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龍谷大學論集 477 - 006福本宰之「職業作家ポウプ? : カールとの対比から見える新しい詩人観」

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(1)

職業作家ポウプ?

一一カールとの対比から見える新しい詩人観一一

福 本 宰 之

Alexander Popeが嫌った出版業者と言えば,まず誰もがEdmundCurllの 名を思い出すであろうo彼はその経歴の早くから,低級なポルノまがいの作品 を出版し続け, 1729年に出た 3巻構成の合注版

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の第2巻におい ても,最初の徒競走と次の小便飛ばし競争に立て続けに勝利し,ポウプから “shameless Cu

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(171)と呼ばれている。一方カールも負けておらず,同じ 1729年に

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というノfンブレットを出版し,自らの潔 癖を世に訴えているo無論カールを敵視したのはポウプだけではない。彼は, 低俗な作品を出版しただけではなく,著者に無断でその著作を出版するやら, 旧版の表紙だけを付け替えて新版として売り出すやらで,当時の文学者からは 概ね嫌われていた。 ところが最近の研究では,ポウプとカールについては「敵対関係にあった」 と単純に片づけられるものではなしむしろ「共生関係にあったJ とする見方 が有力である。ポウプは生活の糧を得ることを主目的に著作を行う三文文士を 軽蔑する,所謂gentlemanpoetの階層に属していたが,前述の説の前提とし てあるのが,実は彼を著作権や本の売れ行きを気にかける経済人と捉える新し いポウプ観であるo本稿では,この新しいポウプ観を踏まえ,先行研究とは異 なる視点、からポウプに見られるカール的要素を発掘し,新しいポウプ観を検証 してみたい。

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出版屋カールが得意とした分野の一つに伝記があった。彼は有力者や著名人 が亡くなると,同業者の中で,いの一番にその故人の伝記が近々出版される旨, - 34ー 龍 谷 大 学 論 集

(2)

宣伝告知した。もちろんこの手の書き物は,大衆が故人の記憶を生々しく留め ている間こそ,よく売れるのを承知しての戦略であるo と言っても,無論そん な短期間に一人の伝記を完成させるほど十分な資料を独力で集められるはずは なかった。そこでカールが用いた常套手段とは, ①常時三文文士を召し抱えておき,場合によっては彼等に書かせる。 ②あちらこちらの定期刊行物の記事から少しでも故人に関係のあるネタを かき集め,片っ端から伝記に盛り込む。故人が生前書いた作品があれば, 適宜それらも本文に混ぜ込む。 ③さらに故人の“

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を指す)らを「とても速く走るJ ダチョウに喰えているの も,この①に関連してのことだろうD つまり,ポウプの考える三文文士の資質 の一つは,有名人が亡くなった際,出版者の求めに応じて,速やかに故人の伝 記をでっち上げられる執筆スピードなのであった。因みにここで二番目に槍玉 に挙げられているユースデンは, 1718年に桂冠詩人に任じられているが,The Dunciadの付録記事の一つ“

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職業作家ポウプ?(福本) ー 35ー

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,and to pour forth innumerable, if requir'd."と述べている。こ れも①に表されているカールと三文文士の関係を想起させる。 議論の都合上,次に⑤の実例を挙げておく。カール自身がポウプの伝記を書 くに当たり, 1733年3月30日付けの

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に載せた世間に協力を請う 広告であるo

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注目すべきは引用文中にある「お寄せ頂いた情報は漏れなくそのまま伝記に盛 り込むJ というカールの姿勢であるo一読すると情報提供者の好意に配慮、した 良心的な言に聞こえるが,実は「情報の真偽について裏付けをとらないJr十 分な厚みを確保するだけのネタに困っている」というカールの有り様を図らず も表している。そもそも,他人から提供を受けた情報を「その人の言葉通り, 忠実に」伝記に盛り込むというのであれば,カールは作者ではなく編者と呼ば れるべきであろうo そしてこの広告の結実として,カールはWilliamAyreという偽名を用いて, ポウプが亡くなった翌年(1745年)に早くも大部な2巻本の伝記を執筆,出版 している。そして,匿名の作者による二冊の薄いパンフレツトを除くと,これ こそ詩人の死後出版された初のポウプ伝であった。⑤の方策を踏襲して世間一 般から情報を募った点や,話題の新鮮さに配慮、したスピード出版という点を別 にしても,この伝記こそ正しく curlicism(デフォーの造語である)の権化で あった。まず,②との関連では,ポウプの伝記とは直接関わりない脱線や引用, その他余分な記述がやたらに多い。一例を挙げれば,第2巻37ページ辺りはポ ウプの手紙や作品からの引用が長々と続き,それに若干のコメントや背景説明 が加えただけという箇所が見られるし,同じく204ページ以下にはポウプの John Donneの模倣詩が原詩と見聞き対照という形式で引用され, 8ページ以 上の紙幅が割かれている。さらに明らかなページ数稼ぎの便法として,ポウプ に係わりのある人物の略伝を載せているのが目立つ。具体的に指摘すると,第 1巻199ページ以下にはJonathan Swiftの略伝, 212ページ以下に Nicholas - 36- 龍谷大学論集

(4)

Roweの略伝,第2巻には96ページ以下にJohnGayの略伝, 201ページ以下 にダンの略伝, 278ページ以下にRichardSavageの略伝という具合である。 本稿の冒頭でも述べた通り,伝記は出版屋カールお得意の分野であり,このよ うに各人の伝記を互いの伝記の中で引用することで,それぞれのページ数を増 やすことが出来る。おそらくカールの狙いもその点にあったのだろう。(実際 カールは1733年にゲイの伝記を出版している。)こうしたカールのポウプ伝の 冗長さを受けて,同じ年に出たパンフレットにおいて1.

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なる人物が,この 伝記は本来の6倍の嵩になっており,読者は6分のlの値段でポウプに関係す る部分のみを購入したかったであろうに,と述べている。これは,当時のカー ルの伝記が世間でどのように受け止められていたかを示す証言となるであろうo 一方,カールも海千山千の出版屋である。件の伝記の第

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ページで,ポ ウプを取り巻く人物について長々とした説明を加える理由を「ある人物の交友 関係を検証することにより,その人についてきちんとした評価を下すことが出 来るからJ と述べ,あたかも先に号│いた1.

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が述べ立てたような批判を見越 し,予防線を張っていたかのようである。 ③④についても,抜かりがない。エアによるポウプ伝の第2巻383ページ以 下には, The Last Wil1and Testament of Alexander Popeが付付られてい るo この点, 1716年にポウプが執筆した,カールを笑い物にしたパンフレット

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と読み比べてみると面 白い。実は同年,カールは作者不明の三編の詩の原稿を入手していた。カール はこの中の一編を“thelaudable Translator of Homer"すなわちポウプの 作品であるかのように宣伝し,三編の詩を

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とタイトノレを付けて 出版した。当時

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の翻訳者として人気の高かった自らの名前を, (お そらく全く覚えのない)詩集の作者として使われ,その売り上げアップに利用 されたポウプは当然激怒した。同じ出版業者BernabyBernard Lintotを介し てカールを酒場に呼び出したポウプは,隙を見てカールの飲み物に幅吐剤を混 入する。帰宅したカールは,激しい腹痛と吐き気に見舞われたことであろうo そしてこの顛末を筆者の想像を交えて叙したのが先の

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なのである。そしてこのパンフレットには“Witha Faithful Copy of His Last Will and Testament"という副題が添えられているのである。

(但しエアのポウプ伝の場合とは違い,こちらではカールが臨終の床で遺言を 口述する。)このパンフレットの眼目は,カールが他人を題材に出版しそうな 職業作家ポウプ?(福本) ー 3

(5)

7-内容を他ならぬカール自身を槍玉に挙げて伝える,という点にある。③が

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のーっとして一般に認知されていたと言えようo さらに附言しておくと, このパンフレツトは実際にポウプとカールが酒場で面会した日から二日も経た ないうちに出版されているのである白忘れてはならないのは,この出版の素早 さもまた先に述べた書物の売れ行きを左右する要素として話題の新鮮さを重 視するカールの出版戦略を茶化している点である白ポウプの

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はそこ まで徹底していた。 さてエアのポウプ伝に話を戻す。第

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巻官頭と末尾には,それぞれ

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については,盟友スウィフトの次の詩行が ポウプ自身の思いを代弁していると言えるだろうo ここでスウィフトは,詩人 としての成功を望む者へ, -.E!.は批評家たちが重きを置く“

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の記述と比べると面白い。その中でポウプ に毒を盛られたカールが臨終に際し,お抱えの三文文士を枕元に集める場面が あるが,彼等の中に

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が含まれているo そこで一同はポウプへの 報復手段について協議するのだが,件の

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は ポ ウ プ 訳 の

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を駄作の要件とし て捉えていたことが窺える。 余談だが,

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が彼の伝記を書くことを提案している白

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の場合と同様に, ある人の伝記をカールが出版することもその人に対する脅威となり得るという - 38一 能 谷 大 学 論 集

(6)

理屈は,再び我々に「死ぬことに新たな恐怖が付け加わった」というアーパス ノットの言葉を思い出させてくれる。また,実際にカールがエアという偽名を 使ってポウプ伝を出すのは

2

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年後のことなのだが,あたかもポウプはこの時点 で既に自らの伝記がカールによって出版されることを予見していたかのようで ある。ポウプとカールは互いに相手の出方を知悉していた。

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本稿では省略したが,先に引用した

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の広告の前段で,実はカ ールはある人物からポウプに関する情報提供を既に受けたことを灰めかしてい る。この「ある人物」は,自称ポウプの元同級生で

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と名乗り,ポウプが 学童時代に味わった不名誉な経験についての情報提供を申し出たのであったロ さらに同じ年の

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月,今度は

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と名乗る人物がカールに手紙を寄越し,自 分が持っている未刊のポウプの書簡を出版しないか,とカールに持ちかける。 最初は警戒していたカールも最後にはこの餌に飛びつき, R.S.なる人物が, ポウプの書簡の現物を携えてカールの元を訪れるに及び, 1735年についにポウ プの書簡集を著者に無断で出版する。 ところが,一連の経緯は全てポウプが仕組んだ計略であった。実はポウプは 自らの書簡集を自らの手で出版したかったのだが,当時は著者自らがその書簡 集を出版するなど,許容されるべくもない,はしたない行為であった。それで, 彼は一計を案じカールに著者すなわち自分に無断で書簡集の海賊版を出させる ことで,著者自ら真正版を出さざるを得なくなったという状況を作り上げたの である。つまり先のE.

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という偽名を使った絡晦戦術,さらにそれらの偽名を使い,世 間一般から情報提供を求めるという⑤に挙げたカールの常套手段を逆手に取っ て接近し,彼を意のままに操った手順,情報を操作して自らのイメージアップ を図るやり口,全てカール顔負けの巧みさである。ポウプが主に生活の糧を得 るために書くことを潔しとしない, gent1eman poetの階層に属していたこと 職業作家ポウプ?(福本) -

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助 帽 。 鋤 踊 は既に述べた。しかし,それは詩人 が自らの評判や著作の売れ行きに無 関心であったことを意味しない。真 相はむしろ正反対であろうo ポウプ ほど,その点の意識が高い作家は稀 であった。 その点を証するものとして,書物 の体裁に対するポウプのこだわりを 挙げること出来る。この点について は,既に詳しく書いたことがあるの でここでは詳述はしないが,参考ま でにポウプが手書きした

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と印刷に際しての指示 まで添えてある。自らが世に送り出す著作を一つの商品として捉える経済人と してのポウプの一面がよく表れているo 伝記と共に,先にカールが得意とした儲かる出版物にいわゆる謎解きものが ある。これは

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…というタイトルの下,最近出た作品,とりわけ実名 を出さずアレゴリーやイニシャルを多用する風刺作品に関して,その真意を解 き明かす書き物である。例えば

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年にポウプが

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部以上売れてい た),その人気に当て込んで,この手の謎解きものを架空の人物になりすまし て出すこと自体既にカール的と言えるのだが,それ以上に注目すべきはこの作 品の第二版の冒頭に4編の詩が添えられていることである。これらは全て架空 の作者

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の官頭に置いているのであ る。こうした策略を用いることで,ポウプは状況をよりドラマティックなもの にするよう謀っているのであるo換言すれば,作品がより大きな世間の注目や 関心を惹くようにするための工夫である。おそらくポウプのこの作戦は

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年 の初版

TheDunciad

の出版手順についても当てはまる。彼はこの詩に先立ち

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を世に問うて,予め三文文士たちとの緊張関係を高めていたので あるo

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は当然三文文士からの反撃を招くことが予想され,

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の出版はそれに対するさらなる反撃として正当化され,加えて一連 のパンフレット合戦の中に位置付けられる一これこそポウプが

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出 版に込めた狙いであった。その意味では

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はあれほど急激に話題になることはなかったろうo しかし,それは望む べくもなかったJ という主旨の言葉は当を得たものであった。果たして

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Dunciad

出版当日,その出版を押し留めようとする文士たちが書庖に押し寄 せ大変な騒ぎとなった。ポウプの出版戦略が効を奏したと言えよう。そしてこ の点,三文文士たちにとっても事情は同じであった。彼等もまたポウプという 文檀の寵児をけなすことで,自らの存在をアピールしたのである。

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このように三文文士たちとポウプは互いに反発し合いながらも,著作の売れ行 きという面では相互に依存する関係であった。 先に挙げた②③④では,カールが自ら出版する伝記に十分な厚みを確保する ための手管を述べた。それはまたポウプが好んで風刺の題材にした,三文文士 と出版業者共通に見られる慣習であった。ところが,同じ手管はポウプ自身の 出版戦略にも看取されるのである。その実例として TheIliadの英訳を挙げる ことが出来る。この企画については当初から経済的な思惑があったことは,ポ ウプの伝記作家たちも指摘する所である。そして少しでも実入りを良くするた めに,ポウプが気にかけたのが替物の厚みであったのだ。ジョンソンは,ポウ プ訳の Thelliadに付された注釈についてら“・

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と喝破している。先の②③④で述べたカール的努 力に,ポウプ自身も無縁ではいられなかったのである。 また The

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nciadに付された膨大な付録記事の問題もある。

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年に出た 合注版The

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等の様々な記事が 添えられているo そもそも初版で不分明であった人名や事柄を明らかにする注 釈を添えて新版を出すこと自体が,先に触れた謎解き物と同じく,初版の人気 を当て込んだカール的な手口であり,かっそうして添えられた注釈も The

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iadの場合と同じく,ページ数を稼ぐための付録記事の一つであると言えよ う。例として,冒頭の“

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というタイトルに付された注釈を 挙げておくD

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とすべきかの問題を論じているだけなのだが,わざわざ

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の名前まで持ち出して,長広舌をふるっている。 V E a -Y E E A 育 園 ・ A カールとの関係で「経済人ポウプ」という新しい詩人観を考える際に,看過 出来ないのは書簡の著作権をめぐる二人の法廷闘争である。著作権については

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という長い名前の条例(以下,慣例 に従い「アン条例J と呼ぶ)が施行されていた。アン条例は,作家が自らの著 作に対して著作権を保有することを初めてはっきりと認めた点で画期的なもの であった。これにより,作家は史上初めて

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な商品,すなわち著作 の所有者として認定されたのである。そしてこの条例を繰り返し積極的に利用 したのが,他ならぬポウプであった。 ポウプは

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年カール相手に裁判を起こす。カールはその数日前に,ポウプ に無断で彼がアーパスノットやゲイといった友人とやり取りした手紙を含む書 簡 集 を 出 版 し て い た の だ 。 本 稿 で は 触 れ な か っ た が , カ ー ル は ポ ウ プ が

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宛てに書いた手紙を

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年に無断で出版していたし,

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年にも再びポウプの書簡集を無断で出版していた。(既に見たように,無論後 者の場合ポウプがそうするよう画策したのであるが。)度重なるカールの仕業 にさすがに堪忍袋の緒が切れたのであろう,ポウプはアン条例を盾に取って, 自ら書いた手紙と自らに宛てられた手紙の所有権を主張し,件の書簡集の出版 差し止めを求めた。但し先に記した正式な名称にもあるように,この条例は 「学芸の奨励J

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を意図したものであり, 果たして書簡が

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の範鴎に入るかどうかは不明瞭であった。加え て,カールのもう一つの言い分は,この書簡集はそもそもイングランドの外, アイルランドで先に出版されており,イングランドの人聞が国外で出版された 書物をイングランドで再刊しでも違法ではない,というものであった。 最終的に大法官

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と述べ,書簡集も先のアン条例の保護の対象となり得るとし, まずこの点はポウプに軍配を上げる。但しそれと同時に,書簡に対するポウプ

(11)

43-の著作権については,ポウプが送った(つまり彼が書いた)手紙に関してのみ 認定し,彼が受け取った手紙に関しては認めなかった。さらに「既にアイルラ ンドで出版されたものをイングランドで再刊しでも違法ではないJ

というカ-Z

の主張に関しては,

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を招くものと一蹴す る。 以上のように,ポウプがカールを相手取って起こした訴訟は,作家の権利保 護という観点、から非常に重要な判例を生み出すに至ったo因みに「書簡の著作 権は書き手に帰属するJ という原則は,英米の著作権法の立脚点として現在も 有効である。彼は単に一冊の著作が生み出す利益にのみ関心があったのではな く,その前提として作家が自らの作品に対して保持するはずの権利をしっかり 確立することにもぬかりがなかったのである。

結語

これまで

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したものと解されてきた。ポウ プの側に彼等の有り様を擬態することで,その弊を暴かんとする意図があった ことは疑うべくもない。冒頭で挙げた①から⑤を,カールの常套手段としてポ ウプも認識していたことは,次の引用からも明らかであろうo

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と決して無縁ではなかっ た。余分な付録記事のお陰で膨れ上がった

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生えていた。ポウプの出版戦略は,彼の不倶戴天の敵と目されているカールの

所業と並置して見ると,一層際立つて来る。“LastWill and Testament"や

擬注をめぐるポウプのmockeryには,自ら噺笑の対象とした弊に自ら陥りか

ねない危うさが潜んでいる。

(1)例えば Ingrassia,“Dissectingthe Authorial Body: Pope, Curll, and the Portrait of a ‘Hack Writer'" in“More Solid Leaming", Rose, Authors and Owners.など。

(2) Baines and Rogers 49.また,カールが話題の新鮮さを重視した点に関しては,

Henry Fieldingの芝居TheAuthor's Fa町'C(I730)のII-iv冒頭で,作者がカ

ールをもじった登場人物の出版屋Bookweightに言わせている次の台詞が示唆

的である。“00you consider, Mr. Quibble, that it is above a Fortnight since your Letter from a Friend in the Country was publish'd. -Is it not high time for an Answer to come out-at this rate, before your Answer is Printed your Letter will be forgot

1love to keep a Controversy up warm -1 have had Authors who have writ a Pamphlet in the Morning, answered it in the Afternoon, and compromised the matter at Night."

(3) Straus 23-4, 92.

(4) Prose Works, vol.2, 251.(編者 Cowlerによる注釈76,77, 78を参照。)

(5) “…nothing is of equal consequence to the success of our W orks, as Speed and Di脚!ch."(Prose Wo rks, vol.2, 226.)

(6) このニ冊のパンフレツトとはポウプが死んだ年に出た TheLife 01 A lexander Pope, Esq.: WUh Remarks on His Works.とTheLife 01 A lexander Pope, Esq.: WitJza TnteCo.ρ~ 01 His Last Will and Testamenfというもので,前 者は76ページ中,実際の伝記は70ページで,残りはポウプの遺言が占めている。 後者も64ページ中,純粋な伝記部分は53ページで,残りは遺言である。他にも引 用や脱線の多さなど,カールが得意としたinstantbiographyの要素を具備して いる。 (7) 拙論「ポウプの出版戦略J を参照。 (8) Lzfe 01 Pope, para. 146. (9) Twickenham Edition, vol.5, xxii.また出口 74.も参照。

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拙論 rrダンシャツド』における書物の量感をめぐる風刺ープラックモアを手 がかりにー」参照。またこのような慣習については, ] acob Tonsonが出した William Shakespeare全集を批判して, Charles Gildonが 発 し た 皮 肉 “ …

according to the laudable Custom of the Trade to swell the Volume and the Price."が示唆的である。 (Lynch131.)

ωJohnson, Life 01 Pope, para. 71, Ruffhead 180.など。

ω Life 01 Pope, para.353.また別の箇所でジョンソンは“Noteswere likewise

(13)

to be provided; for the six volumes would have been very Iittle more than six pamphlets without them."とも述べている。 (para.86.)

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元々TheDunciadの初版を読んだOxford伯が,著者自身にauthorizeされ たKey白 theDunciadの出版を望んだのに対し,翌年ポウプはこの合注版を出 すことでその要望に応えたのである。 (

14) Rose,“The Author in Court: Pope v. Curll,"(Woodmansee and J aszi 213.) ( 15) この裁判におけるポウプの訴状と,それに対するカールの弁明,ハードウイツ クの裁定に関しては,A uth01'Sand Ownersの付録として全文が掲載されてい る。 ( 16) Rose 59-60. ( 11) Prose Works, vol.2, 331.もともと匿名で出た記事であったが,作者がポウプ であることは明白であった。(編者Cowlerが官頭に付した“Noteson Publica -tion and Text"における解説参照(325)0) 参考文献

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参照

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