。
幸子の風はシビアで、気まぐれで、読みづらかった。けれど再確認した。このかわいい風を捉えようとあくせくすることで、男とい うのはようやく正しくなれるようだ。
世界も社会も人生も戦争も年金も、ありとあらゆる問題より、この風を乗りこなすほうが難しい。
なのに、 こ
④の風にあおられるのが、もっとも心地よかった 。 (伊藤たかみ 『サッチの風』による)
(注1) 都銀 … 主として大都市に営業基盤を置き、多数の支店をもつ全国的な規模の銀行。 「都市銀行」の略。 (注2) 逗子 … 神奈川県南東部の市。 (注3) コークス … バーベキューをする時の燃料のこと。 (注4) グレープ … 健一の経営するレンタルビデオ店。
問一 二重傍線部a「屈託のない」 、b「関の山」 、c「潮時」の意味として、最も適当なものを次の中からそれぞれ一つずつ選び、記 号で答えよ。
ア・気をつかわせないさま ア・想定内
イ・晴れ晴れとしているさま イ・最低限 a 「屈託のない」 { ウ・恥ずかしがっているさま b 「関の山」 { ウ・精一杯
エ・関心をしめしているさま エ・分相応
オ・驚きあきれるさま オ・最難関
ア・運命を分ける時期
イ・競り合う時期 c 「潮時」 { ウ・ちょうど良い時期
エ・腹をくくる時期 オ・引き退く時期 問 二 空 欄
A
~
D