k
座
仏
教
三
国
に お
け
る
瞑 想
の調 査
報 告
タイ
・ ミ ャ ン マ ー ・スリ
ラ ン カKirimetiyane
Wimalawansa
最 も大切 な 仏 陀の 教えの一一一つ に瞋想がある 。 仏 陀の 教えによ れ ば, 瞑想な くして
涅槃
へ の道
はない 。 イン ドか ら始
まっ た仏
陀の 瞑想 は , い ろい ろな形 で世 界に広が っ た 。 現 在 も行わ れて い る 瞑 想 を , タイ ・ミャ ン マ ー ・ス リラ ン カを訪ねて調査 し て来た の で報告
す る。 (DL
タ イ に お け る三 つ の瞑 想
セ ンタ
ー瞑 想は
森
の 中で行わ れ る こ とが多
く,静
か な場 所が大 切 と さ れて い る。 そ して , 瞑想
を行 うにあた っ て は, 師(
yogacariya)
が大 きな役 割 をは たす。 瞑想は, minddevelop
の た め に行 う もの で あるか ら, 自分 に適 した師
を選 ぶ ことが重要
で あ る。 もし, 瞑想者
で良
い師
を見つ ける こ とが で きな かっ た ら,良
い結
果は得 られ ない で あろ う。タイで は ,wa 重の 住職
(
lompo )
お よ び瞑 想 を行 っ て い る 人々 に イ ン タヴ ュ ー し , 自ら も瞑想 を体.験 し た。タ イ仏
教
には,Mahanikaya
とDhammayuttikanikaya
の 二 つ の 派が ある。 この う ちMahanikaya
は僧 侶の 数が多
く, 瞑 想 よ りも 一 般の 宗 教活 動
, 例え ば
Sajjhayana
(Pirith
Chanting
)
に 重 き を 置 く 傾向
が あ る。Dhammayuttikanikaya
の 方 は ,僧 侶 も少 な く , 瞑想
に重点を置い て , ア ラ ハ ン へ の 道 をめ ざ してい る 。 前 者は wat の 数が少 な く, 街を離れ た とこ ろ に多
い 。 一一 般 の 人々 は,瞑
想 よ りも普 通の 宗教活動
や宗
教の 勉 強 をするこ と が多
い 。 また,寺
院につ い て は,次
の カ テ ゴ リ ー に分ける ことが で きる。 (1
)都 市
の 中にあっ て 宗教 活動 を行
う 寺院,(U)田舎にあっ て 宗教活 動 を行 う寺 院,
84
パ ・リ学 仏 教文化学都 市
の 中にあ る瞑
想セ ン ター,働 森の 中にある瞑 想セ ン タ ーの 四つ である 。調杏の
結
果判 明 した こ と は, 瞑 想 を教 える師がす ぐれ て い る場 合に は瞑 想 が盛ん とな り, 寺 院 も栄 えて い るが , そ うで ない 場 合は衰えるとい うこ とで あ る。 至極
当 然の こ とで はあるが, 寺 院の 歴 史と現 在の あ り方を見る時, こ の こ とが一層 よ く理解 さ れる。以 下,
瞑想
が行
わ れてい る数
ある wat の 中 から, い くつ か を選ん で 調 査 したの で, その結
果 を報 告 したい 。 バ ン コ クには瞑想 セ ン ター を もつ 寺 院が 少 くない が, 一番 大 き な寺 院は 〔2) watPaknam
で ある 。 こ の wat は瞑
想セ ン タ ー として の みで はな く , 社 会に 対す る一般 的 な宗
教活
動 も盛 ん な寺
院で ある。 こ の wat で は外 国 人 も瞑 想 を行 っ て い る が,その 中 に は僧 侶に なる人 も多い 。女 性 修 行 者 も200
人位い て,瞑
想 を行っ て い る。 短 期 間だ けの 瞑想 者 も含め て , それ ぞれ 自分 自身で 瞑想 を行 い , 師 は 問 題の あ る時だ け手 伝 う程 度である。 夕 方には瞑想の た め 一 同 が集
会す る機
会が あ る。 しか し, 瞑想が短期 間 しか行わ れ ない為, 瞑 想 する 人々 の 出入 りが激 し く, 正しい 瞑想 を行 う場 所 と して相 応 しい場 所 とは言 えない 。 こ の wat の
Phra
Bhavana
Koso1
Thera
は 日系 人で あ り, 日本 語で イン タ ヴュ ーする こ とがで きた。 彼の 言葉 によ れ ば, こ の wat で は, 「ブ ッ ド 13) (ブ ッ ダ
)
」 と唱 えな が ら瞑 想 を行 う とい うこ とである,, 他に watMahatat
(4〕 と watBovoranives
の 二 つ の寺
院 を調査 した が, こ れ らの 瞑想セ ン タ ー も , . 形は, 基 本 的に は watPaknam
と変わ らなか っ た。 こ れ らの 寺 院で は , 欧 米 人がLesson
と して 短期 間の 瞑想 を行っ て い るの が見 られた。タ イに は, 約
5
年 前, 瞑 想 を盛ん にする た め に新 しい 形 を作っ た3
人の 有 名な僧侶がい た。 彼 ら が作っ た瞑 想セ ン ター は, すべ て, バ ン コ クか ら遠 く 離れ た森の 中に あ り,ara
面 ascnasana(
森 林 道場 ) と言わ れ て い る。 こ の うち , バ ン コ ク か ら約
700km
離
れ たUbol
Province
のBanguwa
に ある watBapong
を , まず 始め に訪ね た。 こ の セ ンタ ー は ,2
年
程 前に亡 くなっ た , タ イ 人 な ら誰
で も知
っ て い る著名
な僧 侶Achan
Chah
に よっ て創
設 さ れ た。 こ こに は 西洋 人の た めの セ ン タ ー もあ り,現在
, セ ン タ ーの住
職は, カ ナ ダヒ座 仏 教 三国に お け る瞑 想の 調査 報 告
85
人の
Rcv
.Pasanno
で ある。 彼が 今回の 取 材 協 力者 であ る。Achan
Chah
はタイ だ けでな く, ヨ
ーロ ッ パ におい て も有
名
で ある。
Achan
Chah
の師
はAchan
Mun
で あ り,彼
は タ イ に瞑想 を広め る ため に大 き な役 割 を果た し た とい うこ とで 知 られてい る。
Rev
.Pasanno
に よれば, 仏 教 徒で な くとも, 信 仰が な くて も,民
族 を越 え, 正 しい 形で行 えばだ れ で も瞑想
はで きる とい う。 西洋 人は論理 的に もの ご と を捉える こ とがで きる分 だ け ,瞑想を学ぶの も早い とい う。 ヨ ー ロ ッ パ 人の た めの セ ン ター を作 っ た の は, ア メ リカ人のRcv
.Sumedha
で ,彼
は現在
イ ギ リス に在 住 して瞑 想 を広め て い る。Achan
Chah
か ら始まっ た ヨ ーロ ッ パ 人の僧た ちの 瞑想実
践 は, 世界の各
地で大き な役 割 を果た して い る。 l5 ;b次
に訪
問 した の は,Udorn
Province
の watBa
Ban
Tad
で , こ こ は,Rev
.Achan
Chah
の 弟 子で ある住 職 のRev
.Maha
Boova
に よっ て始
め られ た。 彼 も また, タイの 人々 か ら尊敬 さ れて い る僧 侶の 一.一人である 。
私
が訪
ね た時
, あい に く留
守で 会 うこ とが で きず, イ ギ リス 人の 僧 侶か ら取 材 した。 こ の wat の特徴
は,他
の wat で は外 国 人と タ イ 人 は ,各
々 別々の セ ン ター に別 れて瞑 想を行っ てい るの に対 し, すべ てが平等
に行われ てい る という点
で あ る。 建 物 はすべ て 質 素で , 広 さが500
エ ー カ ーある森は 自然の ま ま で , 瞑想 を行 う
場 所 とし て は,他の セ ン タ ー に 比べ て優 れて い る ように思われ た 。こ この 住 職は,
Rev
.Achan
Chan
の 教 え を継 承 してい る。3
番 冖
に訪
問 し たの はAchan
Buddhadasa
が住 職
を し て い るSurattani
くの
Province
の watSuwanmoke
で ある。 こ こ もarafifiasenasana
の 場 所 と して静か で , 瞑想す るには 大変ふ さわ しい 場 所で ある が, 住 職は たん に瞑 想 を教 えるだ けでな く, 仏 陀の あら ゆる教 え を実
践す
る最
も優
れ た僧侶
で ある。 伝 統を重ん じる他の wat と ち が い , この wat の 特 色 は,住
職の パ ー ソ ナ リ テ ィ に よ る と こ ろが大 きい 。 瞑想 は ,特 別に静か な場所で 行 うの が 般 的で あ るが,Rev
.Buddhadasa
の考
えは,自
分が置かれ た状 況の 中で実
践 す るの もつ の
瞑想
の あ りか たである とい う。 他に類の ない 独特
の もの で , 中国や 日本の 瞑想法
に似 た タイ プで ある。 このBuddhadasa
師は , タ イで は有 名
86
/t一リ厂」}≒イム孝攵〉とイ[グ7
: な学 者
で , 英 語で 書い た もの も含め て数 多 くの 著 書が ある。 彼が他の 僧と異 なる点
は、師
の 立場か ら瞑 想 を教 えるの で はな く, 共に瞑 想を行お うとする 態 度, そ して , 人々 の どん な質 問に対 し て も気 軽に答える とい っ た とこ ろ で ある,、瞑
想につ い ての 知識が い くらかで もある 者にとっ て は, こ こ は瞑想 を行
うの に最 も適 した場 所で ある と言 えよう。 こ の wat に は美 術 館が 併 設 され て い る が ,例 え ば , この 仕事 に専 念 す る こ と も,つ の 瞑想 になる と師は語っ てい る。 こ れ も伝 統 的な瞑 想 法に必 ず しも固執 しない 師の 態 度 をよ く表 して い よ う、,
1
. スリ
ラ ンカ に お け る調
査
タ イで は僧 侶の み を取 材 対 象とし,他の 一般の 人に会 う機 会が なかっ たが, ス リラ ン カ は, 自分の 故 国であるため,言 葉の 壁 もな く, 閂由に幅 広 く取 材 する こ とが で きた。 1.7)(
1
>Rev
,Rerukane
Chandawimala
Rev
.R
.Chandawima
!a は ,Western
Province
,Pekunuwita
のVinaya
−lankaramaya
に 住 し, ス リラ ン カ ・シ ュ エ ー ジ ン (Srl
Lafika
Amarapura
Swejin
Nikaya
)派 第三代 目の 現管
長で ある。 師は ミャ ン マ ーで 瞑 想を修 得 し ,帰
i
玉1
後、Vipassana
Bhavana
Kramaya
(シ ンハ ラ語)な ど多
くの 著 書 を出版し て , 学 者 と して も その
名
は 知 ら れてい る。 た だ, すで に96
才の高
齢である た め, イン タヴュ ーで は多
くを聞
くこ とはで きな かっ た 。 そ こ で ,師
の弟
了 ・ や 著 書 か ら, 師の瞑想 に対 す る考
え を探 っ た。 師は, 瞑 想 の た めの特 別の場 所 を確
保 す る こ と よ り, 生活の 場 で それ ぞ れ が 出来る形で 瞑想す る こ とが 大 切で ある として い る、, 難 しく分か りに くい 瞑 想の 内容を易しい 旨葉で説
明 し て , 多 くの 人々 に瞑 想の 実践 をす すめ た の で ある。 181(
2
)Rev
,Balangoda
Ananda
−Maitreya
Rev
.Balangoda
Ananda
−Maitreya
は1896
年 に生 ま れ,
1911
年 に 出 家,1916
年
に upasampada を受け た。伝統
的な師弟
関係
の 下で, 独 学で 語 学 を1:座仏 教 「国にお ける瞑 想の 調査 服告
87
れ る。1956年
ビル マ で 開か れ たBuddhajayanti
に は ス リラ ン カ代表
と して 活 躍 した。 こ の時
, ビル マ におい て 瞑 想法が進ん で い る こ と を知っ てこ れ を修
習し, ビル マ式
〔腹式)瞑想法
をス リラ ン カ に ひ ろ め た。 ま た, イン ドで ヨ ーガを実
習 した こ と もある、,師
は催
眠術(
hypnotism
)の 特 技 を持 ち , 一時は人々 に過去
世の 生活 を想 起せ しめ て精神
の正常化
をは か っ た 。 しか し, の ちに, 仏 陀の II・1
法で は ない と して こ れ を捨
てた。彼
は また ,1959
年以 降ス リラ ン カで 出版が継 続
的におこな わ れ た
Buddhajayanti
Tripitaka
Series
(
パ ー リ語
・シ ンハ ラ語 訳 対 照)
の
Chicf
Adviser
を もつ とめ た 。ま た 同 じ く’
1
959
年Vidyadaya
国立 大 学の 設立 にあ た っ て は大
乗仏 教 担 当 の 教 授, の ちに学
長(
Vice
Chancellor
)に推 さ れ た。師
の所属
するAmarapura
派
は24
の 小 派 に分 裂 して統
一の 難 しい 派である が, 師は は じめて全派を統 括 するMahanayaka
Thero (
管
長 職 )に選ばれ た 。 しか し,師
の 辞任 後
こ の 職は空 席の ま まで ある。師が イ ギ リス にお い て
Chithurst
のForest
Monastery
(
住持
Ven
.Achan
Sumedha
)
に ヨー ロ ッ パ 最 初の 上座 仏 教の 戒 壇(
シーマ ・一を
築
い て, ヨ
ー
ロ ッ パ におい て
初
めて受
戒が で きる よ うに したの も忘れては な らない 功 績であろ う。
Rev
.B
.Ananda
−Maitreya
は , 名実 共に上座 仏 教 界の 最 高 峰で あ り,現 在98
才の高 齢で ある が, 運良
く直接
に取材
する こ とがで きた。師
は世界
で行
わ れて い る瞑想 法 につ い て語
り , ヨ ー ロ ッパ , 特に イ ギ リス です ぐれ た境 地に 到達で きてい る人が い る と述べ た 。 師は ,瞑 想で大切なの は, その師
を選ぶ こ とである と強 調 してい た 。師
の 選択を誤る と精 神状 態の 混乱が生 じるという
。師
の瞑想
につ い ての 深い 知 識 には感 銘 を受
けた。師は, 現世で 実 際に悟 りが得 ら れ る か否か 分 か ら ない が ,長い 輪 廻の 中で い つ か は きっ と仏陀 に成 りたい とい う個 人 的な願い を
持
っ てい る とい う。 こ れ は驚 くべ きこ とで ある。何故
な ら, 上座仏 教で は, こ の カル パ の時代 に は誰
一一人 と して仏 陀になる こ と は で きず, ア ラハ ン になるの が 最高
で ある と信
88
パ ーリ学 仏 教 文化 学 じて お り,師
の よ うな願い を持っ た 人 に は, 未だ会っ たこ とが なか っ た か ら で あ る。ス リラ ン カには, 現 在,
200
近 くの 瞑 想セ ン タ ーが ある が , 民 族 抗 争が 未 だ解決
され て い ない の で調
査 に行
けない とこ ろ もある 。ま た, ス リラ ン カの 僧に は, 元 来, 二 つ の 型がある 。 (1)は, 森 林におい て 瞑 想 を行 う僧
arafifiavasim
,(2
)は,村落 に おい て 宗 教 活動 を行 っ た り学 習 し た りす
る人 達gamavasilp
で ある。 瞑 想セ ン タ ーは , arafifiavasirpの影響
を 強 く’受けてい る 。以 下, 瞑 想セ ン タ ー
(
bh
きvan,
i
−majjhat しhama
orarafifiascnasana
)につ いて 述べ て み た い 。 〔9〕 〔
3
>island
Hermitage
ス リラ ン カの 南部 地 方,
Galle
の 近 くにあるDodanduwa
湖の 中の ひ とつ の島
に作ら れ て い る小さい 瞑想セ ン ターで ある。 こ の セ ン タ ー は , ドイツ 人 学憎Rev
.Nanatiloka
によっ て 始め ら れ た。 彼は多
くの 仏 教 書 をい くつ かの 言 葉で著 した世 界的に著 名な僧で あっ た。 しか し,彼の 没 後は適 当な後 継 者 が得 られず, こ の セ ン ターの レヴェ ル は落ちて しまっ てい る,, かつ て は修行
僧が何10
人 もい たが , 今 日で は6
人が住ん で い るだ けで , 彼ら白身
も, そ れ ぞ れ が 自分の 瞑想を行 うため に生活し て い るだけで ある、, 以前は外国 人もよ く訪れ た が, 今は閑散と し た状 況である。 CIo]i(
4
)Salgala
Meditation
Center
1940
年 頃か ら始まっ た ス リ ラ ン カの 有 名な瞑想セ ン ターの .一つ で ある。 こ こ の 特 徴は ,経 典 (Dighanikaya
,Majjhimanikaya
,Visuddhimagga
)の 中で 説 明され て い る石窟寺
院の 形が その ま ま保存
さ れて い て , 瞑想
を行
うの に き わ め て 適 した場所だ と考
えら れて い る。 そ こ を訪
れて み る と確
かに経 典の中 の 階界が その ま まに あ り, その 意 味で は, こ れ 以 一ヒの 埋 想 的 な森
林 道場は他 に類が ない 。 しか しな が ら, そ こが 瞑 想に ふ さ わ しい場所
で あっ て も, mcditation mastcr も存在
せず , 組織
も な く, 伝 統 的な形 態は失わ れ て い る。 歴史 的に 見 る と, 瞑想が盛んで あっ た か否か とい うこ と は, 師とか組織の 問ヒ座仏 教三国に お け る 瞑 想の調 杳報 告
89
題に関わっ てお り
, 時代 によっ て
活
発に なっ た り衰
退 した りして い る。(5)
M
・ti
,19
、ia
M
。dit
。,i
。 ,C
。 ,戳
Mitirigala
Meditation
Center
は, 最 近有 名に なっ た瞑 想
セ ン タ ー としては, 理
想的
な場所
である。 ここ で瞑想
を行 う僧 侶た ち は ,長 期 にわ た り瞑 想を続け る入々 である。 したが っ て ,短期 間の 瞑想 を求める人
, つ ま り
初心
者は こ こで 瞑想を
行
うこ とはで きない 。c12)
(
6
)Gnanarama
Meditation
Center
この セ ン ター は, ある
資
産 家 によっ て作ら れ た。 その 目的は, 人 々 が 自ず と合掌
した くなる よ うな尊
い僧
侶を育て る こ とにあっ た。 実際
には , その た めの 戒律
が どこ の セ ン ター よ りも厳 しい もの と な り,僧 侶た ち は その戒 律 を 守るこ とに終始
する こ とになっ て し まっ た。 結果 と して, 自発 的に瞑 想 を行 お うとす る形 態は見ら れ な くな り, その意味
に おい て特殊
なセ ン タ ー となっ て い る 。 (7
)K
。,d
、b
。d
。1
,t
。rnati。 ,al.M
。dit
。ti
。 ,C
。,1
ε
}
こ こ は, コ ロ ンボ市 に近い
Kanduboda
にある瞑想
セ ン ター で ある が , い ろ い ろ な意味
で多
くの 役 割 を果た してい る ように見ら れ た。 この セ ン ターの シ ス テ ム は,先
代のRev
.Sumatipala
に よっ て作
ら れ ,それ が その ま ま継 続 さ れ て い る。 普 通,ス リラ ンカ で は, その寺
院の伝統
が守 り続け ら れる とい うこ と は あ ま り ない が , こ こ は, 先 代 の 教 え を よ く 守 る若
いRev
,Madawala
Upali
の手
に よ っ て継
承さ れてい る とい う点 におい て,特徴 的
で あ る。 瞑 想は2
週 間とい う短い 区切 りをもっ て や さ しく教 えて い る 。 それ以 上続 けた い 人々 の た め に は , 他の セ ン タ ーを紹 介 した りする役 目を果た して い る。 こ こ の 瞑想の 目的
は悟
りを求め るだけで な く , 個 々 の現 実の 生活
の た めの もの で あ り,self contro1 的な性質
の もの で ある。外
国人の ため には, 瞑想が何で ある か を教
える。 こ の セ ン ターで主 に用い られ てい る 瞑 想法 はanapanasati (
ビル マ 式)
である 。 こ こを訪れ る人は, 外国 人 ・子 供 ・老 人 ・ 政 府の 役人 ・教師等 と実に多様
である。 ま た, 末 期 症 状 の病
人に対
する精神 的 ケア も実 施 して い る。
90
パ ーリ学 仏 教 文化 学こ の よ う に, こ こ は社 会に対 して は非常 に価 値 ある活 動 をし てい る セ ン タ ーであ るが ,
難点
として は,10
人以 トの 入々 を収 容 するに は規 模が小 さ過 ぎ, よ り良い 瞑 想 を行うにはふ さわ し くない とい うこ とで ある 。 同様
の 形 式の セ ン ター は他 に も 見 ら れ る。(
例 え ばt コ ロ ン ボ のGerman
Dharmaduta
Meditation
Ce
!itcr ,Vipassana
Meditation
Center
など)皿 .
ミ
ャ ンマ ー にお け
る調
査
最
後
に ミャ ン マ ーの報告
に人 るが, ミャ ンマ ーの瞑
想は , ス リ ラ ン カ や タ イの そ れ と比べ る と純粋 な 形 が あ り , しか も盛ん に行わ れて い る こ とが こ の 調査で 理解で きた。 また, ミャ ンマ ーはス リ ラン カと同 じく, イギ リス の 植 民 地であ っ た た め英 語が通 用 し, タ イ よ りも調 査 し易い 状 況にあっ た。ヒ座仏教国の 中で ミャ ン マ ーは, 瞑 想 につ い て 最 も熱 心な国で ある と, ス リラ ン カ で 昔か ら言わ れ て い た が ,実 際 に取材 して み て確か に その 通 りであ るとよ く理 解で きた,,
ス リラ ン カ で は, ア ラ ハ ン になっ た と され る最
後
の 僧は2
世 紀(
その名
はMaliyadeva
) く らい で終わ っ て い る が, ミャ ン マ ーで は, 現 在で も, ア ラ ハ ン に なる人が ある と言 われて い る。 ミャ ン マ ーで は瞑想の 伝 統 を守 りな が ら も, 常 に新 しい 形を創 り出 し, それ を ま た, わか りや す く説 明 しなが ら実 践 するこ とに よ り,層 盛 ん に なっ てい る。 こ の 国の 瞑想
法
は ,他の 上 座仏 教の 国々 に も昔
か ら影響
を与えて来て い る。他の 国々 に ミャ ンマ ーの
Meditation
Center
は あっ て も,逆
に, ミャ ン マ ー に他の 国の iMeditationCenter
は存 在 しない の で ある。ミャ ン マ ーで は , 瞑想 を
行
う寺
院 も人 数 も大変多
く,僧侶
だ けで な く …般
の 人々 もこれ に関心 を持っ て い て , 時 間があれ ば誰 もが い つ で もセ ン タ ーへ 行っ て 瞑 想 を行う。 そ れは人 々 の 生活習慣 となっ て い て , 信仰 心 も非常 に厚 い c、 そ し て, どん な寺院で も,僧 侶 ・老若
男 女を問わず一緒 に瞑 想を行 う, とい う形態
は, ミャ ン マ ーの特徴
であ
る 。ヒ座仏 教一三国 にお け る 瞑 想の調 査報 告
91
くエの
(
1
)Mahasi
Sayadaw
Meditation
Center
まず 始め に訪れ たの は, ラ ン グ
ー ン にあ る
Mahasi
Sayadaw
Meditation
Center
で あ る が , この セ ン ターの 創立 者は,Rev
.Mahasi
で ,彼
はア ラハンである とい う
伝
説 もある ほ ど有名
な僧 侶で ある 。 イ ギ リス 植 民 地か らの 独 立二後
, 瞑想
は再び盛ん に なっ た が , その 瞑想の 発展 に最 も大 きな役 割
を果た した の が彼で あ る と Il わ れて い る。 そ して ,1956年
のBuddhajayanti
に お け る第
6
回結 集 が, こ のRev
.Mahasi
を上 首と して, ラン グ ー ン で 行われ た 。 こ の こ と は 歴史
に残る もの で,彼
がい か にす ぐれ た高
僧であっ たか が わ かる。 彼に よっ て始め られ た 瞑想セ ン タ… は, ミャ ンマ ーで最 も多
くの支部
を持っ て い る。 調査 を行っ た 日には, 僧侶 と女性修行
者, そ して 一…般信 者,合 計 し て482
人 が瞑 想を行っ て い た。Rev
.Mahasi
の 瞑 想 法 は,Visuddhimagga
な どの 原 典 に説 か れ て い るanapanasati の 形よ りはい くらかずれ て い る 。
自
分の 鼻に よっ て 入息
・出息 を確認す
る の が その 原態であ るが ,瞑 想の 始め に,腹
に手 を当て て, その 入 息 ・出息
を確 認 する とい うの が 師の方 法で ある。 こ の 方法は, 今 日, ス リ ラ ン カ で は, 原典
に忠
実で は ない とい うこ とで疑 問を持
た れてい る。 こ の こ と につ い て , この セ ン タ ーで外国 人 に瞑 想の 指 導 を してい るU
.Jatila
Nayaka
に尋ね て み た とこ ろ, こ の 方 法は原 典を曲 げる もの で はない という答
えで あ っ たv ふつ う, 瞑 想セ ン ターは ,創始
者の 没 後 衰退するこ とが多
い が , こ のMahasi
Center
は(
ス リ ラ ン カを も含め て),すべ て の 支部でその形 態
が今
日 も その ま ま継 承 さ れてい る。 これは極
めてめずら しい こ とである 。 (15〉(
2
)Mogok
Meditation
Center
Mogok
Meditation
Center
は,Rev
.Mogok
に よっ て 始め ら れた とこ ろからその 名が ある。
Rev
,Mogok
もRcv
,Mahas
{と同 時 代の 人で, ア ラ ハ ン
に なっ た と
伝
え られて い る。他の
多 く
の セ ン ター と異 なっ て, こ この 瞑想法
は,原 始 仏 教の 教えにあるよ うに, 初 歩 か ら次 第 に 瞑 想 を深 め て い く 形 を と る。
始
め は 初 歩 の
92
パ …リ学 仏 教 文化学 の 法 を観 ずる。 これ は仏 陀が 成道
の時
に得
た とい う縁 起 を基 本に して 瞑 想を行
うこ とに よ り, 縁 起の 理 法 を体得
し ようという方法
で ある。Rev
.Mahasi
と同 じ く創立以 来,今日で も同 じ レ ヴ ェ ル で瞑想
が行
わ れ てい る。調
査 を行 っ た 日 には,400
人ほ どの 人 々 が 瞑 想 を行
っ て い た。Mahasi
Center
で は僧侶
・女性 修 行 者 ・在
家 信 者 が 別々 に瞑想
を行
っ て い たの に対
し, こ こ で は , 全 員が 同 じ ホール で瞑想 を行っ てい た。 U6}(
3
)International
Meditation
Center
Intemational
Mcditation
Center
は, 政 府の 元 高官で あっ た
U
.Bakhin
と い う在
家 信 者 に よ っ て1953
年に創 設 さ れ た 一般信者
の た め の セ ン ターで あ る。 瞑想 を行 っ てい る信 者の多 くは,定年
退 職者であ る。 現在
イ ン ドで有 名 な瞑
想者 U
.Goenka
もこ こ で瞑 想 法 を学ん だ、,外
国か ら参加
する 人 が多
い の で , イン ドや欧米各
地に支 部が ある。 瞑想法
はanapanasati
で ある。 [[[711(
4
)Sunlun
Sayadaw
Meditation
Center
多
くのBasic
Ccnter
が 首都
ラ ン グー ン にあるの に対
して , この セ ン タ ー は中央 ミャ ン マ ーのMayangon
に ある。 しか し,今
回の調
査 地は, ラ ン グ ー ン にある支 部である。 こ の セ ン タ ー は ,昔は 盛 んで あっ た と思 われ る雰 囲 気 を残 して い るが ,今 日で は瞑想者
も少
な く,衰
退 して い る ように 見 えた,、 お よそ50
人ほ どの人 が瞑想
を行
っ て い るだけであっ た, こ こ で の 瞑 想 法は, 最 初の40
分 問位, 入息
・出息
を音
を 出 して は げし く繰 り返 し, その 行 為によ る 痛み を全 身で感
じ るこ と に よ り,dukkha
(
苦)
を知 り
,悟
りへ と導
い て い くとい う方法
であ る。 (181](
5
)Mohnyin
Sayadaw
Center
ラ ン グー ン の
Boundary
Road
にあるMohnyin
Sayadaw
Center
の創 設 者Mohnyin
Sayadaw
も また,Mahasi
と同時 代の 人で あっ た。 現在
の 住 職U
.Zaniya
の 話に よれば ,彼 (Mohnyin
Sayadaw
)は瞑 想の 指 導 者 と し て の みならず, 学 問僧と し て も有
名
で あっ た。彼
は, 瞑想を行 う前に弟
子た ちに アビダ ン マ の
講義
を した。 ア ビダン マ の 理解
を深
め こ れ を瞑
想の 基本
にす
る ことで悟 りへ の 道を
歩
むこ とが 最 上で あ る と考
えた の で ある
L
座 仏 教 三国における瞑想の調査 報.告 93 の セ ン ター も栄 えてい た が ,徐々 に さびれ, 現在
で は訪れ る 人 も少
ない 。 ア ビ ダ ンマ の 理論
に基づ く瞑想は難 し く, こ れが 人々 に敬 遠 される原 因 と なっ たの で あろ う。 麗。 三国
の比
較
以 上, 二 か 国の 瞑 想法を比較 する と, い ずれ も上座 仏 教で あるか ら基 本 的 には同 じで ある もの の,相 違 点 も
少
な か らず ある こ とが判明
した。 ス リラ ン カ もタイ も一般
の寺
院に比べ て ,瞑想
セ ン タ ーの数
は大
変 少 な く, 従っ て 瞑 想 を行う
僧 侶 も一般の 人々 も少ない とい う点で共 通 してい る が, ミャ ンマ ー は セ ン ターの数
も瞑想 者の 数 も大変多
く , 瞑 想に対
する関 心が高い 。タイの 人々 は
瞑想
の効
果が得られ ない時
はす ぐに止め るが, 瞑想 を続 けて 行 う人に対
して は厚い 尊 敬 をは らい , 喜ん で布施 をする。 ス リ ラン カ で は結 果の い か ん を問わず, 一般の 人 々 も瞑想 を行う
。 日常 的に, 短 期 間であっ て も行っ て い るが, ポ ー ヤ ・デイのよう
な行事
の あ るbi
は特に熱心 に瞑
想を行 う。 こ れ は ,悟
りの ため とい うよ り,精 神の 平安
を得
る ため であ り , また, 輪廻を信 じて よ り よい 来 世へ の再
生 を願 うという
意味
が大
きい の で ある。 二 つ の 国が瞑想
か ら何か を得
ようとする傾 向が あ るの に対 して , ミャ ンマ ーで は純 粋に悟 りの た めに瞑想 を行 う率
が高い 。 従 っ て, ミャ ンマ ーで はア ラハ ン に近い 人が存在
する と考
えられて い る。タ イで は, ア ラハ ン に近い 形で亡 くなっ た僧
侶
に対 して,像を作 り , 写真
を額 に 入 れ, 家や バ ス の 中に飾
っ た り,ロ ケ ッ トに して胸につ けた りして人々 は析る が, そ れ は, 現 世利
益 的 要素に よる もの であ
る。 ス リラ ン カで は ,ブ ッ ダ時代以降 , 歴史
の 中で その よう
な形は全 くない 。 ア ラハ ンに な っ た とさ れる僧 に対 して, その 人が生 きてい る間は尊 敬 をは らい布
施 もするが , 亡 く なっ た後は , その 人の 歴 史を大切 にする だけで ある。ミ ャ ンマ ーに お い て は, アラハ ン に ふ さ わ しい 生 き
方
を し た人に対して, 亡 くなっ た後
火葬に際して , 骨の 色 を確
か め る とい う習慣が ある。 ア ラ ハ ン にな っ た 人の 骨は特 別 な色 をして い る と信
じ られてい るか らで ある。 そ して,94 ノく・.リ学三イム教二文 イ匕学: その ア ラハ ン の 像を
作
り, セ ン ターの メ イン ホールに置 きT その 像の前
で瞑 想を行 うの で ある、三 か国に共通 してい る こ と は,
前
に も述べ た ように, 創立者が有 名であ っ た時代は栄えて い た が,その 創 立者の 没 後は衰えて行 っ た とい うこ とであ る。 ま た, 指導
者の教え方が難 しす ぎ る 場合 もその 形 を継 承 する ことは困 難で あ り, 衰 退 の 道を た どっ て い る。 し か し, ミ ャ ン マ ー で は , 先 に述べ たMahasi
とMogok
の 瞑 想セ ン タ ーは 今 日に至 る まで, その ま ま継 承 さ れ て い る。 タイ とス リ ラン カ では ,瞑想法
は各
セ ン ターに よ っ て それぞれ特 徴 的 に行われ る が , ミャ ン マ ーで は , 日課に従
っ て , どの セ ン タ ーで も同 じよ う に行わ れて い る。 共 通 して言えるこ と は, どこ の国におい て も, 分 か りや す い瞑
想はA
.napanasati であ り , こ の 方 法 は こ とに欧米
人 に好 まれて い る と い う点で あるv上 座 仏 教 の 伝 統 的 な 瞑 想 法 を
伝
え て い る も の にBuddhaghosa
のVig
. uddhimagga が ある。 こ れ は 上 座 仏 教 の 瞑想法
を最
も詳
し く説い た もの で ある、, こ こ に は40
種 類のKammatthana
(業 処 )が 述べ られて い る 。/
1
1)dasa
kasi
章臼n 圭(一卜遍 )
10
〔
2
)dasa
asubha(
十不浄) 1
()(
13
)dasa
anussatiyo(
十 随 念 )10
(
14
)catt自ro
brahmavih
巨ra([几
1
梵 住)
4
(
5
) cattaro arUpa (四 無 色) 4
1:
6
)ahfire
patikrtlasafifi
言(
食厭
想) 1
(
7
) catudhatuvav 罎hana
(
四界 差 別)
1
以 上の合計
40
であるが, 現在
, これ らの 中の どれ く らい の もの が実 際に使 わ れてい るか を, そ れ ぞ れに尋
ねて み た と こ ろ, この原 典 に従っ て行われ て い る形跡 は殆
ど な か っ た。彼
らに よれ ばVisuddhimagga
の 方 法は大 変 難 し い の で , 自分に行い やすい subject の み を選ん で行っ てい る, との こ とであ っ た。 あるacariya
は, その ような質 問を し た 意味 を追 求 した りす る よ り も, 瞑想の 実 践の 方が大切で ある, とい う答え を返 して来
た。i
遜丕仏 教 三国にお ける瞑想の 調査 限吉 95Salgala
Center
で は,Visuddhimagga
の教
え の 中 にあ るKasinamandala
が, 瞑 想 室であるk
叫i
に 置か れ て い た が , 現 在は使わ れて い ない とい うこ とで あっ た、,Sunlun
Centcr
を訪ね た時,5
{〕人 ほ どの 人々 が 入息、・出息
の 瞑 想 を大 きな 音で鼻
を鳴
ら し なが ら40
分 間行っ て い た が, その 瞑想法
の 由来につ い て尋
ね た時, 返っ て来
た答 えは, 亡 くなっ た先代
の 教 えで ある とい うこ とだ けで あ り,Visuddhimagga
に対す る 関 心は ない ようで あっ た 。Visuddhimagga
の 瞑想 法は, 現代
社 会に は難
しくて適 応 しに くい 面があ り, それぞ れの 師が時 代に合っ た方
法にア レ ン ジ しな が ら行っ てい る。瞑想の 目的は悟 りで あるか ら, …人の 本 当 の
師
が見
つ か る まで 師を求め続 ける とい う 人 もい る。 こ の タイ プは欧米
人 に多
い 。多
くの 欧米 人の 瞑 想に対 する好 奇
心 は 旺盛で あ るが , これにつ い て の カナ ダ 人のRev
,Pasanno
とス リラン カのRcv
,Upali
の見 解 は, 「瞑
想 を行っ て い る う ちに分かっ て 来る 。 その好奇
心 は, しか し, 瞑 想の邪魔
になる もの で は ない 。 、 とい うもの で あ っ た。Meditation
Center
に は, 短 期 間で誰
で も参
加で きる セ ン ター と,真の 瞑 想 を行う
セ ン ター とがあ り,後 者
は森
林の 中に あ っ て monastery と呼ば れ る こ とが多
い 。 この monastcry には指
導者の い ない 場所 も多
く , それ ぞ れ,自
由に行っ て い る。 ま た , 一一 人ひ と りがそこで 個々 に生活 してい る場 所は,arafifiasenasanaya
と呼
ばれてい るCタイ ・ス リ ラン カ の 有 名なセ ン ターの ほ とん どは
2rafifia
にあ り, 静寂
の 中で 行 う瞑想の 本 来の 形を持っ て い るの に対 し, ミャ ン マ ーの有 名 なセ ン タ ーは多 くは首
都ラ ン グ ー ン にある。 その 理 由は,悟
りは個 人の 心の問 題であ るか ら arafifiaである必 要は必 ず し も な く,置か れた 状 況の 中で ど こ で も瞑想
はで きる, とい う考 えに よる の である。瞑 想は時代 と共 に, そ して その 国の 状 況に よ っ て 変
化
して来て い る 。 イ ン ドか ら拡がっ た瞑想
は 三 か 国でそれぞ れ育ち発 展 し, 互い に影 響を与
え合っ て い る こ とが, この 調 査 を通 じて 理解で きた。96 パ ・一 V学仏 教 文 化 学
現 在, 欧 米 人の 寄せ る瞑
想
へ の関
心 度は高 く, 彼 ら は瞑想
を実
践 した後
, それ を それ ぞれ の 国に持 ち帰っ て 行 く。 例 えば, タ イ で 瞑想を行
っ たRev
.Sumedha
(
ア メ リ カ 人)
は仏 教 書 の 出版 を精 力 的に行 い , 瞑 想 セ ン ター を イ ギ リス にい くつ か設 立 してい る 。タ イ ・ス リラ ン カ におい て も,欧
米
人の 瞑 想 実 践者の 数は多
く, その 関 心 度の 高 さ を うか が わ せ る。 ミ ャ ンマ ーは国の 政策上 ,外 国人の滞在
ビザ は2
週 間の み とい う状
況があ
る に もか かわ らず
, この 国を訪れ る欧米人 は後
を た た ない 。 これ らの 現状 を見る と き,瞑
想は今 後 とも着 実に世 界各
地 に拡
が っ て行
くで あろ うと思わ れ るe 注(1)
Jack
Kornfild:Living
Buddhist
Masters
.Unity
Press
,1977
参照。(2) バ ン コ クの Bhasichareon にあ る
Wat
Paknam
はMahanikaya
に属 し,外 国入 を応接で きる比 匠が 数人い るe 取材を求め た とこ ろ, Phra Bhavana
Kosol
Thera
に紹 介され た。 日本語 が話せ る か らで あっ た。 相 当な老齢 と見受け ら れたtt
(3) バ ンコ ク の Pramane
Grounds
に あるWat
Mahatat
(Dhammayuttikanikaya
)には,外 国人 に瞑想 を 教 え る
Phra
Maha
Subha
が い る。 私が訪 問し た時には,10
人程の外 国人 を指 導 してい た。この 寺に は英語の 文献を販売 するセ ク シ ョ ンが あっ た。
(4} バ ン コ クの
Phra
Sumeru
Road
に あ るWat
Bovoranives
(Dhamm
三iyuttika −nikaya )は Sangharaja の 寺で あ る。 こ こ の Phra Rajvaracharn は イン ドネシ ア な
どの 国々 に タイの 瞑想法を広め てい る。 私が訪 問した時も,イン ドネ シアか ら来た
出 家志願者に瞑想の 仕 方を教 えて い た。
〔5) タ イ国
UdQm
Province
のThambol
に あ る WatBa
Ban
Tad
で 会っ たRcv
.
Pannavaddc
〕は イ ギ リス 人で, ヨーロ ッ パ の物 質 文 明の 中よりもタイの monastery
での 人 生の方が, 人間とし て生 きる こ との意 味を見つ ける こ と がで きる, とい うこ
とで あっ た。
〔6)
Surattani
Province の Chiya に ある WatSwan
Moke
のAchan
Buddhadasa
は,
私が取材 して い た時, すで にい くら か体調をこ わ して い ら れ た が, その後 6 か月ほ
ど で亡 く なっ た。
(
7
〕 前田 惠學編 『現 代 ス リラ ンカの 上 座仏 教』 (山喜 房仏 書林 ,
1986
)p
.67
参照。(8) コ ロ ン ボの
Battaramulla
,Vivekaralnaya
在住。 Pandit lttepana DhammalankaraThero
:Budu
Bava Patana , Balangoda AnandaMaitreya
Mahanahimi
,1993
(シ ンL座仏 教.一三国 に お け るll冥想の 調 脊:報 告
97
パ ラ語 )参 照,
(9) 現 住 職 は
Rev
.Korasagoda
Nagita
で ある、,彼は現 在の 衰 退 したセ ンターの 状 況
を憂えて い たc,
Middle
Province
,
Saigala
のSalgala
monastory の Rev . Atthadassi に会 うこ と がで き た。 彼はT 瞑想の た めの伝 統 的な場 所 monastarv に住み, 経典に示されて い る
通 りの生活を 送 っ てはいる が
, 本tYJの瞑 想 には行 き着け ない とい う悩み を語っ た。
{:11:IMiddlc
Province
,Mit
{rigala のForest
Hermitage で は,Rev
.Dhammananda
に会うこ とがで き た。
(12:IiMitirigala に は
, 有 名な Forest
Monastery
と, 今…つ
Sri
Gnararama
Dharma −yatana
が ある。 後 者は, 現在, Rcv . D . MangalaSiri
が住 職をし て い る。 こ こ で は,
5
,6
人の 比 丘が,ブッ ダの 時代 よ りももっ と き び し く外出 ・面 会 ・食 事等の制 限を し た 戒律を守っ て生活をし て ,悟 りに達 する こ とを期待 して い る信 者 (
d
細aka )の信 頼を受けて瞑想を行っ てい る。
{13:IKandoboda の
Delgoda
にある この セ ン ターの 若き師M
.Upali
は,科学の 勉強
を して教師と な り,その 後 ,入 生の意 味を理 解 する た めに 瞑想の 道 を選んだ とい う。
{:14:1 ラ ン グーン の Bahan
,
Mahasi
Sasana
Yeiktha
にあるこ の セ ン ターは , 世界的 に 見て も, 最 も優 れ た 瞑 想の 場所 と言 え るc こ こ を訪れる外 国人 も多 く,そこ に は英
語で説 明で きる師もい る,, 私は,こ こ で
U
.Jatila
Nayaka
に 会 うこ と がで き た。 (電1 ラ ン グーン のNatmouk
Road
にあ る こび)セ ン ターに外 国人の 姿は見 えず, ミ ャ ン マ t−一人の た め に交代で 瞑想を教える7
人の 師がい た。 私は,U
,Janitalankara
に 会 うこ とが で きた。
ラ ン グーン の
Inya
Myaing
Road にある こ の セ ン ター..一で , イ ン タヴュ ーしたU
.Tirn Yi は, 他の多くの瞑想セ ン ターの 師が僧 侶で あるの に対 して在家 者で あっ た。
彼は
70
才くらい で , こ こ で ずっ と瞑 想 を教 えて い る。働
ラ ン グ ー ンの
Okkalapa
に ある支 部を調 査 した。 私が 会っ た在職U
.Zaniya
Sayadau
は70
才 く らいの 入で,自分の 師の教え を忠実に守 り, 入々 に伝 えてい る。