日のはじまり : デカルト「第四省察」冒頭M4,52,23-54,31
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部A) 第40巻 第1号 l i ion (Sect ivers i i do Un ty ofEducat on I A) Vo lof Hokka .1 .40 , No journa. 平成元年10月 october ,1989. 日のはじ まり - - デ カ ル ト 「第 四 省 察」 冒 頭. M 4, 52 , 31 - - , 23一54. 周. 佐 々 木. i i t t r s Lb i um cas t etur pseabhos Pr imaluce ,i ,cum summus monsa a eno ener 1 Gd C 2 2 ) b i i b t( h inge tspas se aes l l i s usa es tqu ee . . , us mi nonlong 夜 明けにラ ビエヌ ス が山 頂 を占領 した とき, 500 バ ツ スス しか は な れて いな か っ た. カ エサ ル は 敵 陣 か ら 1 ,. I. i 〉という時, その今日とは, 省察のあゆみの 中での〈今日〉 デカルトが 「省察」 の中で〈今日hod e i 〉とは, この省察を始めてから今日までの日々 をいう, 第四省 sd ebus を指している. 〈ここ数日 Hi 察は, ここ数日 を振り返 っ て始まり, 今日の成果を語っ て終わる. 1 ) それは, 折り 〉という言葉は, まず第 一省察の冒頭で使われる( i i 〈今 日 hod emus . e ,hod. よくも一人引きこもっ た日であった. 省察のあゆみを始める日は, このような日でなければ ならなかった. 省察をひ とまず終える日, 第六省察の最後で, デカ ルトは, 〈実生活の必要. 2 } 幕 の 降 り た 後 の 時 間 は せ ね ばな ら ぬ 他 の こ と i tas〉 に 言 及 す る( ss rerum agendarum nece . に 満ち て い る. 開 幕 の 日 は, こ の よ う な 日々 の 必 要 か ら, す べ て は な れ しり ぞ い て い る 日 で あ っ た.. 3 } 今日は, 真理に達するために 次にこの言葉 が使われるの が, この第四省察の最後である( . i 〉 という 言 刻ま, とりあえずは t r as 何をせねばならぬかを学 んだ日であった. この 〈真理 ve i l ae 第五省察以降で獲得される真 理を,前日の省察を終える時,第三省察の最後で〈他の真理 a 4 ) ( という真 された私と神の存在 3 白目までに獲得 i tat es〉と 呼 ん で い る も の を 指 して い る ver .. 理は, とりあえずは含まれていない, この2つを獲得することができて初 めて, 5日目か ら 問題となり, 第一 省察で取り分けて懐疑に付された真理, 数学的真理と物体の存在という 2 つの真理を獲得する 道が開ける,. i 〉という言い回 しは, 第四省察の冒頭で初めて使 sd s こ の 歩 み を 振 り 返 る〈こ こ 数 日 hi ebu i ior ibus d 5 } 5 日目の日のはじまりに際 しては, 〈過ぐる数日 super ebus> に 言 及 す わ れ る( . ( 7 ) と は 間違 いで はない 6 〉 こ れ ら の 言 い 回 し が, そ の 日 ま で の 日々 す べ て を 指 し て い る こ る( .. が, 重点は第1日目に始めた懐疑にある. それによっ てはじまったあり方にある. つまり, 方法的懐疑によっ てのみ開けてきたこの省察のあゆみを指している, 第六省察の 終わりに近 8 ( ) く, デカルトは誇張的という 形容詞をつけて, この先日来の 懐疑を名指す ,.
(3) . 佐々木. 周. 註 デカルトの著作からの引用は, すべてAT新版 すなわち , ,. 侶”の謬s de De l i eespar Ch scのT B S l l ion l e presantat i in ,pub . Adam etP, Tannery s s ,nouve .(Par ,1l vo , Vr ,J ,. 1964‐74). より, 慣用にしたがって書名・章節を略し, ローマ数字で巻数を アラビア数字で頁数及び行数を付して 以下の註 , , の中に記す. ただし, 「省察」 からの引用に限って, 書名と巻数を省く .. ( 1 ) M1 tuneig i turhodi i i busexsol ement i emcur somn iot i ,17 ,13‐18 i lus v ,20ppor um procurav ,securum mih ,so secedo. { 2 ) M6 i arerum agendarum neces tasnonsempertam accurat s iexan ,90 ,12‐13Sed qui i ・ ln l s moram conced t , ゲ. M 1 idem nuncnonr i i ebusagend s ,22 ,20-22quandoqu stantdm incumbo ,sed cognoscend. ( ) M4,62 3 i idi iqui d mih is i etantam d tcavendum utnunquam fal c l imu.et iam qu ,20 2 Nec hod id ar ,sed s i agendun lutas sequarver tatem ; ゲ.id .62 ,9 ( 4 ) M3 5 2 1 i 0 ‐ 1 l l i l iasver i s muque na tat l l ig ipos i esquaei ndeco , , suntinqu ram ( 5 ) M4 i ta meh i iin ment ibusabducenda sd ebusas suef ec easens ,52 ,23‐241. { ) M5,63 6 i i ior ibusd i i s d i ebusinc ,8‐lo utex dub ,in quaesuper ,coneremergere ( i 7 ) M4,58 2 6h d i b i d ; 5 9 2 3h i d i sce e us ior s ebus ; M 5 65 27super i bushi i , . , sced ebus , , ( ) M6 8 l i i i i iones caesupe r tat orum d erun ldub ,89 ,19sedhyperbo. 〈最近 nupe 〉という のは, 省察の第1日目以 降で今日よりも過去の時を指す 省察のあゆみを歩 r ,. み 始 め て い な い 日々 は, 〈以 前 antea antehac〉と の み 呼 ば れ る こ の 2 つ の 時 を 分 か つ 中 心 が 〈一 , . , 生 に 一度 s linv i a〉 の出来事としてこの書物の虚構を成立させる t eme. ,. 9 }の出来事を デカ ルトの思索史 の上で どの時期 に割 こ の 〈一 生 に 一 度 seme linv i tの { , , り当てるか は, デカ ルト学上の一問題 である この虚構によ って何を読みとる べきかは 省 , , 察のあゆみをともに歩む者す べてが, 考えるべき 事柄である 第六省察は この虚構の時を , , 1 はさむ2つの時間を6日目から回顧して, 感覚を論ずる{ 0 ) 〈以前は an t ehac〉どう考えて い .. た か, く後 に な っ て pos tea〉どう 思 う に い た っ た か. 〈今 は nunc〉どう 考 え る べ き で ある の か .. はじめは, 頭と手と足を持ち, この身体を何かそのまま私であるかのようにみなしていた…) ,. 1 2 後 に な っ て, 時 と し て 感 覚 が 誤 る こ と を 経 験 が 告 げる( ) そ し て 〈最 近 に な っ て nu er〉私 p . , 1 3 ( } は2つの一般的な懐疑 理由を付加する 省察を始め る日は 〈 幼い頃i t t te〉 の n a e e u e n a e . , 1 4 ) 感 覚 は 時 折 は欺 く と す で に 思 い 知 らさ れ て い た( す ぐ後 に 来 た の で は な い( 1 5 } , , こう 知 っ て い る と い う こ と は, 「多 く の 場 合 は 感 覚 は 正 し い」と 知 っ て い る こ と に 直 ち に ,. なる, のではない. この2つの知り方の間に一生に一度歩むべき時がある 私自身と神につ . 1 6 ) 感覚は時折 は欺くということが 直ちに多くの場合に感覚を信ずべきこ いて知っ た今は{ , , との根拠 になる. この根拠を知ることと 遠く からは丸いと見えた 塔が近くでは四角いとみ , て と る こ と と は, ま っ た く 切 り は な さ れ た 事 柄 で あ る だ が こ の こ と が 語 ら れ る の は 6 . , ,. 日目の話である. 私と神の存在が明らかになった日の夜は 省察のあゆ みの中での時の中心 , である, その夜があげた4日目の朝には, この日にせ ねばならぬ思索がある .. 註 ( 9 ) M1 indefund i tusomniaseme linv i taes t seever enda ,17 ,4~ acpro. 2.
(4) . 日のはじまり l o ( ) M6 ,74 ,11‐16. 2 } M6 ( 1 ,76 ,21‐22. ( D M6 I ,17‐20 ,74 ( 1 の び. M 1 ,17 ,2‐3. 3 0 ) M6 ,7-8 ,77 i l eredeprehend ( 1 5 ) M1 em int erdum fal ,16‐18hosaut ,18 l iusnos l se i l ln s me i i i g t m e N n c o 8 I t u a m psum meaequeauthorem or p uncauem,posq ( 1 6 ) M6 ,28-7, ,77. デカルトは, 著作家としては短いその生涯に4冊の書物を公けにしている. その4冊の書物は, 「 それぞれまっ たく異なった形式を持っ ている, 6日にわたる思索の日々 を記述するこの形式 は, 省 察」 というこの書物の内容に即して 選ばれた, この文学形式は, デカルトが自らの 思索を綿密に公 けにするために工夫したものであっ た. AT版全集の編集者ア ダンは, この全集を書簡・著作・遺稿・断片の 4部に構成する心づ 1 7 〉 彼は, 生前に刊行された 「方法序説」 「省察」 「哲学原理」 の翻訳を準著作 もりであった( . 「 として扱い, 「フーティ ウスヘの公開書簡」 「ユトレヒト市長宛の弁駁書簡」 綱領覚書」の 三 書は, 1 7世紀の伝統である 「省察」 続編の地位 を退け, 便宜上 「哲学原理」 と同じ巻に収め 9年に出版された 「情念論」 1 8 } 以上の著作の部は都合 4巻になる. 遺稿・断片の部は164 た( , を含めて, 年代順に編纂 して最後の2巻にまとめた, 翻訳をの ぞき, ユトレヒト事件に関わ 「 る 3つのパ ンフレッ トを「省察」 反論答弁続編 と考えると, デカルトの著作は, 方法序説及 16 49 ) の4冊というこ )・「情念論」 ( 1 644 1 641 )・「哲学原理」 ( )・「省察」 ( び三試論」 ( 163 7 と に なる.. ( 1 9 )序文 i sa s> に, 自らの生涯を一枚の絵のように再現した 最 初 の 書 物 は, 3 つ の く試 論 es. i i i nc a〉 は, 伝統的な哲学の書物 i 代 わ りの く序説d p r〉 を付して, 刊行された. 〈原理 pr cou s. 〉 s e s の表題の 一つである. この書物で彼は, 文学的修飾を省き, すべての論点 を 〈命題the 2 0 〉 「情念論」は, エリー ザベト王女宛の書簡をもとに, まず王女 の形で書 き上げようとした( . i tめである. だが, ra に対してのみ 渡され, 後に私家版のように刊行された3部構成の〈論文t i i t t a o> この世のわ ずらわしさから切りはなされた虚構の6日間の く省察 med , という文学形 式の特異性は, 注目に値する. 「省察序文」 の冒頭で 「方法序説」 と対比して, デカルトはこ 2 1 6 日目の終わりに語 られる実 の 書 に お け る 論 述 の 性 質 を 〈事 細 か accurate〉 と規 定 した( ) . 生活の必要 が許さないものとは, この注意深い吟味であっ た. 読者は, この特異な時間を生 き な け れ ば な ら な い.. 註 i 1 i 1 ) Avert 8 s s ementde Ch facede Ch ) Pre Q 7 ,Adam,VI ,xi i . Adam,1 ,ix‐x (. ( 1 9 ) DM 1 ,1‐2 ,V1 ,4. 1 1 ( 2 0 ) a Mersenne ,4‐9 ,1 ,233. f 2D prae { ,7 ,4. デカルトは, 常に読者に対してその書物の読み方を指示する, 書物を読 むことは, 伝えられてき た哲学の修練の 一つであった. 読み方への指示は, わかり方への 示唆である. 思索の 一日を始め, その 一日を終える. そうして初めて次の日の光が射す. 4日目 を迎えるためには, あの3日間を歩 んでいなけれ ばならない.. 「序説」 は 「三試論」 の序文であった. その第6部は, この 「三試論」 を書いた事情を述 ,.
(5) . 佐々木. 周. べる. 「屈折光学」 「気象学」 の冒頭は, 読者に戸惑いを起こすはずである( 2 2 ) フラ ンス語で .. 2 3 ) こ れ に 対 し て 「幾 何 学 ’冒 頭 の く注 意 書 Ad▽ t 書 か れ て い る 点 も 弁 明 さ れる{ eri 」 ssement〉 ,. 2 4 は, この論文が万人向 けではないことを記している( ) 「序説」 自身もその冒頭で 〈史話な , , い し寓 話 unehi 2 5 l ) 長すぎる 「序説」 stoi reouunef ab e〉 として読ま れるべきことを注記し( , 2 6 } 「哲学原理仏訳序文 は この書が3度読まれるべき で を6つに分けて読むことを勧める( 」 , . 2 7 ) ある旨を告 げる( . 「省察」 は さらに入念にこの書の読み方を指示する 「省察序文 は , 」 , まず 「序説」 以降 . の批判をふまえて3つの大切な論点を予め告 げる ・人間的精神が思惟する 事物 である とわ . , か る そ の 時 に 使 わ れ る 〈た だ tantdm〉 と い う 言 葉 に つ い て( 2 8 ) 〈観 念idea〉 の レ ア リ タ ス に ,. 2 9 ) そしてわれわれの有限性について{ 3 0 } これらの論点は 「序文 の中では 「序説 ついて( , 」 . 」 , と似て 〈手短に pauc i 〉 本文中で のより丁寧な説明に先立 s 以前から て の読者に向けて っ , , , 3 1 } 次に読者を 精神を先入見から引き離すことが でき またそう欲するものに 答えられる{ . , , 限定する. 〈私とともに mecum〉省察のあゆみを歩むことを要 求する( 3 2 ) 私がそうだと思っ . 3 3 たその論 拠を身を持 って生きることを願う( } 「省察概要謹ま それぞれの省察の概要を箇条 . , 3 4 書風に記した のち, 読者がこれから読むべき{ )反論答弁の応答をふまえて 一つずつ前も っ , 3 5 ) 精神と神の存在を知る その論拠こそ人間に許された 最高の確実性を て論点を指摘する{ . , 持つ. これが省察のあゆみの目標である 3日間をとも に省察してきた者は この2つの真 . , 理 を 知 っ た. こ の 3 日の時を歩んだ者のみが このあゆみを支 えてきたものを見つめる視点 , を獲得して いる.. ( 2 2 ) DM6 2 ( 3 ) id ( の Geo 2 ,V1 ,76 .77 ,6一. ,24一78 . vl ,3 ,365 ,2-5 ( 2 ) DM 1 5 V 1 4 1 4 ‐ 1 8 ( 2 ) DM 6 V 1 1 1 2 ‐ , ,, , ,, ( 2 7 ) PPF,Pr eface ( 2 D praef 8 ,1X-2 ,11 ,29一12 ,17 ・7 ,20一8 ,5 ( 2 の id 1 6 一 1 9 { 3 d 9 の i 1 4 1 8 一 .8 , .,. { Di 3 d i i iusquamearun cpauc i s i i ・dem accurat iar orem expl ,18 .7 ,19adquaeh cat onem aggred espondebo ; ,pr ,r ザ.id .7 ,1…3. ( 3 2 ) id.9,25-27i i ise i 6 mecum med i i squ r tar ibus imu lqueabomn i ens busprae i i i jud c s ,mentemqueas ,s ,abducere eruntacvol ent pot. ( 3 ) id.10 3 i i ei t i i bus aranfor sdemrat on l i i in suasussum,a ,12‐14utexper oset am pos s lper suadere ,quibusegoper ( 3 の i d .10 ,20一24. rα ( 3 ) Synop.12,4 Ez 5 d s z zde加 ; i d d z eね ;i d .12 .14 ,16S8d ;id ,20 Mの?の2如} ,15 ,6Sgd ;i .15 ,15 ,15S8d ;i , . 「省察」 は 読者にその時をともにすることを強いる 〈昨日 h r ternus〉 を 思 い お こ し, 〈そ ei , . ,hes. れ ま で hactenus〉の こ と, 〈あ と に な っ て postea〉の こ と を 一 つ 一 つ 確 か め る 〈今 n n 〉と は そ uc . ,. の日のこの時を指 す. その 〈今〉 をともにしてきた者にのみ 〈今やjam〉 という言葉をそえて語ら , れる事柄が理解さ れる. こう して今, 省察のあゆみは道の半ばをすぎる . 1 日 目 の 終 わ り に, デカ ル ト は〈い つ も の 習 慣 consuetudov i tae〉〈古 く か ら の 意 見 veteres. 3 6 } 2 日目の朝は 渦巻く深みの中にいて 〈昨日 oplnlones〉に 戻 ら ぬよ う に と, 宿 題 を 出 す{ . , ,.
(6) . 日 の は じま り. 3 7 ) その日の終わりには,〈古くからの意見の習 慣 ve t e r ‐ i her >の道をた どり続けることを選 ぶ{ ,. 3 8 ( ) inioni 1 s op sconsuetudo〉 を 捨 て る た め に, こ こ に さ ら に 長 い 時 間 を か け る 必 要 を 説 く .. 3 9 ) だ が ほ ん の わ ず か 〈こ れ ま 次 の 日 の 朝 の 私 は, 〈今 nunc〉 目 を 閉 じ, 耳 を 塞 い で い る( , . 0 ( 4 ) で に hactenus〉私 が 知 っ て い る と 気 付 い た も の が あ る . 3 日目の終わりには, た どりつい. 4 1 } この3日間をこの 通 i i l u〉をさくよう 提案する( た神の観念の観 想に〈しばしの間 a quamd . りに歩みきること, そう読むこと をデカルトは要求している, デカルトは一日に一回ずつ, どこまできたかを確かめる, その日のその時か ら振り返っ て, その前はどう 考えていたかを 2 4 ) 検討の視点は, その今に定位 して, 決して同じではない, さらに, はじめの3 検討する( , 日間に振り返る日々 は, あの 〈一生 に一度〉 の時以前である. 4日目からは, くここ数日〉 が まず対象となる, デカルトは第四省察以降, 日の暮れの残業を命じない, 道の半ばをともに した者を信頼する, だが, そうとすれ ば, 第三省察の冒頭でほのめか したように, 真理を知るとはどういうこ 4 3 ) 〈と は い う も の の verumtamen〉と い う も っ と も 強 い と か, も う 知 っ て い る の で は な い か( .. 4 4 ) 神の存在証明という問題が問題と し 逆接の接続詞が使われるのは, そのすぐ後であった( , て語られるの は, この時である, この時, 秩序は判断 と観念をま ず取り上 げるよう 要求す 4 6 〉 4 日目の朝 そして5日目の 朝も く今やj am〉過ぐる数日の懐疑から浮上し, 物体の る( , , . 4 6 ) 秩序は, 日を飛ばすことを許 さない. 4日目の日 存在を証明する ことが急務と思わ れた( . のはじまりは, そういう時であった.. 註 d ( ) M1 3 6 ,23 ,14‐15 ,10 ; i ,23 i i tat d t o erna med ifueram i iam quam he ngres sus ; ザ,i r b 4t 2 4 t .23 ) M2 ( 3 7 ur suseandem v ,22hes e n a or , ,. ( ) M3 3 9 ( 3 ) id 8 ,34,12 .34 ,7 i imadver t i tenusan l io lsa tem quae mesc r ehac iquaeveresC i ‐ i h i A ecensu 3 - 4 5 t n ar 3 a u c som d e s u 種の i p ,ve q , ,. ( D id 4 .52 ,12 lpe las i rsensusaccepi ensus dhac s id i t enusut maximeverum admi ,ve はめ M 1 ,ve ,15-6 Nempequ qu ,18 i ? i av idnam ig turantehac mees seput M2 ,25 Qu ,25 i i busdesumPtas t ent C s ra meex dei i 1 i dht rendum,quastanqua 1 4s e 1 1 - s u a M3 3 8 u e r a e narebusext e cp q p , , . i imem imi l t i ebuss i tit seex s eses t t idero cons ,quaenam me movea ra ou s sr t t l iqu idin mundoexi i s ere l icausa um examinarem h scedi ebusana Excemp ‐ 2 2 6 7 M 4,58 , l i i tmodum,a h b i s i i l t taprover s e im mesaepe mu s a us s & cer im meminer t lm prae ser ,quaepos M5,70,7-9ct i l busadductus cavi ioni sejud saes rat ,fa ( 1 0 ) 註 1 ‐ 1 6 4 1 M6 7 げ . , , im cer l iquares t i us? i drequ i id t raturutdea l c oqu 棚) M 3 ,35 ,7‐8 Nunqu ergoe am s 蝦) i d ( 4 の id .36 ,30 .35 ,16 1 1 M5 6 3 6 ‐ 2 2 1 8 ‐ : 3 縦) M 4 5 , , , ,. 11. 真偽を問うためには, 真偽が問われない場面から身を引き離さなけれ ばならない, 知ること と, t ema 知っ ている と思っているこ とが分かれるのは, その後である.〈精神を感覚から引き離す men.
(7) . 佐々木 ibus abduco〉 こ と に sens ,. 周. すでに 〈慣れている assuefeci〉 者 の み が, こ の 朝 を迎 え る ,. く感覚sensu 〉 とは, ある場面では判断である 感覚するという仕方で知ったものをとり s ,. 1 ) 〈先 入 見 prae わ け 真 だ と 思 っ て い た{ ia〉と い う, 既 に な さ れ た こ の 判 断 か ら 逃 れる こ judi c . 2 } 判 断 に お ける 〈裁 断 力 の 自 由l と は( i b ium〉 に つ い て 語 る 場 を 開 く 省 察 す る tasarbi t er r , .. ことなしに判 断を下す習慣は容易に誤りうるだ けではなく( 3 ) ほんとうに知っ ていることと ,. 4 } 第 四 省 察 は 「真 と 偽 に つ い て と いう 表 知 っ て い る と 思 っ て い る こ と と の 区別 を な く す( . 一 , 題 を 持 つ. 〈感 覚 sensus〉と は, と り わ け身 体 で あ る か つ て 魂 は 何 か 微 細 な エ ー テ ル で あ た( } 魂 っ 5 . .. は, 引き離さ れるべき身体から引き離されたとき 〈精神 men と呼ばれる( 6 ) 身体と結びつ , . いた感覚は, 私の外にあるものの本質については あいまいでまぎらわしい知を与えるのみ , 7 ) あいまい でまぎらわ しいものをよ り分けるという ことの内実は 今日明らか である{ にな . , 8 ) 第五省察は「物質的事物の本質について という表題を持つ( る{ 9 } さらに 感覚は身体を . 」 , . 介して快と不快を告げるが◎, このことは 知性と想像力をより分 けたのちm} 第六省察の , , 後半で, このあゆみの最後の問題となる . そ れ ら の た め の 準 備 は 終 わ っ た 〈習 慣 consuetudo〉と は 常 に 悪 しき も の で あ り 日々 の . , , 1 2 } 切 り は なさ れ た 3 日間の省察は 私を私の手で慣らすのに費やさ も の で あ る{ れた 〈私が . ,. .. 知 っ て い る と 思 っ て い る こ と meaeop・nlones〉は す べ て 私 か ら 切 り は な さ れ た{ 1 3 ) とり わ け , ,. 1 4 神という言葉で思い描いていたあいまいなものを( )切り捨てた( 1 5 ) 私が作り上げた 私の人と . 1 6 ( } なりは, 〈習性hab i 〉と呼ばれる t us . 今日ま でのあゆみの内実を問うことが, 今日の課題 1 7 }は 神 の 証 明 と と も に 現 わ れ た{ で あ る. 目 覚 め の 光{ 1 8 } ,. 註 ( 1 } M L 18 idqu i dhaC t enusut maximeverum admi i ・as ibus ・persensusacce s ens ,15一6qu ,ve ,ve ( 2 ) Synop 6 ‐ 8 メ の ヴ 覆 る α煽 ぎ z ‘ の 可 ′ す る “ 乙 卵 4 婚 “ ′ Z 〆 P ’ 復 ” s ち .12 8 舵 危 財 の 〃 z 姥 , 卿s q ’ ’ ? ”’ ’m β〆 ’mfqd’ ’ ⑦ 〃“Zのれ αs g“櫛鰯s 臨御α”αの〃 ザ.Praef 9 2 6 ‐ 2 7 註1 ( 2 ) 3 .,. .. ( 3 ) M6 inequadamincons edaconsuetud i derat i iaccep i ejud cand i l ing i ,82 ,2‐4s t saes sefac econt ,atqueideofal 2 1 2 9 ‐ 3 0 i ゲ.M1 i d i ll n o n r t i e n c t t d o n s e r n p a am v l i d & e e v a t e m s e d i r o rv i , , p p e a as me t atasratones , ( 4 } M3 iam obconsuetud inem credend ic lare meperc i i t ,35,24-26quodqueet rabar perearb ,quodtamenrevera ip i non Perc ebam ( 5 ) M2 ,26 ,8‐11. ( 6 ) M4 1-2 mu l toquepl i ; id ura de mentehumanacognosc ,53 , ,53 ,5‐9 ザ.Synop 2 0 ‐ 2 1 欄 i α 加 彰 のd 々 o s i ’ “’ s e れ ; Ep s 揺 t 〃 解〃 解 ””だ ’ 〃 .14 α 切 , s ar equi runt mentem .4 ,28‐30qui i i i lanel i beram, & quaeseipsam asensuum consor jud a prae c sp iofac i l t b d esu ucat { ) M6 7 i tcorporum ext i torum es ranospos ia ih i ln i iva sent ldeobscur ,21 3quaenam s ,83 s e ,dequatamenn & confuses ign i f i cant ( 8 ) M4 l iqui ius & obscur iusapprehendo s s ,62 ,24are ,quaeconfus , ecernam. ( ) ゲ.i 9 d 3 iasecr et as ,5 ,5ab omni mater ( l o o M6 8 3 1 7 ‐ 1 9 d i i i f t i d a m e n i s n c a n u m quaenam compos to g iuspar t intve lincommoda ses , , ,cu ,commodas ( I D ザ.Synop 2 ‐ 2 1 0 加 d m 鯖 〆 Mをm の み s 釧 み め a .15 “ の o 望郷 “啄 z ゑ , z es e c e粥妨げ ( 1 2 ) M1 inem v udo ;id tud i tae mereduc i t ; ゲ id 22 4 consue ,22 ,17pravaconsuet .23 t ,10-1ladconsue op l n lones. G U. , . ,. ae.
(8) . 日のはじまり l on lvocabo l ihu i s i ber lmonum ever i 6tandem &l c mearum op ) id egenera Q 3 er .18 ,2‐3s i i D i t t es se n o e um d t u so i f i e n v e m em p , ( 1 ) id,21 4 ,1-2 Verumtamen n xa quae am es ea. f ingantur fectus Deoaf iaf f Prae .9 ,11‐12human i i l i b lnes i um imag erum sens i sobruerer d D ,& r M5,69,4‐6 Quod autem a eum attnet ertenisipraeiudici. iderent iex par t i eobs tat onem meam omn cogi d i;i d D lura e eocognos c toadhuc p ) M4,53,2‐3 mul ( 1 5 ,53 ,9‐18 d i ram d l i tum quem am noner ran acqu ta hab Q 6 ) M4 ,62 ,6‐7atquei d f i d i i& e s con ere esu cam s entr l sas ゲ.M1 ,7-8necunquam l ,22 l i l i uce i i i il l idaequi qual asuccedens et aborosavg ac ( 1 7 ) M1 ,nonina ,15‐16p ,23 d i l h i i ihu iusluminspuc rtu nem Q 8 ) M3 ,13‐14immens ,52. 真理へといたるための手がかりは, 私のうちにある. その手がかりに手をのばす時に, なんらか の外か らの力を感ずることはない. デカルトは, 懐疑の重石をはずして, 一つ ずつ今まで目を向け ていなかったものを取り出す. 第四省察は, 判断する能力 と呼ばれている ものを問題とする. 省察のあゆみは, 私の存在を何か公理のように思いなして, そこから諸定 理を演輝するも のではない, 私がある ということだけに閉 じこめられた私の中から, 私を少しずつ取り出し. 1 9 ( ) て い く 過 程 で あ る. 閉 じこ めた の で あ っ て, そ れ だ けに して しま っ た の で は な い , 2日目 1 2 } 欺 2 0 私 と い う た び ご と に 私 が あ る{ の あ の 省 察 の 時 に は, 私 の す べ て は 手 つ か ず に あ る( ) . . 2 3 ( ) 2 2 と 想 定 して い る , 誤 っ て い る か て い 欺 れ 蹄 者 が い て 私 を 欺 い て い る. だ か ら 私 が い る( ) . 2 5 } 真 理 を問 いう る場 に私が 2 4 ) 知 ら な い か ら 知 らな い と いう( る の で は な い か と 思 っ て い る{ , . 2 6 } dubi to〉 と い う( 懐疑する め方を 〈 この閉じこ が私のすべてである . いたから, この私 , .. 2 7 ( ) この箱から何かを取り出そうとすると, すぐに取り出されたものは汚れてしまう . それ 2 8 ( } tor〉 と い う , ま ず 取 をもう 一度懐疑しながら, 一つずつ取り出すことを 〈省察する medi り 出 さ れた も の は 思 惟 で あ っ た, 〈精 神 men と呼んでもよい. 私はこういう私だ. これ , 2 9 ) ( は 真 理 で は な い か, だ か ら 知 る と は どう いう こ と か 私 は 知 っ て いる の で は な い か . こ の 問. い で 3 日目ははじまる, だが, 取り出された思惟は, またもう物体的事物の あいまいな観念 3 1 ) それ 3 0 ) 単 純 な も の と 区別 が つ か なく な っ て い る( と, 習 慣 と して の 判 断 に よ っ て 汚 さ れ( . , 3 2 ) ( して , つ は 欺 蹄者 に 欺 か れる 私 と, つ く ら れて ある 私 と が 混 ざ っ て い る か ら で あ る , こう 3 5 } { 3 4 3 3 ( } ( ) 日々 ら の省 が こ れ か の 質 表 象 ・本 断 の 念 ・判 あ る 観 く ら れ て あ る 〈私 の 内in me〉 に. 察の対象となる. 真理は私の 内にあるのではない. あるのは手 がかりだけである. 私は私の内にあるのでは 3 6 } この光は自然の光である. あるいは自然で ない. 汚れを落とされた手がかりは光 を持つ{ . 3 8 ( ) 3 7 ) あ る( . つ く ら れ て あ る も の を〈自 然 natura〉と いう. こ れ が 6 日目の最後の課 題となる . 3 9 } つくられてあることの 理由をたずねることもで 私は自然の内にある 一つの自然に過 ぎず{ , 4 0 ) 私がつく られてあることに不平をいうべきでないと論ずることを, 弁神論と呼ぶ きない( , こ と が ある,. 註 imae naturam i ipos i t l d t uaefor sentad an i c * eet am d t f ( ) Pr 1 9 ae ,8 ,3-5 ut vox 如鱈 れ caeera omnaexcu a q i t e r ner pe. 7.
(9) . 佐々木. 周. ( 2 の M2 icunctaad me Per ineant t ,28 ,23…4 Non Paucasanをhaecsunt ,s. 姥D i d i l ment tur iP esa meProf i er tur econC .25 ,12-3quot ,ve ( 2 2 ) id 5 ‐ 8 M 伽 ) 1 2 2 2 一 2 3 6 ,25 , , , 脚 M2 ih i lunquam ext i i edon t iar s seeorum quae mendax memor ,24 ,14‐16cr epraesentat { 2 ) id 5 1 8F i h t i h i l o r i a s s s o cu n u m t n e s s ec e r ,24 , , αの け. M 4 i tendo me dub tare ,53 ,1o at 鱈 ) M2,25,17‐18aberrem etiamineacognitione,quam omniumcertissimam evidenr i imamquees ss secont endo id 2 9 2 8 ‐ 3 0 d b t a u e d a e r r r i i a e g m e n s me t t i a n e t i l i i c u m s e t ibe a u r r t i n aver a s m t , , p escoh r , { 2 }i 8 d idnam meol taborqu im es ider am denuo medi im,pr secr i iones ed l tat ,25,19‐20Quarei usquaminhascog i i di nc s sem. ( 2 ) M3,35″州8 Nunquidergoet 9 iam sc idr i iquares ーo qu im Cer equ raturuddeai ? tus ( 3 の M3 ( 3 勤 id ( 3 2 ) id ,35 ,26一29 .35 ,30一36 ,4 .36β-12 ( 3 3 ) M3 4 0 6 i d i u a r m u t e a q e n m es u n , , ( 分. M 4 3 iorquandam i i ifaCul n mees tatem seiud cand ,53 ,30exPer ( ) M5 3 5 6 4 1 1 ‐ 1 7 ( 3 6 ) M 4 5 8 グ 3 0 5 9 4 l l e x m agnaluceinint , , e ectu . , , ,. ( 3 ) M3 7 ,38 ,23‐27 ㈲ M6 8 0 , ,21‐24. ( 3 9 0 M 4,55,27‐29 { 4 0 D id .55 . ,14‐6. 判断にお いて, 誤ることがある 私たちは 知らないことがあることを認めなければな らない . , , 私は, 私によっ てあるのではない, これが, 第三省察 における神の第二 証明の論拠であった 私は . , 私の力だけで, 真理に達することが許さ れて いるだろうか 明証性の一般規則 に関わる問いは こ . , の日になって初めて私の有限性のもとで考察さ れる . 懐疑 は, 極めてた しかにわかったと思 いなし納得する( 4 1 ) という 場面とは無関係 である , .. 2 4 ) 信 じて い る と いう こ と が 知 っ て い る と 思 て い と り あ え ず は 確 信 と 懐 疑 は 対 立 し な い{ っ , , る こ と だ と い え る の は, 懐 疑 が あ っ た か ら で あ る 誤 る こ と が あ る と い う こ と は 誤 た こ っ . ,. とがあるという こととは無関係である 感覚は時折欺く 四角い門を見誤ったことがあった . , , 4 3 ) 目 が 見 る の で は なく 目 で 目 に よ て いま, 私は 〈物体から acorpore〉 無 縁 で あ る( っ . ,. ,. ,. 私が見る, 身体としての感覚とは無 縁の私が誤る デカルトは ある観念が私の内にあると . , 気付くことを, 〈立ち 現わ れる occuri t〉 と い う こ と が あ る が(“) こ れ と 同 様 に 〈経 験 す る ,. 、. ,. i 〉という動詞 を使う場合もそ れは知覚体験とは関係がない ある能力があると気付く expe r or . 4 5 ) 省察のあゆみを歩 み はじめたものは その能力の働 いた結果と無関係 に 誤 、 ことをいう{ . , , りうると既に気 付いている. 懐疑するという働きは 誤りうる能力と でもいっ たものの働き , で あ る, と こ の 日 の 朝 に は 思 わ れ た .. 誤りうるということ は, 確かに一種 の能力であろうが その能力を働かせ るというのは弱 , 4 6 ) 他のものを原因とするものが そのものを必要としな いその原因に依存する さであろう{ , , ・ よう に, 不十全なものは十全なものがあっ てはじめてある( 4 7 ) 私の有限性は 私が〈神によっ . , 4 8 } 私 が誤りう るよう につく ら れてある という の が本当 な て a Deo〉 あ る こ と を 示 して い る{ .. らば, 確信は常に真理と無関係なものにとどまること にならないか?. つくられてあるとい. 4 9 う こ と が 私 た ち に と っ て よ き 知 ら せ で あ る な ら( ) 誤 り う る 能 力 な ど と い う も の は( 5 0 ) 本当 , , はな いの だろう か?. 8.
(10) . 日のはじまり. 註 l l i 1aneabi t。 am P i sPer suadeor i t l dec larePerc ror perearb es 名P M 3,36 ,meconver ,quasva ,12…14adipsasr. i d acorP。re habens iud qu ( 4 3 ) ゲ. M 4 ( 2 ) M5 4 ,8-9necal ,53 ,1 ,26-66 ,65 M4 3 1 2 5 ( 4 の a γ ギ .g . , , i ) ; id i ii ) ; id deasa me n。n pendere iori ・48 ,24 窮め M3 ,47 ,1 (experorcogntonem auger ,15 (exPer ,38 luPtat d ior ) ;i rc l I Pos se em Pe im es p i ) ; id iexPer seexPer iam t (potent or ,52 erminar ,20 (vo ,49 ,18(v iaes ium) ;id 55 17(al b i b s e i n o x i d 4 1 1( eo 5 r r u se s s rm ee r o 3 0 ; e r o 3 e x i ) ; M4 5 註 , 栂 の ザ P , or exper , , . , , iexper i 57 i b ) ;id i l t o r 3 0( t m s c r ) ;id m r c u a c o u n e i v , , ntnoncomPrehendo l 。rquaequarefactas .56 exPer , iaexPer ior ); i f f i d t 24( ) d 5 9 i ;i r i e e n i d i f f n 8 6( t d 5 r ior ) ;i x e r o r e n ae n e l p 13(vo . untat em in meexPer , , , i ) iexPer facu l tat or ior ) ; M6 e meut i i tat id em es seexPer rmi n meinf ,71 ,21( .62 ,3( 1 2 i 1 0 f d 9 2 0 ; ゲ.Prae . , .,. M6,76,21 ; id,86,23 i i 6 t M r e n a exPe ,25 ,87 ) M4 ( 4 7 3 2 2 9 5 5 ‐ ザ, M4 ,9‐12 ,53 , , iam meam dePendere i t i l i l los s ent stotam exi i i s moment t ngu D t 1 5 - 1 6 M4 5 3 x e r e am e s um e e ,atqueabi , , i D t c c e l i e 。a n a l & u P 1 - 4 t el n m es id 5 3 3 5 l a u a r u aomn e u q q , , , , i t d i s ,a Deo habeo .55 ,6quodcunque n mee imL toPt i l l im t m erid quodes i d bi t i id ,55 , u-12necetam u um es qunve se P i d l rare d if i t t e o r o s seunquam er i h id d o nv i l l t e m n l l a P n a c u r e r r a e e ‐ 8 e m i 5 4β d necu am , imentum exper. ( 4 6 ) 蝿の. 頃の. の ( 5. .. i a> をた どり終えたとき, デ た どるべき道は, た どらなければどこへいく 道かわからない. 〈道 v. カ ル ト はそ の 道 を 〈論 証 argumentum〉 と 呼 ぶ. 日 の は じま り に は い つ も, 道 が あ る よ う に 思 わ れ. i i jud c a〉 と呼 ばれる, ae るだけである, 行く手をは ばむものは, 〈先入見 pr. 論証をともなっ て知ることを, わかると呼ぶことにすれ ば, 私の内にある神の観念の客象 5 2 )の原因 を求めて神の存在にいたる昨日のあゆみは, 今 5 1 )と形相的レアリタス( 的レアリタス( ( 5 3 } 日 ふ り か え っ て み て, わ か る と い う こ と の 典 型 で あ る よ う に 思 わ れ る , わ か る と い う こ と 4 ( 5 ) は, あ い ま い で ま ぎ らわ しく な い 観 念 を 取 り 出 す こ と か ら は じ ま る , あ い ま い で ま ぎ らわ. 5 5 ) 観念という言葉の あいまいな使い方で しい観念をつくるのは, してしまった判断であり( , 5 7 ) 経験論はどこへもつ 5 6 ) ( 験論批判であ 観念をめぐる経 は っ た{ る 3 日目の最初の仕事 あ . , ,. 8 5 } つ く ら れ て あ る と いう 仕 方 で, 私 が, つ く ら れ て ある 世 界 の 内 に あ る こ と, れ て 行 か な い{ . 5 9 ) こ の 道 が 〈私 の 外 ext ra me〉 の も の に つ い て わ か る と い う こ 〈道 vi は こ ち ら に あ る( , ,. との内実を与える. 私の外にあるのは物体だけである. この, だけ, ということが問題にな 0 6 ) 私の外のものにつ いて の論証 をともなっ た 知 を, 〈学知 るの は第六省 察の 前半である( . 6 1 ) { 質を表象する能力 が, 学知にとも なうことは第 五省察の 物体的事物の本 という i i 〉 t s cen a . 6 2 ) 結 論 で あ る( .. 6 3 ( ) く今はj am〉 そのような道が 〈見えてくる videor〉 と いう だ け で ある . こ れ は 〈思 い な. ibi t して い る ar ror〉と い う 意 味 で, そう 思 っ て い る だ け, で は な い が, 能力 の 経 験 と 同 じ く,. 立ち現れである限りは否定でき ないとしても, 目を向きかえて 他のものを注目すると, 別の, それとは矛盾する立ち現れがあっ ても不思議ではない, という意味で今はそう 思えるだけ, 6 4 ) ( で あ る, 〈事 細 か な accurate〉省 察 が は じま る の は, い つ も こ の 地 点 か ら で あ る , あ い ま い. l l 〉 というが, 4日目の朝の混 tu t ec s n e でまぎらわ しくない観念とともに知る能力を 〈矢廿性i.
(11) . 佐々 木. 周. 乱は, 失弾性が誤りうる能力と共にある, というある意味 で正しい そしてそうあるべき事態 , の, だがすこぶる奇妙な言い方にまとめられる .. ( 5 P M4 l i i t sideain mes ,53 ,13ta { 5 2 ) id 5 3 1 3 i ‐ 4 l lam habensexi svequodegoideam i tam s . , c 3 )i d 5 i h i levi dent ius ih i lcer iusabhumanoingen t iocognosc ipos idam .53 ,16‐18utn s econf ,n. 捌 ) id.53,11一12clara & distinctaideaentisindependentis & completi i t De ,hoces ( ) M3 鮎 lcer iverumjud i t e cabam ,35 ,28‐29ve ,s 嫡 Di d ine isol t aeinsespectant .37,13-14Jam quod adideasatt ,s i d { 5 7 ) .37 deas i busdam ext i cem rebusqu i i imi l t ra mepos ,23‐25i ss ,quaein mesunt eses s e ,jud c d 鋤 i i io tojud enusexcer l c iquoimpu l d i d i .39 ,31‐40 ,2non hact su r c e ss e ,sedtantdm excaecoa , { 5 の id l ia quaedam adhucv ia mihioccur i t r ・40 ,5Sed a 側) ゲ.Praef ih i le iam a l iudreveraadi t l l inere t am per .8 ,14-15 n ( 6 0 グ. M 4 0 6 2 ) M5 ,53 ,20 ,71 ,3-6 倦め M 4 iderevi deora l iquam v iam ,53 ,18Jamquev. 棚) M 3 indejam v ideorproregu la pos tatuer ses e ,35 ,13‐15ac pro i d ide turexigere .36 ,30 Nuncautem ordov. id i de i l iaeinnat i saut em i i sa iae iaea meipsofactae mi ae t .37 aeadvent h iv identur ,29Ex h ,al ,al M4 lum dehacredub ium super i iindesequ iv idere es set tur s ,54 ,4‐5 Necul ,n M5 6 5 idindehabe iet iam potes r targumentum , ,19州20nunqu. M6 iv ideturi i lasexi equ t s ere ,71 ,22s id 7 4 9 0cer iquod argumentun tum al lprorerum corporearum exi i t ahaberepos . , im s ent s id iam c i i r buser caint ernossensusin qu deordeprehendi queet .83 roresvi ,28-29at s se. 一つの事柄は, 一 つの言葉で, だが多く の語り方で語られる 一つの場面を ある時を限定 でき , , れば, 一つのことだけが名指される 秩序を持 つ限定がなければ 観念はあ いまいでまぎらわしい . , , 4 日目の朝の〈有限f i i 〉という言葉がそう であっ た. 私は無限ではな いから 神ではないか ら t n u s , , 誤るのだ, と語るときが そうであっ た. 私 が, 私 に よ っ て あ る の で は な い と い う こ と は よ い こ と で あ る デカ ル トの 言 い 方 で い , .. う, 私のそして自然のすべての原因である神の善性 は 第三省察の末尾で 宣言された{ 6 5 } , , , . 観 想 の 内 に 一 晩 を す ご して も, こ の こ と は ま だ 人 の 目 をく ら ま す{ 6 6 ) よ い こ と で あ る と いう , こ と に 向 か え ば, 真 理 に 達 す る た め に 何 を す べ き か 思 い 知 ら さ れ る こ と が な く{ 6 7 ) つく られ ,. てあるというこ とに向きなおれば, 誤りうる能力 のみに心を奪われる{ 6 8 } 誤りうるのはよい . 6 9 ) と は こ の 2 つ の 事 柄 を た す き が け に した ま が い も の で あ る こ と な の だ( , .. 私たちの有限性が, 知の根拠 である, といいかえてみよう 私の外にあると いうことを真 .. で あ る と いう こ と に す れ ば, こ の 命 題 は何 か が な い と いう こ と が 何 か が あ る と いう こ と の ,. 根拠だと述べて いることになる. 何かがないと いうことは 何かがないことの根拠にしかな , 0 7 ) こ れ は ま ぎれ よ う が な い{ 7 1 } 過 誤 は 欠 如 に す ぎな い ら な い( . . .. これはまがいの議論である. 有限である, ということは何 かがないことであるのは確かで. 7 2 あ る が, そ の 何 か が な い と い う こ と が あ い ま い で あ る( ) 誤りう る 能力 が そのまま真 理に . , 達 す る 能 力 で あ る と 思 い な す こと が も う 一 つ の 問 題 で あ る{ 7 3 ) 何 か がない と は ある べき , , , 10.
(12) . 日のはじまり. ものがないこととは違うし, 誤りうる能力というのは2つの能力を混 ぜ合わせたもの だ, と いうの が, これから先の論点である. 私の外にあることを真という. この意味では, 私と神は真理ではない. あるものはすべて. つく られてある. つくられて あるものを真というなら, 私の存在も真理である. あるという ことを真であるという なら, 神も真理である. あるものをただあるようにすることを知とい dea〉 である. あると肯なうこと う. あるものの 〈私の内〉 という仕方でのあり方 が 〈観念i を判断と呼ぶなら, 判断にとって最も問題なのは, <私の内〉 という仕方でしか ないものを, そっくりそのまま, つくられてあるということから切りはなして, 私の外にある と肯なうこ と で あ る,. 註 鯨) M 3 ,52 ,6ー7. i i i i i f repoter t l i ii 鰯) id .52 ,14-15quantum ca gants ngen me aces er i 1 0 ‐ 1 2 6 8 ( ) d.54 0 6 7 ) M4 0 , , 1 ,54. l i ? l iqu亘m nonfal l i t mefal d ◎ i uses rgo me ・55 ,13annee l l igo i A t d ( 7P i e d { 7の i .54 ,24 tque tacereint .54 ,24‐30 ect um ( 7 2 ) id sedef edtantummodoes ,54 ,26s i i d tasve ( 3 )i 7 rumiud cand .54 ,29facul. 命題は命題として言い切られて初めて, 揺り戻されることができる, 論証は結論を述べる ところ からはじまる. 省察のあゆみをともに歩むものは, とりあえず言い切られた命題を, それだけのも のとして, だがそこへと自ずと立ち帰る ものとして, 受け入れなけれ ばならない. l i avia〉で あ 観念を手がかり として真理に達しうると主張するのが観念論というく別の道 a るが, デカルトの場合この主張は, あるものはすべてつくられてあり, つくられて あること がよいことである, ということを根拠に している. 確かにこれは, 第四省察の結論である が, このあるものについて, 物質的事物の本質 と存在との間の違いについても, 物体と精神とに 共通する実体 ということについても, つく られてあるものすべてである自然ということにつ い て も, こ の 日 は ま だ 何 も 語 っ て い な い. つ く ら れ て あ る こ と が よ い こ と で あ る と い う 命 題. 7 4 } 観念を手がかりとして真理に達するとは, は, それらに即 してその時に語り なおされる( . 知性の働いた もののみを意志が肯定する ことである, だが, このことを, この2つの 能力が. 〈神 に よ っ て〉 い て, そ の 〈神 の 善 性〉 に 支 え ら れて い る と, この, の み と い う こ と を 明 ら か に して い く こ と で, た どる の が, 今 日 の 道 で あ る.. 私の有限性 が知の根拠である, という命題は, そう述べられた だけでは, 私を満足させな. 7 5 ) こ う 語 っ た そ の と き が, こ の 日 の は じ ま り で あ る, 知 ら な い か ら 知 ら な い と い う こ と い( .. は, 知ることの根拠である, こう伝え聞く ことが哲学の端緒である,. 註 M6 ( 7 0 M5 ,12一15 ,84 ,79 ,27 ○ ,4 ; M6 ,13…18 ; ,70 i inosat i fac t hocnondum omn V 1 t s 5 4 3 ( 5 ) M4 n 7 r am e e um , , ll.
(13) . 佐々木. .周. 1 1 1 繰り返される揺り戻しが, 静まる時がくる. このとき私の内には確信が訪れる そうあってそう .. で な い と 思 え な い と いう と き, こ の 思 う と い う 言 葉 は 知 っ て い る と 思 っ て い る と いう とき と 同 じ ,. であるか. 意志を正しく用いるという第四省察の主題は, ここで 懐疑と明証性とを 6日間の省 , , 察のあゆみをきり分ける,. 時間は空間と等しく, 道はゆっくりとた どる以外に すべはない 神の 観想により注意深 ,. 1 ) 私 の 内 へ と よ り 近 づ い て( 2 ) こ の 日 の 省 察 は あ ゆ み を 進 め る( 3 ) ゆっ く り とす れ ば 誰 く{ , , , ,. 4 ) 身近にないものはより思いをこめてその内へと目をこらさな ければ も計算を間違わない{ , 5 ) わ き 道 は 入 念 に 避 け ね ば な ら な い{ 6 ) あ る と 思 っ た も の が な い こ と も あ る{ な ら ず{ 7 ) ある , , .. 8 ) 論証は完成する 誤りにはわけがあった{ ものがただあるよう にみられたあとで( 9 ) 事柄は , , , 1 0 } 昼 の 光 を あ び て 明 ら か に な る, こ れ が 一 日 の 中 心 で あ る{ .. 午後には午前の道を振り返る, つくられてあることはよいとしても 今の私でないよう に ,. } も う 一 度 道 をた ど ら な け れ ばな ら な い( 1 2 ) 一度 だ けでは覚え られ も で き た の で は な い かQI . .. 1 3 ) 道は 自ずともとのところへと立ち戻る 私の存在も 神も物 ない弱さが, 私にはある( , . . , 1 4 } だ が 立 ち 戻 っ た〈今〉 そ の 同 じも の が 静 か な 夕 体 も 正 気 で, な い と い っ た こ と は な い( , . ,. 1 5 ) この繰り返 しだけが 私を それがあるがままの人と べの光のもとでより明らかになる( . , , 1 6 } 次 の 日 また 同 じこ と を しなく て は い な り と して, あ る よ う に す る た だ 一 つ の 道 で あ る{ , .. 1 7 }悪しき習慣を逆向き へと習慣付けるために繰り返すことと 習性が けないのではないか ?{ , 自ずと行うことは違う. それは, もうそれでよ いのである . 今までの場所から身を引 き離し, 注意深く事柄を一つのものへきり分け ゆっくりとすす , む. それを繰り返し, 自ずと静まる時 へといたる 道のあゆみは この4 つにまとめること . ,. カミて き る,. 註. 1 ( ) M4 iad De t inaturam ; id endend ids ; ゲ. M3 tent ,55 ,3 at ,55 ,14 Dum haec perpendo at ,52 ,Io sed i i l igent iusexam1nem usquam hocd pr i の id iusaccedens nde ,56 ,9 De ,ad meprop { ) ゲ. M 3 3 i i i i l igent idsanfor ias rcumsp t intad quaenondum respexi c am d eapud meal ,35 ,4‐7 Nuncc. { 4 } 釧.gγ i l igent iusat if i t i f t man endent tum es . M5 ,66 ,7Sedtamen d. ( ) M5 inonnu 5 l l i t i ias int i s iabi aun i iprop cu i iunt& d dsinspi i l i averononni queobv s squ c er ,68 ,24‐26e gent ,al inves i t teguntur gantde ) M2 { 6 l i l l i l gent i imees emqueabi sdi s s seavocandam ,28 ,17‐18 ment. ( ) M1 7 i i t lanev t i deonunquam cer i oat ent i i i us t sind c s ,19 ,19-20quaedum cog ,tam p igent i M3,42,27‐280mniaenim dil imec & l l l i d ss ih l r cumspexi t t n u um a u o u a c e nusreper l re p , { 8 ) M4 i i s es cspectato ,56 ,17-18praec id im vol i end .58 ,14-5v ,quam a Deo habeo ,persespectatam. ( ) id.60,6‐7 Atquein hocl 9 ibe iarbi inonrectousu pr t ivat i l l r r i tquaeformam er i i oi aines t tu t ror scons . 仰 げ.M2 idi i tursum?Rescog t gi ans ,28 ,20 Sed qu . M3 i i t ioexi ed t l c s De L 1m neces tconc sar s ere udendum ,45 ,17憎181de。queex ant ,es. 12.
(14) . 日 の は じま り ⑪. i l l im habeocausam u rend M4 am conque ,1I Necqueen ,60. ipermi t tamus imashabenase ll i tur axi s s t 2 oig ( 1 ) M2 ,& adhucseme ,29 ,30Es i l i i tafac i i e i b i l i sac em exCaecant & m ent i d ma n e s t t - 2 n um 2 6 8 Q r e r u m s e s g o m n u sa e n ) M3,47 m ,noni ( 1 3 c , , recordor ′治 山( !如閉講 も . ) Synop ( 1 4 ; z q加川$解放β撒助成ssg′ .16 ,2‐3 粥川o 比 i id ea s t i i i l i ds i t d i t nves d t gavi tum qu 2 1 9 ‐ 2 1 s u am 3 u o r o s n n gent M2 c ,tum quomodo e o q n v p ( 1 5 ) a p , , , ? catur cognos f i i ioneef iusi tat t cere 2 5 6 t ( 1 6 ) M4 erata med enta & saep , , at 9 1 6 2 6 6 ‐ 1 ) M5 ( 7 , ,. よく生きるためには, よい人にならなくて はならない, よいと形容される人となるためには, よ く 生きることを繰り返さなくてはならない. 意志の善用に関して, デカルトはそれを習慣 とするた めに, この日の終わりにただ1回の決心を要求する. この決心は,〈一生 に一度〉で, よいのである, 私 は 知 ら な い か ら 知 ら な い と い う, こ の 私 が, た だ あ る が ま ま の 私 と して, 私 に よ っ て で. はなく, あることのうちに, 真理に達することと, よき人となることの根 拠がある. 懐疑に よっ て. 精神とその 起源の作者である神を認 識する, その神のうち に学と知恵という宝があ る, とデカルトはいって, その弁神論をはじめた, そう初めて彼がいった日を, その後の繰 り返しをのぞいて, 一生の 一度の時として, 指定するのは, デカルト学上の問題である. つ くられてあることに不平をいうことは, 不真面目にか何かにとらわれていない限り, ありそ うもなく, そもそも知と善 を願うことを無意味にしてしまう. すべての人は幸せでありたい と願い, 知ることを欲する. このきわめて強い願いこそ, 〈一生 に一度>の時を中 心とするす べ て の, は じま り であ る.. この省察は終わりに近く, 私はせね ばならぬおおくのことのある人として, 夜明けを迎え る. これで本当によいのか. 人として間違いはあっ ても, それはそれでよしとせねばならな い, 6 日目の終わりは, このことを繰り返した しかめる時間がなかった. 真理の観想 と実生 活の境目であるこの時が, 著作家としての デカルトの折り返し点となる, 後悔する私も自然 で あ る の か. そ れ で よ い と な れ ば, 罪 を 犯 す こ と の 方 がよ い こ と に な ら な い か.. 道の歩みは, この問い を前にして同じであるの か. 知を愛することは人々 を幸せにするか, 私たちの本性である弱さはここで認めなけれ ばならない.. イ 寸 記. これは, 以下の文部省科学研究費補助金による研究成果の 一部である. 昭和63年度総合研究 (A) 「デカルト 『省察』 の (共同作業による) 批判的注解 とその基本. 的諸テーマの問題論的研究」(研究代表者 中央大学教授 所雄章). なお, 東京大学 大型計算機セ ンター・北海 道大学大型計算機センタ ー・大阪大学言語 文化部言語 工学部門の計算機 を使用した. (本学助教授 旭川分校). 13.
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