An Annotated Translation of Yi jie Xiao lin guang ji, 2
Yosuke KAWAKAMI
だけである︵怪↓ 咎 8 、鑽在令郎肚裡↓鑽在令郎肚裏 去 8 ︶。 ほぼ同文と言ってよい。 ﹃笑府﹄第六四話︵巻二 ・ 腐流部、一五丁表︶ 教法 主人咎師不善教。師曰。汝欲我與令郎倶死耶。主人 不解。師曰。我教法已盡矣。 只 、、、、、、、、、、 除非要我鑚在令郎肚 裡 、 。 我 、、、、 便悶殺 。 令 、、、、、 郎便脹殺 余説 例 に よ っ て、 無 能 な 家 庭 教 師 を 馬 鹿 に し た 話 で あ る。 現 在 の 日 本 人 の 感 覚 か ら す れ ば、 先 生 の 発 し た 破 れ か ぶ れ の 捨 て ゼ リ フ の 言 い 回 し が、 少 々 面 白 い と い う 程 度 に し か 感 じ ら れ な い で あ ろ う が、 こ の 時 代 の 中 国 で は、 文 章 を 読 み 書 き す る 力 は、 頭 や 心 で は な く、 お 腹 なか ︵﹁ 肚 ﹂︶ に 宿 る と 考 え ら れ て い た こ と を 念 頭 に 置 い て 読 む 必 要 が あ る。 ﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 第 一 一 話﹁ 無 一 物 ﹂、 同 第 一 三 話﹁ 腹 内 全 無 ﹂ と 合 わ せ て 味 わ う べ き 笑話であろう。 こ の 話 は、 ﹁ も う わ た し に は ど う や っ て も 教 え ら れ な い、 な ん な ら わ た し を 丸 ご と 息 子 に 食べ さ せ て く れ ﹂ と 言 わ ん ば か り の、 単 な る ナ ン セ ン ス ギ ャ グ に も 見 え る が、 実 は そ れ だ け で は な く、 学 問 は お 腹 なか に 宿 る と い う 思 想 を 踏 ま え て い る。 ﹁ 息 子 の 文 章 力 を 高 め る た め に は、 も は や わ た し を 息 子 の﹃ 肚 はら ﹄ に 入 れ る し か な い ﹂ と 言 っ て い る の で あ り、 さ ら に は﹁ で も そ う し た ら、 わ た し も 息 子 も 死 ぬ け ど ね ﹂ と 主 人 に 対 す る 日頃の鬱憤を、この家庭教師はここぞとばかりにぶちまけようとしているのである。 ︵附記︶ 本 稿 は、 平 成 二 八 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金︵ 基 盤 研 究 C 、 課 題 番 号 二 四 五 二 〇 二 四 四 ﹁ 東 ア ジ ア の 笑 話 と 日 本 文 学・ 日 本 語 と の 関 連 に 関 す る 研 究 ﹂︶ に よ る 研 究 成 果 の 一 部 である。
︵ す る と、 ま た あ る 人 は、 こ う ツ ッ コ ミ を 入 れ る で あ ろ う。 ︶﹁ た だ、 横 に く っ ついている 口 くち 偏 へん だけが、不服を申し立てるかもしれませんがね。 ﹂ 余説 最 も 基 礎 的 な テ キ ス ト で あ る﹃ 大 学 ﹄ や﹃ 論 語 ﹄ の 文 章 す ら、 正 し く 読 む こ と が で き な い と い う、 例 に よ っ て 無 能 な 家 庭 教 師 を 馬 鹿 に し た 話。 明 清 時 代 の 中 国 で は、 小 児科医や子ども相手の家庭教師は、しばしばこのように嘲笑された。 儒学の勉強は、 まず四書五経の筆頭である ﹃大学﹄ から始まり、 続いて ﹃論語﹄ ﹃孟子﹄ ﹃中庸﹄の順に学習した。今で言うなら、 小学校一年生あたりから﹃大学﹄を読み始め、 一年次の年度末に ﹃論語﹄ 郷党篇 ︵第十篇︶ あたりにさしかかった、 という設定である。 かなり具体的に、明清時代の知識人家庭における初等教育のさま が 窺 うかが える。 教 きよう 法 ほう ︵もう教える方法がない︶ 原文 教法 主人怪 二 ム シナンガヘタナリトグゼル 師 ノ 不 一 ル レ ヲ善 レ カラ 教 ニ 。師曰 ク 。汝 チ 欲 下 スルヤ 我 與 ト 二令 オムスコ 郎 一倶 ニ 死 上 センコトヲ 耶。 主人不 レ觧 セ 。師曰 ク 。 我 カ 教 │ 法 已 ニ 盡 キ タ リ 矣。 只 タ │ 除 タ │ 非 ダ 要 下 スルヤ 我 レ ニ ハイリコムヨリシカタガナイ 鑚 二 │ 在 シ 令 郎 ノ 肚 裏 一 ニ 去 上 ンコトヲ 。 我 レ ハ 便 チ 悶 ムセヒ │ 殺 シス シ 。令郎 ハ 便 チ 脹 ハリサケル 殺 セン 。 書き下し文 教 けう 法 はふ 主 しゆ 人 じん 師 し の 教 をしふる に 善 よ か ら ざ る を 怪 あやし む。 師 し 曰 いは く。 汝 なんぢ 我 われ 令 れい 郎 らう と 倶 とも に 死 し せ ん こ と を 欲 ほつ す る や。 主 しゆ 人 じん 解 かい せ ず。 師 し 曰 いは く。 我 わ が 教 けう 法 はふ 已 すで に 尽 つき た り。 只 た だ 除 た 非 だ 我 われ に 令 れい 郎 らう の 肚 と 裏 り に 鑽 さん 在 ざい し 去 さ るを 要 えう するや。 我 われ は 便 すなは ち 悶 もん 殺 さつ し。 令 れい 郎 らう は 便 すなは ち 脹 ちやう 殺 さつ せん。 現代語訳 ︵ 家 庭 教 師 を 雇 っ て い る 家 の ︶ 主 人 が、 先 生 の 教 え 方 は 下 手 だ と 文 句 を 言 っ た の で、 先生はこう言った。 ﹁お前さまは、わたしに御子息と一緒に死ねとでも言うのですか。 ﹂ 主人には、先生が何を言っているのか分からなかった。そこで、先生は言った。 ﹁わたしはね、 もうすでに、 あらゆる手を尽くして ︵あなたの息子さんに︶ 教え て やっ て い る の で す。 も う こ れ 以 上 は、 わ た し が 御 子 息 さ ま の お 腹 なか の な か に 入 り 込 む よ り 他 に 方 法 は あ り ま せ ん。 で も そ う す れ ば、 私 は 窒 息 し て 死 ん で し ま う で し ょ う し、 御 子 息さまはお 腹 なか が破裂して死んでしまうことでしょう。 ﹂ 注 ○﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 上・ 腐 流 部︵ 八 丁 裏 ∼ 九 丁 表 ︶。 ﹃ 新 鐫 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 二・ 腐 流 部︵ 第 一 一 一 話、 一 二 丁 表 ︶。 ○ 怪 二 ム師 ノ 不 一 ルヲ レ善 レ カラ 教 ニ = 先 生 の 教 え 方 が 下 手 で あ る と 言 っ て 責 め 立 て た。 ﹁ 怪[ guài ]﹂ ︵ =﹁ 責 怪[ zéguài ]﹂ ︶ は、 と が め る、 責 め 立 て る 意 。 現 代 中 国 語 と 同 じ。 左 訓 ﹁ シ ナ ン ガ ヘ タ ナ リ ト グ ゼ ル ﹂︵ 指 南 が 下 手 な り と ぐ ぜ る ︶。 ﹁ ぐ ぜ る ﹂ は、 文 句 を 言 う 意。 ﹁ 口 舌︵ く ぜ ち・ く ぜ つ ︶﹂ が 動 詞 化 し、 さ ら に 濁 音 化 し た も の で あ ろ う が、 ﹁ ぐ ぜ る ﹂ の 用 例 未 見。 ○ 令 郎 = 御 子 息。 左 訓﹁ オ ム ス コ ﹂ ︵御息子︶ 。○耶 [ yé]=疑問の助詞 ﹁∼か﹂ 。現代中国語 ︵話しことば︶ の ﹁ [ ma ]﹂ に 相 当 す る 文 語 表 現。 ○ 除 非 =﹁ ∼ し な い 限 り は ﹂ と い う 意 味 の 接 続 詞。 現 代 中 国 語 と 同 じ。 こ こ で は﹁ た だ ∼ す る 以 外 に 方 法 は な い ﹂ 意。 右 傍 訓﹁ タ ヽ︵ た だ ︶﹂ 。 ○ 鑚 [ zu ān ]= ︵ 鑽 きり で ︶ 穴 を 空 け る 意。 結 果 補 語﹁ 在 ﹂ と 結 び つ き、 ﹁ 穴 を 空 け て ∼ の 中 に 入る﹂ 意となる。 ﹁我鑚在令郎肚裏去﹂ は ﹁私が御子息の腹のなかに ︵穴を空けて︶ 入っ て い く ﹂ 意。 左 訓﹁ ハ イ リ コ ム ヨ リ シ カ タ ガ ナ イ ﹂︵ 入 り 込 む よ り 仕 方 が な い ︶。 ○ 悶 殺[ m ēnsh ā ]= 息 が 出 来 ず、 窒 息 死 す る。 和 刻 本﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ は﹁ 悶[ m ēn ]﹂ を﹁ [ bì ]﹂ に 誤 刻 し て い る。 今、 原 本﹃ 新 鐫 笑 林 広 記 ﹄︵ 乾 隆 二 六 年︵ 一 七 六 一 ︶ 宝仁堂刊本、 京都大学附属図書館蔵︶により改めた。左訓﹁ムセヒ シス﹂ ︵噎び死す︶ 。 ○脹殺[ zhàngsh ā ]=腹がふくれて死んでしまう。左訓﹁ハリサケル﹂ ︵張り裂ける︶ 。 補注 こ の 話 は、 ﹃ 笑 府 ﹄ 巻 二︵ 第 六 四 話﹁ 教 法 ﹂︶ に 類 話 が あ る。 ﹃ 笑 府 ﹄ の 日 本 語 訳 は、 松枝茂夫﹃全訳笑府︵上︶ ﹄七三頁参照。なお、 和刻本﹃笑府﹄三種などに類話はない。 ﹃ 笑 府 ﹄ 収 録 話 の 原 文 は、 以 下 の 通 り で あ る。 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ 本 文 と 異 な る の は、 二 字
六 〇 三 話﹁ 於 戯 ﹂︶ 、﹃ 李 卓 吾 先 生 批 点 四 書 笑 ﹄︵ 国 立 公 文 書 館 蔵、 写 本 ︶ に 類 話 が あ る。 ﹃笑府﹄ の日本語訳は、 松枝茂夫 ﹃全訳笑府 ︵上︶ ﹄ 六七∼六八頁、 大木康 ﹃笑林 ・ 笑賛 ・ 笑府他︿歴代笑話﹀ ﹄︵中国古典小説選 12、 明治書院、 二〇〇八年、 二四八∼二四九頁︶ 参 照。 な お、 ﹃ 笑 府 ﹄ 所 収 話 は、 和 刻 本﹃ 笑 府 ﹄︵ 半 紙 本、 明 和 五 年︵ 一 七 六 八 ︶ 京 都 刊、 A 本︶に収録されている。 ﹃笑府﹄ 、 和刻本﹃笑府﹄ ︵半紙本、 明和五年︵一七六八︶京都刊、 A 本︶ 、﹃絶纓三笑﹄ 、 ﹃ 李 卓 吾 先 生 批 点 四 書 笑 ﹄ の 原 文 は 以 下 の 通 り で あ る。 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ と﹃ 笑 府 ﹄、 ﹃ 絶 纓 三笑﹄と﹃李卓吾先生批点四書笑﹄は、 それぞれ ほ ぼ同文であ る 。﹃絶纓三笑﹄と﹃李 卓 吾 先 生 批 点 四 書 笑 ﹄ に は 末 尾 に 編 者 に よ る コ メ ン ト が 添 え ら れ て い る。 笑 話 の 内 容 は、 四種すべて同じである。 ﹃絶纓三笑﹄ 及び ﹃李卓吾先生批点四書笑﹄に見える ﹁ 編 者のコメント ﹂ については、 日本語訳 ︵ 拙訳 ︶ を添える。 ﹃笑府﹄第五七話︵巻二 ・ 腐流部、一二丁裏︶ 讀別字[呉語謂之白字] 有訓 者。首教大學。至於戯前王不忘句。竟如字讀 之。主人曰。誤矣。宜讀作嗚呼。師從之。至冬間讀論語 註。儺雖古禮而近於戯。乃讀作嗚呼。主人曰。又誤矣。 此乃於戯也。師大怒。訴其友曰。這東家甚難理會。只 於 、、、、 戯二字 。 年 、、、、、、、、、 頭直與我 拗 到年尾 和刻本﹃笑府﹄ ︵半紙本、明和五年︵一七六八︶京都刊、 A 本︶第八話︵巻上、 三丁表︶ 有訓 レ ヲ コドモ 者 首 メ 教 二大 │ 學 一 ヲ 至 二於 │ 戲 前 │ 王不 レ忘句 一 ニ 竟 ニ 如 レ字讀 之 主 │ 人曰 誤 レリ 矣 宜 三讀 テ 作 二 ス嗚呼 一 ト 師從 レ之 至 二 リ冬間 一 ニ讀 二論 語 ノ 註 一 ヲ 儺 ハ 雖 二古 │ 禮 一 ト而近 二於 戲 一 ニ 乃讀 テ 作 二嗚 │ 呼 一 ト 主 │ 人曰 又 誤 レリ 矣 此乃於 │ 戲 也 師大 ニ 怒 リ 訴 ツゲテ 二其友 一 ニ曰 這 コ ノ 東 テイシユ 家 甚難 二 理 コヽロエヌ 會 一 只於戯 ノ 二 │ 字 從 二年 │ 頭 一直與 レ我 拗 セリヨフ テ 到 二年尾 一 ニ ﹃絶纓三笑﹄第六 〇 三話︵巻四・儒笑九︶ ⃝ 於戲 師 敎 學。新赴 館 。先讀大學。至於戲前王不忘。 竟 、、、、 如字讀 。主人曰。 矣。此宜讀作嗚呼。師從之。 至冬間讀論語註。儺雖古禮而近於戲。 乃 8 讀作 8 8 嗚 8 呼 8 。主人曰。又 矣。此於戲也。師大怒。訴其友 曰。此東家甚難理會。 只於戲二字 8 8 8 8 8 。 年頭直與我 8 8 8 8 8 抅 8 至年尾 8 8 8 秀才不識字。只讀半邊。如此二字。只宜讀方 虛。萬無一失。曰。然則嗚呼二字。只消讀烏乎 矣。曰。 便是旁邊的口不服耳 8 8 8 8 8 8 8 8 8 ﹃李卓吾先生批点四書笑﹄ ︵国立公文書館、写本︶ 蒙師 敎 学 。新赴館。先読大 学 。至於戲前王不忘。 竟如字讀。主人曰。此宜讀作嗚呼。師從之。至冬 間讀論語註。儺雖古禮。而近於 戯 。乃讀作 嗚 、、 呼 。 主人曰。此 於 、、 戯 也。師大怒而別。歸告其友曰。此 東家甚難理會。 只 、、、、、 於 戯 二字 。 年 、、 頭 拗 、、、、、 至年尾 。 畢 、、、、 竟不清 。 秀才不識字。只讀半 邉 。如此二字。只宜讀方 虚。萬無一失。曰。然則嗚呼二字。只消讀烏乎 矣。曰。便是旁 邉 的口不服耳 ︵ 編 者 の コ メ ン ト ︶ 文 字 を 知 ら な い 秀 才 は、 半 分 だ け 文 字 を 読 む。 こ の 二 字︵ ﹁ 於 戯﹂ ︶ のような場合は ︵とりあえず文字の左半分だけを読んで︶ 、﹁方虚 [ fāngx ū ]﹂ と 読 ん で お け ば、 万 に 一 つ も 誤 る こ と は な い だ ろ う︵ と、 こ の 秀 才 な ら ば 考 え る にちがいない︶ 。 ︵ある人は、 次のように言う。 ︶﹁そうすれば、 ﹃嗚呼[ w ūh ū ]﹄の二字は、 ︵左︶ 半分を消し去って、 ﹃烏乎[ w ūh ū ]﹄と読んでおけばよいですものね。 ﹂
書き下し文 於 よ 戯 ぎ 左 さ 読 どく 蒙 もう 訓 くん 者 しや 有 あ り 。 首 はじめ に 大 だい 学 がく を 教 をし ふ 。 於 あ 戯 あ 前 ぜん 王 わう 忘 わす れず の 句 く に 至 いたつ て 。 竟 つひ に 字 じ の 如 ごと く 之 これ を 読 よ む。 主 しゆ 曰 いは く。 誤 あやま れり。 宜 よろし く 嗚 あ 呼 あ と 作 な すべし。 師 し 之 これ に 従 したが ふ。 冬 とう 間 かん に 至 いたつ て 論 ろん 語 ご の 註 ちゆう を 読 よ む 。 儺 だ は 古 こ 礼 れい と 雖 いへど も 而 しか も 戯 ぎ に 近 ちか し 。 乃 すなは ち 読 よみ て 嗚 あ 呼 あ と 作 な す。 主 しゆ 人 じん 曰 いは く。 又 また 誤 あやま れ り。 此 これ 乃 すなは ち 於 よ 戯 ぎ な り 。 師 し 大 おほい に 怒 いか り。 其 そ の 友 とも に 訴 うつたへ て 曰 いは く。 這 こ の 東 とう 家 か 甚 はなは だ 理 り 会 くわい し 難 がた し。 只 た だ 於 よ 戯 ぎ の 両 りやう 字 じ 。 年 ねん 頭 とう よ り 直 ただち に 我 われ と 拗 あう じて 年 ねん 尾 び に 到 いた る。 現代語訳 子ども向けの家庭教師、 まず最初に︵四書五経の最も基礎的なテキストである︶ ﹃大 学 ﹄ を 教 え た。 ︵ こ の テ キ ス ト の 第 三 章 に 出 て く る 文 章 ︶﹁ 於 あ 戯 あ 前 ぜん 王 おう 忘 わす れ ず ﹂ の く だ りまできたとき、 ︵この先生は﹁ 於 よ 戯 ぎ [ yúxì ]﹂という二字を、 正しく﹁ 於 あ 戯 あ [ w ūh ū ]﹂ とは読まず︶ なんと文字通りに ︵﹁ 於 よ 戯 ぎ [ yúxì ]﹂ と︶ 読んでしまった。 ︵それを聞いて︶ 主人が、 ﹁間違っていますぞ。ここは﹃ 於 あ 戯 あ [ w ūh ū ]﹄と読まなければなりません。 ﹂ と言ったので、先生はその言葉に従った。 ︵ そ れ か ら 一 年 が 過 ぎ て ︶ 冬 に な り、 ﹃ 論 語 ﹄︵ 郷 党 篇 ︶ の 注﹁ 儺 だ ハ 雖 二 ドモ 古 礼 一 ト而 モ 近 二 シ 於 戯 一 ニ︵ 儺 だ は 古 こ 礼 れい と 雖 いえど も 而 しか も 戯 ぎ に 近 ちか し ︶﹂ ︵ 朱 子﹃ 四 し 書 しよ 集 しつ 注 ちゆう ﹄ に 見 え る ︶ と い う く だ り を 読 ん で い る と き、 ︵ か つ て 主 人 が 言 っ た 通 り に﹁ 於 よ 戯 ぎ [ yúxì ]﹂ の 二 字 を ︶﹁ 於 あ 戯 あ [ w ūh ū ]﹂と読んだ。 ︵すると、それを聞いて︶主人は言った。 ﹁また間違っていますぞ。ここは﹃ 於 よ 戯 ぎ [ yúxì ]﹄と読まなければなりません。 ﹂ ︵今度ばかりは︶先生もカンカンに腹を立て、怒りを友だちにぶちまけた。 ﹁ こ こ の 主 人 は、 ど う も 訳 わけ の 分 か ら ん 奴 だ ぜ。 ﹃ 於 よ 戯 ぎ ﹄ と い う た っ た 二 文 字 の こ と ぐ らいで、年の初めから年の終わりまで、ずっとケチをつけ通していやがる。 ﹂ 注 ○﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 上・ 腐 流 部︵ 八 丁 裏 ︶。 ﹃ 新 鐫 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 二・ 腐 流 部︵ 第 一〇九話、 一一丁裏︶ 。○左讀=本来右から左へ読むべ き文章を、 左から右へ読むこと。 つ ま り﹁ 間 違 っ た 読 み 方 を す る ﹂ 意。 左 訓﹁ ヨ ミ チ カ イ ﹂︵ 読 み 違 い ︶。 ○ 訓 =﹁ 訓 蒙﹂ 、 児童を教え導くこと。 ﹁ ﹂ は ﹁蒙﹂ の 異体字。 ﹁蒙﹂は知識のない子ども、 ﹁訓﹂ は 教 え さ と す 意。 文 法 的 に は﹁ 訓 蒙︵ 動 詞 + 目 的 語 ︶﹂ と あ る べ き と こ ろ。 ﹃ 笑 府 ﹄ 第 六 四 話﹁ 教 法 ﹂、 ﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 第 二 九 話﹁ 改 対 ﹂ は、 ﹁ 訓 蒙 ﹂ に 作 る。 左 訓﹁ コ ド モ ジ シ ヤ ウ ﹂︵ 子 供 師 匠 ︶。 ○ 首 メ ニ 教 二 ユ大 學 一 ヲ= 最 初 に︵ 四 書 五 経 の 筆 頭 で あ る ︶﹃ 大 学 ﹄ を 教 え る。 ﹁ 教 ユ ﹂ と あ る の は、 原 文 の マ マ。 書 き 下 し 文 は、 規 範 的 な 歴 史 的 仮 名 遣 い ﹁ 教 をし ふ ﹂ に 改 め た。 ○ 於 戯 8 8 前 王 不 レ ノ忘 レ 句 =﹃ 大 学 章 句 ﹄ 伝 三 章 に﹁ 詩 し ニ 云 いは ク ﹂ と し て 引 か れ る﹃ 詩 経 ﹄ 周 頌・ 烈 文 篇 の 一 節。 ﹁ 於 あ 戯 あ ﹂ の 二 字 は、 文 字 通 り に 発 音 す れ ば﹁ 於 戯 [ yúxì ]﹂となるが、 ﹃詩経﹄のこの一節は、 例外的に﹁於戯[ w ūh ū ]︵感嘆詞﹁ああ﹂ ︶﹂ と発音しなければならない。 ﹃ 四 し 書 しよ 集 しつ 注 ちゆう ﹄︵元禄五年︵一六九二︶和刻、 巻一 ・ 五丁表、 早稲田大学図書館蔵︶ に ﹁於戲。音嗚呼。 ﹂︵ ﹁於戲﹂ の発音は ﹁嗚呼 [ w ūh ū ]﹂ である︶ ﹁ 於 ヲ │ 戲 コ ハ 。 歎 辭。 ︵﹁ 於 戲 ﹂ は 感 嘆 詞 で あ る ︶﹂ と あ る。 ﹃ 経 典 余 師︵ 四 書 ︶﹄ 巻 一︵ 七 丁 裏 ︶ は﹁ 詩 ニ │云 ク 於 ア │戲 ヽ 前 王 不 レ忘 レ ︵ 詩 し に 云 いは く 於 あ 戲 ヽ 前 ぜん 王 わう 忘 わす れ 不 ず ︶﹂ と 訓 読 し、 ﹁ 於 あ 戲 ゝ と は か ん し ん の 詞 ことば 也 ﹂ と 解 説 す る。 ﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ は﹁ 於 戯 ﹂ の 二 字 に そ れ ぞ れ 平 ひよう 声 しよう の 声 しよう 点 てん 符 号︵ 文 字 の 左 下 に あ る 小 さ な ○ 印 ︶ を 附 し、 さ ら に 文 字 の 右 傍 に 圏 点 を 附 す。 ○ 儺 ハ 雖 二 トモ 古 禮 一 ト而 モ 近 二 シ於 戯 一 ニ。 = 朱 子 に よ る﹃ 論 語 ﹄ の 注 釈 書﹃ 四 し 書 しよ 集 しつ 注 ちゆう ﹄ に 見 え る。 和 刻 本﹃ 四 し 書 しよ 集 しつ 注 ちゆう ﹄︵ 元 禄 五 年︵ 一 六 九 二 ︶ 刊、 巻 二 ・ 一 四 丁 裏 ︶ に、 ﹁ 儺 ハ 雖 二古 ノ 禮 一 ト。 而 モ 近 二 シ於 戲 一 ニ 。﹂ と あ る。 ﹁ 儺 おにやらい と い う の は、 ︵ 理 想 的 な 時 代 で あ る ︶ 古 代 から伝わる儀式ではあるが、 ︵今では一見︶ 子どもの遊びのように見える。 ﹂ という意味。 この場合の ﹁︵近︶ 於戯﹂ ︵ 戯 ぎ に 近 ちか し︶ は、 文字通り [ yúxì ]と読まなければならない。 ﹁儺﹂ は、 ﹃ 四 し 書 しよ 集 しつ 注 ちゆう ﹄ に﹁ 儺 乃 多 反 ﹂︵ ﹁ 儺 ﹂ は、 ﹁ 乃 だい ﹂﹁ 多 た ﹂ の 反 切︵ 前 者 の 子 音 と 後 者 の 母音を組み合わせた発音︶ である、 つまり ﹁儺﹂ の漢字音は ﹁ダ﹂ ︶とあるのに従い 、﹁ダ ﹂ と 読 む。 ○ 東 家 = 主 人 、 亭 主。 左 訓﹁ テ イ シ ユ ﹂︵ 亭 主 ︶。 ○ 難 二 シ理 會 一 シ= 理 解 し が た い。 左 訓﹁ ム ツ カ シ イ ﹂。 ○ 従 二 リ年 頭 一 直 チ ニ 與 ト レ我 拗 シ テ 到 二 ル年 尾 一 ニ。 = 年 の 初 め か ら、 年 の 終 わりまで、 ずっと自分にケチをつけ通しである。 ﹁直 ﹂= ﹁ 一直 [ yìzhí ]﹂ 、︵∼まで︶ ずっ と、 絶え間なく。 ﹁ 拗 [ niù ]﹂は、 反対方向にねじ曲げる、 刃向かう意の動詞。左訓﹁ト シハシメヨリ トシズヘマデ モカフテヲル﹂ ︵年始めより、年末まで、向かふてをる︶ 。 補注 こ の 話 は、 ﹃ 笑 府 ﹄ 巻 二︵ 第 五 七 話﹁ 読 別 字 ﹂︶ 、﹃ 絶 纓 三 笑 ﹄ 巻 四・ 儒 笑 九︵ 第
ミ ヒソ 伺 ウカヽ フ 師 大 音 ヲン ニテ 這 コノ 前靣 赤壁ノ 賊 ゾク ハ ト 謂 イヒ ケル ニ 賊 ゾク 大 ニ 驚 ヲドロ キ思ヒケルハ 前靣ニ ミ ヒソ シヲ 已 スデ ニ 覺 サト ラレタレ ハ 房 イヘノ 後 ウシロ ヨリ 穿 ウガ チ入ント 夜 已ニ 深 フケ テ 師 講 コウ 完 ヲハツ テ 後 コウ 房 バウ ニ 徃 ユキ 寝 イネ ントテ 既 スデ ニ 床ニ上リ 復 マタ 弟子ト 論シテ 後赤 壁ノ賦ニ及ヒ 後赤壁ノ 賊 ゾク ト 讀 ケレハ 偸 ヌス 児 ビト 外ニ有 テ 嘆 タン 息 ソク シ 我 前後ノ 行 アリカ 藏 悉 コトコト ク 此 先 ミツケラル 生ニ 識 シキ 破 ハ セラ ル 這 コノ 様 ヤウ ノ 先生ヲ 招 マネク 家ハ 狗 イヌ ヲ 養 カフ ニ及スト 感 カン ジテ 去 サル ﹃訳準笑話﹄第一二九話︵二四丁裏︶ ■ ザイゴガクシヤ 村學究 ■ 二 ヤシナハル │ 餬 ス 人家 一 ニ。夜為 二子弟 一 ノ誦 レ文 ヲ 。讀 二 テ賦 ノ 字 一 ヲ為 レ賊 ト 。適 ゝ 有 二 偸 兒 一。潜 ニ 造 二 ル窓前 一 ニ。聞 三其呼 二 ヲ前赤壁 ノ 賊 一 ト。 ヒソヒソニ 悄然斂 レ跡 ヲ 。遶 テ 抵 二 ル後 庭 一 ニ。亦呼 二後赤壁 ノ 賊 一 ト。偸 兒 膽潰 ル 。曰。我 カ 之所 レ至 ル 。彼輙識破 ス 。 留 二養 ス 如 レ是 ノ 先生 一 ヲ。不 二復須 一 レ畜 レ コトヲ 狗 ヲ 矣 ぼ ん く ら の 田 いなか 舎 儒 じゆ 者 しや ︵﹁ 村 学 究 ﹂ の 左 訓﹁ ザ イ ゴ ガ ク シ ヤ ﹂ は﹁ 在 ざい 郷 ごう ︵ 田 舎 ︶ の学者﹂の意︶ 、雇われ教師として、何とか 糊 こ 口 こう をしのいでいた。 あ る 夜 よ 、 教 え 子 の た め に︵ 教 科 書 の ︶ 文 を 読 み 上 げ て い た と こ ろ、 ︵ 文 体 名 の ︶ ﹁ 賦 ふ ﹂ と い う 文 字 を︵ ﹁ こ そ 泥 どろ ﹂ と い う 意 味 の ︶﹁ 賊 ぞく ﹂ と 読 ん で し ま っ た。 折 し も、 泥棒がこっそり窓の外に身を潜めている 最 さい 中 ちゆう だったので、 泥棒は ﹁︵家の︶ 前 ︵に い る ︶ 赤 壁 の 泥 棒︵ ﹁ 前 赤 壁 賊 ﹂︶ ﹂ と 呼 ば わ る 声 を 耳 に し て、 抜 き 足 忍 び 足 で そ の場を離れ、 ぐるっと回って、 裏庭の方へやってきた。するとまたしても、 ﹁︵家の︶ 後ろにいる赤壁の泥棒 ︵﹁後赤壁賊﹂ ︶﹂ と呼ばわる声がしたので、 泥棒は 肝 きも を 潰 つぶ して、 こう言った。 ﹁ 私 が 行 く と こ ろ 行 く と こ ろ、 す べ て こ の 人 に 見 破 ら れ て い る。 こ の よ う な 先 生を抱え込んでいるならば、もはや 狗 いぬ を飼う必要などないであろう。 ﹂ ﹃ 訳 準 笑 話 ﹄ の 本 文 は、 内 容 は﹃ 笑 林 広 記 ﹄ と ほ ぼ 同 じ だ が、 文 体 は 古 典 的 な 漢 文 に 書 き 換 え ら れ て い る。 た と え ば、 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ に 用 い ら れ て い た 会 話 文 中 の 語 気 助 詞 ﹁呀﹂ ﹁了﹂ や口語的な白話語彙 ﹁這様 ︵このような︶ ﹂﹁都 ︵みな︶ ﹂ などは削除され、 文 言 語 彙 で あ る﹁ 寄 餬 ﹂﹁ 斂 跡 ﹂﹁ 如 是 ﹂ な ど が 書 き 加 え ら れ て い る の で あ る。 ﹁ 訳 準 ﹂、 つ ま り﹁ 日 本 人 が 正 し い 漢 文 で 文 章 を 作 成 す る と き の 模 範 例 文︵ 漢 訳 8 に あ た っ て の 基 準 8 ︶﹂ を示すという本書の表向きの出版意図を反映したものと考えてよいであろう。 ﹃訳 準 笑 話 ﹄ の 文 章 は、 こ の よ う に 概 ね 極 め て 古 典 的 な 文 言 で 綴 ら れ て い る。 言 い 替 え れ ば、 古 代 中 国 語 の 語 法 に 従 っ た 難 解 な 文 章 で あ り 、 一 般 的 な 中 国 人 に と っ て は 読 み に くい ︵ 高級な ︶ 文章になっている 、 ということである。 余説 ぼんくら教師の読み違いが、今度は泥棒を追い払ったという笑い話。 こ れ ま で の 話 は、 読 み 違 い に よ る 失 敗 譚 ば か り で あ っ た が、 今 回 は、 ﹁ 読 み 違 い に よ る 儲 もう け 話 ﹂ と い う 趣 向 で あ ろ う。 た だ し、 あ く ま で も﹁ ぼ ん く ら 教 師 ﹂ を 馬 鹿 に す る の が こ の 話 の 狙 い で あ り、 ﹁ へ っ ぽ こ 儒 者 の 読 み 違 い で 泥 棒 が 退 散 し た な ど と い う、 そ ん な 馬 鹿 げ た こ と が 実 際 に あ っ て た ま る も の か ﹂ と い う 痛 烈 な 皮 肉 を、 こ こ に も 敏 感に 嗅 か ぎ取るべきであろう。 な お、 ﹁ こ の よ う な 先 生 を 雇 っ て い る な ら ば、 番 犬 を 飼 う 必 要 な ど あ り は す ま い ﹂ と い う 最 後 の 一 句 を、 ﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 第 一 七 話﹁ 狗 く 頭 とう 師 し ︵ 戌 いぬ 年 どし 生 ま れ の バ カ 教 師 ︶﹂ の 場 合 と 同 じ よ う に、 こ の ぼ ん く ら 教 師 を 人 間 以 下 の 獣 けだもの で あ る﹁ 狗 いぬ ﹂ 並 なみ に 取 り 扱 お うとしている、と解釈すれば、さらに一層シニカルである。 於 よ 戯 ぎ 左 さ 読 どく ︵﹁ 於 あ 戯 あ ﹂の二文字を読み 間違え る︶ 原文 於 │ 戯 ヨミチカイ 左讀 有 二 リ 訓 コドモジシヤウ 者 一。 首 メ ニ 教 二 ユ大 學 一。 至 二 テ於 戯 8 8 前 王 不 レ ノ忘 レ 句 一 ニ。 竟 ニ 如 レ ク字 ノ 讀 レ ム之 ヲ 。 主 曰 ク 。 誤 レ リ 矣。 宜 シ 三 ク讀 テ 作 二 ス嗚 呼 8 8 一 ト。 師 従 レ フ之 ニ 。 至 二 テ冬 間 一 ニ讀 二 ム論 語 ノ 註 一 ヲ。 儺 ハ 雖 二 トモ 古 禮 一 ト而 モ 近 二 シ於 戯 一 ニ。 乃 チ 讀 テ 作 二 ス嗚 呼 一 ト。 主 人 曰 ク 。 誤 レ リ 矣。 此 レ 乃 チ 於 戯 8 8 也 也。 師 大 ニ 怒 リ 。 訴 二 テ其 ノ 友 一 ニ曰 ク 。 這 ノ 東 テイシユ 家 甚 タ 難 ムツカシイ 二 シ理 會 一 シ。只 ゝ 於 │ 戯 ノ 両 │ 字。従 二 リ トシハシメヨリ 年頭 一 トシズヘマデ 直 チニ 與 レ ト 我 モカフテヲル 拗 シテ 到 二年 尾 一 ニ。
違 たが へ り ︶﹂ と い う 訳 注 が 附 さ れ て い る。 ○ 赤[ 作 二 ス拆 ノ 字 一 ト ]︵ 割 注 ︶= ﹁ 赤[ chì ]﹂ と い う文字を ﹁拆 [ ch āi ]﹂ という語の意味で理解する ︵原注︶ 。明清時代の呉方言では ﹁赤﹂ と ﹁拆﹂ は同じ発音であった ︵﹃笑府﹄ 巻 十 ・ 形体部、 第四四四話 ﹁赤鼻﹂ の原注に ﹁呉 語 赤 拆 同 音 ﹂︵ 五 丁 裏 ︶ と あ る ︶。 三 国 時 代 の 古 戦 場 で あ り、 明 代 白 話 小 説﹃ 三 国 演 義 ﹄ の 名 場 面 と し て 有 名 な﹁ 赤 壁 ﹂ の 二 字 を、 同 音 の 別 字﹁ 拆 壁 ﹂ と 解 釈 し た 場 合 に は、 ﹁ 壁 を こ わ す ﹂ と い う 意 味 に な る。 た だ し、 和 刻 本﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ の テ キ ス ト は ﹁拆 [ ch āi ]﹂ を ﹁折 [ zhé ]﹂ に誤刻している。今、 原本 ︵京都大学附属図書館蔵 ﹃新 鐫 笑 林 広 記 ﹄ 乾 隆 二 六 年︵ 一 七 六 一 ︶ 宝 仁 堂 刊 本 ︶ に よ り 改 め た。 ○ 前 │ 面 ハ 既 ニ 覺 フ = こちら側︵の建物に泥棒が潜んでいるということ︶は、 すでに気づかれている。 ﹁覺 フ ﹂ ︵ お ぼ ふ ︶、 原 文 の マ マ。 書 き 下 し 文 に お い て は、 規 範 的 な 歴 史 的 仮 名 遣 い﹁ 覚 おぼ ゆ ﹂ に 改 め た。 ○ 穿 [ chu ān yú ]= ﹁ 穿 踰 ﹂、 壁 に 穴 を 開 け て︵ 穿 ︶、 塀 を 乗 り 越 え る︵ ︶ こ と。 古 代 中 国 に お い て は も と よ り、 明 清 時 代 に 至 る ま で、 泥 棒 は 実 際 に 壁 に 穴 を 開 け て 家 の 中 に 忍 び 込 み、 物 品 財 宝 を 盗 み 取 っ た。 ﹃ 論 語 ﹄ 陽 貨 篇 一 二 に 、﹁ 子 ノ 曰。 色 厲 ク 而 内 荏 ナ ル 。 譬 二 フ諸 ヲ 小 │ 人 一 ニ。 其 レ 猶 二 キ穿 │ ノ 之 盗 一 ノ也 與 カ ︵ 色 いろ 厲 はげ し く 内 うち 荏 じん な る 諸 これ を 小 せう 人 じん に 譬 たとふ 其 それ 穿 せん 之 ゆ 盗 の の とう 猶 ごと き 與 か ︶﹂ ︵ 訓 点 お よ び 書 き 下 し 文 は﹃ 経 典 余 師︵ 四 書 之 部 ︶﹄ 巻 四︵ 二 五 丁 裏 ︶ に よ る ︶ と あ る。 ○ 後 房 = 母 おも 屋 や の 裏 側 に 建 て ら れ た 家 屋 の こ と。 母 屋 を﹁ 正 房 ﹂﹁ 前 房 ﹂ と い う の に 対 し て、 裏 側 の 家 屋 を﹁ 後 房 ﹂ と い う。 多 く は 妾 めかけ の 住 む 建 物 と し て 利 用 さ れ た が、 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ の 用 例 に よ り、 お 抱 え の 家 庭 教 師 の 寝 所 と し て も 利 用 さ れ て い た こ と が 分 か る。 本 話 で は、 さ ら に 家 庭 教 師 が 教 え 子︵ 家 の 主 人 の 息 子 ︶ と 寝 所 で ベ ッ ド に 横 に な り な が ら、 こ の 日 の 講 義 内 容︵ ﹁ 赤 壁 の 賦 ﹂︶ に つ い て 話 し 続 け て い る 設 定 に な っ て い る。 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ の 記 述 か ら、 明 清 時 代 の 知 識 人 家 庭 に お け る 日 常 生 活 が 垣 かい 間 ま 見 み ら れ る こ と は、 こ の 笑 話 集 が 一 級 の 風 俗 資 料 と し て の 価 値 を 有 す る こ と を 示 し て い る。 ○ 後 面 ノ 赤 壁 賦 = 蘇 そ 軾 しよく ﹁ 後 赤 壁 の 賦 ﹂︵ ﹁ 赤 壁 の 賦 ﹂ の 後 半 部 分 ︶ の こ と。 ﹁ 後 ﹂、 左 訓﹁ ア ト ノ ﹂︵ 後 の ︶。 ○ 亦 ヲ 如 レ ク前 ノ 読 ム 。 = ま た し て も、 さ き ほ ど と 同 じ よ う に 読 ん だ。 ﹁ 亦 また ﹂ を﹁ な を ﹂ と 読 む の は 珍 し い が、 こ の 文 章 の 語 勢としては適切である。 ﹁またしても、 さっきと同じように ︵間違って文字を︶ 読んだ﹂ の 意。 ○ 我 レ 前 アトサキノ 後 ノ 行 │ シハサ 藏 。 悉 ク 被 二此 ノ 人 ニ ■ シリヌカレタ 識 破 ■ 一 セ。 = 私 の 行 動 は、 始 め か ら 終 わ り ま で、 すべてこの人に見透かされている。 ﹁我 レ ﹂、 原文 ﹁ 我 シ ﹂。今、 意によって改めた。 ﹁前後﹂ 、 さっきのことと、 その後でした、 今のこと。左訓﹁アトサキノ﹂ 。﹁行 藏 [ xíngcáng ]﹂ は 、 動 静、 秘 密、 内 幕 の 意 。 左 訓﹁ シ ハ サ ﹂。 ﹁ 識 破 ﹂ は 、 見 破 る、 見 透 か す こ と。 左 訓﹁シリヌカレタ﹂ ︵知り抜かれた︶ 。○人家=話しことばでは、 ﹁ 他 ひ と 人 様 さま ﹂﹁ひと ︵他人︶ ﹂ の意で使用するのが普通だが、 ここは文字通り ﹁人の家﹂ ﹁家庭﹂ の意。そのような ﹁家﹂ で は、 番 犬 を 飼 う 必 要 が な い、 と い う 次 の 一 文 に も か か っ て い る。 左 訓﹁ ヒ ト 〳 〵 ﹂ ︵ 人 々︶ 。 ○ 看 カヒイヌ │家 │ 狗 [ kā nji āg ǒu ]= 家 を 見 守 る 犬、 つ ま り 番 犬 の こ と。 ﹁ 看 ﹂ は、 ﹁ 見 る ﹂ 意 の と き は[ kàn ] と 発 音 さ れ る が、 ﹁ 家 を 見 守 る ﹂ 意 の 場 合 は[ kā n ] と 声 調 が 変わる。左訓 ﹁カヒイヌ﹂ ︵飼ひ犬︶ 。○不 レ消 二 ヒ養 ヒ 得 一 ルヲ 了=飼う必要がない。左訓 ﹁カ ウ ニ モ ヲ ヨバ ヌ ﹂︵ 飼 う に も 及 ば ぬ ︶。 ○[ 呀 ハ 助 詞 也 ]︵ 割 注 ︶= ﹁ 呀 ﹂ は、 助 詞 で あ る 、 と いう 意味 。﹁呀[ ya ]﹂という語は、 文の中間または文末に用いられる語気助詞。 日 本 語 の ﹁ ∼ な ぁ ﹂﹁ ∼ よ ﹂ に 当 た る 。 こ の 割 注 は、 遠 山 荷 塘 に よ る 訳 注 で あ り、 原 本 にはない。 補注 こ の 話 は、 原 本﹃ 笑 府 ﹄、 和 刻 本﹃ 笑 府 ﹄ 三 種、 ま た ﹃ 笑 顔 は じ め ﹄﹃ 解 顔 新 話 ﹄ ﹃ 即 そく 当 とう 笑 え 合 あわせ ﹄ に 類 話 は な い。 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ 所 収 話 の 翻 訳 が、 東 洋 文 庫 24﹃ 中 国 笑 話 選 江 戸 小 咄 と の 交 わ り ﹄︵ 松 枝 茂 夫・ 武 藤 禎 夫 編 訳、 平 凡 社、 一 九 六 四 年、 二 六 四 頁 ︶、 中 国 古 典 文 学 大 系 59﹃ 歴 代 笑 話 集 ﹄︵ 松 枝 茂 夫 訳、 平 凡 社、 一 九 七 〇 年、 三 五 八 頁︶に備わる。 なお、 伊丹椿園による ﹃笑林広記鈔﹄ ︵安永七年 ︵一七七八︶ 刊、 第一一話 ﹁ 赤 セキ 壁 ヘキノ 賦 フ ﹂、 四 ノ 五 丁 裏 ∼ 六 丁 表 ︶ に、 漢 字 カ タ カ ナ 交 じ り 文 に よ る 和 文 訳 が 備 わ り、 津 阪 東 陽 に よ る﹃ 訳 準 笑 話 ﹄︵ 文 政 七 年︵ 一 八 二 四 ︶ 刊、 第 一 二 九 話、 二 四 丁 裏 ︶ に は、 ﹃ 笑 林 広 記﹄所収話を古典漢文の文体︵文言︶に書き直した漢文笑話︵内容は同じ︶が収まる。 ﹃ 笑 林 広 記 鈔 ﹄ お よ び﹃ 訳 準 笑 話 ﹄ の 原 文 は、 そ れ ぞ れ 以 下 の 通 り。 ﹃ 訳 準 笑 話 ﹄ に ついては、拙訳を添えておく。 ﹃笑林広記鈔﹄第一一話︵四ノ五丁裏∼六丁表︶ 赤 セキ 壁 ヘキノ 賦 フ 庸 ヤクザナル 師 シ 一夜 弟子ト前後赤 壁 ヘキ ノ両 賦 フ ヲ 講 コウ 論ス 賦 ノ字ヲ 賊 ゾク ノ字 ト 思ヒイタリケルニ 適 タマタマ 偸 ヌス 児 ビト アツテ 窻 外ニ
先生 一 ヲ。 看 カヒイヌ │ 家 │ 狗 モ 都 ミナ 不 カウニモヲヨバヌ レ消 二 ヒ養 ヒ 得 一 ルヲ 了[呀 ハ 助詞也] 書き下し文 赤 せき 壁 へき の 賦 ふ 庸 よう 師 し 別 べつ 字 じ を 慣 くわん 読 どく す。 一 いち 夜 や 徒 と と 前 ぜん 後 こう 赤 せき 壁 へき の 両 りやう 賦 ふ を 講 かう 論 ろん す。 竟 つひ に 賦 ふ 字 じ を 念 ねん じ て 賊 ぞく 字 じ と 為 な す。 適 たま た ま 偸 ちゆう 児 じ 有 あつ て 潜 ひそか に 窓 さう 外 ぐわい に 伺 うかが ふ。 師 し 乃 すなは ち 朗 らう 誦 しよう 大 たい 言 げん し て 曰 いは く。 這 こ の 前 ぜん 面 めん の 赤 せき [ 拆 たく の 字 じ と 作 な す ] 壁 へき 賊 ぞく 呀 やあ 。 賊 ぞく 大 おほい に 驚 おどろ き。 因 よつ て 思 おも ふ 前 ぜん 面 めん は 既 すで に 覚 おぼ ゆ。 若 し か ず 後 こう 房 ばう に 往 ゆき て 穿 せん し ゆ て 入 いら ん に は。 時 とき 已 すで に 夜 よ 深 ふか く。 師 し 講 かう し 完 をは り 後 こう 房 ばう に 往 ゆき て 寝 しん に 就 つ く。 既 すで に 床 とこ に 上 のぼ る。 復 ま た 徒 と と 後 こう 面 めん の 赤 せき 壁 へき 賦 ふ に 論 ろん 及 きふ す。 亦 な を 前 まえ の 如 ごと く 読 よ む。 偸 ちゆう 児 じ 外 そと に 在 あ り 嘆 たん 息 そく し て 曰 いは く。 我 われ 前 ぜん 後 ご の 行 かう 蔵 ざう 。 悉 ことごと く 此 こ の 人 ひと に 識 しき 破 は せ ら る。 人 じん 家 か 這 こ の 様 やう なる 先 せん 生 せい を 請 せい 了 れう せば。 看 かん 家 か 狗 く も 都 みな 養 やしな ひ 得 う るを 消 もち ひず。 [ 呀 やあ は 助 じよ 詞 し 也 なり ] 現代語訳 ぼ ん く ら 教 師、 し ょ っ ち ゅ う 文 字 を 読 み 間 違 え る。 あ る 夜、 弟 子 と い っ し ょ に﹁ 前 ぜん 赤 せき 壁 へき の 賦 ふ ﹂﹁ 後 こう 赤 せき 壁 へき の 賦 ふ ﹂ を 講 読 し て い る と、 こ と も あ ろ う に﹁ 賦 ふ ﹂ を﹁ 賊 ぞく ﹂ と 読 み 間違え た。 ち ょ う ど そ の と き、 泥 棒 が こ っ そ り 窓 の 外 か ら 中 を う か が っ て い た。 先 生 は、 大 き な声を張り上げて、 次のように朗々と ︵ 蘇 そ 軾 しよく の有名な ﹁賦﹂ のタイトルを︶ 読みあげた。 ﹁ こ の、 前 の 赤 壁 の 賊 ぞく に つ い て だ が な ⋮ ⋮ ︵ 訳 者 注 ⋮ ぼ ん く ら 教 師 は﹁ こ の、 ﹃ 赤 8 壁 の 賦 8 ﹄の前半部分についてだがな ⋮︵ ﹁這前面 赤 8 壁 賦 8 呀﹂ ︶﹂ と言ったつもりなのだが、 ﹁赤 [ chì ]﹂ と ﹁拆 [ ch āi ]﹂ の発音が呉方言では同じである上に、 ﹁賦 [ fù ]﹂ を ﹁賊 [ zéi ]﹂ と 読 み 間 違 え て し ま っ た た め、 壁 を こ わ し て 家 宅 侵 入 を た く ら ん で い た 泥 棒 の 耳 に は、 ﹁ 壁 を こ わ そ う と し て い る、 こ ち ら 側 の 泥 棒 よ︵ ﹁ 這 前 面 拆 8 壁 賊 8 呀 ﹂︶ ﹂ と い う 意 味 に 聞 こ え た の で あ る。 ち な み に、 蘇 そ 軾 しよく の﹁ 赤 壁 の 賦 ﹂ は、 前 半 部 分 の﹁ 前 ぜん 赤 せき 壁 へき の 賦 ふ ﹂ と 後半部分の﹁ 後 こう 赤 せき 壁 へき の 賦 ふ ﹂の二部に分かれている。 ︶﹂ 泥 棒 は、 ︵ こ れ を 聞 い て ︶ び っ く り 仰 天。 ﹁ も う こ ち ら 側 の 壁︵ に 泥 棒 が 潜 ん で い る こ と ︶ はバ レ て い る、 母 おも 屋 や の 向 こ う 側 へ 行 っ て、 壁 に 穴 を 開 け て 侵 入 し た 方 が よ い。 ﹂ と考えた。 夜 よ も 更 ふ けてくると、 先生は講読を終え、 ︵ 母 おも 屋 や の裏側にある︶ 奥の建物 ︵ 寝 しん 所 じよ ︶に下がっ て 寝 る こ と に し た。 ベ ッ ド に 入 り、 弟 子 と ふ た た び﹁ 後 こう 赤 壁 の 賦 ふ ﹂ に つ い て 語 り 始 め た と こ ろ、 今 度 も ま た さ っ き と 同 じ よ う に、 ︵﹁ 後 こう 赤 8 壁 の 賦 8 ﹂ を﹁ こ の 後 ろ 側 の 壁 を こ わそうとしている泥棒よ ︵﹁這後面 拆 8 壁 賊 8 呀﹂ ︶﹂ と 聞こえるような発音で ︶ 読 みあげた 。 泥棒は、外で 溜 ため 息 いき を 吐 つ きながら、こう言った。 ﹁ や れ や れ、 俺 の 行 動 は 始 め か ら 終 わ り ま で、 す べ て こ の 人 に 見 み 透 す か さ れ て い る。 このような先生を家庭教師に 雇 やと っている家では、番犬を飼う必要など ありはすまい 。﹂ 注 ○﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 上・ 腐 流 部︵ 八 丁 表 ∼ 裏 ︶。 ﹃ 新 鐫 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 二・ 腐 流 部 ︵ 第 一 〇 八 話、 一 一 丁 表 ∼ 裏 ︶。 ○ 赤 壁 賦 = 宋 代 の 文 人、 蘇 そ 軾 しよく ︵ 字 あざな は 東 とう 坡 ば ︶ が 作 っ た ﹁ 賦 ふ ﹂。 ﹁ 賦 ふ ﹂ と は、 韻 文 と 散 文 を 組 み 合 わ せ た 文 体 の こ と。 多 く 歴 史 的 な 事 件 や 風 物 が描かれる。江戸時代の文人たちの基礎的漢文読本であった ﹃ 古 こ 文 ぶん 真 しん 宝 ぽう ︵ 後 こう 集 しゆう ︶﹄︵中 国 宋 代 に 編 集 さ れ た 注 釈 付 き の 詩 文 集、 江 戸 時 代 の 日 本 で は、 和 刻 本 と し て、 元 文 五 年︵ 一 七 四 〇 ︶ 刊、 宝 暦 十 二 年︵ 一 七 六 二 ︶ 重 刻、 文 化 十 五 年︵ 一 八 一 八 ︶ 補 刻 な ど、 数多く出板された︶ には、 ﹁ 賦 ふ ﹂ のすぐれた作品例として、 蘇軾 ﹁前赤壁賦﹂ ﹁後赤壁賦﹂ の ほ か、 賈誼﹁弔屈原賦﹂ 、 杜牧﹁阿房宮賦﹂ 、 欧陽脩﹁秋声賦﹂などが収録されている。 ○ 庸 師 = 平 凡 な 先 生。 伊 丹 椿 園 訳﹃ 笑 林 広 記 鈔 ﹄︵ 安 永 七 年︵ 一 七 七 八 ︶ 刊 、 六 丁 表 ︶ に は ﹁ 庸 ヤクザナル 師 シ ﹂ と 訳 さ れ て い る 。 ○ 偸 児[ tō ur ]= ﹁ 小 偸 ﹂、 泥 棒、 こ そ 泥 どろ の こ と。 左 訓﹁ヌスヒト﹂ ︵盗人︶ 。○這前面赤壁賊呀=発話者︵ぼんくら教師︶ としては、 ﹁この、 ﹃ 赤 壁 の 賦 ﹄ の 前 半 部 分 に つ い て は な ぁ ⋮ ﹂ と い う つ も り で 言 っ て い る の で あ ろ う が 、 ﹁ 賦 ふ ﹂ を ﹁ 賊 ぞく ﹂ と読み間違えてしまったため、 外から中を 窺 うかが っている泥棒の耳には、 ﹁こ の、 前 の 方 の 壁 を こ わ そ う と し て い る 泥 棒 め が ﹂ と 聞 こ え た の で あ る。 ﹁ 呀[ ya ]﹂ は、 語勢を整えるための語気助詞。文の中間に用いられた場合は、 ﹁∼についてはなぁ﹂ の ﹁なぁ﹂ に相当する語気を添える。ただし、 ﹁こっちへ来いよ ︵﹁ 你 来呀 ﹂︶ ﹂ の ﹁よ﹂ の よ う に、 文 末 に 用 い ら れ れ ば、 呼 び か け る よ う な 語 気 が 加 わ る。 ぼ ん く ら 教 師 の 意 識 で は﹁ ﹃ 前 赤 壁 の 賦 ﹄ に つ い て だ が な ぁ﹂ と 話 し て い た だ け で あ る が、 そ れ が 泥 棒 の 耳 に は、 ﹁ こ の こ ち ら 側 の 壁 を こ わ そ う と す る 泥 棒 め、 お い ﹂ と い う 意 味 に 聞 こ え た の で あ る。 ﹁ 前 ﹂、 左 訓﹁ マ ヘ ノ ﹂︵ 前 の ︶。 な お、 和 刻 本﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ に は、 こ の 箇 所 の 上 段 欄 外 に﹁ カ ベ ヲ ホ ジ ル ヌ ス ビ ト ト ヨ ミ タ カ ヘ リ︵ 壁 かべ を 穿 ほじ る 盗 ぬす 人 びと と 読 よ み
二升﹂であるが、 ﹃笑林広記﹄においては﹁銀三分﹂となっている点、 また﹃笑林広記﹄ で は、 ﹃ 孝 経 ﹄﹁ 是 何 言 與。 是 何 言 與。 ﹂ に 加 え て、 ﹃ 論 語 ﹄ 先 進 篇 一 四﹁ 夫 人 不 言。 言 必有中﹂の読み間違いも追加している点が異なっている。 ﹃絶纓三笑﹄ 第五九五話 ﹁大学序﹂ の原文と拙訳は ﹃訳解笑林広記﹄ 第二三話 ﹁退束修﹂ の 補 注 に 掲 載 し て お い た が ︵ 六 一 ∼ 六 〇 頁 ︶、 ﹃ 李 卓 吾 先 生 批 点 四 書 笑 ﹄ 所 収 の 原 文 と 併 せ て、 該 当 箇 所 の 原 文 と 拙 訳 を こ こ に 再 録 し て お く。 ﹃ 四 書 笑 ﹄ お よ び﹃ 絶 纓 三 笑 ﹄ 掲 載 話 は、 ﹁ 下 士 ﹂ の コ メ ン ト が 加 え ら れ て い る 以 外 は、 ﹃ 笑 府 ﹄ 所 収 話 とほ ぼ 同 文 で ある。 ﹃李卓吾先生批点四書笑﹄ ︵国立公文書館蔵、写本︶ 有主人以米數石延蒙師。与之約。讀一別字。 罰米一升。至散館。計一年所讀退却。止存米 二升耳。師大失望。歎曰。是何言興。是何言興 蓋誤與為興也。主人曰。連二升一 。無有了。 下士曰。生前。既已。退訖。死後或無果報。○ 又 曰 親當作新 身當作心 有果報 無果報 ﹃絶纓三笑﹄第五九五話﹁大学序︵一説の二︶ ﹂︵巻四、儒笑一︶ ○有主人以米數石延蒙師。與之約。讀 一別字。罰米一升。至散館。 計 、、、、、、、 一年所讀退卻 止 、、、、、、 存米二升耳 。 主人 取置案上。師大失望。歎 曰。 是何言興是何言興 8 8 8 8 8 8 8 8 葢誤與爲興也。主人 願童子曰。 連二升一 8 8 8 8 ■ 8 拿進 8 8 下士曰。 生前 8 8 8 已退卻 8 8 8 。 死後或無果報 8 8 8 8 8 8 。 ○ あ る 主 人、 米 数 石 で ぼ ん く ら 教 師 を 招 き 入 れ、 文 字 を 一 つ 読 み 間 違 え た ら、 罰 と し て 米 一 升 を 減 額 す る と 約 束 さ せ た。 家 庭 教 師 の 任 が 明 け た と き、 一 年 間 で 読 み 間 違 え た 分 を 精 算 し、 給 料 か ら 差 し 引 く と、 米 二 升 し か 残 ら な か っ た。 主 人 は ︵その二升の米を︶机の上にドンと置いた。ぼんくら教師はがっかりして、 言った。 ﹁︵ ﹃ 孝 経 ﹄ の 文 句 を 引 き な が ら ︶﹃ 是 これ 何 なん ノ 言 げん 興 きよう 。 是 これ 何 なん ノ 言 げん 興 きよう 。︵ こ れ は 何 た る こ ときゃ。これは何たることきゃ。 ︶﹄ ﹂︵正しくは、 ﹁ 是 これ 何 なん ノ 言 こと ぞ 與 や 。 是 これ 何 なん ノ 言 こと ぞ 與 や 。︵こ れ は 何 た る こ と か。 こ れ は 何 た る こ と か ︶﹂ と い う 意 味 な の に、 ま た し て も 文 字 を読み間違えたのである。 ︶ ﹁ 與 よ [ yú ]﹂ を ﹁ 興 きよう [ xīng ]﹂ と 間 違 え た の で あ ろ う。 主 人 は、 下 僕 の 少 年 に 言 いつけた。 ﹁残りの二升も、ごっそり片づけてしまいなさい。 ﹂ 聞 道 下 士︵ ﹃ 絶 纓 三 笑 ﹄ の 評 者 ︶ 曰 く、 ︵ こ の 先 生 の よ う に ︶ こ の 世 で す で に 罰 金 を 支 払 っ て い る 場 合、 あ の 世 に 行 っ て か ら 因 果 の 報 い を 受 け ず に 済 む の だ ろ う か。 余説 文字の読み違いが多すぎる家庭教師、 ついに罰金制度が導入され、 給料はゼロになっ たという笑い話。 話 し こ と ば の 中 国 語 を 自 由 に 話 せ る 中 国 人 で あ っ て も、 ﹃ 論 語 ﹄ や﹃ 孝 経 ﹄ と い っ た 古 代 中 国 語 で 書 か れ た 古 典 漢 文 は、 し っ か り と し た 教 育 を 受 け な け れ ば、 ︵ 今 も 昔 も 同 じ よ う に ︶ 自 在 に 読 み こ な せ る も の で は な い。 こ の 手 の 笑 話 に は、 中 国 人 に よ る 古文読解の誤読例がいくつも紹介されており、興味深い。 赤 せき 壁 へき 賦 ふ ︵ぼんくら教師、 ﹁ 赤 せき 壁 へき の 賦 ふ ﹂を﹁ 拆 たく 壁 へき の 賊 ぞく ﹂と読み 間違える ︶ 原文 赤壁賦 庸 師 慣 二 │ 讀 ス 別 字 一 ヲ。 一 夜 與 レ徒 講 二 │ 論 ス 前 │ 後 赤 壁 ノ 両 賦 一 ヲ。 竟 ニ 念 二 シテ 賦 字 一 ヲ為 二 ス賊 字 一 ト。 適 ゝ 有 二 ツテ 偸 ヌ スヒト 児 一潜 ニ 伺 二 フ窓 外 一 ニ。 師 乃 チ 朗 │ 誦 大 │ 言 シ テ 曰 ク 。 這 ノ 前 マヘノ 面 ノ 赤 [ 作 二 ス拆 ノ 字 一 ト] 壁 賊 呀 ヤア 。 賊 大 ニ 驚 キ 。 因 テ 思 フ 前 │ 面 ハ 既 ニ 覺 フ 。 不 レ若 カ 往 二 テ房 後 一 ニ穿 │ シ テ 而 入 ン ニ ハ 。 時 已 ニ 夜 深 ク 。 師 講 シ 完 リ 往 二 テ後 房 一 ニ就 レ ク寝 ニ 。 既 ニ 上 レ ル床 ニ 。 復 タ 與 レ徒 論 二 シ │ 及 ス 後 アトノ 面 ノ 赤 壁 賦 一 ニ。 亦 ヲ 如 レ ク前 ノ 讀 ム 。 偸 児 在 レ リ外 ニ 嘆 息 シ テ 曰 ク 。 我 レ 前 アトサキノ 後 ノ 行 │ シハサ 藏 。 悉 ク 被 二此 ノ 人 ニ ■ シリヌカレタ 識 破 ■ 一 セ。 人 ヒトヒト │ 家 請 二 │ 了 セ ハ 這 ノ 様 ナ ル
孔子の弟子、 閔 びん 子 し 騫 けん ︶のことであり、 ﹁夫人[ fū rén ]︵主人の妻︶ ﹂ではない。この文は、 ﹁ 閔 びん 子 し 騫 けん は 普 段 は ほ と ん ど 口 を 利 か な い が、 口 を 開 け ば 必 ず 的 確 な こ と を 言 う ﹂ と い う 意 味 で あ る。 そ れ な の に、 こ の 無 知 な 家 庭 教 師 は﹁ 夫 人 ﹂ を﹁ 主 人 の 奥 さ ま ﹂ と い う意味に誤読したのである。○東家母=主人の家の奥さま ︵息子の母親︶ 。和刻本 ﹃訳 解笑林広記﹄は﹁東家毋[ wú ]﹂に作るが、 原刊本﹃新鐫笑林広記﹄ ︵京大本︶により、 ﹁東家母[ m ǔ ]﹂に改めた。○恰好[ qiàh ǎo ]=ちょうど、 都合よく、 まさしく∼にぴっ た り。 現 代 中 国 語 と 同 じ。 左 訓﹁ チ ヤ ウ ト ﹂︵ 丁 度 ︶。 ○ 連 =﹁ ∼ さ え も ﹂﹁ ∼ ま で も ﹂ という意味の前置詞 ︵介詞︶ 。しばしば ﹁也 [ yě ]﹂ ﹁都 [ dō u ] ﹂﹁還 [ hái ]﹂ と呼応す る。 ﹁ ∼ を つ ら ね て ﹂ と い う 古 典 訓 読 語 と は か な り ニ ュ ア ン ス の 異 な る 白 話 語 彙 で あ る。 ○ 乾 浄[ gā njìng ]= き れ い に、 す っ か り、 清 潔 で あ る。 現 代 中 国 語 と 同 じ。 左 訓 ﹁サツハリト﹂ ︵さっぱりと︶ 。○拿進 =︵ あちらに︶ 持って行きなさい。 ﹁拿﹂ は ﹁︵手 に ︶ 持 つ ﹂ 意。 ﹁ ﹂ は﹁ 去 ﹂ の 異 体 字。 ﹁ 進 去 ﹂ は、 動 詞 の 後 ろ に 付 い て、 向 こ う 側 へ 移 動 し 離 れ て い く ニ ュ ア ン ス を 添 え る 複 合 方 向 補 語。 す べ て 現 代 中 国 語 と 同 じ 用 法 である。つまり、 ﹃笑林広記﹄に見える会話文は、 きわめて口語的な表現に溢れている、 ということである。 補注 こ の 話 は、 宋 元 期 に 成 立 し た と 目 さ れ る 中 国 笑 話 集﹃ 笑 海 叢 珠 ﹄︵ 第 一 二 話﹁ 准 折 学銭 [笑秀才誤字] ﹂︶ に部分的な類話が見られる ほ か、 ﹃笑府﹄ 巻二 ︵第五八話 ﹁又 ︵読 別 字 ︶﹂ ︶、 ﹃ 李 卓 吾 先 生 批 点 四 書 笑 ﹄、 ﹃ 絶 纓 三 笑 ﹄ 第 五 九 五 話﹁ 大 学 序︵ 一 説 ︶﹂ ︵ 巻 四、 儒笑一︶ に類話がある。 ﹃笑海叢珠﹄ の日本語訳は、 ﹃中国の笑話 ︵笑海叢珠 笑苑千金︶ ﹄︵荘司格一 ・ 清水栄吉 ・ 志村良治 訳、 筑摩書房、 一九六六年︶ 三四∼三六頁、 ﹃笑府﹄ の日本語訳は、 松枝茂夫 ﹃全 訳笑府 ︵上︶ ﹄ 六八頁参照 ︵岩波文庫本の話数表示は、 本話より一話ずつずれているので、 注意を要する︶ 。さらに、 ﹃笑府﹄ 所収話は、 和刻本 ﹃笑府﹄ ︵半紙本、 明和五年 ︵一七六八︶ 京都刊、 A 本︶に収録されている。 ﹃ 笑 海 叢 珠 ﹄ 所 収 話︵ 原 本 は 内 閣 文 庫 蔵 写 本 と 上 村 幸 次 氏 旧 蔵 写 本、 前 掲 書﹃ 中 国 の 笑 話 ﹄ 二 六 八 頁 の 校 訂 本 文 に よ っ て 示 す ︶、 お よ び﹃ 笑 府 ﹄ 所 収 話、 和 刻 本﹃ 笑 府 ﹄ ︵ 半 紙 本、 明 和 五 年︵ 一 七 六 八 ︶ 京 都 刊、 A 本 ︶ 所 収 話、 ﹃ 李 卓 吾 先 生 批 点 四 書 笑 ﹄ 所 収 話、 ﹃ 絶 纓 三 笑 ﹄ 所 収 話 の 原 文 は、 以 下 の 通 り で あ る。 な お、 [ ] に 入 れ た 文 字 は、 割注である。 ﹃笑海叢珠﹄は﹃笑林広記﹄本文とは異なる。 ﹃笑海叢珠﹄第一二話 准折學錢[笑秀才誤字] 昔 有 人、 請 秀 才 敎 子。 念 書 多 錯 字。 主 人 與 之 約 曰、 今 後 念 書、 如 錯 一 字、 定 折 學 錢 一 月。 直 至 歳 晩、 主 人 計 其 誤 字、 學 錢 但 餘 二 月。 因 面 言 之。 先 生 曰、 是 何 言 興、 是 何 言 興。 主 人 揖 之 曰、 且 得 兩 无 少 欠。 謂 其 以 兩 个 言 與 字、 皆 作 興 字 讀 也。 次 年 主 人 又 與 先 生 立 約、 如 前 入 齋 讀 書。 孝 經 第 一 章 作 曾 子 待、 又 大 夫 章 第 四。 忽 先 生 之 父 有 家 書 來、 令 其 子 借 學 錢。 其 子 回 父 書 云、 前 月 誤 說 曾 子 待、 今 月 又 遇 大 夫、 所 以 兩 月 學 錢 主 人 折 盡。 其 父 見 書 大 怒、 謂 其 朋 友 曰、 我 子 无 知 曾 子、 待 它 去 說 它。 又 與 大 夫 相 處、 如 何 得 有 學 錢 歸。 朋 友 曰、 必 是 錯 讀。 待 二 字、 被 主 人 折了學錢。其父方悟、有慚色。 ﹃笑府﹄第五八話︵巻二 ・ 腐流部 、 一二 丁 裏 ∼ 一三 丁 表 ︶ 又 ︵ 讀 別字 ︶ 有主人以米數石。延 師。與之約。讀一別字。罰米一 升。至散館。計一年所讀退却。 僅 、、、、、 存米二升 。主人取置 案上。師大失望。嘆曰。 是 、、、、 何言興 [與] 是 、、、、 何言興 。主人 童子曰。 連 8 二 8 升 8 一 8 併 8 拿 8 進 8 和刻本﹃笑府﹄ ︵半紙本、明和五年︵一七六八︶京都刊、 A 本︶第九話︵巻上、 三丁表∼裏︶ 有 下主人以 二米數 │ 石 一 ヲ 延 中 │ 師 上 ヲ 與 レ之 約 下 ス 讀 二 メハ 一 ヨミチガヘ 別字 一 ヲ 罰 中 セント 米一 升 上 ヲ 至 二 ヤメカヘルヰ 散 │ 舘 一 ニ 計 二 リテ 一 │ 年所 レ ヲ讀 ■ ヒキハラヒ 退却 ■ 僅 ニ 存 二 ス 米二 │ 升 一 ヲ 主 │ 人取 テ 置 二案 │ 上 一 ニ 師大失 レ望 ヲ 嘆 シテ 曰 是何 ノ 言興 ル [與] 是何 ノ 言興 ル [與] 主 │ 人顧 二童子 一 ヲ曰 連 二二 │ 升 一 ヲ■ イツシヨニ 一併 ■ 拿 トリテハイレ 進去 ﹃笑府﹄ においては、 文字の読み間違え ︵﹁読別字﹂ ︶による罰金を差し引いた給与は ﹁米
た。家庭教師は、 ︵あまりにも少なくなったその給料を見て︶怒って言った。 ﹁ 是 これ 何 なん の 言 げん 興 きよう 。 是 これ 何 なん の 言 げん 興 きよう 。︵ こ れ は 何 の つ も り き ゃ あ。 こ れ は 何 の つ も り き ゃ あ。 ︶﹂ ︵ 訳 者 注 ⋮ ﹃ 古 文 孝 経 ﹄ 第 二 十 章 に 見 え る 言 葉 だ が、 正 し く は﹁ 是 これ 何 なん の 言 こと ぞ 與 や 。 是 これ 何 なん の 言 こと ぞ 與 や 。︵ な ん と い う こ と を 言 う の か。 な ん と い う こ と を 言 う の か。 ︶﹂ と 読 む べ き と こ ろ。 無 知 な 先 生 は、 ま た し て も﹁ 與 よ ﹂ と い う 文 字 を、 字 形 の 類 似 し た ﹁ 興 きよう ﹂ という文字に、 二 、、、 度も 読み誤ったのである。 ︶ そこで、主人は言った。 ﹁ 今 ま た、 銀 二 に 分 ぶ ︵ 約 二 万 八 千 円 ︶ を 差 し 引 く こ と に な っ た の で、 残 金 は 一 いち 分 ぶ ︵ 約 一万四千円︶です。 ﹂ そこへ、主人の奥さんが現れて、こう言った。 ﹁︵ 先 生 は ︶ 一 年 間、 ︵ 息 子 の 教 育 に ︶ 苦 労 し て く だ さ っ た ん だ か ら、 給 料 は 半 分 差 し引く、ということでいいんじゃない。 ﹂ ︵それを聞いて︶先生は、 前にぐいと進み出て、 感謝の気持ちを表しながら、 こう言っ た。 ﹁ 夫 ふ 人 じん 言 ものい わ ず。 言 い え ば 必 かなら ず 中 あた る こ と 有 あ り。 ﹂︵ 訳 者 注 ⋮ ﹃ 論 語 ﹄ 先 進 篇 に 見 え る 言 葉だが、正しくは﹁ 夫 か の 人 ひと ﹂であって、 ﹁ 夫 ふ 人 じん ﹂ではない。 ︶ 主人は言った。 ﹁ ち ょ う ど 今 の︵ 罰 金 ︶ 一 いち 分 ぶ ︵ 約 一 万 四 千 円 ︶ も 合 わ せ て︵ 差 し 引 く と、 給 料 と 罰 金の合計は、 + プラ − マイ ゼロ。残金は︶ 、きれいさっぱり︵あちらへ︶持って行きなさい。 ﹂ 注 ○﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 上・ 腐 流 部︵ 七 丁 裏 ∼ 八 丁 表 ︶。 ﹃ 新 鐫 笑 林 広 記 ﹄ 巻 之 二・ 腐 流 部︵ 第 一 〇 七 話、 一 一 丁 表 ︶。 ○ 束 修 =﹁ 束 脩 ﹂、 弟 子 が 師 匠 に 支 払 う 謝 礼 金。 古 く は﹃論語﹄ 述而篇七に ﹁子 ノ 曰。自 ラ 行 二束 │脩以 │上 一 ヲ。吾 レ 未 二 タ嘗 テ 無 一 ンハ レ誨 コ ト 焉﹂ とあり、 ﹃経 典 余 師︵ 論 語 ︶﹄ ︵ 天 明 六 年︵ 一 七 八 六 ︶ 刊、 巻 二 ・ 一 二 丁 裏 ︶ に﹁ 束 そく 脩 しう と は 始 はじめ て 来 きた る 時 とき の 進 しん 物 もつ な り 至 いたつ て 軽 けい 薄 はく な る に た と ふ 束 そく 脩 しう を 行 も て な し 来 入 にう 門 もん と さ へ 唱 となふる 以 い 上 じやう の 人 ひと は 吾 われ 嘗 かねかね よ り 誨 をしゆ る こ と の 無 なき 事 こと あ ら ず と 也 束 そく 脩 しう は 脩 ほし た る に く を 束 つか ぬ る も の な り ﹂ と 解 説 さ れ る。 ﹃論語﹄ の時代には、 束 たば ねた干し肉を先生への謝礼として支払っていたようだが、 ﹃笑府﹄ の 時 代︵ 明 末 ︶ に は﹁ 米 ﹂ で、 ﹃ 笑 林 広 記 ﹄ の 時 代︵ 清 代 ︶ に は﹁ 銀 ﹂ で 家 庭 教 師 へ 支給されていたことが窺える ︵﹃笑府﹄ 原文は補注参照︶ 。左訓 ﹁デシイリ ツカヒモノ﹂ ︵弟子入り ︵の︶ 遣物︶ 。﹁つかひもの ︵遣物︶ ﹂とは、 贈り物 ・ 進 しん 物 もつ のこと。○別字= ﹁ 白字﹂ ︵ 第 二 二 話 ︶、 読 み 間 違 え の 文 字 。 左 訓﹁ ソ ラ ジ ﹂︵ 空 字 ︶。 ○ 約 = 相 談 し て 決 め る、 約 束 す る。 左 訓﹁ イ ヒ ア ハ セ ﹂︵ 言 ひ 合 は せ ︶。 ○ 毎 レ ニ讀 二 ム一 別 字 一 ヲ。 除 サシヒク 中 ン 修 ツケトヽケ 一 分 上 ヲ。 = 一つ文字を読み間違えるごとに、 家庭教師への謝礼を銀一分ずつ差し引く。 銀一分とは、 天 保 一 四 年︵ 一 八 四 三 ︶ の 貨 幣 価 値 に よ っ て 換 算 す る と、 約 一 万 四 千 円 に な る︵ 磯 田 道史 ﹃武士の家計簿﹄ ︵新潮社、 二〇〇三年︶ 参照︶ 。﹁除﹂ は、 差し引くこと。左訓 ﹁サ シ ヒ ク ﹂。 ﹁ 修 ﹂ は、 ﹁ 束 修 ﹂︵ 家 庭 教 師 へ の 謝 礼 ︶ の こ と。 左 訓﹁ ツ ケ ト ヽ ケ ﹂︵ 付 け 届 け ︶。 ﹁ 付 け 届 け ﹂ と は、 謝 礼 の お 金、 祝 儀、 心 付 け の こ と。 ○ 是 レ 何 ン ノ 言 │ 興。 是 何 言興。= ﹃ 古文孝経﹄ 諫争章第二十の一節を誤読したもの。 ﹃経典余師 ︵孝経之部︶ ﹄︵天 明 七 年︵ 一 七 八 七 ︶ 刊 、 一 八 丁 裏 ︶ に よ る 原 文 お よ び 訓 読 は、 次 の 通 り。 ﹁ 子 ノ 曰。 參 是 レ 何 ノ 言 ソ 與 ヤ 。 是 レ 何 ノ 言 ソ 與 ヤ 。 言 ノ 之 不 レ ル通 セ 邪 ヤ ︵ 子 曰 参 しん 是 これ 何 なん の 言 こと ぞ 與 ヤ 。 是 これ 何 なん の 言 こと ぞ 與 ヤ 。 言 こと 之 の 通 つう ぜ 不 ざる 邪 ヤ ︶﹂ 。﹃ 古 文 孝 経 ﹄ の 本 文 は、 父 の 命 に 従 う の が﹁ 孝 ﹂ と い う も の な の か、 と い う 曽 子 の 質 問 に 対 し て、 孔 子 が﹁ お 前 は 何 を 言 う か。 い っ た い 何 を 言 う の か。 お か し な こ と を 言 う な。 ﹂ と 応 じ、 天 子、 主 君、 父 兄 な ど、 目 上 の 人 が 間 違 っ て い る と きには、 それを 諫 いさ めることこそが、 真の ﹁孝﹂ というものである、 と教え 諭 さと す内容になっ て い る。 ﹁ 與 ﹂ は、 日 本 語 の 感 嘆 詞﹁ や ﹂﹁ か ﹂ に 相 当 す る 文 末 の 語 気 助 詞。 こ の 無 知 な家庭教師は、 字形の類似から﹁與﹂と﹁興﹂を読み間違えたのである 。○[原與字] ︵ 割 注 ︶= ﹁ 興 ﹂ は、 も と も と︵ ﹃ 孝 経 ﹄ の 本 文 で は ︶﹁ 與 ﹂ と い う 文 字 で あ る 、 と い う 意味 。この割注は、 和刻本 ﹃訳解笑林広記﹄ にはない。今、 原刊本 ﹃新鐫笑林広記﹄ ︵京 大 本 ︶ に よ り 補 っ た。 ○ 扣[ kòu ]= 差 し 引 く、 割 り 引 く。 左 訓﹁ ヒ ク ﹂。 ○ 存 銀 = 残 りのお金 ︵銀貨︶ 。左訓 ﹁ノコリ﹂ 。○半 ハ 除 ケハ 也 罷 ヨカラン = ︵給料を︶ 半分差し引くだけで、 やめにしましょうよ。 ﹁罷﹂ の原義は ﹁やめる﹂ 。﹁也罷 [ yě bà ]﹂︵= ﹁罷了 [ bàle ]﹂﹁算 了[ suànle ]﹂ ︶ は、 ﹁ ∼ で も よ い ﹂﹁ も う そ れ で よ い ﹂ と い う 意 味 を 添 え る 文 末 の 語 気 助 詞。 ○ 近 前 = 近 づ き、 前 に 進 む こ と。 和 刻 本 は﹁ 近 きん │ 前 ぜん シ ﹂ と 音 読 さ せ て い る が、 訓 読 す る な ら ば﹁ 近 ちか ヅ キ 前 すす ミ ﹂ と な る。 ○ 夫 │ 人 不 レ言 ハ 。 言 ヘ ハ │必 ス 有 レ リ中 ル 。 =﹃ 論 語 ﹄ 先 進 篇 一 四 の 一 節。 ﹃ 経 典 余 師︵ 論 語 ︶﹄ ︵ 天 明 六 年︵ 一 七 八 六 ︶刊 、 四 丁 裏 ∼ 五 丁 表 ︶ の 訓 読 は、 次 の 通 り。 ﹁ 子 ノ 曰。 夫 ノ │人 不 レ言 イ ハ 。 言 ヘ ハ │必 ス 有 レ リ中 ル コ ト ︵︵ 子 し 曰 のたま は く ︶ 夫 かの 人 ひと 言 もの い は 不 ず 言 いへ ば 必 かな ら ず 中 あたる こ と 有 あり ︶﹂ 。 こ の 文 に 見 え る﹁ 夫 人[ fúrén ]﹂ は﹁ か の 人 ﹂︵ =
斷獄也。論語不云乎。 朝 聞盜席[道夕]死可矣。夫 子之盜鐘[道忠] 。恕而已矣。 聖人不死 8 8 8 8 。 大盜不止 8 8 8 8 。 聖人未嘗招盜 8 8 8 8 8 8 。 皆 8 引經 8 8 斷獄者爲之也 8 8 8 8 8 8 。 孔子先生の道 昔、 蓆 むしろ を 盗 ん だ 人 と、 鐘 かね を 盗 ん だ 人 が い て、 と も に 主 人 に 裁 か れ た。 主 人 は、 蓆 むしろ を 盗 ん だ 者 を 死 刑 に し、 鐘 かね を 盗 ん だ 者 を 釈 放 し た。 そ の 理 由 を 聞 か れ る と、 ︵ 主 人は︶こう言った。 ﹁ こ れ は 経 典 の 言 葉 に も と づ い て、 厳 し く 断 罪 し た の じ ゃ。 ﹃ 論 語 ﹄ に 言 っ て い る で は な い か。 ﹃ 朝 あした ニ 聞 レ ケバ 盗 レ ムト 蓆 むしろ ヲ 死 ス ト モ 可 ナ リ 矣。 ︵ 朝 、 蓆 むしろ を 盗 ん だ と 聞 け ば、 殺 し て し ま っ て も 構 わ な い。 ︶﹄ ﹃ 夫 ふう 子 し 之 盗 レ メバ 鐘 かね ヲ 。 恕 じよ ス ル 而 のみ 已 矣。 ︵ 人 にん 足 そく が 鐘 かね を 盗 ん だ 場 合、 許 し て や れ ば そ れ よ い。 ︶﹄ と。 ﹂︵ 訳 者 注 ⋮ 正 し く は、 ﹁ 夫 ふう 子 し 之 道 ハ 忠 ちゆう 恕 じよ 而 のみ 已 矣。 ︵ 孔 子 先 生 の﹁ 道 ﹂ と い う も の は、 た だ﹁ 忠 恕︵ ま ご こ ろ を も っ て、 他 人 の 気 持 ち を 思 いやること︶ ﹂にこそある。 ︶﹂ という意味なのに、 ﹁道夕 [ dàox ī ]﹂ を﹁盗蓆 [ dàoxí ]﹂ 、﹁道 忠 [ dàozh ōng ]﹂ を ﹁盗鐘 [ dàozh ōng ]﹂ と誤読し、 そのために人を 殺 あや めることになっ てしまったのである。 ︶ ︵ 編 者 の コ メ ン ト ︶ 聖 人 は 死 に 絶 え て い な い し、 大 泥 棒 も 常 に い る。 し か し、 未 いま だ か つ て 聖 人 が 盗 み を 引 き 起 こ す き っ か け を 作 っ た こ と な ど 一 度 も な い。 す べ て は﹁ 経 典 の 言 葉 に も と づ い て、 厳 し く 断 罪︵ ﹁ 引 経 断 獄 ﹂︶ ﹂ し よ う と し た 者 が、 引 き 起 こ し た こ と な の で あ る︵ ﹁ 誤 読 ﹂ の 罪 は 極 め て 重 い こ と を 知 る べ きである︶ 。 な お、 和 刻 本﹃ 訳 解 笑 林 広 記 ﹄ 上 巻 は、 二 丁 表︵ 第 四 話﹁ 贄 礼 ﹂ の 途 中 ︶ か ら、 原 文 の 右 脇 に 添 え ら れ て い た 句 点︵ 、 ︶ が 脱 落 し て い た が、 ま さ に﹁ 句 く 読 とう ﹂ の 切 り 方 が 問題とされる本話 ︵第二二話 ﹁読破句﹂ 、七丁表︶ 以降、 再び ︵原則的に︶ 原刊本に従っ た句点が附されている。 余説 ぼ ん く ら 教 師 の 読 み 違 い が 、 人 を 殺 し た と い う 話 。 こ こ ま で く る と 、 一 知 半 解 の 似 え せ 而非 知識人は、 文字通 り﹁有害無益 な 大罪人 ﹂であることを、 つくづく思い知らされる。 退 たい 束 そく 修 しゆう ︵給料を差 し 引 く ︶ 原文 退 二 ク デシイリノツカヒモノ 束 │ 修 一 ヲ 一 師 學 淺 シ 。 善 ク 讀 二 ム別 ソラジ 字 一 ヲ。 主 人 悪 レ ンテ 之 ヲ 與 レ 師 約 イヒアハセ 下 ス。 毎 レ ニ讀 二 ム一 別 字 一 ヲ。 除 サシヒク 中 ン 修 ツケトヽケ 一 分 上 ヲ。 至 二 テ 終 一 ニ 退 │ 除 将 レ ニ尽 ン ト 。 止 ゝ 餘 二 ス銀 三 分 一 ヲ封 シ テ 送 レ ル之 ヲ 。 師 怒 テ 曰 ク 。 是 レ 何 ン ノ 言 │ 興。 是 何 言 興[ 原 與 字 ]。 主 人 曰 ク 。 如 │ 今 再 マタ 扣 ヒク 二 シテ 二 分 一 ヲ。 存 ノコリ │ 銀 一 │ 分 ナ リ 矣。 東 家 ノ 母 在 レ リ傍 ニ 曰 ク 。 一 年 辛 │ 苦 ス 。 半 ハ 除 ケ ハ 也 罷 ヨカラン 。 先 生 近 │ 前 シ 作 レ シテ 謝 ヲ 曰 ク 。 夫 │ 人 不 レ言 ハ 。 言 ヘ ハ 必 ス 有 レ リ中 ル 。主人曰 ク 。 恰 チヤウト │ 好 連 二 テ這一分 一 ヲ乾 サツハリト │ 浄 ニ 拿 ヒツコマシテ シ 進 ミ ラン 。 シマハン 書き下し文 束 そく 修 しう を 退 しりぞ く 一 いち 師 し 学 がく 浅 あさ し。 善 よ く 別 べつ 字 じ を 読 よ む。 主 しゆ 人 じん 之 これ を 悪 にく ん で 師 し と。 一 いち 別 べつ 字 じ を 読 よ む 毎 ごと に。 修 しう 一 いち 分 ぶ を 除 のぞか んと 約 やく す。 歳 さい 終 しゆう に 至 いたつ て 将 まさ に 尽 つき んとす。 止 た だ 銀 ぎん 三 さん 分 ぶ を 餘 あま す 封 ふう じて 之 これ を 送 おく る 。 師 し 怒 いかつ て 曰 いは く。 是 これ 何 なん の 言 げん 興 きよう 。 是 これ 何 なん の 言 げん 興 きよう [ 原 もと 與 か の 字 じ ]。 主 しゆ 人 じん 曰 いは く。 如 じよ 今 こん 再 ま た 二 に 分 ぶ を 扣 こう し て。 存 そん 銀 ぎん 一 いち 分 ぶ な り。 東 とう 家 か の 母 はは 傍 かたはら に 在 あ り 曰 いは く。 一 いち 年 ねん 辛 しん 苦 く す。 半 なか ば 除 のぞ け ば 罷 よから ん。 先 せん 生 せい 近 きん 前 ぜん し 謝 しや を 作 な して 曰 いは く。 夫 ふ 人 じん 言 い はず。 言 い へば 必 かなら ず 中 あた る 有 あ り。 主 しゆ 人 じん 曰 いは く。 恰 かつ 好 かう 這 こ の 一 いち 分 ぶ を 連 つらね て 乾 かん 浄 じやう に 拿 だ し 進 すす み 去 さ らん。 現代語訳 あ る 先 生、 学 識 が 浅 く、 文 字 の 読 み 間 違 い ば か り し て い た。 主 人 は こ れ に 腹 を 立 て、 一 文 字 読 み 間 違 え る ご と に、 給 料 か ら 銀 一 いち 分 ぶ ︵ 約 一 万 四 千 円 ︶ を 差 し 引 く こ と に 取 り 決めた。 さ て、 年 末 に な り、 給 料 は 差 し 引 き ゼ ロ に 迫 せま っ て き た。 ︵ 主 人 は ︶ 銀 三 さん 分 ぶ ︵ 約 四 万 二 千 円 ︶ し か 残 っ て い な い、 わ ず か な 給 料 を 袋 に 包 ん で︵ 家 庭 教 師 に ︶ 差 し 出 し