桶川 俊忠
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Ⅰ 非文字資料をめ<'る方法論的諸問題今、お二人の先生か らご報告 をいただきま したが、それぞれ独立 した観点か らの ご報告 で、 どのよ うに関 連付けて コメン トをすれ ばよいのか、正直に言 って とま どっているところであ ります。 しか し、それでは話 が進 まないので、 とにか くお二人の ご報告 に対 して、それぞれの コメン トを申 し上げて、その上で、なん と か関連付ける方向を探ってみたい と思います,
まず、 リュ先生の ご報告についてですが、先生が 「木ではなくて森 を見 る」 とお っ しゃったのが とて も印 象的で したO われわれ プロジェク トの中で活動 しているものは、 とか く自分の研究テーマのみに集 中 して全 体が見 えな くなる、つま り 「森ではな くて木ばか りを見 る」 ことにな りがちだか らです。そ して、先生は、
われわれのプロジェク トの 目的が、バーチャル ・ミュー ジアムの構築にあるのではないか と指摘 され ま したO た しかにわれわれのプ ロジェク トは、当初か ら新 しい情報発信 の技法 を開発す ることを うたってお り、今 年か らは、地域統合情報発信 と実験展示の二つの研究 グループを立ち上げ、新 しい情報発信 の実現 を具体化 す ることに着手 しま した。 しか し、 この試みは、正直に言 えばいまだ試行錯誤の段階であって、明確な ヴィ ジ ョンを結ぶ ところまで到達 していないのが現状ですO そ うい う段階にあって、 リュ先生の ご報告は、われ われの試みに、明確 な方向性 を指 し示す もの と して大変示唆す るところが多かった と思います。
ところで、先生の提起 されたバーチャル ・ミュー ジアムは、最近著 しく発展 し、今なお発展 しつつあるI T技術 を駆使 したデジタル ・アン トロポ ロジー (アン トロポ ロジーは、 日本 で言 う民俗学 ・民族学の両方を 含んだ概念 として使われていると思 いますが)の成果 を基礎 として構築 され 、それ には三つの これ までにな い可能性があると指摘 されています。
一つは、そ こでは、「ライブラ リー とミュー ジアムの結合lが可能だ とい うこと、 もう一つは、「テクニ ック ス とプラクテ ィス」を表現できるとい うとい うことです。そ して、情報が一方的に与え られ るだけではな く、
情報の双方向性 が確保 され るとい うことであ りますo
現代の
IT
技術は、当面 コス トの問題 を度外視 していえば、視覚 と聴覚で捉 え うるあ らゆる種類 の情報 を 大量に処理 し、データベース化す ることを可能に しまた。 そ して、ニとなる質の様 々なデー タを自在に結合 させ ることができるよ うにな りま した.静止画、動画、立体映像 、音声そ して文字データがパ ソコン画面上 で 自由に結びつき、豊富なイメー ジを提供す るOパ ソコン上では、実物展示の世界 (ミュー ジアム) と文字 デー タ (ライブ ラリー)の間の障壁は取 り除かれ ることになったわけです.。 このことが、学問的知見 をどの よ うに広げてい くことが出来 るかは今後の課題 であるか もしれ ませんが、少な くとも、様 々な資料 を扱 う諸 学問の成果 をよ り説得的かつ具体的かつ分析的に提示す ることを可能に していることは否定できないで しょうO
次に、こ うした技術はまた、これまで写真や文字な ど固定 した形で しか表現できなかった ものを、「テ クニ ックス とプラクテ ィス」 (これは 日本語 には訳 しに くい言葉ですが、「技法 と動 き」 とで も訳 してお きます) の レベル で動態的に表現 し、分析す ることを可能 に していますOた とえば、ある一つの道具 に注 目す る場合、
その もの 自体だけではな く、それが使われ ている状況 ・環境、使 う人 との関係 、使 い方、製作過程、他の同
鷲
セッションⅠ
非文字真料をめ<'る方法論的詩問宵種道具に関す る時間的 ・空間的情報な どすべて関連付 けて記録 し、表示できるわけですOこの ことによって、
見 る者 は、一つの道具についての豊富なイメージを獲得できるだけでな く、研究者 にとって も、も し多 くの 地域でデー タベース化が されていることを前提 にすれば、容易 に比較す る手段 を手 に入れ ることができるこ とにな りますD もっ とも、そのためには、研究者や資料所蔵者が、明確な 目的意織 を持 ってデー タベースを 構築 してお く必要があ りますが。
三つ 目の双方 向性の問題 ですが、インターネ ッ トが双方向的な ものであることは もはや言 うまで もない こ とですが、この双方向性 を研究の分野で生か している実績はまだ少ないのが実情で しょ う。 リュ先生 もご指 摘 のよ うに、 ウイキペデ ィアに見 られ るよ うに、ただ見 られ るだけではな く、そ こに参加 させ ることに よっ て よ りよい情報 を集積す ることができるわけですO かつて、薬害によるアンケー ト方式で研究の基礎データ を収集 した ことがあ りますが、現代では、 もっと多量かつ広範 に、そ して質の高い情報が得 られ る可能性が 広がっています。ただ、集積 された情報 を選別 し、管理す る仕組みを どのよ うに構築す るか とい う問題 は残
されています。
以上のよ うに、デジタル ・テ クノロジー とイ ンターネ ッ トを組み合わせ ることに よって、バーチャル ・ミ ュー ジアムとい う情報の発信 と集積の仕組みが実現 され 、そ こに新 しい知的環境が形成 され る可能性が広が っていることは、先生が指摘 された とお り誰 も否 定できない と思 います。 しか し、 どうして も指摘 しておき たい問題が一つあ りますoそれは、実物の迫力あるいは想像喚起力 とで もい うべ き問題です.
先 日、福島県立博物館で行われた夜具 ・衣類 の展示 を拝見す る機会があ りま した。 そ こに、展示 された幾 重にも継 が当て られ、擦 り切れた跡が残 る夜具や衣類 を見た とき、その実物の持つ迫力に圧倒 された覚 えが あ りますO それ を使用 していたであろ う人 々の生活の光景が浮かび、様 々な想像が広がっていきま したO念 のため申 し添 えておきます と、その生活の貧 しさを思ったわけではあ りませ んO もちろん、貧 しさもあ りま すが、む しろ、物 にたいす る人々の心の持 ち方を思わ されたのです。人々の知恵や工夫や 、あるいは美的感 覚す らも想像 させ られ たのですO そ うい う迫力は、バーチャル な世界ではおそ らく感 じられ ないで しょ うO も し、バーチャルな世界 に止 まるだけになれ ば、実物に対す るそ うい う感受性が失われ ることになるのでは ないか。 そ うなれば、人間の生活や文化の最 も根底的な ところには、理解が及ばないのではないか とい う危 懐 を覚 えるのです。 その点について、 リュ先生の ご意見 を うかがいたい と思います。
次に、的場先生の ご報告ですが、「知覚 をめ ぐる哲学的諸問題」 とサブタイ トルにあ ります よ うに、極 めて 抽象度の高い ご議論で、非文字資料 とは何か、そ してそれはいかに認織 され るか とい う困難 な課題 に答 えよ うと したご報告で したO私のよ うに即物的人間には難解す ぎる感があ りますが、理解できた範 囲で コメン ト させていただきます。
先生は、文字資料 と非文字資料 を r文法的 コー ド体系」 を持つ もの と、持たない もの と して区別す ること を提案 され ています。この ご提案 は極 めて重要だ と思います。文字資料 と非文字資料は、研究 しよ うとす る、
あるいは観 察 しよ うとす る対象 (物であった り、現象であった りす るわけですが)の性質に即 して区別 され るものではな く、対象 を研究 し、観察 しよ うとす る側 か ら設定 され る区別であるか らですC先生 も例に挙げ てい らっ しゃるよ うに、文字は一定の文法的 コー ドに したがって配列 されている場合 には、文章 として書 き 手によって決定 された意味を表現 し、伝 えるための 「文字資料」とな りますQ しか し、その書き様 、書体は、
書 き手の意志 を反映す るよ りも、書 き手 も無意識 であるよ うな別の情報 を表現す る (例 えば性格診 断に使わ れ るよ うな)資料、す なわち非文字資料 として分析 され ることにな ります。逆に、絵画や写真 あるいは伝達
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セッション
Ⅰ 非文字資料をめ<・る方法論的詰問居手段 として使 われ る太鼓の音のよ うな場合 、文字ではない資料ではあるが、書 き手、撮影者 、太鼓の叩き手 が決定 した意味をそれぞれ の コー ドに したがって解釈す ることが求め られ ますO その場合 には、文章を理解 す るの と、基本的には同 じ方法が適用 され ることにな りますo
Lたがって、 この区別 は、資料に対す る接 し方の違いに関係 してきます。 た とえば、文字資料の典型 とも いえる思想的著述 を考えて見ま しょ う。 ちなみに私は思想 史を専門 としていますので、そ うい う例 を挙げる わけですが、研 究者 ない し読者 は、できるかぎ り忠実にテキス トを読み、著述者の言わん とす るところをで きるかぎ り正確 に理解す ることに努 めます。そのためには、著述 の全体 を対象 と し、場合 によっては著述が 為 され た個人的、社会的、歴史的背景までも検討 しよ うとします。著述の一部 を切 り取 り、断片化 した上で、
解釈 した り、評価 した りす ることは、できるかぎ り排除 しよ うとします。
それにたい して、非文字資料 として分析す る場合、事情はまった く異な ります。 た とえば 『絵 引』の場合 ですO『絵引』は、絵巻 (物語絵巻 としてそれ 自身の決定 された意味を持 っているわけですが)の一部 を任意 に切 り取 り、絵巻の意味 とはまった く関係 のない ところで、道具や動作 をデー タ化す るために作 られていま す。 あるいは、景観、た とえば山肌 に残 る雪形です。 それは何の意図 も含まない 自然現象そのものです。 し か し、人間は、その雪形 を農耕作業の開始 の合図 として理解す るわけです。 あるいは集合記念写真 を考 えて みま しょ うO記念写真です か ら、それ には記念写真 と しての意味があ ります, しか し、その写真は、衣装に 着 目すれば、服飾史の資料にもなる し、ある種の写真は政治学の分析対象に もな ります。すなわち、意味は、
対象の中に存在す るのではな く、観 察 し、研究 しよ うとす る側が与 えるもの と して存在す るわけですO この 点が、文字資料にたいす る接 し方 とは根本的に異なることにな りますa
このことは、 リュ先生が、非文字資料はイ ンプ リシ ッ トである といわれたことに関係 します。 インプ リシ ッ トなものは、比較的意強化 され ることが少ない と言 えます。しか し、人間の生活は、すべてが意織化 され、
イ クスプ リシッ トに意味を表現す るものか ら成 り立 っているわけではあ りません。む しろ、そ うした領域は、
普通の人間生活のなかでは一部に過 ぎません。非文字資料 を研究対象 として取 り上げることの意味は、イン プ リシ ッ トな領域 をいかに意識化できる領域 に引き出 して こられ るか、そ してそれ を明示的に表現 し、伝達 す ることができるかにあると思います。そ うす ることによって、人間の生活や文化の理解 の領域 を拡大 し、
豊富化す ること、これがこのプロジェク トの最終的 目的 とい うことになるのではないで しょ うか。
その場合、研 究者、観察者 の側が、いかに 自分の分析視角 を明示 し、収集 した素材 を研究対象の資料 と し て体系化 したかを明 らかに し、その資料 を分析結果 と共に情報発信 してい くことが求め られ ていることはい
うまで もないで しょうO
私のよ うに、 日頃は、古文書や思想的著作の世界に沈潜 してい るものの 「傍 目八目J的か ってな言い分 と され るか もしれ ませんが、このプ ロジェク トに参加 させ ていただいて、また今 日のお二人のご報告を うかが って、刺激 を うけたままに感想 を述べ させ ていただきま したOお二人の先生に、心 よ り御礼 申 し上げますO