マーケティング現場における状況特異的知識 : 関 連性理論および実践コミュニティ論の検討
著者 薄井 和夫
雑誌名 同志社商学
巻 61
号 6
ページ 98‑114
発行年 2010‑03‑15
権利 同志社大学商学会
ドウシシャ ダイガク ショウガッカイ
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007428
マーケティング現場における状況特異的知識
──関連性理論および実践コミュニティ論の検討──
薄 井 和 夫
Ⅰ はじめに
Ⅱ 推論プロセスとしてのコミュニケーション
Ⅲ 実践コミュニティという現場
Ⅳ 結びに代えて
Ⅰ は じ め に
本稿は,マーケティング現場の状況特異的知識(context-specific knowledge)を分析 する手がかりを得るために,関連性理論および実践コミュニティ論の検討を行なう。
筆者は,アメリカ・マーケティング史研究のなかで,特定の歴史的状況下で生み出さ れたマーケティングの歴史的な議論を「当時の社会的・歴史的コンテクストのなかに埋 め戻すという作業」(薄井
1999, p.320)が必要であると述べた。マーケティングの歴史
的なテクストは,テクストのみを解釈したのではその意味を十全に理解できず,そのテ クストを生み出した具体的歴史的なコンテクストの下で理解することが不可欠である。だが,この問題はひとり歴史研究の問題に留まるわけではない。テクストとコンテク ストとの関係は,現代のマーケティングの現場を理解し,現場における知の創発を考え るうえでも重要な論点であると思われる。マーケティングを成功に導くとする様々な言 説は,アカデミックなものであれ,コンサルタントの言説であれ,時空を越えて適用可 能な一般的・形式的なテクストとして提示されるが,これらをコンテクストが異なる 個々の現場に適用しようとすると様々な限界に直面する。「われわれは語りうる以上の ことを知ることができる」という
Polanyi([1966]1983, p.4.
邦訳,p.15)の「暗黙知(tacit knowledge)」の概念は今日よく知られているが,マーケティングの現場は,元来 コード化が困難な暗黙知をコンテクストに含みつつ,多様な人間の複雑な実践の集合と して成り立っている。
本稿は,このような複雑な現場を理解し,現場におけるテクストとコンテクストとの 関係を分析するための準備作業として,関連性理論と実践コミュニティの議論に着目す る。関連性理論(relevance theory)は,言語学で語用論(pragmatics)と言われる分野 に属する。それは発話(utterance)から判断される「言外の意味」を研究する(橋内
98(414)
1999, p.73)。この分野で Sperber and Wilson([1986]1995)が提示した関連性理論は,
「これを支持する研究,批判する研究,語用論の多様な分野へと応用しようとする研究 など多くの研究を生み出し,語用論において巨大な影響力を有する理論」(Yus 2006,
p.512)となり,「関連性理論こそが,人間の認知の深奥を探る研究プログラムの一部を
成す,真の語用論」(今井2001, p. iv)であるとする高い評価も与えられている。この
理論は,コード・モデルを離れ,発話の解釈に大きな柔軟性をもたらす議論であり,マ ーケティングの現場で形成されるローカルな意味の世界を考える上で重要な理論的前提 となると思われる。一方,実践コミュニティ(communities of practice)は,人間の理解や学習が実践への 社会的参加によって促されることを強調する状況的学習論(situated learning)の有力な 概念である。状況的学習論は,1980年代後半〜90年代にかけて,ゼロックス社のパロ アルト・リサーチセンター(Xerox Palo Alto Research Center)や,同社が期限付きで出 資した学習研究所(Institute of Research on Learning)の研究者たちによって展開されて きた(see上野
2006)。なかでも Lave and Wenger(1991),Wenger(1991, 1998)等に
よる実践コミュニティはその中心概念であり,今日では,知識経営学の諸概念なかで「最もよく知られたもののひとつ」(Hislop 2009, p.165)といわれるにいたっている。
関連性理論は「人間のコミュニケーション・モデルの基礎をなによりも認知心理学に 直接置こうとする試み」(Sperber and Wilson[1986]1995, p.170,邦訳
p.208)である
のに対し,状況的学習論は個人の認知レベルをほとんど問題にせず,社会的な諸関係の なかでの意味の形成を重視する。この点で両者は決して親和性の高い議論ではない。だ が,後にみるように,実践コミュニティ論にいう「意味の交渉」は,関連性理論の「推 論のプロセス」として理解することが可能であるように思われ,このかぎりで関連性理 論は実践コミュニティ論の理論的前提になりうるのではないかと思われる。本稿では両 者を統合的に論じることで,現場におけるテクストとコンテクストとの関係を分析する ための理論的ツールを確認したいと考えている。Ⅱ 推論プロセスとしてのコミュニケーション
1.コード・モデル批判
マーケティングにおけるコミュニケーション・プロセスは,Kotler and Keller(2006,
p.499.
邦訳,p.668)の図示が端的に示しているように,コード・モデルに依拠してその解説が行なわれてきた。コードとは「メッセージをシグナルと対にして,2つの情報 処理装置(生命有機体であれ,機械であれ)間のコミュニケーションを可能にするシス テム」(Sperber and Wilson[1986]1995, pp.3−4. 邦訳,p.4──以下,本!節!内!では本書
マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (415)99
からの引用はページ数のみを示す)である。ここで,メッセージは,伝達装置内の表示 ないし表象であり,シグナルとは,一方の装置が創出し,他方の装置が認識できるよう な外部環境の改変を意味する。コミュニケーションは,そのままでは送ることのできな いメッセージ(思考それ自体はわれわれの頭の中から動かすことができない)を,送る ことのできるシグナルへと転換(コード化)し,受信先でそのシグナルを解読(デコー ド化)することによって達成される。コミュニケーション経路内にノイズが入らず,
「装置がきちんと作動していて,コードが発信元と受信元で同一であるかぎり,コミュ ニケーションの成功は保証される」(p.4. 邦訳,p.5)ということが,コード・モデルの 基本的枠組みである。
しばしばシャノン=ウィーバー・モデルと呼ばれるこのモデルは,直接的には
1940
年代末に電気通信技術の展開に示唆を受けて展開されたものであるが,その発想自体 は,言語的コミュニケーションの説明としてアリストテレス以来の西欧社会の知的伝統 に属しているとSperber and Wilson
は指摘する(pp.5−6.邦訳,p.6)。また,周知のよう に,記号論(記号学)は,言語的コミュニケーションのあらゆる形態の説明としてコー ド・モデルを採用し,さらに,Claude Gustave Lévi-Strauss
の構造人類学やRoland Barthes
の文化論などが,コード・モデルの領域を拡張してきたこともよく知られている。だ が,Sperber and Wilsonは批判する。──「こうした試みにおいて,彼らは,たしか に,こうした諸現象に新しい光を当て,多くの興味深い規則性に関心を集めはしたが,厳密な意味での基本的コード,すなわち神話や文学作品がいかにしてその言語的意味以 上の内容を伝達することに成功し,儀式や慣習がいったいいかにして伝達に成功するの かを説明することのできるような,シグナルとメッセージとを対応させるシステムを発 見するにはとてもいたらなかった。……それらは,聴衆の関心をある一定の方向へと向 けさせ,経験に対して何らかの構造を賦与しはする。そのかぎりでは,芸術家ないし演 技者と聴衆との間で類似の表象が,したがってある種のコミュニケーションが成立す る。だが,このことは,コード化されたコミュニケーションが保証するはずの表象の同 一性からはほど遠いものである」(p.8.邦訳,p.9)。
たしかに,いわゆる文化記号論と呼ばれる領域に踏み込めば踏み込むほど,メッセー ジの多義性が増大し,Sperber and Wilsonのいう「シグナルとメッセージとを対応させ るシステム」としての厳格な意味でのコードの存在が不明瞭になることは否めない。
Sperber and Wilson
は,こうした弱点をもつコード・モデルに代えて,コミュニケーションの推論モデル(inferential model)を提唱する。「コード・モデルによれば,コミュ ニケーションは,メッセージのコード化とデコード化によって達成される。推論モデル によれば,コミュニケーションは,伝達者が意図の証拠を提示し,聞き手がその証拠か ら伝達者の意図を推論することによって達成される」(p.24,邦訳,pp.28−29)。
同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
100(416)
Sperber and Wilson
自身,生成文法(generative grammars)を文の音声表示と意味表示 を組み合わせるコードであると認めているように,推論モデルはコード・モデルを完全 に排除するものではないが,言語的コミュニケーションがこうした生成文法だけで意味 を正確に伝えることができるのはまれである。「発話はいうまでもなく言語的にコード 化された証拠であり,言語的理解はある種のデコード化にかかわっている。だが,コー ド解読によって復元される意味は,話し手の意味の解釈をもたらす表面からはみえない 推論プロセスへのインプットのほんの一部にすぎない」(Wilson and Sperber 2002,p.249)。
2.関連性の 2
つの原理実際の言語的コミュニケーションが,言語的にコード化されたメッセージのデコード 化だけによっては達成されえないという事例は,容易に確認することができる。たとえ ば(see pp.10−12.邦訳,pp.10−14),
※I’ll come tomorrow.(私はあした来ます)
といった文において,「私」とは誰か,「あした」とは何月何日か,「来ます」とはいっ たいどこに来るのかについて,コード化されたメッセージ自体は何も伝えない。また,
※That’s interesting.(それはおもしろい)
という発話では,「それ」とは何であるかを特定するコードは存在しない。さらに,非 言語的コミュニケーション──発話は,非言語的な発話行為をも含む──においても,
たとえば(Wilson and Sperber 2002, p.255),
※私が,あなたの目線に私のワイングラスを静かにおく
という行為が,もう一杯飲みたいという仕草なのか,もういらないと言いたいのか,何 も意味していないのかは一意的には定まらない。
このような発話に遭遇したとき,聞き手は,何か別なコードがあるかどうかを探し求 めるのではなく,その時々のコンテクストに応じて意味を瞬時に推論しようとすると関 連性理論は想定する。関連性理論の
2
つの原理はこの推論プロセスを説明しようとする 原 理 で あ る。そ の「第1
原 理」は「関 連 性 の 認 知 原 理(Cognitive Principle of Rele-vance)」と呼ばれる。それは,
⑴人間の認知は関連性を最大にするようにできている(p.260.邦訳,p.318)
と定式化される。この原理は,個人の認知プロセスへのインプット(外部の刺激ないし 内的表象)が「認知環境(cognitive environment)」に変化を与える場合,人間の認知シ ステムの生来の性質として,できるだけ少ない労力で,できるだけ多くの認知環境の改 善をもたらすインプットを選ぶと主張するものである。関連性理論では,ある個人が,
ある時点で心的に表象でき,それを確かなことまたは確からしいこととして受け入れる
マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (417)101
ことができる事実または想定を「顕在的(manifest)」であると規定し,「顕在的である 想定の集合」(Assimakopoulos 2008, p.65. See p.39. 邦訳,p.47
1
)を「認知環境」と規定 する。発話が個人の認知環境に変化を与えることは「認知効果(cognitive effect)」,意 味のある認知環境の改善は「正の認知効果」と呼ばれる。認知プロセスへの「インプッ トが,ある個人にとって関連性がある(relevant)のは,その処理が正の認知効果を生 み出す場合であり,そしてその場合のみである」(Wilson and Sperber 2002, p.251)。
ある個人が,ある時点で認知プロセスに作用する複数の外部の刺激・内的表象をもつ 場合,ある特定のインプットが選択されるのは,それがたんに「関連性がある」からで はなく,他のインプットに比べて「よ!り!強!い!関連性がある」からである。関連性の強さ を規定するのは,インプットがもたらす「認知効果の大きさ」と「処理労力の度合い」
である。ある時点のある個人にとって,肯定的認知効果が大きいほど関連性は強く,逆 にインプットの処理に費やされる労力大きいほど関連性は弱い(Wilson and Sperber
2002, p.252)。言い換えれば,人間は,より少ない処理労力でより大きな認知効果を得
ようとする。これが関連性の認知原則にいう「最大の関連性」の内容である。この第
1
の原理を前提として,「関連性のコミュニケーション原理(CommunicativePrinciple of Relevance)」と呼ばれる「第 2
原理」が定式化される。それは,⑵すべての意図明示的コミュニケーション行為は,それ自身が最適な関連性を有す るという見込みを伝える(p.260.邦訳,p.318)
というものである。ここで,意図明示的コミュニケーション(ostensive communication)
とは,発話者が何らかのメッセージを伝えたいという意図を明らかにするコミュニケー ションのことで,この場合,発話者は(1)情報意図(informative intention)(伝えたい 内容)および(2)コミュニケーション意図(communicative intension)(何らかの事柄 を伝えたいという意図があること)双方を伝える必要がある。発話者がコミュニケーシ ョン意図の顕在化に成功した場合,情報意図の顕在化は受け手にゆだねられている。人 間の認知構造は関連性を最大にするようにできているという想定(第
1
の原理)の下で は,受け手は十分な関連性があると思われる刺激にのみ関心を払う。この場合,発話者 の側は,自らの意図明示的刺激(ostensive stimulus)が関連性を有しているという「見 込み(presumption)」を伝えることができなければならない。関連性を判断するのは受 け手の側であるので,発話者の側は伝えるのは,あくまでも関連性があるという「見込 み」である。この場合,意図明示的情報は,a.受け手が処理労力を費やすのにみあう関連性をもち,
────────────
1 「認知環境」は,Sperber and Wilson(p.39. 邦訳,p.47)の番号40の文章に基づき,しばしば「顕在的 である事実の集合」と説明されるが,Sperber and Wilsonは,その直後の説明で「事実」を「あらゆる 想定」に拡張するとしており,Assimakopoulos(2008, p.65)が「想定」という用語に置き換えて引用し ているように,「顕在的である想定の集合」とするのが正確であろう。
同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
102(418)
b.送り手側の能力と選択(preferences)が許容する範囲内で,最大の関連性をもつ,
という意味で,最適な関連性(optimal relevance)をもつ「見込み」でなければならな い(pp.266−271. 邦訳,pp.326−331. see今井
2001, pp.24−25)。これが「関連性のコミュ
ニケーション原理」が示す内容である。以上を非言語的コミュニケーションの事例で確 認してみよう。※メアリーとピーターが公園のベンチに座っていた。ピーターが後方に体を反ら し,メアリーの視界が変わった。つまり,ピーターはメアリーの認知環境に変化 を与えた。その結果,メアリーには
3
人の人が見えた。メアリーがベンチに座っ たときから気づいていたアイスクリーム売り,メアリーがこれまで会ったことの ない散歩をしている普通の人,二人の知り合いのウィリアムである。ウィリアム はちっともおもしろくない人物である(pp.48−49.邦訳,pp.57−58からの要約)。この場合,ピーターが体を反らしたのが何かを伝える意図があるのだとメアリーが感じ
(=コミュニケーション意図の伝達),メアリーの認知環境に顕在化した
3
人の人物のな かで,より少ない処理労力で認知効果の大きいメッセージ(=おもしろくない人物ピー ターがいる)を選択すれば(=情報意図の伝達),メアリーは様々な結論(たとえば,ピーターに「あっちに行きましょうか」と言う)を引き出すであろう。
このように,関連性理論では,受け手が発話に接するたびに最大の関連性をもつ意味 を推論するものと想定する。人間は,生来備わっている認知システムの特性として自ず とそうするのである。受け手の側は意図明示的刺激について最少の処理労力で認知効果 を判定し,もし最初の解釈が受け手の関連性の期待を満足させるのであれば,そこで判 断 を 停 止 し,通 常,そ れ 以 上 の 解 釈 作 業 を 行 な わ な い(Wilson and Sperber 2002,
p.259)。
3.関連性理論とマーケティング研究
Sperber and Wilson(p.278
邦訳,p.342)が「関連性理論の諸仮説をテストする経験的研究は始まったばかりである」と述べているように,関連性理論は,多くの研究者がそ の様々な面を検討して批判を加え,Sperber and Wilsonが批判を受け入れて修正を加え る──実際,第
1
の原理は後から付け加えられた──といったプロセスが進行中の議論 である(see Yus Romas 1998 b, Yus 2006)。だが,この理論がマーケティング研究に与 える影響は小さくないと思われる。ここでは2
つの影響領域を指摘しておきたい。まず,当然ながら,マーケティング・コミュニケーションの経験的研究への影響があ る。広告表現を関連性理論によって分析しようとする試みは,わが国でも始められてい るが(e.g.田中
1995;
東森・吉村2003, Chapter 5.1;
新井2006),英語圏ではすでに一定
の蓄積がなされてきた(e.g. Tanaka 1992, 1994; Bryne 1992, Forceville 1995; Yus Romasマーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (419)103
1998 a; Simpson 2001; Crooke 2004; Mulken, Dijk and Hoeken 2005; Velasco-Sacristan and Fuertes-Olivera 2006)。特に Tanaka(1994)──著者は Wilson
の薫陶を受け,邦訳版の 訳者のひとり──は,日本の広告を例にとり,意図をあえて隠した広告の表現(意図非 明示的コミュニケーション)や,広告におけるしゃれ,メタファーの利用,女性のイメ ージの利用等について分析している。だが,本稿で注目するのは,関連性理論がもつ方法的側面の影響力である。関連性理 論は,「コード化されたコミュニケーションが保証する表象の同一性」というコード・
モデルのもつ縛りや,コミュニケーションや意味の研究はコードを探求しなければ始ま らないといった伝統的な思考パターンから脱却し,意味の多義的で自由な生成と解釈を 説明するための認知論的基礎を提供している(see中村
2005)。本稿が着目するのはこ
の側面である。だが,問題は,マーケティングの現場を分析する場合,関連性理論の枠組みだけで は,コンテクストの理解がなお漠然としているという点にある。関連性理論では,コン テクストはある種の「心理的構成概念(a psychological construct)」であり,「世界につ いての聞き手の想定のサブセット」であるとされ,その場の物理環境(物理的コンテク スト)や直前の発話(言語的コンテクスト)だけに限らず,将来に関する期待や,科学 的仮説,宗教的信念,必ずしも事実とは限らないような挿話的な記憶,一般的な文化的 想定,話し手の精神状態についての確信などあらゆるものが含まれるとされる(pp.15−
16.
邦訳,p.18. see今井2001, p.12)。関連性理論は,こうしたコンテクストはコミュニ
ケーションの前提条件として無限に広がっているのではなく,解釈のプロセスのなかで 選 択 さ れ る も の と 考 え て い る(Assimakopoulos 2008, p.116. see福 島1993, pp.155−
156)。だが,「関連性は本質的に社会的である」(西坂 1995, p.69)との批判があるよう
に,マーケティングの現場の分析には,特定のコンテクストの選択を容易にし,推論プ ロセスを作動しやすくするような社会的相互作用を規定する理論的枠組みが必要なので はないかと思われる。
実践コミュニティは,その参加者同士がある種の認知環境を共有し,ある種の想定が
「相互に顕在的である」(see pp.41−42. 邦訳,p.49)可能性を高くさせるような環境であ るということができる。節を改めよう。
Ⅲ 実践コミュニティという現場
1.意味の交渉とローカル性
「われわれは社会的存在である」(Wenger 1999, p.4──以下,本!節!内!では本書からの 引用は①としてページ数のみを示す)ということが理論的前提の第
1
要素であると同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
104(420)
Wenger
が述べているように,実践コミュニティは,「意味生成を,個々の発話者の頭の なかから離れ,社会的相互作用の場(fields)のなかに位置づけようとする試み」(Hanks1991, p.13.
邦訳,p.6)である。実践コミュニティは,何らかの実践を共有する人間の集団である(see Wenger 1991,
pp.151−152──以下,本
!節!内!では本書からの引用は②としてページ数のみを示す)。それは特殊な集団ではなく,「どこにでもある」(①,p.6)。職場でなにかをともに行なっ ている同僚たち,趣味を共有して集まっている友人たち,会議の後にいつも問題点を語 り合う仲間たち,情報を交換しあう企業の社員や発注元の顧客たち等々。「実践コミュ ニティはわれわれの日常生活の一部である。それは非公式のうちにそこかしこに存在し ているので,意識的に焦点が当たることは滅多にないが,それゆえにこそきわめてなじ み深いものでもある。用語は新しいが,その経験は新しいものではない」。「われわれは ある時点でいくつもの実践コミュニティに属している」(①,pp.7 and 6)。だが,すべ てのコミュニティが実践コミュニティであるというわけではない。たとえば,住宅の近 隣地域はしばしば「コミュニティ」と呼ばれるが,たんに近くに住んでいるというだけ では実践コミュニティではない(①,p.72)。実践コミュニティはコミュニティ一般で はなく,あくまでも実践を共有するコミュニティである。第
1
図は,実践コミュニティ がもつ3
つの要素を示している。すなわち,実践コミュニティでは,参加者同士が相互 に関与し合い(mutual engagement),こうした相互関与のプロセスから共同の営み(jointenterprise)が形成され,相互に共有される領域(shared repertoire)が形成されるように
なるのである(①,pp.73−85)。第1図 実践コミュニティの3側面
資料:Wenger 1998, p.73.
マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (421)105
実践コミュニティの参加者同士の相互関与は「意味の交渉(negotiation of meaning)」
のプロセスである。それは「表象的対象を絶えず生産し,再コンテクスト化する(recon-
textualize)こと」である(②,p.114. see
伊藤他2004, p.112)。ここでの「意味」は,コ
ードによって一意的に規定されたり,辞書に閉じこめられたりしているようなものでは ない。Wenger によれば,ある事柄を他人にわかるように表象的対象として示すこと は,それを「可視性の領域(fields of visibility)」に置くことを意味するが,同時に,そ れは脱コンテクスト化(decontextualization)の過程でもあり,ある事柄を「不可視性の 領域(fields of invisibility)」に置くことでもある。「対象化(objectification)は常に活動 の凝固である。活動は対象へと変形されることにより,表象されると同時に消失されな ければならない。したがって,表象によって可視化することは,その本性において,そ れ自身からの実践の凍結,すなわち脱コンテクスト化のプロセスである。だが,対象は それ自身の意味を運ぶことはできない。意味は,実践における人間の活動によって対象 の属性となるのでなければならない。したがって,表象は,常にいわば意味の喪失であ る」(②,p.110)。ここには,表象的対象がコンテクストとともに理解されるのでなければその意味が十 全に伝わらないとする関連性理論ないし語用論に通底する発想をみることができる。だ が,実践コミュニティ論では,表象の創出(脱コンテクスト化)もその解釈(再コンテ クスト化)も,実践すなわち人間同士の相互関与に依拠していることが強調される。
「交渉」という用語が採用されているのはこのためである。すなわち,「交渉」は「継続 的な相互作用,漸次的ギブ・アンド・テイクという意味合いを付与し,そのプロセスに おいて,参加の個人的部分を越えたある種の共有される実体が創出されることを示唆し ている」(②,p.114. see①,p.53)。
この意味の交渉の概念は,Wenger(1998)では,「参加(participation)」と「物象化
(reification)」という「二面性(duality)」をもつものとして定式化されている(第
2
図 参照)。意味の交渉が「参加」すなわち相互関与を通じて行なわれことはすでにみたと おりであるが,同時にそれは「物象化」のプロセスでもある。ここに物象化とは「われ われの経験を『実在性(thingness)』へと凝固するような対象をつくりだすことによっ て,われわれの経験に形態を付与する」という「プロセスおよびその産物」(①,pp.57and 60)を意味する。だが,それは常に「両義的(the double edge)」である。すなわち
「物象化の概念は,その形態が元々のコンテクストを越え,それ自身として生命を持ち うることを示唆している。それは自らが生成した場面や目的からある種の自律性を獲得 する。それが持つ意味は,常に潜在的に拡張されたり,失われたりする。物象化は意味 の構成要素として常に不完全であり,現在進行的であり,豊富化されたり誤解されたり する潜在的可能性をもっている」(①,pp.61−62)。
同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
106(422)
Barton and Hamilton(2005, pp.27−28)は,Wenger
の「物象化」概念を批判的に考察 し,物象化は,①簡便性(意味を喚起させうる簡便さとパワーをもつ),②移植性(時 間,空間,コンテクストを越えて移植できる),③耐久性(潜在的な物理的持続力をも つ),④焦点性(注意を特定の側面に引きつける)という要素──このどれがキーにな るかは物象化の内容によって異なる──を持つ「意味生成者(semiotic makers)」であ るとみている。だが,注意すべき点は,Wenger
の物象化の概念は,「明示的要素(the ex-plicit)」のみならず,「暗黙的要素(the tacit)」をも含んでいることである。「なぜな
ら,単純に言葉で表わすことのできない多くの物象化の方法が存在するからである」(①,p.69)。たとえば,暗黙の慣行,暗示的な合図,言葉にならない勘や経験,判別可 能な直感,特定の認識,常識的な感受性,身体化された理解,根本的な想定,共有され る世界観などである。物象化の暗黙的要素は,その多くが分節化されていないが,それ らはある実践コミュニティの構成員であることのまぎれもない印(sign)となり,共同 の営みを成功させるための重要な要素となる。Wenger によれば,「暗黙的要素は,われ われが当然視する事柄であり,そのことのゆえにその背景のなかにとけ込んでいく傾向 をもつ。それは,忘れ去られるのでないかぎり,個人の潜在意識,みなが直感的に知り うる事柄,当たり前の事柄となる。……常識(common sense)とは,それが共通に保有 される感覚であるがゆえに,共通に感じることが可能なもの(common-sensical)であ る。実践コミュニティは,相互の関 与 を 通 じ て,わ れ わ れ が 共 通 の 感 覚(common
sense)をつくりだすことのできる最良のコンテクストである」(①,p.47)。
こうして,実践コミュニティでは,相互関与=意味の交渉の歴史が積み重ねられ,そ の共有領域には明示的・暗黙的双方の要素が蓄積され,実践コミュニティのコンテクス ト自体が形成されていく。それは,たとえば,ある事柄に対するコミュニティ構成員の
「共通の記憶」や,内輪のジャーゴンや文書記入のためのショートカットの方法など
「コミュニティ・ライフ」の独自のあり方や,文書に対してコミュニティ独自の読みが
第2図 参加と物象化の二面性
資料:Wenger 1998, p.63.
マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (423)107
行なわれるなどの「ローカルな観点(local perspectives)」や,ある時間にお茶菓子が回 るといったコミュニティ独自の「参加儀礼(rituals of participation)」など(②,pp.65−
80. See
伊藤他2004, pp.99−101),ローカルな性格を有している。
このようなローカルなコンテクストを共有しても,共有領域は,しかしなお「本質的 に多義的であり続ける」(①,p.83)が,それは同時に,実践コミュニティでの「意味 の交渉の資源」(①,p.84)ともなる。関連性理論の表現を借りれば,コミュニケーシ ョンの推論プロセスは「最良の環境の下であっても失敗しうる」(Sperber and Wilson
([1986]1995, p.65. 邦訳,p.77)が,実践コミュニティは,ある種のローカルな想定が
「相互に顕在的である」可能性が高くなるような環境を形成しているといえる。
2.バウンダリー・オブジェクトと文化的透明性
状況的学習論は,認知心理学と異なり,個人のアイデンティティが実践への参加によ って形成されるという発想が基本に据えられている(ソーヤー
2006, pp.68−69)。もと
より実践および実践コミュニティへの参加の仕方は個人によって区々であり,同一人物 であっても関与する実践コミュニティによって異なる。Wengerは実践コミュニティに 対する個々人の軌道(trajectory)について,周辺的軌道,内部へ向かう軌道,内部者の 軌道,境界的軌道,外部へ向かう軌道を区別している(①,pp.154−155)。元来,Lave and Wenger(1991)では,正統的周辺参加(legitimate peripheral participa-
tion)──新参者が,実践コミュニティに対し,その正当なメンバーとしてゆるやかな
条件の下で参加すること──が,技能の習得の面でもアイデンティティの形成の面でも 参加の重要な形態であると主張されていた。Wenger(1991, 1998)ではこの考え方が拡 張 さ れ(see Creese 2005, p.61),「非 参 加 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ(identities of non-participation)」が語られる。すなわち,「われわれは,われわれが関与する実践を通じ
てアイデンティティを生み出すだけでなく,われわれが関与しない実践を通じてもわれ われ自身が規定される」(①,p.164)。だが,Wengerのいう非参加とは,「全面非参加」(=実践コミュニティの部外者)で あることを意味しない。そうではなくて,実践コミュニティの内部で「十全参加(full
participation)」(=内部者)にいたっていない状態を指している。たとえば,実践コミ
ュニティで用いられる指示文書の意味がわからないまま指示に従っているといった場合 である。われわれはすべての実践コミュニティに十全に参加するわけにはいかないの で,「非参加は,実践の景観のなかに存在する生活の不可避的な一部である」(①,p.165)。そればかりではなく,非参加のアイデンティティは,自由としての無意味性
(必要以上にある事柄に関与しないことによって自らの自由を確保する),抵抗としての 無意味性,断絶関係としての無意味性(お互いに一定以上の関心をもたないようにす
同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
108(424)
る),内容としての無意味性(権力関係を感受しないようするための防御)など,「無意 味性の意味(meaning of meaninglessness)」の積極的な活用である場合もある(②,pp.59
−65. see
伊藤他2004, pp.97−99)。なお,こうした意味での非参加と関連して,実践コミ
ュニティ内部では「周辺性(peripherality)」と「境界性(marginality)」とが区別され る。ここで周辺性とは「非参加によって可能になる参加」を意味し,境界性は「非参加 によって制限される参加」を意味する。前者の軌道は,十全参加へと導かれるか(=正 統的周辺参加),または周辺的軌道に留まっているかのいずれかであり,後者の軌道 は,全面非参加(=部外者)へと導かれるか,境界的軌道に留まっているかのいずれか である(①,pp.167)。
以上のように,個々人の実践コミュニティへの参加の軌道は参加者によって異なる が,複数の実践コミュニティ同士では,同一のメンバーが共有されたり,物象化された 人工物が共有されたりする。これらは,参加と物象化の二面性に対応して,「ブローカ ー(broker)」と「バウンダリー・オブジェクト(boundary object)」と呼ばれる(第
3
図参照)。ブローカー(知識ブローカー)は,ある実践コミュニティではコミュニティ の周辺部に位置し,他の実践コミュニティでの実践をそのコミュニティに導入する役割 を果たす(①,p.105)。バウンダリー・オブジェクトは,複数の実践コミュニティで共 有されて,観点(perspectives)を調整し接続する役割を果たすような文書,用語,概念 など物象化された対象を意味する(①,pp.105−107)。バウンダリー・オブジェクトが実践コミュニティの境界を越えて持ち込まれること は,他の実践コミュニティで脱コンテクスト化され物象化された人工物が,こちらのコ ミュニティの実践において再コンテクスト化されて理解されることを意味する。だが,
第3図 参加と物象化の連鎖
資料:Wenger 1998, p.105.
マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (425)109
このプロセスは,「文化的透明性(cultural transparency)」を欠く傾向が強い。ここに文 化的透明性とは,人工物を生み出した文化的コンテクストにアクセスできる度合いを意 味する(ソーヤー
2006, p.51. see②,p.104.)Wenger
は,アフリカのブッシュマンが飛 行機の落としていった空のコカコーラの瓶を崇拝の対象とするという事例を文化的に不 透明な事例としてあげているが(②,p.104),これほど極端ではなくとも,文書や規則 の文化的コンテクストがわからず,たんに文書の求める手続きにのみしたがっていると いった事例は,われわれの日常にはきわめて多い。人工物が流通するためには,文化コ ンテクストは抹消される必要がある──Wengerはこれを「消費のための抹消(erasurefor consumption)」と呼んだ──が,こうした抹消は,人工物を創出する側の実践コミ
ュニティでは構成員の参加のプロセスであるが,その外部では非参加のプロセスをもた らす(①,p.95. see伊藤他2004, p.105)。このような文化的不透明性は,実践コミュニ
ティの歴史が長くなればその内部でも生じうる問題であるが,バウンダリー・オブジェ クトの場合は一般的な傾向となる。伊藤他(2004, p.106)は,バウンダリー・オブジェ クトが各コミュニティを結びつけると同時に,そこに境界を作る働きをもつという二面 的な理解は,Wengerの議論の特徴であると指摘している。3.マーケティングの現場としての実践コミュニティとその管理可能性
実践コミュニティは,元来,非公式な集団であるが,マーケティングや企業経営の現 場でこれを検討する場合は,当然,公式組織の存在が前提となる。だが,非公式な実践 コミュニティと企業の公式組織との間にはズレが存在する。公式組織は,実践コミュニ ティの制約であると同時に資源である。公式組織の制約の下でわれわれの出会いの機会 がつくられるが,人はこうした制約を超えて実践コミュニティを形成していく。マーケ ティングにおける「現場」とは,このような性格のものではないだろうか。たとえば,
BtoB
マーケティングで,顧客の出す要求の技術的意味が当の営業部員には確定でき ず,社内の知り合いのエンジニアや,場合によっては顧客の担当者なども加わり,非公 式な話し合いの積み重ねで技術仕様が確定されていくといった場合,親会社と子会社な いし関連会社の担当者・管理者同士で非公式な集団ができ,飲み会などを含めた日常的 な会合で次第にローカルな意識や合意が形成されていくといった場合,バイヤー,売場 監督,販売員,メーカーの派遣店員などが公式の会議の外で意見を交換し合い,今期の 品揃えの傾向をすりあわせる場合等々。これまで,組織的学習やリレーションシップ・マーケティングと呼ばれてきた事象の実体には,こうした実践コミュニティの存在があ るのではなかろうか。
冒頭に述べたように,知識経営学では,近年,実践コミュニティの重要性が注目さ れ,経営コンサルタントに転身した
Wenger
自身の手によって,実践コミュニティの育同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
110(426)
成方法の原則が語られている(Wenger 2002)。だが,すでに上野・ソーヤー(2009,
p.18)が,コンサルタント Wenger
が「ソリューションとして,或いは,規範として」「理想の」実践コミュニティを語ることへの批判を示しているように,この概念を規範 として現場に持ち込むことは,Wenger 自身がかつてあれほど強調していた「文化的透 明性」を失わせ,この概念のもつ本来の価値を失なわせる可能性が高い。これとは別 に,Nooteboom(2006, p. xv)は,暗黙知が容易にコード化でき,形式知化できると考 える知識経営学の方法的観点を批判し,「コード化は意味の喪失を伴う」としている が,この視点はかつての
Wenger
と同質である。実践コミュニティという現場では,暗 黙知が汲みつくされたり,コミュニティ自体がコントロールされつくしたりするという ことはありえない。個々の現場にはその現場特有の解釈や誤解,そして知の創発が常に 存在する。それゆえにこそ,現場は,管理者も研究者も常に立ち返るべき宝庫であるの だといえよう。Ⅳ 結びに代えて
本稿は,コード・モデルに依拠した意味の解釈を離れ,テクストとコンテクストを一 体のものとして意味を理解することが必要であるという発想のもとに,認知心理学を基 礎に個人の認知プロセスを解明しようとする関連性理論と,意味が社会的な相互関与の なかで形成されるとする実践コミュニティ論を検討した。コミュニケーションを推論の プロセスとする関連性理論は,多義的な意味のコミュニケーションに関する理論的基礎 を提供し,実践コミュニティで意味の交渉を担う個々人は,関連性理論が想定する認知 プロセスを体現しているといってよいと思われる。実践コミュニティでは,構成員同士 の相互関与という実践・社会的相互作用の積み重ねによって,明示的・暗黙的要素によ る共有領域が形成され,共通のコンテクストの下で,ある種の想定が相互に顕在的にな りやすい環境が形成されてくる。だが,この環境は基本的にローカルなものであり,こ うした環境の下でローカルな知の創発が行なわれるだけでなく,脱コンテクスト化され て外部から伝えられるバウンダリー・オブジェクトは,ローカルに再コンテクスト化さ れてその意味が解釈される。
最後に,1910〜40年代のアメリカにおけるマーケティング管理論の形成を論じた筆 者自身のマーケティング史研究に立ち返り,最近の英語版で公表された著作の一部を翻 訳することによって本稿の結びに代えたい。──マーケティング管理論発展の「全プロ セスは,マーケティングにおける革新的企業者行動(entrepreneurship)の一般化・抽象 化であると同時に,それがもっていた実際のユニークなコンテクストを喪失する脱コン テクスト化の過程を反映している。成熟したマーケティング管理論は,きわめてよく一
マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (427)111
般化され,脱コンテクスト化されているがゆえに,いかなる国のいかなる場面のマーケ ティング活動にも適用可能な存在として現われる」(Usui 2008, p.13)。このような成熟 したマーケティング管理論は「実務の手堅い基礎」として役立つが,それは管理者の創 造性や革新性を不要にするものではない。「個々の管理者は,それぞれのユニークな状 況に埋め込まれた暗黙知を認識できなければならない。『分散認知』の考えに従えば,
人間の認知ないし人間の知性は,人間が生活する環境のなかに分散しており,実務家は それぞれのユニークなコンテクストに埋め込まれた状況特異的知識を認識しなければな らない」(Usui 2008, p.127)。
附記
本稿は,埼玉大学経済科学研究科博士前期課程・後期課程の社会人大学院学生と行なってきた「マー ケティングと知識経営学」研究会の成果の一部である。検討・討論に参加いただいた社会人大学院生諸 氏に御礼を申し述べたい。また,本稿で扱っている理論素材は,埼玉大学の同僚であった西山賢一氏の 研究会で取り上げられてきたものである。西山氏の貴重な示唆がなければ,本研究はそもそも出発する ことさえできなかった。記して感謝の意を表したい。なお,本稿における不十分さは,すべて筆者の責 に帰すべきものであることはいうまでもない。
REFERENCES
新井恭子(2006)「関連性理論における『広告のことば』の分析」東洋大学『経営論集』第68号,11 月,79〜91ページ。
福島真人(1993)「解説 認知という実践−『状況的学習』への正統的で周辺的な湖面タール−」Lave and
Wenger 1991 邦訳版所収,123〜165ページ。
東森勲・吉村あき子(2003)『関連性理論の新展開−認知とコミュニケーション−』研究社。
今井邦彦(2001)『語用論への招待』大修館書店。
伊藤崇他(2004)「状況論的学習観における『文化的透明性』概念について−Wengerの学位論文から示 唆されること−」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第93号,6月,81〜157ページ。
中村良夫(2005)「広告とコミュニケーション・モデル」『横浜国際社会学研究』第20巻第2号,8月,
1〜9ページ。
西坂仰(1995)「関連性理論の限界」『言語』第24巻第4号,64〜71ページ。
ソーヤーりえこ(2006)「社会的実践としての学習−状況的学習論概観」上野直樹,ソーヤーりえこ『文 化と状況的学習−実践,言語,人工物へのアクセスのデザイン−』凡人社所収,40〜88ページ。
田中桂子(1995)「広告を読み解く」『言語』第24巻第4号,48〜55ページ。
上野直樹(2006)「ネットワークとしての状況論」上野直樹,ソーヤーりえこ『文化と状況的学習−実 践,言語,人工物へのアクセスのデザイン−』凡人社所収,3〜39ページ。
────・ソーヤーりえこ(2009)「実践共同体のマテリアリティと構造化された資源:状況的学習論の 観点」『組織科学』第43巻第1号,9月,6〜19ページ。
薄井和夫(1999)『アメリカ・マーケティング史研究−マーケティング管理の形成基盤−』大月書店。
Assimakopoulos, Stavros(2008), Logical structure and relevance , PhD Thesis, The University of Edinburgh
(http://www.ling.ed.ac.uk/˜stavros/Stavros%20Assimakopoulos%20−%20Thesis.pdf).
Barton, David and Hamilton, Mary(2005), Literacy, reification and the dynamics of social interaction , in Bar- ton and Tusting 2005, pp.14−35.
────and Tusting, Karin eds.(2005),Beyond the Communities of Practice: Language, Power, and Social Context,Cambridge: Cambridge University Press.
同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
112(428)
Bryne, Barbara(1992), Relevance theory and the language of advertising , CLCS Occasional Paper, No.31, University of Dublin, Trinity College, Spring, pp.1−76.
Creese, Angela(2005), Mediating allegations of racism in a multiethnic London school , in Barton and Tusting 2005, pp.55−76.
Crook, John(2004), On covert communication in advertising , Journal of Pragmatics,Volume 36, Issue 4, April, pp.715−738.
Forceville, Charles(1995), IBM is a tuning fork: degrees of freedom in the interpretation of pictorial meta- phors ,Poetics, Vol.23, Issue 3, March, pp.189−218.
Guala, Francesco(2003), Experimental localism and external validity ,Philosophy of Science, 70, December, pp.1195−1205.
Hanks, William F.(1991), Foreword by William F. Hanks , in Jean and Wenger(1991),pp.13−26.(邦訳,
5〜20ページ。本稿の訳は邦訳版とは異なる部分がある。)
Hislop, Donald(2009),Knowledge Management in Organizations, 2nd ed., Oxford: Oxford University Press.
Lave, Jean and Etienne Wenger(1991)Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation,Cambridge: Uni- versity of Cambridge.(佐伯胖訳『状況に埋め込まれた学習−正統的周辺参加−』産業図書,1993 年。本稿の訳は邦訳版とは異なる場合がある。)
Kotler, Philip and Kevin Lane Keller(2006),Marketing Management,12th ed., Upper Saddle River, NJ: Pearson Education International, Prentice Hall.(月谷真紀訳『コトラーのマーケティング・マネジメント,第12 版』ピアソン・エデュケーション,2008年。)
Mulken, Morgen van, Dijk, Reske van Enschot-van, and Heken, Hans(2005), Puns, relevance and appreciation in advertisements ,Journal of Pragmatics,Vol.37, Issue 5, May, pp.707−721.
Nooteboom, Bart ed.,(2006),Knowledge and Learning in the Firm, Volume II, Knowledge and Learning in Or- ganizations,Cheltenham, UK and Northampton, MA, USA: Edward Elgar Publishing Ltd.
Polanyi, Michael([1966]1983),The Tacit Dimension, Gloucester, Massachusetts: Peter Smith.(佐藤敬三訳
『暗黙知の次元−言語から非言語へ−』紀伊國屋書店,1980年。本稿の訳は邦訳版とは異なる場合 がある。)
Simpson, Paul(2001), ‘Reason’ and ‘tickle’ as pragmatic constructs in the discourse of advertising ,Journal of Pragmatics,Vol.33, Issue 4, April, pp.589−607.
Sperber, Dan and Deirdre Wilson([1986]1995),Relevance: Communication and Cognition, 2nd ed., Oxford:
Blackwell Publishing.(内田聖二他訳『関連性理論−伝達と認知−』研究社,1999年。本稿の訳は邦
訳版と異なる場合がある。)
Tanaka, Keiko(1992), The pun in advertising: a pragmatic approach ,Lingua,Vol.87, Issues 1−2, June, pp.91
−102.
────(1994),Advertising Language: A Pragmatic Approach to Advertisements in Britain and Japan, Oxon: Routledge.
Usui, Kazuo(2008),The Development of Marketing Management: The Case of the USA c. 1910−1940,Alder- shot: Ashgate Publishing.
Velasco-Sacristan and Fuertes-Olivera(2006), Towards a critical cognitive-pragmatic approach to gender meta- phors in Advertising English ,Journal of Pragmatics,Vol.38, Issue 5, November, pp.1982−2002.
Wenger, Etienne(1991),Toward a Theory of Cultural Transparency: Elements of a Social Discourse of the Vis- ible and the Invisible(PhD Dissertation, University of California, Irvine, 1990),Palo Alto, CA: Institute for Research on Learning.(http://www.ewenger.com/pub/index.htm)
────(1998),Communities of Practice: Learning, Meaning, and Identity, Cambridge and New York: Cam- bridge University Press.
────, McDermott, Richard and Snyder, William M.(2002),Cultivating Communities of Practice: A Guide to Managing Knowledge,Boston, MA: Harvard Business School Press.(野村恭彦監修,櫻井祐子訳『コ マーケティング現場における状況特異的知識(薄井) (429)113
ミュニティ・オブ・プラクティス−ナレッジ社会の新たな知識形成の実践−』翔永社,2002年。)
Wilson, D. and D. Sperber(2002) Relevance theory ,UCL Working Papers in Linguistics14, pp.249−290.
Yus Romas, Francisco(1998 a), Relevance theory and media discourse: a verbal-visual model of communica- tion ,Poetics,Vol.25, Issue 5, March, pp.293−309.
────(1998 b), A decade of relevance theory ,Journal of Pragmatics,Vol.30, Issue 3, September, pp.305
−345.
Yus, Francisco(2006), Relevance theory , in Brown, Keith editor-in-chief.,Encyclopaedia of Language and Linguistics,2nd ed., Amsterdam: Elsevier, pp.512−519.
同志社商学 第61巻 第6号(2010年3月)
114(430)