︿論
説﹀
カ ー タ ー 外 交 と パ キ ス タ ン
一 九 七 七
~ 一 九 八
〇
人権
︑核 拡散
︑新 冷戦 をめ ぐる 政策 調整 問題
溝 口 聡
は じ め に 一 フォ ード 政権 とパ キス タン 核問 題 二 カー ター 政権 の登 場 三 人権 外交 とパ キス タン 四 ジヤ ー政 権の 核開 発問 題と カー ター 政権 の対 応 五 西南 アジ ア地 域の 不安 定化 と米 パ関 係 六 新冷 戦と パキ スタ ン お わ り に
は じ め に カー
ター
︵
J i m m y C a r t e r
外︶ 交に つい ては︑既 に多 くの 研究 蓄積 が
( )
ある
︒最 も一 般的 な見 解は
︑新 パナ マ運 河条
1
約の 締結 やキ ャン プ・ デー ヴィ ット 合意 など 評価 すべ き点 もあ る一 方︑ カー ター は多 くの 外交 問題 で︑ 政策 調整 に 失敗 した とい う指 摘で あろ う︒ ニク ソン
︵
R i c h a r d M . N i x o n
︶=フ ォー ド︵
G e r a l d R . F o r d
︶政 権の 秘密 外交 を非 難 し︑ 道徳 的側 面を 強調 する カー ター の人 権外 交は
︑第 二次 戦略 兵器 制限 交渉
︵
S A L T I I
︶ に臨 むソ 連や 共産 主義 陣 営だ けで なく︑ア メリ カの 同盟 国で あっ た韓 国︑ フィ リピ ン等 の権 威主 義体 制の 国家 との 関係 も危 うく
( )
した
︒カ ー
2
ター はま た︑ 人事 の統 括に も失 敗し たと 言え る︒ 外交 政策 の主 導権 をめ ぐる サイ ラス
・ヴ ァン ス︵
C y r u s V a n c e
︶ 国務 長官 とズ ビグ ネフ
・ブ レジ ンス キー
︵
Z b i g n i e w B r z e z i n s k i
︶ 国家 安全 保障 担当 大統 領補 佐官 の対 立は︑カ ータ ー外 交の 一貫 性の 無さ を表 した
︒一 九八
〇年 四月 のヴ ァン スの 辞任 は︑ カー ター 外交 の重 心が
︑対 ソ強 硬的 なブ レ ジン スキ ー路 線へ と転 換し たこ とを
︑印 象づ ける 出来 事で あっ た︒ 対パ キス タン 政策 は︑ まさ しく カー ター 政権 の外 交的 定見 の欠 如を 示す 格好 の題 材と 言え る︒ カー ター にと っ て︑ パキ スタ ンは 核兵 器開 発問 題︑ 人権 問題
︑新 冷戦 とい う主 要な 外交 課題 が︑ 交錯 する 国で あっ た︒ しか し︑ 対 パキ スタ ン政 策に 焦点 を当 てて
︑カ ータ ー外 交を 解明 しよ うと する 研究 は少
( )
ない
︒な ぜな ら︑ 既存 の研 究の 多く
3
は︑ ソ連 のア フガ ニス タン 侵攻 後︑ 軍事 援助 の再 開を 決断 する まで
︑ア メリ カは パキ スタ ンに 対す る関 心が 低か っ たと いう 見解 を批 判的 に検 証せ ず︑ パキ スタ ンの 核開 発や 人権 侵害 を︑ 優先 順位 の低 い地 域の 問題 と捉 えて いる か らで
( )
ある
︒確 かに カー ター 政権 の高 官達 は︑ 西ヨ ーロ ッパ や中 東ほ どに は︑ 南ア ジア を重 要な 地域 とは 認識 して お
4
らず
︑同 地域 の担 当に 最低 限の 人員 を配 置す るだ けで あっ た︒ さら にブ レジ ンス キー は︑ 地域 大国 との 関係 を基 盤 に据 える 外交 方針 を打 ち出 し︑ 南ア ジア 地域 の軸 をイ ンド に置 いた
︒だ が︑ こう した 指摘 は︑ カー ター 政権 のパ キ スタ ン政 策が
︑国 務省 副長 官の ウォ ーレ ン・ クリ スト ファ ー︵
W a r r e n C h r i s t o p h e r
︶ と彼 の政 策ス タッ フを 中心 に 展開 した とい う事 実に ほと んど 言及 せず︑ブ レジ ンス キー の政 策評 価委 員会
︵
P o l i c y R e v i e w C o m m i t t e e : P R C
を︶ 中 心に 南ア ジア 政策 を論 じて( )
いる
︒カ ータ ー政 権の パキ スタ ン政 策を めぐ る研 究の 中に は︑ 同政 権の 人道 主義 的理 念
5
が︑ 米ソ 新冷 戦に よる パキ スタ ンの 戦略 的重 要性 の高 まり によ り︑ ムハ ンマ ド・ ジヤ ー・ ウル
・ハ ック
︵
M o h a m - m e d Z i a u l - h a q
︶政 権に は適 応さ れな かっ たと 指摘 し︑ 人権 外交 の観 点か ら批 判す るも のも みら
( )
れる
︒パ キス タン 向
6
けの 人権 外交 に批 判的 な研 究の 問題 は︑ カー ター 政権 末期 を中 心に 論じ る傾 向が 強く
︑政 策形 成の 変容 過程 を実 証 的に 分析 でき てい ない 点に ある
︒ 本稿 の目 的は
︑カ ータ ー政 権と ズル フィ カー ル・ アリ ー・ ブッ トー
︵
Z u l f i k a r A l i B h u t t o
︶︑ ジヤ ー両 政権 の外 交 交渉 を︑ 核兵 器︑ 人権
︑新 冷戦 とい う三 つの 課題 から 多角 的に 考察 し︑ 経済 制裁 から 軍事 援助 の再 開に 至る 対パ キ スタ ン政 策の 調整 過程 を明 らか にす るこ とに ある
︒結 論と して 本稿 は︑ カー ター 政権 の政 策調 整の 失敗 が︑ 先行 研 究の 多く が指 摘す るソ 連の アフ ガン 侵攻 まで のパ キス タン への 関心 の低 さに よる もの では なく
︑人 権状 況の 改善 と 核開 発の 阻止 を同 時に 実現 しよ うと する カー ター 政権 の外 交方 針に 起因 する との 主張 を展 開す る︒ 以下 では まず
︑フ ォー ド政 権と カー ター 政権 のパ キス タン 核問 題に 関す る基 本方 針を 説明 する
︒次 いで カー ター 政権 期の 米パ 関係 と人 権外 交を めぐ る外 交交 渉を 考察 し︑ ブッ トー
︑ジ ヤー 両政 権へ の人 権と 核開 発を めぐ る対 立 姿勢 が︑ アフ ガニ スタ ンと イラ ンの 政変 を受 け︑ 融和 政策 に至 る政 策形 成過 程を 論じ る︒ 最後 にカ ータ ー政 権期 の パキ スタ ン政 策を 総括 し︑ その 問題 点を 論じ る︒
(
︶例 えば 以下 のよ うな 文献 があ る︒ Da ni el J. Sa rg en t, AS up er po we rT ra ns fo rm ed :T he Re ma ki ng of Am er ic an Fo re ig nR el at io ns in th e1 97 0s 1
︵O xf or d: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 20 15
︶; Be tt yG la d, An Ou ts id er in th eW hi te Ho us e: Ji mm yC ar te r, Hi sA dv is or s, an dt he Ma ki ng of Am er ic an Fo re ig nP ol ic y︵ It ha ca :C or ne lU ni ve rs it yP re ss ,2 00 9︶
;S co tt Ka uf ma n, Pl an sU nr av el ed :T he Fo re ig nP ol ic yo ft he Ca rt er Ad mi ni st ra ti on
︵D eK al b: No rt he rn Il li no is Un iv er si ty Pr es s, 20 08
︶; Je an A. Ga rr is on ,G am es Ad vi so rs Pl ay :F or ei gn Po li cy in th eN ix on an dC ar te r Ad mi ni st ra ti on s︵ Co ll eg eS ta ti on ,1 99 9︶
;D av id Sk id mo re ,R ev er si ng Co ur se :C ar te r’ sF or ei gn Po li ci es ,a nd th eF ai lu re of Re fo rm
︵N as hv il le : Va nd er bi lt Un iv er si ty Pr es s, 19 96
︶; Do na ld S. Sp en ce r, Th eC ar te rI mp lo si on :J im my Ca rt er an dt he Am at eu rS ty le of Di pl om ac y︵ Ne wY or k: Pr ae ge r, 19 88
︶; A. Gl en nM ow er Jr ,H um an Ri gh ts an dA me ri ca nF or ei gn Po li cy :T he Ca rt er an dR ea ga nE xp er ie nc es
︵N ew Yo rk :G re en wo od
Pr es s, 19 87
︶; Ga dd is Sm it h, Mo ra li ty ,R ea so n, an dP ow er :A me ri ca nD ip lo ma cy in th eC ar te rY ea rs
︵N ew Yo rk :H il la nd Wa ng ,1 98 6︶
;J os hu a Mu ra vc hi k, Th eU nc er ta in Cr us ad e: Ji mm yC ar te ra nd th eD il em ma so fH um an Ri gh ts Po li cy
︵L an ha m: Ha mi lt on Pr es s, 19 86
︶; Do ug la s Br in kl ey ,q Th eR is in gS to ck of Ji mm yC ar te r: Th e Ha nd so n Le ga cy of Ou rT hi rt y- ni nt hP re si de nt ,” Di pl om at ic Hi st or y, Vo l. 20
︵S um me r
}~
19 90
︶.
︵
︶S ea nW il en tz ,T he Ag eo fR ea ga n: AH is to ry 19 74 -2 00 8︵ Ne wY or k: Ha rp er Pe re nn ia l, 20 08
︶, 99 -1 00
:M ow er ,o p. ci t. ,2 4- 25
;B ri nk le y, op . c 2 it ., 52 1.
︵
︶例 外と して は次 の研 究が ある
︒T ho ma sP er ry Th or nt on ,q Be tw ee nt he St oo ls
?: U. S. Po li cy to wa rd sP ak is ta nd ur in gt he Ca rt er A 3 dm in is tr at io n,
”A si an Su rv ey ,V ol .2 2, No .1 0︵ Oc t, 19 82
︶.
︵
︶A bd ul Sa tt ar ,P ak is ta n’ sF or ei gn Po li cy 19 47 -2 00 5: AC on ci se Hi st or y︵ Ox fo rd :O xf or dU ni ve rs it yP re ss ,2 00 7︶
;D en ni sK ux ,T he Un it ed S 4 ta te sa nd Pa ki st an 19 47 -2 00 0: Di se nc ha nt ed Al li es
︵B al ti mo re :T he Jo hn sH op ki ns Un iv er si ty Pr es s, 20 01
︶; Ro be rt G. Wi rs in g, Pa ki st an
’s Se cu ri ty Un de rZ ia ,1 97 7- 19 88 :T he Po li cy Im pe ra ti ve so fa Pe ri ph er al As ia nS ta te
︵N ew Yo rk :S t. Ma rt in ʼs Pr es s, 19 91
︶.
︵
︶A .Z .H il al i, US -P ak is ta nR el at io ns hi p: So vi et In va si on of Af gh an is ta n︵ Ha nt s: As hg at e, 20 05
︶, 64 -6 5; Sm it h, op .c it ., 39
;C yr us Va nc e, Ha rd C 5 ho ic es :C ri ti ca lY ea rs in Am er ic a’ sF or ei gn Po li cy
︵N ew Yo rk :S im on an dS ch us te r, 19 83
︶, 40 -4 4.
︵
︶K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t.
;H an an Mi an Ah ma d, qT he Me di a- Fo re ig nP ol ic yR el at io ns hi p: Pa ki st an ʼs Me di a I 6 ma ge an dU .S .F or ei gn Po li cy
”︵ Ph Dd is s. ,Y or kU ni ve rs it y, 20 05
︶.
一 フォ ード 政権 とパ キス タン 核問 題 カー
ター 政権 発足 以前 から
︑米 パ関 係に は︑ 暗雲 が垂 れ込 んで いた
︒一 九七 五年
︑大 統領 選挙 に挑 むカ ータ ー は︑ 自著
﹃な ぜベ スト をつ くさ ない のか
?﹄ の中 で︑ ニク ソン
=フ ォー ド政 権を 非難 する 題材 の一 つに
︑対 パキ ス タン 政策 を挙 げて
( )
いた
︒カ ータ ーは
︑発 展途 上国 向け の武 器禁 輸措 置の 強化 を表 明し
︑共 和党 政権 の軍 事援 助政 策
7
に否 定的 であ った
︒ ニク ソン 政権 は︑ 米中 接近 の窓 口に
﹁パ キス タン
・チ ャン ネル
﹂を 利用 し︑ その 見返 りと して 武器 禁輸 措置 を一
時的 に緩 和し たこ とで
︑ア メリ カ国 民か らパ キス タン 寄り と認 知さ れて いた
︒禁 輸緩 和措 置に は︑ 武器 供与 先で あ るヤ ヒア
︵
A g h a M o h a m m e d Y a h y a K h a n
︶政 権が
︑パ キス タン から の分 離・ 独立 を求 める 東パ キス タン の人 々を 厳 しく 弾圧 した ため
︑国 内外 から の批 判が 集ま って いた
︒し かし
︑ニ クソ ン政 権は
︑ヤ ヒア 政権 の人 権弾 圧よ りも
︑ 東パ キス タン 問題 が︑ 南ア ジア 地域 全体 の安 全保 障を 脅か す危 険性 を憂 慮し てい た︒ 東パ キス タン 問題 は︑ ヤヒ ア 政権 の弾 圧を 逃れ るた め︑ 大量 の難 民が イン ドへ 流入 した 結果
︑印 パ間 の国 際問 題へ と発 展し たか らで ある
︒ニ ク ソン とキ ッシ ンジ ャー
︵
H e n r y K i s s i n g e r
︶ 国家 安全 保障 担当 大統 領補 佐官 は︑ イン ディ ラ・ ガン ディ︵
I n d i r a G a n - d h i
︶ 首相 が︑ 難民 問題 解決 のた め︑ 東パ スタ ン問 題へ の軍 事介 入に 踏み 切る こと を懸 念す るよ うに なっ た︒ 対す るガ ンデ ィ首 相は︑ヤ ヒア 政権 に融 和的 な態 度を 続け るニ クソ ン政 権に 対し て︑ 不信 感を 募ら せて いっ たの であ る︒ 結局
︑長 引く 難民 問題 が発 端と なり
︑七 一年 十二 月に は第 三次 印パ 戦争 が勃 発し た︒ イン ド軍 の西 パキ スタ ン併 合を 危惧 する ニク ソン とキ ッシ ンジ ャー は︑ イン ドと 平和 友好 条約 を締 結し たソ 連と の交 渉を 重ね て︑ 戦争 の早 期 終結 を試 みた
︒ニ クソ ン政 権に よる 大国 主導 の紛 争調 停は
︑イ ンド シナ 和平 や米 ソデ タン トな どの 外交 課題 が︑ ヤ ヒア 政権 への 配慮 より 優先 する こと を︑ パキ スタ ンに 明確 に示 すこ とに なっ た︒ ヤヒ ア大 統領 は︑ パキ スタ ンの 分 裂回 避の ため
︑ニ クソ ン政 権の 支援 を期 待し てい た︒ とこ ろが
︑ニ クソ ンと キッ シン ジャ ーは
︑イ ンド の西 パキ ス タン 侵攻 を阻 止で きた こと に満 足し
︑東 パキ スタ ンの 分離 独立 を黙 認し たの であ る︒ 戦争 の結 果︑ 南ア ジア の勢 力 地図 は︑ 東パ キス タン がイ ンド の後 押し を受 け︑ バン グラ デシ ュと して 独立 した こと で︑ 大き く変 化し た︒ また 戦 後の 印ソ 関係 は︑ 米パ 関係 とは 対照 的に 緊密 化し た︒ イン ドは ソ連 との 軍事 的協 力を 明確 化し
︑ソ 連の 援助 の恩 恵 を受 ける こと とな った ので
( )
ある
︒
8
ウォ ータ ーゲ ート 事件 で辞 任し たニ クソ ンの 後任 とし て︑ 大統 領に 就任 した フォ ード は︑ 南ア ジア 地域 に対 する
明確 な政 策方 針を 有し てお らず
︑パ キス タン との 外交 交渉 につ いて は︑ 国務 長官 と国 家安 全保 障担 当大 統領 補佐 官 の職 を︑ 一時 期兼 任し てい たキ ッシ ンジ ャー にほ ぼ一 任し た︒ キッ シン ジャ ーは 第三 次印 パ戦 争以 後︑ イン ドと の 関係 改善 の必 要性 を認 識し
︑パ キス タン への 軍事 援助 に関 して 消極 的と なっ た︒ キッ シン ジャ ーは
︑七 四年 九月 の アジ ズ・ アフ マド
︵
A z i z A h m a d
︶外 相と の会 談で
︑イ ンド への 脅威 に対 抗す るた め軍 拡の 必要 性を 強調 する 外相 に対 し︑ 軍事 物資 の売 却に は慎 重な 対応 が必 要で ある と述 べ︑ パキ スタ ンに 自制 を促 した ので ある
︒こ れに 対し ブ ット ーは
︑一 か月 後の キッ シン ジャ ーと の会 談で
︑ア メリ カか ら軍 事援 助を 引き 出す ため
︑イ ンド の軍 事的 脅威 に 対抗 する ため
﹁確 実な 抑止 力﹂ を持 つ必 要性 を強 調
( )
した
︒
9
フォ ード 政権 は︑ 核抑 止の 可能 性を 示唆 する ブッ トー の発 言を 受け
︑態 度を 軟化 させ た︒ アメ リカ 政府 は︑ 一九 七五 年二 月に 印パ 向け の武 器禁 輸措 置の 撤廃 を公 表し
︑﹃ ニュ ーヨ ーク
・タ イム ス﹄ 誌か ら南 アジ アの 軍拡 競争 を 促進 する との 批判 を受 けた
︒フ ォー ド政 権は
︑ア メリ カ国 内か らの 批判 を覚 悟の 上で
︑イ ンド の核 能力 に対 する 自 衛手 段を 模索 する パキ スタ ンに 対し
︑武 器禁 輸措 置の 撤廃 が︑ ブッ トー 政権 の核 開発 計画 への 防止 策と なる こと に 期待 した ので ある
︒ アメ リカ はア イゼ ンハ ワー 政権 以降
︑核 兵器 の拡 散と 原子 力の 平和 利用 をい かに 両立 する か苦 心し てい た︒ 核濃 縮関 連の 技術 情報 の拡 散は
︑米 ソに 加え
︑イ ギリ ス︑ フラ ンス
︑中 国と 核保 有国 を増 加さ せた
︒米 ソは さら なる 核 拡散 を防 ぐた め︑ 核不 拡散 条約
︵
N o n - P r o l i f e r a t i o n T r e a t y : N P T
の︶ 締結 交渉 に取 り組 み︑ 同条 約は 一九 七〇 年に 発 効し た︒ NP Tは 非核 保有 国に は︑ 原子 力の 平和 利用 を推 奨す る一 方で︑核 兵器 への 転用 を防 ぐた め︑ 国際 原子 力 機関
︵
I n t e r n a t i o n a l A t o m i c E n e r g y A g e n c y : I A E A
︶ の保 障措 置を 強化 した︒七 三年 の石 油危 機以 降︑ ブラ ジル やエ ジプ トな どの 発展 途上 国は
︑石 油依 存回 避を 目的 に︑ 原子 力へ の関 心を 高め た︒ 中国 の脅 威に 対抗 する ため 核開 発 を検 討し てい たイ ンド もま た︑ 原子 力エ ネル ギー への 期待 を強 めて いっ たの であ る︒
アメ リカ 政府 は︑ イン ドが 国際 社会 から の非 難と 制裁 の危 険性 を顧 みず
︑七 四年 五月 に核 実験 に踏 み切 ると は想 定し てお らず
︑南 アジ アの 核問 題で は後 れを 取っ た︒ 七四 年一
〇月
︑ガ ンデ ィ首 相と 会談 した キッ シン ジャ ーは
︑ 核実 験へ の直 接的 な非 難を 避け る一 方で
︑核 拡散 を防 ぐた め︑ 核燃 料物 質の 厳重 な管 理の 必要 性を 強く 説い た︒ ア メリ カは
︑一 九六 三年 にイ ンド と原 子力 の平 和利 用に 関す る協 定を 締結 して いた
︒し かし
︑こ の協 定は 核技 術の 軍 事転 用を 禁ず る一 方で
︑平 和利 用目 的の 核実 験に 対す る明 確な 規制 を課 して いな かっ た︒ その ため
︑キ ッシ ンジ ャ ーは
﹁核 武装 する 意思 はな い﹂ とい うイ ンド 政府 の言 質を
︑再 確認 する にと どま った ので
( )
ある
︒
10
イン ドの 核開 発は
︑第 三次 印パ 戦争 後︑ 国土 が半 減し たパ キス タン にと って 自国 の安 全保 障を 脅か す新 たな 問題 とな った
︒フ ォー ド政 権は イン ドに 続き
︑パ キス タン の核 開発 問題 でも 対応 を見 誤り
︑南 アジ ア地 域の 安定 を脅 か す事 態を 避け る必 要が あ
( )
った
︒し かし
︑ア メリ カの 思惑 をよ そに
︑パ キス タン は核 兵器 開発 に邁 進し た︒ ブッ トー
11
首相 は︑ 表向 きは 核兵 器開 発を 否定 し︑ 経済 的要 因か ら原 子力 発電 の必 要性 を説 き︑ 核燃 料再 処理 施設 の建 設交 渉 をフ ラン スと
︑重 水素 製造 プラ ント の建 設交 渉を 西ド イツ と続
( )
けた
︒む ろん
︑パ キス タン の真 意が
︑イ ンド との 戦
12
略バ ラン スと 国家 の威 信を 保つ ため
︑核 爆弾 の保 有に ある こと は明 らか であ った
︒ 一九 七六 年の 大統 領選 を控 えた フォ ード 政権 には また
︑パ キス タン の核 問題 を解 決す るこ とで
︑核 拡散 問題 に対 する カー ター から の非 難を 回避 する とい う意 図も あっ た︒ 核開 発疑 惑の ある 国々 への 軍事 援助 を制 限す るア メリ カ の強 硬姿 勢は
︑韓 国︑ 台湾 等に 対し て功 を奏 する 一方 で︑ 禁輸 措置 の期 間の 長い パキ スタ ンに は︑ 効力 が弱 かっ た︒ そこ で︑ フォ ード はパ キス タン への 核開 発支 援を 止め るよ う︑ 西ド イツ とフ ラン スに 強く 迫っ たの であ る︒ 西 ドイ ツは フォ ード 政権 の圧 力を 受け
︑パ キス タン との 交渉 を打 ち切 った
︒こ れに 対し
︑フ ラン スは アメ リカ の圧 力 に屈 せず
︑パ キス タン との 契約 交渉 を継 続し
︑再 処理 施設 に関 する 合意 に至
( )
った
︒ア メリ カ中 央情 報局
︵
C e n t r a l
13
I n t e l l i g e n c e A g e n c y : C I A
の︶ 国家 評価 室︵O f f i c e o f N a t i o n a l E s t i m a t e s
︶ が作 成し た﹁ 特別 国家 情報 評価︵
S
p e
c i
a l
N a t i o n a l I n t e l l i g e n c e E s t i m a t e s : S N I E
︶﹂
︵一 九七 五年 一二 月︶ は︑ パキ スタ ンが この まま 核開 発を 進め た場 合︑ 早け れ ば一 九七 八年 まで に核 を開 発す るこ とが 可能 とな ると の厳 しい 見解 を示
( )
した
︒
14
一九 七六 年二 月に は︑ キッ シン ジャ ーが
︑パ キス タン を訪 問し
︑ブ ット ーに 対し て︑ 核開 発を 断念 する よう 説得 を行
( )
った
︒ブ ット ーに よる と︑ キッ シン ジャ ーは
﹁民 主党 の大 統領 候補 であ るカ ータ ーは
︑パ キス タン の核 問題 に
15
対し て︑ 強固 な反 対派 とし て知 られ てい る﹂ と語 り︑
﹁共 和党 政権 と取 引を する には 良い 時期 であ る﹂ と説 いた の で
( )
ある
︒キ ッシ ンジ ャー の戦 略は
︑A ー 爆撃 機を 含む 対イ ンド への 攻撃 能力 を向 上さ せる 武器 の給 与と いう
16
﹁飴
﹂と 核開 発問 題で は︑ 厳し い制 裁措 置を 取る 民主 党大 統領 の危 険性 とい う﹁ 鞭﹂ を使 い分 け︑ パキ スタ ンの 核 兵器 開発 を阻 止す ると いう もの であ った
︒ブ ット ーは
︑七 六年 の選 挙戦 前に 核問 題で 譲歩 を示 し︑ フォ ード 政権 と の軍 事援 助交 渉を 進め るべ きと いう キッ シン ジャ ーの 提案 に謝 意を 示し なが らも
︑パ キス タン の国 家安 全保 障を
︑
﹁ア メリ カの 手に 委ね るこ とは でき ない
﹂と 指摘 し︑ 核放 棄と 軍事 援助 の取 引を 拒絶
( )
した
︒キ ッシ ンジ ャー とブ ッ
17
トー の会 談は
︑南 アジ ア地 域の 安定 のた め︑ パキ スタ ンの 核開 発を 容認 でき ない アメ リカ とイ ンド の将 来的 な核 武 装に 対す る安 全保 障政 策と して
︑核 兵器 開発 を放 棄で きな いパ キス タン との
﹁交 渉不 可能 性﹂ を明 確に した ので あ る︒
(
︶ ジミ ー・ カー ター
︵酒 向克 郎訳
︶﹃ なぜ ベス トを つく さな いの か ピー ナッ ツ農 夫か ら大 統領 へ﹄
︵英 潮社
︑一 九七 九年
︶︑ 一七 三頁
︒
︵ 7
︶J ac kA nd er so n, An de rs on Pa pe rs
︵N ew Yo rk Ra nd om Ho us e, 19 73
︶; Hu sa in Ha qq an i, Ma gn if ic en tD el us io ns :P ak is ta n, Th eU ni te dS ta te s, an d A 8 nE pi cH is to ry of Mi su nd er st an di ng
︵N ew Yo rk :P ub li cA ff ai rs ,2 01 3︶ ,2 09 -2 15
;溝 口聡
﹁ニ クソ ン= キッ シン ジャ ー外 交と 南ア ジア
一九 六九 七一 年
﹃傾 斜政 策﹄ 再考
﹂﹃ 立教 法学
﹄第 八四 号︑ 二〇 一二 年︑ 二七 七 三一 三頁
︒清 水学
﹁イ ンド 外交 とソ 連・ ロシ ア﹂ 秋田 茂・ 水島 司編
﹃現 代南 アジ ア
﹄︵ 東京 大学 出版 会︑ 二〇
〇三 年︶
︑一 四四 頁︒
︵
︶吉 田修
﹁パ クス
・ア メリ カー ナと の遭 遇と 離反
﹂秋 田茂
・水 島司 編﹃ 現代 南ア ジア
﹄
︵東 京大 学出 版会
︑二
〇〇 三年
︶︑ 一二 五頁
︒
︵ 9
︶D en ni sK ux ,E st ra ng ed De mo cr ac ie s: In di aa nd th eU ni te dS ta te s︵ Ho no lu lu :U ni ve rs it yP re ss of th eP ac if ic ,2 00 2︶ ,3 28 -3 29
;P au lF .P ow er , 10
qT he In do -A me ri ca nN uc le ar Co nt ro ve rs y,
”A si an Su rv ey Vo l. 19 ,N o. 9︵ Ju n1 97 9︶ ,5 77 .
︵
︶H aq qa ni ,i bi d. ,2 08
;K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t. ,2 18
;武 田悠
﹃﹁ 経済 大国
﹂日 本の 対米 協調
安保
・経 済・ 原子 力 を 11 めぐ る試 行錯 誤︑ 一九 七五
一九 八一 年﹄
︵ミ ネル ヴァ 書房
︑二
〇一 五年
︶︑ 一四 七 一五 一頁
︒
︵
︶R aj en dr aK .J ai n, ed ., US -S ou th As ia nR el at io ns 19 47 -1 98 2, Vo l. 2︵ At la nt ic Hi gh la nd s: Hu ma ni ti es Pr es s, 19 83
︶, 35 3.
︵ 12
︶I bi d. ,2 21 .
︵ 13
︶M em or an du m to Ho ld er s, Sp ec ia lN at io na lI nt el li ge nc eE st im at e, De ce mb er 18 ,1 97 5q Th eN uc le ar Va ul t,
”N at io na lS ec ur it yA rc hi ve ʼs N 14 uc le ar Do cu me nt at io nP ro je ct s. ht tp :/ /w ww .g wu .e du /~ ns ar ch iv /n uk ev au lt /e bb 33 3/ do c0 1. pd f
︵
︶M em or an du mo fC on ve rs at io n, Wa sh in gt on ,F eb ru ar y5 ,1 97 6, Fo re ig nR el at io ns of th eU ni te dS ta te s︵ FR US
︶, 19 69 -7 6, Vo l. E- 8, Do cu me nt s o 15 nS ou th As ia ,1 97 3- 19 76 ,D oc um en t1 89 .
︵
︶R af iR az a, Zu lf il ar Al iB hu tt oa nd Pa ki st an 19 67 -1 97 7︵ Ka ra ch i: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 97
︶, 24 4.
︵ 16
︶M ed ia Re ac ti on ,A ug us t1 0, 19 76 ,N uc le ar No n- Pr ol if er at io n, NP 01 48 3, Di gi ta lN at io na lS ec ur it yA rc hi ve s︵ DN SA
︶; Ja ck An de rs on
&
Le s W 17 hi tt en ,q Ki ss in ge rʼ sp ro mi se to Pa ki st an ,” Th eW as hi ng to nP os t, Ap ri l1 2, 19 77
;K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t. , 22 3- 22 4.
二 カー ター 政権 の登 場 一九
七七 年一 月に 大統 領に 就任 した カー ター は︑ 選挙 期間 中か ら核 の拡 散に 対す る危 険性 を説 いて いた
︒海 軍の 技術 士官 とし て原 子力 潜水 艦の 開発 計画 に携 わり
︑原 子力 事故 の処 理中 に被 爆し た経 験の ある カー ター は︑ 歴代 の 大統 領の 内︑ 最も 核に 関す る豊 富な 知識 と経 験を 有す る人 物で あ
( )
った
︒カ ータ ーは
︑歴 代大 統領 とは 異な り︑ 発展
18
途上 国内 の原 子力 の平 和利 用と 核不 拡散 を︑ 別個 の問 題と は捉 えな かっ た︒ 一九 七六 年六 月︑ カー ター は国 際連 合 総会 演説 にお いて
︑自 身の 核不 拡散 に関 する 見解 を示 し︑
﹁原 子炉 の拡 散は
︑多 くの 国へ の核 兵器 の拡 散を 意味 す るで あろ う﹂ と語
( )
った
︒
19
原子 力関 連技 術の 輸出 と核 兵器 の拡 散を 結び つけ るカ ータ ー政 権の 新方 針は
︑フ ラン ス︑ 西ド イツ
︑イ ギリ ス︑
ベル ギー とい った 西欧 諸国 から の技 術援 助を 通じ て︑ 核兵 器開 発を 試み るパ キス タン には
︑深 刻な 問題 であ った
︒ ブッ トー は直 ぐに
︑﹁ パキ スタ ン国 民を 説得 でき る軍 事援 助︑ 経済 援助
︑エ ネル ギー 供給 が︑ 提示 され る﹂ ので あ れば
︑核 問題 につ いて
︑交 渉す る準 備が ある こと を示 唆し た︒ クリ スト ファ ー国 務省 副長 官は
︑パ キス タン との 取 引材 料と して
︑軍 事援 助︑ 経済 援助
︑原 子炉 に代 わる 燃料 の供 給と
︑フ ラン スへ の金 銭的 補償 の四 点の 必要 性を
︑ カー ター に説
( )
いた
︒カ ータ ーは
︑ブ ット ーと の外 交交 渉に よる 核開 発問 題解 決の 道を 模索 する 一方 で︑ 人道 的見 地
20
から 核兵 器の 放棄 と兵 器供 与の 取引 には
︑消 極的 であ った
︒七 七年 六月
︑カ ータ ー政 権は
︑フ ォー ド政 権が 保留 し てい たA
︱
爆撃 機に 関す る交 渉を 正式 に打 ち切 った︒ カー ター はま た︑ パキ スタ ンに 融和 的な 態度 が︑ 議会 の反 発を 招く こと も危 惧し た︒ 高性 能な 通常 兵器 の売 買 は︑ 地域 紛争 の危 険性 を高 める だけ でな く︑ 海外 での アメ リカ の評 判を 落と す行 為で ある とし て︑ アメ リカ 議会 の 関心 を集 めて
( )
いた
︒カ ータ ーは 兵器 売買 に否 定的 な議 員に 対し
︑﹁ アメ リカ は︑ 他の 地域 に高 性能 兵器 を︑ 最初 に
21
提供 する 国と はな らな い﹂ と言 明し
︑賛 意を 示
( )
した
︒ア メリ カ議 会は また
︑フ ォー ド政 権期 から パキ スタ ンの 核問
22
題に 批判 的で あり
︑N PT 条約 に調 印せ ず︑ ウラ ン濃 縮機 器や その 技術 を輸 入す る国 に対 して
︑い かな る援 助も 禁 止す る﹁ グレ ン= サイ ミン トン 修正 条項
﹂を 可決 して いた
︒カ ータ ー政 権は この 条項 を援 用し て︑ パキ スタ ンへ 制 裁を 課す こと も検 討し て
( )
いた
︒
23
カー ター 政権 がブ ット ーに 対し
︑厳 しい 武器 禁輸 措置 を迫 った 背景 には
︑南 アジ ア地 域を 取り 巻く 国際 情勢 の変 化も あっ た︒ 第一 に︑ ソ連 は︑ 七一 年の 第三 次印 パ戦 争以 降︑ アメ リカ との イン ド洋 の軍 備管 理に 協調 的で あり
︑ カー ター が禁 輸措 置を 取っ た場 合で も︑ 印パ の緊 張を 高め るよ うな 軍事 援助 を行 う可 能性 は少 なか
( )
った
︒第 二に
︑
24
カー ター は︑ 米中 接近 で﹁ パキ スタ ン・ チャ ンネ ル﹂ を利 用し た共 和党 政権 とは 異な り︑ パキ スタ ンを 支援 する 明 確な 必要 性が なか った
︒ア メリ カが パキ スタ ンを 重視 する 理由 は︑ アフ ガニ スタ ンへ のソ 連の 軍事 干渉 やイ ラン 革
命が 起こ らな けれ ば︑ 殆ど なか った と言 える
︒こ れら の要 因が
︑冷 戦期 に最 も落 ち込 んだ 状態 と呼 ばれ るカ ータ ー 政権 期の 米パ 関係 の一 助と なる ので ある
︒
(
︶P et er G. Bo ur ne ,J im my Ca rt er :A Co mp re he ns iv eB io gr ap hy fr om Pl ai ns to Po st -P re si de nc y︵ Ne wY or k: Sc ri bn er ,1 99 7︶ ,1 1- 32 .
︵ 18
︶J am es Mi ch ae lM ar ti ne z, qT he Ca rt er Ad mi ni st ra ti on an dt he Ev ol ut io no fA me ri ca nN uc le ar No np ro li fe ra ti on Po li cy ,1 97 7- 19 81 ,” Jo ur na lo f P 19 ol ic yH is to ry ,V ol .1 4, No .3 ,2 00 2, 27 2- 27 4.
︵
︶A ct in gS ec re ta ry of St at eW ar re nC hr is to ph er to th eP re si de nt ,A pr il 2, 19 77 ,q Th eN uc le ar Va ul t,
”o p. ci t. ,h tt p: // ww w. gw u. e 20 du /~ ns ar ch iv /n uk ev au lt /e bb 33 3/ do c0 2. pd f
︵
︶K au fm an ,o p. ci t. ,4 8.
︵ 21
︶T oC on gr es sm an Da le Mi lf or d, Bo xF o- 31 ,W hi te Ho us eC en tr al Fi le s, Ji mm yC ar te rL ib ra ry
︵J CL
︶, At la nt a.
︵ 22
︶W ir si ng ,o p. ci t. ,9 .
︵ 23
︶M em or an du mF ro mt he Ex ec ut iv eS ec re ta ry of th eD ep ar tm en to fS ta te
︵T ar no ff
︶t ot he Pr es id en tʼ sA ss is ta nt fo rN at io na lS ec ur it yA ff ai rs 24
︵B rz ez in sk i︶ ,J un e2 81 97 7, FR US ,1 97 70 19 80 ,v ol .1 ,2 01 .
三 人権 外交 とパ キス タン 核兵
器開 発を めぐ るア メリ カと パキ スタ ンの 確執 は︑ カー ター の掲 げる 人権 問題 と重 なり
︑次 第に その 範囲 を広 げて いっ た︒ カー ター 政権 は︑ 各国 の人 権問 題に 関す る取 組と 改善 状況 につ いて
︑毎 年報 告書 を作 成し
︑定 期的 に 公表 した
︒こ うし た報 告書 は︑ 各国 の人 権侵 害の 状況 を画 一的 な指 標で 評価 する 問題 点が ある もの の︑ パキ スタ ン の人 権問 題を
︑ア メリ カ国 民に 知ら せる 媒体 とし て︑ 重要 な役 割を 果た した
︒や がて
︑パ キス タン 政府 の人 権弾 圧 は︑ カー ター 政権 にと って
︑看 過で きな い問 題へ と発 展
( )
した
︒
25
一九 七七 年三 月の 議会 選挙 に勝 利し た後
︑ブ ット ーの 国政 は︑ 権威 主義 的な 性格 を強 めて いっ た︒ ブッ トー は︑
選挙 の不 正を 訴え る反 対政 党︑ パキ スタ ン国 民同 盟︵
P a k i s t a n N a t i o n a l A l l i a n c e : P N A
︶の 支持 者数 千人 を︑ 治安 維 持の 名目 で投 獄し
︑カ ラー チー
︑ラ ーホ ール
︑ハ イダ ラー バー ドに 戒厳 令を 布い た︒ ブッ トー の反 対派 は︑ パキ ス タン 政府 によ る市 民弾 圧の 実情 を︑ 国際 世論 に訴 えた
︒パ キス タン 警察 が︑ 女性 と子 供に 対し て催 涙ガ スを 使用 し てい ると の報 告を 受け たカ ータ ー政 権は
︑一 九七 七年 四月
︑催 涙ガ スを 含む 殺傷 性の 低い 兵器 の禁 輸を 公表 した
︒ 国務 省は
︑今 回の 措置 の理 由を
︑ア メリ カが
﹁抑 圧的 な政 権﹂ を支 援し てい ると の印 象を 与え る行 為は
︑人 権外 交 の原 則と 矛盾 する ため だと 説明
( )
した
︒
26
核開 発問 題︑ 禁輸 措置
︑人 権問 題で 厳し い締 めつ けを 受け たブ ット ーは
︑カ ータ ー政 権へ の不 満を 公言 する よう にな った
︒ブ ット ーは
︑非 殺傷 兵器 の禁 輸措 置の 公表 を受 け︑
﹁反 対派 がC IA から 受け 取っ た二 五〇
〇万 ドル が︑ 我々 のパ キス タン 人民 党︵
P a k i s t a n P e o p l e ʼ s P a r t y : P P P
︶ に︑ 流れ てい たら︑も っと 人権 問題 につ いて 憂慮 する こと がで きた
﹂と 述べ
︑カ ータ ー政 権へ の不 信感 を表 明し た︒ さら にブ ット ーは
︑国 会の 場で
︑﹁ 外国 政府
﹂が
︑P N Aの 抗議 行動 を扇 動し てい ると の演 説を 行い
︑ア メリ カか ら核 兵器 開発 の疑 惑を 持た れて いる 自分 は︑ 監視 され て いる と語 り︑ パキ スタ ン国 内の 反米 感情 を煽
( )
った
︒
27
カー ター 政権 は︑ ブッ トー の人 権弾 圧を 懸念 する 一方 で︑ 反対 派に 与す ると いう 意図 はな かっ た︒ CI Aの 分析 によ ると
︑P PP とP NA の間 には
︑核 開発 や武 器供 与問 題に 対す る見 解の 相違 がほ とん どな く︑ 次の 議会 選挙 で PN A政 権が 誕生 した 場合 でも
︑パ キス タン の外 交政 策が 大き く変 化す る見 込み はな か
( )
った
︒ブ ット ーの 度重 なる
28
批判 を受 け︑ ヴァ ンス 国務 長官 はす ぐに
﹁ア メリ カが パキ スタ ンに 内政 干渉 して いる との 主張
﹂は
︑明 らか な間 違 いで あり
︑﹁ 長く 友好 関係 を維 持し てき た米 パは
︑お 互い の関 係を 損ね るよ うな 発言 を︑ 控え るべ きで ある
﹂と の 意見 書を
︑パ キス タン 政府 に送 付し た︒ 対す るブ ット ーは
︑カ ータ ー政 権か らの 要望 を無 視し
︑﹁ アメ リカ から の 内政 干渉
﹂と いう 手札 を︑ PN Aと の争 いに 利用 した
︒パ キス タン 駐在 代理 大使 であ った ピー ター
・コ ンス タブ ル
︵
P e t e r D . C o n s t a b l e
︶ によ ると︑ブ ット ーは
︑ラ ーワ ルピ ンデ ィー 地方 の支 持者 の前 で︑ ヴァ ンス から の書 簡に 触 れ︑
﹁ア メリ カか らの 謝罪 を受 けた
﹂と 偽の 情報 を伝 えて
( )
いた
︒国 務省 から の厳 重な 抗議 を受 け︑ ブッ トー は流 言
29
を控 える 一方 で︑ カー ター 政権 がP NA を支 援し てい ると いう 主張 を撤 回し なか
( )
った
︒そ れで も米 パ両 国は
︑ヴ ァ
30
ンス 国務 長官 とア フマ ド外 相が
︑一 九七 七年 五月 末に パリ で会 談し
︑パ キス タン 国内 の反 米感 情の 鎮静 化に 向け て︑ 協力 する 必要 性を 確認 する など
︑緊 張緩 和に 努め て
( )
いた
︒と ころ が︑ こう した 取り 組み は︑ 一ヵ 月後 の軍 事ク
31
ーデ タに より
︑頓 挫す るこ とに なっ たの であ る︒ 一九 七七 年七 月五 日︑ ジヤ ー陸 軍大 将の 率い る将 校団 が戒 厳令 を布 き︑ ブッ トー 首相 とP PP とP NA の主 要な 政治 家を
︑自 宅に 軟禁 した
︒﹁ フェ ア・ プレ イ作 戦﹂ と名 付け られ た軍 事ク ーデ タは
︑ブ ット ーに PN Aと の合 意 を迫 り︑ 国内 の政 治闘 争の 終結 を目 的と する もの であ った
︒無 血に 終わ った この 軍事 クー デタ が︑ 後に
﹁パ キス タ ンの 暗黒 の日
﹂と 呼ば れ︑ 十年 に及 ぶジ ヤー 政権 の人 権弾 圧の 幕開 けと なる と予 想す るも のは
︑殆 どい なか った
︒ ジヤ ーは 軟禁 状態 にあ るブ ット ーに 敬意 を払 い︑ 彼の 首相 権限 も剝 奪で はな く︑ 一時 停止 とい う状 態に 置い てい た から で
( )
ある
︒
32
軍事 クー デタ の一 報を 受け たア メリ カ政 府は
︑政 治的 不介 入の 立場 を取 った
︒C IA は当 初︑ 軍が 政治 闘争 に対 処す るこ とが でき ず︑ 権限 を文 民に 譲渡 する と判 断
( )
した
︒ジ ヤー 将軍 は︑ クー デタ の二 週間 後︑ 軟禁 状態 にあ った
33
ブッ トー と他 の政 治家 たち を解 放し
︑ア メリ カ政 府に 民主 化へ の移 行プ ロセ スを
︑着 実に 進め てい ると の印 象を 与 えた
︒国 務省 は︑ 軍事 政権 が﹁ 人権 問題 にお いて
︑重 大な 進歩
﹂を 遂げ てい ると の声 明を 発表
( )
した
︒だ が︑ パキ ス
34
タン の民 主化 は︑ カー ター 政権 が期 待し た通 りに は進 まな かっ た︒ 解放 され たブ ット ーは
︑即 座に ジヤ ーの 戒厳 令を 非難 し︑ カラ ーチ ーと ラー ホー ルで 熱狂 的な 支持 を集 めた
︒ブ ット ーの 人気 の高 まり は︑ ジヤ ーの 想像 以上 であ り︑ 軍事 暫定 政権 に脅 威を 与え るも ので あっ た︒ ブッ トー の報 復
を危 惧し たジ ヤー は︑ 元首 相の 排除 を決 意し た︒ 一九 七七 年九 月︑ ジヤ ーは ブッ トー を殺 人容 疑で 逮捕 した
︒そ の 約一 か月 後︑ 軍事 暫定 政権 は︑ 国内 の政 治的 混乱 を理 由に
︑選 挙の 延期 を宣 言し た︒ ジヤ ーに よる と︑ 選挙 を予 定 通り 行っ た場 合︑ PN Aは 安定 した 政治 運営 がで きず
︑ブ ット ーが 政権 に返 り咲 く危 険性 があ
( )
った
︒ジ ヤー は︑ 選
35
挙の 開催 時期 につ いて 明言 を避 けな がら
︑戒 厳令 を八 年間 続け てい くの であ る︒ ジヤ ー政 権に よる 民主 化へ の公 約の 反故 は︑ 米パ 関係 の新 たな 問題 点と なっ た︒ ただ し︑ ジヤ ーは ブッ トー とは 異な り︑ アメ リカ に対 し︑ 控え 目な 言動 を取 り︑ カー ター 政権 から の厳 しい 非難 を受 ける こと は少 なか った
︒ブ レ ジン スキ ーは
︑﹁ ブッ トー が即 座に 処刑 され る危 険性 があ る﹂ との 見解 に疑 問を 呈し
︑ジ ヤー 政権 への 非難 声明 に 否定 的で あ
( )
った
︒カ ータ ー政 権内 では
︑ブ ット ーの 処遇 に注 視し つつ
︑事 態を 静観 する 方針 が固 まっ てい た︒ しか
36
し︑ こう した 小康 状態 は︑ 一九 七八 年三 月︑ ラー ホー ル裁 判所 がブ ット ーの 死刑 判決 を下 すま での 約半 年し か続 か なか った
︒死 刑判 決の 一報 を受 け︑ カー ター はジ ヤー 宛に
︑﹁ 赦免
﹂の 措置 を講 じる よう 書簡 を送 った
︒こ れに 対 し︑ ジヤ ーは 裁判 所判 決の 正当 性を 挙げ
︑死 刑を 執行 する と返 答
( )
した
︒嘆 願書 を無 視さ れた アメ リカ 政府 内で は︑
37
ジヤ ー政 権の 転覆 計画 まで 議論 され たも のの
︑死 刑を 阻止 する 有効 な手 段を
︑見 出す こと はで きな かっ た︒ ブッ ト ー支 持者 達は 死刑 判決 を受 け︑ 軍事 政権 への 抗議 行動 を拡 大し た︒ 対す るジ ヤー は︑ 厳し い弾 圧を 加え た︒ 一九 七 九年 四月
︑ブ ット ーが 処刑 され るま でに
︑ジ ヤー は政 治活 動の 禁止
︑軍 事法 廷の 権限 拡大
︑言 論の 自由 の弾 圧を 行 い︑ 独裁 的な 体制 を築 いて いっ た︒ 国務 省の クリ スト ファ ー・ グル ープ は︑ パキ スタ ンの 人権 侵害 を深 刻な 事態 だ と認 識し
︑経 済援 助政 策の 見直 しを 提起
( )
した
︒カ ータ ーは
︑パ キス タン に対 して
︑再 び人 権と 核問 題と いう 二つ の
38
側面 から 対応 を迫 られ るの であ る︒
︵
︶例 えば
︑政 府は 南ア フリ カの 人権 問題 を︑ パキ スタ ンよ りも 深刻 とみ なす のか 十分 な説 明が でき なか った
︒A hm ad ,o p. ci t. ,6 1; Hu ma n 25
Ri gh ts in Pa ki st an ,P re ss Br ie fi ng ,M ar ch 19 78 ,B ox 56 ,R G5 9, Ge ne ra lR ec or ds of th eD ep ar tm en to fS ta te ,R ec or do fD ep ut yS ec re ta ry of St at e Wa rr en Ch ri st op he r, Na ti on al Ar ch iv es
︵N A︶ ,C ol le ge Pa rk .
︵
︶N at io na lI nt el li ge nc eD ai ly Ca bl e, Ap ri l2 3, 19 77 ,C IA De cl as si fi ed Do cu me nt sD at ab as e, NA
;A hm ad ,o p. ci t. ,6 1.
︵ 26
︶L ew is M. Si mo ns ,q Pa ki st an ,S pu rr ed by Te ar Ga sD ec is io n, Se en Re co ns id er in gT ie st oU .S .,
”T he Wa sh in gt on Po st ,A pr il 27 ,1 97 7; Le wi sM . S 27 im on ,q Pa ki st an Ou tr ag ed :B hu tt oS ay sU .S .I sT ry in gt oO us tH im ,” Th eW as hi ng to nP os t, Ap ri l2 9, 19 77 .
︵
︶T he Pa ki st an Na ti on al Al li an ce Pa rt ic ip an ts an dP ro sp ec ts ,A ug us t1 97 7, CI AD ec la ss if ie dD oc um en ts Da ta ba se ,N A.
︵ 28
︶P et er D. Co ns ta bl eO ra lH is to ry ,A ss oc ia ti on fo rD ip lo ma ti cS tu di es an dT ra in in g︵ AD ST
︶, Ar li ng to n, ht tp :/ /m em or y. lo c. go v/ cg i- b 29 in /q ue ry /D
?m fd ip :3 :. /t em p/
~a mm em _G Q3 e; Ja in ,o p. ci t. ,3 68 .
︵
︶K ha li dM ah mu dA ri f, Wo rk in gw it hZ ia :P ak is ta n’ sP ow er Po li ti cs 19 77 -1 98 8︵ Ka ra ch i: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 95
︶, 77 -7 8.
︵ 30
︶K ux ,T he Un it ed St at es an dP ak is ta n1 94 7- 20 00 ,o p. ci t. ,2 31 .
︵ 31
︶R az a, op .c it ., 36 7; La wr en ce Zi ri ng ,P ak is ta ni nt he Tw en ti et hC en tu ry :P ol it ic al Hi st or y︵ Ka ra ch i: Ox fo rd Un iv er si ty Pr es s, 19 97
︶, 42 3.
︵ 32
︶N at io na lI nt el li ge nc eD ai ly Ca bl e, Ju ly 19 ,1 97 7, CI AD ec la ss if ie dD oc um en ts Da ta ba se ,N A; Co ns ta bl e, or al hi st or y.
︵ 33
︶q U. S. Sa ys So me As ia nN at io ns Im pr ov ed Hu ma nR ig ht s,
”T he Ch ri st ia nS ci en ce Mo ni to r, Fe br ua ry 28 ,1 97 8; Ad dr es sb yt he De pu ty S 34 ec re ta ry of St at e︵ Ch ri st op he r︶ ,F eb ru ar y1 3, 19 78 ,F RU S, vo l. 1, 33 5.
︵
︶R az a, op .c it ., 36 8; Na ti on al In te ll ig en ce Da il yC ab le ,O ct ob er 3, 19 77 ,C IA De cl as si fi ed Do cu me nt sD at ab as e, NA .
︵ 35
︶M em or an du mf ro mT ho ma sP .T ho rn to nt oZ bi gn ie wB rz ez in sk i, Se pt eb er 7, 19 77 ,B ox Co 48 ,W hi te Ho us eC en tr al Fi le s, JC L, At la nt a.
︵ 36
︶J im my Ca rt er ,W hi te Ho us eD ia ry
︵N ew Yo rk :P ic ad or ,2 01 0︶ ,3 09
;q Ti me Ou tf or Bh ut to ,” Wa ll St re et Jo ur na l, Ma rc h2 8, 19 78
;R ob er t T 37 ru mb ul l, qC ou rt Su pp or ts De at hS en te nc eI nB hu tt oC as e,
”N ew Yo rk Ti me s, Fe br ua ry 6, 19 79 .
︵
︶N at io na lI nt el li ge nc eD ai ly Ca bl e, Ma rc h2 ,1 97 8, CI AD ec la ss if ie dD oc um en ts Da ta ba se ,N A; Hu ma nR ig ht sR ev ie w, Oc to be r1 3, 19 78 ,i bi d. . 38
四 ジヤ ー政 権の 核開 発問 題と カー ター 政権 の対 応 ブッ
トー と敵 対関 係に ある ジヤ ーは
︑核 政策 に関 して は前 政権 の路 線を 全面 的に 踏襲 した
︒ジ ヤー はク ーデ タ直 後の 記者 会見 で︑
﹁核 燃料 再処 理施 設は
︑も はや 党派 の問 題で はな く︑ 国家 問題 であ る﹂ と語 り︑
﹁前 政権 が始 めた 交渉 は︑ 私が 持続 する
﹂と 言明
( )
した
︒カ ータ ー政 権は
︑フ ラン スと の契 約交 渉を 続け る軍 事政 権を 牽制 すべ く︑ ジ
39
ョセ フ・ ナイ
︵
J o s e p h N y e , J r .
︶安 全保 障・ 科学 技術 担当 国務 次官 補を
︑イ スラ マー バー ドに 派遣 した
︒一 九七 七年 九月
︑ナ イは
﹁パ キス タン が︑ フラ ンス との 核燃 料再 処理 施設 の契 約に
︑こ のま ま固 執す るの であ れば
︑ア メリ カ は経 済援 助を 停止 する だろ う﹂ との 見解 を示
( )
した
︒
40
カー ター 政権 は︑ パキ スタ ンへ の経 済制 裁を 示唆 する 一方 で︑ その 効力 の弱 さを 自覚 して いた
︒七
〇年 代の パキ スタ ンの 対米 依存 度は
︑六
〇年 代に 比べ
︑著 しく 低下 して おり
︑核 開発 計画 の見 直し を迫 れる 程で はな かっ た︒ カ ータ ー自 身は
︑人 道的 理由 から 経済 制裁 には
︑慎 重な 対応 が必 要と 考え てい た︒ その ため
︑国 務省 は経 済制 裁が 解 除さ れた 後︑ 速や かに 支援 が再 開で きる 方法 も︑ 同時 に検 討し て
( )
いた
︒国 務省 の近 東・ 南ア ジア 局は
︑ジ ヤー 政権
41
の意 向を 変え るよ りも
︑フ ラン スに パキ スタ ンと の合 意を 破棄 させ る方 が︑ 現実 的で ある と進 言し た︒ 近東
・ア ジ ア局 は︑ フラ ンス に対 し︑ ジヤ ーが 経済 的要 因か らプ ルト ニウ ムを 求め てい ない と説 得す るの は可 能だ と判 断し た ので ある
︒こ の分 析は 当を 得な いで はな かっ た︒ フラ ンス 政府 は︑ 数か 月間 の協 議を 通じ て︑ アメ リカ の主 張に も 一定 の理 解を 示す よう にな った
︒一 九七 八年 一月
︑フ ラン ス政 府は 最終 的に
︑パ キス タン との 契約 の一 部を 修正 し︑ ジヤ ー政 権に 対し
︑原 子炉 内で 核燃 料の 生成 は可 能で ある 一方 で︑ 核爆 弾の 製造 はで きな い﹁ 共回 収法
﹂
︵
C o p r o c e s s i n g
︶ を︑ 核燃 料再 処理 施設 に適 用す ると 通達( )
した
︒
42
パキ スタ ン外 務省 は︑ フラ ンス 修正 案へ の拒 否を 言明 し︑ 七六 年に 締結 した 当初 の合 意の 尊守 を求 めた
︒二 月に は︑ ジヤ ーが パキ スタ ンを 訪れ たフ ラン ス人 技術 者に 対し
︑改 めて パキ スタ ン政 府の 見解 を提 示し た︒ パキ スタ ン 側の 主張 によ ると
︑﹁ 七六 年の 合意 には IA EA が︑ 定め るプ ルト ニウ ムの 悪用 を防 止す る全 ての 規約 が含 まれ
﹂︑ 修正 する 必要 はな かっ た︒ 半年 間に 渡る 交渉 の末
︑フ ラン スは パキ スタ ンと の合 意を 破棄
( )
した
︒
43
アメ リカ の介 入に より
︑フ ラン スと の取 引が 失敗 した ジヤ ー政 権は
︑国 際社 会の 監視 を避 けな がら
︑極 秘裏 に核 開発 を続 けた
︒一 九七 八年 初夏
︑パ キス タン がウ ラン 濃縮 に関 する 機器 を︑ スイ スと イギ リス の企 業か ら入 手し た
こと が︑ マス コミ 報道 によ り明 らか とな
( )
った
︒中 国の 予想 では
︑パ キス タン は︑ 既に 核弾 頭に 必要 な量 の三 分の 一
44
以上 の放 射性 同位 体を
︑生 成す るこ とが 可能 であ
( )
った
︒ジ ヤー 政権 がウ ラン 濃縮 に必 要な 機材 の購 入を 試み てい る
45
との 情報 は︑
﹁フ ラン スと の合 意破 棄は
︑パ キス タン の核 開発 に向 けた 熱意 に全 く影 響を 与え てい ない
﹂こ とを 意 味
( )
した
︒ こ 46
の頃 にな ると カー ター 政権 は︑ ジヤ ーと は直 接交 渉を 通じ て︑ 核開 発問 題を 解決 する 姿勢 を鮮 明に する よう に なっ た︒ 一九 七九 年初 頭︑ パキ スタ ン駐 在大 使ア ーサ ー・ ヒュ ンメ ル︵
A r t h u r H u m m e l
︶は
︑ジ ヤー と会 談し
︑核 開発 に関 する
﹁明 確な 証拠
﹂が ある と語 り︑ 核開 発の 破棄 を求 めた
︒こ れに 対し
︑ジ ヤー は﹁ まっ たく 馬鹿 げた 話 だ﹂ と返 答し
︑大 使の 疑惑 を払 拭す るた め︑ アメ リカ の査 察団 の受 け入 れを 承諾 した
︒し かし
︑ジ ヤー がこ の取 り 決め に従 うこ とは なか った
︒大 使と の会 談か ら一 か月 後︑ ジヤ ーは 条件 を一 方的 に変 更し
︑イ ンド のデ ーサ ーイ ー
︵
M o r a r j i D e s a i
︶ 政権 が︑ アメ リカ の核 査察 を受 け入 れた 場合︑パ キス タン も核 施設 への 立ち 入り を許 すと 主張 し た︒ ヒュ ンメ ルは
︑今 回の 問題 とイ ンド の事 例に は﹁ 関係 性が ない
﹂と 指摘 し︑ パキ スタ ンが 査察 団の 受け 入れ を 拒否 した 場合
︑ア メリ カ国 内世 論に 悪影 響を 及ぼ すと 語っ た︒ この 時ヒ ュン メル が言 及し た悪 影響 とは
︑﹁ グレ ン
=サ イミ ント ン修 正条 項﹂ が︑ パキ スタ ンに 適応 され るこ とで
( )
ある
︒
47
カー ター 政権 内で は政 策措 置の 内容 につ いて
︑議 論が 行わ れて いた
︒国 務省 は修 正条 項に 従い
︑軍 事と 経済 両援 助の 制裁 措置 を推 奨し た︒ これ に対 し︑ ブレ ジン スキ ーの PR Cは
︑﹁ 法が 定め る範 囲で
︑最 大限 の柔 軟性 を考 慮 しな がら
︑パ キス タン と緊 密な 関係 を維 持す べき
﹂と 進言 した
︒カ ータ ーの 最終 的な 決断 は︑ 国務 省と PR Cの 意 見を 取り 入れ た折 衷的 なも のと なっ た︒ 七九 年四 月︑ カー ター 政権 は︑
﹁グ レン
=サ イミ ント ン修 正条 項﹂ を適 用 し︑ パキ スタ ンへ の軍 事︑ 経済 援助 を停 止し た︒ ただ し︑ 制裁 の内 容は
﹁八 五〇
〇万 ドル の開 発支 援と 軍事 訓練 関 連﹂ に絞 ら
( )
れた
︒さ らに カー ター は︑ パキ スタ ン政 府に 公表 され る危 険性 を承 知の 上で
︑ジ ヤー 宛に 親書 を送 り︑
48