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ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式

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(1)

〈 論 説 〉

ナチス国家権力を背景とした

犯罪の処罰とラ

i

トブルフ公式

l

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- - , ノ

51一一『奈良法学会雑誌』第12巻1号 (1999年6月) 私はこれまで国家権力を背景とした犯罪の処罰の問題性を検討し、その圏内法による処罰は遡及効禁止原則の観点 から否定されるべきであり、将来の行為については国際刑事裁判所による処罰で対処すべきであるとの見解を主張し ( 1 ) てきた。しかし最近上田健二教授は、このような所謂﹁ラ

l

トブルフ公式﹂によってもナチス犯罪や壁の射手事件な ( 2 ) どの処罰は不可能であるという見解に、法哲学的立場から根本的な批判を加えられた。そこで、この﹁ラ

l

トブルフ 公式﹂の契機となったナチス国家権力を背景とした犯罪の国内法による処罰問題の一例として所謂﹁ホロコースト﹂ 問題に関連した事例を検討し、﹁ラ

l

トプルフ公式﹂の意義とその適用問題について考察する。 ナチス国家権力とそれを背景として行われた犯罪 一九三三年にナチスが政権に就いて以降、 ユダヤ人の迫害などさまざまな不法行為が行われたことは周知のことで

(2)

第12巻1号一一一52 ある。問題はナチス政権がそれを単に容認しただけでなく、 むしろ国家がその不法行為を主体的に遂行したという点 にある。これは国家権力直接行使型の犯罪であったといえよう。以下では、戦後の国内法による処罰という観点から 特に重要と思われる類型について検討を加える。その際、注意しなければならないのは、 以下の考察の目的は、歴史 学的な関心に基づくものではなく、あくまで刑法上の問題点を考察する前提としての検討なので、法的な問題に焦点 ( 3 ) が絞られるということである。 1 所謂﹁ホロコースト﹂ ﹁ホロコースト﹂とはギリシャ語訳聖書の﹁ホロカウストン﹂という語に由来するもので、﹁焼いて神前に供えら ( 4 ) れるいけにえ﹂を意味するへブライ語の﹁オラ﹂の訳であるとされる。もちろんここで問題となるのは、ナチスの指 導の下におこなわれたユダヤ人の迫害および大量虐殺のことである。ナチスによって行われた犯罪は、ホロコースト ( 5 ) だけではない。その対象はユダヤ人以外の少数民族や精神障害者政治的敵対者等に及んでいたことは周知のことであ る。しかしこの問題がナチスの犯した犯罪の中でも最も広範囲かつ重大なものであることには異論がないであろう。 従って以下ではこの﹁ホロコースト﹂、 即ちユダヤ人問題の最終解決がどのような法的状況の中で実行されたのかを 検討する必要がある。 2 ナチス法の特色 この﹁ホロコースト﹂問題とナチス法の関連で解明されなければならないのは、ナチス時代にどのような法が妥当 ( 6 ) そこでユダヤ人にどのような法的地位が与えられていたかという問題である。 していたか、 ヒ ト フ

σ

コ 口 頭 の ユ 秘 ダ 密 ヤ 命 人 令?の に)虐 よ 殺 つ 計 て 画 実 は 行 ユダヤ人問題の﹁最終解決﹂として有名なヴアンゼ

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会議で最終決定され、 に移された。そのことからこの計画は法的な性格を持つものではないとする評価も存在する。しかしそのような理解

(3)

は正当ではなく、 かえってナチス法理解を歪曲ないしは無害化するものである。問題はヒトラーの命令の性格である。 それは法的性格を有しないものであったのであろうか。この問題に一つの答えを与えてくれるのが﹁総統は法を護る﹂ というカ

l

ル・シュミットの理論である。そこに端的に表現されているように総統の意思は、当時直接的法源とみな 53一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式 されていたのである。君。吋ぽも﹁第三帝国の法にとっては、この民族殺は適法であった。なぜならそれは総統の意 ( 8 ) 思に一致していたからである﹂としている。また有名なニュルンベルク法等、ユダヤ人の人権を制限ないし否定する ( 9 ) ( 叩 ) 立法も多数存在した。そして悪名の高い裁判官フライスラ l に代表されるように、司法もそのようなナチス秩序の一 翼をになっていたのである。 ナ チ ス 犯 罪 の 国 内 刑 法 に よ る 処 罰 の 具 体 例 1 概 観 ( 日 ) ( ロ ) この問題については既に有名な同広島常]の研究や、刑法的研究として重要なものとして

ω

岳 ロ

5

5

由自の論文、 ( 日 ) 山中教授の詳細な研究があり、資料的な部分についてはかなりの部分が既に紹介されている。特に山中 わ が 国 で は 、 論文はナチス犯罪の戦後における処罰問題に関する決定版ともいえる貴重な論文で、論点もあらゆる分野に及んでい る。しかしながら山中論文は、現時点では未完であり、特に評価の部分については残念ながらまだ明らかにされてい ない。そこで本稿では 一部重複は避けられないが、 山中論文で紹介されていない資料も含めて、この間題をいかに 評価すべきかという問題を、特にホロコースト犯罪と罪刑法定主義の遡及効の禁止という観点から検討することにす る。このことは既に紹介したアウシュヴイツツの嘘に関する一連の事件とも関係し、 それに関する一つの明確な答え を与えていることからも重要である。以下では主にホロコーストに関するナチス犯罪の国内法による訴追・処罰問題

(4)

第12巻1号一一54 ( M ) { 日 ) に関する者耳目。の研究に依拠して﹁ドイツ司法の対象としてのホロコースト﹂、特に﹁アウシュヴイツツ裁判﹂に ついて考察を加える。 2 ﹁検察官としての偶然﹂││一九五八年までの状況 当時ぽはホロコーストがある時にはドイツ司法の対象となり、ある場合には対象とならなかったという現象を、 ﹁対象と不対象﹂として次のように要約する。 民族殺は、連邦共和国の初期においては、少なくとも司法のテ!?ではなかった。システマテツイクな処罰は存在せず、訴訟 は多かれ少なかれ、偶然に左右されていた。一九五八年の非常に注目を浴ぴた訴訟もその典型例であった。﹁ウルム突撃隊訴訟﹂ と呼ばれる刑事訴訟においてソ連領域におけるユダヤ人への大量虐殺が審理された。そのきっかけとなったのは検察官の独自の 捜査によるものなどではなく、偶然によるものであった。この事件の被告人は、メメル(旧東プロイセン)において一九四一年 当時、警察所長であり、五 OO 人以上のユダヤ人虐殺に関与した。一九四五年から潜伏していたが、一九五 0 年代の中頃に再ぴ 姿を現し、公務復職を申し立て、訴訟をおこした。しかしこの訴訟は大きく報道され、読者の一人が彼が一九四一年のユダヤ人 虐殺に関与していたと告発した。彼は、原告から被告人となった。彼は一九五六年に逮捕され、一九五八年に謀殺の常助により 一 O 年の懲役刑を宣告された。即ちそこでは起訴法定主義にもかかわらず、検察はこの問題に関してシステマティックに捜査を 行 わ な か っ た の で あ る 。 このような状況に変化が生じた契機を者負

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は﹁偶然という検察官﹂と表現している。以下ではそのような状況 にいたった経緯をまず考察する。 (a) 連合箪による訴訟 ﹂のような状況に至った経過としては 一九四五年以来の司法史全体が重要であるが、 とりわけニュルンベルク国 際軍事法定における裁判が重要である。そこでは、法的議論と並んでナチ政権の清算が問題となった。そしてこの裁

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判では国際条約に基づく特別の構成要件、即ち通常の謀殺・故殺ではなく人道に対する罪の適用が問題とされたので あ る 。 す な わ ち 、

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政権によって組織的に犯された行政的大量虐殺という新種の次元が聞かれたのである。そして それは特別の刑法的カテゴリーであり、 そ の 構 成 要 件 は 、 日常犯罪とまったく異なる国家的に操縦された体制的大量 虐殺に対するものであることが強調された。このことはある意味では正当なことである。しかし者向ぽは、この訴訟 によってホロコーストの性格はむしろ不明確にされたという。それは﹁戦犯訴訟﹂としての性格づけと関係している。 55一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式 すなわち﹁人道に対する罪﹂も﹁戦争犯罪﹂﹁平和に対する罪﹂と同時に裁かれたということが問題なのである。こ のことによってホロコーストも戦争犯罪と閥次元の問題であるという誤った印象が与えられた。さらに戦争犯罪とい うのは当時の意識ではあまり重大なものではなく、 むしろ同情的に捉えられることが多かった。 つまり、それは戦争 時においてはよくおこなわれることであり、それを裁くことは結局﹁勝者の裁き﹂にすぎないという印象を与えた。 ( げ ) また赤軍もカチンの森でポーランド人を虐殺していたことが明らかになり、また多くの民間人が犠牲となったドレス デン爆撃の記憶もまだ新しかったのである。要約するとそれらは政治・戦争の問題であり、司法の問題ではないとい う印象を与えてしまったことは否定できない。所謂ホロコーストの﹁偽・軍事的﹂考察がなされ、それはアメリカ軍 事法廷及ぴ外国の法廷で処理されるものであると考えられたことが、国内法による処罰が積極的になされなかった根 拠の一つであった。 (b) (西)ドイツ司法の態度 このことは(西)ドイツ司法の態度にも反映していた。まず一九四五年から一九四九年までの状況について述べる。 一九四五年五月に従来の裁判所はすべて閉鎖されたが、その後一定の制約の下で再開されることになった。その主な 制 約 と し て は 、 被害者がドイツ人の事件に限定されるということであった。そして一九四五年から一九四九年にかけ

(6)

第12巻 1号一一56 ての有罪判決数は、約四五

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O

件にものぽり、これはナチス関係の判決数として一九五

O

年から今日までの二倍以上 である。しかし一九五

O

年から有罪判決数は著しく減少し 一九五四年には二一件、 一 九 五 五 年 に は 一 一 三 件 と な っ た 。 このことは、連邦共和国設立以前には積極的な訴追がなされていたということを意味するのではない。 一九四五年か ら一九四九年当時は被害者白身による告発事件を中心とした軽微事件、特に財産犯、自由剥奪が殆どであり、前述の 有罪判決数四五

O

O

件中殺人は約一

OO

件のみであった。すなわちその殆どは所謂﹁最終段階犯罪﹂即ち終戦の直前 の混乱期に行われたものであり、 ホロコースト・民族殺に関連するものは殆どなく、 また組織的訴追は行われなかっ た の で あ る 。 一 九 五

0

年代に入っても状況は同じであった。このことは次のような初期連邦共和国の政治的背景と関 連している。その一つは非ナチ化手続の終了ということであった。 一定の範囲で官僚・裁判官等の復職が行われたの もこの時期である。この時期には、 ア

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デナウア

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政権の委任による恩赦に関する研究報告書に表されているように 所謂﹁統合志向﹂がキーワードとされ、 それらを背景として一九五一年以降には﹁思放フィ

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﹂と呼ばれる現象 が生じた。即ち、例えば一九四八年のニュルンベルク突撃隊訴訟のように殺人についても恩赦がなされた。そこでは、 九件の死刑判決が自由刑に減刑され 一九五一年から一九五八年にかけて総ての行為者が釈放されたのである。また 連邦議会でも所誇﹁終止符﹂議論がなされた。こうして行為者達は、﹁謀殺者﹂から﹁連合国軍事法廷の犠牲者﹂と みなされるに至ったのである。また一九五四年の恩赦法では、軽微犯罪関連・最終段階犯罪およびコ一年以下の自由刑 が予想される場合についての恩赦が定められ、軽減事由がある場合の殺人も恩赦の対象とされた。さらに事実上の思 放 と し て 、 一九五五年の連邦政府と西側連合国の合意によって、 既に連合国側によって打ち切られた手続は再ぴ取り あげないという事実上の恩赦がなされ、新しい証拠が出てきても訴追しないとされたのである。こうしてナチス犯罪 の訴追が殆ど停止されたことは 一 九 五

0

年代には広く同意を得ていた。これは忘却志向という当時の時代精神およ

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ぴ司法の受動性をその背景としたものであった。 ( 時 } 3 訴追、時効・特赦││一九五八年以降の展開 { 問 ) しかし一九五八年の所謂ウルム出撃隊訴訟によって事態は一変する。これは国民に大きなショックを与えたもので あ っ た 。 事 件 は 、 リトアニアにおけるユダヤ人虐殺に関するものであり、被害者は、 ソ連軍の壕を、自らを埋葬する ために拡大させられた。それは屠殺場のような光景であり、兵士は﹁早くしろ、早くしろ、早くすればするほど早く 57一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式 仕事を終えれる﹂と言っていた。そして虐殺が終わった後、ポーズをとって写真撮影がなされ、食事と酒が振る舞わ れた。このようなことが裁判における証言等から事実認定されたのである。 (a) 転換点としてのウルム出撃隊訴訟 マスコミにも大きく取り上げられ、その他の事例についても裁判で解明を行うべきであるとのプレス の圧力が強まった。特に有名なものとして、より積極的で、システマティックな訴追を要求する一九五八年八月の南 ( 初 ) ドイツ新聞のコンメンタ

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ルがある。このようなプレスの力は現実をも動かした。検察は、訴追に積極的になり、 { 幻 } 九五八年の訴追センターの設立等により、 ﹂ の 訴 訟 は 一 九 五 八 年 以 来 、 ホロコーストは連邦ドイツ司法の対象となったのである。 (b) 殺人行為の時効

{ n )

さらにドイツ刑法二一一条の謀殺罪(冨

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)

の時効問題についてもう一つの転機が訪れた。その時効は、 一 九 五 八年までは暗黙の内に﹁停止﹂とみなされていた。その後、連邦議会の時効論争は、 一 九 六 五 年 、 一九六九年およぴ 一九七五年の三回にわたってなされたが、 いずれも謀殺を中心とする関するもので、故殺についても時効廃止を主張 し た

SPD

の提案は、否決された。故殺についてはは、 それまでに発覚していないものは一九六

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年に時効が成立し た。そして命令による殺害は、故殺と考えられたためにナチス犯罪の多くに時効が成立したのである。その結果、数

(8)

第12巻I号 一 一58 多くの殺人に関する訴訟が打ち切られた ( c) 裏口からの恩赦 さらに一九六九年の常助行為の時効に関する法律は、﹁裏口からの恩赦﹂ の性質を持っていた。それは、謀殺常助 を含めた布助の可罰性について、 既に一九六

O

年に時効が成立したものとみなすものであり、九年の遡及効を認めた のである。これにより多くのホロコースト関連犯がこれにより受益した。例えば、 ユダヤ人大量虐殺の﹁計画と戦略﹂ の立案にあたった帝国保安主局(問。 K F 2 ∞

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津田町白石

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岡 山

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の構成員に対する訴訟はこれにより挫折し た の で あ る 。 4 判例の基本線 当

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は、二つの問題、 即ち①事実認定と②法的評価の問題について論じている。この内、事実認定の問題につ い て は 、 それが特に問題となっているアウシュヴィッツ問題と関連するので、後述することにし、ここではその法的 評価について検討する。当耳目めは、 ドイツの判例の基本的な理論構成を次のように要約している。 ﹁山民族殺への関与は、すべての犯罪に妥当する基本原則に従って評価されるべきである。評価基準は、行為時に 妥当していた第三一帝国の刑法である。当該行為は帝国刑法典によって故殺または謀殺と位置づけられた。

ω

関与者の行為は、同時の法によっても違法であった。特にヒトラーの絶滅命令は第三帝国の法においても違法阻 却事由ではなかった。法的に見るとユダヤ人抹殺への関与は通常の犯罪と同じものである。その処罰にとって第三帝 国の法は 必要かつ十分な基礎を提供していた。 同正犯者は、絶滅命令を発したヒトラー、ならびにヒムラ

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およびゲ

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リ ン ク 、 ハイトリッヒ等の指導部所属者で あった。これらの正犯者達は、当時の法(一九四一年当時の帝国刑法典二一一条)によれば謀殺として処罰された。

(9)

この正犯者達は、低劣な動機、 即ち人種憎悪から行為を行った。彼らはさらに悪意のない、無防備な被害者に対し、 陰険かつ残酷に行為を行った。 凶これらの正犯者と並んで数千人の繋助者がいた。 アウシュヴイツツ判決によれば﹁全体的な絶滅機構の車輪﹂と して機能した者、﹃全体的絶滅マシンの部品﹄として命令を実行した者は、 正犯ではなく常助であった。特別の熱意 を示した者、命令を過剰に実行した者のみが、自らも正犯であった。 59一一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式 同これらの正犯と暫助犯は、 かれらの行為が当時妥当していた帝国刑法典に違反し、国家社会主義的法律において も有責的であることを知っていた。 ( 川 品 ) 附 且 一 一 塁 刑 に つ い て は 一 般 的 刑 罰 加 重 お よ び 減 刑 事 由 が 妥 当 す る 。 ﹂ 私見では、この要約は正当なものであり、原則的にイギリス占領地区最高裁判所の判例や

BGH

の判例からも確認 ( お ) できるものであり、次に述べる所謂﹁アウシュヴイツツ裁判﹂にも典型的に現れている。また巧

R

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がこの判例の ( お ) 立場を批判している点についても賛成できる。この点については後述する。 5 アウシュヴイツツ訴訟 (a) 概 観 ( 幻 ) フランクフルト地裁によって一九六三年十二月二十日に開始されたアウシュヴイツツ訴訟は、 一九六五年八月一九 一七人の被告人に対して有罪判決が、 ( お ) 有罪判決を受けた主な被告人の判決とその後の経過を示したのが表ーである。 日から一一日間に及ぶ判決言渡しまで続いた。 三人に対して無罪判決が下された。 このアウシュヴイツツ判決の意義に関して①事実認定と②法的評価の問題について論じる。まず判決の意義として 重要なのは、ナチスの強制収容所と絶滅収容所についての詳細な事実認定がなされたことである。即ち①強制収容所

(10)

第12巻1号一-60 表 l 被告人名 判 決 釈 放 死 亡 時 ムルカ 14年自由刑 1968年釈放 1969年死亡 ボーゲア 終身自由刑/5年自由刑 1977年死亡 カーダック 終身自由刑 1988年釈放 存命 カペジウス博士 9年自由刑 刑期満了 1985年死亡 クレーア 終身自由刑/15年自由刑 1988年釈放 その直後に死亡 ベトナーレック 終身自由刑 1975年に20年の自 由7刊に変更 1976年初期に保護 観察 1981年残刑期の取 り消し の成立、②アウシュヴィッツの建設、③大量虐殺の経過、④ユ ダヤ人問題の最終解決の実施等の事実が詳細に認定されたので ( 刊 日 ) ある。君。門広も述べるように、このことは別稿で考察した所 ( 却 ) 謂﹁アウシュヴイツツの瞳﹂の主張に対しても強力な反対論拠 となるものである。ここではより厳密な証明が必要となる刑事 裁判によって、上のような事実認定がなされたことに大きな意 それを否 ( 汎 ) 定するような十分な根拠を決して一不し得ていないのである。 義があろう。所謂﹁アウシュヴイツツの嘘﹂論者は、 次にその法的評価の問題については、君。円 ] O によって要約 された上述の判例の原則による処罰の典型例がここに見出され る。即ち、①民族殺への関与は、すべての犯罪に妥当する基本 原則に従って評価されるべきであって その評価基準は、行為 時に妥当していた第三帝国の刑法であり、②当該行為は帝国刑 法典によって故殺または謀殺と位置づけられ、③関与者の行為 は、特にヒットラーの絶滅命令は第三帝国の法においても違法 阻却事由ではなく、当時の法によっても違法であり、④法的に 見るとユダヤ人抹殺への関与は通常の犯罪と同じものであって その処罰にとって第三帝国の法は、 必要かつ十分な基礎を提供

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していたという原則に基づいて処罰がなされたのである。 ) LU ( ムルカに対する判決 具体例として、この中からここでは紙面の関係上被告人ムルカに関する判旨のみを取り上げ、以下で要約する。 (ムルカの行為)被告人ムルカは一副官として、所謂﹁選別﹂が行われる荷役ホ

l

ム ( 河 川

5

6

巾 ) への到着の連絡およ ぴ監督を行った。ある事例において、 二人の親衛隊員がある収容者が新入者と話をしていたことを報告すると、彼は 61一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式 時計を見ながら﹁もう遅い、早く片付けろ﹂と言った。親衛隊員はその収容者を撲殺した。さらにムルカは配車管理 ぴ凹) さらにビルケナオの新しいガス室

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お よ ( m M ) の建設をオ

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ガナイズした。このようにして少なくとも七五

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人の殺害に関与したことを裁判所は認定した。 部 を 管 轄 し 、 ガス室への病者等の運搬およびチクロン B の 運 搬 を 指 示 し 、 (判旨)被告人は正犯者であるヒトラーらによって組織された﹁絶滅機構﹂であるアウシュビッツに意図的に関与し ( お ) 七 五

O

人の謀殺への常助が成立する。﹁この殺害の違法性は、・:ヒトラーの命令に従ったものである た も の で あ り 、 阻却されない。この命令は、 既にそれが極秘に発せられ、決して公表されなかったということ ということによって、 からみて、法律とみなし得ない。また仮にこの命令が法律又は法令の形式をとって公表されていたとしても、 それは 決して不法から法を創造し得なかったであろう 0 ・:文明化された国民の意識においては、:・法律や官憲の措置によっ ( M ) ても侵害することが許されない一定の法の核心領域が存在するのである。﹂ 五 法哲学的問題提起 1 ナチス問題とラ

l

トブルフ公式 この刑法による過去の克服問題がもっとも盛んに論じられているドイツにおいて、この問題の解決のためのキ

l

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(12)

第12巻I号一一一62 ( お ) ドとされているのが所謂﹁ラ!トブルフ公式﹂である。この公式は、ラ

l

トブルフが一九四六年にナチス問題に関し ての法哲学的問題提起の中で用いたものであり、ドイツ統一後に旧東独の所謂﹁政府犯罪﹂の処罰が問題となったと きに﹁予期せざるアクチュアリティ﹂を再ぴ持ったものである。このラ

l

トブルフ公式の内容とされるのは、ラ

l

ト ブルフの論文﹁制定法の不法と制定法を超える法﹂のなかの次の文である。 ﹁正義と法的安定性との衝突は、次のようにして解決すべきであろう。すなわち、実定的な法律の正義との矛盾が、法律が ﹃不法な法﹄として正義に屈服しなければならないほどに堪え難い程度に達している場合は別として、実定的な、定立と権力に よって確保された法が、たとえそれが内容的に不正であり、合目的的でない場合にあっても、優位を占めるというように。法律 上の不法の諸事例と、不正な内容にもかかわらず、それでもなお効力を有している法律との間に、より明確な一線を引くことは 不可能である。しかしこれとは別の限界線であれば、きわめて明確に引くことができる。すなわち、正義が一度も求められない ところ、正義の核心をなしている平等が実定法の定立に当たって意識的に否認されたところでは、法律は、たとえば﹁不法な法﹄ であるばかりでなく、むしろそれは、そもそも法たる性質を欠いている。それというのも、法は、実定法もまた、正義に奉仕す ( お ) るというその意味に従って規定されている秩序と定立であるとする以外には、全く定義のしょうもないからである﹂ o この問題を考察する際に重要なのは、 その時代背景であることはき守 7 までもない。 一九世紀末からの所謂実証主義 思想の興隆を受けて法学においても法実証主義が有力化していた。しかしナチズムの想像を絶する不法は、戦後の自 然法と法実証主義の再検討の契機となった。即ち法実証主義の﹁法律は法律だ﹂という考、ぇ方がナチズムの台頭を許 したという反省から、所謂﹁自然法の再生﹂ への動きがみられたのである。このラ

l

トブルフの見解もそのような動 きの中でのものだったと見るのが一般的である。これに対して上田教授はラ

l

トブルフは、﹁法律を超える法﹂が ﹁超実定法﹂としての自然法であるとは明言していないし、 そもそも﹁超実定法﹂という表現を用いてはおらず、 ﹁自然法﹂について論じる際にも、 それは古典的な意味における自然法ではなく﹁時代と場所に応じて可変的である﹂

(13)

( 幻 ) としているとされる。さらに関山口問ヨ回ロロを援用され、人権保障は﹁超法律的であるが、 しかし超実定的 H H 自然法的 ではなく、実定的であ﹂り、法律によって担保されていなくても﹁妥当している﹂法であるといえるとされるのであ ( お ) る。結局、上回教授はラ

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トブルフは人権保障を自然法としてではなく、あくまでも実定法の枠内で捉えていたと主 張されたいのであろう。しかし問題なのはそのような﹁実定法﹂の理解が正当であるかという問題と、 そのように理 解された実定法と遡及効禁止原則と関係である。この点については後述することにして、 ひとまず一般的理解の検討 63一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートブルフ公式 に移ろう。前述の一般的理解、即ち法実証主義の﹁法律は法律だ﹂という考え方がナチズムの台頭を許したという反 省が﹁自然法の再生﹂ への動きへと繋がったという考え方にも問題がある。ナチス法は、法実証主義に基づいていた とする理解には、最近ではむしろ疑問が投げかけられている。ナチス法はむしろ自然法的傾向ないしは少なくとも反 ( お ) 実証主義的傾向を有していたという指摘もある。また法律は法律だというスローガンについても、ナチスの不法は常 に法律の形によるものではなかったという事実からも疑問が出されている(アウシュヴイツツの強制収容所での虐殺 等はヒトラーの秘密命令に基づいていた)。 このような問題点にも拘らずラ l トブルフの見解は実務にも影響をあたえ、 ともかく裁判所は、国内刑法を適用し てナチの犯罪の処罰を行った。その法的構成については上述したが、 そこではヒトラーの秘密命令に法的効力をみと めないという構成が採られている。そこでは一見、ラ

l

トブルフ公式の適用なしでも処罰は可能であるように見える ( 紛 ) かもしれない。しかし前述のように﹁総統は法を護る﹂というカ

l

ル・シュミットの理論にもあらわされるように、 ( 日 出 ) むしろ総統の意思は当時直接的法源とみなされていたのである。やはりここでもそれが著しく正義に反しており、法 とはいえないという判断がここに加えられているのである。 次に前述の上田教授の見解の検討に移る。それを理解するキーポイントは﹁実定法﹂概念である。そこで上田教授

(14)

第12巻1号ーー-64 の見解に影響を与えた間宮内

B

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による﹁実定法﹂概念の理解を検討する必要があろう。間内田口問

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山 口 口 に よ る と ﹁実定性﹂は、法的安定性性の三つの要素の一つである。法的安定性には法による安定性(安全性)と法自体の安定 性の二つがあるが、前者は後者を常にその前提とする。従ってこの法自体の安定性が本来の意味の法的安定性である が、それは法の効率の問題である。平等原則は形式的な性質のものであり、 正しい法の内容の一義的な認識は困難な の で 、 法的平和のために、法が権威をもって確定されることが必要となる。それゆえ法の発見は認識過程に過ぎない の で は な く 、 一つの決定、権力の行使でもある。法が安定するために、まず実定性が必要となる。その際、実定性と は、法が﹁制定されている﹂

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という状況のみが想定されているわけではない。慣習法は、 制定されたもの ではないが、実定的である。﹁決定的なことは法のメルクマールができるだけできるだけ厳密に規定され、恋意なし に確定される得ること である。﹂そしてこのような法的安定性は個別事例においては実質的正義と ( 明 確 性 原 則 ! ) 抵触しうるが、このアンチノミ

l

を完全に解消することは不可能であり、原則的に法的安定性が優先することを関山正' ( 必 ) 日山口口も承認しているのである。以上が関山口町吉田口口による実定性理解である。確かに上田教授も指摘されるように ﹁実定法﹂と﹁制定法﹂は異なる概念であり、この両者は混同されてはならない。制定法ではないが、実定的である 慣 習 法 は 、 刑法では禁止されている。罪刑法定主義の内容としての遡及効禁止原則の適用に際しては﹁制定法﹂が基 準となるはずである。ところが上田教授は問題を次のように理解されているように思える。即ち問題は﹁実定法﹂が 基準となるか﹁自然法﹂が基準となるかであって、﹁自然法﹂を基準とするのは罪刑法定主義違反であるが、﹁実定法﹂ を超えるものでなければ罪刑法定主義違反にはならない。そして﹁実定法﹂が何かの判断には﹁制定法﹂だけではな く、人権思想との適合性が重要であり、ラ

l

トブルフ公式がいうようにそれを全く否定するような制定法は、人権友 ( 幻 ) そのように解釈されたものがまさに実定法なのである。従ってそこに罪刑法定主 好的に解釈し直さなければならず、

(15)

義との矛盾は存在しない、 と。しかしたとえ﹁実定法﹂をそのように理解するのが仮に妥当だとしても、既に﹁制定 法﹂を超えた解釈は罪刑法定主義に違反する。従って上回教授の結論を肯定するためには、﹁制定法﹂がその文言に もかかわらず無効であるという判断が必要となるのである。その判断の基準がたとえ﹁自然法﹂ではなく﹁人権﹂で あるとしても、遡及効禁止原則との抵触は回避し得ないのである。人権を明確に無視した制定法も存在しうるからで 65一一ナチス国家権力を背景とした犯罪の処罰とラートプルフ公式 ある。従って上田教授の結論を正当化しうる残された方法は、そのような制定法は﹁妥当﹂しないとすることであろ う。これは﹁法の妥当﹂という法哲学上の難問と関係するものであるが、法の妥当性は、それぞれの法秩序が持つ価 値秩序との適合性を基準とせざるをえないのではないだろうか。例えば共産主義体制においては、私的所有権などの 財産権や経済的自由権などの人権は否定又は制限されるが、 だからといって共産主義社会においてそのような法が妥 当していないとはいえないであろう。また古代法では、現在のような人権観念は存在していなかったが、古代法は ﹁妥当﹂していなかったのであろうか。ナチスにおけるユダヤ人等の組織的虐殺も、 DDR における﹁国境侵犯者﹂ の殺害も、当時妥当していた法に従えば適法だったといわざるを得ないのである。確かに人権を尊重する現在の法秩 序 か ら み れ ば 、 それらは重大な人権侵害であり、決して許されないことである。しかしそのような現在の基準に従つ て、過去に妥当していた法を変更し処罰することは、 たとえ上田教授の言われるようにそれが﹁自然法﹂による処罰 ではないとしても、遡及効の禁止原則に違反する。従って上田教授の批判にもかかわらず、私見を変更する必要はな い と 考 え る 。 1 ①﹁国家権力を背景とした犯罪│上序論的考察﹂奈良法学会雑誌七巻一号(一九九四年)一頁以下、②﹁ドイツ統一後の旧 東ドイツ犯罪の処罰問題﹂刑法雑誌三三巻三号(一九九四年)一二九頁以下、③﹁旧東独の﹃政府犯罪﹄の処罰と時効に関す

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参照

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