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女の文体の移り変わり : 過去40年間の新聞投書を めぐって

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(1)

女の文体の移り変わり : 過去40年間の新聞投書を めぐって

著者 熊谷 滋子

雑誌名 人文論集

巻 47

号 1

ページ A263‑A275

発行年 1996‑07‑31

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00000631

(2)

女の文体の移 り変 り*

―過去40年間の新聞投書 をめ ぐって一

貫員

は じめに

1995年 10月 15日 付 け『朝 日新聞』の「声」の欄 に、「女性の言葉で優 しい記 事 を」 とい う見出 しの投書が載 っていた。男性 は忙 しくて も新聞 を読 むが、女 性 はあまり読 まないように見 えるので、 この原因を社内の女性社員 に聞いてみ た ら、「新聞 は男社会の話題が、男性向けに 男語"で書かれているか ら」読 ま ない と指摘 していたので、女性 には「優 しい」語 りかけるような記事づ くりが 求め られていると、男性投稿者 は結んでいた。 この投書 によって、 もや もや し ていた ものが、私の心の中に沸 き上がって きた。 はた して、「女性の言葉」なる ものがあるのか、 またあるとす るな ら、 どのような ものか ということである。

Robin Lakoff(1975)は 、英語 において、女性特有の語彙や言い回 しが存在 していると指摘 し、その後のジェンダー と言語の研究 に一石 を投 じた。例 えば、

色彩関係の語彙 は、女性 の方が よく知 っていて、mauve(青みがかった薄紫色

)

とい う単語 は、女性が使 う限 りは普通だが、男性が使 うとなると、その人 は、

皮肉 まじりに女 を装 っているか、ホモセクシュアルか、あるいは、インテ リア 関係 の仕事 をしている人 とい う含みが出て くる。 さらには、lovely等 のある種 の形容詞 は、女性 のみが使用す るものであ り、付加疑問文 は、自信のなさを示 す女性が よ く使用す る構文であると指摘 している。Lakoffの意見 は、その後、

反論が出され るな ど、今で も、様々な議論の とっかか りとして、紹介 される程、

影響力 をもった ものである。彼女の結論 は、女性 は女 らしく話す と、対等の人 間 としては見て もらえず、 自己主張 もで きず、一方、女 らしく話 さない と、女 性 としては見て もらえず、ばかにされて しまう、 とい うジレンマに陥 らざるを えない状況があ り、言語 との関係で も、女性 は不不Jな立場 に立たされていると している。

‑263‑

(3)

先 にあげた投書 とLakoffの指摘 をきっか けに、 日本語 にお ける文体 とジェ ンダーの関係 を捉 える研究の一つの方向性 を探 ってみたい とい うのが、本稿の 目的である。文体 に女 らしさが存在す るのか、それ らが どう具現 されて きたの かを、歴史的視点 を取 り入れて検討 していきたい。資料 としては、『朝 日新聞』

の投書欄である「声」と「ひ ととき」をとりあげ、過去40年間 について、女の 文体が どう変化 してきたのか、あるいは、変化 していないのかを、みてみたい。

一、投書 をめ ぐる研究

実際に資料の分析 に入 る前 に、これ までの投書 についての研究 を概観 したい。

投書の研究では、国緒英子

(1987)、

中西清美

(1992)、

佐竹久仁子

(1995)、

寿 岳章子 (1966)らがいる。

国緒、中西、佐竹 らは、投書の文体 に性差 は存在 しているとい うことで、一 致 している。 これ らの指摘 をまとめると、男性 は、意見主張タイプで、型 には

まった紋切 り型(国)、 だ体、である体で、世相 を憂い、強い調子で政府 を非 難 している (中西)。 一方、女性 はです・ます体で、 自分 にひきつけた内容であ り、具体的で、手紙調で柔 らか く、主張 は弱い(国緒、中西)。 佐竹 は、さらに、

女性が より多 く使用す る表現 をあげて、詳 しい分析 を試みてお り、「傾向的な性 差がみ られ る」(佐1995:67)と結論付 けている。

一方、寿岳 (1966:122〜140)は 、「新聞 に投書す るような人たちの文章、あ るいは女流小説家 あた りでは全 く女の文 の長 さは、男のそれ と変わ らない。」と し、「今 までた とえば、新間の投書族の作文 もそんなに男性 といろいろな統計上 の性格がちが うわ けではない」 と指摘 し、投書でのジェンダーによる違いは、

あま りない としている。 この点 において、先 にあげた分析 とは、意見 を異 にし ているが、「女性特有の項 目」として、「夫」「主人」とい うことばが多 く使われ ているとい う点では、何 らかの性差があることは認 めている。

これ らの先行研究 を念頭 に入れなが ら、本稿では、『朝 日新聞』の投書欄であ る「声」 と、女性のみが投書で きる「ひ ととき」 を分析対象にし、それ らの中 に、「女 らしい文体」が どのように具現 され、時代 の流れによって、 どう変化 し て きたのか、 とい うことに注 目して、考察 していきたい。 これ らの作業 を通 し て、言語 とジェンダーの関わ り、ひいては、社会関係の反映 としての言語 につ いての示唆 を探 したい。

‑264‑

(4)

二、「声」の欄 における移 り変 り

1.調査の方法

今回は、『朝 日新聞』を取 り上 映 )1955年か ら10年ごとに1995年までの10 月一 ヵ月分 を調べ、調査項 目としては、佐竹 (1995)を参考 にしつつ、 さらに 絞 りこみ、寿岳 (1966)で指摘 された、女性特有の項 目も入れて行 なった。

調査項 目は、「私」、「思 う」9丁寧体 (です・ ます体

)、

身内への言及 (親 等 も含 む)の4つである。最初の2つは、 これ らの表現 によって、文の主張が 弱 くな り、断定 を避 けた表現 とな り、女性が多 く使用するとされているもので ある。丁寧体 は、 これ までの研究 をはじめ、世間一般の意識 として、女 らしさ を象徴す るもの として認識 されていることによる,)また、身内への言及 は、世 間で も言 うように、女が特 に身の回 りのあれ これ、家族の ことを書 くことが多 い とされ、寿岳で も指摘 されているので、入れてみた。 さらに、以上の4項 全 てを満たす もの (①)と、全 く満たさない もの (②)をみてみた。今回の調 査では、 さらに、特 に女性 の投書の「職業」(ない しは、立場)の申告 として、

「 主婦」 とした ものに注 目し、女性 のおかれた社会的立場 との関わ りを投書欄 を通 して、 どのように変化 してきたのか、 について も考 えてみたい。

2.調査結果

調査 した結果 は、以下の通 りになった。

1「声」の欄の移 り変 り(それぞれ

10月

lヵ月のみ

)

%

年 度 1995 1965

1975

1985 1995

1生

5」

「 租

34(57,6) 11(64,7) 61(45,5) 22(44,9) 77(48,4) 32(66,2) 61(38,6) 52(53,1) 65(47,4)

「思う」

29(49,2) 9(52,9) 52(38,8) 28(57,1) 63(39,6) 30(62,5) 70(44,3) 55(56,1) 49(35,4) 30(42,3)

丁寧体 15(25,4) 6(35,3) 34(25,4) 35(71,4)

13(8,1)

17(35,4) 20(12,7) 41(41,8) 22(16,1) 29(40,8)

身内申 5(29,4) 13(26,5)

2(1,3)

17(35,4)

5(3,2)

32132,7)

6(4,4)

27(38)

0

2(4,2) 9(9,2) 6(8,5)

11(18,6) 3(17,6) 39(29,1) 46(28,9) 8(16,7) 45(28,4) 12(12,2) 43(31,4) 8(11,3)

投書合計

(主

婦の割合

)

17(主

6)

(35、3)

134

48(主

31)

(64、6)

158

98(主58)

(59、2)

71(主

35) (49、3)

‑265‑―

(5)

身内への言及のあるもの

:全

ての項目を満たしたもの  

:ど

の項目も満たさないもの

「主婦」とは、あくまでも投書での自己申告による

A)丁寧体の男女差について (女の割合―男の割合)(%)

1975年  27.3

1985年  29。

1

1995年  24.7

B)丁寧体使用における女性の中での「主婦」の占める割合 (%)

19754「    59 19854「    78 19954「    59

3.考

2の調査結果 よ り、 これ ら4つの項 目に関 して、女性 の方が、 よ り多 く使 う 傾向にある ということが、分か る。つ ま り、性差が存在す る とい うことである。

しか し、今回の調査 において、過去40年間 について調べた結果、 その「性差の 傾向」の方向に も変化がみ られ ることがわか る。ただ、 ここで、おさえておか なければな らない ことは、1965年以前 と1975年以降の間には、大 きな溝が存在 していることである。性差の傾向が、1975年か ら1995年にかけては、ある方向 性が見 えて くるが、それ以前 とは異 なっているということである。例 えば、丁 寧体 を取 り上 げてみると、1975年か ら1995年までは、女性の使用す る割合 は高 いが、男性 も使用するようになって きていることが示 されている。しか し、1965 年以前 は、男性の丁寧体 の使用が ぐん と高い。

これは、 どうい う要因によって、 このようになったのか、今後の検討課題 と していかなければならないが、今の段階で言 えることは、1970年代 は、高度経 済成長 を遂 げつつあ り、男女の社会的関係 も、安定 し、固定化 し、「男 は仕事、

女 は家庭」 という、男女 それぞれの意識上のステレオタイプが安定期 を迎 えた 時代 ではないか ということである。 それが、文体上 にも影響 を与 え、ある一定 の方向性 を示す ようになったのではないか と思われ る。

今 回は、そのようなわけで、1970年代か らの傾向の方向性 について、指摘 し たい。② を除いた全ての項 目で、女性の割合が男性のそれ よりも高い とい うこ とを確認 した上で、傾向の移 り変 りをみてい こう。「私」については、男女 とも 変化 していない。一方、「思 う」については、女性の方が、使用す る割合が減 っ てきている。丁寧体 については、女性 も依然 として使用するが、男性 の方 も使 用す るようになってきてお り、丁寧体=女性 とい う図式が、 くずれつつあるこ

‑266‑

(6)

とを示唆 している。

さらに、丁寧体の男女差 をみてみる(A)と 、1975年以降の割合が、縮 まって きていることが分かる。投稿者の内訳 をみてみる(B)と、女性では、「主婦」と した人が、女性全体での丁寧体使用の 60〜80%を占めている。 この ことは、一 方 において、男性 の丁寧体使用が増 えて きた ことと、60代以降の「無職」とし た人の投稿者の増加 (後述す る)と関連があるのではないだ ろうか。つ まり、

丁寧体 は、女 らしさというよ りも、経済的 に弱い立場 にある者が、 自己主張す る際に使用す る文体 の一つではないか とい うことである。 この点 については、

「ひ ととき」の分析結果 との関連で も、 さらに述べ るつ もりである。

身内への言及 については、女性が圧倒的に多いが、男性 も言及するようになっ て きている。 しか し、依然 として、女性 は、家庭内の身近 な関係 に、良 くも悪

くも、縛 られているのか もしれない。

4つの項 目全てを満た しているのは(①)、女性 に見 られ、男性 は、なん と1965 年 10月 の一人だけである。 この点か ら、全てを満たす投書が、いわゆる「女 ら

しい」文体 という可能性が感 じられ る。1975年以降に関 して、17名11名

「主婦」 による投書であることも興味深い。 ちなみに、先 にあげた、全てを満 た した男性 は、「年金の受 け取 りと老母の死」という見出 しで投書 した、50才

「無職」の歩行不能の男性である9これ は何 を意味す るのだろうか。全ての項 目を満たす文体 は、女 らしいのか、それ とも、社会的立場 の上で弱い者が、意 見 を述べ る際 に、 こうい う文体 を使わざるをえないのか、 さらに、今後、検討

したい課題 である。

最後 に、「主婦」についてふれてお きたい。先 に も述べたが、丁寧体使用が多 く、全ての項 目を満た している割合 (①)も高 く、いわゆる、「女 らしい文体」

を実践 しているのは、「主婦」であることがわか る。「主婦」 は、家事・ 育児に 専念 し、家庭 内のあれ これ を話題 にして投書する傾向にある。 これは、女 らし い とされ る生 き方、あるいは、つ くられた女 らしさを実践 してい く立場が、「主 婦」 に象徴 されているのか もしれない。ちなみに、「主婦」 と申告 した投書 は、

1975年をピークに、減少傾向にあ り、あ とで もふれるが、「主婦」が肯定的イメー ジを持ち、アイデンティティー として安心 して受 け入れ られた もの となってい たのは、1970年代 までであ り、それ以降 は、兼業主婦が増 えてきたためか、あ まり、肯定的なものではなくなってきているめではないかと思わせるような傾 向、つまりヾ「パー ト」「講師」等、「主婦」以外のものを申告している人が増え てきたということから言えるのではないだろうか。

‑267‑―

(7)

三、「ひ ととき」欄の移 り変わ りと「声」欄の比較

1.調査方法

前章では、「声」の欄 について調査 したが、 さらに、文体 とジェンダーの関係 をみるために、女性だけが投書で きる「ひ ととき」の欄 について も分析 し、男 女共 に投書で きる「声」の欄 との比較 をす ることによって、「女 らしい文体」の 実態 を明 らかにしたい。

「 ひ ととき」の欄 は、1952年1月 より設 けられ、最初の頃は、有名人が写真 入 りで投稿 していたが、同年5月頃 より、完全 に一般の投書で うめ られるよう になった。 また、最初 は、夕刊の最後のページに掲載 されていたが、1963年

1

月 より、朝刊 に移 り、女性だけの欄 も、少 しずつ、その地位 を高めて きて、現 在 に至 っていることが分かる。

  

2.調査結果

「ひ ととき」の欄の調査の結果 は、以下の通 りである。

2「ひととき」の欄の移 り変 り(それぞれ

10月

lヵ月のみ)

%

1955

「不 21(91,3) 24(92,3) 29(93,5) 25(80、 6) 28(93、 3)

[思

う」 17(73,9) 19(73,1) 22(70,9) 19(61、 3) 15(50) 丁 寧 11(47,8) 10(38,5) 12(38,7) 10(32、 3) 9(30)

身 内

15(65,2) 16(61,5) 28(90,3) 24(77、 4) 26(86、 7)

6(26,1) 4(15,4)主

2

6(19,4)主4 5(16、1)主3 4(13、3)主

2

主婦の割合 0(申 告 な し) 12(46、 2) 25(80、 6) 18(58、 1) 21(70) 投書合計

3.考

「声」では、1975年以降の傾向の変化がある一定の方向性 をもった もの とし て捉 えられたが、「ひ ととき」では、1955年頃か らすでに、その傾向が一貫 して いるとい うことが興味深い。 これは、何故だろうか。

‑268‑

(8)

この相違点を考える前に、「ひととき」の傾向の変化 と「声」のそれを個々に おさえていきたい。まず、「私」については、1955年 からこれまで、あまり、大 きな変化はみられないが、「声」よりも、割合は高い。「思 う」については、「声」

より高いが、変化の傾向は共通 していて、減っている。

丁寧体については、前章でふれたが、いわゆる「女 らしい文体」の象徴 とし て意識されきたものであり、予想 としては、断然、その使用は高いのではない か と思われたが、結果 としては、その反対で、「声」よりも、低 くなっている。

傾向は、使用する割合が減ってきてお り、丁寧体=女性という図式が この欄に あっても、崩れてきたことを示 している。それでは、何故、「女 らしい文体」と される丁寧体は、 この欄では、「声」より使用されないのだろうか。

「ひととき」の書き手は、読み手を同じような立場の女性、つまり同性、を 想定 していると思われるので、わざわざ、同性に向けて、女 らしさを強調する 必要はないと考えているのではないか、 と考えられる。 これは、言葉を換えて 言 うなら、女子 トインに入る際に、わざわざ化粧する人がいない (一人 もいな いということではないが)こ とと同じなのではないだろうか。むしろ、女子 ト インで化粧直 しをして、出て くるのである。「ひととき」を女子 トインと結びつ けたのは、言い過 ぎかもしれないが、女性だけが集まる所 という意味で関連性 がな くもない。 この点で、男女の読み手を想定する「声」 とは、大きく異なる のではないだろうか。

身内への言及については、圧倒的に「ひととき」で高 くなってお り、その割 合たるや、「声」の2倍にもなっている。これは、身内のことを言及しなくては、

自分のことが語れない、いわゆる「主婦」の立場 と関心がそうさせるのであろ う。読み手 として、同じ「主婦」を想定 して、家庭内のあれこれを、井戸端会 議風に話 している風景が浮かんで くるのは、私だけではないだろう。

①の、全ての項目を満たしている人は、減 りつつあるが、「声」よりも高 く、

女 らしさ、あるいは、「女」の立場をよりよく示しているのではないだろうか。

そして、「主婦」の割合 も半数以上である。一方、②の項目では、「声」へ投書 する女性 とは違って、全 く存在 しない。つまり、調査項目のいずれかを使用し て、投書 しているのが、「ひととき」の女性なのである。②の項目を、さしあたっ て、「男 らしい文体」 とすると、そういう文体で表現する女性は、「ひととき」

では、一人 もいないということになる。

以上、「ひととき」と「声」をまとめると、1955年 から、傾向として、「ひと とき」の書き手は、女性で、 しか も「主婦」が多 く、読み手 も女性で、主に「主

‑269‑

(9)

婦」 を想定 していることが うかがえる。 したが って、 自己表現 においては、女 らしさをことさら出す必要がな く、飾 らずに、本音 を言 うという点で、一貫 し た変化の傾向があることが納得で きる。つ まり、主 に想定 され る「主婦」の社 会的立場が一貫 しているので、興味、関心 も一貫 してお り、さらには、1975年 以降の「声」 にみ られ る女性全体の傾向にそう形で、文体へ と影響 を与 えてい ることが分かる。ただ し、内容 については、1950年代、1960年代 は、社会的問 題 についての ものが少 な くない。 これは、当時、新聞全体 において、あるいは 投書欄 において も、発言で きるのは、主 に男性であった とい うことか ら、女性 が発言で きるのは、「ひ ととき」の欄 を通 してのみなされているとい うことか ら 想像で きる。1970年代以降 は、「声」の欄 も充実 し、女性 の投稿者 も増加 し、社 会的問題 は、そちらの方で訴 え、「 ひ ととき」の欄ではもっぱら、家庭 内のあれ これ、 自画 自賛、 もしくは、家族礼賛型の内容 に、新聞紙面 における分業が進 んで きた もの と思われる。 したがって、1950年代 の「ひ ととき」を読 んで、女 性 の生 き方や社会的弱者の問題等、内容が充実 してお り、私 自身、今で も励 ま された り、考 えさせ られた りするものが多いが、一方、紙上分業が確立 して き た、現在の「ひ ととき」では、家庭 のあれ これを事細かに述べたてているに と どまり、時 に辟易することも多々あることは否定で きない。

「声」の欄では、読み手 は、男性 も女性 も想定 し、 また、様々な職業、立場、

年令の人々 を考慮 して書 く必要があるので、単 に暗黙の了解 としての「主婦」

で はい られない。 自分の立場 を改めて、位置付 けし、意味付 けしていかなけれ ば、 自分の意見や主張 を読み手 に、容易 には受 け入れて もらえないのではない だ ろうか。ここで、最初 にあげた、Lakoffのい うジレンマ、が この欄でみえか くれす る。つ まり、女 らしく書 くことと、女 らしさを越 えて、人間 として書 く ということのジンンマである。「声」の欄では、女 らしく書 くとい う規制 (時 自己規制であるが)が「 ひ ととき」の欄 よりも、丁寧体が使用 され るという点 で確認 され、一方において、単なる井戸端会議 としてではない、人間 として意 見 を言いたい という思いが、丁寧体 を除 く全 ての項 目で、「ひ ととき」よりも低 く抑 えられていることでわか る。 これは、 ジレンマ とまでは呼べ るものではな いか もしれないが、 ここで、指摘 しておきたい。「ひ ととき」では、女 らしく書 かな くて も、女であることが前提 となっているし、読み手 も同性であると予想 で きるので、女 らしさにこだわ らな くて もすむので、丁寧体 をそれ程使用 しな くて もよいのである。一方、「主婦」の最大の関心事 (?)である家族や身内の あれ これについては、本音 を語 るごとくに、書 きつ らねることがで きるとい う

‑270‑

(10)

意識が働 くのではないか。

つ まり、 これ まで述べてきた「女 らしい文体」 を、 よりはっきり定義 し直せ ば、形式の上での女 らしさと、内容の上での女の、特 に「主婦」の、立場 に制 約 をうける関心、興味か らの女 らしさとを区別 した方がいいのではないだろう か。つ まり、外向けの装い としての「女 らしさ」 と、中身の上でのその立場で あるがゆえに、良 くも悪 くも制約 を受 けた「女 らしさ」であるL前者が、丁寧 体であらわ され、後者が身内への言及 な どによってあ らわ され るとい うことで ある。「声」の欄では、形式の上のでの女 らしさを保 ちなが ら、内容の上では、

あ くまで も、性 を越 えた人間 としての意見 を述べたい とい うことで、身内への 言及がそれほで もな く、一方、「ひ ととき」の欄では、形式の上での女 らしさは、

さほ ど気 にせず、内容の上での女 らしさは前面 に出 してい くという構図である。

四、投稿者の社会的立場―「主婦」をめ ぐって

これ まで、文体 とジェンダーの関わ りを中心に論 じてきたが、さらには、言 語 と社会 の関係 をみてい くために、投稿者の自己申告 した社会的立場、特 に「主 婦」 についてふれてお きたい。投書欄 には、住所、氏名、年令、職業 を書 くこ

とが きまりとなっている。 これ まで、いわゆる「主婦」 という語彙の持つ意味

や含みについて、様々な分野で議論されてきている。「学生」と同様に、職業と いうより、社会的立場とでもいうものだろうが、「主婦」に対する意識が、微妙 に変化してきているのではないかということを、投書から指摘したい。

投書欄 の職業 を含め、 自分の立場の申告 は自由であ り、「主婦」 としようが、

「無職」 としようが構わないが、か といって、 自分のアイデンティティーであ るので、 あまり単純ではない らしい。

「主婦」 と申告 した投稿者の割合0は1975年をピークに、下がってきてい る。 ピーク時で、「声」では、64.6%、「 ひ ととき」では、80.6%が、女性の中 で「主婦」の占める割合である。つ まり、1970年代では、「主婦」とい うのは肯 定的なアイデンテ ィテ ィーであった と思われ るので、そのような申告で十分t

満足で きたのであろう。1965年の「ひ ととき」で、「主婦専業 もまた楽 し」とい う投書(0があ り、いわゆる専業主婦 に対するあこがれやそれ による自己肯定の きざしがみえる。一方、1984年には、竹中恵美子(1995:112)が指摘するよう な、パー トを含む「働 く主婦の時代」がやってきて、専業主婦の割合 を越 えた 時期であ り、専業主婦 とい うアイデンティティーに、こだわ りを持つようになっ

‑271‑

(11)

てきたのではないか と思われる投書が、1985年10月 に2人ある。それは、「専 業主婦」と申告 してきた ものである。一人 は、28才で、主婦の労働 を国勢調査 では「仕事」とみなして くれない ことへの怒 り9も う一人 は、51才で、「賃金 を 得 る職栄婦人のみが、一人前の人間なのか」 という、キャリアーウーマ ンの気 負いに対 す る反発 を9それぞれ書いてる。 この2人は、単なる「主婦」では十 分ではな く、「専業」 とす ることで、「主婦」 としてのレッテル をさらに補強 し てい こうとする姿勢、意気込みがみえる。逆か らみれば、それだけ、「主婦」の 立場、それに対する意識が、不確定 になってきているとい うことが うかが える。

あるいは、1984年10月 の「ひ ととき」では「有職主婦」 と申告 した54才の女 性が、「働 いた ことのない主婦 は理解出来ないか もしれないが」という含みの投 ("をしている。つ まり、 ここで も、単 なる「主婦」では、満足で きない、なん

らかの冠 を必要 としているのが分か る。

1970年代 と違 って、1980年代 には、「主婦」とい う社会的立場 に、それほど、

肯定的な ものが感 じられず、「専業主婦」や「有職主婦」、 さらには「パー ト事 務」等 と申告す ることで、 自分の立場 を保障 してい こうとす る傾向がみえて く

る。 さらに、1995年の「ひ ととき」では、やは り、国勢調査への怒 りを書いた、

「在宅介護 も労働では」 と題す る投書

(1の

があ り、 自らの立場 を「介護人」 とし ている。

「主婦」 と申告 した人の社会的立場 をめ ぐって、いろいろと議論があるが、

シングルの人 は、 自らを「主婦」 とは名の らないだろうか ら、結婚 している女 性 を「主婦」とす ることは、多 くの人の認識であろう。辞書の定義では、「家族 が気持 ちよ く元気 に、仕事 (勉)が出来 るように生活環境 を整 え、食事 な ど の世話 を中心 になってす る婦人。〔主 として、妻 にこの役が求められ る〕」(新 解国語辞典、三省堂、1994年)と い うように、結婚 して、妻の立場 にある人が

「主婦」であることを示 している。

このような意識の中で も、 自らを「無職」とす る人 もいる。以下 に示 したい。

無職 と申告 した人の数 1955 ひ ととき   0

1965

1

1975

0

1985

2

1995 0

3

14

‑‑272‑

5

31

34

(12)

女性では、「ひ ととき」では、身障者、一人暮 らし、大 を亡 くした人等が、「声」

では、特 に60代以上 の人が、それぞれ「無職」としている。 しか し、申告 した 数 は、横 ばいで、特に「 ひ ととき」では、「主婦」として投書する人がほとん ど である。つ まり、女性で「無職」 とする人 は、むしろ、それを通 じて、 自らの 立場 を主張 しているのか もしれない。

男性では、1975年以降は、60代以上 の投稿者が増加 した ことが、「無職」 と す る人の増加 になっている。「年金生活者」や「元○○」と申告する人 もいる。D 一方で、「無職」と申告する意識、姿勢はどんなものだろうか。投書の内容 を見 れ ば、依然 として、社会、政治批判 をしているものが多い。

男女 を通 じて、「無職」ということの持つ社会的意味 を、 さらに深 く、言語的 側面か らも解明 してみる価値があるのではないだろうか。今後の課題 としたい。

おわ りに

本稿で は、言語 とジェンダーの関わ りをさ ぐる手始 め として、この40年間の 新聞投書 をめ ぐって、「女の文体」が どのように変化 してきたのかを調べてみた。

これ までの研究の成果 を生か しつつ、「性差の傾向」が どのような方向性 をもっ ているのか ということを、ある程度みることがで きたのではないか と思 う。あ るいは、む しろ、私たちの意識 とそれが文体 にどう表現 されているのか という 観点か ら、今後の検討 したい課題 を見つけだ した とい うめが、本稿の成果であ

る。

:

*今回の投書の分析 において、佐竹久仁子氏 には、投書 に関するこれ までの研究 成果や、その後のデータの統計処理 に関す る示唆 も含めて、有益なコメン トを いただいた。 ここに感謝 したい。

1。 今回は、『朝 日新聞』の東京版 についてのみ分析 した。今回、一紙 に絞 って 調査 したのは、複数の新聞 を比較す るには、あまりにも様々な要因(例えば、

編集上の方針)がからんでいる可能性がぬ ぐえきれないため、まず、さしあ たって、一つに絞って、やってみることにしたい。今後は、今回のことを土 台にできれば、ぜひ他の新聞にも対象を広げて試みてみたい。

2.「思われる」 という表現ははずしたい。同じ「思 う」ではあるが、前者に

‑273‑

(13)

は、 まだ、客観 性をもった意味合いが感 じられ るか らである。

3.大学生 に、投書者の性別判断 をした結果(こ こでは、詳 しく立 ち入 らない

)

と、武田春子 (1990)のまとめか ら、丁寧体 を使 うのは女性 の文体であると することが、支持 され る。

4。 1965年10月 27日 付 けの「声」の欄である。

5。「ひ ととき」では、編集上の方針か もしれないが、1953年1月 か ら1959年 3月 までは、「主婦」 とい う記載 はな く (住所、氏名 のみ

)、

職業 のある人 の みが、住所、氏名、職業 (例えば、教師)が記載 されていた。1959年4月 よ

り、「主婦」 という記載が増 えて きた。

        .

6.1965年 10月 20日付 けの「ひ ととき」の欄である。

7.1985年 10月 5日 付 けの「ひ ととき」の欄である。

8.1985年 10月 24日付 けの「ひ ととき」の欄である。

9。 1984年 10月 19日 付 けの「ひ ととき」の欄である。

10.1995年10月 17日 付 けの「ひ ととき」の欄である。

11。 「年金生活者」 と申告 したのは、1995年10月 18日 付 けの「声」の欄であ る。 また、「元○○」での、職業名 は、「公務員」「教員」「議員」等があった。

どの ようなものを申告す るのか、傾向があ りそうである。

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参照

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