論 説
欧 州 政 治 ︑ 社 会 統 合 の 展 開
島 崎 久 彌
1 目次
一はじめに
二EUの概念とその展開
ω統合の概念的混迷
②連邦主義の思想的源流
⑧EU構想の展開過程
三政治統合
ω統合理論の素描
②EPCの軌跡
⑧防衛・安全保障政策の進展
ω機構問題ーー民主的赤字と補完性
四社会統合
ω基本的人権とヨーロッパ市民権
㈲社会憲章
㈹統合の新生而
五むすび
一はじめに
一九九一年のトニ月︑マーストリヒトの欧州理事会において合意された↓﹁Φ鋤蔓︒訂国仁﹃︒℃Φ餌口C口δづ(後述のように
現状では・曽﹁︒℃§c曇の定訳がみあたらない藷︑本稿ではEuと略称し︑本条約についても︑便宜了ストリヒト条約とい
う俗称を使川する)の実施可能性については︑批准の過程でデンマークが第一回国民投票で︑これを否決するなどの混
乱が続発したため︑またしても国霞oω8℃鉱︒ωがム[頭したが︑最後まで帰趨の注目されていたドイッ連邦憲法裁判所
が︑一九九三年のト月卜二日︑予想された如くに合憲の判決を下したため︑本条約は︑第V編第R条第一項の規定す
るところにより・一九九三年のー・一月一日に発効する運びとなった(それに対応して︑一九九︑.一年の十一月八U︑共同体の
外相理事会は・ECの閣僚理事会をEU蟹八f§邑︒日・﹃8§¢賢喜︑EC委員会を欧州委員会凸ロ同︒︒①鋤コ︒︒⁝ω,
︒︒δづと呼ぶことに決定した︒以ド︑委員会と略称)︒マーストリヒト条約の意義を一言でのべるとするならば︑それは︑こ
れまで概念だけが先行していた︒Euに︑具体的な内包を付与し︑条約によってそれを規定するに至.た}﹂とである︒
ただしEUの構成要素については︑論者によって若干見解が異り︑一九九.一年の四月︑欧州議会の作成したマースト
リヒト条約に対するポジション・ぺ九な︑欧州経済通貨同盟(EMU︑冒8§国§︒a︒麟⁝︒口Φ一印吋網dコ一︒口)︑
欧州政治協力(EPC・冒8§勺⁝・鋤§・罷§)︑および共通市民入権︑および民主的︑効率的な騰をもっ
て・EUの基本的な護要素として境・また勺Φ叶Φ⁝α薯は︑EUを護する三体の柱として︑⑦共通通貨と中央
欧 州 政 治,社 会 統 合 の展 開
3 銀行躍をA己むマクロ経済︑金融政策と︑◎里市場︑◎および防衛能力を含む対外的アイデンティティの確妾あ
げている︒同じく﹀ココ餌≦量・・窓と窒窪壽=餌8は︑⑦ECと◎EPCおよび◎司法.内務面の協力をもって・
ヨ EUの構成要素としているが︑この区分法はマーストリヒト条約の外形的︑解培学的な所見としては・大方のみとめ
るところといえよう︒それに対してマーストリヒト条約の窮極の狙いとする理念に着目して︑より包括的な概念構成
を試みるためには︑兀七三年の⊥月に︑時の西ドイツ首相プラントが︑夙に提唱したよ起・EMUと社会同盟(ω︒︒一餌一〇コδロ)および政治同盟(勺︒一㌶8一α訊8)の一一一要素に分類するのが妥当と思われる︒いずれにしてもマーストリ
ヒト条約は︑▼﹂れまでロ←条約の規定していなかった統合の分野における法の欠訣を補うだけでなく・二⊥世紀
を指向するヨーロッパ統合の新しい進路を示した道標ともいえるのである︒
ローマ条約は一九七〇年と七五年に︑予算面において若干の修正が加えられたが︑それに全面的な改正を試みたのは︑元八六年の.耳に調印され︑充八七年の七月に批准されたω甚︒国§b§鎚(以下sEAと略称)であり・
そこにおいては周到にも︑発効五年後に︑EPCについて見直しを行う旨の規定が設けられていた(SEA︑第皿編︑
第30条︑第12項)︒しかしながらSEAの見直しは︑当初に予定されていた﹁九九.﹁年をまたず︑一九九〇年の右二月に
早くもそのための政府間会議(岡遷・・ー§量︒・鵠h§8︑以ド︑‑GCと略称︒当初はEMUに関する‑GCの開催が先
行し奈︑EPCについても︑平行的午GCを開始することが決定されたのは︑冗九〇年五月のダブリン欧州理事会の}﹂とで
あった)を開催することが決定されたのであり︑その背景としては︑次のようなことが考えられる︒第一はECにおけ
る蛍市場計画とEMU創設計画の進展であり︑第.豆九八九年の東欧革命およびそれに伴う東西両ドイッ統一の
影響である︒第三はEFTA諸国がECへの加盟を申池嗣し︑東欧諸国がECに接近し始めたことであり・第四は湾岸
危機を契機として︑それまで最も難澁していた防衛面の協力が︑大幅な進展をみせるに至ったことである・第五は・
欧州議会(両霞o℃①窪勺巴冨ヨΦ三︑以下EPと略称)の精力的な活動であり︑SEAを不服とするEPは︑一九八九年末の
竃舘二づ即ΦO自冨において︑三段階にわたる改革案を勧告した︒イタリアの議会はいち早くこれを支持し︑ベルギーが
覚書を各国に送付したのをはじめとして︑一九九〇年の四月には︑コールとミッテランが︑IGCの開催を提唱する
焦罷・SEA改正の機運が急速に盛り上るに至ったことは︑特筆に値する︒第六の要因としてあげられるのは︑経済
制裁の行使など︑対外政策の実効性を高めるにあたって︑ECとEPCを峻別してきたこれまでの二元論的な統合の
方式が・限界に直面し・轟築を迫られるに至ったことで蒙︒そのほかの要因としては︑いささかエビYドめい
ているが・ドロールはイギリスの議長職(勺﹃ΦQ自一〇ΦコO望)への就任が予定される一九九二年以前に︑ロ1マ条約を改正す
るためのIGCを完了させようと考えていたとも伝えられる︒
IGCの創設に至る経緯と︑それの展開過程については︑便宜後述の補遺に譲ることにするが︑その結果として合
意されたマーストリヒト条約は︑既述のように︑ECと︑CFSP(O︒ヨ日8閃9Φ一σqコ◎⇔α︒︒Φ︒ロ触一蔓℃︒一凶︒唄)と︑司法.
内務を・EUの三本の柱とする垂︒芳式を踏襲せざるをえなか・たものの︑後︑著については漸進的にECに統合
(ビザは第三の柱から第一の柱に移された)する方針が明かにされただけでなく︑EMUと政治︑社会同盟を︑EUという
共通のコンセプトによって統一することに成功した︒まず通貨面においては︑SEAの果しえなかったEMSの条約
による確認という目的を達成しただけでなく︑EMSを第一段階とし︑今世紀の末までに達成される予定のEMUの
ヴィジョンと構成が・明確に規定された︒他方ECの枠組みとは別箇に︑政府間の協力を事実上積み上げる形で展開
されてきたEPCについては︑SEAの規定が大幅に拡充されただけでなく︑EMUとEPCを単一の条約に包囁す
ることによって︑同じくESAの達成しえなかった懸案を解決するとともに︑それまでは政治的︑経済的側面に局限
されていた防衛・安全保障政策についても︑あらゆる側面に渉って︑共通政策を採用する途が開かれた(その結果EP
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CはCFSPに止揚された)︒そのほか共同体の意思決定過程を効率化するために︑多数決制度の導入が大幅に拡充される反面︑民主的赤字を克服するために補完性(ω・蓬鋤量の原理が再確認されたことも・注目に値する・さらに共同
体の社会的領域においては︑ヨーロッパ市民権が条約によって規定された(第皿編︑第2部・第8条)ほか・人権教育・
環境︑司法︑内務をはじめ︑社会政策の分野における協力と共通政策の導入が規定され奈・社会憲章の条約化については︑イギリスがワ﹂れに反対したため︑それの実施は議定甫とイギリスを除く±か国の協定に譲られることに
なった︒そのほか域内の経済較差.を臼疋正し︑地域的な驚を強化するために︑構造基金(ぎ§亀琶を通じて・
周辺国の羅︑通信︑輸送網を整備する▼︑とが合意された︒そのようにし三九六九年の→グ首脳会談以来・共同
体が推進してきた経済通高盟と政治︑社会同盟の同時︑複合的な展開の成果は︑曲りなりにもマーストリヒト条約
によって︑一元的に体系化される}しとにな.たが︑EMUが超国家性を一段と強化したのに対して・政治・社会同盟
は︑政府間嚢を克復することができず︑その間のアシンメトリ総著しいのが特色である・
この点でとくに注目に値することは︑EUの連邦化を忌避するイギリスとデンマークとポルトガルの譲歩を引出す
ために︑マーストリヒト条約の原案から︑﹁Fという.百葉﹂(︑閃ミoa.目閃aΦ犀臣ヨ)が削除されるに至ったことであ(肥︒
それかありぬかわが国においては︑7ストリヒト条約を連合条約と称する向きも少垂いが・Euは・単に共同体
の統A口過程における現在の位相を単純に投映した表象に止るよりは︑共同体における統合の窮極的な理念とする連邦
制へのアスピレーシ.ンを含意するものといえる︒共同体における統合は︑それの軌跡が物語るように・本来的に静
態的なものではなくて︑Φ<Φ円︒}︒・・①﹁d曇へのプ呈スにほかならないのであり︑マよトリヒト条約が・SEAと
同じく︑↓九九六年に︑加盟国の代表者会議を開催して︑条約の見直しを行う旨の規定を事前に設けていることは・(第V編︑第N条︑第2項)統合のダイナーズムを前提としたものとい蕊・そのようにしてみるな︾bば・了ストリヒ
商 経 論 叢 第29巻 第4号
ト条約は・今後とも無窮道的な展開が予想されるヨ占ッパ統合過程の過渡的な産物であり︑あくまでもそのたあの
車塚にしか過ぎないのであって︑統合の窮極の目的とするEUの完成︑つまりヨーロッパ連邦の形成に︑どれだけ
接近するかが︑今後の課題ともいえるのである︒
補遺
政治同盟に関する‑GCの開催を求める〒ル・‑ッテラン共同書翰は︑冗九〇年四月のダブリン臨時欧州署会において︑
多くの加盟国の支持をかちえたものの︑イギリスとポル寿ルの反対をうけて︑留保を余儀なくされたが︑六月の欧州蟹会まで
に・外相理事会が問題点を検討した上で︑‑GCの開催を呼びかける垂が整.るりれた︒その年の五早.︑.Bには︑EC委員会が
ゆΦ量§把おけるセー才において︑対外政策の強化とともに︑共同体機関の果化と権限の強化などを提ゴ巳たほか︑ギリ
シアも覚書を送って・欧州議会の権限強化︑EPCとECの兄化︑教育・文化.社会.環境政策の協鯉を提唱した︒五旦九
‑二〇日には・雪琶=鋤において︑非公式の外担事会が開催され︑常駐袋委員会などにおける準備作萎去口にして︑検
討が行われた・その結果‑GCを開催する公算が強くなったが︑五月︑+・.日には︑第..回了チン墾口が提出され︑各国の蕩
が馨彫りにされた・そのような経讐へて︑冗九〇年の六月.+五・六日に開催されたダ了ン欧州蟹会は︑その年の出
月に・︒ーマにおいて・‑GCを開催することを決定したが︑フランスとイタリアがEUの連邦唱的を強調したのに対して︑イギ
リスは︑外交と軍事・安全保障の分野における共通政策の導入に反対した︒
そのような状況の中で議長職に就任したイタリアは︑折からの湾岸危機を背景として︑西欧同盟(WEU︑≦..日⊆.︒︒§
d蚤・以下WEUと略称)をECの傘Fに収めることによって︑軍事防衛政策の調華実施すべきであると主張したが︑斉
六日の壼︒における外相会禧おいて︑イタリアを支持したのは︑ベル〒だけであった︒しかしなかり一か月後の外相理事会
においては・多くの加盟国が・共通外交・塞保障政策の導入案を支持するとともに︑EPCとECを統一し︑EUを共同体の紡
衛政策に拡大することについても︑蕨的な合意が成凱した︒それをうけてその月の二+百にEC委員A広は︑ECとEPC璽︑IGCのテーマとして体化を提言するとともに︑共通防衛・外交政策農開と︑民主的赤字の・歪︑および意思決定の効率化を
提案した・冗九〇年の+二月・欧州理事会の開催に㌻って︑〒ルと︑・ッ一ア一フンは︑イターアのアンドレオッチ精に童日撃
送り・委員会の権限を・環境・社会政策︑司法等の分野に拡大する万︑〒ロッパ市民権を明文化し︑意思決定の効率化をはか
欧 州 政 治s社 会統 合 の展 開
7 るとともに︑EPの共同決定権を強化することによって︑民主的赤字に対処すべきであるとセ.張した︒
冗九〇年士灯+四‑+吾の・←における欧州理事会を皮切りとして︑開催された‑Gcは︑民主的赤字の是奥共通外
交.安全保障政策の導入︑ヨーロッパ市民権の確立︑ECの活動領域の拡大︑意思決定の効率化を議題としてとり上げた︒一九九
一年上半期の議長職をつとめたルクセンブルグは︑同年四月に第一次案(..窯oコも8Φ㌦・㌔O鑓P↓﹁紹¢﹀三9Φω三些餌≦Φ≦8鋤︒註Φ<一口αq℃︒葺廟︒蝕一qロδづ..)を提出し︑ECとCFSPおよび司法・内務によって構成される︑..本の柱の上に︑EUを形成しよ
うとした(}﹂れは↓︒量Φまたは婆餌芳式と呼ばれ︑フランス︑イギリス︑デン了クによって支持された)・そこでは同時に補完性の原理︑ヨーロッパ市民権の概念が導入されたほか︑充九︑ハ年に︑ECとWEUのリンクについて再検討を行う案が提出
された︒それに対してその年の11月︑ルクセンブルグ案の修正案として提出された委員会案(・噸o霧甘β︒一¢瓢8為冨Q︒呼¢9霞Φoh9ΦO﹃m津↓﹁Φ㊤蔓︑.)は︑..一本の柱を一本化し(↓冨Φ方式と呼ばれる)︑EUの連邦的性格を強調したが︑条約の構成については︑
合意がえ.bれなかった︒その年の六月に提出されたルクセンブルグの修正案(..︒藝ぎ昌婁冨量︒訂・)は・婆鋤}式を踏襲する反面︑条約にEuの連邦目的を挿入したが︑同年六月末のルクセンブルグ欧州理事会は︑ス・ベキア・ク︒アチァ問題の処
理に追われ︑1GCの交渉には︑進展がみられなかった︒
続いて一九九一年ド半期の議長職に就任したオランダは︑↓冨Φ方式に基く新しいテキスト(.・O窮津↓冨鋤蔓§誓Φd昆o鵠﹂を提出したが︑九月の二十日に開催された外相会議においては︑十か国が︑オランダ案に反対した︒同年十一月十二〜十三日のZo9憎α≦脚における外相会議に提出されたオランダの修正案(..O鎚津C三8日﹃$蔓..)は︑既述のルクセンブルグ案と違って・EPの役割を拡人し︑CFSPの共同決定に当って︑多数決制を導人するとともに︑EUの連邦的性格を強化しようとするものであっ
た︒しかしなが・り加盟国の対立が︑両に解消されなかったため︑これを叢した六か国のキリスト教民高盟のリーダ逢は・土月六日に協議を行い︑Euの連邦目的をド・ップする反面︑イギリスに対しては︑移民︑外交政策の見直しを・冗九六年に
実施するでフンをのませよ・つとした︒さ︑bに了ストリヒト欧州理事会の遍間前には︑ブリュッセルにおいて・外相会議が開催
されたが︑⑦EUの連邦目的︑◎CFSPにおける多数決制の導人︑◎防衛政策の協力︑㊥社会政策と産業政策の協力︑㊧経済的︑
社会的結束の五項目については︑結論がえられないまま︑マーストリヒトの欧州理事会に持ちこされることになった︒(IGCの
詳細については︑閏一ココい山仁Nω①口mロαωo℃三①<mロゴooゴ固鼻ΦさΦ09§鴨き紺磧o器§ミ§ミ︑Ooミ側越謡越§国ミ簿ミ§帖§噛ζp山ωθ﹃一︒鐸・一8N空︒ゴ餌aOo笹Φ#㌦︑↓冨一三①﹁αqo<Φヨ語Φ黛巴Oo三2窪80コ勺o一三8一〇昆o胃︑..冒ミ§﹄ミOoミミ§さ寿ミ勲舘ミ偽恥<︒ピωρZ︒・こ︒あ①や一8呼閃﹃き8>㎞σq一Φ昌..ωΦ註ロαq9ΦO算δ塁︑."言≦o剛hoq雪σq≦Φ︒︒ω①一︒・糟Oゴユω鉱四ヨ国コαqΦ一(Φaω・)"憲鳥
肉§き篭魯蕊qミo§§ミ鳴N℃b雰曽ロdoコP一8ρ℃P一㊤一ート︒顧・)︒
注(1)国霞8①き勺巴冨∋Φロ酢.き蕊ミ6ミ︑↓ミ↓越黛竜§肉設§鳴§qミ§・↓書ぎ軌ミ︒謡9ミ帖肉黛鳶鳴§尋﹃亀黛§鳴詰︑・ピロ客Φ∋︑
げOじ﹃αq.一㊤㊤卜Q・℃噛一'
(2)勺①酋霞い呂一〇牽ヒロ塁oミ竈も蜘肉ミo富§織駐壽︒︒ミ§ミ﹁ミミ鈎(O国勺ω勺帥℃Φ57HO・QQQo)・じσ目¢︒︒の①一ω・一Φ︒︒㊤も・㎝︒︒・
(3)﹀§≦量ω匹塁国︒百護葺寒肉§§︒§ミ導寒︒ミ薯鴨爲嵩N魯§§二︒コ9ロ・§も・ω・︒・ω.
ψぎ悉ω豊内.﹀﹄蒙Φ5も同じ立場をとっている(﹂§§︒・国馬§§窪§鳴ト︒コ匹︒口葛りωも・㎝・)︒
(4)刀亀き︒ρ↓譜b§§§9肉§慧§§§"ピ︒コα︒ロ葛︒︒刈も﹂お・
(5)SEAは・外務省の公訳に従い︑一般に単一欧州議定書と称されているが︑本来・︒芝は︑決定書と訳さるべきものである(糖章郎園際法丑︿法律学全篶﹀有斐閣︑昭和翠︑二六九→ジ)︒もっともわが国の外務省には︑一九二八年の国
際紛争平和処理に関する一般決定書を︑艘議定書と訳した先例もあるが︑議襲日とは本来的に﹁独立の条約ではなくて︑他の
条約に付随した条約である﹂(同上書︑ニヒ?.ピ一ぺ})︒従ってSEAのうち︑ロ←条約の改正部分については︑議定
書と称することも・あるいは可能であるかも知れないが︑SEAは・←条約を改正するだけでなく︑同時にEPCを新に条約
化したものであり・これを議定書と呼ぶことには抵抗を覚えざるをえない︒もともと条約(冨巳の代りに"︒芝い.つ名称を
用いた理由も一つには︑一九八一年のゲンシャー三・ンボ・イニシァティブ(○Φ冨9Φマ090ヨ9冒帥け一鋤江くΦ)が︑一噌Φ帥けて
鋤9←αΦ︒冨B口oコに後退せざるをえなかった経緯からも容易に推察されるように︑イギリスなどの反対派を刺激しないように
配慮したためともみられるが︑ド・んEc委員長が︑充八五年のn月召︑記者会見の席上︑次のよ・つな提言を行っていた
事実は・誠に興味深いものがある︒﹁われわれが外交政策︑とりわけ安全保障政策と︑経済社会活動を︑里の共同体に融合す
ることができないことについては︑理解する︒そこでわれわれは︑一種の全体的な見出しとして︑ω一ロα頃一︒︒︒けを要求する︒われ
われは二方において経済共同体の為の実り多き条約と︑他方において政治協力の条約との二つの条約を所有するとしても︑わ
れわれはそれによって︑国ロ同oも窪ロd三〇コを見失っていないということが許されるであろう﹂(ζゆ噌一コ癖︒OロNN︒噂↓︒ミ黛ミ︒︒肉黛さ,
鷺§qミo§口.ゆ同ロ︒︒ω9ω.一¢︒︒①も嗣︒︒O)︒そこには簿9というタイトルによって︑﹁決定書﹂という条約の形式を表示するだけでな
く︑EUという共通の目的を指向する固9(﹁行為﹂)によって︑ローマ条約の改正と︑新しいEPC条約を一元化(ω一鵠αq一Φ)し