熟達心理学の構想 : 生の体験から行為の理論へ
著者 野村 幸正
発行年 2009‑12‑16
URL http://hdl.handle.net/10112/00020074
1
序 章
私は︑かつてある熟達者の発揮する行為にいたく感動して以来︑熟達者のわざに関心を抱いて
きたのである︒それは心理学とは無縁のところでの体験であったが︑かなり強烈なものであった
ためであろうか︑その後も私の頭を離れなかったようである︒やがて︑私はそれを自らの研究課
題としている︒いまにして思えば一九八〇年代前半のことであり︑その研究成果の一端は︑科学
研究費補助金研究成果報告書︵一九八五︱六年度︶としてある︒
熟達化の研究に着手したことを契機として︑皮肉にも私は二つの問題に直面している︒一つは︑
熟達化研究が自らの専門である認知心理学のあり方に疑問を抱かせたことである︒熟達化は︑認
知と行為が互いに深くかかわるなかで進行するが︑当時の認知心理学はコンピュータを模した情
報処理の枠組みに基づいたものであり︑身体や行為の働きをほとんど考慮していなかった︒とす
れば︑この疑問は当然であろうか︒これらを排除してはたして熟達化を研究しうるのか︑私はそ
の限界を認識するとともに︑新たな認知心理学を希求したのである︒
いま一つは︑心に対する素朴な︑しかし根源的な問いである︒まともな心理学者であれば︑﹁心
は即身体であり︑身体から離れて心はない﹂と答えるべきであろう︒生命体としてあるわれわれ
は︑外界の変化を意味あるものとして捉え︑それに適応的に対処することで自らの生命を維持し
2 ている︒知覚と行為の入り組んだ相互関係が即心=心的活動︵mental activity︶であり︑それは
身体と不可分である︒心理学が扱うべき対象は身体と不可分の心であるが︑熟達化の過程をつぶ
さに見ていると︑その答えでは必ずしも納得しえない何かがあるように思われる︒
初心者では︑心と身体は明らかに乖離している︒その乖離を克服する手だての一つが︑心によ
る身体の制御であるが︑その制御は極めて難しい︒ところが︑いったん制御へのこだわりを捨て
去り︑自然に任せれば︑おのずと乖離は解消され︑身体は自在な動きを取り戻すことがある︒そ
して︑それができるのは熟達者である︒優れた熟達者の行為は即興的であり︑時には神業とも見
間違うばかりである︒それを眼の当たりにした時︑われわれはそこに人知を超えた何か大きなも
のの力の働きを感じることがある︒また時には︑われわれの力を超えたもののなかに捉えられて
いるという感覚を抱くことさえある︒
ここでは︑それをスピリチュアリティ︵霊性︶と呼ぶこととする︒この呼び方が妥当であるか
否かは別として︑私もまたその行為に人知を超えた力を感じることがあった︒スピリチュアリテ
ィを感じること自体が︑実は私の心の本質の現れではないかとの思いを強く抱いていたことは否
定しえない︒この思いは︑突き詰めれば︑進化軸上で獲得した反省意識を介して自己の深層に思
いを巡らした結果であろうが︑私には行為の遂行以上の何かがそこにあるように思われたのであ
る︒そのためであろう︑心に対する素朴な疑問に対して︑的確には答えられないままであった︒
私は︑この二つの疑問を抱いてインドに滞在したのである︒何故にインドなのか︒また︑イン
3 序 章
ドで何を学んだのかと尋ねられると︑正直なところ答えに窮するが︑私の身体が何かを求めてい
たことは確かであった︒私は言語表象化以前の生の体験事象に︑また身体が直接捉える世界に重
きを置きながら︑彼の地に一年間滞在し︑そこで多様であっても統一されたヒンドゥー世界の不
思議さを実感したのである︒そして︑帰国して二つのことを新しく始めている︵第
1章参照︶︒ まず︑一人の仏師との出会いを通して仏像を彫り始め︑また一方では︑実験心理学者でありな
がら心理臨床を学び始めたのである︒仏像彫刻と心理臨床を通して︑暗黙知と身体知の重要性を
改めて認識した次第である︒もちろん当初は︑これら双方の関係を明確に理解することはできな
かったが︑私の身体がすんなりと受け入れたことは紛れもない事実であった︒
私は︑これらの生の体験を重ねながら︑他方では︑これらの体験を自らの専門である認知心理
学・認知科学の枠組みを超えて解釈し続けてきている︒それが熟達化に関する研究であり︑イン
ドから帰国してすでに二〇年余りが経過したが︑いまなお私は熟達化にこだわり続けている︒そ
のこだわりは︑拙著﹃知の体得
︱
認知科学への提言﹄︵福村出版︑一九八九︶︑拙編著﹃行為の心理学
︱
認識の理論︱行為の理論﹄︵関西大学出版部︑二〇〇二︶および拙著﹃﹁教えない﹂教育
︱
徒弟教育から学びのあり方を考える﹄︵二瓶社︑二〇〇三︶に示す通りである︒そして︑このこだわりは二〇〇〇年代のはじめに新たな展開を見せている︒その契機が︑縁あ
って参加することになった国際高等研究所研究プロジェクト﹁スキルの科学﹂︵岩田一明国際高等
研究所フェロー・大阪大学名誉教授主催︶であった︒私はそこでの学びを介して︑機械の知に対
4
峙する人間の知のすばらしさを改めて認識したのである︒
これら二つの体験は対照的なものである︒仏像彫刻や心理臨床は学びの場での体験を重視する
が︑そこでの体験の重要なところは︑最終的には﹁言葉にならない﹂暗黙知としてある︒一方︑
研究会のメンバーは︑時間︱空間を超えた普遍的な知の体系を人工知能という形で追求し︑顕在
知を重視している︒仏像彫刻や心理臨床の学びと人工知能の研究は︑その依拠する知の体系も︑
またそれらを存続させる基盤もまったく異なるが︑少なくとも私のなかでは︑双方は密接につな
がったのである︒
私のなかで双方をつなぐものは言葉でもなければ理論でもない︒それは︑生の体験に基づいて
そのつど獲得されたものであり︑ものごとの本質をつかむ私自身の人の働きである︒人の働きと
は︑自己と世界との関係を把握する能力であり︑ものを見る眼である︒それは学ぶ姿勢と向かう
姿勢からなる︵第
13章参照︶︒人の働きを涵養することこそ︑熟達者がわざの習得を超えて最終的
に目指すところであり︑私自身は仏像彫刻や心理臨床の学びを通してそれを求めたのである︒そ
れは私自身が自らに課した修行でもあった︒
修行の最終的な目標が人の働きを超えて︑心身の統一であるとすれば︑熟達化は心身問題を紐
解くにふさわしい題材でもある︒なぜなら︑それは生の体験から切り離された論議ではなく︑あ
くまでも固有の場で︑しかも具体的な課題に習熟することを必須としているからである︒また他
方では︑熟達化研究は新たな展開を見せ︑教育の現場で︑もの造りの現場で︑さらには人工知能
5 序 章
の研究者のあいだで注目されている︒いずれにおいても︑それらにかかわる人の働きが強く求め
られていることはいうまでもない︒
ただ︑熟達化の世界では﹁一〇年ルール﹂︑﹁一生涯修行である﹂という言葉があるように︑熟
達者の発揮する優れたわざは長期に及ぶ経験に裏打ちされたものである︒そのため︑その経験は
容易に顕在化しうるようなものではなく︑身体が覚えているとしか言いようのないものとしてあ
る︒ われわれは身体として固有の場を占め︑そこでの行為はつねにいま・ここという時間︱空間軸
上に制約されるが︑その制約を克服するのもまた行為である︒このように行為それ自体が本来矛
盾に満ちたものであるが︑人びとはそれを克服してゆくなかで熟達者になってゆく︒熟達化は固
有の場に制約され︑また支援される形で進行するが︑その内実の多くは﹁言葉にならないもの﹂
である︒このような特性をもつ熟達化研究は︑それゆえに客観性および普遍性を追求する現代の
学問の俎上に乗りにくいものとなる︒そのためであろう︑熟達化に関する知見は容易に教育に︑
もの造りに︑さらには人工知能研究に利用できる訳ではない︒
これらが熟達化研究の意義を曖昧にし︑また実際の研究をいっそう難しくしていることは事実
であろう︒しかし︑たとえその難しさを認めるとしても︑決して研究しえないというものではな
い︒いま︑心理学者でありかつ修行者である私が︑熟達者の発揮する優れたわざを直視し︑また
その意味するところを了解し続ければ︑人間のもつ優れた能力を︑またその可能性を再認識しう
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るはずである︒それによって以前とは違った知見︑観点から新たに心理学を構築してゆけば︑そ
の心理学は熟達化研究の内実を︑またその意義を明確にするものとなるはずである︒
本書﹃熟達心理学の構想﹄はこのような考えに基づいてまとめられたものである︒具体的には︑
昨今の認知心理学・認知科学の知見を踏まえながら︑また他方では︑自らの二〇年に及ぶ仏像彫
刻での体験を介して得た知見に基づいて︑われわれの基底にある何か︑つまり人の働きを念頭に
置きながら熟達化︑さらには熟達者の特性に言及したものである︒
本書の目的の一つは︑従来の心理学が排除していた︑言葉に置換される以前の生の感覚︑さら
には言葉にならない体験を復権させることで︑熟達という言葉のもつ豊かな側面を心理学の枠組
みのなかで捉え直すことである︒それによって︑理性や合理性を核にして構築されてきた従来の
認知心理学・認知科学の理論から脱却し︑反理性の立場をとる身体や行為︑さらにはそれらと不
可分である固有の場を重視し︑新たな心理学のあり方に言及するものである︒
本書の目的の二つは︑熟達心理学の研究にふさわしい方法論を確立することである︒実験心理
学はもとより臨床心理学であっても︑基本的には主客分離を是とする外部観測・全体視野を重視
し︑人びとの行為を観察し︑その知見に基づいてそれぞれの心理学が構築されている︒しかしな
がら︑これらの方法では︑熟達者の生の体験︑さらにはその基底にある暗黙知等を取り出すこと
はできないのではないか︒本書では︑それに替わる方法として内部観測︑さらには自己省察︑そ
してその言語化という手法を採用する︒それは行為に内在する生の体験を取り上げ︑それを局所
7 序 章
視野から内部観測してゆくものである︒では︑内部観測とは何か︑その詳細は第
4章で言及する
が︑それはかかわりの別称であり︑外部観測に先行する観測である︒双方の観測は︑たとえば歴
史の当事者と後の歴史学者の関係にも喩えられる︒歴史学者の見方が如何に客観的であるとして
も︑歴史学者は歴史の当事者ではありえない︒歴史の当事者は限られた情報の下で︑また客観視
できない状況の下で︑そのつど判断を下しながら︑時には自分の存在を賭けて行為してきたので
ある︒そして︑この判断や行為に必要な情報を提供するのが内部観測である︒
本書の目的の三つは︑内部観測の知見から熟達化の道筋を明らかにすることである︒内部観測
の知見が直ちに熟達化研究に直結する訳ではない︒内部観測の知見が熟達化研究にとって必要か
つ十分条件となるためには︑その知見が蓄積され︑また再構造化されることによって︑リアルタ
イムの知が構成されなければならない︒この知は瞬間的に正しい操作情報を作り出し︑即興的な
熟達行為を可能にする動的な知である︒それは試行錯誤的なものではなく︑直観の働きによるも
のである︒リアルタイムの知には︑言語化以前の暗黙知が深くかかわっている︒
本書の目的の四つは︑暗黙知の獲得とその働きに言及することである︒暗黙知は︑固有の場で
経験の質を高めるなかで獲得されたものであり︑それゆえに身体のあり方と決して無関係ではあ
りえない︒暗黙知の働きは個体と有意味な世界とのかかわりのなかにある︒それは個別の技術や
方法を超えて︑その背後にある思想性︑ものの見方と深く関係している︒それを涵養するために
は︑まず固有の場に我が身を委ねなければならないが︑委ねたからといって涵養されるようなも
8
のではない︒それらは教えられるものではなく︑あくまでも個々人が自ら学びとるものである︒
本書では︑その学びの内実︑さらにはその知のあり方に言及する︒
本書は︑これらの目的を個別に取り上げて論ずるものではない︒それは不可能である︒いった
ん熟達化に言及すれば︑これらは個別に分けて論じられるようなものではないからである︒この
ことを前提にして︑本書では以下の構成で論を展開する︒まず︑第
1章︑第
2章︑第
3章では︑
﹃熟達心理学の構想﹄に必要な前提としての新たな視点を提示し︑それに関連して重要な位置を占
める行為と身体に言及する︒第
4章︑第
5章では熟達者の特性を踏まえて︑熟達心理学を構想す
るための道筋を明らかにしてゆく︒第
6章では︑筆者が二〇年余り続けている仏像彫刻を取り上
げ︑生の体験に依拠しながら自らの熟達化の過程を具体的に省察してゆく︒第
7章︑第
8章︑第 9章では︑熟達行為をスキルとして捉え︑それを分析と構成という観点から詳しく言及する︒第 10章︑第
11章︑第
12章では︑これまでの章で明らかにされた知見を踏まえながら︑熟達行為の動
的な過程を意図︑境界︑秩序︑熟達化における聖と俗という視点から論述する︒第
13章では熟達
心理学の視点から学びのあり方︑関係性の科学を取り上げる︒終章では状況的認知論に疑問を呈
し︑自己の体験に学ぶことの重要性を体験的に︑また論理的に展開した後︑行為の本質をインド
心理学の知見から捉えてゆく︒
不動明王立像
楠造 総高三尺五寸︵平成八年作︶
キ ャ ン パ ス の 楠 の 大 木
が︑春の雪の重みで無残にも倒れた︒その撤去作業に偶然行き合わせ︑その一部を貰い受けたのである︒仏像を彫っていて時折感じることであるが︑何か不思議な縁に結ばれているような気がする︒
大学の歴史を長きにわたって見守ってきた大木と出会い︑たとえ稚拙とはいえ︑それを不動明王として新たな命を吹き込んだのである︒関西大学で三〇年余り教育に携わってきた私には冥利に尽きる思いである︒
11
第
1章 心理学のあり方
Ⅰ 八〇年代の記憶研究
1 反理性
私が大学院に進学したのは七〇年代前半であり︑八〇年代前半に取得した学位論文﹃心的活動
と記憶﹄までの一〇年間の研究では︑実験心理学の枠組みに固執するあまり︑状況を捨象した個
体能力主義的な記憶の理論を追求していた︒七〇年代前半︑我が国の記憶研究は行動主義の流れ
を汲むものであり︑未だ言語学習と称されていた︒言語学習の研究は︑学習を記憶の上位概念と
したものであり︑当時は刺激︱反応理論の検証に都合のよい対連合学習の図式で︑強化︑連合︑
般化というような概念を駆使し︑その学習の機序を問題にしていたのである︒それは無意味綴り
を提示材料として用いていたことからも明らかなように︑被験者の経験をできるだけ排除する形
で研究を進めていたに過ぎない︒
ところが︑七〇年代後半ではもはや言語学習は姿を消し︑それに携わっていた多くの研究者は
突如として認知心理学者と称したのである︒その契機の一つがコンピュータの登場であろう︒コ
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ンピュータは情報というまったく新しい概念を処理する機械であり︑脳の働きに似ていると考え
られている︒認知心理学者は︑人間の認知過程をコンピュータの働きをモデルとして説明してい
る︒それが一世を風靡した情報処理の枠組みである︒この枠組みは︑人間を機械のようなものと
みなす行動主義に対して︑その限界や疑念を抱いていた当時の心理学者の心を捉えて離さなかっ
たようである︒しかし皮肉にも︑それは新たな機械論の登場に過ぎず︑この傾向は加速し︑やが
ては認知科学に発展してゆくのである︒
認知心理学は個々人の内部状態に対する一定の仮説を認め︑その働きを情報処理システムとし
て捉えている︒そこでは︑情報を分析する生活体のもつ知識の働きが重視され︑なかでも構造化
された知識︑つまりスキーマ︵図式︶に基づいた情報の抽出過程が︑直線的な情報の流れとして
分析されたのである︒この時期︑ボックスとフローチャートからなる多くの記憶モデルが提唱さ
れているが︑それらはいずれも外界から与えられた情報を処理する個体を扱っているものでしか
ない︒ これらの研究は︑人間の記憶や学習といった心的活動を個々人の頭の中に閉じ込めたものであ
り︑認知に不可欠な非言語性︑身体性︑状況依存性といった多くの重要な要因を排除したもので
あった︒この傾向は認知心理学だけでなく︑その後の認知科学にも見られる︒いずれもコンピュ
ータ科学に大きくシフトしたものであり︑固有の状況に埋め込まれた人間の認知と行為に言及し
たものではなかったのである︒認知の状況依存性や身体性を排除した手法は︑知性とか理性を高
13 第 1 章 心理学のあり方
く評価するものであり︑それゆえに合理性を徹底的に追及したものであった︒それは︑かつて人
工言語を構築した際の手法に近いものであったようである︒私は学位論文﹃心的活動と記憶﹄︵一
九八三︶のはしがきで︑古来より人工言語の辿った運命を次のように記している︒
最近︑私が最も興味深く感じたことの一つに︑合理性を追求して考案された人工言語の辿っ
た運命がある︒今日までに六百近い人工言語が考案されたといわれているが︑それらはすべて︑
辞書や文法書が作成され︑そして人工言語として完成されると︑誰にも顧みられることなく直
ちに忘れさられたというのである︒唯一の例外がエスペラントであるが︑この言語が生き残っ
たのは︑それほど合理的に作成されておらず︑むしろ自然言語に最も近かったせいであるとい
われている︒研究者の生涯をかけた努力を考えると何と皮肉なことであろうか︒
私に限らず︑当時の研究者の大半は生の記憶現象を題材とするのではなく︑実験という枠組み
に合致する記憶現象を選び︑しかも仮説の検証という形で研究を進めていた︒いま︑その研究の
一端を紹介すると︑まず最新号のジャーナルに眼を通し︑問題を発見し︑仮説を検証すべく実験
計画を立て︑協力を得やすい大学生を被験者にして実験を行い︑そして得られた知見に抽象と捨
象を繰り返し︑人間の記憶の機序を合理的に説明しうる記憶の理論を構築しようとしていた︒そ
れは記憶︵memory ︶の研究であって︑昨今では関心の高い想起︵remembering ︶のそれではな
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かったが︑当時の学会の流れからすれば︑その種の研究のあり方に疑問を挟む余地はなかったよ
うに思われる︒
当時を振り返れば︑それは私なりに充実した日々であったが︑学位論文を執筆するころには︑
合理性を追求して構築された記憶の理論に︑かつて人工言語の辿った運命を垣間見たのであろう︒
やがて言語化される以前の生の事象︑そこでの体験︑さらには身体にかかわる記憶や認知に関心
をもつようになったのである︒それらは︑従来の心理学では非合理的︑反理性として︑必ずしも
学問の俎上に上らないものであった︒
一九八三年といえば︑日本認知科学会が発足した年であり︑翌年には第一回大会が京都大学で
開催されている︒その記念シンポジウム﹁認知科学をどう研究するか﹂︵企画・司会 佐伯胖・当
時東京大学教授︶において︑私は﹁認知における知識︑意識︑身体の関係について﹂という課題
で話す機会を得た︵野村︑一九八四︶︒そこで︑私は湯川秀樹博士が好んで色紙に書かれたという
﹃荘子﹄︵秋水篇︶の﹁知魚楽﹂を引き合いに出し︑認知科学を研究してゆくにあたっては︑﹁魚の
楽しみ﹂というような定義もできず︑しかも実証不可能なものを今後認めてゆくべきであるとの
考え方︑つまり現時点では未だ存在しないことが実証されていないもの︑また起こりえないこと
が実証されていないことは︑どれも排除しないという考え方を強く主張したのである︒また︑そ
の具体的な研究課題として熟達行為︑なかでもわざの研究の重要性を説いたのである︒しかし︑
私の提案が受け入れられることはなかったようである︒
15 第 1 章 心理学のあり方
加えて︑その後の認知科学会の流れは︑少なくとも私が期待したようなものではなかったので
ある︒このこともまた私をインドへと駆り立てたようである︒インドに滞在するまえに脱稿し︑
帰国後の一九八九年に上梓した拙著﹃知の体得︱︱認知科学への提言﹄︵福村出版︶は︑このよう
な認知心理学・認知科学のあり方に疑義を呈したものである︒私は知覚や行為を人間と環境との
能動的︑現実構成的な交互作用として捉え︑そのダイナミックな展開を熟達者の行為に見たので
ある︒現に︑私が面識をもった熟達者は︑いずれも自らの五感を研ぎ澄まし︑身体を世界に添わ
すように鍛え︑生の世界に直接かかわるなかで︑しかも独自な方法で作品を生み出し︑また直面
した問題を解決していたのである︒その過程は︑当時の認知心理学が依拠していた直線的な情報
処理の枠組みで解明できるようなものでもなければ︑また身体をもたない純粋精神の働きによる
ものでもなかった︒
2 インドへ
この時期︵一九八七〜一九八八︶︑私は﹃知の体得﹄を脱稿すると︑新しい心理学のあり方を求
めてインドに身を委ねたのである︒少し大げさな言い方をすれば︑それは身の程をわきまえない
賭けであった︒二月の雪が激しく降る日に奈良を発ち︑翌朝到達したボンベイ︵現在のムンバイ︶
の暑さをいまも鮮明に思い出す︒一年間インドのプーナ大学で﹁インド哲学におけるMINDの概
念について﹂というテーマで学びながら︑彼の地の人びとの暮らしを︑文字通り自らの身体をか
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けて直視したのである︒
余談になるが︑当時私がインドに留学するといえば︑親しい友人は﹁心理学者としてもはや生
きていけない﹂とまで言い切って︑インドではなく米国行きを強く勧めてくれたものである︒こ
のことは心理学という学問が欧米のそれであり︑欧米の地が先進国であることを如実に物語って
いる︒はたしてそうであろうか︒私が留学先としてインドを選んだことは︑学位論文の執筆中に
感じた合理性や科学的アプローチに内在する限界と決して無関係ではなかったと思われる︒その
一端はすでに述べた通りであり︑私は実験心理学の近未来の姿を人工言語の辿った運命に重ね合
わせていたのである︒それだけでなく︑欧米の研究を殊の外重視する学会の風潮にも納得できな
いものを感じていたのであろう︒
しかし︑当時としては﹁なぜ︑インドなのか﹂に関しては︑必ずしも明確ではなかったように
思われる︒ただ︑私には身についた実験心理学の﹁垢﹂を落とす場所と期間が必要だったのであ
ろう︒当時の私には︑インドがそのための最適な場所に思えたのである︒いまにして思えば︑私
の身体がそれを求めていたのであろうか︒
インドに到達してからしばらくして︑幸運にも私は一人のインド哲学・インド心理学に造詣の
深いアショック・ニルファールケ博士に出会い︑彼をグルジー︵尊師︶としたのである︒また︑
一方では早朝のヨーガを日課としながら︑時間の許すかぎりインド亜大陸を彷徨したのである︒
そこで感じたことは︑インド社会の抱える想像を絶する多様性であるが︑同時にそれらがインド
17 第 1 章 心理学のあり方
として統一を保っている不思議さでもあった︒
当時のインドは︑九〇年代以降に始まった開放政策以前であり︑そこは文字通りインドであっ
た︒昨今のIT云々の華やかさはいっさいなく︑サーバントを顎で使いながら優雅に暮らす人び
とがいるかと思えば︑路上には家族で食事をし︑子どもを育て︑寝ころんでいる光景がいたると
ころにあった︒滞在して間もない頃では︑その場に行き会わすと身体が竦んでしまったことを思
い出す︒私はこれらの体験を介して︑意識より先に反応する身体のあり方︑さらには精神と身体
を不可分とみなす心身一元論に関心を強く抱いたのである︒
その関心を私なりの理論にまで高める契機になったのが︑インドに持参した数冊のうちの一冊
である﹃善の研究﹄︵西田幾多郎︑一九一一︶であった︒私はこれを繰り返し︑繰り返し読み込
み︑そこに東洋思想の何かを感じたのである︒話は少し逸れるが︑帰国後は︑当時教室の同僚だ
った哲学者竹内良知教授に︑氏独自の西田観︑さらには純粋経験について色々教えをいただいた
ものである︒大学を定年で退職された翌年に病で亡くなったが︑いまにして思えば感謝の気持ち
で一杯である︒
インド滞在中に︑私が彼の地を彷徨いながら感じた世界︑そして心理学への想いは︑拙著﹃関
係の認識
︱
インドに心理学を求めて﹄︵ナカニシヤ出版︑一九九一︶に記した通りである︒当時︑その心理学は依然として漠然としたものであったが︑二〇年近く経過した二〇〇五年︑下山
晴彦編著の﹃心理学論の新しいかたち﹄︵誠信書房︶で︑﹁東洋思想と心理学
︱
理論から人の働18
きへ﹂を執筆する機会を得た︒未だ充分なものではないが︑当時構想していた心理学のあり方を︑
ある程度まで形にできたのではないかと自負している︒
帰国後︑私は﹁身体が覚える︑身体が知っている﹂といったことの意味を心理学的に捉え直し
たのである︒﹁身体が覚える﹂ということが市井ではありえても︑心理学ではあくまでも頭が覚
え︑しかもその頭が身体を制御するのである︒それが心理学者の心を捉えては離さない表象主義
である︒身体を制御する頭は︑しかしながら解剖学的な身体でもなければ脳でもない︒それは理
性に代表される抽象的な概念である心である︒
心理学の大きな流れは八〇年代︑九〇年代を経て︑現在では反理性の方向に傾きつつある︒そ
の契機が︑たとえば昨今流行の生態心理学である︒生態心理学は︑理性をもたない生物が環境に
適応し︑知的とも思われる行動を介して生存している事実に注目し︑頭は身体とは別物ではなく︑
適応的な行動を具現するのは身体であるという︒生態心理学は身体とは別に心の存在を認めるの
ではなく︑すべての行動をアフォーダンスの集合である豊かな環境と︑その環境のなかの行動の
可能性を具体化する︵脳を含む︶身体との関係に起因させてゆく︒生態心理学は︑頭の働きを理
性と呼ばれる抽象的な概念を用いずに生活体の行動や行為を説明している︒この意味で︑生態心
理学は心身一元論の立場である︒しかし︑この心理学は熟達行為と深く関連する︑たとえば﹁身
体が覚える﹂という現象︑またその事実を充分に説明しうるのであろうか︒私が考えるところで
は否である︒
19 第 1 章 心理学のあり方
われわれの行動︑行為には生態心理学が想定する以上の何かがあり︑だからこそわれわれは身
体以上の存在でありうるのではないか︒私はこの問題の解決の糸口の一つが︑たとえばスピリチ
ュアリティにあるのではないかと考えている︒最近︑我が国では︑未だ少数派ではあるが︑多く
の分野にまたがってスピリチュアリティに関心が集まっている︒理性とスピリチュアリティの関
係を心理学者がどのように折り合いをつけるべきか︑現時点では必ずしも明らかではないが︑心
理学者が理性を重視し︑一方のスピリチュアリティを無視してきたことは否定しえない事実であ
ろう︒これに関しては︑終章で私なりに答えを出したいと考えている︒
Ⅱ 新たな視点
1 いま一つの臨床
帰国直後の八〇年代の終わりから九〇年代のはじめにかけて︑私は本務校である関西大学で実
験心理学を講義しながら︑他方では私的に心理臨床を学び︑また熟達者の仕事振りを見て回り︑
その話に耳を傾けたのである︒まず心理臨床を学ぶために︑帰国後京都大学教育学部を訪ね︑河
合隼雄先生︵二〇〇七年逝去︶をはじめとする諸先生方のご厚意で︑院生たちとともに心理臨床
を学ぶ機会を得た︒帰国直後の私は︑いまにして思えば︑インドでの経験を自らのうちで整合的
20
に捉えられず︑葛藤の真只中にあったように思われる︒それを受け入れるためにも自己省察が不
可避と考え︑心理臨床に興味を抱いたのである︒快く受け入れて下さった関係者に改めて感謝す
る次第である︒
一方で︑私は南都在住の仏師矢野公祥師匠に出会い︑わざの世界を頭で理解するのではなく︑
具体的に経験することの重要性を認識したのである︒帰国した翌年であり︑二〇年前のことであ
る︒それが私のわざの修行︑実践としての仏像彫刻である︒出会った多くの熟達者のなかから仏
師と縁があったのは︑いまにして思えば︑インドを彷徨いながら仏像︑ヒンドゥー像をことある
ごとに見ていたことも深く関係しているのであろうか︒
話は心理学から外れるが︑釈迦が仏像としてその姿を世に現したのは︑ギリシャ彫刻の影響を
受けたガンダーラである︒ガンダーラはあまりにも有名であるが︑これとほぼ同時期に︑インド
北部のマトゥラーでも独自に仏像が彫られたといわれている︒その後︑仏教の伝播とともに︑そ
の地で仏像が彫られ︑それらが独自の発展を遂げ︑それぞれに完成してゆく︒仏教はその後︑ス
リランカ︑タイ︑ミャンマーの上座部仏教へ︑またヒマラヤを超えてチベット︑中国︑朝鮮︑そ
して日本の大乗仏教へと変遷する︒いずれの国にあっても︑それぞれの雰囲気を備えた仏像が信
仰の対象として祭られている︒
我が国では︑渡来人による飛鳥仏︑南都の仏像︑さらには定朝に代表される平安を経て︑運慶︑
快慶の慶派が活躍する鎌倉時代にその最盛期を迎える︒鎌倉時代は木造建築︑仏像の制作がもっ
21 第 1 章 心理学のあり方
とも進歩した時代といわれているが︑要は建造する機会が︑また彫る機会が多かったせいである︒
機会は優れた熟達者を育成するに不可欠であり︑機会さえあればわざは確実に進歩する︑といえ
ば短絡的であるが︑機会はまぎれもなく必要条件である︒
さて︑工房で師匠の姿を見ていると簡単そうに思えたが︑いざ彫りはじめると︑その難しさを
思い知らされることになる︒仏像彫刻の過程を分かりやすく︑かつ体系的に説明したものを手元
にもっていたにもかかわらず︑満足のゆくようには彫れないのである︒もちろん︑師匠から手ほ
どきを受けても同様である︒いま・ここで彫るという行為と全体の姿がかみ合わないのである︒
ところが︑そのような時期を過ぎると︑それなりに彫れるようになる︒彫れるようになると︑不
思議なことに体系的な説明が分かるようになり︑師匠の﹁こうやって︑次にこうして⁝⁝﹂の簡
潔な言葉の意味がそれなりに理解でき︑身体が動くようになったのである︒
私は︑すでに始めていた心理臨床の学びのあり方と︑仏像彫刻のそれが随分類似していること
に関心をもち︑また実験心理学との違いに困惑したのである︒心理臨床が文字通り臨床であるな
らば︑仏像彫刻の学びもまた臨床のそれに近いものである︒このことを実感したのが︑インテー
ク実習での場の雰囲気と工房のそれが類似していることに気づいた時であった︒私は経験を経て
ある域に到達した優れた臨床家の︑また優れた仏師の振る舞いに︑実践のもつ意味の重要性を直
観的に見てとったのである︒もちろん︑臨床心理学に関する書物は巷に溢れており︑また関連す
る講義にも事欠かない︒規模は小さいが︑おなじことは仏像彫刻にも当てはまる︒しかし︑臨床
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の進め方︑仏像の彫り方を体系的に記した解説書があれば︑心理臨床の実践ができ︑また仏像が
彫れるというようなものではない︒
いずれの領域であっても︑記述されたものはしょせん﹁古人の糟粕のみなるかな﹂︵﹃荘子﹄天
道篇︶でしかない︒これは桓公と輪扁との遣り取りのなかで︑輪扁が聖人︵古人︶の言葉を糟粕
︵搾り粕︶と命をかけて断言するくだりである︒
微妙な秘訣は︑ただただ手ごたえでとらえ︑心にうなずくだけです︒言葉では説明できない
コツというものがそこにあるのです︒そのコツは自分の子どもに教えることはできず︑自分の
子どももまたわたくしから受けつぐことはできません︒かくて七十のこの年まで︑年老いてい
まなお車輪を作っているのです︒わたくしのこの車輪作りの体験から申しましても︑いにしえ
の聖人は︑その伝えることのできない体験的な真理とともに︑すでにこの世を去っています︒殿
さまの読んでおられるのがまったく古人の糟粕だとわたくしの申し上げたのは︑このような訳
からです︒ ︵福永︑一九六六 頁二六九︶
これは直観を重視する荘子の核心部分であり︑熟達行為を構成するわざに言及したものである
と解釈してよいであろう︒仏像彫刻に限らず︑重要なわざはコツ︑さらには暗黙知としてあり︑
言葉で完全には記述することはできない︒人びとは仏像を彫るという具体的な行為を続けるなか
23 第 1 章 心理学のあり方
で︑はじめて暗黙知を身につけ︑またわざの本質を理解しうるのである︒それが︑文字通り身体
が覚えるということの意味なのであろう︒それをいったん言葉で表現すれば︑身体が覚える部分
の多くが抜け落ちてしまう︒これがまさに﹁古人の糟粕のみなるかな﹂の意味するところであろ
う︒ 言葉のもつ限界は︑しかしながら語りえない暗黙知にとどまるものではない︒たとえ語られた
としても︑言葉で表現された部分は︑一方では私自身の体験に基づくものであるが︑もう一方で
は矢野公祥︑さらにはその師である松久朋琳︑宗琳の言葉に基づいたものである︒その元を辿れ
ば運慶︑快慶にまで遡るかもしれない︒しかし他者の言葉といえども︑それはいまある私の力量
に応じて解釈した表現であり︑また矢野公祥が朋琳︑宗琳父子とおなじ言葉を使ったとしても︑
その意味するところには大きな隔たりがあって当然である︒やがて私の彫る力量が増すにつれて︑
私が言葉で表した世界と彼らのそれとの差が縮まってゆく︒差が縮まるという見方は︑あくまで
も双方を客観的に捉えたものであり︑当事者からすれば世界の捉え方や︑またそれへの対処の仕
方が以前とは違ったものになっただけのことである︒その言葉のもつ意味︑響き︑雰囲気を互い
に共有しうるようになったのであろう︒
これが上達︑熟達の本質であるとすると︑暗黙知の重要性を認めながらも︑一方では熟達化の
過程に及ぼす言葉の役割を決して否定しえないことになる︒現に︑その言葉は非学習者と熟達者
の隙間を埋めるためのしかるべき役割を果たしている︒とすれば︑人は言葉を介して一つの秩序
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を構築し︑これによって熟達化が促進されるという面も無視できないであろう︒しかし︑それは
言葉が直接的に熟達化を促すというものではない︒人がその言葉のもつ意味を︑響き︑雰囲気︑
さらにはその言葉の背景を踏まえて︑それらを自らの行為の生成過程に組み込むことで︑はじめ
てその力を充分に発揮することができるのである︒
2 スキルの科学
拙著﹃知の体得﹄︑﹃臨床認知科学﹄の縁であろう︑私は京阪奈学研都市にある国際高等研究所
研究プロジェクト﹁スキルの科学﹂︵岩田一明大阪大学名誉教授主催︶に参加する機会を得た︒こ
の研究会は︑スキルを学際的に研究してゆこうとする研究者の集まりであり︑その多くが工学部
や理学部に所属する﹁理系﹂の研究者である︒彼らの主たる関心は︑スキルの機械への代替化︑
さらにはスキルの活用︑創出にある︒私は︑当時印刷中の拙編著﹃行為の心理学﹄において取り
上げていた行為の理論に言及したが︵二〇〇二年八月︶︑私はその席上で︑おなじ技能︑わざ︑技︑
スキル︑熟達といった術語を用いながらも︑その意味するところは︑双方のあいだで随分と異な
り︑未だ共通の言語をもたないことに気づかされたのである︒と同時に︑いままで無縁であった
機械の知に︑厳密にはその知を生み出す研究者の発想や基本的な知識観に関心を抱いたのである︒
一般に︑熟達行為に言及する際の用語は多岐にわたる︵岩田と小野里二〇〇二岩田二〇〇七︶︒
このことは︑人びとが熟達行為に関心を抱き︑古来よりさまざまな形で取り組んできた証である
25 第 1 章 心理学のあり方
表 1 技能に関する語彙の相互参照(岩田,2007 ) 技能
技芸を行ううでまえ.技量.
美術工芸など,芸術方面にかかわる技術.
身につけた技術・能力.てなみ.技量.
うで.おてのうち.
うでまえ.手なみ.
1)物事をたくみにおこなうわざ.技巧.技芸.
2)科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し,
人間生活にやくだてるわざ.
4)しかた.方法.技術.芸.
技芸
うでまえ
技量
技術
技(わざ)
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︵表
1参照︶︒とすれば︑歴史的な文脈を充分に踏まえて用語を用いるべきだろうが︑伝統的な世
界を離れて近代の枠組みのもとで熟達研究を推し進めるためには︑何らかの用語の統一は避けら
れない︒新たにスキルの科学を構築しようとする彼らは︑むしろその歴史的な文脈を切断する意
味からスキルという用語を用いている︵岩田︑二〇〇七︶︒本書では︑スキルの科学との関連では
スキルという用語を用いるが︑それ以外ではあえて歴史的な流れを重視する﹁わざ﹂を用いる︒
わざとは︑技を基本として成り立っているまとまりのある身体活動において目指すべき対象全体
を指し示す用語である︵生田︑一九八七︶︒
この研究会が心理学者に求めるものは︑たとえば人工知能はフレーム問題に直面するが︑人間
はそれを日常的に解決しているというような︑人間のごくありふれた行為生成の機序に関するも
のである︒ところが︑心理学者はそれらがあまりにも自明のことであるため︑これまではフレー
ム問題に陥らない人間のあり方を的確に評価してきた訳ではない︒実験心理学はそれらと無縁の
世界で︑大学生を被験者として︑その心理学的機序に眼を向けていたのである︒また︑一方の臨
床心理学は︑いまなお人間の闇の部分である心の病や発達障害等の現象に関心を抱いているに過
ぎない︒いずれにしろ︑人びとの日常のなにげない行為がいかに優れたものであるとしても︑そ
れらの行為が日常に埋め込まれているためであろうか︑注目されることはほとんどなかったよう
である︒ その例外が︑ジクムンド・フロイドであり︑スリップの研究者であり︑さらには人工知能の研
27 第 1 章 心理学のあり方
究者である︒フロイドは言い間違い等の錯誤行為を取り上げ︑日常の行為に内在するその意味に
注目した希有な臨床家であった︒精神分析からすれば︑錯誤行為とは無意識に抑圧された意図が
抑圧を押し破って生じたものである︒また︑抑圧とは別の視点から錯誤行為︑失錯行為に着目し
たのがスリップの研究者である︒それらは︑適切な目標の形成は行われたが︑その形成過程以降
の遂行に際して生じた失敗である︒日常的な︑熟達した行為であるにもかかわらず︑意図しなか
った行為を遂行してしまう誤りである︒スリップは︑一見すれば行為の実行を妨げているように
も思われるが︑実は行為が柔軟に実行されていること︑そして日常の行為が優れたものであるこ
とを示すものである︒また一方︑人工知能の研究者は︑人間の知の機械への代替化を目指した際︑
たとえなにげない日常の行為であっても︑その遂行が極めて難しいことから︑人間の行為が驚嘆
に値するものであることを改めて認識したのである︒暗黙知に支えられていた行為であったがた
めに︑われわれはそれに気づかなかったのであろう︒私は機械の知の一端を知ることで︑かえっ
て人間の知の深さを再認識した次第である︒
人間の知の深さを再認識する一方で︑私は機械と人間との境界が絶対的なものではなく︑その
境界を克服する時点に差しかかっているとの思いを抱いたのである︒その契機の一つは︑椹木︵二
〇〇七︶が指摘するように︑人間がいまや自分自身の進化を︑道具の使用および発展と不可分に
絡み合ったものとして考えることができるようになったことによる︒人間と機械との境界は機械
の出現と同時に生起したものであり︑われわれはその境界を絶えず解消してきている︒われわれ
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が道具を自らの身体に組み込み︑その支援を受けると同時に︑道具のもつ特性に制約されている
事実を直視すれば︑道具を製作し︑使用した時点で境界が生じ︑同時にそれを解消してきたとい
える︒ 境界とその解消︑あるいは支援と制約は︑人間と機械︵道具︶が対峙するいま・ここで絶えず
生じる現象であり︑決して目新しいものではない︒にもかかわらずその解消が注目を浴びるのは︑
われわれが機械による疎外感を克服しうるだけのツール︵コンピュータ︶を手にしつつあるから
であろう︒解消するためには︑ツールを介してなされる人間のシステムと機械のシステムとの対
話が不可欠である︒人間のシステムが機械のそれを一方的に予測し︑制御するのではなく︑双方
が相互作用の内実をリアルタイムに内省し︑関係を捉え直し続けることが重要なのである︒
考えてみれば︑境界の成立とその解消は生命あるものが直面する普遍的なものであり︑生きて
いるかぎりそれは続くものである︒それはまた︑心理学の理論の構築においてもつねに注目され
てきた現象である︒たとえば︑興奮と抑制︑同化と調節︑支援と制約︑ゆらぎとその解消︑異常
と正常︑さらには無意識と意識の境界︑等の関係である︒生命体︑なかでも人間は他者関係のな
かに生きていることから︑他者を含む外部とのかかわりの結果を完全に予測し︑それを制御する
ことはではない︒あくまでも双方向的なかかわりを介して︑双方に共通する構造や振る舞いを構
築することで︑その予測の難しさを解決する以外に手だてはないのであろう︒
毘 沙 門 天 は 北 方 を 守 護
し︑四天王のなかで最強ともいわれる武神で︑多聞天とも呼ばれる︒前掲の楠で︑
翌年彫り始めたものであ
る︒ 鎧兜に身を包まれた姿のせいであろう︑一見すれば難しそうであるが︑初心者に近い私には比較的彫り易いものであった︒何も身にまとわない像ほど︑彫るとなるとかえって難しいようである︒
毘沙門天像
楠造 総高二尺五寸︵平成九年作︶