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組織学と経營学 : 経営組織論の性格について

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組 織 学

と 経 螢 学

i経営組織論の性格について一!

一 序 口 経営即ち経済経営︵名一目け。りO︸一門bけ砂ぴΦ什註脚①び︶または事業経営︵貯脅二目舘牽9轟σq㊦目①昌け︶ に於いて物的要素と人間的要素との統一を 端的に表現する組織乃至組織作用が管理乃至管理作用と共に一の基本的にして且つ中心的な要素をなし作用を営み、従っ てまた基本問題を構成することに照応して、経営組織論は経営管理論と共に古くから研究の進められた部門で、経営学体系        に於いて中心的な地位を占めているし、また占むべきものと思われる。かくて、経営組織論といえば経営組織乃至経営組 織問題を取扱う経営学の一部門であって、 一見、そこには何等疑義を挿む余地もないかの如くである。然るに、一歩立入 って考えて見ると経営組織も組織の一として極めて複雑な関連を含むものであって、これを廻っていろいろな見解の成立 する余地があり、事実種汝の考え方が存在しており、これを統一的に理解することの困難な研究領域でもあることは否定 し得ない。そこで、われわれはこれらの諸見解を一定の方法で整理して、根本的に訳の如く問うことが出来るであろう。  経営組織論は経営の組織理論的研究即ち組織学的組織研究として謂わゆる組織学︵○おき︸墨凱。廣一膝話︶に属するか、或は 組織の経営学的研究却ち経営学的組織研究として経営学︵奢一目⇔醜。げ9吐けωぴΦ叶目一Φび。ロ一〇愚物Φ︶に属するか、更に或は両者の中間領域と

     組織学と経営学 、      一

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     組織学と経営学      慣

して混合的なものと考うべきか。抑汝、組織学とは如何なる学問なのか。若し、研究方向を経営学的に限定するとしても その経営組織論は﹁経営組織の組織理論﹂︵馬場博士︶として経営学そのものと考うべきか、それとも、如何に重要であ るとしても、それは経営学の一部門をなすにすぎないと考うべきか。更に、経営組織論と経営管理論とは如何なる関係に あるか。  われわれは嘗て経営をその重要な一作用たる経営管理︵彰。㊦竃①冨く¢暑葺舞αq㌧ぴに。・ぎ器白書お窪Φ呂無目巳疑箒聾旨ぽ晋ω巳⑦田︶ の側から研究するに当って、管理論の性格についての見解の多様性と対立性、管理概念についての不徹底性と不明確性の 故に、先ず経営学体系に於ける管理論の地位の反省並びに管理概念の確立という基礎工事から出発せざるを得ず、そこで        経営と組織と管理との関係と区別について触れざるを得なかった。 然るに、いま、ここで経営管理と照応する経営組織 ︵u。Φ猷。ぴ弩σq睾塁餓8vび邑昌塞。お窪尉蓼昌﹂自適三塁ζ二宮墓け自習8︶の側から経営の研究を行わんとするに当つ.ても、正に同様 の理由から、これまでの諸研究の綜括として右の如き根本問題に対する考察を以て始めねばならないのである。  思うに、経営に於ける組織問題の重要性の認識は、管理問題のそれと共に後に述べるように、近代経営の大規模化と複 雑化につれて強要せられ、経営組織の研究は実際的にも理論的にも相当古くから行われ、最近いよいよ盛んになるに至っ たが、研究領域の広くなり研究方向の多方面となるに従って経営組織論の性格についての見解も広狭精粗さまざまとなる のみならず、経営組織の概念特に経営と組織と管理という根本概念も、それらの密接な関連性のゆえに、必ずしも明確に されているとはいえない。要するに、経営組織は経営学的にも組織学的にも取扱われ得るのである。かくて単に経営組織 論といって見たところで、それが学問上何を意味するかは必ずしも明らかではない。そこには、組織論の重要性を高調し すぎて独立の組織学の樹立を主張したり、或は経営組織論即経営学と考えるものがあるかと思えば、反対にこれを軽視し て単なる管理論の一部門か高汝組織技術論にすぎないとするものもあり、更に或はこれを人生哲学の方向に考え経営学の

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哲学的基礎たらしめんとするものもあるといった具合である。これわれわれがその研究の出発点に於いて右の如き根本問 題を提起せざるを得ない所以である。  さて、右の如ぎ経営組織論の性格の問題を経営組織論の方法問題と対象問題とに分析するならば、対象と方法との一般 的関係の示す通り、両者を相互媒介的に取扱うべきことも萌かである。即ちそこでは方法に於いて却って対象が、対象に 於いて却って方法が問題となるのである。しかしそれと共に窮極的には方法は対象に従わざるを得ないという意味にて対 象側の優位性をも認めざるを得ない。従って、対象問題たる経営組織の概念特に経営、組織、管理の概念の規定の問題は 方法問題の基礎として特に重要であるのは明らかであるが、それだけに、それはまた別の機会に詳論することとし、ここ では︼応与えられたものとして、専ら方法問題から経営組織論の性格を明らかにすることを中心課題とし、それに必要な 限りに於いてのみ紺象問題たる経営組織の概念問題に関説する程度に止めざるを得ない。要するに、経営組織論の経営学 的組織論たる性格の解明が中心課題をなすのである。  かくいえば、この問題が結局のところ経営学の学問的性質如何の問題即ち経営学論の問題と密接な関連をもつものであ ることは上述のところがら明らかで特に説明を要しまい。それが組織学的であるか経営学的であるかは経営学の規定の如         何によってどのようにも解し得るからである。われわれはその経営学の性質については既に繰返し研究を試みて来たが、 更に根本的に考えを進めたいところであり、また組織学と経営学との関連については東大教授馬場博士の学説を研究しつ        つ簡単ながら私見を述べる機会をもつた。それに対しては早速馬揚博士から批評を頂き更に高教を仰ぐことが出来た。か ねてから考え続けて来た組織問題のうち特に、本稿に於いては、経営組織論の組織学的性格と経営学的性格とに関する研 究を通して私見を積極的に開陳し問題の所在を明らかにすることによって前に述べたところを補い、批評に答えると共に 改めて高教を乞いたいと思う。また、経営組織論と経営管理論との関係についても、前には経営管理論の側から考えたが

     組織学と経営学       三

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組織 学 と 経 営学 四 ここでは特に経営組織論の側から問題にしたいと思う。  われわれは順序として以下に於いて先ず組織研究の発展を顧み、次いで組織学の主張の根拠を研究し、最後に経営学的 組織論の途を論じて私見を明かにしたいと思う。  ①広く経営学といえば、経営理論、経営政策論、経営史学を含むとせられるが、ここでは狡く経営理論の体系のみを考える。かく限    定すれば、これは経営学の対象の問題と経営学の体系の問題とに関連し、経営、組織、管理の概念規定の蜂鳥として別に深く研究    さるべきであり、それに関する文献は後に示されるが、一応、拙著、経営管理論、七一頁以下及び四頁以下を参照せられたい。  ② 拙著、経営管理論、序論及び第一章参照。また、 一般管理学の主張については、拙著、フエイヨル管理論研究、参照。  ③拙稿、経営存在の主体的構造、彦根論叢、創刊号、経営学の立場と経営の立場、日本経営学会編、経営学論集、第二十一集、経営    学か経営経済学か、PR、第七巻第九号及び上掲拙著など参照。  ④拙稿、経済学、組織学と経営学、PR、第六巻第九号参照。  ⑤ 馬場敬治、経営学の方法論的性格と其の中心理論の展開、PR、第六巻第十号、参照。なお、私信を以ても詳細な教示を憲まれた    ことを附言して謝意を表したい。 二 経営組織研究の発展  経営組織論が経営学体系に於いて如何なる地位を占めるかについての研究は上述の如く、一二の例外を除いては必ずし も進展したとはいえないけれども、経営組織そのものの研究は、最初は実際上の必要から、やがては理論的要求から亥第 に促進せられ、顕著な発展を遂げるに至ったが、それらはまた直接闇接に組織論の性質に触れているとも見得るわけであ る。われわれは近代に於ける経営組織研究の進展の有様を特に対象問題と方法問題の関連という視角から、しかも歴史的 または文献史的というよりはむしろ論理的に概観して、われわれの課題解明への一助としたいと思う。  − 経営組織研究の基盤 阜

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         ﹁組織は人簡社会そのものと同じぼどに古い﹂といわれ、その組織は﹁何か不可思議なもの、強力的なもの、偉大なも の︵①ヨ塁Ω。冨ぎ凱ωく&①ω㌔Φ①爵蕊σΩ霰g昌臼。。。蟹帽け凝①ω︶である。 この組織という言葉は驚くべき内容を含んでいる。それが         主旨濫用せられるのは正にかかる根拠に基づく。特殊の生活領域に於いて用いられるときに特に著しい。﹂などといわれる        が、近世に至るまでは、組織といえば直ちに国家組織、軍隊組織、教会組織という三大組織が代表と考えられたのであっ         た。これに対して経営組織が祉会の基調組織となり、経営における組織問題の重要性が認識せられ、謂わゆる問題性を得        るに至ったのは、かつて管理研究について明かにしたように、ずっと後のことである。即ち、近代経営組織研究の基盤は        例えばエルドマンやコモンズなどがそれぞれの立場から特に今世紀を﹁組織の時代﹂︵量の国①詳八け宥動①同O韻図■駐巴ごb.︶と名 ずけてこれを特質づけんとするとごろの、かの産業革命以後次第に発展し支三夏形態となるに至った近代的株式会社企業        による経営の大規模化と複雑化の現象に外ならない。経営が大規模化し多数人の分労的協力体制が成立し、それがますま す重要となれば、経営組織の研究は不可避的となるからである。事実、経営組織は実際界に於ける経験を経ていろいろな 組織形態が工夫せられ、その利害得失が説かれ、やがて学界の問題としても取上げられ、種汝の組織理論として展開せら れるのである。要するに∀.経営組織研究の基盤は大規模経営で、経営管理研究のそれと表裏の関係をなしつつ、大体上一       八八0年代以来各国に於いて急速に成熟したが、それは因となり果となり組織研究を促進して今日に至ったのである。そ の概要は次の如くいえよう。       督  2 先縣︸的研一究liテイラーとフエイヨル  テイラー︵目撃図︸o屑℃ 勾・ 名這 一cQ団ひi一¢一α︶が﹁科学的管理法の父﹂として、またフエイヨル︵周還9魍目二。。金一お綜︶が﹁管理 原理の建設者﹂として共に近代的経営管理研究の先駆者的地位を占めることは今日恐らく何人も承認するとζろであろ         う。彼等については既に詳しく紹介したから繰返さないが、要するに、一定の管理制度が当然に一定形態の組織を前提す

     組織学と経営学      五

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     組織掌と経営学      六

るところがら、テイラーにせよフエイヨルにせよ、それぞれ組織的研究を試みねばならず、かくて経営組織論にとっても 先駆者とならざるを得なかった。即ち、テイラーが自然発生的にして伝統的な軍隊組織の徹底的批判に基づいて特有な職 能的組織を主張したことは周知の通りである。フエイヨルの管理論も亦組織論を含むものであり、或る意味では組織論そ のものであって、テイラーが職能的組織を主張したのに対し、フエイヨルは命令一途の原理からテイラーを批判して参謀 制直系組織を主張したのである。        、       。  われわれはここで彼等の組織論そのものを研究する余裕も興味も持つものではない。われわれの特に注意したいのは、 経営組織研究がこの段階に於いては自律性をもたず、組織は管理の一要素として取扱われるにすぎないということである。 管理と組織、組織と管理とが殆ど同義語の如く混用せられ、永く伝統となるということである。そしてこれらの概念が分 離独立するところに発展があり、経営管理論や経営組織論の成立する根拠がある。  3 管理論的組織研究      、  経営研究が管理研究を出発点とずるという伝統は各国に於いて長く続く。アメリカ経営学、イギリス経営学にせよ、ま たフランス経営学にせよ、その中心が経営.管理論にあるとせられ、,組織問題が取扱われるとしても、それは管理問題とし てにすぎないが、それは実はかかる伝統に基づくといわねばならない。ドイツ経営学とて例外をなすものではない。シエ    ⑩       ⑪       ⑫        ⑬       ⑭      ⑮ ルドン、アーウィック、ブレッチ、ウィスラi、デイヴィス、マールベルグなどみなそうで組織研究の一代表とされるブ    ⑬       ⑰ ラウンでさえそうであるといえよう。それぞれ組織観は異るにしても、かれらが組織を管理の手段とし、道具と見、或は 管理のために道をつける過程と見るに於いては同様である。組織の道具性は一応否定し得ないにしても、組織は単なる道 具に終るものではない。組織は入聞がその中で働き生活をする揚であり、世界でもある。組織研究の進むにつれて、組織 観も発展するのであるが、要するに、かかる実用主義的伝統を越えて更に広くして容観約な視野に進みゆき概念が確立さ

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れるところに経営組織論の確立の道が見られるのである。そしてそれは一方の極端から他の極端への転向、即ち伝統的な 管理論的組織究研への反動としての組織学的組織研究を経由しなければならないのである。

 4組織学的組織研究

 経営組織は一の特殊的組織であるから、これを根本的に理解するにはその前提として特殊組織を超越する組織一般乃至 一般的組織について一応の理解をもつ必要がある。換言すれば比較組織論が必要となる。かくて組織研究は先ず一般的組 織論︵とお.Φ葺臨器曾華寿艶。蕊H①H聴︶の確立に向わざるを得ない。この︼般的組織論にも、例えばニックリレソシュがその         経営学の基礎理論として展開する心急上学的組織論やエルドマンが経済学のために展開する組織論やプオルテン、プレン        ⑳ ゲ、ボクダノブ、クラインその他社会学者の組織論など種汝な試みが存在するが、われわれの特に注目したいのは組織学 の主張である。         一般組織論や比較組織論が成立つことは上述のところがら明かであり、特にムー二i、シュヌーテンハウスなどからも 教えられるところがない訳ではない。しかしこれを一歩進めて独立の軽減科学の一とし.て組織学︵o謎暫三m豊。邑。冨①︶を主        張するのはノルトジークである。われわれはこの理論については節を改めて詳論するが、このような見解を経営学に限定 すると、経営組織心逸経営学というシエンプルークの見解になることを注意しなければならない。これらは結局組織概念 と関連するのである。管理論的門訴研究に於いては組織は管理の延長であり、管理は経営の=要素であるが、ここでは経 蛍即組織と考えられ、管理も逆に組織に包含せられるのである。これが果して承認せられ得るであろうか。  5経営学的組織.研究  テイラー、フエイヨル以来米英仏に於いては経営と組織と管理との区別は一応認めながらも、管理の過重視のゆえに組 織の独自性を認めず、経営管理論意経営学と考え、更には一般管理学をさえ構想した。これに対してシエンプルークやノ

     組織学と経営学      七

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     組織学と経営学      八、

ルトジークのドイツに於いては組織の過重視のゆえに経営組織論即経営学となし、更には一般組織学の構想さえ起る。  ところで、これらの両極端の闇には二つの道がある。第一は、経営組織論を組織学と経営学との交叉領域に認めんとする         ヘンニッヒやウルリッヒの妥協の道であり、第二は、経営活動を組織、指導、管理の三つに区別し、それぞれに独自の地位         を認め、以て経営管理論と共に経営組織論への基礎をおかんとするトムスの建設の道であり、近くはバーナードのそれで− もある。勿論、トムスは管理論ぼどには組織論に努力をしなかったようであるが、ともかくかかる方向に組織的研究を向 けようとしたことは注目に価する。バーナードについては次に述べるが、ともかくかかる方向に於ける研究をわれわれは特 に経営学的組織的研究と名づけたいと思う。それは経営学組織研究の歴史的帰着点と考えられるのみならず、経営構造の 経営学的分析という見地から見るも妥当性をもつと考えられるからである。経営組織論とは経営管理論に対応する経営学 の︸部門であり、経営管理的観点からする経営研究に対して経営組織的観点からする経営の研究を意味するからである。 そして経営に於ける組織の創始形成作用と求心的統一作用に応じて経営組織論は経営学の中心理論をなすものである。  6 経営学的組織論の新なる展開⋮  これまで経営学的組織研究に於いても、組総を組織形成作用として動的に見るにせよ組織せられる結果として静的に見 るにせよ、こ.れを﹁仕事の組織﹂として合理主義納に解釈しバーナードの謂わゆるフォーマル・オーガニゼーションを中心 にして来たことは否定出来ない。如何なる組織観に立つにしても、組織が分労的協力体制たる﹁仕事の組織﹂と考えられる 限り、合理主義の支配の要求せられることは当然だからである。然るに、それが結局は入間疎外を結果し、人間的自覚を 促進するに至り、かくて、いま経営組織を人間組織として具体的に取扱はんとすればどうなるか。合理主義を以て割切る ことは単なる抽象にすぎないのは明かである。経営組織も人間組織として見れば合理主義と非合理主義との統一として理        解されるの外はない。この意味にて、アメリカに於けるホーソン・エキスペリメントを契機として急速に問題となった謂

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わゆる人間関係論︵け芸事P冨 憎O︸騨け陣O鳥。ワ︶の展開は組織理論にも新生面を開くものとして注目せられる。この方面の研究はます ます盛んとなりつつあるが、そのうちで謂わゆるバーナード・サイモン理論が基礎的で、その画期的な意義を認めねばな         らない。要するに、経営に於ける人間要素の取扱いについての反省で、これを如何に経営組織論に取り入れるかは今後の 課題といえようが、これを真に評価し得る立揚はわれわれの行為的主体存在論であると考えられる。  ワ わが国の組織研究       ⑱  わが国について先ず第一に指を屈せねばならないのは、かつて概観したように、この問題の重要性を指摘してその研究 に先鞭をつけ、三十余年に亘って倦まず研究を続け、常に新しい指導的業績を発表しつつ﹁組織理論﹂を確立することに よって﹁経営学﹂の基礎づけに努力して来られた馬揚博士その人である。何人も経営学を問題とし、組織論を取扱わんと する限り、博士の所説に学びつつ問題を展開せざるを得ないのである。         ⑳        ⑳      ⑳       ⑫  その他、末高博士や故大木教授の努力も忘れ得ず、市原助教授の﹁聯の研究も注目せらるべく、また山賊教授の優れた         ⑬      ⑭        ⑯・ る諸論文、藻利教授、高宮教授及び占部助教授の業績も亦高く評価せらるべく、その他多数の特殊研究に関する著書論丈 も見落し得ないであろう。筆者も相当古くからこの問題に興米をもち、ささやかながら努力をしてきたのであるが、組織 無題が経営学に於ける重要さと組織闇題自体の広汎さと困難さから、経営組織論の性格についても充分なる成果を牧め得       ⑳ ることが出来なかった。準備なお十分とはいえないが、ここに改めて内外諸学者の研究に学びつつ組織学的組織研究と経 営学的組織.研究につき一応の私見を述べたいと思う。  ①冒。・器ざq.o‘望。国ぎ。一覧霧亀○お勲巳鑓ぎ許一〇錯”勾8霧。旦醒

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日犀8炉毒く○蹟琶一二江。♪ぼ⋮葭9賢9名α言昌5Qげq薄しσ9訊。訂輔一胃宏。鍔ま.コ切P己Qやδ置扇頃. 国鼻翼霧♪騨”Q閤琶&餌09睾。ぼ霞O£㊤忌門江。塁一①ヨρ鉾し。c。獣・臼艮。7国ぜゆ9ユ㊦誉田マ訂。農芸鼠。90轟節銭。・ρ江。暴ぎ腎0 馬場敬治、経営学と人間組織の問題、四四頁以下参照。

  組織学と経営学       九

一〇心OoQ暑ひ刈・

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組織学と経営学

一〇 拙著、経営管理論、一二頁以下参照。 三年8窪﹂即。野○。”<亀ぞ。耐け⊆昌oQ●全・彼はへ!ゲルに従って、フランス革命以後の個人主義をテーゼ、官憲国家と社會主義を アンティテーゼとし、両者のジンテーゼとして﹁組織の時代﹂︵十九世紀末から二十世紀の初︶が成立したと見る。 O。白日。霧讐臼 幕電市国①国8⇔。巳塗。隔O。=Φ9ぞΦ臣9δ竜胆8rは株式會社、労働組合、政輿を主要組繊とし、組織の時代を考える。馬場氏上掲 書︸八一頁参照。      、 組織の本質が何かは聞題であるが、 。・bΦ。鉱獄N9離。炉80昆ぎ即叶ざ♂に基づく80b亀9亡く①望。。富琴の一面どする切9昼貿9日冨囲日㌣ 象。塗鬼窪Φ国図Φ自餓く。︾6鐙は参考となる。それは分労.的.協力体制に外ならない。 この年代の重要性については拙著、経営管理論、一三頁及びフェイヨル管理論研究、三三頁など参照。 テイラーについては拙著、経営管理論、 一三頁及び一五四頁、フェイヨルについては、拙稿、フェイヨルの組織論、彦根論叢、第 二十五号及び拙著、フェイヨルの管理論研究、参照。 6Ω︸邑曾♂99日9℃賦δ㎝。喜繁。め寓窪薦Φ露㊦暮噛一¢卜⊃ム・ q暑ぎき冒堕鼠9墨σq①日①暮。酌日。日。踵。き一8ω・團冨旨魯け醜亀寓ゆ轟碧旨。温・ じσエoF寓撃塁σqΦ罎。巨■目富Z鉾罵Φ碧画oD鐸弦甑。塁8.一置。。. 名一霧ぎ5⇔q霧ぎ窃磁匪創筥一昌猷曾暮ご炉 U帥くぎ國・O‘噌冨国局郎量8①9帥訪。出日ε寓窪轟Φ三遷計一〇αr 寓餌巨冨おヒu⇔o霞ぎ謝ぴ儂臥蚕隔5蝉qoΩヤ。・酔Φ営西霞じdΦけ臥Φ謝看暴富9跳訂︸。ぼ㊦職∪一Φゆ①急増背く電毒口冒目算O露里昌留謎ω幽窪む⇒①け臥①諾包鴨雰。蜜ま。ユー ﹃ぼρロ﹂貸Pおト。刈・冨OO9窪ρゆ雰艮①冨Oお卿颪蟹げざ炉おωO・冨OO9窪聖日ぎ白。・bO弓ひq帥民蟹試O塗冨図騨O斜一〇ωP乞Oaω冒爵でさえかかる 考え方から脱脚していない。 じσォ≦ρ︾こOお⑳巳σQ印菖。昌。酌目昌働蕩け曙㌧一置S 山城章、経営学的組織観、PR、第五巻第十号、組織観と計数観、ビジネスレビュ1、第二巻第二号参照。静態観、動態観、有機 観の区別は興味深い。更にこれを深めることが問題である。      − Zざ匹ぎF国壱∪角名薬舞㎞埼外篇一〇お霞誌鉾ご炉一〇鱒O・高田馨、ニックリッシュの物質観と入間観、経済科学、第四巻第一号、 ニックリッシュ組織法則、彦根論叢、創刊号、参照。 9

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葭轟巨9昌﹂讐勲O・ 乙の方面の研究がわれにとっても重要な参考となるが、それらについては、馬場敬治.、経営学の基礎的問題、その他参照。 嵐8器ざ。や飢£薯けβ鼻魯訂蕊噛9曜脚﹂≧︸σqΦ臼Φぎ¢O茜雪討蓉蒼μの箆肖。.ら9・ 冒。易ωご。ぎ国‘曾題91寅㎎窪動電○お鵬翼・。鉾冒箒㎝冨穿3︸8心・彼についての詳細は、拙著、経営管理論、三六頁③参照。なお、この二 版脚9江。β巴駿δhgβ09勲霧しdΦけぼ㊦冨。護㊤巳・・象一9ポ一〇誤・が出ている。 自Φ量曜匂uび①欝δ冨細旨叶ω。冨津ご。冨○お騨巳鑓菖。昌珍①浮。い一〇認●臼風。﹃餌・費○。 日ぎ巨。。鴇智GじQΦ#ざ冨ぐ①胃譲巴貯冨09u一8心・詳細は拙著、経営管理論、参照。また、 冨Oo暮話との共著○同讐嵐鋒昨。霧冨圏吋§︸一〇⊂ρO。 O讐昌蜀㈹Φ5創霞bづ野物無︶おΦ露9貯冨撃おωひ・ニックリツシユ経営学騨典の○彊自色暮す挿などがある。更に、戦後のドイツに於ける 組織研究を知るには、 じUo貯δ冨≦ぽお。︸蜀雰︸さ7窃國①需註δ臣q巨“U冨切㊦けほ①冨。お勲巨目黒。戸国∂臨・しU・悼心.脳騨葺σq・一8心Z5α●ひが便 利である。 切。9巨おび①茜㊤餌鼠Oざ認。戸寓㊤轟σq㊦巳①暮窪餌爵Φ渇。弓ぎが6ωO・馬場敬治、上掲書参照。 この人間関係論は今日一の流行となっているが、如何に理解するかは問題であらう。その中心としてのバーナτド・ナイモン理論 ︵じd軽量昌”司冨周5墓90昌・・9夢①国図。呂聞くΦ・望蜀○⇔”bq自乱慕薄地く①U﹂Φ審訊。さ一8こ の詳細については馬場敬治、経.営学と入間 組織の問題、.参照。これは明かに一般組織論的であるが経営組織論として見る乙とも出来る。われわれも別に研究を試みたい。 社会学と組織研究とは関係が深いが、特に経営社会学、経営社会政策、経営労務論などの方面からする人間性の疎外の回復の問題 が考慮されるべきである。しQ艮Φ艀一⇔﹂㊦首ぢ奮守醇暮。9鶏臼∪づ9三①冨冨ぴ8貯量同昌昌易け二ρおω心・これらっいては別の機会に研究を 試みたい。 馬場博士の業績については、拙稿、経済学、組織学と経営学、PR、第六巻第九号、参照。’ 末高信、組織学とその応用︵昭和十五年︶ 大木秀男、経営組織論︵昭和二十四年︶ 市原季一、組織及び組織論︵平井編、経営組織の発展と計算思考、一七七頁以下︶、経営に於ける形成組織と生成組織︵平井編、 経営内部関係と外郭関係、二四一頁以下︶、経営の社会集団的性格、国民経済雑誌、第八十四巻第三号、経営学と組織論的思考、 同上誌第八十穴巻第一号、ドイソ経営学など参照。 組 織 学 と 経鴬学 一一

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組織学 と 経 営学

一二 山城章、経営学の学び方及び上掲論文参照。 薄利重隆、経営管理言論、経営組織論の一考察、経営学論集、第十五集、職能組織の本質、一橋大学産業経営研究所編、現代商学 の基本問題、経営管理組織に於ける﹁ライン﹂と﹁スタソフ﹂、一橋論叢、昭和二十六年八月号など参照。 高宮普、組織の本質と委譲、ビジネスレビュー第二巻第一号、スタソフの本質、 一橋論叢第二十九巻第三号など参照。 占部都美、現代経営学 拙稿、経営任務とその分類、経営と経済、第三巻第三号、資本組織と経営組織、同上誌、第三巻第四号、任務分担と職制溝造、同 上誌、第三巻第五号、組織問題としての企業の指導、法と経済、第一巻第三号、実需科学としての経営学論、同上誌、第三巻、第 一号経営組織画題と任務分類原理、立命.館三十五周年記念論丈集、法経界、経営組織論に於ける︸基本問題、法と経済、第十二巻 第一号、経営[管理組織の発展、彦根論叢、第十七号、フエイヨルの組織論、彦根論叢、第二十五号、など参照。 三 組織学の主張とその批評  ードイツ経営学と組織論  前節で一寸触れておいたように、米英仏の経営学はその中心を経営管理論におき、経営組織論もむしろ管理論的色彩を もつ。上述のようにドイツでもそのような傾向がないわけではないが、米英仏と比較すればむしろ稀薄といえよう。ドイ ツ経営学においては、メレ官ウィッツの謂わゆる組織的思考︵。茜㊤三野⇔○器爵①・・U曾犀魯︶の名によって却って組織論の重視が 特徴的ということが出来るように思える。        ①  テンデュリーのゲルマン精神の特質に関する亥の言葉はこの点を明かにするのに役立つ。    ﹁ラテン言言とゲルマン糖神とは、組織に於いて行為する人聞の地位を解釈することが問題となるところで明瞭に区別される。ラテ  ン︽にとっては精神的存在たる﹃人間﹄ ︵創霧αq。蓉鎧。朝$。p=試①窃爵.。︶があらゆる組織的現象の生ける中心であり、あらゆるものを  生む生産力であり、これに比すれば、作られたるもの︵q塑。Ω Φ①こαO︸PO弓隔︶非人格的な姓名もなき有機体はただ消極的な役割を演ずべきも  のにすぎない。これに反して、ゲルマン人にとっては有機体は極めて容易に客観的に存在する統一体たるの意義を獲得し、行為する個

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 入に対して独立する力として対立し、個人はただ全体の部分にすぎないものと見えしめる。﹂  かくて、ドイツ経営学にとっては、経営組織は経営の︸要素ではなく全体として経営そのものであり、米粒経営学が組 織を管理のうちに認めるに対してドイツ経営学は逆に管理をも組織のうちに包含せしめ、かくて極端と極端の如く対立す        るのである。要するに、ドイツ経営学は種々の点からその性質を把握することが韻来るが、その一として経営学即経営組 織論乃至組織学と見る点をあげることが出来ると思われる。われわれは数多くの組織研究者のうちでその典型として眞ッ         クリッシュ、シエンプルーク、ノルトジーク、シュラムなどをあげ得るであろう。        ④  勿論、馬場博士は訳の如く述べて、これらが学問的価値に乏しいことを指摘される。  ﹁独逸の学界で、従来、組織論の名前で公にされて居るものの中には、学問的に浅薄なものが相当多く、親等は、筆者の云うような 組織論調の述作には到底属するものと見難いものである。即ち、二、三の例を挙げれば、ニックリッシュの組織論や、ノルドジィーク の組織論、更には又、戦後に出たシュヌτテンハウスの﹁一般組織論﹂の如き、何れもその例である。其の内容は、夫々、多少異なる がそこには、筆者の云うような組織理論が殆んど展開されて居らず、此点だけから見ても、明かに学問的価値の乏しいものである。﹂  しかしわれわれは倉皇の極端に対するドイツの極端を対立せしめこれを発展せしめるという意味にて一応これを概観し ておかねばならないと思う。その際ニックリッシュの学説は曲ハ型的なドイツ経営学で、それはノルトジークの指摘するよ        うに組織論的見地が目9霞岡巴の⇔となっているが、その組織論は余りにも形而上学的であるからここでは一応問題外にお き、シエンプルークを媒介にして、上述の意味で最もドイツ的とも考えられるノルトジークの組織学を問題にしよう。  2シエンブルークにおける経営学と組織論          かつて述べたように経営学方法論の著者として有名なシエンプルークは経営学の性質をいろいろに論じた後、結論とし てこれを組織学であるという。

     組織学と経営学      ご二

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    組織学と経営学       一四

 ﹁経営学−彼の言葉によれば個別経済学一はその内容的本質に従えば、これを組織学︵○お程寒雲δ摩酷のぎ。︶と名づけるのが最も 適切である。尤もこの特質は重要性をもつ凡ての学説に未だ一当的に現われているとはいえないのであるが、若し形式的なメルクマー ルによって学問の性質が決定せらるべきであるならば、経営学に於いては正に組織なる契機こそが経営学の特質を基礎づけ、経営学を       ⑦ 他の目的をもつ経済諸科学から鋭く浮き上らしめ、経営学に科学一般の領域に於ける独自の妥当性を与えるものであるからである。﹂  然らば、そのいう組直島とは如何なるものであるか。それは彼の問題の外にあったから、彼はこれに直接答えようとは       ⑧ しなかった。この方法問題の三年後に公にした対象問題についての著書に於ても右の思想を窺知せしめはするけれども、 これを正面から展開しようとはしなかった。蓋し、彼にとっては経営学の対象と方法が直接の問題であり、それを明かに するに必要な限りに於て組織が問題となるにすぎないからである。即ち、   彼は経営学学の対象を経営経済または経管経営とし、これを形式問題たる経営の社会学的概念 ︵q霞ω鼠9轟ぎ冨レ昌σq。旨。営び。σq島輪  9霰しd9菖Φ冨驚9霧勺きび一。日留日喝臼臼︶ と内容問題たる経営の経営学的概念︵無爵αぎ琴巨富畠Φbコ①σQ塚一事q霧切。霞冨び窃岡伽器勺同。寓Φ旨  働窃冒︸巨訂︶との綜合と見て次の如く定義する。即ち﹁経営経濱とは固走的な予め準備せられた物的設備の上に、経済的観点から統一  的に行われる諸行為を一つの組織にまで結合するところの個別的または全体的な封鎖的社会構成体で、その継続はそれ自身に於いて時       ⑨  間的には無制限であり、その行為過程は強制的に確定せられているところのものである。﹂その特質は、第一に祉会的構成体、第二に  封鑛的構成体、第三に個別的または全体的構成体、第四に経濱的組織、.第五に経営という形態的規是性、第六に組織体たることがこれ  である。       ⑲  これについては種汝詳細な紹介や批判が行われているし、われわれも彼をただ媒介者と見るにすぎないのであるから、 繰返すことを避けるが、要するにシエンプルークが経営学を経済的経営の組織学と考えていたことを明かにすれば足りる のである。そしてかかる考え方を更に意識的に発展させ徹底せしめるものがノルトジークに外ならない。  3 ノルトジークの組織学

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 ノルトジークがドイツにおける組織研究の一代表者であることは既に以前から知られており、その努努や著書も殆んど          紹介されている。おれわれがここで問題にしょうとするのは、彼が経営組織の研究から出発しつつ、組織の普適性と一般 的構造性に着昌して﹁新しく成立する組織の科学︵名田・・の塁。鍔難く8動電O鳳σq妻室丁子8︶に基礎を与え、それに典型的な観点        ⑫ を労作せんと試み﹂た点である。彼は組織論的見地を﹁任務﹂︵b進撃び。昌︶に求めて﹁経営﹂を﹁任務共同体﹂︵雪壽磐①〒 び身?⊥ィ。冨紫︶と見、任務を体系形成力と考え、組織学の基礎概念とするのである。そして、彼の説の特質は独立の丈化科 学乃至精神科学として組織学を主張する点にある。われわれは何よりも彼の組織学の主張の根拠を顧みねばならない。  ㈲ 組織学の構造 先ず彼の主著の構造であるが、序論にて、 ﹁組織問題は統一的な問題領域を形成するかどうか、そ れは固有な科学、一の﹃組織学﹄たるを承認しうるかどうか、或はそれは現存する学科の中にその構成要素として包摂せ        ⑬ らるべきかどうか﹂なお疑問だとし、本論はこれに肯定的に答えんとする次の六章から成っている。即ち、第一章、一般 的方法論的基礎、第二章、概念的基礎、第三章、組織の方法論、第四章、組織的関係上、第五章、組織的過程論、第六 章、科学体系における組織学がこれである。  第一、二、三章は組織学の対象や認識方法に関する学問論で、彼によれば、 ﹁組織学とは﹃組織﹄ ︵○鵡窪暴暮言︶の文 化的複合関連をその一般的本質と.その変化に従って記述し説明し、組織成立の規則性を発見し、それによって同時に﹃組        織形成﹄ ︵○おき巨窪窪︶の︸般鮒方法を媒介しようとするものである。﹂  第四・五章は組織学の内容に当るところで、彼の組織理論の中核をなし、また特色あるところであるが、それは別の機 会にゆずらねばならない。最後の第六章は組織学の科学体系における地位を明かにし、隣接科学との関係を論ずる。即ち ①組織学と社会学、②組織学と技術的諸学、③組織学と経営科学、労働科学、労働心理学及び心理技術学、㈲組織学と国 民経済学、⑤組織学と経営経済学、⑥組織学と法学との関係を論ずるのである。われわれはここではただ組織学の地位と

     組織学と経学営       一五

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   ギ組織学と経営学       

一六 経営学との関係についての所説を聞くに止めよう。彼は先ず組織学の地位を次のような図にて説明せんとするのである。          ㈲ 科学体系における組織学の地位 ノルトジークは組織学の基礎づけのためにはアモンやゾンバルトやマックス・ウ    ⑰      ⑱ エーバーに依ったが、科学体系における地位については更にマンハイムに依拠して略汝次の如く論ずる。科学論の試みは 種々あるけれどもまだ統一的な科学体系は存在しないが、ともかく認識の対象の見地 ︵これを中りにA方向という︶と認識 の方法の見地︵これを仮りにB方向という︶から科学理論的に考察せらるべきである。  A方向即ち科学対象に即して見れば、︼般的抽象的な対象をもつ科学から特殊的具体的な対象をもつ科学への系列、即        い        ち理論的体系的科学から実践的政策的科学 ︵クンストレーレとも呼ばれる︶ 矛一図科学体系にIDける網織学の地位

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   、解、 への系列が成立つ。科学の対象が具体的特殊的になれぽなるぼどその形式 的透徹性は減じその内容高調性は増す。両極は対立し、一方には純粋な思 惟、比較的無内容な科学例えば数学、論理学があり、他方には比較的無形 式内容的政策的応用的な科学例えば経済政策、特殊経営学等がある。その 際、より形式的科学は、周辺にあって実際生活に触れるクンストレーレよ り一層中心に位する。そこで、諸科学は形式的中心点をめぐって対象の一        ⑲ 般性抽象性の多少に従って、いわば円環と地帯の形で集中する。  さて、然らば、このような科学体系においてこのA方向に依れば組織学 は如何に位置づけられるか。上述の組織学の説明や組織概念の規定から、 組織学の体系の一般性と抽象性、その領域の広汎性は明かだとして、社会 学や心理学と同位に立つとする。その内容は広く皇かで、しかも組織学に

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とって画廊あるのはただ一般的なものだけである。組織学は先ず第一に形式科学で、そこでは演繹が前面に立つ。この一 般的原理を、今日一部は経営経済学や経営科学、特殊国民経済学や国家学や公法学に成立せる特殊組織論に適用する時に のみ経験に接近しクンストレーレに近づくのである。そしてこのことは組織学の隣接科学との関係において詳述せられる がその前にいま一つのB方向即ち認識の方法につき考えねばならない。  この点については既に彼は第一章にて因果的説明と目的的説明を区別したが、これによって一切の科学領域は二大別さ れ、謂わゆる自然科学にては因果、の方法が唯一の生産的方法であり、精神科学にては目的汝方法が前面に出で、因果方法 はただ補助的に作用するにすぎないとする。  以上が上の図の示すところで、そこでは組織学をめぐる部分のみが明瞭にせられている。問題になるのは全科学のうち 糟神科学であり、そのうちでも特に同一対象圏に存在し体系的性格の親近性を有するもの一一方では社会学と心理学、        他方では技術学︵テヒノpギー︶iなのである。  凶 組織学と経営学との関係 それではその組織学と経営学とは如何なる関係にあるか。彼は先ず経営学は組織学に何 を貢献し得るかを問題にして、吹の如くいう。組織学は、その明瞭な繭玉を既に可なりに完成した経営科学のうちに見得       ⑳       ⑳ るのであるが、特にその方法論的問題に関しては、経営学的方法論争及び経営学の組織論的方向から決定的刺激を受け取 ったのである。経営学はその成果において特に組織学の副次的及び分岐的領域として、管理技術として重要性をもつ。経        ゆ 営学は大部分特殊管理論郎ち企画組織の管理論である。  次に馬組織学は経営学に何を貢献するかを問題にしていう。組織学は経営学に対して第一に組織的見地の意義を解明し 第二に経営学の殆んどの部門、特に経済経営の組織と管理の特殊論に対し基礎理論になり得る。第三に、各種経営の組織 における根本的類同性がどこで探究さるべぎか従って組織的経営比較の基礎がどこで得られるかを示す。更に、経営学の

     組織学と経営学      

一七

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     組織学と経営学       

一八 僧的のために組織学を利用することは今後の研究課題とならねばならない。就中、組織論の提供する経営生活に対する根 本態度、任務即ち容観的目標設定ーーその遂行は公共利益に役立つ一としての経営目的の解釈、=疋の倫理的態度は重          要な意味をもつ。

 4組織学の批評

 われわれはシエンプルークの主張を裏づけるものとしてノルトジークの組織学の主張を考察したのであるが、われわれ はこれを如何に解したらよいであろうか。  ウルリッヒがいうように、組織学の第一入者としてノルトジークが経営組織の特殊研究から出発して一般組織論に行き         つき、遂には組織学を主張する至った経過は、組織重視の当然の結果として或る程度まで理解出来ないことではない。し かし、それだからといって、それが直に彼の所説の承認を意味するものではないことも明かである。われわれはこれを内 在的に見るも超越的に見るも必ずしも賛同し得ないのである。勿論、ノルトジークを批評するには一般に科学論そのもの        ⑳      ⑳      ⑱ を研究し、彼に特有の経営概念、組織概念、組織と管理との関係について理解すべきであるが、上述の通りそれは別の機 会に譲り、ここでは一般的に結論のみを述べる。  先ず、第一は組織単の独立科学としての可能性についてである。普通、特殊組織の研究は一般的組織論を前提すると考 えられる。しかし、それは特殊研究を通し比較研究を通して確立されるので、先験的な一般組織論が先ずあって特殊組織 論があるのではない。論理的には先行するにしても事実的には後続するといわざるを得ない。特殊組織論に一般組織論が 先行するとしても、その︼般組織論が直ちに独立の精神科学を形成するといい得るであろうか。経済組織、政治組織、社 会組織などの特殊組織を超える組織一般が考えられることはいうまでもないが、それが直ちに独立科学の根拠とはいえな い。そうでなければ、独立科学は種汝な一般概念に応じて幾らでも任意に成立せし得るであろう。だから組織一般はそれ

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それの特殊組織において問題とせらるべく、その外に一般組織論が考えられるとすれば、独立科学としてよりはむしろ社        会学に属すると考うべきではあるまいか。勿論これまで社会学が組織を組織そのものとして問題にしないにしても、それ が組織関係をも含む社会関係や社会過程或は社会集団を取扱う限り形式組織学或は一般組織論をも含み得るというべく、 社会学がこれまで組織を問題にしなかったとしても、それはし得なかったのではなく、今後の発展を期待することも出来     ⑳ る筈である。ノルトジークがいうような組織学を社会学と並んで独立の科学なりといって見たところで学問上無意味であ り、科学体系においてその独立性を認め得ないというの外はない。その後、一般組織論の研究者はあっても、彼の独立説 を支持する者の全くないのはこれを証明するものといえよう。  第二に、組織学と経営学との関係について考えよう。組織学の独立に重要性を認めないにしても一般組織論の可能性と 重要性は否定出来ない。そしてその一般組織論に基礎を提供するものが、社会学的研究であるよりは経営学的研究である ことは彼のいう通りである。しかし、反対に経営学を組織学の特殊部門と見ることは、両者が密接な関係にあることを認 めるとしても、経営学の独立性を否定することであり、単なるクンストレーレとしてのみ認めんとするもので、何れに しても許されない。それは右の事実を自ら否定するからである。彼も経営学に定説のないことから種汝研究を試みながら 両者の根本関係を見誤ったのは当時の経営学の発達状態から見て止むを得ないというの外はない。経営組織を単に組織の 方面から観察してこれを単なる組織に抽象化し、かくて経営学そのものを組織学に包摂し、その特殊部門と見ることが如 何に誤りであるか明かである。それは経営概念、組織概念、管理概念の不当、結局は経営学的見地の未確定に原因すると いわねばならない。経営組織はむしろ経営の方面から経営組織として旦ハ体的に考察されねばならない。かくてノルトジー クの組織学と経営学との関係における行き過ぎはいま一度問い直され、是正せられねばならないのである。組織学の形式 性は経営学的に内容化されねばならない。

     組織学と経営学      一九

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組織学と経営学

二〇 囲α昌餌蔑ざ∪貯切9篤。冨嵩H詳の毒血塑。。ざ冒Φぎ吋轟口卿峯ざF黒白戴く瓢嵩高。蓉。・○胃騨$び①電δ需署真冬。げ鑑象含①圏国。野老鐸賢09筒昌魁U魯同Φり心・ ㍉鐵罠㈹・一〇鱒刈︸酸・一刈O・ 市原季﹁、ドトツ経営学、参照。 その他沢山の文献があるが、それについては後に触れるであらう。     一 馬場敬治、経営学と人間組織の問題、 一八六頁以下。 ZO巴匙。慶δoぎ餌・勲Oご。α・一刈cQ.喝員¢ロ碑⇔OげΦ・       , 拙稿、経営組織論に於ける一基本問題、法と経済、第十二巻第一号。 。Qケ曾胤ヨ叩じ⇔①駐㊦冨乱多望黒日Φ胃Φ=o望”ドト邑・ぐ舞∪舘ン同・夢。角自転轟轟冒q角国書g乱暴雪幕げ窒肖。し。ωF碑・♂一罫 oQo︸δ日︶露。σq︸∪Φ屑・国ユ粘⇔昌叶⇔討σqΦσ9①昌。Ω叶即β飾飾窪切a胤9峻堵営訪。犀9隔け。・霊び器り一〇ωひ・ P・9.O遥の●一αω・       , 酒井正三郎、経営技術学と経営経済学、 一一二頁以下、市原民、七二頁以下、参照。      . 上掲、拙稿は、 Φ登口号巳芝Φ罠㊦ρ昌O讐β動鷺言臥腎魯Ω電○おき。邑。。卸鉱。昌Ω押切暮三霧鋒含守口9∪冨O。嘗冨ぴω重三諾昏騨坤一〇⊂。r国・ひ・ ド。。・の紹介であり、O暑昌臼墨蹟恥骨○耀帥豆。・9δ塁HΦ冨3這竃・については、池田英次郎、ノルトジーク著﹁組織学原論﹂早稻田 商学、第十一巻第一号、末高信、上掲書、上林貞次郎、組織論の内容、経営研究、第四巻第四号など。 跨・岱.04<o屑項○圏ρ b・騨・○己酸・r b・㍗○¢ω・心・g昌島心ひ・ ⑮跨日暮♪甜〇三。暮琶匙O腎舅象Φ鷺罵馬。動窪夢8話け哲犀g裟帥ぎ雪︸鼻8§一。・柏・9掌お謹・ ⑯ω。目審誉奢←∪言脅鉱罫け陣g巴穿8。巨。昌・ ⑰冨鎚肉98u︸ΦO菖Φ︸aく圃葺け・。。N巨費。。器塁魯鑑けぎげ賃目呂ω。N芭℃。鐸一・・筈霧国鼻。琴9審鴇O霧聾白藷冨b罵ω暮N。N得脅冨の①塁畠㌣  隔け5聰一Φげ目Φ● ⑱寓9巳邑夢野.b碁日淳9一窪①冒霞ら霧。・二重鉱。βg胃等量。豪。夢野窪︵切Φ㎝胃8雲霞く量切。島①琶客9げ員己邑φ器窮乱。。聾H。・。冨津の巳  臣目O︸昌く団=擁oQ司。口’ω℃.一¢鱒⊂ρ●の・卜⊃QOi悼ωN       ,       ・

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⑳ Zoa獣8ド騨・餌.○・9の・一ひ。。・ 跨.餌・○.’一ひO・ 量れは醒①宮♪〇三の醇雪節し﹂㊦育騨・露琶桑弓。駐。留犀b﹂9瓢①ぴ。・≦馨蓉貯紫。。8畔ρ一〇巴ω・心。。が嵐聾ぎ㊤聖9・騨・O・を経済論ではなく 組織論だと批評せるを指す。 ニックリッシュの組織論研究を指す。 乞自融一8鮮野勲○謬。り駈一coO’ 卜.野O謬ω雪一co一. ウルリッヒはノルトージークをば、 ﹁一般組織論を両立な日常用語で主張したり、記述するというのではなく、その原理を事実上 萌確な概念で把握せる最初の著者である﹂として高く評価している。q耳語・2讐○.、酸・O刈常. b・き。・○‘ω・⊂。心醗・       −      聖 b●餌・Oご。α●ぴ隔や ト●魯・O●一〇慶・ま離・ ﹁社会学にとっては如何なる場合に於いても﹁行為する﹂集合入山なるものは存在しない。社会学が﹁国家﹂とか﹁国民﹂とか﹁ 株式会社﹂とか﹁家族﹂とか﹁流玉﹂とかまたはそれに類似の﹁構成体﹂について語る場合には、それはむしろそれらのものによ   ヘ  へ って単に個人の事実的なる、若しくは可能なりとして溝成せられたる社会的行為の特定の経過を思うにすぎない。L 冨貿奢①9♪ 鷺9ぎ象。・。︸60嵩β臼嶺①β鮎電ω。風。ざσqざ坂田氏邦訳二七頁以下参照。 従来の社会学に組織理論の欠燃せることは、マックス・ウエーバーばかりでなく馬場博士も指摘せられる通りであり、 ︵PR、第 六巻第七号八頁︶筆者も亦昭和十五年頃社会学者たる広大教授中野清一氏よりそのことを聞いて不思議に思った乙とを思い出す。 しかしその発展を期待することは出来るではなかろうか。 四経営学と組.織理論 1

 組

 織

組理

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経 営 学 一二 ’

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     組織学と経営学      叫一ご

 以上われわれはドイツにおける組織学の発展を概略ながら跡づけたが、その際、ドイツにおける組織学は米英仏におけ       へ る管理学の極端に対する他の極端と考えられたのであった。問題の中心は経営の理解にあり、一方がこれを管理において 見んとするに対し、他方がこれを組織において見んとする。そこに特色があると共に欠陥もある。そしてまたそこに組織 概念の発展、組織理論の新展開への要求を見出すことが出来る。そしてかかる要求は先ずバーナード・サイモン理論によ って満されるが、これを最初に取り上げてその経営学の基礎づけのために摂取せんとする代表者として上述せる馬場博士 をあげねばならない。      、  馬場博士は既に古くから米英経営学やドイツ経営学の批判的研究を通して、経営学の基本問題が価値の流れの問題乃至 原価の聞題と組織の問題との綜合にありとせられ、これを方法論的に基礎づけることに努力せられたことは何人も知る通 りである。その後、世界における経営学研究の進展、特にアメリカにおける人閥関係論の怨望、更に現実における経営構 造の綜合性の把握を契機に、組織理論の新展開を試みられるに至ったのは注目に価し、経営学や組織論を問題とする限り、 博士の学説を参照しなければならないのである。  2 馬場博士の組織理論  馬肥博士の学説については別の機会に、ω馬場博士の経営学論とその発展、②学史的根拠、③方法論的根拠ω現実的根         拠に分説しつつその概要を明かにしたからここでは特に組織理論を中心に研究したいと患う。  先ず博士の経営学説は、大正末の﹁産業経営の職能と其の分化﹂以来三十余年の努力の結晶として﹁経営学と入間組織 の問題﹂に集大成され、その後の論稿によって絶えず補充され発展されて来た具体的、現実的な﹁組織理論﹂乃至﹁組織 学説﹂ということが出来る。  博士はいう。 ﹁経営学は、経営組織の組織論的研究を行う科学であって、組織論は経営学の一部門などと云うべきもの

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       ではなく、経営組織という組織の組織論的研究が、即ち経営学なのである。L換言すれば、 ﹁経営組織の組織理論﹂なので ある。  然らば、そのような学説の根拠をなすものは何か。それについては前に触れたし、詳細は直接に博士の著書論交の研究 をすすめる外はないが、要約すれば、第﹃に、世界における経営学的研究の批判、第二に、経営構造の現実の綜合性の反 省と綜合的研究の可能性、第三に経営学の論理の確立といい得よう。          第︺の点については、ω従来の経営研究の︼面観一﹁仕事の組織﹂の経営学、﹁価値の流れ﹂の経営学、 ﹁組織におけ        る人聞関係﹂の経営学、 ﹁技術と経営﹂の経営学への分析と批判、②従来の組織論乃至経営組織論の不備一それらは本格        的な組織論ではなく管理論または管理方策論にすぎないとする、個組織概念の不備一これに鑑み博士は組織活動とこれを 行う喜入の間の関係をも含ませ組織、経営組織概念の人間組織としての確立を期し、それが現代における基調組織たるこ         との解明をする、㈲科学方法論的教養の不足−理論、政策、歴史の区別、特に理論と政策との区別の不明確なことなどを 指摘してその峻別を主張するのである。  以上の如き批判は第二の点たる綜合研究の可能性を明かにする。 ﹁斯かる綜合的研究の可能性は、言うまでもなく、根 本的には、経営学の対象たる現実において、上記の諸側面が密接に関聯しているという事実によって支えられて居るので ある。即ち、この事実は、経営学の対象たる現実の持づ性質であり、従って、上記の諸側面を相関聯せしめて老察するこ        とは、本来、斯学の対象の持つ性質にふさわしい取扱い方なのである。﹂かくの如くして経営の現実の構造の反省はいわ ぽ経営の論理︵樽士のいう事実をわれわれはかく理解する︶を確立することによって綜合的研究の可能性へ道を拓くのであ る。  第三の点については、特に理論経営学即ち経営理論を﹁組織理論﹂と確立することによって、経済学、社会学、心理学

     組織学と経営学      二三

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     組織学と経蛍学       

ご四       r       ⑨ などと区別しつつ、関聯をも解明し以て経営学の科学体系における独自性を主張するのである。

 3組織学と経営学

 以上の如く、経営学を﹁経営組織の組織理論﹂と規定し、経営組織の特質を﹁行政組織、政治組織、宗教組織、軍事組        ⑳ 織、研究組織、教育組織、その他の組織﹂と比較することによって明かにし、更に歴史的概念に対して超歴史的にして一 般的な本質的概念を主張する博士が、それぞれの特殊組織における組織理論を越える一般組織論乃至組織学の建設の必要 を説きそのための努力を惜しまないのは当然といわねばならない。むしろそのような広汎な組織学の基礎の上に経営学を 基礎づけんとするところにこそ博士のこれまでの苦心が存するともいい得るのである。われわれが博士の経営学を組織学 説と名づ.けるのもこれがためである。  博士はいう。 ﹁筆者は、予てより、経営学を其の対象のもつ性質にふさわしき内容の学問たらしむることを念願し、之が実現の仕事 に参加し得んが為に微力を傾注し、此の努力の結果として、自ら、後に云うが如き意殊の組織学の構想に到達したのであり、筆者の見        ⑪ る所を以てすれば、経営学は此の意昧の組織学と極めて密接なる関係にあるものである。﹂  かかる﹁組織学i人聞組織の理論一の名は億新しく、之が体系的叙述は、学界に於ける今後の研究に挨つべき所伺多いものでは        、       ⑫ あるが、さりとて一部の人々の想豫する如く全然未発達の状態に在るものではない。﹂ ﹁組織の問題は⋮之を既存の諸科学に関聯       ・      、   ⑲ せしめて言えば、経営学、組織学、社会学、社会16理学、政治学、行政学等の諸方面より研究されているのである。﹂ ﹁唯、既往に於 いては、之等諸方面の研究を通観し、真に之を綜合する仕事が、筒殆ど果されて居ないのであり、而して、斯かる意昧の綜合の仕事が 完成するには、其の中枢部分として、何としても、組織に関する一般的基礎理論の発達が必要なのであって、恐らく、此の仕事が、特        ⑭ に、組織の問題に関する今後の研究として最も重要視さるべさであらう﹂とされ、自らバーナード・サイモン理論を批判し取り入れる ことによってそれへの努力をされるのである。﹁若し、此の方面の研究が次第に発達し、之が経営掌に摂取されるに至る時は、経営学 は、 一方に、国民経管学、他方に、社会学︵及び社会心理学︶と密接な関聯を持ち、斯くて、経営学は、少くとも、右の両科学を左宥        ⑭      霜 に踏まえて、今日のそれより充実したる内容のものとなり得ることは逆面するに難くない。﹂

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 かくの如く、組織学が本格的な経営学の基礎理論をなすから、それへの努力は経営学の基礎づけを志すものの忽せにす べからざるところであると主張されるのである。  4 馬揚学説への疑問  以上馬場博士の経営学説特にその根砥をなすと思われる組織理論及び組織学について考察したがこれを上述のシエンプ ルークやノルトジークの説と比較すれば興昧があるであろう。馬揚学説もこれを単に外面的形式的に見るならば、恐らく 書入も上述せるノルトジークの組織学、組織学と経営学との関係に関する所説と類同性を見出すことも出来るであろう。 しかしそれは飽くまで外面的形式的のことであって、内容的実質的に見るならば、その梢違も陽明かにすることが出来る であろう。これ馬場博士がドイツ経営学における組織研究特にノルトジークのそれを学問的価値に乏しいとせられる所以 であり、またわれわれが馬揚学説を組織理論の新展開という所以でもある。  思うに、両学説の閤には二十年に近い距離があり、その間に於ける学問の発展があるからである。ノトルジークの科学 論が主として薪カント派の流れに基礎を求めて形式論に終始するのに対し、馬場博士がそれから一歩抜け出して且ハ体的現 実的丁子の展開を試み、特にアメリカの人間関係論を摂取して、組織を人間組織として、フォーマル・オーガニゼーショ ンとの統一として、飽くまで具体的現実的に考え、かくて組織学をより広くして深い根拠から問題にし、その上に経営学 を経営組織の組織理論として建設せんとするのである。わ.れわれが馬揚学説を、アメリカ的組織論︵謂わゆるバーナード ・サイン理論︶を媒介するドイツ的組織論︵ノルトジークの組織学︶の新展開として世界的業績と見んとするのはこれが ためである。  然らば、その馬場学説には疑問の余地はないか。それが新訳聞であるとはいえ、組織学的である限り、われわれは依然 として種汝の疑問を提出することが出来るのであるが、.詳細は経営学論に譲り、ここでは経営学と組織学特に経営組織論

     組織学と経営学      二五

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     組織学と経営学       

ご六 との関係を廻る点に集中して考えたい。思うに経営組織論を単に経営学の中心理論というのならば、炭入も異議はないで あろう。しかし一歩進めて経営組織論が直ちに経営学に外ならないとすれば、恐らく記入も納得し得ないのではなかろう か。博士が経営学を﹁経営組織の組織理論﹂とせられるには上述のように深い根拠がある。それにも拘らず、この・王張に は石動なきを得ないのである。結論的にいえば﹁経営組織の組織理論﹂を経営学そのものというのは狭すぎるし、またこ れを経営組織論というのは広きに失すると思われる。要するに問題は組織乃至組織理論の解釈にあり、これを経営学その ものとするか、その一契機と考えるかにある。  第一に経営学は組織学としてしか基礎づけられないであろうか。馬揚学説が、ノルトジークの形式的組織学と異ること 上述の如くであ亀るが、それは結局経営学を﹁経営組織の組織理論﹂として、これを組織学の特殊理論従って特殊組織学と 解することを意味し、その限り経営学と経済学、社会学との関係は実は経営学とそれらとの関係となり、経営学の独自性 を確立せんとする博士の意図に反するのではあるまいか。経営学は組織学に属し、 ﹁経営組織の組織理論﹂である前に言 葉の真の意味での経営理論と考うべきではあるまいか。従来の組織論、経営組織論に対する博士の批判は一面当れりとす るも、他面においてその故に却って不当にまで概念を拡充する結果となったのではあるまいか。経営は組織と離るべから ざる関係にあるとしてもこれを単に経営組織として組織面からよりはむしろ経営そのものとして経営面から考えるべきで はあるまいか。 ﹁経営組織の組織理論﹂ ﹁政治組織の組織理論﹂ ﹁宗教組織の組織理論﹂⋮⋮と並べてみれば、経営組織 の特質は明かに経営にあるというべきであるからである。そしてこれを考慮するところにノルトジーク説との相違がある が、しかもこれを組織理論として把握するところに特質があると共に問題がある。経営学は組織理論である前に経営理論 であるべきではなかろうか。  第二に、右と同じことであるが、経営は経営組織として経営の外からしか把握し得ないであろうか。経営組織は何とい

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つても組織の一種であるから、一面において一般乃至比較組織論二見方の必要なことは何入も認めざるを得ない。ただこ れを外から組織学的にのみ把握せんとするとき問題となる。  経営を経営組織と見る揚合にも二つの立場が区別せられる。一は経営組織を、例えば政治組織、宗教組織、軍事組織な どと比較しつつ区別する立場で、経営を外観する立場、経営を社会集団乃至組織体として、いわば空問的全体として考え る立撃といえよう。他はかく区別された経営の組織を内観する立場、経営を組織作用として或は経営組織を経営の一モメ ントとして、いわば時間的統一において考える立揚といえよう。後者もその極限においては前者となるといえるかも知れ ない。しかし見方は︼応区別せられる。ところで、組織が両者の統一として把握さるべぎは当然であるが、そのような立 坪から経営を経営組織として問題とするのは経営組織論であるよりは経営学そのものというべきであるまいか。その場合 経営組織即経営であって経営即経営組織の経営理論が経営学であるのは明かである。これに対して分析的に考えて後の意 味での経営組織を問題とするものは経営学の一部門としての経営組織論である。そこでは正に経営組織の組織理論が経営 組織論と考えられる℃要するに、経営を経営そのものとしてにせよ、経営組織としてにせよ、全存在として把握するのは経         営学でその内容の分析的研究がら経営組織論の問題が始まるといわねばならない。従来の経営組織論は殆んど凡てがこれ で、それが理論上不十分であるというのと、だからこれを直ちに経営学にまで拡張すべしというのとは別の問題である。 ところで、馬揚博士における﹁経営組織の組織理論﹂は実は前の意味での経営組織の経営理論そのもので、それを経営組 織の組織理論というのは言葉の問題というの外はないかに思われる。若し組織をバーナード的に解するならなおのこと経 営学と経営組織論とを区別せねぽならないと思う。  第三に、経営組織の組織理論は経営の現実を果してよく把握し切るか。博士は経営学の対象たる現実の関聯性と綜合性 の事実を指摘せられ、そこに組織活動が行われ組織関係が貫徹するとせられる。この事実は何業もこれを認めねばならな

     組織学と経営学       ご七

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