ラテン・アメリカにおける計画の歴史的考察
プランダウン,パウロ.R (小林利戯訳) 進歩のための同盟(1961-1971)は超国家検閲かラテン・アメリカに計画を導入 しエうとした最初の試みであった。同雛のプ向グラムrt「大胆かつ断固とした」努力で10 ケ年計画をとなえ(iF1),さらに各国別10ケ年計繭に加えて、4-6ケ年計画ならびに 1ケ年(即時)計画を外国援助を前提としたい健全な形で作成十ることを勧告した。 米州援助プログラムでは,附画は特定の目標追求の手段としてばかりでなく,それ自体ラ テン・アメリカの政治的慣1Wを望左しい方向に誘導+ろ-方法として期待されているように 見える。たとえば,「進歩のための同盟憲章のいう国家計両には政治という機械のオーバー ホールを実行し,政簸遂行の接務を果せるように体制を鞍えることも含む」のである(注2)。 富允他の学者によれば「政治的社会(i《j鐸秩序に悩む国はそれだけに長期開発計両という規 律に従う巾《し要がある」(注5),さらに第三の資料では「進歩のための同盟にとって計函は 政治のリーダーシププ帯とるべきものであった」(注4)。上紀をらびにその他の資料から, 進歩のための同盟がlif耐について強調するのはI計画がラテン・アメリカ諸国の政治に効果 を及榧十十期待される点である。そして実際にラテン・アメリカにおける計画について発変 された諸研究の中には,いかなるものであれ計画のこれら政治に及廠十効果を積槙的な成果 として認めているものが少くちv、。 我々はラテン・アメリカにおける瀞画の歴史に関十るこの小瞼で、ラテン・アメリカでは 計画はさった<目新しいものではなく、かつこれ左での経験では,計画は技術的には不完全 であったか,政治的効果という点では前述のとおり成果があったということを示したいと魁 う。計画という言葉はいくつかのラテン・アメリカ勝国では195,年代初頭から耳馴れた 政治用語であった(注5)。更にプンタ・デル・エステ会醗に先立つ1960年すでには, 針画は専門家や技術者の閉鎖的なクループばかりで方〈,より広い範囲の人だの-研究分野 となった。計画は,政煎立案の骨組というには程遠いとしても,もはやあい室いた政治公約 ではなくきっていた。しかしながら計画の技術的性絡に力、Lわらず,政治活動の中で研究ざ -49-レウ▼。 ラテン・アメリカにおける計両の雁史的考察 ~-れるぺ愈匙のとして認識されていたのである。
進歩のための同盟が発足すると,ラテン・アメリカ誌国民の間からこの地域の経済成長の
ため政府ベースの組織的な経済協力詮求める一迎の圧力が生じたのは確かである。衆知のように'1958年雷で米国⑤対米州諸園政策は地域安全保陣にnt*がおかれていた。しかし
左から綴演協力の問題は,1945年メキシコ・シティ,1947年リオ・デ・ジャネイロ, 1948年ボゴタ,1951年ワシントン,i954年カラカス,1154年リオ・デ・ジャネイロ,1957年プエノス・アイレスで夫上!;lMliiされた米州会繊で術にラテン・アメリ
カ緋岡によって提案されたか,いづれも実現し左かつたのである(排6)。XL歩のための同
Wlを1161年に発足させたプンタ・デル・エステ会箙開{1iIの直接的原因となったのは1958
年カラカスおエぴリマで起ったニクソン珈件とキューバの国内IMlmの進展であった。~
新方向への第一歩として,ラテン・アメリカの社会・線済Ⅲ】題にUMするハイ・レベルの平
IMI委員会である米ソⅡ機榊内21ケ国委員会か611設された。この委員会自体は,ブラジルのク
ピチーク大統領の示唆した全米活動(0per`埒ZiOPanamer1cana)に含在れていたエう
き「た鱗政論門麺の新方向」に関するラテン・アメリカの概築があって後にバリ股された‘の電参った。厄の銭葵の熊読はラテン・アメリカ例からいえば,全米という典,むしろラテン
と呼ぶべきで為遥ということで湯った゜しかしヨニ11,江むく・2.6もアノリカブ鐘全上のFIl総とし几,
点Iて了灸か釣たつそj種これ堂で国述Iとおけ港一致しての親米投県老保証L・社会主読蒲国と
のタ|・文・遡而関係iでおいて所定の行動をとって来たラテン・アメリカ・プE2ジクの団結かも
ktや強固並ものではたいという懸念が琳大しつ》あったことと無1MJ係で何なかった(江7)。
アイゼンハウアー政権はラテン・アメリカの提案に冷淡であった従うに兄える(姪8)。
しかし提案の-迷の目標は後日進歩のための同捌のT諏ヨ,した[1棟と極Ir」て類似していた。曰
く,「半球の剛結強化 低脇発からの脱却 開発促進のための米州諾機関の活用 技術齢必撰とする闘随対十為技術援助 雑礎商品の市鰯の安定 国際金融機関の拡大け -50-民間企業の奨励 各国財政の開発促進の徽点からの総点検 終演政策の総点検」 ラテン・アメリカにおいて計両か一般化したのは主として国連ラテン・アメリカ経済委員 会(ECLA)の指導の結果であった。ECLAは1950年以来ラテン・アメリカに長期 計面か必要なことを力説して来た(汪,)。しかしながらこの他にも計画の普及した原因が あった。1140年代および1150年代前半に数ケ国において二国間委員会あるいは米国 技術使節別か当該国経済の時系列的研究を行い,いくつかの労作を残している(江10)。 この他計両に対十ろ関心を増大きせ為原因となったものは輸出部門に対-「ろラテン・アメリ カ諸国政府の行動であった。特に1950年以降少くとも短期ペースでの戦略的政策の必要 か認められた結果,ラテン・アメリカで一般に促進(romento)機脾と呼ばれる機関が設け られた。これらの機関は金閣機関を中核と十る複数の機閥の錐合体であったり,.、種との輸出 商品の問題を扱う一群の公社であったりした。後者の中には,輸出促進と同時に調]Gijii動も 行い,英国政府か西インドと後に西アフリカで試みた形に近いもので蝉っ大(注11)。11; た他の場合には中央政府が農業および迎輪についていわゆ愚促進計両を実行十ることもあっ た(注12)。現在チリの経演計面担当部局の中心となっているのは古さにとのfomento
時代の名残してあり,未だに発足当時の名を持続けている産業開発公社(corporacユ6n
deFoInentodelaProduccユ6,;CORFO)である(注15)。その上,40年代 および50年代の鉄鋼・石油・セメント・飽力等の大規模な政府躯業は,いくつかの国をで, 経済指標の長期的予測を必要とした。 いづれにせよ,地方別,部門別計iiiiとは別に,進歩のたy)のlijHMi1以後国家計画策定に従事Lている機関は,既存機関をその注出継承したものか,汝iillされた6のかである。(江14)。
このエゥ友機関の生れたのは上記のチリ産業開発公社(CORFO)か談立された1959 年に甥島。CORFO肺1961-70年度チリー経法鮪発計画を作成し,:jj突上1960 年に創設された経満復興計面委員会(COPERE)の事務局とたった。その後1964年 にこの制度は改正されたか,10ヶ年計画の作成と-そのえぬの委員会の設腰1重進歩の尤混)の 同盟発足以前であった。ボリビアは1955年に調整計画委員会を投げた。この婆員会は 1159年企画局とたり,1961年に大統領を議長とする経済社会開発群議会と改称され -51-ラテン・アメリカにおける計面の雅史的考察 識者の討論の末に地域計面立案の機隣としてfiU識された(注21几そして1960年代初 頭さてにブラジルのほとんど全州が州計繭署員会を持つに蔓'」っプヒ、 ベネズエラでは緊急計両の作成に端を発し,1958年に国家計画が正式に採用された。 これに引続き1960年7月から1964年6月に亘って施行される短期計画か作成され, この短期計画は1162年初砧,1962年度1ケ年計画に変更された。次いで最初の大計 風1965-1966年庇爾家計両(P1andelaNacユon)か作られた,淫25ル ブリードマンが指摘十るように,この計両の採用は,進歩のための同盟の4,とで「事実上外 国援助の条件とされた健全な国家計画」を提出+ろ必要があったからという理由では説明で きたい。「外国援助はベネズエラか計画f持ち続けるためには役立った。しかし賛源の動員 ということはベネズエラの国家計両採用の理由ではなかった。」(注24)。 フリードマンは1165-1966年度国家計雨が1965年の溌挙のために起草された ことに注目し,との計画が,実際に,再選をかちとった与党の遥挙通勤の重要課題であった ことを認めている(圧25)。これより前,計画担当機関一CORDIPLAN-は大統領 府にひっそりと置かれていただけて,民間部門との接渉さえ行きっていなかった。実業界と の接渉は’965A直にはじめて行なわれ為」:うにゑったのである。従ってペタンクール派が 選挙運動にむいて計画も利用したととは,少くとも一部選挙民に対十ろ政治的アピールとし て計画が禰極的効果を有していたこと寸示している。さらにブリードマンは,ベネズエラの 計両に関する研究の中で11,65年・以前価圃宗計画として提出された計画の役割を説明す るために4,,CORFIPLANの存在が大統領の強化に役立ち,各省大臣問の調整を可能にし た事実をくり返し認めている(注26)。 形式的で技術柚欠陥を有し,扇動的ではあったかも知れないか,このような試みは資料の 収築や解釈に進歩をもたらすという副産物を残し,将来の試みに一屑意欲をかき立たせるこ ととなった。事実ブラジルのグラール政権末期の数ケ月に大至急起草された1965-1.965 年度経済社会開発5ヶ年計iiIii(P1anoTrユenaldeDesenvolviInentoEcon6、ユco eSocユal)は,-面では進歩のための同盟による援助政策の】ザ写真に拘束されてはいた力$ 主たる狙いは政椛に対する国民の信頼を嘘得しようとするとhろみであった’注27)。と の計画は政治的意図か余りにも露骨であったため、発表されると直ちに全圃的危機を招来す る'ていたったが,もしこれが計繭でなくて政府斐允は少くとも大統領の政治方針の予告の形 -54-
をとっていたらこのような反動は輝らなかったであろう。3ケ年計画をめぐる討瞼では,こ の計画の援助交渉の逆風としての外交的役割は最終的には二磯的な↓のとされた。 1960年代室でに,針両hロラテン・アメリカの大部分の図で,経済開発国有化,農 地教育選挙制嘘の改正お生ぴ外交政策の問題とならんでさきに国家的問題と戒るにいたった。 計画がとの』:うに扱れることは次の二つの面でnt要である。筑一に,計画I式政治的支配階級 と少くとも大都市に誇ける団結のうすい大衆との間の意思疎通の手段として新しい象徴と左 った。第二に,計画は目標とそれに華<政策を示しているたAfF,新しい政権の政治的意図を 推察するのに根拠となる資料を提供することとたった。 かくて』・クピチェックのメクス計画は,フランス的概念では,民'III部ドリにとって一定の 政府の行nibを期待させる編槻の役割藍有していた(注28)。何時に,大統領が自己の政f1f を推進+ろにあたって,或る穏度倉で大衆の支持をつなぎとめるのに役立つ呼びかけの手段 となった。同時に5ケ年齢両の内容は広く論議されどのよう求経i斉開発を進めるべきかと いう鎗争を経ること花よって異った利益集団の立鰯を鮮明にすることとなった。. おそらく論争や反対の少V、場合には,発言力のある勢力が}什両の内容を自派に有利なよう に修正.調整して行くことにたるであろう。このJEうな可能性が大承いととは,クラール追 放後,臨時政I付の顧問迷が超敵した1964-1166年艇政lFf行励計画がクラールのi3fi2i と,その範囲とテーマにおいて,さして大巾には.栞離していたかった小実によって明らかで ある(注29)。実際,新政椀の繰済政莱の中にあってlifiliiCもつとく)雅本的な内容は変っ ていをかつね変った点は,インフレーション,国際収夷外国直捺投資および鉱物資源の 管理の問題に対する政府当局のムードあるいは態度であった。このこと絃,計画は国民の期 待と政府の公約とを安定さ也結合させる働きをしているか,他方とれとは別に,おそらく もっとjli大な政筑や法手段があって,それが国家の政策を左右しているということを示して いる。 ラテン・アメリカには針面の孫)F1にある程度有利な条件が雛っている。即ち,ラテン・ア メリカには古くから政府械力の介入の歴史があり,しばしば⑤騨恕”と指摘される政府企業 (注3o)にはじ生って価絡補助政策,過頚I鰭出品の買上,民IMI企業の保謹と信用OL写,鈍 金福祉政策にいたる国と民NilのTlj害をめぐる深い関係がある(注51)。邪夷ある国の政 -55-
ラテン・アメリカにおける計画の歴史IMI藷察 府は今惜紀初頭における労働組合対策の中て,労働jumlibを手馴づけたh弾圧したりした(注;
32)。更に,ラテン・アメリカ諾圃の政府は,戦後,景気鋼雛政簸に近い機能を有十ろ安
定Iif面の導入を試みて来た(注55)。 広く一般に認められてるように,針両の手段としての木来の槻能忙か仏わbなく,あるい はそれオ犠牲にして,発曾力の左い利巷グループを統一+ろ効果が期待されていると十れif 政治に係bあ為人ACは期合にエってばそのようを効果のみを問題と+ろかも知れない。もし そうだとすれば,とれら意図せざる計爾の椴能は,フリードマンのいうように,意識的に活 用されるかあるい化t,実際の迎用に坐って補充されるかも知れ壷い゜勿麓とのことは計画 作成過程の民主的あるいは理性的性栴のこと存言っているので拭乏い。 更に,討両の恨習の砿立,左いし計mIi5g行方法が異った勢力間の政治的かけ引きのために 困難とたる場合がある。経験では,このような場合計画はその左ム延期されるか本来の 機能を失うことが示されている(注54)。もしこのような機能不全が起っても,それは近 代化の進展や先進社会における計画の爽鯉と矛盾+ろものでば左い゜イギリスでは衝計画” は戦後の。民主的混乱”以外の何ものでもなかった(注55)。もしパートランド・クロス, ピーター・ワイルスDジロン・フリードマンbG・サーキンその他の意見を知り,計画の概 念と械能の修正が何を意味F+ろかを考えれば,現在とたえられている針面の臨床的理論は決 して耐えがたいほど厳格な教えではないことが分る。 もう一つ注意すべき点は,キューバを除くラテン・アメリカにおいて鎧近さで試みられた Hf両hbすべて自由民主主蕊思想の持主と露められろ指導者の率いる自称民主主義政lidの手 にたるものだということである。そして叶面と名づけられたものの政治的・継済的内容はす べて西欧デモクラシーの骨組の中に包含されてv、る゜もっと詳しくいえhhそれは,特に当 該圏の開発水準を考鰹した上で,市濁綴穣の枠内での政府の役荊を求めるという考え方であ る。 Hf画の中で,大統領や針画担当者が,政府に並い資任Yi・負わ{とたり,一部でも市場のメカ ニズムを無視したり十ることを避けエうとする表現を見出すことは珍しくない。1950年 代にグワテマラ,・ポリピ丁お上ぴアルゼンチンに非正統方向に進もうとした動きがあったか いづれも失敗した。IMI題の多かったブラジルのクラール政椒が起草し,実際には施行され左 かつた1965-1965年度5ケ年計両ですら,このよう左ルールからはずれてはいない。 -56-既に班ぺたkウに’5ケ年計爾とその後のカステロ・ブランコ政権の政府行動計画とは政治.
経済的性緒において魔とんど相違か左い゜さらにクラールB1F代の計画か自由という観点から
見て反民主主義目標を有していたということもできない。これ雀で述べて来たように開発計
画一郎ら他の言葉で表現する承ら’経済成長に貢献+ろ秋女のメカニズムの計画的銃合一
はその昔中産階級か支持した「国家の介入」の考え方にある程庇立も帰る。しかし方から,
実際問題として,企業国家の機能は比較的狭い範開'て留b,民間企業や外国資本の役割はむ
しろ増大するにいたっている!'注56)c従って結論的には,計画に期待される本来の機能
的効果と純粋を経済成長理鶴とを犠牲にしたという意味で正綻的ではなかったにせよ,国内
条件と増大する外部からの圧力とかあいさってラテン・アメリカをして国家計画を採用せし
めることとたったのである。しかしながら,前述のよう{て,今日の中南米における国家計画
の採用は,計両の。意図せぬ〃政治的機能を架させようと十る見せかけの蝿合か少<をい゜
(1969年12月)中 99 。「-.+□。← -57-ラテンCアヌリカに淵ナろ計鍾の歴史的港16〔
(注1)
St&tedbyPresidentJ・P・Kermedyinameetingwith LatinAmerican色representativesinVashingtononilarch エラth,ユ961,cr・The】lewYorkTimeS・marchユ4th,ユ961.2)
3)
4)
5)
注注注注 ぐく,しく通keseU(1967;269).
may(ユ968;45).
NystromandHarvestock(1965;刃).
、Hagen(ユ9の;2),Eorinstanoe,thoughnotingthat
effectivep1anningon1ybeganafterPuntade1Bste, statesthatI1muchof、thein1tiative1aywithLatin American1eaderso1.(注6)See,forinstance,Ijieuwen(1965).
(注7)See,forユnstance,Ga1tung(1966),Schartzmanand
Araiijo(ユ966)andRussett(1967,chaps・VthroughVエエ
,、dエx).
(注8)Cf・Nay(1968;29).
(注9)seeRauエPrebisch,11TheeconomicdevelopmentorLatin
DnomicE or」JatユnAnlE DblemnSo1J②6riCOgVr Bngユishmimeographedversiononエy,underthetitユed:::::;:離瀞瞬遷>2:fl;,竃::i:.;r:澱:11:,。‘
studyonthetechniqueofeconomicdeveユopmentpro-grammユng,revisedandreissuedinJuly1955underthe title lnent: Ana1VsesaI1dProie ctionsofECOnomicDeve1op-鵠in:(器鑑:。;窯.鍔ェ砦:i}瓊霊虫:農::畿一
dies8 ment: Sa1es ofCo1 n」EJT、仁 DnsorhlconomicpeTR1oY1 onomicUevS1obmentofBr円 onomicDevelobmp ]▲。】C ヨーら日 -58-! /
BconomicDevelopmentofBo1ivia(UN,Su1esIW。.
58.,. ,vols・ he 0.2”V・TheEconomicエ,エエandfrrTU77;一百五百
〕evelopmerLtorAェ、9 DcVe1oDTne】ntoFIj a-5Q DDmentOf・PgnT1nr t ョ目No-bC onomicpeveloDmE 、_bC エ. DnomicDevelonm色、to狂HonC [】▲厄 BLOnbro2 P争一一ea Ona。、d・几 。m市川r ←Scan)曰a enr’ノノeDr Dno1s(ら【唾SS呵麺》”川蝉》
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Sp-ob0. 今.aoへ。rr n『上sr;u a●七ea1J【。n深國忠串5『L
o勺q○。n勺q守上e・ 土uOノノ今。 +v守りC・1『上(ご a・1CeCa r勺上ma、。侭ⅡC aaOr(凡・1 p-cnen(、r es。.Oノノe,ロ丘巫・塾・旦正、←
(E/0N、ユ2/BRW、2/L、10兆
PrOjeCtq(UN,SaユesNo.
nt FBnl】nlon四conomfcDeveloDmE ofBOLA1sworkasabackgroundforp1anninginLatin AmericaarepresentedinEOLA,mP1anninginLatinAmerioa''(ユ966;ラヲ2-ラ)andECLA,’1,苧ninginLatin
Americam(1967).、
(See,forinstallce,Hirschlnann(195:
iDaland(1967).
(注10)
(注11)
AsetofsuchagPncieswasestab1ishe3intheStateor Bahia,Brazil,includingagovermnentcreditagcncy- theエnstitutodeFomento,andspecia1izedcommodity institutesfortobacco,cacao,catt1eraising,intend- edaspermanentinstrumentsofmarketmanipu1ation・SeeIIagen(196う;1).
(注ユ2)
(注13)
inLatinAmerica''(1966;341);
…Ⅱ(19668〕16);Vaterston
Cr,LjCLA,lIP1anning EGLA,O1Theevolution(1965;75-77;4ヲ2,).
(注ユ4)TTiefollowingreviewisbasedonECLA1s'1Planningin
LatinAmerica1!(1966;ラ28-フ81)andothersourcesas
noted・エtmustbestressedthatthementionedcases arethoseinwhichtherehasbeenBomeactuaユorgani- zationa1continuity・ThusreferencetopreTmousdis-continuedattemptsisonitted.(注15)Friedman、(1965).
-59-ラテン・アメリカにおける計画の歴史的考察
(注16)
(注17)
(注18)
(注19)
(注20)
Daエand(1967).
See,forinstance,CentroDBPAL-BNDB(ユ965k
martins(エ967);Adams(ユ964).~
Cf・FriedmaIiMエ965;2).
RonduユoAmeユda,whohimselfaseconomicadviserto Vargas11conspired10tomakethe]Latter1sintendedpo1iticaユpユatfDormof194うaI1pユanI1,expユainsthe
abortiveSALTEPユanpartiaユユyasthereBuユtoEwhathe usestoca11I1thesonspiracyofthetecnicosoI・ Accordingユy,anumberofcareeradlninistratorscon-nectedwithDASP,seizedtheopportunitytomoulda
fewgeneraエb1uepritstogetherwithministerialbudgetsintosomethingユabeUedaPlan・Ontheother
hand,Siegel(エ966;ユユユ)indicatesthatthedraftingof
theSALTEP1anwasmotivatedbythedesireonthepart
ofDASP1sdirectiontoraisetheprestigeo室that
organizationthenoPユanningwasthereforeapositive
symbo1.(注21)Ontheoriginsandenviromnentofthecentralpユanning
system,SeeAユmeida,R・(1950ルエanni(1965);Siegeエ
コ(1965);Daユand(1967);Lefr(1958).
(注22)Robock(エ96ラルHirsohmann(ユ96ヲ,ユユー91).
(注2ヲ)TheantecedentorAcionDemocrdtiCa,thePartido
DemocrdticoNacionaユ,hadspokenoBtheneedforap1an
forthelIReconstrucionEconomicadeVenezue1a1I,in
ユ”0.°ぜ.Friedman、(1965;24%
(注24)エ965;79,⑰5.
(注25)Friedman、(l965;ユヲ).
(注26)エnadditiontoFriedmannis,seea1soLevy,Jr.(ユ958,
U9pasSim)
(注27)Da1and(ユ967;60-67ルエanni(1965;passim).
-60-」■。
(注28)SeeRichersQtaユ.(ユ963);エanni(ユ965;ユ01兆Daユand
(1967).
(注29)、aユandQ967;58ff)〆
(注ラ0)Forinstance,蘭eユユ。eSouza&Genari(ユ96う);G・Ranlos
(ユ966;ヲ00-ラ04;フ2ユー422);IIengeS(1966”AndreslGユ(1967).
(窪ラユ)雑ドエ;::購魯:笹エ:::f鵬;;:::ii:MW鋤?ti:鰯コ
ト(1966)andEOLA,sstudies軒
(注ラ2)Vargasl(エ9ヲ2-1945)andPeron1s(エ945-ユ95う)are
notoriousexamplesinthisユastユユ、e、(注弱)Argentinaattemptedastabiユユzationpユandragtedin
ユ958byR・Prebisch,thebestknowno壺回CI』kIs theoriticians.Pユanningincidentaユユywasnotatotaユnoveユtythere、Peronhastwopユansand,inユ956,.
Prebischhadaユsodra壷tedaP1anofnconomicRecovery・cfbStark(ユ955;20エ);KriegerVasena(ユ967).
(注ラ4)Seerorinstance,Daユand(1967;157-ユ7C);Levy,Jr.
(ユ968;ユユ2-ユエ5);Waterston(ユ965;105-ユユヲ)mentions
severaェaborted’1p1ansoI⑪(注弱)
of・Lewis,BenV.,zation,p、276aPud
RatinoFf(ユ967;B2).
(注天)
RatinoFf(ユ967;B2).Thisauthorsuggeststhatthesupportforpユanningemergedfromtherecognifion9f
thefaユユureofpartiaユpユansand宝romthefearofいへI PCユユticaユandeconomicinstabi1ity. 。 -61-ラテン・アメリカにおける計画の歴史的考察 参考1文献 $= ̄=底=~勺「-.- ̄●ヂー… ̄~一三宇一■--空か---へ----.- A。ams,Richard,’1Thepatterncfdeve1o】pmentinLatinAnlerica andDesarro11oAcelerado0P・Off、printNo、20㎡theエnstitute ofLatinAmericanStudies,theUniversityofTexas. DRiop striaP A1media,Rumulo, DepartamentoEcon 1950. deP1ane司円TnG Anderson,Ohar1esW.,mPo1iticalfactorsinLatinAmerican EcOnomicDeveユopment1bqourna1。f、エnternationaユAfTairs,20
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