A・スミスにおける資本論
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(2) 釧路論集 一北海道教育大学釧路校研究紀要一 第38号(平成18年) KushiroRonshu,−JournalofHokkaidoUniversityofEducationat KushiroTNo.38(2006):153−169.. A・スミスにおける資本論 荒 川 繁. 北海道教育大学釧路校社会科教育講座. Das Kapitalvon A Smith Shigeru ARAKAWA Department of SocialEducation,Kushiro Campus,Hokkaido University of Education. 要 旨. A・スミス的資本把握の背景には、社会的分業のもと各生産者が相互に生産物を商品として交換しあい、 従って価値法則は否定されないという商業社会のスミス的表象がある。だがスミスにとっても、資本主義的 商品経済発展の前提条件としての労働力商品の把握は困難であった。ここにマニュファクチュア時代の経済 学者A・スミスの資本=資財把握の特徴をしることができ、さらに三大収入(労賃、地代、利潤)=三大階 級の根源を伺いしることができよう。. 用される資本的資財の量に比例し、またそれが使用される 特定の方法に比例する。」. Ⅰ. The number of usefuland productivelabourers. 重商主義批判を背景に1776年に刊行された『諸国民の富. の性質および諸原因に関する一研究』AnInquiryinto. isin proportion to the quantity of capitalstock. the Nature and Causes of the Wealth of Nations. Whichis employedin setting them to work,and. の「序論および本書の構想」で、A・スミスは次のように. to the particular wayin whichitis so employed.. 述べた。. Lviii.. 「あらゆる国民の年々の労働は、その国民が年々に消費 そして第一篇「労働の生産諸カにおける改善の諸原因に. するいっさいの生活必需品および便益品を本源的に供給す. る資源であって、その必需品および便益品は、つねにその 労働の直接の生産物か、またはその生産物で他の諸国民か ら購買されたものかのいずれかである。」 The annual. ついて、また、その生産物が人民のさまざまな階級のあい. labour of every nation is the fund which originally. の全生産物、またこれと同一のことになるが、この年々の. Suppliesitwith allthenecessaries andconveniencies. 生産物の金価格は、すでに述べたように、自然にそれ自体 を、土地の地代、労働の賃金、資財の利潤の三部分に分割. だに自然に分配される秩序について」の「本章の結論」で 次のようにのべる。「あらゆる国の土地および労働の年々. Oflife whichit annua11y consumes,and which COnSist always eitherin theimmediate produce of. し、人民の三つの異なる階級、つまり地代で生活する人々、. thatlabour,Orin whatis purchased with that. 賃金で生活する人々、利潤で生活する人々の収入を構成し ている。これらは、あらゆる文明社会の三つの大きな基本 的な構成要素をなす階級なのであって、他のあらゆる階級. produce from other nations.Lvii.1) ある国民の年々の供給が潤沢かまたは乏しいかは、特定 の事情のもとでは、二つの事情に依存せざるをえない。第 一に、その労働が一般に充用される場合の熟練、技巧およ び判断、また第二に、有用な労働に従事するものの数とそ ういう労働に従事しない者の数との割合である。「さらに 有用で生産的な労働者の数は、かれを就業させるために使. の収入は、究極的にはこれらの三つの階級のそれらからひ. きだされるのである。」 Thewhole annualproduce oftheland andlabour Ofevery country,OrWhatcomes to thesamething,. the whole price of that annualproduce,naturally dividesitself,it has already been observed,into. −153−.
(3) 荒川. 繁. three parts;the rent ofland,the wages oflabour, のように捉え、理解していたのであろうか2)。マルクスは. and the profits of stock;and constitutes a revenue. 『資本論』作成過程で、スミスのこの資本把握をいかに理 解し、また批判したのであろうか。. to three different orders of people;tO those who live by rent,tO those wholive by wages,and to. 富塚氏は「アダム・スミスの資本蓄積と富裕の理論」で. thosewholiveby profit.These arethethreegreat, 次のように述べる。. original and constituent orders of every civilized SOCiety,from whose revenue that of every other. 「直接生産過程そのものは、独立生産者たる人間の対自 然との『交換』の過程として……把握されたままであり、. Orderis ultimately derived.p.248.. この過程に資本家および地主が介入することによって『利 潤』および『地代』という分配諸範暗が成立するにすぎな. い。いわば《賃労働者》範晴なき 《賃金》範時の把握、そ れがスミス蓄積論の基礎視角を規定している。そして、こ うした《賃金》範時のとらえ方は、資本概念の無概念性、 すなわち、〈資本》がそれ自体《資本関係)・《資本一賃労 働関係》 という階級関係を内包するものとしてではなく、. このようにA・スミスは労働を富の源泉とし、労働の生. 産力改善と生産的労働者の増加、資本的資財の増大、その. 蓄積とに国富増大の根拠を求めた。他方、マルクスは 1864−65年に執筆された『資本論』第二部「資本の流通過. 程」初稿の「第三章 流通と再生産」第8章「必要労働と 剰余労働(剰余生産物)」で、A・スミスについて次のよ. たんに『資財』として無概念的に把握されていることと対. 応している」。『資本論体系3』189ページ。. うに述べた。. A・スミスは、蓄積(たえず拡大される規模での再生 産)を至上の法則だと宣言することで、資本制的生産の真 の精神を言い表している。だが当時は、資本制的生産様式. て、『資本論』全三部を含む『1863−65年草稿』および 『資本論』第一部初版を踏まえ、それに連続する1869−70. がその独自の生産手段(機械等々)をようやく創造し始め. 年作成の『資本論』第二部「資本の流通過程」第二草稿で. たばかりであり、国家はまだこの生産様式に完全には従属 させられておらず、大工業の経営に必要な資本はその幼年 時代にあり、それゆえそうした資本の増大が必須の条件と. の批判を中心に考察する。. 以下では『1861−63年草稿』でのスミス批判を起点にし. Ⅱ. して現れていたが、当時はまだ商業資本家が産業資本家に. たいして大きく優位にあった時代であった。 彼は節倹を説教し、国家の浪費に反対する。彼は生産的 労働者の最大限の増加を、すべての健全な経済の最終目的 とみなす。つまり彼は、剰余生産物が生産資本に転化され るのに応じて、つまり蓄積に比例して、労働に対する需要. ノート23冊1472枚にわたって執筆された『1861−63年草 稿』は、商品および貨幣を論じた1859年刊行の『経済学批. 判』Das Kapitalim allgemeinen.Erstes Kapitel. Die Waare.Zweites kapitel.Das Geld oder die. einfache Circulation.に接続するものである。それは 「第三章資本一般 I)資本の生産過程」Drittes Capitel.Das Capitalim Allgemeinen.Ⅰ)Der ProductionsproceB des Capitals.という表題をもち、. が増大して労賃が上がり、それゆえ生産的労働者の状態が. 改善されるが、他方、資本家は、労働の生産力のたえざる 上昇によって報われるのだ、と信じており、そしてこれは 当時の発展水準にとっては部分的には正当なのである。 A・スミスは、「大工業への移行期にあるマニュファク チュア時代の経済学者」であり、それゆえ蓄積を中ブル ジョア的な見地から見ていたとすれば、リカードは大工業 の経済学者であり、事態を大ブルジョア的見地から見てい. 剰余価値の生産およびその分配、剰余価値の資本への転化 を解明するとともに、同時に剰余価値学説への批判を含ん でいた3)。「すべての経済学者が共通にもっている欠陥は、. る。. かれらが剰余価値を、純粋に剰余価値そのものとしてでは なく、利潤および地代という特殊な諸形態で考察している ことである」という文章から剰余価値学説批判は始まり、. WennA.SmithderOekonomderManufacturperiode. 最初に「重金主義と重商主義の合理的表現」としてジェー. inihremUebergangzurgrossenIndustrieund daher. ムズ・スチュアートを取り上げ、「譲渡にもとづく利潤」. die Accumulation mehr vom mittelbtirgerlichen. を論じた。ついで重農主義者ケネーについて、「農業労働. Standpunkt ansieht,ist Ricard der Oekonom der. MEGA,Ⅱ4.1,S.375f.. が唯一の生産的労働であり、というのは剰余価値を創造す る唯一の労働だからであり、また地代が彼らの知っている 剰余価値の唯一の形態である」と論じた。 そしてA・スミスの価値論、剰余価値論、さらにリカー. このように資本の蓄積を生産的労働者の増大として捉え. これに続いて「マルサスおよびリカード学派の解体」. grossen Industrie und schaut sich die Dinge vom groL3btirgerlichen Standpunkt an.. ドからはその地代論、利潤論、蓄積論、機械論が展開され、 (R・トレンズ、J・ミル、マカロク、J・S・ミル)、. た「マニュファクチュア時代の経済学者」たるA・スミス. は、この「資本」を、すなわち「資本制的生産関係」をど. ならびに(リカードの理論を基礎とする)「経済学者たち. ー154−.
(4) A・スミスにおける資本論 にたいする反対論」(ホジスキン、ラムジ、シェルビュリ. しい大きさの労働量を含む他の一商品と再び交換される。. エ、R・ジョーンズ)が論じられた。以下ではA・スミス. 従って、事実上、一定量の生きている労働が、等量の対象. の剰余価値論について考察する。. 化された労働と交換されるのである。それゆえ商品が商品 と、対象化されている同じ大きさの労働時間を表す比率で 交換されるだけでなく、ある量の生きている労働が、同一 (1). 量の対象化されている労働を表す商品と交換されるのであ. 『諸国民の富』第一篇「労働の生産諸力における改善の. る。. 諸原因について、また、その生産物が人民のさまざまな階. この前提のもとでは、「労働の価値」(一定量の労働を. 級のあいだに自然に分配される秩序について」第五章「諸. もって買うことのできる商品量、または一定量の商品を. 商品の実質価格および名目価格について、すなわち、それ らの労働価格および貨幣価格について」で、A・スミスは. もって買うことのできる労働量)が、商品に含まれている. 労働量とまったく同じように、商品の価値の尺度として通 用しうるであろう4)。. 次のように述べる。. 「諸商品は、一定量の労働の価値を含んでおり、我々は それらを、そのときに等量の労働の価値を含んでいると想 像されるものと交換するのである。……世界のすべての富 が本源的に購買されるのは、金または銀によってではなく、 労働によってであった。」. 次に、『諸国民の富』第一篇第六章「諸商品の価格の構. 成部分について」で、A・スミスは「生産者たちがただ商 品の販売者および所持者としてのみ向かい合っていると想. 定される関係」から、「諸労働条件の所持者と労働能力だ. Elles(les marchandises)contiennentla valeur けの所持者とのあいだの交換の関係」に移っている。. d’une certaine quantit6 de travail que nous 昌chageons pour ce quiest suppos6alors contenir lavaleur d’une quantit6占gale detravail……Ce n’est. 「資財の蓄積と土地の占有との双方に先行するこの初期. 未開の社会状態では、いろいろな物の獲得に必要な労働量. POint avec del’or ou del’argent,C’est avec duの割合が、これらの物を相互に交換するためになんらかの. travailque toutesles richesses du monde ont6t6. 基準を提供しうる唯一の事情であるかのように思われる。. achet6es orlglnqirement. 「ホップス氏が言うように、富は力である。……. Dans ce premier 6tatinforme dela soci昌t昌,qui. Pr6cとdel’accumulation des capitaux etla propri6t昌. この財. 産の所持が直ちにしかも直接に彼にもたらすカは、購買力 である。すなわち、そのとき市場にあるすべての労働また はすべての労働生産物にたいする一定の支配である。」. des terres,1a seule circonstance quipuisse fournir quelque r占gle pourles6changes,C’est,a Ce qu’il. Semble,1a quantit6 du travailn6cessaire pour. acqu6rirles diff昌rens objets d’昌change. Comme dit M.Hobbes,richesse veut dire ……通例二日分または二時間分の労働の生産物が、通例一 pouvoir:……Legenredepouvoirquecettepossession luitransmetimm6diatement et directement,C’est 日分または一時間分の労働の生産物の二倍に催するという. lepouvoird’acheter;C’estundroitdecommandement ことは、自明である」。 Sur tOutle travaild’autrui,Ou Sur tOutle produit従って、いろいろな商品を生産するために必要な労働時 de ce travailexistant alors au march昌.MEGAⅡ 間が、それらの商品が互いに交換される比率、すなわちそ. れらの商品の交換価値を規定するのである。 「こうした事情のもとでは、労働の全生産物は労働者に. 3.2,S.368.. ここで強調されているのは、分業によって引き起こされ た変化である。事実上ここで言われていることは、ただ私 の労働は社会的労働としてのみ、したがって私の労働の生 産物は等量の社会的労働にたいする支酉己としてのみ、私の 富を規定するという交換価値の概念だけである。一定量の 必要労働時間を含む私の商品は、等しい価値をもつ他のす べての商品にたいする支配、したがって他の使用価値に実 現されている等量の他人の労働に対する支配を、私に与え. ′ travailcommun6ment employee a acqu6rir ou a. るのである。. produire un objet 6changeable estla seule. 属し、そして、なんらかの商品を獲得または生産するため. に普通についやされた労働量は、その商品が普通購買し、 支配し、またはこれと交換に受取るべき労働の量を三規定し. うる唯一の事情である。」 Dans cet 6tat de choses,1e produit du travail appartient tout entier al’ouvrier,etla quantit占du. Circonstance quipuisse r6glerla quantit昌de travail A・スミスは、正当に商品および商品交換から出発して おり、したがって生産者たちは、最初は、ただ商品所持者、 que cet objet devrait commun6ment acheter, 商品販売者および商品購買者としてのみ相対している。 はじめは生きている労働が、労働者のものである一生産. COmmander ou obtenir en 6change. MEGAⅡ3.2,S.370f.. 物、一商品に対象化され、そして次には、この商品が、等. ー155−. 従って、この前提のもとでは、労働者は単なる商品販売.
(5) 荒川. 繁. 者であり、そしてある人が他人の労働を支配するのは、た. た原料と労賃との全資財に対する雇用者の利潤を支払うも. だ彼が自分の商品をもって他人の商品を買う場合にかぎら. のである」。Ainsilavaleur queles ouvriers ajoutent. れる。それゆえ、かれは自分の商品をもって、彼自身の商. ala matiとre se r6sout alors en deux parties,dont. 品に含まれていると同じだけの他人の労働を支配するにす. l’une paieleurs salaires etl’autre paieles profits que faitl’entrepreneur surla somme des fonds qui luiont servia avancer ces salaires etla matiとre. ぎない。というのは、両者は商品を互いに交換しあうだけ であり、諸商品の交換価値は、それに含まれている労働時 間または労働量によって規定されているからである。. a travailler.MEGAⅡ3.2,S.372.. 勤勉な人々を就業させ、彼らの所産を売ることによって、. 従って、ここでスミスは、はっきりと次のように説明し ている。完成された労働生産物の販売によって得られる利 潤は、販売そのものから生ずるのではない。それは商品が その価値よりも高く売られることから生ずるのではない。. あるいは彼らの労働が原料の価値につけ加えるものによっ. スチュアートのいう「譲渡に基づく利潤でない。」. て、利潤を得るために彼らに原料や生活資料を供給するで あろう」。. むしろ、価値、すなわち労働者たちが材料に付与する労 働量が、二つの部分に分かれるのである。「一方の部分は、 彼らの賃金を支払う」、すなわち彼らの賃金として支払わ. しかしスミスは続ける。「資財が特定の人の手に蓄積さ. れたときには、彼らの中のある者は、当然、それを用いて. ところで生活手段も労働材料も持たない「勤勉な人々」 は、どこからやってくるのか。スミスが言っているのは次. れる。それと同時に、彼らは、自分たちが賃金の形態で受. のことである。すなわち「資本主義的生産は、労働条件が 一階級のものとなり、労働能力の自由な処分だけが他の一 階級のものとなる瞬間から始まる」、「労働と労働条件の分 離が資本主義的生産の前提を形成する。」. 取っただけの労働量を返すのである。「もう一つの部分は、 資本家の利潤を形成する。」すなわちこれは、資本家が支 払わなかったのに売るところの労働量である。 だから、「資本家が商品をその価値どうりに、商品に含 まれている労働時間どうりに売るならば、すなわち彼が商 品を価値法則に従って他の諸商品と交換するならば、彼の 利潤は、彼が、商品に含まれている労働の一部分を支払わ なかったのにしかもこれを売る、ということから生ずるの. Die capitalistische Produktion beginnt in dem Augenblick,WO die Arbeitsbedingungen einer Klasse geh6ren und die blose Verftigung tiber das Arbeitsverm6gen einer andern. Diese Trennung der Arbeit von den Arbeits−. である。」MEGAII3.2,S.372.. bedingungen bildet die Voraussetzung der. かようにしてA・スミスは、労働者の労働の全生産物は. Capitalistischen Production.MEGAⅡ3.2,S.371.もはや労働者のものではなく、労働者はこの生産物または. これらの価値を、資本所有者とわけあわねばならぬという. この前提条件については「経済学者たちにたいする反対 論」ホジスキンの箇所でも論じられた。「しかし、経済的. 事情が、法則−「すなわち、諸商品が交換されあう比率. に(チュルゴー、スミス)、分業の条件としての『先行す る資本蓄積』が語られるとすれば、それは、諸商品の貯え. または諸商品の交換価値は、それらに物質化されている労 働時間の量によって規定される」−を止揚するというこ とを、みずから反駁した。 「というよりも、むしろ彼は、資本家は商品に付加され た労働の一部分を支払わなかったのであり、だからこそ彼 の利潤が商品の販売によって生ずるのだという点から、資 本家の利潤そのものを導きだす。」スミスは、労働者が賃 金を支払うための一賃金を等価物によって補填する一 労働量を超えて行う労働から利潤を導きだしている。この. が労働の買手の手のなかであらかじめ資本として集積され ていることを言っているのである。なぜなら、分業によっ. て特徴づけられるような協業は、労働者の集合−した がって労働中の労働者の生活手段の蓄積、労働の生産性の. 増大−を前提し、したがってまた労働が連続的に進行す るためにはそこになければならない原料、用具、補助材料、 というのは労働は絶えずこれらのものを大量に必要とする. からであるが、これらのものの増加を前提し、要するに、 大規模生産の客体的諸条件を前提にするからである。」. ようにして彼は「剰余価値の真の源泉を認識しているので. ある。」Er hat damit den wahren Ursprung des Mehrwerths erkannt.MEGAⅡ3.2,S.372.6). MEGAⅡ3.4,S.1402f.5) 「蓄積は、本源的蓄積において一つの特殊な歴史的な過 程として現れるものを、ただ連続的な過程として示すだけ. スミスは、剰余価値の別の形態である地代についても説. である」。MEGAⅡ3.4,S.1404.. 明している。. さらにスミスは続けて言う。「それゆえ、労働者たちが 原料につけ加える価値は、この場合」、(資本主義的生産が 始まった時には)「二つの部分に分解する。一つは彼らの 賃金を支払うものであり、他の一つは、雇用者が前貸しし. 「どんな国でもその国の土地がすべて私的所有になれば、 地主たちは、他のすべての人々と同じように、自分たちが 種をまいたこともないところで収穫することを好み、土地 の自然の生産物にたいしてさえ地代を要求する。……彼 (労働者)は、彼の労働が採集し、または生産したものの. −156−.
(6) A・スミスにおける資本論 一部を地主に引き渡さなければならない。この部分が、ま たはそれと同じことになるが、この部分の価格が、土地の 地代を構成するのである」。. 労働条件が労働そのものに対して独立化するとともにれ 一つの新しい転換、外観的には(そして実際には結果とし て)、価値法則のその反対物への急転、が生ずることを彼. Dとsl’instant quele sold’un pays est divis昌en. が強調し、そしてこのことのために彼が文字どおり当惑し. autant de propri昌t6s priv6es,1es propri6taires, ていることである。 Ohils n’ont pas sem6,etils demandent une rente,. 彼がこの矛盾を感知し、かつ強調していることは彼の理 論的強みであるが、それと同じ程度に、次のことは彼の理. m合me pourle produit natureldela terre.・‥・・・Ilfaut. 論的弱みである。すなわち、彼が、この矛盾のために、単. qu’il(l’ouvrier)cとde au propri6taire du solune. なる商品交換にたいしてすら一般的法則について当惑して. POrtion de ce qu’ilrecueille ou de ce qu’ilproduit. いること、また彼が、この矛盾の生ずるのは、労働能力そ. comme tousles autre hommes,aiment a recueillir. par son travail.Cette portion ou,Ce quirevient のものが商品になることによってであり、そしてこの特殊 au m芭me,1e prix de cette portion constituela renteな商品の場合には、その使用価値そのものが、つまりその. 交換価値とはなんの関係もない使用価値が、交換価値をつ. dela terre.MEGAⅡ3.2,S.374.. 従って、本来の営業利潤と同じように、地代も、労働者. くりだすエネルギーであることによってであることを、洞. が原料につけ加え、無償で土地所有者に引き渡す労働の一 部分にすぎない。つまり、労働者が彼の賃金を弁済するた. 察していないということである。. めに働く労働時間部分を越えて行う剰余労働の一部分にす. diesen Widerspruch fuhlt und betont,Wie es seine. ぎない。. theoretische Schwacheist,daB esihn an dem. Esist ebenso seine theoretische Starke,daB er. allgemeinen Gesetz selbst ftir den blosen Waaren− austauschirr macht,daB er nicht einsieht,Wie (2). dieser Widerspruch dadurch eintritt,daB das. A・スミスの偉大な功績は、彼がまさしく第一篇の諸章. Arbeitsverm6gen selbst zur Waare wird und daB. (Ⅵ,Ⅶ,Ⅶ章)において、単純な商品交換とその価値法則 から、「対象化された労働と生きている労働とのあいだの 交換に」、「資本と賃労働とのあいだの交換に」、「利潤およ び地代一般の考察に」、要するに「剰余価値の源泉に」移 るさいに、ここにひとつの裂け目の現れることを感知して いることである。すなわち−どのように媒介されるにせ よ、といっても、この媒介を彼は理解していないのである が− この法則が結果においては事実上廃棄され、(労働. beidieser specifischen Waareihr Gebrauchswerth, der also mitihrem Tauschwerth nichts zu thun, Selbst die den Tauschwerth schaffende Energieist. MEGAⅡ3.2,S.380.. リカードがA・スミスよりもすぐれているのは、これら の外観上の、結果的には現実の矛盾によって惑わされてい ないことである。彼がA・スミスより劣っているのは、こ こに一つの問題があることに気づいていないということ、. 者の立場から)より多い労働がより少ない労働と、(資本 家立場から)より少ない労働がより多い労働と、交換され ることを彼は感知している。. したがって、価値法則が資本形成とともにとるところの特. 殊な発展によって、ほんの一瞬のあいだも当惑させられる ことなく、煩わされていないということである。. Esist das grosse Verdienst A.Smith,daL3 er しかし、A・スミスのこの洞察こそ、彼をよろめかせ、 gradein den Capiteln des ersten Buchs(ch.Ⅵ, 不安にし、彼から確かな足場を奪い、そしてリカードとは Ⅶ,Ⅶ),WO er VOm einfachen Waarenaustausch und 反対に、彼をしてブルジョア制度の抽象的一般的基礎の統. seinem Gesetz des Werths iibergeht zum Austausch ZWischenvergegenstandlichterundlebendigerArbeit, zum Austausch zwischen Capitalund Lohnarbeit,. 一的理論的な全体的観察に到達することを妨げるものなの. である。 Esist aber nattirlich zugleich diese Einsicht A.. zur Betrachtung von Profit und Grundrente im. Smith,dieihn schwankend,unSichter macht,ihm. Allgemeinen,kurz zum Ursprung des Mehrwerths, den festen Boden unter den Ftissen wegzieht,und ihnim Gegensatz zu Ricard nicht zur einheitlichen, es ftihlt,daL3hierein RiB eintritt,daB−Wieimmer vermittelt,eineVermittlung,die er nicht begreift−theoretischen Gesammtanschauung der abstrakten. das Gesetzim Resultat faktisch aufgehoben wird,. a11gemeinen Grundlage des b也rgerlichen Systems. mehrArbeitgegen weniger Arbeit(vom Standpunkt. kommenlaBt.MEGAⅡ3.2,S.380.. des Arbeiters),Weniger Arbeit gegen mehr Arbeit (vom Standpunkt des Capitalisten)ausgetauscht商品は、それに含まれているよりも多くの労働を員うと か、労働は、商品に対しその商品に含まれているよりも高. wird.MEGAⅡ3.2,S.379.. そして、資本の蓄積および土地所有とともに一従って い価値を支払うとかという上述のA・スミスの表現は、ホ. −157−.
(7) 荒川. 繁. 能力と交換され、しかも、それ自身に含まれているよりも 多くの労働によって補填されるためにのみ交換される、と. ジスキンによって次のように表現されている。. 「自然価格または必要価格とは、自然が、どんな商品で も生産しうる人間に要求する全労働量を意味する。……労 働は、自然との取引において、本源的な購買手段であった し、現在もまた今後もつねに唯一の購員貨幣である。. いうことによってである。. なぜなら、労働能力の使用価値というのは、資本家とし ての資本家にとっては、その現実の使用価値に、すなわち、. ある商品を生産するのにどれだけの労働量が必要とされる. それが紡績労働や織物労働などであるというこの特殊な具. にせよ、労働者はつねに、現在の社会状態では、それを獲 得し占有するためには、それを自然から員うのに必要とさ れるよりもはるかに多くの労働を与えなければならない。 労働者に対しこのように増大された自然価格が、社会的価. 体的な労働の有用性にあるのではないからである。かれが. 商品に対してもつ関心は、商品が、それに対して彼が支. 格である。この両者、自然価格と社会価格は、つねに区別. 払ったよりも多くの交換価値をもつということであり、し たがって、彼にとっての労働の使用価値というのは、彼が 賃金の形態で支払ったよりも多量の労働時間を回収する、. されなければならない」。トマス・ホジスキン『通俗経済. ということなのである。. 学……』、ロンドン、1827年。. ここでは生産的労働は、資本主義的生産の立場から規定 されており、A・スミスは、事柄そのものを概念的に論じ. ホジスキンのこの理解においては、A・スミスの見解に. 尽くし、その本質をついている。「彼が、生産的労働を、. おける正しい点と、混乱した点および混乱させる点が、と もに繰返されている。. 直接に資本と交換される労働と規定していること、換言す れば、この交換によってはじめて労働の生産条件および貨. 「これまでA・スミスがあらゆる点において二面的であ. 幣であれ商品であれ価値一般は資本に(そして労働は科学. ることを見てきたが、それは彼が不生産的労働と区別して 生産的労働と呼ぶ規定においてもやはり同じである。スミ. 的意味における賃労働に)転化するとしていること、これ こそは、A・スミスの最大の科学的功績の一つである。」. スの場合には、彼が生産的労働と呼ぶものについて二つの. Esist dieB eines seiner gr6Bten wissenschaftlichen. 規定が入り混じっているのが認められる。そこでまず第一. Verdienste,daB er die productive Arbeit als Arbeit. の正しい規定を考察することにしよう。」 MEGAII3.2,. bestimmt,die sich unmittelbar mit dem Capital. S.439.. austauscht,d.h.durch Austausch womit die. スミスは、第2篇「資財の性質、蓄積および用途につい て」第3章「資本の蓄積について、すなわち生産的および 不生産的労働について」で、次のように述べている7)。. Productionsbedingungen der Arbeit und Wert. 「労働には、それが加えられる対象の価値を高める種類 のものと、このような効果を少しも持たない別の種類のも. wissenschaftlichen Sinn).MEGAⅡ3.2,S.443.. tiberhaupt,Geld oder Waare,Sich erstin Capital. VerWamdeln(und die Arbeitin Lohnarbeitim. のとがある。前者は、ある価値を生産するのだから、生産 Ⅲ. 的労働と呼び、後者は、不生産的労働と呼ぶことができよ. 先に見たA・スミスの資本把握、剰余価値生産は、第二. う。したがって製造工の労働は、一般に、彼が加工する材. 料の価値に、彼自身の生活維持費の価値と彼の親方の利潤 とをつけ加える。これに反し召使の労働は、どのような価 値もつけ加えない。 製造工は、彼の賃金を親方から前貸ししてもらったのだ けれども、こうした貸金の価値は一般に、彼の労働が投下. 説 重農主義者とA・スミス」では、『1861−63年草稿』. された対象の価値の増大のうちに利潤とともに回収される. でみたように重農主義者との対比でスミスが論じられる。. 部「資本の流通過程」第二稿(1869−70年)ではどのよう. に捉えられたのであろうか8)。固定資本との関連で、第2 篇第10章ではスミスが、第11章ではリカードが論じられて. いる9)。そして第10章「固定資本と流動資本に関する諸学. のだから、実際には彼は親方に少しの費用もかけない。し かし召使の生活維持費は決して回収されない。人は、多数 の製造工を雇うことによって富み、多数の召使を維持する. (1)固定資本と流動資本. ケネーにあっては固定資本と流動資本との区別が、「本 源的投資」avances primitives および「年々的投資」 avances annuelles として現れ、彼はこの区別を正当に. ことによって貧しくなる」。MEGAⅡ3.2,S.442.. ここで生産的労働と言っているのは、主として、「彼」、 労働者「自身の生活維持費」の価値の再生産のほかに、あ る剰余価値、「その親方の利潤」を生産する労働のことで ある。. 「生産資本(直接的生産過程に合体された資本)の内部に. おける区別」として叙述する。かれにとっては、農業に充 用される資本、借地農業者の資本が、唯一の現実に生産的 な資本たる意義をもつのであるから、この区別も借地農業 者の資本についてのみ生ずる。ケネーは言う。「年々的投. 資本を生産する労働だけが生産的労働なのである。しか し、商品または貨幣が資本となるのは、それが直接に労働. −158−.
(8) A・スミスにおける資本論. 資とは、耕作労働のために年々なされる支出のことである。 これらの投資は、農業創設の基礎資本をなす本源的投資か ら区別されねばならぬ」。『経済表の分析』 だから資本の一部分の回転期間は一年であり、他の部分 の回転期間は一年以上だということになる。社会にとって は、年々的投資と多年的投資との区別は極めて重大であっ. for goods.His capitalis continual1y going from himin oneshape,and returningto himin another,. anditis only by means of such circulation,Or SuCCeSSive exchange,thatit can yield him any profit.Such capitals,therefore,may Very PrOPerly. be called circulating capitals. Secondly,itmaybeemployedintheimprovement. て、多数の経済学者が、この規定に立ち返っているほどで. ある。 この投資の間の区別は、投資された貨幣が「生産資本の 諸要素」に転形されたときに初めて生ずる。それは生産資 本の内部での区別である。生産資本としては、「流通資本」、 つまり市場にある商品にと同様に貨幣にも対立する。「生 産資本のこの両要素の区別は、それらの価値が生産物価値 とともに流通する様式の差別に還元される。」けだし、一 方の価値は年々全部的に補填され、他方の価値はより長期 間に断片的に補填される10)。. Ofland,in the purchase of usefulmachines and instruments of trade,Orin suchlike things as yield a revenue or profit without changing masters,Or Circulating any further.Such capitals,therefore,. may very properly be called fixed capital. pp.262,263.. 「資本が、その使用者に収入または利潤をもたらすよう に使用される仕方には二種ある」。価値が資本として機能 するために−その所有者に剰余価値をもたらすために− 一投下される方式は、資本の投下部面と同様に異なり、多 様である。これは資本が投下されうる相異なる生産部門に 関する問題である。 A・スミスはすぐに続けていう。「第一に、資本は財を. では重農主義者によって理解された生産資本である固定. 資本と流動資本の相異は、スミスにどのように捉えられた のであろうか。. A・スミスによる唯一の進歩は、「諸範時の一般化」で ある。これらの範晴は、もはや借地農業者資本にではなく、 「あらゆる形態の生産資本」に関連する。したがって農業 に由来する年々的回転と多年的回転との区別の代わりに、 「時間的に異なる回転の一般的区別」が現れ、したがって. 生みだし、加工し、また買って利潤をえて再び売るために. 使用される」。スミスはここで、資本は農業、製造業およ び商業にも充用されるということを述べているにすぎない。 彼は、ただ資本の相異なる投下部面のことを言っているの であり、商業でのように資本が直接生産過程に合体されて. 「固定資本の一回転はつねに涜動資本の一回以上の回転を. 包括する」ことになる。かくしてA・スミスでは「年々的 投資は流動資本に転化し、本源的投資は固定資本に転化す る」。かれの進歩はこの「諸範時の一般化」に限られる。. いない、つまり生産資本としては機能しない投下部面こと. だが説明では、はるかにケネーに及ばない11)。. 回転に及ぼすその影響とを叙述する基礎そのもの」を放棄. もいっているのである。 このようにスミスは、「重農主義者が生産資本の区別と. している。すなわち、彼は生産資本の差別だけが取扱われ る問題で、例として「商人資本」をあげているのである。. 「諸範時の一般化」に限られたスミスの進歩を『諸国民. の富の性質および諸原因に関する研究』1776年第二編「資. 財の性質、蓄積および用途について Of the Nature, スミスは続けていう。「この仕方で投下される資本は、 Accumulation,and Employment of Stock」第1章 その使用者の手にとどまるか同じ姿態で存続する間は、そ 「資財の分類について Of the division of stock」を基 に、さらに詳細に見てみよう。. There are two different ways in which a capital. の使用者に収入も利潤ももたらさない」。だが「この仕方 で投下される資本」は、資本を固定資本にも流動資本にも なしえない。なぜなら生産過程に属する形態たる「生産資. may be employed so as to yield a revenue or profit. 本の形態で以前に機能した同じ資本価値」は、つぎに「流. toits employer.. 通過程に属する形態たる商品資本および貨幣資本」として. First,itmaybeemployedinraising,manufacturing, 機能し、したがってもはや「固定資本でも流動資本」でも. Or purChasing goods,and selling them again with. ない。それゆえ、ここから固定資本と流動資本との区別に. aprofit.Thecapitalemployedinthis manneryields. は近づかないのである。. さらにスミスは続ける。「商人の財は、The goods of. no revenue or profit toits employer,Whileit either remainin his possession,Or COntinuesin the same. the merchant,彼がそれを売って貨幣を得るまでは、彼. Shape.. に収入も利潤ももたらさないのであり、また貨幣も同じよ うに、それが再び財と交換されるまでは彼になにももたら. The goods of the merchant yield him no revenue Or prOfit tillhe sells them for money,and the. さない。彼の資本His capitalは絶えず一姿態で彼から. money yield him aslittle tillitis again exchanged. 離れ去り、他の姿態で彼に復帰するのであって、それが彼. ー159−.
(9) 荒川. に利潤をもたらすのは、流通または継起的交換によっての みである。それ散にこの資本は、まったく正当に流動資本 Circulating capitalと名づけられる」。. 繁. これらの引用例からわかるように、A・スミスにあって は、「資本の生活過程で占める位置」に応じて、同一物が 「固定資本」(労働手段、生産資本の諸要素)として、ま た「流動資本」、「商品資本」として、つまり生産部面から 流通部面に押し出される生産物として機能しうるのである。 スミスの与える例では、「労働用具」を固定資本として 規定し、また製品の価格により利潤を伴って償還される 「労賃および原料、補助材料」に投下される資本部分を流 動資本として規定している。だから労働過程の相異なる諸. 以上の引用から確認できることは、A・スミスが「流動 資本 zirkulierendes Kapital」として規定するものは、 「流通資本 Zirukulationskapital」である。すなわち 「流通過程(交換を媒介する形態変換)に属する形態にあ. る資本、つまり生産過程に属する資本形態に対立する商品 資本と貨幣資本」である。これらの資本形態は産業資本家 が資本を分割する特殊的種類でなく、同じ投下資本価値が その生涯において継起的に脱ぎ捨てる相異なる形態である。 そして、この流通過程にある資本、すなわち「商品資本 および貨幣資本」を、A・スミスは、資本価値が生産資本 の形態にある聞に、その流通の内部において生ずる形態区 別、すなわち「固定資本と流動資本」と混同するのである。. 成分、一方では労働力、「労働」および原料、他方では労 働用具から出発されるにすぎない。それらが資本成分であ るのは、資本として機能すべきある価値額がそれらに投下 されているからだ。それらは生産資本の「質料的要素」で ある。その一部分が固定資本と呼ばれるのは、「資本のあ る部分は、労働用具に固定されざるをえないからである」。 だが他の部分も労賃および原料に固定されているのである。. これは両者を生産資本の区別として正しく位置づけた重農. 主義者からの一大退歩である。. だが、「生産資本の要素」としては、そのすべての成分 が絶えず生産過程に固定されている。けだし、生産過程は それらの要素なしには進行しえないからである。そして 「生産資本のあらゆる要素」は、固定的要素も流動的要素 も等しく、生産資本として「流通資本(商品資本および貨 幣資本)」に対立している。 そして「労働力」についても同じである。生産資本の一. 現実の生産過程では、「固定資本に投下された価値も流 動資本に投下された価値」も資本価値と同様に、生産物に よって流通させられるのであって、前者も後者も同様に商 品資本の流通によって自らを貨幣資本に転形する。区別は ただ、流動資本にたいし、「固定資本の価値は断片的に流 通し、ある期間内に断片的に補填され、現物形態で再生産 されねばならぬ」ということからのみ生ずる。 だが流動資本と固定資本との区別は、生産資本そのもの の内部の本質的区別から生ずるものである。このように. 部分はたえず労働力に固定されていなければならないので. あり、同じ労働力が、同じ機械と同様に、いつでも長期間、 同じ資本家によって使用される。ここで注目すべきは、労 働力と機械との区別は、機械は一度きりに購買されるが、 労働者はそうでないと点にあるのではなく、むしろ、「労 働者の支出する労働は全部的に生産物の価値に入りこむが、 機械の価値は断片的にのみ入りこむ」という点である。. A・スミスは一方では、重農主義者的区別を念頭におき、 他方では、剰余価値が循環中に通過する形態的区別を念頭 におくのである。実際、「貨幣と商品との形態転換」によ り、どうして利潤が生ずるかは、絶対に見当がつかないし、 説明も不可能となる。なぜなら彼はここでは、流通部面で のみ運動する商人資本をもって始めるからである。. 先に見たようにスミスが固定資本と対立する流動資本に. つき、「この仕方で投下される資本は、その使用者の手に とどまるか同じ姿態で存続する間は、その使用者に収入も 利潤ももたらさない」と語るとき、彼は相異なる規定を混 同する。すなわち彼は、生産物(商品資本)が流通部面で 通過する、そして商品の持手変換を媒介する「商品の単に 形式的な姿態変換」を、「生産資本の相異なる要素が生産 過程で通過する物体的な姿態変換」と同列視する。 こうしてA・スミスは、「商品の貨幣への転形および貨. 次にスミスは、固定資本について述べる。. 「第二に資本は、土地の改良に、有用な機械および労働 用具の購入に、または所有者を変えること、つまり流通す ることなしに収入、利潤をもたらすような物に使用されう る。それゆえ、極めて正当にこの資本は固定資本と名づけ られうる」。 「職業が相異なれば、それに使用される固定資本と流動 資本との比率が非常に相異する。……各々の親方工匠また は工場主の資本のある部分は、彼の労働用具に固定されざ るをえない。だがこの部分は、ある場合には極めて小さく、 他の場合には極めて大きい。……. 幣の商品への転形」を、つまり販売および購買を、いきな り「生産諸要素の生産物への転形」と混同する。流動資本 についての彼の例は、商品から貨幣に転形し貨幣から商品 に転形する「商人資本」であり、商品流通に属する「形態. だが、すべての親方工匠(裁縫師、靴師、織物師)の資 本のはるかに大きな部分は、彼らの職人の賃金としてか、 彼らの材料の価格として流通して、製品の価格により利潤 を伴って償還されるはずである」。. 変換W−G−W」に他ならないのである。. しかるに流通内でのこの形態変換 der Formwechsel が機能的産業資本にとってもつ意義は、貨幣が再転形され. 一160−.
(10) A・スミスにおける資本論 るべき「諸商品は生産諸要素(労働手段および労働力)」. Ob ein zurProduktion des Produkts vorgeschoBner. だということ、つまり、この形態変換は「産業資本の機能 の連続性を媒介し、連続的生産過程または再生産過程とし ての生産過程を媒介する」ということである。だが、この 全形態変換は、生産過程ではなく、「流通内」で行なわれ. Wert ganz oder sttickweis,auf einmal oder allmahlich durch den Verkauf desselben ersetzt. Wird,kann nur die Art und die Zeit des Ersatzes. 畠ndern;in keinem Fall aber das beiden. るのである。. Gemeinschaftlichepden Wertersat−in Sch6pfung. この「流通過程での形態転換」は、一方の手から他方の 手への商品の現実的移行を媒介する形態変換である。これ に反し、生産資本が生産過程で通過する「姿態変換」die. VOn Mehnvert verwandeln.MEW.24,S.199.. Metamorphosen は、生産諸要素を所期の生産物に転形. は販売、流通からのみ生ずるというのは通俗的表象である。. ここで基礎をなすのは剰余価値が、生産物の販売、生産 物の流通によって初めて実現されるのであるが、剰余価値. するのに必要な、「労働過程に属する姿態変換」である。. だがケネーは、すでに区別を「再生産過程およびその必 然性」から誘導した。この過程が連続的であるためには、. A・スミスは、「生産手段の一部分(本来的労働手,段). 「年々的投資の価値」は、年々的生産物の価値から年々全. は、現物形態を変えることなくただ漸次的に消耗されるこ. 部的に補填されねばならないが、「設備投資の価値」は、. とによって労働過程で役立つが(「その所有者に利潤をも. ただ断片的に補填され、やっと幾年目かに、例えば10年目. たらす」)、他の一部分たる材料は、その姿を変え、しかも. に全部的に補填され、したがって全部的に再生産されれば. その姿を変えることによってこそ生産手段としての使命を. よい。. 果たすことにしがみつくのである。」. だがこの相異なる質料的作用には「生産物への価値交 付」が照応し、この後者にはまた「生産物の販売による価 値補填」が照応する。. かくしてA・スミスには、「固定資本の規定のためには、 労働手段は固定資本だということ以外に何も残らない。」 (生産過程でその姿態を変えることなく、消耗されてしま. Diesem verschiednen stofflichen Verhalten entspricht. うまでひきつづき生産に役立つような労働手段)。そして. aberdieWertabgabe an dasProdukt,derhinwieder. 同時に、固定資本の価値は流通しないかのような誤解が持. der Wertersatz durch den Verkauf des Produkts. ち出される。. entspricht.MEW.24,S.198.. また固定資本と対立するものとしての「流動資本」につ. だから資本が固定資本であるのは、それが労働手段に固. いては、それが対立をなすのは、ただ、生産資本のうち生. 定されているからでなく、労働手段に投下されたその価値 の一部分は生産物の価値成分として流通するのに、他の一 部分は労働手段に固定されたままだからである。. 産物の価値によって全部的に補填されねばならぬような、 したがって生産物の姿態変換に全部的に参加せねばならぬ ような成分であることは強調されない。スミスには、流動 資本は、むしろ「資本が商品資本および貨幣資本として、. It(the stock)must procure this profit either by. 生産部面から流通部面に移行するさいにとる形態」と混同. Staying with him,Or by going from him(theされる。だが商品資本および貨幣資本は、「生産資本に対 employer).In the one caseitis a fixed,in the 立する流通資本」ではあるが、固定資本に対立する流動資 本ではないのである。. Otheritis a circulating capital.p.268.. 「資本は将来の利潤を得るために投下されるとすれば、 資本は使用者のもとに留まることによってか、彼のもとか ら離れさることによって、この利潤をえなければならない。 前の場合にはそれは固定資本であり、後の場合にはそれは 流動資本である」。 これはスミスの利潤に関する経験的な表象であり、彼の 科学的見解と矛盾する。生産物の価格においては、材料な らびに労働力の価格が補填されているが、労働用具から摩 損によって生産物に移譲された価値部分も補填されている。 しかし、この補填からは利潤は決して湧きださない。 生産物の生産のために投下された価値が、生産物の販売 によって補填されるのが全部的か断片的か、一挙か漸次的 か、ということは、補填の方式と時間を左右するのみで、 「両者に共通なもの、すなわち価値補填を、剰余価値の創. 最後に「利潤が固定資本によって得られるのは、これが 生産過程に留まるからであり、流動資本によって得られる のは、これが生産過程を去って流通するからである」とい うスミスの全く間違った展開によっては、「可変資本と不. 変資本中の流動的成分(原料)」とが回転でとる形態の同 一性のために、「価値増殖過程および剰余価値形成」にお ける両者の本質的区別が隠蔽され、したがって「資本制的 生産の全秘密」が一そう暖昧にされる。「流動資本という 共通な名前」によって、この本質的区別が止揚される。そ の後経済学では、可変資本と不変資本との対立でなく、固 定資本と流動資本との対立が本質的で唯一の区別をなすも のとして固執された。. Endlich:Durch dieganz schiefeEntwicklungvom Machen des Profits durch das fixe Kapital,indem. 造に転化」させることはできない。. −161−.
(11) 荒川. 繁. es im ProduktionsprozeL3 bleibt, durch das. 「種子の全価値も本来の意味での固定資本である。種子 は土地と穀倉との間を往復するとはいえ、決して所有者を Wird,Wird tiber die Dieselbigkeit der Form,die 変えることなく、したがってそれは本来の意味では流通し Variables Kapitalund der fliissige Bestandteildes ない。借地農業者が利潤をえるのは種子を販売することに konstanten Kapitalsim Umschlag haben,der よってではなく、それを増加させることによってである」。 Zirkulierende,indem esihn verlaBt und zirukuliert. WeSentliche Unterschied derselbenim Verwertungs−. the whole value of the seed is properly a fixed. prozeL3und der Bildung des Mehrwerts versteckt,. Capital.Thoughit goes backwards and forwards. also das ganze Geheimnis der kapitalistischen. between the ground and the granary,it never. Produktion noch mehr verdunkelt.Durch die. Changes masters,and therefore does not properly. gemeinsame Bezeichnung:zirkulierendes Kapital, Circulate.The farmer makes his profit,nOt byits. Wird dieser wesentliche Unterschied aufgehoben:. Sale,but byitsincrease.p.264.. wasdanndiespatereOkonomienochw占iterftihrte,. ここにスミスの区別の全くの無思想性が明白となる。ス ミスによれば「所有者」の変化が起こらなければ、すなわ konstantem, SOndern der von fixem und ち種子が直接に年生産物から補填され、年生産物から控除 Zirkulierendem Kapitalals das Wesentliche und されるならば、種子は固定資本であろう。これに反し、全 allein Unterscheidende festgehalten wurde, 生産物が販売されて、その価値の一部分により他人の種粒 MEW.24,S.200f. が購買されるならば、種子は流動資本であろう。一方の場 合には「所有者」の変化が起こり、他方の場合にはそれが 起こらない。スミスはここで再び、流動資本と商品資本を (2)流動資本と流通資本 混同する。 A・スミスは次の例を挙げる。That part of the 種子が直接に生産物から部分として控除されようと、全 Capitalof the farmer whichis employedin the 生産物が販売されてその価値の一部分が、他人の種子の購 instruments of agricultureis a fixed;that which 入によって補填されようと、いずれにしても補填が行なわ is employed in the wages and maintenance of his れるにすぎず、この補填によっては何らの利潤もえられな labouring servantS,is a circulating capital.He い。いずれの場合も種子は依然として「生産資本の流動的 makes a profit of the one by keepingitin his 成分」である。種子は、生産物を完成するためには全部的 OWn POSSeSSion,and of the other by parting with に消耗されるのであって、再生産を可能にするためには、 it.The price or value of hislabouring cattleis 生産物によって全部的に補填されねばならぬ。 a fixed capital in the same manner as that of the A・スミスは、一方の生産手段は生産物に対立してその instruments of husbandry.p.263. 自立的姿態を保持し、他方の生産手段はその姿態を変えま たは全部的に失うという、「生産手段が生産物の形成に消 「借地農業者の資本のうち農具に投下される部分は固定 資本であり、彼の労働使用人の賃金および生活手段に投下 費されるこれらの相異なる様式」、「労働過程そのものに属 される部分は流動資本である」。 するこの区別」を、1)一方はその姿態を保持することに だからここでは固定資本と流動資本の区別が、正当にも、 より、他方はそれを失うことで所有者に利潤をもたらすと 生産資本の相異なる成分の相異なる流通、回転にのみ連関 いう、ここでは全くあてはまらない利潤規定をもちこむこ する。「彼は、固定資本ではそれを自分自身の手に保有す とにより、2)「労働過程で生産要素中の一部分が蒙る変 ることによって利潤を得、流動資本ではそれを手放すこと 化」を、「生産物交換、商品流通に属する形態変換(売買、 によって利潤をえる。彼の役畜の価格または価値は、農具 これは同時に流通商品の所有者変換を含む)」と混同する のそれと同様に固定資本である」。ここでは再び正当にも、 ことによって、歪曲する。 区別が質料的要素でなく価値に連関する。 「労働させるためではなく、売るために買って飼育され そしてスミスは、流動資本および固定資本は何から成立 る家畜の価格および生活手段は、いずれも流動資本である。 つかを我々に語る。彼は、「固定資本を形成する物、質料 借地農業者はそれを手放すことで利潤をえる」。p.263. 的要素と、流動資本を形成するそれ」とをかぞえあげる。 どの商品生産者でも、従って資本制的商品生産者でも、 あたかも、この規定性はこれらの物に「質料的に、天然に かれの生産過程の成果たる生産物を販売するが、だからと 属する」のであって、「資本制的生産過程内でのそれらの indem nicht der Gegensatz von variablem und. 物の一定の機能から生ずるのではないかのようにいう。. いって、この生産物は彼の生産資本の固定的成分も流動的. 成分も形成しない。それは今や、むしろ、生産過程から押 し出されて、. als ob dieseBestimmtheit diesen Dingen stofflich, von Natur zukame und nicht vielmehr ausihrer bestimmten Funktion innerhalb des kapitalistischen. −162−.
(12) A・スミスにおける資本論 Produktionsprozesses entspr畠nge.MEW.24,S.204. 「第一は貨幣(だが貨幣は、生産資本、生産過程で機能. する資本、の一形態でない。それはいつでも、資本が流通. だが、物が労働過程ではたす機能の異なるに応じて、同. じ物が流動資本の成分をなし、或いは固定資本の成分をな. 過程内でとる諸形態の一つにすぎない。)第二は牧畜業者、 借地農業者……によって所有され、それを売って利潤を得 ようと望んでいる生活手段の在貨である。」. す。例えば家畜は、役畜(労働手段)としては借地農業者 の固定資本の質料的実存様式をなすが、肥育家畜(原料) としては彼の流動資本の成分をなす。他方では、同じ物が、 時には生産資本の成分として機能し、時には直接的消費元 本に属することがある。例えば家屋は労働場所として機能 するときは生産資本の固定的成分であるが、住家として機 能するときには何らの資本形態でない。同じ労働手段が、 時には生産手段として、時には消費手段として機能するこ. First of the money・…‥Secondly,Of the stock of. provisions which are in the possession of the. butcher……and from the sale of which they expect to derive a profit.. 「第四で最後の部分は、作りあげられ完成されているが、 まだ商人、製造業者の手にある製品である」。. とがありうる。. Fourthly,andlastly,Of the work whichis made. up and completed,but whichis stillin the hands. 固定資本および流動資本なる性格を「物に具わる性格」. と解することは、スミスの理解から生ずる誤謬の一つで. of the merchant or manufacturer…‥・. あった。Es war der eine derIrrtiimer,die aus der そして「第三は、衣類や家具や建物の−まったく未加. 工な、または多かれ少なかれ一材料のうち、まだこれら. Smithschen Auffassung folgen;die Charaktere von fixem und zirkulierendem Kapitalals den Dingen. 三つの姿態のどれにも仕上げられないで農業者、製造業者、. zukommende Charakterezufassen.MEW.24,S.205. 絹布商、材木商、大工、煉瓦製造業者などの手にとどまっ. だが固定資本および流動資本なる規定もまた、これらの 要素が労働過程で、したがってまた価値形成過程で演ずる. ているものである」。. 一定の役割に基づくのである。. Or mOre Orless manufactured,Of clothes,furniture. Thirdly,Ofthematerials,Whether altogetherrude,. and building,Which are not yet made upinto any. 第二に、スミスは生産資本(生産的形態にある資本)に. Of those three shapes,but which remainin the. 関してのみ妥当である生産資本の固定的成分と流動的成分. hands of the growers,the manufacturers,and the. との区別を、生産資本と「流通過程にある資本」に属する 形態(商品資本、貨幣資本)との区別と混同する。. mercers,and drapers ……P.266.. 第二項および第四項は、生産物として生産過程から押し. 「流動資本は……それぞれの商人の手にあるあらゆる種. 類の生活手段、材料および既製品と、それらを流通させ. 出されていて販売されねばならぬもの以外には何も含まな. ……分配するために必要な貨幣とから成立つ。」. い。要するに、いまや「商品」として、したがったまた商. The circulating capital consists・・・・‥Of the 品資本として機能する生産物である。第二項では食料品で provisions,materials,and finished work of all あり、第四項ではその他一切の既成生産物である。. kinds that are in the hands of their respective. スミスがここで商人にも言及しているのは彼の混乱を示. dealers,and of the money thatis necessary for Circulating and distributing them etc‥ P.266.. ここでは「流動資本」が、固定資本に対立する流動資本 ではなく、生産資本に対立する流通資本を形成する「二つ の基本形態」、「商品資本および貨幣資本」と同等祝されて. すものである。生産者が生産物を商人に販売したかぎりで は、その生産物はもはや決して彼の資本の何らの形態も形 成しない。社会的にみれば、その生産物は「商品資本」で ある。だがそれは、商品資本であればこそ、固定資本でも. に投下されて現実に生産過程に合体されている「生産資本. 流動資本でもない。商品の販売とともに商品に含まれる剰 余価値も実現される。生産物は商品として生産過程からで てくるのであって、生産過程の固定的要素でも流動的要素. の諸成分」が再び現われる。. でもない。. いる。それから、これらのもののお添えとしてのみ、材料. は四部分から成立つ。TheThird andlastofthethree. スミスにあっては第三項では、「材料(原料、半製品、 補助材料)」が、一方では、社会的生産物一般を構成する 諸使用価値の特殊的な一種類としてのみ現れる。他方では、 材料が確かに生産資本に合体されたものとして、したがっ. POrtionsinto which thegeneralstock of the society. てまた生産資本の手にある生産資本の要素としてあげられ. 「社会の総資本が自然的に分かれる三部分の第三の部分. は流動資本であって、その特徴は、流通または所有者変換 によってのみ収入をもたらすということである。流動資本. naturally dividesitself,is the circulating capital; る。混乱は、「材料が、一方では生産者(農業者、製造業. of which the characteristicis,thatit affords a. 者)の手中で機能するもの」として捉えられ、「他方では 商人(絹布商、材木商)の手中で機能するもの」として捉 えられる、という点に示される。そこでは材料は単なる商. revenue only by circulating or changing masters. Itis composedlikewise four parts:. 一163−.
(13) 荒川. 繁. 品資本であって生産資本の成分ではない。. Lebensmittel,WOdurch sich der Arbeiter erhalt.. 事実上、A・スミスはここで、「流動資本の要素」を数 えあげるのに際し、生産資本についてのみ妥当する固定資. MEW.24,S.208f.. 本と流動資本との区別を全く忘れている。彼はむしろ「商 品資本と貨幣資本」、すなわち流通資本に属する両資本形 態を、「生産資本」と無意識的に対立させる。In derTat. そのものの再生産も社会的資本の再生産過程に属する。だ. 社会的に考察すれば、労働者の個人的消費による労働者 が、このことはここで考察する個々の、それだけで終結す る生産過程に妥当しない。スミスが固定資本の項目に入れ. VergiBt A.Smith hierin der Aufzahlung der. る「習得された有用な諸能力」は、それが賃労働者の「諸. Elemente des zirkulierenden Kapitalganz den nur. 能力」であり、賃労働者が自分の労働をその「諸能力」と. in bezug auf das produktive Kapitalgtiltigen. いっしょに販売したかぎりは、むしろ反対に流動資本の成. Unterschied von fixem und fltissigem Kapital.Er. 分をなすのである。. Stellt vielmehr Warenkapitalund Geldkapital,d.. Die acquired and usefulabilities,die Smith unter. h.die beiden dem ZikulationsprozeB angeh6rigen. der Rubrik des fixen Kapitals aufftihrt,bildenim. Formen des Kapitals,dem produktiven Kapital. GegenteilBestandteiledesfltissigen Kapitals,SObald. gegentiber, aber auch dies nur bewuL3stlos. sie abilities des Lohnarbeiters sind und dieser seine MEW.24,S.208.. Arbeit mitsamt ihren abilities verkauft hat. MEW.24,S.209.. 最後にA・スミスは、流動資本の成分を数えるのに労働. 力を忘れている。 Auffallendist endlich,daB A.. スミスが全社会的富を、1)直接的消費元本、2)固定. Smith bei Aufzahlung der Bestandteile des. 資本、3)流動資本に分類しているのは一大誤謬である。. Zirukulierenden Kapitals die Arbeitskraft vergiL3t.. Esist ein groBer Fehler Smiths,daB er den ganzen. MEW.24=,S.208.. gesellschaftlichen Reichtum einteiltinl.unmittel−. 以上みたように、貨幣資本を度外視すれば、「流動資本 とは商品資本の別名」にすぎない。だが労働力は、市場で 流通する限りでは資本ではなく、商品資本の形態ではない。 労働力は決して資本ではない。労働者は一商品(彼自身の 皮)を市場に出すとはいえ、資本家ではない。労働力は、 それが販売され、生産過程に合体された時に、つまりそれ が商品として流通することをやめた後に、初めて生産資本 の成分となる。つまり「剰余価値の源泉としては可変資 本」、労働力に投下された資本価値の回転にかんしては 「生産資本の流動的成分」となる。 A・スミスは、ここでは流動資本を「商品資本」と混同. baren Konsumtionsfonds,2.fixes Kapitals,3.. 通するのであるから、生産資本の固定的および流動的要素. しているので、彼のいう流動資本の項目に労働力を入れる. も、消費元本のすべての要素も、ともに商品資本から引出. ことはできない。だから可変資本は、労働者が賃金をもっ. される。これは資本制的生産の基礎上では生産手段も消費. Zirukulierendes Kapital.MEW.24,S.209.. これに従えば、富は、1)「消費元本」、2)「資本」と に分類されるべきであろう。そしてここでは、「固定資本 と流動資本」とのいずれかであることが、すべての資本に とっての不可避的必然として現象する。だが固定と流動の 対立は、生産資本の諸要素に充用されうるのみで、その他 になお、固定的でも流動的でもありえない形態をとる多量 の資本、「商品資本および貨幣資本」がある。 社会的生産物の仝分量は、「商品資本」として市場で流. て購員する商品、「生活手段」の形態で現れる。この形態 では、労賃に投下された資本価値は、「流動資本」に所属 すべきである。生産過程に合体されるのは、労働力であり 労働者そのものであって、労働者が自らを維持するための. 手段も「商品資本」として登場することを意味する。「労 働力」そのものも、商品資本ではないが、商品として市場 に見出される。. 生活手段ではない。. したがってスミスには、次のような新たな混乱が見られ. Da Smith hier das fltissige Kapital mit. る。Daher folgende neue Verwirrung beiA.Smith.. Warenkapitalverwechselt,kann er die Arbeitskraft. MEW.24,S.210.. nicht unterbringen unter seine Rubrik des. 「これら四つの部分のうち(というのは「流動資本」の、. Zirkulierenden Kapitals.Das variable Kapitaltritt. すなわち商品資本および貨幣資本という流通過程に属する. daher hier aufin der Form der Waren,die der. 形態にある資本の四つの部分であって、スミスが商品資本. Arbeiter mit seinem Lohn kauft,der Lebensmittel. の成分をさらに質料的に区別したために二部分が四部分と. In dieser Form so11derin Arbeitslohn ausgelegte. なった)三つの部分、生活手段、材料、完成品は、年々か. Kapitalwert zum zirukulierenden Kapitalgeh6ren.. 長短の期間をおいて、規則正しく流動資本から引上げられ、. Was dem ProduktionsprozeL3 einverleibt wird,ist. 固定資本か長期的消費用財荷のいずれかに繰り入れられる。. die Arbeitskraft,der Arbeiter selbst,nicht die どの固定資本も、もとは流動資本から出たものであると. −164−.
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