最近のイギリスの舞台 : ロイアル・シェイクスピ ア劇団と史劇三部作のことなど
その他のタイトル The English Stage Today
著者 名取 栄史
雑誌名 関西大学東西学術研究所紀要
巻 10
ページ 71‑80
発行年 1977‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/16079
昭和四十六年四月より八月まで関西大学在外研究員として︑次に
同じく五十年四月より四カ月間︑研修休暇を利用して︑私は主とし
てイギリスに滞在した︒その間︑今回はとりわけ劇場見て歩きが滞
英目的の主たる︱つであった︒
ロンドソに着いたのは五十年五月二十四日である︒
ルドウィッチ劇場
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ld
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での
﹁恋
の骨
折損
﹂
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の楽日であり従ってこれが今回の観劇行の最初のものとなった︒
この劇場はロイアル・シェイクスピア劇団
( R . S . C )
のロソドソ
での本拠であって一九
0
五年
開場
の一
0
二四席ある落着いた劇場である
︒
R.s.C
の七五年度シーズンは極めて忙しく華やかである︒彼らの今︱つの本舞台はシェイクスピアの故郷ストラットフォード
( S t r
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p o n , A
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の記念劇場
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であるが︑その開湯百年記念公演がイギリス演劇界の今シーズンを
最近
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舞台
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ーロイアル・ジェイクス︒ヒア劇団と史劇一ー一部作のことなど
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ス ト ラ ッ ト フ ォ ー ド へ
この日はオー
最 近 の イ ギ リ ス の 舞
台
七
オックスフォードからやってきた私は︑宿へ行く前に 飾っている︒上演されるのは﹁ヘソリー四世第一部﹂﹁ヘソリー四世第二部﹂﹁ヘンリー五世﹂の史劇一ー一部作と﹁ウィソザーの陽気な女房たち﹂の四つである︒その間︑女王と王家の人たちを迎えての記念
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劇は
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Vy︑七月四日﹁ヘンリー四世第一部﹂
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七月五日﹁ヘンリー四世第二部﹂
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ウ
ィンザーの陽気な女房たち﹂公演は八月中旬以降となるので見られ
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部作
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三日
午後
︑
劇場の切符売場
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Office)~
立寄ったのであるが︑緑に包まれ
た町全体がお祭りの遊園地のような人出︑切符売場も人が群がって
いた︒結局その夜の部は立見席︵これが安いもので五十ペンス︑三
百円余りだ︶︑翌日の夜の部は
S
列なので最後尾︵ついでに云うとに角
︑ ーボンド半︶五日のマチネーがH
列(
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とい
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第︒
兎
いかな席にせよ切符は手に入ったので閉静な田園風景を楽し
名
取 栄
史
国王を主人公に仕立てあげた歴史劇など︑我が国の芝居では容易
に考えられぬことだ︒
でも
なか
ろう
︒ ⇔
題
シェイクスピアは英国歴代の帝王紀を舞台に
のせる︒それも彼の時代より四代・五代も以前の王ならいざ知らず︑
自分たちの女王様の父君までも劇化した︒それは又︑国王讃歌では
なく︑その行為の残酷さ︑肉体精神の醜悪さを赤裸にむしろ誇大に
描いて一個の強烈な人間像をその生きざまを浮き彫りにした帝王紀
リチ
ャー
ド︳
︱‑
世の
無惨
さを
挙げ
るま
と云えよう︒リチャードニ世︑
ヘンリー四世とても︑終生王位纂奪の罪に悩み︑嘗
ての盟友であった諸侯の叛乱に悩まされ︑老いと疾病に気力までも
衰え行く王である︒
そのような王たちの舞台を処女王はご覧になった︒しかも大いに
興がられて︒今回の史劇一︳一部作公演にも王室一家は打揃ってお出か
けになり︑女王を中心に盛大な記念︒^ーティまで開かれる︒日本で
は到底考えられぬことである︒一体どういうことなのだろう︒幕間
に不図考え込むのである︒
ノルマン征服以後五百年経った当時に於いてもイギリス人の可成
よ そ も の
りの層にとって︑感覚的には王室は征服し移住してきた他国者の指
導者の血を引いている︒またそのイギリス人の層にしてもウェール 材 み乍ら町の外れのゲストハウスに向かったのである︒ズ︑スコットランド︑アイルランドに住む人々にとっては異民族で
ある︒異邦と云って過言でないそのスコットランドから女王の後嗣
として王を迎えるのが当時である︒
客た
ち︑
このことが往時のイギリスの観
それはシェイクスビアをも含めて︑更にそれから四百年を
経過する今日の観客たちも冷静に批判的に且つ楽しく熱狂的に要す
るに自由勝手に舞台の主人公を眺めることが出来た所以であろうか︒
エリザベス一世自身︑そしてニリザベそして芝居の魔力というか︑
スニ世御自身もロイヤル・ボックスに身を置かれる時︑そのような
イギリス人の観客の一人となっておられるようだ︒話は逸れるが︑
最近︑王室歳費の増額を公然と国会に訴え出られたことが新聞紙上
を賑わし国民の様々な反響が呼んでいた︒その事の是非は借ておき︑
この女王の訴えは或る意味では物価高騰に悩む庶民の感覚とこじつ
けられないこともない︒兎に角︑王室と国民はこのような遠慮のな
い関係にあり︑その国民感情の中でそうした王たちを主人公に取り
上げ
たの
であ
る︒
R・ハミルトン︵もと︑ウィンチェスター校の歴史・言語学教授︶
の﹃イギリス小史﹄A
Ho
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は新書版列王略伝とい
ったものであるが︑そこに歴代国王の寸評がある︒殆どが痛烈な寸
鉄句であって︑現女王の父君もその筆を免れ得ない︒ただエリザベ
スニ
世は
^べ
Go
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という洒落ようである︒そこで
のヘンリー五世は五絢爛たる武将︑良心的政治家︑中世的ヒロイズ
ムと敬虔さの典型的人物クと破格の扱いである︒舞台のヘンリー五
七
ヘンリー四世第一部第二部を通じて絶えず笑いを呼び︑歓声と拍
国
い時は放蕩無頼市井やくざの群に身を投じ︑
明君英主もっとも無頼の折とても;この夜の十二時までありとあら
ゆる気分という気分︑そいつを残らず味わってやろう¢という当代
0 0 0
の心意気にその大器は窺われるが︑このやつしはわれわれは精々︑
助六実は曾我五郎か遠山の金さんぐらいのところである︒この人物
を創り出したところにシェイクスピアの国王鑑がある︒中世的ヒロ
イズムと敬虔さを保ちながら現実的庶民感覚があり︑新しい国王と
しての責任感と知見がある︒王は;キリスト教徒であるすべての王
たちのかがみク︵第二幕コーラス︶で︑盃神学・国事・政治にわたる
知見の持主︑︵第一幕カンタベリ大司教の評︶である︒又︑きわめて
人間的庶民的で戦いの前夜︑身をやつして兵士と語り合う英雄︵第
四幕一場︶でもある︒まさしく作者の列王伝の決論が一︳一部作のヒー
ローヘンリーであった︒
フ ォ ル ス タ ッ フ
手を喚起していたのは他ならぬフォルスタッフであった︒確かにフ
最近
のイ
ギリ
スの
舞台
一旦事あらば忽ち改心 のヘソリー五世であることは勿論である︒様々な国王たちの人間模 世もこの通りである︒一︳一部作を通しての主人公は皇太子ハル︑
のち
様をくぐり抜け最後に辿りついたシェイクスピアの即ち当時のイギ
リス人にとっての理想的国王像が舞台のヘソリー五世であった︒若
七
ハムレットのクローディア るため我知らずメイソソをそれとの比較で眺めていたのである︒決 タ
ッフ
に︑
ォルスタッフはシェイクスピアの創り上げた最も忘れ得ぬ人物の一
人であることは否めない︒が︑私はヘンリー四世に於けるフォルス
そしてフォルスタッフに扮したブルースクー・メイソ
ン
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に些か否定的な疑問を抱いたのである︒
ストラットフォードの町にくる十日余り前︑私はコヴェント・ガ
ーデ
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でロイヤル・オペラの歌劇﹁フォルスク
ッフ﹂を見ていた︒ヴェルディのこの歌劇は御承知のようにウィン
ザーの陽気な女房たちを筋とする︒歌劇でこの役を演じたのはゲラ
イント・ニヴァンズ
( G
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と云う歌手でコヴェント・
ガーデンに登場してはや一二十年経つ現在世界で第一等のフォルスタ
ッフ役と称される歌手であった︒その時の印象が鮮やかであり過ぎ
論からいうと役者メイソンより歌手ニヴァソズの方がフォルスクッ
フとして適役であったと云うことと︑喜劇ウィンザーの陽気な女房
たちのフォルスタッフは偉大であるが︑史劇ヘンリー四世ではフォ
ルスタッフの存在そのものがミス・キャストではあるまいかと云う
二点
であ
る︒
第一の点であるが要するにプルースター・メイソンはフォルスタ
0 0
ッフとしてにんに合わないのである︒反対にェヴァンズは合ってい
0 0
る︒いかな名人上手であれにんが合わぬとすればこれはどうしょう
タッ
フら
しい
︒
もない︒このメイソンという人は体格風貌すべていかにもフォルス
リア王に於けるケント
的人物は所謂悲劇史劇の格調をひき立たせるための色どりとならね ていない表出であろうか︒ニヴァンズにはそのかげがなかった︒た ス︑或るいはオセローを演ずる彼は一九六八年にもフォルスタッフを演じ︑先ず
R.s.C
に於いて代表的フォルスタッフ役者とみな0 0
されている︒その彼が何故にんに合わぬかというと一言で云ってメ
イソンその人の有つ陰影である︒私の周囲の恐らく英米人︵或るい
はそれに準ずる人々︶の観客は彼の語る科白の面白さにすっかり振
り廻されて気付かなかったようであるが︑脳中に少し古びた収音器
と旧式で時間のかかりすぎる翻訳器しか入っておらずそのくせ視力
方に
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たっ
ので
ある
︒
人一倍の私は︑彼が不図見せる表情に︑息を吸いこむような語り
ま い ん え い
科白を語り了えたあとの間の余韻に陰影の走るのを感じ取
これはフォルスタッフ役柄解釈とは関りないことで︑
フォルスタッフを酒好き色好みの性悪無頼漠と解するにせよ︑逆に
そとづらその外面と異り知恵のある弱気な実は好人物と解するにせよ︑その
いずれにしてもこの陰影は致命的なのである︒多分この陰影はメイ
ソンが生来有しているであろう虚無的な知性の自らはそれと意識し
だ残念なことには私が感じ取ったその事について確めるべき或るい
は論じ合うべき知己友人がその場にいあわせなかった︒私は行きず
りの孤独な見物人だったのである︒
次にヘソリー四世の芝居で︑その陰影は別にしてもフォルスクッ
フが眼障りであったという点である︒これは悲劇又は史劇に於ける
喜劇的人物︑喜劇的要素という問題と結びつく︒悲・史劇中の喜劇 人物に限らない︒果たす要素の一例である︒フォルスタッフの消えてしまったヘンリ
ー五世にもそうした喜戯的人物が登場活躍する︒ビストル︑
パードルフなどである︒いずれも個性豊かな芸達者がそれら各々を
生きた人間として演じ分け︑大いに私たちを笑わせ芝居の楽しさを
味わせてくれた︒然し乍ら彼らは皆︑ほぼ同じ重さをもった複数の
人物であり︑脇役以上には出ようとしない︒それ故に彼らの果たす
役割が大きいのである︒
て幾人かの喜劇的人物が現れる︒ところがそれら人物群のうちでフ
ォルスタッフ一人余りにも際立ち図抜けている︒
なは
くな
る︒
これは劇の均衡を
崩すことになる︒他のすべてを束にして一方の受皿に載せてもなお
秤の目盛はフォルスタッフに傾いている︒王子ヘソリーと同じ重さ
を持つ喜劇的人物がいるとなるとこれはもはや史劇ヘンリー四世で
フォルスクッフが馘客の心を捕えれば捕える程彼は作
品世界すらはみ出してしまう創造物なのである︒バロック的理解か
らも古典的解釈からもはみ出してしまうフォルスクッフはただファ
ルスに於いてしか可能ではあり得ないであろう︒﹁ウィンザーの陽
気な女房たち﹂はファルスである︒私はフォルスクッフの科白に魅
かれ周囲の客と同様に笑いながらも︑舞台が進むにつれて落着かな
くなり白けた気分に追いやられたのである︒勿論第二部でヘンリー
王子の公的生活の様式的場面とふくれあがった未来に夢を託するグ ば
なら
ない
︒
ヘンリー四世にもフォルスタッフを取巻い
ーム
︑
マクベスの試逆の時の門番の場面の如き︑役割を
七四
る ︒ 意図はわかるにしても︒ クッフの散文が閻入して果敢なく退けられるシェイクスピア苦心の い︑最後の極めて様式的な調子の高い場面に押れ押れしいフォルス ロスクーシャーでのフォルスクッフの写実的場面が互いに交差し合
せ り ふ と ア ク シ ョ ン
アラン・ハワード
(A la n Ho wa rd )
の腹の底から近り出︑喉から
しぼり出すだみ声塩辛声に人々は酔ったようにその舌端に乗せられ
流されて行く︒私はシェイクスピア劇のせりふについて考えて見る︒
類似のせりふの反復によって具象的で新鮮なイメジャリを産み出
してゆくとか︑言葉の遊びから円熟の度を加えるに従って人物の性
格を適確に表現してゆくと一般に評されるがこれは飽く迄もシェイ
クスピアの側での意識的操作創造である︒それを承知の上で視点を
変え作者を離れて︑その科白を役者が口から発声し観客がそれを耳
から聴き取るという両者の最も直接的根源的な面での共同作業とい
う切り離された現象面で考えてみる︒こうしたところでのせりふと
は作者の意識していない役者自身の解釈と創造にかかわる︱つであ
ここで仮に音楽ことばと文学ことぱという二つの名称を設定して
みる︒音楽ことばとはその音
(s ou nd
)︑文学ことばはその意味内容
に比重をかけたものである︒極端に云えば︑歌劇の歌詞はその意味
最近
のイ
ギリ
スの
舞台
倅
七五
たてるハワードのせりふ廻しが音楽ことばの粋であるのだ︒市井の が理解出来ればその鑑賞はなお一層深まるであろうが︑全く意味のわからぬ外国のことばでも結構それに酔わされ又その内容も大抵は見当がつくのである︒然し英語を知らぬ人間が例えばオルビーの芝居を見ても終始わからぬ儘で劇場を出なければならないであろう︒これが文学ことばであり︑前者が音楽ことばと一応考えて差支えない︒シェイクスピア劇の場合︑その悲劇・史劇は音楽ことば︑喜劇シ
アス
(T he se us )
ーの科白は音楽ことば︑フォルスクッフは文学ことばと改めて言う
迄もなかろう︒勿論シェイクス︒ヒアのこと︑せりふの聴覚的効果に
ついても極めて敏感で︑あのプランク・ヴァースというすぐれた形
式を完成させ︑そこに
(T ro ch ee
)強弱調と散文を自由に駆使してい
るのだが︑単にそうしたシェイクス︒ヒア調にはとどまらない響きの
世界が構築される︒立板に水の早口でそれも大音声で朗々と喋言り
徒の一人として無頼の仲間に身を投じている時のハルも凛々しき皇
太子の衿持に輝くハルもそのことばの調子は変らない︒それは麻薬
のような妖しき風をわが耳に吹きこんでくれる︒恐らくそのせりふ
の一語だに解し得ない異国の親客にとってもそれは生理的とも云え
る快感を呼び覚ましてくれよう︒舞台で響くトランペットと同じく
彼の声の響きは聴覚に訴え得る最大限の効果を齋らす︒他の貴族た
ちも文学ことばというより音楽ことばとしての響きとリズムを持っ は音楽ことば︑ボトムらは文学ことば︑
ヘン
リ
は文学ことばを基調とする︒もっとも︑﹁真夏の夜の夢﹂ではシー
︵勿論フォルスクッフらも含めて︶のせりふの調子︵プ た語り方であるが︑これは役者アラソ・ハワード生得のものであろう︒
この人は﹁真夏の夜の夢﹂のシーシアスとオベロソの二役を演じ
て日本でもお馴染みであろう︒その役で彼の声価は定まり現在は
R . S .
C
の中心的存在である︒以前コヴェントリー︵C o v e n t r y
)
︑ノッティンガム
( N o t t i n g h a m )
で活躍し
R . S .
C
に参加したのが一九六六年であるから古参ではない︒﹁トロイラスとクレシダ﹂のアキ
リーズ役で六九年度最優秀新人賞を獲得している︒
R . S .
C
での彼の部
分で
あり
︑
の骨
折損
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の役を見るにハムレット︑メフィストフィリーズ︑
オベ
ロン
︑
シー
シアス︑今度のヘソリー五世︵皇太子ハル︶と︑その音楽ことばの
オを活かすべき悲劇史劇に限られているようである︒歌舞伎のせり
ふを現代口調︵新劇風︶でしゃぺれないようシェイクス︒ヒアの場合
もある種の部分はそうは行かぬが︑かなり多くそれでやれる部分も
あると︑評家は云う︒私の思うに︑そうも行かぬのがこの音楽ことば
やれる部分が文学ことばの部分である︒帰国して一
年半近く経った現在でもハワードを取り巻く貴族たちヘンリー四世
やホットスパーらの口調が耳に残っているが︑同じ頃観た喜劇﹁恋
ラソク・ヴァースなる一種の七五調を基調にしていたにも拘らず︶
はすっかり消えてしまっている︒従って絢爛華麗だったその舞台と
舞台上の人々の配置等は想い出すが︑個々の人物は舞台の中に融け
込んでしまっている︒その時は彼らのことば︑
こと
ば︑
ことばの豊 ヘンリーの場合それが特に異彩を放っている︒穣さにすっかり振り回されたものである︒リズムはあってもそのせりふは写実的であった︒但しそれらシェイクスピアの文学ことばにしても歌舞伎の装飾語同様修飾する部分が主語述語と同じ重量をもつことを看過してはならない︒これが語りものの特色でもあるのだ︒
ところでアラソ・ハワードの今︱つの魅力として彼は肉体で演技
していることが挙げられよう︒せりふと同じ様に彼の身体が演技し
ている︒彼は偉丈夫の骨格を備えている︒若き騎士としてその身体
を十二分に利用し乍ら︑丁度女形のような︑和事の二枚目のような和
らいだ華やいだ線を時として仄見せるのである︒わが国の新劇界で
肉体演技の出来る人と云えば︑たとえば﹁ジュリアス・シーザー﹂に
於けるアントニー仲代達矢であろう︒プルークスの加藤剛︑キャシ
アスの中野誠也と比べて彼のジェスチャーを想い起こされれば︑
その延長線上にハワードを想像されて先ず誤りはない︒﹁ヘンリー四
世﹂の中でのホットス︒^ーやその他すべての役者たちと彼のアクショ
ンというより身のこなしはまことに対照的で際立っている︒他の人
たちの動きはすべて徹底して実を写している近代的写実の演技であ
る︒それにひきかえハワードの場合︑実を写しているとみせてぎり
︑ ︑
ぎりのところで振りになる︑所作になる︒我々には親しい所作事演
技であるがこれまた他に例を見ない特異な演技であった︒これが見
事な視覚的効果を挙げ︑上に述べたことばの様式性と並ぶしぐさの
様式性となり︑このせりふとしぐさが融合昇化して感覚美の世界を
創りあげたというのが︑私のアラン・ハワード礼讃のことばである︒
七六
私はヘンリー五世を演ずる俳優アラン・ハワードのせりふ廻しの
リズムに︑衣裳・小道具の色彩効果の鮮かさに︑或るいは戦斗場面
の立廻りに歌舞伎の舞台を絶えずだぶらせ乍ら眺めていたのである︒
昔から云われていることだが︑シェイクスビアは大いに歌舞伎的な
のだ
︒
R.s.C
は過去に何度か日本公演をしている︒その際日本の舞台を見物したことは当然あるであろう︒彼らにとって観ること
は学ぶことである︒が︑彼らが意識して学び盗み︑彼らの舞台に取
り入れているかは大いに疑わしい︒恐らくや意識的なそれは殆ど
あるまいと思われる︒記念プログラムの稽古写真で演出家の
Te rr y Ha nd s
が終始日本のハッピをひっかけているにしても︒
今度の記念公演の演出は殊更目新しいものではない︒劇団では比
較的若い演出家
Te rr Hy an ds
であるが︑我々がお眼にかかったビークー・プルックの云真夏の夜の夢クク(一九七O)~
リア王ペ一九
六二︶クの演出に見られる根源的な実験は見られない︒現在のこの
劇団の演出スタッフはジョソ・バートソ
(J oh n Ba rt on ) Pe te r Br oo
k︑テリー・ハンズ︑デヴィッド・ジョーンズ
(D av id Jo ne
s) ︑
トレヴァー・ナン
(T re vo r Nu nn
) ︑
( C l i f o r d Wi ll ia ms
) ︑それに客演々出家としてピークー・ドーヴニ
ー
(P et er Da ub en
y) ︑
そのうち比較的若いトレヴァー・ナソ︵一九四
0
年生れ︶このテリ最近
のイ
ギリ
スの
舞台
回 演
ビークー・ホール
(P et er Ha ll )
がい
る︒
出
クリフォード・ウィリアムズ
つめ
る︒
そこに つはフォルスタッフの登場である︒
七七
左
ー・ハンズ︵一九四一年生れ︶らは︑ラディカルでなく︑むしろ伝
統的な立場に立って芝居をうまくおもしろく見せようとする︒云う
なれば真夏の夜の夢以降︑後退していると云ってもよかろう︒それ
ではハンズはどのように芝居をうまく面白く見せようとするか︒舞
台に対して観客が明らかな反応を見せたのが一二つの芝居を通してニ
つある︒勿論︑折々の拍手︑笑い︑等はふんだんにあるが︒その一
つは
He nr
I y
V第一部に於ける王子勢揃いの場の絢爛華麗さ︑今一
舞台が暗くなる︒その舞台一杯に裏方が真白な敷布を素早く敷き
He nr y
四世の息子
Jo hn , (D uk e o f Lancaster) Hu mp hr ey (
グロ
スク
ー公
︶ Th om as (クラレンス公︶が登場︑
いずれも揃いの銀の甲胄の上に真紅のマントを片手にさっと並ぶ︒
方の肩に掛ける︒そこに長子︑
Pr in ce o f Wa le s
ヘン
リー
が登
場︑
舞台中央奥に立つ︒彼だけは金色の甲胄に剣を杖にしている︒他を
暗くしてこの四人と白い舞台だけを照明で浮き上らす︒はっと息を
呑む色彩の鮮やかさ︒観客席に一瞬起ったホウという嘆息︑人々は
暫し声も出ず︑色と光の世界に浸り陶酔する︒余談であるが︑今度
俳優座がジュリアス・シーザーを公演した︒演出の増見利清は
R .
s .
c
仕込みと云う︒成程︑その戦場︑戦斗場面はこの一ー一部作のそれに酷似しており︑特にアソトニーとオククビア︑プルークスとキ
ャシアスの対峙する場は︑舞台に於ける人物の布置︑並び方︑間隔︑
それに甲冑の色どり迄殆ど同じと云ってよい︒私の見たサンケイホ
は恐らく演技指導を担当しているのであろう︒ 開演前の一刻を劇場内のニイヴォン川に臨むリヴァ・ルーム・レ
1 0
0
周年記念プログラムをめくり写真を眺め︑解説記事を拾い読みするのはこよなく楽しい寛ぎ
である︒劇団名篤に唯一人デイム
(D am e)
という称号のついた女優
さんがいる︒ペギイ・アッシュクロフト
(D am e Pe gg Ay sh cr of t)
で︿
Ac to rs
の中と︿)
Di re ct io
ns ﹀とニカ所に名が出ている︒ディレ
クションとは指導部と云う位の意味だろう︒がこれを形成している
のが演出家の︒ヒーター・ホール︑同じく演出家のトレヴァー・ナン︑
それとペギー・アッシュクロフトという師々たる三人である︒彼女 ストランでスナックを摂りながら︑
因 老 優 た ち
えよ
うか
︒ ら ︶
科白も音楽も混り合って聞こえてくる︒平面的音楽効果とい ールの舞台の造り方は梢扇形で観客席の方に向って僅かに傾斜しておりその広さ共々︑記念劇場と同じである︒ただ舞台の高さが異なる︒記念劇場の方が格段に天井が高い︒その高い舞台の三方に廻りテラスのようなものがはり廻らされ︑そこにミュージシャンが陣取
りトランペットなどを吹き嗚らす︒役者のせりふが下の方から︑上
方からは音楽が見事なアソサソブルとなって立体的聴覚効果を醸し
出す︒シーザーの舞台では︑同じ高さの所から︵音楽は舞台裏か
J . C
・トレウィンの﹃演劇︑一九四五ー一九五
0
﹄] 945 │] 950
(T he r i B t i s h C ou nc il
1
95 1)
に華々しい活躍で戦後イ
ヴィエ︑ラルフ・リチャードソソ︑ジョン・ギールグッド︑イーディス・
フトである︒それから約三十年後の今︑男優三人は活躍しているが︑
女優で残るのは一人だけである︒七十歳を超えた彼女は相変らず美
しく︑優雅に古典に新作に縦横の活躍をしている︒この夏︑彼女は
国立劇場に客演し︑オールド・ヴィック
(O ld Vi c)
の舞台に立っ
ていた︒なお︑前述の男優三人は国立劇場
(N at io na l Th ea tr ) e
に
所属する︒彼女の舞台はベケットの﹁幸せの日々﹂
Ha pp yD ay s
で
ある︒ベケットの劇に対して︑又この作品に対して私は疑問を抱い
ているのだが︑それは兎も角として︑舞台の上で唯一人︑二時間ば
かりの間︑始めは胸から上を︑時間の経過と共に埋まって行き最後
は辛うじて首から上だけをのぞかせて︑全く動かず︑殆どゼスチュ
アもなく喋言り続けるだけであった︒私はただ彼女を見たいばかり
にイギリス国内旅行に出かける前︑
席に座ったのである︒一九六二年︒ハリ国際演劇祭の主演女優賞︑六
四年﹁バラ戦争﹂
Th e Wa rs of th e R os es
のマーガレットで最優
秀女優賞︑六九年︒ヒンターの﹁ランドスケープ﹂
La nd sc ap eの
ベス
︑
オールビーの﹁きわどい均衡﹂A
De li ca te Ba la nc e
のアグネスで最
優秀
女優
賞︑
Dr an ma
ローレンス・オリ
オールド・ヴィックのストール
七一年には﹁ヘンリー八世﹂
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V I I I
のキャサリ ニヴァンズ︑シヴィル・ソーンダイク︑そしてペギー・アッシュクロ ギリス劇壇を代表する六人の役者を挙げている︒
七八
に隣
り合
う︑
ンで最優秀女優賞と云ったエ合である︒彼女の貪欲さは己れの持役
に安住せず新作に取組む姿勢を崩さない︒テレビ・映画に振り向き
もせず︑舞台一本に打ち込んでいる健気さがロンドソ児の人気を一
層煽り立てる︒それでいて彼女は飽迄繊細可憐な佳人であった︒
ギールグッドの競演が見られた︒
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︒ヒソターの新作﹁誰のでもな
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地﹂
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である︒所謂茶の間劇であって︱つの部
屋で登場人物四人の芝居は二人の名優のかけあいに醍醐味を味わせ
てく
れた
︒
この演劇一九四五ー一九五
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に三人の男優に続く役者として挙げる︒スコッフィールドの名は一九六二年ピークー・プルック演出の
衝撃的な作品リア王と切り離せない︒その他︑アセンズのクイモン
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などの名演で
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Tと精力的
な活動を見せる︒
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彼も今度は自ら演出・主演してウィンダム劇場
で︑
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に取組んで
ストラットフォードの町からワイ川流域を坊径って後ウェールズ
ハウスマンの詩の故郷シュロップシャーをバスで北上︑
最近
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舞台
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られた名前の中にボール・スコッフィールド
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古都シュルーズベリー
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哩半ばかりのところにバトルフィールド教会
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がある︒一四
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八年に︑シュルーズベリーの戦いを記念し斃れた人の霊を慰めるべく建てられた教会である︒その辺り一帯が古戦湯で
ーの時計でたっぷり一時間は続いたクとフォルスクッフがいう壮絶
な一騎打の末︑彼がその首級をあげたところである︒
カナーボン︑コーソウェイ︑ハーレック等北ウェールズの古城め
ポーマリス
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城で
ある
︒
二九五年ニドワード一世によって築かれた︑守りの堅固な複雑な構
築を見せるこの城は一四
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年ヘンリー四世によりヘンリー・パーシー即ちホットス︒^ーに論功行賞の一っとして与えられたのである︒
緑に濡れ染まるようなワイ川の岸辺に沿った道を遡るとワーヅワ
スの詩で有名なテイーンクーソ寺院
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更に遡ると
山間の谷の小高い所に開けたモンマスの町に出る︒静かな六月の太
陽の明るい古い歴史の町だ︒ここの城︵今は城跡と石垣の一部が残
るだけであるが︶で︑ヘンリー五世︵一三八七ー一四ニ︱︱‑︶が生ま
ハリー・オヴ・モンマスと呼ぶ︒その彫像が町の中心アジン
コート広湯
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の州庁を飾っている︒広湯の命名
は勿論王のアザンクールの戦いに由来する︒
ロンドンでは私は大英博物館の西隣プルームズベリー街にある小
さな宿に滞在していた︒最寄りの地下鉄駅はトッテナム・コートロ れ
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ぐりの最初に訪ねたのが︑ 更に今シーズンのN .
あってホットスパーが討死したのが此処である︒Tではラルフ・リチャードソンとジョンシュルーズベリg
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ぶ条りは実はこのことであった︒ ー ド駅 で︑オックスフォード・ストリートがニューオックスフォー ド街に連なり︑南にチャリング・クロス通りが走る︒この繁華な四
つ角の東南隅が
S t . Gi le s C ir cu s で︑昔は公開の処刑場であった︒
一四一七年ここに又新しい絞首台が作られた︒殉教者ジョソ・オー ルドカスル卿
(S ir Jo hn Ald ca st le ) を吊し焚刑にするためである︒
このオールドカスルがフォルスタッフのモデルであった︒
四世時代皇太子ヘンリーと親しかった軍人だが︑新教徒初期の指溝
者だったため︑
ヘンリー五世治世に異端者として処刑された︒シェ ィクスピアははじめこの人物をその儘に書こうとしたが︑後︑彼の子 孫から抗議が出たので名を改めたのである︒﹁ヘンリー四世第一部﹂
で王子ハルがフォルスタッフに二
'M y Ol d la d o f t he ca st le
"
と呼
る︒ウィルトソ館
(W il to n Ho us e) と云 う︒
ソールズベリー
(S al is bu ry )の近郊にペンプルック伯の居館があ
この館を見物した際︑
そこのグレート・ホール︵それ程広大な広間ではないが︶でシェイ クスビアが﹁お気に召すまま﹂︵
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Yo u L ik e
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を上演したとき いたが︑ショウ劇場で現代服﹁お気に召すまま﹂を見たあとだった ので手狭な広閻での上演が容易に信じられ舞台が想像出来たのであ 別段シェイクスピアとその作品世界を探っての旅ではなかったが︑徒然の独り旅でもこうした落穂を拾い集めることが出来るのである︒
これが旅の巽応であろうか︒ ヘンリー
八〇