土地所有権放棄の場面における土地所有者の自由と
責任 : 広島地裁松江支部平成28年12月21日判決を
手がかりに
著者
張 洋介
雑誌名
法と政治
巻
69
号
2下
ページ
125(917)-154(946)
発行年
2018-08-30
URL
http://hdl.handle.net/10236/00027240
1. は じ め に 土地所有権を放棄することが可能かということについて, わが国におい ては, これまでほとんど議論されてこなかった。そもそも, 土地所有権を 放棄することを想定すること自体がほとんどなかったといっていい。しか し, 近時, 土地所有権の放棄の可否についての議論が活発化している。 (1) そ 論 説 (1) 土地所有権放棄に関する先行研究としてまず挙げなければならないの が田處教授の一連の論考であり, ドイツ法を参考にしながら土地所有権の 放棄の可否について詳細な検討がなされている。田處博之「土地所有権の
土地所有権放棄の場面における
土地所有者の自由と責任
広島地裁松江支部平成28年12月21日判決を
手がかりに
張
洋
介
1.はじめに 2.土地所有権放棄の可否について (1)土地所有権放棄の民法上の可能性 (2)土地所有権放棄に関する判例・実務 3.土地所有権放棄の当否について (1)問題の所在 (2)土地所有権放棄の当否についての議論 4.土地所有権放棄の場面における土地所有者の自由と責任の背景には, 吉田克己教授が指摘する土地の「負財化」という現象があ る。 (2) 人口減少社会といわれる現在では, 都市部の一部の土地を除けば土地 に対する需要は軒並み低下し, 利用価値がなく買い手も見つからないが, 固定資産税の負担や管理などの負担は残る土地というものが少なくない。 こういった土地の所有者にしてみれば, その土地に対する愛着などがなけ れば管理することもやめ放置されたままになってしまう。実際に, 放置さ れたまま相続に相続を重ねるなどして所有者が不明である土地がかなり存 在し, これが問題視されている。 (3) 所有者不明にならずとも, 土地所有者が 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 放棄は許されるか」札幌学院法学29巻2号 (2013年) 169頁以下(以下で は田處2013年として引用), 同「ドイツ法における土地所有権放棄の制度 について」札幌学院大学30巻 2 号(2014年)177頁以下(以下では田處 2014年として引用), 同「土地所有権は放棄できるか―ドイツ法を参考に」 論究ジュリスト15号(2015年)81頁以下(以下では田處2015年として引用), 同「所有権放棄とはなんであるか―不動産所有権放棄の可否をめぐる議論 の前提として―」 札幌学院大学32巻 2 号(2016年)203頁以下 (以下では田 處2016年として引用), 同「不動産所有権の放棄と国庫帰属―各地の財務 局への情報公開請求からみえてきたもの―」 札幌学院大学34巻 1 号 (2017 年) 1 頁以下(以下では田處2017年①として引用), 同「土地所有権の放 棄―所有者不明化の抑止に向けて―」土地総合研究25巻 2 号(2017年) 112頁以下(以下では田處2017年②として引用)など。また, フランス法 との比較研究に関しては, 小柳春一郎「不動産所有権論の現代的課題 物 の体系における実物不動産の位置」吉田克己=片山直也編『財の多様化と 民法学』(商事法務, 2014年)668頁以下, 同「フランス法における土地所 有権放棄の新判例:危険崖地所有権放棄に関する破毀院民事部第三部2015 年11月 5 日判決(判例集搭載)」獨協法学101号(2016年12月)160頁以下 (以下では小柳2016年として引用)などがある。 (2) 吉田克己「土地所有権の放棄は可能か」土地総合研究25巻 2 号(2017 年)98頁(以下では, 吉田2017年として引用する), および「負財」につ いては同「財の多様化と民法学の課題」吉田克己=片山直也編『財の多様 化と民法学』(商事法務, 2014年)20頁以下(以下では吉田2014年として 引用する)。
土地自体を放棄するということは物理的に不可能であるので土地所有権を 放棄して負担から逃れたいと考えることは自然の流れである。筆者も, 島 根大学在職中に行った法律相談では, 親から相続した土地があるがほとん ど管理もしていないので放棄したいが可能か, といった相談を受けたこと がある。 そして, 現実に法的紛争として裁判となったのが, 松江地裁平成28年 5月23日判決(訟務月報62巻10号1671頁)及びその控訴審判決である広 島高裁松江支部平成28年12月21日判決 (LEX / DB 25545271) である。こ れはまさに島根県における山林の土地所有権の放棄が可能かどうかが争わ れた事件である。両判決とも, 土地所有権の放棄は原則上可能であるが本 件においては権利濫用に当たるとして原告の土地所有権放棄の意思表示を 無効とした。 わが国の民法において, そもそも所有権の放棄が可能かどうかについて 明文の規定は存在しない。 (4) したがって, まず所有権の放棄が可能かどうか が検討されなければならない。その上で, 所有権の放棄が可能としても客 論 説 (3) 国土交通省が「所有者の所在の把握が難しい土地への対応方策に関す る検討会」を立ち上げ,2016年には検討会による対応方策の最終とりまとめ が出されており (http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/iten/seisakutokatsu_ iten_tk_000002.html), さらに,「所有者の所在の把握が難しい土地に関す る探索・利活用のためのガイドライン」も2017年 3 月に第2版が公表され ている (http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/iten/shoyusha.guideline.html)。 また, 土地総合研究25巻 2 号(2017年)「特集 所有者不明地等の課題と 対応」や NBL 1074 号(2016年), 1075号(2016年)「所有者の所在の把握 が難しい土地の取り扱いに関する実務対応(上)(下)」などにおいて議論 がされている。 (4) 206条は, 所有者に法令の制限内において, 自由にその所有物の処分 をする権利を認めているが, これは文字通り解釈すれば所有物の処分であ るから, 206条が明確に所有権の処分(放棄)を認めていると言い切るこ とはできないだろう。
体が動産と不動産では結論が変わりうるのかという点も検討しなければな らないだろう。次に, 土地所有権の放棄が原則可能としても(上記判例は この構成を採用した), 例外として土地所有権の放棄が制限されうるのか, 制限されうるとしてそれはどのような根拠かも見当しなければならない。 さらに, 以上の土地所有権放棄の可否だけでなく, 土地所有権の放棄が 可能としてもそれを原則として積極的に認めるべきかどうか, つまり, 土 地所有権放棄の当否も検討すべきであろう。このことは, 結局のところ, わが国における土地所有権の在り方についての議論となる。筆者は, これ まで主として都市部における土地所有権の在り方について, 土地所有者の 自由と責任という観点から検討してきた。 (5) 本稿では, 地方における利用価 値がなく買い手も見つからないような土地についてその放棄の可否および 当否を検討することで, わが国における土地所有権の在り方および土地所 有者の自由と責任について検討してみたい。 そこで, まずはわが国の民法上, 土地所有権の放棄は可能かどうかにつ いて検討し(2.土地所有権放棄の可否について), その上で, 可能であ るとしてそれを積極的に認めるべきかどうか(3.土地所有権放棄の当否) を検討する。そして, 最後に私見としてわが国における土地所有権の在り 方, 土地所有者の自由と責任についての筆者の見解を提示したい(4.土 地所有権放棄の場面における土地所有者の自由と責任)。 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (5) ドイツにおける相隣共同体関係理論を手がかりに土地所有者が行った 法令の制限内での権利行使が制限されうる可能性について検討した。詳し くは, 拙稿「土地所有者の自由と責任」法と政治67巻 1 号(2016年)(お よび「ドイツ相隣共同体関係理論の現状―土地所有権論における土地相隣 者間の相互顧慮義務とは―」法と政治68巻 2 号(2017年)を参照。
2.土地所有権放棄の可否について (1)土地所有権放棄の民法上の可能性 まず, そもそも土地所有権放棄の問題に対して, 土地所有権の放棄を法 令によって一切禁止するという手段も十分に考えられるが, その前提とし て民法上, 土地所有権の放棄が可能かを検討しなければならない。そして, その場合, 第一に所有権の放棄が民法上可能であるのか, 第二に所有権の 放棄が可能として客体が土地の場合でも放棄が可能かが検討されるべきで あろう。 ①所有権放棄は可能か 所有権の放棄の可否の前提として, 私法上の権利一般の放棄の可否が問 題となるが, これについてはすでに指摘されているように, (6) 明文の規定は ないが当然の前提とされているといえる。個別には, 例えば債権は519条 により債務の免除が認められており, これは, 債権者が自己の債権を放棄 することである。また, 所有権以外の物権に関しても明文の規定が存在す るものもある。268条 1 項は, 存続期間の定めのない地上権についていつ でも地上権者が権利を放棄できると定めているし, (7) 永小作権についても 論 説 (6) 吉田2017年99頁∼101頁, 堀田親臣「土地所有権の現代的意義―所有 権放棄という視点からの一考察―」広島法学41巻 3 号(2018年)77頁∼78 頁を参照。 (7) 268条に関して民法起草者の梅謙次郎は地上権者は権利を放棄するこ とができる理由として, 権利が権利者においていつでもこれを放棄するこ とができるとしている〔梅謙次郎『初版民法要義巻之二物権遍』(1896年 版, 信山社, 1992年復刻版)205頁参照 。このことからも, 地上権の放棄 だけでなく権利一般について放棄が可能であることが前提とされていたこ とがわかる。また, 富井政章も519条債務免除に関する起草趣旨に際して, 「自分の権利を自分一人の意思で放棄できるということは, 先に 総 則 の 法
275条が一定の要件の下で, 永小作権が放棄できることを定めている。抵 当権についても376条が放棄することができると規定している。これらの 規定の存在からも権利を放棄することが可能であるということに異論はな いであろう。 それでは, 所有権は放棄できるのか。所有権に関して, 共有持分につい ては明文の規定により放棄が認められている。所有権そのものの放棄につ いて民法上は明文の規定はないが, 私権一般について放棄を前提としてい る以上, 所有権のみ例外とする理由はないであろう。 (8) 民法起草者の一人富 井政章博士は,『民法原論第一巻総論』で権利の放棄について「物権ノ抛 棄ハ一般ニ片意的ナルコト疑ナキ所トス殊ニ所有権ノ抛棄(所有物ノ遺棄) ノ如キ特定ノ法律関係ニ基カサル権利ノ抛棄ハ其最モ著明ナルモノト謂フ ヘキナリ」 (9) と述べており, 相手方の同意がいらない権利者の一方的意思表 示により所有権が放棄しうることを述べている。さらに, 富井博士は『民 法原論第二巻物権』では,「所有権ノ抛棄ハ通常一定ノ人ニ対シ之ヲ爲ス ニ非スシテ所有物ノ遺棄ニ因リ成立スルモノトス遺棄ハ法律行爲ニ非ス (一巻三二〇頁)而シテ其効果ハ物ヲ無主物ト爲スニ在リ此點ハ他ノ場合 ト趣ヲ異ニスルモノト謂フヘシ」 (10) と述べている。ここから読み取れること は, 富井博士は物権の放棄に関しては物権者の一方的な意思表示により放 棄することが可能と考えており, さらに, 所有権の放棄については, 所有 物を遺棄することで所有権の放棄となると考え, その所有物の遺棄は法律 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 律行為の規定を書く時に一ヶ条置こうかと思ったが, 必要なかろうという ので書かなかった。(前田達明監修『資料債権総則』(成文堂, 2010年) 772頁)」と述べており, 私権一般については意思のみで放棄が可能である ことを述べている。 (8) 吉田2017年102頁もそのように指摘している。 (9) 富井政章『民法原論第一巻総論』(有斐閣, 1922年合冊版)376頁。 (10) 富井政章『民法原論第二巻物権』(有斐閣, 1923年合冊版)83頁。
行為ではなく事実行為であると考えていたということである。所有権放棄 の法的構成については, それを法律行為とするのか事実行為とするのか見 解の分かれるところではあるが, (11) いずれにせよ所有権は放棄しうることは 民法起草者の一人も当然の前提としていたことがわかった。 ②土地所有権の放棄が可能か 次に, 所有権の放棄が認められるとして, 所有権の客体が土地の場合に も放棄が認められるかを検討しなければならない。なお, 客体が動産の場 合には, 客体である動産を滅失させることで所有権も消滅することになる ため, 客体が動産の場合に所有権放棄が可能かということを検討する必要 はあまりないと思われる。もちろん, 滅失が不可能あるいは容易には滅失 できない客体の場合に, 所有権のみの放棄が認められるかという問題は生 じうるし, 滅失させることもせずに他人の支配領域(具体的には土地など) へ物を遺棄することで所有権を放棄したと主張することも考えられ, この ような動産の所有権放棄の主張を認めるべきかという問題も生じうる。し かし, この点について議論する実益はあまりないと思われるた (12) め, ここで は立ち入らない。また, 客体が不動産の場合でも, 建物所有権に関しては 建物収去が可能であり, 動産と同じ扱いをして良いと思われるので, 客体 論 説 (11) この点についての学説の対立については, 田處2016年215頁以下が詳 細に分析している。 (12) 動産の場合, 所有権放棄によりその動産が無主物となり, 239条 1 項 に基づき誰かが無主物先占をすれば, その者の所有物となる。誰も無主物 先占を行わず, 他人の支配領域を妨害しているとすれば, 妨害された側の 所有権に基づく妨害排除請求権を誰に行使するかという問題にはなる。し かし, この種の物権的請求権の相手方の問題は, 詰まるところ費用負担を 誰にさせるかという問題に帰着するので, 所有者の所有権放棄を認めるべ きかという問題とはならないと考える。この点については, 田處2017年② 120頁も, 具体例で検討されている。
が不動産の場合でも建物については割愛させていただく。 (13) それでは, 土地所有権は放棄しうるのか。ある程度の出費さえすれば客 体を滅失させて所有権を消滅させることが可能な動産や建物と異なり, 土 地については物理的に滅失させることはまず考えられない。したがって, 純粋に土地所有権という権利の放棄の可否が問題となる。まず挙げるべき は民法上唯一土地所有権の放棄が規定されている287条である。287条は, 地役権が設定された承役地の所有者が, いつでも, 地役権に必要な土地の 部分の所有権を放棄して地役権者に移転し, これにより286条の義務を免 れることができる旨を定めている。この条文を見る限り, 立法者も土地所 有権の放棄が可能であることを前提としていたと見ることができるし, そ の趣旨も, 義務を免れるための所有権放棄ということができる。ただし, 287条の放棄は, 本稿で問題とする放棄とは性質が少し異なる。本稿が検 討対象とする土地所有権放棄の可否は, 土地所有者がその所有権を放棄す ることで, 所有者のいない土地つまり無主物となり, 239条 2 項により所 有者のない不動産は国庫に帰属すると解釈することの可否, またその当否 である。しかし, 287条に基づく放棄は, 放棄しても無主物とならず地役 権者に移転するとされている。このような放棄について,『注釈民法』お よび『新版注釈民法』の双方において287条を執筆された中尾英俊博士は, 「承役地を地役権者の処分に委ねるためにその所有権を放棄する, という 意味であって単なる放棄ではない(単なる放棄ならば地役権者が当然その 所有権を取得するいわれがなく, その結果無主の不動産となり国庫に帰属 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (13) なお, 田處2017年①では, 実際に無主の不動産となって国庫に帰属し た実例を調査されている。非常に興味深い研究であり, そこでは国有地上 に存在する私人の建物が放棄され, 国庫に帰属させている実例が挙げられ ている。しかし, これも建物所有者が建物収去費用を捻出できないことか ら生じているものであり, これも結局は費用の問題として処理しうる。
することとなる〔239Ⅱ ) (14) 」としており, 本稿が問題とする土地所有権の 「単なる」放棄とは異なるとされる。また, その放棄の方法も地役権者の 承諾を必要としない地役権者に対する一方的意思表示によって行われると される。 (15) この点でも, 単なる放棄とは異なるとされている。なお, この 287条の「放棄」は, もともとは「委棄」であったが, 2004年改正による 現代語化によって「放棄」となっていることにも注意が必要である。とは いえ,「放棄」と「委棄」をどこまで明確に区別していたかは疑問のある ところであり, 民法起草者である梅博士や富井博士も287条の説明におい ては「抛棄」という言葉で説明している。 (16) したがって, あえて委棄と放棄 の言葉に拘泥する必要はないと思われる。以上から, 民法上は土地所有権 の放棄についての規定があるともいえるが, しかし, その放棄の方法およ び効果は地役権制度に特有のものであり, 本稿で問題とする土地所有権の 放棄とは性質が異なるものであったといえる。 (17) 結局のところ, 土地所有権の放棄が可能かどうかについては明文の規定 はなく, この点についての議論もこれまでほとんどされておらず, 可能か どうかの結論ははっきりしないとの評価のとおりである。 (18) もし可能とする 論 説 (14) 川島武宜・川井健編『新版注釈民法 (7) 物権 (2)』(有斐閣, 2007 年)960頁(287条の注釈, 中尾英俊執筆)。 (15) 前注(14) 960頁。 (16) 梅前掲注(7)254頁および富井前掲注(10)275頁を参照。また, 2004年 改正以前の287条についての川島武宜編『注釈民法 (7) 物権 (2)』(有斐 閣, 1968年ここでは2013年復刊版を参照した)495頁でも, 中尾博士は 「委棄」の説明としては前掲注(14)と全く同じ説明をしている。 (17) 田處教授も287条の放棄をいわゆる相対的放棄として, 物を無主とす る絶対的放棄とは区別されると指摘されている(田處2017年②116頁)。な お, 所有権の絶対的放棄と相対的放棄については山野目章夫「SWAT 畑 中悦子の事件簿 第16話所有者が不在の土地?」NBL 1091 号(2017年)62 頁を参照。
と, 土地所有者による所有権の放棄によって, その土地は所有者がいない 無主物となることになり, 無主物に関しては239条 2 項が国庫に帰属する ことを規定しているために, 国が所有者となることになる。先に引用した 中尾博士もそのように考えていたようであるし, 実際に, 判例や登記実務 においてはそのように考えられていた。よって, 次に判例および登記実務 について土地所有権放棄の扱いを概略する。 (2)土地所有権放棄に関する判例・実務 ①平成28年判決以前の判例・実務 土地所有権の放棄が正面から争点となった判例は, 1.でも挙げた松江 地裁平成28年 5 月23日判決(訟務月報62巻10号1671頁)およびその控訴 審である広島高裁松江支部平成28年12月21日判決(判例集未登載 LEX/ DB:文献番号25545271)である。それ以前については, 田處教授の研究 にあるように不動産について所有権放棄が可能かどうかについて触れてい る裁判例は「見当たらない」とされている。 (19) 関連する裁判例として大津地 裁昭和53年 1 月23日判決(訟務月報24巻 3 号425頁)およびその控訴審で ある大阪高裁昭和58年 1 月28日判決(判タ506号101頁)がある。 (20) これも 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (18) この点については田處2013年176頁以下が詳細に分析している。 (19) 田處2017年②118頁および田處2013年172頁参照。 (20) このほかに田處教授は東京高裁昭和51年 4 月28日判決(判時820号67 頁)にも言及されている。これは妨害排除請求権の相手方の論点に関する ものであるので本稿では触れない。また, 松江地裁平成28年 5 月23日判決 の解説(訟務月報六二巻10号1675頁)では, 横浜地裁昭和53年 7 月26日判 決(訟務月報24巻10号1924頁)も関連判例としてあげている。これは, 自 作農創設特別措置法により農地の売渡しを受けた者が, 耕作放棄届を農業 委員会に提出し, 売渡しを受けた農地につき権利を行使せず, 後にその農 地の売渡しを受けた者が耕作するのを黙認していたという事案(どうやら 国が二重に売渡しをした)について, 第一売渡しにより取得した所有権・
田處教授がすでに紹介されているが, ある土地について所有権が放棄され たので民法239条 2 項により国が所有者であるとして, 国のほうから所有 権確認および所有権に基づく抹消登記手続及び土地の明渡しを求めた事案 である。第一審の大津地裁は所有権放棄を認定し国の請求を認めたが, 大 阪高裁は「所有権の放棄は相手方のない単独行為であるから, 少なくとも その意思が一般に外部から認識できる程度になされることが必要であつて, そのためには不動産についてはその旨の登記のなされることが望ましいこ とはいうまでもないところであるが, いずれにせよ右放棄は放棄者の積極 的意思に基づくことが必要である」 (21) という一般論を提示したうえで, 本件 においては「そのまま放置しているものにすぎず, みずから積極的にその 所有権を放棄したものとは明示・黙示を問わず到底認め難い」 (22) として所有 権放棄を認めなかった。この 2 つの判例では, 土地所有権の放棄が可能 であり, 放棄した場合は無主物となり, 結果239条 2 項に基づき国庫に帰 属することを国のほうが認めている。そして, 裁判所としても, 土地所有 権の放棄が可能であることを前提として, 土地所有権の放棄は相手方のな い単独行為であり, かつ, 登記することが望ましいとするのみで放棄の要 件とは考えていないことがわかる。 民法のレベルでは, 土地所有権の放棄が相手方のない単独行為であり, 意思表示のみですることができるということが前提となっていることはわ かった。しかし, 土地所有権の放棄は, 不動産に関する物権の得喪および 論 説 所有権移転登記請求権の黙示の放棄があったと認めたものである。放棄が 認められるかが争点ではなく二重に売り渡された農地について第一売渡し を受けた者が全く耕作をせずに放置しており, 第二売渡しを受けた者が耕 作していることも認識して放置している点を所有権の放棄と認定したもの である。 (21) 判タ506号105頁。 (22) 判タ506号106頁。
変更のうちとくに喪に該当するのであるから, 登記をしなければ第三者に 対抗し得ないことになる。よって, 土地所有権を放棄した結果としてその ことを公示しうる登記が可能かどうかが問題となる。 登記先例として常に挙げられるのが昭和41年 8 月27日付民事甲第1953 号民事局長回答であり, (23) 神社が所有する崖地が崩落の危険性を有しており, 神社にはその危険を予防する費用につき負担する能力がないために土地所 有権の放棄とそれに伴う登記手続について照会をしたというものであるが, 法務省はこの場合の所有権の放棄を認めなかった。また, 亡父より相続し た土地について, 固定資産税が課されるので所有権放棄をしたい, そして, その旨の登記は所有権放棄者の単独申請でできないかという照会に対して, これを否定した回答も出されている。 (24) 民法上, 所有権を放棄した土地が無主物となり, その結果239条 2 項に より国庫に帰属するということであるが, これを登記実務において実行し ようとすると, 所有者は何らかの方法をもって土地所有権を放棄する意思 表示をし, その旨を国に通知することで, 土地所有権放棄をした者から国 への所有権移転の登記を内容とする国による嘱託登記を促すことになるで あろうとされる。 (25) そして, 国が所有権放棄のなされた土地の嘱託登記を積 極的に行うことは考えにくいため, 登記名義人を原告, 国を被告とした放 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (23) 民事月報二一巻11号(1966年)155頁。田處2013年や吉田2017年, 小 柳2016年などが挙げている。 (24) 「昭和57年 5 月11日付け法務省民事局第三課長回答」登記研究418号 (1982年)92頁。 (25) 小森谷祥平「不動産登記実務からの土地の所有権放棄論」登記情報 644号(2015年)72頁以下。とくに74頁参照。このほか, 小倉馨「土地所 有権の法規に関する一考察」民事法務354号(2013年)51頁以下も土地所 有権放棄と登記実務について考察されている。現状では, 制度上土地所有 権放棄を登記する制度に不備があるといえる。
棄を原因とする所有権移転登記手続をせよとする登記引取請求裁判を提訴 し, 勝訴判決を得る必要があるとされるのである。 (26) この通りの裁判となっ たのが松江地裁平成28年 5 月23日判決である。 ②松江地裁平成28年 5 月23日判決および広島高裁松江支部平成28年12月 21日判決 (a)松江地裁平成28年 5 月23日判決 (訟務月報62巻10号1671頁) 【事実の概要】 本件土地は 2 筆の土地であり, 土地1は 2 万3084平方メートルの山林, 土地2は330平方メートルの山林であり, いずれも島根県の県道及びJR 山陰線に近接する土地である。本件土地は, 昭和10年 3 月22日原告の曾 祖母Aの所有であったが, 原告Xの父親Bが相続によってその所有権を取 得し, 平成26年 9 月18日に本件土地につき相続登記を行った。 Xは, Bの相続登記によって本件土地を将来的に相続する可能性が高く なったと考え, よくわからない土地を将来的に延々と保有し続けることに なることについて釈然としないものを感じることになったことから, 父親 Bに対して,「このままおいておくと, 本件土地は将来的に自分が相続す ることになるが, 今のうちに自分の責任で処分したいので, 本件土地を贈 与してもらいたい」旨を申し出たところ, Bはこれを承諾し, 平成26年10 月 1 日, Xに対して本件土地を贈与した。 Xは, 平成26年10月17日上記の贈与を原因とする所有権移転登記をし, これによりXが本件各土地の所有権登記を取得した。そして, Xは, 同年 10月23日, 本件訴訟を提起し, その訴状により, 本件各土地の所有権を 放棄する旨の意思表示をした。なお, 本件土地は, いずれも, 未だ隣地と 論 説 (26) 前掲注(25)小森谷74頁参照。
の境界が画定しておらず, また, これまでXおよびBは, 本件土地につい て固定資産税(土地 1 の固定資産税評価額が47万3083円, 年税額が7569 円で, 土地2の固定資産税評価額は6763円, 年税額が108円)の支払いを 除き, 何ら管理を行ったことがなく, 地上に樹木が生い茂った状態である。 これに対してY(国)は, Xによる本件所有権放棄は, 権利濫用または 公序良俗違反に当たり無効であるから, 本件土地の所有権はYに移転して いないと反論し, 理由として次の2点を挙げている。第一に, Xは, 将来, 本件土地を相続することにより, 管理責任や管理費用を負担する可能性が あることを十分に認識した上で, 専らこの負担をYに押し付け, 自らの負 担を回避することのみを目的としている。本件土地の価値は48万円程度 しかないのに比して, 本件土地が国庫帰属となった場合のYの負担は, 境 界画定等のための費用(約537万円), 巡回警備費用( 1 回あたり8500円 ×年 4 回)・単管柵設置費用(約190万円), 草刈り枝打ち費用( 1 回あた り13万円×年 2 ∼ 3 回)である。第二に, Xによる本件所有権放棄によっ て本件土地が国庫に帰属することとなる場合, Yはきわめて小さい利益を 得るにとどまるのに対し, 多額の経費を負担しなければならなくなるので あるから, 本件所有権放棄は, 一方的に被告に不利益を負わせ, 結果とし て国民全体にその不利益を負担させるものであって, 社会的相当性を欠く。 【第一審判旨】 「原告は,原告の父親の所有であった本件各土地について,将来的に相続 することにより自身がこれを保有し続けなければならない事態を避けたい との考えの下,自ら所有権放棄の意思表示をし,本件各土地の所有権を喪 失することを目的として,あえて原告の父親から贈与を受けて所有権を取 得した上,本件訴訟をもって本件所有権放棄を行ったものと認められるが, 常識的に考えて,かかる経緯に照らせば,その際,原告は,具体的にでは 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任
ないにしても,本件各土地を所有することにより将来的に背負うことにな る負担ないし責任を回避する意図を有していたものであり,他方で,民法 239条2項により本件各土地を所有することとなる被告にかかる負担ない し責任が移転するものと認識していたものと認めるのが相当であり,かか る事実認定は,原告がこれまで本件各土地につき管理行為が行われていな かったと認識していたとしても,異なるものではない。」 ……中略…… 「そして,以上によれば,原告による本件所有権放棄は, ①原告が,本件 各土地を将来的に相続することにより,自身がこれを保有し続けなければ ならなくなる事態を避けたいとの考えの下,自ら所有権放棄の意思表示を し,本件各土地の所有権を喪失することを目的としてなされたものである こと, ②かかる目的を実現するために,原告は,あえて当時の所有者であっ た原告の父親から贈与を受け,本件各土地の所有権を取得した上で,直ち に本件所有権放棄をするに至ったものであること, ③原告は,本件所有権 放棄をすれば,本件各土地に関する負担ないし責任が原告から被告に移転 することになると認識していたこと, ④実際に,原告による本件所有権放 棄によって,原告の所有権喪失が認められた場合には,民法239条 2 項に より必然的にその所有権が帰属することとなる被告において,財産的価値 の乏しい本件各土地について,その管理に係る多額の経済的負担を余儀な くされることとなるものであることを併せ考慮すれば, 本件各土地の負担 ないし責任を被告に押し付けようとするものに他ならず,不動産の所有者 に認められる権利の本来の目的を逸脱し,社会の倫理観念に反する不当な 結果をもたらすものであると評価せざるを得ないのであって,権利濫用に 当たり許されないものというべきである。」 論 説
(b)広島高裁松江支部平成28年12月21日判決 (LEX/DB 25545271) 控訴審である広島高裁松江支部平成28年12月21日判決では, 本件所有 権放棄にあたってXは放棄により土地に関する負担ないし責任がYに移転 することを認識していたか(争点①), および, 国有地についての管理 (測量, 巡回警備, 単管柵設置, 草刈り枝打ち)を実施するかどうかはY の裁量の範囲内であり, 国有地すべてが以上の管理がなされているわけで はないのであるから, 本件土地も放棄によりYが必ず上記管理をしなけれ ばならないわけではない(争点②)点が争われたが, 争点①について, X は簡裁訴訟代理関係業務を行う資格を有する司法書士であるから認識して いたと認定し, 争点②についても国有財産法 9 条の 5 により「良好な状 態での維持及び保存」のためには必要となると認定した。 結論として, 不動産について所有権放棄が一般論として認められるにし ても, Xによる本件所有権放棄は権利濫用等に当たり無効であり, Yは本 件土地の所有権を取得していないから, Xの請求はいずれも理由がなく, これらを棄却した原判決は相当であって, 本件控訴は理由がないからこれ を棄却するとした。 (c)小括 まず, 第一審では明示されていなかった不動産についての所有権放棄の 可否について, 控訴審判決では一般論としては認められると明示している 点が注目されよう。もちろん, 第一審も「原告による本件所有権放棄によっ て, 原告の所有権喪失が認められた場合には, 民法239条 2 項により必然 的にその所有権が帰属することとなる被告」と述べており, 以前から想定 されていた法的構成を採用している。したがって, 土地所有権の放棄によ りその土地が無主物になり, 239条 2 項を根拠にその無主の土地が国庫に 帰属するという構成の下で, 一般論として土地所有権の放棄が可能である 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任
ことは認めている。しかし, 結論としては, 両判決ともXの所有権放棄が 権利濫用(控訴審では権利濫用等)に該当するために認められないとした。 つまり, 原則としては土地所有権の放棄は認められるが, 例外として権利 濫用等によりその放棄が制限されるという構成をとっている。この例外と しての放棄の制限の範囲をどの程度認めるかは, 結局のところ土地所有権 放棄の当否の問題につながる。したがって, 次に土地所有権放棄の当否に ついて検討しよう。 3.土地所有権放棄の当否について (1)問題の所在 土地所有権の放棄が可能かどうかの問題については, 原則可能とするこ とにおそらく異論はないと思われる。民法上も, 権利一般の放棄は当然と されており, 所有権一般の放棄もまたこれを否定する理由は見当たらない。 土地所有権の放棄も, 民法上は287条が, 新しく所有者になる者が定まっ ているいわゆる相対的放棄としての土地所有権の放棄を認めているし, 相 続放棄などにより相続人不存在となった場合に国庫に帰属する(959条) こととの関係からしても, 土地所有権の放棄のみを原則不可能とすること は, 少なくとも民法のレベルでは無理があると思われる。もちろん, 放棄 の法的性質については, 土地所有者が行う相手方のない単独行為(意思表 示)として良いのか, 上でみた平成28年の二つの判決は権利濫用とした がそもそも土地所有権の放棄は土地所有権の権利行使なのか, といった点 で議論を深める必要はある。 (27) それでも, 民法上の解釈として土地所有権の 論 説 (27) 土地所有権の放棄は, 土地所有権の権利行使かは検討すべき点ではあ る。つまり, 206条の「処分」に放棄も含めるかどうかである。含むとす ると, 土地所有権の放棄は土地所有者に認められた権利となる。しかし, 動産の場合の無主物先占を考えると, 所有の意思をもって先占するという
放棄だけが不可能であるとすることはやはり無理であろう。民法上は, 原 則的に放棄は可能であるといわざるを得ない。 したがって, 次の問題は, 民法上は放棄可能を原則としても, 土地所有 権の放棄を積極的に認めてよいのかという点を検討する必要がある。では, 土地所有権の放棄は原則可能であるとして, 積極的に放棄を認めることで どのような問題が生じるであろうか。まず, 挙げられるのが平成28年の 二つの判決が問題視した, ほとんど価値のない物を国に押し付ける事の当 否の問題である。土地所有権放棄が可能としても, 土地自体に価値があり 他に需要があれば売却や無償で譲渡することができるので, 放棄する必要 はない。土地所有者が放棄したいと考える土地というものは, 冒頭でも述 べたようにいわゆる「負財化」した土地であることがほとんどであろう。 そうすると, 土地所有権の放棄を積極的に認めるということは, 価値のな い負担のみが残っている土地を国に押し付けるということになる。これを 認めてよいのかという問題は十分に議論すべきものである。また, 地価が 上昇していた時代には土地所有者は恩恵を受けていたのに下落して価値が なくなればポイすることを認めてよいのかという議論もある。負担を押し 付けられた国が管理しなければならないとすると, それは税金により行わ れるのであり, したがって, 一人の土地所有者の負担の放棄が国民に押し 付けられることにつながるという点についての問題も考えなければならな い。 これらに対して, 国土の維持管理という観点からすれば, 土地所有者の 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 事実行為を行うことで所有権を取得するのであるから, このこととパラレ ルに考えると土地所有権という権利とは切り離された私人の意思表示であ るということもできる。この構成をとると権利濫用により制限されるとい う構成が矛盾したものになる。ただし, 私人の意思表示としたところで, 誰もが行えるものではなく土地所有者でしかその意思表示をおこない得な いのであるから, 土地所有者に認められた権能ということで良いと考える。
放棄を認めなければ, 結局, その土地は放置され適切な維持管理は望めな いのだから, 国が積極的に引き受けて国土の健全な維持管理を行うべきで ある, あるいは, べきであるとまではいわなくともその方がベターである という考えも成り立つ。また, 税金による国民負担の問題も, それは土地 所有権放棄の当否の問題とは切り離して, 国民の負担の分配の問題として 考えることは十分に可能である。放棄に際して何らかの金銭を支払わせる などすればよい問題でもある。 以上のように考えると, どちらの立場も十分にありうる。平成28年の 二つの判決が出されて1年以上が経ち, これまでの土地所有権放棄の議論 がさらに深まっているが, それらの議論においても土地所有権放棄の当否 については見解が分かれている。そこで, 以下では土地所有権放棄原則自 由とすることについての議論状況を整理しよう。 (2)土地所有権放棄の当否についての議論 ①土地所有権放棄を原則自由とすることに対する否定的立場 まず, 土地所有権放棄を積極的に認めるべきではないという立場に位置 づけられるものをみていこう。松江地裁判決と広島高裁松江支部判決はこ の立場といえるだろう。なぜなら両判決の判断基準に基づけば, おそらく ほとんどすべての土地所有権放棄が権利濫用となる可能性があるからであ る。広島高裁松江支部判決は, 第一審である松江地裁判決を基本的に維持 しているので, 松江地裁判決を検討しよう。 松江地裁判決では, 権利濫用に該当する根拠として 4 つのことを認定 している。まず, ①Xが将来的に相続することにより本件土地を保有し続 けなければならなくなる事態を避けたいと考えたことが所有権放棄の目的 である, そして, ②その目的を実現するために, あえて父親Bから贈与を 受けた上で, 直ちに所有権放棄を行ったこと, ③所有権放棄の結果, 本件 論 説
土地に関する負担, 責任がXからYに移転することになることを認識して いた, ④実際に, 所有権放棄が認められれば239条 2 項により国が所有者 になり, 国に対して管理に係る多額の経済的負担を余儀なくされることで ある。この松江地裁判決は, 吉田克己教授も指摘しているとおり, (28) 権利濫 用法理の適用にあたって, 主観的事情と客観的事情をあわせて総合的衡量 を行っているといえ, かつ, 権利濫用法理適用の通常の判断基準に基づい ているといえる。 (29) しかし, 土地所有権の放棄をしたいと考える状況におい ては, 保有し続けなければならなくなる事態を避けたいと考えるから放棄 をするのであり, 放棄をすれば無主物となり239条 2 項により国の所有と なることも当然認識している(でなければ, 国に対して登記引取請求をし ない)し, そもそも, 放棄したいと考えるのは他に譲渡する可能性がなく 負担のみが存続する土地であるからであり, 放棄が認められれば国に対し て多額の経済的負担を余儀なくされることになる(果たしてどの程度が多 額かは問題となるが)ことも当然である。したがって, 松江地裁が権利濫 用に該当する要因としてあげた4つのうち3つは, 土地所有権を放棄する 際には必ず該当する要因といえる。唯一, この事件に特殊な要因として, あえて父親から贈与を受け, その直後に所有権放棄をしている点である。 (30) しかし, この点のみを捉えて(他の 3 点は土地所有権放棄をすれば自動 的に充足するため)権利濫用となるとされれば, 法的知識をある程度備え 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (28) 吉田2017年109頁。 (29) たとえば, 佐久間毅『民法の基礎1総則第 4 版』(有斐閣, 2018年) 449頁, 四宮和夫・能見善久『民法総則第9版』(弘文堂, 2018年)30頁な ど。 (30) 田處教授は, あえて譲り受けるなどそんな余計なことしなければと述 べているが, 確かにその通りである(田處2017年②129頁)。ただし, Xは 司法書士であり登記実務に携わる人間として, 時間的に余裕のあるときに やってみるということも十分に理解できる。
ており将来の憂いに備えて迅速に対応した者のほうが非難されるというこ とになりはしないだろうか。この判例の立場についての私見は後に述べる ので, 判例の立場についての評価はおくとして, 判例の立場からすればほ とんどの土地所有権の放棄が権利濫用に該当することになるであろう。し たがって, この立場をとるということは, 土地所有権放棄について否定的 に捉える立場であるということがいえる。 続いて, 土地所有権放棄について否定的に捉える立場であるのが吉田克 己教授である。吉田教授は,「土地所有権については, 通常は国の利益を 害するが故に, 原則的には放棄が認められないということになろう」 (31) とし て, そもそも, 所有権放棄の原則的自由は認めても, 土地所有権放棄につ いては原則的に否定するという見解である。もう少し詳しくみてみよう。 まず, 吉田教授は所有権放棄の原則的自由は認めるが, 例えば民法398条 に表現されているように, 第三者の利益を害さない限りで認められるにす ぎないとする。そして, 所有権放棄の場合には, 他の権利の放棄とは異な り, 権利が消えてもその客体である有体物が残り, その有体物の存在の故 に, 所有権放棄は, 他の権利の放棄とは異なる形で, 他者の利益に影響を 与えるために, 結果として, 所有権放棄については, 放棄の自由が否定さ れるという例外的事態が多く生じることになるとされる。 (32) とくに, 不動産 の場合には, その所有権を放棄することによって, その不動産は国庫に帰 属することになり, 必然的に国の利害に影響を与えることになるために, 原則的には放棄が認められないとされる。そして, この結論を否定しよう とする場合には, 私人とは異なり, 国には, その利益が害される場合であっ ても, 私人の所有権放棄とそれによる負担の転嫁を引き受けなければなら ない責任があるという立場を採用する必要があるが, 国庫が税によって維 論 説 (31) 吉田2017年108頁。 (32) 吉田2017年106頁参照。
持されていることからすれば, 国庫の不利益はとりもなおさず国民の不利 益ということになり, 一私人の負担の転嫁を国庫が甘受しなければならな いという議論を正当化するのは難しいであろうと指摘されている。 (33) 以上の見解から, 土地所有権放棄の主張を排斥する根拠となる法理とし ては, 松江地裁判決と広島高裁松江支部判決が採用した権利濫用法理では なく, 公序良俗のほうが適切であるとされる。しかし, 吉田教授は, 土地 所有権放棄を一切認めないという立場ではない。私人にとって価値がない 負財であるからといって, 常にその放棄を否定する必要はなく, 国が同意 すれば土地所有権放棄の効力が生じ, 当該土地は無主のものとなり, その 結果, 国が当該土地の所有権を取得するということは認めるべきとされ る。 (34) そして, 国が同意する場合として, 国が当該土地に価値を見いだす場 合だけでなく, 国土政策の観点から, 当該土地を国有地とするほうが望ま しいと判断する場合もあることを指摘される。土地所有者が事実上管理放 棄していることが国土保全の観点から問題がある場合には, 国の責務とし て, そのように判断すべき場合もあるとも指摘している。 最後に, 吉田教授は土地所有権放棄の法的構成について, 以下のような 試論を提起される。それは, 土地所有権の放棄は, 国の利害に大きな影響 を与えるが故に, 国の同意がないかぎり, 原則的に公序良俗違反で無効で あるが, 国が同意を与える場合には, 土地所有権放棄の公序良俗違反性が 解消し, 当該放棄は有効と評価されるというものである。 以上が, 吉田教授の見解であるが, 強調すべきは, 土地所有権放棄の自 由を認めて国への当然の所有権移転を認めるのではなく, 国に政策判断の 余地を残しておくことを重要視している点である。土地所有権を放棄しよ 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (33) 吉田2017年108頁脚注41参照。 (34) この点に関して吉田教授は,「絶対的負財」と「相対的負財」という 概念を用いて説明される。
うとする私人との関係で, それを受け入れるとしてもその際の条件を交渉 しうるということにして, 例えば私人にそれなりの負担を負わせた上で, 国有地として受け入れるといったことが重要とされている。 (35) このように, 土地所有権放棄は完全に自由であるとするのではなく, 放棄する私人と国 とで交渉する余地を残すべきとする考え方は, 山野目章夫教授も主張され ている。 (36) 山野目教授は, 座談会での発言や講演といった場所ではあるが, 239条 2項について「(不動産が無主物になると)国庫に帰属させるという方法, あるいは少なくともそれを唯一の方法と定めるこの規定自体を見直すべき 時期に来ているのかもしれない」 (37) と述べていたり, また, 土地所有権が放 棄することができるかという切り口で議論を進めるだけでなく, 市町村も 事情を聞いて, 土地所有者の意向なども何度が相談を重ねた上で, その土 地は市町村が寄付を承りましょうという相談がまとまったならば, 従来の 登記先例のとおり共同申請によって土地の現在の所有権の登記名義人から 国や市町村への所有権の移転の登記をすることのように, 放棄ではなくて 寄付を原因とする制度を整備するほうがよいのではないかと提案されてい る。 (38) 以上が, 土地所有権放棄の自由について否定的に捉える立場であった。 論 説 (35) 吉田2017年110頁参照。 (36) 吉田教授も, 山野目教授の見解を自己の見解と同じ発想のように思わ れるとされている。吉田2017年108頁脚注42参照。 (37) 山野目章夫ほか「座談会・所有者の所在の把握が難しい土地の取扱に 関する実務対応(下)」NBL 1075 号(2016年)59頁(山野目教授の発言部 分)。 (38) 山野目章夫「表示関する登記の課題と展望」登記研究821号(2016年) 59頁参照。また, 山野目前掲注(17)NBL 1091 号63頁も同旨のことを述べ られている。
この立場の特徴としては, 土地所有権放棄の原則的自由を認めることで, 土地所有者の相手方のいない単独行為としての放棄をすべて許すことに対 する問題意識であり, より柔軟な解決方法によって土地所有権放棄の問題 に対処すべきとする点であろう。 ②土地所有権放棄の原則的自由に対して肯定的立場 この立場としてまず挙げなければならないのは田處教授である。田處教 授は, 土地所有権放棄に関して, ドイツ法との比較を踏まえた優れた業績 を数多く残されているが, 田處教授の立場は, 一貫して原則自由に対して 肯定的であり, 例外的に放棄が無効となることを認めているが, その例外 もその範囲は限定的に解すべきとされている。まずは, 田處教授の見解を みてみよう。まず, 239条 2 項が動産と異なり不動産には無主物先占を認 めていないことの一つの説明として, 不動産は国家の基礎なので, 無主の 不動産はなるべく国有として, 国から適当な人にこれを付与して開墾その 他の事業に従事させることがよいと言われることを指摘される。そして, このことから, 国は国土を保全し土地の有効利用を図るべき責任があるこ と, および, 所有権放棄を認めなければ, 所有者たる私人がその土地を管 理し有効に活用することにはならない点を挙げて, 所有者にとって不要と なった土地は国に集約し, 国のもとで有効利用の途を探るほうがまだまし であるとされる。 (39) そして, 田處教授は,「土地所有権放棄は, 基本的に自 由に認めてよい, と思う。したがって, 現状, それが登記の問題で, 事実 上, 自由には所有権放棄できない, という状況は, 正しくないように感じ られる。そして, 実体法上, 土地について所有権放棄は基本的に自由であ るべきであるとするのであれば, そうした実体法上の態度を不動産登記法 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (39) 田處2017年②125頁∼126頁参照
上の手続においてもしかと受け止めて, 必要な制度的手当が施されるべき ではないか。」 (40) と述べられている。 さらに, 不動産について所有権放棄を認めることに対して否定的に捉え る理由は, 所有者が, 所有者であることに伴って存在する義務なり負担な りから逃れて, それらが国に転嫁される点にあるとされ, この点について は, 所有者でなくなれば固定資産税を負担すべきいわれはないが, それは 当然のことであって, 地方自治体の税収確保のために所有者であり続けよ, と求めることのほうが不当ではないかといわれる。 以上の田處教授の見解に賛意を示しているのが堀田親臣教授である。堀 田教授も, 松江地裁判決および広島高裁松江支部判決を分析されたうえで, 「当該事案において, 所有者による土地所有権の放棄が権利濫用等によっ て制限される(許されない)とすることは, 法的紛争の結論の点で妥当な ものであろうと考えられるが, それが現実的な問題との関係で何を意味す るのかということも十分に考えておく必要があ」 (41) るとされる。つまり, 当 該事案において土地所有者の所有権放棄を許さないとしたとしても, 現実 的には, その所有者が, 当該土地を適切に維持・管理するとは考えられな いが, それでも良いのかという問題意識を提起されている。また, 堀田教 授は, この土地所有権放棄の問題について, 結局のところ, わが国におい て土地を所有することの意味, それは土地から利益を享受することだけで なく負担・責任という側面も含めて土地を所有することの意味を検討する 必要があると指摘されている。 (42) 論 説 (40) 田處2017年②126頁∼127頁。 (41) 堀田前掲注(6)220頁。 (42) 堀田前掲注(6)219頁参照。
③小括 以上, 土地所有権放棄の当否についての議論を概観した。この議論にお いて, 問題とされているのは, ①私人の有する財が無価値のみならずマイ ナスの価値, つまり負担(吉田教授のいう「負財」)となった場合に, そ れを放棄することの当否の問題, そして, ②その私人の放棄が国に転嫁さ れる, つまり国民に転嫁される事の当否の問題, ③放棄を認めるあるいは 認めないとしても, その私人の財は国土でもあるので, 有効な国土利用と いった視点からどのように解決すべきか, などの点であろう。①の問題に 関しては, 純粋に私人の私法上の問題として解決可能であるが, ②および ③の問題は, 民法上土地所有権の放棄が可能かという問題とは性質の異な る公共性を帯びた問題であり, 民法の解釈論からは切り離して検討すべき 問題のように考えられる。この問題は, 堀田教授が指摘するように, 結局 のところ, わが国において土地所有権をどのようなものとして把握すべき かという問題に帰結する。よって, 最後に, 土地所有権放棄の可否および 当否についての私見を述べるとともに, わが国における土地所有権のあり 方について検討したい。 4.土地所有権放棄の場面における土地所有者の自由と責任 (1)土地所有権放棄の当否についての私見 まず, 土地所有権放棄を原則自由とすることに対する当否についてであ るが, 民法上の議論であるかぎりは, 土地所有権放棄は原則自由であり, 土地所有権放棄が制限される場面というのは, かなり限定された場面にす べきであると考える。民法上の解釈論であるかぎりは, 土地所有権の放棄 は, 土地所有者の相手方のない単独行為と位置づけるほかはない。そうす ると, それは権利濫用か公序良俗違反に該当しない限りは自由に行いうる ものである。結果として国庫に帰属し国の所有になるが, 民法上はあくま 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任
でも単独行為である放棄により土地が無主物となり, 239条 2 項により国 庫に帰属すると構成するほかないように思われる。最終的には国家が所有 権を引き受けることになるので, 新しく誰か所有者になる者が定まってい る相対的放棄の性質も否定できないが, そもそも, 私人と国家が当事者で ある場面において民法のルールを適用すべきなのであろうか。もちろん国 家あるいは行政が私法上の取引主体となることは否定するつもりはないが, 土地所有権放棄の場面では私人と国家が土地を取引しているわけではない。 つまり, 私法上のルールの適用場面ではないのではないか。結局のところ, この問題は, 私人間での財に関するルールが適用される場面ではなく, 私 人の財産権の客体であると同時に国土の一部であるという特殊な性質を有 する土地というものについて, しかも, その土地が利用価値を失い負担の みを生じさせる, いわゆる負財化している場面において, 誰がどのように 維持管理することが適切かという問題である。より具体的には, その負担, とくに費用負担をどのように分配するかという問題につきると思われる。 この問題と民法上の土地所有権の放棄の可否とは明確に切り離して議論し なければ妥当な解決には向かわないと考える。負財化した土地所有権を放 棄することで国に迷惑がかかるために許されないという議論は, 民法上, 土地所有者はそのような義務を国に対して負っているのか, 負っていると して何を根拠とするのかという点に行き着いてしまう。そして, 土地所有 者が国家に対して迷惑をかけない義務は民法からは導き出せないと考える。 したがって, 民法の解釈論として土地所有権の放棄は原則自由であり, そ の放棄が権利濫用や公序良俗で制限される場面も, 例えば産業廃棄物が土 地上に存在することを認識した上で放棄するなどのよっぽどのことがない かぎり限定されるべきであろう。そうでない場合, 今回取り上げた松江地 裁判決のような事例においては, これを規律する特別法などがない限り, 放棄は認められるべきであると考える。 論 説
そして, 土地所有権放棄の当否の問題は, わが国において土地所有権と いうものをどのように把握するかということの検討が不可欠である。その 検討は民法上の議論だけでなくさまざまな視点からの議論が必要となる。 (2)土地所有者の自由と責任 それでは最後に, わが国における土地所有権のあり方について考えてみ たい。筆者は, これまで主として都市的土地利用秩序における土地所有者 の自由と責任について検討してきた。 (43) そこで問題としていたのは, 欧米と 比して比較的緩いとされる都市的土地利用秩序, 土地利用規制秩序のもと で, 景観紛争のように相隣者が想定していなかった土地利用がなされた場 合に, どのような解決が可能かという点である。このような場面では, そ の地域において同じ利用秩序のもとで一方の土地所有者が他方の土地所有 者に不測の損害を与えるような土地利用が問題となっているのであり, こ ういった場合には土地所有者間での利用調整として, 相手方に不測の損害 を被らせないように土地利用をする信義則上の義務があるとして, その義 務違反には, 損害を被った土地所有者からの妨害排除請求, 妨害予防請求 を認めることで対処すべきと考える。この場面においては私人間の権利調 整の必要性から, 信義則上の義務というものが導き出すべきであり, よっ て, 土地所有者の他者に対する責任という者が問題となる。しかし, 私人 と国家や公共の福祉とが衝突する場面においては, 私人間の権利調整の場 面とは全く異なる性質の問題であるので, 財産権の保障の側面が前面に現 れ, 適切な補償と手続のもとで個人の権利が制限されなければならない。 つまり, そこでは土地所有者の自由がまずは尊重されなければならないで あろう。 土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任 (43) 前掲注(5)で挙げた拙稿を参照。
現在問題となっている土地所有権放棄の当否の問題については, すでに 述べたように結局のところ, 人口減少社会といわれる現状の日本において 顕在化した国土の維持管理をどのようにするかという問題であると考える。 この問題を土地所有権の放棄を否定し負担を一私人に押し付けるだけで解 決すべきでないであろう。取引価値もなく負担だけが生じている土地につ いてそれが国土の一部であるということを前提に, よりよい解決策を探求 していくべきであろう。したがって, 結論としては, 吉田教授や山野目教 授が提案するように, より柔軟な解決方法が創出されるべきであると考え るが, その前提としてはやはりわが国における土地所有権のあり方の議論 が深まることが不可欠である。よって, 今後は, 堀田教授も指摘している ようにわが国において土地を所有することの意味や, 土地所有者としての 自由と責任についてより具体的に検討していかなければならない。この点 を課題として挙げることでむすびに代えさせていただく。 論 説
土 地 所 有 権 放 棄 の 場 面 に お け る 土 地 所 有 者 の 自 由 と 責 任
Die Freiheit und Haftung von
im
Fall von der Aufgabe des Eigentums an
Yousuke HARI
Es wird kaum ob das Eigentum an einem kann aufgegeben werden oder nicht in Japan. Es gibt keine Vorschrift die Aufgabe des Eigentums an einem in Gesetzbuch in Japan in Wirklichkeit. Aber es wurde erkannt, dass es ist notwendig zu forschen, durch Erscheinung des Urteils die Aufgabe des Eigentums an Diese Abhandlung wird 1) ob das Eigentum an kann aufgegeben werden oder nicht, und 2) ob das Eigentum an soll im Prinzip frei aufgegeben werden oder nicht, und 3) die Freiheit und Haftung von von der Aufgabe des Eigentums an untersucht.