「縄張り作業」 : 日本の大学における「外国語学 部」の発展史の一考察
著者 張 韜
雑誌名 評論・社会科学
号 122
ページ 85‑106
発行年 2017‑09‑30
権利 同志社大学社会学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016810
要約:本稿は各大学の校史文献を主な素材として,日本大学における外国語学部の1949年
−1980年代前半の歴史を,文学部との関係の中で考察した。それまで文学部の中で行われ てきた外国語教育に加えて,外国語学部は戦後の学制改革によって現れたものであり,文 学部と同じく外国語専門教育組織として長期に共存してきた。しかし,それは常に存在意 義を示すことを求められる厳しい状況にあり,外国学部と文学部の間で「縄張り作業」が 発生した。外国語学部はまず大学組織として認められるように「外国学」という教育目標 を創出し,そして文学部との差異を打ち出すために教育課程に社会科学を取り入れた。最 終的にその固有の学科編成原理を生かして地域研究に収束し,文学部とも社会科学系学部 とも異なる「領土」に到達した。
キーワード:外国語学部 文学部 縄張り作業 差異化 地域研究
目次
1.問題の所在 2.先行研究
3.旧制大学における外国語教育の制度化状況 4.外国語学部の縄張り作業
4-1.草創期
4-2.地域研究への本格的な収束
4-3.差異化への到達:「外国語学部に関する基準」と「文学部に関する基準」から見た差異 5.地域研究・国際関係教育における外国語学部の位置づけ
6.考察 7.終わりに
1.問題の所在
日本における外国語教育の歴史に関する研究は,英語教育史研究が代表的である。小 林敏宏と音在謙介(2007, 2009)によると,これらの研究は記述主義的になりがちで,
理論志向が弱く,隣接諸科学の成果を取り込めていない。近年,社会学の視座をもった
────────────
†同志社大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程
*2017年7月13日受付,2017年7月21日掲載決定
論文
「縄張り作業」:日本の大学における
「外国語学部」の発展史の一考察
張 韜
†85
英語の教育の研究は,小林と音在(2007, 2009)のほか,寺沢拓敬(2014, 2015)が挙 げられる。小林と音在は日本の英語教育を国民国家の形成過程に位置づけて考察してお り,寺沢は日本の新制中学校における英語の必修化の社会的要因,および日本人の英語 学習状況,日本社会における英語の有用性などを検討した。これらの研究は英語と社会 の関係に注目するものである。一方,英語を含む外国語は
1
つの人文科学の分野とし て,それ自身も1
つの社会現象であり,その内部では外国語に取り組む様々な組織間の 葛藤があり,その外部では外国文学など他の学問分野との「相互の関係や成層構造(1)」(新堀通也
1984 : 6)という問題がある。そのため,外国語という学問分野自体に対す
る社会学の研究が必要である。「科学社会学が科学の発達を取り上げる場合には,さらに科学を制度として眺め,そ の制度化に関心をもつ」(新堀通也
1984 : 12)。新堀(1984 : 13-14)は科学の制度化を,
1)「大学の中に公的な足場をもつこと,たとえば講義題目,講座,学科が作られ,専門
の教授や学生ができること」,2)一般の人々特に政府の承認と援助,3)専門研究者集 団の形成,4)成果を公表する機関,という4
つの面に分けており,特に1)について,
「科学の制度化は大学制度と密接に関係する」と述べている。また,Mario L. Small
(1999)によると,学問の営みに必要な資源(物質的・政治的支持や学問的承認)を得 るための重要な手段の
1
つは「縄張り作業(boundary work)」であり,それは自分と類 似するまたは隣接する任務を行う機関との社会的な境界を構築したり抹消したりするこ とである。後述するが,日本の場合,戦後現れた「外国語学部」は「文学部」とともに 外国語専門教育機関として長期に共存しており,外国語学部において自分は文学部とで はどこが違うであろうかという疑問があったのである。したがって,本稿はまた外国語 学部と文学部の間の「縄張り作業」に注目し,その過程について検討を行う。本稿は次 のように構成される。まず,先行研究を概観し(第2
節),次に旧制大学の文学部およ び法文学部における外国語教育の制度化状況を明らかにし(第3
節),そして新制大学 における外国語学部の成立の経緯および文学部との縄張り作業を分析し(第4
節),こ の縄張り作業の結果,外国語学部が「地域研究」という学際的分野にたどりつき,日本 の大学における地域研究の教育機関において,どのような位置を占めたかを明らかにし(第
5
節),最後に,上記過程について考察し,外国語学部が地域研究に向かった要因を 探る(第6
節)。2.先行研究
まず,日本の高等教育における外国語教育史について,外山敏雄(1976)は,英語教 育を
4
つの時期に分けた。それは1)明治 10
年代終頃までの,英語が海外の新しい知「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 86
識や技術の習得の手段とされた「お雇外人教師」時代,2)明治
20
年頃〜明治末年頃 の,西欧の精神文化受容が重視され文学書(や思想書)の講読が中心を占めた「翻訳」時代,3)大正初年頃〜昭和
20
年代終頃の,英語学と英文学が科学的研究の対象となっ た「訳読」時代と,4)昭和30
年代以降の,「役に立つ」英語と音声言語に関心が向け られた「訳読,新教授法」時代である。しかし,外山は戦後における外国語専門教育の 多様性には注目しなかった。外 国 語 専 門 教 育 の 多 様 性 に 注 目 し た の は 近 藤 達 夫(1989, 1990)で あ る。近 藤
(1989)によれば,外国語の話されている国の文学,文化,政治経済などの側面を十分 に知った上でその国の言葉を習得するという「オールラウンドな語学」が,外国語学部 の文学部と異なる点である,と指摘している。また,近藤(1990)は,日本の大学の全 学部に対する質問紙調査(2)の結果に基づき,1)外国語を主専攻とする学科,2)外国語 を主専攻でないが専門教育科目とする学科,3)外国語を地域研究一部とする学科,4)
外国語を国際関係の一部とする学科,5)外国語を地域研究と国際関係以外の学問分野 の一部とする学科という
5
つのカテゴリーに外国語専門教育の形態を分けている。その うち,外国語学部および文学部における「**文学科(3)」,「**語**文学科」は1)
に該当するが,2)には人文系の学科のほか,「外書講読」なとの科目を設置する社会科 学系ないし自然科学系学科も該当する。近藤は日本の大学における外国語専門教育の
(1989年時点の)多様性を明らかにしたが,この多様性の形成経緯を明らかにしていな い。
一方,銭昕怡(2014)は学校基本調査および「日本の大学」データーベースに基づ き,分析した結果から,日本の大学において外国語はまだ独立した学問分野を形成して いないと述べている。銭の研究は東京外国語大学の
2012
年組織変革に焦点を絞ってい るため,「独立した学問分野」の判断基準を具体的に示せていない。以上をまとめると,これらの先行研究は日本の外国語専門教育の変遷,および戦後に おける外国語専門教育組織の多様性を明らかにしたが,こういう多様な組織の相互作用 を明らかにしていない。そこで本稿は
1949
年以降現れてきた外国語学部が外国語と外 国文学教育の伝統を持っていた文学部との差異化をどのように求めてきたかを検討す る。利用する資料は,主に各大学の校史文献および調査報告書である。その中でも,外 国語学部の発展史をより網羅するために,比較的早く外国語学部を設置した東京外国語 大学,大阪外国語大学,神戸市外国語大学,上智大学,南山大学および京都産業大学の 史料を中心に分析を行う。「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 87
3.旧制大学における外国語教育の制度化状況
旧制大学とは,日本国内における帝国大学および
1918
年に公布された「大学令」に より認定された大学である。旧制大学では外国語および外国文学の専門教育は文学部(あるいは法文学部)で行われていた。20大学(4)の
1935
年頃(5)における(付表1
参照)文学部または法文学部の組織構造を見ると,単独で「**語」と命名された学科は確認 されていない。東京帝国大学の場合,「言語学科」が設置されていたが,その授業科目 は言語学であり,専攻外国語ではない。これは近藤(1990)の調査における
1)類の学
科と明らかに異なるため,本稿ではそれを外国語専門教育としない。大部分の文学部は,学部内の「文学科」の下に専攻を置く形で外国語・外国文学の専 門教育を行っていた。専攻の名称を見ると,「**語**文学」と命名されたものはい くつかあるが,単独で「**語」と命名されたのは大谷大学(学科が設けられていな い)の梵語学専攻・巴利語学専攻と西蔵語学専攻のみである。しかもこれらの専攻は
1929
年において仏教学科の学科目であった(大谷大学百年史編集委員会2001 : 309- 310)し,いかなる国の通用語でもないので,外国語学よりは,典礼言語と位置づけら
れていたといえよう。履修に関わる制度を見ると,必修科目において「**語学」と「**文学」がまとま って所要単位が記載された場合が少なくない。分けて所要単位が記載された場合,外国 文学の単位数または一週授業時間数は外国語学より圧倒的に多い。
要するに,旧制大学において,外国語は一つの科目として独立している場合がある が,独立した専攻または学科には至らず,外国文学に比べ制度化の度合いがかなり低 い。これらの時期は外山(1976)のいう英語学と英文学が科学的研究の対象となった
「訳読」時代に当てはまるが,外山自身も「文学作品を中心とする『訳読』であったと みるのがよ!り!正しいであろう」(外山敏雄
1976)と指摘した。橋本鉱市(1996)によれ
ば,文学部のエートスは「研究」であり,またMitsuhiro Yoshimoto(2000)によれば,
英語の研究(the study of English)は「教養」と「古典」によって正当化されたもので あり,且つ英文学が重要とされたのは,良い教育を受けた大卒生に期待された自我修養 と文化的能力の獲得(self-cultivation and acquisition of cultural competency)に対して英 文学が寄与すると考えられたからである。このような知的風土において,外国語はある 程度,文学鑑賞・研究の手段といってもよい。
一方,後の外国語学部となる外国語専門学校では,技能を重んじた外国語教育が行わ れていた。大阪外国語学校,天理外国語学校および東京外国語学校の
1935
年における 履修制度によると,「(外国語学でなく)外国語」が圧倒的に多くの時間数を占めており「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 88
(付表
1
参照),その内訳は発音,読方,作文,会話,文法,書取などである。文学に対 しては,東京外国語大学の校史(高橋作太郎1999 : 447-448)によれば,教科書に文学
作品がたくさん使われても,文学「研究」の対象というよりも読解力養成の素材であっ た,ということが記載されている。外国語専門学校における「外国語(学習)のための外国文学」は,旧制大学における
「外国文学のための外国語(学習)」と対置されていた。この
2
つの組織が,戦後の新学 制により競争をさせられるようになったのである。4.外国語学部の縄張り作業
本節は,1949年から
1980
年代初期までの外国語学部の発展史を分析する。外国語学 部がその草創期において,教育目的の修正,専門教育枠の拡大および専修コースの設置 を通じて文学部との差異を求め,1970年前後に本格的に地域研究に収束していったこ とを示す。最後に1976
年「外国語学部に関する基準」の制定が,地域研究教育への収 束の到達点ともいえる。4-1.草創期
日本の大学において最も早く設置された外国語学部は,ほとんど前身が戦前の外国語
(外事)専門学校だったものが,新制大学へ昇格したものであった(6)。東京外国語大学 の校史(吉田ゆり子
1999 a : 233)によれば,1947
年公布された「学校教育法」により,専門学校制度が廃止された。これら専門学校は他の学校と合併,単独で大学に昇格,廃 校,という選択をせざるを得なかった。この時,東京外事専門学校(後の東京外国語大 学),大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学),神戸市立外事専門学校(後の神戸市外 国語大学),小倉外事専門学校(後の北九州市立大学),天理語学専門学校(後の天理大 学)が大学への単独昇格を選んだが,最初の難関は「外国語学部」の認定問題であっ た。1948年,大学設置審議会が「外国語学習は,あらゆる学術研究の手段であって目 的ではない。外国語教育を主たる目的とするような大学は世界のどこにもない」という 理由で,東京外事専門学校の提出した「外事大学設置基準案」を否決した(神戸市外国 語大学二十年史編集委員会
1966 : 68-69)。これに対して,同じく「実用」のイメージの
強い家政学部が1947
年に設置基準が制定され(石渡尊子2011),1948
年に日本女子大 学で設置された(川上雅子2015)ことから,外国語は「実用」だから学部を設置でき
ないというより,むしろアメリカ進駐軍の考えが当時の大学設置に影響を及ぼしていた のではないかと考えられる。これについて天理大学の教員が次のように語っている。「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 89
時のアメリカ進駐軍最高司令部の考え方は,外国語などを専門に教える学校というのは
「大学」の名に値しないということであった。たしかに,一人で二ヵ国語,三ヵ国語を母国 語と同様に,正確,流暢に,書き,かつ話すものの多いアメリカやヨーロッパの常識からす れば,外国語を教えるための大学などというのは,考えられないことであったのであろう。
(天理大学五十年誌編纂委員会1975 : 188)。
この難関を越えるために,外国語学部においては次の三つの戦略が取られた。
1)教育目的の修正
神戸市立外事専門学校をはじめとする外国語・外事専門学校は,「外国学」というア メリカから輸入した概念を掲げ,「外国語大学(University of Foreign Studies)設置基準 案」を可決されるように働きかけた(神戸市外国語大学二十年史編集委員会
1966 : 71- 72)。この基準案の第一条「目的」は,「外国語大学は外国の言語とそれを基底とする文
化一般につき理論と実際にわたり研究教授し,国際的な活動をするために必要な高い教 養を与え,言語をとおして外国に関する理解を深めることを目的とする」と記載されて おり,「言語」を「外国に関する理解」という目的の手段に位置づけると同時に,文学 部の主な教育内容である「文学」に言及していない。このような表現は後のいくつかの 外国語学部に踏襲されている(付表2
参照)。また,比較的早く設置された神戸市外国 語大学,東京外国語大学および天理大学の外国語学部において,学科名称が「語」をつ けず「英米学科」,「中国学科」のように直接地域となっていることも,この「外国学」の志向を物語っている。
2)専門科目枠の拡大
「外国語大学設置基準」では専門科目について,「特定の外国語の専門的素養の上に,
その外国語の用いられる地域の人文・社会・自然を研究する為に必要な科目を主要科目 として設ける」(神戸市外国語大学二十年史編集委員会
1966 : 71)と,非常にルーズに
しか規定されていない。大阪外国語大学外国語学部の各学科の1952
年における履修制 度に関する資料(大阪外国語大学70
年史編集委員会1992 : 122-123)によれば,「専攻
科目」の他に「専門教育科目」という枠があり,その内訳は「哲学」・「社会心理学」・「史学概論」・「言語学」・「新聞学」などからなる「言語文学部門」と,「憲法」・「外交 史」・「社会学」・「経済学」などからなる「法律経済部門」,および「教育原理」・「教育 実習」・「図書館学」などからなる「教職部門」であり,学生はこの枠から
16
単位を履 修しなければならない(「専攻科目」+「専門教育科目」は76
単位)。また,神戸市外国 語大学の1949
年における履修制度(神戸市外国語大学二十年史編集委員会1966 : 76-
82)に関する資料では,専門科目に「第 2
類」があり,その内訳は「商業英語」・「古典語」・「教育心理学」などからなる「人文科学部門」と,「憲法」・「経済政策」・「海運論」
などからなる「社会科学部門」,および「自然科学概論」・「民族学」・「商品学」からな
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 90
る「自然科学部門」であり,学生は「第
2
類」から28
単位を履修しなければならない(専門科目の所要単位数は
88)。要するに,外国語学部は設置初期において,外国語科
目のみならず,さまざまな学問分野の科目を「専門科目」の枠に取り入れていたのであ る。3)専修コースの設置
学科内において学生を
2
年次または3
年次からコースに分けて履修させる制度は,学 科の教育内容を対外的に明確にする効果がある。東京外国語大学,神戸市外国語大学,南山大学および京都産業大学の外国語学部は,それぞれ設置後の数年内に専修コースを 導入した。その状況は下表で示す通りである。
上表を見ると,たとえば東京外国語大学の各学科が「語学・文学専修課程」と「国際 関係専修課程」に分けられるように,これらの専修コースの名称はいずれも「語学・文 学」をそのうちの
1
つとし,もう1
つは経済などの社会科学を加味したものとなってい た。東京外国語大学の場合,鈴木幸壽と中嶋嶺雄(1999 : 1165-1166)によれば,学生 はいずれかの専修課程に進んでも,講読・ゼミナールを自由に選べるし,卒業論文も両 課程の相互乗り入れが可能であった。このことから,専修コースは必ずしも学生の学習 内容に大きな強制力を持つとはかぎらず,むしろ組織のシンボルとして語学・文学以外 の教育内容を引き立てる役割もあるといえよう。4-2.地域研究への本格的な収束
上記
2),3)を踏まえると,外国語学部の誕生初期に教育内容が多岐であり体系化さ
れていないように見える。特に
3)の経済系コースについて,経済学部を持っていた南
山大学(南山大学五〇年史作成小委員会2001 : 303)と京都産業大学(山辺健 2006)の
表1 外国語学部における専修コースの設置状況の例 大学・学科 導入が確認
されている年度 専修コースの名称 出所 東京外国語大学全学科 1952 1)語学・文学専修課程
2)国際関係専修課程
鈴木幸壽・中嶋嶺雄 1999 : 1164-1165
神戸市外国語大学全学科(7) 1952 1)語学文学関係 2)法経商関係
神戸市外国語大学二十年史編 集委員会 1966 : 232-234
南山大学英米科 1966
1)経済学を専攻する第一類 2)英語学・英米文学を専攻 する第二類
3)英米の地域研究を専攻す る第三類
南山大学五〇年史作成小委員 会 2001 : 296
南山大学イスパニア科 1967 1)経済コース 2)文学・語学コース
南山大学五〇年史作成小委員 会 2001 : 301
京都産業大学英米語,ドイツ
語,フランス語,中国語学科 1967 1)語学・文学専修課程
2)貿易国際専修課程 山辺健 2006
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 91
場合,講義科目は経済学部などの他学部に依存していた(8)。他学部に依存していれば,
その学部との類似性,ひいては競争が生じうるが,あえて,それを行ったのは,文学部 との差異を打ち出す戦略だったのではないだろうか。旧制大学の文学部文学科は明らか に文学に傾いていたが,新制大学において少なくとも一部の文学部や学芸学部の外国文 学系学科では外国語も重視され,専門科目のうち外国語の単位数が外国文学を上回る学 科(9)や,文学専攻と平行して語学専攻を置く学科(10)も現れた。もちろん,このうち戦 前,大学と認められなかった外国語教育の歴史を持っていた専門学校もあるが,外国語 教育の正当性の上昇という背景も見落としてはならない。1960年代に設置された外国 語学部の設置理由について,南山大学外国語学部と京都産業大学外国語学部のように,
外国語を手段ではなく,外国語の習熟を目的として外国の理解と並列に記載としたケー ス(付表
2
参照)や,東京外国語大学が1964
年に学科名に「語」を追加したことが,この傾向を物語っている。すなわち「外国語それ自体の研修が重視された…『言語と文 化』の一元化した『外国研究』という基本的課題意識の後退,あるいは不徹底が生ず る」(河部利夫
1999 : 259)ということである。
以上を踏まえると,外国語学部が現れた初期では,「外国学」という目標を掲げたが,
その教育内容の位置づけは必ずしも明確でなかったし,地域研究への道においても後退 があった,ということが分かる。特に外国語の正当性の上昇にともない,外国語学部の 発展において意識された問題の
1
つは,いかに文学部をはじめとする外国文学系学科と の差異を打ち出すかということであったと考えられる。この悩みは,神奈川大学と南山 大学の校史にも述べられており,神奈川大学創立五十周年小史編集委員会(1982 : 282)および南山大学五〇年史作成小委員会(2001 : 295)に参照されたい。さらに,大阪外 国語大学名誉教授赤木攻も次のように述べている。
(筆者注記:大阪)外大は紛争のころまでは良かった。しかし…変化する世界情勢をにら んだ改革を怠ってきたという反省がありました。たとえば,英語とか,そういう言語はどこ の大学でもやるようになってきた。外大でことさらやるようなことではなくなってきたわけ です…やはり従来の伝統的な言語学習に新しい価値を付加しなければならないと考えたわけ です。そうすると,外国学(地域研究)ではないかという方向に収束していったわけです。
(赤木攻ほか2014 : 20-21)(下線は筆者による)
学生の専攻する外国語の話される地域について学際的な視点を持った「地域研究」教 育体制の整備は
1970
年前後となる。この頃,東京外国語大学では1966
年から「授業 は,学生定員四〇名の語学科は原則として(11),語学・文学・事情の三講座制とな」(金 七紀男・岡村多希子1999 : 757)った。大阪外国語大学では「各学科の講座の規模に応
じて『語学』『文学』『文化』『政治・経済』の4
本柱を基本にした教育内容を整える努「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 92
力が始まった」(大阪外国語大学
70
年史編集委員会1992 : 330)。南山大学では 1976
年 に英米科を「英語学,英米文学およびコミュニケーション」に関するA
群と「英米の 歴史,思想,社会を概観する諸科目,および主としてアメリカの政治,外交,経済,宗 教,法制等に関する科目,それに国際関係の科目からなるB
群」に改め,イスパ二ア 科の「経済コース」をスペイン,ラテンアメリカの地域研究コースと改めた(南山大学 五〇年史作成小委員会2001 : 305-307)。京都産業大学外国語学部では 1974
年から語学 文学専修課程は「『文化コース』と改められ,専攻語圏の地誌・歴史や,思想・芸術な ど文化面での諸領域を含む広義の『文化論』をも幅広く扱うものとされ」,貿易国際専 修課程は「廃止され,外国語学部所属の教員が担当する『国際関係コース』が新設され た」(山辺健2006)。上智大学外国語学部では 1969
年にドイツ語学科にドイツ法律(12)に 関する科目が現れており,1969年にイスパニア語学科で「ラ米政治機構」を開講し(上智大学外国語学部
1983 : 67),ロシア語学科では 1971
年にソ連の政治・経済制度と 対日関係に関する科目が現れていた(13)。ここで特筆すべきなのは,文学部の守備範囲 を超えた社会科学の視点である。特に京都産業大学の「国際関係コース」の設置につい て,山辺(2006)は「学部の目が文学部的なもののみに向けられているわけではなく,社会科学的視点から世界情勢を学問的に学修・研究する可能性も提供されていることを 対外的にも改めて明確にする効果(下線は筆者による)」を期待されたものであった。
この表現からも,文学部との差異化という外国語学部の意識が読み取れる。
4-3.差異化への到達:「外国語学部に関する基準」と「文学部に関する基準」から見た
差異1976
年,大学基準協会が「外国語学部に関する基準」と「外国語学部における教育 実施方法について」を制定した(14)。上智大学外国語学部(1983 : 17-18)ではこの2
つ の基準を引用している。それによれば,前者の第一条「目的」は「外国語学部において は,世界各国の言語及び関係地域,国際関係等関連分野に関する理論と実際並びに世界 各国の文化を教授研究し,あわせてその応用能力を進展させることを目的とする」とな っており,第二条「組織」は「外国語学部は,各国の言語ないし言語群,もしくは地域 別に区分した学科をもって組織するものとする」と規定している。また大学基準協会は 後者の第二条第二号「専門科目」について,「専攻科目」と「共通科目」に分けており,「専攻科目」を「ア.専攻外国語
30
単位以上,イ.関係地域研究12
単位以上」と,「共 通科目」を「国際関係論等の関連科目12
単位以上」と規定している(15)。目的について は,前掲の「外国語大学設置基準」になかった「関係地域,国際関係」が追加された。組織について,言語または地域に分けられる学科体制が維持された。そして教育内容に ついて外国語と地域研究を中核的位置に,国際関係を副次的位置(16)につけた。
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 93
一方,同じく大学基準協会が制定した
1982
年版の「文学部に関する基準」は,文学 部の目的を「人文科学に関する学術をその専攻分野および関連分野にわたり教授研究 し,あわせてその応用能力を進展させることを目的とする」と定めている(大学基準協会
1982 : 55)。それに続く「文学部における教育の実施方法」は文学部の組織を「(哲
学関係)哲学科等」,「(史学関係)史学科等」,「(語学・文学関係)文学科等」,「(人間 関係学関係)人間関係学科等」および「(文化関係学関係)文化学科等」のうち「三学 科(または三専攻課程)以上をもって組織することを原則とする」と定めている(大学
基準協会
1982 : 56)。また「語学・文学」の主要科 目 に つ い て「**語 学」,「**文
学」,「**文学史」と列挙している(17)(大学基準協会
1982 : 63-65)。
外国語学部と文学部の基準を比較すると,次のような構図を得よう。たとえば文学部 の文学科は中国語学・中国文学のほかに,英語・英文学,ドイツ語・ドイツ文学など他 地域の語学文学や,西洋古典語・古典文学など特定の地域に属さない語学・文学も教え うる。これに対して外国語学部の中国(語)学科の場合,中国語学・中国文学のほか に,中国史,中国思想,および中国政治,中国経済,中国社会などの社会科学系科目も 取り入れうる。このように文学部の文学科,哲学科,史学科は学科ごとに
1
つのディシ プリンに収束するものである。これに対して外国語学部の各学科は1
つの地域に収束す るものである。また,外国語学部の共通科目である国際関係論などは,文学部文化学科 の学科目とオーバーラップする可能性がある。上図から分かるように,外国語学部の諸学科と文学部文学科の差異は「応用
vs.
研 究・教養」や「外国語vs.
外国文学」よりも,学科組織の編成原理およびこうした学科図1 大学基準協会による基準から見た外国語学部と文学部の差異
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 94
編成に基づく「(各国・一般の)語学・文学
vs.(一地域の)地域研究」にあることが分
かる。これは外国語学部と文学部の差異化の到達点ともいえるのである。5.地域研究・国際関係教育における外国語学部の位置づけ
図
1
に示した外国語学部と文学部の差異は,あくまでも大学基準協会による制度設計 であるため,次は地域研究教育における外国語学部の位置づけの実態を見てみよう。上智大学国際関係研究所は
1982
年−1983年に,日本の大学における国際関係および 地域研究教育の現状を2
回にわたって調査している(18)。同研究所によれば,1960年代 半ばから1970
年代半ばにかけて,さまざまな学部において国際関係と地域研究の科目 が増えている(Institute of International Relations 1986)が,1982年時点で,調査を受け た19
の外国語学部のうち少なくとも(19)17
学部(89.5%)が国際関係または地域研究科 目 を 設 け て お り,法 学 部(66の う ち56=84.8%),経 済 学 部(103
の う ち81=78.6
%),商学部(35のうち
26=74.2%),人文学部(17
のうち11=64.7%),文学部(127
のうち
25=19.7%)よりも開講率が高い(上智大学国際関係研究所 1983 : 13)。しか
も,国際関係または地域研究科目を開設している学部のうち,科目の種類の豊富さによ る開設状況の充足度得点(20)についても,外国語学部は法学部,経済学部,および商学 部より高い(上智大学国際関係研究所
1983 : 25)。また,地域研究の学部別開講科目数
は報告されていないが,教員の専門分野からみると,表2
(21)に示すように,外国語学部 に所属する国際関係・国際経済・国際法の教員数がいずれも法学部と経済学部の間にと どまっているが,地域研究の教員が圧倒的に多いことが分かる。教員の専門分野は必ず しも担当科目と一致しない(22)が,「日本においては,地域研究科目がほぼ外国語学部で 独占的に開講されているらしい」と上智大学国際関係研究所(1984 : 58)は推測してい る。上智大学国際関係研究所は法学部・経済学部と外国語学部との差異について,次のよ うに説明している(Institute of International Relations 1986)。法学部や経済学部は専門化
表2 国際関係・地域研究における専門分野別教員数の学部間比較
回答大学数 国際関係 国際経済 国際法 地域研究 その他 合計 外国語学部 13大学 31.0%
(62)
19.5%
(39)
9.5%
(19)
32.0%
(64)
8.0%
(16)
100%
(200)
法学部 35大学 36.6%
(104)
5.6%
(16)
52.8%
(150)
4.2%
(12)
0.7%
(2)
100%
(284)
経済学部 22大学 12.2%
(24)
78.1%
(153)
6.6%
(13)
2.0%
(4)
1.0%
(2)
100%
(196)
( )内は実数。太字は平均一学部に教員2人以上いることを示す。
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 95
によって,学科が一つのディシプリンに直結するように組織されるものである。法学部 における国際関係または地域研究科目は,法学部門については国際法,各国法をコアと しており,政治科学部門については国際関係論・国際政治史をコアとしており(法学部 では常に法学科と政治学科が併設されるので),経済学部では国際経済というカテゴリ ーの科目をコアとしている。これに対して外国語学部はディシプリンを越えた学際的な 課程を提供しており,すなわち地域研究と国際関係に加え,国際法と国際経済カテゴリ ーの科目も提供している。
この調査を踏まえると,1980年代初期において,外国語学部は他学部よりも,国際 関係および地域研究科目を幅広く開設しており,特に地域研究教育を独占していたとい える。すなわち,外国語学部は学際性を持つ地域研究をもって,法学部や経済学部とも 差異化をしていたのである。
6.考 察
戦前の外国語専門学校と旧制大学の文学部との差異は,「応用
vs.
研究・教養」と「外国語
vs.
外国文学」の差異であった。戦後の学制改革は専門学校と旧制大学という2
つの組織を新制大学という同一のシステムに統合し競争させ始めたため,旧来の差異 は競争の中で再生産された。この再生産は,評価者(大学設置審議会・占領軍・文部 省)に好まれない学問分野の押し込め,好まれる学問分野の拡張を含む縄張り作業によ ってなされたものである。新制大学への昇格の際,外国語学部(正確に言えばその前身である外国語・外事専門 学校)が直面した問題は,外国語が学問として市民権が弱く,アメリカ進駐軍に認めら れない,という状況であった。この状況を受けて,外国語学部は教育目標において,
「外国に関する理解」という目的を創出し,外国語をその手段に位置づけた。教育内容 において,社会科学へも専門教育カリキュラムを拡張した。また,1960年代になると,
外国語教育の正当性は上昇したが,外国語学部の直面した問題は,一方では同じく語学 を重視するようになった文学部などの外国文学系学科との類似性であり,他方では社会 科学科目を多く導入すると,経済など社会科学系学部との直接の競争を免れないという ことであった。これを受けて,外国語学部はまた普遍的な理論を志向する社会諸科学と 対置する「『個性記述』的性格」(小浪充
1980 : 9)を持つ,すなわち「ある特定の場所
に注意を集中させ,その場所について,できるだけ全体的にその個性をつか」(吉田昌夫
2002 : 3)む地域研究に収束したのである。
以上は外国語学部が地域研究にたどりついた過程の仕組みをまとめたが,この過程を 促す要因はほかにもいくつかある。
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 96
第
1
に,知的要因である。戦後,「従来欧米社会を主たるデータ・ソースとして発展 してきた社会科学の諸原理が非欧米社会に適用される事例の増大とともに,しだいにそ の普遍妥当性が疑われるような事態が生じ」(小浪充1980 : 8),そして「海外諸国の事
情ならびに国際問題一般にたいする日本人の関心も急速に高まってきた」(国際関係・地域研究現状調査委員会
1962 : 1)ことが,地域研究が日本で注目された要因の 1
つで ある。第
2
に,組織的要因である。地域研究は日本で注目されたとはいえ,外国語学部が地 域研究に向かったのはなぜか?伝統的な文学部は「文」,「史」,「哲」のような既成のデ ィシプリンに基づき学科を編成するのに対して,外国語学部の固有の学科は既成のデシ ィプリンでなく言語別で編成されたものである。地域研究は特定の場所に注目し,その 個性をつかむように,外国語学部の各学科は特定の言語に注目する。すなわち,この組 織構造は,地域研究の知的構造と類似する。そのため,外国語学部は固有の語学科をも とにその言語が話される地域に関する科目を増やせば学際的な地域研究の体制を構築こ とができるのである。第
3
に,政策的要因である。外国語学部の誕生初期に教育内容が多岐であり体系化が なされていないように考えられるが,これは当時の政策上,大きな問題とは考えられて おらず,課程の体系化より,「大学の特色」が奨励されていたようである(23)。これも学 際的な学部・学科の創出を促す要素ではないだろうか。また,東京外国語大学の設置初 期に,文部省の「語学だけではない外国研究を目的とするという文部省の意図」が反映 されたと指摘しており(吉田ゆり子1999 b : 242),上智大学外国語学部(1983 : 17)も
「文部省が今日,外国語学部に類する新設学部の設置申請に対して,地域研究もしくは 国際関係的な性格を強めるよう行政指導している」と指摘している。
7.終わりに
本稿は,1949年から
1980
年代初までの日本の大学におけるが外国語学部の発展史 を,主に文学部との関係に着眼して考察してみた。明らかにしたのは,外国語学部が文 学部との差異化を求め,一連の縄張り作業を経て,地域研究にたどりついたことであ る。また,本稿は外国語学部の差異化戦略およびその固有の組織構造の機能を検討し た。しかし,本稿は外国語学部や文学部の具体的なカリキュラムの変遷を網羅的に分析 していない。また,1980年代後半以降,外国語学部において著しい組織変革の1
つは,語学科を広域の学科に合併・改組したり,言語または地域別でない学科を設置したりす るような語学科体制の解体である。このことの要因は,グローバル化にともなう「国民 国家の枠を超えた諸課題」(岩崎稔
1999 : 346)への関心の高まりや,教養部など一般
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 97
教育組織の改組による,(一般外国語も含む)元一般教育教員の配置された学際的な学 部学科との競争が考えられ,語学科体制の解体の原因を実証的に探ることも必要であ る。これらについては,今後の課題にしたい。
注
⑴ 新堀(1984 : 6)によれば,学問分野は学問全体のピラミッド型の威信構造のどこかに位置する。
⑵ この調査は1989年に,全国国公私立全大学全学部に対する質問紙調査。発送数は1235学部,回収数
は616学部(約54%)。質問紙において,後述の4),5)は1),2)と重複回答してもよいとされてい
る。
⑶ 本稿では,特に断りのない場合,「**」は言語または地域名を示す。たとえば「英語」=「**語」,
「英米文学」=「**文学」。
⑷ 文部省(1972)の記載に準ずる。
⑸ 1935年頃を選んだ理由は,1)「大学令」は1918年公布されたので,1920年代初認可された大学が成 熟期に入るまで一定の期間が必要と考えることと,2)国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」
におけるアクセス可能な書類が1935頃のものが多い,ということである。
⑹ 戦前の外国語専門学校が外国語学部を設置して大学に昇格したわけではない。たとえば,天理語学専 門学校と名古屋外国語専門学校は文学部としてそれぞれ天理大学と南山大学に昇格し,京都外国語学 校と千葉外事専門学校は短期大学を経てそれぞれ京都外国語大学と麗澤大学に昇格した。
⑺ 神戸市外国語大学の場合,1963年版の学則では「専修コース」とは明記されていないが,第12条第2 項第3号では「語学文学関係の学科目から20単位以上又は法経商関係学科目から28単位以上」(神戸 市外国語大学二十年史編集委員会1966 : 234)履修しなければならない,と規定している。この規定を 専修コースと相当すると見なす。また,神戸市外国語大学二十年史編集委員会(1966 : 105)によれ ば,「法経商関係」の導入は1952年であった。そのため,「導入が確認されている年度」は1963年で はなく1952年とする。
⑻ 1970年版の『全国大学職員録』(大学職員録刊行会1969 : 1354-1355, 1376-1377)によれば,南山大学 の外国語学部の専任教員のうち,3名がそれぞれ西洋史,物理学と英米事情を担当する以外,その他 はいずれも語学または文学を担当し,京都産業大学の外国語学部の専任教員のうち,2名がそれぞれ 哲学とアジア近代史を担当する以外,その他はいずれも語学または文学を担当する。このことは,南 山大学と京都産業大学の外国語学部の経済系コースが圧倒的に他学部に依存することを裏付けている。
また,1977年版(大学職員録刊行会1976 : 1833-1834, 1862-1864)では,前者では「**事情」または
「アメリカ史」を担当する教員が6名現れ,後者では「国際関係論」,「国際関係史」まはた「国際経済 学」を担当する教員が5名現れた。これは後述のコース改編の効果と考えられる。
⑼ たとえば1949年の青山学院大学文学英米文学科では英米文学科目が22単位必修に対して,英語学が 24単位必修である(青山学院大学五十年史編纂委員会2003 : 58, 61-62)。また1974年の大阪女子大学 学芸学部英文学科では英・米文学が40単位設けられているのに対して,英語は46単位設けられてい る(大阪女子大学五十周年記念事業委員会1976 : 206-207)。
⑽ たとえば1978年の金城学院大学文学部英文学科(金城学院百年史編集委員会1996 : 671)は「英米文 学コース」と「英語学コース」に分けられており,西南学院大学文学部英文学科は1959年に「文学コ ース」と「英語実務コース」に分けられた(西南学院学院史企画委員会1986 : 567)。
⑾ 同書によると,ポルトガル語学科は学生定員20名だったので,ポルトガル語学文学,ポルトガル・ブ ラジル事情という二講座となった。
⑿ 「ドイツ法律問題演習Ⅰ,Ⅱ」と「ドイツ法理論ゼミナー」(上智大学外国語学部1983 : 48)。
⒀ 「ソ連政治制度」,「ソ連経済制度」,「ソ連東欧経済機構」および「日露日ソ関係史」(上智大学外国語 学部1983 : 77)
⒁ 大学基準協会の歴史資料(大学基準協会年史編さん室,2005 : 207-240)によれば,1950年代までに医
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 98
学,歯学,薬学,獣医学,社会事業学,芸術学,図書館学,新聞学,仏教学,神学,学芸学および体 育学の分科教育基準が制定されたが,外国語学部については「早急に制定する必要がない」とされた。
⒂ この2つの基準の1982年版は,大学基準協会(1982 : 70-73)に収録されている。1976年版と比較す ると,「外国語学部に関する基準」は完全に同様であり,「外国語学部における教育の実施方法」に専 任教員の人数および施設に関する条項が追加されたが,「専門科目」に関しては数値の表示方法以外変 わらなかった。
⒃ 国際関係論は,「文学部における教育の実施方法」における「文化関係学関係」の主要学科目(大学基
準協会1982 : 68)でもあるし,「社会学教育に関する基準」(大学基準協会1982 : 128),「新聞学教育に
関する基準」(大学基準協会1982 : 133)における関連科目でもあるし,「法学教育の実施方法」(大学
基準協会1982 : 145)における自由開設科目でもある。以上を踏まえると,外国語学部では国際関係論
を独占的に開講しているとは言えない。
⒄ 「語学・文学関係」には「言語学」,「日本語学(国語学)」,「日本文学(国文学)」,「漢文学(日本漢文 学)」および「サンスクリット語(学)・サンスクリット文学(梵語(学)・梵文学)」という専攻分野 も記載されているが,これらの分野については外国語・外国文学に該当しないので省略する。
⒅ 第一次調査は1982年における日本の297大学の605学部に対する質問紙調査で,学部回収率は77.0
%,結果は上智大学国際関係研究所(1983)に収録されている。第二次調査は1982-1983年に行われ たもので,対象は多岐にわたるが,本稿で引用するものは第一次調査対象から選んだ125学部の学部 長に対する質問調査であり,回収率は77.6% である。その結果は上智大学国際関係研究所(1984)お よびInstitute of International Relations(1986)に紹介されている。
⒆ 「少なくとも」というのは,回答数が記載されていないからである。次の各学部の開講率も同じく開講 学部数/調査票発送数で算出したものである。
⒇ この得点は,関連科目を「国際関係」,「国際経済」,「国際法」,「国際比較」,「地域研究」と「その他」
という6つのカテゴリーに分け,「その他」以外に特定のカテゴリーの科目が1科目でもあれば,1点 と記する。すなわちこの得点が高いほど,「その学部における国際関係・地域研究の教育・研究は多角 的・学際的である」(上智大学国際関係研究所1983 : 23)。なお,各国別経済論と各国法は「地域研究」
でなくそれぞれ「国際経済」と「国際法」に該当することに注意する必要がある。その結果,14の外 国語学部が3点または3点以上取っているのに対して,30の法学部,72の経済学部,および23の商 学部が2点または2点以下にとどまっている。
上智大学国際関係研究所(1984 : 55)より作成したものである。また上智大学国際関係研究所(1984 : 6)によれば,同表では前述の「国際比較」カテゴリーが削除され,それに該当していた科目はその他 のカテゴリーに割り当てられた。
上智大学国際関係研究所(1984 : 51-52)によれば,外国語学部では専門分野と担当科目が相違する教 員は42名もおり,この人数はどの学部よりも多い。そのうち専門分野が語学で地域研究を担当してい る者は18名いる。このことから,外国語学部では専門分野が地域研究である教員数以上の地域研究科 目担当教員がいる,と筆者は推測している。
大学基準協会による1950年版の「大学基準の解説」の第七条第(4)号「専門科目の設け方」は次の ように記載されている。
専門科目に関しては…学問分野別に基ついて,「別表の各分野毎に示された各部門に亙り,適当数の授 業科目を設けなければならない」ことになり,大学では此のおおまかな規定により…大学の特色を遺 憾なく発揮出来ることになったのである。但し別表の類別は,全く学問分野の構造の見地から行われ たものであるから分野別の如きものも,決して学科別を意味するものでないことを留意する必要があ る。(大学基準協会1950 : 20)
1971年版の「大学基準の解説」にも類似の表現があり「各大学は,その目的・使命に応じて最も適当と 思われる講座制または学科目制その他の制度を自由に決定し,必要にして十分な講座制または学科目 制その他必要な組織を設置し,おのおのその独自の学風と特色を遺憾なく発揮するように努めること が最も望ましい」(大学基準協会事務局高等教育研究部門1997 : 247)。教育課程の体系性への要求が現 れたのは1994年版の「大学基準の解説」である(大学基準協会事務局高等教育研究部門1997 : 261)。
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 99
付表1 旧制大学文学部,法文学部文学系学科および外国語専門学校における外国文学と外国語の必修単位 比較の例
大学・学部 学科・専攻等 必修 単位 **語
学文学 **
文学 **語
(学) 備考 出所
東京帝国大 学文学部
英吉利文学科 11 11 0 0
「東 京 帝 国 大 学 一 覧.
昭 和11年 度 」,205- 206
印度哲学梵文学科
(甲) 9 0 0 2 別途印度哲学7単位。
印度哲学梵文学科
(乙) 9 7 0 0 別途印度哲学2単位。
獨逸文学科 11 11 0 0 佛蘭西文学科 11 11 0 0 支那哲学支那文学
科(甲) 7 0 2 0 別途支那哲学5単位。
支那哲学支那文学
科(乙) 9 0 5 2 別途支那哲学2単位。
京都帝国大
学文学部 文学科 非該当 非該当 非該当 非該当
「支 那 語 学 支 那 文 学」,「英 文 学」,
「獨逸文学」,「佛蘭西文学」および
「梵語梵文学」のいずれかを専攻と することが可能。その場合当該の
「普 通 講 義」,「特 殊 講 義」お よ び
「演習」が必修科目。また,文学科 の ど ん な 専 攻 を 選 ん で も,「英 文 学」,「獨逸文学」,「佛蘭西文学」と
「梵語梵文学」のいずれかの普通講 義,および「支那語学支那文学」の 普通講義が必修科目。
「京 都 帝 国 大 学 一 覧.
昭 和11年 度 」,144- 146
東北帝国大 学法文学部
文科第五部英文学
専攻 17 7 0 0「必修科目」と「専攻科目」の合計。
「必修科目」は「部」において共通 するものであり,「専攻科目」は専 攻による必修科目。
「東 北 帝 国 大 学 一 覧.
昭和10至11年」,210 -214
文科第五部獨文学
専攻 17 7 0 0
文科第三部支那文
学専攻 20 0 4 5
「必修科目」と「専攻科目」の合計。
「必修科目」は「部」において共通 するものであり,「専攻科目」は専 攻による必修科目。また「専攻科 目」について「支那文学講義(三),
支那学講読,支那語(五)」記載さ れているので,支那学講読,支那語 が合わせて五単位と考えられる。
九州帝国大
学法文学部 文学士 非該当 0 7 0
「支 那 文 学」,「英 文 学」,「獨 文 学」
および「佛文学」は選択可能な科目 であり,それぞれ7単位。
「九 州 帝 国 大 学 一 覧.
昭和10年」,261-263
慶応義塾大 学文学部
英吉利文学科 15 0 10 4 別途言語学概論1単位。
「慶応義塾案内.昭和 10年 版(第14版)」,
58-59 支那文学科 15 0 8 2 別途国語学国文学5単位。
獨逸文学科 25 0 10 14
別途言語学概論1単位。また,1929 年版では獨逸語学は4単位なので,
ここは誤記の可能性もある。
佛蘭西文学科 15 0 10 4 別途言語学概論1単位。
同志社大学
文学部 英文学科 41 33 0 0 一週時間数の三年間合計。 「同志社一覧.昭和10 年」,114-116 日本大学法
文学部
文学科英文学専攻 20 0 7 4
「日本大学一覧.昭和 10年10月編」,43-46 文学科漢文学専攻 22 0 8 1「支那哲学及支那文学」がまとまっ
て8単位
法政大学法 文学部
文芸学科英語学英
文学専攻 36 12 3 0
「基礎科目」と「専攻科目」の合計。「法政大学学則」,4
(1941年出版)
文芸学科獨語学獨
文学専攻 36 12 3 0
文芸学科佛語学文
学専攻 36 12 3 0
「縄張り作業」:日本の大学における「外国語学部」の発展史の一考察 100