新聞投書にみる文体の効果
「ですます体」と「非ですます体」の混用を通して一 熊 谷 滋 子
1.はじめに
まず、次の短いエッセイを読んでいただきたい。
ユーモアについて。くどの国民も彼らが最も恐れるものと同時に最も感心する ものを笑う〉。きのう早朝亡くなった河盛好蔵氏の『エスプリと土−モア』(岩 波新書)から。
アカデミー賞の「アメリカン・ビューティー」がまさにそう。アメリカが誇 る「中産階級の家庭」崩壊を笑う。監督は「ユーモアの原産地イギリス」(同書)
の演出家でした。
河盛著ですが、「笑い」についてきまじめに論じた好著です。
(「素粒子」『朝日新聞』2000年3月28日夕刊)
このエッセーの文末部分特に、4行目(「〜を笑う」)と4〜5行目(「〜でし た」「〜です」)に注目してみると、いわゆる「だ・である体」と「ですます体」
の両方が使われている。言語研究では、一つの文章の中にこのような複数の文末 表現が混在している現象を混用と呼んでいる。上でみたような、文末表現が複 数存在している日本語において、混用現象はそれほど驚くにあたらない。言文 一致運動が叫ばれていた明治時代には、今日以上に多くの文末表現があり、一 つの新聞においても、実に様々な文末表現が紙面をにぎわせていたという。(1)
本稿では、書き言葉、特に新聞投書(以後、投書とする。『朝日新聞』の投書 欄「声」)を対象に、文体の混用の特徴を探っていきたい。
2.先行研究
上述したような混用について、野由(1998)が独白の考察を行なっている。
野田によると、混用をめぐる研究は、「混用を例外的な現象とする」1960年代以
前から続いている考え方と、「敬語のレベル・ ̄シフトととらえ」、その意義を認 める、1980年代から提案されている考え方の、大きく2つがあるという。本稿 は、混用を例外的な現象とはとらえず、しかし、混用現象を単純に「敬語のレ ベル・シフトととらえる」立場もとっていない。また、後述するような野田の 立場、つまり、文の内容と文体(「ですます体」かどうか)を一義的に関連づけ てとらえる立場にもたたず、文末表現が文脈によっては、丁寧さの観点からだ
けでは規定できない様々な効果をもち、投書における書き手の心理、またはそ の動きを示す効果的な表現方法の一つである.ことを論じてみたい。
ここで、文体をめぐる用語についてあらかじめふれておきたい。本稿では、
従来いわゆる丁寧体とされてきたものと敬語の丁寧さとの混同をさけるため、「で すます体」と、「非ですます体」という分類表現をとりたい。「丁寧体」という 表現には、その文体が「丁寧」であるという価値付けがあるように思われるか
らである。したがって、本稿では、「丁寧体」という表現は使用しない。
野田(1998)では、「ていねいさ」から文章・談話をとらえ、文体と「聞き手 に伝達する意識」の有無、さら由ま、文の機能との間に相関関係があることを 指摘している。そこでは、「聞き手に伝達する意識」の有無を手がかりに、文を 5つに分類している。「従属文」(2)「事実文」(事実を表す)と「聞き手に伝達する
意識のないまま、自分が思ったことを述べる」「心情文」は、「非ですます体」
で表現され、一方、「聞き手に伝達する」「伝達文」(質問や命令)と「聞き手に 主張する」「主張文」(判断や説明)は「ですます体」で表現される傾向にある
としている。大まかにまとめると、.「聞き手への働きかけ」があると「ですます 体」で、そうでなければ「非ですます体」で混用される傾向にあるという。
また、野田は、「ていねいさ」という観点から、「ていねいさ考慮調」(「です ます体」と「非ですます体」)が「特定の聞き手がいる話しことば」に使われ、
「ていねいさ非考慮調」(「非ですます体」)が「特定の聞き手がいない書きこと ば」に使われるとして、話しことばと書きことばを区別している。
以上のような野田の所説に対して、次のような疑問を覚えるのである。まず、
「聞き手に伝達する意識」についてである0今回調査対象とするのは投書であ るが、書き手はどのような文体で表現しようと、読み手に伝達する意識は十分 にあると思われる。「ですます体」で書こうが、「非ですます体」で書こうが、
読み手に自分の考えを伝達しようとしている畔ずである。したがって、野田の 所説は、すべての文章にわたって一般化しうるものかどうか疑問に残るのであ
る。
−274−
また、話しことばと書きことばを「ていねいさ考慮調」かどうかで区別しな がらも、野田(1998)のあげてV、るデータは、新聞の通信欄、小説、インタビュー の書きおこしたものなど、多岐に渡ってはいるものの、_すべて書きことばから のものである。もし、「ていねいさ考慮」を「聞き手へ伝達する意識」とのから みで論ずるのであれば、話しことばからのデータの方がふさわしいのではない だろうか。
本稿では、投書を対象に文体の混用の実態をつかみながら、野田(1998)の 指摘するように、「聞き手へ伝達する意識」の有無と文体とが強い相関関係をもっ
ているかどうか具体例をみながら検討していきたい。繰り返しになるが、投書 という談話を取り上げた場合、.むしろ、文脈によって様々な意味合いをもち、
書き手の心理の変化が混用を通してかいまみることができるのではないかとい うことを論じたい。そのう ̄えで、投書では、混用される文の出現位置になんら かの関係があるのではないかということも考えてみたい。さらに、書き手の性
と文体の混用状況についても考察したい。
3.投書における混用の調査方法
本稿では、新聞の投書(『朝日新聞』東京版の「声」の欄に、1999年12月よ り2000年7月まで掲載された全投書)を調査対象とする。調べるものは、野田 の分類を採用し、以下の2つのタイプについて行なう。名詞止め文等について は、今回扱わない。
a)「非ですます体」を基本とした文章に、「ですます体」の文を混用してい る投書
b)「ですます体」を基本とした文章に、「非ですます体」の文を混用してい る投書
混用のある投書の数を投稿者の年代別、性別で提示し、さらに、混用された 文の出現位置について考えてみたい。出現位置については二 便宜上、投書の最 初の文、最後の文、最後の段落、それ以外の中間部分とに分けてまとめたい。
ただし、一つの投書に混用された文が複数あっても、一つとみなす。
4.投書における混用の調査結果
表1 混用のある投書数 ()は%
a )タ イ プ b )タ イ プ 全 投 書
年 齢 性 男 女 男 女 男 女
10 代 0 0 0 5 ( 8 . 4 ) 2 0 5 9
2 0 代 3 ( 7 . 5 ) 5 ( 6 .1) 0 9 (1 1 .1) 4 0 8 1 3 0 代 2 ( 2 . 6 ) 8 ( 5 . 5 ) 2 ( 2 . 6 ) 1 9 ( 1 3 . 2 ) 7 5 14 3 4 0 代 2 ( 2 . 2 ) 5 ( 2 . 2 ) 3 ( 3 . 4 ) 8 (3 . 6 ) 8 8 2 1 8 5 0 代 5 ( 3 . 6 ) 10 ( 9 . 0 ) 3 ( 2 .1) 1 3 ( 1 0 . 7 ) 1 3 7 12 1 6 0 代 4 ( 1 . 4 ) 4 ( 3 . 9 ) 4 ( 1 . 4 ) 7 (6 .1) 2 7 6 10 2 7 0 代 . 3 ( 2 . 2 ) 3 ( 4 . 4 ) 1 ( 0 . 7 ) 7 ( 1 0 . 4 ) 1 3 4 6 7 8 0 代 1 ( 2 . 2 ) 0 1 (2 . 2 ) 1 (7 . 6 ) 4 5 1 3
9 0 代 0 0 1 ( 2 5 . 0 ) 0 4 5
混 用 合 計 2 0 3 5 1 5 6 8 8 1 9 9 1 6
全 投 書 に 対 す
る 割 合 (% ) 2.. 4 3 . 8 1 .8 7 .4
表2(1)混用される文の出現位置 ()は%
最 初 の 文 最後 の文 最後 の段落 中 間 そ の 他 混 用 投 書 合 計 a )タイ プ
男 女
3 ( 15 . 0) 10 ( 50 . 0) 4 ( 20 . 0) 3 ( 15 . 0) 0 20 2 (5 . 7) 15 ( 42 . 8) ・ 6 ( 17 . 1) 9 ( 25 . 1) 3 (8 . 5) 35 b )タイ プ ■
男 女
1 (6 . 6) 2 ( 13 . 2) 1 (6 . 6) 9 ( 60 . 0) 2 ( 13 . 3) 15 5 (7 . 3) 4 (5 . 8) 0 55 ( 80 . 8) 1 (1 . 4) 68
(2)最後か中間か ()は%
最後の文+最後の.段落 中間 a■)タイプ
b)タイプ 男 女 男 女
14(70.0)
21(60.0)
3(20.0)
4(5.8)
3(15)
9(25)
9(60)
55(80)
−276−
表1より、全体として、女性の書き手による投書に混用が多い。男性が上回っ たのは、a)タイプでは20代、b)タイプでは90代だけである。ただし、90代 の男性による投書の混用例は、全体の投書数も少なく、1通しかないため、数の 上で考慮にいれるかどうか迷うものである。特に男女差が激しいのはb)タイプ
である。男性は、全体的に2%前後で安定しているが、女性の場合、混用数が 10%越えたのは、20代、30代、50代、70代である。
.表2より、男女ともに共通して、a)タイプでは、「ですます体」の文が出現 するのは、最初か最後の文や段落に多く、一方、b)タイプでは、「非ですます 体」の文が出現するのは、投書の中間位置に多いことがわかる。
5.考察
5.11「ですます体」と主張文、伝達文
まず、先行研究にそって、野田(1998)が指摘している、主張文、伝達文が
「ですます体」で混用される点について、以下の例からあ七はまらない例があ るというととを見ていきたい。a)タイプから、「ですます体」が主張文、伝達 文とはいいにくい文に混用されているもの、また、b)タイプから、「非ですま す体」が主張文、伝達文と思われるものに混用されている例をあげてみたい。
混用部分を中心に例示し、例を豊富にあげるため、それ以外の部分は大幅に省 略した。下線部が混用された文を示している。「」内は投書のタイ■トル、かっ こ内は、投書の掲載された年月日、投稿者の性、年齢を示している。まず、a)
タイプからみてみよう。
a)1「夢に終わった東京見物の杉」(2000.4.5 男性、63歳)
花粉症の季節、杉やヒノキが悪玉になっている。(中略)
母が亡くなって九年たち、父も昨年、母を追ったのは同じ季節でした。
a)2「今の世の中に女人禁制とは」(2000.2.13 男性、51歳)
新しく大阪府知事となった太田房江氏が就任の記者会見で、三月の大相撲 春場所千秋楽での府知事賞授与のため、土俵に上がる意欲を示した。(中略)
男女雇用機会均等法の導入を機会に、働く社会での男女間格差はなくなっ てきています。多くの分野に女性が進出しています。新幹線には女性運転士 が登場します。単純な比較は出来ないにしても、あまりにも対照的ではない
でしょうか。
開かれた相撲界にするよう、時津風理事長には女人禁制としない英断を望 みたい。
a)3「現代の子守歌あればいいな」(2000.3.16 女性、79歳)
一月に、ひ孫が生まれた。私にとって初めてのひ孫だ。元気にすくすく育っ ている占.(中略)
だったら、今の時代に合った子守歌をつくって下さいと、作詞・作曲の先 生方にお願いしたい。母親(父親)が、子どもを抱いたまま歌える歌があっ
たらいいなと思うのです。
a)1については、下線部は伝達文、またはき張文とはいいにくく、ある種の 感慨を表現しているように思われる。a)12については、後半部分に「ですます 体」が混用されているが、最後の文(「開かれた〜」)にも書き手が主張したい
ことが表れているのではないだろうか。さらに、a)3は、最後の文だけではな く、その直前の文・(「だったら、γ」)もまた、伝達、主張の色の濃い内容なの ではないだろうか。
次に、b)タイプについてみてみよう。
b)1「論議起こした都知事の功績」(2000.2.15 男性、50歳)
拝啓 石原都知事様
(前略)
[第■4段落の2女目]都知事の外形標準課税の構想に、「騒ぎを起こす人だ な」という金融再生委員長の感想がありました。(中略)
どうぞ、都から国を変えるという言葉の魅力、魔力にもっと酔って、心お きなく騒いでいただきたい。
願わくは、この税に反対する側も「遺憾である」などで濁さず、力のある 言葉で対してほしい。
b)2「特別ではない授からない人」(2000.4.8 女性、33歳)
私は不妊治療を始めて七年目になります。人工受精、体外受精とトライし ましたが、いまだに子供に恵まれていません。(中略)
[最後の段落の2文目]マスコミで少子化イコール産まない人の図式が報 じられると、不妊の私たちは疎外されている気がします。少子化の背景には、
ー278−
不妊のカップルが増えている側面もあることを考えて欲しい。
b)タイプの例では、「どうぞ、〜いただきたい」「〜ほしい」という表現か ら分かるように、「非ですます体」で混用されているものも、書き手の最も言い たいこと(主張)が表現されていると思われる。
以上、投書を見るかぎり、野田のいう伝達文、主張文が必ずしも「ですます 体」で混用されているわけではないことがわかる。つまり、文体と文の内容が 一義的に決定できないのではないかということである。書き手の心理(の動き)
が、全体の基本の文体の中にあって、混用によってなんらカ千の強調がなされ、
状況によって様々な意味合いを帯びてくるのではないだろうか。さらに、野田
(1998)は、ていねい調(ここでいう「ですます体」)が基調の文は主張、伝達 文が中心に書かれ、中立調(ここでいう「非ですます体」)が基調の文が事実文
を中心に書かれているという指摘も、投書にはそれほどすんなりとあてはまら ないとおもわれる。投書においては、ていねい調でも中立調でも、事実を表現
したり、書き手の主張が表されているからである。
5.2 混用される文の出現位置
前述したように、文体と文の内容の間にはそれほど対応関係があると言いき れないが、投書における混用の特徴をみると、表2で示したように、a)タイプ とb)タイプにおいて、混用される文の出現位置にある傾向が存在するようにみ える。まず、a)タイプでは、「ですます体」が最後の文、または、最後の段落 に準用される割合が高く、全体の6〜7割を占めている(表2(2)を参照された い)。「非ですます体」で表現しながらも、終わりの部分は一つの談話の区切り
として意識され、「ですます体」で締め括るのではないだろうか。さらに特徴を こまかくみてみると、最後の文で「ですます体」を混用している例をみてみる と、投書のしめくくりにあたって、書き手のまとめやコメントが述べられてい ることが多くみられる。
a)4「いまどき携帯持たない理由」(2000.2.2 男性、21歳)
僕は、もうすぐ大学四年生になる。三年ほど大学生をやってきたのだが、
僕はこれまでケータイ(携帯電話)を持ったことがない。(中略)
僕がケータイを持たない理由、それは、まだまだ僕が弱い人間だからです。
a)5「20歳のパワー信じています」(2000.1.22 男性、54歳)
■成人式での若者のマナーの悪さを、静岡市長が憤慨。来年の式典を「続け るべきかどうか疑問」と、もらしたことが物議を呼んでいる。(中略)
二十歳のパワーを信じています!
a)6「保育の子らとスキンシップ」(2000.1.17 女性、51歳)
昨年の九月から保育園の時間外パートを始めた。(中略)
朝と夕方の二往復、保育園まで片道二十分の自転車通いはちょっとハード だけれど、心が明るく元気になれる大切な時間なのです。
a)7「演奏の贈り物障害児たちに」(2000.7.8 女性、46歳)
先日、町民会館のホールを借りてコンサートを開いた友人がいる。(中略)
今年の梅雨は、このコンサートのお陰で心さわやかな私です。
ちなみに、最初の文で「ですます体」を混用する例は、書き手が投書を書く きっかけとなった読み物や発言に言及することが多い。
a)8「子育て文化を取り戻さねば」(1999.12.16 男性、80歳)
六日の本紙「きょういく」のページに載っていた汐見稔幸・東大助教授の
「社会そのものが育児の能力を失いつつある。文明が栄える一方で、子育て 文化がやせ細ってしまった」との意見に全く同感です。(以下略。「非ですま す体」)
a)9「過大な薬業務看護婦の背に」(2000.5.2 女性、44歳)
先日の声欄の投稿で、薬に対する看護婦の知識不足が指摘されていたが、
薬に関する業務をどれほど看護婦が請け負っているのか、ご存じでしょうか。
(以下略。「非ですます体」)
次に、b)タイプの混用について考えてみる車、投書の中間に位置しているこ とが多く、いわば、書き手の論が展開されている部分に混用が見られる。展開 部分での、「非ですます体」の混用は、野田らが指摘しているような、「従属文」
などにも用いられ、さらに、その断定的、簡潔な響きより、時にその内容に強 さを与えたりしながら、事柄を列挙する場合、「〜という」などで引用する場合、
一280−