Ruckversicherungsvertragの訳語について
Ruckversicherungsvertragの訳語について
田中友 次 郎
いわゆるこ肉Oo吋くΦ屋凶︒﹃ΦH信昌σqω<ΦH霞9αq︑.成立の由来について︑﹁ドイ 注①ッ史事典﹂第七巻︵一九五六︶のなかで︑ギユソテル・フラソッ︵O口馨ゴ臼
勾富強N︶教授は次の如く述べている︒ ﹁一入八一年及び一八八四年のド
イツ・・シア・オーストリア間における中立協定の期間満了に際して︑
ロシアはバルカン ︵ブルガリア︶ に関するオーストリアとの矛盾対立
のために︑ その更新を拒絶したが︑ 夷国は二国聞のみの条約を更新せ
んことを提議した︒ ビスマルクは﹃ロシアへの電線﹂を断絶させない
ために︑これを受け入れた︒この条約は︑掛字の上ではこれまでの条約 ②に則っているL云々︒また百科辞書﹁大.ブロックハウス﹂第十巻︵一九
五六︶は︑羽口︒貯く9巴︒ずΦ二二ゆqω<Φ円什鑓αqについて次の如き簡潔な説明を
行なっている︒
﹁一八八七年六月十入日ビ入マルクによって締結されたドイツ・ロシ
ア間の秘密条約であり︑両国は︑三白年間に限って︑戦争の場合相互に好意的中立を義務づけられた︒但し︑フラγ入に対するドイツの攻撃戦
争及びオー入トリアに対するロシアの攻撃戦争の場合︑この義務づけは
除外された︒ ドイツ帝国は︑ ブルガリアにおけるロシアの今後の勢力
を承認し︑また極秘の追加議定書において︑コソスタγティノーブル及
び黒海に対するロシアの利害関係を承認した︒ビスマルクの失脚︵筆者
注︑ 一八九〇年三月︶後帝国宰相カプリヴィ︵O巷ユ註︶は︑ ホルシュ
タイγ︵出O一ω紳⑦一﹈口︶の影響下に︑知ロ︒尻くΦ屋ざ尊霊昌σqのく青黛9σqの更新を ③拒絶した︒この条約の原文は一九一九年始めて世に知らされた﹂︒さら にまた例えば︑パウル・ゼテは﹁最近一世紀聞のドイツ史﹂のなかで︑
﹁一入八七年におけるベルリγ・ペテルスブルグ両政府のかの秘密の接
近は︑あらゆるビスマルク諸条約中最も有名で最も多く非難されるとこ ④ろの協定いわゆる爆口︒屏くΦ蒜宕ぼ目昌αqω︿Φ暮同鋤σqへ到達した﹂云々と述べ
ている︒ 以上の例にみる如く︑閑口︒刷くΦ諺ざずΦ崔昌ひqω<Φ同門鑓σqは一般的には︑ 一
入八七年六月十八日締結された独露秘密条約を指している︒さて︑この
条約の原文は周知の﹁欧州諸政府の大政策︑ 一八七一−一九一四﹂の第
五巻︵一九二二︶Z賢ド8b︒に掲載され︑標題のみはドイツ語で︑と臼Φ纂
自Φの庭口O屏くΦ誘言ゴ①霊昌σqω<Φ目#9︒αqΦω偉昌Ω島①ωN賃のβ︒訂只08皆O目ω.︑と記
され︑全丈フラγス語である︒この条約のドイツ語訳は︑ヨハネ入・ホ
ールフェルト編﹁一八四八年から現代に至るまでのドイツ政策及びドイ ⑤ツ史の洛書﹂第一巻︵一九五四︶のなかに掲載されている︒また︑神川
彦松博士著﹁近代国際政治史﹂下巻の一︵昭和二十四年︶のなかに︑邦訳
のほとんど全丈が掲げてある︒ところで︑閑9胃くΦHω客ぽΦ讐昌ひqω<①日戸H摯︒σe
の日本語訳は︑字義通りに㈹﹁再保険条約﹂と訳すべきものか︑︑または
㈹﹁再保障条約﹂と訳すべきものか︑それとも③﹁二重保障条約﹂と訳
すべきものか︒我国で㈹の訳語を用いた学者は︑例えば大類伸︵西洋史
新講︶︑山脇重雄︵西洋最近世皮︶︑大野真弓︵西洋史概説︶︑今来陸
郎︵西洋史要説︶諸氏の如きであり︑⑬の訳語を用いたのは︑尾鍋輝彦
︵西洋史概説︶︑中山治一︵西洋皮学9︶︑林健太郎︵亀井氏と共著︑ ︶
︵ 14
概説西洋歴史︶︑江口朴郎︵野原四郎・下煮両氏と共同監訳︑ソビエト
科学ア功ヂミー版﹁世界史﹂近代8︶諸氏の如きであり︑⑥の訳語を用
いたのは︑神川彦松︵近代国際政治皮︶︑横山信︵平凡社﹁世界歴史事
典﹂︶両氏の如きである︒
さて︑先ずいかなる立場から㈲の如く訳されているのか︑すなわち㈲の
如く訳されている理由について推察してみる︒iイギリ入︑フラγス
でも︑国口oW<①屋ぱゲΦ葺づσqω<Φ目け罠αqは字義通りにそれぞれ幻Φ冒ω自冨μ︒Φ
弓円Φ鉾8↓冨拍動αΦOO昌霞?動ωωq鑓昌8︵OH ハ門. α① 幻ひ9Ωωω償円鋤昌O①︶と
訳されている︒ところで︑辛口︒貯く①目ω客ゴΦ三5σqすなわち﹁再保険﹂とは
法律学的にどんな意味であるか︒我妻栄編﹁新法律学辞典﹂︵一九六一︶
に拠ると︑次の如くである︒すなわち︑ ﹁﹃再保険﹂とは︑保険者がそ
の引受けた保険契約上の責任の全部︵全再保険︶または一部︵一部再保
険︶を他の保険者に保険させることを目的とする保険である︒この場合
第一の保険を元受保険と言い︑これと再保険とは全く別個独立の契約で
あって︑再保険自体は︑元受保険が何であるか︵火災保険や海上保険が
多い︶に拘わらず︑責任保険に属する︒しかし︑経済的には元受保険と
同質的な性格︵危険の同質性︶を有し︑法律的にも元受保険における性
質が再保険に反映することがある︵例えば海上保険の再保険で委付が認
められる如し︶︒この再保険により保険は国境を超えて利用される︒し
また︑国辱唄巳Ob器α冨切ユ雷三︒o︵ドΦωb︒︶は︑再保険の目的及び歴皮
について次の如く説明している︒ ﹁閑①ぎω霞鋤昌8の目的は︑元受保険
者︵o急⑪q二巴貯ω謹厳︶を︑彼にとって実行するのに余りに重い責任か
ら救うことである︒︵中略︶国Φ貯︒︒霞9︒昌8がいつの時代に始めて行なわ
れたかは分らないが︑遅くとも十八世紀前半期には既に存在していた証
拠がある︒初期の保険においては︑保険契約者たちは原則として︑独力
で保有している金額以上のものを保険することはなかった︒そしてこの
原則が弛み始めても︑彼等が重い委託から免れるための取決めは︑再保
険の性格よりもむしろ共同保険︵OOl一﹈Pω=H①﹈PO①︶の性格をより多く有し
と園負︒犀くΦ房8び︒窪口oqのくΦ目言9︒σq..の訳語について ていた︒かかる取決めの下では︑元受保険者は︑保険契約者の各々と契約関係のなかにあった︒しかし海事においては︑再保険はおよそ二〇〇年前から知られていた︒すなわち︑一七四六年イギリス議会の定めた法律が再保険を非合法化したが︑この法律は一入六四年まで異議を持ち出されなかった禁止令であった︒若干の人々により︑一七四六年の法律は ⑥事実上は重複保険すなわち︑被保険者がその財産を再度償うための保険を禁止したのであると考えられた︒但し︑この法律のなかで用いられた言葉は二男Φ鋤ωω霞β︒昌︒Φ︑︑であった︒しかし︑様々な部門の事業における幻①百︒・霞き︒①の発達は︑十九世紀に入るまでは遅々たるものであり︑現代︵筆者注︒この辞典の出版されたのは一九三二年忌の重要なまた広く弘まった地位にまで発展したのは︑謹かに三〇年間位であるということは︑恐らく確かである︒L 以上﹁再保険﹂ の法律学的及び歴史的説明に拠り︑ 一八八七年の蛇口︒臨くoHω淘げ①三昌αqω<頸酔冨σqと﹁再保険﹂との関係を観ると︑㈹の如く む む む む訳することは︑ ﹁再保険﹂の法律学的意味及び歴史的由来から考える場合は︑余りにもかけ離れた訳のように思われる︒すなわち︑この条約成立の頃︑ ﹁再保険﹂なる保険は余り重要でもなく普及してもいなかったわけで︑ 山脇教授が昭和三十六年五月長崎で筆者に語られし如く ︵但し︑筆者が聞きちがえたとすれば甚しい非礼である︶︑﹁ビスマルクが法律や経済の知識を余り有たないのに︑気取ってこの条約を涛口︒屏く臼巴︒ゴ①旨¢αQω<Φ暮惹σQと命名した﹂ことも︑ 一応想像される処である︒またここで︑法律学上の﹁重複保険﹂の意味を﹁薪法律学辞典﹂に拠って調べると︑それは次の如きものである︒すなわち︑﹁同一の被保険利益につき数個の保険契約が同一の保険年玉につき数人の契約者と締結され︑その保険金額の含青息が保険価格を超過する場合の保険︒超過保険の一特殊態様であり︑以上の数個の保険が同時に締結された場合には︑各保険者は各自の約定保険金額の割合によって保険価格を基準とする損害翼補の責に任じ︑時を異にする場合には︑後の保険契約は前の保険契約と ︶
︵ 15
と肉隣︒屏くΦ諺8ず①﹁賃昌σqのく①コ鑓αq帆帆の訳語について
重複する限度で当然に無効であるL︒ 思うに︑ 重複保険は古くから行
なわれて居り︑ビスマルクのいわゆる﹁同盟組織﹂︵切口丸餅艮ωω団ωδヨ︶
はこの﹁重複保険﹂と相通ずるものを多分に有している︒従って︑彼が
﹁再保険﹂を﹁重複保険﹂と混同していたことも絶対に考えられないこ
とではない︒また︑法律学的な真の意味から離れて︑﹁再保険﹂なる日
本語を単純に置字の上から︑ ﹁再び保険をつけること﹂と解釈す6場合
には︑一八入七年六月満期完了した三管同盟なる保険に代り︑ドイツの
安全のために﹁再び保険をつける﹂という意味では︑ ﹁再保険条約﹂な
る訳語も一応妥当なものであろう︒
しかるに︑パウル・オージェ監修の下に出版された百科辞書﹁二十世 ⑦紀のラルス﹂第二巻︵一九五三︶は︑男口︒民くΦ屋搾ゴΦ重量σqω<臼什鎚mに関
して︑ 一八八七年の独座秘密条約なる特定の意味を離れて︑次の如き注
目すべき説明を行なっている︒すなわち︑ ﹁国際外交史上のご↓鑓一猷ω
︵複数形︶αΦoo導お由︒・︒︒q冨昌︒Φ..は︑ビスマルクの常套的遣り口の一
つに対しビスマルクにより法律用語から借用されたる表現である︒
↓冨一存︵条約︶ は︑ ある強国によって示されし或危険に対する一種の
︾ωωロ鎚コ8︵保険︶であるから︑Oo口樗⑦画ωω霞餌口︒Φ︵筆者注︒字義通り
には︑﹁逆保険﹂と訳される︶は︑逆の強国︵dロΦ勺9ωωo昌︒Φ悉くΦ円ωΦ︶
によって示されし危険に予め備えるのに役立つ︒投機者用語で︑同時に
二つの表に賭けることをOo亡魂99︒ωω貫p︒ロ︒⑦と呼ぶ︒ビスマルクこそ︑
この策略の最も目立った範例を提供した︒ベルリγ会議︵一入七八︶の後
また殊にブルガリア紛乱の後︑彼はオーストリアと︑ロシアに対する防
禦同盟条約を結んだ︒ロシアの敵意が彼を不安にし始めたからである︒
しかし︑同時に彼はツァーと絶交するのを避け︑その上なおツァーに接
近せんと欲した︒彼は︑さらに二年の後︵六月十八日︶旧の同盟︵一
入七二︶を復活させることに成功した︒この旧の同盟によって︑ドイツ
・ロシア及びオーストリアの三部は︑三国中の一国に向けられた侵略の
場合互に好意的中立を約束し合っていたのであるL︒すなわち︑ ﹁ラル 入﹂に拠ると︑ビスマルクは↓目毘猷というものを国際外交上における一種の保険と考え︑ Oo暮お凶ωωゴ罠コ︒oを法律学的に解釈することなくいわば﹁逆保険﹂すなわち︑ ﹁︐逆の強国によって示されし危険に予め備えるもの﹂と見なし︑また投機者用語におけるOoご霞Φ凶ωω霞雪︒Φを彼の国際外交上に用いたのあり︑例えば独填同盟を以って︑ロシアによって示されし危険に備え︑同時に対露接近策をとり三景同盟の復活によって逆の強国フランスによって示されし危険に予め備えたのである︒ なおまた﹁ラルス﹂に拠ると︑Oo葺HΦ凶ωω困窮鵠︒①はビスマルクの対英外交政策上にも用いられている︒ すなわち︑ ﹁ドイツの歴史家たちは︑一八八○年から一入八五年忌での聞︵筆者注︒大体︑フラγス植民政策が大発展をとげた第一次及び第二次フェリ親字内閣の時期に当る︒また︑イギリスによる独占的エジプト占領のために︑フラγスの対英感情が悪化している時期に当る︶イギリスに相対してビスマルクにより継続された政策の性格を示すためにごOoコ#①蜂ψω貫鋤口︒Φ︑.なる表現を用いて来た︒イギリスの同意はビスマルクにとってドイツ植民帝国建設のために必要であった︒すなわち帝国宰相は︑ロγドγと談判しながらイギリスの競争国たるフラγス及びロシアと談判した︒その狙いは︑ビスマルクの内閣の決断に重みをつけ︑仏露がさもなければ同意しなかったであろう処のものを提供させることであった︒﹂ さらにまた﹁ラルス﹂は︑Oo算お−器ω陶工昌︒Φの例として︑ ビスマルクの外交とは別に︑次の如くイタリアの外交政策をあげている︒ ﹁我々は︑08嘗Φ・2︒︒・の葺餌毯Φの範例として︑イタリアが三国同盟︵︸八八二年五月二〇日︶のなかに挿入したる追加条項を引用することができる︒この条項によれば︑イタリアは︑三国同盟がイギリスとの戦争に入った場面この条約を実行する霧はない﹂・すなわち・この条約に︑本条約はいかなる場合にもイギリスを標的とするものと看られざるべき旨の三国宣言︵イタリア五月二十二日付︑オーストリア五月二十入日付︑
ドイツ五月二十入日付︶が付加されている︒ ︵言うまでもなく︑当時イ ︶
︵ 16
タリァの外交政策は︑同国の長く伸びた海岸線と︑石炭︑穀物の輸入に
関する其の経済的隷属とのために︑絶えずイギリス外交政策に左右され
ていた︶︒さて︑この追加条項に関連して︑ 一九〇二年十一月一日付イ
タリア外相プリネッティ ︵℃ぽづΦ簿江︶ と信望フランス大使バレール
︵Gロ碧猷肖①︶との間に交換された書簡の内容もまた︑こ菊口︒歩く寓ωぎげΦ葺昌 ⑨σQω<Φ昌轟αq..と呼ばれていることを想起すべきである︒ これより先一九〇〇年十二月十四日付及び十六日付バレール及びイタリア外相ヴィスコ
ソティ・ヴェノスタ ︵≦ωoo昌鉱く①昌︒ω冨︶ 間の書簡交換により︑フラ
γ入はトリポリに対する要求を︑イタリアはモロッコに対する要求を放
棄し︑フラγスのチュニス占領以来二十年間にわたる絶望の反目はここ む む むに幕を閉じたのであるが︑ 一九〇二年のこの再度の書簡交換によって︑
両国は相互的中立の確約の下に︑イタリアにとってトリポリにおける︑またフランスにとってモロッコにおける自由行動を相互に認め合い︑こ ︒︒︒ ⑩うして両国間の諒解が再確認された︒この意味では一九〇二年の上記書
簡を﹁再保障条約﹂と訳しても理解し易いようである︒ 因みに︑ ﹁保
障﹂とは︑服部・小柳両博士共著﹁詳解漢和大辞典﹂に拠ると︑ω﹁小
城ととりで﹂回﹁法障害せられぬという保証﹂である︒すなわち︑ ﹁再保障﹂とは︑文字通りに﹁再び保障すること﹂と解する場合︑丈字通り
に﹁再び保険をつけること﹂と解する場合の﹁再保険﹂とほぼ同義であ
る︒従って丈字通りの意味では︑飼口︒屏く㊤巴︒げ①霊コσqω<臼酔鑓ひqに対し︑
﹁再保険条約﹂及び﹁再保障条約﹂なる訳語のいつれを用いてもよいと
思われる︒ 但し︑前述の一九〇二年の書簡を︑ 神川博士の言われる如
く︑別の意味において︑すなわち既述の﹁ラルス﹂における投機者用語
的意味に解釈し︑ コ一重保障条約しと訳するのが︑一層適当のようであ
る︒すなわち︑博士に拠ると︑ 二九〇二年のこの書簡交換により︑イ
タリアは依然として三国同盟の一員に留まりながら︑ 他方では︑ フランスに対して中立約束を為して︑両陣営に一本つつ足を突込む形となっ
た︒こめ二仏協定は︑イタリアにとっての二重保障条約であって︑その
こ閃¢o閑くΦ屋8げΦ旨づゆQω<o二岳σq..の訳語について 性質においては︑かのビスマルクのそれと同様のものと言うことが出来ると思われるL ︵近代国際政治史︶のである︒ さて︑一八八七年の菊口︒屏くΦ屋淘げ︒ヨロαqω<臼叶雷σqに還って考えると︑この条約を﹁再保障条約﹂と訳する場合︑それは︑ぐΦHω甘ゴΦ葺昌αqを︑
﹁保証﹂すなわち法律的用語で﹁保障﹂ ︵障害せられぬという保証︶と
訳し︑ご麺酵︒ド..を︑ ﹁元へ﹂︑ ﹁戻って﹂という意味に解し︑ ﹁三帝
同盟によって維持せられていた対フラγス防衛のための保障が崩れたの
を︑この条約によって︑再び元へ戻して保障することが出来た﹂といつ
意味であると思われる︒そこで︑ 一八八七年の独露秘密条約を﹁再保障
条約﹂または﹁再保険条約﹂と訳するのが理解し易く思われる場合の13
イッ史家論述の例を次に二︑三あげてみる︒
例えば︑ゴロ・マソ編﹁プロピレェーエγの世界史﹂詳言巻︵一九六 ⑪ ︒Q︒︒ ︒○︶は次の如く述べている︒ ﹁露填間の緊張のために︑ ﹃三帝同盟﹄を
む む む む更新することが不可能となった︒そこで一八八七年六月十八日独無間に
おける秘密の菊9聴くΦ目巴昌Φ凄昌αq︒・<Φ暮嵩ひQ..が結ばれて︑締約国の一
方に対する第三国の攻撃の場合に他方の好意的中立が前以って用意され
た﹂︒また︑エルγスト・ツー・レーフェγトロウ伯の﹁ドイツ外交政
策︑ 一八八八i一九一三﹂は次の如く述べている︒ ﹁一八八七年すなわ む むち︑独露間の尊重鼻く曾ωざゴΦ霊昌ひqのく臼轡δαqが初めて再興︵国庫Φ鐸Φ露︶
されたその年に︑パリ駐在ロシア大使館付武官がフラγス軍事大臣に対して︑フラγスの兵器工業は五〇万個の・シア軍用レベル式連発銃を製
造する能力ありゃ否やと問うたということは︑驚くべきことのように思われるが︑史実に合致している︒︵中略︶ビスマルクは退職後くり返し︑
極めて断固たる遣り方で︑ツァーは当時彼を全面的に信頼して居り︑か
の会談︵筆・者注︒一八入七年十一月ベルリンでのアレキサγダー三世と
の会談︶に関連して︑言挙ロシア大使シェヴァロフ ︵ωoず自≦9︒一〇≦︶ と む むの間に図口︒屏ぐ①房ざゴΦ讐5σq︒・︿臼叶鑓σqが更新されたのであると︑なんらの ⑫疑いの余地もないほど明確に強調した︒﹂さらにまた︑ エリッヒ・アイ ︶
︵ 17
と国詠︒閃く︒屋8ぼ︒毎昌伽q︒・くΦ詳鑓αQ︑︑の訳語について
クの﹁ビスマルク﹂第三巻には︑ ﹁⁝⁝⁝︒この形式で︑後にと開口︒甲
ぐΦ屋ざザΦコ昌σQω<oH霞9︒oq..として有名となった条約が一八入七年六月十八 む む目すなわち︑三帝条約︵∪お曲路巴ωΦ学く︒碁聖σq︶ が満期となった日に︑
ベルリγにおいてヘルベルト・ビスマルク︵出Φ円一りΦ門け じd陣ω日9門O屏︶と︒ハウ ⑬ル・シュバロフ︵℃鋤巳ω9q≦巴︒毒︶によって署名された︒﹂と述べられ ⑭ている︒特に︑最近の名著たるビューラーの﹁ドイツ史﹂第六巻には︑ む む簡潔に︑ ﹁三帝同盟の代償としての一八八七年の肉口底く2獣︒冨歪面αqωぐ−
o暮冨αq﹂と記されている︒
最後に︑一入八七年の罰口︒屏く臼のぎげ㊤信口σqωくΦ肖什罠oqをコ一重保障条約しと訳するのは︑どういう意味かというと︑これには以下三つの場合
が考えられる︒すなわち︑ω︑既述の﹁ラルス﹂における投機者用語的
説明で︑東大法学部助教授横山信氏の言われる如く︑ ﹁一八八七年の条
約は︑微妙なビスマルク保障政策の極致を示すものであり︑ロシア・オ
ーストリアの対立のなかにあって︑オー入トリアを同盟国として留めつ
つ︑しかもロシアを結びつけるという意味で二重保障条約の名がある﹂
︵平凡社﹁世界歴史事典﹂︶︒②︑神川博士の言われる如く︑ ﹁ドイツが
一面において︑独填同盟により︑東方︵筆者注︒ロシア︶に対する保障
を有しているのに加えて︑さらにこの露独協商により︑西方︵筆者注︒
フラγス︶に対する保障をも得るに至ったからである︒﹂ ︵近代国際政
治史︶︒思うに︑ω及び②の解釈がそれぞれ論拠を有していることは︑
次のビスマルク自身の言葉からも肯定される︒すなわち︑ビスマルクは
陶9ド<Φ円巴︒ゴΦ同風口αqω<Φ目けd9ぴq締結後十日にして︑ヴァルチソ︵<鍵N首︶
に在る彼の邸宅からヴィルヘルム一世に宛てた手紙の中で次の如く説明
した︒ ﹁ドイツは︑来るべき三面心の間オーストリアがロシアにより攻
撃された場合はオー入トリアを援けるが︑ロ・シアがオーストリアにより
攻撃された場合は中立を維持するという関係の申にあります︒此の形勢
の下では両強国にとって︑相︐互に平和を維持すべしとの強い強制が存在
しています︒この条約の主たる効果は︑ドイツにとって︑此の三力年を 通じて︑フランスがドイツを攻撃する場合ロシアは中立を維持するという保証を得ているということであります︒私は︑ドイツに対するフランスの攻撃を︑同国の国内的事情並びに推移からして依然として︑欧州における平和風伯の最も切迫した蓋然性として︑すなわちロシアによるオ ⑮リエγト戦争より遙かに多い蓋然性として認めています︒L.㈲︑さらに筆者は︑ ﹁二重保障条約﹂なる訳語を︑ ﹁フランスに対抗して三国同盟 む む むによりドイツの地位を保障するのに重ねて︑pシアとのこの相互的中立条約によりドイツの地位を保障することとなった﹂との意味で用いることも可能であると信じている︵クライγベルク教授著︑拙訳﹁近代欧州丈化史﹂二三四頁︶︒何となれば︑三国同盟の成立は︑ビスマルク外交の眼目たるフランス孤立化政策の部分的達成と看るのが一般の見解だか ⑯らである︒ 以上を総合すると︑知O豪く臼忽︒げΦ匿昌ひqω︿臼仲冨σqなる用語は一般的には︑一入八七年の独露秘密条約をさすが︑それに限られたわけではなくまたこの用語は︑ビ入マルクの外交政策にのみ用いられているわけでもない︒そして一入入七年独露秘密条約の意味での国530乏く興︒︒ざげΦ目償口ぴqωくΦ含鎚αqを﹁再保険条約﹂と訳する場合︑それは主として︑二言吋く2ω学︒ゴ①葺5σqをビスマルク独特の国際外交的用語として認めた上での直訊であり︑ ﹁再保障条約﹂と訳する場合︑それは一入入七年独露秘密条約の歴史的由来を主眼としての︑すなわち三帝同盟の代償と解しての訳語であり︑ コ一重保障条約しと訳する場合︑それは︑原語の直訳から離れて︑この秘密条約の当時のドイツ国際外交にとっての役割を率直に表明した訳語いわば意訳である︒従って三訳語とも︑使用者が髪冠︒屏くΦ屋客・冨旨轟ω<興自9︒σqに対するそれぞれの解釈︑さらに此の解釈に当ってのポイγトの置き処に基いて嘆用する場合︑決して不当なものではないと思われる︒
注①出①一一目β酔肉αωoロ一〇門島昌自O曽昌けげ︒噌団憎昌N匂Dooげ妻α暮①Nぴロ︒げN口︻
畠〇三ωoゴΦ口OΦωo馨︒窪①︵HOqひlH㊨鋤Co・ ぎ叩石OゴO昌︶. ︶
︵ 18
②国9円冨a田︒艮冨ロω二︶Φ門Oδのωo切3︒吋冨器︵這U個−乞ひO.
ぐく一①ωび曽傷⑦口︶●
③ 九月十二日付UδUΦ暮¢魯⑦≧一σq︒白︒ぎΦNΦ搾二藍oq.寄・茸αの申で︒
︵U一〇σqHOのooΦ勺O謀けい障鳥Φ同ΦβHOb似一のOゲO昌困︵9ぴ凶鄭Φ紳件O 一︒◎一−HOH轟●
2N・一〇罵︶.但し︑この条約の存在については︑既に 八九七年
二自9日び自ひq露Z9︒耳一魯8p..の曝露により︑帝国議会で問題となった︒
︵○鴇蝉h国国昌ω峠圃q肉Φ<Φ⇔菖O芝UΦ口酔ωOげ一鋤昌αω鋤βω零似目一一σQO℃〇一一江犀
一cococoI日〇一㎝● ﹈■O一避切Φ目=昌︶・
④霊巳︒◎①爵Φ⁝bΦ巳の魯︒O︒の︒鼠︒窪①帥日冨欝叶g冒腎げ§留詳︵這ひP
聞目⇔昌閃剛賃円叶国ヨリ自鋤一昌︶ω・Hひα−一ひひ・
⑤冒冨昌口Φの国︒巳hΦ包Uo閃ロ80巳①q2Uo三ω魯魯零ま涛鐸ロら
ΩΦω0げ一〇げ酔Φ <O昌 Hco偽cQ ぴ一ω N自H︵甲ΦoQO昌笥鋤H侍・︵Hゆα轟・︼WΦ噌嵩昌︶・﹈Wユ・一・
の●轟Hα1斜一刈・
⑥︵英︶αo離乞︒ぎ︒︒霞島︒昌8●︵独︶∪︒窓Φぞ霞既畠︒歪昌αq●︵仏︶四ω︒・q屋ぎΦ
O目目Pζ一Qけ一くΦ・
Fい9︒8霧ωΦ像鐸メ図Φω籏9①b億び嵩ひωo房冨象器︒鉱︒口畠Φ霊巳きσqΦ
︵HOUM一一〇α9娼鋤目一ω︶・
⑧冒︒σq8ωω①℃巳三鮮切α●闘●2N﹄醤●
⑨Ω牢●国寓言09冨器自巳≦9凝きびq国Φ羅ヨ僧目OΦ︒・︒ぼ︒耳①自2
昌O自ゆωけO昌NO一什・一︒◎く一−一㊨Pco●︵一露O・出鋤=Φ︶●ω・#斜● ︒
⑩Oh.ζ自︒冨きΦ囲慈畠巴ω冨︒︒︾8︒巳津き︒?H雷一冨昌ω9HgOO!
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⑪国︒竈証g≦鉱茜Φ︒・︒ぼ︒げ叶①9田需d三くg︒・巴σqΦ¢︒げば巨Φ冨鎚ロのαqgg
<O昌OO一〇 り肖90昌昌●ωO︒ ぐ覇・︵一〇ひ09 ︸WΦH一一昌矯国H9ご貯h5H幹娼く伸Oコ︒︶ ω●くひ酌・
⑫O轟h貯口ωけ遷図Φ<Φ口二︒宅脚UΦ三ψ9冨巳ω§︒岳零貯江σqΦ寄犀詩
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︵昭和38年10月17日受付︶
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