銀 行 経 営 の コ ー ポ レ ー ト ・ガ バ ナ ン ス 史 的 考 察(皿1‑1)
長 島 常 光
は じ め に
これ まで銀 行 経 営 の コー ポ レー ト ・ガバ ナ ンス ー 史 的考 察1〜Hに お い て は,各 時 代 の歴 史 的 諸 事 実 を踏 ま えて 銀 行 経 営 の ガバ ンス の 変 遷 と発 展 を考 察 して きた 。 す な わ ち,1868(明 治元)年 か ら始 ま る明 治期 の 銀 行 創 設 期 か ら銀 行 勃 興 期,1912(大 正 元)年 か らの銀 行 の 飛 躍 的発 展 期 と銀 行 の 危 機 (整 理 合 同 ・消 滅)ま で の約60年 間 の 史 的事 実 を銀 行 経 営 の コ ー ポ レー ト ・ ガバ ナ ンス の 視 点 に立 って,あ るい は そ こに焦 点 を当 て て考 察 して きた。 そ
して,明 治期 の 銀 行 経 営 の ガバ ナ ンス は,銀 行 や近 代 企 業 そ の ものが 創 設 期 の た め,政 ・官 の 指 導 と協 力 の 下,銀 行 か ら企 業 ・一 般 社 会 へ と相 互 に依 存 ・利 用 ・補 完 の 関係 で進 捗 して きた。当 時,銀 行 の大 株 主 は経 営 者 で あ り, い わ ば所 有 と経 営 が 一 致 ま た は未 分 離 の組 織 形 態 で,コ ー ポ レー ト ・ガバ ナ
ンス(企 業 統 治 と訳 す)が 行 わ れ た こ とが 認 め られ た。 筆 者 は史 的考 察1に お い て,明 治 期 に は形 は異 な る もの の既 に現 代 の企 業 統 治 と類 似 せ る もの が 存 在 して い た と指 摘 した 。
1912(大 正 元)年 か らの15年 間 は ご く短 い期 間 で は あ っ た が,第 一次 大 戦 の勃 発 ・終 戦,そ の影 響 下 で の バ ブ ル 的好 景気 と大 反 動 ・金 融 恐 慌 ・関 東 大 震 災 な どが 襲 い,金 融 界 は紆 余 曲折 を経 て,金 融市 場 の発 達 と と もに飛 躍 的
..
な発 展 を遂 げ た。 この 時代 の銀 行 経 営 が い わ ゆ る企 業 統 治 の 観 点 か らみ た場 合 に,そ の類 似 性 が指 摘 され る と ころ で あ る。 筆 者 は銀 行 の 整理 合 同 に係 る 金 融 政 策 の 類 似 性 を指 摘 した。 また,当 時 の代 表 的 な財 閥銀 行 の 経 営 者 の考 え方 に,す な わ ち,銀 行 の社 会 公 共 性 へ の 配慮 ・一 般 株 主 ・社 会 一般 大 衆 と の提 携 協 力 ・欧 州 銀 行 の組 織 や 環 境 変 化 へ の対 応 ・銀 行 経 営 の 堅 実化 と業 務 基 盤 の拡 充 な どの 銀 行 を取 巻 く利 害 関係 者 へ の 配慮 ・枠 組 み を決 定 す る とい う経 営 哲 学 の 中 に,現 代 の コ ー ポ レー ト ・ガバ ナ ンス の 基 本 理 念 を見 出 す の で あ る。
本論 文 で は,次 の 歴 史 的大 事 件 が銀 行 経 営 の ガバ ナ ンス に どん な影 響 を与 え た の か を考 察 して い く。 す な わ ち,1923(大 正12)年 の 関東 大 震 災 の 後, そ の 後 片付 け の た め の 震 災 手 形 の処 理 が 不 十 分 な ま ま1926(昭 和 元)年 を迎 えて,銀 行 は な か なか 消 え な い震 災 手 形 処 理 に腐 心 して い た。 これ ら を背 景 に1927(昭 和2)年 片 岡直 温 大 蔵 大 臣 の 東 京 渡 辺 銀 行 の破 綻 失 言 を端 緒 と し て金 融 恐 慌 の 幕 が 明 け,多 くの銀 行 が 休 業 に追 い込 まれ た 。 次 に1930(昭 和
5)年 の 金 解 禁 発 表 後 恐 慌 が 起 き,そ の 翌 年,英 国 の金 本 位 制 停 止 の報 も加 わ り株 価 は 大 暴 落 し,ド ル 買殺 到 に よ り円 相 場 は急 落,国 民 は恐 慌の 流 れ に
1)
翻 弄 され た。
当時 の大 蔵 大 臣高 橋 是 清 は,こ の 金 融 恐 慌 を短 期 間で 収 束 させ た 。しか し, 公 債 の市 中 消化 が 困難 に な る と,1935(昭 和10)年 に,公 債 漸 減 方 針 を声 明 して軍 部 と衝 突,つ い に翌1936(昭 和11)年 の2・26事 件 で舞 台 か ら無 理 や
2)
り降 ろ さ れ た 。 こ れ ら を 契 機 に,わ が 国 は 戦 争 と イ ン フ レ ー シ ョ ンへ 突 入 し た 。 一一方,銀 行 は 戦 時 下 の 強 権 発 動 に よ り強 制 的 に 合 同 を余 儀 な く さ れ た 。
3)
そ の後,1945(昭 和20)年 頃 ま で に 「一 県 一 行 主 義 」 が確 立 した。 当 時 の銀 行 は,議 論 抜 きで 大 蔵 省 方 針 に従 い,や む な く合 併 した経 緯 にあ る。 戦 争 に 勝 つ た め金 融 統 制 は強 化 され,銀 行 経 営 か ら 自主 性 は皆 無 と な り,男 子 行 員
4)
が 召 集 ・徴 用 で 減 少 し,女 子 行 員 の 占め る割 合 が 一層 高 まっ た。
国民 の多 大 の代 償 は敗 戦 とな り,銀 行 経 営 は 戦 時 補 償 の打 ち切 り と と も に
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危 機 に陥 っ た。1948(昭 和23)年3月 末 の 金 融 機 関 再 建 整 備 の最 終 処理 完 了 を も って,銀 行 界 は新 発 足 した 。 そ の後,GHQは 新 法 律 の制 定 に よる金 融 機 構 の全 面 的改 編 を勧 告 し,戦 後 の金 融 制 度 が 漸 次 整 備 され,臨 時 金利 調 整 法 と為 替 管 理 に よ り1950(昭 和25)〜55(昭 和30)年 間 に,戦 後 の 金 融 体 制
5)
が 確 立 した。
1955(昭 和30)年 代 の ほ ぼ10年 間 は 「金 融 の 正 常化 」時代,1965(昭 和40) 年 代 は 「金 融 効 率 化 」 時代 と と もに 「高 度 成 長期 」 を迎 え た。1971(昭 和46) 年 の 米 国大 統 領 ニ ク ソ ンの 「ドル ・金 の 交 換 停 止 」 声 明 以 来,戦 後 の 固定 為 替 相 場 制 は 円 が16.88%切 上 げ られ,新 固 定 相 場 制(ス ミソニ ア ン体 制)へ
と移 行 した。
引 き続 き米 国 ・英 国 の 国際 収 支 の悪 化 が 顕 著 とな り,1973(昭 和48)年 の 第 一 次 石 油 危 機 よ り,わ が 国経 済 は高 度 成 長 時 代 か ら低 成 長 時代 へ と移 行 し てい っ た。
本 論 文 で は,昭 和 の 資 本 主 義 成 熟 期 を戦 前 ・戦 中 ・戦 後 に区 分 して,銀 行 経 営 の コ ーポ レー ト ・ガバ ナ ンス が どの よ うな形 で,わ が 国 の 資 本 主 義 成 熟 期 に 関 わ り,役 割 を演 じた の か,銀 行 の 政 ・官 との 関 わ り合 い,そ して財 閥 の 発 展 とそ の 影 響 力 との 関係 ・視 点 か ら銀 行 経 営 の ガバ ナ ンス を考 察 して, 現 代 の企 業 統 治 へ の教 訓 を探 りた い。昭和 の 時代 は,1926(大 正15二 昭和 元) 年 〜1989(昭 和64=平 成 元)年 の63年 間の 長 さで あ るが,昭 和 の 諸 史 的事 実 は明 治 ・大 正 を過程 と考 え れ ば そ の帰 結 で あ る とい う視 点 に立 っ て考 察 した い。 昭和 に発 生 した史 的事 実 は枚 挙 に暇 が な い 。 そ れ らを詳細 に考 察 す る の は別 の機 会 に譲 り,本 論 文 で は考 察 の 範 囲 と論 点 を絞 り込 ん で結 論 を導 き出 した い。 した が っ て,論 文 の構 成 を戦 前 ・戦 中 ・戦 後sそ して高 度 成 長 期 ま で とい う次 の 三 部 構 成 と して 考 察 す るが,下 記 のHと 皿 は本 稿 で は論 じきれ な い の で,後 日改 め て述 べ る。
1戦 前 期(昭 和 恐 慌 〜準 戦 時体 制 前 まで)
II戦 中期(開 戦 直 前 〜 開 戦 〜 戦 中期 〜終 戦 まで)
銀行経営のコーポレー ト・ガバナンス史的考察(皿 一1)449
皿 戦 後 期(終 戦 後 〜高 度 成 長 期 まで)
第1章 昭和金融恐慌 と銀行界
問題 の 所 在
わ が 国 は,1914(大 正3)年 の 第 一次 大 戦 勃 発 に よ る諸外 国 へ の軍 需 物 資 関係 の輸 出 ・そ の他 国 内 産 業 の 勃 興 もあ って,未 曾 有 の好 景 気 とな った 。 そ の後,終 戦 とな り極 短 期 の 不 景 気 と な っ た もの の,欧 米 の復 興 需 要 ・国 内 の 産 業 ・消 費 の 拡 大 に よ って,戦 後 の好 況 が 本 格 化 した。 諸物 価 ・土 地 の値 上 げ,株 価 ・横 浜 生 糸 先 物 価 格 ・商 品 の高 騰 も加 わ り,投 機 熱 は過 剰 に な っ た。
この投 機 の 背 景 に は,わ が 国 銀 行 の放 漫融 資 が あ っ た。 しか し,1920(大 正 9)年 に入 り株 価 の大 暴 落 が あ り,反 動 恐 慌 が 起 きて,放 漫 な銀 行 経 営 も総 数169本 支 店 で 取 付 にあ い,21行 が 休 業 した。 こ う した景 気 の状 況 下,1923
(大 正12)年 に関 東 大 震 災 が襲 い,そ の後 片付 け も不 十 分 な ま ま1926(昭 和 元)年 を迎 えて,わ が 国銀 行 界 は な か な か 消 え な い震 災 手 形 の 最 終 処 理 に腐 心 して い た 。1927(昭 和2)年3月14日 衆 議 院 予 算 委 員 会 で の片 岡直 温 蔵 相 の 東 京 渡 辺 銀 行 の 破 綻 失 言 を き っ か け に銀 行 の 取 付 が全 国 的 に拡 大 し,36
(表3)の 中小 銀 行 を休 業 に追 い 込 み,新 興 の 大 商 社 鈴 木 商 店 の取 引 停 止, そ の 主 力 行 台 湾 銀 行 の休 業 を招 くな ど昭和 金 融 恐慌 の幕 が 開 け られ た。 次 い で 金 解 禁 の恐 慌 が 起 きて,国 民 は大 恐 慌 の流 れ に翻 弄 され た 。 これ らの恐 慌 は震 災 手 形 処 理 を直 接 的 な原 因 とす る もの で,当 時 の 内 閣 が 若槻 礼 次 郎 首 相 か ら田 中義 一首 相 へ代 わ った 後,大 蔵 大 臣 高橋 是清 は この金 融恐 慌 を3週 間 にお よぶ 支 払 猶 予令(私 法 上 の 金 銭 債 務 の支 払 延期 お よび手 形 等 の権 利 保 存 行 為 の期 間延 長 に関 す る件=返 済猶 予=moratorium:以 下,モ ラ トリア ム とい う)の 実 施 に よっ て短 期 間 で 収 束 させ た 。 この 時 期 の大 方 の 銀行 経 営 は 自主 性 は な く大 蔵 省 の 指 導 ・指 示 に よ る もの で あ っ た。 これ ら一 連 の 源 は, 上 述 の大 正 年 代 か らの 未 解 決 な 重 要持 ち越 し案 件 にあ る とい え る。す なわ ち,
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「第1は 銀 行 そ の 他,金 融 機 関 の 整 理 ま た は 制 度 の 改 善 に関 す る もの,第2 は震 災 救 済 施 設 の後 始 末,い わ ゆ る震 災 手 形 問題,第3に 通 貨 に関す る基 本
6)
的 政 策,金 解 禁 問 題 で あ る」。 本 章 で は上 記 の 銀 行 経 営 に係 る諸 問 題 を 日本
z)
金 融 史 に依 っ て 明 ら か に して い き た い 。
第1節 昭和 金 融 恐 慌 と銀 行 経 営 1震 災 手 形 処 理 策 と恐 慌 の 発 端 く 震 災 手 形 処 理 策>
1923(大 正12)年 の関 東 大 震 災 の発 生 後,政 府 は緊 急 勅 令 に よ りモ ラ トリ ア ム を1か 月 間実 施 した 。 そ の後,モ ラ トリ ア ム を廃 止 し,代 りに,「 震 災
に よ って資 産 上 異 常 な損 害 を被 っ た商 工 業 者 等 を債 務 者 とす る手 形 で,一 般 銀 行 の 割 引 した もの を 日本 銀 行 が 臨機 非 常 の手 段 と して,条 例 に よ らず,こ れ を割 引 す る」 た め,日 銀 手 形 割 引 損 失 補 償 令(日 本 銀 行 の手 形 割 引 に よる 損 失 の 補 償 に 関 す る財 政 上 必 要 処 分 の件=以 下,損 失 補 償 令 と略 す)を 公 布 ・施 行 した。 この 勅令 に よ り,日 本 銀 行(以 下,日 銀 と もい う)は 銀 行 が 所 持 す る震 災 地 関係 の手 形 を再 割 引 し,こ れ に よっ て発 生 す る損 失 につ い て
8)
は1億 円 を限 り政 府 が補 償 す る こ と と した。
この 損 失 補 償 令 に基 づ き,日 本 銀 行 が再 割 引 した震 災 手 形 は,1923(大 正 12)年9月28日 か ら勅 令 の 最 終 割 引期 限 の1924(大 正13)年3月 末 まで に, 96銀 行4億3000万 円 に な っ た。日本 銀 行 へ 震 災 手 形 の割 引 を依 頼 した銀 行 は, 台 湾 銀 行 や藤 本 ビル ブ ロ ー カ ー銀 行,朝 鮮 銀 行 が大 口 で,特 に台 湾 銀 行 は1 行 で1億1500万 円 で 割 引 総 額 の26.7%に の ぼ った(表1)。 また,震 災 手 形
の大 口債 務 者 は鈴 木 商 店 関 係,久 原 商 事 関係 が 圧 倒 的 に多 く,台 湾 銀 行 の 68.2%は 鈴 木 商 店 関係 で あ っ た。
震 災 手 形 の 回 収 は先 延 ば しに遅 れ,表1で わ か る よ うに,未 決 済 額 は1926
9)
(昭 和 元)年 末 で,2億700万 円 に な っ て い た。
そ こ で,1927(昭 和2)年1月,大 蔵 大 臣 片 岡 直 温 は 第52帝 国 議 会 に 「非
銀 行 経 営 の コ ー ポ レ ー ト ・ガ バ ナ ン ス 史 的 考 察(皿 一1)451
常 施 設 た る震 災 手 形 の 特 別 優 遇 制度 を更 に延 期 存 続 させ て は,却 て財 界 整 理 の 進捗 を妨 げ,そ の 堅 実 な る恢 復 を帰 す る所 以 で は ない 」 と し,震 災 手 形 の 整 理 を図 る た め,(1)「 震 災 手 形 善 後 処 理 法 案 」,(2)「 震 災 手 形 損 失 補 償 公 債 法 案」 を 同 時 に提 出 した。
表1震 災手形割 引依 頼銀行別未決済高(単 位1000円)
本 店 震災手形 未 決 済 高
銀行名 所在地 総 額 1924(大 正13)年11月 末 1925(大 正14)年11月 末 1926(昭 和元)年 末
総額(96行)(A) 430,816 275,677 233,359 206,800
内台湾(B) 台北 115,225 104,271 101,276 100,035
藤本 ビルブ ロ カー 大阪 37,214 3,898 2,834 2.18
朝 鮮 京城 35,987 32,298 25,233 21,606
安 田 東京 25,000 0 0 0
村 井 ク 20,429 16,590 X5,544 15,204
十 五 // 20,073 14,130 11,494 0
川 崎 〃 19,373 9,311 3,261 3,720
近 江 大阪 13,423 9,564 9,707 9.39
早 川 ビルブローカー 東京 12,624 6,900 0 0
豊 国 〃 10,724 6,634 5,018 3,380
柳田 ビルブローか 〃 9,920 x,910 0 0
第 二 神奈川 9,299 8,752 7,685 7,685
左右田 〃 8,017 6,349 5,726 5,430
大 百 東京 7,925 x,027 0 0
東京渡辺 〃 7.59 6,957 6,728 6,533
東 海 〃 7,375 2,882 922 730
合 計(16行) (c) 360,X27 231,468 195,428 175,823 B/A(%} 26.7 37.8 43.4 48.4
C/A(%} 83.6 84.0 83.7 85.0
(資 料 出 所)日 銀 編 「関 東 震 災 よ り昭 和2年 金 融 恐 慌 に 至 る わ が 財 界 」 日銀 調 査 局 編 『日 本 金 融 史 資 料 』 明 治 大 正 編 第22巻,880〜882頁 。 後 藤 新 一 『銀 行 』 日本 経 済 評 論 社,1988年,4頁 。
(注)① 震 災 手 形700万 円 以 上 の 銀 行 分 の み と り あ げ た 。
② 未 決 済 高 に は 日銀 割 引 残 高 の み な ら ず,当 初 い っ た ん 日銀 が 融 通 し,そ の 後 各 銀 行 手 持 分 も含 む 。
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10)
2二 法 案 の要 旨
(1)「 震 災 手 形 善 後 処 理 法 案 」 は,日 本 銀 行 自身 の損 失 に帰 す る と認 め られ る分 の ほか の もの,す な わ ち,回 収 不 能 と決 定 しない 手 形 は,日 銀 よ り手 形 割 引 を受 け て い る銀 行 に対 し,政 府 が 同 じ金 額 以 内 の5分 利 国債 を交 付 して, 10年 以 内 の貸 付 金(年5分 の利 率)を 行 うた だ し,そ の銀 行 は手 形 債 務 者 と 手 形 債 務 を更 改 し,最 終10力 年 の 年賦 償 還 貸 付 契 約 を締 結 す る。 そ して,貸 付 金 の 返 済 に つ れ て,こ れ を国債 整 理 基 金 に繰 入 れ,発 行 した 国 債 の償 還 に 充 て る。
(2)「 震 災 手 形 損 失 補 償 公 債 法 案 」 は,日 銀 の 割 引 した震 災 手 形 の 未 決 済 残 高2億600余 万 円 の う ち,回 収 不 能 に陥 って 日銀 の 損 失 に帰 す る と認 め うる 分 は,1923(大 正12)年9月27日 の 日銀 割 引残 高損 失 補 償 令 に基 づ く契 約 に 従 い,1億 円 を限 り政 府 が 日銀 に対 して損 失 補 償 金 と して 国債 を交 付 し決 済 す る。 簡 単 に い え ば,(1)震 災 手 形 の 債 務 者 で破 産 した もの は,日 銀 に対 す る政 府 の 損 失 補 償 で 形 をつ け,(2)そ うで な い もの はi政 府 と震 災 手 形 保 持 銀 行 との 間 に10年 以 内 の 国債 貸 借 が 実 施 され,そ れ らの銀 行 は手 形 債 務 者 の 震 災 手 形 を最 終10力 年 の年 賦 償 還 貸 付 に切 替 え,震 災 手 形 を一 掃 す る こ
と とな るが,同 時 に リス ク を負 担 す る こ とに な る。
しか しなが ら,表1で も明 らか な とお り台 湾 銀 行 は震 災 手 形 が::多 く, この 二 法 案 は 台 湾 銀 行 救 済 の た め の もの で は ない か との 強 い 疑 念 が もた れ, 台 湾 銀 行 と鈴 木 商 店 の 関 係 が 新 聞 の 暴 露 す る とこ ろ とな り,議 会 で も強 烈 な 糾 弾 演 説 が 行 わ れ た 。 そ の後,震 災 手 形 の 全 容 が 明 らか に さ れ る につ れ て, 1927(昭 和2)年3月 上 旬 頃 か ら震 災 手 形 を所 持 す る とみ られ る銀 行 に,預 金 の緩 慢 な取 付 が は じ まっ た。 特 に東 京 渡 辺 銀 行 は重役 の 関係 事 業 に対 す る 固 定 貸 付 の ため 金 繰 りに困 り,悪 評 が 喧伝 され,震 災 手 形 を多 額 に背 負 い 込 ん で い る こ と まで も漏 れ て 緩 慢 で あ っ たが,い ち早 く預 金 の取 付 を受 け,ま
さに風 前 の と も しび で あ っ た。
銀 行 経 営 の コ ー ポ レ ー ト ・ガ バ ナ ン ス 史 的 考 察(皿 一1)453
3恐 慌 の 発 端
1927(昭 和2)年3月14日 衆 議i院予 算 委 員 会 にお い て片 岡 蔵相 は,東 京 渡 辺 銀 行 が破 綻 した との失 言(東 京 渡 辺 銀 行 は 当 日手 形 交 換 尻 決 済 資 金 不 足 が あ っ たが,決 済 時 限 の 午 後3時 まで に は 資 金 を工 面 し決 済 を完 了 して い る 。 実 際 は破 綻 して い ない に もか か わ らず これ を破 綻 と した こ とか ら失 言 とい わ れ る所 以 で あ る 〉 を きっか け に,東 京 に本 店 を置 く東 京 渡 辺 銀 行 お よ び同 行 と親 子 の 関係 に あ った 「あ か じ」 貯 蓄 銀 行 が 共 に,臨 時 休 業 す る 旨 の発 表 が あ っ た 。 こ こに 昭和 金 融 恐 慌 が そ の 端 を発 した の で あ る。 上 述 の よ う に大 正
〜 昭和 にか け て経 済界 は不 安 定 の状 況 で 推 移 して きた。 金 融 市 場 ・銀 行 界 も 金 利 引 下 げ ム ー ドが 高 ま り,こ の市 場 金 利 に同 調 す る形 で 日本 銀 行 は公 定 歩 合 の引 下 げ を行 っ た(公 定 歩 合 引 下 げ の推 移:1926(昭 和 元)年10月2銭 → 1銭8厘 へ,翌 昭和2年3月 →1銭6厘 へ,さ らに 同年10月 一1銭5厘 へ 引 下 げ)。
第2節 恐 慌 激化 と銀 行 経 営
上 記 の 東 京 渡 辺 銀 行 お よび 「あ か じ」 貯 蓄銀 行 の休 業 は,結 果 的 に多 くの 二 ・三流 銀 行 を休 業 に追 い込 ん だ 。 す な わ ち 中井 銀 行 休 業,京 浜 地 方 の 諸 銀 行(中 沢 ・村 井 ・八 十 四 の在 京 本 店 銀 行 ・横 浜 の左 右 田 銀行 等9行,第 一 次 動 揺 の ピ ー ク)が 休 業 した.そ の 間 に上 記 二 法 案 は議 会 を通 過 成 立 した が.
銀 行 の休 業 は引 続 き多 く第 六 十 五 銀行 ・台 湾 の 特 殊 銀 行 で あ る台 湾 銀 行(台 湾 島 内 店舗 を除 き休 業=後 述)・ 近 江 銀 行(関 西 地 方 で 小 銀 行 の休 業 続 出)・
華 族 銀 行 と して有 名 な十 五 銀 行 等 休 業(後 述)し,こ の恐 慌 の 発 端 か ら約1 か 月 内 で 臨 時 休 業 した 銀 行 は,全 国 を通 じて28行 とな り,ピ ー ク時 に は36行
11)
(表3)に も達 した 。 市 中銀 行 も政 府 の 要 望 もあ り2日 間 自主 的 に臨 時休 業 と した他,日 本 銀 行 も市 中銀 行 の 一 斉 休 業 に伴 い 一 部 支 店 を除 き2日 間 臨 時 休 業 した 。 多 くの銀 行 が 休 業 を行 っ た ほ か に,全 国 的 に多 数 の 銀 行 が 取付 に 会 った こ とは,経 済界 全 般 に重 大 な影 響 を及 ぼ した とい え る。 この ため に株
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式 市 場 で は大 暴 落 とな った 。 この よ うに銀 行 経 営 受 難 の お り,さ ら に大 蔵 省 は,次 の よ うに本 来 自主 的 な銀 行 経 営 に対 して 直接 干 渉 を して きた 。 す な わ ち地 方 長 官 に対 し,① 銀 行 の 減 配 を勧 奨 す る こ と,② 銀 行 合 同 の促 進 を図 る こ とお よび合 同 の 際 の不 良 資 産 切 捨 て を励 行 す る こ と,の 二 つ の重 要 な通 達 を行 っ た。
同 通 達 が 出 て す ぐ後 に,第 百 銀 行 と川崎 銀 行 が 合併 し川 崎 第 百 銀 行 と改 称, 大 分 銀 行 と二 十 三銀 行 が 合 併 し大 分 合 同銀 行 と改 称(現 大 分 銀行)し た。 ま
12)
た,休 業 中 の諸 銀 行 の 業 務 を継 承 して 「昭和 銀 行 」 が 設 立 され た。
1台 湾 銀 行 の休 業
1927(昭 和2)年3月23日,議 会(貴 族 院)は 上 記 金 融 恐 慌 とは不 可 分 の 関係 に あ った震 災 手 形 処 理 に関 す る二 法 案 は付 帯 決議 付 で 承 認 され て 同 月30 日に公 布 され,そ れ ぞ れ5月 か ら施 行 され た。 多 くの銀 行 が 取 付 に見 舞 わ れ 休 業 を余 儀 な くされ た な か で,台 湾 銀 行 の 問題 は よ り深 刻 で あ っ た 。 す な わ ち,震 災 手形 の 所 持 銀 行 の うちで,こ の手 形 を もっ と も多 く所 持 して い た 銀 行 が 台 湾 銀 行 で あ っ た。 そ の 震 災 手 形 処 理 の過 程 で 世 間一 般 に知 られ る こ と
とな った の は,台 湾 銀 行 の 巨 大 な不 良債 権 とそ の 生 きづ ま りで あ った 。 そ の 主 な貸 出先(70百 万 円以 上)は 神 戸 の 鈴 木 商 店 で あ った 。 「鈴 木 商 店 は大 正 9年 の恐 慌 とその 後 の 関東 大 震 災 で 重 大 な損 害 を受 け,そ の た め 主 た る台 湾 銀 行 が苦 境 に陥 れ られ た 。鈴 木 商 店 は多 額 の 固 定 資 金 を台 湾 銀 行 か ら借 り入 れ て い た 。 短 期 資 金 繰 りで 困 る と短 期 単 名 手 形 に よ り一 般 銀 行 か ら調 達 し, そ れ が 困 難 に な る と台 湾銀 行 に頼 る。 台 湾銀 行 は市 中 よ りコー ル を取 り入 れ これ に融 通 す る とい う空 回 り式操 作 を続 け て い た。 コ ー ル の取 入 額 は一 時 は 3億3〜4千 万 円 も上 り,当 時 の 新 聞 か ら 「コ ー ルで 泳 ぐ」 な どと冷評 され た り した が,永 く続 か ず,同 行 も鈴 木 商 店 も共倒 れ の外 は な い」 とい う窮 状
13)
に 陥 っ て い た 。
こ の よ う に 台 湾 銀 行 の 信 用 は 地 に 落 ち て,同 行 へ の コ ー ル ロ ー ン は 三 井 銀 銀 行 経 営 の コ ーポ レー ト ・ガバ ナ ンス 史 的考 察(皿 一1)455
行 をは じめ 主 な市 中銀 行 が い っせ い に 回収 を諮 っ た の で,同 行 は全 く行 き詰 ま って,政 府 ま た は 日銀 の融 資 が な け れ ば,鈴 木 商 店 に対 す る貸 増 しを しな い 旨,同 店へ 通 告 を した。
鈴 木 商 店 は同 年4月4日,つ い に支 払 を停 止 し,翌 日新 規 取 引 を一 時 中止 した。 これ を受 け て 同商 店 が大 株 主 に な っ て い る神 戸 の 第 六 十 五 銀 行 が 取付 に会 い 臨 時休 業 とな っ た。 台 湾 銀 行 は 日銀 ・大 蔵 省 に特 別 資 金 救 助 を願 い 出 て,政 府 は 問題 を重 視 し,2億 円 を補 償 す る とい う台 湾 銀 行 救 済 緊急 勅 令 を 公 布 す べ く同勅 令 案 を枢 密 院 に提 出 した。 枢 密 院 は衆 議 院 や 野 党 ・新 聞 の 憲 法 違 反 の 声 にお され て この 提 案 を否 決 して しまっ た。
内 閣 は この た め 若槻 か ら田 中義 一・内 閣 へ 替 わ り,台 湾 銀 行 は4月18日 よ り 休 業 した 。 「こ の休 業 は正 し くは 東 京 お よび そ の 他 の 内 地 支 店 銀 行 とい うわ け で あ る。 したが って本 店 お よび 台湾 そ の 他 に あ る 同行 の 諸 店 は,い ず れ も
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営 業 を継 続 した」 とあ る。 この よ う な折 に,大 阪 にあ る近 江 銀 行 も休 業 を発 表 し,銀 行 の 取 付 は東 西 両 大 都 市 に拡 が り事 態 は重 大 化 して きた 。
2十 五 銀 行 の 休 業
上 述 の 台 湾 銀 行 を は じめ神 戸 の 第 六 十 五 銀 行,大 阪 の 近 江 銀 行 な どの 取 付 ・臨 時 休 業 の火 の 手 は さ ら に悪 化 し流 言 乱 れ 飛 び,「 東 京 の 五 大 銀 行 の1 つ に伍 し,宮 内 省(今 の宮 内 庁 の前 身)の 本 金庫 を預 か っ て い た十 五 銀 行 が
15)
臨 時 休 業 を発 表 した」。
これ らの休 業 の 報 を受 け て,一 般 預 金 者 は恐 怖 心 に駆 られ東 西 の 大 銀 行 を 除 く,銀 行 の 取付 ・臨時 休 業 騒 ぎは全 国 的 な拡 大 を見 せ,空 前 の 金 融 恐 慌 と な っ た 。
「十 五 銀 行 の不 良貸 付 の多 くは,松 方 一 派 経 営 に属 す る会 社 及 同類 の個 人 に偏 重 して 貸付 を行 い,利 慾 を其 私 門 に為 し,一 族 一 門 の家 を富 ま し自 ら貴 顕 とす る もの 。 … …
既 に会 社 及 び銀 行 は根 底 に於 い て破 綻 の怪 雲 そ の 上 を蔽 い て 暗 澹 た る危 機 456国 際経営論集No.252003
表21927(昭 和2)年 春の金融 恐慌に よる休業銀 行及び主要事項
3月14日
15日 19日
22日
23日 23日 24日 26日 30日
31日 4月8日
13日 15日 17日
18日 4月19日
20日 21日
22日
23日 25日
片 岡蔵 相,衆 議 院予 算委員 会 におい て東京 渡辺銀行 の破綻 発言(恐 慌 の発端)
東 京渡辺 銀行 ・あ かち貯蓄銀 行休業
中井銀行(東 京)休 業,こ の休 業 に よ り東京 市 中各銀行 に取付騒 ぎ発 生
東 京市 の村 井銀行,中 沢銀行,八 十 四銀 行,横 浜市 の左右 田銀行,久 喜銀 行(埼 玉),山 城銀 行(京 都)休 業… …第一次動 揺の ピーク 桑船銀 行(京 都),浅 沼 銀行(大 垣)休 業
震災 関係2法 案,議 会 を通過成 立 添 田銀 行(福 岡)休 業
台湾銀 行,鈴 木商店 に対 し新規融 資の打 ち切 りを通告
震災手 形損失 補償公債 法 ・震災手 形善後処 理法各公 布(各 々5月1日 施行)銀 行法公 布(3年1月1日 施 行)
東葛銀行(千 葉)休 業 第六十五 銀行(神 戸)休 業 鞍 手銀行(福 岡)休 業 栗 太銀行(滋 賀)休 業
枢密 院本 会議 で台湾銀行 救済 の緊急勅令 案否 決,若 槻 内閣総 辞職 (4.20田中義 一 内閣成立)
台湾 銀行,近 江銀行(大 阪)休 業
蒲生 銀行(滋 賀),芦 品銀行(広 島),泉 陽銀行(大 阪)休 業 広 島産業銀行(広 島),西 江原 銀行(岡 山),門 司銀行(福 岡)休 業 第十五 銀行,泰 昌銀行,武 田割 引銀 行(東 京),明 石商 工銀行(兵 庫 )休 業 全 国銀行s信 託等 の金融機 関,22,23日 両 日の一斉 臨時休 業 決定
週 間 の支 払猶予 緊急勅令(支 払 延期令=モ ラ トリアム)公 布施行 市 中銀行 の一斉 臨時休業 に伴 い 日本銀 行 も一部支店 を除 き2日 間臨時 休 業
鹿野 銀行(山 口)休 業
若狭銀 行(福 井),魚 住 銀行(兵 庫),河 泉銀行(大 阪)休 業 金融機 関営 業再 開,各 地 の状況平穏
(資 料 出 所)『 日本 金 融 史 資 料 』 明 治 大 正 編 第22巻,935〜936頁,日 本 銀 行 金 融 研 究 所
『増 補 ・改 訂 日本 金 融 年 表(明 治 元 年 〜 平 成4年)』1993年10月,134〜136 頁,後 藤 新 一 『銀 行 』 日 本 経 済 評 論 社,1988年,31頁 。
銀 行 経 営 の コ ー ポ レ ー ト ・ガ バ ナ ン ス 史 的 考 察(皿 一一1)457
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に迫 る を予 想 され得 ざ る に あ らず」 とい う怪 文 書 も出 回 っ た とされ て い る 。
17)
3日 本 銀 行 券 の発 券 高 ・貸 出状 況
この 恐 慌 時 の 日本 銀 行 券 の発 券 高 また は貸 出状 況 の 数 字 か ら当 時 の 状 況 を 見 て み よ う。
(1)日 本 銀 行 党 換 券発 行 高 状 況
恐 慌 前[1927(昭 和2)年3月 前 半]→11億 円発 行 で あ っ た もの が,恐 慌 後[1927(昭 和2)年3月 後 半 」→3億 円 増(1.27倍)の14億 円,4月 上 旬
→ 概 ね12億 円 台 を継 続 ,同4月25日 → 実 に14億59百 万 円 増(2.21倍)の26億 5900万 円超 と 日銀 開 業 以 来 の最 高 記 録 と な っ た。 この 日は全 国銀 行 の 臨 時 休 業 明 けで もあ っ た。
(2)日 本 銀 行 の東 京 市 中銀 行 に対 す る貸 出状 況
1927(昭 和2)年3月18日 貸 出残 高 →8億7千 万 円(+2億8千 万 円) 表3昭 和2年 金融恐慌 時の休 業銀行整理状 況(金 額単位=iOOO円)
休業他 銀行種類 銀行数 預金金額 預 金 口座数
休業銀行 普通銀行 貯蓄銀行
35 1
561,167 5,237
834,227 37,731
合 計 36 566,405 871,958
単独 開業 他行 に合 同 解散 ・破 産
和議 整理 中 破 産宣告
普通銀行 普通銀行 普通銀行 貯蓄銀行 普通銀行 普通銀行
15 8 3 1 1 1
303,320 199,838 46,863
564 1,048
304,581 366,630 139,299
3,699 1,583
合 計 29 551,634 515,792
未整理 普通銀行 7 14,770 56,166
(資料 出 所)「 東 洋 経 済 新 報 」 昭 和3年9月8日 号,37頁 。
(注)昭 和3年8月 末 当 時,大 蔵 省 銀 行 局 調 べ に よ る 。 高 橋 亀 吉 ・森 垣 淑 『昭 和 金 融 恐 慌 史 』 講i談社,1998年,204頁 。
458国 際 経 営 論 集No.252003
3月25日 貸 出 残 高 一2.3倍 の20億 円 余 と な っ た 。 (3)全 国 普 通 ・貯 蓄 銀 行 の 預 金 残 高
1927(昭 和2)年2月 末1,003,600万 円
3月 末993,100万 円(2月 比 一10,500万 円) 4月 末921,900万 円(2月 比 一81,700万 円)
表41927(昭 和2)年 春 の 金 融 恐 慌 時 の 日銀 見 換 銀 行券 発 行 高 ・一 般 貸 出金 残 高
党換銀行券 一 般 貸 出 金 備考
発行高 残 高 (金額 単 位:100万 円)
1927・3・14(B) 1,088 179
15 1>095 184 東京渡辺銀行休業
19 1,154 254
22 1,341 478
23 x,408 571
24 1,365 552
26 1,310 481
i・ 1,208 464
16 1,225 541
18 1,497 827 台湾銀行休業
19 1,626 962
20 1,679 1,023
21 2,318 1,625 十五銀行休業
22 2,327 1,632 モ ラ トリア ム公 布 施 行
23 2,333 1,638
25(A) 2,659 2,056 全 国銀行 の臨時休業明 け
26 2,448 1,893
5・13
1,723 1>296 モ ラ ト リ ア ム 明 け31 1,426 987
増 加 額(A‑B) 1,571 1,877
(資 料 出 所)『 日本 金 融 史 資 料 』 明 治 大 正 編 第22巻,935〜936頁 。 後 藤 新 一 『銀 行 』 日本 経 済 評 論 社,1988年,33頁 。 (注)① 一 般 貸 出 金 と は 政 府 貸 上 金,外 国 為 替 貸 付 金 を 除 く。
②4月17日,4月24日 は 日 曜 日 で あ る 。
③4月22日(金)〜23日(木 〉 は 全 国 銀 行 の 臨 時 休 業 日で あ る 。
銀 行 経 営 の コ ー ポ レ ー ト ・ガ バ ナ ン ス 史 的 考 察(皿 一1) 459
この 場 合 に全 国 を通 じて,ど の 位 の 預 金 が 引 出 され た の か を試 算 す る と, 恐 慌 前 の2月 末 に対 す る4月 末 計 数 で は,81,700万 円 の 減 少 に 当 た るわ け で, 実 際 に は,1銀 行 か ら引 出 され た現 金 の一 部 また は全 部 が他 の 銀 行,東 西 の 五 大 銀 行 や 郵 便 局 な どへ 預 け られ た もの も少 な くな か っ た とみ て よい で あ ろ う。 この 間 に全 国 を通 じて流 動 した現 金 総 額 は,略10億 円程 度 とみ な され て い る。
第3節 金 融 の救 済策 1恐 慌 の抜 本 的 救 済 策
1927(昭 和2)年5月,金 融 恐 慌 の抜 本 的 な救 済 策 と して次 の 二 法 律 が公
18)
布 施 行 され た。 これ に よ り金融 恐 慌 も よ うや く終 息 の 兆 しを見 せ 始 め た 。 (1>日 本 銀 行 特 別 融 通 及 損 失 補 償 法
く趣 旨抜 粋>
1.日 本 銀 行 は現 に預 金 の払 戻 停 止 中 で ない 銀 行 よ りそ の預 金(定 期 積 金 を 含 む)の 支 払 準 備 に充 て る た め 資 金 融 通 の 請 求 あ る場 合 にお い て,財 界 の 安 定 を 図 る た め必 要 あ り と認 め る と きは,こ れ に対 し手 形 割 引 の 方 法 に よ り, 大 蔵 大 臣 の定 め る特 別 融 通 を なす こ とが で き る。現 に預 金 払 戻 停 止 中 の銀 行 に対 して 将 来 営 業 の 見 込 み あ る もの につ い て は,前 項 の 規 定 を適 用 す る。
(以 上 法 文 第1条)
2.日 本 銀 行 が 前 条 の特 別 融 通 の た め に振 り出 した 手 形 割 引 が で きる期 間 は, 本 法 施 行 の 日 よ り1年 とす る 。
3.特 別 融 通 の 手 形 書 き換 えの ため に振 出 した手 形 の 割 引 に よる特 別 融 通 の 期 限 は,本 法 施 行 の 日 よ り10年 を超 え る こ とはで きな い 。
4.政 府 は本 法 に よる特 別 融 通 に よ って 日本 銀 行 が損 失 を受 け た と きは,同 行 に対 し5億 円 を限 り,そ の損 失 を補 償 す る こ とが で きる。
5.政 府 が 日本 銀 行 に支 払 うべ き損 失 補 償 金 は,5分 利 付 国庫 証 券 を も っ て これ を交 付 す る こ とが で きる。
460国 際経営論集No.252003
(2)台 湾 の金 融 機 関 に対 す る資 金 融 通 に関 す る法 律
1.政 府 は台 湾 統 治 の必 要 上,台 湾 にお け る金 融 機 関 を通 して,そ の機 能 を 発 揮 させ る た め又 は 海外 にお け る わが 国 の 信 用 を維持 す る た め に必 要 と認 め る と きは,日 本 銀 行 か ら台 湾 にお け る金 融 機 関 に対 して手 形 割 引 の 方 法 に よ
り2億 円 を限 り資 金 の 融 通 を行 う こ とが で きる。
2.日 本 銀 行 を して前 条 の融 通 の た め にす る手 形 割 引 が で きる期 間 は,本 法 施 行 の 日 よ り1年 とす る。
3.政 府 は 本 法 に よる融 通 に よ り日本 銀 行 が損 失 を受 け た る と きは,同 行 に 対 し2億 円 を限 り,そ の損 失 を補 償 す る契 約 をす る こ とが で きる。
この よ う な二 法律 の公 布 施 行 に よ り,「 台 湾 銀 行 は か ね て 休 業 中 の 内 地 支 店 を一 斉 に 開業 した 。 ま た,支 払 延 期 令 満 期 後 の5月13日 に は,東 京,大 阪 の 各 株 式 取 引 所 を は じめ,全 国 の 各 種 取 引 所 もい っせ い に立 会 を再 開 した 。 経 済 界 の 諸 取 引 もよ うや く常 態 に復 して,さ し もに全 国 を動 揺 させ た金 融 恐 慌 も,こ こで安 定 し,以 後,震 災 手 形 の 処 理 と と もに,引 続 い て 必 要 な施 設
19)
が 実 行 され た」 の で あ っ た。
20)
(3)特 別 融 通 の 実 行
上 記 の二 法 律 の 実 施 に つ い て は,特 別 融 通 法 の 規 定 に よ る特 別 融 通 審 査 会 の 議 決 を経 る こ とに な って い た,そ の審 査 は大 蔵 省 令 に よ る次 の 三 つ の審 査 規 定 が 定 め られ てい た。
1.日 本 銀 行 が 特 別 融 通 の ため に手 形 割 引 を行 う場 合 は,有 価 証 券,不 動 産 及 び法 律 の 規 定 に よ り設 定 した財 団 を担 保 とす る債 権 を見 返 りとす る こ とが
で きる。
特 別 の必 要 あ る場 合 にお い て は,日 本 銀 行 は大 蔵 大 臣 の 承 認 を受 け,前 項 に定 め る以外 の もの を見 返 りとな し手 形 割 引 をす る こ とが で きる。
2.日 本 銀 行 が 特 別 融 通 をす る場 合 にお け る割 引 歩合 は,国 債 担 保 の 貸付 利 率 に よ る。
3.日 本 銀 行 は特 別 融 通 を行 った銀 行 に対 し必 要 あ りと認 め る と きは,何 時 銀行経営のコーポレー ト・ガバナンス史的考察(皿 一1)461
に て もそ の 資 産,負 債 及 び営 業 の状 態 を調 査 す る こ とが で き る契 約 を締 結 す る こ と。
2台 湾 に対 す る資 金 融 通 と台 湾 銀 行 の整 理
上 記(2)の 法 律 の対 象 とな っ た金 融 機 関 は,「 台 湾 銀 行 の外 に,華 南 ・ 台 湾 商 工 の二 銀 行 で あ る が,融 通 資 金 限度 額 を2億 円 と算 定 した 内訳 は,台 湾 にお け る これ らの 金 融 機 関 の預 金 ・そ の他 の 債 務 を合 わ せ て1億3千3百 万 円,台 湾 銀 行 の免 換 券 発 行 額 の 最 高 限度6千2百 万 円 お よ び海 外 にお い て 受 け入 れ て い る預 金,そ の 他 の債 務 合 計5千3百 万 円,以 上 の総 計2億4千
8百 万 円 の うち,日 本 銀 行 か らの融 通 よ り外 は な い とい う金 額 を2億 円 と見
21)
積 もっ た」 とい う こ とで あ る。
この 内容 か らわ か る こ とは法 律 は台 湾 の 金 融 機 関 を対 象 と して い るが,実 際 は台 湾 銀 行 が 主 な対 象 とな っ て い る こ と,す な わ ち,台 湾 銀 行 救 済 の た め の 施 策 で あ る こ とが 明 らか で あ る。 実 際 の 融 通 額 は,台 湾 銀 行18,500万 円, 台 湾 商 工 銀 行350万 円,華 南 銀 行300万 円 の合 計19,150万 円 の外,こ れ ら融 通
に係 る 日本 銀 行 へ の利 子 お よび諸 手 数 料 を 「損 失 」 と して,翌1928(昭 和3)
表5日 銀 の 特 別 融 通 残 高(1928(昭 和3)年5月8日)
銀 行 特 別 融 資 残 高(単 位:1000円) 5億 円割引手形
台湾融資法 による割引手形
88行 3
687,930 191,500
合 計 91 879,430
(・資 料 出 所)大 島 清 『日本 恐 慌 史 論 』(下),291頁 。
後 藤 新 一 『銀 行 』 日 本 経 済 評 論 社,1988年,38頁 。
(注)①5億 円 割 引 手 形 と は 「日 本 銀 行 特 別 融 通 及 損 失 補 償 法 」 に 基 づ き,日 銀 が 一 般 銀 行 に 手 形 割 引 の 方 法 に よ る 特 別 融 通 で,こ の 特 融 に よ る損 失 は 政 府 が5億 円 を 限
り補 償 す る 。
② 台 湾 融 資 法 に よ る 割 引 手 形 と は 「台 湾 の 金 融 機 関 に 対 す る 資 金 融 通 に 関 す る 法 律 」 に 基 づ き,日 銀 が 台 湾 の 金 融 機 関 に 手 形 割 引 の 方 法 に よ る 特 融 を2億 円 を 限 度 と し てJ政 府 は2億 円 の 損 失 を 補 償 す る 。
462国 際 経 営 論 集No.252003
年 の6月 に全 額 を 日本 銀行 の損 失 と され,政 府 か ら5分 利 国債 の交 付 が な さ
22) れ た 。
第2章 銀行経営方針の変化 と預金の偏重
1.恐 慌 の発 端 か ら同年 年 末 まで に休 業 した 銀 行 の 総 数 は,「 台 湾 銀 行 の 支 店 を除 い て36行,同 年 末 まで に営 業 を再 開 した もの は12行,解 散 した もの
23)
は1行,整 理 案 の 確 立 した もの は8行,な お 休 業 中 の もの は15行 を数 え る」
とい うこ とで あ った 。
この 恐 慌 が 再 開 した銀 行 の う ち合 同整 理 また は他 の 銀 行 へ 合 併 され た もの も含 め,休 業 前 に比 較 して全 国 の 銀 行 数 を著 し く減 らせ る契 機 に な っ た こ と は 重 大 で あ った とい え る。 この恐 慌 が 契 機 と な って,銀 行 の経 営 方 針 を 自主 的 に変 更 し,銀 行 相 互 間 で合 併 し よ う とす る機 運 が 必 然 的 に高 ま っ て きた こ
と も上 げ られ る 。 この よ うな傾 向 か ら大 蔵 省 は1927(昭 和2)年6月3日 に 全 国 の各 地 方 長 官 宛 て,「 銀 行 の減 配 を懲 悪 す る通 達 を発 した の に続 き,同
24)
8月6日 に は重 ね て銀 行 の合 同 を促 進 す る よ う通 達 して い る」。
2.銀 行 と して は,こ の恐 慌 に よ っ て多 大 な教 訓 を受 け,各 行 は経 営 方 針 に関 し深 く自省 を して,改 善 を図 る とこ ろ も現 れ た 。特 に反 省 を促 した の は,
「銀 行 の経 営 が 主 と して 預 金 者 か らの信 頼 に依 存 して い る こ と,し た が っ て そ の 営 業 は あ くまで 社 会 公 共 性 に重 き をお か な けれ ば な ら ない こ と,預 金 者 の信 頼 に背 くよ う な不 始 末 の果 て は,場 合 に よ って は,国 民 経 済 の 崩 壊 をす ら誘 致 す る お そ れ な し も限 らな い こ と,殊 に預 金 者 心 理 の機 微 に か んが み,
25)
同業 者 相 互 間 に平 素 か ら連 絡 協 調 を い っ そ う密 にす る を要 す る」 と され た こ とで あ っ た。 この 銀 行 営 業 の社 会公 共 性 の重 大 さ につ い て は,現 在 も不 変 で あ る。
3.表7で 明 らか な とお り,金 融 恐 慌 に よ り休 業 銀 行 や 中小 銀 行 の 預 金 は 当然 なが ら大 銀 行 お よ び郵 便 貯 金,信 託 会 社 の金 銭信 託 へ 大 幅 に 移 動 した。
銀行経営のコーポレート・ガバナンス史的考察(皿 一1)463
この よ うな大 銀 行(特 に5大 銀 行)へ の預 金 集 中 は,昭 和 元 年 末 比24.3%
か ら2年 末31.2%,3年 末33.5%,4年 末 は 実 に34.5%と 著 し く上 昇 を示 し
表6全 国 普 通 銀 行 に 占 め る5大 銀 行 の 比 率(単 位:100万 円)
昭和元年末 昭和2年 末 昭和3年 末 昭和4年 末 預
金
全 国 普 通 銀 行(A) う ち5大 銀 行(B)
B/A(%)
9,179 2,233 24.3
9,028 2,818 31.2
9,331 3,130 33.5
9,292 3,210 34.5 貸
出
全 国 普 通 銀 行(A) う ち5大 銀 行(B) B/A(%)
8,635 1,788 20.7
7,974 1,940 24.3
7,545 1,935 25.6
7,246 2,013 27.8
有価 証券
全 国普通銀行(A) うち5大 銀行(B)
2,158 606
2,591 1,004
3,284 1,315
3,323 1,359
B/A(%} 28.0 38.7 40.0 40.9
(資料 出 所)後 藤 新 一 『日本 の 金 融 統 計 』(金 融 経 済 研 究 所 叢 書 別 冊),金 融 経 済 研 究 所, 1970年,86〜91頁 よ り筆 者 が 作 成 した もの 。
(注)5大 銀 行 と は 三 井,三 菱,安 田,住 友,第 一 を い う。
表7昭 和2年 の金 融 恐慌 に よ る預 貯 金 の 移 動(単 位=100万 円 〉
昭 和 昭 和 増 減 自然増加 恐1荒に よる
元年末 2年 末 (△) 仮 定 増減(△)
7大 銀行 2,769 3,435 666 160 506
昭和2年 中休 業
せ る銀行 の預金 822 592 0230 0230
その他銀行預 金 5,587 5,000 0587 240 0827 (中 小 銀 行)
小 計 9,178 9,027 X151 400 0551
郵便貯金 1,156 1,523 367 50 317
信託会社 の金銭信託 439 710 271 goo 171
小 計 1,595 2,233 638 150 488
(資 料 出 所)『 日本 金 融 資 料 』 明 治 大 正 編 第22巻,1058〜1059頁 よ り作 成 。 後 藤 新 一 『銀 行 』 日本 経 済 評 論 社,1988年,49頁 。
(注)7大 銀 行 と は 三 井,三 菱,安 田f住 友,第 一,三 十 四,山 口 で あ る 。 464国 際 経 営 論 集No.252003
た の で あ っ た(表6)。 した が っ て,金 融 恐 慌 を機 に,地 域 別 で も大 銀 行 本 店所 在 地 の東 京,次 い で 大 阪 の2大 都 市 へ の預 金 集 中 を意 味 す る もの で あ り, そ れ は また,五 大 銀 行 の金 融 界 にお け る勢 力 の 圧倒 的 優 位 性 を示 す 現 象 と も い え る。
第1節 銀 行 経 営 の破 綻 原 因
1927(昭 和2)年 春 の 金 融 恐 慌 は発 生 か らほ ぼ1か 月 以 内 に,わ が 国 銀行 の休 業 数 は36行(表3)と な っ た 。特 徴 的 な の は大 銀 行 の 台 湾 銀 行 や 華 族 銀 行 と して信 用 の あ る十 五 銀 行 まで が休 業 を余儀 な くされ た こ とで あ る。 そ れ は な るべ く して な った とい え る要 因 が重 な っ た と もい え る。 また 当時 の 一般 普 通 銀 行 に も共 通 の 経 営 上 の 問題 点 が あ っ た。 こ の 点 は銀 行 経 営 の コ ー ポ
レー ト ・ガバ ンス の 観 点 か ら も興 味 深 い と こ ろで あ る。
まず 当時 の銀 行 経 営 の環 境 で あ るが,1914(大 正3)年7月28日 の 第一 次 大 戦 の勃 発 か らそ して1918(大 正7)年 の 終戦,そ の影 響 下 で の 諸 物 価 急 騰 に よ るバ ブ ル 的 な好 景 気 の到 来,そ して1920(大 正9)年 の大 反動 ・大 正 金 融 恐 慌 が あ っ た。1923(大 正12>年 の 関 東 大 震 災 に よる被 害 とそ の 後 片 付 け の た め の 震 災 手 形 の処 理,そ して そ の処 理 が 不 十 分 な ま ま に,1926(昭 和 元) 年 を迎 え た。 銀 行 は なか なか 消 え ない 震 災 手 形 の処 理 に腐 心 して い た 。 丁 度 平 成 の現 在,大 部 分 の銀 行 が 不 良債 権 処 理 に傾 注 して い る こ と と類 似 して い る よ う にで あ る。 で は,な ぜ 銀 行 が 経 営 破 綻 した の で あ ろ うか 。 以 下 指 摘 し た い。
(1>第 一 次 大 戦 の 勃 発 か ら終 戦 まで の 間 に,銀 行 は各 種 産 業 に放 漫 な貸 出 を行 っ た こ と と,終 戦 に よ る財 界 の 大 反 動 の 影 響 を受 け て い る最 中 に,関 東 大 震 災 が 襲 い,貸 金 の 大 部 分 は 固 定 貸 金 とな り,銀 行 の運 転 資 金 も枯 渇 し, また 一般 経 済 の大 不 況 を もろ に受 け,銀 行 経 営 は 極 度 に苦 し くな っ てい っ た 状 況 にあ っ た こ と。
(2)当 時 の 銀 行 経 営 共 通 の 欠 陥 と して 見 られ る の は,貸 出 方 針 が 超 積 極 的 銀行経営のコーポレート・ガバナンス史的考察(皿 一1)465
で あ り,む しろ無 謀 に近 い ほ どの もの もみ られ た こ と と,当 時 の大 蔵省 は な ん らの指 導 も して い な い よ うに思 え る。 つ ま り銀 行 検 査 監 督 が 事 実 上 まっ た
く機 能 して い なか っ た の で は な いか と思 われ る こ と。
(3)貸 出先 が 著 し く偏 って お り,特 に第 一 次 大 戦 中 に新 規 に発 生 したベ ン チ ャー 的 基 盤 脆 弱 な企 業 に対 す る もの 及 び 関東 大 震 災 に も っ と も関 係 の深 い 東 京 方 面 に対 す る もの が 大 部 分 を 占め,か つ 当該 貸 出金 が お お む ね大 口 に偏 っ て い る こ と。 例 え ば,鈴 木 商 店 に対 す る 台 湾銀 行 の 関係 お よび宮 内庁 の 本 金 庫 で あ っ た十 五 銀 行 と松 方 系 会 社 の 関 係 な ど。
(4)重 役 関係 事 業 に対 す る貸 出 しは,巨 額 に す ぎか つ そ の 貸 出条 件 が 不 当 で あ っ た こ と。
(5)信 用 貸 は少 な くな く,有 担 保 の もの とい え ど も,そ の 担 保 品 は不 動 産 等 換 価 も し くは 処 分 の 困難 な もの が 多 く,ま た担 保 有 価 証 券 が債 務 者 た る法 人 の 株 式 また は 社 債 等 よ りな る ものが 比 較 的 多 か っ た こ と。
(6)1920(大 正9)年 の財 界 の 大 反 動 と1923(大 正12)年 の 関 東 大 震 災 に よる銀 行 預 金 は激 減 傾 向 を示 し,一 方,貸 出 は 固 定 化 した に もか か わ らず, 大 蔵 省 は徹 底 的 な整 理 の 断 行 を行 わ な か った た め に,銀 行 は無 理 な配 当率 維 持 を固執 した。 そ の 間 に,営 業 資 金 の 大 部 分 を 日本 銀 行 の借 入 金 に頼 っ てい
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た こ と 。
第2節 恐 慌 へ の本 質 的 批 判
1.恐 慌 の発 端 か ら これ に対 す る救 済 策 とそ の後 の 金 融 界 の状 況 を考 え合 わ せ る と,ま ず 第1に,関 東 大 震 災 に始 まっ た震 災 手 形 の善 後 処 理 問 題 が あ げ られ る 。 第2に は,銀 行 営 業 内 容 の 著 しい 悪 化 が あ げ られ る 。 具 体 的 に は
「投 資 源,特 に預 金 の 増 加 に走 る貸 出 の 増 加,そ う した 意 味 で の オ ーバ ー ・
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ロ ー ン が 要 因 と な っ て い た こ と」 が あ げ ら れ る 。 第3に は,こ れ ら を 政 治 的 観 点 か ら み る と,「1つ は 歴 代 の 政 府 当 局 者 の 財 政 経 済 政 策 が よ ろ し き を 得 な か っ た と い う よ り も,む し ろ 歴 代 の 政 府 が い わ ゆ る こ と な か れ 主 義 に ご だ
466国 際経営論集No.252003
わ り,財 界 を して そ の 日暮 ら しの無 難 を続 け させ る よ うな方 針 の も と に財 政
Za)
経 済 政 策 を運 営 して きた」 の に よる もの と され て い る。 特 に銀 行 に対 す る検 査 監 督 が 事 実 上,ほ とん ど実 行 され て い なか っ た こ とは,そ の原 因 の1つ と い われ て い る。
2.特 別 融 通 法 に規 定 され て い る 「財 界 の安 定 をは か る た め必 要 あ り と認 む る とい う条 件 で あ る 。 こ の こ とは本 来 の 経 済 政 策 の 目的 と して は,「 財 界 の 安 定 」 よ り も 「国 民 生 活」 の安 定 」 に こそ 求 め られ るべ きで あ った はず で あ
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る。」 この よ うな法律 に よっ て,仮 に,「 財 界 の 安 定 」が 維 持 され た と して も, そ の た め に 「国民 生 活 」 の安 定 が損 な わ れ る結 果 に な っ た とす れ ば,そ の 影 響 は甚 大 な もの とい え る だ ろ う。
この 特 別 融 通 法 に絡 ん で,当 時 の 衆議 院 で の高橋 是 清 蔵 相(以 下,高 橋 蔵 相 とい う)と 議 員 の 質 疑 応 答 には興 味 深 い ものが あ る。 以 下 質 疑応 答 の 内容 を み て み よ う。 議 員 の 質 問 「(1)本 案 は5億 円 の 負 担 を 国民 に課 す こ とに な る。 しか もそ の 負 担 に よっ て(中 略)休 業 す る銀 行 の預 金者 を救 済 す る の は いか が と思 う。 なぜ な らば,国 民 とい っ て も(中 略)銀 行 に預 金 をす る と か,銀 行 と取 引 をす る とか とい う階級 は極 め て少 な い。 大 多 数 の 国 民 は これ とは無 関 心 で あ る。(2)し か しなが らそ の 一 部 の 預 金 者 で あ る とか 国 民 が こ の 巨 額 な5億 円 を負 担 しな け れ ば な ら ない 。(中 略)今 日の 国 民 生 活 の 実 際 か らみ れ ば,預 金 が した くと もで きない 多 数 の 国民 は,預 金 で もで きる よ
うな方 面 か らTか え って 救 済 して も らい た い とい う境 遇 にあ る と思 う。 そ れ が あべ こべ に救 済 しな け れ ば な らな い とい うその 根 本 の観 念 は,ど こ に一 体 あ るの です か 。」(内 容 の 一 部 を筆 者 が現 代 風 に修 正)
高 橋 蔵 相 の答 弁 「(1)こ れ は,そ の貯 蓄 をす る力 の な い もの が,こ の5 億 円 とい う負 担 す る。 そ れ は一 方 か らい え ば,消 費 税 な ど を払 うか らだ とい
う。(中 略)(2)し か し,こ の 多 数 の貯 蓄 をで きな い よ うな 人 は,日 々 稼 業 を して 生 活 を して い る 。(中 略)そ の 稼 業 を させ る とい う こ とは,資 本 を枯 渇 して は(中 略)で きな い。 この 国民 が貯 蓄 す る と ころ の もの が,す なわ ち
銀行経営のコーポレート・ガバナンス史的考察(nI‑1)467
資 本 の 源 泉 で あ る。 この 貯 蓄 が 集 ま って,銀 行 が 資 本 と して生 産 工 業 の あ ら ゆ る方 面 に供 給 す る。 そ の 供 給 に よ って 国 の 産 業 が 発 達 す るか ら,貯 蓄 の で きな い 人 々 の稼 業 が そ こ に起 っ て くる。(3)故 に この 預 金 者 を救 済 す る と い う こ とが 資 本 の 源 泉 で あ る 。(中 略)資 本 な く して は何 事 も(中 略)ま ず で きな い とい う こ とを考 え て見 る と,た だ今 の よ うな不 平 も起 る わ け で は な
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か ろ うか と考 え ます 。」(内 容 の0部 を筆 者 が 現 代 風 に修 正)
日本 金 融 史(明 石 ・鈴 木 第3巻)に よれ ば,「 議 会 に は共 産 党 は ま だ1人 の 議 員 も出 して お らず,議 員 の発 言 は,功 利 主 義 的 また は厚 生 経 済 的見 地 に 基 づ く分 配 観 」 で あ る と して い る の に対 して,政 府 当 局 者 の所 見 と比 較 す る と双 方 の対 照 的 な違 いが は っ き りとす る。 す な わ ち,経 済 政 策 の基 本 的理 念 と して は,1.生 産 を本 位 と して消 費 を従 に お くか,ま た は,2.消 費 に 目 的 をお い て,生 産 を これ に追 随 させ るべ きか,の2つ の対 照 的 な問 題 点 が あ
る。
今 回 の議 員 の 質 問 に表 現 され る よ うな理 念 が,議 会 の発 言 に な った こ と は 例 を見 な か った 。 質 問 者 の趣 旨は,問 題 を大 衆 の生 活 安 定 とい う消 費 者 本 位
の 目標 か ら検 討 し よ う と して い る の で あ る。
回答 者 は 「政 策 の 基 調 を産業 の振 興 とい う生 産 者 を主 とす る立 場 にお い て 立 案 して い る。 す な わ ち,両 者 は次 の よ う に対 立 した 相 互 矛 盾 の 関係 を表 現
して い る とい え る。(1)経 済 的 には前 者 は労働,後 者 は資 本,(2)社 会 的
31)
には前 者 は無 産,後 者 は資 産,(3)階 級 的 に は前 者 は貧,後 者 は富 」。
質 問 者 が,「 預 金 した くと もで き な い多 数 の 国民 」 こそ 「か え っ て救 済 を して も ら う境 遇 にあ る」 と主 張 す る の に対 して,回 答 者 は,「 資 本 な く して は何 事 もで きぬ」 と して い る と こ ろ は,考 え方 の 著 しい 隔 た りを感 じるが, この 点 を明 石 は 「実 は わ が 国 民 経 済 自体 の過 渡 的 性 格 をそ の ま ま反 映 して い る不 調 和 で あ っ て,金 融 恐 慌 とい うわが 国 空前 の 大 事 件 も,本 質 的 に は,わ が 国民 経 済 自体 が,早 晩,遭 遇 しな け れ ば な らない 過 渡 期 の 一大 試 練 で あ っ
32)
た と評 せ ざ る を得 な い の で あ る 。」 と客 観 的 な 評 価 を下 して い る 。 468国 際経営論集No.252003
第3節 新 銀 行 法 と政 府 の 銀 行 合 同方 針
激 烈 を極 め た金 融 恐 慌 の最 中 に,政 府 は 「新 銀 行 法 の 制 定 」 を1927(昭 和 2)年3月30日 に制 定 し公 布 した(1928(昭 和3>年1月1日 施 行)。 こ の 新 銀 行 法 の制 定 前 に,政 府 は 準備 期 間 と して金 融 制 度 改 革 の検 討 を企 図 して 1926(大 正15)年9月 に金 融 制度 調 査 会 を設置 した。 この 「普通 銀 行 制 度 に 関 す る調 査 」 に基 づ い て,銀 行 法 案 を起 草 し,「 新 銀 行 法 の制 定 」 が行 わ れ たの で あ った 。
まず 最 初 の 「普 通 銀 行 制 度 の 目的 は,(1)銀 行 資 力 の 充 実 を 図 る,(2) 堅 実 経 営 を助 長 す る,(3)預 金 者 の 利益 を保 護 す る,(4)監 督 の周 到 を期
33)
す る,(5)不 当 競 争 を防 止 す る,(6)銀 行 整 理 の 迅 速 を 図 る」 とい う こ とで あ った 。
次 に,「 新 銀 行 法 の 特 徴 を見 る と,大 体 に お い て 旧銀 行 条 例(1890(明 治 23)年 公 布 ・商 法 施 行 延 期 に伴 い1893(明 治26)年7月1日 施 行 後,1920
(大 正9)年8月 合 併 手 続 の 簡 素 化 へ 改 正)の 条 文 を踏 襲 して,合 同 に 関 す る必 要 な諸 手 続 き を記 載 してい る。 特 に従 前 比 異 な る の は,銀 行 経 営 の 堅 実 化 の 基 礎 と して,銀 行 組 織 を株 式 会 社 の み を認 め,法 定 最 低 資 本 金 を100万 円(東 京 ・大 阪 に本 店 を有 す る もの は200万 円)と し,そ れ 以 下 の銀 行 の存
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在 は 認 め な い とす る も の で あ っ た 」 。
表8「 銀 行 法 」 施 行 時 の 無 資 格 銀 行 数
(A)東 京 ・大 阪 に本 支 店 を有 す る銀 行 で資 本 金200万 円未 満 の もの48行 (B)合 名 ・合 資 ・個 人 銀行 で 組 織 変 更 を要 す る もの1
(C)「 銀 行 法 」施 行 後5年 間 に資 本 金100万 円 以 上 となす こ と を要 す る もの166 (D>人 口1万 未 満 の 地 に本 店 を有 す る銀 行 で資 本 金50万 円 未 満 の もの336 (E)・(B)資 本 金200万 円,組 織 変 更 を要 す る もの8
(F)・(B)資 本 金100万 円,組 織 変 更 を 要 す る も の22 (G)・(B)資 本 金50万 円,組 織 変 更 を要 す る もの36
合 計617
(資料 出所)金 融研 究会編 『我 国 に於 ける銀行 合同の大勢』,1934年5月,227頁 。 (注)「 銀行法」 の施 行 は1928(昭 和3)年1月1日 。
銀 行 経 営 の コ ー ポ レ ー ト ・ガ バ ナ ンス 史 的 考 察(皿 一1)469
下 記 の 表8で も明 らか な とお り,「 新 銀 行 法 」 の 施 行 時 に は全 国 で の無 資 格 銀 行 数 は617行 で 全 銀 行 数1283行 の48.1%に の ぼ っ た 。 また,無 資 格 銀 行 の存 続 猶 予 期 間 は 「銀 行 法 」 施 行 後5年 間,つ ま り1932(昭 和7)年 末 まで で あ る ため,こ の 間 に資 本 金 増 額 の 途 を選 ば な け れ ば な らず,し か も政 府 は 単 独 増 資 を許 可 しない 方 針 と した 。 した が って,1928(昭 和3)〜1932(昭
表9「 銀 行法」施行時 の無資格 銀行消滅 の状況 合 併 に よる もの
買 収 に よる もの 増 資 に よ る もの 解 散 に よ る もの 業 務 廃 止 に よる もの 免 許取 消 に よる もの 破 産 に よ る もの
存 立 期 間 満 了 に よる もの 支 店 廃 止 に よる もの 行 主死 亡 に よる もの
230行 110
50 115
74 30 11 6 4 1
合 計 631
(資 料 出 所)金 融 研 究 会 編 『我 国 に 於 け る 銀 行 合 同 の 大 勢 』,1934年5月,230頁 。 (注)整 理 さ れ た 無 資 格 銀 行 の 数 は631行 で1928(昭 和3)年 初 の 数 と符 合 し な い が,そ
れ は 新 銀 行 法 実 施 後 に 新 立 合 併,減 資 等 に よ り,新 に14の 無 資 格 銀 行 が 発 生 の 為 。
表101928(昭 和3)〜1932(昭 和7)年 間 の 普 通 銀 行 異 動 調
西 暦 前年末 廃業 解散
消 滅
合 同 成立 増 減(△) 本年末
o昭 和 銀行数
破産 買収 合併 小計 合計 新設 銀行数 1928(3) 1,283 59 58 164 222 281 29 0252 1,431 1929(4) 1,031 54 35 75 110 164 14 0150 881 X930(5) 881 z6 31 48 79 105 6 △99 782
1931(6) 782 52 27 29 56 cos 9 △99 683
X932(7) 683 102 18 42 60 162 17 045 538
合 計 293 169 358 527 820 75 0745 (資 料 出 所 〉 後 藤 新 一 『銀 行 』,日 本 経 済 評 論 社,1988年9月,66頁 。
470国 際 経 営 論 集No.252∞3
和7)年 間 に,無 資 格 銀 行 の 整 理 を 中 心 と し た 合 同 に よ る 銀 行 の 減 少 数 は, 表10の とお り527行 に の ぼ り,廃 業 ・解 散 ・破 産 を 加 え る と消 滅 銀 行 数 は820 行 に も な っ た 。 こ の 期 間 の 新 設 銀 行 は75行 に 止 ど ま っ た の で,総 数745行 の 減 少 と な り,1927(昭 和2)年 末 の 普 通 銀 行 数 は1283行 か ら1932(昭 和7) 年 末 は538行 へ と激 減 した の で あ っ た 。
〈1〜2章 の ま とめ 〉
第 一 次 大 戦 中 の 軍 需 要 因 に よ りわが 国 内 産 業 は飛 躍 的 な発 展 を遂 げ た が, そ の発 展 を資 金 面 で 支 え た銀 行 の 多 くは大 小 の 銀行 で あ った 。 そ の 銀 行 は 第 一 次 大 戦 勃 発 時 の1914(大 正3)年 末 で 合 計2 ,155行,同 終 戦 時 の1918(大 正7)年 末2,091行,(日 本 の 金 融 統 計,56頁)と 多 数 あ っ た。 これ ら銀 行 の
うち多 くが 昭和 金 融 恐 慌 に よ り取 付 を受 け た り休 業 を余 儀 な くされ破 綻 が続 出 した。 本 章 の ま とめ と して 昭和 金 融 恐 慌 の 要 因(特 徴)は 何 で あ っ た か で あ る。 結 論 的 に言 え る こ とは,(1)銀 行 の 監 督 責 任 の 有 名 無 実 化,つ ま り 銀 行 の 監 督 的 立 場 の 大 蔵 省 は銀 行 検 査 な ど人 的 に も全 く機 能 で きる状 況 に な か っ た こ と。(2)大 正 時 代 か ら続 く銀 行 経 営 の 放 漫 さの つ け が 固 定 貸 の 不 良 債 権 の積 み 重 ね とな り,銀 行 自 身 も疲 弊 し きっ て い た とい うこ と,例 え ば, 台 湾 銀 行 の破 綻 は新 興 の 大 商 社 鈴 木 商 店 へ の貸 出偏 重,ま た十 五 銀 行 は松 方 系 会 社 との癒 着 関係 に代 表 され る とお りで あ る。 この 二 行 は い わ ゆ る機 関 銀 行 で は な い が,そ れ で も特 定 企 業 と深 く結 び付 い て腐 敗 ・放 漫 経 営 を した, つ ま り銀 行 経 営 者 には銀 行 の社 会 公 共 性 に対 す る 自覚 ・責 任 の重 大 さへ の 認 識 が なか っ た こ と,結 果 と して 国民 経 済 全 般 に与 え た損 害 は計 り知 れ な い も
の が あ る とい え る。(3)一 方,預 金 者 の立 場 か らみ れ ば 預 金 の払 戻 に応 じ て も らえ な い銀 行 に預 金 を預 け る こ とは,預 金 者 自身 に も銀 行 の 選択 眼 が な か っ た,つ ま り自己 責 任 の結 果 と もい え る 。 この よ うに官 ・銀 行 ・個 人 の三 者 三様 の 動 きの 中 に,そ れ ぞ れ の 責 任 を見 出 だ せ るの で あ る。特 に銀 行 の腐 敗 ・放 漫 経 営 が厳 し く指 摘 され る当 時 の二 ・三 流 の 銀 行 経 営 に は一 部 財 閥銀
銀行経営のコーポレート・ガバナンス史的考察(ID‑1)471
行(後 述)に み られ た コポ レー ト ・ガバ ンス は見 出 だせ ない の で あ る。当 時, 財 閥 銀 行 の代 表 的 な三 井 銀 行 で は,同 行 の 実 質 的 な 主 宰 者 池 田 成 彬 常 務 が
「欧米 の 銀 行 経 営 と方針 の大 綱 」 を欧 米 出張 に よ りす で に会 得 して きて い た 。 す な わ ち,「 範 を英 国 の 大 銀 行 に と り,何 よ り も 自主 独 立 性 を重 ん じ,安 定
した預 金 と確 実 な貸 出 に よ る堅 実 な業 務 を営 む と と もに,基 幹 産 業 の た め の
34‑1)
有 力 な 中枢 的 金 融 機 関 た る こ と をそ の 基 本 方 針 」と した の で あ る。 正 し く代 表 的 な機 関銀 行 で あ るが,こ の 点 が 当 時 の 二 ・三 流 銀 行 の 腐敗 ・放 漫経 営 と 大 き く異 な る と こ ろで あ る と指 摘 した い。
注
1)日 本 銀 行 金 融 研 究所 編 『改 定 ・増 補 日本 金 融 年 表(明 治 元 年 〜平 成4年)』
日本 銀 行 金 融 研 究 所,1993年10月,134〜142頁 に,こ の 間 の動 きが 詳 しい 。 2)前 掲1)163頁 。 例 え ば,次 の 記 述 が あ る 「皇 道 派 青 年 将 校 ら に率 い られ
た 一 隊,政 府 高 官 官 邸 を襲 撃,斉 藤 内大 臣 ・高 橋 蔵 相 ら を殺 害 し各 所 を 占拠 」 (2・26事 件,29日 鎮 定)。
3)前 掲1)164頁 。
後 藤 新 一 『銀 行 』 日本経 済 評 論 社,1988年9月,100頁 。
「昭 和11年5月18日,第69帝 国 議 会 予 算 委 員 会 で,馬 場 蔵 相 は,「 今 後 は 金 融 機 関 に対 す る 統 制 とい う言 葉 を使 って よい か,指 導 とい う言 葉 を使 っ て
よい か,広 い意 味 の 監 督 権 を行 使 す る必 要 が あ るの で は な い か と考 え て い る 。 普 通 銀 行 につ い て は,府 は別 と して,普 通 の 県 にお い て は1県1行 主 義 な い
し2行 を理 想 とす る」 と 「1県1行 主 義 」 を公 式 の 席 上 は じめ て表 明」 して い る。
後 藤 は,「 こ こ に お い て,銀 行 合 同 方 針 は,「 地 方 的 合 同」 か ら 「1県1行 主 義 」 とな り,弱 体 銀 行 整 理 に よ る預 金 者 保 護 か ら,準 戦 時 下 銀 行 機 能 を い っ そ う充 分 に発 揮 で き る よ う に 金 融 機 関 の 整 備 を 図 る こ と に 大 き く変 わ っ た」 と述 べ て い る(同102頁)。
4)三 井 銀 行 八 十 年 史 編 纂 委 員 会 『三 井 銀 行 八 十 年 史 』 株 式 会 社 三 井 銀 行, 1957年11月,523頁 。 例 え ば,三 井 銀 行 で は 「日華 事 変 以 後 は,男 子 行 員 に 対 して は 召 集 ・徴 用 が あ り,(中 略)そ の 不 足 は女 子 行 員 に よ っ て補 充 す る
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