一六一唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶
河 野 哲 宏 唐詩における﹁思旧賦﹂
は じ め に
これまでの先行研究では︑詩に描かれる楽器として取り上げられるのは︑琴・箏・琵琶などの弦楽器が多い︒しか し︑笛・簫などの管楽器を描いた詩も少なくない︒そこで︑前稿﹁六朝詩における﹃思旧賦﹄﹂︵
の一人である向秀﹁思旧賦﹂に端を発する典故を用いた作品に焦点を当て︑その用いられ方について考察を加えた︒ 1︶では︑﹁竹林七賢﹂
煩雑となるが︑以下に︑六朝詩に見られる﹁竹林七賢﹂に言及した詩の詩題を挙げる︵括弧内は該当部分︶︵
2︒︶
劉宋 顔延之
﹁五君詠五首﹂﹁向常侍﹂︵流連河裏遊︒惻愴山陽賦︒︶ 梁 何遜
﹁傷徐主簿﹂︵客簫雖有樂︒鄰笛遂還傷︒︶
一六二 劉令嫺
﹁聽百舌﹂︵淨寫山陽笛︒全作洛濱笙︒︶ 北周 庾信
﹁傷王司徒褒﹂︵唯有山陽笛︑淒余思舊篇︒︶
﹁寄徐陵﹂︵莫待山陽路︑空聞吹笛悲︒︶ 陳 周弘讓
﹁賦得長笛吐清氣詩﹂︵情斷山陽舍︒氣咽平陽塢︒︶ 賀徹
﹁賦得長笛吐清氣詩﹂︵韻切山陽曲︒聲悲隴上吟︒︶ 何胥
﹁傷章公大將軍﹂︵短簫應出塞︒長笛反驚鄰︒︶ 前稿の考察に沿って︑六朝詩における﹁思旧賦﹂の用いられ方を確認すれば︑顔延之﹁五君詠﹂﹁向常侍﹂は詠史詩
という性質上︑向秀を描くという前提を持つことから︑特定の人物を悼んではいない︒しかし︑最も早くに﹁思旧賦﹂
に言及したと考えられるため︑詩における﹁思旧賦﹂典故の端緒を開いたと言えるだろう︒
残りの七例では︑何遜﹁傷徐主簿﹂︑庾信﹁傷王司徒褒﹂︑同﹁寄徐陵﹂︑何胥﹁傷章公大將軍﹂の四首は︑一首を除
いて︑詩題に﹁傷﹂という字を用いることからわかるように︑﹁思旧賦﹂の﹁亡き友人を悼む﹂という構造が用いられ
ている︒その他の三例では︑馬融﹁長笛賦﹂とともに引かれるなど︑﹁笛の音の素晴らしさ﹂を称えるために用いられ
ている︒ 以上の使用例から︑六朝期において︑すでに﹁思旧賦﹂を典故として用いることは定着していると認められるだろ
う︒詩中において﹁思旧賦﹂が担う意味として︑﹁亡き友人を悼む﹂︑﹁笛の音の素晴らしさ﹂という二つの意味が見ら
れたが︑これは︑一つの故事を二つの視座から眺めたものと言える︒﹁思旧賦﹂の構造として︑﹁亡き友人を悼む﹂と
いうことは非常に明確である︒しかし︑その構造は笛の音によって喚起された感情として言表されている︒これを裏
返せば︑向秀を悼ませるほど素晴らしい笛の音ということであり︑詩人が︑感情と笛の音のどちらに焦点を当てるか
一六三唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ によって︑﹁思旧賦﹂の用いられ方が変わるということだろう︒
さらに︑使用している表現に目を向けると︑﹁山陽﹂に一字を付け足して﹁思旧賦﹂を示すものが六例見られ︑﹁思
旧賦﹂序文に見える︑﹁隣の家から聞こえてくる笛﹂からとったと思しきものが︑二例︵﹁鄰笛﹂﹁長笛反驚鄰﹂︶見ら
れた︒六朝詩では︑前者が多数を占めており︑唐詩においても使用例が見られる︒また︑﹁思旧賦﹂に限らず︑李白や
杜甫ら唐代の詩人に︑顔延之﹁五君詠﹂の詩語を用いて﹁竹林七賢﹂を描く作品が多く見られることから︑詠史詩と
して﹁竹林七賢﹂を取り上げた最古の作品であり︑﹁思旧賦﹂を典故として初めて用いた顔延之﹁五君詠﹂の影響によ
るものと考えられる︒
そして︑当時の文壇の領袖であった沈約や︑当時のアンソロジーの編纂方法などから︑﹁五君詠﹂の普及・規範化に
﹃文選﹄が大きな影響力を有していたと推測できる︒
以上のように︑六朝詩における思旧賦の用いられ方を考察したが︑唐代に入ると︑典故として﹁思旧賦﹂を示す語
の選択に変化が見られる︒
筆者の見出した﹁鄰笛﹂を含む作品︵詩題に﹁鄰笛﹂の語を含むが詩本文には見られない作品には﹁*﹂を付す︵
3︶︶
を以下に挙げる︒括弧には︑その該当部分を挙げる︵
4︒︶
孔紹安﹁傷顧學士﹂︵何言陵谷徙︐翻驚鄰笛悲︒︶盧藏用﹁宋主簿鳴皋夢趙六予未及報而陳子云亡今追為此詩答宋兼貽平昔遊舊﹂︵無復平原賦︐空餘鄰笛聲︒︶
劉長卿﹁哭張員外繼︵
5﹂︵秋風鄰笛發︐寒日寢門悲︒︶︶
﹁過裴舍人故居﹂︵籬花猶及重陽發︐鄰笛那堪落日聽︒︶ 杜甫
﹁秦漢中王手札報韋侍御蕭尊師亡﹂︵處處鄰家笛︐飄飄客子蓬︒︶
﹁追酬故高蜀州人日見寄并序﹂︵長笛鄰家︵
6亂愁思︐昭州詞翰與招魂︒︶︶
李德裕﹁無題﹂︵不勞鄰舍笛︐吹起舊時悲︒︶
一六四 錢起
﹁哭曹鈞﹂︵一聲鄰笛殘陽裏︐䥵酒空堂淚滿衣︒︶
皇甫冉﹁秋夜寄所思﹂︵鄰笛哀聲急︐城砧朔氣催︒︶
耿䘩
﹁哭苗垂﹂︵月斜鄰笛盡︐車馬出山陽︒︶ 李端
﹁哭苗垂︵
7﹂︵月斜鄰笛盡︐車馬出山陽︒︶︶
武元衡﹁經嚴秘校維故宅﹂︵不堪投釣處︐鄰笛怨春風︒︶
*
﹁甲午歲相國李公有北園寄贈之作吟玩歷時屢促酬答機務不暇未及報章今古遽分電波增感留墓劍而心許感鄰笛
而意傷寓哀冥寞以廣遺韻云﹂
白居易﹁聞樂感鄰﹂︵尚書宅畔悲鄰笛︐延尉門前歎雀羅︒︶許渾
﹁重遊練湖懷舊并序﹂︵日暮長堤更回首︐一聲鄰笛舊山川︵
8︶︒ ︶ 薛能
﹁京中客舍聞箏﹂︵當時向秀聞鄰笛︐不是離家歲月深︒︶ 方干
﹁題故人廢宅二首﹂其二︵薄暮停車更淒愴︐山陽鄰笛若為聽︒︶ 羅隱
﹁倚櫂﹂︵倚櫂聽鄰笛︐霑衣認酒壚︒︶ 王駕
﹁過故友居﹂︵鄰笛寒吹日落初︐舊居今已別人居︒︶
盧尚書﹁哭李遠﹂︵不堪舊里經行處︐風木蕭蕭鄰笛悲︒︶
段成式・鄭符﹁題璘公院﹂︵泉臺定將入流否︐鄰笛足疑清梵餘︒︶
以上︑十九例︵詩題のみのものを除き︑さらに︑耿䘩と李端の作品は同題で詩本文も同じなので︑一例として数え︑
以後︑便宜的に耿䘩の作品として扱う︶を﹁鄰笛﹂型と称す︒﹁鄰家笛﹂や﹁長笛鄰家﹂のようなものも︑﹁鄰笛﹂の
分離型として﹁鄰笛﹂型に数え︑﹁鄰笛﹂とともに﹁山陽﹂を用いるものは︑便宜的に﹁鄰笛﹂型に含めてある︵﹁山
陽﹂だけでは︑﹁思旧賦﹂との繋がりが弱く︑当該詩では﹁鄰笛﹂の方が﹁思旧賦﹂との繋がりが強いと判断されるた
め︶︒
一六五唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ また︑﹁鄰笛﹂を用いず︑六朝詩に多く見られた︑﹁山陽﹂に何らかの語を加えて同じ故事を用いているものがある︒
陳子昂﹁同宋參軍之問夢趙六贈盧陳二子之作﹂︵遠聞山陽賦︐感涕下沾裳︶
李白
﹁題瓜州新河餞族叔舍人賁﹂︵惜此林下興︐愴為山陽別︒︶ 杜甫
﹁過故斛斯校書莊二首﹂其二︵遂有山陽作︐多慚鮑叔知︒︶
韋應物﹁樓中閱清管﹂︵山陽遺韻在︐林端橫吹驚︒︶
錢起
﹁經李蒙潁陽舊居﹂︵獨有山陽宅︐平生永不䣻
︒ ︶ 耿䘩
﹁太原送許侍禦出幕歸東都﹂︵莫向山陽過︐鄰人夜笛悲︒︶ 竇牟
﹁奉誠園︵
9聞笛﹂︵秋風忽灑西園淚︐滿目山陽笛裏人︒︶︶
李端
﹁慈恩寺懷舊﹂︵緬懷山陽笛︐永恨平原賦︒︶
司空曙﹁殘鶯百囀歌同王員外耿拾遺吉中孚李端遊慈恩各賦一物﹂︵金穀箏中傳不似︐山陽笛裏寫難成︒︶
劉禹錫﹁傷愚溪三首﹂其三︵縱有鄰人解吹笛︐山陽舊侶更誰過︒︶
許渾
﹁同韋少尹傷故衛尉李少卿﹂︵何須更賦山陽笛︐寒月䗻西水向東︒︶ 羅隱
﹁經故友所居﹂︵日暮街東策羸馬︐一聲橫笛似山陽︒︶ 以上︑十二例を﹁山陽﹂型と称す︒加えられた部分では︑﹁賦﹂︑﹁別﹂︑﹁遺韻﹂︑﹁作﹂︑﹁笛﹂等が用いられる︵﹁笛﹂
を用いる場合は︑前後に離れているものもある︶︒波線部のように﹁鄰﹂を句や連語の一部として用いているものは︑
﹁山陽﹂に一字以上を付け加えた熟語の方を優先し︑﹁山陽﹂型に数える︒
さらに︑﹁聞笛﹂︵
10を用いて同じ故事を用いているものもある︒︶
李端
﹁長安書事寄盧綸﹂︵向秀初聞笛︐鍾期久罷琴︒︶
一六六
司空曙﹁冬夜耿拾遺王秀才就宿因傷故人﹂︵舊時聞笛淚︐今夜重沾衣︒︶
權德輿﹁從事淮南府過亡友楊校書舊廳感念愀然﹂︵絕弦罷流水︐聞笛同山陽︒︶
劉禹錫﹁酬樂天揚州初逢席上見贈﹂︵懷舊空吟聞笛賦︐到鄉翻似爛柯人︒︶
以上︑四例を﹁聞笛﹂型と称す︒﹁聞笛﹂とともに﹁山陽﹂を用いている場合は︑﹁鄰笛﹂型と同様に処理する︒
その他︑それぞれ一︑二例しか見られない表現もある︒
劉孝孫﹁詠笛﹂︵征客懷離緒︐鄰人思舊情︒︶宋之問﹁詠笛﹂︵行觀向子賦︐坐憶舊鄰情︒︶
李嶠
﹁詠笛﹂︵行觀向子賦︐坐憶舊鄰情︒︶ 以上︑二例︵宋之問と李嶠の作品は同題で詩本文も同じなので︑一つとして数え︑以後︑便宜的に李嶠の作品とし
て扱う︶︒
右に挙げた唐代の作品では︑﹁鄰笛﹂型が最も使用数が多く︑次いで﹁山陽﹂型︑﹁聞笛﹂と続く︒六朝詩で二首し
か見られなかった﹁鄰笛﹂型が十九首まで増加し︑六首見られた﹁山陽﹂型が十二首に留まっており︑語の選択にお
ける優先順位は﹁山陽﹂型から﹁鄰笛﹂型へと移っている︒この変化は何によるのだろうか︒
また︑詩題を通覧すれば︑﹁哭﹂や﹁傷﹂などを冠するものや︑﹁過﹂﹁経﹂などの語を用いて故人の屋敷の近くを通
ったことを示すものなど︑一見して亡き友人を悼む作品であると判断できるものが多く︑見出せた例︵三十七例︶の
ほぼ半数︵十九例︶を占める︒ここから︑﹁思旧賦﹂に基づく典故を用いて︑亡き友人を悼むことは︑唐代においても
一つの型となっていると認められるだろう︒それは︑﹁思旧賦﹂を典拠とすることからすれば︑当然のことであるが︑
﹁亡き友人を悼む﹂という構造以外にも︑唐代の詩における意味の派生なども合わせて考察したい︒
一六七唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ 以下︑本稿は︑唐代の作品における﹁思旧賦﹂に基づく典故の用い方を考察し︑六朝詩における用い方との差異を確認し︑その上で︑語の選択に起こった変化の要因を考察する︵
11︒︶
第一章 唐詩の諸作品において﹁思旧賦﹂の示す意味
六朝詩では︑主に﹁亡き友人を悼む﹂という構造が見られた︒唐詩においても︑﹁傷﹂﹁哭﹂などの語を冠する作品︵12︶
では︑同じ構造が見られることが予想される︒また︑紙幅の都合上︑全ての作品を見ることはできないため︑亡き友人を悼む作品と思われないものを中心に見る︒しかし︑亡き友人を悼むという構造を用いた作品の確認も必要である︒
一例として白居易﹁聞樂感鄰︵樂を聞き鄰に感ず︶﹂の前半四句を挙げる︒
老去親朋零落盡︐
秋來弦管感傷多︒
尚書宅畔悲鄰笛︐
延尉門前歎雀羅︒
︻大意︼年々歳をとり︑友人・親戚も亡くなってしまった︒秋となり楽器の音色にも感傷を催すことが多い︒崔尚
書が亡くなり︑東隣のお屋敷から響いてくる笛の音を悲しむ︒東隣の王大理のお屋敷も王大理の死後︑門前に雀
羅を張るほど人の訪問がなくなってしまった︒
詩題に﹁鄰に感ず﹂と言うことから﹁思旧賦﹂を念頭に置いていることがわかる︒この詩では︑第三句に﹁鄰笛﹂が 用いられている︒対句となる第四句﹁門前歎雀羅﹂は︑﹃史記﹄﹁汲黯・鄭当時列伝﹂︵
13に見える司馬遷評を典拠とし︶
ており︑ここでは︑その家の主人が亡くなったことで客が訪れなくなった寂れた様子を表すのに用いられている︒唐
一六八
詩でも﹁思旧賦﹂を典故として用いる際︑右のような﹁今は亡き友人を悼む﹂という構造をとることが多く見られる︒
第一節 笛の音 六朝期では︑﹁思旧賦﹂に基づく典故を﹁亡き友人を悼む﹂という構造で用いるものの他︑笛の音の素晴らしさを表
現するのに用いられていた︒本節では︑唐詩に見える笛の音の素晴らしさの表現として用いられたものを確認する︒
まずは︑﹁鄰笛﹂型を用いたものである︒
﹁秋夜寄所思︵秋夜に思ふ所を寄す︶﹂ 皇甫冉寂寞坐遙夜︐
清風何處來︒
天高散騎省︐
月冷建章臺︒
鄰笛哀聲急︐
城砧朔氣催︒
芙蓉已委絕︐
誰復可為媒︒
︻大意︼一人寂しく秋の夜長を眠れずに座っていると︑清らかな風がどこからともなく吹いてきた︒散騎省から見
る空は高く︑月は建章台を冷たく照らす︒隣りから聞こえてくる笛の音は悲しげに響き︑砧の音に寒気を催され
る︒芙蓉の花︵女性︶はもう萎れてしまい︑誰が彼女のために媒酌をしてやるだろうか︒
一六九唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ この詩の末尾の二句は︑女性を芙蓉に喩え︑それをさらに自身の境遇に重ねていると思われる︒﹁鄰笛﹂は︑悲しげ
な響き︑感情を催す響きとして用いられており︑﹁亡き友人を悼む﹂という構造は用いられていない︒
また︑主題として笛を詠う作品が二つ見られる︒
﹁詠笛︵笛を詠ず︶﹂ 劉孝孫
涼秋夜笛鳴︐
流風韻九成︒
調高時慷慨︐
曲變或淒清︒
征客懷離緒︐
鄰人思舊情︒
幸以知音顧︐
千載有奇聲︒
︻大意︼涼しい秋の夜中に笛の音が聞こえ︑流れる風が曲の終りを告げる︒曲調が高じれば慷慨の気が湧きおこ
り︑曲調が変われば寂しげとなる︒旅人は故郷や友人と離れがたい思いを感じるものだが︑それは﹁思旧賦﹂に描かれる向秀の思いと同じだろう︒幸い知音と言うべき友人の訪れがあれば︑同じ笛の音も千年に一度とも言う
べき素晴らしい響きとなる︒
この詩では︑様々な曲調︑笛の音色とそれを聞く者の感情の表現の一つとして︑悲しみを﹁思旧賦﹂で表現してい
る︒特定の人物を悼むわけではないが︑悲しい気持ちを描いた代表作として﹁思旧賦﹂が認識されていたと認めるこ
とができる︒
一七〇
﹁詠笛︵笛を詠ず︶﹂ 李嶠
羌笛寫龍聲︐
長吟入夜清︒
關山孤月下︐
來向隴頭鳴︒
逐吹梅花落︐
含春柳色驚︒
行觀向子賦︐坐憶舊鄰情︒
︻大意︼異民族の吹く笛は龍の鳴き声のようで︑日暮れに清く響き渡る︒辺境の関山にぽつんと昇った月の下の響
き︑隴山に響く笛の音︒笛を吹けば梅花は落ち︑その音色は春を思わせ柳を驚かせる︒向秀の書いた﹁思旧賦﹂
を見てみれば︑山陽に行かずともその悲しみに思いが至る︒
第三︑四︑五句にそれぞれ横吹曲﹁関山月﹂﹁隴頭﹂﹁梅花落﹂を詠い込み︑笛によって演奏されたであろう楽府題
とともに︑﹁思旧賦﹂が用いられている︒ここでは︑笛に関わる作品として挙げられているのだろう︒
右の﹁詠笛︵笛を詠ず︶﹂二作に見られるように︑笛の音の素晴らしさを表現するのに﹁思旧賦﹂が用いられる際︑
感情がより音色を引き立てるという構造は︑六朝期にも見られたものである︒しかし︑六朝期が馬融﹁長笛賦﹂とと
もに引かれていたのに対して︑唐詩ではともに引かれず︑﹁思旧賦﹂の描く感情がより強調されることとなっている︒
一七一唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ 第二節 ﹁亡き友人を悼む﹂という構造に準ずるもの 前節で見た例は︑笛の音の素晴らしさを表現する際に︑﹁思旧賦﹂に描かれる感情が重要なものであった︒それは言
いかえると︑特定の人物を悼むのではない場合にも︑﹁思旧賦﹂を用いることができるということである︒本節では︑
特定の人物を悼むわけではないが︑その構造をずらして﹁死者︱生者﹂という関係とは異なる関係で用いられるもの
を見る︒ まずは︑﹁送られる者︱送る者﹂である︒李白﹁題瓜州新河餞族叔舍人賁︵瓜州新河に題し族叔舍人賁に餞す︶﹂の
第十三句から末尾までを挙げる︒
我行送季父︐
弭棹徒流悅︒
楊花滿江來︐
疑是龍山雪︒
惜此林下興︐
愴為山陽別︒
瞻望清路塵︐歸來空寂滅︒
︻大意︼私︵李白︶は叔父︵李賁︶を見送りに行き︑櫂を置いて流れにまかせるままを楽しむ︒楊の花は水面を覆
って流れ︑龍山の雪が流れてきたのかと思った︒かの﹁竹林の游﹂のような興を惜しみ︑山陽の別れを迎えるの
を悲しく思う︒叔父の向かう旅路が清らかであることを眺めやり︑一人帰っては空しさで何も手に付かない︒
この詩では︑別れに際して︑嵆康と向秀のようにもう会うことができないという悲しみを詠っており︑﹁亡き友人を
一七二
悼む﹂という構造に準じるものであり︑その構造をずらして新たな﹁送られる者︱送る者﹂という関係に適用したと
考えられる︒このような送別の場面において︑﹁思旧賦﹂を用いるものが他にも見られる︵
14︒六朝期では見られなか︶
ったこの使用例は︑送別詩が唐代に盛んに作られたことに起因するのだろう︒
また︑次のように離ればなれになっている友人との交友を表す用例も見られる︒李端﹁長安書事寄盧綸︵長安書事︑
盧綸に寄す︶﹂全二十句の内︑第十一から十四句までを挙げる︒
交遊有凋喪︐
離別代追尋︒向秀初聞笛︐
鍾期久罷琴︒
︻大意︼交遊には凋落があり︑離ればなれとなっては代わる代わる思いを馳せる︒向秀が隣りから響いてくる笛の
音を聞いたときのように︑または鍾子期の死後琴を弾くことをやめてしまった愈伯牙のように悲しい︒
﹁向秀初聞笛﹂と対にして用いられる﹁鍾期久罷琴﹂は︑次の故事を典拠とする︒
伯牙が琴を弾き︑鍾子期が聴く︒伯牙が太山をイメージして琴を弾けば︑鍾子期は︑善いね︑まるで太山の如
くに壮大だと言う︒しばらくして流水をイメージして琴を弾けば︑鍾子期は︑善いね︑躍動感があってまるで流
れる水のようだと言う︒鍾子期が亡くなると︑伯牙は︑琴を壊し絃を絶ち︑もう自分の音を聞かせるのに足る者
はいなくなったと悲しみ︑その後︑琴を弾くことはなかった︵
15︶
右の故事によれば︑愈伯牙が鍾子期の死後︑琴の音を理解してくれる人がいなくなり︑弾かなくなったことを︑向
一七三唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ 秀と嵆康の別れに擬えて︑自身︵李端︶と盧綸の交友が絶えてしまったことを言っているのだろう︒ 特定の人物を悼むのではなく︑多くの友人が亡くなったことを表すものもある︒劉禹錫﹁酬樂天揚州初逢席上見贈
︵樂天に揚州にて初めて逢ひし席上贈らるるに酬ゆ︶﹂前半四句を挙げる︒
巴山楚水淒涼地︐
二十三年棄置身︒
懷舊空吟聞笛賦︐
到鄉翻似爛柯人︒
︻大意︼巴や楚の地は寂しい土地であり︑私はそこに二十三年も身を捨て置かれた︒その間亡き友人を思い空しく
﹁思旧賦﹂を吟じていたが︑故郷に戻ってみれば何もかもが変わっている︒
この詩では︑左遷されて過ごした二十三年の間に︑多くの友人が亡くなったことを︑﹁思旧賦﹂を用いて表現してい
る︒また︑﹁懐旧﹂の語は︑潘岳の﹁懐旧賦﹂によるが︑﹁思旧賦﹂と同じく亡くなった人を悼んだものである︒
また︑次のように望郷の念を示すのに用いるものもある︒
﹁樓中閱清管﹂ 韋應物
山陽遺韻在︐
林端橫吹驚︒
響迥憑高閣︐
曲怨繞秋城︒
淅瀝危葉振︐
一七四
蕭瑟涼氣生︒
始遇茲管賞︐
已懷故園情︒
︻大意︼向秀が聞いたような山陽に残された響きが聞こえ︑林の傍で笛の響きに驚く︒その響きは遥か遠く高殿に
つきまとうようで︑恨めしげな曲は秋の街にまとわりつくようだ︒そよそよと風のように散りそうな葉を揺り動
かし︑寂しげな曲調からは冷気が生じるかのようだ︒それはこの笛の音を聞き始めたときには︑すでに故郷への
思いが胸に生じていたからだ︒
この詩では︑特定の人物を悼んではいないが︑望郷の念をかき立てるものとして笛の音が用いられている︒﹁思旧 賦﹂のかつてともに遊んだ友人を悼むという構造が望郷に形を変えているのだろう︵
16︒︶
以上︑特定の人物を悼む作品以外の︑﹁思旧賦﹂に基づく典故を用いた唐詩を見てきた︒六朝期に見られた笛の音の
素晴らしさの表現として用いられるものは引き続き見られ︑さらに︑﹁思旧賦﹂に描かれた向秀の﹁亡き友人を悼む﹂
という構造をずらし︑﹁死者︱生者﹂という関係とは異なる関係で﹁思旧賦﹂を用いるものが見られた︵
17︒笛の音の︶
素晴らしさの表現としての﹁思旧賦﹂は︑音楽から感情へという﹁思旧賦﹂の成り立ちを︑﹁思旧賦﹂に描かれる感情
によって音楽の素晴らしさを示すという形で用いたものであり︑異なる関係で﹁思旧賦﹂を用いたものは︑﹁亡き友人
を悼む﹂という構造を転用したものと考えられる︒両者はともに︑﹁思旧賦﹂そのもの︑あるいは六朝期の作例の延長
線上にあるものと考えられる︒特に後者は︑詩作の対象となる事物が増えたことが促した変化と言えるだろう︒
唐詩に見える﹁鄰笛﹂型︑﹁山陽﹂型︑﹁聞笛﹂型の諸表現は︑用いられる語と特定の意味とが結びつくことは見ら
れなかった︒いずれも意味上︑交換可能なものと考えてよいのではないだろうか︒
一七五唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶
第二章 ﹁鄰笛﹂の増加の要因
前章では︑唐詩に見られる﹁思旧賦﹂に基づく典故の意味を見た︒六朝期と唐代において︑選択される語の状況を確認すれば︑六朝期では多くが﹁山陽﹂型で用いられており︑﹁鄰笛﹂型は二例を数えるのみであったが︑唐代に入る
と﹁鄰笛﹂が用いられる割合が大幅に上がり︑﹁鄰笛﹂型十九首︑﹁山陽﹂型十二首となる︒そして︑近体詩に限れば︑
その数は﹁鄰笛﹂型十四首︑﹁山陽﹂型七首と︑より﹁鄰笛﹂型の割合が増加する︒また︑意味的な面での差異は見ら
れないため︑本章では︑﹁鄰笛﹂型の増加について韻律の面から要因を考察する︵
18︒︶
以下に︑近体詩に見られる﹁鄰笛﹂型︑﹁山陽﹂型の作例を平仄付きで挙げる︵平声○︑仄声●︶︒ ﹁鄰笛﹂型
○○○●●︐○●●○○
劉長卿﹁哭張員外繼﹂︵秋風鄰笛發︐寒日寢門悲︒︶
○○○●○○●︐○●●○●●○
﹁過裴舍人故居﹂︵籬花猶及重陽發︐鄰笛那堪落日聽︒︶
●●○○●︐○○●●○
杜甫
﹁奉漢中王手札報韋侍御蕭尊師亡﹂︵處處鄰家笛︐飄飄客子蓬︒︶
●○○●●︐○●●○○
李德裕﹁無題﹂︵不勞鄰舍笛︐吹起舊時悲︒︶
○●○○●︐○○●●○
皇甫冉﹁秋夜寄所思﹂︵鄰笛哀聲急︐城砧朔氣催︒︶
一七六 ●○○●●︐○●●○○
耿䘩 ﹁哭苗垂﹂︵月斜鄰笛盡︐車馬出山陽︒︶
●○○●●︐○●●○○
武元衡﹁經嚴秘校維故宅﹂︵不堪投釣處︐鄰笛怨春風︒︶
●○●●○○●︐○●○○●●○
白居易﹁聞樂感鄰﹂︵尚書宅畔悲鄰笛︐延尉門前歎雀羅︒︶
●●○○●○●︐●○○●●○○
許渾
﹁重遊練湖懷舊并序﹂︵日暮長堤更回首︐一聲鄰笛舊山川︒︶
○○●●○○●︐●●●○●●○薛能
﹁京中客舍聞箏﹂︵當時向秀聞鄰笛︐不是離家歲月深︒︶ ●●○○●○●︐○○○●●○○
方干
﹁題故人廢宅二首﹂其の二︵薄暮停車更淒愴︐山陽鄰笛若為聽︒︶
●●○○●︐○○●●○
羅隱
﹁倚櫂﹂︵倚櫂聽鄰笛︐霑衣認酒壚︒︶
○●○○●●○︐●○○●●○○
王駕
﹁過故友居﹂︵鄰笛寒吹日落初︐舊居今已別人居︒︶
●○●●○○●︐○●○○○●○
盧尚書﹁哭李遠﹂︵不堪舊里經行處︐風木蕭蕭鄰笛悲︒︶
﹁山陽﹂型 ●●○○●︐○○●●○
一七七唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ 杜甫
﹁過故斛斯校書莊二首﹂其の二︵遂有山陽作︐多慚鮑叔知︒︶
●●○○●︐○○●●○
錢起
﹁經李蒙潁陽舊居﹂︵獨有山陽宅︐平生永不䣻
︒ ︶
●●○○●︐○○●●○
耿䘩
﹁太原送許侍禦出幕歸東都﹂︵莫向山陽過︐鄰人夜笛悲︒︶
○○●●○○●︐●●○○●●○
竇牟
﹁奉誠園聞笛﹂︵秋風忽灑西園淚︐滿目山陽笛裏人︒︶
●●○○●○●︐○○●●●○○︵
19︶
劉禹錫﹁傷愚溪三首 其の三﹂︵縱有鄰人解吹笛︐山陽舊侶更誰過︒︶
○○●●○○●︐○●○○●●○
許渾
﹁同韋少尹傷故衛尉李少卿﹂︵何須更賦山陽笛︐寒月䗻西水向東︒︶
●●○○●○●︐●○○●●○○
羅隱
﹁經故友所居﹂︵日暮街東策羸馬︐一聲橫笛似山陽︒︶ 右に挙げた作例には︑以下の傾向が見られる︒
① すべての詩が正格である平声で押韻している︒
②
二字の﹁鄰笛﹂型は奇数句七例・偶数句六例と︑どちらにも用いられるが︑﹁山陽﹂型は︑三字の場合は奇数
句︑四字以上または﹁山陽﹂と加えられる語が離れている場合は偶数句に置かれている︒③ 三字の﹁鄰笛﹂型は︑二例のみで︑奇数句に置かれる︒
一七八 ﹁鄰笛﹂型と﹁山陽﹂型の大きな相違点は︑﹁鄰笛﹂型が二字で﹁思旧賦﹂を指し得るのに対して︑﹁山陽﹂型は三字
以上必要とする点である︒五言句と七言句の韻律の区切りは︑﹁
2
+3
﹂ ︑ ﹁4
︵2
+2
︶+3
﹂が一般的である︒韻律の区切りと意味の区切りが異なる作品は六朝期にはしばしば見られるが︑唐代に入るとほとんど見られない︒以上を
もとに︑近体詩の規則︵二四不同︑二六対︑下三連不可︑孤平・孤仄不可︶を守って﹁山陽﹂型︵一番作例の多い三
字で︶を用いた場合︑五言・七言では︑それぞれ次のような平仄式となる︵
20︒︶
●●○○● ○○●●○○●
五言 □□山陽笛 七言 □□□□山陽笛 ︵□=任意の語︑以下同じ︶
対して︑同様に﹁鄰笛﹂型を用いた場合は︑次のようになる︒
○●●○○ ○●●○○●●
五言 A鄰笛□□□ 七言 A鄰笛□□□□□
●○○●● ●○○●●○○
B□□鄰笛□ B□□鄰笛□□□
●●○○● ○●●○○●●
C□□□鄰笛 C□□□□鄰笛□
○○●●○○●
D□□□□□鄰笛
一七九唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ 三字の﹁山陽﹂型を用いた場合︑五言﹁
2
+3
﹂︑七言﹁2
+2
+3
﹂の﹁3
﹂にしか置くことができず︑五言・七言ともに一パターンしかできないが︑二字の﹁鄰笛﹂型を用いた場合︑﹁
2
﹂にも﹁3
﹂にも置くことができるため︑五言で三パターン︑七言で四パターンできる︒さらに︑﹁山陽﹂の二字が﹁平平﹂の組み合わせであることから︑﹁下
三連不可﹂を避けるために﹁平平仄﹂の組み合わせを作るしかなくなり︑加えて︑平声で押韻することを考えると︑
三字の﹁山陽﹂型は︑奇数句の末尾にしか置けないことになる︒それに対して︑二字の﹁鄰笛﹂型や﹁山陽﹂と加え
られる語を分けて用いる場合は︑押韻の束縛から逃れ︑奇数・偶数のどちらにも置くことができる︒つまり︑二字・
三字という違いと平仄によって置き場所が考えられていると判断される︒
二字の﹁鄰笛﹂型が置かれるのが奇数句・偶数句ほぼ同数であったのに対し︑二例だけでの判断は難しいが︑三字
の﹁鄰笛﹂型は奇数句にのみ置かれている︒これは︑﹁笛﹂という仄声字を熟語の末尾に持つという共通点から︑三字
の﹁山陽﹂型︑二字の﹁鄰笛﹂型︑三字の﹁鄰笛﹂型の三者で比べた場合︑措辞の点で三字の﹁鄰笛﹂型は三字の﹁山
陽﹂型により近い熟語であると認識されているのだろう︒この点も︑﹁山陽﹂型と﹁鄰笛﹂型を分ける要因として︑そ
の字数が重要であることを示している︒
さらに︑意味の点では︑﹁笛﹂や﹁賦﹂などを付け加えず︑右の二例で用いられる﹁隣家﹂︑﹁隣舎﹂の二字だけを見
て︑﹁思旧賦﹂に思い至ることは少ないだろう︒﹁山陽﹂のみの場合も同じである︒前章までで見たいくつかの例では︑
﹁笛﹂から﹁思旧賦﹂へと連想されていた︒つまり︑﹁思旧賦﹂において笛は非常に重要な要素であり︑同様に向秀の作品を示す語︵﹁賦﹂や﹁篇﹂など︶を用いることで﹁思旧賦﹂に基づく典故が成立すると考えられる︒
加えて︑六朝では五言が主流であったが︑唐代へ入ると︑七言の作品数が増えていく︒七言詩の場合︑二字の重要
性がより増すことは贅言を要さない︒
それでは︑近体詩で見られた傾向は︑古体詩でも見られるのだろうか︒
一八〇 ﹁鄰笛﹂型
○○○●●︐○○○●○
孔紹安﹁傷顧學士﹂︵何言陵谷徙︐翻驚鄰笛悲︒︶
○●○○●︐○○○●○
盧藏用﹁宋主簿鳴皋夢趙六予未及報而陳子云亡今﹂︵無復平原賦︐空餘鄰笛聲︒︶
○●○○●○○︐●○○●●○○
杜甫
﹁追酬故高蜀州人日見寄并序﹂︵長笛鄰家亂愁思︐昭州詞翰與招魂︒︶
●○○●○○●︐●●○○●●○
錢起
﹁哭曹鈞﹂︵一聲鄰笛殘陽裏︐䥵酒空堂淚滿衣︒︶
○○●○●○●︐○●●○○●○
段成式・鄭符﹁題璘公院﹂︵泉臺定將入流否︐鄰笛足疑清梵餘︒︶
﹁山陽﹂型
●○○○●︐●●●○○
陳子昂﹁同宋參軍之問夢趙六贈盧陳二子之作﹂︵遠聞山陽賦︐感涕下沾裳︶
●●○●○︐●○○○●
李白
﹁題瓜州新河餞族叔舍人賁﹂︵惜此林下興︐愴為山陽別︒︶
○○○●●︐○○○●○
韋應物﹁樓中閱清管﹂︵山陽遺韻在︐林端橫吹驚︒︶
●○○○●︐●●○○●
李端
﹁慈恩寺懷舊﹂︵緬懷山陽笛︐永恨平原賦︒︶
一八一唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶
○●○○○●●︐○○●●●○○
司空曙﹁殘鶯百囀歌同王員外耿拾遺吉中孚李﹂︵金穀箏中傳不似︐山陽笛裏寫難成︒︶
﹁鄰笛﹂型は﹁
2
+3
﹂ ︑ ﹁2
+2
+3
﹂の﹁2
﹂ ︑ ﹁3
﹂いずれにも置かれるのに対し︑三字の﹁山陽﹂型は︑﹁3
﹂に限定されている︒しかし︑奇数句だけでなく偶数句にも置かれている︒また︑古体詩であるため︑﹁下三連不可﹂は
守る必要はないが︑三字の﹁山陽﹂型は︑いずれも﹁平平仄﹂の組み合わせとなっている︒これは︑語のレベルでの
平仄は気にしているが︑句以上のレベルの平仄や平声による押韻は気にしていないためだろう︒そのため︑二字の﹁鄰
笛﹂型の優位性は見られない︒つまり︑唐詩における二字の﹁鄰笛﹂型の優位性は︑三字の﹁山陽﹂型に対する限定
に負っており︑換言すれば︑近体詩の規則による制限によって︑二字の﹁鄰笛﹂型は優位性を持つに至ったというこ
とである︒
以上の考察によれば︑典故としての﹁思旧賦﹂は︑六朝から唐代にかけて︑顔延之﹁五君詠﹂に用いられた﹁山陽
賦﹂という語を規範とし︑﹁山陽﹂型でひとまず定着し︑さらに︑詩という表現形式が︑五言から七言へ︑古体から近
体へと変化を遂げるのに伴い︑三字から二字へと形を変えて︑詩語﹁鄰笛﹂が成立したかのように見える︒
お わ り に
六朝から唐にかけて︑詩作品に﹁思旧賦﹂を典故として用いる際︑その多くが﹁鄰笛﹂型と﹁山陽﹂型という二つ
の選択肢を選ぶ︒しかし︑﹁山陽﹂型が常に一定の割合をもって用いられるのに対し︑﹁鄰笛﹂型は六朝期には二例し
か見られず︑唐代に入って飛躍的に数を増やした︒それは︑詩という表現形式の整理に伴い︑近体詩の規則に沿った
措辞を行うという︑詩人が新たな局面に直面した結果であると考えられる︒﹁鄰笛﹂型と﹁山陽﹂型に意味上の用い分
一八二
けが為されていないことも︑韻律による制限があったことを示しているだろう︒
意味の面で言えば︑六朝期で見られた︑﹁亡き友人を悼む﹂という構造と﹁笛の音の素晴らしさ﹂を讃えるという二
つの意味に加え︑﹁亡き友人を悼む﹂という構造の﹁死者︱生者﹂という関係をずらし︑さらなる意味を派生させた
作品が見られた︒このようなずらしこそ︑典故というテクニックの運動だろう︒
﹁山陽﹂型を用いたものが唐代に入っても一定量見られることは︑唐代に﹃文選﹄が言わば﹁君子必読の書﹂となる
に至ったことが大きな要因と推測される︒﹃文選﹄には︑向秀﹁思旧賦﹂を始め︑﹁竹林七賢﹂と呼ばれる人物の作品
が収録されており︑また︑詠史詩として彼らを詠った顔延之﹁五君詠﹂も採録されている︒ここから推測するに︑﹁山
陽﹂型での詩語の使用に対しては︑﹃文選﹄に採録された顔延之﹁五君詠﹂の影響力が大きかったのではないだろうか︒阮籍の﹁途窮﹂など顔延之﹁五君詠﹂の語句が唐詩にしばしば見られることも考え合わせれば︑右の推測は一定
の確度を持ち得るだろう︒
注
︵
1︶拙稿﹁六朝詩における﹃思旧賦﹄﹂︵﹃人文研紀要﹄第八五号二〇一六年九月三〇日五三〜八二頁︶︒
︵
2︶引用は䶰欽立輯校﹃先秦漢魏晋南北朝詩﹄︵北京︑中華書局︑二〇〇六年一月︑第一版北京第五次印刷︶による︒配列も﹃先
秦漢魏晋南北朝詩﹄に従った︒
︵
3︶詩本文には﹁鄰笛﹂を含まないため︑以後の考察の対象からは除く︒
︵
4︶特に断りのない限り︑本稿では唐詩の引用に﹃全唐詩﹄を用いる︒
︵
5︶題下注に﹁公及夫人相次沒于洪州﹂とある︒
︵
6︶﹁誰能﹂は一に﹁鄰家﹂に作るのに従った︒
︵
7︶詩題は一に﹁過故友墓﹂に作る︒
︵
8︶﹁鄰笛舊山川﹂は一に﹁蟬續一聲蟬﹂に作る︒
︵
9︶﹁園﹂は﹁馬侍中故宅﹂と注されている︒
一八三唐詩における﹁思旧賦﹂︵河野︶ ︵ 10 ︶詩題に﹁聞笛﹂を含む作品は唐詩に多く見られ︑唐人に好んで用いられた詩題であると考えられる︒その大多数は﹁思旧賦﹂
とは関わりがなく︑辺塞詩の趣きを持つものが多いが︑﹁思旧賦﹂を意味するのに用いられる例も少数ながらある︒この点に関
しては︑八世紀に成立したとされる﹃蒙求﹄に︑﹁向秀聞笛︐伯牙絕弦︒﹂とあることから︑八世紀には︑﹁向秀﹂︵あるいは﹁思
旧賦﹂︶と﹁聞笛﹂が繋がりを持っていたと考えられる︒
︵
11 ︶当然︑現在伝わる詩のみが︑諸詩人の作品すべてではない︒よって︑本稿は︑現存する作品による考察という限定的な考察
となる︒
︵
12 ︶詩題に﹁傷﹂などを冠していないが︑許渾﹁重遊練湖懷舊并序﹂は︑その序に﹁余嘗與故宋補闕次都夕遊永泰寺後湖亭︒今
復登賞︑愴然有感︑因賦是詩︒﹂とあることから︑﹁亡き友人を悼む﹂作品と考えられる︒同様に序から﹁亡き友人を悼む﹂作
品に︑段成式・鄭符の連句﹁題璘公院﹂がある︒また︑竇牟﹁奉誠園聞笛﹂も注︵﹁園︐馬侍中故宅︒﹂︶によれば︑﹁亡き友人
を悼む﹂作品だろう︒また︑詩の内容から︑陳子昂﹁同宋參軍之問夢趙六贈盧陳二子之作﹂︑李端﹁慈恩寺懷舊﹂︑司空曙﹁殘
鶯百囀歌同王員外耿拾遺吉中孚李端遊慈恩各賦一物﹂も同構造を用いたものと考えられる︒
︵
13 ︶﹁太史公曰夫以汲︐鄭之賢︐有勢則賓客十倍︐無勢則否︐況䱾人乎!下䶺翟公有言︐始翟公為廷尉︐賓客䌝門;及廢︐門外
可設雀羅︒翟公復為廷尉︐賓客欲往︐翟公乃人署其門曰﹁一死一生︐乃知交情︒一貧一富︐乃知交態︒一貴一賤︐交情乃見︒﹂
汲︐鄭亦云︐悲夫!﹂︵﹃史記﹄﹁汲鄭列伝﹂︶︒
︵
14 ︶例えば︑耿䘩﹁太原送許侍禦出幕歸東都﹂等︒
︵
15 ︶原文﹁伯牙鼓琴︒鍾子期聽之︒方鼓琴而志在太山︒鍾子期曰︒善哉乎鼓琴︒巍巍乎若太山︒少選之間︒而志在流水︒鍾子期
又曰︒善哉乎鼓琴︒湯湯乎若流水︒鍾子期死︒伯牙破琴絶弦︒終身不復鼓琴︒以為世無足復為鼓琴者︒﹂︵﹃呂氏春秋﹄﹁本味﹂︶︒
︵
16 ︶同様に望郷の念を示すのに用いたものとして︑薛能﹁京中客舍聞箏﹂がある︒
︵
17 ︶その他に︑積極的に﹁思旧賦﹂に描かれる感情を示しているのか判断に迷うものがある︒全詩を挙げておく︒羅隱﹁倚櫂﹂
﹁倚櫂聽鄰笛︐霑衣認酒壚︒自緣悲巨室︐誰復為窮途︒樹解將軍夢︐城遺御史烏︒直應齊始了︐傾酌向寒蕪︒﹂︑李德裕﹁無題﹂
﹁松倚蒼崖老︐蘭臨碧洞衰︒不勞鄰舍笛︐吹起舊時悲︒﹂︒
︵
18 ︶論旨を明確にするため︑考察対象は主に使用される﹁鄰笛﹂型と﹁山陽﹂型に絞り︑あまり用いられない﹁聞笛﹂等その他
の表現は考察の対象からはずす︒
︵
19 ︶﹁歌韻﹂による押韻のため︑平声となる︒
一八四
︵
20 ︶論旨を明確にするため﹁救拗﹂等は考慮に入れない︒