「障害児」 の 入 間 発達
教育臨床心理研究室 吉 田 昭 久
はじめに
「障害児」の人間発達ということで,小論を書くように編集委から要請を受けた時に,「障害児」を どの範囲で捉え,人間発達という問題をどのような視点から見て行き,どういう観点からその関連を付 けて行くか,といった問題を考えても見ずに引き受けたのですが,いざ書こうと改めて課題に向ってみ ると,大変に難しい問題を多層に持つことに気づきます。
まず,「障害児」というとき,盲,聾,肢体不自由,精神薄弱,病虚弱,精神障害といった大ざっぱ 1)
な障害別の分類 に基づく見方が成り立っていますし,医学・生理学的観点を加えて,視覚障害,聴覚 障害、身体機能障害,知的機能障害,精神的機能障害といった,人間の持つ諸機能の障害に着目する見 方%あります。
しかも,これらの障害別分類に,その各々について障害の程度を加えて見なければなりませんから,
いよいよ「障害児」といった「ことば」で括るには,あまりにも問題があり過ぎるようです。
まit ,現在「障害児」といわれているような子ども達は,従来どのように見られて来たかと言えばfi
「めくら」「つんぼ」「びっこ」「ばか」「のろま」「よわむし」等々と呼ばれて来たわけで、種々の
「学問的」分類概念を用いて「障害児」をどう呼ぼうと,ある一人の「障害児」についてみれば、今も 昔も大差ない現実を背負って生きているわけで,「障害児」は,「手のかかる」「やっかいな」「危険 な仔どもとして見られている3)こと嗣の変りもありません。髄が軽ければ子どもに対する肪は
相対的には厳しくなくなり,程度が重ければ加重されて見方が厳しくなる・という違いを持つに過ぎま
せん。
このような「障害児」観,言ってみれば「人間観」の基底に根深くあるものは,私をも含めて,人々 の多くが人間を測る尺度として持つ一定の準拠枠と関連しているように思われます。それは,可能性の 尺度としての「出来る一出来ない」,速度性の尺度としての「速い一遅い」,巧緻性の尺度としての
「綺麗一糠ない」「旨い一拙いj,有効性の尺度としての「便利な一不便な」「要る一要らない」,強 靱性の尺度としての「強い一弱いjといったもので,このような尺度の,高い価値に位置づける方向で 人間を見る見方を,私達は広い意味での教育を通して組み立てて来てしまっているわけです。
このような「価値観」の形成は,人間が文化的社会的に価値づけられて見られるようになって来た歴 史的背景を持つわけですが,同時にまた,それは,文化や社会を測る尺度としても用いられて「現代」
を構造して来たものでもあったのです。
そこでは,「障害児」はあらゆる点で「出来ない」「遅い」「臓ない」「拙い.1「不便な」「要らな
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い」「弱い」存在として位置づけられざるを得なかったし,障害の程度の加重と比例して,その位置づ けも厳しいものとならざるを得なかったのです。
このように見て来ると,「障害児」の問題を考えていく際には,個別具体的な対応の中身を吟味する 場合を除いて,障害別に,あるいは障害の程度に即して問題を考えてみても,ほとんど意味のないこと になります。どのような「障害児」であろうと,どの程度の障害を持つ子であろうと,そこには「こと ば」の厳密な意味において,一人の人間,一人の子どもが存在するだけです。
このような「障害児」の見方に対して,非科学的な観念的な見方で,しかも無責任な立場だとする批 判ののあることは鞠の上で,ここでCま.,私自身の日常の門門繭樋して出会し・,か回った,
具体的に存在し生きる数十名の「障害児」の事例を一つ一つ想起しながら,与えられだ課題について 考察してみようと思います。
子どもの生長にとって必要なもの
人間を「発達」という概念の上で捉える見方は,心理学ばかりではなく,教育学など他の人間に関す る問題を取り扱う学問領域においても,一般的なことのように思われます。しかもこの概念は,文化や 社会における諸事象を価値的に位置づける概念としても,一般的に用いられていて,「発達jすること は,人間にとっても,文化e社会にとっても必要であり,必然であるとする大前提の上に成り立ってい るものであることが分ります。
このような従来からの「発達観jに懐疑が投げかけられ,「発達」という概念の持つイデオロギ…一性 や価値野離についての締がなされ始めていますP
「発達」という概念がイデオロギー性を持ち価値志向性を持つ「ことば」として用いられているとす れば,相対的に,方向が逆である場合や位置づけが対極におかれるようなものは,低い,価値のないも のとならざるを得ないことになります。しかもそれは,人間に関して用いられる時には,ヒュ ・・dマニズ ムやデモクラシイの思想と抵触して来ますから,「ことば」の粉飾が種々行なわれることにならざるを 得ません。
それにしても,人間の生誕から死までの全過程を何と「ことば」化するかは問題となります。ここで は「ことば」の厳密な検討をする余裕がありませんので,人間としての生命の開始からその伸長と消滅 の全過程を,「生長」という「ことば」を用いて問題を考えてみたいと思います。それは,「発達」と いう概念にイデオロギー性を見てとる以上,その「ことば」の持つ中身と関連なしに「ことばjは使用 できないとする立場に立ちたいと考えているからです。
入間の生まれ一死ぬ全過程は,まさしく「生きる」知恵の獲得の過程と言えそうです。母体の内にあ る、ケ肋胎児ですら嘲渤として嘲巳とも考えられ襯想いを始めますしρ生訟の,さまざま な活動や行動に結びつく知恵の獲得の早さには驚くべきものがあります。
子どもカ㍉生長の過程で獲得して行く「生きる」知恵とはどのようなものかを考えてみますと,第一 には,子どもの具体的生活場面において,子どもが自分の周りに起って来る諸事象に対応する行動性を・
その子なりの力量として身につけて行くということであり,第二には,子どもの周りに布置される人間 関係の中で,他者との関係性の取り方をその子の在り様に即して把握し,造り出して行くことであり,
第三には,子どもの日常生活の全場面において,その子なりの「生きる」意欲を持続することという
ことになります。
S¥9 一一の点では,泣く,笑うという水準から始まり,動かす,動くという水準を通過して,より統御さ れた水準として,自分と諸事象間との距離を計り,関係づけを行ないながら行動するところまで行きま すし,第二の点では,母親との肉体的直接的接触から始まり,家族,近隣,地域・学校というような広 がりを持ちます。第三の点では,母乳の吸引、排泄といった水準から始まり,さまざまなものに、その 子なりの興味や関心を示し,さらには知識や認識の拡大を意欲するといった水準にまで至ります。
このような「生きる」知恵の獲得の過程は,かならずしも歴年令と相関しません。それは「生きる」
知恵の獲得の過程に,家族内人間関係の問題や,文化的,社会的状況が,阻害要因としてはたらくから
です。
現代社会に生きる子ども達は,あらゆる事態に即応できるような「生きる」知恵の獲得を,親子関係 の在り方や地域内人間関係の変貌やマス・メディアの影響といった点で,大きく阻まれています。最近 の親子関係の一つの特徴は,親と子の間における相互依存性ですし、地域内人間関係の特微は,関係性 の稀薄化,孤立化です。また,不必要な情報の氾濫は,子どもの認識形成過程に影響して来ていますし、
画一化の現象を描き出して来ています。
子ども達に具現することが要求されている自立や自律は,要求する大人の側によって,大入と子ども とが共有する家庭生活場面,地域e学校生活場面といった場面において,丁寧に阻止されています。
私自身も幼き日に体験した,B本の子ども達の世界にあった自立・自律の自主的訓練の場には,いろ いろなものがありました。
そのようなものの一つに,群馬県地方では,「どんどやき」と言う行事があり,子ども達はわらと竹 とで冬の稲刈りのすんだ田に,自分たちだけで,1◎人近くは入れるようなわら小屋を造り,その小屋 の中で,近隣の家々からもらい集めて来た里芋やこんにゃくといった食べ物を鍋で煮て食べ,その後で,
正月の飾り物や書初めをわら小屋に差して火を付けて燃やすのです。そこでは、この行事の計画から実 施までの一切を。子ども達自身の手で行っていたのです。地域の子ども達の行事のことですから,年令 構成は,ほんのチビから小学校6年生ぐらいまでで構成されていて,年長の子どもがリーダーシップを
とり,チビ共をかばいながら行事を実施したのです。
この種の子どもが自主的におこなう行事は,他にもいろいろとあったわけですが,その中で、タバコ を吸うというような,大人の側からみた種々の問題があったことも確かなことです。しかし,「角を矯 めて牛を殺す」の類で、このような行事の衰微は、子どもの世界から,子どもの自立・自律性を高め成 長させる場を消失させて来てしまったのです。
r障害児』の生長にとって必要なもの
子どもの世界から,子どもの生きる現実に対応する力量を積み立てて行く場が消失して来たというこ とは,相対してさらに厳しく「障害児」にとっての生活の場が失なわれて来たことをも意味します。子 どもの世界における地域内人間関係の稀薄化は,「障害児」を家族の内に,あるいは施設の中へ閉じ込 める結果となりました。
私自身の体験に照らせば,今「障害児」として位置づけられるであろう子どもとの,地域内、学校内 でのかかわり合いを,数多くの場面に連合させて想起することが出来ます。彼らは,彼らを包み込む集
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団の中で,時に「ばか」にされ,「のろま」「よわむし」と嘲られることはあったにしても、その力量 に即した役割や位置を得ることが出来たのです。それは.兵隊ごっこの申であったり,群馬県地方で,
「かいぼり」と呼ばれる泥購取りなど,地域や学校で展開される遊びの中ででした。
しかし,現在の程度で言ったら,軽度とされるであろうこれらの子ども達とは別に,現在の基準で重 度・最重度と位置づけられる子ども達がどのように生きていたのかについてはe私自身の体験の中から 拾うことは出来ません。ただ,母の実家のあった部落の中に,現在の分類で言えば重度の「知的機能障 害」の女性がいて,部落内の幼児の子守りを引き受けて生きていた事実を思い起すことは出来ます。
そして,また,重度・最:重度の「障害児」や「障害者」が、座敷牢に閉じ込められて生きていたという 事例のあったことを隠蔽してs現在の「障害児」の問題を考えようとは思いません。
「障害児jの問題を考えていく際には,典型的な例を上げて考えてみることで,事の本質に迫れるも のと思い窪すから,寝たきりの最重度「障害児」の場合を想定して考えてみることは、意味のないこと ではないでしょう。
寝たきりの最重度「障害児」の場合,多くは重複した障害を持っていますが,言語も持たず動くこと も出来ない人間を、何を基盤として人間と言うか,といった問題に突き当りますし,また彼らにとって
「生きる」ということの意味は何であり,生長とはどういう事なのかを考えてみなくてはなりません。
過日,ある国立療養所の老人リハビリテーション病棟を訪ねたところ,そこには、まさしく寝たきり 老人が多数収容されていて,しかも,それら老人達の多くは、脳溢血,脳血栓などによる言語障害を持 っています。言語に不自由し,自分からは動けず,排尿便を看護婦に始末してもらっている状態は,人 間の初期的状態即ち赤ん坊の状態と相似しています。これは,また,最重度「障害児e者」の収容施設
において見られる情況とも重なります。
最近の核家族化,マイホーム主義と言われる風潮の中で,老入は家族の中から弾き出される状況が起 って来ており、老人問題は社会政策における一つの中心課題となって来ているわけですが,さらに,老 入が寝たきりの状態になると,家族内人間関係からあるいは居住環境条件から,施設収容を余儀無くさ れる老人が出て来ており,その数は増加の一途をたどっています。
このような情況は,そっくりそのまま重度・最重度「障害児・者」の置かれている情況に重なって来 ます。即ち、現代社会に生きる人間にとって,「年老う」ことと「障害を持つ」こととは,「生きる」
水準において同じ位置を占め始めていると言っても良いのでしょう。重度・最:重度「障害児」もまた,
医療や処遇の名目の下に,家族から,地域から弾き出されて施設収容となって行くわけです。
曽てあった家族内・地域内における老人の受け入れと,そこにあった人間的な「殊更でない配慮」は 姿を消し,「特別な手当]が必要とされざるを得ぬ老人が増加して来ている現状は、また「障害児jの
「生きる」状況でもあるわけです。
老人にとっての「生きる」意味も,「障害児jにとっての「生きるj意味も,人の一生という観点か らすれば,同じ重みを持つものであるに違いありません。
ナチスドイツの強制収容所での生活体鹸を持ち,その厳しい条件下で生ききったフランクルは,人間
が「生きる億回調うことの醸謝旨鮒ると同時に,旧きる二二噂さを強調していますP
老人や「障害児・者」の持つ「生きる」意志を,私達が疑うとすれば,私達はそこで既に,本来人間の 持つ想像力豊かな感性を,枯渇させてしまっている証拠となるでしょう。
「障害者」にとっての生きざまは,私達の生きざまと差違のありようはずがなく,一人の人間として の「在り様」の違いに過ぎませんし、「障害者」は,障害を持ったままに「生きる」ということである に過ぎません。
即ち,「障害児」の生長にとって必要なことが殊更にあるわけではなく,私達人間の生長にとって必 要とされるものは,「障害児」にとってもまた必要なことなのです。私達が極あたりまえに,家族や地 域・学校といった,人の集合の中で「生き一死ぬ」過程は,「障害児」にとっても必要なことであるこ とは 「障害児・者」の側からも願いとして主張されて来ていますρ
心理臨床活動の中で,私は,「障害児」がrみんなと共に」育ち,教育され,「生きる」ことを前提 とした,塒害児」とのかかわりを持って来ています袈こではt「轄児凱どのように「生きる」
知恵を獲得し,伸長して行くのかを見ることができましたし,「障害児」の生きざまに感動し肯定する ことができるようになって来ています。
心理臨床実践における事例から学ぶもの
心理臨床に携わる者が,「障害児」の入間的生長の問題を考える上で欠くことの出来ない事はseg 一 に,どれだけたくさんの事例に接し,観察し,記述出来たか言うことでしょうし,第二には,どれだけ 長期にわたってかかわりを持った事例の予後を見通し,子どもの生活の中に新しいものを導出出来たか ということです。さらには,事例の周りに生起する,あるいは,事例を取り巻く状況因が、どれだけ的 確に捉えられ、その状況因にどれだけ介入出来たかといったことが重要になると考えています。
ここでは、数例を上げて、「障害児」がどのような条件で生長を果たすのか,どのような人間的かか わりの中で,その子なりの力量を獲得して行くのか、といった問題を考えてみたいと篤います。全事例 とも現にかかわりを持つ子ども達であり、また臨床事例報告の常として、事例の全貌を紹介することは 出来ません。なお,全事例とも就学以前からかかわりを持ち始め,現在に至っています。
0.K、 9才 男子 小学校2年中 病院診断名 自閉症
「あおいそらの会押(肝「創と省略)1こ絵当初は論なく鋤.一つの偽・賭し, Nee
をも含めて対人接触を拒否。一年の就学猶予の後,小学校入学。普通学級にてほぼ支障なく過し現在に 至る。学習面においても特に問題はない。
この事例では、まず受け入れてもらえる幼稚園を捜し,健常児の中で対人関係の確立を図ったわけで すが,通園した幼稚園の受け入れ体制がきわめて良く,在園中に必要な言語は使用するようになり,小 学校入学後も,教師の板書をノートするくらいの力を獲得して来ています。ただし,教室内での対人 関係のとり方はうまく出来ていません。
この事例が対人関係を取る切っ掛けを作ったのは,夏の合宿のカレーライスを料理する場面で,おかあ さん達の間に混じ。(庖丁を使いじゃがいもを切った事からでした。また,この事例の場合、地域内での 受け入れも悪くなく,極あたりまえの子として日常生活を過せています。
Y。S. 9才 男子 小学校3年生 病院診断名 自閉症
会に入会当初は,言語による交渉ほとんどなく,数字の復唱にのみ言語反応する。カレンダーmの数字 に強い興味を示し,カレンダーのある所ならどこへでも侵入して行く。対入関係を取るのは,カレンダ ーのある所へ案内する時のみ。会への通所の往復に,一症の道順を通過しないと行動暴発を起こす。多
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動。幼稚園:通園後小学校普通学級入学。何の問題もなく現在に至る。
この事例の場合も,極あたりまえの子どもの生活を体験する中で1行動の統制力をつけて行くことを 狙い,幼稚園への入園を図りました。最終的には受け入れてもらえたのですが,交渉当初は,「障害児」
の受け入れにかなりの抵抗感を示し,受け入れの条件として毎日の通園に私のゼミナールの学生諸君が 対応することになりました。
入園時には園の活動に参加せず,一人で砂場で遊んでいたり,職員室のカレンダーの数学を眺めて過 す日が続きましたが,次第にクラスの中に入るようになり,園児とのかかわりを持つようになって,二 年目からは,付き添いの学生諸君は遠くから眺めていれば良い状態となり,言語を使っての対人関係も とれるようになりました。小学校入学時の検診も特に問題にされることもなく通過し。入学後は国語,
算数の学習に興味を示し,現在ではノートもきちんと取れる程のカを獲得するまでに至っています。
以上の二事例は,普通の子どもの持つ生活力を身につけて行っfgわけですが,二事例とも,その子ど もが持つパーソナリティ・パタ}ンは変わってはいません。このようなことは。私のかかわっている全 事例に言えることで,それは,個性と言ってもよく,また私の「ことば」では,その子どもの人柄とい
ったものとして受け取ることが必要であると考えています。
H。M、11才女子通園施設在籍: 病院診断名 自閉症
会の設定時より参加。当時日立市内の障害児治療教室を持つ幼稚園に水戸市から通園。対人接触を拒 否。言語なく自罰行勤顕著。同じ幼稚園の健常児クラスを経て,水戸市内小学校普通学級に入学。同時 に水戸市内情緒障害児学級に通級。小学校における活動にほとんど参加できず。情緒障害児学級での「治 療」も効果なく,4年生時,「障害児」通園施設に小学校在籍のまま入所し現在に至る。
この事例は,「あおいそらの会!を設定する切っ掛けとなった数名の子どもの内の一人で、幼稚園通 園によって状態は大きく改善されて行き,言語的かかわりはとれなかったものの、対人関係も取れるよ
うになって小学校普通学級への入学を果たした事例でした。
小学校通級時,常に問題となったことは,学校側の受け入れ体制が良くなく,最終的には母親が,学 校側の態度に失望して通園施設入所を希望してしまったのです。
このような事例は,この事例ばかりではなく、数例の事例をかかえていますが,共通することは、第 一に学校側の受け入れ体制の悪さs第二に教師集団の「障害児」に対する無理解,第三に地域内入間関 係の稀薄さ,といったものを背景に持っていることです。
ここでは,「自閉症」と医師が診断した事例のみを上げましたが、かかわりを持っている「障害児」
は、「自閉症」の子どもばかりではなく,さまざまな「障害児」とかかわるなかで学んでおります。
おわりに
私の手元に一冊の絵本があります.題名は「わたしたちのトビア利1」),人の子どもの末子にダウン 氏症の男の子を持つお母さんが,4人の子ども達の描いた絵と文とをまとめて,絵本としたものです。
家族の中に「障害児」が生まれて一番悲しんだのは,お母さんでした。大人達は「障害児」であるト ビアスを施設へ預けようと考えます。4人の子ども達はかんかんになって怒ります。トビアスだって
「きょうだい」なんだ,と。
この絵本の中で訴えているものの一つは,大人が「障害児」に対する差別観を一番強く持っていて,
その大人に育てられる子ども達は,「障害児」に接する機会を与えられないままに育ち,「障害児」に 対する理解の持てない大人となって行き,その結果「障害児・者」に対する差別と偏見は社会意識とし て固定して行く,という悪循環の中に,現代人は置かれているということです。
「あおいそらの会」での,公民館周辺の子ども達と「障害児Jとのかかわりを見て来て分った事は,
子ども達の世界に「障害児」に対する差別や偏見があるとすれば,それは,その子どもの家族内人間関 係の中に,「障害児・者」に対する差別観が根強くあることの結果なのだ,ということです。
また,幼稚園や小学校へ入園・入学した「障害児」とかかわって来て,幼稚園,学校訪問を通して分 ったことは,子ども達が,当初「障害児」とかかわりを持つのにとまどいを示すことがあっても,すぐ に子ども達の作り出す渦の中に,「障害児」を受け入れ,巻き込んでしまう,ということでした。私達 大入がいつまでも持つとまどいを,子ども達はすぐに無くし,一人一人のかかわり方を「障害児」との 間に造り出して行くのです。
このように見て来ると,「障害児」の生長を図るものは,健常児の生長を図るものであり,その逆も 成り立つ,ということに気づきます。
「思いやり」「やさしい心」「助け合い」等々,幼稚園教育や学校教育の申に徳目として立てられs
「ことば」としてしか子ども達の中に残らないような教育理念は,一人の「障害児」が教室内に存在す ることによって,子どもme 一一人一人の心のひだに,自ずと刻まれて行くことになる,ということが見え て来ます。
私達が,「障害児」とともに「生きる」生活を、私達の日常の生活の中に作り出し,「障害児」が極 あたりまえに地域の中にっつみ込まれて「生きる」状況が許容される時に,その中で「障害児」は「生 きる」知恵を獲得でき,「生きる」力を身につけて行くことになる,と言えるでしょう。
「わたしたちのトビアス」はスエーデンの絵本です。スエーデンでは,すでに「障害児・者jを囲い 込む社会政策を修正し,地域の中で「障害児・者jが生きられる国造りに取り組み始めました。1ギリ
ス㈱いてもすでに試みられています己ρアメリ姶畑においてもe NSによって鶉は大変黙りま すが依獺み始めていま鯉
「障害児」の人間としての生長を促すには,まず「障害児」が極あたりまえの子どもと同じように受 け入れられ育てられる状況を,私達の身近な所から造り出すことだ,と考えています。
〔注〕 1)このような大ざっぱな分類は、文部省など特殊教育に関連する諸領域で現在一般的に使用 されている。
2) 黒丸正四郎 牧田清志共訳 カナー児童精神医学 第2版 医学書院 1974 (Leo Kanner,Child Psychiatry,Forth Edition,1973)・;菅・修監修精神 薄弱児医学 医学書院 1972;;堀 要 こどもの神経症 金原出版 1969 等 医 学関係の文献が参考になる。
3) このような視点を提供している文献は,ミニコミ誌まで含めると,ここ数年来多数発刊さ れている。篠原睦治 「障害児」観再考 明治図書 1976; 福井達雨 りんごってウ サギや 柏樹社 1977 等は参考になる。福井達雨の著書は同じ柏樹社より数冊出版さ れている。
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4) 大原展郎 障害児教育に敵対する理論一「知能公害」を呼号する渡部淳批判 前衛1975 4月号 など数編の論文がある。
5) 「進歩」とか「発達」とかの概念に対する懐疑や批判は,今世界的に種々の学問領域にお いてなされている。茨城大学教育学部関係の論文では, 山下恒男 反発達論 現代書館 1977; 山田喜美子 発達とはなにか一教育とのかかわりにおいて発達を考える 教 育心理と近接領域 1976 %1 などがある。
6)図版入のものとして,ライフ 人間と科学シリ…一一ズ 生長と人間(Growth) タイムラ イフブックス エ975 がある。
7) フランクル 霜山徳爾訳 夜と霧 フランクル著作集1 みすず書房 1961;死と 愛 フランクル著作集2 みすず書房 1957 など フランクルの著作の申で言及され ている。 、
8)子供問題研究会編 庵「普通」に行きたい 明治図書 1974。ミニコミ誌を含めると,
この種の出版物はかなり手に入れることができる。
9) たんぽぽ学級運営委員会編 みんなの中で 自主出版 1978eこの申に,私の心理臨 床活動の方向性と「障害児」観,子ども観の一端を示した。
1① 教育研究所教育相談室において毎週2回行っている教育臨床心理ゼミナールを「子どもの 問題研究会」と言い,そのゼミナール・メンバーと茨城ボランティア協会のメンバーとで地 域内心理臨床活動を行っているが,その実践の場として水戸市内K公民館を使用して,ma 2 回「遊び」の場を設定して来た。この「遊び」の場を「あおいそらの会」と言う。「遊び」
の場の性質上から公民館周辺の子ども達多数が遊びに参加する。この会では「セラピスト」
といった役割を取る者を置かない。「あおいそらの会」は活動開始後6年経過し,加入「障 害児」の数は100名を越える。
11)セシリア=スベドベリ編 山内清子訳 わたしたちのトビアス 借成社 1975 12) James Loring & Graham Burn (Edieed),Integration of Handicapped Children in Society,Routledge & Kegan Paul,
1975.普逓教育の中に「障害児」の受け入れを図る方向はイギリスでも顕著。
13) アメリカ合州国では,「障害児」の分離教育を少数民族差別と同質と見る動きが出ている。