『三玉挑事抄』注釈 冬部(下)・雑部(三)
著者 岩坪 健
雑誌名 人文學
号 198
ページ 87‑131
発行年 2016‑11‑30
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015577
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶ ・ 雑 部
︵ 三
︶
岩 坪
健
本 稿 は﹃ 三 玉 挑事 抄
﹄冬 部 314の 332〜 番 と︑ 雑 635部 664〜 番 を 掲 載 す る︒ 凡 例 は 秋 部
︵上
︶と 同 じ で あ る の で 省 略 す る︒ 担当 者は すべ て本 学博 士課 程在 学者 で︑ 以下 の通 りで ある
︒な お各 項目 末尾 の︵
︶ 内に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した
︒ 村上 泰規
︑島 田薫
︑松 本匡 由︑ 金子 将大
︑小 森一 輝︑ 北井 達也
︑松 田望 冬夜
314う たふ よの 雲井 の庭 火ほ の
!
"
と 明し 岩戸 を残 すお もか け
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 一八 五番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹁冬 夜│ 夜﹂
︒
﹇ 訳﹈
冬の 夜
︵神 楽を
︶歌 う夜 は宮 中の かが り火 がほ のか に明 るく
︑夜 がほ んの りと 明け
︑︵ 天照 大御 神が
︶岩 戸を 開け た︵ とい う 神代 の神 楽の
︶お もか げを 残し てい るな あ︒
― 87 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
﹇ 考 察
﹈当 歌 の 第 三 句﹁ ほ の ぼ の と﹂ は﹁ 庭 火
﹂と
﹁明 け し﹂ を 修 飾 す る︒ ま た 第 四 句
﹁あ け し﹂ に﹁ 明 け し
﹂と
﹁開 けし
﹂を 掛け る︒ 天照 大御 神が 岩戸 を開 ける と夜 が明 けた とい う伝 説に つい ては 315番 歌︑ 参照
︒宮 中で 一晩 中︑ 神 楽が 催さ れ︑ その 間燃 え続 けて いた 篝火 も夜 明け 前に は火 が弱 まる さま を詠 む︒
︵村 上泰 規︶ 神楽
柏
315そ のか みの 岩戸 はし らす 明る 夜の おし くや はあ らぬ うた ふ声
! "
古 語拾 遺曰
︑其 後素 戔鳴 神︑ 奉為 日神
︑行 甚無 状云 云︒ 于時 天照 太神 赫怒
︑入 于天 石窟
︑閉 磐戸 而幽 居焉
︒尓 乃 六 合 常 闇︑ 昼夜 不 分︒ 群 神愁 迷 手 足罔 措
︒凡 厥 庶 事︑ 燎 燭 而 弁 云 云
︒於 石 窟 戸 前 覆 誓 槽
︑挙 庭 燎
︑巧 作 俳 優
︑相 与歌 舞云 云︒ 于時 天照 太神 中心 独謂
︑﹁ 此 吾幽 居天 下悉 闇︒ 群神 何由 如此 歌楽
﹂︒ 聊開 戸而 窺之
︒爰 令天 手 力雄 神引 啓其 扉︑ 遷座 新殿 云云
︒当 此之 時︑ 上天 初晴
︑衆 倶相 見︑ 面皆 明白
︒伸 手歌 舞︒ 相与 称曰 云云
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 二三 二番
︒古 語拾 遺︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 校正 古語 拾遺
﹄﹁ 天照 太神
│天 照大 神﹂
︒
﹇ 訳﹈
神楽 そ の 昔︑ あ の 神 の︵ 籠 も っ た︶ 岩 戸 は い ざ 知 ら ず
︑夜 が 明 け
︵て 神 楽 が 終 わ
︶る の は 名 残 惜 し く な い だ ろ う か︑
︵神 楽を
︶歌 う声 々︵ を聞 くと
︶︒ 古 語拾 遺に よる と︑ その 後︑ 素戔 嗚神 の行 為 は 天 照大 神 に とっ て
︑非 常 に乱 暴 な も ので あ っ た云 々
︒そ の 時︑ 天 照大 神は お怒 りに なっ て天 の岩 屋に お入 りに なり
︑岩 戸を 閉ざ して 籠も られ た︒ する とた ちま ち天 地四 方が
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 88 ―
暗 闇 に 包 まれ
︑昼 と 夜 の境 が つ かな く な っ た︒ 諸々 の 神 は皆 困 り 果て て
︑な す す べ が な い
︒す べ て 多 く の 事 は
︑火 を 灯 し て話 し 合 った 云 々︒ 岩 屋の 戸 の 前 で誓 約 を して
︑庭 火 を 焚き
︑巧 み に 装 っ て 一 斉 に 歌 い 踊 っ た 云 々︒ その とき 天照 大神 は心 中で
︑﹁ 私 が籠 もっ て 天 下は す べ て暗 闇 に なっ た
︒諸 々 の 神た ち は どう い う わけ で
︑こ のよ うに 歌と 音楽 を演 奏す るの か
﹂と 独 り 言を 仰 っ た︒
︵天 照 大 神は
︶少 し だ け 戸を 開 い て外 を 覗 いて み た︒ すか さず 天手 力雄 神に その 戸を 開 か せ て︑
︵天 照 大 神を
︶新 殿 に お移 し し た 云々
︒す る と 天上 は よ うや く 晴れ
︑諸 々の 神た ちは 顔を 見合 わせ て顔 面は みな 明る くな った
︒手 を広 げて 歌い 舞い
︑互 いに 称え あっ て言 う には 云々
︒
そ
か み
﹇ 考察
﹈当 歌 は 初 句の
﹁そ の か み﹂ に﹁ 其の 上
﹂と
﹁そ の 神﹂ を掛 け る 314︒ 315・ 番歌 は
﹃古 語 拾遺
﹄の ほ か︑ 記 紀に も 見え る有 名な 岩戸 隠れ 伝説 を踏 まえ る︒
﹇ 参考
﹈本 文異 同に は元 禄九 年︵ 一六 九六
︶跋
︑文 化四 年︵ 一八
〇七
︶版
﹃校 正古 語拾 遺﹄ を使 用︒
﹃古 語拾 遺﹄ の版 本 につ いて は︑
﹃ 飯田 瑞穂 著作 集 古代 史籍 の研 究﹄
︵吉 川弘 文館
︑二
〇〇 一年
︶参 照︒ なお
﹃梁 塵愚 案抄
﹄︵ 巻 上︑ 神 楽︑ 庭燎
︶に 収め られ た本 文は
﹁天 照太 神﹂ で︑
﹁ 云々
﹂の 本文 も全 個所 では ない が一 致す る︒
︵村 上泰 規︶ 冬歌 中 316ち る雪 もか たに かゝ りて 吹風 にか らお きう たふ 声そ さひ たる 梁 塵秘 抄︑ 韓神
︒み しま ゆふ
︑か たに とり かけ
︑わ れか ら神 の︑ から をき せん や︑ から をき
下略
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑六 七三 八番
︒神 楽歌
︑韓 神︑ 四二 頁︒
― 89 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 冬 歌中
│冬 十五 首﹂
︒﹃ 梁 塵愚 案抄
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
冬の 歌の 中
か ら お
降 る雪 も︵ 三島 産の 木綿 の襷 のよ うに
︶肩 にか かっ て︑ 吹く 風に 韓招 ぎを 歌う 声は 古び て趣 があ るな あ︒
み しま
ゆ う た す き
から か み か ら お
から お
梁 塵愚 案抄
︑韓 神︒ 三島 産の 木綿 の襷 を肩 に取 りか けて
︑自 分韓 神は 韓招 ぎを しよ うよ
︑韓 招ぎ を下
︒略
と り も の
﹇ 考察
﹈﹁ 韓神
﹂は 神 楽 歌 の採 物 の 歌で
︑本 文 中 の﹁ われ か ら 神﹂ の﹁ 韓 神﹂ につ い て 318は 番歌
︑参 照
︒﹁ 韓 招ぎ
﹂は
﹃梁 塵愚 案抄
﹄に よる と︑
﹁か らを き未 詳︒ たと へは 神 を 祭 とて 神 前 にひ も ろ きな と を す へを き た る心 と や︒
﹂ とあ
し め な わ
る
︒﹁ ひ もろ き﹂ は神 を迎 える ため 注連 縄を 張り
︑中 央に 榊を 立て たも の︒
﹇ 参考
﹈異 同の 確認 には
﹃梁 塵愚 案抄
﹄元 禄二 年︵ 一六 八九
︶版
︵早 稲田 大学 古典 籍総 合デ ータ ベー ス︶ を使 用︒
︵ 島田 薫︶ 神楽
柏
317御 火白 くた くよ の空 はさ なか らに ひる めの 神の 光を そみ る 神 代巻 曰︑ 於是 共生 日神
︒号 大日 霊貴
︒此 子光 華明 彩︑ 照徹 於六 合之 内云 云︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 七二
〇番
︒日 本書 紀︑ 巻第 一︑ 神代 上︑ 三五 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 日本 書紀
﹄﹁ 霊│ 孁﹂
︒
﹇ 訳﹈
神楽 か がり 火を 白く 燃や す夜 空︵ の明 るさ
︶は
︑あ たか も天 照大 神の 光を 見る よう だな あ︒
い ざ な き の みこ と い ざ な み の み こ と
お お ひ る め の む ち
神 代 巻 に よる と
︑︵ 伊弉 諾 尊 と 伊弉 冉 尊は
︶そ こ で 一緒 に 日 の 神を お 生 みに な っ た︒ こ れ を 大日 孁 貴
︵天 照
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 90 ―
大 神︶ と申 す︒ この 御子 は輝 くこ と明 るく 美し く︑ 天地 四方 の隅 々ま で照 り輝 いた 云々
︒
﹇ 参考
﹈初 句
・二 句 の﹁ 御 火白 く 焚 く﹂ は︑ 神楽 歌 次 第の
﹁御 火 白呂 久
献
つ 礼
﹂︵ 御 火 白 く た て ま つ れ
︶を
︑源 俊 頼 が
﹁か らか みに 袖ふ るほ どは との もり のと もの 宮つ こ御 火し ろく たけ
﹂︵ 堀川 百首
・冬
・神 楽︶ に詠 みこ み︑ それ が後 世 に影 響を 与え た︵ 内藤 愛子
﹁堀 河百 首題
﹁神 楽﹂ をめ ぐっ て﹂
︑﹁ 文 教大 学女 子短 期大 学部 研究 紀要
﹂儶
︑一 九九 七 年一 二月
︶︒
︵ 島田 薫︶ 318名 もし るし やま とに はあ らぬ から 神の はる かに すめ る明 かた の声 神 楽︑ 韓神
︒ま へに 見え たり
︒ 梁 塵愚 案抄 云︑ から 神と は宮 内省 にま しま す韓 神︑ 二座 を申 侍に や云 々︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑一 七六 二番
︒梁 塵愚 案抄
︑上
︑韓 神︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 梁塵 愚案 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵ 神楽
︶ そ の名 の通 りだ
︒韓 神は 大和
︵日 本︶ には おら ず︵ 韓国 とい う︶ 遥か 遠く に住 んで いる が︑ 神楽 の﹁ 韓神
﹂を 歌う 声 がと ても 清ら かな 明け 方だ なあ
︒ 神 楽︑ 韓神
︒前 に見 えて いる
︒︵ 316 番歌
︑参 照︶ 梁 塵愚 案抄 によ ると
︑か ら神 とは 宮内 省に いら っし ゃる 二体 の韓 神を 申し ます とか 云々
︒
﹇ 考察
﹈当 歌の 第三 句﹁ 韓神
﹂に 神 の 名と 神 楽 歌の 名 を 掛け
︑第 四 句﹁ は る かに す め る﹂ に﹁ 遥か に 住 める
﹂と
﹁は る かに 澄め る﹂ を掛 ける
︒
― 91 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
﹇ 参考
﹈雪 玉集 は歌 肩に
﹁永 正十 二十 二御 月次
﹂と あり
︑永 正十 二年
︵一 五一 五︶ 十二 月の 月次 歌︒
︵ 島田 薫︶ 杜神 楽
柏
319外 山な る正 木は いか に冬 かれ の杜 もあ らは に庭 火た く影 梁 塵秘 抄︑ 神楽
︑庭 燎︒ 太 山に はあ られ 降ら し外 山な る正 木の かつ ら色 つき にけ り︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 二三 三番
︒神 楽歌
︑庭 火︑ 二七 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 杜 も│ 森も
﹂﹁ 庭火 たく
│庭 火焼 く﹂
︒﹃ 梁 塵愚 案抄
﹄ナ シ︒
も り
﹇ 訳﹈
杜の 神楽
ま さき
人 里近 くの 山に ある 真拆 はど うな って いる だろ うか
︒冬 にな って 枯れ た森 もあ らわ に︵ 見え るほ ど︶ 庭火 を焚 く炎 だ なあ
︒ 梁 塵愚 案抄
︑神 楽︑ 庭火
︒
ま さき
か ず ら
奥 深い 山で は霰 が降 って いる にち がい ない
︒人 里に 近い 山に ある 真拆 の葛 は紅 葉し たな あ︒
か が り び
ま さ き
て い か かず ら
もり
﹇ 考察
﹈﹁ 庭火
﹂は 神楽 を演 奏す る とき に 焚 く 篝 火︒
﹁真 拆
﹂は 定 家 葛 の古 称 で︑ 神 事 に用 い る︒
﹁ 杜﹂ は神 霊 の 寄り つ く樹 木が 茂っ た神 社な どの 霊域
︒
﹇ 参考
﹈﹁ みや まに は﹂ の和 歌は
﹃古 今和 歌集
﹄﹃ 和 歌体 十種
﹄﹃ 和歌 九品
﹄に も収 めら れた 名歌
︒
︵金 子将 大︶
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 92 ―
320そ の駒 も声 神さ ひて すめ るよ にま たふ みな らす 杜の 下草 同
︑其 駒︒ その 駒そ や我 にわ れく さか ふ草 はと りか はん 轡と り草 はと りか はん
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑一 七六 六番
︒神 楽歌
︑其 駒︑ 九〇 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 梁塵 愚案 抄﹄
﹁く さか ふ│ くさ こふ
﹂︒
﹇ 訳﹈
︵ 杜の 神楽
︶
もり
神 楽歌 の﹁ 其駒
﹂を 歌う 声も その 駒の 鳴き 声も 神々 しく 澄ん でい て︑ 澄ん だ夜 にま た︵ 楽人 と駒 が︶ 踏み 鳴ら す杜 の 下草 だな あ︒
そ の こ ま
く つわ
同
︵梁 塵愚 案抄
︑神 楽
︶︑ 其 駒︒ そ の駒 が よ︑ や︑ 私 に私 は 草 を与 え る︒ 草 を 取っ て 与 えよ う
︒轡 を 与え
︑草 を 取っ て与 えよ う︒
よば い う た
﹇ 考察
﹈﹁ 其 駒﹂ は 婚 歌 を神 送 り の 歌に 転 用 した も の で︑ 愛馬 を ね ぎ らう 様 を 歌う
︒当 歌 は 初句 の
﹁そ の 駒﹂ に 神楽 歌 の名 と馬 を掛 け︑ 第三 句の
﹁す める
﹂は 楽人 と馬 の澄 んだ 声と 澄ん だ夜 を意 味す る︒ 本文 異同 で﹁ 草飼 ふ﹂ は草 を 与え る︑
﹁ 草乞 ふ﹂ は草 を求 める
︑と 意味 が異 なる
︒
﹇ 参考
﹈雪 玉集 は歌 肩に
﹁永 正六 十二 御月 次﹂ とあ り︑ 永正 六年
︵一 五〇 九︶ 十二 月の 月次 歌︒
︵金 子将 大︶ 閑居 埋火 321い まは 身の 心も さむ き灰 と成 て世 の春 しら ぬ埋 火の もと 荘 子︒ 形ハ
固ニ
可レ
使レ
如二
槁︱
木一
︑ 心ハ
固ニ
可レ
使レ
如二
死︱
灰一
乎︒
― 93 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
杜 詩︒ 心死
シ テ
著二
寒︱
灰ヲ 一
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 六二 一番
︒荘 子︑ 斉物 論第 二︑ 一五 二頁
︒杜 詩集 註︑ 巻一 六︑ 喜達 行在 所三 首︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 荘 子﹄
﹃杜 詩集 註﹄ ナシ
︒
う ず み び
﹇ 訳﹈
閑居 の埋 火 今 は我 が身 の心 も冷 たい 灰と なっ て︑ 世間 の春 を知 らな い埋 火の もと にあ る︵ よう だ︶ なあ
︒ 荘 子︒ 外形 は枯 木の よう にで き︑ 心は 冷え た灰 のよ うに でき るも のな のだ ろう か︒ 杜 甫の 詩︒ 心は 死ん で︑ 冷た い灰 を抱 いて いる かの よう だっ た︒
﹇ 考察
﹈﹁ 埋火
﹂は 炉や 火鉢 など の灰 にう ずめ た炭 火︒
﹃ 荘子
﹄は 人知 によ って 作ら れる 事象 を次 々に 批判 する 一篇 で︑
われ
われ
う し な
あ ん ざ い し ょ
当 該箇 所は
﹁吾
︑我 を喪 へり
﹂の 状態 であ る人 を 形 容 する
︒﹃ 杜 詩﹄ は 杜甫 が 長 安を 脱 出 し て行 在 所 にた ど り 着く ま での 気持 ちを 詠ん だ詩 の一 節︒ 当歌 はこ れら を踏 まえ
︑世 間か ら忘 れ去 られ た人 の心 が冷 たい 灰と なっ た様 を詠 む
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 杜詩 集註
﹄の 本文 異同 には 明暦 二年
︵一 六五 六︶ 刊﹃ 杜詩 集註
﹄︵
﹃ 和刻 本漢 詩集 成﹄ 4所 収︶ を使 用︒
︵金 子将 大︶ 五節 322か ら玉 を袂 にま きし 乙女 子か すか た隔 ぬ雲 のう へか も
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 三〇 六番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
五節
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 94 ―
美 しい 玉を 袂に まい た乙 女子 の姿 は︑ 雲で 隔た れる こと のな い宮 中︵ で見 られ るの
︶だ なあ
︒
﹇ 考察
﹈当 歌は 結句
﹁雲 の上
﹂に 内裏 の意 味を 掛け 323︑ 番 歌 の典 拠
︵天 武 天皇 の 前 に現 れ た 神 女が 雲 の 上で 五 節 を舞
だい じ ょ う え
し ん じ ょう え
っ た︶ を踏 まえ
︑宮 中で 舞う 五節 の舞 姫を 詠む
︒五 節は 奈良 時代 以後
︑大 嘗 会 およ び毎 年陰 暦十 一月 の新 嘗 会に 行 なわ れた
︑五 節の 舞を 中心 とす る行 事︒
︵北 井達 也︶ 323乙 女子 か立 まふ けふ のた めし にも うつ すよ しの ゝ山 あゐ の袖
河 海抄 引テ
二
本 朝月 令ヲ 一
曰
︑五 節ノ
舞ハ
者
︑浄 御 原 天皇 之 所レ
製 也
︒相 伝 曰︑ 天皇 御二
吉 野ノ
宮ニ 一
︑ 日︱
暮弾
レ
琴 有レ
興
︒俄︱
尓ノ
之間 前︱
岫ノ
之下
︑雲︱
気 忽ニ
︱
起ル
︒疑
ラ ク ハ
如二
高︱
唐 神女
一
︒髣 髴 応レ
曲 而舞
︒独
リ
入二
天︱
矚一
他︱
人無
レ
見︒ 挙ル コト レ
袖ヲ
五︱
変
︑故
ニ ヲ ト メ ト モ ヲ ト メ サ ヒ ス モ カ ラ タ マ ヲ タ モ ト ニ マ キ テ ヲ ト メ サ ヒ ス モ
謂二
之ヲ
五︱
節ト 一
︒ 其ノ
歌ニ
曰
︑乎 度綿 度茂 邕度 綿左 備須 茂可 良多 万乎 多茂 度迩 麻岐 底乎 度綿 左備 須茂
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 三五 八番
︒河 海抄
︑巻 九︑ 乙通 女の 巻︒
ヲ ト メ サ ヒ ス モ
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 河海 抄﹄
﹁天 皇之 所製 也│ 天皇 之所 制也
﹂﹁ 他 人無 見│ 他人 不見
﹂﹁ 邕度 綿左 備須 茂│
ヲ ト メ サ ヒ ス モ
邕 度綿 左備 須毛
﹂︒
﹇ 訳﹈
︵ 五節
︶
︵五 節で
︶乙 女子 が立 って 舞う 今日 の儀 礼に も 模 倣さ れ て いる
︑吉 野 の 山間 で 山 藍 の袖
︵を 五 回︑ 神 女が 翻 し たこ と
︶だ なあ
︒
き よ み は ら
河 海抄 に引 用さ れた 本朝 月令 によ ると
︑五 節の 舞は 浄御 原天 皇︵ 天武 天皇
︶の 作で ある
︒相 伝に よる と︑ 天皇 が 吉 野 宮 に行 幸 し て︑ 日が 暮 れ 琴を 奏 で て 楽し ん で いた
︒少 し す ると
︑前 の 山 頂 の 下 に
︑雲 気 が 突 然 起 こ っ
― 95 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
た
︒︵ 天 皇は
︶高 唐の 神女 のよ うだ と怪 しん だ︒
︵神 女は
︶あ りあ りと 見え て︑ 曲に 合わ せて 舞う
︒︵ 天 皇だ け︶ 独 り天 を見 て︑ 他人 には 見え なか っ た︒
︵ 神 女は
︶袖 を 挙 げて 五 回 翻し た た め︑ こ れを 五 節 と言 う
︒そ の 歌に よ ると
︑乙 女た ちは 乙女 らし くふ るま うな あ︒ 美し い玉 を袂 にま いて 乙女 らし くふ るま うな あ︒
げ つれ い
﹇ 考察 322﹈ 323・ 番歌 は﹃ 本朝 月令
﹄に 記さ れた 五節 の 起 源 の内 容 を 踏ま え る︒ 323番 歌 は︑ 吉 野 の山 で 舞 った 神 女 が袖 を 五 回 ひ らめ か し たこ と が︑ 今 日の 五 節 の 舞に も 模 倣さ れ て い る と 詠 む︒
﹁高 唐 神 女﹂ と は﹃ 文 選﹄
︵巻 十 九
︑情 賦
︶の 宋玉 の﹁ 高唐 賦﹂
﹁ 神女 賦﹂ に登 場す る巫 山の 神女 を意 味す る︒
﹁高 唐賦
﹂に 関し ては 269番 歌︑ 参照
︒当 歌の
﹁よ しの ゝ山 あゐ の袖
﹂は
﹁吉 野の 山﹂ と﹁ 山藍 の袖
﹂を 掛け る︒
﹁山 藍﹂ は草 の名 で︑ 葉の 汁を 薄藍 色の 染料 に用 い る︒
を と め
か ら たま
た もと
﹇ 参考
﹈﹁ 娘子 らが 娘 子さ びす と 韓玉 を 手元 に巻 かし
﹂︵ 万 葉集
︑巻 五︑ 八〇 四番
︑山 上憶 良の 長歌
︶︒
︵北 井達 也︶ 仏名 会 324た ふさ より 花も ひら くる 春や 今三 世の 仏の ひか り成 らん 朗 詠集
︑仏 名︑ 菅丞 相︒ 香ノ
自二
禅︱
心一
無レ
用レ
火
︒花
ハ
開二
合︱
掌一
不レ
因レ
春ニ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑一 七六 八番
︒和 漢朗 詠集
︑巻 上︑ 冬︑ 仏名
︑三 九四 番︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 和 漢朗 詠集 註﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
仏名 会
︵合 掌す ると
︶手 元か ら︵ 心の
︶花 も開 く春 こそ
︑今 や三 世の 仏の 光明 であ るだ ろう
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 96 ―
和 漢朗 詠集
︑仏 名︑ 菅原 道真
︒座 禅で 精神 を統 一し た心 であ れば
︑火 を用 いて 香を たく 必要 はな い︒ また
︑心 か ら合 掌し て仏 に祈 れば 心の 花が 開き
︑春 を待 って 花を 供え るま でも ない
︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
︑菅 原道 真が 仏名 会の 時に 詠ん だ漢 詩を 踏 ま え︑ まだ 冬 だ が仏 名 会 で合 掌 す る と心 の 花 が開 き 春 が訪
み よ
れ
︑仏 の光 に満 ちあ ふれ ると 詠む
︒当 歌の 第四 句﹁ 三世
﹂は 前世
・現 世・ 来世 を指 す︒
ぶ つみ や う ゑ
﹇ 参考
﹈歌 題の
﹁仏 名﹂ とは 仏 名 会 のこ と︒ 陰暦 十二 月十 九日 より 三日 間︑ 禁中 およ び諸 寺院 で仏 名経 を誦 し︑ 三世
し ょ う じょ う
十 方の 諸仏 の名 号を 唱え て罪 障を 懺悔 する 法会
︒﹁ 菅 丞相
﹂の 丞 相は 天子 を助 けて 政治 を行 なう 最高 の官
︒
︵北 井達 也︶ 325む さし のゝ 草も 仏の みな から にと なふ る三 世の 外の たね かは 仏 名経 曰︑ 普ク
礼二
一︱
切十︱
方 三︱
世 諸仏
ヲ
︑三︱
塗ノ
苦︱
息 国︱
豊ナ リ
云云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 三一 二番
︒三 千仏 名経
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 三千 仏名 経﹄
﹁三 塗苦 息│ 願三 塗休 息﹂
︒
﹇ 訳﹈
︵ 仏名 会︶ 武 蔵野 の草 であ って も仏 の御 名を 唱え れば
︑生 きた まま 仏に なる 善根 は︑ 三世 の外 にあ るだ ろう か︒ いや
︑そ のよ う なこ とは ない
︒
さん ず
仏 名経 によ ると
︑広 く一 切十 方の 三世 諸仏 を礼 拝す れば
︑三 途の 苦し みも とだ え︑ 国も 豊か にな る云 々︒
﹇ 考察
﹈当 歌は 三世
︵前 世・ 現世
・来 世︶ にお いて
︑仏 名を 唱え れば 仏身 にな れる と詠 む︒ 結句 の﹁ 種﹂ は﹁ 仏の 種﹂ で
︑成 仏 する た め の 善根
・功 徳 を 種に た と えた も の
︒﹁ 草﹂
﹁ 実﹂
﹁種
﹂が 縁 語︒ 第 二・ 三句 に
﹁仏 の 御名
﹂と
﹁身
― 97 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
な がら
﹂︵ 人 の身 のま ま︑ とい う意
︶を 掛け る︒ また
︑上 の句 の﹁ 武蔵 野の 草も
﹂と
﹁み なが ら﹂ は︑
﹁紫 のひ とも と ゆゑ に武 蔵野 の草 もみ なが らあ はれ とぞ 見る
﹂︵ 古 今和 歌集
︑巻 十七
︑雑
︑八 六七 番︑ 詠み 人知 らず
︶に よる
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 三千 仏名 経﹄ は出 典の 一節 を含 む過 去荘 厳劫 千仏 名経 のほ か︑ 現在 賢劫 千仏 名経 と未 来星 宿劫 千仏 名経 より
わ れ い ま
構 成さ れる
︒﹃ 三 宝絵
﹄下
﹁十 二 月 仏 名﹂
︵新 日 本 古典 文 学 大系 儬︑ 二 二三 頁
︶に 仏 名 経の 抄 訳 とし て
︑﹁ 我 今諸
ね が は く さ む づ
や め
仏 ヲヲ ガミ タテ マツ ル︑ 願ハ 三途 ノヤ ミヲ 息︑ 国ユ タカ ニ﹂ とあ る︒
﹁ 三途
﹂は 地獄
・餓 鬼・ 畜生 の三 悪道
︒
︵小 森一 輝︶ 早梅 326雪 のう ちに ひと りも 春を 白波 の名 に立 梅の 花の 色か な 後 漢書
︒霊 帝紀 註曰
︑黄 巾郭︱ 泰 等起
二
於西 河ノ
白︱
波︱
谷一
謂二
之ヲ
白︱ 波ノ
賊ト 一
云云
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 九三 五番
︒後 漢書
︑第 九︑ 献帝 紀︑ 中平 六年 十月
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 後漢 書﹄
﹁謂 之│ 時謂 之﹂
︒
﹇ 訳﹈
早梅 雪 の中 でま だ誰 ひと りも 春を 知ら ない のに
︑白 波が 立つ よう に︑ 名を 揚げ る梅 の花 の色 だな あ︒ 後 漢書 の霊 帝紀 の注 によ ると
︑黄 巾賊 の郭 泰ら が西 河の 白波 谷で 蜂起 し︑ これ を白 波賊 と言 った 云々
︒
﹇ 考察
﹈当 歌は 第三 句の
﹁白 波﹂ に﹁ 知ら な﹂ を掛 け︑ また
﹁立 つ﹂ に﹁ 白波
﹂が
﹁立 つ﹂ と﹁ 名に 立つ
﹂︵ 評判 にな る
︶を 重ね る︒
﹇ 参考
﹈﹃ 後 漢 書
﹄の
﹁白 波 賊
﹂か ら
﹁白 波
﹂は 盗 賊 の 異 称 に な る︒ な お﹁ 霊 帝 紀 註 曰﹂ と あ る が︑
﹃ 後 漢 書﹄ 第 八︑
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 98 ―
霊 帝紀
︵長 澤規 矩也
﹃和 刻 本正 史 後 漢 書﹄ 古 典研 究 会 一 九九 一 年︶ に は︑
﹁黄 巾ノ
余︱
賊 郭 大等 起テ 二
於西 河ノ
白波 谷ニ 一
寇ス 二
太原 河東
ニ 一
﹂︵ 中平 五年 二月
︶︑
﹁ 南単 于叛 与二
白 波賊
一
寇レ
東﹂
︵同 年九 月︶ とあ り本 文が 一致 しな いの で︑ 出典 は 献帝 紀と した
︒
︵小 森一 輝︶ 年内 早梅
柏
327と しさ むき 松を はい はし 霜雪 に先 あら はる ゝ梅 の一 花 朗 詠集 句︑ 見于 秋部
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 二三 六番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹁雪 に│ 雪の
﹂︒
﹇ 訳﹈
年内 の早 梅 寒 い冬 に︵ 緑を 保つ
︶松 につ いて は︵ その 美徳 が説 かれ てい るか ら︶ もう 言う まで もな い︒ 霜や 雪の 中か ら真 っ先 に 咲く 梅の 一輪
︵は 格別 だな あ︶
︒ 和 漢朗 詠集 の句 で︑ 秋の 部に 見え る︒
︵ 166番 歌︑ 参照
︒︶
﹇ 参考
﹈当 歌 の 初 句﹁ とし さ む き﹂ は︑
﹁子 曰
︑歳 寒 然後 知二
松 柏之 後一 レ
凋 也﹂
︵﹃ 論 語
﹄子 罕
︶に よ る
︒寒 い 冬 に 他 の 植 物は しお れて も︑ 松や 児手 柏は 緑の 色を 保つ とい う意 味︒
︵小 森一 輝︶ 冬歌 中 328年 くる ゝな やら ふ外 へ弓 矢と て手 もふ れぬ 世に かへ る時 かも
― 99 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 二二 七番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹁な やら ふ外 へ│ なや らふ 外は
﹂︒
﹇ 訳﹈
冬歌 の中
お に やら い
年 の暮 れに 鬼 遣を する 以外 には
︑弓 矢に 手も 触れ ない
︵平 和な
︶世 の中 に戻 った 時世 であ るな あ︒
な や
つい な
﹇ 考察
﹈第 二句
﹁儺 遣ら ふ﹂ の﹁ 儺﹂ は鬼
︑﹁ 遣ら ふ﹂ は追 い払 うと いう 意味
︒疫 鬼を 追い 払う 中国 の追 儺の 行事 が日 本 に伝 わり
︑宮 中で は大 晦日 の夜
︑鬼 に扮 した 舎人 を殿 上人 らが 桃の 杖と 桃の 弓︑ 芦の 矢で 追い かけ て逃 走さ せる と いう 儀式 にな った
︒江 戸時 代の 初め には 廃絶 した が︑ 各地 の社 寺や 民間 には 節分 の行 事と して 今も 伝わ り︑ 豆ま き をす る︒ 追儺 につ いて は︑ 329番 歌の 出典 を参 照︒
︵松 本匡 由︶ 追儺
碧
329お しま すや こよ ひな やら ふ芦 の矢 のあ しか らす して くる ゝ一 年 追 儺︒ 江次 第曰
︑陰 陽寮 以二
桃 杖弓 芦矢
一ヲ
進二
上卿 以下
一
云 云︒ 張 衡︑ 東京
ノ
賦曰
︑卒
︱リ ノ
歳ニ
大︱ニ
儺駆
│ 二
除 群︱
癘一ヲ
云 云︒ 桃︱
ノ
弧 棘ノ
矢所
レ
発無
レ
䠏
︒
﹇ 出典
﹈該 当歌 なし
︒江 家次 第︑ 巻一 一︑ 一二 月︑ 追儺
︒文 選︑ 賦篇 上︑ 一七 三頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 江 家次 第﹄ ナシ
︒﹃ 文選
﹄﹁ 驅 除│ 䔺除
﹂︒
﹇ 訳﹈
追儺
あ
惜 しく は思 わな いな あ︒ 今夜
︑追 儺を する ため に芦 の矢 を放 つが
︑芦 の矢 の﹁ 悪し
﹂で はな いが
︑悪 いこ とは なく 暮 れて いく 一年 を︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 100 ―
追 儺︒ 江家 次第 によ ると
︑陰 陽寮 は桃 の杖
︑弓
︑芦 の矢 を用 意し て︑ 上卿 以下 の人 々に さし あげ る云 々︒
お に や ら い
い ばら
張 衡 の東 京 賦 によ る と︑ 年 の 暮れ に
︑盛 大 に鬼 遣の 儀 が 催さ れ
︑諸 々 の悪 鬼 を た たき 出 す 云々
︒桃 の 弓 に棘 の 矢を つが え︑ とこ ろ定 めず 矢を 飛ば す︒
﹇ 考察 328﹈ 番歌 と同 じく
︑﹃ 江家 次第
﹄と 張衡
﹃東 京賦
﹄に ある 追儺 の内 容を 踏ま え︑ 宮中 の年 暮の 様子 を詠 む︒ 当歌
ま と
は 追儺 に用 いる 芦の 矢の
﹁芦
﹂が
﹁悪 し﹂ を導 く︒
﹃ 東京 賦﹄ の本 文で
﹁䠏
﹂は 弓の 的を 意味 する
︒﹃ 江家 次第
﹄の
なか つ か さ し ょう
﹁陰 陽 寮﹂ と は大 宝
・養 老 令制 下 の 官司
︑中 務 省 の 被管 で
︑天 文・ 気 象の 観 測 や︑ 暦 の作 成
︑時 刻 の測 定 な ど を 職 掌と する
︒
﹇ 参考
﹈出 典の
﹁江 次第
﹂こ と﹃ 江家 次 第﹄ は 平安 後 期 の有 職 故 実書
︒天 永 二 年︵ 一 一一 一
︶頃 の 成立
︒関 白 藤 原師 通 の依 頼に より 大江 匡房 が︑ 恒例
︑臨 時の 儀式 や行 事に つい て詳 述し たも の︒ 承応 二年
︵一 六五 三︶ 跋の 版本 を使 用
︒ 張衡 は後 漢の 文人
︑科 学者
︒安 帝に 招か れ太 史令 とな り︑ 一種 の天 球儀 であ る﹁ 渾天 儀﹂ や地 震計 のよ うな
﹁侯 風 地動 儀﹂ など を製 作︒ また 賦文 も巧 みで
﹁二 京賦
﹂︵ 洛 陽を 描い た﹁ 東京 賦﹂ と長 安を 描い た﹁ 西京 賦﹂
︶や
﹁帰 田 賦﹂ があ る︒
︵松 本匡 由︶ 河歳 暮 330立 田川 もみ ちも 花も なか れて はよ るの にし きと くる ゝ年 かな 漢 書︒ 朱買 臣伝 云︑ 上拝
二
買︱
臣ヲ
会 稽ノ
太守
ニ 一
︒上 謂二
買臣
一
曰︑
﹁富︱ 貴ニ シテ
不ル レハ
帰二
故 郷ニ 一
如二
衣テ レ
繡ヲ
夜︱
行一
︒今
︑子
― 101 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
如︱
何
﹂︒ 買︱
臣頓
︱
首シ テ
謝ス
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑一 七七 六番
︒漢 書︑ 巻六 四︑ 朱買 臣︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 漢書
﹄﹁ 如何
│何 如﹂
﹁ 謝│ 辞謝
﹂︒
﹇ 訳﹈
河の 歳暮 立 田 川 に︵ 錦 のよ う に 美し い
︶紅 葉 や花 が 流 れ ても
︑夜 は 見 えず 甲 斐 がな い よ う に︑ はか な く 暮 れ る 年 で あ る な あ 漢 ︒ 書の 朱買 臣伝 によ ると
︑主 上は 朱買 臣 を 会 稽郡 の 太 守に 任 命 した
︒主 上 が 買 臣に 言 う には
︑﹁ 財 を なし
︑高 位 につ いて 故郷 へ帰 らな いの は︑ 錦の 衣 を 着 て夜 道 を 行く の と 同じ だ
︒今
︑あ な た はど の よ うに 思 う か﹂
︒朱 買 臣は 頭を 地に すり つけ て拝 礼し
︑お 礼の 言葉 を述 べた
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 漢書
﹄列 伝の 朱買 臣伝 は︑ 朱買 臣が 東越 討伐 のた め会 稽郡 の太 守に 任命 され た場 面︒ 錦の 衣を 着て 夜道 を歩 い ても 誰に も気 づい ても らえ ない こと から 転じ て
︑﹁ 夜 の 錦﹂ は立 身 出 世や 成 功 を収 め て も 人に 知 っ ても ら え ない こ との 例え
︒ま た無 意味 なこ と︑ 甲斐 のな いこ との 比喩
︒例
﹁見 る人 もな くて 散り ぬる 奥山 の紅 葉は 夜の 錦な りけ り
﹂︵ 古 今和 歌集
︑巻 五︑ 秋下
︑二 九七 番︑ 紀貫 之︶
︒当 歌に 詠ま れた 竜田 川は 紅葉 の名 所︒ なお
﹃史 記﹄ 項羽 伝に は
﹁富 貴不 帰故 郷︑ 如衣 錦夜 行﹂ とあ り︑ これ は楚 の項 羽が 秦の 都︑ 咸陽 を攻 略し た際
︑臣 下の 韓生 がそ こに 遷都 す るこ とを 勧め たが
︑項 羽は 帰郷 の心 が強 く︑ それ を否 定し たこ とか ら出 た言 葉︒
﹇ 参考
﹈異 同の 確認 には 明暦
︵一 六五 五〜 一六 五七 年︶ 刊本
︵﹃ 和国 本正 史 漢書 二
﹄汲 古書 院︑ 一九 七二 年︶ を使 用
︒雪 玉集 の歌 肩に は﹁ 永正 三十 二御 月次
﹂と あり
︑当 歌は 永正 三年
︵一 五〇 六︶ 十二 月の 月次 歌︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 102 ―
︵村 上泰 規︶ 家々 歳暮 331春 をま つ家 ゐは さそ な数 なら ぬ垣 ねの うち も年 そく れぬ る 初 子の 巻の 詞︑ まへ に見 えた り︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 八〇 九番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
家々 の歳 暮 春 を待 つ家
︵の 人︶ はさ ぞか し︵ 年が 暮れ 春が 来る の を 待 って い る だろ う
︶︒ 物 の数 に も 入 らな い 低 い身 分 の 者の
︵住 む家 の︶ 垣根 の中 にも
︑年 は暮 れる のだ なあ
︒ 初 音の 巻の 言葉 は︑ 前に 見え てい る︒
︵ 儗番 歌︑ 参照
︶
﹇ 考察
﹈当 歌は 儗番 歌と 同様
︑光 源氏 の造 営し た六 条院 が 初 めて 新 年 を迎 え
︑そ の 庭の 景 色 を 描写 し た 場面 を 踏 まえ る
︒初 音の 巻頭 には
︑﹁ 年 たち かへ る朝 の空 のけ しき
︑な ごり なく 曇ら ぬう らら けさ には
︑数 なら ぬ垣 根の 内だ に︑ 雪 間の 草若 やか に色 づき はじ め﹂ とあ るが
︑当 歌は 歳暮 の歌 に詠 み替 えた
︒
︵村 上泰 規︶ 舟中 除夜 332か めの うへ の山 をあ ひみ る舟 なら は老 せし 物を 年は くる とも 白 氏文 集︒ 不ン レハ
見二
蓬︱
莱ヲ 一
不二
敢テ
︱
帰一
︑ 童︱
男 丱︱
女舟 中ニ
老タ リ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 六二 二番
︒白 氏文 集︑ 巻三
︑新 楽府
︑海 漫漫
︒
― 103 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 白 氏文 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
舟中 の除 夜 巨 大な 亀の 背に ある とい う蓬 莱山 を共 に見 る舟 なら ば︑
︵ 不老 不死 にな れて
︶年 が暮 れて も老 いる こと はな いの に︒ 白 氏文 集︒ 蓬莱 を見 なけ れば 決し て帰 るわ けに はい かず
︑童 男童 女た ちは 舟の 中で 老い てい く︒
﹇ 考察
﹈当 歌の
﹁亀 の上 の山
﹂は 蓬莱 山を 指す
︒﹃ 列子
﹄湯 問篇 によ ると
︑渤 海の 遥か 東に 底な しの 谷が あり
︑そ の中 に ある 五つ の山 のう ちの 一つ が蓬 莱山
︒そ こに は玉 の木 が群 生し て︑ その 果実 は美 味で
︑食 すと 不老 不死 にな ると い う︒ 五つ の山 はも とも と繋 がっ てお らず
︑常 に波 に漂 って いた ので
︑天 帝が 十五 匹の 大き な亀 の頭 上に 五山 を載 せ
︑入 れ替 わり 三交 代さ せる こと とし
︑六 万年 で一 回り する よう にさ せた
︒
﹃ 白氏 文集
﹄は
﹃史 記﹄ 始皇 帝本 紀第 六の 記事 を踏 まえ る︒ 秦の 始皇 帝二 十八 年に 斉人 の徐 福が
︑﹁ 海中 に仙 人の 住 む 神 山 があ る
﹂と 始 皇帝 に 上 書し た の で︑ 数 千人 の 童 男童 女 と 共に 出 発 さ せ︑ 仙 人 を 求 め さ せ た︒
﹃ 白 氏 文 集﹄ は 始皇 帝の 派遣 した 童男 童女 が蓬 莱を 求め
︑舟 の中 で老 いて いく 様子 を詠 み︑ 根拠 のな い仙 人を 求め るこ とを 戒め
か ん じ ょ
る
︒﹁ 丱 女﹂ とは
︑揚 巻に 結っ た童 女の こと
︒﹃ 注好 撰﹄ 下巻 の﹁ 巨鼇 負蓬 莱︑ 第二 十九
﹂に も童 男丱 女の 記事 を載 せ る︒ 当歌 はこ れら の故 事を 踏ま え︑ 蓬莱 山を 目指 す舟 の中 で除 夜を 迎え ると いう 設定
︒蓬 莱山 を見 つけ られ れば
︑不 老 不死 の仙 人に なり 年老 いる こと はな いが
︑そ れが でき ない ため に舟 の中 で除 夜を 迎え て年 を取 る様 子を 詠む
︒
﹇ 参考
﹈﹁ 亀の 上の 山も たづ ねじ 舟の うち に 老 い せぬ 名 を ばこ こ に 残さ む
﹂︵ 源 氏 物語
︑胡 蝶 の 巻︑ 一六 七 頁︒ 船 楽の 場 面︶
︒ ﹃三
玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 104 ―
︵村 上泰 規︶ 雑
旅 635な にこ とも よく 成ぬ との こと つて を故 郷人 にき くか うれ しき い せ物 語︒
﹁ 何事 もみ な︑ よく なり にけ り﹂ とな ん︑ いひ やり ける 云々
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 一四 五番
︒伊 勢物 語︑ 一一 六段
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ う れし き│ うれ しさ
﹂︒
﹃ 伊勢 物語
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
旅
﹁何 事も みな 良く なっ た﹂ とい う伝 言を
︑郷 里の 人か ら聞 くの はう れし いな あ︒ 伊 勢物 語︒
﹁ 何事 もみ な良 くな った
﹂と 言い 送っ た云 々︒
﹇ 考察
﹈﹃ 伊勢 物語
﹄は
︑旅 に出 た男 が京 にい る人 に送 った 手紙 の一 節︒ それ を踏 まえ て当 歌で は︑ 旅の 途中 で出 会っ た 同郷 の人 から 伝言 を聞 いた 時の 嬉し さを 詠む
︒
︵ 島田 薫︶ 海路 636浪 かせ は哀 もか けし 大し まの うら みを たれ にう たふ 舟人 玉 かつ らの 巻云
︑舟 子と もの あら
! "
しき 声に て︑
﹁ うら かな しく も遠 く来 にけ るか な﹂ とう たふ を聞 まゝ に︑
― 105 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
ふ たり さし むか ひて なき けり
︒舟 人も たれ をこ ふと かお ほし まの 浦か なし けに 声の きこ ゆる
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑八
〇八 七番
︒源 氏物 語︑ 玉鬘 巻︑ 九〇 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 浪
│波
﹂︒
﹃ 承応
﹄﹃ 湖月 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
海路 波 風は あわ れみ の情 もか けて くれ ない だろ う︒ 多く の恨 みを 誰に 寄せ て歌 うの だろ うか
︑大 島の 浦の 船人 は︒ 玉 鬘の 巻に よる と︑ 船子 たち が荒 々し い 声 で︑
﹁ うら 悲 し くも 遠 く 来に け る か な﹂ と歌 う の を聞 く と︑ 娘 二人 は 顔を 見合 わせ て泣 いた
︒船 人も 誰を 恋し がっ てい るの であ ろう か︑ 大島 の浦 を過 ぎつ つう ら悲 しそ うに 歌う 声 が聞 こえ るな あ︒
﹇ 考察
﹈﹃ 源氏 物語
﹄は
︑玉 鬘の 乳母 の娘 たち が筑 紫へ 下向 する 船旅 の中 で船 子た ちの 歌を 聞き
︑京 への 思い や旅 の心 細 さを 和歌 に詠 む場 面︒ 当歌 は﹁ 大島
﹂に
﹁多 し﹂
︑﹁ 恨 み﹂ に﹁ 浦﹂ を掛 ける
︒
﹇ 参考
﹈﹁ 浪風 はあ はれ もか けじ おほ 島の うら みを たれ にこ たふ 舟人
﹂︵ 雪 玉集
︑五 八八 三番
︶︒
︵ 島田 薫︶ 夕旅 637夕 こり の岩 かね さむ しわ か馬 のく ろか み山 は木 々の 下露 詩 経︒ 陟二
彼ノ
高︱ 岡ニ 一
我カ
︱
馬玄︱ 黄
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 七四 一番
︒詩 経︵ 上︶
︑国 風︑ 巻耳
︑二 二頁
︒﹇ 異 同﹈
﹃新 編国 歌大 観﹄
﹃ 詩経
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
夕旅
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 106 ―
夕 方に 凝り 固ま った 霜や 雪が つい てい る大 きな 岩で 寝る のは 寒い
︒私 の馬 の黒 いた てが みは
︑黒 髪山 の木 々か らし た たり 落ち る露
︵で 黄葉 する よう に黄 色く なっ たな あ︶
︒ 詩 経︒ あの 高い 尾根 に登 れば
︑私 の黒 馬は 疲れ 弱っ て毛 色が 黄色 みを 帯び てし まう
︒
た て がみ
﹇ 考察
﹈﹃ 詩経
﹄は 出 征の 過 酷 さ を歌 っ た 箇所
︒当 歌 は﹁ 岩 が根
﹂︵ 大 き な 岩︶ に﹁ 寝﹂
︑﹁ 黒 髪 山﹂ に馬 の 黒 髪︵ 鬣の
ふ た ら や ま
意
︶を 掛け る︒
﹁ 黒髪 山﹂ は二 荒 山︵ 栃 木県 日 光 山︶ や佐 保 山︵ 奈 良市
︶な ど 諸 説 ある
︒和 歌 の 世界 で は︑ 露 や時 雨 が葉 を黄 色や 赤に 染め ると 詠む
し ︒
た ば
﹇ 参考
﹈﹁ 白露 も時 雨も いた くも る山 は下 葉残 らず 色づ きに けり
﹂︵ 古 今和 歌集
︑巻 五︑ 秋下
︑二 六〇 番︑ 紀貫 之︶
︒
︵ 島田 薫︶ 薙草 通三 径 638誰 を今 松の 緑も 白き くも あれ にし まゝ の道 をは らは ん
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 一三 七番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
な
﹇ 訳﹈
草を 薙ぎ
︑三 つの 道を 通る 誰 を今
︑待 って いる のだ ろう か︒ 松の 緑と 白菊 があ った 所も 荒れ 果て たま まだ が︑ 三つ の道 の草 を払 いの け︵ て会 い に出 かけ
︶よ う︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
﹁松
﹂に
﹁待 つ﹂ を掛 け︑ 光源 氏を 待ち 続け た末 摘花 の荒 屋を
︑こ れか ら訪 れる 源氏 の立 場で 詠む
︒
︵ 松田 望︶ 639里 はあ れぬ いつ れか 三の 道そ とも わか ぬ蓬 をは らひ かね つゝ
― 107 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
蒙 求︒ 三輔 決録 曰︑ 䋥カ
舎︱
中 竹︱
下ニ
開二
三︱
逕ヲ 一
︒ 帰 去来 辞︒ 三︱
径就
テ レ
荒ニ
松︱
菊猶
ヲ
存セ リ
︒ 蓬 生巻
︒い つれ か︑ 此さ ひし き宿 にも
︑か なら す分 たる あと あな る三 の道 とた とる 云々
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 六一 二番
︒蒙 求︑ 蔣䋥 三逕
︑三 八八 頁︒ 文選
︑帰 去来
︑四 五四 頁︒ 源氏 物語
︑蓬 生巻
︑三 三八 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 文 選﹄
﹃承 応﹄
﹃ 湖月 抄﹄ ナシ
︒﹃ 蒙求
﹄﹁ 舎 中│ 舍中
﹂︒
﹇ 訳﹈
︵ 草を 薙ぎ
︑三 つの 道を 通る
︶ 我 が家 の庭 は荒 れて しま った
︒ど れが 三つ の道 かと も分 から ない ほど 茂っ てい る蓬 を払 い退 ける のに 苦労 して いる よ 蒙 ︒ 求︒ 三輔 決録 によ ると
︑䋥 は屋 敷内 の竹 林の もと に三 本の 小道 を開 いた
︒ 帰 去来 辞︒ 三つ の小 道へ 向か うと
︑あ たり は荒 れ果 てて いる が松 や菊 はま だ残 って いる
︒ 蓬 生の 巻︒ どれ だろ うか
︑こ のよ うな わび しい 邸に も︑ 必ず 踏み 分け た跡 があ るは ずの 三つ の道 は︑ と探 し当 て て行 く云 々︒
﹇ 考察
﹈﹃ 蒙求
﹄は 蔣䋥 が︑ 竹林 の中 に三 つの 道を 造っ た話
︒松
・菊
・竹 を植 えた こと から
﹁三 径﹂ は隠 者の 庭園 の小 道 を指 すよ うに なっ た︒
﹁ 帰去 来辞
﹂は 陶淵 明が 役人 生活 から 逃れ
︑帰 郷し た家 の庭 の松 や菊 を見 て喜 ぶも の︒
﹃源 氏 物語
﹄は 須磨 から 帰京 して も通 って こな くな った 光源 氏を
︑生 活に 余裕 がな くな り草 が生 い茂 る家 で待 ち続 けた 末 摘花 を描 く︒ 当歌 は︑ 長ら く訪 れな かっ た家 の荒 れ果 てた 庭に 生い 茂る 蓬を 詠む
︒蓬 は和 歌で は︑ 荒廃 した 邸宅 に 生え るも のと され る︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 108 ―
︵ 松田 望︶ 故郷 640ふ るさ とゝ いふ へく もあ らす むつ まし き名 も藤 原の 花の 都は 日 本紀
︒持 統天 皇紀 曰︑ 八年 十二 月庚 戌朔 乙卯
︑遷
二
居藤 原ノ
宮ニ 一
︒ 戊午 百︱
官拝︱
朝︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 三四 九番
︑六 五六 六番
︒日 本書 紀︑ 巻第 三〇
︑持 統天 皇︑ 五四 八頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 日 本書 紀﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
昔の 都 旧 都と は呼 べな いな あ︒ 名前 から して 藤原 氏に なじ みが ある 藤の 花の 都︑ 藤原 京は
︒ 日 本紀 の持 統天 皇紀 によ る と︑ 八 年 十二 月 の 庚戌 朔 の 乙卯
︵六 日
︶に
︑藤 原 宮 に遷 居 な され た
︒戊 午︵ 九 日︶ に
︑百 官が 天皇 を拝 した
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 日本 書紀
﹄は 持統 天皇 八年
︵六 九 四 年︶
︑ 藤原 宮 へ の遷 都 を 記す
︒当 歌 は﹁ 藤 原﹂ に 藤原 氏 と その 象 徴 であ る 植物 の藤 を掛 け︑ 藤原 宮へ の親 しみ を詠 む︒
︵金 子将 大︶ 商山 641見 し人 は春 の都 に出 はて ゝ月 ひと りす む秋 の山 かけ 四 皓事 実︑ 註于 山家 路︒ 大 明一 統志
︑三 十二
︑西︱ 安︱ 府
︒商 洛山
ハ
在二
商︱
縣ノ
東南 九十 里一
︒ 亦名
二
楚︱ 山ト 一
︒ 即秦
ノ
時︑ 四︱
皓隠
︱ル
処 云云
︒
― 109 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑八 一二 五番
︒大 明一 統志
︑三 二巻
︑西 安府
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 大明 一統 志﹄
﹁商 縣│ 商州
﹂︒
﹇ 訳﹈
商山 顔 見知 りの 人は みな 春の 都に 出て 行っ てし まい
︑月 だけ が澄 みき って 住ん でい る秋 の山 陰だ なあ
︒ 四 皓の 事柄 は︑
﹁ 山家 路﹂ に注 した 587︵ 番歌
︑参 照︶
︒ 大 明一 統志
︑第 三十 二巻
︑西 安府
︒商 洛山 は商 縣の 東南 九十 里に ある
︒ま た楚 山と も呼 ぶ︒ すな わち 秦の 時代 に 四皓 が隠 れた 場所 であ る云 々︒
﹇ 考察
﹈当 歌 は
︑世 を 逃れ て 商 山に 隠 れ た四 皓
︵四 人 の 老 人︶ が 乞 わ れ て 都 に 出 た あ と︑ 月 だ け が
﹁す む
﹂︵
﹁ 澄 む﹂ と
﹁住 む﹂ を掛 ける
︶状 況を 詠む
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 大明 一統 志﹄ は中 国︑ 明代 に国 家事 業と して 編集 され た地 理書
︒そ の本 文異 同に は正 徳三 年︵ 一七 一三
︶版
﹃和 刻本 大 明一 統志
﹄を 使用
︒
︵金 子将 大︶ 書 642む すひ ても 縄は 其世 にく ちぬ へし なか きた めし や水 くき の道 史 記︒ 太皥 庖犧 氏︑ 風姓
︒代
二
燧︱
人︱
氏ニ 一
︑継
レ
天 而王 云云
︒造
二
書︱
契ヲ 一
︑以
テ
代フ 二
結︱
縄ノ
之政
ニ 一
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 五八 五番
︒史 記︑ 三皇 本紀
︑一 七頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃史 記﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
書 ﹃三
玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 冬 部
︵ 下
︶・ 雑 部
︵ 三
︶
― 110 ―