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第5回シンポジウム 感覚からみるインド世界

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Academic year: 2021

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本稿では、2018年10月28日(予定では7月7日の開催だったが豪雨の ため延期された)に京都大学で開催された、日本南アジア学会30周年記 念連続シンポジウム第5回「感覚からみるインド世界 動物・生業・芸 能 」の内容を報告する。

シンポジウムの趣旨とプログラム

日本における南アジア研究の伝統的潮流のひとつに、広義には「民 俗」の語で示されてきたような市井の人々の暮らしを支える文化的諸層 の探求がある。南アジアのさまざまな地域における「ごく普通の人々の 暮らしの文化の諸相」に関する知見を積み重ね、インドの基層的文化、 あるいはその感覚的・感応的世界に分け入っていこうとする方向性であ る[小西 2010]。本シンポジウムは上述のような関心を継承しつつも、 急速な変貌を遂げている南アジアの現在を、「感覚」という切り口から あらためて照らしだす試みとして企画された。以下はシンポジウムの趣 旨文である。 道をゆく牛のいななきに砂ぼこり、祠から漂う強烈な薫香、電飾で彩 られた寺院から響いてくる音 まさに五感をとおしてインド世界は 私たちを魅了してきた。しかし、公共空間の浄化と秩序立てのため、 あるにおいが「悪臭」化されるといったように、しばしば感覚変容を 伴う根本的な変化も起きている。現地の人々が何を味わい、どんな音 を聴きとり、意味をもたせ、どんなにおいに快/不快を感じているの か。感覚とその変容を考えるにあたって、本シンポジウムではとりわ け、動物に対する態度や動物を介した人と人の関係に焦点をあてる。 インド世界において人々は、動物を対象化し資源として利用するのみ

感覚からみるインド世界

―動物・生業・芸能―

中村沙絵

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ならず、動物のコスモロジカルな表象やメタモルフォシスなどさまざ まな関係を結んできた。本シンポジウムでは人々の生業や芸能、信仰 などの生活文化における人と動物との接点を一つの切り口とし、そこ での人々の感覚経験とその変容を探求の対象とすることで、インド世 界の文化的基層へ迫ると同時に、変貌しゆく南アジアの現在に迫る。 プログラム詳細(敬称略) 全体司会:田中雅一(京都大学)、石井美保(京都大学) 13:00 趣旨説明 田中雅一 13:10 講演 北田 信(大阪大学)「絵画と旋律:音楽的細密画に描かれる鳥獣」 篠田 隆(大東文化大学)「インドにおける家畜経済の展開と家畜観 の変容:グジャラート調査村の30年間(1984-2015)」 吉田亮人(写真家)「チベットの鳥葬とバングラデシュの皮革産業」 岩谷彩子(京都大学)「ヘビがもたらす感覚変容:カールベーリヤー の旋回舞踊とその生活世界より」 15:30 コメント 小磯 学(神戸山手大学)・比嘉理麻(沖縄国際大 学) 15:50 総合討論・司会 田中雅一(京都大学)、内山田康(筑波大学) 16:50 インド古典音楽実演 藤澤バヤン(タブラ)・北田信(サロー ド) 17:30 閉会の辞 本シンポジウムは、研究者だけでなく広く南アジアやインドに関心の ある一般の方々も対象に企画された。写真展やインド古典音楽の実演を プログラムに盛り込み、シンポジウムのタイトルにもある通り、参加者 の「感覚」にうったえるシンポジウムとなるよう委員一同で企画した。 なお、写真展は報告者としても登壇した吉田亮人氏(http://www.aki-hito-yoshida.com/)による。今回はバングラデシュの皮革産業者を撮っ た Tannery より数点を展示した。またインド古典音楽実演では、登壇 者でもある北田信氏がネパールに伝わる仏教秘儀歌「チャチャー歌」を 披露したのち、同氏がサロードを、また京都や関西圏を中心にインド音 楽関連の企画を手掛けてきた藤澤バヤン氏がタブラを演奏し、軽妙な解

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説を交えながら、哀愁をおびた旋律で会を締めくくった。

報告と討議の内容

報告発表のセッションでは、異なる分野(文学・音楽史、農業経済学、 写真家、文化人類学)の専門家4名が登壇し、動物に対する感覚や態度、 動物を介した人と人の関係、その現代的変容などについて発表を行った。 以下では紙面の都合上、各発表者の報告内容を、コメンテーターのコメ ントや総合討論を踏まえながら、筆者が本シンポの目的と関連づけて整 理し記述する、という形をとることを断っておきたい。 北田氏は、「絵画と旋律:音楽的細密画に描かれる鳥獣」と題し、16 世紀頃のインドで流行した「音楽的細密画」をとりあげ、そこに描き込 まれた情感や味わい(rasa)を、図上に登場する鳥獣に焦点をあてなが 1 ら解説した。ラーガ ・マーラー(ra¯ga ma¯la¯、メロディの花の首輪の 意)の名で知られるこの細密画は、ラーガを聴いたときに人々が抱く季 節折々の風物、色彩や匂い、情感などを視覚的に表したものだという。 この細密画にはさまざまな鳥獣が登場する。雨季の到来を祝い男たち 2 の帰宅を待ち望む女たちが、雨で濡れた土の香りがたちこめるなかで 踊っている。上空には、雨の雫を飲んで生きるというチャータカ鳥のつ がいが飛んでいる。遠方にいる恋人を思って女性がヴィーナーを奏でる と、繊細な心をもつという羚羊がその音色にひかれて寄ってくる。孤独 に修行する女性行者の傍では、ヘビが栴檀の樹に絡みつく。月明かりの 下、湖のほとりの隠遁者の庵でヴィーナーを奏でる女性行者の隣では、 やせ細った野良犬が寂静の境地にいたった聖者のように目を閉じて蹲る。 こうした細密画や文学作品(発表では15∼17世紀にかけてデカン地方の ゴールコンダ、ビージャープル両王国で生まれ栄えたウルドゥー語文学 も紹介された)からは、当時の人々が身近な動物の形姿や鳴声にただ魅 入られたり、感情や経験を分かち合える存在として動物と交感したりす るような世界がうかがえる。小磯学氏がコメントしたように、人 自 然 超自然というスペクトラムを考えるならば、動物は人と自然の間に 介在すると同時に、自然と超自然の両世界に生きる(受けもつ)者とし て、身近で重要な存在であり続けてきたといえるだろう。 芸術作品に表されてきたような人と動物の身近な関係性を、村落社会 における人々の暮らしと生業にむすびつけて論じたのが、篠田隆氏の発

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表「インドにおける家畜経済の展開と家畜観の変容:グジャラート調査 村の30年間(1984-2015)」である。ここでの主な対象は、有畜農業の主 役として歴史的に重視され、現代でも聖性を付与されている「牛」とそ の飼養や処理に関わる人々である。緑の革命や年雇制度の崩壊、政府の 制度的介入を背景に、インドの他地域と同様、篠田氏の調査村でも村落 内社会関係や人々の暮らしぶりは大きな変貌を遂げた。本発表で篠田氏 は、半乾燥地域で家畜経済が主要な位置をしめてきた調査村では、経 済・社会変化に伴い家畜に対する感覚や「家畜観」にも重大な変容が起 きている、と論じる。 1980年代の同村では、乳役兼用で立派な角をもつ在来種が卓越し、雄 牛は播種・畜力中耕に駆り出され、運搬作業にも従事していた。しかし トラクターの普及に伴い雄牛の経済的価値が低下すると頭数も減少し、 雄牛の移動販売人や流通促進の仕組みが支えていた「牛経済」も消失し 3 た 。村内では家畜飼養からの撤退が進んだ。女性たちは「牛糞が爪に 入るのが嫌」といった理由で家畜の世話を敬遠するようになり、結婚相 手に無家畜世帯を選ぶ事例が増えた。まず雌牛を手放したのは中・上層 の世帯であったが、公衆衛生が村全体に広まり、後進階級の家庭でもト イレなど住環境が整備されるにつれ、牛との距離感も変わりつつある。 未だにダリトの慣行とされている「牛の死体の処理」をめぐっても、近 年は拒否の動きが現れているという。このように村内での人―家畜関係 が変容するなか、「不要」とされた家畜を収容する養護院がグジャラー ト各地で建てられている。ジャイナ教徒/ヒンドゥー教徒が経営するこ れらの施設は、在外インド人にとって主要な寄付先の一つとなっている ようで、建物には立派な装飾が施されたものもある。牛の経済的価値が 低下し家畜飼養からの撤退が進むなか、一方で「牛」は物理的には遠ざ けられ、他方で象徴としての意味(聖性)が強化されているようにみえ る。 吉田氏の発表「チベットの鳥葬とバングラデシュの皮革産業」でまず スクリーンに映しだされたのは、まさに生活空間から物理的に遠ざけら 4 れた牛皮加工工場の密集地帯、今はなきハザリバーグ の片隅で働く男 たちの姿である。吉田氏が取材をしていた時点では、バングラデシュ国 内の皮革の9割がここで作られ、加工品は国内外(日本は最多輸出国の 中の一つ)へ輸出されていた。

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化学薬品のプールに浸され、黒・緑・群青・灰が入り混じるに変色し た皮の山。その合間を険しい顔で横切るサロマを短く結んだ男たち。化 学薬品の煙がたちこめるなか、素手に素足の男たちがなめされた皮をど ぎつい色の赤や青の染料にひたしていく。足の皮膚には明らかな異変。 腐敗臭と化学薬品の激臭が入り混じるなか、動物と人間の双方が肉体と して格闘し合うさまは苛酷そのものである。しかし格闘する男たちの飛 び散る汗や筋肉の動きを捉えた吉田氏の写真は、討論でも示されたよう に、ハザリバーグを糾弾する環境保護の文言を単になぞるようなもので はなく、工場内の空間や労働者たちへの畏れ、そして深い部分での共感 を表している。Sky Burial は Tannery とは対照的に自然と動物、人間 が同じ生命体として有機的につながる鳥葬がモチーフとなっているが、 しかしここでも、腐臭を放つ死んだ肉体と、雄叫びをあげ血まみれにな りながら骨まで喰らうハゲワシとが肉体として揉み合っている。その前 で立ちすくんでしまうようなある種の現実は、象徴や意味に変換してし まわずに、直接的・感覚的に捉えてこそ伝えられる場合がある。 この点について「感覚イメージ」を鍵概念に論じたのが、岩谷彩子氏 の発表「ヘビがもたらす感覚変容 カールベーリヤーの旋回舞踊とその 生活世界より」である。カールベーリヤーの人々は、元来ヘビ使いや物 乞い、石臼・籠つくりを生業としていた。しかし、インド野生生物保護 法(1972年)の制定以降、ヘビとの直接的な接触の機会が制限されてし まう。そこで女性たちは踊りや物乞い、男性たちは音楽や日雇い労働に 従事し、半定住生活を送るようになっていった。 岩谷氏はカールベーリヤーをとりまく社会変化の中で生み出された、 女性たちが踊る「カルベリア・ダンス」に注目する。カールベーリヤー の女性たちが踊りを披露する機会は、元来コミュニティ内に限られてお り、外部に見せる機会は少なかった。しかし1970年代、州政府が民俗芸 能の観光資源化を進めるなかで、カルベリア・ダンスは舞台で踊られる ようになり、1990年代には「ジプシー・ダンス」として世界へ進出、2010 年にはユネスコの世界無形文化遺産に登録されるに至った。ここで興味 深いのは、黒い衣装やビーズの装飾具、旋回舞踊など、彼女たちの踊り に、ヘビのイメージを模倣した動作が生まれていった点である。踊りと ヘビとを関連づける言説は、「私の身体はヘビ」と岩谷氏に語ったカル ベリア・ダンスの創始者ともいえる踊り手が導入したものと思われるが、

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ヘビの「感覚イメージ」(形、動き、色、触感)はカールベーリヤーだ けでなく他の人々とも共有され、ありそうな「かたち」が相互交渉的に 生み出されているという。討論でも指摘されたように、野生生物への接 触が限定づけられる中で、生きたヘビと直接接触する機会がない人が増 えるにつれて、踊りの中でヘビ的な動きが増えていく、いわば「ヘビの 意味化」が生じている点は、篠田氏の報告とも重なる部分がある。しか し比嘉理麻氏がコメントしたように、意味化に還元できない次元である 眩暈にあいかわらず踊りの重点が置かれている点は身体感覚への揺り戻 しともいえ、ヘビの意味化が過剰になる一方で、新しい動きが生まれて いるともいえる。 本シンポジウムは、現代南アジアにおける文化的・社会的変容を、人 と動物の関係性とそこに観察される「感覚変容」という新たな切り口か ら浮かび上がらせることを目的として企画された。上述してきた報告と 討論の内容を踏まえて総括すれば、以下の4点が明らかになったといえ そうである。まず、相互に交感する身近な他者、生業を成り立たせる重 要なパートナー/従者として生活空間に住まわってきた動物は、国家に よる自然資源管理の強化や公衆衛生プログラムの徹底化のなかで、徐々 にではあるが遠ざけられ、接触が制限されるようになってきている。本 シンポはこれが人々の側の意識や感覚の重大な変化を伴うプロセスであ ることを明示的に示した。第二に、特定の動物との接触が制限され物理 的に遠ざけられる反面、そのイメージ化や意味化、象徴化は加速化して いる。第三に、しかし意味化に還元できないような人と動物との接触は 南アジアにおいて単に残存しているというだけでなく、新たに作りださ れている側面がある。本シンポジウムからは、鳥葬は勿論のこと、化学 薬品に囲まれた工場空間における動物(牛皮)と人間(労働者の身体) の格闘や、踊りの眩暈のなかでヘビ(自分ではない何か)にな!る!踊り手 の身体などが例として挙げられる。第四に、以上に述べたような感覚変 容、接触の制限と意味化の加速化、新たな相互接近の様相は決して均一 的なものではなく、階級差や世代差、性差などを孕むものであるという ことである。

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参照文献 小西正捷、2010、「「南アジア」と「インド世界」 周縁からの視点」、『南アジア研究』、22、 148-157頁。 1 インド音楽の重要な概念で、旋法、旋律形、あるいはメロディのパターンを意味する。 ラーガ(ra¯ga)は語源的には「色」(raṅga)や「染め上げる」(ranj-)と関係があるとい う。音は色彩や匂いを放ち、人の心を染め上げるものなのである(北田氏配布資料、p. 2)。 2 インド哲学では地の原型の属性は匂い(gandha)というが、土が湿った匂いは心地よい 香りと感覚される。その匂いを模したギル(ペルシャ語では文字通り「土」の意)という 香水があるが(北田氏配布資料、p. 4)、発表中にはこの香水が会場中に回された。 3 家畜センサスで雌牛が横ばい、雌水牛が増加している背景には白い革命以降のミルク生 産・流通の拡大がある(篠田氏配布資料、p. 3)。 4 ハザリバーグは東パキスタン時代から牛革加工工場が密集する産業集積地で、繊維産業に 継いで2番目の主要外貨獲得産業である皮革産業の主要な拠点であった。しかし大量の化 学薬品による環境汚染と健康被害が問題となり、国際環境保護団体の介入もあって2017年 に閉鎖された。 なかむら さえ ●京都大学

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