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カーター外交とパキスタン一九七七~一九八〇

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(1)

︿論

説﹀

カ ー タ ー 外 交 と パ キ ス タ ン

一 九 七 七

~ 一 九 八

人権

︑核 拡散

︑新 冷戦 をめ ぐる 政策 調整 問題

溝 口 聡

は じ め に 一 フォ ード 政権 とパ キス タン 核問 題 二 カー ター 政権 の登 場 三 人権 外交 とパ キス タン 四 ジヤ ー政 権の 核開 発問 題と カー ター 政権 の対 応 五 西南 アジ ア地 域の 不安 定化 と米 パ関 係 六 新冷 戦と パキ スタ ン お わ り に

は じ め に カー

ター

J i m m y C a r t e r

外︶ 交に つい ては

︑既 に多 くの 研究 蓄積 が

( )

ある

︒最 も一 般的 な見 解は

︑新 パナ マ運 河条

1

(2)

約の 締結 やキ ャン プ・ デー ヴィ ット 合意 など 評価 すべ き点 もあ る一 方︑ カー ター は多 くの 外交 問題 で︑ 政策 調整 に 失敗 した とい う指 摘で あろ う︒ ニク ソン

R i c h a r d M . N i x o n

=フ ォー ド︵

G e r a l d R . F o r d

︶政 権の 秘密 外交 を非 難 し︑ 道徳 的側 面を 強調 する カー ター の人 権外 交は

︑第 二次 戦略 兵器 制限 交渉

S A L T I I

︶ に臨 むソ 連や 共産 主義 陣 営だ けで なく

︑ア メリ カの 同盟 国で あっ た韓 国︑ フィ リピ ン等 の権 威主 義体 制の 国家 との 関係 も危 うく

( )

した

︒カ ー

2

ター はま た︑ 人事 の統 括に も失 敗し たと 言え る︒ 外交 政策 の主 導権 をめ ぐる サイ ラス

・ヴ ァン ス︵

C y r u s V a n c e

︶ 国務 長官 とズ ビグ ネフ

・ブ レジ ンス キー

Z b i g n i e w B r z e z i n s k i

︶ 国家 安全 保障 担当 大統 領補 佐官 の対 立は

︑カ ータ ー外 交の 一貫 性の 無さ を表 した

︒一 九八

〇年 四月 のヴ ァン スの 辞任 は︑ カー ター 外交 の重 心が

︑対 ソ強 硬的 なブ レ ジン スキ ー路 線へ と転 換し たこ とを

︑印 象づ ける 出来 事で あっ た︒ 対パ キス タン 政策 は︑ まさ しく カー ター 政権 の外 交的 定見 の欠 如を 示す 格好 の題 材と 言え る︒ カー ター にと っ て︑ パキ スタ ンは 核兵 器開 発問 題︑ 人権 問題

︑新 冷戦 とい う主 要な 外交 課題 が︑ 交錯 する 国で あっ た︒ しか し︑ 対 パキ スタ ン政 策に 焦点 を当 てて

︑カ ータ ー外 交を 解明 しよ うと する 研究 は少

( )

ない

︒な ぜな ら︑ 既存 の研 究の 多く

3

は︑ ソ連 のア フガ ニス タン 侵攻 後︑ 軍事 援助 の再 開を 決断 する まで

︑ア メリ カは パキ スタ ンに 対す る関 心が 低か っ たと いう 見解 を批 判的 に検 証せ ず︑ パキ スタ ンの 核開 発や 人権 侵害 を︑ 優先 順位 の低 い地 域の 問題 と捉 えて いる か らで

( )

ある

︒確 かに カー ター 政権 の高 官達 は︑ 西ヨ ーロ ッパ や中 東ほ どに は︑ 南ア ジア を重 要な 地域 とは 認識 して お

4

らず

︑同 地域 の担 当に 最低 限の 人員 を配 置す るだ けで あっ た︒ さら にブ レジ ンス キー は︑ 地域 大国 との 関係 を基 盤 に据 える 外交 方針 を打 ち出 し︑ 南ア ジア 地域 の軸 をイ ンド に置 いた

︒だ が︑ こう した 指摘 は︑ カー ター 政権 のパ キ スタ ン政 策が

︑国 務省 副長 官の ウォ ーレ ン・ クリ スト ファ ー︵

W a r r e n C h r i s t o p h e r

︶ と彼 の政 策ス タッ フを 中心 に 展開 した とい う事 実に ほと んど 言及 せず

︑ブ レジ ンス キー の政 策評 価委 員会

P o l i c y R e v i e w C o m m i t t e e : P R C

を︶ 中 心に 南ア ジア 政策 を論 じて

( )

いる

︒カ ータ ー政 権の パキ スタ ン政 策を めぐ る研 究の 中に は︑ 同政 権の 人道 主義 的理 念

5

(3)

が︑ 米ソ 新冷 戦に よる パキ スタ ンの 戦略 的重 要性 の高 まり によ り︑ ムハ ンマ ド・ ジヤ ー・ ウル

・ハ ック

M o h a m - m e d Z i a u l - h a q

︶政 権に は適 応さ れな かっ たと 指摘 し︑ 人権 外交 の観 点か ら批 判す るも のも みら

( )

れる

︒パ キス タン 向

6

けの 人権 外交 に批 判的 な研 究の 問題 は︑ カー ター 政権 末期 を中 心に 論じ る傾 向が 強く

︑政 策形 成の 変容 過程 を実 証 的に 分析 でき てい ない 点に ある

︒ 本稿 の目 的は

︑カ ータ ー政 権と ズル フィ カー ル・ アリ ー・ ブッ トー

Z u l f i k a r A l i B h u t t o

︶︑ ジヤ ー両 政権 の外 交 交渉 を︑ 核兵 器︑ 人権

︑新 冷戦 とい う三 つの 課題 から 多角 的に 考察 し︑ 経済 制裁 から 軍事 援助 の再 開に 至る 対パ キ スタ ン政 策の 調整 過程 を明 らか にす るこ とに ある

︒結 論と して 本稿 は︑ カー ター 政権 の政 策調 整の 失敗 が︑ 先行 研 究の 多く が指 摘す るソ 連の アフ ガン 侵攻 まで のパ キス タン への 関心 の低 さに よる もの では なく

︑人 権状 況の 改善 と 核開 発の 阻止 を同 時に 実現 しよ うと する カー ター 政権 の外 交方 針に 起因 する との 主張 を展 開す る︒ 以下 では まず

︑フ ォー ド政 権と カー ター 政権 のパ キス タン 核問 題に 関す る基 本方 針を 説明 する

︒次 いで カー ター 政権 期の 米パ 関係 と人 権外 交を めぐ る外 交交 渉を 考察 し︑ ブッ トー

︑ジ ヤー 両政 権へ の人 権と 核開 発を めぐ る対 立 姿勢 が︑ アフ ガニ スタ ンと イラ ンの 政変 を受 け︑ 融和 政策 に至 る政 策形 成過 程を 論じ る︒ 最後 にカ ータ ー政 権期 の パキ スタ ン政 策を 総括 し︑ その 問題 点を 論じ る︒

(

Da ni el J. Sa rg en t, AS up er po we rT ra ns fo rm ed :T he Re ma ki ng of Am er ic an Fo re ig nR el at io ns in th e1 97 0s 1

O xf or d: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 20 15

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;S co tt Ka uf ma n, Pl an sU nr av el ed :T he Fo re ig nP ol ic yo ft he Ca rt er Ad mi ni st ra ti on

D eK al b: No rt he rn Il li no is Un iv er si ty Pr es s, 20 08

; Je an A. Ga rr is on ,G am es Ad vi so rs Pl ay :F or ei gn Po li cy in th eN ix on an dC ar te r Ad mi ni st ra ti on s Co ll eg eS ta ti on ,1 99 9

;D av id Sk id mo re ,R ev er si ng Co ur se :C ar te r’ sF or ei gn Po li ci es ,a nd th eF ai lu re of Re fo rm

N as hv il le : Va nd er bi lt Un iv er si ty Pr es s, 19 96

; Do na ld S. Sp en ce r, Th eC ar te rI mp lo si on :J im my Ca rt er an dt he Am at eu rS ty le of Di pl om ac y Ne wY or k: Pr ae ge r, 19 88

; A. Gl en nM ow er Jr ,H um an Ri gh ts an dA me ri ca nF or ei gn Po li cy :T he Ca rt er an dR ea ga nE xp er ie nc es

N ew Yo rk :G re en wo od

(4)

Pr es s, 19 87

; Ga dd is Sm it h, Mo ra li ty ,R ea so n, an dP ow er :A me ri ca nD ip lo ma cy in th eC ar te rY ea rs

N ew Yo rk :H il la nd Wa ng ,1 98 6

;J os hu a Mu ra vc hi k, Th eU nc er ta in Cr us ad e: Ji mm yC ar te ra nd th eD il em ma so fH um an Ri gh ts Po li cy

L an ha m: Ha mi lt on Pr es s, 19 86

; Do ug la s Br in kl ey ,q Th eR is in gS to ck of Ji mm yC ar te r: Th e Ha nd so n Le ga cy of Ou rT hi rt y- ni nt hP re si de nt ,” Di pl om at ic Hi st or y, Vo l. 20

S um me r

}~

19 90

.

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Ph Dd is s. ,Y or kU ni ve rs it y, 20 05

.

一 フォ ード 政権 とパ キス タン 核問 題 カー

ター 政権 発足 以前 から

︑米 パ関 係に は︑ 暗雲 が垂 れ込 んで いた

︒一 九七 五年

︑大 統領 選挙 に挑 むカ ータ ー は︑ 自著

﹃な ぜベ スト をつ くさ ない のか

?﹄ の中 で︑ ニク ソン

=フ ォー ド政 権を 非難 する 題材 の一 つに

︑対 パキ ス タン 政策 を挙 げて

( )

いた

︒カ ータ ーは

︑発 展途 上国 向け の武 器禁 輸措 置の 強化 を表 明し

︑共 和党 政権 の軍 事援 助政 策

7

に否 定的 であ った

︒ ニク ソン 政権 は︑ 米中 接近 の窓 口に

﹁パ キス タン

・チ ャン ネル

﹂を 利用 し︑ その 見返 りと して 武器 禁輸 措置 を一

(5)

時的 に緩 和し たこ とで

︑ア メリ カ国 民か らパ キス タン 寄り と認 知さ れて いた

︒禁 輸緩 和措 置に は︑ 武器 供与 先で あ るヤ ヒア

A g h a M o h a m m e d Y a h y a K h a n

︶政 権が

︑パ キス タン から の分 離・ 独立 を求 める 東パ キス タン の人 々を 厳 しく 弾圧 した ため

︑国 内外 から の批 判が 集ま って いた

︒し かし

︑ニ クソ ン政 権は

︑ヤ ヒア 政権 の人 権弾 圧よ りも

︑ 東パ キス タン 問題 が︑ 南ア ジア 地域 全体 の安 全保 障を 脅か す危 険性 を憂 慮し てい た︒ 東パ キス タン 問題 は︑ ヤヒ ア 政権 の弾 圧を 逃れ るた め︑ 大量 の難 民が イン ドへ 流入 した 結果

︑印 パ間 の国 際問 題へ と発 展し たか らで ある

︒ニ ク ソン とキ ッシ ンジ ャー

H e n r y K i s s i n g e r

︶ 国家 安全 保障 担当 大統 領補 佐官 は︑ イン ディ ラ・ ガン ディ

I n d i r a G a n - d h i

︶ 首相 が︑ 難民 問題 解決 のた め︑ 東パ スタ ン問 題へ の軍 事介 入に 踏み 切る こと を懸 念す るよ うに なっ た︒ 対す るガ ンデ ィ首 相は

︑ヤ ヒア 政権 に融 和的 な態 度を 続け るニ クソ ン政 権に 対し て︑ 不信 感を 募ら せて いっ たの であ る︒ 結局

︑長 引く 難民 問題 が発 端と なり

︑七 一年 十二 月に は第 三次 印パ 戦争 が勃 発し た︒ イン ド軍 の西 パキ スタ ン併 合を 危惧 する ニク ソン とキ ッシ ンジ ャー は︑ イン ドと 平和 友好 条約 を締 結し たソ 連と の交 渉を 重ね て︑ 戦争 の早 期 終結 を試 みた

︒ニ クソ ン政 権に よる 大国 主導 の紛 争調 停は

︑イ ンド シナ 和平 や米 ソデ タン トな どの 外交 課題 が︑ ヤ ヒア 政権 への 配慮 より 優先 する こと を︑ パキ スタ ンに 明確 に示 すこ とに なっ た︒ ヤヒ ア大 統領 は︑ パキ スタ ンの 分 裂回 避の ため

︑ニ クソ ン政 権の 支援 を期 待し てい た︒ とこ ろが

︑ニ クソ ンと キッ シン ジャ ーは

︑イ ンド の西 パキ ス タン 侵攻 を阻 止で きた こと に満 足し

︑東 パキ スタ ンの 分離 独立 を黙 認し たの であ る︒ 戦争 の結 果︑ 南ア ジア の勢 力 地図 は︑ 東パ キス タン がイ ンド の後 押し を受 け︑ バン グラ デシ ュと して 独立 した こと で︑ 大き く変 化し た︒ また 戦 後の 印ソ 関係 は︑ 米パ 関係 とは 対照 的に 緊密 化し た︒ イン ドは ソ連 との 軍事 的協 力を 明確 化し

︑ソ 連の 援助 の恩 恵 を受 ける こと とな った ので

( )

ある

8

ウォ ータ ーゲ ート 事件 で辞 任し たニ クソ ンの 後任 とし て︑ 大統 領に 就任 した フォ ード は︑ 南ア ジア 地域 に対 する

(6)

明確 な政 策方 針を 有し てお らず

︑パ キス タン との 外交 交渉 につ いて は︑ 国務 長官 と国 家安 全保 障担 当大 統領 補佐 官 の職 を︑ 一時 期兼 任し てい たキ ッシ ンジ ャー にほ ぼ一 任し た︒ キッ シン ジャ ーは 第三 次印 パ戦 争以 後︑ イン ドと の 関係 改善 の必 要性 を認 識し

︑パ キス タン への 軍事 援助 に関 して 消極 的と なっ た︒ キッ シン ジャ ーは

︑七 四年 九月 の アジ ズ・ アフ マド

A z i z A h m a d

︶外 相と の会 談で

︑イ ンド への 脅威 に対 抗す るた め軍 拡の 必要 性を 強調 する 外相 に対 し︑ 軍事 物資 の売 却に は慎 重な 対応 が必 要で ある と述 べ︑ パキ スタ ンに 自制 を促 した ので ある

︒こ れに 対し ブ ット ーは

︑一 か月 後の キッ シン ジャ ーと の会 談で

︑ア メリ カか ら軍 事援 助を 引き 出す ため

︑イ ンド の軍 事的 脅威 に 対抗 する ため

﹁確 実な 抑止 力﹂ を持 つ必 要性 を強 調

( )

した

9

フォ ード 政権 は︑ 核抑 止の 可能 性を 示唆 する ブッ トー の発 言を 受け

︑態 度を 軟化 させ た︒ アメ リカ 政府 は︑ 一九 七五 年二 月に 印パ 向け の武 器禁 輸措 置の 撤廃 を公 表し

︑﹃ ニュ ーヨ ーク

・タ イム ス﹄ 誌か ら南 アジ アの 軍拡 競争 を 促進 する との 批判 を受 けた

︒フ ォー ド政 権は

︑ア メリ カ国 内か らの 批判 を覚 悟の 上で

︑イ ンド の核 能力 に対 する 自 衛手 段を 模索 する パキ スタ ンに 対し

︑武 器禁 輸措 置の 撤廃 が︑ ブッ トー 政権 の核 開発 計画 への 防止 策と なる こと に 期待 した ので ある

︒ アメ リカ はア イゼ ンハ ワー 政権 以降

︑核 兵器 の拡 散と 原子 力の 平和 利用 をい かに 両立 する か苦 心し てい た︒ 核濃 縮関 連の 技術 情報 の拡 散は

︑米 ソに 加え

︑イ ギリ ス︑ フラ ンス

︑中 国と 核保 有国 を増 加さ せた

︒米 ソは さら なる 核 拡散 を防 ぐた め︑ 核不 拡散 条約

N o n - P r o l i f e r a t i o n T r e a t y : N P T

の︶ 締結 交渉 に取 り組 み︑ 同条 約は 一九 七〇 年に 発 効し た︒ NP Tは 非核 保有 国に は︑ 原子 力の 平和 利用 を推 奨す る一 方で

︑核 兵器 への 転用 を防 ぐた め︑ 国際 原子 力 機関

I n t e r n a t i o n a l A t o m i c E n e r g y A g e n c y : I A E A

︶ の保 障措 置を 強化 した

︒七 三年 の石 油危 機以 降︑ ブラ ジル やエ ジプ トな どの 発展 途上 国は

︑石 油依 存回 避を 目的 に︑ 原子 力へ の関 心を 高め た︒ 中国 の脅 威に 対抗 する ため 核開 発 を検 討し てい たイ ンド もま た︑ 原子 力エ ネル ギー への 期待 を強 めて いっ たの であ る︒

(7)

アメ リカ 政府 は︑ イン ドが 国際 社会 から の非 難と 制裁 の危 険性 を顧 みず

︑七 四年 五月 に核 実験 に踏 み切 ると は想 定し てお らず

︑南 アジ アの 核問 題で は後 れを 取っ た︒ 七四 年一

〇月

︑ガ ンデ ィ首 相と 会談 した キッ シン ジャ ーは

︑ 核実 験へ の直 接的 な非 難を 避け る一 方で

︑核 拡散 を防 ぐた め︑ 核燃 料物 質の 厳重 な管 理の 必要 性を 強く 説い た︒ ア メリ カは

︑一 九六 三年 にイ ンド と原 子力 の平 和利 用に 関す る協 定を 締結 して いた

︒し かし

︑こ の協 定は 核技 術の 軍 事転 用を 禁ず る一 方で

︑平 和利 用目 的の 核実 験に 対す る明 確な 規制 を課 して いな かっ た︒ その ため

︑キ ッシ ンジ ャ ーは

﹁核 武装 する 意思 はな い﹂ とい うイ ンド 政府 の言 質を

︑再 確認 する にと どま った ので

( )

ある

10

イン ドの 核開 発は

︑第 三次 印パ 戦争 後︑ 国土 が半 減し たパ キス タン にと って 自国 の安 全保 障を 脅か す新 たな 問題 とな った

︒フ ォー ド政 権は イン ドに 続き

︑パ キス タン の核 開発 問題 でも 対応 を見 誤り

︑南 アジ ア地 域の 安定 を脅 か す事 態を 避け る必 要が あ

( )

った

︒し かし

︑ア メリ カの 思惑 をよ そに

︑パ キス タン は核 兵器 開発 に邁 進し た︒ ブッ トー

11

首相 は︑ 表向 きは 核兵 器開 発を 否定 し︑ 経済 的要 因か ら原 子力 発電 の必 要性 を説 き︑ 核燃 料再 処理 施設 の建 設交 渉 をフ ラン スと

︑重 水素 製造 プラ ント の建 設交 渉を 西ド イツ と続

( )

けた

︒む ろん

︑パ キス タン の真 意が

︑イ ンド との 戦

12

略バ ラン スと 国家 の威 信を 保つ ため

︑核 爆弾 の保 有に ある こと は明 らか であ った

︒ 一九 七六 年の 大統 領選 を控 えた フォ ード 政権 には また

︑パ キス タン の核 問題 を解 決す るこ とで

︑核 拡散 問題 に対 する カー ター から の非 難を 回避 する とい う意 図も あっ た︒ 核開 発疑 惑の ある 国々 への 軍事 援助 を制 限す るア メリ カ の強 硬姿 勢は

︑韓 国︑ 台湾 等に 対し て功 を奏 する 一方 で︑ 禁輸 措置 の期 間の 長い パキ スタ ンに は︑ 効力 が弱 かっ た︒ そこ で︑ フォ ード はパ キス タン への 核開 発支 援を 止め るよ う︑ 西ド イツ とフ ラン スに 強く 迫っ たの であ る︒ 西 ドイ ツは フォ ード 政権 の圧 力を 受け

︑パ キス タン との 交渉 を打 ち切 った

︒こ れに 対し

︑フ ラン スは アメ リカ の圧 力 に屈 せず

︑パ キス タン との 契約 交渉 を継 続し

︑再 処理 施設 に関 する 合意 に至

( )

った

︒ア メリ カ中 央情 報局

C e n t r a l

13

I n t e l l i g e n c e A g e n c y : C I A

の︶ 国家 評価 室︵

O f f i c e o f N a t i o n a l E s t i m a t e s

︶ が作 成し た﹁ 特別 国家 情報 評価

S

p e

c i

a l

(8)

N a t i o n a l I n t e l l i g e n c e E s t i m a t e s : S N I E

︶﹂

︵一 九七 五年 一二 月︶ は︑ パキ スタ ンが この まま 核開 発を 進め た場 合︑ 早け れ ば一 九七 八年 まで に核 を開 発す るこ とが 可能 とな ると の厳 しい 見解 を示

( )

した

14

一九 七六 年二 月に は︑ キッ シン ジャ ーが

︑パ キス タン を訪 問し

︑ブ ット ーに 対し て︑ 核開 発を 断念 する よう 説得 を行

( )

った

︒ブ ット ーに よる と︑ キッ シン ジャ ーは

﹁民 主党 の大 統領 候補 であ るカ ータ ーは

︑パ キス タン の核 問題 に

15

対し て︑ 強固 な反 対派 とし て知 られ てい る﹂ と語 り︑

﹁共 和党 政権 と取 引を する には 良い 時期 であ る﹂ と説 いた の で

( )

ある

︒キ ッシ ンジ ャー の戦 略は

︑A ー‡ 爆撃 機を 含む 対イ ンド への 攻撃 能力 を向 上さ せる 武器 の給 与と いう

16

﹁飴

﹂と 核開 発問 題で は︑ 厳し い制 裁措 置を 取る 民主 党大 統領 の危 険性 とい う﹁ 鞭﹂ を使 い分 け︑ パキ スタ ンの 核 兵器 開発 を阻 止す ると いう もの であ った

︒ブ ット ーは

︑七 六年 の選 挙戦 前に 核問 題で 譲歩 を示 し︑ フォ ード 政権 と の軍 事援 助交 渉を 進め るべ きと いう キッ シン ジャ ーの 提案 に謝 意を 示し なが らも

︑パ キス タン の国 家安 全保 障を

﹁ア メリ カの 手に 委ね るこ とは でき ない

﹂と 指摘 し︑ 核放 棄と 軍事 援助 の取 引を 拒絶

( )

した

︒キ ッシ ンジ ャー とブ ッ

17

トー の会 談は

︑南 アジ ア地 域の 安定 のた め︑ パキ スタ ンの 核開 発を 容認 でき ない アメ リカ とイ ンド の将 来的 な核 武 装に 対す る安 全保 障政 策と して

︑核 兵器 開発 を放 棄で きな いパ キス タン との

﹁交 渉不 可能 性﹂ を明 確に した ので あ る︒

(

7

J ac kA nd er so n, An de rs on Pa pe rs

N ew Yo rk Ra nd om Ho us e, 19 73

; Hu sa in Ha qq an i, Ma gn if ic en tD el us io ns :P ak is ta n, Th eU ni te dS ta te s, an d A 8 nE pi cH is to ry of Mi su nd er st an di ng

N ew Yo rk :P ub li cA ff ai rs ,2 01 3 ,2 09 -2 15

;

ˆ

ˆ

9

D en ni sK ux ,E st ra ng ed De mo cr ac ie s: In di aa nd th eU ni te dS ta te s Ho no lu lu :U ni ve rs it yP re ss of th eP ac if ic ,2 00 2 ,3 28 -3 29

;P au lF .P ow er , 10

(9)

qT he In do -A me ri ca nN uc le ar Co nt ro ve rs y,

”A si an Su rv ey Vo l. 19 ,N o. 9 Ju n1 97 9 ,5 77 .

H aq qa ni ,i bi d. ,2 08

;K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t. ,2 18

;

調

11

R aj en dr aK .J ai n, ed ., US -S ou th As ia nR el at io ns 19 47 -1 98 2, Vo l. 2 At la nt ic Hi gh la nd s: Hu ma ni ti es Pr es s, 19 83

, 35 3.

12

I bi d. ,2 21 .

13

M em or an du m to Ho ld er s, Sp ec ia lN at io na lI nt el li ge nc eE st im at e, De ce mb er 18 ,1 97 5q Th eN uc le ar Va ul t,

”N at io na lS ec ur it yA rc hi ve ʼs N 14 uc le ar Do cu me nt at io nP ro je ct s. ht tp :/ /w ww .g wu .e du /~ ns ar ch iv /n uk ev au lt /e bb 33 3/ do c0 1. pd f

M em or an du mo fC on ve rs at io n, Wa sh in gt on ,F eb ru ar y5 ,1 97 6, Fo re ig nR el at io ns of th eU ni te dS ta te s FR US

, 19 69 -7 6, Vo l. E- 8, Do cu me nt s o 15 nS ou th As ia ,1 97 3- 19 76 ,D oc um en t1 89 .

R af iR az a, Zu lf il ar Al iB hu tt oa nd Pa ki st an 19 67 -1 97 7 Ka ra ch i: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 97

, 24 4.

16

M ed ia Re ac ti on ,A ug us t1 0, 19 76 ,N uc le ar No n- Pr ol if er at io n, NP 01 48 3, Di gi ta lN at io na lS ec ur it yA rc hi ve s DN SA

; Ja ck An de rs on

&

Le s W 17 hi tt en ,q Ki ss in ge rʼ sp ro mi se to Pa ki st an ,” Th eW as hi ng to nP os t, Ap ri l1 2, 19 77

;K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t. , 22 3- 22 4.

二 カー ター 政権 の登 場 一九

七七 年一 月に 大統 領に 就任 した カー ター は︑ 選挙 期間 中か ら核 の拡 散に 対す る危 険性 を説 いて いた

︒海 軍の 技術 士官 とし て原 子力 潜水 艦の 開発 計画 に携 わり

︑原 子力 事故 の処 理中 に被 爆し た経 験の ある カー ター は︑ 歴代 の 大統 領の 内︑ 最も 核に 関す る豊 富な 知識 と経 験を 有す る人 物で あ

( )

った

︒カ ータ ーは

︑歴 代大 統領 とは 異な り︑ 発展

18

途上 国内 の原 子力 の平 和利 用と 核不 拡散 を︑ 別個 の問 題と は捉 えな かっ た︒ 一九 七六 年六 月︑ カー ター は国 際連 合 総会 演説 にお いて

︑自 身の 核不 拡散 に関 する 見解 を示 し︑

﹁原 子炉 の拡 散は

︑多 くの 国へ の核 兵器 の拡 散を 意味 す るで あろ う﹂ と語

( )

った

19

原子 力関 連技 術の 輸出 と核 兵器 の拡 散を 結び つけ るカ ータ ー政 権の 新方 針は

︑フ ラン ス︑ 西ド イツ

︑イ ギリ ス︑

(10)

ベル ギー とい った 西欧 諸国 から の技 術援 助を 通じ て︑ 核兵 器開 発を 試み るパ キス タン には

︑深 刻な 問題 であ った

︒ ブッ トー は直 ぐに

︑﹁ パキ スタ ン国 民を 説得 でき る軍 事援 助︑ 経済 援助

︑エ ネル ギー 供給 が︑ 提示 され る﹂ ので あ れば

︑核 問題 につ いて

︑交 渉す る準 備が ある こと を示 唆し た︒ クリ スト ファ ー国 務省 副長 官は

︑パ キス タン との 取 引材 料と して

︑軍 事援 助︑ 経済 援助

︑原 子炉 に代 わる 燃料 の供 給と

︑フ ラン スへ の金 銭的 補償 の四 点の 必要 性を

︑ カー ター に説

( )

いた

︒カ ータ ーは

︑ブ ット ーと の外 交交 渉に よる 核開 発問 題解 決の 道を 模索 する 一方 で︑ 人道 的見 地

20

から 核兵 器の 放棄 と兵 器供 与の 取引 には

︑消 極的 であ った

︒七 七年 六月

︑カ ータ ー政 権は

︑フ ォー ド政 権が 保留 し てい たA

‡ 爆撃 機に 関す る交 渉を 正式 に打 ち切 った

︒ カー ター はま た︑ パキ スタ ンに 融和 的な 態度 が︑ 議会 の反 発を 招く こと も危 惧し た︒ 高性 能な 通常 兵器 の売 買 は︑ 地域 紛争 の危 険性 を高 める だけ でな く︑ 海外 での アメ リカ の評 判を 落と す行 為で ある とし て︑ アメ リカ 議会 の 関心 を集 めて

( )

いた

︒カ ータ ーは 兵器 売買 に否 定的 な議 員に 対し

︑﹁ アメ リカ は︑ 他の 地域 に高 性能 兵器 を︑ 最初 に

21

提供 する 国と はな らな い﹂ と言 明し

︑賛 意を 示

( )

した

︒ア メリ カ議 会は また

︑フ ォー ド政 権期 から パキ スタ ンの 核問

22

題に 批判 的で あり

︑N PT 条約 に調 印せ ず︑ ウラ ン濃 縮機 器や その 技術 を輸 入す る国 に対 して

︑い かな る援 助も 禁 止す る﹁ グレ ン= サイ ミン トン 修正 条項

﹂を 可決 して いた

︒カ ータ ー政 権は この 条項 を援 用し て︑ パキ スタ ンへ 制 裁を 課す こと も検 討し て

( )

いた

23

カー ター 政権 がブ ット ーに 対し

︑厳 しい 武器 禁輸 措置 を迫 った 背景 には

︑南 アジ ア地 域を 取り 巻く 国際 情勢 の変 化も あっ た︒ 第一 に︑ ソ連 は︑ 七一 年の 第三 次印 パ戦 争以 降︑ アメ リカ との イン ド洋 の軍 備管 理に 協調 的で あり

︑ カー ター が禁 輸措 置を 取っ た場 合で も︑ 印パ の緊 張を 高め るよ うな 軍事 援助 を行 う可 能性 は少 なか

( )

った

︒第 二に

24

カー ター は︑ 米中 接近 で﹁ パキ スタ ン・ チャ ンネ ル﹂ を利 用し た共 和党 政権 とは 異な り︑ パキ スタ ンを 支援 する 明 確な 必要 性が なか った

︒ア メリ カが パキ スタ ンを 重視 する 理由 は︑ アフ ガニ スタ ンへ のソ 連の 軍事 干渉 やイ ラン 革

(11)

命が 起こ らな けれ ば︑ 殆ど なか った と言 える

︒こ れら の要 因が

︑冷 戦期 に最 も落 ち込 んだ 状態 と呼 ばれ るカ ータ ー 政権 期の 米パ 関係 の一 助と なる ので ある

(

P et er G. Bo ur ne ,J im my Ca rt er :A Co mp re he ns iv eB io gr ap hy fr om Pl ai ns to Po st -P re si de nc y Ne wY or k: Sc ri bn er ,1 99 7 ,1 1- 32 .

18

J am es Mi ch ae lM ar ti ne z, qT he Ca rt er Ad mi ni st ra ti on an dt he Ev ol ut io no fA me ri ca nN uc le ar No np ro li fe ra ti on Po li cy ,1 97 7- 19 81 ,” Jo ur na lo f P 19 ol ic yH is to ry ,V ol .1 4, No .3 ,2 00 2, 27 2- 27 4.

A ct in gS ec re ta ry of St at eW ar re nC hr is to ph er to th eP re si de nt ,A pr il 2, 19 77 ,q Th eN uc le ar Va ul t,

”o p. ci t. ,h tt p: // ww w. gw u. e 20 du /~ ns ar ch iv /n uk ev au lt /e bb 33 3/ do c0 2. pd f

K au fm an ,o p. ci t. ,4 8.

21

T oC on gr es sm an Da le Mi lf or d, Bo xF o- 31 ,W hi te Ho us eC en tr al Fi le s, Ji mm yC ar te rL ib ra ry

J CL

, At la nt a.

22

W ir si ng ,o p. ci t. ,9 .

23

M em or an du mF ro mt he Ex ec ut iv eS ec re ta ry of th eD ep ar tm en to fS ta te

T ar no ff

t ot he Pr es id en tʼ sA ss is ta nt fo rN at io na lS ec ur it yA ff ai rs 24

B rz ez in sk i ,J un e2 81 97 7, FR US ,1 97 70 19 80 ,v ol .1 ,2 01 .

三 人権 外交 とパ キス タン 核兵

器開 発を めぐ るア メリ カと パキ スタ ンの 確執 は︑ カー ター の掲 げる 人権 問題 と重 なり

︑次 第に その 範囲 を広 げて いっ た︒ カー ター 政権 は︑ 各国 の人 権問 題に 関す る取 組と 改善 状況 につ いて

︑毎 年報 告書 を作 成し

︑定 期的 に 公表 した

︒こ うし た報 告書 は︑ 各国 の人 権侵 害の 状況 を画 一的 な指 標で 評価 する 問題 点が ある もの の︑ パキ スタ ン の人 権問 題を

︑ア メリ カ国 民に 知ら せる 媒体 とし て︑ 重要 な役 割を 果た した

︒や がて

︑パ キス タン 政府 の人 権弾 圧 は︑ カー ター 政権 にと って

︑看 過で きな い問 題へ と発 展

( )

した

25

一九 七七 年三 月の 議会 選挙 に勝 利し た後

︑ブ ット ーの 国政 は︑ 権威 主義 的な 性格 を強 めて いっ た︒ ブッ トー は︑

(12)

選挙 の不 正を 訴え る反 対政 党︑ パキ スタ ン国 民同 盟︵

P a k i s t a n N a t i o n a l A l l i a n c e : P N A

︶の 支持 者数 千人 を︑ 治安 維 持の 名目 で投 獄し

︑カ ラー チー

︑ラ ーホ ール

︑ハ イダ ラー バー ドに 戒厳 令を 布い た︒ ブッ トー の反 対派 は︑ パキ ス タン 政府 によ る市 民弾 圧の 実情 を︑ 国際 世論 に訴 えた

︒パ キス タン 警察 が︑ 女性 と子 供に 対し て催 涙ガ スを 使用 し てい ると の報 告を 受け たカ ータ ー政 権は

︑一 九七 七年 四月

︑催 涙ガ スを 含む 殺傷 性の 低い 兵器 の禁 輸を 公表 した

︒ 国務 省は

︑今 回の 措置 の理 由を

︑ア メリ カが

﹁抑 圧的 な政 権﹂ を支 援し てい ると の印 象を 与え る行 為は

︑人 権外 交 の原 則と 矛盾 する ため だと 説明

( )

した

26

核開 発問 題︑ 禁輸 措置

︑人 権問 題で 厳し い締 めつ けを 受け たブ ット ーは

︑カ ータ ー政 権へ の不 満を 公言 する よう にな った

︒ブ ット ーは

︑非 殺傷 兵器 の禁 輸措 置の 公表 を受 け︑

﹁反 対派 がC IA から 受け 取っ た二 五〇

〇万 ドル が︑ 我々 のパ キス タン 人民 党︵

P a k i s t a n P e o p l e ʼ s P a r t y : P P P

︶ に︑ 流れ てい たら

︑も っと 人権 問題 につ いて 憂慮 する こと がで きた

﹂と 述べ

︑カ ータ ー政 権へ の不 信感 を表 明し た︒ さら にブ ット ーは

︑国 会の 場で

︑﹁ 外国 政府

﹂が

︑P N Aの 抗議 行動 を扇 動し てい ると の演 説を 行い

︑ア メリ カか ら核 兵器 開発 の疑 惑を 持た れて いる 自分 は︑ 監視 され て いる と語 り︑ パキ スタ ン国 内の 反米 感情 を煽

( )

った

27

カー ター 政権 は︑ ブッ トー の人 権弾 圧を 懸念 する 一方 で︑ 反対 派に 与す ると いう 意図 はな かっ た︒ CI Aの 分析 によ ると

︑P PP とP NA の間 には

︑核 開発 や武 器供 与問 題に 対す る見 解の 相違 がほ とん どな く︑ 次の 議会 選挙 で PN A政 権が 誕生 した 場合 でも

︑パ キス タン の外 交政 策が 大き く変 化す る見 込み はな か

( )

った

︒ブ ット ーの 度重 なる

28

批判 を受 け︑ ヴァ ンス 国務 長官 はす ぐに

﹁ア メリ カが パキ スタ ンに 内政 干渉 して いる との 主張

﹂は

︑明 らか な間 違 いで あり

︑﹁ 長く 友好 関係 を維 持し てき た米 パは

︑お 互い の関 係を 損ね るよ うな 発言 を︑ 控え るべ きで ある

﹂と の 意見 書を

︑パ キス タン 政府 に送 付し た︒ 対す るブ ット ーは

︑カ ータ ー政 権か らの 要望 を無 視し

︑﹁ アメ リカ から の 内政 干渉

﹂と いう 手札 を︑ PN Aと の争 いに 利用 した

︒パ キス タン 駐在 代理 大使 であ った ピー ター

・コ ンス タブ ル

(13)

P e t e r D . C o n s t a b l e

︶ によ ると

︑ブ ット ーは

︑ラ ーワ ルピ ンデ ィー 地方 の支 持者 の前 で︑ ヴァ ンス から の書 簡に 触 れ︑

﹁ア メリ カか らの 謝罪 を受 けた

﹂と 偽の 情報 を伝 えて

( )

いた

︒国 務省 から の厳 重な 抗議 を受 け︑ ブッ トー は流 言

29

を控 える 一方 で︑ カー ター 政権 がP NA を支 援し てい ると いう 主張 を撤 回し なか

( )

った

︒そ れで も米 パ両 国は

︑ヴ ァ

30

ンス 国務 長官 とア フマ ド外 相が

︑一 九七 七年 五月 末に パリ で会 談し

︑パ キス タン 国内 の反 米感 情の 鎮静 化に 向け て︑ 協力 する 必要 性を 確認 する など

︑緊 張緩 和に 努め て

( )

いた

︒と ころ が︑ こう した 取り 組み は︑ 一ヵ 月後 の軍 事ク

31

ーデ タに より

︑頓 挫す るこ とに なっ たの であ る︒ 一九 七七 年七 月五 日︑ ジヤ ー陸 軍大 将の 率い る将 校団 が戒 厳令 を布 き︑ ブッ トー 首相 とP PP とP NA の主 要な 政治 家を

︑自 宅に 軟禁 した

︒﹁ フェ ア・ プレ イ作 戦﹂ と名 付け られ た軍 事ク ーデ タは

︑ブ ット ーに PN Aと の合 意 を迫 り︑ 国内 の政 治闘 争の 終結 を目 的と する もの であ った

︒無 血に 終わ った この 軍事 クー デタ が︑ 後に

﹁パ キス タ ンの 暗黒 の日

﹂と 呼ば れ︑ 十年 に及 ぶジ ヤー 政権 の人 権弾 圧の 幕開 けと なる と予 想す るも のは

︑殆 どい なか った

︒ ジヤ ーは 軟禁 状態 にあ るブ ット ーに 敬意 を払 い︑ 彼の 首相 権限 も剝 奪で はな く︑ 一時 停止 とい う状 態に 置い てい た から で

( )

ある

32

軍事 クー デタ の一 報を 受け たア メリ カ政 府は

︑政 治的 不介 入の 立場 を取 った

︒C IA は当 初︑ 軍が 政治 闘争 に対 処す るこ とが でき ず︑ 権限 を文 民に 譲渡 する と判 断

( )

した

︒ジ ヤー 将軍 は︑ クー デタ の二 週間 後︑ 軟禁 状態 にあ った

33

ブッ トー と他 の政 治家 たち を解 放し

︑ア メリ カ政 府に 民主 化へ の移 行プ ロセ スを

︑着 実に 進め てい ると の印 象を 与 えた

︒国 務省 は︑ 軍事 政権 が﹁ 人権 問題 にお いて

︑重 大な 進歩

﹂を 遂げ てい ると の声 明を 発表

( )

した

︒だ が︑ パキ ス

34

タン の民 主化 は︑ カー ター 政権 が期 待し た通 りに は進 まな かっ た︒ 解放 され たブ ット ーは

︑即 座に ジヤ ーの 戒厳 令を 非難 し︑ カラ ーチ ーと ラー ホー ルで 熱狂 的な 支持 を集 めた

︒ブ ット ーの 人気 の高 まり は︑ ジヤ ーの 想像 以上 であ り︑ 軍事 暫定 政権 に脅 威を 与え るも ので あっ た︒ ブッ トー の報 復

(14)

を危 惧し たジ ヤー は︑ 元首 相の 排除 を決 意し た︒ 一九 七七 年九 月︑ ジヤ ーは ブッ トー を殺 人容 疑で 逮捕 した

︒そ の 約一 か月 後︑ 軍事 暫定 政権 は︑ 国内 の政 治的 混乱 を理 由に

︑選 挙の 延期 を宣 言し た︒ ジヤ ーに よる と︑ 選挙 を予 定 通り 行っ た場 合︑ PN Aは 安定 した 政治 運営 がで きず

︑ブ ット ーが 政権 に返 り咲 く危 険性 があ

( )

った

︒ジ ヤー は︑ 選

35

挙の 開催 時期 につ いて 明言 を避 けな がら

︑戒 厳令 を八 年間 続け てい くの であ る︒ ジヤ ー政 権に よる 民主 化へ の公 約の 反故 は︑ 米パ 関係 の新 たな 問題 点と なっ た︒ ただ し︑ ジヤ ーは ブッ トー とは 異な り︑ アメ リカ に対 し︑ 控え 目な 言動 を取 り︑ カー ター 政権 から の厳 しい 非難 を受 ける こと は少 なか った

︒ブ レ ジン スキ ーは

︑﹁ ブッ トー が即 座に 処刑 され る危 険性 があ る﹂ との 見解 に疑 問を 呈し

︑ジ ヤー 政権 への 非難 声明 に 否定 的で あ

( )

った

︒カ ータ ー政 権内 では

︑ブ ット ーの 処遇 に注 視し つつ

︑事 態を 静観 する 方針 が固 まっ てい た︒ しか

36

し︑ こう した 小康 状態 は︑ 一九 七八 年三 月︑ ラー ホー ル裁 判所 がブ ット ーの 死刑 判決 を下 すま での 約半 年し か続 か なか った

︒死 刑判 決の 一報 を受 け︑ カー ター はジ ヤー 宛に

︑﹁ 赦免

﹂の 措置 を講 じる よう 書簡 を送 った

︒こ れに 対 し︑ ジヤ ーは 裁判 所判 決の 正当 性を 挙げ

︑死 刑を 執行 する と返 答

( )

した

︒嘆 願書 を無 視さ れた アメ リカ 政府 内で は︑

37

ジヤ ー政 権の 転覆 計画 まで 議論 され たも のの

︑死 刑を 阻止 する 有効 な手 段を

︑見 出す こと はで きな かっ た︒ ブッ ト ー支 持者 達は 死刑 判決 を受 け︑ 軍事 政権 への 抗議 行動 を拡 大し た︒ 対す るジ ヤー は︑ 厳し い弾 圧を 加え た︒ 一九 七 九年 四月

︑ブ ット ーが 処刑 され るま でに

︑ジ ヤー は政 治活 動の 禁止

︑軍 事法 廷の 権限 拡大

︑言 論の 自由 の弾 圧を 行 い︑ 独裁 的な 体制 を築 いて いっ た︒ 国務 省の クリ スト ファ ー・ グル ープ は︑ パキ スタ ンの 人権 侵害 を深 刻な 事態 だ と認 識し

︑経 済援 助政 策の 見直 しを 提起

( )

した

︒カ ータ ーは

︑パ キス タン に対 して

︑再 び人 権と 核問 題と いう 二つ の

38

側面 から 対応 を迫 られ るの であ る︒

A hm ad ,o p. ci t. ,6 1; Hu ma n 25

(15)

Ri gh ts in Pa ki st an ,P re ss Br ie fi ng ,M ar ch 19 78 ,B ox 56 ,R G5 9, Ge ne ra lR ec or ds of th eD ep ar tm en to fS ta te ,R ec or do fD ep ut yS ec re ta ry of St at e Wa rr en Ch ri st op he r, Na ti on al Ar ch iv es

N A ,C ol le ge Pa rk .

N at io na lI nt el li ge nc eD ai ly Ca bl e, Ap ri l2 3, 19 77 ,C IA De cl as si fi ed Do cu me nt sD at ab as e, NA

;A hm ad ,o p. ci t. ,6 1.

26

L ew is M. Si mo ns ,q Pa ki st an ,S pu rr ed by Te ar Ga sD ec is io n, Se en Re co ns id er in gT ie st oU .S .,

”T he Wa sh in gt on Po st ,A pr il 27 ,1 97 7; Le wi sM . S 27 im on ,q Pa ki st an Ou tr ag ed :B hu tt oS ay sU .S .I sT ry in gt oO us tH im ,” Th eW as hi ng to nP os t, Ap ri l2 9, 19 77 .

T he Pa ki st an Na ti on al Al li an ce Pa rt ic ip an ts an dP ro sp ec ts ,A ug us t1 97 7, CI AD ec la ss if ie dD oc um en ts Da ta ba se ,N A.

28

P et er D. Co ns ta bl eO ra lH is to ry ,A ss oc ia ti on fo rD ip lo ma ti cS tu di es an dT ra in in g AD ST

, Ar li ng to n, ht tp :/ /m em or y. lo c. go v/ cg i- b 29 in /q ue ry /D

?m fd ip :3 :. /t em p/

~a mm em _G Q3 e; Ja in ,o p. ci t. ,3 68 .

K ha li dM ah mu dA ri f, Wo rk in gw it hZ ia :P ak is ta n’ sP ow er Po li ti cs 19 77 -1 98 8 Ka ra ch i: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 95

, 77 -7 8.

30

K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t. ,2 31 .

31

R az a, op .c it ., 36 7; La wr en ce Zi ri ng ,P ak is ta ni nt he Tw en ti et hC en tu ry :P ol it ic al Hi st or y Ka ra ch i: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 97

, 42 3.

32

N at io na lI nt el li ge nc eD ai ly Ca bl e, Ju ly 19 ,1 97 7, CI AD ec la ss if ie dD oc um en ts Da ta ba se ,N A; Co ns ta bl e, or al hi st or y.

33

q U. S. Sa ys So me As ia nN at io ns Im pr ov ed Hu ma nR ig ht s,

”T he Ch ri st ia nS ci en ce Mo ni to r, Fe br ua ry 28 ,1 97 8; Ad dr es sb yt he De pu ty S 34 ec re ta ry of St at e Ch ri st op he r ,F eb ru ar y1 3, 19 78 ,F RU S, vo l. 1, 33 5.

R az a, op .c it ., 36 8; Na ti on al In te ll ig en ce Da il yC ab le ,O ct ob er 3, 19 77 ,C IA De cl as si fi ed Do cu me nt sD at ab as e, NA .

35

M em or an du mf ro mT ho ma sP .T ho rn to nt oZ bi gn ie wB rz ez in sk i, Se pt eb er 7, 19 77 ,B ox Co 48 ,W hi te Ho us eC en tr al Fi le s, JC L, At la nt a.

36

J im my Ca rt er ,W hi te Ho us eD ia ry

N ew Yo rk :P ic ad or ,2 01 0 ,3 09

;q Ti me Ou tf or Bh ut to ,” Wa ll St re et Jo ur na l, Ma rc h2 8, 19 78

;R ob er t T 37 ru mb ul l, qC ou rt Su pp or ts De at hS en te nc eI nB hu tt oC as e,

”N ew Yo rk Ti me s, Fe br ua ry 6, 19 79 .

N at io na lI nt el li ge nc eD ai ly Ca bl e, Ma rc h2 ,1 97 8, CI AD ec la ss if ie dD oc um en ts Da ta ba se ,N A; Hu ma nR ig ht sR ev ie w, Oc to be r1 3, 19 78 ,i bi d. . 38

四 ジヤ ー政 権の 核開 発問 題と カー ター 政権 の対 応 ブッ

トー と敵 対関 係に ある ジヤ ーは

︑核 政策 に関 して は前 政権 の路 線を 全面 的に 踏襲 した

︒ジ ヤー はク ーデ タ直 後の 記者 会見 で︑

﹁核 燃料 再処 理施 設は

︑も はや 党派 の問 題で はな く︑ 国家 問題 であ る﹂ と語 り︑

﹁前 政権 が始 めた 交渉 は︑ 私が 持続 する

﹂と 言明

( )

した

︒カ ータ ー政 権は

︑フ ラン スと の契 約交 渉を 続け る軍 事政 権を 牽制 すべ く︑ ジ

39

(16)

ョセ フ・ ナイ

J o s e p h N y e , J r .

︶安 全保 障・ 科学 技術 担当 国務 次官 補を

︑イ スラ マー バー ドに 派遣 した

︒一 九七 七年 九月

︑ナ イは

﹁パ キス タン が︑ フラ ンス との 核燃 料再 処理 施設 の契 約に

︑こ のま ま固 執す るの であ れば

︑ア メリ カ は経 済援 助を 停止 する だろ う﹂ との 見解 を示

( )

した

40

カー ター 政権 は︑ パキ スタ ンへ の経 済制 裁を 示唆 する 一方 で︑ その 効力 の弱 さを 自覚 して いた

︒七

〇年 代の パキ スタ ンの 対米 依存 度は

︑六

〇年 代に 比べ

︑著 しく 低下 して おり

︑核 開発 計画 の見 直し を迫 れる 程で はな かっ た︒ カ ータ ー自 身は

︑人 道的 理由 から 経済 制裁 には

︑慎 重な 対応 が必 要と 考え てい た︒ その ため

︑国 務省 は経 済制 裁が 解 除さ れた 後︑ 速や かに 支援 が再 開で きる 方法 も︑ 同時 に検 討し て

( )

いた

︒国 務省 の近 東・ 南ア ジア 局は

︑ジ ヤー 政権

41

の意 向を 変え るよ りも

︑フ ラン スに パキ スタ ンと の合 意を 破棄 させ る方 が︑ 現実 的で ある と進 言し た︒ 近東

・ア ジ ア局 は︑ フラ ンス に対 し︑ ジヤ ーが 経済 的要 因か らプ ルト ニウ ムを 求め てい ない と説 得す るの は可 能だ と判 断し た ので ある

︒こ の分 析は 当を 得な いで はな かっ た︒ フラ ンス 政府 は︑ 数か 月間 の協 議を 通じ て︑ アメ リカ の主 張に も 一定 の理 解を 示す よう にな った

︒一 九七 八年 一月

︑フ ラン ス政 府は 最終 的に

︑パ キス タン との 契約 の一 部を 修正 し︑ ジヤ ー政 権に 対し

︑原 子炉 内で 核燃 料の 生成 は可 能で ある 一方 で︑ 核爆 弾の 製造 はで きな い﹁ 共回 収法

C o p r o c e s s i n g

︶ を︑ 核燃 料再 処理 施設 に適 用す ると 通達

( )

した

42

パキ スタ ン外 務省 は︑ フラ ンス 修正 案へ の拒 否を 言明 し︑ 七六 年に 締結 した 当初 の合 意の 尊守 を求 めた

︒二 月に は︑ ジヤ ーが パキ スタ ンを 訪れ たフ ラン ス人 技術 者に 対し

︑改 めて パキ スタ ン政 府の 見解 を提 示し た︒ パキ スタ ン 側の 主張 によ ると

︑﹁ 七六 年の 合意 には IA EA が︑ 定め るプ ルト ニウ ムの 悪用 を防 止す る全 ての 規約 が含 まれ

﹂︑ 修正 する 必要 はな かっ た︒ 半年 間に 渡る 交渉 の末

︑フ ラン スは パキ スタ ンと の合 意を 破棄

( )

した

43

アメ リカ の介 入に より

︑フ ラン スと の取 引が 失敗 した ジヤ ー政 権は

︑国 際社 会の 監視 を避 けな がら

︑極 秘裏 に核 開発 を続 けた

︒一 九七 八年 初夏

︑パ キス タン がウ ラン 濃縮 に関 する 機器 を︑ スイ スと イギ リス の企 業か ら入 手し た

(17)

こと が︑ マス コミ 報道 によ り明 らか とな

( )

った

︒中 国の 予想 では

︑パ キス タン は︑ 既に 核弾 頭に 必要 な量 の三 分の 一

44

以上 の放 射性 同位 体を

︑生 成す るこ とが 可能 であ

( )

った

︒ジ ヤー 政権 がウ ラン 濃縮 に必 要な 機材 の購 入を 試み てい る

45

との 情報 は︑

﹁フ ラン スと の合 意破 棄は

︑パ キス タン の核 開発 に向 けた 熱意 に全 く影 響を 与え てい ない

﹂こ とを 意 味

( )

した

︒ こ 46

の頃 にな ると カー ター 政権 は︑ ジヤ ーと は直 接交 渉を 通じ て︑ 核開 発問 題を 解決 する 姿勢 を鮮 明に する よう に なっ た︒ 一九 七九 年初 頭︑ パキ スタ ン駐 在大 使ア ーサ ー・ ヒュ ンメ ル︵

A r t h u r H u m m e l

︶は

︑ジ ヤー と会 談し

︑核 開発 に関 する

﹁明 確な 証拠

﹂が ある と語 り︑ 核開 発の 破棄 を求 めた

︒こ れに 対し

︑ジ ヤー は﹁ まっ たく 馬鹿 げた 話 だ﹂ と返 答し

︑大 使の 疑惑 を払 拭す るた め︑ アメ リカ の査 察団 の受 け入 れを 承諾 した

︒し かし

︑ジ ヤー がこ の取 り 決め に従 うこ とは なか った

︒大 使と の会 談か ら一 か月 後︑ ジヤ ーは 条件 を一 方的 に変 更し

︑イ ンド のデ ーサ ーイ ー

M o r a r j i D e s a i

︶ 政権 が︑ アメ リカ の核 査察 を受 け入 れた 場合

︑パ キス タン も核 施設 への 立ち 入り を許 すと 主張 し た︒ ヒュ ンメ ルは

︑今 回の 問題 とイ ンド の事 例に は﹁ 関係 性が ない

﹂と 指摘 し︑ パキ スタ ンが 査察 団の 受け 入れ を 拒否 した 場合

︑ア メリ カ国 内世 論に 悪影 響を 及ぼ すと 語っ た︒ この 時ヒ ュン メル が言 及し た悪 影響 とは

︑﹁ グレ ン

=サ イミ ント ン修 正条 項﹂ が︑ パキ スタ ンに 適応 され るこ とで

( )

ある

47

カー ター 政権 内で は政 策措 置の 内容 につ いて

︑議 論が 行わ れて いた

︒国 務省 は修 正条 項に 従い

︑軍 事と 経済 両援 助の 制裁 措置 を推 奨し た︒ これ に対 し︑ ブレ ジン スキ ーの PR Cは

︑﹁ 法が 定め る範 囲で

︑最 大限 の柔 軟性 を考 慮 しな がら

︑パ キス タン と緊 密な 関係 を維 持す べき

﹂と 進言 した

︒カ ータ ーの 最終 的な 決断 は︑ 国務 省と PR Cの 意 見を 取り 入れ た折 衷的 なも のと なっ た︒ 七九 年四 月︑ カー ター 政権 は︑

﹁グ レン

=サ イミ ント ン修 正条 項﹂ を適 用 し︑ パキ スタ ンへ の軍 事︑ 経済 援助 を停 止し た︒ ただ し︑ 制裁 の内 容は

﹁八 五〇

〇万 ドル の開 発支 援と 軍事 訓練 関 連﹂ に絞 ら

( )

れた

︒さ らに カー ター は︑ パキ スタ ン政 府に 公表 され る危 険性 を承 知の 上で

︑ジ ヤー 宛に 親書 を送 り︑

48

参照

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経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

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